※本作は、ぼろんごさん(@borongo0)主催のデジモン二次創作企画「ガブモン系統アンソロジー」に寄稿した作品になります。アンソロ内ではまさかの小説枠大トリという大役を任されましたが、自分の中でも童話「オオカミ少年」を原案にデジモン小説として上手いこと昇華できた一作であると自負しております。
朗読動画も公開しているので、そっちも良かったら聴いて下さると嬉しいな(42分と長いけど……)
https://www.youtube.com/watch?v=2hYUDR0ci20&t=1s
あるところに、狼達が群れで暮らしていました。そこは真っ白な雪がしんしんと降り積もる山の中ですから、狼達は皆雪と同じくらいに白い毛皮で身を包んでいました。ところがその群れの中に、一匹だけ違う色の毛皮を持つ狼がいました。星の無い夜空のように真っ黒な毛皮を持つ彼は、仲間達から『トバリ』と呼ばれていました。トバリは群れの中で一番頭が良く、そして一番正直者でした。
ある夜のこと、群れの誰もが寝静まり、空の色がトバリの毛皮と同じ色に染まった頃、誰かがトバリを起こしました。それは、幼年期の頃からトバリと一緒に群れの中で育った『シグレ』でした。トバリはシグレのことを兄弟のように慕っており、狩りの時も食事の時も、いつもシグレと一緒でした。トバリは初めてシグレの方から話しかけてきたことに驚きつつも、山の麓へ降りる彼に嬉しそうに着いていきました。
「どうしたの? シグレ」
「トバリ、頼む。……俺達のもとを離れてくれ」
「えっ?」
トバリは目を丸めました。シグレは苦悶に顔を歪めながら続けます。
「俺達がまだガブモンだった頃に比べて、今の群れの数は倍以上に増えている。だから、もっと狩りを効率的にしたいんだ」
「……そっか、僕は黒いから……」
「流石に察しがいいな。そうだ、雪の中でお前の体は目立ちすぎる。以前お前抜きで狩りに行ったことがあるだろう? あの時は、いつもより明らかに収穫が多かったんだ。その一件で、話し合うことになって……俺が、伝えることに、なった」
シグレは目を潤ませながら、絞り出すように吐露しました。それを見たトバリは、何かを決意するように口元を固く結びました。
「僕、強くなって戻ってくるよ」
「……え?」
今度はシグレが目を丸めました。
「僕がみんなの分のエサを取って来られるぐらいに強くなれば、またここに戻ってきてもいいだろ?」
「……ああ、そうだな……! じゃあ俺達は、お前が戻ってくるのを待ってる!」
シグレの顔がパッと明るくなりました。白い毛皮に良く似合う、爽やかな笑顔でした。トバリも口元を緩めます。
「約束しよう!」
「ああ、約束だ!」
二匹は互いの額を軽く合わせると、笑顔のままで相手に背を向けました。雪化粧の山を離れ、あてもなく駆け出したトバリは、やがて夜の闇に消えていきました。
──────────
あるところに、とっても嘘つきな少年がいました。木彫りの人形のような見た目をしている彼は自ら『コズエ』と名乗り、周りからもそう呼ばれていました。コズエは嘘つきなだけでなく、とんでもない意地悪でした。だからコズエがたむろしているのどかな原っぱは、いつも彼の周りだけ誰も寄り付かなくなっていました。コズエは今日も大木に寄りかかり、遊び相手という名の意地悪の対象を見定めています。
「あー、暇だなー。ムゲンマウンテン噴火しねーかなー」
そんなコズエに近づく一つの影。コズエはリボルバーのついたハンマーを手に取り、影の正体を確かめようとしました。
「わぁ! その武器カッコいいね!」
コズエが確かめるまでもなく、影の主はトパーズのような金色の瞳を輝かせながらコズエに話しかけてきました。それは、真っ黒な毛皮を持つ狼でした。
「はじめまして! 僕、トバリ! 君の名前は?」
「はぁ?」
「君、ここで何してたの? 他の子達は向こうで遊んでるよ?」
トバリからすれば、コズエが暮らしているこの原っぱは初めて訪れる場所でした。いくら頭がいいと言っても、ここにはトバリの知らないことがいっぱいあったのです。矢継ぎ早に質問をぶつけてくるトバリを、コズエはうっとうしく思いました。
「うるせぇなぁ。誰があいつらなんかと……そうだ!」
