【Part 1/3】
*
意識を取り戻した少年――坂本翼(さかもとたすく)の感覚が最初に捉えたものは、暗闇。光や音、熱さえも感じさせないベタ塗りの暗黒の中では、翼自身と、手を握り合った《相棒》ドラコモン以外の何者の存在も知覚できない。ドラコモンが右手の先にいることさえも、手指に伝わる温もり以外に証左とできるものは無い。
ただただ暗いその空間で、翼とドラコモンはふわふわと浮いているようであった。足場どころか重力の感覚も無いのだ。それが分かった時点で、翼は己のいる場所が普通の空間でないことを即座に悟った。
どこへ動かされるでもなく、ただ浮かぶばかりの2人の体は、しかし不意に不可視の何かに引っ張られ急速に移動し始めた。その「何か」の力は、丁度翼ら地球の生物には馴染み深い、重力に近い感触だった。
引き寄せられる先には、星のように暗闇を穿つ光の点が一つ。近付くにつれ、微かな熱と風が件の光――否、よく見るとそれはどこかへ通ずる「穴」であった――から流れ、翼の全身を刺激する。ゴーグルのスモークグラス越しにも、迫り来る光は鮮烈に翼の視界を塗り潰した。
ep.02「君の役割」
「見えるかタスク、これがオレ達の世界だ!」
ドラコモンが叫ぶのとほぼ同時に、翼の視覚が明順応で正常な像を取り戻した。とはいえ、翼は己の眼に映る風景が「正常」なものか否か、確証が持てなかったが――。
青く凪いだ大海原と、それに面する広大な陸地。人工物が一切見当たらない地上には、手付かずと思しき森林や丘陵の他、頂から火を噴く高山など、地球の大陸でもお目にかかれるか怪しい壮大な天然物の数々が悠然と拡がっている。
「この景色、憶えてるぜ……《WWW(ウェブ)大陸》だ! オレが最後に魔王傘下の連中と闘り合った場所だぜ!」
「あ、DW(デジタルワールド)にも地名ってあるんだ……」
大陸、と呼ばれた眼下の大地を、翼はまじまじと観察した。陸地の面積が限りなく広いことは、その全体像が地平線で見切れていることからも伺い知れる。しかし細かい地形や植生は地上に降りてみないことには、
「ちょっと待って」
「お、どーしたタスク」
遅まきながら、翼は気付いた。髪と服が絶えず風にはためき、強い加速感を纏いながら大陸を広角的に望んでいる自身の状態に。
「これ、もしかして……落ちてる……?」
「んー……ああ、ホントだ。RW(リアルワールド)で空に上がったと思ったら、今度はDWで落ちてる、と。ハハ、面白ぇな!」
「いや笑い事じゃないから!! このまま落ちたら絶対死ぬって!!」
落下傘無しのスカイダイビング。冒険がしたい、とは言ったが、生き延びようの無いチャレンジを冒険と呼ぶバカがいるか。
「確かにこのままじゃ地面にゴッツンだな……タスク、人間の知恵でどうにかなんねーか?」
「ええ!? どうだろう、服で帆を作って落下地点を海に……はちょっと難しいな……ていうか、ドラコモンの背中に羽あるじゃん! それで飛べばいいんだ!」
「あ、これ? あるけど、空を飛ぶような力はねーぞ。小さいし」
「なんだ、飾りか……」
「おい、オメー今なんつった!? 飾りな訳ねーだろ、未来のノビシロって言いやがれ! 上手く《進化》すりゃいつか空だって――」
「今その未来が懸かってんだよッ!!」
このまま何の対処もできなければ、翼の冒険は1歩目にして――着地姿勢によっては地に足を着けることも無く――終わってしまう。が、今の翼はこの窮地を脱する方法を持ち合わせていない。持っているものといえば、目元を覆うゴーグルと、左手に握ったままの《LEAF》ぐらいである。
「……LEAFの力で、どうにかできないかな」
「なんか、できそーな気がするな。そいつがオレ達をDWに連れてきたんだ、多少の世話は焼いてくれるかもな」
翼は手の中の小さなデバイスを見つめた。翼の机の引き出しにいつの間にか入っていたそれは、ドラコモン曰く「人間の持ってる力を引き出すアイテム」らしいのだが、現時点ではDWへの通り道を開く機能以外に詳しい特性が判明していない。翼らを救う力があるかも知れないし、無いかも知れない。
「LEAF、このままじゃ地面にぶつかって死んじゃうよ! オレ達を助けて!」
直下に遠く広がっていた地平は、気が付くと手が届きそうな低さまで迫っていた。思い付くままLEAFに呼びかけると、LEAFは翼の声に応えるかのように軽やかな電子音を鳴らし、ディスプレイの中央に英字列を映し出した。
[Physical Emulation : "LIGHTNET" ...Ready.]
直後、フイイイイイン……と奇妙な音を立て、翼らを待ち受ける草地より少し高いところに黄色い光の網が浮かび上がった。その光の網は、翼とドラコモンの体をふんわりと受け止めると、ジジ、とノイズめいた音を発して瞬く間に消えてしまった。
軽く尻餅を突いただけで、翼らの予期せぬスカイダイビングはあっさり終了した。
「……助かった、のかな」
「らしいな。……にしてもLEAFってすげえな、まるで魔法だ」
ドラコモンは目を輝かせてLEAFを見つめるが、翼にはどうにもぴんと来ない。LEAFの能力が「すごい」のか、或いは現実にはあり得ない現象ばかり起こるこの世界が「すごい」のか。
翼はゴーグルを首元に下ろし、ゆっくり腰を上げた。鼻から喉を通り抜けていく空気は、仄かに草と潮の香りがする。手でズボンを叩くと、細かな土の塊がぱらぱらと落ちる。仰ぎ見た青空には、低くうねる風音と千切れ雲が蕩々と流れている。
デジタル、というより、「ありのままの自然」。翼の五感が捉えたDWは、仮想、電子、作為などといったイメージとはほど遠い、現実的かつ自然な世界だった。RWでいう「生命の楽園」とは、こういう環境を指すのではないかとさえ思われた。
しかし同時に、翼はえもいわれぬ違和感も覚えていた。翼とドラコモン以外に、生き物の気配がまるで無いのだ。これほどまでに快適な環境であれば、動物――DWの住民たるデジモンがその辺を闊歩していてもおかしくない筈なのに。
「オメーも気付いたか。ここら一帯、デジモンの気配がまるで無ぇんだ」
「活火山の麓だから、元々少なかったとか?」
「いや、結構いたみたいだぞ。デジモンの足跡とか巣穴があちこちにあるからな。けどそれ以上に争いの痕跡が目立つ。ここに住んでた連中、皆どっかに追いやられたか……殺されてるかのどっちかだ」
ドラコモンの言葉を受け、翼は改めて周辺を観察した。周辺の草地が所々凹んでいたり、逆にふんわり盛り上がっていたりするのが、デジモン達の生活の跡であることが伺えた。そして同時に、黒焦げの樹木や、上半分が粉砕された土のかまくらなど、何らかの破壊活動があったことを証明する物も確かに見受けられる。
「誰が、こんなことを」
「決まってんだろ、《魔王》の手下共だ」
「《魔王》本人、じゃなくて?」
「ああ。伝説の魔王デジモンが復活したってんで、『悪しき種の時代』とか言って大陸中のチンピラが調子に乗ってあちこちで暴れ始めやがったんだ。それでこのザマって訳よ」
「そうだったんだ……でもさ、ドラコモンを追って来たアイツは、チンピラって感じじゃなかったよね」
「あの犬公は多分、魔王に直接仕えてる連中の下っ端だな。奴らは例のチンピラと違って何か目的があって動いてたらしいが、詳しいことは結局分からず終いだった」
ドラコモンの説明で、翼は世界を取り巻く情勢の大筋を察することができた。《魔王》の覚醒により悪質なデジモンがDW各地で暴れ始め、その裏側で《魔王》の手下が何かを企てている。そして世界の混乱を収めるには、《魔王》とそれに関わる全ての勢力を制圧しなければならない、と。
「……オレ達が、止めなきゃいけないんだね」
「そーいうこった! オレとお前が、この世界の英雄になるんだ!」
分かってはいたが、ストレートに言われると殊の外恥ずかしい。ドラコモンの言う通り、これから翼らが挑むのは「世界を救う冒険」――悪を挫き、正義を示す戦い、ということになるのだ。
「なんか不安になってきた……本当にオレ達だけでできるのかな」
「そんな弱気になるなって! 言ったハズだぜ、オレとお前が組めば怖いモン無しだってな! まあでも、確かに協力者の1体や2体は欲しいような――」
温度差が際立つ2人の会話を、LEAFからの電子音が不意に遮った。ピポペポピポパポ、と単調なメロディを繰り返し奏でるそれの画面には、黒地に薄緑のグリッドラインが細やかに引かれ、中央には赤い矢印が1つ、上端に寄り集まった4つの白い光点、左下には縮尺と思しき線と数値が映し出されている。その構成はどこか見覚えのある、レーダー探知機か何かの画面を思わせるものだった。
「タスク、これ何が映ってんだ?」
「近くに何かがある、ってことだと思う。詳しいことは分かんないけど、LEAFがわざわざ教えてくれるってことは、多分大事な何かだよ」
「なるほどな……で、どーするよ。見に行くか?」
「オレは見に行きたいな。最初の目的地にするには丁度良い気がする」
「同感だ」
頷き合い、翼らはLEAFが指し示す「何か」の方へ歩き始めた。その第一歩は、期待に踊る心の軽やかさと、圧しかかる緊張の重みに包まれ、地面を踏んでいる感じがまるでしなかった。
LEAFを片手に見知らぬ地を歩む内、翼はLEAFの画面が示すものの意味を理解することができた。画面中央に固定された矢印は翼らの向いている方向を指しており、グリッドラインと光点は翼らの動きに合わせて向きと距離がリアルタイムで変化している。どこか見覚えがあると感じたのは、それが和恵の車に装備されたカーナビのインターフェースに少し似ていたからであった。
LEAFのナビに導かれるまま踏み締める草地は、歩みを進めるにつれ緩やかな上り坂に変わっていくようだった。さらにしばらく歩くと、翼らの行く先に小高い丘陵が見え始めた。その天辺には何かの生物と思しきシルエットが8つ見え、中には人間らしい背格好のものもあった。
「やっぱり何かいやがった。この気配……デジモン、と、人間か?」
呟くドラコモンを尻目に、ドラコモン翼はLEAFの画面と丘の上とを交互に見た。表示された光点は全部で4つ、進行方向に待ち受ける影には半分足りない。どうなってんだ、と翼が首を捻るのと同時に、LEAFのナビゲーション画面は音も無くブラックアウトしてしまった。道案内はこれで十分、とでも言いたいのか。
「……行ってみよう。何かあったらドラコモンに任せる」
「分かった。警戒はしとくけど、背後と足元には気ぃ付けてくれよ」
瞳を尖らせて前に歩み出るドラコモン。その背中をゆっくりと追いつつ、翼はふと考えた。丘の上に待つ者達は、LEAFがわざわざその位置を知らせるほどに翼らにとって重要な存在、敵か味方のどちらかである筈だった。敵ならばドラコモンが叩きのめして尋問するのだろうが、もし味方だった場合、翼は彼らとどう接するべきなのか、と。
翼にはこれもまたピンと来なかった。DWを渡るには協力者がいないと心細い、という旨の発言をした覚えはあるが、果たして自分は本心から「仲間」を求めているのだろうか。翼がRWで目にして来た人間達は世渡り上手な代わりに川も渡れなさそうな者ばかりで、そんなお荷物と旅路を共にしろと言われたら翼は迷わず拒否できる自信がある。尤も、翼と同様にデジモンの相棒となった人間が待ち受けているとすれば、ひょっとしたら、境遇だけでなく性格、思想の部分でも分かり合える人間に出会えたりするのかも知れないが。
「……動いた! 来るぞタスク!」
ドラコモンの警告に、翼は我に返って身構えた。丘の天辺から、人間らしき者と、それより背の低い小熊めいた形のモノとがせかせかと駆け下りてくる。
翼は徐々に近付いて来る2つの存在を睨みつけ――あれ、と思わず声を漏らした。人間らしき者の姿に、翼には見覚えがあった。寝癖か癖っ毛か定かでないぼさぼさの茶髪、身体活動量と発熱量の多さを主張するタンクトップと短パン、そしてその頭上で大袈裟に振り回される元気な右手。
「翼――――っ! 翼じゃねーか! お前も来てたんだな!」
見紛う筈も無い。数時間前に通学路で見送った同級生、〈星上誠(ほしがみまこと)〉その人である。誠は翼の目の前で立ち止まると、翼の肩を両手でがしっと掴み、おお本物だ、と呟いた。どんな判断基準なのだろう。
「誠、なんでお前がここに……!?」
「んー、まあオレも細かいことはわかんないんだけどさ。ところでそれ、お前のパートナー?」
「おいガキ、『それ』呼ばわりは失礼だろ! まずオメーが先に名乗りやがれってんだ!」
「あん? 何いきなりキレてんだよ!」
当然ではあるが、ドラコモンと誠は面識が無い。それゆえドラコモンが誠に対し警戒心を露わにするのも無理からぬ話であった。この不躾な少年をドラコモンの前に放置すると血祭りに上げられそうな予感がしたので、翼が慌てて間に入ろうとすると、先回りして割り込む者がいた。
「ごめんね、マコトって誰に対してもこうなんだ。もうちょっと礼儀正しくなってくれると、ボクとしても助かるんだけど」
それは誠の傍らにいた黒い小熊――十中八九デジモンの一種――であった。紺色の野球帽を被り、胴体と両拳に紺色の革ベルトを巻きつけたそのデジモンは、聞く者の警戒心をたちまち解いてしまえそうな爽やかな男児風の声を発した。
「ボクは〈ベアモン〉、このマコトの相棒だ。君達も《LEAF》に導かれて来たんだね?」
「え、うん。オレは坂本翼。こっちは相棒の……」
翼が振り向くと、ドラコモンは黙したままベアモンを凝視していた。
「ドラコモン、だね。君と同じ種族のデジモンに知り合いがいるんだ」
「えっとね、ドラコモン……誠はオレの知り合いなんだ。根はいいヤツだから、怖がらなくていいよ」
「怖がってねーよ! つーか、そっちのクマ公の方がよっぽど信用ならねぇ! LEAFのことも知ってるし、なんかミョーに落ち着いてるし!」
理不尽ともいえる怒りをぶちまけるドラコモンに対し、ベアモンは困った笑みを浮かべながら応えた。
「正直、ボクも色々と混乱してるんだ。LEAFについてもあまり多くは知らないし。向こうに集まってるデジモン達も、多分似たようなものだよ」
「そーゆーこと! いきなりケンカ腰になんないでさ、まずは皆に挨拶だ!」
誠らの言葉を聞き終えても、全ての疑問が解決されることはなかった。しかし、翼には唯一分かることがある。
期せずして出会った誠が敵でないとすれば、つまり彼は味方。即ち翼の旅のお供ということ。
――え、こんなバカが仲間?
