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快晴
4月29日

『Everyone wept for Mary』第5話

カテゴリー: デジモン創作サロン

≪≪前の話         次の話≫≫


「浅学なお前にひとつ教えておいてやる」

 顔面に向かって投げつけたUSBを、段差に腰かけていたネガは事も無さげに受け止める。

「スナッフフィルムの頭文字はAじゃなくてSだ。覚えとけ」

「んふふ。いくら博識なストゥーさんとはいえ、あんまりな言い方じゃない? あれはボクとバーガモンにとって、一番気持ちよくなれる写真を選りすぐったモノなのに」

 ああ、でも。と。

 ネガは艶やかな唇を弓なりに歪めて、僅かに頬を赤くする。


「その様子だと、最後まで見てくれたんだね。……それは、嬉しいな」


 はにかむネガに向かって、俺は力いっぱい舌打ちした。


*


「ネガ? ……ああ、『レンタルビデオ』くんちゃんね。へえ、ゲイリーの事まで口説きに来たんだ。残念! 見る眼だけはあるなーって思ってたのに」

「ホントに女の趣味悪ぃのな、アイツ」


 丸椅子に腰かけ、ヘラヘラと笑うその女の顔はひどく良い。

 だが彼女の胸は相も変わらず、一枚板風のカウンターに合わせて分度器を置けば正確な角度を計測できそうな程度にはまっすぐな面に仕上がっていて、男にも見えるネガの方が、よほど凹凸を感じられたような印象は、本人を目の前にしても変わる事は無かった。


 俺は渋々店にルルを呼び、

 ルルは至極面倒臭そうにそれに応じた。


「まあ」

 いつもの無駄話は早々に切り上げて、本題を急かすように俺はルルへと1冊の『絵本』を差し出す。

「絡みがあったってンなら話は早ぇ。売ってもらうぞ、ルル。あの変態野郎について、知ってる情報を全部寄越せ」


 『絵本』の表紙に描かれた壮年男性の横顔を見止めるなり、ルルがヒュウと口笛を鳴らす。


「『青髭』じゃん! へぇー、けちんぼでいやしんぼのゲイリーくんが! ホントに良いの? この店の最高級品でしょ? これ。返せって言われても返さないよ?」

「見合う情報を売るならそれでいい」

「はぇー……。ゲイリーくんがこんなにも潔いだなんて。不覚にも行商人ルルちゃん、ちょっと怖くて震えちゃった。くわばらくわばら、明日はきっと雨が降るね、血以外の」

「それじゃあ弾丸か毒くらいしか無いだろうが。縁起でも無い事言ってねェで、さっさと出すもん出しやがれ」

「んもう、待ってよせっかちなんだから! 人より早くコンニチハしちゃうゲイリーくんの息子と、あたしのカワイイ売り物ちゃんを一緒にしないでよね」


 と、茶化しはするものの、情報の対価として十分な品だとは認めているのだろう。ルルは僅かに目を細めて、貪欲な商人としての眼差しに鋭さを帯びさせた。


「ネガ。通称――いや、自称か。『レンタルビデオ』。国籍年齢性別全部わかんないけど、趣味だけは確か。あたしみたいな可愛い女の子をモデルに、18歳未満お断りのムービーを撮る事だね。で、それを人に売りさばいて、生計を立ててるみたい」


 最も、そっちの方こそ趣味だろうが。

 人の皮を剥ぐ前に身ぐるみでも剥いでりゃ、ものを売り買いするよりも遥かに楽かつ速やかに稼げるワケで。

 加えて、奴のパートナー――


「なんかお察しって感じの顔してるけど、続けるね。彼、兼業でバーガーショップもやってるみたい。こっちは『レンタルビデオ』くんちゃんのパートナー、バーガモンの趣味みたいだけど」

「はっ、そりゃイイ。倫敦旅行の気分でも味わえそうだ。フリート街の理髪屋の隣にあるっていう、ミセス・ラヴェットのパイ屋さながらじゃアねえか」

「どこ。誰」

「……」

「っていうかイギリスって、フィッシュ&チップス以外に食べ物あるの?」

「それはあンだろ」


 ふーん、ゲイリーくん物知りぃ。と、ルルはひどく適当に流して話を続ける。

 下手な合いの手を入れた俺も悪いがな。そういうお前の胸並みに薄い反応は、一番人を傷つけるぞ。


「で、この辺が一番ゲイリーくんの欲しがりそうな情報かな。件のバーガモンの、進化ルートについて」

 ルルは自分のデバイスを取り出していくつかの入力を済ませると、その画面を上に向けて、こちらへと差し出した。

 途端、左から進化順に並んだデジモンの立体映像が、宙へと浮かび上がる。


 バーガモンと、シェイドモン。

 その隣に続くのは――白い蛇。


「サンティラモン?」


 意外な姿に、思わず疑問符付きで名前を口にしてしまう。

 シェイドモンはその特異かつ凶悪な能力もさることながら、食い溜めしたデータによって進化先の凶悪さが増す、という特徴を有している。

 あの変態野郎が、生半な物を文字通り「喰わせている」とは思えないのだが。


 ……いや、シンプルな畜生の姿に引っぱられたが、よく考えれば元ネタは『十二神将』の珊底羅大将か。しかもかの神将は、本地が「明けの明星が化身」とかいう、デジタルモンスターの世界においては超ド級の厄ネタ持ちだった筈。

