「暴力はいけないッス、暴力はあッ!!」
リンドウのベルゼブモン専用バイク『レヴィアタン』内臓のクラモン、そのアーカイブに接続した瞬間、耳が痛くなる程に威勢のいい声がいっぱいに響き渡る。
そのデジモンはモンスターマシーンの正面衝突をくらって『スー&ストゥーのお店』の壁をぶち抜きつつも、最終的には『迷路』の床が陥没する程ふんじばりながら『レヴィアタン』を両手で受け止めていた。
「!」
「何故ならッ」
そのまま『彼女』は『レヴィアタン』を横転させんと腕を振るうが、リンドウも力自慢のデジモン相手にこういった事態を想定して訓練していたのだろう。深く傾いたバイクはそれでも倒れ切る事無くただ唸り声を上げ、ベルゼブモンの巧みな重心コントロールによってその場から旋回する。
自分を轢き殺そうとした魔王に向けて、その天使は翼の代わりに鬱陶しいほど長いツインテールをぴこんと揺らしながら、びしりと決めポーズか何かのように人差し指を立てるのだった。
「クセになってしまうからッス! 一度暴力の快楽を知った者は、もはや暴力を知る前には戻れないのッス! そうなる前に、ラブ&ピース!! 『ラブリーシャワー』!!」
刹那、目にも留まらぬ速度で、指を立てていた方の手とは逆の拳を突き出したそのデジモンは、その拳からハートの形をしたビームを発射する。
リンドウは、その攻撃をベルゼブモンに回避させなかった。
ハートのビームは『レヴィアタン』とリンドウごと暴食の魔王を包み込み、さらに大量のハートマークを撒き散らす。素人の編集したメロドラマの一幕だって、もうちょっとマシな演出を拵えるだろう。
「愛と正義の戦士、マジカルファイター☆ラブリーエンジェモン、ここに見・参!! さ、ここからは話し合いで解決しましょう!」
「どうしようベルゼブモン。あいつ馬鹿だわ、さっさと殺して」
額にVサインを飾るようなポーズで見得を切っていた天使――『選ばれし子供』ナツコのパートナー、プロットモンの究極体・ラブリーエンジェモンを眺めながら、心底呆れるあまり表情の抜け落ちたリンドウ(恐らく俺も今同じような顔をしていると思う)が、ベルゼブモンに向けてぽつりと、一言。
途端、攻撃が直撃した筈のベルゼブモンは涼しい表情で太もものホルスターから愛銃『ベレンヘーナ』を抜き放つ。
『ダブルインパクト』。二丁拳銃の凄まじい早撃ちが、それこそシャワーのようにラブリーエンジェモンへと浴びせかけられた。
「ほわっ、ほわわっ、ほわわわわわッ!?」
だがふざけた振舞いをしていても、ラブリーエンジェモンは『選ばれし子供』のパートナー。自称「愛と正義の戦士」はその名に恥じない身のこなしで、『ダブルインパクト』を掠めすらせずに回避し続ける。
「知らないようだから教えてあげる。暴力は『迷路』での必須技能なの。一々悪意なんて必要としない程度にはね」
それから、と。相手の悪心を浄化するという『ラブリーシャワー』の性質を嘲りながらリンドウが続けるのは、いつかの『オトウサン』の教え。
「「暴力に対して持てる手段は暴力だけ」。どこかの哲学者の言葉だって」
『レヴィアタン』が再びエンジンをふかす。
「死ぬ前に1つ賢くなれたね。良かったじゃない」
ハンドルの代わりに銃を握り締めたベルゼブモンに代わって、リンドウが魔王の腰に腕を回しながらも握り締めたデバイスを通じて『レヴィアタン』を操作する。
走り出した『レヴィアタン』に跨りながらベルゼブモンが銃を撃ち出す様はさながら列車砲。点の攻撃を面の攻撃へと昇華させた早撃ちは、危険極まりない蛇行運転をも味方に付けて、空間そのものを抉り取るように降り注ぐ。
「ッ……よくない、よくないッスよ」
『選ばれし子供』のパートナーとしての地力を用いても、全て躱しきるのは不可能だと判断したのだろう。
「手に感覚の残らない暴力は、もっともっと良くないッス! そんなんじゃ気持ち良くなれないッス!! 暴力っていうのは、暴力っていうのは――」
ラブリーエンジェモンはむしろ動きを止め、即座に構えた。
「――『マーブルインパクト』!!」
次の瞬間、ラブリーエンジェモンの突き出した拳が、今度は七色に輝いた。
「うおおおおおおおおお!!」
ラブリーエンジェモンは拳を前に出したまま、『レヴィアタン』の進行方向へと直進する。
