『レヴィアタン』のホイールが瓦礫をさらに打ち砕いて砂煙を巻き上げる。
刹那、ごう、と火柱が俺達を取り囲むように立ち上った。僅かでも戸惑い、速度を下げればそのまま呑み込まれていただろうが、暴食の魔王に躊躇は無い。
アクセルは引き続き全開。地獄の炎を振り切って、足場の悪さもお構いなしに、モンスターマシンは爆走する。
「待ってた。待ってたッス。待っていたぞ。アーマゲモン」
ソプラノの二重奏は耳障りな不協和音を奏で、呪いの言葉のようにこちらへと吐きかけられる。厳つい悪魔のナリとも悪い意味でいい具合に不釣り合いで、全く、気色悪い事この上ない。
「よくもお兄ちゃん達を。よくもラブリーエンジェモンを。よくもナツコを。許さないッス許さん許さない。殺してやる。殺してやるッス。殺してやる」
「そりゃこっちの台詞だな」
「同感ね」
ある程度距離が詰まったのを見計らって、俺はディアボロモンの姿で『レヴィアタン』のシートから離脱した。
俊敏性は、唯一ディアボロモンの状態でアーマゲモンに勝っているステータス。その点においては、オレサマは『あの時』でさえ終の聖騎士サマを翻弄出来ていたのだ。移動速度そのものは『レヴィアタン』に劣るとはいえ、その分小回りは効く。いかにデーモンといえども、簡単には捉えられないだろう。
つまるところ俺達の意図は、この規格外の悪鬼がどのくらい「鬼ごっこ」に向いているだとか、そんな戯れじみた性能試験にあるワケでは無く。
見極めているのだ。コイツ自身の、優先順位を。
「チッ」
シンプルに舌打ちが飛び出た。俺とリンドウの口、その両方からだ。
デーモンの操る地獄の業火は、寸分の狂いも無く全く同時に俺と『レヴィアタン』に跨るリンドウ達に襲い掛かった。
意味するところは、俺とリンドウの殺害優先順位は同じだという事。
「困ったなあリンドウ、ええ!? 囮作戦は早速没だ。プランBに移行する!」
俺はごうごうと音を立てる炎に負けないよう声を張り上げつつ、急いでその場から跳ね退いた。長い手足を利用した跳躍と簡単に移動する重心を読み切るのは、やはり容易では無いらしい。追撃の火柱は見当違いの方向で、既にほとんど砂になりかけていた瓦礫を跳ね上げている。
どちらかを執拗に狙うようであれば(まあ狙うとすれば十中八九俺だろうとは思っていたのだが)、狙われている方が囮に集中して、そうでない方がオフェンスに回る。バカでも3秒あれば考えつきそうな作戦は、シンプルであるが故に通れば効果はあると踏んでいたのだが、単純に前提条件を揃えさせてもらえず、始める前に、瓦解する。
憤怒の魔王は、もはや兄を死に追いやった全てが、等しく憎いのだ。
「やめて。その言い方、なんか縁起でも無いから」
どうにしたって、やれることをやるだけだ、と。リンドウはベルゼブモンにしがみついたまま、それでも見せびらかすように新調したデバイスを掲げる。
途端、ガラス玉にも似た、青い、瞳孔の無いデーモンの三眼が、一様にぎょろりと、リンドウの方を睨めた。
「それは……それは、それはッ、お兄ちゃんの!!」
「私のよ。前の持ち主はもういないんだから」
「返せ返せ返すッス!!」
次の瞬間、轟音と共に地面が揺れた。
迷路の床を砕きながらリンドウ達の方へと飛び出したデーモンは、反対側に比べて異様に長い左腕を思いっきり振り被る。
殴打では無く、薙ぎの攻撃。『レヴィアタン』の進行方向を塞ぐかのように、とんでもない速度と範囲を持たせた払いの一撃を回避したければ、『レヴィアタン』に急ブレーキをかけるか、曲芸じみたドリフトでむりやり機体の向きを後ろに変えるかの2択といったところだろうか。
どちらの選択肢を選ぼうが、待っているのは「その場」に噴き出す『フレイムインフェルノ』。停止にせよ旋回にせよ、コンマ数秒であろうとも。リンドウ達の行動可能範囲が大幅に制限される事は間違いない。そして煉獄への門は、コバエの2匹ぐらいなら多少狙いが逸れた所で瞬く間に呑み込んでしまえる程度には強大に違いなく。
それなら。
罪人が地の底に堕とされるという決まりであるのならば。
天の国に向かう他に、逃れる術は無いのだろう。
「ベルゼブモン」
リンドウが、ミヤトの物だったデバイスを高々と掲げた。
「X進化(ゼヴォリューション)!!」
選ばれし子供もそのパートナーも、いくら世界を護るための機構だの兵器だの言ってみたところで、実態はココロある生き物だ(だからこそ厄介なワケなのだが)。
だがデバイスは違う。いくら「聖なる」と仰々しい冠を頂こうが、アレは本物の『ただの機械』。デジモンの力を引き出すには適性が必要だが、設定さえ怠らなければ誰でも扱える代物ときている。
事実、聖なるデバイスはリンドウに応え、内包していたX抗体入りキノコのデータを彼女のパートナーへと移植する。
X進化。世代を変えないままにデジモンの潜在能力を一層に引き出す、消滅に対する1つの抵抗の形。
リンドウとベルゼブモンの頭上に再び黄色い『暴食』の円冠が輝き、蝿の王の肉体を作り変える。
そして、デーモンの薙ぎ払いが『レヴィアタン』を捉える寸前。モンスターマシンが、宙へと浮かび上がった。
「!」
舞い落ちてきた青い羽根に、デーモンが目を見開く。
全く、知識自体は既に持ち合わせていたとはいえ、実際に目にしてみると随分とご立派な姿じゃないか。半端に天使じみているのがひどく悪趣味で、しかしそれ故に、蝿の王が元は偉大なる豊穣の神であった事実を何よりも雄弁に物語っているかのようで。
ベルゼブモンX抗体。
それこそ地獄の業火のように赤い仮面を付けた餓える魔王は、腕の力だけで『レヴィアタン』を持ち上げ、デーモンの頭上へと飛び上がり――
「がふっ」
デーモンの頭部へと着地した。
唸り声を上げるホイールはタイヤ痕をデーモンの額に刻み付け、そのまま乗り越えていったかと思うと、今度は憤怒の魔王の背後へと跳び下りる。