「絶っっっっ対に嫌だ――――!!」
「なんでだよ! 人見知り全開かお前!」
*
翼の柄にもない錯乱状態は、誠に手を引かれ丘の天辺に辿り着いた時点であっけなく収まってしまった。翼を待ち受けていた者達――面識の無い人間の子供3人と、その銘々の傍らに立つ小柄なデジモン3体――を一目見たことで、翼の理性が好奇心を連れて舞い戻ったのである。彼らが翼らの同類であることはすぐに察しが付いた。
「皆、紹介するぜ! オレのダチだ!」
友達(ダチ)……だったろうか、という疑問は頭の片隅に置き、翼は誠の言う「皆」に向けて自己紹介を試みた。顔色を伺いがてら一人一人と目を合わせるよう努めたが、返される視線がどれもあからさまに訝るようなものであったために、翼は当て所無く視線を泳がせざるを得なくなってしまった。
「えっと……坂本翼です。誠の同級生で……こっちはパートナーのドラコモン。……よろしく」
「暗いぞ翼ー、もっと笑顔笑顔!」
脇から茶々を入れる誠を、翼は横目で睨め付ける。お前じゃあるまいし、初対面の人間にそこまで馴れ馴れしくできるか、と。
さて何かレスポンスはあるだろうか。翼は改めてその初対面の子供達に向き直った。するとその中の一人、幼い顔立ちの少女が前に歩み出た。
「あのっ、ワタシは〈星上ひなた〉ですっ! 小学5年生です! その……いつもお兄ちゃんがお世話になってます」
フリルブラウスにショートパンツといった風貌で、誠に似た茶髪をツインテールにした彼女は、両手を足の前で組みながら、おどおどした表情で上目遣いに翼の顔を見ている。
「お兄ちゃん……って、もしかして誠?」
「ああ、言ってなかったっけ?」
初耳の情報に目をぱちくりさせつつ、翼は律儀な少女に会釈した。コイツにまともに付き合うと確かに世話が焼けます、などとは口に出せず。
「オイラは〈コロナモン〉、ヒナタのパートナーだ! よろしくゥ!!」
続けてよく通る大音声で名乗ったのは、炎を思わせる朱色の体毛に身を包んだ二足歩行のライオン様のモンスターだった。額の飾りと尻尾の先に炎らしき光が揺らめいているが、まさか本物のプラズマではあるまいな、と翼は首を傾げた。
「私は〈木島レミ(きじま-)〉。中学1年生よ」
生真面目そうな、透き通る声で名乗るもう1人の少女。ストレートに流した黒い髪と、菫色の袖付きワンピースが描くコントラストは、翼の目に印象深く映った。
「お初にお目にかかります。わたくし、レミのパートナー〈ルナモン〉と申します。どうぞ、よしなに」
鈴を鳴らすような声で挨拶をし、たおやかに腰を折ったのは、これまた二足歩行らしい兎然としたモンスター。大きな耳らしき器官を2対、そして額から細い触角を生やしており、そのシルエットはデジモン達の中でも際立って異質に感じられた。
女子2名とそのパートナー達の自己紹介を聞き終え、翼は残る1人と1体――少し背の高いクールビズ風の出で立ちの少年と、髷を結ったヒヨコ形のモンスター――を一瞥した。
「おい健悟、お前も自己紹介!」
誠が促すと、少年はあからさまに顔をしかめた。崩れかかった七三分けの黒髪、その下から覗く黒い瞳は、底無しの気苦労を湛えて暗く淀んでいる、ように見えた。
「……〈早勢健悟(はやせけんご)〉」
健悟、というらしいその少年は、たった一言声を発すると、すぐに背を向けて手近な岩に腰掛けてしまった。
「これは失礼、タスク殿! 我が主君がとんだご無礼を……拙者は〈ヒョコモン〉、ケンゴ殿に仕えるパートナーデジモンにゴザる! 以後お見知り置きを」
甲高い男児風の声で、ヒヨコが古めかしい日本語を話した。それだけでも十分インパクトはあるが、何よりヒョコモンの姿態――背中に刀を、そして腰には半分に割れた卵の殻状の装具を身に付けた奇妙なシルエット――が目を引く。デジモンというのは何でもアリか、と驚き呆れざるを得ない翼であった。
「……てな感じで、皆仲良くやろーぜ! なっ!」
至って軽い調子で締め括ろうとする誠に、翼はすかさず言葉を返した。
「いや、なんでだよ」
「えっ?」
「オレ達、まだ仲間って決まった訳じゃないだろ」
「確かにな。ついでに言っとくと、オレぁまだここにいる連中を一人も信用しちゃいねーからな」
ドラコモンが見せる警戒心とは多少異なるが、翼も件の少年少女を無条件に信用することはできなかった。そもそも翼が他人との接触を好まないから、という理由もあるが、一番の理由は「ここに集められた理由が分からないから」だ。烏合の衆かも知れないし、翼の知らない所で示し合わせて結成された集団かも知れない。いずれにせよ、DWという未知の領域を渡る上で、誠を含む自分以外の人間と行動を共にするメリットがあるとは考え難かった。
「いや、そーかも知んないけど……こんな世界だからさ、皆で力を合わせなきゃ生きて行けねーじゃん? 学校でも教わったろ、集団行動は大事だって」
「ここは学校じゃないんだから、わざわざ群れて小回りを利かなくさせる理由は無いって。それに、デジモン達はともかく、人間はサバイバルで足手まといになりそうだし」
「足手まとっ……お前、そーゆー性格してっから友達いねーんだぞ……?」
「うるさいな、お前はお友達と一緒に動いてればいいだろ」
翼はこの手の問答が嫌いだった。自他の命が懸かった局面においてさえ、人々は人情や世間体やらを大事にするからだ。大人は口を揃えて協調・共生の尊さを説き、子供はそれを疑いもしないが、翼に言わせれば何の目的意識も無しに群れて偉いことなどありはしない。人の群れから離れて生きることへの本能的な恐怖を、聞こえの良い理屈で正当化しようとしているに過ぎないのだ。
――オレにはドラコモンさえいればいい。寂しさを埋めたいなら、オレでなくてもいいだろ。翼は誠達から目を逸らし、溜息を一つ吐いた。
「それについては、僕も同感だよ」
唐突に口を挟んだのは、先ほど名前だけを告げてさっさと背を向けてしまった少年、早勢健悟だった。落ち着き払ったその口調は、他の子供達とは一線を画した知性を感じさせる。
「僕達は別に仲良しごっこのためにここへ来た訳じゃない。各々勝手に動いたって、目的の達成に何ら支障は無いんじゃないかな」
「お前まで何言ってんだ! さてはお前も友達いねーな!?」
「少なくとも、君みたいに頭の足らない知り合いはいないよ」
「ンだと、もっぺん言ってみろコラ!」
現実世界では人に好かれやすい彼が、なぜここでは嫌われるばかりなのか。翼のそんな疑問を他所に、誠は取っ組み合いでも始めようかという勢いで健悟に詰め寄った。今度こそ仲裁が必要か、と翼が腹を括ったその時、ラジオのノイズめいた音が耳を撫でた。その音は他の少年少女、そしてそのパートナー達にも聞こえたらしく、一同は訝しみ周囲を見回した。
『……皆さん、言い争いをしている場合ではありません』
それまで意味を成していなかったノイズが、不意に大人の女性の声に変わった。かと思えば、今度は翼を除く全員の視線が翼の方に集まった。わあ冷ややかな目、と翼はたじろいだが、ドラコモンが指で示した方向を見てようやく理解が追い付く。翼の後方、頭より上の方に何かがあるらしいのだ。
振り返った先にあったのは、巨大なスクリーン様の映像が宙に浮かぶSFめいた光景。半透明の四角い平面として何もない空中に現れたそれは、白一色の背景に、緑色の鎧で全身と目元を包み金色の羽を背中に頂く女性を映し出していた。その姿は、さながら《天使》だ。
『人間の皆さん、DWへようこそ。私は〈オファニモン〉、貴方がたをこの世界へ誘った者たちの代表としておきましょう』
オファニモン、と名乗った天使の言葉を聞き、翼を含む子供達全員の顔が引き締まった。人間の子供とデジモンがこうして一所に集められた理由を聞き出すいい機会なのだから、当然だろう。
『我々に残された時間は多くはありません。ここでは重要な点を、端的にお伝えしておきます』
空中のスクリーンが、大洋に浮かぶ陸地と思しき画像に切り替わった。翼はその一端の輪郭に見覚えがある。翼とドラコモンが空から見、今正に踏み締めているこの土地だ。
『今、このDWは〈リヴァイアモン〉という邪悪なデジモンの脅威に晒されています。DWの深淵《ダークエリア》に封印されていた彼は、何者かの手によって解放され、このWWW大陸の最北端を占領してしまったのです。彼はまだ眠りから目覚めたばかりで、本来の力の半分も取り戻してはいませんが、もし完全に復活してしまえばこの世界――いえ、恐らくRWにまで良からぬ影響が及ぶことでしょう。DWとRW、2つの世界を救える唯一の希望として、貴方がた人間の《デジモンテイマー》を、私共がここに集めたのです』
ドラコモンから聞いたそれと同様の説明の最後に、聞き慣れない名詞が付け加えられた。翼がスクリーンに向かって問いかけようとすると、一足先に健悟が言葉を発した。
「テイマー、って、調教師とか飼い主って意味だよね。僕達はヒョコモンを……デジモンを使役する者としてここにいる、って解釈でいいのかな」
その声はスクリーンの向こうに届いたらしく、再び切り替わった画面の中でオファニモンが頷いた。
『その通りです。全てのデジモンは生まれながらにして戦う力を持っていますが、それらはあくまでこの世界の基本原理の一部に過ぎません。世界の秩序を取り戻すためには、DWの摂理の埒外に位置する力、即ち人間の存在が欠かせないのです』
「……なあ翼、今のってどーゆー意味?」
誠が翼の肩を指で突き、小声で尋ねた。誠のような体育会系の人間には――というか、年端も行かない少年少女にとって等しく難解な話であることは間違いない。
「DWの内側だけじゃどうにもならないから、オレ達みたいな外の世界の住民を呼んだ……ってことじゃないかな。多分」
翼も己の理解度に自信が無いため、胸を張って説明することは叶わなかった。現代文50点の実力を、翼は初めて呪わしく思った。
「冗談じゃないわよ!」
重く厳格な空気を、少女の叫び声が切り裂いた。声を上げたのは、翼や誠と同い年らしい女子、木島レミであった。
「勝手に変な世界に呼び出して、モンスターと一緒に世界を救えだなんて、無茶言わないで! 私はこんなことに同意した覚えは無いし、元の世界でやらなきゃいけないことがあるのに!」
痛切な訴えを聞き、翼はこんなシリアスな状況にも関わらず己の好奇心が疼くのを感じていた。ここに集まった子供達は全員翼と同様にデジモンと出会い、世界を救う使命を受け入れているものと思い込んでいたからだ。
「はわわ、申し訳ありません! わたくしの手際が悪かったせいで、ろくに事情を説明できないままお連れしてしまいまして……!」
早口で誤り始めたのはルナモンで、レミ、翼ら、スクリーンの順に繰り返し頭を下げている。翼から見るとその謙虚さはやや極端に感じられるが、これを見習ってドラコモンにも多少の慎ましさを覚えて欲しいとも思う。
『かように性急なやり方になってしまったのは、私共の責任です。しかしながら、貴方がたをテイマーたらしめたのは他の誰でもない貴方がた自身……その点だけは理解して頂きたいのです』
――オレ達、「自身」?
