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【Part 1/3】
*
アウトドア的娯楽をこよなく愛する少年――坂本翼にとって、異世界DWで迎える最初の夜は刺激に満ちたものであった。
人工の光源が一つも無い暗闇の平原から空を見上げると、地球から見えるそれとは全く異なる――馴染みのある北半球は勿論、本の知識でのみ知る南半球からも見える筈の無い――未知の星々が広がり、そこに電子回路の基盤めいた線の集合が天の川の如く横たわっている。仰視の姿勢に疲れて目線を地上に戻すと、所々に生き残る樹木や草が仄かに光を発する花や実をぶら下げているのが分かる。そんな幻想的なパノラマを薄く包み込むように、微風の音と、散りばめるような電子音の断片が時折空間を流れて行く。
「ねえドラコモン、この草の実って何? 食べられるなら沢山集めて……あっ!? 今なんか飛んだ!! 流れ星!? この世界にも宇宙空間と小惑星が――」
「だから騒ぐなって! つーか、ほっつき歩いてねーで火の番しやがれ!」
ドラコモンの小声の罵倒に、ああ忘れてた、と我に帰る翼。時は夜もとっぷり更けた頃――DWにも地球同様昼と夜があるらしい――、翼とドラコモンは焚き火を囲んで眠る仲間達の見張りを任されているのであった。野宿の場所が決まったのは太陽(である筈の、天をごくゆっくりと滑る光源)が地平線上で朱い半円になった時分で、デジモン達の判断と子供達の同意の下、食料の確保を後回しにして休息をとる段取りとなった。暖を採るためにコロナモンが枯れ枝の山に灯した焚き火を夜通し燃やし、同時に万が一の夜襲に備えるため、交代でテイマーとパートナーが1組ずつ見張りに付き、ひなた・コロナモン組、誠・ベアモン組に続いて翼・ドラコモン組3番目の見張りを務めている――筈だったのだが、翼は気付かぬ内にDWの夜景に心を奪われ夢心地で近辺をうろついていたという訳だ。
「ていうかさ、火の番ならドラコモン1人で済むじゃん! 後で交代したげるからさ、しばらく見ててよ!」
「僕の提案の意味、ちゃんと分かってくれなかったみたいだね……」
突如背後から口を挟む声に、げっ、と肩を竦める翼。恐る恐る振り向くと、そこには白い目をした――暗がりだったので一瞬本当に白目に見えた、などと茶化すことすら許さない雰囲気を醸し出している――クールビズの少年、早勢健悟の姿があった。
「いやいや、ちゃんと分かってるよ!? 人間は火の番、デジモンは外敵の警戒……コンビでやった方が素早く対応できる、人間とデジモンだからできる分業、でしょ?」
「おや、意外だな。敢えてそこまでは説明しなかった筈だけど」
「そう考えると合理的、ってだけだよ」
テイマーとデジモン、バディ同士で見張りを行う。この方式を提案したのは健悟だった。対オーガモン戦における翼の働きかけの影響か、「テイマーとデジモンは行動を共にするもの」という認識が早くも定着しつつあるようで、健悟が細かい理屈を付け加えるまでもなくこの提案は可決された。1人当たりの休憩時間を増やしたければ見張りは1人ずつにすればいいし、監視の目を増やしたければ人間同士・デジモン同士でも構わない。
「分かってくれてるならいいんだ。でも、あんまりパートナーから離れると、命が危ないのは他でもない君自身だよ」
「……仰る通りです……」
翼がいそいそと焚き火の元へ戻ると、健悟も何とはなしといった様子で焚き火から少し離れた場所に腰掛けた。
「へっへっへ、怒られてやんの」
「べ、別に怒られてないし……ところで、健悟はどうして起きてたの? 交代にはまだ早いと思うけど」
思いつくまま翼が問いかけると、健悟はショルダーバッグからタブレット端末を取り出しつつ答えた。
「眠れなかったから」
「もしかして、オレが騒いじゃったから……?」
「それはない、心配しないで。……時差ボケ、みたいなものなんだ。RWからこっちに来た時点で、昼夜が大分ズレてたんだ」
「え、そうだっけ? オレはそんなに気にならなかったけど」
健悟の指摘を受けるまで、翼はRWとDWの間に「時間」の差があるなどとは露も考えなかった。DWはRWと隔てられた空間である、という点は何となく理解していたが、翼がDWへ足を踏み入れた時点で日の傾き具合はRWのそれとほぼ同じだったため、時間はDWとRWで連続しているものと思い込んで気にも留めずにいたのだ。
「翼君や他の子達は、きっと日本から来てるんだね。僕はイギリスから来たんだけど、イギリスは日が暮れてたのに、WWW大陸は朝だったんだ」
「そうだったんだ……じゃあDWの中にも時差があったりするのかな。でもこんな変な世界だし、地表全体で昼夜が同時に変わったりするかも……そもそもDWが地球と同じ形状かどうかも分かんないし……」
独りごち、翼が空と地平線とを交互に見比べていると、ふふっ、と健悟が小さく笑った。
「やっぱり、君も疑問に思うんだね」
「え……そりゃまあ、ね。分からないことを分からないままにするのは、あんまり好きじゃないから」
「君みたいな人になら、個人的な調査の手伝いを引き受けてもらえるのかな。何も疑問に思わない人には、謎が解けないもどかしさを理解してもらえないからね」
「――――そう、だよね! すごく分かる!」
ぼやくように健悟がこぼした言葉は、翼がRWでの生活に抱いていた不満をずばりと言い当てていた。翼は、中学転入後間も無い誠に世界地図を見せながら大陸移動説の不思議について語った時、「そんなん知らなくても生きて行けるし」と一蹴された過去を思い出した。
「知りたいことがあるなら、オレも手伝うよ! 何でも言って!」
「ありがとう。近い内に《LEAF》の機能をいくつか検証したいから、その時は改めてお願いするよ」
ほんのり微笑む健悟を見て、翼は、彼とは思ったよりも良好な人間関係を築けるのでは、という期待を抱いた。
しかし同時に、何となくではあるが、翼には己と健悟の決定的な違いを肌で感じた。2人の違いとは、銘々を研究に駆り立てる「原動力」――翼が純粋な好奇心で動いているのに対し、健悟は何かしらの目的或いは義務感に従って動いている、という点――である。翼らテイマーには「大陸北端へ辿り着きリヴァイアモンを討つ」というゴールが示されてはいるが、健悟にとっては恐らくそのゴールさえも手段の一つに過ぎないのだ。彼はオファニモンから世界を救う使命について聞かされた直後でありながら、「事態の本筋が分かる」という理由だけで、仲間の一人も募らず、真っ先に北へと向かい始めた。そこにはリヴァイアモン討伐よりも重要な、しかし翼ら赤の他人には知る由も無い事情があるに相違無い。
「さて、坂本君。そろそろ交代しようか」
「えっ? まだいいよ、そんなに時間経ってないし」
「僕はしばらく眠気が来そうにないから、ね。……ヒョコモン」
「はっ、ここに」
呼びかけに応え、ヒョコモンがどこからか健悟の傍に現れた。ヒョコモンが今まで起きていたのか寝ていたのかは定かでないが、いずれにせよ見張りを交代する準備はとうに整っていたと見える。
「じゃあ、お言葉に甘えて。おやすみ、健悟」
「うん、おやすみ」
翼はそっと健悟から離れた。この後の見張り番は健悟・ヒョコモン組とレミ・ルナモン組、夜明けまでの残り時間で彼らが肝を冷やすトラブルに遭わぬよう祈るばかりである。
焚き火の熱がほどよく届く範囲に、落ち葉を敷き詰めただけの即席の布団が2つ。翼はその内の1つにそっと横たわった。これは翼が父・龍三から教わった野宿テクニックであり、寝心地の向上や体温の維持といった効果がある。オーガモン一味と接触した地点からこの場所にかけては枯れた草木が多数存在し、全員分の寝床を拵えられる環境が整っていたため翼はこれを仲間達に提案した。この提案は仲間達全員に歓迎・採用されたため、DWにおいて翼の知識が役立った最初の例といえた。
