・マリンブルモン
完全体
軟体型デジモン
デジタルワールドの海中で存在が確認されているデジモン。
縄張り意識と同族意識が強く、共生関係にあるデジモンを守ろうとする姿が目撃される。
「……これ、おかしくないですか?」
「何処が?」
東雲ギンは、先輩女性社員である毛利ミウに素朴な疑問をぶつけた。
二人はデジタルワールド研究企業の社員であり、デジモンと呼ばれる摩訶不思議な生き物が住む世界デジタルワールドで現地調査する仕事に就いている。
デジモンの姿は多種多様に渡り、それは怪物と言っても差し支えないのだが、意外にも文明レベルは人間と大差がほとんどなく、二人がこうして居座ってるカフェもデジモン自身が作り上げたものである。
この店のオススメは何と言っても野菜肉カツサンドである。野菜肉というのが野菜なのか肉なのかは不明だが、人体に悪影響がないことは既に証明済みであるため、二人は迷うことなくそれを注文し、今まさにその到着を待っているのだ。
「だって共生って、お互いに利益があってやるものでしょう?」
ギンが会社支給のタブレットで眺めていたのは、マリンブルモンというデジモンのデータ。
何故マリンブルモンのデータを見ていたのかと問われても、そんなのギンが一番困る。適当にデータを漁っていたら出てきた。ただ、それだけ。
だが、その偶然見つけたデータにギンは納得がいかない。
マリンブルモンのデータにある「共生」という文字。
ギンの知る共生関係はいくつかあるが、その中で知っているのはクマノミとイソギンチャクだ。
確かアレは互いに利益があったはず。片方は守って、片方は掃除をしてくれるとか。
だが、肝心のマリンブルモンと他デジモンの共生関係には、そういったものは見られない。マリンブルモンが明らかに損だ。
「そうとは限らないよ? 有名なクマノミとイソギンチャクの共生関係も、クマノミにしか利益が無いって考えもある。実際に片方しか利益がない共生関係はあるし、何なら寄生だって共生の一種だからね」
ミウの言葉にギンは顔を顰めた。
片方の利益が分からないなら兎も角、片方が害を受ける寄生すら共生と言われると何だか気持ちが良いものではない。
あと、クマノミとイソギンチャクの関係が少し怪しいものと知ると、何だか裏切られた気分になる。
「片方のみの利益の共生関係を片利共生、両方に利益がある共生関係を相利共生って呼ぶ。あたし達とデジモンは…」
「おまたせしました~! 当店特性の野菜肉カツサンドで~す!」
青いスカーフを首に巻いた白い体色の幼い角竜が、二人の分の野菜肉カツサンドを運んできた。
明らかにテーブルに届きそうにない身長差であったが、それを考慮してかテーブルの近くには台が設置されており、店員である幼い角竜・ガンマモンはその台に乗って、二人のテーブルにカツサンドを置いていく。
「ありがとうございま~す!」
ミウはガンマモンにお礼を言い、来たばかりのカツサンドを掴む。
「調査をする見返りに、こちらも要求された人間界の情報は、可能な限り渡す。間違いなく相利共生だね」
カツサンドを頬張るミウ。肉汁と共に、野菜特有の瑞々しさが口の中に広がる。
相変わらず、肉なのか野菜なのかはよく分からない。
~~~
「はっはっは! 海中の調査とは大変だねぇ!アウトヨーって奴は!」
アウトヨー。それはデジタルワールドにおける人間の呼び名。
僕、東雲ギンはその言葉にあまり良い気持ちはしなかった。
その由来は諸説あるが、一番有力視されているのは「アウト(外)+ヨー(幼年期)」だ。
つまり僕達人間は、「外の世界の幼年期」。要は異世界の弱者ってことだ。間違いない差別用語。
「でしょ~、だから仕事早く終わらせたくて~」
明らかに差別を向けられた言葉にかけられたのにも関わらず、先輩の毛利さんはニコニコしながらそう答える。
今現在、僕達は一人のデジモンが操縦するモーターボートに乗って海を渡っている。
左手が大砲、右手がフックとなった海賊姿のデジモン・フックモンだ。
その名のとおり右手に生えたフックを器用に使い、彼は舵輪を操作する。
今日の仕事は、フックモンも言ったとおりデジタルワールドの海中調査。
