デジタルワールドに現存するほぼ全てのデジモンは、絶滅した十系統の古代種からデータを受け継いでいるとされている。
これらの古代デジモンは、デジタルワールドにおいては歴史上の英雄という立場で語られる事が殆どであるが、実はデジモンの研究分野においても極めて重要且つ興味深い存在である。
謎多き十種の中でも特に研究が難航しているのが、エンシェントワイズモンと呼称される古代突然変異型のデジモン。種名に魔法世界ウィッチェルニーの魔人ワイズモンの名が入っており性質も似通ってはいるものの、データ解析の結果から両種はそれ程近縁ではないことが分かっている。
現在ではワイズモンからエンシェントを冠する究極体への進化方法が確立されてはいるが、これには特殊な用具が必要であるため種本来の進化ルートは別にあると考えられている。
では、その正当な進化元はどんなデジモンなのか? 結論を言うと、その詳細は今に至るまで何一つ分かっていない。
他の突然変異系デジモンと同様、このエンシェントワイズモンもまた進化時に行われるデータ複製過程における異常により発生した種であり、それ故に進化元のデジモンを推察するのに必要な部分のデータ配列が悉く破壊されていることが、本種の正体を闇の内に隠しているのだ。
この異常が発生した原因もまた謎に包まれてはいるが、おそらくは太古の世界における環境の激変と、本種の置かれた劣悪な生育環境からくる過度のストレスが突然変異を引き起こしたのだろうという説が有力である。
さて、古代種というのは得てして現生デジモンより高い戦闘能力を有しているものだが、本種もその例に漏れず強力な必殺技を行使出来た。
その一、異世界の座標を割り出し、外敵をその場所へ永久に幽閉する『ラプラスの魔』。
膨大な座標データを瞬時に分析する本種の傑出した頭脳を最大限に活用した技であり、その制御には異世界の入口となっている身体の大鏡が使用されていたとする見方もある。
その二、異世界の邪神を召喚する『エルダーサイン』。この技で呼び出す邪神の力は凄まじく、半端な実力のデジモンが受ければ即死する事も有り得る、純然たる破壊の術であった。
だが、仮にも"神"と呼ばれる存在を己の都合の為に呼び出す訳だから、当然それに対する"代償"も支払わなければならない。そして、それには受けた恩恵の大きさに見合うものが求められるのは言うまでもない……
名状しがたき闇の澱がこの身を蝕む。
──生命を捧げよ。足りぬ、足りぬ──
全てを見通す叡智。大いなる邪神の腕(かいな)。
獲物を屠る爪牙、大地を馳ける四肢と引き換えに得た対価──こんな物で己(おれ)に何を為せと云うのか。
この忌々しい躰とそれを齎(もたら)した己の血を呪う。
哀れな鏡獣の、無い筈の喉の奥底より這い出る呪詛の声に、耳を傾ける者は居ない。
「王、我らが領主はいま病に伏しております。どうか……」
「うるさいなぁ、黙ってろよ」
王──ルーチェモンは自分を押し留めようとした無礼者の頭を裏拳ひとつで弾き飛ばした。
「うわ、何それ」
鉄の大扉を開いて中を覗いたその瞬間、白亜のような顔が嫌悪の色に染まる。
目の前で蹲る『鋼』の身体には触手の如く細く寄り固まった暗黒が纏わり付き、何かを吸い上げるかのように絶えず脈を打っていた。
エルダーサイン──外宇宙の神々と約定を結ぶその代償は贄の魂。初めは幼子達の、その次は成熟期の、完全体の、それでも足りぬ時は『鋼』自身の生命を喰らう。より強く、より多くの贄を求める邪神の暴威は術者の命が尽きるその時まで止まらない。
「呼び出し。まさか来ないとか言わないよね?」
苛立ちの声。鈴を鳴らすように美麗なその声色が、今の『鋼』には酷く不快な雑音に思えた。
「この躰では動く事も叶いませぬ。此度ばかりはお許し願いたい……」
「言い訳禁止」
ルーチェモンは『鋼』に喰らい付く暗黒の触手のうちで一際長大なものを手荒に掴み、ひと息に引き抜いた。
「……ッ‼︎」
五体を引き裂かれたと錯覚するような激痛。電脳核の直近に食い込んだ触手を強引に剥がされたのだ。身体を引き攣らせ、叫び声を噛み殺してその重苦に耐える。
一方、のたうち回って絶叫する無様な姿を期待していたルーチェモンは目の前の『鋼』が思った反応を示さないので興が醒めてしまったらしい。
「つまんない奴だなあ。ま、今日のところはこれくらいで許してやるけど、次は無いからね」
踵を返して去ってゆくルーチェモンの背後、『鋼』の胸中に滾るどす黒い殺意がこの傲慢な天使に牙を剥くのはまだまだ先のこと──
「ルーチェモン様、あやつを放っておいてよろしいのですか?」
「何か問題でもあるの?」
傍に侍る、魔導士の装束と騎士の甲冑を混ぜて身につけたようなデジモンに問いかける。
「『鋼』は執念深く狡知に隠れたその本性は甚だ獰悪と聞きます。此度の事を怨んで我らに反抗せぬとも限りません。今のうちに始末されては如何でしょう?」
「いいよ。どうせ大した事も出来ないだろうし」
「左様ですか……私、どうにも胸騒ぎが致しますが」
ふと、芝居がかった仕草で手を広げたルーチェモンが赤い月光の下に躍り出る。