コズエは言いかけた後、何かをひらめいたように立ち上がりました。コズエがひらめくことというのはだいたい他の誰かにとって迷惑なことですが、もちろんトバリはそのことを知りません。
「俺様とかくれんぼやろうぜ! お前逃げる方な!」
「え? 僕と遊んでくれるの!?」
「そうさ、百数えるからその間に逃げろよ!」
「わかった!」
コズエの尖った鼻が少し伸びました。コズエが大木に顔を付け数え出すと、トバリは近くの森に向かって一目散に走り出しました。だんだん音が小さくなっていくのを聴き届けると、コズエは途中で数えるのを止めてしまいました。
「バーカ、誰が遊んでやるかってんだよ。帰って昼メシでも食うか」
コズエはトバリに嘘をついたのです。コズエは嘘をつくと鼻が伸びるのですが、もちろんそんなことトバリは知りません。コズエは姿も見えなくなったトバリに捨て台詞を吐くと、森の中へ入っていきました。コズエは森の中にツリーハウスを作り、そこで暮らしていました。重そうなハンマーを背負いながら、5メートルはありそうな縄ばしごをヒョイヒョイ上っていきます。
「さーて、何食べるかな……」
「あ、おかえり!」
「……はぁ!?」
ツリーハウスに帰ったコズエは絶句しました。なんと、さっき追い払ったはずのトバリがツリーハウスでくつろいでいるではありませんか!
「……って、しまった! かくれんぼなのに自分から出てきちゃった!」
「おいテメエ、なんのつもりだ」
「? 何って……かくれんぼだけど?」
コズエは頭を抱えました。だって追い出すつもりが、反対に自分の家に招き入れる形になってしまったのですから。自分の嘘が裏目に出たことを、コズエはちょっぴり後悔しました。
「そうだ! 僕、君に聴きたいことがあったんだ。ねえねえ、どうしたら強くなれるかな?」
「んだよ突然」
「だって君、一人じゃない。それなのにこんな立派な家に暮らしてて、ご飯も満足に食べてる。それって、君が強いからなんでしょ? 僕も強くなりたいんだ、何か秘訣があったら教えて!」
ツリーハウスの中に漂う様々な食材の香りや、椅子が一つしかないことからトバリは察したのでしょう。コズエがここに一人で暮らしていることを、トバリはあっという間に見抜いてしまったのです。ですが、コズエはこれだけ色々と詮索されたにも拘わらず、トバリに強いと言われたためか悪い気はしていませんでした。誰に対しても意地悪で、いつも一人でいたコズエのことです。きっとこんな風に褒められたことなんて今までなかったのでしょう。
「……まあな? 俺様にかかればロイヤルナイツも七大魔王もイチコロよ!」
コズエの鼻がまた少し伸びました。
「スゴい! 『ろいやるないつ』とか『ななだいまおー』っていうのはよく知らないけど、とにかく君は強いんだね!」
「そういうこった! ……しょうがねぇな、俺様が特別にお前を鍛えてやる!」
「やった! ねえねえ、僕強くなれるかな?」
「あったり前よ! 誓ってもいいぜ!」
コズエの鼻が少し伸びました。
「約束だよ!」
トバリが額を軽くコズエの額にぶつけました。そのあまりの勢いの強さに、コズエは危うく窓から木の下に落ちそうになりました。
その日の夜、二人はツリーハウスで一緒に眠りました。コズエはトバリを床に寝かせ、まるで敷き布団として扱うようにその上で寝ました。しかし、群れを離れて以来ずっと一人で寝ていたトバリは、共に夜を過ごす相手がいるだけでも幸せでした。
──────────
次の日、コズエはトバリを連れて森の奥へ進んでいきました。トバリは、木も草も花もデジモンも初めて見るものばかりで、高揚する気持ちが表れるかのように、しきりに首を振ってそれらを見渡しています。少し歩くと開けた場所に出ました。真ん中には大きな湖が広がり、太陽の光を反射してキラキラと輝いています。木々の木漏れ日も降り注ぎ、トバリはまるで宝石に囲まれているような気持ちになりました。
「うわぁ! なんてキレイなんだ!」
「ここで暮らしてるデジモンはみんなここの水を飲んでる。まあ俺様が来るときは誰も近づかないけどな」
「僕も飲んでいいの?」
「好きにしなよ」
「やった!」
トバリは湖の縁に近づき、舌を使って器用に水を掬い上げます。その間、コズエは湖から少し離れた場所に行き、一体の植物デジモン『ザッソーモン』を見つけて引っ張って来ました。