流石に、そして思わぬタイミングで超重量級バイクに轢かれては、デーモンもその巨体で踏ん張り切れなかったのだろう。僅かに体幹を崩したデーモンへと、追いついた俺とベルゼブモンX抗体は、それぞれ胸部の発射口と銃口を突き付けた
「『カタストロフィーカノン』!!」
「『グラトニーフレア』!!」
俺とリンドウの声が重なる。
あっさりと雇い主を変えた薄情な地獄の炎はデーモンの毛皮に喰らいつき、俺の放ったエネルギー弾も着弾と同時に魔王の肌の上で爆ぜる。
そして次の瞬間、俺達はそれぞれお互いの逆方向に向かってその場を発ち、その刹那、再び寝返った業火が俺達の居た場所を舐め焦がした。
……びっくりする程手応えが無いとは思ったが、まさかここまでとは。
「痛いよう、痛いッス、痛い」
でも、お兄ちゃんはもっと痛かった。
お前達には、もっと痛い思いをさせる。
そんな旨の呪詛をぶつぶつと呟きながら、デーモンは早々に身を起こした。
毛先の一つも焦げちゃいない。辛うじて『カタストロフィーカノン』の着弾箇所が変色しちゃいるが、どうせ爆風による煤汚れの類だろう。
「何故、どうして、なんでこんなことをするッス、するのだ、するの? なっちゃんはナツコは私達は、お兄ちゃん達と楽しく暮らしたかっただけなのに!!」
「じゃあオレサマの邪魔すんなよ」
今や懐かしのインフェルモン時代を模倣して弾丸のように飛び出し、デーモンと距離を詰めた俺は、指先を揃えてデーモンの左目を狙い突き出した。
青い目玉に俺の赤い爪が突き刺さる。
それはもう、深々と。
「――ッ、てめえ」
想定以上に、だ。
デーモンの奴、回避ははなから出来ないと踏んで、むしろ自分の頭部を俺の手に押し込んできやがったのだ。
テクスチャの都合上、確かに目玉に大した強度は用意出来ないだろうが、代わりにその向こうのがらんどうに、抉り出せる脳みその類――多少の攻撃が致命傷になるような部位は無い。
胸の中央。デジコアさえ無事であれば、視覚情報など後からでもどうとできる問題だ。
「『カタストロフィーカノン』!!」
咄嗟に必殺技を放つが、反動でも腕が抜けきらなかった。穴の空いた頭部を気にも留めず、デーモンは右手で俺を掴み、引き抜くと同時に、地面へと叩きつけた。
「ぐえっ」
「『フレイム――」
間髪入れずに召喚しようとした『フレイムインフェルノ』が悪魔の言葉に応じる寸前、駆け込んできた『レヴィアタン』の車上からベルゼブモンX抗体が地面に張り付いた俺の身体をさらう。
「……わかった事がある」
「ゲイリーが底抜けに傲慢で迂闊な考え無しなのはもう知ってる」
魔王の腕からシートによじ登り、ごきりと折れた諸々のパーツの形を整えながら溜め息交じりに呟く俺に、舌打ちのように、リンドウ。
全く、狙う方も狙われる方も、つくづく眼球狙いと相性が悪いんだな『コイツ』はよう。
「お父さんのせいにしないで」
「俺ァまだ何にも言っちゃいねエぞ」
俺は口内に溜まった血糊を吐き捨てた。
「見ての通り、ナツコの精神は既に自分が傷つく事を恐れちゃいねえ」
治るしな、と付け加える俺達の視界の端で、『フレイムインフェルノ』の熱で歪んだデーモンの面が見る見るうちに元の形を取り戻していく。
「だが、引き続き。ラブリーエンジェモンの方に関しては、相も変わらず甘ちゃんらしいぜ」
「って言うと?」
「さっきだって、俺を地面に押さえつけて腕ごと『フレイムインフェルノ』してりゃあ、少なくともお前らじゃ回収できなかっただろう?」
「……選ばれし子供のパートナーからは、選ばれし子供を傷付けられない」
耳寄りな情報ね、と吐き捨てるリンドウの声は低い。
わかる。わかるぜ。自分で言っといてなんだが、だから何なんだってハナシだ。
だが、情報は有れば有るほど良い。『絵本屋』では検索できないものであるなら、なおの事、だ。
どこかに、絶対に付け入る隙がある。
『迷路』の、抜け道。
俺達は再び二手に分かれた。とは言っても、見渡せば既に一面が炎の海。煉獄なんてもんじゃない。ここが地獄の一丁目だ。
と、
「やっほー、やっほーやっほー! メアリー大丈夫? なんかすっごい音したけど。整骨院みたいな!」
体内に収納したゲイリーのデバイスから、状況に対してあまりにも気の抜けた問いかけ。
文字通り高みの見物が許される立場は、本当にいい気なもんだ。
「行った事あンのか? 余計な肉が無い分施術しやすそうだが、その分骨に負担欠ける程の重みもねぇだろうに」
「軽口叩けるなら平気そうだね、安心した!」
軽口と言うならむしろルルの方で、いくらコイツの上半身が重力とは無縁なナリをしているとはいえ、こんな死線の最前線で飛んだり跳ねたりを強いられている時に不要な連絡を入れて来る奴では、流石に無いと思っていたのだが。
……いや、実際に、不要な連絡ってわけじゃねえのか。
「準備できたのか」
「まあね。今「送り付けて」るところ」
蛇のようにのたうち回る炎の波の中から、ルルの胸の次の次ぐらいに薄い箇所を探して無理やり突破する。
野郎、徐々に炎の操り方に慣れてきてやがる。『点』(とはいってもそもそも凄まじい範囲だったが)の攻撃から、『面』の攻撃へ。元の火力がバカなので、多少威力が下がっても十分に脅威だと理解し始めたのだろう。事実、勢いで炎の壁を抜けた俺の装甲は、ケロイド状にただれていて。
焼き潰れた皮膚にはすぐさま内側からクラモンを派遣してはいるものの、火傷という、テクスチャ自体はそのまま残る負傷の仕方が良くないのだろう。再生では無く、置き換え。微々たる差かもしれないが、普段より回復にリソースが食われているのが感じられた。
「効果が出るのは」
「早くて2分!」
もちろん、デーモンをきっちりこの場に留めておけたら、の話になるけど。とルル。
ルルの弱体化付与は、標的がいる座標の指定を必要とする。
