「ふむ。かのデジタルワールドに関与する事は、傲慢の君があまり良い顔をしないとは思うのだが……他ならぬ君の頼みだ。その辺は、私が手回しをしておこう。気兼ねなく行っておいで、兄弟」
「いかに翼が無いとはいえ、ダルクモンは天使ですからね。それに、僕自身かの魔王とは正直関わりたくはありませんから。……恩に着ますよ、兄弟」
「何、君と君の従僕がもたらす土産話の事を思えば、大した労苦では無いからね」
そりゃあなたは楽しいでしょうよ、と言葉にはせず表情でグランドラクモンに訴えるピエモン。礼を述べ、丁寧な振舞いをしている割には、やはり本日も彼の表情はあまり芳しくはなく。
ダークエリア最深部・コキュートスを介した、異なるデジタルワールドへの渡航も今回で3回目。
慣れが出てきても良さそうなものだが、先の2つでの出来事を想えば、そう簡単に事が運ぶものと楽観視できる筈もなく。
何せ--
「それでは兄弟。君達は此度は何処へ、何を求める?」
「畏れ多くも傲慢の魔王に刃向かいし、十の闘士達の世界へ。……彼らの力そのものを」
――今回の目的は、伝説の十闘士。
彼らの中に宿る、強大な『兵器』の力だと聞いている。
悪用するつもりは無い。
傲慢の魔王・ルーチェモンがコキュートスに居る以上、かのデジタルワールドでは戦いは終結しているのだ。強大過ぎる兵器は封印するべきだという意見が挙がっている旨も伝わっている。
だが、その力を簡単に余所者に寄越してもらえるかと問われれば--まあ、難しいだろうと考えるのが妥当な感覚で。
「気を付けて行っておいで」
それでもグランドラクモンは、兄弟と呼ぶピエモンを笑顔で送り出す。
まるで彼が、次もくたびれた表情で土産話を持ち帰る事を、確信しているかのように。
……と、そんな風にピエモンと、彼と行動を共にしているダルクモンを城から見送って。
しばらくして、グランドラクモンがピエモンと話している間、ダルクモンの相手をしていたマタドゥルモンが王の間を訪れ、恭しく王の前で膝を付いた。
「やあ、お疲れ様、マタドゥルモン」
「勿体なきお言葉です、我らが王。……ただ、実際あのダルクモンの相手は、その……なかなか骨身に堪えまする。あやつ、さらに剣の腕を上げており……」
マタドゥルモンの言葉に嘘は無かったが、彼の歯切れは悪かった。
特徴的な、ただでさえ鋭利な顔が、どこかげっそりと細まってさえ見える。
……『ラ・ピュセル改』を用いたダルクモンは以前とは比べ物にならない力量で、もはや世代の差など脳裏に過らない程に、模擬戦とはいえ本気での「強者との戦闘」を楽しんだマタドゥルモンだったが、闘いが終わってしまえば彼女は例の如くトンチキダルクモン(※別に戦闘中は発言がトンチキでは無かったとは言っていない)。戦場を優美に舞うほぼ不死の踊り子といえども、予想外な方向からの精神的な疲れにはとても抗えないのだった。
とはいえ
「時に、我らが王。畏れながらお尋ねしたい事が」
彼はかの吸血鬼王の部下、その筆頭。あと喉元過ぎればなんとやら、だ。
持ち前のタフさで立ち直ったマタドゥルモンは、首を垂れたまま、自分達の主に疑問の言葉を投げかける。
「何だい? 顔をお上げ。そして、何でも言ってごらん? 兄弟の従僕の面倒を看た褒美だ。私に答えられる事なら、何でも答えてあげよう」
「有り難き幸せ。寛大な措置痛み入ります、我らが王よ」
では、と、グランドラクモンの許しを元に顔を上げ、改めてマタドゥルモンは口を開く。
「以前から気になっておりました。「兄弟」と、かのピエモンを。……あの方は、我らが王にとって、ただの客人では無いのですか?」
「……」
グランドラクモンが軽く表情を緩める。
マタドゥルモンの瞳に瞬きの機能があれば、彼は間違いなく面食らった余り目を瞬いていた事だろう。
「少し、長くなると思うけれど。聞いてくれるかな?」
その声音は、この話題を口に出来る事が喜ばしいと言わんばかりだ。
もちろんです、我らが王。と、呆気に取られていたマタドゥルモンは、すぐに返答を紡ぎ出す。
「よろしい。……君には、先代吸血鬼王の話はしていたかな? もう随分と前……君が生まれるよりも前に、この城を中心としたコキュートスの区画を支配していたかの王について」
「……「死を試した」と、そう伝え聞いておりますが」
「そう。彼は長い生に飽いていた……訳でも無かったのだが、ある日突然、「死」に興味を抱いてね。人間の世界のいくつかの書物から着想を得て、自分のデータを分け与えた存在--所謂「コドモ」が己を喰らう、という形であれば、不死性はその子に受け継がれ、己の精神データは「死」を迎えるのではないか。という仮説を立てたのだ」
そしてそれを、実行した、と、グランドラクモンは意味深に微笑む。
ふむ、とマタドゥルモンは爪の先で己の顎に軽く触れた。
「つまり、我らが王とかのピエモンは、先代吸血鬼王の「コドモ」であると?」
「ふふっ、半分当たりで、半分間違いさ。先代吸血鬼王の子--データを分け与えられた眷属は各地に何体か居たが、無事に育ったのは兄弟--ああ、この言い方をするとややこしくなってしまうね。兎にも角にも、現ピエモンだけだよ」
「? では、我らが王は……?」
「私は元々はダークエリアの辺境の領主の眷属だよ。今は女性人格のヴァンデモンが統治して……いや、どうだろうな……姉さん、このところ連絡も寄越さないし……間違いなく生きてはいるだろうけど……」
「?」
「ああいや、ここに関してはきわめて個人的な話だ。気にしないでくれ。……ま、そういう訳で私はそこまで高貴な家の出でも何でもないのだけれど、野心だけは人一倍強くてね。そんな時耳にしたのが、『吸血鬼王の子』の噂だった」
だから、会いに行ったのさ。
あわよくば私が『吸血鬼王』の因子を喰ってやろうと思ってね。
そう、茶目っ気たっぷりに微笑んで、現吸血鬼王は若かりし日を振り返るのだった。
*
「あ"?」
ヴァンデモン--後のグランドラクモンである--は思わず苦笑した。
ダークエリアは治安の悪い地域だが、彼は辺境とはいえ『貴族』としてコミュニティを形成していたデジモン達の中で育てられたデジモン。
彼はこの日、初めて「母音にも濁点は付けられる」と知ったのである。
そんなヴァンデモンと相対するのは、1体のマタドゥルモン。
両手足に帯びた刃物以上に尖った殺気を隠す事無く全身に纏い、彼は歓迎する気の無い来訪者を紫色の目で睨み付けていた。
マタドゥルモンの足元には、機械系のデジモンの残骸が大量に転がっている。
血を吸うにはどう見ても不向きに思えるデジモン達を、彼は喰っていたらしかった。
「君が、噂に聞く『吸血鬼王の眷属』だね?」
ヴァンデモンは同じ問いを繰り返した。
「だったら何だってんだ、あ"あ"ん?」
低く唸るように、マタドゥルモン。前傾の姿勢も含め、獣に威嚇されているようだとヴァンデモンは小さく肩を竦める。
獣――それはヴァンデモンにとって、最も忌々しい符号だった。
内なる獣から逃れるために『吸血鬼王の子』を探し求めたというのに、これでは捨てたい物と大差無いなと、青い瞳に若干の失望が入り混じる。
そんなヴァンデモンの感情を敏感に感じ取ったのだろう。マタドゥルモンは、さらに低く唸った。
「どうせお前も、オレの中の吸血鬼王(グランドラクソモン)の因子を狙いに来たんだろう。物好きがよ」
「おや、話が早い。最も、手荒な真似は出来ればしたくないのだけれど。その様子を見るに、その因子は君にとって大して価値のあるものではないのだろう。単刀直入に言おう。譲ってはくれまいか?」
「はっ、欲しけりゃ熨斗付けて叩きつけてやりたいくらいだが。手荒な真似はしたくないだぁ? バカ言えよ。デジモンのデータは、殺して奪うモンだ。辺境のお貴族様にとっちゃ、無抵抗の相手のデジコアをぶち抜いてデータを抉り出すのが礼儀正しくスマートなやり方なつもりなのか?」
「いいや、もっと品の有るやり方を、私は知っているとも。……少なくとも、種族や属性、果てには世代まで問わずデジモンを喰い散らかして、自分の血(データ)を薄めようとするよりは、効率的な方法を、ね」
マタドゥルモンの指先が神経質にピクリと動いたのを、ヴァンデモンは見逃さなかった。
そも、ヴァンデモンが最初にこのマタドゥルモンの話を耳に挟んだ際、彼は吸血鬼王の子としてではなく、とんでもない悪食の吸血種として周辺諸国で噂になっていたのだ。
マタドゥルモンといえば強者の血を求めるデジモンとして有名だが、彼の場合そのやり口はほぼほぼ通り魔や辻斬りの類で、目につくデジモンを片っ端から殺して血液以外のデータをも喰らっていたのである。
実際、進化の方向性を定めるために、ロードする種族を厳選する方法自体は有用ではあるのだが。
彼は、その自身の性質にまで抗った『食生活』を成長期の頃から続けているにも関わらず――順当に、俗に言う『正規ルート』を辿っていて。
「知っての通り、私もまた吸血種の端くれ。血の扱いは、心得ているとも」
マタドゥルモンがひとまず口を閉じたのを良い事に、ヴァンデモンはある種大袈裟な振舞いを交えて彼に語り掛ける。
「私も後の進化先に、少々不安を抱いていてね。……だから、君、どうだろう? 交換するのだよ。君が忌々しく思っている吸血鬼王の因子と、私にとって不安要素でしか無い、しかし君にはよく似合いそうな、品の無い獣性を、ね」
「……ヴァンデモンの獣性、ねぇ」
マタドゥルモンは、爪--レイピアの先でぽりぽりと頬(?)を掻く。
粗暴に振る舞おうとも、彼はいわば貴人の血族。教養と呼んで差し支えの無い、ダークエリアを生きる種族に関する知識も持ち合わせているのだろう。
「まあ、ウマい話ではある。この先あのクソ野郎と同じ種族になるくらいなら、理性の無い化け物にでもなった方が、面白おかしく生きられるだろうさ」
「おや、という事は」
「だが態度が気にくわねぇ」
どすっ、と、ヴァンデモンの胸に鈍い衝撃が走る。
それは、必殺技の応用。自分の顔に向けていた筈の刃を目にも留まらぬ速度で振り飛ばし、マタドゥルモンはヴァンデモンの胸を穿ったのだ。
表情を窺い知る事が出来る類のデジモンでは無い。だが、ヴァンデモンには、マタドゥルモンがほくそ笑んでいるのが判った。
それはそれは、苛立たし気に。
「貴族の手習いに、相手にものを頼む時の態度ってのは含まれてねぇんだろうな。仕方がねぇからオレが特別に教えてやる。跪いて靴を舐めろ。そのよく回る舌が根元まで細切れになるまでな」
ずい、と。マタドゥルモン腿を持ち上げ、つま先--こちらも刃となっている――を前に突き出す。