「おい!」
コズエの呼びかけに、トバリは顔を上げました。
「今から面白いもん見せてやるよ。いくぜ~」
「ちょ、ちょっと待て……ぶげぇ!」
コズエはザッソーモンを乱暴に地面へ投げつけると、持っていたハンマーを野球のバットのように振りかぶり、おもいっきりザッソーモンに叩きつけました。すると、同時にハンマーに込められた火薬が爆発し、ザッソーモンを吹き飛ばしました。
「ギャアアアァァァ……」
悲鳴を上げながら、ザッソーモンは湖の反対岸まで飛んでいきました。ドボンという激しい音と共に水柱が立ち上ります。一連の光景を、トバリは口をポカンと開けながら眺めていました。
「なあ見たか、今の? 面白いだろ!」
「すごく飛んでいったけど……あのデジモンは大丈夫なの?」
「なんだ、そんなこと心配してんのかよ。アイツはすぐ戻ってくるから、次はお前の番な」
「ええっ! 僕もやるの?」
「当たり前だろ。おもいっきり飛ばしな、スカッとするぜ~」
コズエが話した通り、ザッソーモンは湖をぐるりと廻って二人のもとに戻って来ました。ザッソーモンは目くじらを立てています。
「いきなりなにすんだよ! 危うく死ぬとこだったぞ!」
「うるせぇなぁ。お前らザッソーモンはいくら攻撃しても死なないんだからいいじゃねぇか」
「俺の名前はゼットだ! だいたい……」
ザッソーモン改めゼットはわめき散らしますが、コズエは聞く耳を持ちません。
「おい、今がチャンスだ」
「ホントにやるの? かわいそうだよ」
「いいか、これは強くなるための特訓だ。俺と同じところまで飛ばせるぐらいになれば、お前はもっと強くなれるぜ」
コズエの鼻が少し伸びました。トバリはそれを聴くと、パッと顔を輝かせました。
「本当! じゃあやるよ!」
──アイスウォール!
「ぶげぇ!」
トバリが前肢で地面を思いきり叩くと、ゼットの足元から氷の壁が飛び出しました。コズエが飛ばした時よりも山なりのアーチを描いて、ゼットは湖の方へ飛んでいきました。
「またかよぉぉぉぉぉ……」
湖の対岸……までは飛ばず、山なりに飛んだせいかゼットは湖のちょうど中央辺りに落ちました。ドボンという激しい音と共に水しぶきが上がります。コズエがため息を吐きました。
「あーあ、やっちまったな。アイツしばらく帰ってこないぞ」
「えっ、どういうこと?」
「アイツ泳げないからな。放っておいたら死ぬかもよ?」
コズエの鼻が少し伸びました。それを聞いた途端にトバリの顔が一気に青ざめました。トバリは脇目も振らず湖に飛び込むと、決死の犬掻きでゼットが落ちた辺りまで泳いで行きました。
「マジかよ……バカか、あの野郎は?」
コズエは悪態を吐きましたが、トバリを追いかけようとはしませんでした。コズエは泳げなかったのです。トバリが湖の中央まで近づくと、突然水から出ていたトバリの頭が沈んでいきました。コズエは自分の遊び道具が二つも無くなってしまうのではないかと、不安でたまりませんでした。その時です。
「おーい!」
再びトバリの頭が浮かび上がってきました。口にはゼットのものと思わしき触手を咥えています。コズエはそれを見ると、トバリにバレないように安堵のため息を吐きました。コズエは、ゼットを引き揚げて上陸したトバリの頭をコツンと叩きました。
「何やってんだよ、こんな奴放っておいてさっさと遊ぼうぜ」
「だって放っておいたら死ぬって……」
「嘘に決まってんだろ、あんなの。それよりお前泳げるのな」
「いや? 泳いだのは今日が初めてだよ」
「……はぁ?」
コズエが呆然としました。
「お前、泳げるか分からなかったのにコイツ助けたの?」
「うん、泳ぎ始めたら案外どうにかなるもんだね!」
「……なんで?」
「なんでって……困ってるデジモンがいたら助けるでしょ?」
「いや?」
「そうなの?」
二人の間にしばらく沈黙が続きました。ゼットは二人が話している隙を見計らって、一目散に森の中へ逃げていきました。
「冗談じゃねぇ、あんなイカれた奴等と一緒にいられるか!」
頭の中を疑問で埋め尽くしたトバリとコズエは、ゼットが逃げたことに全く気づきませんでした。その後、夜になってツリーハウスで眠るまで、二人は湖で話したことをずっと考え続けていました。
(どうして彼は助けないんだろう……?)