 強力なデジモン、という印象こそ希薄だが、元ネタ云々を抜きにしても単純に、サンティラモンは陰険かつ残虐なデジモンだと聞いている。


 がっつり滲み出てるじゃねえか。ネガの人となりが。


「データがあるって事は、交戦したのか?」

「一応ね。でも、ゴキモン出したら即逃げてっちゃった」

「……腐っても中身はバーガモンなんだな」

 そこに関しては、なんだ。気持ちは解らんでは無い。

「それに、ゴキモンも深追いしなかったしね。だから、戦闘データは無いの。そこはちょっとゴメン」

「……」


 ルルに害意を向けたにも関わらず、ゴキモンは--否、ゴキモン「も」追跡しなかった。となると――


「究極体には、まだ成れないんだな」

「多分ね」

 メアリーがああも簡単に連中を見逃したのは、ネガの商品が琴線に触れただとか、そんな理由じゃあ無い。

 アイツらは、果実だ。

 熟れる寸前だが、まだ青い。

 あの大飯喰らいの悪魔でさえ行儀よく待てが出来るような、蕩けるように甘くなる果実なのだ。


「ふうん」

 ルルは細い指で『絵本』・『青髭』の、軽くウェーブのかかった長い髭のラインをなぞった。

 画材にモルフォモンの鱗粉を用いた昏く煌びやかな青色が、彼女の指先を追うようにしてきらきらと光る。


「そっかぁ、メアリー・スーのためだもん、奮発しちゃうよね。なんかつまんないの」

「あのなァ……もらうモノもらっといて、こっちの事情にまでケチつけんなよ」

「だって、アレががっつり絡んでる時のゲイリーくん、面白くないんだもん。いや、ゲイリーくんは最初から自分にはユーモアのセンスがあると思ってるタイプのクソ薄っぺらい男だけどさ」

「お前の胸部の厚みには負けるが?」

「でも、今日はなんか違うかなーって思ったのに……はーあぁ、つまんなーい!」


 ガキのように両腕をカウンターに投げ出して(なお実際に子供であるリンドウは、こんな真似して見せた事は無いのだが)、胸周りに分けてやりたい程度には頬を膨らませるルル。

 こいつからの急な罵倒は今に始まった事では無いのだが、それにしたってこうも幼稚に振る舞われると、こちらもなんだか、居心地が悪い。


 全く……。


「大枚叩いてお前から聞き出さなくても、その時が来てその気になりゃあ、メアリーは勝手にジャンクフードを喰いに行くだろうさ」

「うん?」

「言ったろ、あの『レンタルビデオ』とかいう若造は、女のシュミが最悪なんだ。ロリコン野郎が挽肉臭いカメラ片手に歩き回ってると思うと、おちおち娘に留守番もさせられねえ」

「……」


 ああもう、いつになく察しが悪い。

 俺はちらちらと、リンドウがモルフォモンと過ごしている筈の俺の私室の方へと目配せする。


 最初は引き続き、何やってんだコイツと冷めた眼差しが俺を刺していた訳なのだが――しばらくしてようやく、ピンときたらしい。

 呆けたように半開きだった口は、ついににんまりと、半円を描く。


「へえ。へえ! 何何? ゲイリーくん、割と真面目に父親やってるってワケ!? リンドウちゃんのためってコト? えー! ウケるんですけど!?」

 どっちにしても酷い奴だなコイツ。胸の次くらいに情が薄い。

「でも、ふうん。それは確かにいただけないね。イエスなロリータにはノータッチがジェントル。『絵本屋』で得た知識にもそう書いてあったって、ゲイリー君常々言ってたもんね」

「言ってねえ」

 初めて聞いたわそんな知識。

「ふふふ、いいよいいよ、あたしもちょっと興が乗って来た。それに、リンドウちゃんは将来の顧客になる可能性もあるからね。出血大サービスって程じゃ無いけれど、もうひとつイイコト教えてあげよう」