小さく嘆息しながら、ヴァンデモンは胸に突き刺さったレイピアに指を添えた。
「やれやれ……」
彼はそれを、勢いよく引き抜く――フリをして
「っ!」
腕の振りを延長するかのように赤い光線で出来た鞭を出現させ、マタドゥルモンを打ち据える。
片足立ちが祟ってかバランスを崩したマタドゥルモンは、しかしその傾いた体勢すらも踊りの演目であるかのように片手を地面に着いて側転し、身を屈めた、飛び掛かる寸前の獣じみた姿勢を取り直す。
「血筋に甘えた放蕩息子は君の方だろう。平和に話し合いで事を運ぼうとする小市民相手に、少しばかりおいたが過ぎるんじゃないかな。……これは折檻の1つも必要そうだ」
「っ、オレを奴のコドモ扱いするんじゃねえ!!」
マタドゥルモンの咆哮と突進を皮切りに
それから3日3晩の間、2体の吸血鬼は闘い続けた。
*
(……お互いほぼほぼ不死身だから決着の着かないままほとんど同時に動けなくなって。ただ、その頃にはなんだかんだとお互いの事が気に入って、最終的には義兄弟の契りという形でお互いの血を飲み交わしたんだったか)
くしゅん、と、自分のくしゃみで目が覚めたピエモンは、直前まで見ていた夢--というよりは、過去の記憶――を振り返り、仮面の下の眉間にしわを寄せる。
あんまりにも、不味かったのだ。
アンデッド--生きながら死者の特性を持つ者の血は。
そこに関してはマタドゥルモンの血を飲んだヴァンデモンも同じだったようで、2体はその場で倒れて互いの血の味を罵倒し合いながら、半日近く身悶えし続けた。
とまあ、そんな経緯にも関わらず、結局2体はヴァンデモンが前吸血鬼王を殺すまで共に旅をして
ヴァンデモンは当初の思惑通り、真の吸血鬼の王となり
一方でマタドゥルモンは、獣では無く、道化となった。
ヴァンデモン種の持つ獣性がマタドゥルモンの中でどう作用してピエモンという進化に至ったのかは、未だ彼にも、現グランドラクモンにも解らない。
だが、王に対して道化であれば、この先も我らは対等だと、そう友人が笑っていた事は覚えている。
「……変人に振り回されてばっかりだな、僕の人生は」
全く。と。
ひとりごちって、自分の肩を枕代わりにして健やかな寝息を立てているダルクモンを一瞥した後、いつものように、ピエモンは溜め息を吐くのだった。
「いや、あんたも大概だと思うぜ?」
「……」
どんな夢見てたかは知らないけどさ、と飄々と付け加えるもう1体の旅の供に、そういやこいつも居るんだったとピエモンは天井を仰ぎ見る。
彼は前回のデジタルワールドで目的にしていた『Legend-Arms』、そのある意味で、成れの果て--そして、今はダルクモンを慕う弟分のような存在と化した完全体の鎧竜型デジモン・ヴァーミリモンである。
そこそこの巨体を持つデジモンではあるが、そも、デジタルモンスターのサイズは可変なのだ。彼は成長期の時の姿・ズバモンと同じようなサイズにまで縮小して、ピエモンとダルクモン、その向かいの座席に寝そべっていた。
「……僕としたことが、居眠りに加えて独り言とは。気が抜けていましたね」
「まあしゃーねーじゃん。がたごとがたごと、最初はうるさいなーって思ってたけど、慣れるとこういうリズムって眠くなっちまうし、何よりピエモン、このところ書類作成であんまし寝て無かったじゃん」
ここは、成熟期のマシーン型デジモン・トレイルモン、その内部。
十闘士が守護するデジタルワールドの主な交通手段はトレイルモンであり、デジタルワールド間の渡航にもまた、この世界だけは特別に、この乗り物デジモンが使われているのである。
2名分の書類ならまだ寝る時間も確保できたでしょうね、と嫌味の一つでも零しそうになったピエモンは、すぐに口を噤む。
なんなら、書類作成はいつもよりスムーズに行ったくらいだったからだ。退屈すると一々自分のところにやって来るダルクモンの相手を、ほとんどヴァーミリモンが請け負っていたからである。
それに、一応は自分の体調を気遣っている相手を無碍にするのは、ピエモンも気が引けたのであった。
「とはいえもうすぐ目的地のようですから。アナウンスが入ったらダルクモンも起こさなければ」
「駅弁でも買って匂い嗅がせりゃすぐ起きるんじゃねーの?」
「むにゃ……養父殿……私は、紐引っ張ると温まるやつ……」
「……あなたが食べたいだけかと思いましたが、案外効果はありそうですね」
あ、バレてた? 舌を出しながらウインクするヴァーミリモン。
食事で蓄えたデータで生存と進化を掴み取ったこのデジモンの食欲は未だ旺盛であり、剣技以外だと食べ物に強い興味を抱きがちなダルクモンの存在も相まって、道化の家計簿のエンゲル係数は増加傾向にあった。
「……まあ、着いたらまずは食事にしましょう。交渉の席で腹の虫に鳴かれてはたまりませんから」
「お、マジで? へへっ、やった! よっ、ピエモンの旦那! 太っ腹!」
「あなたの見事な腹回りには負けますよ」
とはいえ、とやかく言う割に、ピエモンは2体の食事に関する出費を惜しむ事は無かった。
何せ、彼にとっては長らくの間、食事とは効能の保証も無い血を薄めるための行為でしか無かったのだ。
本人に直接問いただせば確実に否定するだろうが、ダルクモンの、そして新たに加わったヴァーミリモンの食事風景は、ピエモンにとって、それなりに好ましい時間となっていた。
*
「……びっくりする程ハンバーガーを食べるの下手ですね、あなた」
「む、かたじけないぞ養父殿。略してじぞうだ」
確認していた地図を一度畳み、ピエモンはソースでべとべとになったダルクモンの口周りを備え付けの紙ナプキンで拭く。
駅弁は売っていなかったが、代わりに駅前には立派なバーガーショップが店を構えていて、3体の昼食はほぼ自動的にその店に決まった。
そういう、妙に世話焼きというか、甘やかす姿勢がこのピエモンの大概な部分なんだよな、と、同行から数日後にはもはやツッコミを諦めた所感を、ヴァーミリモンは眼差しにだけ残して、自分の分としてテーブルに積まれているハンバーガーのひとつを大きな口に放り込んだ。
と、ヴァーミリモンの視線に気付いたのだろう。ただしその意図は察する事無く、ダルクモンはキリッと表情を改める。
「自慢では無いが、シュークリームを食べるのはもっと下手だぞ」
「ホントに自慢じゃ無くてびっくりだよ」
そして予想外でも何でもないなと思いつつ、シュークリームから着想を得て、そういやこの店スイーツもあったなとメニューを再度確認し始めるヴァーミリモン。
もうしばらく、ここでの食事は終わら無さそうだなと、改めてピエモンは周辺地図へと視線を落そうとして
「あーもう、どうやったらそんなに口周りが汚れちゃうの!?」
「うるさいなー、こんなに食べにくいと思わなかったんだ!」
「思わなかったって……インプモンがこの店にしようって言ったんでしょ?」
「だって、前にテイルモンがハンバーガーがす……ってわー!? なんでもない!」
「コラ、飲食店であんまり大声を出すんじゃないの」
ふと、自分達と同じような理由で盛り上がっている2体のデジモンに気付いて、なんとなしにそちらに目が向いてしまう。
お互い種族名を口に出していた通り、それはテイルモンとインプモンのペアだった。
ピエモン達も他人の事を言えたクチでは無いが、珍しい組み合わせである。神聖系のテイルモンと、小悪魔とはいえ暗黒系デジモンのインプモンとは。テイルモンが保護者役を請け負っているらしいという点も含て、妙に印象的なコンビに見えた。
「っていうか、ハンバーガーの食べ方なら、あっちのねーちゃんだって大概じゃねーか」
「へっ? って、やめなさい。えっと、ごめんなさい、彼、今はちょっと口が悪くて――」
等々思いながら、ピエモンがつい見続けてしまっていたところ、思わぬタイミングでテイルモンが3体の方へと振り返る。
テイルモンとピエモンは、目が合って。
世代差と相性故なのか、テイルモンは警戒交じりにぎょっと青い瞳を見開いて――しかしすぐにその隣、具体的に言うとピエモンの向かいの席で引き続きハンバーガーを食べているダルクモンが視界に入ったのだろう。彼女は、なんというか、絶句していた。
「……」
「シュークリームの時はもっとすごいぞ」
「お、おう」
「繰り返さなくていいです」
何故か親指まで立てる口周りがすごいダルクモンと、流石に圧倒されたか、テイルモンにつられて言葉を失うインプモン。
ピエモンは全く、といつものように頭を抱えて、ぱちん、と地図から離した指を鳴らした。
「わっ」
次の瞬間、インプモンの目の前に落ちてきたのは、棒付きのキャンディーだった。
「わあ、キャンディーだ!」
「へっ、え?」
一瞬身構えたテイルモンだったが、キャンディーを持ち上げてめをきらきらと輝かせるインプモンの様子に、危険は無いと判断したのだろう。
彼女はぴょんと椅子を跳び下りて、3体の下へとやってきた。
「ごめんなさい。騒がしくしてしまった上に、失礼な態度を取ってしまって。アタシはテイルモン。そこのインプモンの用心棒というか……縁あって一緒に旅をしているんだ」
「不躾にも先にそちらを見ていたのは僕の方ですからね。謝るのならば、こちらの方でしょう。僕はピエモン、あなた同様、旅の者ですよ。そして」
「ダルクモンだ。エクレアなら細いから比較的上手く食べられるぞ」
「と、ヴァーミリモンだ。こいつら2体ともヘンな奴だけど、悪い奴じゃないから安心してくれよな」
引っかかりはしたが一旦ヴァーミリモンの「ヘンな奴」扱いはスルーして、ピエモンはテイルモンに頭を下げる。
テイルモンも同じように会釈したものの、その瞳には、まだ僅かに戸惑いに近い警戒心が覗いていて。
ごめんなさい、と、彼女はもう一度繰り返した。
「頭では害意は無いって解ってるんだけど……昔、ちょっと色々あって」
「別に気にしませんよ、そこは神聖系デジモンのサガでしょうから」
「そうなのか?」
「あなたは特例中の特例です。絡むとややこしくなるので今の内に食事を済ませて下さい」
「おお、そうか。了解したぞ養父殿。ところで追加でサンデーを頼んでも良いだろうか」
「どうぞお好きに」
「あ、ダルクモン俺も! チョコの方で」
「そうか、私はストロベリーにしたいから少しわけっこしよう」
テイルモンの眼差しに「大変そうだなこのデジモン」が混ざり始めた点について、ピエモンは警戒心が薄れてきたらしいと喜ぶべきか、自分も彼女達と同じようなトンチキ系統であると疑われているのでは? という懸念を抱くべきか、少々思い悩むのであった。
と、彼がそんな風に頭を抱えかけたその時、ピエモンはテイルモンが、ダルクモンの背負っている『ラ・ピュセル改』の方を見ている事に気が付いた。