(なんでアイツは助けるんだ……?)
────────── ある日、二人はヘトヘトになるまで遊んだせいか、ツリーハウスに着く前に原っぱで横になってしまいました。二人が空を見上げると、すでに日はとっぷりと暮れ、星がぽつぽつと輝き始めていました。 「星がキレイだね!」 「星なんてどれも同じだろ、小っせぇし」 トバリは星に負けないくらい目を輝かせ、熱心に空を見上げました。一方のコズエはつまらなさそうです。二人の会話が途切れ、しばらく沈黙が続きました。二人の間で会話が無くなったのは、これで二回目でした。湖で話した時と同じ、お互いに何を考えているのかを探りあっている時間。 「お前の名前、なんだっけ」 コズエが先に口を開いたので、トバリはびっくりしました。だって、いつも二人でいる時はトバリが話題を出して、コズエはそれに適当な相づちを打つだけだったのですから。 「えっ……トバリだよ」 「そっか。……コズエだ」 「え?」 「俺の名前。お前いっつも君キミきみキミってうるさいから」 「ありがとう!」 「は?」 「名前教えてくれてありがとう!」 コズエはため息を吐き、顔を手で押さえました。 「やっぱりわかんねぇ!」 「何が?」 横になったまま、トバリが首を傾げてコズエの方を見ました。薄明かりがぼんやりとコズエの輪郭を照らしています。コズエはトバリの方を見ようとはしませんでした。 「お前のこと。遊んでてもイマイチノリ悪いし、どうでもいいことで謝ったり礼を言ったりするし」 「実は僕も、コズエと同じようなこと考えてた。一緒に遊んでて思ったけど、コズエは他のデジモンに優しくないし、強さをもて余しているようにも見えた。ねぇコズエ、教えて。君はどうして強くなったの?」 コズエは何かを言いかけようとして口を閉じました。それを何度も続けるものですから、トバリは気を使って星空の方へ目を反らそうとしました。 「お前になら話してもいいかな」 ようやくコズエが口を開いた時、トバリは待ってましたと言わんばかりにまた視線を向けました。
「昔の話だ。俺は悪態を吐くしか能がない哀れな小者だった。他にできることと言えば、紫の霧を出して目眩ましするぐらいだ。だから悪魔の奴らに媚売って、使いっ走りみたいなことばっかりしてた。周りの顔色伺って、ご機嫌とりすることだけが俺に許された生き方だった」 コズエは話しながら自嘲しましたが、トバリは普段は見せない真剣な表情で耳を傾けていました。コズエが続けます。 「そんな俺だが、ある時進化したんだ。進化した途端に、それまで持ってた意志や感情がリセットされた。まるで誰かに頭の中を弄くられたみたいにな。俺は自分の生きる意味を無くしたんだ。だからとりあえず、この世界で一番名の知れた聖騎士を真似することにした。なんでそんなことしたか、今の俺には見当もつかないがな」 「じゃあ、その時の君は良いことをしてたの?」 「あー、多分お前の視点で見たら良いことだったんだろうな。ただ、弱いものいじめを止めさせたり、天使を堕天させようとする使い魔を追い払ったりなんてことは、俺が雑魚だった頃に媚売ってた悪魔の連中からすれば『良いこと』だったとは言えねぇだろ。だから俺はそいつらに目付けられたんだ。お前さ、『犯罪と懲役』って本覚えてるか? ほら、ごみ溜めに捨ててあっただろ?」 「うん。確か悪いことしたら、牢屋の中でしばらく過ごさなきゃいけないんだよね?」 「そう、まさに本に書いてあった通りだ。俺は死にかけのジュレイモンの体の中にぶちこまれ、俺を出さないよう悪魔達はジュレイモンに呪いをかけた」 トバリは言葉を失いました。コズエの話は、トバリがこれまで経験してきたどんなことよりも壮絶な内容だったのです。 「狭くて真っ暗な中に一人、話し相手もいなかった。いっそ殺してくれと思うだろうな、普通は」 「普通は……?」 「その時の俺はかつてないほどに冷静だった。