「帰れ」
「いいじゃないの。今暇でしょ?」
『水』は『鋼』の苛立ちを気にする風でもなく、普段通りの軽い口調で返した。
「たわけ、この時分に暇な訳があるか。いいから早く帰ってくれ」
「大事な話よ。真面目に聞いて」
いつになく真剣なその声に、『鋼』が無言で振り返る。『水』の手には見慣れた赤茶に逆巻く『白波』──
「こないだのお酒がもう無くなったわ」
轟音が響く。『水』が横に架けておいた筈の金の三叉鉾(トライデント)が彼女の頭のすぐ脇──手にした酒瓶の下半分を砕いて背後の石壁に深々と突き刺さっていた。
「冗談よ。ホントに短気ねぇアンタは」
「……早く話せ」
鉾の柄に絡めた法衣の袖を解き、『鋼』は眼前の人魚を睨み付ける。
「『闇』が動いたわ。ウチの連中が昨日火山の方に走って行くのを見たって」
「今更だな。だが、少なくとも『炎』と組むことはあるまい」
『鋼』は卓上の地図と、長らく開いていない書簡の山とを横目で見遣りながら答えた。
「随分と楽観的ねぇ……根拠は?」
「あちらには『光』が居る。あれと『闇』とは決して相容れぬ故……」
岩と蘚苔に覆われた荒野を、逢魔時の黒が包む。枯れ果てた骸を撫ぜる晩秋の風が、漆黒の空へと抜けてゆく。
──『光』は何処。『光』や憎し。
悍ましき獅子の咆哮は総てを亡ぼし、赤き双眸は生命あるものの悉くを無へと帰す。
『闇』の主はひた走る。銀光輝く火の山へ──
酷暑の季節は遥か昔、『炎』が治める竜の里は短い秋を終えようとしていた。
領主三名の不穏な動向が確認されてから二月程の時が過ぎたが、あの後彼らの軍に動きはなく、それどころか潜伏していたイガモン達の気配さえも消えた。
「こうも動きがないのは不気味だな。奴ら何を企んでいる?」
「案外諦めて帰ったとかじゃねえの? それかあのガキンチョのワガママに付き合ってて戦どころじゃなくなったか」
青い外骨格の巨大な甲虫──『雷』が、疎らに木々の生える谷川の岸壁を覗きながら答える。
「それならばいいんだが、今回は『鋼』が参謀についている以上何かしらの罠という可能性も捨てきれない。すまんがもう暫く付き合ってくれ」
「分かってる。『木』と『土』もあの見てくれのわりに狡賢い野郎だし、アイツら何するか分かったモンじゃねえからな」
今までルーチェモンの命を受けた軍は出撃から制圧まで一ヶ月以上をかけることはなかった。悠長な作戦は癇癪持ちの幼王の機嫌を損ねるからだ。
だが今回はどうだろう。攻撃どころか偵察要員すら短期間で引き上げ、その後は火山地帯のデジモンに対して何ひとつ行動を起こさない。『雷』の領域でも『氷』の山でも、それどころか他の地域すら王軍の襲撃を受けた話を聞かなくなった。
その代わり『炎』を悩ませているのが、最近里やその周辺地域の竜たちに蔓延る病だった。極度の緊張状態が続いた上に急激な気候の変化が影響したためだろうか。
悪い事に、主要戦力となる成熟期の者たちへの影響が特に顕著である。腹を下す程度ならまだ良い方で、酷い者になると僅かな身動きすら出来ない有り様。数名の古老が些かの薬草の知識は持っていたものの焼け石に水で、竜達の戦力は大きく削がれたままであった。
「領主共が大人しくしているうちに竜たちの体を治してやりたいが、何せ原因が分からないからな」
「だが、これだけ流行ってる病なら奴らの兵だって当然罹ってるだろう。向こうもすぐには動けねぇさ」
実際『雷』の配下達が調べたところ、病が流行り始めた時期に『木』と『土』が『鋼』の領地から数度に亘って薬らしきものを運び込んでいることが分かった。彼らが引き上げたのはこの疫病に手を焼いている為か。
「しかし長、あちらが持つ薬は我々のそれとは比べものにならぬ効き目があると聞きます。里の竜が治るより先に奴らが作戦を再開するかもしれませんぞ」
灰色の老竜が『炎』に耳打ちした。
『鋼』の縄張りには現実世界にある製薬会社がデータ通信に利用している領域があり、彼はそこから種々の薬品を調達出来る。敵方が病に罹っていようがいまいが、現在の状況が彼らに有利なことは変わらなかった。
「そういえば、『風』はどこに行った?」
「『木』の領域が気になるから探って来る、と仰っておりましたが……」
『風』は『光』の旧知で、太古代に生きた鳥系デジモンの子孫である。彼女はその飛行速度に加え、望んだ場所に虹を架けることで如何なる場所でも自在に移動出来るという驚くべき能力を持っていた。