「あの剣は」
「『ラ・ピュセル改』だそうです」
「『ラ・ピュセル改』」
「『イリアス』というデジタルワールドで、ウルカヌスモンという工匠に造ってもらったものです。あのダルクモンには、アレが一番手に馴染むんだそうで」
テイルモンは不思議そうに首を傾げている。
まあ、無理も無いだろう。自分も実を言えば100%納得がいっているかといえば、そうでもないし。と、ピエモンは口にこそ出さなかったが、彼女の疑念を慮るのだった。
最も、その同調は完全に見当違いなのだが――さしもの道化にも、こればかりは知る由も無い。
「……こんな時、アイツならすぐに解るんだろうけどな」
「?」
ぽつりとテイルモンが呟いたその言葉に、今度はピエモンが小さく首を傾げる番だったが、彼女はすぐに「ああ、いや、なんでもない」と取り繕う。
と、
「テイルモン、食べ終わったぞ」
いつの間にか食事を終えたインプモンが、テイルモンの方へと駆け寄って来た。
満腹だからか、後の楽しみに取ってあるのか。棒付きキャンディーは、彼の手に未だ握られたままだ。
「うん、それじゃあ行こっか。邪魔してごめんね。アタシ達は、これで」
「へへっ、キャンディーありがとな!」
「御機嫌よう、テイルモン。インプモン。良き旅を」
店を後にする2体の背中をピエモンが見送った後、食後のスイーツを注文して来たらしいダルクモンとヴァーミリモンが、入れ替わるようにして戻って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま養父殿」
サンデーが2つ乗ったトレーをテーブルに置きながら、ダルクモンはガラス窓の外を見やる。
まだ十分にその姿を確認できる、テイルモン達の居る方角だ。
「あのテイルモン、相当な手練れだったな。略してのうとれだ」
「そうですね。色々あった、というのも、僕とは別個体のピエモンと交戦経験があったのかもしれません」
「そうなの!? え、俺全然わかんなかったんだけど」
ほえー、と、あんぐりと口を開けてダルクモンの視線を追うヴァーミリモン。
「まあお前が気付かないのも無理は無いぞヴァーミリモン。なんていったって、多分あのテイルモンが戦ったピエモンより、養父殿の方が多分つよつよだからな。それはそれはつよつよだ。多分」
「あんまり適当言うんじゃないですよダルクモン」
「いやホントに適当だな」
だが、ヴァーミリモンに判らない程度に力の隠し方が上手かったのは事実だ。
そんなデジモンが向かう先うとなると……と、彼女達の歩いていった方角も相まって、目的地が同じなのではないかと思わなくは無かったが、どうにしたって予定が変わる訳ではないし、必要以上に関わる理由も無い。
また会ったとしても、その時はその時だと、ピエモンはダルクモン達とは違った理由で、同じ方角を見つめていた。
「さあ、それを食べ終わったら、僕達も十闘士の里に向けて出発しますよ」
「養父殿は追加注文しないのか?」
「僕は結構。道順を頭に入れておくので、ゆっくり食べて下さい」
「ふむ。そうか。養父殿が望むなら、今回は私が養父殿にあーんするのもやぶさかではないのだが」
「望まないのでさっさと食べなさい」
「元気だなぁあんたらも」
改めて、ピエモンは地図を開いた。
ふと、テイルモンが『ラ・ピュセル改』を見上げていた時の顔が脳裏に過ったりはしたものの、先程と同じ感想で片付けて、その光景はすぐに記憶から褪せて行くのだった。
*
食事を終えて。
1時間ほど歩いただろうか。3体は、無事十闘士の里へと辿り着いた。
「はえー、ここが十闘士の……。スピリットだっけ? なんていうか、その手のアイテムを祀る場所って、どうしてだかこういうヘンピな場所にあるよな。なんでだろう」
元『Legend-Arms』故か、妙に発言に実感が籠るヴァーミリモン。彼が元いたところも、本来はのどかな田舎町だったと聞いている。
「あまりデジモンが多く行き交う場所に、貴重な物を置いておくわけにもいかないでしょう」
「でも俺の場合、そのせいで町にベツモンの能力に対抗できるヤツがいなかったワケだから、その辺一長一短だよな」
ヴァーミリモンが『Legend-Arms』としての力を失った遠縁には、彼に成り代わったベツモンの存在がある。それもあって、里のセキュリティがどうしても気になってしまうのかもしれない。
「とはいえ、ここに関しては少なくとも、成り代わりの問題は心配いらないと思いますよ」
デジモンそのものが伝説の武器である『Legend-Arms』と違って、十闘士のスピリットはいわば、それだけでは機能しない鎧。
十闘士の里は、スピリットの管理もそうだが、その鎧を纏うに相応しいデジモンを育てるための教育機関でもある。デジモンの総数を見ればトレイルモンのターミナルがある街よりも心許ない部分はあるかもしれないが、その分所属デジモンは粒ぞろいだ。
1つのスピリットに対して複数の使い手が存在しているため、万が一的に奪われた際のノウハウも充実しているのは他には無い強みと言っても良いだろう。
……と、そう纏めると聞こえは良いものの、このデジタルワールドに影を落としていたルーチェモンが『コキュートス』へと追放され、世界がそれなりの平穏を保っている今、このデジタルワールドそのものがスピリットの力を持て余しているのも、また事実。
(そこをうまい具合に交渉材料に出来れば良いのですが)
門をくぐり、里の管理者の住まいだという建物を、ピエモンは思案顔で見上げるのだった。
と、
「養父殿、養父殿」
ダルクモンの呼びかけにピエモンが振り返ると、彼女、というか彼女の背負った『ラ・ピュセル改』は、またぶるぶると小刻みに震えていて。
やはり、この剣が求めているのは十闘士の力で間違いないらしい。
「代わりに紐を引っ張ってもらってもいいだろうか。こんな往来で剣を下ろしては、いらぬ誤解を招くかもしれないから」
「常識的な判断が出来て偉いですねダルクモン。そんなに震えだす前に言えていればもっと良かったのですが」
「おお、養父殿に褒められた。100点満点中95点と言った所か」
「自己採点ポジティブ過ぎるだろ」
そこまで高くないと一々言ったりはせず、ピエモンはダルクモンに代わって『ラ・ピュセル改』の鞘の飾り紐を引く。
かちり、とそんな手応えと共に、嘘のように振動は止まった。
「ふう、今回もぷるぷると、あく抜き中のこんにゃくの気分だったぞ」
昼がジャンクフードだったので夜はカロリー低めのものの方がいいのだろうかと思うピエモンであった。
「てか、その機能ホントに要るのかよ。電灯の紐じゃねーんだから」
「コレのお蔭であなたを見つけられたのは事実ですし。……まあ、他に形態が無かったのかと思わなくはないですが」
「かぁー、これだからシロートは! コイツにどれだけ繊細で見事な技術が使われているか、欠片も理解してねぇたぁ、全く、ひでぇ職人泣かせときたもんだ!」
突如、背後から聞こえた男性の声。
一斉に振り返ると、そこには小柄だが太い腕と大きな鼻を持つ、妙に威圧感の有るデジモンが腕を組んで仁王立ちしていて。
「いいか? 剣ってぇのは本来消耗品って言われるくらい脆いもんだ。ちょっとした衝撃が案外大きな負担になっちまったりする。だがこの鞘は振動を内側ではなく的確に外に放出させる事によって、剣そのものには影響を与えないように出来ている。オイラの見立てじゃ、その剣、衝撃波を発生させる能力があるな? その力の応用ってトコロだろう。加えて振動の割に音がしねぇ。持ち主だけに知らせるべき事を知らせる、本当に実用的な機能なんだぞ」
「おお、流石はウルカヌスモン。美味しい林檎に蜜が詰まっているのと同じように、『ラ・ピュセル改』にはすごい職人技が詰まっているのだな」
その2つを同列に扱って良いのかは甚だ疑問だったが、ダルクモンがウルカヌスモンの名前をようやく覚えたらしいことに関しては、安心するピエモンなのだった。
一方、突然現れて『ラ・ピュセル改』の機能の解説を始めたかのデジモンは鍛冶神の名に目を見開いたかと思うと、得心したようにぽんと手の平を打つ。
「そうか、ウルカヌスモン! かの鍛冶神の作たぁ、道理でこのオイラが目を引かれるワケだ」
だがすぐにやや険しい表情を作り直すと、そのデジモンは、びしり、と太い指でダルクモンの方を指し示す。
「どうしてオイラがわざわざこの事を説明してやったか教えてやろうか? 折角その剣の持ち手としては悪かないのに、詳細な部分にまで理解が及んでねぇからだ。そんなのは我慢ならねぇ黙っちゃいられねぇ。他人の仕事をわざわざ解説する程無粋な事はあるめぇが、剣士なら、自分の得物の事は作り手の次くらいによく知っておくべきだ」
「ふむ、なるほど。お前の言い分は最もだ。教えてくれて感謝するぞ知らないデジモン。略してまぶしいだ」
「けっ、わかりゃい……わかってんのかそれ……?」
一瞬納得しかけたそのデジモンは、しかし最後に付いて来たダルクモンの略し癖に、思わず怪訝そうに彼女を見上げる。
流れによっては面倒な方向に転ぶかもしれないと判断して、一度話の区切りもついた事ともあり、ピエモンは2体の間に、割って入る。
「すみませんね。彼女、何というか、妙な略し癖がありまして。……ところで、あなたは? 相当な職人とお見受けしますが」
「そういうてめぇはてめぇで剣の扱いが雑そうな顔してやがるな」
どんな顔だと思ったが、心当たりが無いでも無かったのでピエモンは何も言わなかった。
そんな彼に軽く肩を竦めてから、こほん、と咳払いを挟んで、右手の親指を自分自身へと向ける。
「オイラはグロットモン。土の闘士だ」
「じゃあ、あんたが伝説の十闘士ってこと!? だからダルクモンにもピエモンにも気付かれないで近付いてこれたのか……すっげぇ……」
「てめぇもなんだか奇妙な雰囲気のデジモンだなぁ。だが見所はあるようだな。そうとも、オイラはすげぇんだ。今日の見回り当番はオイラでな。ただの観光客には見えなかったから、ちょいとつけさせてもらったっつーワケだ。今更だが、その点は詫びておいてやるよ」
「十闘士の仕事は当番制なのか。合理的だな」
「そうかなぁ。そうなのかも……」
態度こそ横柄であるものの、土の闘士・グロットモンの所感は素直かつ的確で、不快に感じる程では無い。
自分達に気付かれずに接近する、武器に造詣が深い、と実力の高さも伺えたため、ここは下手に取り繕わず、こちらも素直に旅の目的を明かすべきだろうと、ピエモンは判断する事にした。
「仰る通り、我々は観光ではなく、彼女の持つ『ラ・ピュセル改』を強化するためにこの十闘士の里に来ています」