七色の拳は彼女の前進と共に迫りくる弾丸を悉く殴り飛ばし、終いには纏っていた虹そのものをエネルギー波に変えてベルゼブモンへと発射しやがった。
「馬鹿じゃねぇのか」
数分前の映像記録に対して、俺は独りごちらずにはいられなかった。
ラブリーエンジェモン。事前にリンドウに教えておいたプロットモンの究極体候補の中に居た1体ではあるが、所詮用意できた情報は『迷路』基準でしかない。
ジエスモンに比べればそう警戒に値する能力の持ち主では無いと思っていたが、必殺技性能の単純さを補って有り余るステータスの高さというのは、やれやれ、こうしてみると案外馬鹿には出来ないものだ。
リンドウのデバイスを用いた操縦では躱しきれないと判断したのか、ベルゼブモンが『ベレンヘーナ』ごと『レヴィアタン』のハンドルを握り締めてアクセルを踏み込む様を脳の片隅で倍速再生しながら、俺は『選ばれし子供』ミヤトの死体から生えたキノコをもぎり取った端から口に運んで行く。
映画鑑賞を彩るポップコーンのような気楽な間食――なら良かったのだが、俺とて時と場合くらいは弁える。
純粋に、精力剤の代わりだ。
今すぐにでもリンドウの加勢に向かいたい気持ちは山々なのだが、予定以上に力を使い過ぎた。
ジエスモンGXの拳を逃れたディアボロモンコピーは全て回収したものの、消費したエネルギーとこれっぽっちも釣り合わない。実際にその姿はとらないにせよ、アーマゲモンとして力を振るうにはあまりにも不十分だ。
そんな状態でこのあらゆる意味でアホみたいなラブリーエンジェモンを相手取るのは、リンドウと2人がかりだとしても危ぶまれるに違いなく。
……数十年前の戦いの時には数を纏めて薙いでやる事が出来た、イザサキ タスクとそのパートナー以外など有象無象と。頭の片隅にそんな甘い考えが無かったと言えば嘘になるのだが。やれやれ、『選ばれし子供』も常に進化しているという訳か。
「ぞっとしねェな」
呟きながら、キノコの傘を齧り取る。
毒々しい見た目に反して存外に美味い。逆に気色悪かった。
そうしている間に、『レヴィアタン』がぶち抜いた壁の瓦礫を乗り越えて、ついにラブリーエンジェモンのパートナー・ナツコが顔を出す。出遅れたのは、兄を追うか悩んだのか、ボロ屋の壁の更なる倒壊を危うんで様子を見ていたか。……あるいは、『迷路』のテイマーが連れたデジモンなど、自分抜きでもパートナーが一瞬で片付けてくれると高を括っていたか。
「ラブリーちゃん!」
「ナツコ!」
相方の登場に、ラブリーエンジェモンはさりげなくナツコを背に庇える位置へと対峙の角度を調節する。
リンドウもラブリーエンジェモンの超火力を前に一度戦術を立て直しているのか、両者は互いを睨み合いつつも、戦況は小休止へと移行していた。
『選ばれし子供』ナツコは、困惑交じりに眉をひそめている。その眼差しは、自分達を襲ったリンドウ達では無く、パートナーへと向けられていた。
「ラブリーちゃん、落ち着いて! 敵はこの人達じゃないよ、アーマゲモンを追いかけなくちゃ」
ハッと口を開けるラブリーエンジェモン。今度はリンドウが眉間に皺を寄せる番だった。
途端、ベルゼブモンが引き金を引く。
「きゃっ」
弾丸が、店内に引き返そうとしていたナツコの足元で弾ける。……直接彼女を狙えば良いものを。
「ラブリーエンジェモンの判断は間違って無い。あんたの敵は、私達」
「やめるッス! 狙うならジブンを狙うッス! ナツコを傷付けたら承知しないッスよ!」
「じゃ、なくて!」
これでいて案外場数は踏んでいると見える。一瞬怯みはしたものの、ナツコは果敢にも前にしゃしゃり出て来た。
「あなたとなっちゃんは、ケンカする理由なんて無いんだよ! なっちゃん達の敵は、アーマゲモンなんだから。あなたがどうしてなっちゃん達を攻撃するのかわかんないけど、きっと何か誤解してる! お話すれば、わかってくれる筈だよ」
まあなんとおめでたい。実に模範的な『選ばれし子供』の思考回路だ。
純粋で、善良で、美麗で、反吐が出る。
「絵本屋、ゲイリー・ストゥーの中身は、昔この『迷路』の外で大暴れした怪物・アーマゲモン。あんた達はあいつを殺そうとする世界の暴力装置『選ばれし子供』。……どう? 私、何か誤解してる事、ある?」
きっと俺の感想とリンドウの内心は、この時ばかりは重なっていたのだろう。
リンドウはそれこそマンモンの『ツンドラブレス』よりも冷え切った眼差しで、バイクの上からナツコを見下ろしていた。
