第一章『注文の少ない料理店』(前)
海神の場合
ある昼下がりのこと。
「……どうしてお客様が来ないのですか」
「いや僕に聞かれても」
「もう昼を過ぎて久しいですよ! どうなっているんです!」
喚き立てる森羅先輩は、今にも背負っているその身の丈ほどもある大剣を振り回しかねないので、僕としては少々冷や汗ものです。
「やはり立地条件が悪いのでは……こんな切り立った崖にある料亭に来ますかね、お客さんが」
「前を見れば森、振り返れば海! どちらも同時に景色を楽しめる最高のスポットではないですか!」
「それ何度も聞きました。確かに景色は素晴らしいかもしれませんが、立地が悪すぎると言っているんですよ森羅先輩。見てくださいよ、海も森も素晴らしい以上に怖いですよ。僕ら究極体や完全体はともかく、それ以下の皆さんは辿り着くまでに死にますよね……」
背後の崖下、時折嵐で荒れ狂う海は少し前までメガシードラモンの縄張りだったし、前方の薄暗い森は獰猛な獣型デジモン達の巣窟。
オリンポスと呼び称される僕らは感覚が麻痺していますが、言うなればここは所謂天然の要塞という奴らしいです。開業に際してこの場所を選んだのは他ならぬ森羅先輩なわけですが、城や要塞を築くのならともかく、少なくとも小洒落た料理店を出すのに相応しい場所だとは僕にはとても思えません。火曜○スペンスで最後の犯人との対決で使われそうですからね、この崖。
「青海君、営業をお願いします」
「それは無駄ですよ。もうここら一帯は人っ子一人、いやデジっ子一体いませんよ」
「何故ですか? 常連のハンギョモンさんは? 確かエビドラモン氏もいましたよね?」
「つい先日、揃ってこの店の悪口を言っていたので、僕が残らず駆逐しておきました」
「お、お客様アアアアアアアアア!?」
困ったことに、森羅先輩が食材を獲ってくる森側はともかく、僕の領域である海側には少なくともまともな知性を持ったモンスターはいないのです。
彼女の言う通り、海側にも何体かの常連客はいました。ですが三日ほど前、少し離れた浅瀬に揃って顔を並べてこの店の悪口を言っているのを見たので、思わず槍を投げ付けたら驚いて逃げていってしまいました。流石は我が槍、キングスバイトと言ったところですか。
「情けない連中です、威嚇を本気と受け取ってもう戻ってこないんですから」
「それ完璧に青海君の所為ですよね!? 常連の皆様になんてことをしてくれたのですかアアアアアアアアア!!」
「この店の悪口を言っていたのです、どうして僕が許せましょう」
「うっ……青海君は本当に真っ直ぐですよね……」
「いえ、お褒め頂くほどのことでは」
「褒めていませんからね」
言いつつ、ジト目――森羅先輩の顔は仮面に覆われているけどそんな気がする――で見られるも僕は無視しました。
こんなことをしている場合じゃないんだけどなぁ。
そう考えると嘆息してしまうのも無理はないんです。同じ高みに立つ者として、また先に究極体に到達した先輩として、森羅先輩のことは確かに尊敬していますが、少なくともこの世界、この時代に僕らが料理店を経営することに何の意味があるのか、その辺のところが僕にはわかりませんでした。
僕もまだまだ、未熟なんでしょうか。
▲ ▲ ▲
同じオリンポス十二神といっても、僕は森羅先輩を初めとする諸先輩方から見て末席に当たります。
この大海を統べるべく、青海と名付けられたこの姿に進化を果たしたのはつい一年前。僕にとってはまさに夢にまで見た姿と力を得たわけですが、以降まともにその槍を振るう機会には巡り会っていません。今の太平の時代に究極体相当のモンスターが多くないのもあるでしょうが、少なくとも料理店の小間使いでは自らを満足させ得る強敵との対峙など夢のまた夢。先刻の常連客への狼藉は、そうして溜まった鬱憤から来ているのかもしれませんね。
そんな風に僕は、暇を持て余す自分を正当化してみたりします。
さて、ところで僕らオリンポス十二神は伝承によれば、彼の聖騎士団や七大魔王にさえ匹敵する戦力を有していると聞きます。とはいえ、当代に顕界しているオリンポスは末席の僕を含めても六体、仮想敵と見なした聖騎士や魔王が今も尚盤石の布陣で在るのなら、些か不安が残る頭数と言えましょう。
先代の六体はかつて激しい戦いの末に命と引き替えに邪悪なる者を封じたとのことです。中でも先代最強と謳われたユピテルモンの力には、恐らく当代のオリンポスで僕の最も尊敬する陽炎先輩でも及ばないだろうと言われています。