 ルルがデバイスを持ち直し、操作するなり、俺の手元の端末がぶるりと震える。

 目の前の女から送信されたデータを開くと、『迷路』の地図と、赤いマーカーが表示された。


「マンモンの千里眼があればすぐだろうけど、ひとつくらい手間、省いてあげる。それ、『レンタルビデオ』くんちゃんの拠点だから」

 恐らくまだ軽くあしらえるだろうが、ルルにとってネガは身に振る火の粉の類だ。やはり、多少は調査してあったらしい。

「一応礼は言っとくぜルル。ウドの大木は見上げるだけでこめかみが軋むからな」

「……」


 俺の発言には振れず、しかし軽く肩を竦めながら、ルルは席から立ち上がった。


「以上、ルルちゃんの情報提供なのでした!」

 とはいえ、と、ルルはカウンター上の『青髭』を、持ち上げるでなく、手を重ねる。

「あたし今機嫌良いし、この『絵本』、絵も綺麗だから。ちょっとしたモノならオマケしてあげてもいいかなーって思ってるんだけど」

「なんだ、お前の方こそ珍しい。鼠の巣穴に握り飯でも落とした気分になるな」

 ま、貰える物なら貰っておくが。クソみたいな腐れ縁だが、お互い化かし合うような仲でも無いし。

「そうだな……。あー、じゃあ酒はあるか。安物でいい。あんまりいいヤツは口に合わなかったからな」

「あらまあゲイリーくんったら根っからの貧乏舌なんだから。ちょっと待っててね、あったと思うから。ゴキモ」

「おうパートナー経由しないでデバイスから直接出せ」

 何さ、注文の多いゲイリーくんなんだから、とルルが唇を尖らせるが、茶バネは山猫のレストランでもNGだろう。仮にも飲食物なんだから、その辺はしっかりしてほしい。


 と、ふいにルルが端末を操作する手を止めたかと思うと、デバイスの画面から、彼女の選んだ品物が実体化する。


「?」

 それは瓶でも紙パックでもなかった。

 袋だった。鮮やかなデザインの四角い袋。酒はおろか、とても液体が入っているようには見えない。

「何だコレ」

「飴ちゃん」

「俺は酒を注文した気がするんだが」

 問いかける俺を尻目に、中身のサンプル品だろうか。ルルが新たに取り出したのは、赤い球状のロリポップだった。


「こっちの方が、今のゲイリーくんには必要かなと思ってさ」


「……」

 俺はそれ以上何も言わず、飴の袋を受け取った。

 余計なおせっかいではあるが――実際、これなら多少なりリンドウの気を引けるだろう。棒付きのキャンディーは、なんというか、見栄えもいい。

 そんな俺の様子に目を細めて、ルルはキャンディーの先端をマイクのようにこちらに差し出す。


「ねえ、ところでゲイリーくん。最後に一つだけ聞いて良い?」

「あん?」

「『レンタルビデオ』くんちゃんはロリコン、ってさっき言ったじゃない」

「言ったな」


「ちょっかいかけられて追い返しただけのビデオ屋さんの性癖を、どうしてゲイリーくん、知ってるのかな?」


「……………………」


 俺はやっぱり、それ以上何も言わなかった。

 言えなかったし、目も逸らした。


「ははっ、ちょっと感心してたあたしが馬鹿だった。ゲイリーくんってば、やっぱりサイテー」


 ルルは笑顔で、俺の唇にロリポップをねじ込んだ。

 不意打ちのように穿たれたそれは、甘い展開を呼ぶ筈も無く前歯に叩き付けられる結果に終わり、そうして俺は鋭い痛みの中、キャンディーの破片で苺と自分の血の味を知った。

5件のコメント
快晴
4月29日

「あれあれ? ストゥーさん、唇ちょっとケガ、してる? んふふ、殿方の顔のケガって少しそそっちゃうな。でも、万が一バイキンが入って腫れたりしたら、それは不格好だもの。ボクで良ければ、診てあげましょうか?」

「菌がどうのこうの言うなら、それ以上生臭い手を近付けるんじゃねえ」

 残念、と、特にそうは感じさせない表情で、ネガは艶やかな自分の唇に指先を当てた。

「それはそれとして、んふふ。ストゥーさん、ストゥーさん。……また会えて、嬉しいな」

「俺は会いたかなかったンだがよう。貸しビデオ屋の延滞料金はシャレにならないモンだからな。見返りを理由に悪い妖精に付き纏われるのは、お伽噺の中の怠け者だけで十分だ。そのUSBは返すから、二度と俺の店に足を踏み入れるな」

「うぅん、これは無料のサンプル品なんだけどなぁ。でも、ストゥーさんがお気に召さなかったなら仕方が無いよね」


 次はもっとストゥーさん好みの子で、撮ってあげる。


 ネガが全てを言い終わらない内に、彼の白い首筋に、ぴたりとナイフがあてがわれる。

 と同時に俺の足首にも、ネガの足元から不自然に伸びた暗い影が纏わりついていて。


 片や頭上から、片や地に這いながら。

 ピーターモンのメアリーとネガのシェイドモンが、俺達越しに、睨み合っていた。


「娘に欲情する程人間終わっちゃいねェよ」

「んふ、んふふふふ。嬉しいな、嬉しいなぁ。やっぱりストゥーさん、ボクのコレクション、全部見てくれたんだね。好きな人にはね、ストゥーさん。たとえ気に入られなくても自分の作品を見てもらえたら、とってもとっても、嬉しいんだよ?」

「盗撮野郎が一丁前に芸術家気取りか? 俺もズブの素人じゃアあるが、芸術の心得については一つ面白い話を知ってるぜ。曰く、芸術は爆発だ、との事だ。お前の頭が弾け飛ぶ様は、さぞかし迷路の壁にも映えるだろうな」