常に他者との関わりを持ってきた俺にとって、その場所は初めて一人になれる空間だったんだ。ブリキの体は腹も減らねぇ。記憶を辿り、自分を見つめ直すいい機会だったよ」 「それで……答えは見つかったの?」 トバリはおそるおそる尋ねました。その答えを、トバリは自分でもある程度わかっていたのです。 「ああ、もっと自分のために生きていいんだって気づいたよ。他者に媚売ったって、他者を助けたって、全く幸せになんかなれない。俺が好きなように生きて、好きなように遊んで、好きなように他者と接する。でもそれには強さが必要だ。でなきゃ自分の『好き』を貫き通せない」 コズエは一切表情を変えず、淡々と語り続けます。それがなんだか恐ろしくて、トバリは思わず夜空の方へ顔を背けました。 「その事に気づいた時、突然俺は外に出られたんだ。多分、ジュレイモンに呪いをかけた悪魔共がくたばったんだろう。俺は手っ取り早く強くなるために、ジュレイモンに止めを刺した。そうしてデータを得て進化した姿が今の俺だ。俺は樹木の牢屋で考え続けたことを決して忘れないよう、自分に『コズエ』の名前を付けた」 「そう、だったんだ……」 トバリは言葉に詰まりました。どんな言葉をかけようとも、今のコズエを笑顔にさせることはできそうになかったのです。 「なんでお前にこの話をしたかわかるか?」 コズエの問いかけに、トバリは上を向いたまま首だけを横に振りました。 「お前が多分俺と正反対だから。これ以上考え方の違う奴に付きまとわれるのはゴメンだ。今の話を聞いてビビったならさっさとどこへでも行きな」 コズエは最後にそれだけ言うと、立ち上がって家の方へ歩き始めました。トバリは追いかけようとしましたが、体が思うように動きません。自分の体が震えていることに気づいたのはその時でした。 「……待って!」 喉の奥に張りついた言葉を、トバリはなんとか絞り出しました。けれどもコズエは足を止めません。トバリは震える脚を奮い立たせ、コズエの後を追いました。少しずつですが、コズエの足並みが遅くなっているのがわかりました。 「確かに僕とコズエは全然違う! でも僕は嫌じゃなかったよ! だってコズエと一緒にいなかったら、僕はきっと僕に無い強さに気づけなかったから!」 コズエの足取りが一層重くなりました。大声で自分の想いを叫ぶうちに、次第にトバリの脚はいつもの軽やかな動きを取り戻しました。トバリは思い切りジャンプすると、コズエの行く手を塞ぐように目の前に着地しました。そして振り返ったトバリは、これまで見せなかった戦意に溢れる瞳でコズエを睨み付けたのです。 「教えてくれ。君の強さを、僕に学ばせてくれ!」 コズエはトバリの発言の意味に気づくと、ハンマーを構えて戦闘態勢をとりました。成熟期のトバリと究極体のコズエ。両者の間に覆しようのない力の差があることは火を見るより明らかでした。けれど、先ほどまで震えていたトバリの脚はもう怯えていません。 「なるほどね。やけにノリ悪いと思ったが、そんなこと気にしてたわけか。ところで、お前俺の話聞いてたか? 俺は自分で好き勝手やっていくために強くなったんだ。道を塞ぐってんならお前でも容赦なく消し飛ばせるんだぜ、俺は」 トバリの口角がつり上がりました。 「……じゃあ、君は僕と交わした約束を破ることになるね」 「あぁ? 何言って……」 言いかけてコズエは思いだし、口をつぐみました。トバリと出会った日、初めて誉められて舞い上がった拍子にこぼれ落ちた自分の失言を。コズエは今日ほど自分の記憶力の良さを恨んだ日はありませんでした。 「いいのかな? 今の弱い僕を殺せば、君は約束の一つも守れない意志薄弱者ってことになるけど」 「……あっはっはっはっ! いっちょまえに煽るのかよ! ちょっとは面白くなったじゃねぇか、気に入った!」 