とはいえ、この程度で自身の有用性が示されたなどとは翼は考えていない。明日はもっとマシな働きをしようと決意を固め、翼はそっと目を閉じた。眠気は翼が思うより速く翼の五感をフェードアウトさせ、ドラコモンが隣の布団に寝転がった音を最後に記憶さえも途切れさせた。
ep.03「本能の発露」
*
覚醒の一歩手前でゆらゆらと微睡む意識の中、翼は焚き火の薪が弱々しく弾ける音を聞いた。それを合図に翼の全身の神経が一斉に目覚めると、白み始めた晴れ空が視界一杯に広がり、ひんやりとした風が煙の臭いを乗せて翼の顔を撫ぜるのを感じた。
寝覚めは快適であったものの、翼は己の置かれた状況を想起するのに数十秒の時間を要した。先日までの出来事をようやく思い出した時、翼はリフレインした諸々の衝撃に背中を叩かれ飛び起きた。
「おはよ、翼君。早起きだねー」
「おはようございます、タスクさん」
消えかかった焚き火の傍らに、黒髪ストレートの少女木島レミと、彼女のパートナーであるルナモンがリラックスした様子で座っている。翼の記憶する限り、彼女らは見張り番の最後の一組、夜更けから早朝までを担当することになっていた。言い換えれば彼女らは子供達の中で一番の早起きを求められる組でもあった。
「ああ、おはよう……2人も結構早起きだったみたいだけど、眠くないの?」
「私は平気、家では毎日5時起きだったから」
「わたくし、夜の方が得意ですので」
翼の問いに答える2人の顔は、確かに眠気の負担をあまり感じさせなかった。そういえば昨日見張りの順番を協議した際にも、彼女らは一番最後を志願していた気がする。
「……あの、さ。翼君……昨日のこと、やっぱり怒ってる?」
これ以上話す用事も無いと思っていたところに、レミがやけに申し訳無さそうな顔で問いかけた。
「昨日の…………? え、オレ何か怒ったっけ?」
「ほら、昨日翼君が転んだ時。誠君と一緒になって笑っちゃったけど、あれよく考えたらサイテーだったなって……ほんとゴメン!」
「あー、あの話? 別に気にしてないよ」
「私が気にしてたの! あの後、どこか痛めてないかって確認しようとしたら急に戦いになっちゃって、謝るタイミングも逃しちゃったから」
「大袈裟だよ、怪我だってしてないし……レミは優しいんだね。ドラコモンの肩も気遣ってくれたし」
「優しい、のかな。私、そんなにいい性格してないよ。でも、目の前で苦しんでる人は絶対に見捨てない。そう決めてるんだ」
「……そっか。心に決めた生き方があるって、なんかかっこいいな」
苦笑いとも照れ笑いともつかない曖昧な笑みを見せ、視線を逸らすレミ。
会話と呼ぶには十分な言葉を交わせた(と思われる)ので、話が途切れたこと自体に気まずさは感じなかった。それよりも翼が気にしたのは、レミが昨日からルナモンと会話らしい会話をしていない上目を合わせる素振りも見せない点だった。思い返すと、レミは自身がDWに呼び出されたことに納得していない様子で、ルナモンに対して心を開こうという意思も全く見せなかった。にも関わらず、ルナモンはレミを守るために命懸けで戦い、今でさえ明後日の方向を眺めるレミをやや遠巻きに見つめ続けている。間違っても口には出せないが、LEAFに導かれた5組の中で最もパートナーシップに不安が残るのはこの2人であるように翼には思えた。
「どーしたよ、朝から辛気くせぇ顔しやがって」
翼の右隣からそんな言葉を投げかけたのは、同じく目覚めたばかりのドラコモンであった。翼がDWに降り立ってから1日と経っていないが、翼は己の顔が口よりも饒舌であることをドラコモンとのやり取りから知り少しばかり驚いていた。
「いや……オレとドラコモンって案外いいコンビなのかもな、って」
「ンな顔で言うことじゃねぇぞ、それ……まあほら、朝日浴びて目ェ覚まそうぜ」
ドラコモンはそう言ってひょいと立ち上がり、一つ大きく伸びをした。翼も徐ろに立ち上がり、促された通り朝日の昇る方へ顔を向けた。
地平線の際に浮かぶ目映い光が、夜空の色を残す千切れ雲を緋色に燃え上がらせている。RWのそれと変わらない清らかさと力強さで輝くそれは、少し寝ぼけたままだった翼の脳を隅々まで冴え渡らせ、痩せた大地と気怠そうに体を起こす仲間達の顔を照らし出した。
朝日に導かれるまま目を覚ました子供達は、2、3とりとめも無い言葉を交わした後、程無くして昨日の道の続きを歩み始めた。付近に川や泉といった水場が見当たらなかったため顔を洗うことは叶わなかったが、道中に細々と生え残った木々からいくつかの果物――バナナの形だが柑橘類に似た表皮の謎めいた果物3個と、にっこり笑顔の模様が表面に浮かぶリンゴが2個――が採れたため、一行はそれを切り分けて食べることで小腹を満たし喉を潤すことができた。とはいえ、子供達は皆空腹からかやや俯きがちで口数も少ない。
「そーいえばさ、ルナモンって確か頭から水出せたじゃん。あれ飲めたらスゲー便利じゃね?」
前日よりも活力に乏しい声で誠がそう言った。これについては翼も考えなかった訳ではないが、攻撃の手段として用いられる《ティアーシュート》が飲み水に利用できるほど安全かと問われるととてもそうは思えない。
「あれ、当たると痛いですし、飲むとお腹壊しますよ」
「マジ!? スゲー危険じゃん」
「そうでなければ、攻撃には使えません」
ルナモンの返答はごくシンプルなものだった。いや飲んだことあるんかい、飲むとお腹壊すって純水か何かかいと問い質したい気持ちはあったが、無用な詮索であるような気がしたので翼は敢えて口を開きはしなかった。
「マコト。何度も言うようだけど、この草も結構おいしいんだよ」
「いや、でもそれその辺に生えてた草じゃん? なんかヤだわ……」
ベアモンが緑色の小さな草葉を口に放り込みつつ、同じ色形のものを誠に差し出している。そんな様子を見て翼が思い至ったのは、食物とそうでないものとを見分けられるのはその環境に住み慣れた者のみであるということだった。先の謎の果物のように翼ら人間の知らない物体が数多転がるこのDWでは、一見食せそうにない食材や、一見食せそうな毒物などに出会うこともあるだろう。人間の知識や先入観があてにならないとなれば、デジモン達に判断を委ねるより賢いやり方は無い。
それ頂戴、と翼が言うと、ベアモンは快く草を手渡してくれた。見た目は一見RWにもあるパセリで、匂いや手触りにも不審な点は無い。パセリといえば、ステーキやハンバーグといった肉料理の付け合わせでよく見る苦い野菜。そう思いながら口に放り込むと、口一杯にハンバーグの旨味が広がった。ちょっと待て、何故お前から肉の味がする。
「……誠、これハンバーグの味するよ」
「マジで!? くれ!」
翼が押し付けると、誠はそれをかっさらって迷わず食べた。触れ込みに何の疑問も抱かないのか、と翼は呆れたが、当の誠が美味そうに草を食べているので良しとした。
「うおお、スゲージューシー! ひなたも食ってみ?」
「ワタシはいいよ……ハンバーグ味の草、って、なんかお口が変になりそう」
だよね、と翼は口の中で呟く。そもそも、そんなバグのような植物を慌てて腹に入れずとも、もう少し先へ行けば他の食物にありつけるかも知れないのだから。
翼が目線を少し上げると、仲間達もそれにつられて顔を上げた。彼らの行く手に現れたのは、でたらめな増築を繰り返し膨れ上がったツリーハウス、とでも呼ぶべき不恰好な建物。それが盗賊達のアジトであることは、パートナー達がにわかに足音を潜め始めたことですぐ察しが付いた。
F-D DATABLOCKS
Kda003 - KENGO's DIARY site-A Level.5
〈encounter〉
〈mission〉
〈team〉
DW滞在1日目。極めて興味深い事象・情報に出会うことができた。以下に主な出来事を記す。
・人間の子供4人、及びそのパートナーデジモン4体と遭遇。子供達は全員日本人で、かつLEAFを所持していた。子供達とデジモン達はDWへ来る前にファーストコンタクトが済んでいたようだが、まさか日本にもデジモンがリアライズしていたのか?