「んふふ、それは一理あるかも。今度かわいい子で試してみようっと。でも――それをボクでやるのは、無理なんでしょう? ストゥーさん」


 ネガはそう言って、事も無げに首元のナイフを押しのけた。

 俺の店からの帰る時のように、瞳には俺宛てでは無い、細やかな侮蔑が灯っていて。


「絵の描き手に、やる気が無いんだもの。……つまらないんだよね」

 対照的に、メアリーは口元が隠れているにも関わらず、いつものように品無くにんまりと笑っているのが見て取れた。

 ああ、もう。だろうとは思ったけど、おめーのせいで台無しだよ。

「だから、ね」

 と、ネガは打って変わって優し気に微笑むと、しゃがみ込んで俺の足元を見下ろした。

「大丈夫だよ、シェイドモン。ストゥーさんに悪戯しちゃ、ダーメ」


 しばらく赤い目玉で俺とメアリーを交互に睨んでいたシェイドモンは、しかし飼い主の有無を言わさぬ微笑みに折れたのだろう。

 丸っこいフォルムのバーガモンへと瞬く間に退化して、ただしネガの影からは離れないようにしているかのように、ひし、と彼の足にしがみついた。


「んふふ、いい子、いい子」

 バンズに似た帽子越しにバーガモンの頭を撫でながら、立ち上がりはせず、ネガは俺の事を見上げる。

「それで? ストゥーさん。作品の返却だけには見えないし、ボクと遊びに来たでもない。結局、今日は何の御用なの?」


 俺の代わりに、ネガの背後のメアリーが、雑に折り畳んだ1枚の紙をバーガモンの頭の上にすっと投げた。

 ひらひらと落ちたそれをネガは怪訝そうに摘み上げ、バーガモンにも覗き込める位置で開く。


「似顔絵?」


 それは、女の横顔だ。

 俺が昨晩急ピッチで仕上げたものだ。メアリーに本人を撮りにいかせても良かったが、ネガと同じ真似をするのは癪だったし、単純に両者にデバイスを触らせたくは無かった。

 だが、自分で言うのも何だが、よく描けていると思う。

 よく描けていると思うし――


「誰かは知らないけれど、かわいい子だね」


 ――案の定、ネガのお眼鏡に叶う女だった。


*


「へえ、品物に対価を支払わないだなんて、酷い人もいるものだね」

 目的地に向けて歩きながら、ネガはどことなくあざとく、首を傾げる。

 お前以上の(色んな意味で)酷い輩はそうそう居ないだろうがな、と、俺はわざわざ言わなかった。


 似顔絵の女は、メアリーと俺の店の客だ。客だった。

 安い『絵本』に手を出して溺れ、まともな思考力を失くし、こと『迷路』においても最低限の人間性を保つための作法である「金銭のやり取り」すらこなせなくなった、掃いて捨てる程居るような阿呆だ。


 ただひとつ、その他の愚か者と彼女が違ったのは、連れているデジモンが単純に強かった点である。


「でもお友達も同じくらいチャーミングで素敵だな。本当に、人・デジモン揃ってタイプだよ。んふふ、流石ストゥーさん。人の好みを抑えるのも、『迷路』で生きていくための大事な術なんだね」

「お前が畜生にも欲情する節操無しだって知ったのは今しがただよ」

 「見た目「だけ」の女に興味は無い」となれば、女性型のデジモンも当てはまりそうなもんなんだが。


 女性型――ネガに紹介した女の従僕は、バンチョーリリモンだ。


 バンチョー、と名の付くデジモンは、聖騎士型に負けず劣らずの希少種であり、実力もそれらに引けを取らないとされている。

 特殊な精神構造、『GAKU-RAN』なんぞというふざけた名前に反して、物理攻撃を約9割カットする装甲、純粋に高い戦闘力。

 前述の共通事項に加え、バンチョーリリモンは攻撃力こそ他のバンチョーに劣るが、近~中距離戦闘のエキスパートであり、非常に面倒臭い特質持ちなのである。


 女はデジモンの強みを盾に、あろうことかこの絵本屋から、『絵本』代を踏み倒して逃走したのだ。


「ん~、だけど少しだけ不思議。バンチョー系デジモンって、とっとても気難しいんでしょう? そんな、優しいストゥーさんに当然の対価も支払わないような、ズルい人に従うものなのかな」

「ハッ、そもそも『番長』にゃア「非行少年の頭」以上の意味なんてねぇよ。若気の至りを飾り立てた酔っ払いのホラ話が、たまたま世間にウケただけの話さ。始めっからそんな夢物語をキメてんだ。連中、クスリの取り扱いくらい喜んで、平気な面で美談か武勇伝に仕立て上げるだろうさよ。それに」

「それに?」

「『絵本』に頼らなきゃいけない程度のクソ雑魚ナメクジだからこそ、余計にバンチョーリリモンが強いんだよ」


 バンチョーリリモンの特質。

 それは、かのデジモンが常に『弱者の味方』である点にある。

 『弱者の味方』。言葉だけを捉えれば聞こえはいいが、デジモンは所謂データで構築された生命体。バンチョーリリモンは、弱い者を守護している時に、最も効率よく思考・行動できるようプログラミングされている、と言えば解りやすいだろう。


 人間はデジモンと比べればひどく弱い生き物だ。

 例外は無いでは無いだろうが、大概の場合。多少鍛えた人間程度では、世代で言えば成長期のデジモンにも基本的には劣る存在。


 この前のスレイプモンの場合、その『弱い生き物』を頭脳にしていたばかりにそこから崩されてしまった訳だが。

 バンチョーリリモンの場合は『弱い生き物』が傍に居ればむしろ、自分の頭脳さえ強化する事が出来るのだ。


 ……誠に遺憾ながら、その厄介さは女を取り逃した際、嫌と言う程身に染みている。

 無論、メアリー・スーは全ての因果を捻じ曲げて、彼女にとっての悪を断罪する権利を持つ女。やろうと思えばどうにでもやりようはあったが、先にも述べた通りバンチョーリリモンの連れが手を出していたのは安物の『絵本』。