ひとつの区画内を動き回る程度なら目視で調節し直せるが、逆を言えば、目の届かない所に移動されると設定そのものを最初からやり直し、というワケだ。
「インスタント食品なら随分とご機嫌な数値なんだがなァ!?」
どうせこの炎と熱じゃ他の選ばれし子供どもは近寄れまい。いっそアーマゲモンに進化して押さえつけるか――いや、連中に狙撃手の類が居ないとは限らない。あるいは単純に、高温に強いデジモンなんかも。最初に提示した取り決めは守るが吉とは、むかしむかしからのお約束だ。この度も例外では無いだろう。
「聞こえたかリンドウ!」
「耳障りなくらいだった」
お前はお前で本当に……。
通信を切り替えた矢先に返してきたリンドウの声は、僅かにくぐもっているように思えた。デーモンの攻撃を回避しながらアイツの方を見やれば、口元に赤いスカーフを巻いている。恐らくベルゼブモンのものだ。
……。
「息は持つか」
「私よりも自分の……ううん。『レヴィアタン』で空気の通り道を作りながら走ってる。……まだ、大丈夫」
出かかった強がりを呑み込んで、自分で判断した状況だけを口にするリンドウ。
デーモンとの力の差を直に感じて焦っている証拠だが、同時に、それが出来るだけの酸素が脳に回っているのなら、きっと、心配はいらないだろう。
それだけは、『迷路』を生き抜いてきたリンドウだけが持つ、他の選ばれし子供は持ちえない強みなのだから。
「だから、私は大丈夫。……行って、ベルゼブモン」
『レヴィアタン』の操縦士が入れ替わる。モンスターマシーンは空を駆ける翼を失ったが、代わりにデーモンの周りを飛び回る蝿は1匹増えた。
ま、最悪リンドウが酸欠で気を失っても、『レヴィアタン』の元になった悪魔獣が、元パートナーの自称忘れ形見なら死ぬ気で守ってくれるだろう。ようするに、あっちはあっちに丸投げだ。オレサマは自分のやるべき仕事だけをやる。
「『カタストロフィーカノン』!!」
俺が撃つのと同時に、ベルゼブモンX抗体もまた、抗体を得る前より一回りデカくなった『ベレンヘーナ』をホルスターから抜き放つ。
揃いも揃って狙うのは顔面。辛うじてでもダメージが通るのは確認済みだし、最悪目くらましくらいにはなるだろう。
「うっとうしい、邪魔ッス、目障りだ!! 『フレイムインフェルノ』!!」
デーモンが自分を囲むように炎の壁を造り出す。悪魔(ウイルス)の王がファイヤーウォールとは片腹痛い。これで火力も大した事無けりゃ、ホントに鼻で笑ってやったのだが。
X抗体を得たベルゼブモンが、原種とは比べ物にならないレベルの炎耐性を持っているのは行幸だった。蝋で固めた翼のように、熱を理由に溶け落ちる事は無いだろうからな。……もちろん、直撃しなければの話だが。
「『カタストロフィーカノン』!!」
あからさまに攻撃が通らなくなる。ベルゼブモンの弾丸にしたってそうだ。エネルギー弾だろうが銃弾だろうが、炎は僅かに形を変えながら、ささやかな抵抗を食んで呑むだけ。
うんうん頭を捻って突破口は考えちゃあいるが、それを実行できるのもあと……結局何十秒後だ? 時計を確認する暇もありやしない。
「『フレイムインフェルノ』!!」
炎の壁を纏わりつかせたまま、またしても地面に激震を走らせながらデーモンが跳躍するのは『レヴィアタン』の走る方角。
さしずめ疑似『インフェルノバースト』――デーモンX抗体の必殺技の模倣といったところか。炎を鎧にしたところで移動速度が変わるワケでも無し、リンドウは問題無くデーモンの拳を振り切って走り去っていったが、あんな巨大燃焼物体に追い立てられては空気の通り道云々などとは言っていられまい。
「ニンゲン狙いたァ、この短時間で随分と賢くなったな愛と平和の天使サマよう!」
そして選ばれし子供のパートナーである以上知っている筈だ。選ばれし子供への攻撃を、パートナーデジモンはけして許容しない。
ファイヤーウォールを貫いて、先の俺のようにデーモンの眼前へと躍り出たベルゼブモンX抗体は、『ベレンヘーナ』を一度仕舞い、原種の時にも増して鋭くなった爪をデーモンの顔面へと振り下ろす。
出来上がるのはか細いひっかき傷。不機嫌を拗らせたネコの方がまだ上手くやるじゃないかと思ってしまう程心許ない5本線は、引かれた傍から見る見るうちに塞がっていく。
注意を引ければいい。同じ轍は踏まんし踏ませない。
「『カタストロフィーカノン』!」
今度は俺がベルゼブモンX抗体を回収する番だった。
ベルゼブモンX抗体の突撃に続いた俺は、そのまま長い腕で人型の魔王の身体を絡め取り、翼の合間から『カタストロフィーカノン』を発射して攻撃しつつ、その反動を利用して猛スピードでバックする。海老みたいでダサいが、海老が生存戦略として背泳ぎを身に付けた理由は身をもって理解出来た。
「っう……!」
再度突き破った炎の壁が背中を焼き焦がすのを歯を食いしばって耐えながら、着地の間際。今一度デーモンが火柱を差し向けてきたのを、ベルゼブモンX抗体が羽で地面を打ちまたしても上空に飛び上がる事で辛くも回避する。
本当に、空が飛べるのはいいもんだ。逃げ回るだけが目的なら、オレサマとてピーターモンの力を使いたくなる程に。
逃げて、避けて、逃れて、避けて、リンドウに攻撃が行きそうになれば特攻して気を引いて。いい加減リンドウに狙いを絞る方が効率が良いと気付き、同じ年頃の少女を焼き滅ぼす呵責などとうに失った悪魔の王が真っ直ぐに『レヴィアタン』の方ばかりに目を向ける様になれば、それこそ羽虫のように道化のように。飛んだり跳ねたり、ベルゼブモンX抗体と共にデーモンの周囲を駆けずり回って――そんな事を、何度繰り返したのだろう。
「ぜえっ、ぜえっ、ぜえ……っ!」
口から完全に焼け崩れたクラモン達の灰が零れ落ちる。まさか自分に「息切れ」なんて機能が備わっているとは思わなかった。熱以外で視界がぼやける。これが眩暈か。意識が朦朧とするのは――これは前にもあったと思うが、何十年ぶりだ?