・〈オファニモン〉を名乗るデジモンから、DWの情勢と僕達人間がDWへ呼び出された理由等についての説明を受けた。曰く、
「ウェブ大陸(僕達が降り立った陸地の名前らしい)の北端が魔王リヴァイアモンに支配され、DWのみならずRWまでもが侵略の危機に晒されている。(僕達)人間の子供は、パートナーデジモンを使役する《テイマー》となり、その絆とLEAFを駆使してリヴァイアモンを討たねばならない」
とのこと。通信が途絶えてしまったため詳細は聞き出せなかったが、魔王を倒さなければRWに帰れないと見て間違いは無いだろう。何とも勝手な話である。
・オーガモン率いるゴブリモンの群れと接触、戦闘。当方の戦力レベルⅢ5体に対し、敵戦力はレベルⅣ1体にレベルⅢ60体超と、極めて不利な状況ではあったが、パートナー達の連携と子供達の助力により辛くも勝利。
・4人の子供達、及びそのパートナー4体と暫定的に手を組むこととなった。最初に協力を申し出たのは坂本翼という少年(上述の戦闘でもテイマー達に協力を要請していた)で、後に彼は僕の個人的な調べ物(LEAFの諸機能に関する検証)に力を貸してくれるとも言った。
以上の出来事を経て、暫定チームは死傷者を出すこと無く生き延びている。夜が更けた今現在、僕は焚き火とそれを囲んで眠る仲間達を見張りつつこの日記を書いているが、新たな問題が起こる気配は無い。
Zfr015 - ZERO-FIELDS REPORT site-A level.5
〈operation〉
〈server〉
〈interrupt〉
DW時間0655、観察対象らが移動を再開。これを受け、DW時間0800を以ってZF及び機械化旅団の一個小隊による南部平原地下拠点制圧作戦を開始。
DW時間1004、南部平原地下拠点の制圧を完了。警備として配置されていたガードロモン5体の記憶領域を初期化、拠点に近付く人間及びデジモンに対する積極的防衛を最優先事項として命令。
拠点制圧完了後、直ちに拠点内部の調査を開始。
調査の結果、北東部の大型拠点にあったものと同じ正体不明の仮想サーバーが最奥部に設置されているのが確認された。前回と違い自己破壊プログラムが発動する前にシステムを制圧できたため、詳細な機能と性質について調査可能な環境が実現した。
件の仮想サーバーは、結論から言えば「表層トラフィックを行き来するデータを無作為に傍受・ダウンロードするだけ」のものである。傍受対象のデータにはDWの土壌や植生を維持するリソースデータも含まれ、これがWWW大陸各地で発生している地殻変動や干ばつの原因と目される。ただ、集積されたデータがどこかへ転送される様子は無く、定期的に正体不明のユーザーがデータを丸ごと取り出すのみだった模様。このユーザーに関しては、アドミン相当の権限が与えられていること以外に手がかりは残されていなかった。
これが魔王派組織の拠点にあるということは、少なくともこれは魔王やそのフォロワーにとって重要なものだと考えられる。しかし、このサーバーのプログラムは一般のデジモンには扱えないタイプの言語で構築されている。そもそも集積するデータの種類が雑多で、通常生データでは何の役にも立たないものばかりだ。リヴァイアモンの食料にするならばもっと上質なデータを用意できる筈である。これでできることといえば、トラフィック管理AIのラーニング程度のものだろう。
Zfr016 - ZERO-FIELDS REPORT site-A level.5
〈Digivolution Support〉
〈Connection Depth〉
〈condition〉
DW時間1219、ガードロモン達と観察対象らの接触を確認。戦闘開始後間も無く、観察対象らのLEAF5台において《進化補助プログラム》のアクティベートが確認された。最初にアクティベートを完了したのは、最も初期交感深度が低かったユーザーR・Kで、短時間の内に交感深度がアクティベート最低ラインまで上昇していた。詳細な事情を把握するためには、システムログの分析とユーザーに対する直接のヒアリングを要する。
上記の事象が引き金となったのか、他のLEAFでも次々に交感深度上昇が確認できた。ユーザーT・S、R・K、K・Hの3人は、元々感情変位ベクトルの同調率が高かったため、補填生命エネルギーの要求量が少なかったが、残る2人は体調に異常が出るレベルのエネルギーを要求され、H・Hに至っては一時的な意識障害を起こしたために進化補助プログラムが緊急停止されている。
Nda029 - NAOTO's DIARY site-A level.5
〈occupation〉
〈monitoring〉
〈interest〉
央基の奴、レポートのRW標準時をサマータイム表記にするの忘れてるっぽい。まあ、別に致命的な入力ミスじゃないので、放っといてもいいか……。
宿を離れて魔王派集団の拠点に滞在しているが、どうも居住を前提とした造りにはなっていないらしく、内装の殺風景さと通気の悪さで不快指数が爆上がりしている。例の子供達に風穴でも開けさせてみたい。
とはいえ、待ちぼうけの間に面白いものも見られた。正規版LEAFの動作ログを観察していたところ、ある1人の少女が急にデジモンに心を開き、チームで一番最初に進化補助プログラムを起動してみせたのだ。キジマ・レミという名前らしい。機会があればじっくり話を聞いてみたい。
上述の少女といい、イギリスのハッキング少年といい、央基はデータに特徴のあるテイマーに注意を払っているらしいが、個人的にはデータ上は大したことのない残りの3人もそれなりに成長が楽しみである。特に交感深度が最初から高めだったサカモト・タスク少年なんかは、データリンク開始時のノイズやパートナーの出自も含めて色々と興味深いネタを秘めている気がしてならない。あくまで気だけだが。
【Part 3/3】
健悟の返答で、翼の胸中に芽生えた最大の希望は呆気なく潰えた。相棒の、そして仲間達の力になりたいという想いも、いざという局面では何の役にも立たない。
翼が歯噛みをしていると、先と同じミサイルがまた一つ炸裂した。体勢を立て直そうと間合いを取ったルナモンが被弾したのだ。
「キャアアアアアアアアッ!?」
「嘘……ルナモン!!」
蹴飛ばされたサッカーボールのように、ルナモンの身体が2、3度地面を跳ねる。
それを見たレミは何の躊躇いも見せず――丁度翼がベビドモンに対してそうしたように――ルナモンの元へ駆け寄った。が、その足が一瞬もつれたかと思うと、レミは駆け足の勢いをそのままに倒れてしまった。右足首を挫いたらしい。
「うっ、ぐ……レミ、こんなところに来たら危ないですよ……?」
「まずは自分の心配しなさいよ! ねえルナモン、早く逃げよう! 他の皆も! こんなの勝てる訳無いじゃん!」
レミは涙声で訴え、辛うじて届いた両手でルナモンを抱き寄せた。2人をまとめて消し飛ばさんと、ルナモンが応戦していたガードロモンはミサイルをもう1発射出する。
「《ロップイヤーリップル》……ッ!」
ルナモンの両耳から突如無数のシャボン玉が現れ、2人を包む壁となった。ミサイルは泡の壁に阻まれしばし止まったまま炎を噴いていたが、やがて痺れを切らしたように炸裂した。
爆発を受け止めると同時に泡の壁は形を失い、水飛沫となってレミ達を濡らした。
「……わたくし、レミには見捨てられてしまうと思ってました」
「私は……誰も見捨てない。私の人生に、誰かを見捨てた過去は一つも残さないって決めてるの。それがどんなに嫌いな相手でも……!」
レミはルナモンを抱き上げると、膝歩きでふらふらと引き返し始めた。速度も出なければバランスも取れず、少し進んでは倒れ、濡れた髪とワンピースの生地が土で汚れるばかりだった。そんな足取りを嘲笑うように、ガードロモンは鋼の拳をゆっくり持ち上げ、少女の背後に迫った。
「おいレミ! 早く離れろ!」
「レミさん!」
「木島君……!」
誠達は必死にレミを急かすが、肩を貸すために敵の前へ出る勇気は持っていないようであった。翼の膝もがくがくと震えるばかりで思い通りに動かせない。
――どういう心境の変化だよ! 翼は頭を掻きむしった。ルナモンのことをあまり快く思っていなかったレミが、どうしてこの期に及んで身を呈してルナモンを庇うのか。それがどうにも解せない。
ただ、翼には唯一理解できた部分がある。レミには個人的な好き嫌いよりも優先させたい志があるのだ。それは優しさでも義務感でもなく、自らの未来に課した至上の目的とでもいえるもの。もしかすると、彼女自身の夢に繋がる大事な想いかも知れない。
真意は、きっとレミ自身にしか分からない。
だからこそ、こんなところで死なれては、彼女の真意を問うことが叶わなくなる。翼がたまらず飛び出そうとすると、ルナモンがレミの腕を振りほどき、ガードロモンの前に立ちはだかった。
「奇遇ですね。わたくしも、誰かを見殺しにするのは性に合いません……誰かに死なれて後悔するくらいなら、いっそ自分が死んだ方がいい。そんな気がしませんか?」
「……見透かしたようなこと、言わないでよ……!」