 無慈悲な取り立て屋の真似事は、単純に割に合わなかったのだ。


 だから、見逃した。その時は。

 どうせこの先『絵本』に頼らずには生きられないだろうから、今度顔を出してきた時にでも、と。


 ただ、まあ。そのおかげで。

 件のジャンキー女はどうやら、思わぬ形で俺の--あるいは、リンドウの--役に立ってくれるらしい。


「だから、この客はお前にやる。勿論、半ば押し付ける訳だから、撮影の手伝いはしてやるよ」

「その代わり、リンドウちゃんが素敵なレディに育つまでは、ちょっかいをかけてはいけません」


 んふふ、と。

 気色の悪いが、同時に妙に色っぽい笑い声を漏らしながら、ネガがこちらへと振り返った。


「我が儘なストゥーさん。ボクらに厄介事の始末をさせて、その上「お預け」だなんて。……んふふ。んふふふふ。でもでも、やっぱり女の子は食べごたえだからね。もっと可愛くなるまで待つっていうのは、確かに、それも一興だもの」

 それに、と、ネガは更に艶やかに微笑んで、続ける。

「尊敬するストゥーさんと、初めての共同作業……。間接的にとはいえキスは済ませたし、ボク達、本当に固ぁい絆で結ばれてると見て、いいんじゃないかな?」

「絆の語源は畜生を繋ぐ縄にあるらしいな。そういう意味じゃア、お前はどっかに一生繋がれてるべきだとは思うぜ」

「わあ、特殊プレイ。ボク、そういうのも嫌いじゃないよ」

「……」


 なあメアリー、今からでも遅くないから、コイツやっぱり殺しておかないか。

 ダメですかそうですか。他人事だと思ってニヤニヤしやがって。


 で、バーガモン。そんな顔しなくてもこんな(暫定)男、こっちから願い下げだ。

 恐らくお前が俺に向けている感情は、俺がネガに向けている感情とほぼ等しい。デジモンごときと同じ事を考えていると思うと癪に障るから、こっちを見るな。


 ……ただ、仮に。もしも俺達が手を貸した上で、その上でネガが件の女と相打ちするようであれば、。メアリーも、その程度の存在だったと諦めるだろう。

 この果実が熟すのは諦める事になるが、待てばその内、必ずどこかで、同じものが実る。

 俺としては、そうなってくれれば一番良いとさえ考えているのだが――


「そろそろ静かにしておきな。似顔絵の女はこの先だ」


 ――どう転ぼうが、その時はその時だ。


 『レンタルビデオ』。自称、俺の同業者。

 仮にも『迷路』で歌い継がれる、迷える者の救い手たる『絵本屋』と立ち並ぶを豪語すると言うのなら。

 そのお手並み、拝見させてもらおうじゃないか。


「んふふ、わかってるよストゥーさん。『レンタルビデオ』の仕事の流儀、恥ずかしいけど、いっぱい見せてあげるね」


 『迷路』の角を曲がった先。

 壁際に、黒い花の妖精をもうひとつの壁代わりにしてしゃがみ込んでいた女が、過敏になった神経で気配でも感じ取ったのか。

 ふと上げた視界に俺を見止めて、ぶるりと震えたのが確認できた。


*


「え、絵本屋……!」


 ヤク中特有のたどたどしい上ずった声。俺は至って真面目な接客用スマイルを、サングラスと立ちはだかるバンチョーリリモン越しに、女へと投げかけた。

「よう、久しいなアお客さん。あんまり長いこと店に顔出さないモンだから、亀でも助けて竜宮城に高跳びしたのかと思ったぜ」


 息災のようで何より、と。

 純真無垢で素朴な青年のように、俺はただただ、微笑んだ。


 女の手は、小刻みにぶるぶると震えている。


「とはいえそろそろ、鯛や比目魚の舞踊りはお開きって所だろう。遊びに飽いた訳じゃねえなら、海亀を慈しむような良心で、このゲイリー・ストゥーに施すといい。そうすりゃ俺とお前さんは引き続き、相も変わらずお友達だ。御馳走を振る舞う乙姫様のように、絵にも描けない美しさの『絵本』を、可愛そうなお前さんに提供してやるぜ」


 まあ、ああは言ったが。

 もしも、万が一。こいつが前回踏み倒した『絵本』の代金と逃げる前に壊した店の修理費、ついでに新規の『絵本』に対価を払うというのなら、ネガとの契約はご破算だ。俺にだって、客を売らない矜持くらいはある。

 

