ー序ー
1997年に存在が公表された電脳世界デジタルワールド──その始まりは1940年代、戦中戦後期における電子デジタル計算機器の開発に端を発するとされている。
デジタルワールドは誕生以来、現実世界におけるデジタル技術の進歩と共に急速な拡大と発展を続けてきたのだが、その歴史は決して平穏なものではなかった。
この世界の住民であるデジタルモンスター、略称デジモンはコンピュータウィルスを起源とする電子生命体であり、彼らもまた現実世界の生物と同じように進化と発展を繰り返していたが、当然その過程においては各個体、種族ごとの利害により対立、抗争が起きる。
有名なものとしては、デジタルワールド黎明期における人型と獣型のデジモンに分かれての長期戦争と、その後に勃発した通称〝反逆戦争〟が挙げられるが、前者については〝神〟と称されたある一匹の天使型デジモンの出現により呆気なく終結した。
そして、後に『ルーチェモン』と命名される彼の統治により、漸くデジタルワールドは太平の時代を迎える──魔神の掌上で偽りの平和を享受する時代が。
ー壱ー
何と奇怪、何と悍ましき姿だろう。
彼の貌は覆面の下に隠れ、見えるのは丸く不気味に光る金の双眸のみ。その身体は巨大な姿見のようで、脚らしきものは全く見られない。身に纏う深緑の法衣の袖も虚なあたり、どうやら腕もないらしい。
「お引き取り願います」
奇怪な姿見──その身に宿す属性から『鋼』と称されるデジモンが、抑揚の無い声でそう言った。
「私の命は王の命。それに従わぬと言うのか?」
王、即ち争乱を鎮めたかの天使より反逆者討伐の司令官を仰せつかった自分に対して何という無礼。
蔑むように目を細め、紫羽の扇を気怠げに揺らす『鋼』の姿は、正に不遜が衣を着て歩くが如し。
「此度の事を王に隠しておきながらその威を借りようとは呆れたものだ……我と我が配下どもの命は、王の支配を万全とするためにある。貴公の我儘に付き合い無駄に散らせたとあっては、王に申し訳が立たぬ」
腹立たしい奴。デジメンタルも無しに完全体のさらに先の進化をしたという変わった経歴と、少しばかりの知恵を以って王の信頼を得て大陸の一角の統治を任されたこのデジモンは、己を余程高尚な存在だと思っているらしい。
「そもそも、『土』めが謀叛を企てたというのも噂ばかりでその証は一向に見つからぬ。貴様、偽りの罪を仕立て我と彼奴とを争わせるつもりではあるまいな?」
瞬間、『鋼』の背後から甲冑を纏った三つの影と、その手に煌めく白刃が躍り出た。
賢しら者よ、余計な知恵なぞ付けたがばかりにその命を落とそうとは甚だ滑稽。斯くなる上は、目障りな『土』を消す序でにこの愚昧な鏡獣も抹殺してやろう。
そうだ、王には「『土』と『鋼』が共に謀叛を図った故、我自ら軍を率い反逆者どもを討伐せり」とでも言って──
「失礼、よく聞こえませんでしたが……私が何ですと?」
地鳴りのような声と共に振り下ろされた巨拳が哀れなデジモンの脆弱な躰を叩き潰し、血飛沫の如きデータの奔流を噴き上げた。
大いなる深淵の主、星辰統べる神々の皇、我汝が加護を以て邪を降し、魔の牙をして我が刃とせん。今こそ来れ、這い寄る混沌。闇夜に吠ゆる■■■■■──
「旧神之印─エルダーサイン─」
黒く澱んだ影が、ひしゃげた甲冑と砕けた剣の残骸を抱えて歪な星の一つ目に沈んでゆく。
「良き酒が手に入ったなどと言うから来てみれば……まんまと騙されましたよ」
『土』と呼ばれる、火山を背負った隕石のようなデジモンがぶつぶつと文句を垂れた。
「嘘は言っておらぬ。あの莫迦が来たのは偶々だ」
『鋼』が懐──もとい懐の内側にある身体の鏡から赤茶色の瓶を取り出し『土』へと投げてよこす。
「美味、ですが些か少ない」
「贅沢を申すな」
この時代の現実世界は、現在ほどデジタル機器が普及していない為、デジタルワールドとの繋がりも薄い。そんな中で手に入る人類の生産物、とりわけ酒類をはじめとする嗜好品は、この上なく貴重なものだった。
それにしても少なすぎやしないかと首を捻る『土』。『鋼』が手にした酒の殆どを配下に恩賞として配るか、実はいける口の彼が自分で飲んでしまうせいなのだが、無論『土』がその真相を知る由も無い。
さて、隣り合う二つのエリアを各々の縄張りとするこの二匹の素性について話を移す。彼らはデジタルワールド創成期の血脈を今に伝える古い種族の末裔であり、人と獣が争っていた時代からの腐れ縁。
かの争乱が鎮まった後ルーチェモンによってその配下に組み込まれ、大陸の一部エリアとそこに住まうデジモン達の統治を任されていただ、それは『鋼』『土』の両名に備わる高い戦闘能力と、各々の支配地域に及ぼす絶大な影響力に利用価値を見出したルーチェモンの打算によるもので、また彼らもルーチェモンに与する事で得られる様々な利益と引き換えに従っているに過ぎない、極めて希薄な主従関係であった。