「おえっ……!?」
いい加減兆候が表れてくれなかったら、もう全部投げ出してルルの事を殴りに行くところだった。
そのえずきが満身創痍の俺やベルゼブモンX抗体からではなく、自分の口から洩れたものだと気付いたデーモンが、感情の読めないガラス玉に似た瞳を、解り易く大きく見開いて、反射的に右手を口元に添える。
刹那。
「おえっ、おええええええええッ」
突如としてせり上がった吐瀉物を堪えきれないままに撒き散らし、デーモンががくりとその場に膝を付いた。
そこそこ距離を取っているオレサマの嗅覚にさえ、酸い臭いが突き刺さる。もらいゲロしちまいそうだ。……今この瞬間にも、憤怒の魔王の煮えくり返るはらわたを満たし続ける物体に思いを馳せれば、なおの事。
「おま、あなた、達、貴様ら……! 一体、何を……!?」
問いかける合間にも嘔吐を続けながら、しかし気丈にもデーモンがオレサマを、そして今一度パートナーと合流したリンドウを交互に睨み付ける。
「いい気味だぜ、糞袋」
俺は問いに答えた事を、明かさなかった。
代わりに
「『カタストロフィーカノン』!」
「『グラトニーフレア』!」
俺とリンドウは、揃いも揃って今ひとたび、必殺技をデーモンへと差し向ける。
「く……っ、『フレイムインフェルノ』ッ!!」
せり上がり突ける内容物のせいで醜く濁った不協和音で絶叫しながら、再展開した業火の壁が、それでも問題無く俺達の攻撃を阻んで見せる。
デジモンが弱れども、必殺技の威力そのものは、煉獄からやって来るという炎の熱さは変わらない。持久戦が出来る体力がもはや残されていない以上、『フレイムインフェルノ』を早急にどうにかしない事には、先に潰れるのは未だ俺達の方だ。
「リンドウ!」
「わかってる!!」
そして策そのものは、既に用意してある。
通用するかどうかがぶっつけ本番というだけで。
だが――このために「堪えさせた」のだ。初戦と違ってここまで「待て」が出来た褒美は、目に見える形を成してくれねば困る。
「『セブンス・フルクラスター』ッ!!」
聖なるデバイスを掲げたリンドウの宣言と共に、一丁の『ベレンヘーナ』の銃口に、黄色い暴食の円冠が顕現する。
眩く輝く罪の証は、その罪状の通り貪欲に、厚顔にも程がある勢いで『フレイムインフェルノ』の防壁を吸い寄せ、呑み込んでいく。
「!?」
今や病人となったデーモンのただでさえ悪い顔色が、更に青ざめたのがなんとなしに見て取れた。
ベルゼブモンX抗体。
ベルゼブモンがX抗体によって得た力は、デジタルワールドにおける冥府『ダークエリア』にて燃え盛る裁きの炎『エル:エヴァンヘーリオ』を自在に操る能力……だと言われている。
そんな、ベルゼブモンX抗体のアーカイブ以外じゃあ触れられても居ない胡乱な概念の火が実在するかはさて置くとして、ベルゼブモンX抗体がデジモンの中でも上位クラスの炎の必殺技を使用できる事だけは疑いようのない事実。
そして『エル:エヴァンヘーリオ』が『冥府の炎』という性質を持つのであれば、同じ属性の火炎系必殺技を、同じように使役する事は、けして不可能では無い筈だと俺とリンドウは考え――ベルゼブモンX抗体は、パートナーの『願い』に応えた。
『フレイムインフェルノ』。煉獄の火。
暴食の冠が、憤怒の炎を貪り喰らう。
平時であれば、デーモンも炎を奪い返す事が出来ただろう。
だがルルのデバフのお蔭で、『フレイムインフェルノ』の威力は変わらずとも、『フレイムインフェルノ』を操る精度は大幅に低下している。
「ぐ、ぅ……ッ!」
デーモンに出来る事と言えば、『ナツコを傷つけかねない自分の炎』を地に返す――ようするに必殺技のキャンセルだけだ。
デーモンの側から防壁を切った刹那、『ベレンヘーナ』の大口径が、文字通り火を噴いた。
圧縮された業火は空気を舐め焦がし、瞬きの後には凄まじい轟音と共にデーモンの胸へと着弾し、真っ直ぐに火柱を上げる。
だが、まだ足りない。
これだけでは、まだ足りない。
防壁を取り払っただけでは、悪魔王の心の臓にまでは届かないのだ。デーモンのテクスチャの強固さは、ここまでで十分に身に染みている。
半端に奪った冥府の炎では、皮膚を多少焼き焦がす程度が関の山。
故にこその、もう一丁の『ベレンヘーナ』。
「『ダブルインパクト』!!」
次いで宣言するのは、ベルゼブモンの通常の必殺技。
バン、バンと続けざまに放たれた弾丸は、寸分の違い無く、デーモンの焼けた胸板を前に弾け飛び――次の瞬間。その残滓全てが黒い蟲の群れに変わる。
「!?」
蟲。
エントモンを繰る、意思を持つ瘴気。牙を持つ羽虫たち。
凝縮された『ブラステッドディザスター』が、デーモンの上を這いまわり――焼けて、僅かなりとも脆くなった皮膚に、小さな小さな歯を突き立てる。
やっぱり亀の甲より年の劫、ってな。レンコがリヴァイアモンに対してやっていた戦術の、焼き直しだ。
デーモンの強さは今や嫌という程身に沁みちゃいるが。
面とそれ以外の皮の厚さだけなら、あの惨めなゲイリー・ストゥーの膨れ上がった嫉妬心にも軍配は上がるもので。