生来の自由闊達な性質故に束縛を嫌う彼女はルーチェモンによる強引な支配を良しとせず、縄張りを持たずにデジタルワールド各地を渡り歩く生活を送っていた。
そんな彼女が『光』と面識を持ったのは道中で出会った彼と丁々発止の斬り合いを演じたことがきっかけであるが、理由等の詳細は省く。
兎も角、二匹はその後親交を結び、『風』は彼の旧友である『炎』への協力を快諾した。
「少しでいい。何か一つでも分かることがあれば……」
悲痛な祈りの傍ら、岩陰の亀裂から窺う二つの眼に気付く者はいなかった。
大陸中央部よりやや北寄り、広大な樹海の西側が『木』の縄張りである。『雷』の領域と接するこの地域は古くから肥沃な土壌と豊富な草木を求めた植物型や昆虫型のデジモンが集う場所として知られている。
『雷』『木』両名が樹海の覇権を巡って争った末、東西に二分して治める今の状況に落ち着いたのが十数年前のこと。
暫くは平穏を保てたものの、ここ最近は小規模な争いが連日のように発生し不穏な様相を呈してした。
「──とは聞いていたけど……見張すら居ないなんて変ね」
件の虹を使って入り組んだ樹海の樹々の隙間を抜ける『風』は、普段境界付近に待機している『木』の兵がその姿を消している事に違和感を覚えた。
彼らだけではない。戦闘に加わらない幼年期や老齢のデジモンも、その痕跡を一切残さずこの場所を去っていた。
「集落丸ごとでの移住……大移動とやらは噂だけじゃないみたいね。でも彼らは一体何処へ?」
ルーチェモンの勅命を受けた作戦であれば一刻も早くケリを付けなければいけない筈だ。だが、その為に新たな兵士を募ったとしても子供や老齢個体まで戦場に駆り出すだろうか。
生存能力に劣る彼らを幾ら投入したところで時間稼ぎにすらならないのは明白で、数々の戦を経験した『木』なら当然この事を心得ているだろうが……
結局、『風』はそのまま樹海を離れた。彼女に眠る本能がこの地に長く留まることを拒んだのだ。
ついでに『土』と『鋼』の領域も探ってみようと行き先を北に向けた『風』の上空から、群青の矢が襲い掛かった。
「‼︎」
咄嗟に身を躱して相手を見やれば、それは青い金属の翼竜──プテラノモンと呼ばれるアーマー体デジモンだった。
「愛情のデジメンタル……『鋼』の部下か? 何故私を襲う?」
「白々しい奴……『風』の剣士──貴公が竜の里と通じているのは分かっておるぞ」
何故か所々が破損しているそのプテラノモンが、軋みと共に声を発した。
「……部下の亡骸を身代わりに遠くで見物とはいい趣味ね。『氷』が下衆呼ばわりするのも納得だわ」
『鋼』に魔術の心得があるのは噂で聞いていたが、ここまで悪趣味な業があると誰が想像出来ただろう。『風』の背筋が嫌悪感で凍り付く。
不意にプテラノモンがその鋭利な鼻先を向けて突進する。『風』は翼を畳み、身体を沈めてこれを避けた。その青い身体が先程まで彼女がいた空間に入った瞬間、細剣の一閃が金属の外殻を両断した。
投稿がお早いのは非常に心地良い夏P(ナッピー)です。
デジメンタル絡んできた! そーいや以前にもどっかで名前出てきたなーと以前の内容を読み返したりもしましたが詳細は判然としないのであった……プテラノモンって属性的にはむしろ『風』側っぽいのではないのか!? とも思いましたが、デジメンタル+鋼の装甲的にもやはり『鋼』か。と思ったら即座に真っ二つにされた悲劇。エンシェントイリスモン鬼つええ! 逆らう奴ら全員ry
そして待ちに待った『闇』登場! 個人的に一番好きな古代闘士! めっちゃ造反というかオンドゥルラギッタしそうな展開ですが楽しみ! そういえばエンシェントガルルモンと対になる存在とか言われてる割に別段ぶつかり合ったとかそういう設定無いんですもんね。『炎』を傍から見つめる目は『闇』のそれかとも思いましたが、それだと到着早すぎるので違うっぽい? そして老齢の灰竜って誰だ……。
冒頭の『水』『鋼』のじゃれ付き合い(?)からしてそうですが、後半の『炎』『雷』も同じくこの人ら数少ない究極体で各勢力を有している割に伝令や間者を遣わさずに自ら赴きまくるの律儀ッスね……。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。