笑うような、或いは泣くような声で、レミが言葉を溢した。例え彼女が泣いていたとしても、その涙は頭から滴る雫に紛れてしまうだろう。
ガードロモンが2人の眼前に立ち、拳を勢いよく振り下ろす――――かと思われたその時、ルナモンの全身が目映い光を放ち、翼らの視界を一瞬眩ませた。
咄嗟に閉じた瞼の向こうで、ゴキャン! と、打ち据えるような金属音が響いた。
「ところで貴方、返り討ちにされる覚悟はおありですか?」
翼が目を開くと、レミの目の前からルナモンの姿は消えていた。代わりに、身の丈2メートルを超える「獣人」――純白の体毛に身を包み、鉄の仮面を纏った頭部からはウサギの耳めいた器官と弧状の触角を、背中からは無数の透き通る突起物を生やした、刺々しくも美しいシルエット――が立ちはだかり、黒いグローブを嵌めた右拳でガードロモンの顔面をぐしゃりと潰していた。近くにいた仲間達、そして敵の軍勢までもが、唐突な出来事を目の当たりにして手を止めた。
「え……あなた、ルナモン? なんでそんな大きくなってるの?」
「ふふ、今のわたくしは〈レキスモン〉……LEAFの力と、レミの想いが、わたくしをちょっとだけ強くしてくれたみたいです」
ガードロモンを蹴り飛ばし、ルナモン改めレキスモンは両拳を構えた。凛とした立ち姿からは、ルナモンの時とは打って変わり、何人をも寄せ付けない鋭利なオーラが滲み出ている。
レミは何かに気付いた様子で、ワンピースのポケットからLEAFを取り出した。その外装は力強く輝き、見るからに特殊な動作をしている風であった。
「《進化補助プログラム》……まさか、起動できたのか……!?」
健悟の驚嘆交じりの呟きが、この状況を端的に言い表している。
ルナモンの身体に起きたそれと似た現象を、翼も見たことがある。〈ベビドモン〉が〈ドラコモン〉に変貌した時と同じだ。サングルゥモンはこれを指して《進化》と呼んでいたが、察するにこの《進化》こそデジモンが本来持ち合わせる基本的な能力であり、LEAFが引き出すデジモンのポテンシャルなのだ。
「……タスク。あれ、オレ達にもできるんかね……」
ガードロモンと睨み合っていたドラコモンが、低い声で問うた。
「ドラコモン?」
「あれ見てたらよ、なんかムショーに昂って来た……オレも今すぐコイツをぶちのめしたくてしょうがねぇんだ……!!」
ドラコモンの角が、《ジ・シュルネン》を撃つ際のように赤く発光している。怒りとも焦燥ともつかない何かが、ドラコモンの中で強い衝動として渦巻いている。そんな感情が見て取れる――というより、翼の胸に直接伝わって来るような気がした。さしずめ、ルナモンの進化を目撃したことで、ドラコモンの本能が進化と闘争を求めて疼き始めた、というところか。
「マコト!」
「ヒナタ!」
「ケンゴ殿!」
他のパートナー達も例に漏れず、何かに触発されたかのように目を輝かせる。翼らテイマーは、戸惑いながらも銘々LEAFを手に取り、パートナー達に向けてかざした。
「肝心のギミックははっきりしないけど……今はヒョコモン達の直感に任せてみよう」
「なんかスゴそーだな! ……でもこれ、何すりゃいいの?」
「きっと、コロナモン達を応援すればいいんだよ!」
《進化補助プログラム》の起動条件は結局のところ不明なままだが、翼にはレミ達のやり取りと、今しがたのひなたの発言が全ての肝であると確信できた。互いの心を通わせ、激励する。そんなシンプルかつ力強い交感が、パートナー達の力を引き出すためには必要なのだ。
「いいよ、ドラコモン……思いっきり暴れて!」
そう声に出した瞬間、ドクン、と脈打つような熱感が翼の胸に熾った。まるでドラコモンの心に滾るエネルギーが、LEAFを伝って翼の中に流れ込む、そんな感覚――。
「っしゃあ、やってやれベアモン!」
「コロナモン、頑張って!」
「頼んだよ、ヒョコモン……!」
誠達も口々にパートナーを激励した。すると、翼らのLEAFがぼんやりと光を帯び、パートナー達の体は鮮烈なスパークに包まれた。地面に落ちる影さえも掻き消すその輝きは、丁度翼らを眠りから覚ました朝日のように、清らかに、そして力強く見えた。
潰れそうな視界の中、翼はドラコモンの姿――が、急速に変化して行く不可思議な現象を捉えた。
パートナー達の皮膚(テクスチャ)が微細な光の粒となって蒸発し、個々の姿を象っていた骨格(ワイヤーフレーム)と、その内側に心臓よろしく閉じ込められた光の球体が露わになる。球体から放射状に放たれるレーザー様の光は、残された骨格の構造を上書きし、より強く大きな怪物達の姿を描き出す。終いには、一度離散した光の粒が新たな皮膚を形作り、怪物のシルエットに新たな色と質感とを鮮やかに宿した。
――そうか、これが《進化》か。翼が今までに見聞きした全てが、一つの明確な意味の元に繋がったように思われた。
スパークの幕が引かれた時には、パートナー達の身体は元の倍以上に巨大化し、それぞれが持っていた生物的特徴がより強調された姿となっていた。
「ドラコモン進化……〈コアドラモン〉!」
啖呵を切るように叫んだのは、全身に蒼く輝く鱗を纏った2本足の巨大な《竜》。ドラコモンが進化した姿である。より逞しく発達した四肢や胴体、鋭く伸びた赤色の角などが彼のシルエットをより猛々しく見せるが、最も翼の目を引いたのはその背に戴く1対の大きな羽であった。誇るように展かれたそれを以ってすれば、彼の巨体を空に飛ばすこともできるだろう。
「そっか、名乗らないと誰が誰だか分かんないよね……ベアモン進化、〈グリズモン〉!」
続け様に名乗ったのは、ツキノワグマを思わせる姿態のデジモン。前足の先に赤いグローブ、肩口に赤いプロテクターを装着した姿はさながら武闘家のようで、徒手空拳を基本としていたベアモンの次なる姿としてはあまりに自然であるといえた。
「よォし、ならオイラも! コロナモン進化、〈ファイラモン〉ッ!」
朱色の獅子が、黄色い鬣をなびかせながら吠えた。その体色や、手足と尾の先に炎を揺らめかせる様はコロナモンの時とよく似ているが、背中に1対の羽を生やしている点は大きな変化であった。
「ヒョコモン進化、〈ブライモン〉……」
浪人笠と紅い着物、そしてゆったりと畳まれた黄褐色の大翼。元ヒョコモンらしきそのデジモンは、ヒヨコから「鳥人」とでも呼ぶべき風体に進化していた。声も低く厳とした響きとなり、腰の左右に一振りずつ携えた長刀も相まって歴戦の武人めいた雰囲気を漂わせている。
殆ど別物の姿になりながら、しかしその目元と立ち振る舞いに元の面影を残すパートナー達を見、誠達もまた翼と同様に言葉を失っていた。それはガードロモン達も同様だったが、彼らは子供達よりも早く気を取り直し、進化したパートナー達に襲いかかった。
「タスク、オレの全力よく見とけよ! 《ストライクボマー》!」
ギュン! と空気を裂いて放たれたガードロモンの右ストレートを、コアドラモンは軽やかに躱した――だけでなく、そのステップを全身の回転運動に繋げ、〈ドラコモン〉の時より遥かに大きくなった尻尾をガードロモンの脇腹に撃ち込んだ。ガードロモンの重そうな身体が紙風船のごとく地面を転がる挙動からは、コアドラモンの一撃の重さが伺える。コアドラモンの攻勢はそれに留まらず、背中の翼を広げて大地を強く蹴ると、尚も転がり続けるガードロモンに滑空で迫り、踵落としで金属のボディを無理矢理止めてしまった。
「力比べなら……負ける気がしない!」
グリズモンは別のガードロモンと取っ組み合い、腕の押し合いを拮抗させていた。やがて肘や肩の関節部から煙を上げ始めたガードロモンは、右脚でグリズモンの腹を蹴ろうと試みたが、グリズモンは己の左脚で敵の軸足を滑らかに掬い上げて反撃を阻止し、止めとばかりに鋼の巨軀を流れるような背負い投げで地面に叩き付けた。力技のみならず、柔道を思わせるカウンター主体の体術にも長けた戦闘スタイルは、成る程今回のような敵には有効であるらしかった。
「燃えないのなら――溶かすまでだッ! 《フレイムダイブ》!!」
相変わらずの暑苦しい気合を放つファイラモンは、また別のガードロモンへ向かって駆け出すと、走り高跳びに似た動作で前方へ跳び上がった。加えて背中の朱い羽を強く羽ばたかせ高度を一層上げると、全身に煌々と光る炎を纏い、落下軌道の先、ガードロモンの頭頂部へ狙いを定めて急降下し始めた。燃え盛る炎を前に、ガードロモンが連射するミサイルは近付くだけで融解・破裂し、ファイラモンの身体に傷を付けることも能わない。ガードロモンは回避も間に合わず両腕で防御を試みるが、体当たりによる強いノックバックを受け、立ち直る頃には両腕が溶けた飴の如く変形し癒着してしまっていた。
「《ティアーアロー》!」
数秒前には武闘派らしき振る舞いを見せていたレキスモンは、背中に生えた突起物を2本引き抜くと、片方はしなやかな弓に、もう片方は鋭利な氷の矢にそれぞれ変形させた。ガードロモンはそれに応じるかのようにミサイルを1発発射したが、同時にレキスモンが放った矢はミサイルの真芯をすんなりと射抜き、間合いの中ほどで撃ち落としてしまった。レキスモンは続け様――それこそ「矢継ぎ早」に――氷の矢を3本同時に引き抜き、一射でそれらを敵の両肩と右足首に同時に命中させた。見た目は儚げな矢でも、その質量と鋭さはガードロモンの装甲を穿つには事足りるようで、ガードロモンは関節部のパーツが歪んだことで手足の自由を失っていた。