翼が抱いたものと全く同じ戸惑いが子供達全員の胸に生じたようで、銘々の目と口がもの言いたげに小さく動くのが分かった。
『皆さんの手元にある《LEAF》、それらはあるいくつかの基準に沿ってテイマーの資質を持つ人間を見出します。その中で最も重要な基準は――「心の底からパートナーを求めていること」、です』
翼が手元のLEAFを見ると、誠達も全員ポケットから同じ形状のデバイスを取り出した。抱える事情は様々でも、LEAFに導かれてDWに降り立ったという点は共通していると見える。
『世界を救う鍵となるのは、テイマーとデジモンの強い絆です。それらはこのDWにとって必要であると同時に、貴方がた自身にとっても必要となることでしょう』
「……だったら、私には無理だよ。誰かと仲良くするって、得意じゃないから」
『貴方は……レミ、といいましたね。貴方のLEAFは既にルナモンとデータリンクしている……それは貴方の心がルナモンを受け入れていることと同義なのです。それに、ここに集まった全ての人間とデジモン、誰が欠けても世界は救えません。それが――――――の示した――なので――――』
不意に、スクリーンの映像と音声が途切れ始めた。
『――り時間がありません。大陸の北を目指すのです。それから――追手――気を付けてくだ――』
ブツン、と電気的な破裂音を立て、スクリーンは完全に消滅してしまった。
誰もが困惑を隠せずにいる中、健悟は傍らの岩の陰から革のショルダーバッグを取り出し、呟いた。
「北へ行けば、事態の本筋が分かる。ヒョコモン、行くよ」
「御意!」
ヒョコモンを連れて歩き始める健悟の迷いの無い背中に、翼は己の心がほんの少し動かされるのを感じた。彼の言動は、近寄り難い雰囲気と計り知れない暗さを含んではいるが、それ以上に確固たる意思を顕している。龍三やドラコモンとはまた違った勇敢さが、翼の興味を惹き付けて離さないのだ。
「待って、オレも一緒に行く!」
翼が呼び止めると、健悟は立ち止まって振り向いた。
「……坂本君、だっけ。さっきまで集団行動は不都合、みたいなこと言ってなかったっけ」
「翼でいいよ。オレ、馴れ合うのは好きじゃないけど、健悟みたいに賢い仲間だったら絶対に欲しいんだ。お互い抱えてるものは色々あるだろうけど、それならなるべく長生きしたいでしょ? オレのサバイバル知識があれば――」
何としても彼を仲間に。その一心でひたすら喋っていると、健悟は舌打ちを一つした。
「馴れ馴れしいんだよ、お前」
一言吐き捨て、健悟は元の方向へ向き直ると早足でその場を離れてしまった。
おかしい、アプローチは間違っていなかった筈。翼が立ち尽くしていると、背後から翼のTシャツの裾を引っ張る者がいた。
「……翼さん、あれはちょっとよくないと思います」
それは誠の妹、ひなたであった。当惑3割、作り笑い7割といったその表情は、やんわりと何かを伝えようとしている風だった。
「普通の人は、さっきみたいにいきなり馴れ馴れしくされたら怒っちゃいます。それに、自分のことばっかり話して、相手の話を聞いてあげないと、お願いなんて聞いてもらえませんよ」
「え、そうなの?」
周囲に目を向けると、レミとルナモンが寸分違わぬタイミングで首を縦に振っていた。他のデジモン達と誠は、何を言っているのかさっぱり、といった風情で口を半開きにしていた。
「別にそこまで気にしなくてよくね? オレはいつもの調子で友達作れるし」
「お兄ちゃんはもっと気を遣わなきゃダメなの!」
煩わしそうに顔を顰める誠と、頬を膨らませて咎めるひなた。そんな微笑ましいワンシーンに心を和ませながら、翼は健悟との会話とひなたの言葉を思い返した。翼自身、友達を作るための会話の例を誠のそれしか見たことが無いため、それを意識してセッションを持ち掛けただけなのだが、どうやら悪い例を実践する形になってしまったようだ。
「タスク、人間ってのはいつもこんなややこしいことを気にしなきゃなんねーのか?」
「まあ、ね……相手に信用してもらおうと思ったら、まずは言葉で相手の心を開かなきゃいけない、ってとこかな」
「ふーん。なんか分かりづれーな、人間って」
ドラコモンのシンプルな感想に対し翼は、そうだね、と答えるしかなかった。
「とにかく、オレも北に進もうと思う。見た感じ、他の方角に進んでもできることは少なそうだし……」
翼が他の面々に向けて宣言すると、レミがそれに食い付いた。
「ちょっと待って。あの早勢って人もそうだけど、あなたはこの土地の方角を把握してるの?」
「うん。さっきスクリーンにこの大陸の全体図が映ったでしょ。陸地は縦長で、その端にさっき見えた火山と似た山があった。ここから海岸にかけて目立つものは見当たらなかったから、多分オレ達が集められたのは危険な場所から一番離れた場所。つまりここから海岸線を辿って行けば、少なくとも大陸の北端には近付けるってこと」
「あ、そういうことか……翼君、頭良いのね」
「えっ――いやいや、大したことないって」
照れ笑いで一応誤魔化せはした(と思う)ものの、翼はこの一瞬で未だかつて無いほどに動揺していた。――今、褒められた。同い年の女子に。というか、今まで他人に地理の解説をして褒められる機会などあったろうか。
「そうそう、地歴で翼に勝てるヤツはいねーんだぜ! オレも何度か宿題手伝ってもらったから分かる!」
誠が翼の肩に腕を回し、誇らしげに言った。「何度か」ではなく「毎回」の間違いだろ、という指摘はここではぐっと飲み込んでおく。
「それだけじゃねえ、タスクは度胸も一丁前だ! 自分より図体のデカいデジモンに生身で立ち向かって、顔面ぶん殴って怯ませちまったんだ!」
便乗し、ドラコモンが翼の背中をバシバシと叩いた。せめて「鈍器で」と付け加えてもらいたかった。
「んー、と……よく分かんないけど、ここに来るまでに色々あったみたいね。もしよければ、話を聞かせてもらえるかしら」
――興味を、示された!? 現実世界では万が一にも起こり得なかった事象に翼が狼狽えていると、すかさず誠が合いの手を入れた。
「とりあえず、歩きながら話そうぜ! ……あ、ところで翼」
「何さ」
「さっき健悟と話してた時、結構いい笑顔してたぞ。初対面相手なのにスゲーじゃん」
「……お前と同レベル、ってことか……」
「いや、まだオレには及ばねーな!」
「褒めてないからな……?」
こうして感想を書かせて頂くのは初めてとなりますでしょうか、夏P(ナッピー)と申します。ep.01から一気に拝読させて頂きました。
ep.01から通してという形になりますが、翼君は背景や立場に反して意外にも普通の中学生だったのか……ということでしょうか。母さんが語ってくれた父さんの遺した言葉的に恐らく──だと予想しておりますが果たして。カレー食べたい。
あと健吾君はてっきり初期キリハさんやアプモンのレイ君みたいなつっけんどんなクールな男だと思いきや、むしろ最初は翼君の方に問題があったわけで、一山越えてみればこちらも意外にも物分かりが良く1話で認めてくれるところまで行くとは……最初に名前が出てきた辺りからしてアカンこの男いずれ寝返ると思ってしまってすまんかった。ヒョコモンやベアモンといった個人的に好きなデジモン達がメインメンバーで活躍するっぽくて俺歓喜。サングルゥモンはライバルポジションでどんどんパワーアップしてくれることを期待しておりますよ……。
背景や設定、伏線を別個に時系列順(?)または日記風(?)に記していくのはなるほどと思いました。というか、こうした形で“誰かに見られている”もしくは“読者と同じ視点の誰かがいる”感覚はこそばゆくもなかなか楽しい。
では次回以降も早めに追い付かせて頂きます。
感想をお寄せいただきありがとうございます!
>スカイダイビングですか
あまり深い意味はないシーンなんですが、記憶を掘り返すとかなり初期の構想段階からこの展開は確定していました。多分無印OPのアレを物理的にやらせてみたかったんだと思います(他人事)
>ギスギス
感想いただいた流れで久々にこの回を読み返してみたんですが、なんでこんなギスギスしてるんでしょうね……???? 対人能力に難のあるヤツが一人いるだけで場の雰囲気が悪くなる、というありがちなシチュを描きたかったってのはありますが、なんせこのパーティコミュ障2人もいるんで……。余談ですが、ヒョコモンがあの従者気質でなければ、恐らく4話目辺りでパーティ崩壊して話が終わってます。
>今回の話でハッキリ描かれた『ロード』
これがなくっちゃ始まらない、と断言できるぐらいには大事な要素だと思ってます。デジモン達のイキモノとしての性、ついでに命のやり取りに対する個体レベルでのこだわりみたいなものを、こういう描写を通して数行でもいいから強調していきたいという想いがあります。捕食、やはりよいものです。
>果たしてドラコモン渾身の合体技が言い切られる時は来るのだろうか
( ◠‿◠ )
てな感じで、初回に引き続きep.02もご覧いただき、誠にありがとうございます。今後もこれぐらいの情報密度でお話を作っていく予定ですので、よろしければ温かい目で見守ってやってください。
情報量の暴力……っ!! 第二話目、拝読させてもらいました!!