「強化……ははーん、なるほどな。その剣に必要な力、オイラ達の『ゼロアームズ〈オロチ〉』と見た」
「『ゼロアームズ〈オロチ〉』?」
なんだ、名前は知らねぇのか、とグロットモン。
「まあいい、これも説明してやらぁ。『ゼロアームズ〈オロチ〉』っつーのは、オイラ達十闘士全員の力をひとつにした、最終兵器ならぬ最終神器。ひとたび振るえば、空間だろうが世界だろうが真っ二つよ。……ものすっげえ無粋な言い方をすると、この世界における『リセットボタン』っつっても過言じゃあ無いだろうな」
「故に、大戦の後は持て余している、との噂を聞いています。……譲ってほしい、などと言うつもりはありませんが--単刀直入に言いましょう。その『ゼロアームズ〈オロチ〉』のデータの一部を、『ラ・ピュセル改』に移植してはいただけませんか」
「おう、多分いいと思うぞ」
「もちろん悪用するつもりはありませんし、出来る限りの対価は用意しましょう。それでも不可能なのであれば、当然引き下がり――うん?」
「養父殿、養父殿。グロットモン、多分いいぞって言ったぞ」
「言った」
多分だけどな、とグロットモンは再度付け加えるが。
どうにしたって、肯定の言葉ではあって――ピエモンは思わず、目を点にする。
グロットモンは、若干面倒臭そうに、かりかりと帽子の上から頭を掻いた。
「十闘士のデータっつーのは、戦が終わればデジタルワールド全土に分け与えられるものと相場が決まってんだ。むしろ、今の状況の方が特殊って事だな。別にスピリットそのものや、『ゼロアームズ〈オロチ〉』自体をよこせっつってるワケじゃねえんだろ? ほんの微量ずつでいいなら、里長の許可さえ持ってくりゃ、オイラが直々にその剣に打ち込んでやるよ」
そこから『ゼロアームズ〈オロチ〉』クラスまで剣の威力を『進化』させられるかどうかはお前ら次第だ。
そう、グロットモンはにやりと笑って見せる。
同じ鍛冶屋の性質を持つ物として、ウルカヌスモンと通じるものがあるのだろう。
少なくとも土の闘士に関しては、自分の仕事を披露できるのであればそれで構わないといった風で。
思いがけず、これまでのデジタルワールドにも増してとんとん拍子に事が運んだ事に一種肩透かしを食らったような気分になるピエモンだったが、平和に話が済む事自体は願ったり叶ったりの展開である。
「よかったな養父殿。今夜はお赤飯だ」
「いや、よかったのはあなたでしょうがダルクモン」
というか、『ゼロアームズ〈オロチ〉』のデータが必要なのは自分では無くてあくまでダルクモンだったな、と気を取り直して、ピエモンは自分と一緒にダルクモンに頭を下げさせる。
「寛大なお心遣い、感謝しますよグロットモン」
「略して大感謝だ」
「微妙に咎め辛い略じゃなくて普通に感謝の意を表しなさいダルクモン……っ!」
あくまで里長の許可を持って来たらだぞ、とグロットモンは繰り返すが、感謝されて悪い気はしないのだろう。
ふふんと自慢げに鼻を鳴らしてから、とはいえ、と彼は付け加える。
「てめぇらの前にも客があってな。里長は今、鋼の闘士と一緒にそいつらの対応をしてやがる。それが終わるまでは、大人しく待ってるこったな」
ひょっとすると先のテイルモン達だろうか? と思わなくは無かったが、3体とも、わざわざ訊ねたりはしなかった。
他所の事情にまで首を突っ込むつもりは無いし、あってもするべきでは無いのだから。
「じゃ、暫くの間ヒマなのか……なあグロットモン、この辺観光名所とか、ウマい飯出す店とかあったりする?」
「あるように見えるか? 十闘士候補生用の食堂ならあるが、どのみちこの時間は開いてねえ。……ああ、ただ」
「ただ?」
「剣の強化のためにわざわざ訪ねて来るもの好きなんだ。十闘士の1体、ヴォルフモンって奴が、二刀流の剣士でな。暇なら手合わせを頼んでみるといい。ちょっとばかし気難しいヤツだが、アイツも里の外のデジモンと試合ができるなら喜んで受けると思うぞ?」
グロットモンの太い指が、里を囲む塀、さらにその向こうを指さす。
聞けばその方角にある林の中で、ヴォルフモンはよく1体で鍛錬をしているらしい。
「十闘士の剣士か。それは気になるな」
「行って来ても構いませんよダルクモン。僕がこちらで待機していますから。交渉で済むなら、僕だけでも事足りますしね」
予期せず戦っていたミネルヴァモンの時は兎も角、同僚からは許可をもらった上で正式に申し込んだ模擬戦であれば、ピエモンも口を出す気は無い。
彼から許可が出たのが、ひょっとすると嬉しかったのかもしれない。ダルクモンは、僅かに表情を緩めているようにも見えた。
「そうか。ではお言葉に甘えるぞ養父殿。よろしくするのだ」
「はいはい、よろしくされましたよ」
「あ、じゃあ俺もダルクモンについて行こうかな。十闘士の剣士、気になるし」
『Legend-Arms』の性質を失っても、否、失ったからこそ、純粋に興味が湧くのだろう。
ピエモンとグロットモンに見送られ、ダルクモンとヴァーミリモンは、ヴォルフモンが鍛錬しているという林の方へと足を運んだ。
*
「見当たらないな~」
「略してたらいだな」
正門を出て、塀沿いに言われた方角へと進み、林の中を見渡した2体だったが、「十闘士の二刀流の剣士」ことヴォルフモンは、姿どころか気配も感じられない。
「でもグロットモンも気配は無かったし、案外もうちょっと奥にいるだけだったりして」
「そうだな、行ってみよう」
奥、と言っても、振り返れば木々の隙間から十闘士の里の外壁を確認する事が出来る。
迷子になる心配は要らないだろうと、ダルクモン達はまだ見ぬ闘士を求めて、足取り軽く、進んでいく。
そうして、少し開けた場所に出たあたりで。
「おや、君達も、十闘士の里へのお客さん?」
音も無く。
不意に隣に現れた影にダルクモンとヴァーミリモンが振り返ると、鎧を纏った人型のデジモンが、静かにその場に佇んでいて。
「び、びっくりした……十闘士ってみんな、そんな感じで出てくるの?」
「はは、驚かせちゃったかな。ごめんごめん。みんなって訳じゃ無いけど……ああ、そっか。今日の見回りはグロットモンの担当か。彼は地面に潜る技を持っているから、それで急に現れたように見えたんだろうね」
なるほど、地下かとダルクモンは得心する。
地上で追跡されていれば、自分は兎も角ピエモンは気付いていただろうと、ずっと不思議に思っていたのだ。
「お前の言う通り、私達は十闘士の里のお客さんだ」
「ダルクモン、自分でお客さんって言うのはなんかヘンだと思うぞ?」
「いいよいいよ。お客さんだっていうなら、おもてなしの一つもしないとね。……里じゃ無くてこっちにいるって事は、私に会いに来たんだろう?」
「という事は、お前が十闘士の剣士、ヴォルフモンなのか?」
そのデジモンは、にこりと目元で弧を描いた。
「そうとも。私はヴォルフモン。君達は?」
「私はダルクモン。剣士の聖処女だ」
「俺はヴァーミリモン! ダルクモンがあんたに模擬戦を申し込みたいらしくて、気になるからついて来たんだ」
「へえ、模擬戦か。うんうん、構わないよ。私で良ければ相手になろう」
場所はここのままでいいかな? と問いかけるヴォルフモンに、ダルクモンはこくりと頷いた。
「よっしゃ、じゃあ俺が審判するね」
ヴァーミリモンが戦闘に巻き込まれないよう少し下がっている間に、2体の剣士デジモンは間合いを置いて向かい合い、片や鞘からすらりと剣を抜き、片や無機質な音を立てて両の手それぞれに刃を出現させた。
そうして、2体は構え合う。
いざ、尋常に
「よーい、はじめ!」
一種無邪気ささえ感じるヴァーミリモンの掛け声を受けて、先に動いたのはヴォルフモンだった。
ヴォルフモンは波打つ二刀を交差させるようにしながらダルクモンへと突き出す。何もしなければ両の刃の間に挟まって、切り刻まれかねない一撃である。
当然されるがままになる訳には行かないので、まずは相手の出方を伺っていたダルクモンは、中段の構えの位置にあった『ラ・ピュセル改』を更に持ち上げて、身体を半回転しながらヴォルフモンの剣が交差する点へと『ラ・ピュセル改』を斜めに振り下ろす。
ぎゃりぎゃりぎゃり! と火花を散らしながら『ラ・ピュセル改』は衝撃で傾いたヴォルフモンの剣の側面を滑り、その勢いを殺す事無く、ダルクモンは『ラ・ピュセル改』の重みに任せてその場で一回転。
その間に峰の側が正面になるよう持ち直した剣で、ダルクモンは渾身の一閃を放った。
実戦であればヴォルフモンの胴を両断していたであろう斬撃は、しかし彼の長い髪を掠めるだけの結果に終わる。
ヴォルフモンは、傾いた姿勢、その上半身に重心を傾けて、片方の剣を地面に差し込むような形で身を深く沈めたのだ。
そして片側に重みを集中すれば、反対の側は持ち上げられる。
空いている方の手を、剣を、ヴォルフモンは振るう。その切っ先はダルクモンの足元を狙い――しかしついぞ、撫でる事は無かった。
彼女という個体に馴染む事は無かったとはいえ、二刀流での戦い方には、ダルクモンにも種としてある程度の心得がある。
ヴォルフモンが2本の剣を振るう上での強みを見越して、ダルクモンは、引き続き『ラ・ピュセル改』が振るわれる際の遠心力に任せて地面から飛び上がっていたのだ。
『ラ・ピュセル改』から、自分自身の肉体へ。
彼女もまた重心を移動させて、ヴォルフモンの頭上を背面飛びで越えながら、模擬戦開始時の間合いを再現するような位置へと着地する。
機動力を重視するためか、ヴォルフモンの剣に『ラ・ピュセル改』のような重みは無い。
故に、振るった方の剣による遠心力を利用して立ち上がる、といったような芸当は流石に不可能だ。新たに刺さった方の剣へ力を籠め、放った衝撃で身体を起こす、という動作を取った以上、発生するラグによってダルクモンへの更なる追撃は叶わない。
完全な、仕切り直しだ。
「すごいね! 大太刀でいなされてしまうとは思わなかった。身体が柔らかいんだね。まるで曲芸師のようじゃないか」
「この辺の動きは養父殿の『じゃーまんしぇぱあど』を参考にしているからな。とはいえ、私の腕ではまだまだかわいいチワワちゃんといったところだが」
「初めて聞く流派だ。もっと詳しく、教えてもらいたいな」
そう言ってヴォルフモンが新たに取るのは、片手ずつ上段と中段に対応した構え。
先のように、上から押さえつけられれば重みのある『ラ・ピュセル改』の方が有利に働くと判断したのだろう。ヴォルフモンの方が上背がある事も相まって、的確に、ダルクモンからは攻め辛くなる姿勢だ。