だからこそ、今は腕を磨くべきだと思うのです。未熟極まりない僕が筆頭であることは言うまでもありませんが、当代の強さが先代に及ばぬのであれば、個々の質を上げ、戦力の拡充を図らなければ、世界を中立に保つなどという僕らの使命を果たせるはずもない。来たるべき最後の危機(デジタルハザード)に備え、何者にも負けぬ力を有しておかなければ。
そこで問題となるのが森羅先輩です。僕の直近の先輩に当たる彼女は、必然的に僕の指南役となってくれたのですが、平和主義者というか博愛主義者というか、僕らと同じく戦いを生業とする者として生を受け、その中でも頂点に近いとされる神人の姿を得ながら、戦いを好みません。それでいて、いざ戦うとなれば僕を片手で捻るぐらいに強いから始末が悪い。
女性型らしい奔放さは陽炎先輩と並び、僕の尊敬する先輩である幻影(ミラージュ)先輩に近しいものがあると愚考していますが、同時に月光の如き禍々しさと冷酷さを内に秘める彼女と違い、森羅先輩は本当に単なる我が侭な女性といった印象でした。
いつだったか、確か以前一度だけ、森羅先輩に問い質したことがありました。
『先輩はオリンポスとしての自覚が無いのではないですか?』
若輩者からの愚弄にも等しいその言葉に、彼女は薄く破顔して。
『……かもしれませんね』
自嘲するようにそう言いました。
どこか遠くを見つめる森羅先輩の横顔を見て、僕は自分の質問を恥じたものです。きっとこの世界の誰にも各々の生き方があり、それは決して僕などが立ち入っていいものではなかったのでしょう。少なくとも一対一で戦って彼女に勝てない今の僕では、彼女に対する言など持てようはずがありません。
それに。
『でも、私にはこれが合っているんですよ。ここは料理店です、いらしたお客様を笑顔に出来る場所です。……誰かの笑顔を見られるって、素敵なことだと思いませんか?』
先輩の作る料理は、とても美味なんですよね。
▲ ▲ ▲
その日は珍しく人間とそのパートナーが店にやってきました。僕の営業の成果でしょうか?
「いらっしゃいませー」
実はその日まで、僕は人間というものを見たことがありませんでした。
勿論、話としては知っています。僕らと絆で結ばれ、更なる高みへと導く異世界より来たる生命体。この世界が闇に覆われる度、叫びと嘆きに応えてその姿を現して闇と戦ったと言われる、数多の伝説に名を残す救世主。
でも初めて見た人間の少女は、何ということはない、ただ小さく弱い生物にしか見えませんでした。
「その子が、あなたのパートナーですか?」
注文を受けながら聞くと、少女は弾けるような笑顔で「うん!」と答えます。
「大変なことばかりだったけど、今まで二人で乗り越えてきたんだよねー!」
その膝に座る幼年期に、彼女の言う“大変なこと”を乗り越えるだけの力があるとは正直思えませんでしたので、僕は話半分に「それは凄いですね」と返したのだけど、どうもそれは少女には見抜かれていたらしく、すぐに膨れっ面で「信じてないでしょ!」と言われてしまいました。
お客様の笑顔を消してはならない、森羅先輩の教えです。またミスしてしまいました。
「こうなったら私とこの子の力、見せてあげるんだからぁ!」
「ほう、力……」
興味が湧きました。森羅先輩は厨房で料理の提供には今しばらく時間が掛かりそうです。伝説に謳われる人間の力、この身で味わっておくのも悪くないでしょう。
「興味深いですね。僕は何もしません、全力の一撃でお願いします」
断っておきますが、僕はマゾではありません。……多分。
▲ ▲ ▲
切り立った崖の上、料理店を背後に僕は彼女達と対峙します。
宣言通り、僕は手を出すつもりはありません。少女は「馬鹿にしてぇ!」と苛立ちを隠せない様子ですが、元より戦うつもりはありませんでした。その“大変なことばかり”を乗り越えてきたという彼女達の力が、世界の誰もが憧れる人間の力が、果たして如何ほどのものなのか見極めてみたかったというのが本音です。
だから求めるのはただ一撃、人間と共に在るパートナーの攻撃が僕にどこまで通じるか。
「後悔しても遅いよ! 全力で行くんだからね!」
ビシッと力強く僕を指差す少女の姿が眩しいです。……しかし彼女のパートナー、知らない間に先程と姿が変わっているような……?