「……いざ、尋常に!」
ブライモンが両手の刀を構えて一気に距離を詰めると、ガードロモンは背を向け、その背に備えたバーニアから熱気を噴射し空中へ舞い上がった。リアクションの意外さからかブライモンは一瞬足を止めたが、次の瞬間には自身も翼を広げて飛翔し、逃げるガードロモンに追い付いた。斬り掛かる、躱される、また斬り掛かるを繰り返し、もみくちゃの軌道を描きながら2体の鬼ごっこは10秒ほど続いたが、ブライモンの刀の一突きでバーニアは止まり、敵は元いた地面に墜落した。
「す、スゲー……ていうか、なんで皆でっかくなってんだ……? デジモンってでっかくなるもんなん?」
「その通り。デジモンが敵を倒して吸収するのは、あんな風により強大な力を得るため。あれはパートナー達が成長した姿ってことなんだ」
「待って健悟君、おかしいよ! どんなに細胞分裂を促進しても、あんなスピードで成長できる生き物なんていない! それに代謝のエネルギーはどこから――」
「木島君、アレは普通の生き物じゃない。彼らは電子生命……デジタルデータで構成された存在なんだ。現実の物理法則は通用しないよ」
「そうか、デジタルなら仕方ない……でもあの変化、成長っていうよりは確かに『進化』よね。形質はどうやって決まるんだろ……」
「おいお前ら、何こむずかしー話してんだよ!」
という具合に誠達が絶句の状態から立ち直ったのは、彼らがパートナー達の善戦に希望を見出し始めた証拠であった。
が、安堵も束の間、ガードロモン達が不意に動きを止めた。小刻みに震え出し、緑色のカメラアイを赤く点滅させる様は、只では死ぬまいとするガードロモン達の抵抗の合図であるように翼には思われた。
「コアドラモン、何が起きてるの!?」
「さぁ、自爆でもすんじゃねぇか?」
「自爆って……まさか、敵全員で!?」
「慌てんな、妙なマネされる前に倒しゃいいんだよ」
なぁオメーら、と問い掛けるコアドラモンに対し、グリズモン、ファイラモン、レキスモン、ブライモンはそれぞれ頷いた。そしてパートナー達は敵に向かって構え直すと、瞳を一層尖らせ、銘々裂帛の気合と共に技を繰り出した。
「《ブルーフレアブレス》!!」
コアドラモンは大きく息を吸うと、その口から青白く光る炎の奔流を吐いた。翼は戦いの飛び火を被らない程度まで離れていたが、よほどエネルギーが高いのか、微かにではあるが、輻射熱が翼の顔に確かに届いている。炎を浴びたガードロモンの身体は、融けてしまうか、そうでなくても焼けはするだろうと思われたが、果たして実際は体表のテクスチャがみるみる内に剥がれ落ちた。終いには全身の前半分がワイヤーフレームを剥き出した状態となり、進化中のパートナー達と同様に核(コア)を思わせる光の球を露出した。コアドラモンは炎を止めると、すかさずガードロモンに接近し、右手の爪を敵の核にぐさりと突き立てた。
「《クレッセントドーン》!!」
グリズモンはその隆々とした体躯で跳び上がると、軽やかに前方宙返りを決め、回転の勢いに乗せて右前肢の爪をガードロモンの腹に振り下ろした。彼の重量のみを以ってしても敵を圧し潰すには事足りる筈だったが、攻撃のエネルギーは鋭利な爪の先に集中したと見え、グリズモンの腕は敵の装甲を貫き地面を低く鳴動させた。振り下ろされた爪の輝きは、一瞬三日月に似た残像を描いたが、それは数瞬の内に紅いノイズの噴水に掻き消されてしまった。
「《ファイラボム》!!」
ファイラモンの気合に呼応するように、彼の額の炎が白く輝き収縮し始めた。が、炎はすぐに膨らみ始め、翼の両腕でも抱え切れそうにない大きさの球を形作った。ファイラモンが頭突きを思わせる動作で首を振ると、炎の球はガードロモン目掛けて一直線に飛び、命中と同時に敵を飲み込んで熱と光とを広範囲に撒き散らした。キュボゥ! と高く短い爆発音を発して炎の拡散は止み、着弾地点には焦げて深く抉れた地面と、赤く融けて原型を失ったガードロモンだけが残った。
「《ムーンナイトキック》!!」
そう呼ばわったのはレキスモンで、2、3歩の助走の後空高く鉛直にジャンプすると、空中でひらりと身を翻し、ガードロモンの頭頂部に急降下キックを浴びせた。どういう訳か落下速度が自由落下のそれをやや上回って見えたが、レキスモンの左爪先が敵の頭部を大きく凹ませていたことから見た目相応のエネルギーは生じていたようである。おまけとばかりにレキスモンが右足も振り抜くと、ガードロモンの頭部はすぽんと外れてしまった。
「《燕二枚返し》……!!」
気合と呼ぶには声量に乏しく、しかし呟きとは到底呼べない凄みを伴うブライモンの声。それに合わせてブライモンはガードロモンに一瞬で肉薄し、両手の刀を大仰な所作で振り下ろした。その剣先は敵の肩口を掠めて地面に落ちるかに見え、ガードロモンはその隙に何か行動を起こそうと身じろぎをしたが、ブライモンはすぐさま2つの刃を返し、今度は敵の真芯を捉える深さでばっさりと斬り上げた。不意打ちに近い早業で三枚に下ろされたガードロモンは、切断面をキリキリと擦らせながらその場で崩れ、物言わぬ金属の塊と化した。
進化したパートナー達の全力攻撃を受け、ガードロモン達は見る影もないぼろぼろの姿に変わり果てた。あれでは最早生きてはいまい、と翼が固唾を飲んでその場を見守っていると、ピーッ! と敵達の体が細い電子音を発し、先のミサイルよりも若干弱めの爆発を起こして粒子状に飛び散ってしまった。どうやら敵の自爆とやらは阻止できたらしい。
そんな始末を見届けて脱力したのは人間もデジモンも同じようで、翼らが深く一息吐く間、進化したパートナー達は肩を少し開いて敵のデータの残滓を吸収していた。パートナー達の「捕食」の時間が前回よりもやや長かったのは、1体あたりの食らうデータ量が大きかった証拠だろう。
「ふぅ、結構食い応えあるじゃねーの……タスク、見てたか? オレの全力!」
「みっ、見てたよ! めっちゃすごかった!」
「……聞き応えのねぇ褒め言葉だな」
「いや、だってさ! 色々すごすぎて言葉が出ないんだよ!」
蒼色の竜が吐く言葉は、やはり翼の知るドラコモンの粗暴な物言いに相違なかった。
今の戦いでも、ドラコモンの初戦でもそうだった。姿形が大きく変わりこそすれ、その中身は別物にはならない。それがデジモンの進化であり、先日のドラコモンの言葉を借りるならば「未来のノビシロ」なのだ。翼は、煤けた空気の中に立つパートナー達の堂々たる姿を見て嘆息を漏らした。
その間、誠とレミはそれぞれパートナーの元へ近寄って楽しそうに喋っていた。戦いぶりを褒めに行ったのか、と思われたが、遠巻きに見る限りグリズモンとレキスモンの体毛の手触りを楽しんでいるだけのようだった。子供か。子供だった。
子供といえば――という思い出し方は失礼な気もするが――、と、翼は己の背後にいた筈のひなたの方を振り向いた。戦いの緊張が尾を引いているのか、或いはファイラモンに近付くのが怖いのか、誠達のようにパートナーに駆け寄ろうとはしない。
「ひなたちゃん。格好はあんなになっちゃってるけど、中身はひなたちゃんの知ってるコロナモンだよ。声かけてあげたら、」
言いかけて、口を止める。――何かがおかしかった。
俯いたひなたの体が、支えを失ったようにぐらりと揺らぐ、その一瞬が――。
「ひなたちゃんッ!」
咄嗟に差し出した左腕に、寸分の遠慮も無しにもたれかかる少女の華奢な身体。胴ごと受け止めた彼女の両腕は、受け身を取ろうという素振りも見せずにだらりと下がっていた。
どうしたの翼君、と健悟が振り向くや否や、今度は離れていた誠とレミが悲鳴を上げた。そっちは何だよ、と顔だけを向けると、ファイラモンの身体に異変が起きている。獅子の全身から細いスパークを放ってテクスチャが剥離し始め、全てのテクスチャが風に消える頃には、両膝をついたコロナモンの姿だけがそこに残っていた。
「……どうしちまったんだ、オイラ……進化が、解けちまった……!?」
ファイラモン――否、コロナモンの異変を皮切りに、他のパートナー達の身体にも同じ異変が生じた。強く成長した形が、元の小さな姿を残して崩れていく様は、さながら糊の足らない張り子であった。
「うわー、スッゲー……一瞬で大きくなったと思ったら、今度はちっちゃくなった……」
「そんなことより! 誠! ひなたちゃんの様子が変だ!!」
「え、ひなた!? ちょっと待っ――オエッ」
翼の呼び声に応えて駆け戻ろうとした誠は、目眩でも起こしたのか、足をもつれさせ、吐き気を催していますと言わんばかりに口を手で覆った。それに先んじてレミが疲れの残る足取りで駆け寄り、翼の腕からひなたの身体を預かった。
「ひなたちゃん、聞こえる!? 聞こえたら返事して!」
地面に寝かされたひなたの顔面は蒼白で、唇から細く漏れる息で辛うじて生命を感じられるような有様だった。レミが頬をぺしぺしと叩くと、ひなたは閉じた目元を僅かにしかめた。意識はまだある。
「誠君、妹さんに持病とかは!?」