「え?」
「あんたの方こそ誤解してるみたいだから、教えてあげる。これは、ケンカじゃないの。殺し合い。『選ばれし子供』なんだから、「殺す」の意味くらい」
ベルゼブモンが、再び『レヴィアタン』のアクセルを踏み込んだ。
「わかるよね?」
リンドウ達が改めてやり始めた事と言えば、さっきの作戦の焼き直しだ。
『レヴィアタン』で走行しつつの弾幕攻撃。ただし的は、さっきと違ってナツコの方だ。
あくまで正面から捻じ伏せる事に拘っているあたり、まだまだ甘いとしか言いようが無いのだが、『人殺しの娘』から『人殺し』になる覚悟など、アイツはもう、当の昔に決めている。
結局のところ異種族でしか無い、デジモンを殺す覚悟しか持たない他の『選ばれし子供』とは違って。
「く……っ、だから、暴力はやめるッス!」
ラブリーエンジェモンが、パートナーに迫りくる弾丸を拳で捌く。奴の拳が魔弾より頑丈な事は先に証明済みではあるが、無傷で済む時間はそう長くは無いだろう。
「それに! やっぱりキミは誤解してるッス!! 『選ばれし子供』は、ナツコはッ! 暴力装置なんかじゃ無いッス!!」
そんな、自分が無事でいられる時間を消費しながら、ラブリーエンジェモンは声を張り上げる。
「ジブンがそーいうモノなのは本当ッス! 戦うのは大好きだし、暴力で解決できない問題は無いとすら思ってるッス! でも、でも、ナツコは違うッス! 暴力以外の方法で誰かを救う事を教えてくれた、ジブンなんかよりもずっと強くて、優しくて、一生懸命で――ジブンなんかにはもったいないくらい、素敵な女の子なのッスよ!!」
「ラブリーちゃん……」
ラブリーエンジェモンに庇われながら、ナツコがぎゅっとデバイスを握り締めている。かつてそうすることしか出来なかったリンドウと同じように。
そしてリンドウと同じように――光を宿したデバイスは、絶えず、パートナーに力を注ぎ続けているのだろう。
手甲はひび割れ、皮膚が裂け、飾り立てたツインテールがみすぼらしく乱れ始めても、ラブリーエンジェモンの拳が衰える事は無かった。
「ナツコだけじゃない。ミヤトも、他の子達もみーんな! 『選ばれし子供』はそんな子達ばかりッス! だから、お願いだから、ナツコの話を――」
「じゃあ、聞いてあげる」
不意に、リンドウがベルゼブモンに『ベレンヘーナ』を下ろさせた。
『レヴィアタン』も『迷路』の白い床に黒々としたタイヤ痕を引きながら停止する。
「!」
おいおい何をやってるんだと、俺は急展開で呆気に取られるナツコ達につられるような表情を浮かべながら視点をリンドウの側へと切り替えた。
「『選ばれし子供』達は、みんないい子ばっかりだって言ったよね」
「い――言ったッス! ね? ナツコ。嘘じゃないッスよね?」
「うん! みんな優しい人達ばっかりなんだよ」
「イザサキ タスクって人は、その「優しい人達」の中にいる?」
「タスクおじちゃん? 知ってる、知ってるよ! なっちゃん、お兄ちゃんの次にタスクおじちゃんが大好き! みんなのリーダーで、すっごく優しくて、かっこいいんだ! 今回だって」
「好かれてるんだね。お母さんの事殺したくせに」
え? と。
ナツコの疑問符は、『ベレンヘーナ』のリロード音に掻き消される。
リンドウは、微笑んでいた。
微笑んで見える程顔を歪めて、血が零れるまで唇を噛み締めながら。
「『ダブルインパクト』」
ベルゼブモンの必殺技の名を口にしたのはリンドウだった。
それはどんな呪いの言葉よりも彼女の激情を乗せて、敵対者を跡形も無く貪り喰らうべく『ベレンヘーナ』の銃口から発射される。
今までの攻撃とは格が違うと、本能的に察したのだろう。自分で戦闘狂を仄めかすだけはある。
「『マーブルインパクト』!!」
必殺技を以って、ラブリーエンジェモンは弾丸を迎撃しようとした
その、刹那
「っう!?」
「! ラブリーちゃん!!」
着弾の瞬間、弾が爆発する。
拳に、深く食い込んで。
事前に採取しておいたモスモンの鱗粉を、極限まで圧縮して作成した特製弾だ。
あくまで「ベルゼブモンとしての」攻撃しか警戒していなかったラブリーエンジェモンは、軽率な防御の代償に手首から上を吹き飛ばされていた。
文字通りの『隠し弾』。これまで通常の弾で畳みかけてきたからこそ決まった一撃だ。
だが、リンドウ。
本当にこのタイミングが正解か?