ルーチェモンの配下には、彼らのように打算的に従う者も居れば、かの天使が持つ絶対的な力と彼が齎す無慈悲ともとれる程厳格な秩序を信奉した真の忠臣もいる。両者に共通する点と言えば、彼ら自身もまた尋常ならざる力を持った強者の集まりだということ。
人と獣の争いを鎮めた後のルーチェモンは、彼らの中から選りすぐった強力なデジモンを幾つもの軍団に分け、ある者は己の軍兵として手元におき、またある者はデジタルワールドに点在する大陸の各エリア、或いは群島や海域などに領主として配置した。
中でも特に強力だったのは、〝古代種〟と呼ばれる古い遺伝子を持つ者達で、『鋼』と『土』もこれに該当する種族である。それに加えて、彼らはこの時代において進化の最終段階とされていた完全体の更に上の段階に達したという恐るべき経歴の持ち主。多くの将や領主が元の縄張りを取り上げられる中で古来からの自領をそのまま治める許可を受けているのも、彼らでなければ土着の凶暴なデジモン達を御し得ないからであった。
「しかし、何故私なんですか? 貴方は兎も角、謀叛を起こしそうに見えますかな?」
「……喧嘩なら買うぞ。丁度アレも腹を空かせておる」
未だに消えない歪んだ五芒星の陣から立ち昇る黒い何かが、生きた蛇の如くその身を捩った。
「それはご勘弁を」
「謀叛の件に関してはあれだ、お前が預かっているあのデジメンタルが目的だろう」
「あー……成程、分かりました」
デジメンタルは、古代のデジタルワールドで進化の補助に使われていたアイテムの一つであり、ある特性──とりわけ、勇気や愛情、誠実といった世間一般に好ましいと思われる性質をより強く深く持ったデジモンがその生涯を終える時、極稀に生じるものである。
そしてこのように不安定な生成過程を経るが故にデジメンタルは大量には存在し得ず、現代と比較して進化の幅が狭かったこの時代のデジモン達からは極めて貴重な品として扱われていた。
人獣争乱以降、世界に存在するデジメンタルはルーチェモンと配下達によって回収され、その管理下に置かれることとなった。そして領主のひとりである『土』もまた、ルーチェモンから勇気と知識という二種のデジメンタルを預かっているのだが、これらは元から彼の管理下にあった訳ではない。その前任──先程『土』が叩き潰した重鎧の騎士の持ち物であった。
では、何故、彼はデジメンタルの管理者から外されたのだろうか? 答えは単純、それに必要な能力が無いと主から判断されたからだ。
武勇誉高く、偉大な王と自らが信奉するルーチェモンからも直々に命を下される己に絶対の自信を持つ騎士にとって、禄を食むだけが目的の連中に出し抜かれるなど屈辱以外の何物でもない。挙句、王から下賜されたデジメンタルすら取りあげられたばかりかよりによって下賤な『土』なぞに譲られようとは。
彼の怒りは『土』を殺す事でしか収まらない。その為に偽の謀叛をでっち上げ、隣域の『鋼』を巻き込んだ討伐作戦を敢行せんとした訳だ。
そして結果は先述のとおり。
「己が武に慢心し栄える他者への嫉妬に狂う……いやはや、武人というのはどうにも理解出来ませんな」
「矜持なぞ持つだけ無駄という事だ。害にはなるが利にはならぬ」
そう言って『鋼』は半分原型を失った騎士の死骸を抱え上げ、漆黒が蠢く五芒星の中心にそれを放り込んだ。
鎧の破砕される金属音と、血肉を噛み締める湿った咀嚼音とを響かせて、外なる邪悪の徒(ともがら)は狂宴に耽る。五芒星の隻眼、炎の形のその瞳は不気味に揺らめいていた。
鰐梨様、初めまして。序章並びに伏魔の章-壱-を拝読させて頂きましたので、僭越ながら感想を書かせて頂ければと存じます。
1997年にデジタルワールドが発見されたというのは、初代デジモンの発売とかけているのでしょうか。そこに限らず、こうした現実世界とのリンクが設定されている世界観は好みです。前世紀中頃の戦中期に端を発するとのことですが、この時期=デジタルワールドの創生期なのか否か……壱の内容とも関わりますが、これはどうもルーチェモンの治世時期のようなので人間界では20世紀半ばなのか、そういった点などを考察させて頂くのが実に楽しそうな作品であるとお見受けしました。
今回、壱の文中では「鋼」及び「土」と描写されておりましたが、まあ要するに彼らはそういうことなのでしょうが、しっかり「完全体より更に先の進化」と明記されておりニヤリ。究極体という概念がまだ判然としていないらしき描写が良い。そもそもこの時期がエンシェント(古代)っぽいので、さてはエンシェント〇〇という名前は出てこない説が……?
ルーチェモンの配下にあるということなので、後の歴史あるいは公式設定を鑑みるに反逆する日が来ることが予想されますが果たして。デジメンタルの名前が出てきた辺り、あの至宝も絡むのでしょうか。
取り留めのない内容になってしまいましたが、今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
次回もお待ちしております。