僕はウェットスーツに身を包み、シュノーケルを咥える。
「既に安全は調査済みだけど、危ないと思ったらすぐに逃げてね」
「せめて武器とか寄越して欲しいんですけど」
「日本は非武装国家だよ? 異世界とはいえ、一社員である東雲君が武装なんてしたら大問題だよ」
それでも、万が一の安全に対処した装備ぐらいは欲しいんだけど。
僕はその言葉をグッと飲み込み、デジタルワールドの海に飛び込んだ。
ダイビング経験は幾つかある。
僕がこの仕事に就けているのも、ダイビングライセンスを取得しているからというのも多い。
初めてのダイビングの感動は今でも忘れない。魚がまるで宙を舞うかの様に自由に泳ぎ、自分がまるで別世界に迷い込んだかの様な錯覚を覚える。
その錯覚から生まれる緊張感、心臓の鼓動、そして何より、目の前に広がる群青の世界が作り出す美しい光景。
あの感動を超える経験は、この人生の先一度もない。
あの時の僕はそう確信した。
しかし違った。このデジタルワールドの海中も、僕達の世界とはまた違った感動を与えてくれる。
あの時とはまた違う群青色。
自身の目に映る生き物達は、今まで見たことの無い魚や海中に住まうデジモン達。
デジモン達は、僕を見つけるや否や不思議そうに僕を見つめる。
僕達の世界でも、こういった反応を見せる動物はいたが、その動物達の表情が分かるという点が僕達の世界の生き物とデジモンの大きな違いだ。
実際にここは別世界なのだが、改めてそれを認識させてくれる。
ただまぁ、僕は元から一人が好きな人間なので、そうジロジロ見られるのはあまり良い気分では無い。
しかし、遭遇するデジモンが成長期と成熟期などそこまで高いレベルではないのは救いだろうか。成長期の時点で人間の命を脅かすほどの力を持つが、こちら側が注意していれば何とか対処はできる……らしい。
マリンブルモンのレベルである完全体と出会うなどまず無いのだが、注意してもどうにもできないその力とは一体どんなものなのだろう。
そんな事を考えながら、僕は既定のポイントに到着した。
その海底に、僕はマーカーを設置しようと胸ポケットを開けるが、ふと前方に大きなイソギンチャクの様な物体が生えていることに気付いた。
何だあれは。
事前に確認した海中カメラには、あんなものは無かったはずだ。
イソギンチャクの周囲には、サンゴ頭のデジモンや巻き貝を背負ったデジモンなど、沢山のデジモンが集まる様に泳いでいる。確か種族は、サンゴモンとシェルモンだったか。
デジモン達にとって、何か重要なものであるのだろうか。
「先輩、前方に巨大なイソギンチャクの様な物体を発見。見えますか?」
僕はインカムで船上にいる先輩に語りかける。
インカムに付けられたカメラ越しに確認したのか、すぐに先輩の「見える」という声が雑音混じりに聞こえる。
「今さっきフックモンにも見せたけど、こんなの見たことないって」
現地のデジモンも知らないもの。
そんなものを目の前に見せられて、危機感を抱かないほど僕は間抜けじゃない。
僕は先輩の指示よりも先に、その場から離れようとした。
それにしても、あのイソギンチャク。前にも何処かで見たことがある気がする。
いや、そんな筈はない。だってフックモンですら見たことないって…
「危ない!」
思わず考え事をしてしまい、視覚情報を疎かにしてしまった。
僕は、近づいてきたイソギンチャクの触手に思いっきり顔を叩かれた。
付けていたシュノーケルとインカムが外れ、海水の浮力によってそれらは上へ上へと僕から離れていく。
インカムから僅かに、先輩の声が聞こえる。
あぁ…思い出した…。あれ…あのイソギンチャク…マリンブルモンが背負っている装置の触手だ…。
気を失っていく僕の目に映るのは、例の触手。
マリンブルモンは完全体。
人間がどう足掻こうと、完全体に狙われては逃げきれない。
薄れゆく意識の中、僕は静かに死を覚悟した。
しかし、触手の行動は僕自身の予想を遥かに超えていた。
触手は無理矢理、僕の口に突っ込んできた。
あまりの出来事に、僕の意識はハッキリとしてその触手を取り出そうとする。