前回の展開から舞台がデジタルワールドへ移ることは解っていたものの、ええはい初っ端空ですかスカイダイビングですかそういうアクシデントですかそうですか死ぬ!!!!! 《LEAF》が無ければ即死だった……いやデジモン主人公なら死なないか(ぇー
そんなこんなで時を同じくしてデジタルワールドに呼ばれた他の4名(約一名面識アリ)とそのパートナーデジモン達と対面することになったわけですが……うん、ギスギス。いやまぁ翼くんの性格も相まっての話ですが、初対面で意識の違いもあって生き死にが関わる環境に置かれたらこう仲良しこよしにならない方が普通と言えば普通か。
が、そんな彼等が共通の目的を与えられ、オーガモンの率いるゴブリモンの一群と戦うことになって、窮地に立たされて、翼くんの要請に応える形で各々の個性を発揮して状況を打開していくのは素直に王道だと思いました。各々がそこに立っていることに意味があるんやなって……最後の締めにしても綺麗で見習いたい。
でもって、今回の話でハッキリ描かれた『ロード』については、どう描写するかどう扱うかでデジモン二次作品におけるデジタルワールドの雰囲気が見えてくるぐらい重要な設定だと自分も思っているのですが、やはりどんなに人の言葉を介せて感情を共有出来る存在であってもデジモンはデジタルモンスターなんだなと読者視点でも思わせられるものでしたね。捕食シーンはゾクゾクしました(違うそうじゃない
ep1がパートナーとの出会いとデジタルワールドへの旅立ちの話とすれば、ep2は「同行者」がそれぞれの「役割」を果たして危機を切り抜け「仲間達」になるまでの道程の話だったように思えますね。とても濃厚なお話でした……これ序盤なんですよね。本編が終わった後の諸々も含めて情報量がヤベェですし、最終的な情報量がどんなことになってしまうのか……楽しみです。
それでは、今回の感想はここまでに。第三話もその内読もうかと思います。
PS 果たしてドラコモン渾身の合体技が言い切られる時は来るのだろうか。我々はその謎を解くべくジャングルの奥地へと向かった。
【Part 3/3】
「見たところ、パートナー達の中で一番戦闘慣れしてるのはドラコモンだ。そして彼が動けるようになれば、戦況はいくらか好転する……違うかい?」
「オメー、見る目あるじゃんか!」
健悟はドラコモンの隣にしゃがみ込むと、ショルダーバッグからタブレット端末らしき薄板を取り出して指先で4、5回突いた。するとその画面が青白く発光し、そこからクリアグリーンの薄いケースに入ったディスク上の物体を一つ吐き出した。
「えっ何今の!? それ、ただのタブレットじゃないの!?」
「僕にも理屈は分からないけど……RWから持って来たデータには、DWで実体化できるものがあるらしいんだ。これは《ディスクイメージ:回復(キュア)-RE》、デジモンの体力を少しずつ回復できる。1回しか使えないから、有効に使ってね」
ディスクを手に取り、ドラコモンの腹部に押し当てる健悟。すると、ディスクは音も無くドラコモンの体に吸い込まれ、消えてしまった。
「おっ、おお……? よく分かんねーが、ちっとは痛みが引いてきたぞ?」
外見からは分かり難いが、ドラコモンは早くも「回復」の効果を実感しているようであった。何故タブレットの画面からディスクが飛び出すのか、何故健悟がデジモンを支援するためのデータを持っていたのか等々、気になることはあったが、ともかく健悟の助力は意外ながらも心強いものだった。
「あなた、右腕痛めてるって言ったよね? ちょっと見せて!」
今度はレミがドラコモンに歩み寄り、ドラコモンの右腕を両手でまさぐった。
「だから別に大した――いてててててて!! 肘、ヒジはダメ!」
「あー、脱臼かな。関節周りはあんまり得意じゃないんだけど……ちょっとやってみようかな」
「待てオメー、何する気だ!? 得意じゃないのに!? ちょっとって!?」
納得したように独りごち、レミはドラコモンの前腕と上腕をそれぞれ両手で掴むと、それこそ外れた部品を嵌め直すかのようなアクションでぐっと押し込んだ。
「グエ゛ッ――――」
「ラッキー、入った! これで大丈夫!」
「えっ、あんまり大丈夫に見えないんですが……!?」
ドラコモンが急に大人しくなり、がくりと頭を垂れてしまった。が、ドラコモンはすぐに意識を取り戻すと――見た目通り、一瞬ではあるが気絶していたらしい――、感覚を確かめるように右腕をぐりぐりと動かし、おお、と驚きの声を上げた。
「驚いた、マジで動くようになってらぁ」
「それなら良し! 本当はしばらく安静にしないとだけど、今はそうも言ってられないかな。無理しないでね!」
「えっと……木島さん、だっけ。どこでそんな技術を……?」
「レミでいいって。私、個人で外科治療の知識を勉強してるから。現実世界ではこういう応急処置はできない決まりだけど、ここでなら少しは力になれると思うな」
「いや、ここでもやらない方がいいと思う……」
どこか自信ありげな笑みを浮かべるレミ。勉強してる、という割には随分と雑な応急処置であったようにも見えた。そしてその知識は当然人間を対象とした治療法の筈だが、デジモン相手に行使して大丈夫なのか。というか、脱臼は外科医というより接骨院の分野ではないのか。翼の胸には色々とわだかまりが残るが、当のドラコモンが無事なようなのであまり深く考えないことにした。
「あの、翼さん」
またも翼のTシャツをくいと引っ張り、弱々しい声で呼びかけたのはひなただった。戦いの中で泣いていたのか、その目元はやや腫れぼったい。
「コロナモン、実はとってもおっきい炎が出せるんです。でもすごく危ないから、ワタシがいいって言った時だけ使うことにしてるんです」
「そうだったんだ……じゃあ、コロナモンに教えてあげて。後で必要になるから準備しておいて、って」
ひなたは表情を明るくすると、力強く頷いた。デジモンの持つ超自然的能力を人間――テイマー、と呼ぶのだったか――の手で律することに成功しているという点で、翼は混じり気の無い笑顔を見せる目の前の少女に尊敬の念を抱いた。子供達の中では最も幼く見える彼女は、ひょっとしたら誰にも負けない気丈さを宿しているのかも知れない、と。
ともあれ、これだけのサポートがあればドラコモン達も安心して戦えるだろう。翼は改めて子供達の顔を端から順に見やり――誠と目が合った。
「……あー、えっと……皆スゲーな! うん! オレも負けてらんねー、いっちょ空手教室7年目の実力を――」
「いや、無理しなくていいからな?」
助力を催促するような形になってしまい、翼は少々申し訳無い気持ちになった。例え問題を解決する力を持たずとも、とりあえず首を突っ込んで力技で状況を覆そうとする。そんな気迫を見せてくれる人物がいるだけでも、きっと味方を鼓舞するには十分である。多分。
「ははっ、人間ってのはおもしれー奴ばっかじゃねーか! なあタスク?」
「そう、かもね。皆、ありがとう。これできっと大丈夫だ」
翼に向けられた4つの表情は、緊張で強張ってはいるものの、どれも確かな意思を感じさせる真っ直ぐなものばかりだった。彼らにもようやく、戦いの当事者としての自覚が芽生えたということか。
人間も案外捨てたものではない。そう思うと、翼の頬は少しだけ緩んだ。
「ヒナタ――――ッ! このままじゃラチが空かない、アレを使わせろォ!!」
コロナモンの声に翼が振り向くと、コロナモン達はオーガモンを遠巻きに囲んで足を止めていた。弾む肩と力無く曲がった背筋、そして血と土に塗れた彼らの体表を見れば、彼らの体力が限界に近いことは一目瞭然であった。
「コロナモン、使っていいよ! でも、みんなが離れてからだからね!」
「本当か! よォし、充填開始ィィィィ……!!」
ひなたとコロナモンが言葉を交わす間、ドラコモンはすっくと立ち上がり、コキコキと首を鳴らしながらオーガモンへ歩み寄った。
「一時はどうなることかと思ったが……人間の知恵ってのは大したもんでな、一気に光明が見えて来やがった。おい鬼ヤロー、今からおもしれーモン見せてやる」
「あァん? 今更小細工をしたところで、ワシに勝てる筈がなかろうて!」
「まあまあ……どーせ泣いても笑っても最後なんだ、シメの一発くらい大人しく受けちゃくんねーかな」
「カカカッ、よかろう! ワシは寛容じゃけェ、最後っ屁くらいは見届けてやるわい!」
オーガモンのすぐ目の前で立ち止まるドラコモン。他のパートナーはゆっくりと後退する――が、ドラコモンはコロナモンだけを呼び止めると、近くに手招いて何かを耳打ちした。
「……合図すっから……そこで例の……頼むぜ」
「何だって!? そんなことしたら……」
「バカ、声がでけぇ! ……いいから派手にやっちまって……」
会話の中身は、翼には断片的に聞こえるだけだった。2体はほどなくして話を止め、オーガモンに向き直った。続けて、コロナモンが全身を力ませるように身構え、その額に灯していた炎をより眩しく、大きく燃え上がらせると、
「《コロナフレイム》ッ!!」
それを直径3メートルほどの火の玉にし、オーガモン――と、彼に相対するドラコモン目掛けて勢いよく発射した。着弾した火の玉は、瞬時に2体のデジモンを包んで燃え広がった。
「「ああっちぃぃぃぃぃぃぃぃ――――!!」」
こだまする絶叫は2体分、ドラコモンとオーガモンのものである。ただ放たれただけの炎は、辺りの枯れ草や倒木にみるみる内に燃え広がり、やがて辺り一帯を火の海に変えてしまった。
「ダメだよコロナモン! みんなが離れてからって言ったのに!」
「いや、そうなんだけど……ドラコモンに頼まれたんだ! オレごと燃やしてくれ、って!」
――ドラコモン本人が?
翼は火炎に囚われたデジモン達の様子を確認した。炎は翼らの元へは直接届かないものの、十数メートル離れていても輻射熱が肌を撫ぜるほどに強力であった。そんな高温の環境では、流石のオーガモンも熱さと苦痛に耐えかね飛び跳ねていた。ドラコモンはというと――体のあちこちから火と煙を上げつつ、オーガモンをひたすらどついていた。
「な、何考えてんだ……!? こんなことしたら、ドラコモンだって無事で済む訳ないのに!」
「炎で受けるダメージを、さっきのディスクの効果で相殺してるらしい。有効に使って、とは言ったけど、なかなかユニークなことするね」
健悟の指摘に納得し、翼はドラコモンの背中を見つめた。ただの攻撃が通用しないと悟ったドラコモンは、オーガモンを自分諸共炎の中に囲い込むことで、継続的にダメージを与え、尚且つ自身の損耗が軽微になるような環境で戦えるようにしたのだ。
コロナモンはその意図を事前に共有していたのだろう、周辺の倒木を炎に投げ入れ、追加の燃料、そして同時にオーガモンの逃げ場を封じる柵にしている。
「けど、ディスクの効果はあまり長持ちしない。そろそろ限界が来る頃だと思う」
ドラコモンの足がもつれ、攻撃の手が止んだ。「回復」の力があっても、身を焼かれる苦痛までカバーすることは難しい様子だった。陽炎の中から垣間見えるドラコモンの表情は、今にも倒れそうな満身創痍の色を気迫で押さえ付ける、さながら般若の面構えだった。
「今だ! 火ぃ消せ!!」
炎の中からドラコモンが叫ぶ。それに合わせて空から降り注いだ3つの水の球――ルナモンの《ティアーシュート》である――が地面で弾け、草地を覆っていた炎をあっという間に掻き消した。バジュウウウウウウ! と強い振動を含む高音に乗せ、一瞬ではあるが、煙と水蒸気がドラコモン達の姿を覆い隠した。
儚く薄れる煙幕を裂くように、ベアモン、コロナモン、ルナモン、ヒョコモンが、四方からオーガモンに飛び掛かった。
「ぬおぉ、何じゃこりゃあ!?」
「おいコラ、逃げんじゃねーよ……最後っ屁を見届けてくれんだろ……?」
慌てふためくオーガモンの両足に、ドラコモンががっしりと組み付く。全身を焼かれたオーガモンの腕力は、ドラコモン1体も満足に引き剥がせない程度まで弱っていた。対してドラコモンの火傷はある程度ディスクの力で癒えているらしく、オーガモンをその場に拘束できるだけの余力はあると見えた。
「《ベアクロー》!」
「《ルナクロー》!」
オーガモンの右側面からベアモン、そして左側面からルナモンが迫り、それぞれ両手の爪を閃かせると、オーガモンの脇腹を力強く引っ掻いた。その切り傷は爪の刃渡り一杯に抉れ、オーガモンの体幹を大きくぐらつかせた。
「礼に欠けるやり口は好まんでゴザるが……主の命には代えられんでゴザる」
ヒョコモンはオーガモンの真後ろから接近し、焦げた緑色の背中に刀をぐさりと突き刺した。オーガモンは苦悶の顔を一層歪め、赤黒いノイズを吐血の如く迸らせた。
「コロナモン、ぶちかますぞ!」
「応ッ!!」