「ゴマモン! 進化だよ!」
瞬間、彼女のパートナーが光を放ち、その肉体を変質させていきます。
なるほど、少女の掲げた聖なるデジヴァイスによる任意の進化。それは確かに僕らには不可能な奇跡、不可逆にして不可避の変態である進化を任意で制御できるとすれば、その奇跡は伝説として崇められるのも無理は無いでしょう。気付けば姿が変わっていたのも、幼年期から成長期に進化を果たしたということなのでしょうか。
ただ、そうして進化を果たしたとしても所詮は成熟期、未熟とはいえ究極体である僕と相対するには些か力不足でしょうが。
「ゴマモン、ワープ進化――ヴァイクモン!」
「ワープ進化……!?」
果たして姿を変えて君臨した白銀の獣人は、僕がこの姿に到達するより前、氷山地帯でやり合った部族の長と同じ姿をしていました。
ヴァイクモン。クロンデジゾイド並の硬度を持つと言われた体毛と全てを破壊すると言われた破砕球ミョルニルを有し、ズドモンやイッカクモンで構成された軍団を率いて極寒の地を収める究極体。僕にとっては懐かしい顔でもあります。
しかし、それ以上に。
「素晴らしい……!」
僕は感嘆していたのです。
勿論、ワープ進化なる現象のことは知っています。しかし成長期から究極体へ一気に三段階もの進化が行われるのを見るのは初めてでした。こんな普通では起こり得ない奇跡を実現してみせるのが、人間という存在の持つ力なのでしょうか。
「アークティックブリザード!」
見惚れすぎて不意打ちで頬に破砕球をまともに受けました。非常に痛かったです。
▲ ▲ ▲
僕が彼女達、というより人間と出会うのはそれきりになりました。
しかしそれ以降、何故かお客様の数は鰻登りです。どうも彼女達は乱暴に森林地帯を切り開きながらこの店まで辿り着いたらしく、天然のダンジョンめいていた森側に安全なルートが開拓され、そこを通ってお客様が来店するようになったようです。乱暴なことをするものだと思わず苦笑してしまいます。
とはいえ、これには森羅先輩も大喜びです。
「人間様々ですね! この調子ならもっと来て欲しいぐらいですよ!」
それに頷きながら、僕は多忙な日々を過ごしています。
彼女達の姿には不覚にも憧れました。破砕球を叩き付けられた頬は未だに少しだけ痛みますが。
聞くところによれば、選ばれし子供とも呼ばれるらしい彼女達は邪悪な者を倒す為に旅をしているそうですが、あの奇跡があれば如何なる困難にも立ち向かっていけるのではないかと感じました。後世、救世主と語り継がれる存在とはあのような人間のことを言うのだなと、そんなことを思ったりもしています。
とはいえ、一瞬見惚れただけで、僕は彼女達がどうなろうと別に何も関係ありません。
「なあ、知ってっか? 最近、選ばれし子供が負けたって話」
「聞いた聞いた。パートナー諸共死んだって聞いたぜ」
そんなお客様から聞こえてきた話も、別に何も関係ありません。
第二章『月下のけだもの』(前)
狗神の場合
「……遅い」
電脳特急に揺られながら、自然とそんな声が漏れた。
トレイルモン、この世界に広がる線路を駆け巡る成熟期の列車型デジモン。このご時世、乗客は疎らで僕以外は成長期や幼年期の姿しか見えない。下手に高位の連中と同乗すれば奇異の目で見られることは間違いないので、それに関しては感謝しておこう。
元より一つの場所に留まっていることができないのが、神速の王(メルクリモン)たる僕の性分である。
同志であるところの陽炎が「つまりは根無し草ということか」と笑っていたのを思い出す。宿敵と見定めた相手ながら言い得て妙と笑ったものだ。この身には翼こそ無いが、進化と共に碧翼(へきよく)という名を賜った僕は、その名及びメルクリモンという種に相応しく特定の居城や領域を持たず、この世界全域を己が活動範囲としている。神速と謳われる僕の実体を認識した者など、恐らく同志達を除けば数える程しかいまい。僕の脚力は斯様な電脳特急の速度を遥かに凌駕しており、つまるところ僕自身このようなものの世話になる意味もメリットもない。
要するに、気分の問題である。
「おっ、碧翼クン来たねー」
「……幻影か」
密林の前で列車を降り、久方ぶりに同志と顔を合わせた。ディアナモンの幻影(ミラージュ)、僕らの中でも陽炎と並び称される戦女神。