しかし、その触手は独りでに切れ、あろうことか切れた僅かな触手は自らの意思で僕の喉を通っていく。
僕は海中で触手を吐き出そうと必死だった。
だが、そうすれば口に海水が入り、僕の行動の邪魔をする。
自身の体内で何かが大きくなって、動いているのを感じる。間違いなくあの触手だ。
そういえば聞いたことがある。イソギンチャクやウミウシには再生能力があると。
例えばウミウシは、自らの頭を切り離して、そこから新しい体を作るとか。
もしかして、僕の体内であの触手が再生して、某SF映画の化け物の様に僕の体を貫いて出てくるのではないだろうか。
その瞬間、妙なことに気付いた。
もう大分、海中にシュノーケルも無しにいるはずである。
それなのに、まだ意識がハッキリとしている。もう酸欠で気絶してもおかしくない筈なのに。
それだけじゃない。さっきまであった体内の触手の感覚。アレがだんだんと薄れてきている。
まるで、体の中で溶けていってる様な…。
ふと、自分の腕を見た。
僅かに膨張して、徐々にウェットスーツを破ろうとしている。
そして、信じられないことにウェットスーツに切れ目が入り、僕の皮膚が姿を現す。
その皮膚は、サイケデリックなピンク色をしていた。
「何だこれ! 何で…!」
そこまで言って、僕は自分の口を押さえた。
口を押さえたのは、海中でシュノーケルもないのにここまでハッキリと声を出せていた事に驚いたからだ。
だが押さえた瞬間、別のことに驚いた。
口を押さえた時に感じた、自分自身の皮膚の感触。
それは自分のものとは思えないほど、弾力のあるものだった。
「あっ…ぐっ……があアァッ! アぁッ!」
体の膨張は止まらない。苦しい。早くこのウェットスーツを脱ぎ捨てたい。僕はスーツを掴んで無理矢理にでも剥がそうとするが、手の形が変わっていき、掴む事もままならない。
だが、遂にウェットスーツは完全に弾け飛び、僕は直に海水を全身に浴びることになる。
だがその姿は自分自身が思い描いていたものとは違う。
全身ほぼピンクに包まれ、その体は弾力性を持つ。変化していた手は四本指となり、手の甲からは何やら銃口のようなものが突き出ている。
「うぅ…うがぁッ!」
頭から、尻の方から何かが生えてくる。片方は何か感覚ですぐに分かった。尻尾だ。
そこまで長くはないが、重量感のあるのっしりとした尻尾が僕の体から生えてくる。
そして頭からは、触角なのか分からないが、何やらツノらしきものが二本生えていた。
謎の変化に、僕は息が絶え絶えになるが、目の前に例のイソギンチャクが目に入った。
イソギンチャク本体はこんな近くまでいなかった筈だが、僕が変化しながら無意識に移動していたのかもしれない。
証拠に、今の僕はそのイソギンチャクを無性に無視できなくなっていた。
これを、体につけなくては。
その使命感に駆られ、僕はそのイソギンチャクを海底から引っ張り出した。
それは機械から生えていた様であり、僕は何故か当たり前の様にそのイソギンチャクの機械を背負った。
するとその機械に生えていた無数のコードが、僕の体に次々と突き刺さる。
「うごぉッ!」
コードを通して、何かが僕の体に流れ込んでくる。
「マリンブルモンだ!」
「マリンブルモンが来た!」
周囲にサンゴモンとシェルモンが、僕を見てそう言う。
そう、今の僕の体は以前にタブレットで見たマリンブルモンそのものとなっていた。
まるでウミウシを怪獣化した様なその姿。目に当たる器官が一見見当たらず、その剥き出しの牙が恐怖心を与える。それが今の僕の姿。
「何ッ……で…何が……あぁッ!」
自分でも何が起きているのか分からない。しかし、それよりもコードから流れ込んでくる何かが僕の思考を阻害した。
僕の姿を見て、サンゴモンとシェルモンは嬉しそうに僕という存在を歓迎する。
その健気な姿に、僕は恐怖心を覚える筈が何故か安堵感と幸福感を覚えてしまう。
その際、僕の頭の中にマリンブルモンのデータが過ぎた。
マリンブルモンは同族意識が強いデジモンである。
つまりそれを言い換えれば、仲間想い。いや、友達想いか?
僕は彼等を、友達と認識し始めている?