「ジビョー? えっと……あるわ! あがり症!」
「真面目に答えなさい!」
「いや、それぐらいしか思いつかねーんだよ!」
「なら食べ物かも、毒かアレルギー! 吐き出させた方が――」
半狂乱の形相で言葉を投げ合う2人。それらしい推測を並べても、決め手が無い以上この話は「原因不明」の4文字で完結してしまう。
人命――誠にとっては肉親のものである――が懸かった局面というだけあり、翼をはじめ子供達は俄に冷静さを失いつつあった。
「それは多分、ボク達のせいだ」
子供達のパニックから一歩引いたような、落ち着き払ったベアモンの声。パートナー達は全員子供達の元に集まり、ひなたの容態を心配そうに見守っていた。
「な、何言ってんだよベアモン! お前らはオレ達のために戦ってくれてただけじゃん! ひなたはきっと気が抜けて――」
「そう、それがいけなかった! ボク達が進化して戦ったせいで、キミ達テイマーを危険に晒してたんだ……嫌な予感はしてたけど、まさかこんなことになるなんて……!」
悔しそうに声を荒げ、ベアモンは俯いた。しかし子供達には、否、他のパートナー達にすら、ベアモンの言わんとするところは理解できないようだった。
「クマ公、どーゆーことか説明しろ。オレ達の進化が、何だって?」
「……丁度リヴァイアモンが大陸に現れた頃、大陸北部に妙なウィルスがばら撒かれたって噂を聞いたんだ。なんでも、そのウィルスに感染したデジモンは、成熟期――つまりさっきボク達が進化した姿――以上に進化した後、その身体を保てなくなるらしい」
「それ、さっきのオイラ達と同じだ!」
「そう、恐らくボク達はそれに感染してる。けど、ガードロモンと戦っている間は運良く進化を維持できた。その理由が――」
言葉を切り、ベアモンは誠の手を取った。そこには発光の止まったLEAFが握られている。
「《進化補助プログラム》。これがボク達の進化を促して、その形を維持してたんだ。ただ、進化の逆行を食い止め続けるには、常に何らかのエネルギーが必要になる筈だ。そしてそれが――」
「それが僕らの生命エネルギー、と」
ベアモンの重い頷きが、健悟の推察を肯定していた。
つまるところ、デジモンの進化を維持するために、人間が命を削っているということである。コロナモンが元の姿に戻ってしまったのは、ひなたのエネルギー供給が止まった影響なのだ。他のメンバーの例は判然としないが、テイマー・デジモン両方の「戦意」が《進化補助プログラム》のトリガーとなった点を鑑みるに、恐らく双方の戦意が薄れれば自然とエネルギー供給は止まるのだろう。
ドラコモンや他のパートナー達は、憤慨とも落胆ともつかない複雑な表情で翼らから目を逸らした。
「今ので合点が行ったよ。要するに、デジモン達の進化と戦闘が長引く程テイマーの身体に負担がかかる、という訳だ。さっきから体が重いのそれが理由か……他の皆も、大なり小なり自覚症状は出てる筈だよ」
言われてみれば、と翼は自身の調子を省みるが、全身にうっすらと倦怠感を覚える以外に目立った不調は認められない。小首を傾げるレミもその程度なのだろうが、つい今しがた平衡感覚の異常を匂わせていた誠は比較的明瞭に症状が表れているといえよう。
「そーゆー細かい話はいいんだよ、今はひなただ! 結局ひなたは助かるのか!?」
「今診た感じだと、貧血の症状に近いかなぁ。脈も息もしっかりしてるし、意識レベルもそんなに低くないから、まずは安静にして様子見ってとこ」
「生命エネルギーは、使い果たさなければ命の危険は無いからね。時間はかかるけど、十分な休養をとれば回復するよ」
「そ……そっか! 助かるのか。そんならいい……」
強張った肩と首を同時に緩めると、誠は大きく溜息をついた。そしていそいそとひなたの傍に屈み込み、投げ出された彼女の手を強く握った。
これでひとまず安心、と翼は胸を撫で下ろすが、その傍らでドラコモンはベアモンの胸ぐらに掴みかかっていた。
「……ざけんな、ふざけんなテメー!! なんでそれを先に言わなかった!? オレはタスクを守るために戦ってたってのに、下手したらオレがタスクを……!」
「何の確証も無かったからだ! それに、もし力の代償を事前に知ってたら、キミはさっきみたいな状況でも進化を渋ったか!?」
「なっ――――そ、それは、」
「それが答えだ。……出し惜しみをしてたら今頃キミも、キミの相棒も殺されてたよ。確実にね」
しばし歯噛みをするドラコモン。幾ばくかの沈黙の後、クソが、とだけ吐き捨て、ドラコモンは両手でベアモンを突き飛ばした。
彼らの一連のやり取りを聞けば、ドラコモンが翼に向ける思いやりは痛い程感じられた。それはそれで良いが、先の窮地を全員で脱せたことを素直に祝福できないムードというのは、翼には――そして思うに、今も顔一面に気まずさを纏う仲間たちにとっても――居心地の良いものとはいえなかった。
「一応、ヒョコモン達のおかげで目先の危険は回避できた。ひなた君が回復するまで、ここでしばらく待機しよう。作戦会議はその後で」
誰と視線を合わせるでもなく、健悟が僅かに声を張って宣った。異論を述べる者はいない。
どーしたもんかな、と口中で呟き、翼は荒野の地面に五体を投げ出した。既に懐かしい昨夜の微睡みをまた味わえないか、と期待したが、時は翼が思う程進んでいないようで、太陽は今尚空の真ん中で、少年達の気も知らずに明るく輝いていた。
(つづく)
【Part 2/3】
*
「うっひょー! オレ、ツリーハウスって初めて! スゲー高ぇぞ!」
「誠、大声出すな! さっさと登って来い!」
いざツリーハウスの根元に立つと、その全長は翼が住んでいた2階建家屋よりも階1つ分高く見えた。生木の柱に備え付けられた梯子を登り切ると、構造体の半分を占める建物の部分に辿り着ける。その梯子を、翼・ドラコモン組、誠・ベアモン組、健悟・ヒョコモン組の順に一組ずつ登っているところである。
「でもさ、翼が上がり込んでも誰も出て来ないなら、留守ってことでよくね?」
「ただ隠れてるだけかもよ。オレならきっとそうする」
翼組と誠組が梯子を登り終え、タラップドアから建物に侵入しても、やはり敵の気配は感じられなかった。翼は継接ぎの壁に床板を渡しただけの室内をぐるりと見回し、周囲を警戒するついでに何か使えそうな物品を探した。四畳半程度の広さで区切られた件の部屋には、壁を小さくくり抜いた四角い窓1つを除いて他に光源は無く、向かい合った2つのドア以外に目立つ物も無い。この空間は単なる玄関口に過ぎないということか。
「お待たせ致した! 外から見たところ、未だ動きはゴザらん!」
そう言って軽やかに上がり込んだのはヒョコモンで、後からしんがりの――かつ、ヒョコモンが「殿」の如く担ぎ上げる――健悟も続けて顔を出した。
「さて、坂本君達には早速調査を始めてもらいたい。トラブルが起きたらすぐ引き返すことと、こちらからの合図をいつでも聞けるようにすること。この2つだけは注意しておいてね」
「はっ、何カッコつけちゃってんだか……じゃあ翼、気ぃ付けてな!」
健悟がタラップドアを閉める音を号砲に、翼組と誠組はそれぞれ別のドアを開き、暗い部屋に踏み入った。
アジト内部の調査は、翼組・誠組・健悟組から成る「調査隊」と、外側の安全確保を担うひなた組・レミ組の「見張り隊」にメンバーを分けて決行された。そして調査隊の中では、翼組と誠組が手分けして建物の奥へ踏み入り、健悟組は見張り隊からの合図の伝令や退路の確保等を担当する司令塔として入口に留まるという役割分担がなされていた。これも夜間の見張りと同様健悟が立案したフォーメーションであり、概ね満場一致――ただ一人、誠だけは終始気に入らない様子でいたが――可決された。内と外の両面から目を光らせつつ行うこの本格的な空き巣行為は、翼にしてみれば今日までで最も冒険的なイベントであるといえた。
「でもこれ、どこまで行っても泥棒だよね……」
「今更だな、それがどーしたってんだ」
翼とドラコモンは、忍び足でもギシギシと軋む床板をゆっくり踏み締めながら、1つ目の部屋を物色していた。学校の教室1つ分ほどに相当するその部屋には錆びかけた金属のランタンが吊るされ、床にはゴブリモン達が1体ずつ寝転がれそうな大きさのぼろ布が何枚も雑に敷かれている。他にも食べかけの果物や木の枝でできた玩具のスリングショットなど雑多な品が散乱していて、どこか人間的な、子供部屋とでも比喩すべき生活感を暗がりの中に香らせていた。
「……ここに、あのゴブリモン達が住んでたのかな」
翼は足元の布を1枚拾い上げ、ぽつりと呟いた。スエードに似た硬い手触りのそれは、人間が使う布団と比べれば寝心地は悪そうだったが、長く使い込まれたらしくあちこち毛羽立っていた。
翼はここへ来て初めて、先日ドラコモン達が倒したゴブリモン達にも彼らなりの生活があったのだと実感した。彼らは今日この日も生きて帰れると信じて疑わなかったに違いない。だから布団も片付けず、食べ物や玩具も全部ここへ置いて出掛けたのだ。ここはきっと、彼らが帰りたかった場所なのだ。
「ま、だろうな。多分この奥も連中の寝床、と……それにしてもロクなモン落ちてねーな。タスク、次行くぞ」