「そういうお前は、色んな戦い方を知っている気配がするな。私の方こそ、学べる事が多そうだ」
対するダルクモンが次に取ったのは、身体と平行に刃を構える、八相の構えと呼ばれる姿勢。
この構えは、長期戦に備えて腕の負担を抑えるべく、刀を持つ以上に体力を消耗しないよう工夫された構えである。
1対1での試合においては有効とされる場面の少ない構えではあるものの、刃が高い位置にあるため確かに上・中段の攻撃には対応しており、加えてダルクモンは、「時間の許す限り手合わせを願いたい」と、態度で伝えたかったのだろう。
その意図を察してか。
ヴォルフモンはまた、にこりと微笑んだ。
「こちらこそ、改めてよろしくね。……君の気が済むまで、やり合おうじゃないか」
「よろしくされたぞ。そして、よろしく頼む」
「がんばれよー、ダルクモン!」
木の根元で足を折りたたみ、のんびりと2体の模擬戦を観戦しながら声援を飛ばすヴァーミリモン。
ヴォルフモンは気難しい、とグロットモンは言っていたが、やはり剣士同士は通じ合うのだろうか? 何にせよ、気さくな相手で良かったなと、基本的に表情の変わらないダルクモンに代わってにこにこと笑みを浮かべながら、彼は試合の行く末を見守る。
……そんな彼が不意に違和感を覚えたのは、ダルクモンとヴォルフモンが、どれだけ打ち合ってからだっただろうか。
「……あれ?」
ヴァーミリモンは思わず怪訝そうな声を漏らす。
ダルクモンは相変わらず、『ラ・ピュセル改』を巧みに操り、ヴォルフモンの二刀流を捌いてはいるが。
しかし、それでも目に見えて、動きが悪くなってきているのだ。
剣技に通じるが故に相手の先を読み、それだけに余裕のあった筈の回避行動も、今ではヴォルフモンの刃が身を掠めるギリギリでどうにか躱している、といったような有様だ。
「ダルクモン?」
見れば、先のデジタルワールドでガルフモンと戦った際、ワイヤーフレームが擦り切れる程の傷を負いながらもどこ吹く風で『ラ・ピュセル改』を振るっていたダルクモンの、息が、上がっていて。
「大丈夫? 疲れたのか?」
「そう……かもしれない。少し、身体が重くなってきて……」
ヴォルフモンの斬撃を躱し、『ラ・ピュセル改』を振るう毎に、更にダルクモンの息は荒くなっていく。
流石にマズいと思い、立ち上がったヴァーミリモンは2体の方へと駆けて行く。
「ストップ、ストップ! そこまでにしとこう! ヴォルフモンも、付き合ってくれてるのにゴメン。ダルクモン、なんか気分悪そうに見えるから――」
「まあ、そうだろうな」
「えっ?」
ヴォルフモンは、手を止めなかった。
ダルクモンは、その動きに対処した。
だが、振るわれた切っ先を、この時ダルクモンは、完全には避けきれなかったのだ。
ぷつん、と。
『ラ・ピュセル改』を防御の位置にまで持ち上げきれなかったダルクモンの腕、その薄皮(テクスチャ)を、ヴォルフモンの赤い剣が僅かに、切り開く。
次の瞬間、傷口からほんの少しずつとはいえデータの粒子が零れ、ヴォルフモンの刃へと吸い込まれて行ったのである。
「なっ」
「やれやれ、想像以上に粘られたな」
零れたデータを取り込むなり、ヴォルフモンの剣がひと際怪しげな輝きを放つ。
ダルクモンの呼吸音は、より一層苦しげに、ヴァーミリモンの聴覚にこだまする。
「きゅ、急にどうしたんだよ、ヴォルフ――」
「ああ、いい加減耳障りだ。そんな名で私の事を呼ばないでくれないか?」
ぎろり、と刃同様赤い瞳――それも、鎧の全身に付いたものにさえ一斉に睨まれて、ヴァーミリモンの身体がすくみ上る。
先ほどまでの人の好さそうな彼の気配は、欠片も残ってはいなかった。
「お前、は」
「ただ、勘違いしないでほしいのだけれど、十闘士の剣士、というのは嘘じゃない。光の闘士と間違えていたのは貴様らの方で、私はそれに乗ってやっただけだ」
「そう、なのか。それはすまない」
「あ、謝ってる場合かよ!? ダルクモン、こいつやべえよ、逃げないと!」
殺気。
獲物を狙う蛇を彷彿とさせる、相手を喰らう事しか頭に無いような、それでいて狡猾な眼差しに、ダルクモンもようやく自分が罠に嵌められたと思い至ったのだろう。
で、あれば、あくまで模擬戦だからと加減していた『ラ・ピュセル改』の力も、振るわずにいる理由は無い。
「『弐の太刀(バテーム・デ・アムール ドゥ)』!」
少なくとも、相手の身体を碌に動かなくするような能力の持ち主だ。その上このままでは、ヴァーミリモンまで巻き込む可能性がある。
逃げるにせよ、このまま戦うにせよ、この得体の知れない剣士に隙を作らなければならないと、ダルクモンは力を振り絞って『ラ・ピュセル改』で2度地面を突く。
亡霊兵達は打たれた地面から湧き出すなり、剣士のデジモンを取り囲んだ。
が――
「ふっ、これはいい。丁度いいエサだ」
赤い刃は、事も無げに不死の兵達を切り刻み、霧散して再構築される筈の彼らを剣の中に取り込んでゆく。
「なっ、なんで!?」
「折角だ。冥途の土産に教えてやろう。我が妖刀『ブルートエボルツィオン』には、敵対者の力を吸収する能力が備わっている。そして我が身を構成するデータは、負の感情や怨念を礎とする『フォービドゥンデータ』……君のなけなしの抵抗は、なかなか上質な食事となってくれたよ」
「それはどうも……お粗末様でした……?」
「ああもう、言ってる場合かよ!?」
それに、と、妖刀の剣士はさらに続ける。
「なんだろうな。君はさらに、「美味しそう」だ」
今なお、どんどんと力を奪われているダルクモンを、完全に喰らってしまおうと剣士のデジモンが舌なめずりしている事に気が付いて。
嫌な動悸に身体を震わせながらも、ヴァーミリモンは、剣士デジモンの前に立ち塞がった。
「こ、このヘンタイ野郎! ヘンタイの卑怯者ッ!! ダルクモンはあんたとは模擬戦のつもりで、刃の向きだって気を付けてたし、必殺技だって使ってなかったんだぞ!? ふざけんな! そんなのが十闘士の戦い方だっていうのかよ、サイテーの卑怯者--」
「『ガイストアーベント』」
「!?」
剣士のデジモンの鎧に付いた目玉が、一斉に光を放って。
途端に、ヴァーミリモンはちっとも身体を動かせなくなる。
「う、ぐぅ……!?」
「小うるさい餓鬼だ。先に喰ってやろうか? うん?」
「『死の太刀(バテーム・デ・アムール キャトル)』……っ!」
『ブルートエボルツィオン』に吸収され切っていなかった亡霊兵の残りを『ラ・ピュセル改』へと回収しつつ。
ダルクモンは、剣を半ば杖代わりにしながら立ち上がる。
「敗者となれば、その時は、どうなっても致し方ない」
立ち上がって、その後は。
再び、彼女は『ラ・ピュセル改』を構えた。
変形すらしていない剣を持ち上げきれず、下段での構えではあるが--鮮やかなグリーンの瞳に宿る光は、まだ沈み切ってはいない。
「だが、私はまだ、負けてはいないぞ十闘士の剣士」
「……」
「まずは、私との決着をつけろ」
息も絶え絶えに啖呵を切るダルクモンを
嘲笑うように、悠々と。十闘士の剣士は、彼女と距離を詰めていく。
「貴様の実力は認めよう。素晴らしい剣技だった。……思い上がるのも無理は無い」
「『星--」
「敬意を表して、貴様の敗因を教えてやる」
「割り』――」
「成熟期でしかない己が身を、せいぜい呪う事だな」
ダルクモンは
強固な外殻を持つタイタモンを斬り、ガルフモンの猛攻を正面から打ち破った。
彼女の技術に、『ラ・ピュセル改』という剣が応えたがためだ。
だが、いかに強大な力を振るえようとも、他の同種個体と比べて異質な存在であろうとも。彼女を構成する『データの量』自体は、平均的な成熟期デジモンの域を出ない。
即ち毒物や、今回のようなデータ吸収(ドレイン)系の攻撃を受けた際の、抵抗力。
それ自体は、いかにこのダルクモンと言えども、並の同世代デジモン程しか持ち合わせていないのだ。
突出した剣士であるこのダルクモンの、唯一平凡とも言える要素は今や弱点となり、彼女の切っ先を鈍らせる。
十闘士の剣士は斜め下から辛うじて振り上げられた『ラ・ピュセル改』による奥義を難なく回避し、己の刃・『ブルートエボルツィオン』を振り下ろす。
平時でさえ『星割り』は全身全霊の一撃。回避のための余力など残されている筈も無い。
赤い剣戟が、ダルクモンを肩口から袈裟切りに
する、直前。
「!?」
ぎぃぃいん! と。
耳をつんざく様な、金属同士が叩きつけ合う音が林の中いっぱいに鳴り響いて。
剣士デジモンは目を見開く。
持ち手の居ない両刃の剣が、ダルクモンを庇うようにして、『ブルートエボルツィオン』を受け止めていたのだ。
金の柄には、ダイヤのマークがきらりと光っている。
「札風呂うはうはブルジョワ丸……?」
「……だから、人の剣に勝手に変な銘を付けないでください」
その刹那。ダイヤマークの飾りが付いた剣は消え、入れ替わるようにしてぴたり、と。
十闘士の剣士の首筋に、きらめく白刃があてがわれる。
「っ」
その場を蹴りながら、振り向きざまに『ブルートエボルツィオン』を振るう剣士のデジモン。
交差した刃に弾かれて、止めを刺す寸前だったダルクモンともかなりの距離が空いてしまう。
その間に、今度は剣の柄を握り締めていた影――鮮やかな道化の装束を纏った魔人が、いよいよ倒れかけたダルクモンの身体を受け止めた。
「養父、殿……」
魔人の愛称を呼んで、ダルクモンは、目を閉じる。
気を、失ったらしかった。
「ヴァーミリモン」
魔人--ピエモンは、硬直していた同行者の額を軽く叩く。
途端に身体の自由が利くようになって、ヴァーミリモンはその場にへたり込んだ。
「ぴ、ピエモン」
「催眠技にかかっていたようですね。とりあえず解いたので、ダルクモンを頼みます」
「頼む、って」
ヴァーミリモンの問いには答えず、ピエモンはダルクモンの身体を彼にもたれ掛けさせるなり背を向けて、彼女を手にかけようとしていた十闘士の剣士の方へと向き直る。
とても、身内に見せられた表情ではない事は、彼自身よく理解していた。
完全体の頃は顔立ちそのものが誤魔化してくれたが、仮面だけでは、そうもいかない事も。
「僕の従僕(イヌ)が世話になったようですね。闇の闘士、ダスクモン」
『トランプソード』は誰に触れられているでも無いのに4本とも、ひとりでに鞘--『マジックボックス』を離れ、ピエモンの足元に突き刺さる。
彼はそれぞれ片手に2本ずつ、柄を指で挟むような形で剣を引き抜いた。
「なんだ、次の相手は貴様だとでも言うつもりか?」
「そのつもりですが、何です? 究極体と正面切って戦うのは怖いんですか? そりゃそうでしょうね。成熟期相手にも騙し討ちのような真似をしなければ、碌に戦えない腰抜けですものね」