「『絵本』、『絵本』……『絵本』、欲しい。え、ええ、絵本屋……さん、今、『絵本』、持って、るの?」

「勿論。今日のこの俺、ゲイリー・ストゥーは出張版だ」

「だから、『薬剤師』ともい、いっしょ、なの?」

「んふふ、ボクの事?」

 アレと一緒にしないでほしいのだけれど、と、そこだけは不機嫌を交えてネガがひとりごちる。どうせ俺の背後のメアリーは、対照的ににまにま笑っている事だろう。

 だが、女にそれを気に留める様子は無く――そして既に、バンチョーリリモンは構えていた。


「欲しい。『絵本』、欲しい、欲しいよう……!」


 女の息が荒ぐ。額からは玉のような汗が噴き出し、それらに混ざるようにして、目尻からは涙が零れ落ち始めた。

 犬の涎のようなモノだ。目の前におやつをぶら下げられて、いよいよ理性の糸が、切れたのだろう。



「たすけて、バンチョーリリモン」



 弱き者の味方は、意思薄弱な主の懇願を聞き入れた。


 真紅の特攻服が翻り、鞭のように腕が振り下ろされたかと思うと、棘付きのヨーヨーが、瞬きの間にこちらへと伸びる。バンチョーリリモンの必殺技『アブソリュートテリトリー』だ。

 絶対領域を意味するその名の通り、あのヨーヨーが届く範囲はバンチョーリリモンの独壇場だ。当たれば例外なく、俺の胴はおろか、メアリーの身体も真っ二つだろう。


 だが、予備動作自体は武器持ちのデジモンの例に漏れず、解り易い。

 故にこの展開を見越して、連中よりも僅かに早く、『レンタルビデオ』の同好の士は動いていた。


 黒い身体と赤い瞳は、パッと見は拗らせた学生のファッションセンスを彷彿とさせたが、高速で服の表面を駆け上がる模様など存在する筈も無く。

 影という特性故に優れた隠密の力は、究極体のテクスチャの上だろうと例外では無いらしい。

 流石に直に皮膚の上ともなれば隠し通すには無理があったようだが、それでもやはり、気付くのは少しだけ、遅かったようだ。


 黒い影を脱皮の要領で脱ぎ捨てて、神の御使いを彷彿とさせる巨大な白蛇が、バンチョーリリモンの細腕に絡みついた状態で顕現する。

 進化前と進化後の体格差を活かした奇襲は見事に嵌まり、白蛇――サンティラモンの重みにバランスを崩したバンチョーリリモンは、『アブソリュートテリトリー』の軌道をあらぬ方向へと逸らしてしまう。


 刃と化したヨーヨーは文字通り空だけを裂き、一瞬『外』の景色を俺達に覗かせた後、回転の勢いをそのままにバンチョーリリモンの手元へと戻って行った。

 全く、デジモンには空間に干渉する手合いが居るからこそ、『迷路』とその外を繋ぐ門は、比較的頻繁に開くのだろう。


 と、まあ。不意打ちはキメたがその次を許すほど、バンチョーリリモンは甘くは無い。

 ゼロ距離で口内から宝鉾『クリシュナ』を発射しようとしていたサンティラモンを、かなり無理な体勢であるにも関わらず、バンチョーリリモンは鋭い一閃で蹴り上げて、引き剥がす。

 『トゥインペタル』。近距離に対応したバンチョーリリモン必殺の蹴りだ。


 とはいえほとんど倒れかけの姿勢に加え、蛇の身体はよくしなる。あらかじめ蹴りの衝撃が飛ぶ方向へ、いつでも甲羅の付いた重い頭を逸らせるようにしていたらしい。

 ノーダメージ、とはいかないだろうが、戦闘続行には一切問題の無いレベルで『トゥインペタル』の威力を殺し、サンティラモンは地面に着地するなりずるりと涎まみれの『クリシュナ』を吐き出す。

 尾で絡め取って持ち上げた宝鉾を構えながら、白い大蛇は挑発するようにちろちろと赤い舌を出し入れしていた。


「……」

 こちらへの初撃は逸らし、不発に終わりはしたものの不意打ちの精度は高く、追撃は回避した。

 不本意ながら、及第点だろう。


「メアリー。手伝ってやれ」

 戯曲の主役が舞台へと躍り出る。

 だが、本日の演目は永遠の少年の冒険活劇では無い。いや、冒険譚は冒険譚かもしれないが、その舞台はネバーランドからはがらりと変わる。


 ピーターモンだったメアリーは帽子を脱ぎ捨て、髪を解く。

 ふわりと広がった金糸が腰元に落ちる頃には、鮮やかな緑衣は死装束とも見紛う白い着物に変わり、だが死にゆくものにしてはやけに豪奢な黄金の袈裟がその上から被さる。

 赤い経典の巻物が、若草色のスカーフに代わって風も無いのにはらはらと舞った。


 サンゾモン。

 メアリーの、完全体の姿だ。


 ……マフラー代わりの経典以外にもすっごい揺れている部位がある点については、ここでは割愛しておく。

 某行商人のような完全な『無』はどうかと思うが、それはそれとして、デカければいいというものでも無いのだ。

 こんなンに僧侶型が務まってたまるか。


「……アレがサンゾモンになるんだ?」

「意外に思うかもしれねェが、『西遊記』の三蔵は、原典だと案外俗っぽいんだ」

 そこに関しては俺もネガと同意見ではあったが、そんな事はおくびにも出さず、俺は出来る男かつメアリー・スーの物語の端役故、すかさず奴のフォローに回る。

 どうにしたってこんなビーチボールみたいな代物ではなかっただろうが、映像作品において生白く線の細い三蔵法師を女性の役者が演じる事自体は、もはや手垢のついた手法だろう。