違う!彼等は友達じゃない!だって僕は…僕は……
「ぼ、僕は…ニンゲン……の…筈……!」
自分はニンゲン。そう思うと形容し難い不快感が胸を支配する。
お前はニンゲンじゃない。
そう、僕自身が僕に告げている様。
「マリン……ブルモン…僕は……マリンブルモン…?」
その呟いた名前が一番腑に落ちる。しかし、その事自体が異様であることを、僕は何度も自分に警告を発した。
違う。僕はニンゲンだ。マリンブルモンじゃない。
マリンブルモンはデジモンで、サンゴモンやシェルモン等と共生関係を持つデジモン。
そうだ。僕はそれに納得してなかった筈だ。
マリンブルモン自身に全く利のない共生関係。
サンゴモンとシェルモンは、完全体であるマリンブルモンの近くで生きる事で安全を得られるが、彼等はマリンブルモンに何かをする訳ではない。
サンゴモン達を囮にして、餌となるデジモンを待っていると考えてもどうにも腑に落ちなかった。
デジモン達だって馬鹿じゃない。個体差はあれど、デジモンの知能は人間とそう大差ない。
なら、周囲にマリンブルモンの話が噂されてもいい筈だ。サンゴモンとシェルモンが集まる近くに、あのイソギンチャクの様な物体があったら注意しろなんて話が。
今回、フックモンは知らなかったが、それは本来ここにマリンブルモンがいない筈だから。
マリンブルモンがいるという話があったら、周囲のデジモンはマリンブルモンの事を理解し、近づこうとはしない。
この時点で、サンゴモン達を囮にして餌を待つという作戦は、一度は成功するだろうが、それ以降の成功確率は著しく下がるだろう。
それに、デジモンは別にデジモン同士を喰わずとも他にも食料が沢山ある。わざわざそんな血生臭いことなどしなくて良いほどに。
そしてこれが一番の疑問。
何故、説明文に「サンゴモン達を守ろうとする」なんて綴られているのか。
最初から餌を誘き寄せる為に利用している存在なら、守ろうとするなんて表記は少し妙だ。
大体、同族意識が強い種族が囮という概念を使うのも些か気になる。
片方の利益しかない片利共生があるって先輩は言っていたが、力の差を考えれば圧倒的に上であるマリンブルモン側が、この片利共生を受け入れているのも疑問なのだ。
ほら、僕はマリンブルモンの考えが理解できない。だからマリンブルモンなんかじゃない。やっぱり僕はニンゲン…
「大丈夫? マリンブルモン」
そんな時、まるで心配する様にサンゴモンが僕の顔を覗き込んだ。
その小さく愛らしい姿に、僕はしばらく目を奪われる。
………あぁ…そうか…
「……うん、大丈夫だよサンゴモン」
僕はそう言って、サンゴモンの頭を撫でた。
何故マリンブルモンが、こんな共生関係を築いているのか。
その答えは、僕はもう既に知っていた。
同族意識の強い種族
そう、それがマリンブルモン。
僕は、マリンブルモンは、ただ純粋に彼等を守りたい。だって彼等は同族だから。
こんな恐ろしい姿を持つというのに、サンゴモンとシェルモンは僕を歓迎してくれる。こんなこと、嬉しくない訳がない。
あぁそうだ。僕はマリンブルモン。
僕は海上に飛び出し、僕がまだニンゲンだった頃に乗っていたモーターボートを見る。
そこにはすっかり怯えているフックモンと、誰かとの連絡を今さっき終えたばかりの先輩の姿が見えた。
大方、本部辺りに連絡をしてくれたのだろう。僕のことを心配して。
「ま、まさか完全体!? 何でこんな海にぃ!」
フックモンは焦った様子で、すぐにモーターボートで逃げようと舵輪を掴む。うぅん…逃げられると困るんだよな…。
「トキシックスプレッド」
僕は腕の管状の器官から、毒の粘液をフックモンに飛ばした。
粘液は勢いよくフックモンの顔に当たり、その衝撃で彼は海に落ちてしまう。
よし、これで邪魔者はいなくなった。
僕は先輩を傷つけない様に掴み上げ、それを僕の目の前にまで寄せる。
「くっ…!その姿…マリンブルモン…! 東雲君を一体…!?」
どうやら先輩は、僕自身がこのマリンブルモンだと理解できていないらしい。
少々ショックではあるが仕方がない。初見で見破るのは無理な話だ。でも、すぐに分かる様になる。
「安心してください先輩。あなたにも、この僕の喜びを知ってほしいだけです」
「先輩…? ま、まさか…!」
怖いのは最初だけ。大丈夫、僕は今とても幸せだ。きっと先輩も分かる筈だ。
僕は背中の装置から千切った触手を、無理矢理先輩の口に入れる。
しばらくすると、先輩の体は痙攣を始め、体が徐々にピンク色に染まっていく。
あぁ、なんと美しい光景だろう。先輩も同族に生まれ変わる。僕と友達になってくれる。
サンゴモン達は、マリンブルモンの近くにいることで驚異から守られるという利益が生まれる。
そして僕、マリンブルモンは、同族と…友達と一緒にいられて楽しく暮らせる。
そう、僕達の共生関係は片利共生でも、況してや寄生なんてものでもない。
僕等は間違いなく、相利共生だ。
〜あとがき〜
という訳でマリンブルモンTF小説でした〜。
仕方ねぇだろマリンブルモンが癖に刺さったんだから。
マリンブルモンの究極体、リュウグウモンも発表されましたが、まだ公式設定が公開されてないですし、リュウグウモンいなくても話が成立しそうだったので、さっさと書いちゃいました。
マリンブルモンの共生関係についてとやかく言ってますが、実際のところ公式設定を読んでもどんな共生関係なのか触れてないのでよく分からないですね。
割と囮に使ってるってのもあるかもですし、どちらかと言えば片利共生かもしれないし。
それにしても書くにあたって共生関係について調べていたんですが、寄生まで共生だなんて図々しいですね生き物って。今すぐに説得して相利共生になれませんかね。無理だね。ハイ。
それではまた。良い相利共生を