「安い挑発だな。下僕の躾がなっていない責任を、私に押し付けられても困る。イヌだと言うなら、手綱でも付けて傍に置いておけばよかったものを。目を離した隙に喰われる程度の雑魚を愛でる、貴様の趣味が悪いのだ」
「酷い言い草ですね。今からあなたは、そのイヌの餌になるというのに」
「……なんだって?」
「聞こえなかったのか?」
ひゅっ、と。鋭い音が剣士のデジモン――闇の闘士・ダスクモンの耳に届いた。
それが、自分が息を呑んだ音だと気付いたのは、ピエモンの眼を直視した瞬間だった。
ピエモンの瞳に、吸血鬼王のような特殊な能力は無い。
だが怪物の眼とは、睨んだ獲物をただそれだけで射貫くものだ。
「十のスピリットの力をそれぞれ少しずつ分けていただく予定でしたが、気が変わりました。あなた1体にまかなってもらいましょう。……「なますに刻んでイヌに喰わせる」と、僕は言いました」
「誰に」
ダスクモンが跳躍する。
蹴った地面は陥没し、『ブルートエボルツィオン』が掠めた空気は裂ける。
ただひと時、気圧されたとはいえ、彼は闇の闘士。その中でも、邪悪を司る者。
「モノを言っているッ!!」
激昂が畏縮を上回り、突き動かされるようにしてダスクモンはピエモンとの距離を詰めた。
「『エアオーベルング』!!」
『エアオーベルング』。ダルクモンから徐々に力を奪っていた、剣の特性そのものでもある吸収技だ。
だが十分に力を取り込んだ今、その必殺技は力の放出をも可能とする。
×印を描くように振り下ろされる赤い妖刀を前に――ピエモンはただ、剣を携えた両手を広げて軽く膝を折り、姿勢を低くする。
まるで道化が、公演の開幕を知らせるかのように。
「っ!?」
それぞれの手に2本ずつ装着した『トランプソード』を指の動きで交差させ、鋏の要領でピエモンは『ブルートエボルツィオン』の斬撃を受け止める。
両方の剣を挟まれてしまっては、前進も後退も出来なくなる。
「だから、あなたに言っているのですよ、ダスクモン」
次の瞬間、ダスクモンの視界がぐるりと回った。
遅れて、顎に強い衝撃。
蹴り上げられたのだと気付いたのは、さらに一拍後だった。
「がっ」
刹那の間明滅した視界。しかしそれによって、逆にダスクモンは冷静さを取り戻す。
持ち上がった頭を後ろに倒し、全身を引っ張らせて宙返り。そのまますとんと華麗に着地する。
「餌は貴様の方だ、道化風情が」
ダスクモンは、上半身を捻った勢いを乗せて腕の延長のように斬りかかって来たピエモンの『トランプソード』を受け流す。
だが、すぐさま2撃目。1撃目を逸らされた『トランプソード』は勢いを殺さず、『ブルートエボルツィオン』の側面を甲高い金属音と共に撫でながらピエモンの回転を補助し、もう片方の斬撃を連れてくる。
そちらはもう片方の剣で受け止め--しかしピエモンの勢いは止まらない。
3撃目は、回し蹴り。守りの手薄になった胴へと叩き込まれた左足は剣の一閃とも遜色無く、ダスクモンの身体を弾き飛ばした。
ただ、それだけでは決定打にはならない。続く4撃目。『ブルートエボルツィオン』を滑り終えた右手の『トランプソード』が、またしてもダスクモンの喉元に迫る。
だが距離が開いた今、対処の選択肢は広がっている。
流れるような連撃を、一先ず、ダスクモンは後ろに跳んで回避する。
受け止めれば浴びせるように攻撃し続けられると言うのならば、途中からその流れをせき止めれば良い。
ダスクモンはそう判断し、実際にこの剣技の対処法としてはそれは間違いでは無かった。
相手が、ピエモンというデジモンでさえ無ければ。
「逃がしませんよ」
「っ!?」
唐突に太ももの付近に走る激痛。
何事かと見下ろせば、見覚えのある白刃が痛みの元から突き出していて。
自分から、突き刺さりに行ってしまったのだ。
ピエモンがダスクモンの回避の方向と距離を予測して、瞬時にワープさせた『トランプソード』に。
ステータスだけを見れば、究極体の中でもそこまで突出した部分の無いピエモンという種が、「出会えば己の運命を呪う他無い」とまで恐れられる理由は、この『トランプソード』にある。
不可視の攻撃。
座標を定めて移転させるこの技には、間合いも予備動作も存在しない。
「つまるところ、あなたのデジコアに剣をワープさせれば、簡単に殺せる訳なのですが」
ピエモンが『トランプソード』を回収する。
堰を失ったダスクモンの腿からは、血液データが噴き出した。
「紛いなりにも剣技で倒さなければ、ダルクモンに示しがつきませんからね。かかってきなさい、ダスクモン。そうやって後退しない限りは、僕もいたずらに刺したりなんて、しませんから」
「『エアオーベルング』」
2刃から放たれる赤い斬撃と、赤い剣先が、コンマ数秒ずつ間を置きながらピエモンへと迫る。
4連撃であれば、ピエモンに手数で勝る。ピエモンの蹴りはあくまで体術でしか無い。『ブルートエボルツィオン』を用いた攻撃を防ぐには、やはり『トランプソード』の強度が必要なのだ。
斬撃を逸らし
切っ先をいなし
身を躱して――残る一太刀。
ピエモンは、左手の『トランプソード』2本を手放した。
「は?」
繰り出すのは、手刀。
勿論、究極体とは言え防御に秀でた種では無いピエモンの表皮と十闘士の妖刀が鍔迫り合いなど出来る筈も無い。
当然のように『ブルートエボルツィオン』はピエモンの腕を貫き――『トランプソード』を弾くつもりでいた太刀筋は力加減を見誤り、攻撃を当てたにもかかわらず、実質の空振りとなる。
再三述べた通り、『ブルートエボルツィオン』は、相手の力を吸収する妖刀だ。
かすり傷どころか、向き合って構えているだけでも対峙する相手は弱っていく。肉体を貫いたともなれば、なおの事、だ。
だがいくら相手を弱らせようとも、その間に自分がやられてしまえば意味が無い。
ダルクモンに言い渡した敗因は、この瞬間因果となる。
ピエモンが究極体であるが故に、その抵抗力に、ダスクモンは負けるのだ。
肘を締めて刃を挟み、ダメ押しに『ブルートエボルツィオン』の根元を手で掴んで、ピエモンはダスクモンを拘束する。
そうして、こちらは剣を手放してなどいない右手を、ピエモンは下から突き上げた。
「がっ」
鎧の中央。ひと際大きな目玉の黒目を真っ直ぐに、『トランプソード』は貫いた。
「これ、が……剣技・『ジャーマンシェパード』……!?」
「『武舞独繰(ブルドック)』です。……また間違えてたんですか彼女」
訂正しつつ
ピエモンは持ち上げた足で、真っ直ぐにダスクモンの鳩尾を蹴り飛ばした。
お互いの剣が、お互いを離れていく。
だが結果は同じでも、勝敗は誰の目にも明らかであった。
どう、と音を立てて、ダスクモンは背中から地面に倒れたのである。
「え、えげつねぇ……」
養父殿の剣はすごい。
ダルクモンが何度も言っていた事ではあるが、実のところ、ヴァーミリモンが彼の剣技を見たのは今回が初めてだ。
元、がつくとはいえ、彼は『Legend-Arms』。知識としてでは無く本能で、その剣技の良し悪しくらいは解る。
(舞いをベースにしてるみたいだったけど、全然「遊び」が無かったな)
民族舞踊をベースにアレンジしたと言われる、マタドゥルモン独自の剣術舞踏『武舞独繰』。ピエモンの完全体がかのデジモンであったが故に、進化後も引き継がれた技術だ。
だがその流れるような剣の舞を「踊っているかのよう」と例え難いのは、ヴァーミリモンの抱いた所感が主な原因とみて間違いだろう。
強者との1対1の戦闘を念頭に置いた、緩急をつけた読み辛い動きでは無く、短期決戦を前提とした効率的な動作。
その徹底した無駄の無さをを美しいと評するには、見る側にも相応の技量が必要となって来るだろう。
(って、のんきに感想考えてる場合じゃ無かった)
ピエモンが倒れたダスクモンの方へと一歩足を踏み出したのを見て、ヴァーミリモンは我に返る。
「ピエモン、ストップ、ストップ! それ以上はダメだって! ホントになますにしたら、ええっと……アレだ! コクサイモンダイ? になっちゃうよ!!」
いかにダルクモンを罠に嵌めたとはいえ、彼の纏う鎧--闇のスピリットはこの世界の至宝。
破壊して許されるものではない。別世界からの渡航者ともなれば、なおの事、だ。
新たな戦いの火種にならないと、一体誰が保証できようか。
が、
「ヴァーミリモン。あなたはもうしばらくの間待機を。……ダルクモンが吹き飛ばされないように、気を付けて下さい」
「は?」
「今から第2ラウンドですので」
気が付けば、ダスクモンから目玉が分離し、鎧は黒い霧へと変貌していた。
霧と7つの目玉は天へと昇り――膨れ上がる。
「これ、は」
十闘士のスピリットは、1属性に付き人と獣、2種の形態が用意されている。
ダスクモンは、闇のヒューマンスピリットの闘士。
そして今より顕現するのは、ダスクモンがその理性すらも捨て去り、純粋な暴力のみを是とした獣の闘士。
ダスクモンのプライドの高さ故に、よほどのことが無ければ曝さない姿ではあるが、余所者に良いようにやられた怒りは、彼の矜持を上回ったのだ。
「GYAAAAAAAAAAAAAAA!!」
霧の中から、闇の闘士が新たな姿を顕現させる。
「死者を呑む怪鳥」をその名の由来とした巨鳥型デジモン――ベルグモンである。
鎧と同じ色をした翼が、霧を纏う。
ベルグモンが強く羽ばたけば、その霧が周辺一帯を呑み込み――異空間にまで、消し飛ばしてしまう事だろう。
闇の獣の闘士の必殺技『ゾーンデリーター』だ。
だが、ベルグモンが本格的に動き出すよりも前に
「『トイワンダネス』!」
地面に衝撃波を走らせる得意技を応用して、ピエモンもまた、宙へと飛び上がる。
だが、それだけではまだ高さが足りない。否、正確には『トランプソード』なら届くのだが、ピエモンは、そうはしなかった。
先に、そう宣告したからだ。正面を切って戦っているかぎりは、直接剣をワープさせて刺す事はしないと。
相手を舐めているだとか、こだわりがあるだとか、そういう話では無い。
このピエモンが、その辺無駄に律儀なだけである。
ただ、剣を全くワープさせないとは言っていない。
背中の『マジックボックス』から『トランプソード』が次々と消える。
消えた剣が現れるのは――ピエモンの、足元。
空中で踏み出した足の、1歩先。
『トランプソード』を階段代わりにして、ピエモンは、宙を駆け始めたのだ。
「うわぁ」
ヴァーミリモンは、グロットモンの「剣の扱いが雑そうな顔」発言に実感を得るのだった。
自分の愛刀を好んで足蹴にする者が、いったいこの世にどれだけいると言うのだろう?