『この世界で死んだ人間の魂を呼び出し、実体を与えることってできるかな?』
どれくらい前になるのか、この同志からはそんなことを持ちかけられた。別段不可能ではない。大多数の皆は気付いていないのだろうが、この世界には無念と共に散った人の怨嗟の声が渦巻いている。英雄であれ、希望であれと召喚された選ばれし子供達の中で、その使命を果たせず散った者達は少なくない。幻影の依頼を受け、僕は自らのシャーマンとしての力を利用してそうした者達の魂を一ヶ所に集めて実体を与えたことがあった。
とはいえ、僕がしたのはそこまでだ。そこから先は幻影に任せたから、その魂どもがどうなったのかは知らないし興味もない。
「それにしても、相変わらず陰気な顔してるわねえ」
「生まれつきだからな、如何ともし難い」
「その仮面、そろそろ取ったら? 少しはマシになるわよ?」
というか、オリンポスであるにも関わらず素顔を晒しているお前や陽炎の方がおかしいと言ってやりたい。
「用件は何だ?」
「碧翼クンにはお礼を言おうと思って」
この奔放という言葉を形にしたような女からお礼? 明日は聖槍グラムの雨が降るかな。
「……何か今、ミラに対して失礼なこと思ったでしょ」
「さてね」
鋭い女だ。森羅の奴もそうだったが、女性型って連中は勘が鋭くてどうも苦手だ。
「ついてきて」
そう言って幻影は鬱蒼と生い茂る森の中へと歩を進めていく。
太陽の光が殆ど届かない密林はなかなかゾッとしない空間ではあったが、僕も彼女も生粋の闇に生きる者だから、そういった意味ではむしろ僕らには相応しい場所とも言えるかもしれない。少なくとも僕は不思議な心地良さを感じているし、常闇に生きる者である幻影とて同様だろう。
踏み付けられた草木が自然と獣道を成している。歩きやすくて助かるのは確かだが。
「……なるほどな」
僕にも得心が行く。やがて開けた空間に見えたそれの正体が。
果たしてそれは小さな村だった。村民達は畑を耕し、木造家屋の前で談合し、少し外れた場所にある茶屋が賑わっている。過疎化が進む山奥の寒村、有り体に言えばそんなところだろうが、そこに生きているのが全て人間だけだという点で、この村は絶対的にこの世界において異物としてしか有り得ない。
この世界に人間はそれ単体で存在し得ない。それは動かし難い事実であるのだから。
■ ■ ■
パートナーデジモン、そんな言葉がある。
音に聞こえた選ばれし子供として召喚された人間と共に並び立ち、世界の危機を救うため邁進する存在のことをそう呼ぶらしい。パートナー、唯一無二の相棒、所詮システムでしかない癖に運命的な縁や絆を感じ得るそれは、大抵の者にとって実に耳障りのいい言葉なのだろうな。僕としては聞くだけで吐き気がするがね。
この世界にとって人間は異物だ。奴らがこの世界に存在すること自体、そもそもがおかしいんだ。
この世界で人間はただ生きていることさえ許されない。電脳世界において有機物である人間は異物として、世界そのものから排除される運命にある。それが創世記から続くこの世界の絶対の真実なんだよ。
パートナーデジモンとは、その不条理に対して構築された延命のシステムでしかない。
元より電脳生命体であるパートナーとの繋がりを以って、人間達はデジタルな世界で存在することを初めて承認される。並大抵の人間はそうして僕らとの縁を持たなければこの世界では数日と生きられない弱い生き物なのだ。パートナーと出会えぬまま、やがて衰弱して死んでいく人間の姿を僕は何度も見てきた。噂によれば、そうした繋がりを持たずともこの世界に存在できる完全なる存在(アブソリュート)と呼ばれる人間がいるという話だが、そんな人間にはついぞ出会ったことがない。
結論を言おう。人間とは脆弱な生き物に過ぎず、そんな脆弱な生き物にに僕らの世界が寄り添わなければならないこと自体、僕には極めて不愉快だ。
何が救済の英雄、何が最後の希望、彼奴らは僕らに寄生しなければ二本の足でこの大地を踏み締めることさえできやしない。数多の魔王や闇の存在は人の手で倒されたと言うが、むしろ人間が関わること自体が魔の者を生む要因となっているのではなかろうか?