ドラコモンの合図に応え、コロナモンもオーガモン目掛けて駆け出した。そして十歩と走らない内に走り幅跳びよろしく跳躍し、低い放物線の先にオーガモンの頭蓋を捉えた。
「「せあああああああッ!!」」
コロナモンが振り下ろした燃える拳と、拘束の手を解いたドラコモンが振り上げた右足とが、ぴたりと同時に大鬼の頭を上下から打ち据えた。瞬間、ゴキャッ、と奇妙な音を立て、オーガモンの頭部が僅かに潰れたかと思うと、そのままゆっくり仰向けに倒れ、パァン! とノイズ粒子を散らして爆散してしまった。
「……さて、強者は弱者の命を好きにしていいんだったな……」
呟き、ドラコモンは先ほどゴブリモンに対してそうしたように、その身体にオーガモンの残滓を取り込み始めた。他のパートナー達もそれに続き、無言の内にデータの粒子を喰らった。
翼はただ呆然と、デジモン達の「食事」を眺めていた。一連の鮮やかな逆転劇には誠やひなた、レミだけでなく、健悟までもがその顔面に驚きを隠せないでいる。
「……坂本君。君のパートナー、強いんだね」
沈黙にぷすりと穴を開けるように、健悟が言葉を発した。翼はまさか自分が健悟に話しかけられるとは露も思わなかったため、反射的に搾り出した第一声ではろくな返事ができなかった。
「え? ああ、まあね」
「あれくらい強ければ、きっと安心して命を預けられるんだろうね」
「いや、どうかな……強さはあんまり関係無いよ。同じ冒険に挑む、ってだけでも、命を預ける理由は十分って気がする。ドラコモンはオレを必要としてくれた、だからオレはドラコモンのそばにいようと思う。それだけなんだ」
「必要としてくれた、か……少し、分かる気がするよ」
健悟の無愛想な横顔が、一瞬――ほんの一瞬、微笑んだような気がした。それを確かめる間も無く、ドラコモンが翼を大声で呼んだ。
「タスクー、進もうぜー! さっさとしねーと日が暮れちまうよ!」
はーい、と返事をしつつ、翼が相棒の元へ歩み寄ろうとすると、それを追い越すように4人の子供達が銘々パートナーの元へ駆け寄った。
*
DWにおける翼らの冒険の初日は、驚くべきイベントに満ち溢れたものであった。しかし、翼が個人的に最も驚いたのは、戦いの後歩きながら語らうデジモン達の会話の内容だった。
「しっかしよー、ルナモンの火消しは見事だったな! オレはコロナモンに頼んだつもりだったけど、結果的に煙幕ができたのは都合良かったぜ!」
「あ、オイラ火は出せるけど消せないぞ?」
「……え、マジか……」
「この中で水が使えるのはわたくしだけでしたので、当然わたくしが頼まれたものと……」
「されど、火が消えた一瞬を狙って一斉攻撃とは実に鮮やかな策! あの一瞬でコロナモン殿と相談を……?」
「いや、そこまでは考えてねーや……」
「なんと!? もしや、最後の一撃も」
「まあ、コロナモンが上手くやってくれたからそれに合わせて……」
「ノーガード戦法ならぬノープラン戦法、か……ぷふっ」
「おいクマ、今笑ったろ!? 悪かったな考え無しでよ! こちとら必死だったんだよ!」
あのチームプレーが、全て偶然の産物。何のコントだよ、と突っ込みたくなるが、翼はパートナー達の楽しげな会話に水を差すまいと、口元を綻ばせるだけに留めておいた。
空が橙色に染まった夕暮れ時、翼らは沈み始めた夕陽を右手に草原を渡っていた。盗賊一味が襲撃地点の近辺をテリトリーにしているというオーガモンの情報から、どこかに盗賊のアジトがある確率が高いと考えた翼は、ドラコモンに先ほど倒した敵の痕跡を探るよう頼んだ。その結果、匂いと足跡が北の方角へ続いていることが判明し、大陸北端を目指す道すがら盗賊のアジトで物資の補給を試みる方針が決まった。
そう、方針。翼個人の意思でなく、「子供達全員の」意思として、だ。
乱闘のほとぼりが冷めてから、翼らは誰が先導するでもなく寄り集まって歩いていた。それならそのままでも構わないような気はしたが、翼にはどうしてもはっきりさせておきたい点があった。それを思い出させたのは、ヒョコモンが健悟に向けた一言だった。
「ケンゴ殿! 拙者、此度の戦でドラコモン殿に多大なる助力を頂いたでゴザる! かの者ほど強きデジモンが味方に付けば、この先の旅路には何かと都合が良いかと……」
そう、翼は健悟と手を組むためにここまで来たのである。ドラコモンの機転とヒョコモンの好意で、交渉のチャンスは再び巡ってきた。立ち止まって翼の顔を見る健悟に、翼も足を止めて対面した。
「あのさ……さっきは馴れ馴れしくしてごめん。どうしても健悟と仲間になりたくて、つい……」
「うん」
「オレ、この世界でなら誰よりも上手く生きられる気がしてた。でも、いざって時には何もできなかった。きっとオレとドラコモンだけじゃ、この先生き残るのは難しいと思う」
「おい、オレが頼りにならねえって言いてえのか!?」
「ごめんねドラコモン、そういう話じゃないの……だからさ、健悟の知識と判断力をオレに貸して欲しい。その対価になるかは分からないけど、オレにできることは何でもするから。ドラコモンも、ヒョコモンとは上手く共闘できそうだし」
これが最適な形か否かはともかく、翼は健悟との交渉に相応しい言葉を選択できたと自負する。ドラコモンにディスクを与えた時の健悟の言葉遣いは、コストパフォーマンスや効率を重視する几帳面な性格を表しているように思われたため、翼はギヴ・アンド・テイクの条件を強調した文言を取り入れたのである。
とはいえ、客観的事実を踏まえ自己評価を見直すと、翼が取引材料として自身の有能さをアピールできる要素は何も無い。誠が引き起こした喧嘩を仲裁することも、ドラコモン達のピンチを救うことも、全て翼の力では叶わなかった。そこにはいつも必ず誰かの助けがあり、そのおかげで今翼らはこうして全員で集まっている。ここで翼がアピールできる点があるとすれば、それは己が協力と共闘の意義を真面目に考え直した点ぐらいのものだ。
「無理にとは言わない。ただ、ちゃんと答えが」
「別にいいよ、僕は」
「聞きたいだけ――えっ待って!? いいの!?」
伏せかけた顔を上げると、健悟は相変わらずの無表情――しかし最初と比べてほんの少しリラックスした雰囲気――で視線を返す。
「当面の目標は全員共通しているみたいだし、協力するくらいなら構わないよ。それにね……戦力として頼れるかどうかは別として、僕は君に少し興味がある」
「え、オレに?」
「君は追い詰められると責任感が強くなるタイプらしいからね。危なっかしいけど、周囲に与える影響はかなり独特だと思うんだ」
――どゆこと? と、翼は小さく唸りつつ首を傾げた。ともあれ、当面の間健悟の協力が得られることは確定したため、翼にしてみれば御の字と言うより他は無い。
「……まあとにかく、ありがとう。ヒョコモンも、手伝ってくれて助かったよ」
健悟は目を逸らしつつ軽く頷くと、再び元の方向へ歩き出してしまった。ヒョコモンは、礼には及ばず、と目礼し、急ぎ足で健悟の後を追う。
そんな2人の後ろ姿を見る内、翼は自身が健悟と話している間他の子供達も歩みを止めていたことに気付いた。流石に退屈させてしまったか、と慌てて振り向くと、人間3人がぽかんと口を開けていた。
「……何、どうしたの」
「いや、スゲーなあって……あのカタブツを、まさか翼が説得しちまうなんて。どんな方法使ったんだ?」
「方法、ねえ」
誠の質問に対し翼が返せる答えは「とりあえず真面目に頼んでみた」程度のものである。交渉というよりは嘆願、成功の確信などあったものではなかった。
けれど、敢えてそれらしい理屈を付けるならば。
「オレはただ、皆に手伝ってもらっただけだよ」
子供達は呆然とした顔を斜めに傾げたが、翼はこの結論に満足していた。
――せめて夜のキャンプでは、「仲間達」の役に立てるようにしよう。再び踏み出した翼の足は、明確な目標へ向かう心の力強さと、身を引き締める緊張感の重みで、確かに大地を踏み締めている実感があった。
(つづく)
F-D DATABLOCKS
Zfr013 - ZERO-FIELDS REPORT site-A level.4
〈LEAF〉
〈digitize〉
〈hacking skill〉
RW時間1500(UTC+9)以降、日本国内で4台のLEAFのアクティベートが次々に検知された。詳細な時間と位置情報、ユーザー情報を含めたログを別途添付する。これらのLEAFはデータリンク開始後間を置かずデジタイズ転送されているため、DW側の探知も継続して行っている。
又、最初に転送されたテイマー(以下K・Hとする)のLEAFへのアクセスを試行しこれに成功。システム領域にはプロトタイプのそれよりも高度なセキュリティが施されていたため解析に失敗したが、メインストレージ領域のモニタリングは可能であることが確認された。ストレージに保存されていたシステムログを参照したところ、K・Hは外部デバイスを用いて各種アプリケーションの逆アセンブルを試み、失敗していた模様。この点から、K・Hが高度なハッキングスキルを有していると判断、責任者・東尚登の定める基準に則りK・Hを要注意観察対象とする。
Zfr014 - ZERO-FIELDS REPORT site-A level.4
〈tamers〉
〈contact〉
〈supporters〉
DW時間1600、テイマー5人とデジモン5体の転送完了が確認された。転送座標に多少のばらつきはあったものの、当該対象は全てWWW大陸南部の草原地帯に集まり、最終的に大陸北部へ集団で移動を開始した。予定通り、対象の推定移動ルート近辺に《宿》を転送し、対象との接触を図る。
又、対象全員が草原地帯に集まった直後、《天界》と正規版LEAF5台の間で暗号化されたリアルタイム通信が行われている。リヴァイアモン覚醒直前から続く表層トラフィック輻輳の影響で通信は4分程度で途絶しているが、この事象からテイマー達を支援するデジモン達が存在することは容易に想像できる。
Kda002 - KENGO's DIARY site-A level.4
〈time〉
〈disassemble〉
〈applications〉
僕とヒョコモンがデジタルゲートを通過した時点では、ロンドンは午後7時半頃で日も沈みかけていたが、DWは夜が少し明け始めた頃だった。RWとDWの時間には差異があるのだろうか。DWにおける時間の性質については、SPICAから持ち出した資料にも記述は無いため、余裕があれば個人で調べてみようと思う。
DW到着後、どこへ向かい何をすべきか分からなかったが、LEAFがナビのような画面で僕達を火山から少し離れた丘へ誘導し、そこで待機するよう指示したため、それに従うことにした。何のために待機させられるのかまでは不明。
待機している間は特にすることも無く、時差ボケ的な影響で眠れる状態でもなかったため、LEAFの内部データについて少し調べてみることにした。LEAFにはDWで役立ちそうなアプリケーションが複数備わっていることが確認できた。システムデータとストレージ領域にはペアリングしたタブレットからもアクセスできるため、システムの解析もできるのではないかと思ったが、システムデータには厳重なプロテクトが施されているため逆アセンブルは不可能だった。
以下に、現時点で判明しているLEAFの機能をまとめておく。
《ナビゲーション》……事前に設定された場所へユーザーを案内する機能。DW到着後最初に確認された。座標の初期設定値は今いる丘の上だが、アプリケーションメニューから任意の座標を設定することも可能と判明した。但しこのプログラムは、DW上の絶対座標とユーザーのいる座標を元に方向を指示するだけのシンプルな仕組みで、高度なナビゲーションをさせるためには別途地形情報を入手し読み込ませる必要がある。
《フィジカルエミュレーション》……「物理競合演算」とでも訳すべきか。ユーザーの身体にダメージを与え得る物理現象を検知し、それを軽減する常駐プログラム。例として、高所落下からユーザーを守るため空中に「網」を出現させる、ユーザーに向かって飛んで来た石を跳ね返すバリアを出現させるなど。但し、対応できる物理現象は軽微なものに限られ、外敵からの本格的な攻撃を防御する用途では使えない模様。
《アイテムキャプチャー》……DW上で入手した物品をLEAFのストレージ領域に保存するプログラム。保存した物品を再び実体として取り出すことも可能。保存の機能は常駐で、対象の物体をディスプレイに近付けるだけでよい。取り出す際はアプリのメニューを開き、アイテム一覧から任意のアイテムを選択する必要がある。特別な操作をせずともアイテムには自動的に名前が付くようだが、どういう理屈だろう。何かの基準に基づいてアイテム名が生成されるのか? 或いは物体のデータには元々「名前」の情報が含まれているとか?