「えっ――ちょっと待って!」
「どした、金目のモンでもあったか?」
「いや、そうじゃなくて……ドラコモンはさ、何かこう、感じることって無いの? ここで、昨日まで、ゴブリモン達が生きてたんだよ……?」
「知ってるよ、だからこうして物資が置き去りに――」
「オレ達が!! ……オレ達が、殺したんだよ……?」
その事実に気付くにはあまりに遅すぎたし、いっそ気付かないままの方が幸せだったかも知れない。布を握った翼の右手は知らぬ間に力んでいた。
翼やドラコモンと同じように、ゴブリモン達は生きていた。彼らは寝食を共にした家族だった。食事の続きを楽しみにしていた者もいただろう。大事な宝物を残してここを出た者もいただろう。未来に強い憧れを――夢を抱いた者だって、いたとしてもおかしくない。
そんな彼らの未来を、翼らが奪ったのだ。DWの秩序を取り戻すため、自らの命を守るためと理由を付けて、ドラコモン達は力を振るった。それを許したのは、他でもない翼らテイマーであった。
「強者は弱者の命を好きにしていい」。これはドラコモンとオーガモン、そして恐らく先の戦いの場にいた全てのデジモンが是とした理屈だ。翼はこの論理がいかに傲慢なものであったかを思い知った。生殺与奪の権利を声高に叫べるのは、己が常に強者の側にあると信じ込む者だけである。己が弱者の側に立たされ、その命を敵に握られて尚、同じ言葉を口にできる者がどこにいるだろうか。少なくとも翼には、そこまでの覚悟は無かった。
「オメー、まだ寝ぼけてるらしいな……いいかタスク、死んだヤツを憐れむなんてのは時間のムダだぞ。まして、相手が命を奪い合った敵とあっちゃ尚更な」
「そんな簡単に割り切れないよ! ドラコモンは、もしオレが死んだら悲しんでくれないの!?」
「そっ、そんなこと言ってねーって……!」
ドラコモンが言葉尻を濁していると、ソナーを思わせる甲高い電子音が壁越しに翼の耳に届いた。事前に健悟に聞かされていた「合図」――状況に応じて健悟のタブレットから最大音量で鳴らされる複数種の電子音――の一つ、「直ちに集合せよ」の音である。危険が生じた訳ではないが何か重要な変化があった、という場合に発せられる音だった。翼はドラコモンと頷き合い、来た道を大急ぎで引き返した。
「健悟、どうしたの!?」
「おー翼、見ろよ! ゴブリモン1匹捕まえたぜ!」
集合地点に着くと、留守番の健悟組に加えて誠とベアモン、そしてベアモンに首根っこを掴まれた1体のゴブリモンがそこに居た。健悟は合図の電子音を止め、翼に事の次第を軽く説明する。
「この先の部屋に隠れていたらしいんだ。僕らの顔を知っているようだったから、昨日戦った内の1体だと思う。抵抗するつもりは無いって言うから、こうして拘束するだけにしてるんだけど……」
そう言って冷ややかな視線を向ける健悟に、ゴブリモンは震えた声で弁明した。彼の顔は恐怖で引きつり、足元には木の棍棒が転がっている。
「オ、オラはただ、ちょっとご飯もらいに来ただけなんだ! 用が済んだらすぐ出て行くつもりで……!」
「嘘つけ、どうせ待ち伏せでもしてたんだろ!? 昨日はよくもウチの妹泣かせてくれたなこの野郎――」
誠はベアモンからゴブリモンの首元を奪うと、右の拳を振り上げた。直接昨日の礼をしようというのだろう。自らの手で報復せんとする気持ちは翼にも理解できる。しかし――
「やめろッ!!」
翼は咄嗟に駆け寄り、誠の肩口に力一杯体当たりした。誠は転んだ衝撃でゴブリモンから手を放し、部屋の内壁に上半身を強かにぶつけた。
「いっっ――――てえええええ!! おい、なんでタックルすんのさ!」
「……オレ達にはもう、彼らを傷付ける理由が無い……」
「いや大アリだろーが! こいつらはオレらの命を狙って――」
「それは過ぎた話だろ!!」
――なんで分かってくれないんだ。苛立ちを振り払うように叫んでも、翼の胸のわだかまりは微塵も晴れはしない。
「なあ、翼がそんなにキレるなんてタダゴトじゃねーぞ!? どーしたんだよ!?」
「僕としても、今の君はちょっと放置できないな……翼君、何があった説明してくれる?」
誠と健悟、そしてデジモン達が揃って驚きと困惑の眼差しを向ける。特に誠は、暴力を振るわれた怒りよりも翼の激昂自体に対する仰天が勝るといった様子で目を白黒させている。
翼は己の息遣いと、拾った布切れを握ったままの右手が震えているのに気付いた。
「……あんちゃん、それ……」
翼の足元で、ゴブリモンがおずおずと声を発した。翼が持つぼろ布を指差している。
「これ、オラの布団だ! ほら、ここの端っこがぎざぎざに切れてる!」
「……そっか、君のだったんだね。別に持って行くつもりはなかったんだ、返すよ」
「おお、ありがとな~! ……んだけど、オラがこれで眠れることはもうねえんだろな……」
諦めたように呟くゴブリモンの姿を見、翼は胸の奥がずきんと痛むのを感じた。これまでの非道を詫びなくては、と翼が口を開きかけると、
「あんちゃん達、昨日は悪いことしたなぁ。オラ達、魔王サマの手下に脅されて、ああするしかねかったんだ……」
何故かゴブリモンが謝罪の言葉を述べた。それも、聞き捨てならないセンテンスを添えて。
「ちょっと待って、『脅されて』……って、どういうこと?」
屈んで目線を合わせつつ、翼は聞き返した。盗賊一味が翼らを捕らえることで魔王から褒美が与えられる、という話はオーガモンがわざわざ説明してくれたが、その発言に『脅迫』を匂わせる語は含まれていなかった。
「ボスはあんまり頭良くねーから、あれが脅しって分かんねかったんだな……おとといアジトに悪魔みてーなおっかないデジモンが来てな、うちのボスにあんちゃん達を捕まえるよう頼んでたんだ。そいつが言うには、成功したら土地と位を与えるけど、失敗したらこのアジトを引き払ってもらう、って……とんでもねえ話だべ? でもボスは失敗するなんてこれっぽっちも思わねかったんだろな、オラ達の話も聞かねーで引き受けちまったんだよ」
ふむ、と翼は考え込んだ。話に出た「おっかねーデジモン」が魔王リヴァイアモンのエージェントかつこの一件のクライアントであることはまず確実である。クライアントがオーガモンを焚き付けた理由が翼らの捕獲であることもまた明白なのだが、ゴブリモンの話を聞く限り盗賊一味の排斥、ひいては「地上げ」の目的もあったのではと勘繰らざるを得ない。盗賊一味が翼らを捕まえてその有能さを証明できれば出世が望めたのだろうが、失敗した場合――そして憶測だが、仮に依頼を蹴った場合も――彼らは単なる無能の邪魔者として土地と命のどちらか、或いは両方を奪われることが決まっていた、と。
「生き残った他の仲間は、こっから西の海岸に集まってる……オラもそれについて行こうと思ったんだけど、お気に入りの布団と食糧だけでも持ち出したくて……んだから、もうあんたらと戦うつもりはねえ! ど~か見逃してけろ~!」
「いや、オレ達だって別に戦う理由は無いんだ……そうだろ、皆?」
翼が目配せ――というより念押しか――すると、仲間達はどこかきまりが悪そうにしつつも首肯した。
「オレぁ別に構わねぇよ、メシと物資をいくらか分けて貰えるならな」
「まあ、翼がそう言うなら……」
ドラコモンと誠の言葉に、ゴブリモンはいくらか安堵した様子であった。
「ありがと、ありがとな~……さっきの部屋に食糧がまだ残ってるから、オラ達で全部山分けすんべ!」
「え……嬉しいけど、オレ達も貰っていいの?」
「んだ、あんちゃん達はオラ達に勝ったんだからな!」
*
誠達が探索を受け持ったルートを玄関から辿ると、2つのドアが並ぶ短い廊下、その内右側のドアを抜けることで食糧庫に行き着いた。LEAFのディスプレイのバックライトで真っ暗な室内を照らすと、パンや果物、骨付き肉などの多様な食物が木箱に収められているのが確認できた。翼と誠は、食糧庫の中身を手当たり次第に回収して行った。
「スゲー! ホントに食べ物が吸い込まれてく……!」
誠がはしゃいでいるのは、LEAFの画面に近付けた骨付き肉が次々とLEAFに吸い込まれる光景に対してである。これも作戦開始前に健悟から聞かされていた情報で、LEAFの基本機能の一つに《アイテムキャプチャー》――DW上の物体をデータ圧縮し端末内部に保存できるもの――があり、物資の回収に役立つという触れ込みだった。回収したい物を画面に近付けるだけで利用できるらしく、翼も真似をして丸パンをLEAFにかざすとやはり同様に吸い込まれて消えてしまった。
「誠、あんまり欲張るなよ。ゴブリモン達の分も残しとかないと」
「ああ、オラ達のことは気にしなくていいからな。肉がこんだけあれば十分だ~」
ゴブリモンは翼が手渡した布団を風呂敷代わりに、翼の頭1個ほどの大きさのマンガ肉を2、30個山積みにして包んでいた。それだけでも小鬼の身長を優に超える大荷物にはなるが、彼の仲間全員で分け合って今後の糧とするにはやや心許なく見える。
「オラは布団のついでにちょいとくすねるだけだから。ボスがいた頃は、肉は滅多に食えねかったんだ……他の仲間は今頃海で魚でも釣ってるべ」