『俺は……人間の可能性を信じているから』
いつだったか、僕が宿敵と見定めた男がそう言っていた。
アポロモンの陽炎。太陽の憤怒と慈悲とを体現したような、どこまでも甘い奴。一度立ち会って敗れた屈辱は今も僕を苛んでいるが、何より許せなかったのは奴が人間に対して酷く甘く、そして憧憬を抱いていること。これに関してはオリンポスの同僚である青海や森羅もそうだった。彼らは人間を英雄と信じ、善なる者だと信じている。あろうことか、世界を守護するオリンポス十二神でありながら、人間こそが世界を救ってくれると心のどこかで縋っている。
それが許せなかった。この世界は僕達のものだ、僕達の手で守っていくものだ。
『人間は脆いわよ。……脆くて、儚いわ』
だから、そう言った女は僕の理解者でもあった。
ディアナモンの幻影。陽炎とは対照的に月光の狂気と冷徹さを孕んだ、奔放な破綻者。その性格や口調に反した冷酷さを備えたこの女は不思議と僕と気が合った。彼女の過去など知らないし興味もないが、人間との間に何かトラウマを抱えているように思える。人間に対して憎しみすら抱いている僕とて、無力な彼らに対して積極的に攻撃を仕掛けたりはしないが、幻影はそれがパートナーすら持たない人間だろうと容赦なく襲いかかる。そうして今までに何人もの選ばれし子供の命を奪っている奴だ。
シャーマンである僕には、この世界で散った人間達の魂が見える。転生することのない彼らの魂は、いつまでもこの世界を彷徨い続け、恐らく救われることはない。月の力を司る幻影には、僕以上にそれが見えているのではないだろうか。そうして壊れていく、月光の狂気に取り憑かれ、更に己の苦しみの源を増やしていく。
僕と同じだ。その速さ故に数多のものを見過ぎた僕もまた、とうに壊れているから。
■ ■ ■
「……いい趣味だ」
開口一番、僕の感想はそれだった。
この村に生きる人間達は皆、ただの屍だった。生前の容姿を象ってはいるし、恐らく記憶も性格もそのままなのだろう。だがそれだけだ。一度死んだ彼らに生前の感情が蘇ることはない。故にこの村の者達は皆、何ら映すことはない焦点の合わない瞳で、ただ人だった頃の記憶を元に人間らしい営みを繰り返しているだけのシステムに過ぎない。
畑を耕す男も、井戸端会議をしている女も、茶屋で働く娘も、皆そうしているだけの肉の塊。
「一度死んだ心はね、生き返らせることができないらしいんだ……」
どこか寂しげな幻影の呟きだけが真実だった。
それ以上でも以下でもない。彼らの行為はそれ以上の意味を持たず、故に何かを生み出すことはない。つまり結局は人の真似事でしかないのだ。心は蘇らず、感情を持たないままそこに在るかつて人間だったモノは、ただ人間だった頃の生活サイクルを繰り返しているだけの動く骸だ。
その光景はどこか心地良い。そう感じる僕は、大多数から見れば狂っているのかもしれない。
彼らは今、そこに確かに存在しているのだ。数からすれば数百人から千人程度といったところだろうが、今僕らが見ている生ける屍と同数の不可視の魂として世界を彷徨しているより遥かにいいはずだ。少なくとも数多の無念と怨嗟の声に苛まれてきた僕、そして幻影にとっては。
「いい趣味だ」
もう一度、噛み締めるようにそう告げた。
メルクリモンの持つシャーマンとしての力で死した人間の魂を集め、その魂にディアナモンの持つ催眠術で生きていた頃の夢を見せている。この世界は精神が具現化することで知られる世界――何せ電脳精神(デジメンタル)と名付けられた伝説の至宝(アイテム)が存在するくらいだ――である故、己を生きていると認識した魂は自然、生前の頃の姿を象ることになるのも必定だった。