《パートナーモニタリング》……パートナーとして登録されたデジタルモンスター(僕の場合ヒョコモン)の状態(生命活性、満腹度等)を数値化し確認できる機能。確認は任意で行えるが、各種数値の計測自体は常時リアルタイムで行われている模様。計測項目の中には意味が判然としないもの(“Overwriting Rate”、“Connection Depth”など)もあるため、これについても調べておきたい。
《進化補助(Digivolution Support)》……名称からして、デジタルモンスターの「進化」を補助する機能と思われる。プログラムデータの存在だけは確認できるが、起動条件は今のところ不明。
この他、デジタルゲートを経由する空間移動の際に動作する機能(転送先の指定、物質転送の補助等?)もあると考えられる。
情報でも道具でも、この世界で生き残るのに役立つものは何でも揃えておきたい。そのためにも今すぐ散策に乗り出したいが、LEAFに待てと言われているので大人しく待っておく。待ち続けた先に何が起こるのかは不明だが、少なくとも僕をDWへ導いた何者かが背後にいることは窺い知れるし、指示に背けばその何者かの意図を知るチャンスを失いかねないからだ。
Nda028 - NAOTO's DIARY site-A level.4
〈YGGDRASIL〉
〈over technology〉
〈ZERO-FIELDS〉
世界を脅かす未知の力に、DWの守護勢力はイグドラシル秘蔵のオーバーテクノロジーを以って対処することを選んだらしい。外部からの干渉を嫌うホストコンピュータが人間ありきの技術を隠し持っていたこともそうだが、それらがデジモンの手に託されたという点も、事態の深刻さを物語っているような印象を受ける。イグドラシルなりのフェイルセーフ的発想、ということだろうか。
人間の子供達がDWに召喚された前例はいくつかあるが、今回のケースで子供達は未だかつて無い重荷を背負うことになるだろう。世界を救う、という責務は勿論、彼らがそれぞれ胸に抱える葛藤もまた大きなものになるに違いない。果たしてそんな重荷を全て背負った上で奴と戦うことができるのか、子供達のポテンシャルを慎重に見極める必要がありそうだ。
自分で蒔いた種の始末は、自分で付けなければならない。
俺達《ゼロ・フィールズ》も、本格的に動き出す時が来た。……アヤメと央基には、あんまり寄り道させたくないんだけどなぁ……。
【Part 2/3】
*
はて、と翼は思った。
いや、現実とは隔てられたこのDW、目に映るもの全てが現実離れしているため疑問は常に意識の水面に浮かんではいるのだが。例えば、頭上の空や足元の草をよく見ると電子回路めいたパターンがうっすらと見える点や、虫か鳥の類と思われる鳴き声がどこからか聞こえて来るのに鳴き声の主が見当たらない点等々。
「――へえ、じゃあ健悟が最初にさっきのトコに来てたのか」
「そう。その後私とルナモン、それから誠君とひなたちゃん達。私達が来た時、健悟君は岩陰でぐっすり寝てて、ヒョコモンが『疲れてるからしばらく起こさないであげて』って」
「服もなんかボロボロだったしな。山登りでもしてたのかもな!」
数分前まで翼の話を興味深そうに聞いていた誠とレミは、いつの間にか2人での会話に夢中になっていた。この親しげな様子を見る限りそうは思えないが、会話の端々から察するに誠はレミ、健悟とは初対面であるらしい。ひなたは兄である誠の傍にぴったり付いて歩きながらコロナモンとじゃれ合っている。ベアモンとルナモンは、各々のテイマーに付き添いつつ周囲を警戒しているようだった。
そして、残る翼とドラコモンはというと、暇を持て余していた。
「はて……」
「タスク、さっきからどうしたんだよ。それもう10回目だぞ」
ドラコモンの一言で、翼は己の疑問が口から漏れていたことを知った。自身が思っている以上に、この雑念は御し難いものらしい。
「……オレさ、RWでは結構すごいことやったじゃん?」
「ああ、あの一撃には正直ホレた」
「誠とレミは、オレの話を聞いてどう反応してた?」
「そりゃ驚いてたさ。特にマコトなんか『スゲー』しか言ってなかったぞ」
「まあ、アイツはいつもそうなんだけど。で、そこから――こうなった、と」
翼は改めて誠達を見た。翼の存在など一切認識していないかのような素振りで会話を続けている。それも、そこそこ楽しそうに。
「なんかこう……納得いかない、ような」
端的に言えば、「もっと注目されてもいいような」、という、それこそ翼の柄でないささやかな不満であった。
「あー……よく分かんねーけど、タスクがあいつらのことを気に入ってねえのはなんとなく分かるぞ」
「いや、そこまで言うつもりは」
否定しかけて、翼は考え直す。気に入ってない、という表現はあながち間違っていないかも知れない。思えば、翼が他人を気に入った試しは滅多にあるものではなかった。
「……足元、気をつけないと転ぶよ」
地面に凹みや石ころが目立ち始めたので、翼は誰に向けるでもなく、しかし全員に聞こえる声量で警告した。ひなたは歯切れ良く返事をしてくれたが、デジモン達は反応を示さず、誠とレミは会話を止めようともしない。
なだらかに広がる草原に凹凸を作っていたのは、巨大な生物の足跡――察するにデジモンのもの――や、火薬の類で粉砕されたらしく全体的に焼け焦げた岩石類など、ドラコモンが言うところの「争いの痕跡」と思しきものであった。デジモン達が人知を超えた能力を有し、それを駆使して戦うことができるという点は翼自身がその目で目撃しているが、それを大規模に――それこそ「戦争」とでも呼べる規模で――行ったらどうなるか。ドラコモンが口から吐いた謎の光ですら体育館を損壊させるには十分だったのだから、例えばそれを数百、数千と束ねれば、大陸の一角からデジモンを殲滅することも不可能ではないだろう。
この地でどれだけ凄惨な争いが起きたのか。第一、正常な「デジモンの世界」とはどのような姿なのか。翼はDWの地を踏んでいながら、DWの本当の形を何一つ感じられていないような気分だった。
ぼんやりと考え事をしながら歩いていると、不意に翼の片足が地面に引っ張られた。足元の石に蹴躓いたらしい。翼は反射的に両手で受身を取り、すんでのところで顔面の強打を免れた。
「翼ぅ、お前がコケてどーすんだよ!」
誠とレミが、翼を見て声を出して笑った。その言い草から、翼の警告はしっかり聞こえていたようだった。立ち上がりつつひなたの方を見ると、何気なしといった風に向けられていた顔を申し訳無さそうに逸らされた。
――ああ、これだ。この感覚が嫌だったんだ。翼は膝の土を払い、己を転ばせた石を力一杯蹴飛ばした。
何が面白いのかよく分からないが、とにかく大衆はよく笑う。翼に言わせれば、彼らは喜怒哀楽などという細分化された感情を持たず、快・不快という原始的な感情のみで生きているのではという疑いがある。翼は一瞬でもそんな連中と関わりを持ちたいと思ってしまった自分を強く恥じた。他人はつまらない、役に立たないなどと毛嫌いしつつも、結局は他人に意識して欲しいと心のどこかで願ってしまっているのだから。
だからこそ、翼が転んだことなど気にする様子の無いデジモン達には感謝の念すら湧く――それは自分が微塵も心配されていないことの証左でもあるのだが、半端に気を遣われるよりよほど気楽である――し、誠達にある幼稚さを全く見せない早勢健悟にはちょっとした尊敬と強い興味を抱かざるを得ない。見たところ歳はそれほど離れていない筈だが、そんな年代で大人びた落ち着きや威圧感を醸し出せる人間などついぞ見たことが無い。何かしら特殊な経歴、それこそデジモン同士のバトルに巻き込まれて生還するような苛烈な経験でも持たない限り、あれほど深い陰を帯びることは無いと翼は思うのだ。
やはり、すぐにでも彼に追い付こう。そして彼と手を組もう。決意を新たにし、ドラコモン以外の面々を置き去りにするぐらいの意気で歩調を速めようとすると、それに反するようにパートナーデジモン達が足を止めた。
「ドラコモン? 何かあったの?」
「向こうで闘り合ってる連中がいる。ケンゴって奴とヒョコモンの気配もあるな」
ドラコモンの低い声に若干の緊張を覚えつつ、翼は足の向く先に目を凝らした。が、目線の先にはやや急な上り坂とその頂点があるばかりで、そこから続くであろう下り坂の向こうなど目視のしようが無い。にも関わらず、デジモン達は同類の気配をいかなる原理によってか知覚できている。俗に「野生のカン」と呼ばれる直感的な認知がこれに相当するのだろうか。
「敵の戦力……数とかは分かる?」
「あの犬公――サングルゥモンほど危ない気配はしねえが、数まではどうにも……」
首を捻るドラコモンの前に、ルナモンが静かな所作で歩み出た。頭に生やした耳と触角は、さながらアンテナの如く上方にぴんと伸びていた。
「敵は全部で5体……あ、今1体事切れました。複数を相手に息も上げず立ち回れるなんて、あのヒョコモン、結構お強いみたいですね」
ルナモンのこの発言には、翼ら子供達はもちろん他のパートナー達も驚きを露にした。気配を察知し顔見知りを区別するだけでも十分高度な能力だが、敵味方の数や状態まで遠くから知覚できるというのは流石に常軌を逸している。
「オメー、ルナモンとかいったか。なんでそこまで分かるんだ?」
「わたくし、少し耳が良いんです」
「み、耳って……音だけで分かんのか!?」
ドラコモンが聞き出した理屈は極めてシンプルなものだったが、それはそれでやはり驚嘆に値する。RWのウサギも聴覚が優れていると聞くが、恐らくはそれを遥かに上回る感度に相違ない。
「ね、ねえお兄ちゃん……向こうで、デジモンが戦ってるの? ワタシ達も、戦わなきゃいけないの……?」
ひなたが震える声で誠に問うた。対する誠は言葉に詰まったように口を結んでひなたから目を逸らす。この兄妹然り、どこか恨めしそうにルナモンの背を見つめるレミ然り、思ったより早く目前に迫った宿命に勘付き、戸惑っているのだろうと翼は思った。
「おいオメーら……まさかとは思うが、デジモン同士の戦いを見たことが無いとかぬかすんじゃねーだろーな」
ドラコモンの指摘に、誠は躊躇いがちに頷いた。道理で動揺が激しい筈だ、という納得に、翼とドラコモンは揃って溜息を一つ吐いた。
「オレ達で加勢しに行く。皆は別に来なくていいよ」
一言告げてから、翼はドラコモンと共に走り出し、坂道を一息に駆け抜けた。すると目測2,30メートルほど先に、健悟とヒョコモン、そして彼らを取り囲む4体のデジモン――緑色の肌を革の衣服に包み、木の棍棒を携えた人型のそれらは、小人、あるいは小鬼という形容がよく似合う――の姿があった。枯れた草と倒木があちこちに散らばる荒涼とした地に、小鬼達の威嚇する声と、刀が空気を裂く鋭い音が響いていた。
「なるほどな、あれならオレとチョンマゲで片付けられる。先行ってるぜ!」
勝機を見出して機嫌が良くなったのか、ドラコモンは楽しそうに口角を上げ、ズドンと地面を鳴らして前方へ高く跳躍した。翼は放物線を描いて飛んで行くドラコモンを、相変わらずデタラメな身体能力だな、と呆れながら見送った。
「《テイルスマッシュ》!」
ドラコモンはその尻尾を全身ごと回転させ、落下の軌道の先、小鬼の1体の頭部に叩き付けた。攻撃を受けた小鬼は首を不自然に折り曲げたまま吹っ飛び、いくらか離れた場所にべしゃりと落ちた。
「ややっ!? お主は先のドラコモン殿……何ゆえここへ!?」
「肩慣らしに丁度良さそうだったんでな。……ついでに言うと、ウチのタスクがお前のご主人ともう一回交渉したいらしくてさ……」
「さようでゴザったか……しからばこのヒョコモン、貴殿に共闘をお頼み申す! さすれば拙者、我が主がタスク殿と手を組んでくださるようお手伝い致すでゴザる!」
「そいつはありがてえ、そんなら早いとここいつらをとっちめようぜ」
「承知!」
ドラコモンとヒョコモンが背中を合わせて身構えると、残り3体の小鬼は喚き声を上げてドラコモン達に襲い掛かった。数十秒遅れて追い付いた翼は、遠巻きにその戦いを見守った。
「《ベビーブレス》!」
真っ先に応戦の動きを見せたのはドラコモンで、大きく開いた口から炎の息を吐き2体の小鬼に浴びせた。炎を被った敵の体はたちまち燃え上がり、皮膚を焼かれた痛みからか悲鳴を上げてのた打ち回った。
「《唐竹割り》!」
ヒョコモンも機敏な反応を見せ、その身の丈にほど近い刃渡りの太刀を縦一文字に素早く振り下ろした。刀の切っ先は小鬼の頭部を確実に捉えたはずだが、ヒョコモンの動作に手応えを感じさせる濁りは一切無い。ところが小鬼の体は正中線から真二つに割れ、乾いた破裂音を立てて無数の赤黒い粒子と化した。