翼の疑問を見透かしたように、ゴブリモンはけらけらと笑った。頭目を失った彼らは、彼らなりに新しい生活を築きつつあるのだ。でなければ、ゴブリモンがこれほど晴れやかな顔をする筈は無い。
「……タスク、さっきの話の続きだけどよ」
翼の傍らで、ドラコモンがマンガ肉にかぶり付きながら語りかけた。
「つまみ食いかよ……」
「いいだろ、オレやることねぇし……確かにオレ達は盗賊共の命と、その数だけの未来を奪った。けど、死んだ連中はオレ達のことを恨んだりはしねぇ」
「……どうしてそう言い切れるのさ」
「そりゃアレだ、オレ達がやってたのは『命の奪い合い』だからさ。きっとアイツらはオレ達を捕らえることでしか生き残れなかったし、オレ達はアイツらを殺ることでしか助からなかった。そのどっちかの未来しか無いってことを、あの場にいた全員が弁えてたってことよ」
ドラコモンの言葉を聞き終え、翼は作業の手を止めた。
翼とオーガモン達は、あの場で「未来」を奪い合っていた。そう解釈すれば、ドラコモンが戦いを正当化する理屈には一応筋が通る。彼らは己の命を賭けることでしか未来を切り開けないことを知り、また覚悟していた。当事者全員が心の底から戦いを望んでいたとは考え難いが、少なくともそこにはデジモン達なりの「合意」があった。人間の勝手な価値観が挟まれる余地などは無かったろう。
「オレは戦うことを躊躇ったりしねぇ。オメーにゃ絶対死んで欲しくねぇからな」
肉の最後の一片を口に入れながら、ドラコモンはぽつりと言った。
翼らは未来を奪い合った末にこうして生き延びている。翼が手に持ったパンはいわば戦利品だ。殺した相手を喰らう、というデジモン達の営みに、既に翼も参入していたのである。
翼は大口を開け、パンを噛み千切った。水気の抜けかかったそれはぱさぱさとして、口内の水分を少々奪ったが、そのほんのりした甘みで翼の味覚をどうしようもなく悦ばせた。
「……うまい……」
「あっ、翼! 何つまみ食いしてんだよ!」
「いいだろ、オレ達生きてるんだし」
「意味分かんねーよ!」
一口分にはやや多過ぎたパンをゆっくりと咀嚼して飲み込み、翼がもう一口目を頬張ろうとした矢先、何者かが床をバタバタと鳴らして食糧庫に駆け込んだ。それは玄関口で見張りをしていた健悟とヒョコモンだった。
「やべっ! ごめんなさい、真面目に作業するから許――」
「全員ここから離脱して! 今すぐに!」
早口で訴える健悟の顔には、大きく「緊急事態」と書かれている――ように見えるほどの焦りが滲み出ていた。わざわざ口頭で伝えに来たということは、事前に想定していなかった何かが起きたということだ。
ドラコモンとベアモンが、屋外に面した壁を同時に殴りつけた。すると壁が一枚の板として綺麗に剝がれ落ち、昼の光が部屋に流れ込んだ。
「な、なんだや? 何が起きたのや?」
「説明は後! 今は一緒に逃げよう!」
「んだけど、オラの肉が……」
「外にポイしてポイ!」
翼はゴブリモンの手から肉の包みを攫い――これが予想に反してやたらと重く、10kgサイズの米袋でも持ち上げたような感触であった――即席の通風口から投げ捨てる。そして翼自身もゴブリモンの手を引き、ドラコモンと共に乾いた地面目掛けて飛び降りた。落ちる先には先日見たのと同じ《光の網》が出現し、翼らの体を柔らかく受け止めるとすぐに消滅した。健悟とヒョコモンも続けて同様に飛び降りたのを確認し、翼らは揃って駆け足でツリーハウスから離れた。
「お兄ちゃん、早く降りて来て!」
「ちょっ、こんなトコから飛び降りんの!?」
「マコト、ぼさっとしない!」
「おいやめろ押すな押すな押すな、アァァァ――――――――!」
ベアモンが誠の背中を押して倉庫から飛び降りた瞬間、腹の底まで響くソリッドな爆発音と共に、ツリーハウスが爆煙を上げて粉々になった。爆風と文字通りの木っ端に煽られつつも、誠達は辛うじて建物との心中を免れた。
「皆さん、ご無事ですか!? 敵が5体、こちらに近付いています!」
翼らを出迎えたルナモンの警告は、どうやら健悟が端折ったそれと同じ内容らしかった。
「あ、あいつらだ……オラ達が仕事に失敗したから、あいつらがここを吹っ飛ばしに来たんだ……!」
ゴブリモンの怯えた声で、翼は己の置かれた状況を概ね察した。盗賊一味に翼らの捕獲を依頼した魔王傘下のデジモンが、ゴブリモン達から安住の地を奪うべく攻撃を始めたのだ。
焼け落ちるツリーハウスと、肩を抱き震えるゴブリモン。それらを順に見つめると、翼の心は自ずと決まった。
「ゴブリモン、君は食糧を持って早く逃げて。仲間達と仲良く暮らすんだよ」
「え? あんちゃん達はどうすんだ?」
「それは……気にしなくていいよ。もう君には関係無いことだから」
翼は炎の柱と化した大樹の向こうを睨み、そこに敵の影を5つ認めた。全身を赤銅色の金属に包まれ、ずんぐりとした丸い胴から手と足を生やし、そして僅かに覗く頭に緑色の無機質な眼を光らせるそれは、例えるならば「機械の歩兵」。ゴブリモンの言っていた「悪魔」のイメージとは程遠いが、ガシャン、ガシャン、と駆動音を響かせながら横一文字の隊列で威圧的に迫る様は少なくとも友好的な者の振る舞いではない。
「〈ガードロモン〉……さっきミサイルを撃ったデジモンです!」
「オレ達をきっちり潰せる頭数、か……おいタスク、流石にもう目は覚めてんだろうな?」
ドラコモンの皮肉めいた呼びかけに翼は、うん、と答えた。
今この瞬間まで、翼の頭の中に引っ掛かっていたものがあった。力のみを正義とする弱肉強食の世界で、翼らが挫かねばならない「悪」とは何なのか。力による蹂躙が日常茶飯事であるならば、望ましい蹂躙とそうでない蹂躙があるとでもいうのか、と。その解が、翼にはようやく見えた気がした。
「戦おう、ドラコモン。オレ達は世界を救う英雄、なんでしょ?」
「お、おう……吹っ切れたんならいいが、ンな顔で言うことじゃねーぞ、それ……」
――オレ、そんなに怖い顔してる? という質問はそっと飲み込みつつ。
このDWに「悪」と呼べるものがあるならば、それは生存競争の範疇を超えて殺し合い、争いを必要としない者達にさえ争いを強いる行為。世界のヒエラルキー自体を破壊しかねない、秩序そのものへの反逆だ。丁度人間が自然界に対して行って来たような一方的な侵略は、この世界にあってはならない過剰な力の行使である。
平等に命のやり取りができる世界。それこそが、デジモン達が望んで止まない秩序なのだ。
「あんちゃん、あいつらに楯突くのだけはやめとけ! オラ達なんかとは比べものに――」
「いいから! 早く逃げて!!」
翼が語気を強めて促すと、ゴブリモンは肉の包みを持って一目散に逃げ出した。が、隊列中央のガードロモンがそれに気付き、右腕のハッチからミサイルらしき飛翔体を一つ、ゴブリモンの背中へ向けて射出した。
「ドラコモン!」
「しゃーねぇ、メシの礼だ! 《ベビーブレス》!」
この一瞬でドラコモンは翼の意を汲んだと見え、すぐさま走り出すと、弾着数秒前のミサイルに追い付いて射程一杯の間合いで炎の息を吹きかけた。鈍色の弾体がじんわり赤熱したかと思うと、ツリーハウスを粉砕したそれと同じ盛大な爆発が、その余波を以ってドラコモンとゴブリモンを吹き飛ばした。
「どあっ――ぶねええええ! おいオメーら、ミサイルはマジで危ねえ! 至近距離で確」
「……ェェェェエエエエンゴ殿オオオオオオオ!!」
「実に仕留ブフッ!?」
運良く両足で着地したドラコモンの頭部に、突如飛来した黄色い物体が激突した。ヒョコモンである。
「いっててて……ヒョコモン、オメー飛べたのか……」
「否、あのカラクリ人形に殴り飛ばされたでゴザる! 全く刃の立たぬ相手ゆえ、此度ばかりはお役に立てるかどうか……」
翼がガードロモンの小隊に視線を戻すと、他のパートナー達も各自戦闘を始め、皆一様に苦戦していた。ベアモンの拳は鋼の体を多少揺らすのみに留まり、コロナモンの炎熱や、一見機械には効きそうなルナモンの水の球すら装甲を僅かに汚すだけであった。
「ねえ健悟、これって……」
「はっきり言って、今のままじゃ勝ち目が無いね」
健悟の反応を伺い、翼も確信した。今度の敵はドラコモン達の手には負えない。サングルゥモンやオーガモン並のデジモンを5体相手取るような分の悪さである。ゴブリモンを無事に逃がすことができただけでも大健闘といえよう。
すぐにでも全員で退却できるよう、翼がドラコモン達を呼び戻そうとすると、健悟が何かを呟いた。
「せめて、アレの使い方さえ分かれば……」
「え――待って、何の話!? 何かいい方法があるの!?」
「あっいや、そうじゃないんだ、あくまで可能性の話……昨夜話したでしょ、LEAFの機能をいくつか検証したい、って。その機能の一つに……ヒョコモン達の力をあのガードロモンと同等、あるいはそれ以上に引き上げられるプログラムがあるんだ」
パートナー達の力を引き出す――LEAFの能力についてドラコモンが語った内容と一致する。
「やっぱりそうなんだ! で、どうやったら使えるの!?」
「それが分からないんだって! 他のプログラムと違って、普通の操作では起動できないようになってる! いつか必要になると思ったから早めに検証したかったのに、間の悪い話だよね……」