心が死んだままである以上、彼らにこの村から離れるという選択肢は無い。無残な死を迎えた者なら、魂に染み付いた恐怖からデジタルモンスターと出会うことすら本能的に恐れるだろう。
「魂の牢獄……そんなところか」
「当初想定していたのとはちょっと違ったけど、結果的にそうなったわね。まあちょうどいいんじゃない? 私もそうだけど碧翼クン、キミは死んだ人間の魂を見るのに飽き飽きしていたんでしょ?」
「違いない」
思わず笑みが漏れた。幻影の言う通り結果的にではあるが、これは始まりの町の再現だ。
死した皆が生まれ変わり、新たな生を始める場所。十闘士だか三大天使だかが守っているというその場所とそのシステムに、奇しくも僕らが築き上げた村は酷似していた。だが正確に言えばここは始まりと呼ぶには相応しくないか。彼らは何も始まらない、ただそこに在るだけだ。彼らの時間は既に終わっている。
なるほど、世界が綺麗になるわけだ。選ばれし子供、世界を救うシステムの一環として召喚されるも、役目を果たすことなく死んでいった人間達。リアルワールドの輪廻転生、デジタルワールドの転生、どちらの理からも外れ、世界をただ彷徨っていた魂を一つの場所に留めておく為のシステム。
ならば名付けよう。ここは時が止まった者達の集う場所、屍者(おわり)の村だと。
■ ■ ■
世界を巡っていると、時折珍しい者に会うこともある。
「見ねェ顔だと思ったが、オリンポスの狗神様じゃねェか」
不躾にそんな声をかけられた。
特に意味があるわけではないのだが、僕は定期的にトレイルモンの世話になるようになっていた。他に誰も乗客のいない車両の中、四人掛けの席にダラリと背を預けていた僕に声をかけてきたのは、果たして音に聞こえた暴食の魔王だった。
「おや、これはこれは珍しい顔を見たね」
「そいつァこっちの台詞だ。目にも留まらぬ速さで世界を駆け回ると言われたテメエが、のんびり電車で一人旅たァどういう了見だ?」
言いながら、ベルゼブモンは僕の正面に座り込む。少しばかり狭いのだがね。
「たまには何かに身を預け、景色を楽しむというのも乙なものだよ」
「そんなことを言うタマかよ、テメエが」
クククと笑う魔王。醜悪な牙がカチカチと鳴って実に不愉快だった。
「君こそ愛車はどうしたんだい」
「……ま、似た者同士ってこたァな」
それきり僕らは会話をやめた。究極体(おとこ)同士で相席して語り合うこともない。
魔王とオリンポス、本来なら相容れぬはずの僕らは、それきり互いに頬杖を付いて窓の外を眺めるだけだった。自分で乙なものと言っておきながら、一面に広がる荒野はお世辞にも見ていて面白いものではない。確かこの荒野の先に広がる森、そこに今も幻影の奴が守るあの村があるのだったななどと考える。あれ以来、あの村には時折足を運んでこそいるが、少しずつながら住民が増えているようだった。それはつまり、この世界に訪れて死んだ人間が今もいるということに他ならない。
まあ僕にはどうでもいいことだ。少なくともあの村ができて以来、世界を彷徨う人間の魂を見ることはない。それが心地良い。
「……どいつもこいつも人間臭ェ」
「え?」
ポツリと、そんな呟きが聞こえた。
魔王らしからぬ弱々しい言葉に、僕は思わず正面に座る者の顔を見てしまった。きっとその呟きは誰に向けられたものでもない。それでも変わらず窓の外を見つめ続けるベルゼブモンの横顔は、どこか寂しさを宿しているように見えた。
求めているものがある。けれど、それが見つからない、求めるものが何なのかもわからない、そんな表情に思えた。