「痛いっ! やだっ、ラブリーちゃん!!」
突如ナツコの人格が前面に飛び出し、腕を振り回して蟲を追い払おうとするが、デーモンが『個』の暴力であるのに対して『ブラステッドディザスター』は『数』の暴力。加えて的が小さすぎるのもあって、いくら剛腕を振り回したところで、蟲の群れを駆逐するには至らない。
なんならおかわりもあるしな。
「『ダブルインパクト』!!」
リンドウがベルゼブモンX抗体に追撃をかけさせる。ここまで来れば、正確に胸を狙う必要すら無い。蟲の潜り込みやすそうな毛皮部分、流石に他と比べれば薄い翼の皮膜、単純に嫌がらせになりそうな顔面。
「きもちわるいよう! 気色悪い! キモイのッスよ!! たすけて、ラブリーちゃん。やめろ、これ以上ナツコを――」
……こんなに嫌がってくれるなら、もっと早めに使ってやってもよかったぐらいだな。
状況の見極めってのは難しいもんだ。
「――傷つけるなァッ!!」
口からゲロを零して撒き散らしながら、デーモンは翼をいっぱいに羽ばたき、地面から飛び上がる。翼の近くと、手持ち無沙汰だった間抜けの蟲達がある程度吹き飛ばされた。
ここにきてようやく制空権を取ったのは、単純に地上で戦う方が得意だったからか、その耐久力故に、追い回すような戦い方より、自分が的になってある種こちらの動きを制限した方が戦いやすいと踏んでいたからか。
何にせよ、デーモンにもはや、自分が得意な戦場を選ぶだけの精神的余裕は無い。
「リンドウ、掴まれ」
『レヴィアタン』をデバイスに収納したリンドウを左腕で抱え、いつでもその場から跳び退けるよう、デーモンの動向を注視しながらつま先に力を籠める。
胸元の蟲共は健在だ。蟲の追加はベルゼブモンX抗体に任せながら、今ひとたび回避に集中して――
「まったくよ~。ほんとにもう、現代っ子ってやつらはさぁ」
いつも通り軽薄な声音に、しかし隠しようのない苛立ちが滲みでていると。そんな印象を覚える女の声が上空から鳴り響いたと思った瞬間。デーモンの頭上に、デーモンの巨体が余裕で通り抜けられそうなサイズの丸い穴が広がった。
とはいえそれは、元は選ばれし子供である彼女へ差し伸べられた脱出口だとか、救いの手だとか。仲間からの思いやりに満ちた施しではない。
むしろこの悪魔の王を、明確にゴミへと貶めるものだ。
「ガッ!?」
特大サイズの『迷路』の壁――その瓦礫が、デーモンの頭に、雨のように降り注いだ。
予定通りその場を離脱する。巻き込まれてはたまったものでは無い。
この上なくシンプルな、質量と数による暴力。
ちらり、と。天井から響くのと同じ崩壊音がする方に目を向ければ、見る見るうちに地面へと呑み込まれて行く『迷路』の壁の残骸が一山。
「……なんだよ、壁仲間ってことで同情したのか?」
俺は真っ先に穴から飛び出し、ゴキモンに掴まって安全地帯に降り立っていたルルの隣に着地する。
「そんなところ! なんだかんだ言っても長いからさぁ、『迷路』暮らし。それに、使えるモノは親でも使えって言うでしょ? まああたし、使える程近くに親がいたことなんてないんだけどさ」
「気持ち良く自虐キメてくれてるところ悪いが、「立っている者は親でも使え」だ」
「何にせよ物心ついた時には地面の下で寝てたから使えませんでした~、残念! ……ま、本音を言うとフツーにムカついたからだよ。追い詰められたとかじゃなくて、「虫がキモい」で取り乱すだなんて、まぁ良いご身分だな~と思って」
余計な事をしないでよ、と言いかけたのが口の形からして見て取れるリンドウも、ルルの度を超えた自虐と彼女の傍に控えるゴキモンを前に口を噤む。
とはいえ顔に出ているのは出ているものだから、ルルは相も変わらず、からりと軽薄に笑って返す。
「いうて、ここであたしが手を貸さなくても、勝ってたのはリンドウちゃん達だよ。今のアレは、ただの時短っていうか」
そうは言っても、そも、こちらの攻撃が通るようになったのはルルの手柄だ。
今この瞬間にもデーモンに瓦礫の山を降らせ続けている、ゴキモンの必殺技『ドリームダスト』。
ルルはこの技でゴミを押し付ける送信先を、一時的に『デーモンの体内(ストレージ)』に設定していた。それなりに巨大なデジモンであるとはいえ、開けられる穴には限界がある。効果が出るまで「貯めこませる」のに時間がかかったのはそのせいだが、逆を言えば時間さえかければ、相手の中身を余計なデータでいっぱいにする事が可能なのだ。
ただ、まあ。
ただのダストデータでは、分解すればむしろ、餌として養分にされるのがオチだ。
毒物を送り付ける、というのは発想としては良いが、種族や世代によっては確実な事が言えなくなる。
だから、この技を使う上で必要な『ゴミ』は、種族・世代問わず、体内に残せばデジモンの身体を蝕む有害物質。
デジモンが日々新陳代謝を行う上で、毎日毎日切り捨てられ続けるカスデータ。
「本当に、最悪最低の策だよ」
ゴキモンの完全体時の姿は、ガーベモン。
つまり、そういう事である。
……俺ァ、後でアレ、喰わなきゃいけねえんだぞ?