おお、と翼は声を漏らした。ドラコモンの超自然的能力も然ることながら、ヒョコモンの剣術にも目を瞠る鮮やかさがある。WWW大陸に集められた5体のデジモンの内、少なくともこの2体は大陸での戦いを生き抜くには十分な強さを持っていることが示された訳だ。
「翼! 置いてくなんてひど……うえっ!?」
遅れてやって来た誠が、翼の背後で上ずった声を上げた。それもむべなるかなと思わせたのは、今しがたドラコモンの炎《ベビーブレス》で焼かれた小鬼らの首を、ドラコモンが顎で食い千切り、ヒョコモンが刀で斬り落とす光景であった。振り向けば残りの人間とデジモン達の姿もあり、ひなたは誠の背に隠れて顔を覆い、レミはその眉間から嫌悪感を滲ませている。
ドラコモン達の止めの一撃が済むと、2体の小鬼はやはり無数の粒子となって消滅してしまった。それと同時に、ドラコモンとヒョコモンは深呼吸でもするかのように軽く胸を開いた。すると、宙に溶けかかったデジモンの残滓が微かに光りながらドラコモン達の体表に吸い込まれていった。
「えっと、それ……何してるの?」
翼の問いに答えたのは、ドラコモンでもヒョコモンでもなく、現場の中心で顔色一つ変えずデジモンのバトルを見守っていた健悟だった。
「《吸収(ロード)》だよ。さっき倒したデジモン達のデータを喰ってる」
「データを、喰う?」
「そう。彼らデジモンは倒した敵のデータを取り込んで、自身のデータを拡張していく。今の連中は食べ応えがなさそうだけど、もっと強い個体なら――」
健悟が説明の言葉を切った。誠が《吸収》を終えたらしいドラコモンの角を片方掴んで引っ張ったのを気にしているようである。誠の顔は、苦虫と腹の虫に同時に苛まれたように引きつり、もの言いたげに歪んでいた。
「何しやがる、人間」
「そりゃこっちのセリフだ! ウチの妹にエグいもん見せやがって……!」
誠が訴えているのは、恐らく「止めの一撃」のことだった。怪物同士の殺し合い、それも捕食に斬首。常人が見ればその残酷さに嫌悪感を示して当然と言える。ひなたのように繊細そうな人物であれば、心に負う傷はより深いものとなるだろう。
けれど、それが妥当な苦情であるとはどうしても思えない。
「しょーがねーだろ、体が勝手に動いちまうんだから!」
「そう、彼らは本能に従って敵を仕留めただけ。むしろ障害を排除してくれたんだから、責める筋合いは無いと思うよ」
翼の予想に反して、ドラコモンの反論を健悟がフォローした。健悟は誠の顔を見据え、さらに言葉を続けた。
「その様子だと、君達は『こういうの』を見慣れてないんだね。でも、ここで戦いが起きてるって分かった時点で少しは想像しなかったの? 誰も死なない戦いなんてあると思った?」
健悟の質問は、誠に対しては実に冷徹な、しかし翼の飲み込んだ思いに大してはぴたりと寄り添った言葉だった。一度デジモンの戦いを目撃している翼にしてみれば、ドラコモン達の行為が「命のやり取り」であることは揺らぐことの無い第一印象ないし大前提であり、この場においてさえ翼は死線を潜る覚悟がそれなりにあった。誠らに同様の経験が全く無いことを考慮しても、自発的に「戦い」の場を見に来ておきながら当事者に文句を垂れるのは筋違いというものであり、度を越した平和ボケの自己申告に他ならない。
「うっ……うるせえな、オレはこのトカゲと話してんだ! いいからひなたに謝れ、アイツ泣いてんだぞ!?」
「知るか、テメーでどうにかしろ! つーか角! 離しやがれ!」
ドラコモンと誠の口論は熱を帯び始め、いよいよただの喧嘩に変わろうとしていた。なんでこの組み合わせだとこうなるんだ、と仲裁に入ろうとすると、翼の足元に何かの影が一つ落ちた。
「ニン、ゲン……捕まえ、る……!」
耳に飛び込んだ声は、先刻聞いた小鬼の悲鳴によく似ていた。まさかと思い頭上後方を仰ぎ見ると、1体の小鬼――ドラコモンが尻尾で打ちのめした個体か――が高く飛び上がり、棍棒を振り上げていた。狙いは恐らく翼だ。
翼が回避行動をとる前に、翼の頭を庇うものがあった。ベアモンである。彼は革ベルトでぐるぐる巻きになった拳をぎゅっと力ませると、空中で小鬼の鼻面を鋭く殴りつけた。
落下軌道を乱し地面に倒れた小鬼の頚部に、ヒョコモンが刀の棟を押し当てた。恐怖で歪んだ小鬼の顔を、ヒョコモンは獲物を狙う猛禽の眼差しで覗き込む。
「お主ら、確か〈ゴブリモン〉でゴザったか……オファニモン殿が言っていた追手というのは、もしやお主らのことではゴザるまいな」
ゴブリモンと呼ばれたデジモンは、歯を食いしばり口を利こうとしない。ヒョコモンは一層目付きを険しくし、声を張り上げて詰問した。
「答えられよ! お主らの目的は何か!? お主らを差し向けた輩の居場所は!? 正直に教えれば命までは取らんでゴザる……!」
ヒョコモンの鬼気迫る物言いに怖気付いたのか、ゴブリモンは慌てて口を開いた。
「ニ、ニンゲンとそのパートナー、捕まえるって……この周り、仲間、待ち伏せしてる! オーガモン……オレらのボスも来てる!」
待ち伏せ。その語を聞いた途端、パートナー達は少なからぬ焦りを目元に宿した。
翼は軽く俯き、脳内で状況を整理した。翼らより先に北へ向かい始めた健悟達がゴブリモン達の襲撃を受け、そこへ翼とドラコモンが合流した。その後他のテイマーとデジモンも集まり現在に至る――のだが、この流れは全て「追手」の思惑通りだったということになる。
「マコト達テイマーは一箇所に集まって! ここで応戦する!」
ベアモンの一声に応じるように、パートナー達が翼らを囲んで手際良く円陣を組んだ。陣形が出来上がるのとほぼ同時に、周囲の岩や倒木の陰から新たなゴブリモン達が姿を現し始めた。その数およそ10、20、50……
「スゲ――――! デジモンってこんなにたくさんいるんだ!」
翼が驚きの声を発するより先に、誠が無邪気に叫んだ。
ざっと数えられるだけで総数60超――障害物の少ないこの草地のどこにそんな数が、と目を疑いたくなる量のゴブリモンが、わらわらと翼らの円陣に群がっていた。
「そんな、わたくしの耳でも分からなかったなんて……!」
「気配を器用に消してたってことだな!? 迂闊だったァァァァァァ!」
ルナモンとコロナモンのやり取りは、ここに出現した敵が集団対集団の戦いに特化した者達であることを翼には予見させた。同時に、ゴブリモン達をそれほどまでに強く鍛えた者、先のゴブリモンが白状した「ボス」の存在も――。
「ヌハハハハハ、やはり来たな人間共!」
小鬼らのそれより低く覇気に満ちた哄笑が、ゴブリモンの群れの後ろから飛んで来た。ゴブリモンらはその声の出所を空けるように身を引き、包囲網の一点――丁度翼とドラコモンの正面――に一筋の道を作った。
「お前らを魔王サマに差し出せば、その見返りに土地と幹部の座が貰えると聞いてのう! ここで張り込んでみたらズバリ的中という訳じゃ! これでもワシも明日から一国一城の主よ!」
「へえ、オレら随分高くついてんだな……こいつらのボスってのはテメーのことか」
ドラコモンが睨んだ道の先には、ゴブリモンの倍以上の身の丈をした「大鬼」――緑色の巨体に太い白骨の棍棒、頭には大きな角を2本生やした暴力的なシルエット――が屹立している。一歩踏み出したその足は、地鳴りもかくやという重低音で場の空気を一層張り詰めさせた。
「そうとも! この辺りじゃ名の知れた盗賊一味、そのボスがこのワシ〈オーガモン〉! どうじゃ、恐れ入ったか!?」
「いや、テメーよりおっかねーのとタイマン張ったばっかだし……」
「何ぃ、バカにしとんのか!? 生け捕りにしろとのお達しじゃが、あんまりナメた口利くとうっかり命(タマ)トっちまうぞワレェ!」
「やってみやがれ、このお仲間がどうなってもいいならよ」
――えっ人質!? ズルくない!? と、翼はドラコモンが指差した「お仲間」、ヒョコモンに拘束されたままのゴブリモンを見た。命までは取らないというヒョコモンの約束が早くも反故になりかねないと知り、ゴブリモンは涙目になって翼にすがるような視線を送っている。
「あ、安心めされよ! ドラコモン殿はああ言っておられるが、なるべく事が穏便に済むよう――」
「そんなカスに人質の価値は無いわ、ボケ」
無慈悲な言葉と共に、オーガモンが棍棒を大きく振りかぶる。そしてその手が勢いよく振り下ろされると、風を切る音に乗って棍棒がブーメランよろしくヒョコモン達の方向へ飛来した。
「彼奴め、まさか!」
「ボス!? どうして――」
ズシャァン! と派手な音を立て、土埃が円陣の一角に噴き上がった。それを至近距離で浴びた翼は、咳き込みつつ土埃の中心地、骨棍棒の着弾地点に目を向けた。
「何と……何ということを……!」
ヒョコモンがダメージを負った様子は無い。その代わり、ゴブリモンの姿は消え、オーガモンの棍棒と、茶色い革の衣の断片がそこに残った。
ゴブリモンが、親分であるオーガモンに殺された――翼が、そして子供達が事態の要点を把握するのに、それほど時間はかからなかった。
「元々弱くて頼りにならんけェ足止めに回したんじゃ、今さら助ける必要はないわな」
かったるそうに耳の穴をほじるオーガモンを見ていると、翼は腹の底に煮えたぎるマグマのような熱が熾るのを感じた。
殺りやがった。自分の仲間を。喰いもしない命を。自分の都合で。ゴミでも捨てるような気軽さで。
喉元に競り上がる熱が、行き場を求めて翼の口をこじ開けた。
「お前、最て――」
「サイッッッッッッッッッテーだなお前!!」
言葉を迸らせた熱源が、翼の隣にもう一つ。眉間に深々と皺を寄せ歯を剥き出した誠である。
「なんでそんな簡単に仲間を切り捨てられんだよ! お前のこと最後までボスって呼んでたのに! 自分がそういうことされたら、とかって考えねーのかよ!?」
翼が抱えたそれより何倍も大きそうなエネルギーを、誠は言葉に乗せて撒き散らした。自分より激しい怒りを見せた隣人に気圧されたことで、翼はいくばくかの冷静さを取り戻し、目線を当て所なく左右に振った。すると意外なことに、ひなたやレミ、そして健悟までも、オーガモンに対し厳しい面を向けていた。
――そうか、皆同じ気持ちだったのか。翼はこの時になって初めて、誠達が血の通った人間であることを確認できたような気がした。
「甘い甘い! この世は弱肉強食、強いモンが弱いモンの命を好きにできるのは当然じゃろうて!」
大口を開けて高笑いするオーガモン。言い返す言葉を求めて子供達が歯噛みをする中、ヒョコモンは地面に刺さった棍棒をゴブリモンの群れに投げつけ、ドラコモンは拳の骨をパキパキと鳴らした。
「言ってることはそれほど間違っちゃいねーな……けどよ、それはテメーが自分より強いヤツに喰われても文句垂れねえって言ってんのと同じだかんな? それに、仲間殺しが飛びっ切りのタブーだってのは、オレにも分かるぜ」
まあオレ記憶無えんだけど、と小声で付け加えると、ドラコモンは翼の顔をちらりと見た。
「気ぃ引き締めろよ、タスク。こいつらに背中を預けられる保障なんざ、どこにも無えんだぞ」
「……戦うんだね」
「ったりめーだ、タスクの命を狙ったってだけでもぶちのめす理由は十分だってのに……」
パートナー達が身構えると、ゴブリモンの軍勢もにわかにどよめき出した。
「ほほぉ、いい度胸じゃ! ワシらの恐ろしさを思い知らせてやる! 野郎共、かかれェェェェェェ!」
オーガモンの号令に応え、ゴブリモン達が鬨の声を上げた。それに張り合うように、ドラコモンも大声で気合を入れる。
「オメーら、連れの命が大事なら円陣崩すなよ! 奴らは一匹残らず蹴散らして、オレ達は一人も欠けず生き延びる! それだけ忘れんな!」
「はいよー」
「おっしゃァ!」
「かしこまりました!」
「合点承知!」
ベアモン達は口々に答えた。にわかに緊張感で満たされた戦場の空気は、誠達の背を縮み上がらせる一方で、急拵えの団結が確かなものであることを翼に如実に感じさせた。パートナー達には「相棒を守る」という共通の目的があり、それを達成するためなら烏合の衆であっても共助を惜しまないという気概もまたあるのだ。ドラコモンは彼らに背中は預けられないなどと口では言うが、この一体感をすぐ傍で見ればそれが杞憂であることは翼にはすぐ分かった。
「《小熊正拳突き》!」
勇猛な掛け声と共に、襲い来るゴブリモンの1体に正拳突きを見舞ったのはベアモンである。近接格闘に長けているらしい彼は、少ない手数で確実に敵をノックアウトし、ゴブリモン達の攻勢を紙一重で抑えている。
「《コロナックル》!」