「それに、メアリー・スーは誰よりも清らかで、人々に愛される女だぜ。これ以上の当たり役も、そうそうありゃしないだろうさ」


 じゃら。と。

 サンゾモンの左手に巻き付いた無駄に長い朱い数珠が、音を立てて広がる。


 空いた右手は中身からすれば柄にも無く、しかし僧侶型としてはこの上ないくらい「らしく」、指を揃えて立てられていた。

 坊主が祈る相手の似姿は、ちょっと前にマッシュモンの姿で片付けたって言うのにな。



 次の瞬間、音を伴わない読経が、『迷路』の空気を制圧する。



 ヨーヨーを構え直していた筈のバンチョーリリモンが、その場から跳び退いた。

 こちらからは、何も起きていないように見えるにもかかわらず、だ。



 『無限弾幕心経』。

 サンゾモンの技は基本的に、敵を直接傷つける術を持っていない。

 『無限弾幕心経』も例外では無い--が、究極体デジモンは大概の場合、目が良い。良過ぎるのだ。

 目で追わずにはいられないのだろう。四方八方から無限に降り注ぐ、朱い数珠玉の幻を。


「パートナー共々トリップしてろ」

 とは言ってみるものの、所詮は幻覚。加えてバンチョー系デジモンは基本的に物理攻撃が効かないときている。

 案の定、バンチョーリリモンは真紅の『GAKU-RAN』の裾を持ち上げ、被弾を覚悟で特攻の構えだ。ハッタリを見破られ、突破される未来はものの数秒後に迫っていた。


 だから、その僅かな隙を無駄にせず、メアリーはその場から跳び上がる。

 半回転して素足を天に突き上げ、背中から落下するのは――サンティラモンが垂直に構えた『クリシュナ』、その矛先。


 肉と絹を裂く音がして。

 メアリーの腹を、黒鉄の鉾が貫いた。


「本物の女の子ならそこそこそそる光景だけど……彼、一体何してるの?」

「まあ黙って見てろ。そんでもって合わせろ」


 驚いたサンティラモンがメアリーを『クリシュナ』から振るい落としたのと、こちらに足を踏み出したバンチョーリリモンが数珠弾幕の手ごたえの無さに目を見開いたのは、ほぼほぼ同時だった。


 自ら飛び込んだ以上、当然、デジコアは避けてある。

 今更痛みに泣き喚くような手合いでも無し。そも、サンゾモンというデジモンは苦行が日課のマゾヒストだ。

 何でも無い風にふわりと地面に降り立ち、穴の空いた腹部からきらきら光るデータのカスを零しながら、サンゾモンは今度は、慈母のように両腕を広げ、首に巻き付いた経典を揺らす。