「はい、メアリー! 勝った気でいるのはもうちょい後! そろそろでしょ?」
「……」
俺は腐汁まみれのナザルネイルよりひどいゲテモノが本日のメインディッシュである事実からそっと目を逸らしながら、リンドウを傍らへと下ろし、瓦礫の雨が小雨気味になってきた戦場へと再び舞い戻る。
これだけ瓦礫を浴びせかけられても、これほど弱り果てていても。憤怒の魔王は壁の破片に埋もれる事無く腕を振り回し、炎を走らせ、怒り狂い続けていた。
「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさないッス! 殺してやるッス! みんな殺してやる! 鏖だ!!」
駄々をこねる子供のように絶叫しながら、ここまで貶められても魔王然と暴虐の限りを尽くす。
デーモン。憤怒を司る者。
だが、いかに自らの力の源が尽きずとも、生き物である以上、その摂理には勝てないのだ。
何より、今のコイツは巨大な糞袋。
糞山の王は、ここにきて初めて、立場の上でも悪魔王より優位に立つ。
もう幾度目かも判らない『ダブルインパクト』。
蟲の牙が、ようやっとデーモンの胸にも、穴を空けた。
「――ッ!?」
漏れ出した光は憤怒の罪の円冠と同じ色。
溢れ出すのは、鼻を突く汚泥の臭いと、毒々しい紫だかピンクだかのひどくべとつきそうな物体。
その向こうに、女児の形をした発光体が、うっすらと透けて見えていた。
デジコアと同化したナツコに違いない。
背を伸ばし、真っ直ぐに胸をデーモンに向ける。
デーモンはどうにか地の底から『フレイムインフェルノ』の防壁を呼び出し直そうと試みるが、暴食の魔王がそれを許さない。
ナツコの身を護る物は、もう何も残されてはいないのだ。
「今度こそ終わりだ、死んどけ『クソ』ガキ」
「やめ――」
最後の懇願だけは、やはり、あの小うるさいラブリーエンジェモンのものだったような気がした。
「『カタストロフィーカノン』!!」
俺の『カタストロフィーカノン』と、ベルゼブモンX抗体の『セブンス・フルクラスター』が、デーモンの胸の穴へと飛び込んだ。
「がああああああああああ」
悲鳴が上がる。
空気が焼け焦げ、悪魔の身体が内側から爆ぜていく。
「っ」
せめてもの抵抗か。とんでもない爆風が吹き荒れた。『カタストロフィーカノン』を使った反動で踏ん張りが効かず、俺はその場から吹き飛ばされる。多分、ベルゼブモンX抗体にしたって同じような状況だろう。
お互いこれが原因で死ぬ事は無いだろうが、最後の最後でしまらねぇな。
「おにいちゃん」
そんな中。本当の最後に聞こえた女児の声は、自分を支えたパートナーの名では無く、先にオレサマにぶっ殺された家族の肩書を呼んでいて。
薄情なもんだと嗤ってやった。ルルに聞かせれば、あいつもまた怒るだろう。
*
「……ってて……」
ルルが使ったのとはまた別の瓦礫の山の上で身を起こすと、思いの外遠い位置でまだもうもうと砂煙が立ち込めており、死ぬ時まで派手なモンだと改めて、選ばれし子供の規格外さを忌々しく感じるのだった。
と、こつ、と頭部に小石が落ちてきたので振り返れば、同じように飛ばされてきたらしい。X進化の反動もあってかすっかり伸びたモルフォモンが、壁の残骸の上に横たわっていて。
「はっ、まあ『迷路』産にしちゃ、うまくやった方だろうよ」
立ち上がって、気絶しているモルフォモンを抱え、爆心地へと引き返す。
舞い上がる砂煙の中に突入すると、すぐ近くで、口元を覆ったルルが待っていた。
「おっ。お疲れメアリー。ウンチまみれになってないか期待してたんだけど、全然そんな事無くてルルちゃん、ちょっとがっかり」
「……デーモンが燃えるゴミ箱で良かったよ」
クソみたいに碌でも無い期待にツッコミを入れる気すら失せ、しかし確認すべき事はあるかと、俺はどうにか気を取り直す。
「リンドウは」
「デーモンのデータを回収してくるって。このまま完全に霧散しちゃったら面倒だしね。一応、近くにゴキモンを付けてるから心配しないで」
「そうか」
そういう健気なところはアイツの美点だったなと肩を竦め、ゴキモンの居場所をデバイスで探知できるルルの後に続く。歩調を合わせるために、いい加減姿はゲイリーのものに戻した。
「いやー、しかしデーモンは強敵でしたね!」
「はっ、胸と一緒で薄っぺらい発言だな。お前、正直1人でもどうにか出来ただろ」
「冗談。君が思ってるより時間稼ぎ、重大任務だったんだよ? それに、メアリー2号もうまくやってたみたいだし」
左目のクラモンでシャンブルモンの動向を確認すると、案の定近くに監視役がいたらしい。……そんでもって、シャンブルモンは、不意を打つ形ではあるが、上手くやったようだ。
……肩書上は同じモノをアイツの方があっさり片付けたとなると、その、なんだ。話としてはあまり面白くないな。
「……オレサマ、本当にイザサキ タスクを殺せるのか?」
「弱音はデーモンのデータを食べてから言いなよ」
それはそうだ。
疲れてるとダメだな、余計な事ばかり考える。と、祝勝気分にもなれない俺の前で、しかしルルだけは可笑しそうに笑いながら、くるりと回ってこちらに顔を向ける。
「でも、実際ムリかもね」
「あん?」
「一応ゲイリーの身体使ってるんだから、忘れたとは言わせないよ? 罪の冠を6つ……ああいや、リンドウちゃんは抜きだから、今は5つか。残りは怠惰だから、それをゲットしたら――」
だがルルがゲイリーとの『約束』を口にする前に、獣じみた咆哮が俺達の耳に届く。