同じく徒手空拳で戦いに臨むコロナモンは、両拳に橙色の炎を纏わせて次々に敵を殴り飛ばして行く。一撃の重さも然ることながら、攻撃の度に周囲に散る火炎の力も相まって、敵を寄せ付けない迫力を発揮していた。
「《ティアーシュート》!」
ルナモンは近接攻撃を行う代わりに、額の触角から大きな水の玉を発生させてゴブリモンの群れに浴びせている。透き通って煌めく美しいヴィジュアルに反して破壊力はそれなりらしく、一つ弾ける毎に4、5体のゴブリモンが吹き飛ぶほどのパワーを有していた。
「へぇ、どいつもこいつも面白ぇ技使いやがる! おいヒョコモン、オレ達も負けてらんねーな?」
「然り、遅れをとるつもりはゴザらん!」
加勢したデジモン達の強さと多芸さに触発されてか、ドラコモンとヒョコモンの攻撃にも一層熱が入ったようである。近接技と《ベビーブレス》を使い分け敵を撃破して行くドラコモンと、一振りの刀を目まぐるしく翻して敵をざくざくと斬り刻むヒョコモンの手際は寸分も鈍る気配を見せない。
紅いノイズに煙る戦場の中心で、子供達はただただ言葉を失った。誠達は言わずもがな、翼ですら正しく想像できたとは言い難い、凄絶な争いの光景がそこにはある。この行儀良さや美しさとは無縁の、しかし単純で分かりやすい力の応酬こそが、デジモン達にとっての日常であり、やがて子供達の日常に変わって行くのだろうと翼は予感した。
「くっ……何をチンタラやっとんじゃ! 無力なガキをひっ捕らえて盾にすりゃ済む話じゃろ!」
オーガモンの命令で、最初の半分程度に減ったゴブリモン達は一斉にドラコモン達の円陣から距離を置き、二重丸でも作るように円陣を組んだ。しかしその円周は、生存しているゴブリモン全員で作ったにしてはやや小さい。
「何だコイツら、いきなりオレ達のマネしやがって……」
ドラコモンが呟く傍らで、翼はゴブリモン達の動向を観察した。隣の者と肩を組み始める円陣のゴブリモン達、その後方では複数体のゴブリモンが身を低くしていそいそと動く様子が見て取れる。何かしらの目的があることまでは予想できるが、その内容までは翼には思い付かなかった。
「なるほど、上から僕らを狙うつもりなのか」
何か腑に落ちた風情で、健悟が声を上げた。その言葉を聞き、翼も敵の狙いをようやく悟った。パートナー達がその身を持って組み上げたガードを飛び越え、中にいる「無力なガキ」こと翼らに接近しようとしているのだ。
「そっか、円陣のゴブリモンは踏み台……ドラコモン、『あれ』やって!」
「『あれ』ってどれだよ!?」
「ほら、サングルゥモンを倒したあの技!」
「え? あー、『あれ』か! よし、オメーら全員しゃがめ!」
敵の目論見は察せても、翼とドラコモンの端的なやり取りの意図を汲めた者は誰もいないようだった。戸惑う子供達を屈ませつつ、翼とドラコモンは円陣の中心に押し入った。
「翼、何やってんの!?」
「えっと……必殺技の準備、みたいな?」
「全然分かんねえよ!」
「とにかく皆、下手に動くと死ぬからね! いいって言うまで頭は上げないでね!」
念を押すように全員に告げ、翼は己の肩にドラコモンを担ぎ上げた。周囲を見回すと、敵の円陣の上にも5、6体のゴブリモンがよじ登っていた。
「行くぜ、オレとタスクの合体技! 名付けて――《ジ・シュルネン》!!」
ドラコモンの啖呵を合図に、翼はドラコモンの顎を掌で叩いた。それは円陣の上のゴブリモン達が翼ら目掛けて跳躍したのとほぼ同時であった。
「あっコラ――まだ続きあんだよコノヤロォォォォォォォォォォァァァァァァァァ!!」
「嘘ぉ!? ゴメ――――ン!!」
例の逆鱗(ウロコ)に触れた影響か、はたまた口上を邪魔された怒りによってかは定かでないが、ともかくドラコモンは激昂し、その口から眩い光の球を吐き出した。RWで最初に発動したそれとはやや異なり、ある程度収束したビームを連射する形ではあったが、一発の破壊力はゴブリモンの身体を粉砕するには十分だった。翼が砲塔のようにその場で体を回し、ドラコモンのビーム弾を四方にばら撒くと、飛びかかって来たゴブリモン達は残らず爆散してしまった。
一方、地上では他のゴブリモン達が一斉に翼らに接近していた。一帯に発射されるビーム弾を掻い潜り、子供達を速攻で仕留めようとしたのだろう。標的の周囲と頭上から同時攻撃を仕掛け、防御の隙を与えない――それがゴブリモン達の試みた戦法であり、実際その戦法は要領良く実行されたといえる。
しかし、やり方が良くても「読み」が浅ければ意味が無い。地上の小鬼達が動き出すより早く、ベアモン、コロナモン、ルナモン、ヒョコモンが円陣を広げるように飛び出していた。ゴブリモン達が子供達に近付く前に決着をつけようというのだ。尚も放たれ続ける《ジ・シュルネン》の死角となった僅かな空間を、デジモン達の闘争心溢れる視線が火花となって交錯したように翼には感じられた。
残りの敵20体弱に対し、迎え撃つパートナー達は4体。真正面から衝突するのは得策とはいえないし、パートナー達もその点は心得ているに相違無かった。その証拠に、パートナー達はゴブリモン達をただ叩くのではなく、投げ技を主体とした近接格闘で上方に打ち上げている。投げ飛ばされた敵はビームの弾幕に晒され、ノイズの花火となって一つ、また一つと、断末魔を上げながら消滅した。
凄惨さを増した戦場の光景、その只中に取り残された子供達はいよいよ肩を震わせて恐怖を露わにし始めた。最初の戦闘を見ても眉一つ動かさなかった健悟さえも例に漏れないというのは、翼にとっていささか意外だった。勿論翼も恐怖してはいるが、肩の上のドラコモンが暴れ出して味方を傷付けることの方が何倍も恐ろしかったのであまり動揺はしていなかった。
敵の群れがわずか9体まで減ったところで、生き残ったゴブリモン達は全員ばらばらの方向へ逃げ出してしまった。これだけ圧倒的な戦力差を見せつければ、勝ち目の無いことを悟って戦いを諦めるのは当然といえよう。
「おっお前ら、逃げるんじゃない! ……ワシの言うことが聞けんのかァ!!」
オーガモンが逃げた子分達の背中に向かって呼びかけるが、引き返す者は一体としていない。そんな様子を見て、健悟が溜息でも吐くように呟いた。その肩の震えは誰よりも先に止まっていたようである。
「どんな個体でも、殴り合えば相手の強さと身の危険が分かる……か。クズ大将のために玉砕なんて、きっと死んでも御免ってことだろうね」
「な、何じゃとクソガキ……!!」
プスン、という気の抜けた音と共に、ビーム弾の連射が止んだ。翼が足を止め頭上を見ると、ドラコモンがぐったりと頭を垂れ息を切らしていた。
「も、もう出ねえ……1日に2発は流石にキツい……!」
「大丈夫、今日はもう使わないから! ……多分!」
労いつつ、翼はドラコモンを肩から降ろした。先ほどまで回り続けていたせいで翼の視界と足元は覚束ないが、それ以上に戦場へ戻ろうとするドラコモンの足取りが不安定で、翼は相棒にこれ以上の負担を強いるのが申し訳無くなった。
「ドラコモン、無理しちゃダメだって……!」
「へっ、こんなの無理の内に入らねーよ! 少なくとも、オメーが傍にいる間は夜通し戦ったって負ける気がしねーな」
自信満々に笑うドラコモンの元に、ベアモンその他のパートナーデジモン達が再び寄り集まった。決して楽ではない乱戦を終えた直後でありながら、彼らの顔もまたどこか晴れ晴れとしている。
「わたくし達も、テイマーのためならどんな戦いでも切り抜ける覚悟があります。巡り会えた運命のパートナーを、命を賭して守り抜くと決めたのです」
パートナーデジモン達を鼓舞するもの、その正体をルナモンの毅然とした言葉が端的に示している――翼にはそう思えた。ドラコモン達にとって、翼達は世界を救い得る希望であると同時に、運命的な出会いを果たした相棒なのだ。翼以外の子供達とデジモン達とのファーストコンタクトがいかなるものであったかは翼には知る由も無いが、そこに「義務感」以外の特別な感情を生じさせるだけの背景(コンテクスト)があることは容易に想像できた。
「ならばァ……そのパートナー諸共お前らを捻り潰すまでじゃァァァァァァァァ!!」
部下に見限られ自棄を起こしたらしいオーガモンが、いつからかその場に放置されていた骨の棍棒を拾い上げ翼らに襲い掛かった。最早生け捕り云々という当初の目的は放棄したようであった。
「テメーなぁ……これ以上失うモンがねーからって、オレ達の『大切』に手ェ出すな!!」
怒鳴り返し、ドラコモンがオーガモンを迎え撃つべく走り出した。その後ろに、ベアモン達も駆け足で続く。
「キエエエエエエッ!」
振り下ろされたオーガモンの棍棒は、その細身な外見からは予想もつかないほどの重量感でドラコモンに迫る。ドラコモンがそれを紙一重で躱すと、足元の土が大きく穿たれ飛び散った。ドラコモンはその隙に手の爪をオーガモンの胴に突き刺そうとする――が、散った土塊が落ち切らない内に、棍棒は俊敏に振り上げられ、ドラコモンは防御姿勢をとる間も無く斜め後方へ打ち上げられた。
放物線の先でドラコモンを受け止めたのは、地面ではなくベアモンの腕だった。
「……悪ぃ、借りができちまったな」
「いいよ、いちいち覚えてられないから」
「あんにゃろ、思ったより一撃が重い。その上動きもいいからよ、間合い詰めすぎると結構危ねぇぞ」
「そうみたいだね。まあ、後はボクらが上手くやっておくから、少し休んでなよ」
「……なんかムカつくな、その言い方」
ドラコモンとベアモンが言葉を交わす間にも、残るパートナー達は果敢にオーガモンに立ち向かっていた。コロナモンとヒョコモンは近接攻撃を、ルナモンは《ティアーシュート》による援護をそれぞれ主体としてダメージを与えようと試みるが、オーガモンの力任せの動作はパートナー達の接近を許さず、またそのごつごつとした皮膚でルナモンの水の球を易々と弾いてしまう。遅れてベアモンも加勢しオーガモンの懐へ滑り込むが、溜めの割に手応えに乏しいボディブローを2、3発繰り出しただけで蹴飛ばされてしまった。
――このままでは分が悪い。滞る戦闘に歯噛みをしつつ、翼は膝を突くドラコモンの元へ駆け寄り、彼の肩に手を添えた。
「ドラコモン、まだ痛む?」
「ああ、右腕が満足に動かねえ……けど大したこたぁねー、それより早くあいつらに加勢しねーとな」
今行っても足手まといになる。そんな駄目出しよりも先に、ささやかな一つの疑問が翼の口からこぼれた。
「あの子達はアテにならない、みたいなこと言ってなかったっけ?」
ドラコモンはしばしぽかんと口を開けた後、不意に眉をしかめ舌打ちを一つした。
「別にいいだろ……あいつらがくたばったら、後ろの連中にギャーギャー騒がれて面倒臭えってだけだ」
「……そう、なんだ」
「ああ、そうだよ」
コミュニケーションが不得意な翼にもそうと分かるほど、ドラコモンの照れ隠しは不器用なものであった。翼は、ドラコモンが「協調」の意思を見せたことにほんの少し安心すると同時に、自身の認識を改める必要性を感じた。
5人の子供達と5体のパートナーデジモン達は、「チーム」として集められたのだ。それもただ集められたのではなく、この5人と5体でしか成し得ない何かのために、だ。その「何か」の正体までは翼には計り知れないが、このメンバーでならその答えに辿り着くことも、そのために多少の困難を乗り越えることもできる。そんな希望を、パートナー達の背中に見た気がした。
「――皆、聞いて」
翼は振り返り、誠、ひなた、レミ、健悟と、一人一人の目を見ながら訴えた。
「今、オレ達のパートナーがオレ達のために戦ってくれてる。けど、はっきり言って今のままじゃ勝ち目が無い。オレができることはもう何も……皆に助けを求めるぐらいしか無いんだ。オレのためじゃなくて……皆のパートナーのために、少しでいいから、力を貸してやって欲しい……頼む……!」
――オレは、無力だ。最初から、翼は心のどこかでそれに気付いていた。それを自覚したからこそ、翼は一所に集った子供達の持つ可能性(ポテンシャル)に賭けることを選んだのである。
ここでは誰も当てにできない、と自身を意固地にさせていたプライドをへし折るように、翼は頭を下げた。己の弱さを曝け出すことへの抵抗、或いは己が誰よりも有能だと驕っていたことへの後悔によってか、顔がどうしようもなく熱くなった。けれどそんな些細な恥は、戦場では何の役にも立たない。もっと役立つ何かが子供達の中にある、そう信じて助けを乞うことの方が何倍も有意義であるはずだった。
4人はしゃがんだまま半ば拍子抜けした顔をしていたが、何か思うところがあったのか、やがて各々何か考えるような素振りを見せた。
そして――健悟が立ち上がり、1歩前に歩み出た。