「ギッ!?」
瞬く間にピエモンはベルグモンに並び、追い越した。
さらに上へ、上へ。雲に迫る勢いで。
駆ける。
そうして十分な高さにまで駆け上がった後。『トランプソード』を蹴って飛び上がったピエモンは、宙で身体を捻って、今度は落下を加速させるために逆さ向きの姿勢でもう一度、新たに出現させた『トランプソード』を蹴る。
そのまま、1回転。
再び足先が下を向き、つまるところそれは飛び蹴りの姿勢である。
「『トランプソード』」
必殺技の宣言。
だが、ベルグモンを仕留めるのに使う技は、コレでは無い。
剣がワープしたのは、道化の巻いた靴の先。
逆さの跳躍、究極体のデータ量、重力。
全てをつま先、そのさらに向こうにある『トランプソード』に傾けて、放つのは、再現するのは、完全体時の必殺技。
『武舞独繰』の、最終奥義。
「『蝶絶喇叭蹴』!!」
断末魔を上げる暇も無く、ベルグモンの頸は断たれた。
*
「……ふぅー……」
噛み締めた唇の隙間から、どうにかピエモンは呼吸を整える。
無事に着地したピエモンは、しかし立ち上がるのに若干の時間を要した。
当然である。左の手の平と腕は裂け、そこからいくらかデータを奪われている。いくら究極体とはいえ、生身のデジモンがやるような戦法では無い。
「いつまでも若い(アンデッドの)つもりではいられませんね」
ひとりごちって、眩暈を気力で振り払いながら姿勢を正し、ピエモンは周囲を見渡した。
闇のスピリットはまたしても霧散した後、今度こそ小さな塊となって落ちていったのが判ったが、同時にスピリットよりは大きく、しかし成長期大程しか無い影がその後を追って落下していったのも、ピエモンは着地前に確認していて。
スピリットを破壊すれば、ヴァーミリモンの言う通り大問題になるだろうが、中のデジモンに関してはそうではない。
今はまだ砂埃が立ち上って視界を確保し切れないが、闇のスピリットの『中身』を探し始めない理由にはならない。
どうするにせよ、完全に無力化したと確信するまでは油断できないと、影が落ちていったと思われる方向へとピエモンは足を進めて
「?」
ぱきん、と音の鳴るような何かを、踏んだらしかった。
実を屈めて、確認する
「これは……キャンディー?」
飴の部分が割れてしまった棒付きのキャンディーが地面に落ちていて
ピエモンの記憶が正しければ、これは
「動くな!」
次の瞬間、嘘のように砂埃が晴れ、それらを翼で吹き飛ばしたと思われるデジモンが、ピエモンに向けて矢をつがえていたのだ。
「頼む、事情は説明する。だからこれ以上、コイツに攻撃しないで――」
8枚の翼を持つ、女性の姿をした大天使型デジモン・エンジェウーモンは、咄嗟に『トランプソード』を構え直したピエモンを視認するなり、言葉を失う。
それはピエモンの方も同じで、姿こそ変わっているものの、彼は確かに、彼女の気配に覚えがあった。
そして、エンジェウーモンが背に庇っている、少し先の地面で伸びている小悪魔型デジモンにも。
「オマエは」
「あなたは」
どちらともなく、同時に問いかけて
お互いに、お互いの正体を悟るのだった。
*
「あっ、ピエモン!」
周囲をきょろきょろと見渡していたヴァーミリモンが、戻って来たピエモンをを見つけてその場で尻尾を振るう。
嬉しいと言うより、これまで不安だったのだろう。緊張が解けた表情で、自分にもたれかかるダルクモンを気遣いつつも、こっちこっちと手招きを始める。
「どうなったのかと思ったよぉ~。とりあえず無事で良かったけど……えっと……」
「安心して下さい、あなたの言う国際問題になるような真似はしていませんよ。……闇のスピリットとその中身のデジモンは、先に別のデジモンが運んでくれています」
「里から救援が来てたの? 遅いよもぉ。でも、ホントに無事で良かった。怪我、大丈夫?」
「大した事はありません。応急処置もしましたからね」
ピエモンの左腕に包帯のように巻き付けられている布には、ヴァーミリモンも見覚えがあった。
見覚えがあると言うか、目の前に答えがあると言うか。
ピエモンの肩口から伸びる空色の飾り布。その片方が、半分強ほど切り取られているのだ。
かなり不格好な事になってしまっているし、それそんな風に使う物なの? とヴァーミリモンは甚だ疑問だったが、そうしているのが他ならぬピエモン本人なので、何も言わない事にした。
「さて、僕達も戻りましょう。里長からこの件に関して説明もあるようですし」
「うん。っていうか、ピエモンはなんでダルクモンがピンチだって気付いたの?」
「たまたま見に来ただけですよ。本物のヴォルフモンが里の方に戻って来たのに、あなた達と会っていないと言うものですから。……何もしていないにしては、時間が経ち過ぎていましたので」
心配だったんだ。と、ヴァーミリモンは言いかけて。
結局、口にはしなかった。言っても否定するだろうし、ピエモンが言葉にしなくても、態度を見れば、判る事だ。
「ありがとな、ピエモン」
「はいはい、どういたしまして。……ヴァーミリモン、コレ、持っていて下さい」
ピエモンは背中の『マジックボックス』を外し、ヴァーミリモンの外殻の隙間にそれを挟み込む。
そうして空いた背中に、彼は未だ気を失ったままのダルクモンを背負った。
「よいしょっと」
「大丈夫? 俺運ぶよ?」
「意識が無いとずり落ちそうじゃないですか。このくらいの体力は残っていますから、お気になさらず」
心配なんだな、と。思いはしたが、やはり否定されるだけなので、ヴァーミリモンは口を噤んだ。
そうして歩き始めて、里への道も半ばに差し掛かったころだろうか。
「ん、んん……」
もぞ、と小さく身を捩りながら、ダルクモンがうめき声を漏らしたのは。
「ダルクモン?」
「ん……養父殿……」
まだ力を吸い取られた影響が残っているのか、声は小さく、気だるげだ。
だが――彼女は、ぎゅっ、と。ピエモンの前に回された腕に、力を籠める。
「どうしたんですか」
「ごめんなさい」
消え入るように、ぽつり、と。
ダルクモンが口にしたのは、謝罪の言葉だった。
一瞬、目を丸くしたピエモンだったが、鼻を鳴らして、あえて声の調子を軽くする。
「おやおや、珍しく反省しましたか。良い事です。これを機に相手の確認にはもっと注意を払って、ついでに僕の言う事をもっとちゃんと聞くように――」
「負けてしまって、ごめんなさい」
「……」
いつに無く真剣な様子のダルクモンに、一度小さく息を吐いてから、ピエモンは再び言葉を紡ぐ。
「敗北の内に入りませんよ。あなたは騙されて、罠にかけられたも同然なのですから。実力であれば、きっとあなたの方が勝っていた」
「でも、実際の戦場では、そんな言い訳はできない。あいつは強かったぞ、養父殿。私は、あいつの勝とうとする意志の強さに負けたんだ。……思い出した。負けるって、そういう事なんだ。もう――「あんな」思いは、したくないと思ってた……筈なのに……」
「「あんな」思い?」
心当たりは、ピエモンには思い浮かばなかった。
強いて言えば初めて出会った時、プロットモンはピエモンに敗れた訳だが、あの時の敗北を引きずっているとは、ピエモンには到底思えなくて。
だが、ダルクモンはピエモンの浮かべた疑問符には答えず、ごめんなさい、と、もう一度繰り返す。
「ごめんなさい、私は――」
ピエモンは、とりあえず『「あんな」思い』とやらについて聞き出すのを諦めて。
ダルクモンの身体を片手で支えられるように背負い直した後、空けた左手を持ち上げて、中指で彼女の額を弾いた。
「いたっ」
衝撃で手の平からまた血が滲んだ気がしたが、ピエモンが気に留める様子はない。
「あなたが僕に謝るべき事があるとすれば、また僕の剣術の名前を間違えていた事くらいです。『武舞独繰』ですから。『ジャーマンシェパード』じゃなくて。いい加減、覚えるように」
「……」
「それ以外は、何も怒っている事なんて有りません」
本当は、それすら怒ってないクセになぁ。
やはりわざわざ言ったりはしないが、朱い身体と同じくらい、ヴァーミリモンは視線に温かみを帯びさせてしまう。
途端、くるりとピエモンは振り返った。
「ヴァーミリモン、今何か余計な事を考えませんでしたか」
「べっつにー?」
観衆の視線に、道化は敏感である。
ヴァーミリモンは慌てて目を逸らし、喉元まで上がっていた「素直じゃ無い」という感想を、口笛に変えて吹き出すのだった。
その時。
ピエモンは耳元で、くすり、と笑い声を聞いた気がした。
「ダルクモン?」
数年の付き合いだ。なんとなく、表情の変化は読み取れるようになってはいるが。
それでも、彼は見た事が無いのだ。彼女が、笑っている顔など。
「今」
「養父殿は、くやしいだな」
「何を略したんです……!?」
疑問はすり替わり、しかし返答は無かった。
次に、間違いなく聞こえてきたのは、寝息。
ダルクモンは、また意識を手放したらしくて。
「……全く」
くやしい、が何の略かまでは解らないが、それは恐らく、彼女が今しがた抱いている感情そのものでもあるのだろう。
ピエモンは改めてダルクモンを背負い直して、足を進める。
隣で歩調を合わせているヴァーミリモンは、にこにこと何かを察したように笑みを浮かべているが、結局、ピエモンはその真意を聞き出そうとはしなかった。
*
「すみません……すみません……ワタクシは十闘士のクソゴミ汚物枠です……鋼の闘士から屑鉄の闘士に改名します……」
「メルキューレモン、元気出せって。な? お前だけの責任じゃないって」
「そうよ、油断してお客さんとだべってた見張り当番のグロットモンにも非はあるんだから。後でガツンと言ってやりましょう」
「無理……無理ですぅ……グロットモンさん今ちゃんと仕事してるじゃないですか。ワタクシと違って、ワタクシと違って! うう、うううぅ……こんなでは古代鋼の闘士さまに顔向けできません、割れます!」
「おーよしよし。そんなに思いつめないでメルキューレモン。後で街でパフェ奢ってあげるから。おいしいわよ~。パフェ、おいしいわよ~? 甘いもの食べて元気が出たら、十闘士一の知恵者の頭だってフル回転し始める筈だから、ね。ね?」