コズエはひとしきり笑うと、ハンマーと背中のバッテン状の木の板を放り投げました。 「俺にとっての『遊び』なら大歓迎だ。全力でかかってきな!」 「うん!」 静まり返った森が、平原が、再び騒がしくなります。氷の壁を高速回転する鼻が突き破り、トバリはコズエに倒され地に伏しました。ですが、何度倒されても立ち上がり、その度に投げ飛ばされ、木に叩きつけられました。あまりの騒音に目を覚ましたゼットは、その光景をただただ見つめていました。 「あのガルルモン、意外と根性あるじゃんか……」 ようやくトバリが立ち上がれなくなるほど疲弊した頃には、空は白み始め、散りばめられた星は全く見えなくなっていました。コズエの方も息絶え絶えになりながら、ハンマーと木の板を回収してツリーハウスの縄ばしごを上りました。
──────────
死んだように眠っていたコズエが目を覚ました時には、もうすっかりお昼時でした。コズエは弾かれたように飛び起きて見渡しましたが、家の中にトバリの姿はありません。コズエは少しだけ、ほんの少しだけ肩を落としました。その時です。 「コズエ!」 「うおっ!? ……なんだお前、ハイハイは卒業したのかよ」 ツリーハウスの窓枠に手を掛け、トバリが入ってきました。しかしその姿は大きく変わっていました。夜空のような真っ黒な毛皮はそのままでしたが、後ろ脚だけで立ち上がって歩いています。体つきも、少し見ない間にコズエを肩車できそうなほどにまで大きくなっていました。 「迷彩柄のジーンズなんか履いてさ、オシャレにでも目覚めたか?なんだよその格好」 「コズエ、僕強くなったんだよ! あの後ゼットが特訓に付き合ってくれたんだ。『お前は見込みがある』って言ってくれたんだよ!」 「ふーん」 「昨日コズエと戦って学んだことを活かしてみたよ。だから強くなれたのはコズエのおかげだ! コズエは約束を守ったんだよ!」 「あっそ」 トバリは抱き締めるくらいの勢いでコズエの肩を掴み、迫りました。昨日までとは比べ物にならないトバリの力に若干驚きましたが、コズエは心底つまらなさそうでした。 「それで、どうすんの? お仲間さんとやらを守りに戻るのか? まー別にお前がいなくなったって俺の生活には一切影響無いけど」 コズエの鼻が伸びました。トバリは目を背けて黙りこくってしまいました。やがてコズエの肩から手を離し、ゆっくり後退りしました。が、急にいつもの笑顔に戻ると、 「ねぇ、かくれんぼしようよ!」 と返事をしました。 「……はぁ?」 「コズエが鬼だ! 今度は負けないよ!」 トバリはその場で素早く足踏みしました。まるでコズエが数え始めるのを待っているみたいです。コズエは少し考えた後、壁の方を向いて数え始めました。トバリは目にたっぷりと涙を浮かべ、消え入りそうな声で 「さようなら、コズエ」 と呟きました。トバリの足音がだんだん小さくなっていくのを聴き届けると、コズエは途中で数えるのを止めてしまいました。 「バーカ、誰が遊んでやるかってんだよ」 コズエの鼻が少し伸びました。 「いなくなってせいせいしたぜ。俺様の寝床を勝手に使いやがって」 コズエの鼻がさらに伸びました。 「あんな奴に名前教えるんじゃなかったぜ。コズエコズエコズエコズエってうるせぇんだよ」 コズエの鼻がもっと伸びました。 「……ちくしょう、なんで、なんで伸びるんだよぉ」 伸びていた鼻が縮みました。コズエは膝から崩れ落ち、両の拳で床を叩きました。 「気ぃ使いやがって! 最後の最後につまんねぇ嘘ついてんじゃねぇよ! 俺は、俺はなぁ、本気でお前と遊び……!」 途中で声がつまり、コズエは咳き込みました。木でできたブリキの体からは一滴の涙も流れません。 「お前が、トバリがいなくなるの、怖かったんだ! トバリと一緒にいるうちに、俺の知らないことがいろいろ見えてきて、最初は気持ち悪かった。でもさ! だんだんワクワクしてきたんだ! 次はどんな知らないことを見せて、聴かせて、教えてくれるのかって! 強さだけ求めてきた俺が、初めて本当に『楽しい』って思えたのはトバリと会ってからだったんだ!」 コズエが胸中を明かしました。けれども、その本音がトバリに届くことは二度とありません。事実に見て見ぬふりをして、目の前にまだいるんじゃないかと一抹の希望を抱えて顔を上げたコズエは、後悔と寂しさに顔を曇らせました。木の檻の中で過ごしていた頃よりずっと長く感じる時間だけが、ツリーハウスの中でただただ過ぎていくのでした。