女の声だった。……もっと言えば、女児の声。
「アイツ……!?」
ナツコの声だった。
あの女、まだ生きてやがったのか。完全にぶち抜いてやったつもりでいたが、なおもラブリーエンジェモンがパートナーを庇ったと。
献身もここまでくればホラーものだ。俺はモルフォモンをルルに預け、声の方向へと駆け出した。
「リンドウ!」
「来ないで!!」
反応は有ったが、俺に向けたものではないらしい。
さらに足を進めれば、砂ぼこりの中、ぼんやりと、対峙する子供の影が2つ浮かび上がってきて。
「殺す……殺してやる……!」
もう子供の愛嬌など一かけらも残っていない。目を血走らせ、手足がおかしな方向に曲がったナツコが、それでも身体を引きずりながら、リンドウの方へとにじり寄っていた。
「来ないで! パートナーもいないあんたに何ができるの? これ以上、こっちに来たら……」
リンドウが、胸元で何かを構える。
……見間違いで無けりゃ、『ベレンヘーナ』だ。モルフォモン、あのバカ、落としやがったのか自分の武器を。
データとして本体に戻る前に、リンドウが回収したのだろう。仮にもパートナー関係にあるがために、暴食の王の愛銃は、未だ形を保っているらしい。
「撃つ。撃つから。私、今度こそ――」
「お兄ちゃんを、返してよう」
「っ」
俺は素早くリンドウから『ベレンヘーナ』をひったくって、銃口をナツコに向けて引き金を引いた。
ぱあん、とあっけない音がして、音に見合わない反動と共にゲイリーの手首が明後日の方向に折れ曲がり、ナツコの頭は、弾け飛んだ。
「……え?」
「っ」
全く、コイツが人間に扱える武器の筈が無いだろうに。クラモンで動かしているゲイリーの腕でさえコレなのだ。リンドウが使う前に回収できてよかった。利き手が折れた人間の面倒を看るのなんざ、まっぴらごめんだからな。
パスの繋がっている相手の手を離れたからか、ベレンヘーナは粒子に変わり、モルフォモンのいる方角へと流れていく。
まあ『憤怒の円冠』の持ち主はラブリーエンジェモンではなくナツコの方だ。死体が回収できるのは行幸だろう。今度こそ確実に息の根を止めたと確信できたのも。
「やる気があるのは結構だが、デジモンの火器なんざ人間が使うモンじゃねえよ。やるなら『レヴィアタン』で轢き潰すだの――」
「お、えっ」
「オエ?」
びちゃびちゃと、耳障りな水の跳ねる音。
デーモンと比べれば可愛らしいモンだが、それでも十分に臭くて汚らしい吐瀉物が、今度はリンドウの喉から噴き出していた。
「おえっ、おええっ。げほ、おっ、おえっ、げほっ、げほっ」
「……リンドウ?」
「うえぇ……。ち、違……おえっ。わたひ、は、私は――」
困惑しつつナツコの死体をデバイスに投げ入れる俺の前で、より一層胃の内容物を勢いよくぶちまけるリンドウ。
「リンドウ」
「げほっ、げほっ」
「お前。まさか。……人殺しになる覚悟なんざ、本当は」
「はいはいメアリー、そんなの後あと!」
と、ぱたぱたとこちらに駆け込んできたルルが、リンドウの隣にしゃがみ込んで、モルフォモンを抱えていない方の手で彼女の背中をさすり始める。
「や、め。さわら、な……おえええ」
「リンドウちゃんも強がらないの! ほら、まずは吐き切って。いくらなんでもこんなところでゲボ喉に詰めて死ぬのは嫌でしょ?」
流石に汚物系デジモン使いとあって、こういう臭いには耐性があるらしい。靴にリンドウの吐いた物が跳ねても、デーモンを奇襲した時とは違って、ルルは嫌そうな顔ひとつ見せなかった。
「……ルル」
「メアリーもマジで突っ立ってないで。水データとか持ってないの? 脱水起こすかもだから用意しといて」
言いたい事はあった気がしたが言葉は浮かばず、俺は大人しくルルの指示に従う。
ルルは、むしろ機嫌良さげににまにまと笑みを浮かべながら、引き続きリンドウの背をさすり続けるのだった。
「あっはっは。ほんとにさあ、大口叩いてた割に、大したもんだよリンドウちゃん。一周回って羨ましくなってきちゃった」
「……っ」
喉の塞がったリンドウが、それでも何か言いたげに顔をしかめる。
対して、ルルがふっと、口元に湛える笑みの種類を、変えた気がした。
「君は嫌かもだけど、それは『迷路』じゃルルちゃんのお店ですら在庫の無い貴重品だからね!」
大事にしなよ、と。
どこか遠くに呼びかけるように、ルルがそんな言葉を口にして。
「代わりますよ」
対象的に、文脈も何もかもをぶった切るように差し込まれたその言葉は、男の声で、この場に居る全員の近くで静かに響いた。
「え?」
次いで俺の耳に届いたのは、ルルの疑問符。
そうして顔を上げた先で目にしたのは、ルルの有って無いような胸を完全に貫通した、白く滑らかな棘だった。
「……は?」
ごぼり、と。
呆気に取られる俺の前で、次に口からものを吐き出したのは、ゲロを吐いていたリンドウでは無く、彼女を介抱していたルルの方。
救いようがないくらい、赤い色をしていた。
「これ以上、他人様の手を煩わせるのも忍びないですから」
丁寧な口調とは裏腹に、そいつは乱雑に腕を振るって、スパイクからルルの身体を振り落とす。
投げ捨てられたルルの細い肉体は大した音すら立てず、しかし一目見て助からないと判る量の血液を撒き散らしながら、地面に転がった。
「あ――ああっ」
ただでさえ青かったリンドウの頬からも、完全に血の気が抜け落ちている。
オレサマにしたって似たり寄ったりだろう。