 今度の『経』の効果は、俺やネガの瞳にもくっきりと映った。


 『迷路』を囲む壁よりも上。

 無数の『クリシュナ』が、偽物の空を埋めていた。


 『胡蝶夢経』

 サンゾモン自身に直接相手を傷付ける必殺技は存在しない--が、けして無力で無害なデジモンという訳では無い。


 『胡蝶夢経』は、サンゾモンがこれまでに味わった苦行を具現化させる必殺技だ。


 交戦を重ねれば重ねる程、学習し、強くなる。

 この上なくシンプルかつ、機械じみた性質は、姿形は聖人だろうが、やはりデジモンであるからこそ、だ。


 ネガの方も解り易く例を見せつけた故、意図を読んだのだろう。

 デバイスを介してコマンドを送られたらしいサンティラモンが、メアリーを刺し貫いたばかりの『クリシュナ』を宙に投げ--その後にも、無数の宝鉾が続いた。


 『クリシュナ』もまた、シンプルな技だ。

 切れ味の鋭い鉾を、口から取り出す。撃ち出すなり、尾で振り回すなり、その辺は個体次第ときている。

 どう扱うかは自由だし――いくつ取り出すかも、好きにしていい。

 サンティラモンの気力が持つ限りは、鉾は無限に、湧いて出る。

 そういう特質がある限り、メアリーもまた、気力が続く限りは好きなだけ、『クリシュナ』を降らせられる事だろう。


 行商人ルルの天気予報は大当たり。

 本日の天気は晴れ後雨。ただし弾でも毒でも無く、黒光りする、刃の雨だ。


 「I'm singing in the rain. Just singing in the--」


 ネガの鈴を転がしたような歌声は、『クリシュナ』のゲリラ豪雨に掻き消される。

 強いて言うならジャンキーの悲鳴が幽かに耳に届いたが、つまるところ、それは女の無事をも知らせている訳で。


 瞬時にこちらの狙いを嗅ぎ取ったバンチョーリリモンは女の眼前にしゃがみ込み、真紅の特攻服の裾を身動きなどとても取れそうにない彼女に被せている。

 『クリシュナ』は見た目こそ普通の鉾ではあるが、その実光で出来ているという話だ。

 『GAKU-RAN』の防御力はあくまで物理攻撃に対応するもの。当たればバンチョーリリモンはともかく、パートナーの方はひとたまりも無い


 筈、だが――


「流石に捌きやがるか」


 バンチョーリリモンのヨーヨーは、『クリシュナ』の雨にも負けず劣らずの唸り声を上げて、回転により円刃の傘を編み上げている。

 舌打ちする。そのつもりではいたが、ここからは持久戦だ。


 あらゆる理不尽の権化たるメアリー・スーと、シェイドモンの特性上、恐らく半端では無い量の絶望を蓄えてきたであろうサンティラモンの肥大化した『気力』が勝つか。

 バンチョーリリモンの『弱者の味方』とかいう、強く美しい『信念』が勝つか。


 ……こういう根性論で決着をつけなければいけない展開は嫌いなのだが、四の五の言ってはいられまい。

 最後の手段としてメアリーの究極体を使う手はあるが、こちらも世代を揃えれば、ジャンキー女との格差が広がり、バンチョーリリモンにいらぬバフがかかる可能性も高い。

 ネガにこれ以上の手札を曝したくないというのが本音ではあるが、今回に限って言えば、進化して戦うメリットが薄いのも事実だった。


 幸い、現時点ではバンチョーリリモンは動けない。

 頃合いを見て、『胡蝶夢経』を別の『苦行』に変えるか--


「ねえねえ、ストゥーさん」

 金属がぎゃりぎゃりこすれ合わさる騒音の中でも、耳元で囁かれてしまっては言葉を拾い上げる他無い。

 俺はふいにもたれかかってきたネガを『クリシュナ』の降り注ぐ方向へ突き飛ばしたい衝動を堪え、なるべく低めた声で「なんだ」と短く返す。

「イイコト思い付いちゃったから、ボクとサンティラモンで、ヤってもいい?」

「あ?」

「んふふ、見ててねストゥーさん」


 合意した覚えはないのだが。

 ネガは俺に肩を寄せたままデバイスを操作し


 次の瞬間、サンティラモンは『クリシュナ』を吐くのを止めて、地面に頭を突っ込んだ。


「っ」

 『迷路』のそこそこ固い地面を、泥水にでも飛び込むように沈んでいくのは、サンティラモンの能力だろう。

 本来は地中での移動を得意とするデジモンだと聞いている。


 地面の下から奇襲をかければ、勝敗を決する事も不可能ではないだろう。


「おい、馬鹿っ!!」


 ンなもん通用しないから、こんな回りくどい方法で仕掛けてるんだろうが。


 サンティラモンの吐く分の『クリシュナ』が無くなった以上、攻撃は手薄になる。

 急いでメアリーに『無限弾幕心経』の追加コマンドを送るが、既にタネの割れた手品だ。何度も引っかかる程バンチョーリリモンは阿呆では無い。


 バンチョーリリモンは素早く女を抱え、『胡蝶夢経』の刃を撃ち落とすのではなく回避し、防御に回していたヨーヨーを、攻撃に転じる。


 狙いは今まさにサンティラモンの尾が吸い込まれていこうとしている『迷路』の地面。


 目の前から仕掛ける不意打ちがどこにあるって言うんだ。

 腕の振りというラグが発生する『アブソリュートテリトリー』なら回避できたかもしれないが、バンチョーリリモンにはもう1つ、もっと出の早い、かつ地中の相手だろうと引き摺り出せる必殺技が存在する。


 『ナイトメアアッセンブル』

 撃ち出されたヨーヨーのボディは地面を突き破り、側面の棘がサンティラモンの身体に食い込む。

 バンチョーリリモンのもうひとつの必殺技は、ヨーヨーの持つ性質を利用した吸引技だ。

 攻撃そのものの殺傷力は『アブソリュートテリトリー』に比べて低いが、相手を引き寄せさえすれば『トゥインペタル』を確実に決める事が出来る。


 初撃を引き剥がすために無理くり放たれたような、不完全な一撃では無い。

 蛇の鱗など粉砕しかねない一閃を繰り出すために、バンチョーリリモンは既に、片足を持ち上げていた。


 ヨーヨーの回転に引き込まれ、サンティラモンが、空中でとぐろを巻く。


 ……終わった。


 ネガ達が死ぬならそれでもいいとは思ったが、ここまでバンチョーリリモンを消耗させられないのは想定外だ。

 俺の脳内はこの後の処理と、不機嫌を拗らせたメアリー・スーをなだめすかすための手段で埋め尽くされ――



 ――だから、そんなものは必要が無い、という目の前の事実を受け入れるまでに、たっぷり数秒、かかってしまった。



「は?」



 べっとりと蛇の唾液に塗れた『クリシュナ』が、バンチョーリリモンの胸のど真ん中を、真っ直ぐに貫いていた。



 鉾先に引っぱられて倒れ行くバンチョーリリモンの長い脚が、虚しく空振りの蹴りを繰り出した。

 だが脚の動きが狂っても、一度引き戻したヨーヨーの速度は変わらない。

 大口を開いたサンティラモンが、巻き取られるヨーヨーを利用しながら、螺旋を描いて、バンチョーリリモンに迫る。


 ……なんて事は無い。

 ネガはバンチョーリリモンの反撃を予測して、サンティラモンが地面に潜ったその瞬間から、『クリシュナ』を撃つ体勢に入らせていたのだ。

 サンティラモンもまた、ネガに応え、自身の損傷を厭わずに作戦を実行したまでの話。