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トバリは生まれて初めて嘘をつきました。彼は、はじめからかくれんぼをするつもりなどなかったのです。ただ、別れが寂しくならないよう、コズエを鬼にさせてその場から去ったのです。一心に数え続けるコズエの背中を思い出し、トバリの心は氷柱が刺さったかのように冷たく痛みました。
足元がだんだん寒く、走る道がだんだん白くなっていきました。足を止めた先には雪の山。シグレとの約束を交わした麓まで戻ってきたのです。
「いいんだ、これで。嘘をついた僕に、約束を守ってくれたコズエと一緒にいる資格なんて無いんだから」
トバリは道中で何度もそうしてきたように、改めて自分に言い聞かせました。そして深く深呼吸すると、一気に山道を駆け登っていきました。開けた山頂に、前と変わらない住み処と、面影のある背中が見えてきました。
「シグレ!」
「……トバリか?」
シグレは振り返りました。その姿は、トバリと同じく後ろ足で立ち上がっています。
「約束を果たしに来たよ! 僕、みんなを守れるくらいに強くなったんだ!」
「そうか……戻ってきてくれたんだな! 良かった……」
トバリは鼻をヒクヒクさせました。雪に紛れて姿は見えませんが、他の仲間も近くにいるようでした。
「みんなもいるんでしょ? どうして出てこないのさ!」
トバリの問いに、シグレは答えませんでした。ただ、口元を固く結んで視線を雪に落としました。
「トバリ、大事な話があるんだ。聴いてくれ」
シグレは近くの切り株に腰を下ろしました。
「実はお前を群れから追い出したのはもう一つ、別の理由があったんだ」
「別の理由?」
「ああ、あの時はお前のせいで狩りができないからと言った。だが実はな、そもそもこの山に獲物なんて数えるほどしかいなかったんだ。それが底をついただけの話さ」
シグレが顔の前で手を組みました。風が強まり、粉雪が二人の顔を撫でました。
「お前と違って、俺達白い毛皮は群れで固まってこういう雪の中で暮らさなきゃ、あっという間に喰われちまう。その点、黒くて賢いお前なら一人でも、ここじゃなくても暮らしていける」
「……待ってよ、みんなはどうやって今まで暮らしてきたの?」
「食料ならある。言えばお前は反対しただろうがな」
トバリはそれを聞いて住み処の方を見渡しましたが、食料らしきものは見当たりません。
「どこにあるの? その食料って」
「ここだ」
シグレが右手を空に掲げ、指を打ち鳴らしました。瞬間、トバリの背中に激痛が走りました。青白い炎が、爪と牙が、トバリの全身を焼き、削り、抉りました。トバリは前のめりになり、思わず雪に手をつきます。
「シグレ……ッ!? どうして……」
「ありがとよ、力をつけて戻ってきてくれて。おかげでしばらく食料には困らなさそうだ」
シグレがトバリの目の前まで歩み、彼を見下しました。慌てて立ち上がったトバリの足を、大勢のガブモンとガルルモンが掴んでその動きを止めました。群れの仲間を力ずくで引き離すわけにもいかず、トバリはその場で足を動かそうと闇雲にもがくことしかできませんでした。
「僕を、騙したのか……!」
「お前が仲間の気配に気づいた時は正直焦ったよ。匂いも消したつもりだったんだが、やっぱバレるもんなんだな、親しい匂いってのは」