「パフェ……」
「なんか……ホントごめん……私が今日の練習場所変えたばっかりに……」
「そういう訳なんじゃい」
「そう……ですか……」
無理やり〆た里長--成長期の突然変異型デジモン・ボコモンに、さしもの道化の笑みも引きつる。
彼の隣で十闘士の話を聞いていた『先客』--テイルモンも、鋼の闘士を慰める一同とピエモンを交互に見比べながら、気まずそうに、居心地悪そうに眉間を潜めていた。
話を纏めると、メルキューレモンはピエモン達よりも先に里に着いたテイルモン達の案内係を買って出ており、「デジタルワールドのアカシックレコード」とまで呼ばれた古代鋼の闘士・エンシェントワイズモンから受け継いだ力を利用して、テイルモンの「探し物」に関する情報を探っていたらしかった。
そうして「探し物」について調べるがてら、十闘士に関する説明に夢中になっているあまり、そしてテイルモン自身もそちらに集中していたあまり、気付かなかったのだ。
話に飽きたインプモンが、その場を離れてしまった事に。
「闇のスピリットは、ちと難儀な性質を持っていてのう。適合者自体が少ないにもかかわらず、心に迷いの有る者が使えば、『悪』としての側面を持つ闇の闘士となってしまうんじゃい」
「大変だよね~」
わかってるんだかわかってないんだが、間延びした口調で他人事のように肯定する相方・ネーモンにゴムパッチンをくらわせながらボコモンの続けたところによれば、さらにたちの悪い事に、闇のスピリットは現在『悪』の側面の方で保存されており、その状態で、力を求めていたインプモンに感付いて彼を呼び寄せたのだと言う。
結果はこの通り、インプモンの身体を乗っ取った闇のスピリットはダスクモンとなり、依代が無くとも行動できるよう餌となるデジモンを探し求め、その対象としてダルクモンが狙われたのである。
「成長期を依代にしてアレなんですか……」
結果的に、ほとんど一方的にピエモンが叩きのめしたとはいえ、それはあくまで、使い手が未熟であったからこそ。
本当に成熟したデジモンが乗っ取られたか、あるいは正当な適合者だとしたら、自分では敵わなかったかもしれないと、彼は軽く肩を竦めるのだった。
「本当にすまんかった! この通りじゃい」
「本当にごめんなさい~。おれも謝る~」
「顔を上げて下さい里長。ネーモン。……元はと言えば、インプモンをちゃんと見ておかなかった私の責任です。アイツに代わって、謝ります。……ごめんなさい」
「僕は気にしていませんよ。それに、あのダルクモンも気にするような手合いではありませんから。……僕の方こそ、少しやり過ぎたので、その辺を不問にしてもらえるなら、それで……」
その後もしばらく謝罪合戦になってしまったものの、とりあえず責任者組の話はひと段落がついた。
ピエモンは当初の予定通り、ダルクモンの『ラ・ピュセル改』に、当初の予定より少しだけ上乗せして『ゼロアームズ〈オロチ〉』のデータを封入してもらう事で里での騒動を不問とし、公言しない方針で合意した。
……公言しない、とはいっても、どうせグランドラクモンには話す事になるのだろうなと思いはしたが、吸血鬼王の話をわざわざ聞きに行くもの好き自体がデジタルワールドにほとんどいないので、まあ大丈夫だろうと勝手に判断した次第だ。
『ラ・ピュセル改』の改造には既にグロットモンが手を付け始めており、ダルクモンは里の医務室でヴァーミリモンと共に休んでいる。
ピエモンは未だ騒動の責任を感じてすんすんと泣くような声を出している鏡のデジモン――鋼の闘士メルキューレモン(こんなんだけど、スピリットじゃ無くて依代の性格が前面に出てるくらいだから、本当は滅茶苦茶優秀なのよ。というのは水の闘士の弁だ)をなだめに回った里長達に退出を告げて、彼らの家を後にした。
と、
「ピエモン」
4足で地面を蹴り、彼の名を呼んで駆け寄って来たのは、同じく里長の家を出てきたテイルモンだった。
「おや、まだ何か御用ですか?」
「個人的に、もう一度ちゃんと謝っておきたくて。……ごめんなさい」
それから、と、気まずそうにではあるが、テイルモンは続けた。
「虫の良い話だとは思うけれど、アイツ――インプモンの事、どうか許してあげてほしいの」
「……」
ぱちん、と、出会った時のように指を鳴らして
あの時と同じように、ただし今回はピエモン自身の手元に、2本の棒付きのキャンディーが飛び出した。
ピエモンはそれを、テイルモンへと差し出す。
「あなたの分と、彼の分です。先程お渡ししたものは割れてしまいましたから。……盗み聞きでは無いですよ? 彼の声が大きいから、聞こえてしまったんです」
--だって、はやくテイルモンの力になりたかったんだもん。
医務室でわんわんと泣き声を上げながら、インプモンは、彼を叱っていたテイルモンに、そう反論していたのである。
……闇のスピリットには、その想いを突かれて、拐かされてしまった訳なのだが。
「「力になりたいのなら、まずは相手を困らせず、地道に頑張りなさい」と。……お伝えする小言があるとすれば、その程度です」
最も、そう言って聞く様な手合いなら、苦労はしないのですけれども。
最後に自分の身内に対する愚痴を付け加えて、ピエモンはおどけるように右の手をひらひらと振って見せた。
「……もう、これまでに十分、力になってくれてるのにさ」
テイルモンは、どこか寂しそうに、どこか魔法の杖のようにも見えるキャンディーの向こう側に、1つの影を眺める。
それは、ピエモン達には与り知らぬ、彼女の事情が見せる幻影。
一度はデジタマにもなれないまま世界中に飛び散り
ようやくサルベージしたデータをまたしても異世界に飛ばされ、退化して記憶まで失った、相方の--本来の姿。
テイルモンが探しているのは、彼の残りのデータであり、記憶。
しかし、例え欠けていようとも、テイルモンは、長い年月をかけて『彼』を取り戻し――こうして一緒に、旅をしているのだ。
また逢えた彼が、自分を慮ってくれている。
その事実が騒動を起こしてしまったのだが――その気持ちを喜ぶ自分も、確かに存在していて。
「ありがとう、ピエモン。かなりキツく叱っちゃったから、気まずかったの。これで、アイツと話が出来るわ」
「それはそれは。どういたしまして」
「お礼に、って言うか、お詫びに――なるかもわからないんだけど。『ラ・ピュセル改』だっけ。あのダルクモンが、持ってる剣について、ちょっとだけ」
「?」
「アタシ、あの剣と同じ剣を、別の世界で見た事があるの」
テイルモンの言葉に、ピエモンは思わず目を見開く。
『ラ・ピュセル改』は、鍛冶神ウルカヌスモンが作り上げた唯一無二の剣。
それが、別のデジタルワールドにあるなど――
「なんか……ええっと、画数の多い名前だったのは覚えてるんだけど。ごめん、銘までは思い出せない。でも、使っていたデジモンの名前は解るわ」
タクティモン
テイルモンが述べたそのデジモンの名に、ピエモンは、心当たりなど無かった。
「初めて聞くデジモンです」
「私も、そのデジタルワールド以外では見た事も無いし、その個体ももう倒されてしまったから、ちゃんとした記録が残ってるかもわからないんだけれど――」
それでも、もしも。少しでも詳しい話を知りたいのならば、と、テイルモンは件のデジタルワールドのアドレスをピエモンに伝える。
「情報抜きにしても、いい所だから。良かったら行ってみて」
「感謝しますよ、テイルモン。これは思わぬ収穫です。ここに行けば、ダルクモンの剣技にも、新たな影響があるかもしれませんから」
気付けば次の旅の算段を立てている自分を軽く嗤いながら、しかしピエモンは期待が抑えきれない風であった。
『ラ・ピュセル改』と同じ剣の持ち主が居た世界を訪れれば、きっと彼女が望む以上のものが、見つかるに違いないと。
「それじゃあ、今度こそ」
スッ、と。テイルモンは、カイザーレオモンのデータを元にして作られた手袋を外して、ピエモンの方に手を差し出す。
「ありがとう、ピエモン。インプモンを、助けてくれて。……昔戦った奴と比べるのが失礼なくらい、アナタはいい奴だったわ」
彼女の手の項にはうっすらと何重にもなった傷跡が残っており、それだけでも、彼女の歩んできた道が伺えそうなものだった。
「やはり僕の同種と戦闘経験があったのですね。……御機嫌よう、お強いテイルモン。改めて、良き旅を」
また、道が交わる事があれば。
握手の最後に、テイルモンはそう付け加えて、インプモンの待つ里の宿泊施設の方へと駆けて行く。
ピエモンもまた、ダルクモン達の居る十闘士候補生の研修施設、その医務室へと、足を運ぶのだった。
片や甘いキャンディーを、片や新たなる旅への道しるべを、携えて。
*
だが――目を覚まし、ピエモンを待っていたダルクモンの表情は、とても明るい話題を振れるものには、見えなくて。
「……ダルクモン?」
ベッドに腰かけた彼女は、今しがた改造を終えて届けられた『ラ・ピュセル改』を膝の上に置いて、その鞘と柄をそれぞれの手で握り締めている。
「養父殿」
『ラ・ピュセル改』には、初めてその剣をウルカヌスモンから受け取った時のように、厳重な封--鎖がかけられていて。
ヴァーミリモンは、不安そうに2体の間で視線を交互に行き交わせている。
がっ、がっ、と。
ダルクモンは、『ラ・ピュセル改』の柄を引っ張る。
だが、以前のように鎖が弾け飛び、剣が引き抜かれるような事は起きなかった。
「どうしよう、養父殿」
どれだけ引こうと、ただ、巻かれた鎖と、ダルクモンの瞳が揺れるだけ。
「『ラ・ピュセル改』、抜けなくなってしまった」
思わぬ事態に見舞われた剣の聖女。彼女の苦難は、未だ終わらず。
道化の魔人と朱い鎧竜に、今のところ成せる術は無い。
されど数奇な運命の歯車は、彼女達の与り知らぬところでそれはそれは勢い良く、音を立てて回り始めている最中である。
次なる試練は、帰路の先。
神の気紛れか、災いか。
相対するは、終の騎士。
聖女の剣を巡る物語。それも次回で、おしまい、おしまい。
Omega Gain Force編へつづく!