「勇気も友情も愛情も知識も純真も誠実も希望も、全部否定しやがるのがこの世界だろうがよォ……なのに、テメエらは人間臭すぎんだよ……!」
呻きにも似ていた。ギリと噛み締められた口の端は、確かな苦渋に満ちていた。
「テメエの同類も似たようなもんだったな。呑気にレストランなんぞ経営してやがった」
「……森羅か」
高い実力を持ちながら、料亭の店長に甘んじた同志の顔を思い浮かべる。暴食の魔王は彼女に会ったのだろうか。
「テメエはどうだ? 狗神の兄ちゃんよォ」
「僕は僕だよ」
「そうだな、テメエは人間が余程憎いと見えらァ」
僕の心を見透かしたように、額の瞳だけを向けて魔王は笑う。
「俺の七大魔王(おなかま)も人間に過度の期待を抱いてる奴らばかりで辟易してたもんよ。別に見つけ次第殺せたァ言わねェ、必要以上に敵視しろとも言わねェ……だがな、人間じゃねェ俺らが人間の猿真似をしたところで何になる?」
「君は巷で言われているより聡いようだ」
言ってやると、ベルゼブモンは「あん?」と憎々しげにこちらを見た。
言うまでもない、これは挑発だ。かつて幼い者が暮らす村を守っていたという森羅を圧倒した――情けない奴だ、守ることにかまけて己を高めることを放棄するからそうなる――という暴食の魔王の力、一度この身で味わってみくもあったからね。
しかし同時に感心したのもまた事実だ。世界を回る中で僕が聞き知ったベルゼブモンという奴は、ただ戦いだけに明け暮れた戦闘狂だった。だから僕も暴食の魔王とは野心も信念も持たず、ただ戦いたいから戦い、殺したいから殺す、そんな単純な存在だと思っていた。でも今僕の目の前にいる痩躯は、そうして勝手に抱いていたイメージとは真逆だった。
人の噂ほど当てにならないものもない、そういうことだろうか。
「テメエともいつかやり合うことにならァな」
「……今はやらないのかな?」
「今は少しばかり興が乗らねェ、それにやり合うなら互いに全力でねェとな」
まだ力が完全ではない。そう匂わせて暴食の魔王は席を立ち、車両を出て行く。
見逃してもらったのだと思うことにする。森羅のように無様に一蹴されるつもりはなく、死に物狂いで食い下がることぐらいはできるだろう。だが情けないことに、僕もまた魔王に勝つビジョンは全く見えなかった。少なくとも頭の中で思い浮かべた想像模擬戦で四回は殺されている。
あれで全力ではない? まだ先があるだと?
「……ハッ、面白いね」
乾いた笑いが漏れた。比喩ではなく、気付けば喉がカラカラだ。
「僕は僕だ……か」
先に口にした言葉を反芻する。なんて曖昧な言葉だろうとも思うが、同時にそれは確かな真実でもある。
そう、僕は僕だ。陽炎とも幻影とも森羅とも青海とも山雷とも違う。
オリンポス十二神が一、メルクリモンとして僕は生きている。有事が来れば共に戦うことだろう、協力を仰がれれば力を貸すことも吝かではないだろう。青海が今の姿に到達する前は森羅の料亭をしばらく手伝っていた時期もあるし、此度のように幻影の戯れに付き合うことだってある。それでも僕の生き方は当代のオリンポスにおいて他の誰とも重ならない。ただ己の神速の脚力を以って、この世界を駆け抜けるのみ。
人に憧れる陽炎や森羅、屈折した思いを抱いているだろう幻影。
僕は彼らとは違う。僕らの世界は僕らの手で守らなければならないと思っている。人間の存在そのものを否定するつもりはない。それでも人間の手が加わる度、どこか僕らの世界が歪んでいくような感覚は消えずにいる。そうした意味で、僕は暴食の魔王の言葉に込められた真意がとてもよくわかる。
僕は僕だ。それ以上でも以下でもない。
「僕は……人間が嫌いだよ」
だからそれだけは、絶対に譲るつもりはない。