コイツの面を拝んだ以上、それこそ先のデーモンのように、怒り狂ってもよ良かった筈なのに。
それが出来なかったのは、まだ憤怒の冠を取り込んでいないからか。それとも単純に、思考が現実に追いついていないからか。
――あるいは
「なんと言っても、娘の事ですからね」
イザサキ タスク。
我が宿敵。選ばれし子供達の頭目。
リンドウの、本当の父親。
いくら年月を重ねようとも、見紛う筈も無い。……その、筈なのに。
「お前、誰だ?」
思わず問いかける俺に、その男は何もかもが何でもないかのように、ただただ柔和に、微笑んでいた。
右腕の肘から下に、パートナーの片割れだったワームモン――ソイツが進化したスティングモンの、ものものしい腕をぶら下げながら。
という訳でクソ回でした(言う事欠いて一番クソみたいな事を言う作者の図)
はい、というわけでこんにちは。最近某王様戦隊にはまっているのですが、主人公の? 国の? キャラソンタイトルが『INFERNO』である事に戦慄を隠せない快晴です。
この度は『Everyone wept for Mary』14話をご覧いただき、まことにありがとうございます。VS選ばれし子供兄妹決着編、いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたのであれば幸いです。
本文中で明言しなかったのですが、皆さまもお察しの通り今回の作戦の肝は「ウンチで相手のストレージを満たして弱らせる作戦」でした。デジワーのノロイシステムから着想を得ています。ウンチが強い作品は名作だってばっちゃが言ってました。
ルルたやのパートナーの成熟期・完全体はかなり初期から明かしてあったのですが、こんな事するために設定して会ったワケです。ようやくのお披露目で快晴も感無量。……まあ、例のごとく本人達は全然そんな雰囲気じゃ無いんですけれども。
七大魔王も残すところ2体。加えて満を持して登場したパパイザサキ。と、エブメアもいよいよ佳境といったところでしょうか。
次回はある意味最終章イントロという事で、少なくとも今回よりは短いお話になるかな? 兎にも角にも、引き続きお付き合いいただければ幸いです。
改めて、『Everyone wept for Mary』14話を読んで下さり、本当にありがとうございました!
以下、感想返信です。
夏P(ナッピー)様
この度も感想をありがとうございます! PS4版レガシーも発売日まだ先でしたか……ショモ……
はい! 作戦会議でした。惨めな敗走の時こそ立て直しが大事になってきますからね。というか、本作他に比べて戦闘描写のカロリーが高いので、こうやってルルたやのひらたい胸の話をして均さないと作者が持たないのです。
実を言うとX抗体についてはほとんど意識していなかったのですが、折角GXを使うなら、加えてシャンブルモンでキノコを生やさせるなら、と、後から色々生えてきた形です。キノコだけに。
なんだかんだ言って最新話でもかなり役に立ちましたね……むしろこの人、X抗体無かったらどうするともりだったのでしょう。
アーマゲイリーの髪型がおもしれ―男になってしまう……! 見たいような、見たくないような……。
ルルたやも、ゲイリーの居る所で言いたかったかもしれないですね。今回の台詞は。
改めて、感想をありがとうございました!
パラレル様
2部にも感想をありがとうございます! 最近はすっかり私の方も感想書きとしてはローペースになっているので、また近い内にパラレル様のところにもお伺いせねばと思う次第です。その、いつかいただいた『呪』のお返しだとか……。
強い変態の1文字で笑顔になる快晴。
2部最初の敵は、彼しかおるまいと思っておりました。ネガくんちゃんもかなりお気に入りのキャラクターではあったのですが、このまま生かしておいても、少なくともリンドウちゃんにとっては良い事は無いので……。格を下げずに退場させられたなら、作者としても一安心です。
ミヤト&ジエスモン戦は大分調子に乗って書いた(※他の話が調子に乗っていないとは言っていない)のですが、今からでも怒られやしないか心配です。でも書いていて楽しかったです、宗教バトル。でも戦闘描写に関しては公式なので快晴わるくない。……ウォーゲームの時点でかなりクソゲーでしたしね……。
やめなさい!!(バシーン)。……実はネタ元は追えていないのですが、TLがエ○リアルトマト味祭りでこわかったです(こなみかん)。それはさておき、ナツコ&ラブリーエンジェモン戦はもう、ラブリーエンジェモンのキャラに頼るしか無かったというか、対戦カードがかなり苦手な部類だったので腐心しました。前々から決めてはいたんですが、いざ書くとなると。前話も含めてカスのアーマゲイリーを堪能してもらえたのであれば幸いです。思いっきりしっぺ返しくらったところまで含めて。
ルルおば………ルルたやの胸囲ではなく脅威は今回のお話でようやくのお披露目だったのですが、いかがでしたでしょうか。やはりデバフとバフは全てを解決し……ああ、効果打ち消さないで!?
デバイスは兎も角、キノコは思ったより活躍してくれました。キノコは意識高い層にも大人気。キノコを食べるのです。
アーマゲイリーとリンドウちゃんのRTA in 『迷路』、いよいよ佳境ですので、この先もお付き合いいただければ幸いです。
改めて、感想をありがとうございました!
……魔法界のバグ、こっわ……。