「反抗するならそれはそれで大歓迎。僕に逆らったその時は……今日のことなんか忘れるくらい苦しめてやる。地面に這いつくばって僕に許しを乞うまで痛めつけてやるんだ。ああ、楽しみだ……」
心底楽しそうな様子で語るルーチェモンの頭上で、不吉な赤光の冠が揺らめいた。
「それでキッつーいお仕置き食らったって? やだ超ウケる」
群青の兜と魚鱗を持つ人魚──『水』と呼ばれる海の女王が翡翠色の空瓶を片手に揺らしてケラケラと笑った。
「口調だけ若ぶっても歳は誤魔化せんぞ」
ルーチェモンとの一件から早一週間。『鋼』は未だに不機嫌だった。君主とはいえまだまだ未熟な子供に弄ばれた屈辱が未だ胸の内で燻っているのだ。
「相変わらず失礼ねぇこの下衆鏡……一応言っとくけど、仕返しは考えないことよ。あの方はただの子供じゃないんだから」
「言われずとも分かっておる」
偉大なる神の使い。平和の使者。進化の極地に辿り着いた者ですら容易には抗うことの出来ぬ絶対の力──それがルーチェモンという存在。あれでも未だ成長の途上にあるというのだから恐ろしい。
邪神の腕に触れておきながら何の害も受けない程に高まった聖なるエネルギーと、追随するかのように日々増してゆく残虐性──特に後者の変化は目覚ましく、例えば先日『鋼』に対してやったような、或いはそれ以上に苛烈な懲罰を座興や暇潰しの代わりに各地の領主や側付きの兵などに対して行う事はほんの序の口、時には彼のやり方に反した者の住処と付近一帯を全て焼き払い、そこにいる一切の生命の痕跡すら残さないという非道さを見せた。
かの天使の中で蠢く邪悪な何かが目覚めんとしている。それを示すかのように、彼の悪辣な振る舞いは時を経て顕著になっていった。
「しかし……何とかの邪神……エルダーサインだっけ? あの黒いのも強いけど、身体に悪いのは考えものよねえ……違うヤツと替えられないの?」
それが出来るならとうにしている──『鋼』は深く溜息を吐き、首を横に振った。
「この姿になった時点で既に"契り"は結ばれていたからな。今更引き剥がす事など出来ぬ」
「何それ、とんだ不当契約じゃない……アンタも意外と苦労してんのね」
そう言うと、『水』は赤茶色の瓶の封を開けてその中身を喉に流し込んだ。
「良いわねこれ。五本くらい貰って行っていい?」
『水』は未だ封の切られていないもう一本の酒瓶を手元に引き寄せながらそう言った。
彼女は人間の文字に詳しくないので本当の名は知らないが、荒波を描いた札と、自分が判読出来る数少ない仮名のうちの一部、"さつま"の三文字でこの目当ての酒を判別していた。
「欲深な奴だなお前は……酒ならば自分の領地にもあるだろう」
「質が全然違うのよ。何でか知らないけど、此処に集まるヤツは格別なの」
兜で目元は見えないが、その仕草から彼女が酩酊しているのは明らかだった。呆れた様子の『鋼』は『水』の眼前に赤茶色の瓶を一本差し出した。
「残りはこれだけだ。お前も少しは慎め」
『鋼』の傍らを見てみると、満杯に詰まっていた筈の数本の酒瓶が、今差し出した最後の一本を除き全て空になっている。いつも思うが、『鋼』はこの体でどうやって飲んでいるのだろうか? 『水』は密かに首を傾げた。
「あ、そういえば聞いた? 火山地帯を攻める計画があるって話」
「その件ならば、先日此処へ来た莫迦が犬死にした所為で全て白紙に戻ったぞ」
微塵も興味が無いと言わんばかりの淡々とした調子で、『鋼』はそう言い放った。
「もう他人事なのねアンタ。ま、そういうこと……ただ、向こうの軍団長が躍起になっててね。いつになるかは分からないけど、また兵を出すのは確実でしょうね」
「火山の竜族──今の王軍に、アレをどうにか出来るとは思えぬがな……」
火の山に住まう竜達の長──『鋼』や『水』と同じ、デジタルワールド創成期の血を今に伝える古代竜の末裔。
『炎』の力を宿す、竜族最強の戦士。
尤も、王軍の事情などおれが気にする事ではないが……
心中でそう呟き、『鋼』は外に広がる池の水面に目を向けた。
揺らめく水鏡に映る月影は、不気味な程に赫く染まっていた。
投稿がお早い! 素晴らしい! 夏P(ナッピー)です。
というわけで順調にフラグ建てが行われておりニヤリ。最後の一文的にいずれルーチェモンは倒されるべき者として堕天(フォールダウン)するということなのか。でも偉大な紙の使いとか言われてるしな……明らかに邪悪なる力の使い手でありながらそう称されているというのを見る限り、ルーチェモンの生い立ちにも触れてくださるのでしょうか。文中にも聖魔どちらの力も有していることの意味(伏線?)が記されているので、そこを深堀される日をお待ちしています。
十闘士側に関しましては、前回の「鋼」「土」に続いて「水」が登場。若作り扱いされてましたが、こやつら年齢いくつぐらいなのか……また「水」はルーチェモン様を“あの方”呼びなので尊敬してる感じがする辺り、この時点ではまだ忠実だったりするのでしょうか。
こんな流れで十闘士十人それぞれが決起前にちらほら出てくる感じなのでしょうか。そこは期待です。
それでは今回はこの辺りで感想とさせて頂きます。