トバリの必死の呼びかけは、少なくとも彼にとってはかつての友であったはずのシグレには全く届いていません。シグレはやれやれと言いたげに首を振り、トバリの胸の真ん中に左の人差し指を突き立てました。テクスチャがわずかに裂け、液状のデータ粒子がトバリの胸から下腹部へと伝っていきました。
「どうしてと聞いているんだ! なぜ僕を攻撃する!?」
「この群れの数見てまだ気づかねぇか? それとも認めたくないだけか。……喰らったんだよ。空腹の限界が来る度に、仲間の一番弱い奴をな」
「僕はこんなことのために戻ってきたんじゃない! みんなを守るために……」
トバリは言いかけて気づきました。自分が糧となり仲間を活かすことも、仲間を守ることに繋がるのだと。シグレは、理解と受け入れがたい気持ちが顔に表れたトバリを見てほくそ笑むのでした。
「さすが、お前は頭がいいな。良かったな、俺達の交わした約束は守られる」
シグレは突き立てた指先にあるであろうデジコアの位置を見据えたまま、右腕を大きく振り上げ、とどめの一撃を放つ態勢をとりました。対抗するように、トバリも足を押さえつけられたままで必殺技の構えをとりました。両者の生存をかけた力(カイザーネイル)がぶつかり合う、まさにその瞬間でした。
「生き延びてね、シグレ」
蚊の鳴くような声がシグレの耳に届きました。動転したシグレが目線だけ上げると、先刻まで技を繰り出そうとしていたはずのトバリが目を閉じ、腕を広げて受け入れるような姿勢で立ち尽くしていたのです。シグレの心にわずかな躊躇が生じましたが、時すでに遅し、群れを守るための力(カイザーネイル)はトバリの胸の中心に深々と突き刺さっていました。手応えを感じたシグレが腕を引き振り抜くと、トバリのデジコアは確かに手中に収まっていました。ガブモンやガルルモン達は、シグレがデジコアを喰らうのを今か今かと待ち構えています。
「お前らの分もある。慌てるんじゃねぇ」
シグレがかぶりつくと、デジコアは熟れたトマトのように赤い液体を吹き出しました。それはシグレの掌のみならず、口元を荒々しくルージュのように彩りました。飛び散った液状のデータが白い毛皮と雪にコントラストを描いた瞬間、ガブモンやガルルモン達はトバリの亡骸を一斉に貪り始めました。夜空のような真っ黒の毛皮はビリビリと引き裂かれ、散り散りになって雪上にばら蒔かれました。最後にシグレは、トバリの左手に装着された自分と同じ金色の刺付き拳鍔を抜き取り、右手に填めました。
「生き延びるさ、どんな手を使っても」
粉雪はいつしか吹雪に変わっていました。シグレは仲間を引き連れて、ごうごうと吹き荒れる雪の中を進んでいきました。やがて吹雪はさらに強まり、白いカーテンのように辺り一面を覆い隠しました。シグレ達の足跡も、雪上に散りばめられたトバリの毛皮と鮮血も、全てが白く上書きされていくのでした。
──────────
どれほどの時間、懺悔を繰り返したでしょうか。後悔と自責に幾度となく苛まれ続け、ようやく退屈な日常に帰ってきたコズエは、住み慣れたツリーハウスをあとに、トバリとのかくれんぼの続きを始めるべく平原を出発しました。それほどまでに、彼にとってはトバリの存在が大きくなっていたのです。
彼はトバリがどこに帰っていったのかは知りません。ですが、場所など知らなくてもよいのです。行きは四つ足、帰りは二足。獣道にくっきりと残っていた足跡は、かくれんぼと呼ぶにはあまりに露骨なヒントだったのです。
コズエは足跡を辿る間、いつも同じ嘘を吐き続けました。それは、彼がピノッキモンというデジモンだからでしょうか。それとも、かくれんぼが下手な友達をおびき寄せるためでしょうか。コズエはどこまでも伸びる自分の鼻より遠くに向かって、今日も叫び続けるのでした。
「オオカミが、来たぞーーーーー!!!」