「な――何かの間違いだよ! タスクおじちゃんがそんなコトする筈ない!!」
「どう見間違えろって言うの? 目の前で母さんを刺し殺したあいつとあいつのパートナーの顔を!!」
ぎゅう、と強く、強く。たくさんのものを掴み損ねて行き場を失ったリンドウの手の平が、自分の胸元を力いっぱい握り締める。
「私の名前はイザサキ リンドウ。あんたなんかよりもずっとずっと、あのクソ野郎の間近で生きてきた『選ばれし子供』よ!!」
「ナツコ、ちょっと酔うかもだけど、掴まるッス」
クラモンがひそひそ話を拾う。
「あの子の『誤解』を解くには、一度止まってもらう必要があるッスから」
こんな時のための、キミの『暴力』ッス、と。
この期に及んで、ラブリーエンジェモンはイザサキ タスクの身の潔白を信じているらしかった。
そしてデジモンの意思がこうであるとなれば、パートナーの考えにも揺らぎは無い。
「うん。……お願い、ラブリーちゃん。あの子を助けてあげて。アーマゲモンに、騙されているあの子を」
おいちょっと待て、酷過ぎる冤罪を下された気がするのだが。
当然映像記録に俺の制止など届く訳も無く、ラブリーエンジェモンは残っている方の手でナツコを抱え、ナツコもまた、ラブリーエンジェモンを抱き返す。
そして次の瞬間、翼の無い天使は、健脚を以って、宙を舞った。
「『ドリーム――」
「『ダブル――」
重力に従って、足先を下に落下してくるラブリーエンジェモンへと、ベルゼブモンが『ベレンヘーナ』を向ける。
「――ハリケーン』!!」
「――インパクト』!!」
暴食の魔王が差し向けるのは、再びのモスモンの鱗粉弾。
違うのは、その数。ただの1発でさえ戦士の拳を砕いたのだ。爆風に呑まれれば、『選ばれし子供』ごとラブリーエンジェモン達は消し飛ぶだろう。
そう、「当たれば」の話だ。
「……え?」
ハリケーンの名を冠する通り、ラブリーエンジェモンの必殺技の蹴りは、ただの自由落下に任せた一撃では無い。
回転しながらの飛び蹴りは、天災と比べて何ら遜色のない風の渦を巻き起こし、両脇の『迷路』の壁すらも抉り取りながら瞬く間に弾丸を、弾けた爆薬を、遥か後方へと巻き上げていく。
真っ直ぐに敵の中心を捉えるために行儀よく停車していたのが仇と成った。『レヴィアタン』が唸り声を上げてももう遅い。
避ける事は、不可能だ。
「かはっ!?」
誰かが
というか俺が、横からラブリーエンジェモンを蹴りつけて強制停止させない限りは。
「っ、色々治したばっかりだってエのによお……!」
長い腕の遠心力で弾みをつけた回転蹴りは独楽の要領でどうにか『ドリームハリケーン』の台風の目であるラブリーエンジェモンに届いたが、余波に絡め取られた足は滅茶苦茶な方向へと圧し曲がり、爪に至っては完全に砕け散ってしまった。
ただ、ディアボロモンの姿以外だと全身をバキバキに折られての巻き込まれ損だったろうから、これで済んだ事にむしろ感謝するべきか。
「な……何よ、ゲイリー。私は、私が、こいつらの事……」
「お伽噺の不誠実な長男次男みたいな強がりも言い訳も後にしろ。俺も反省会は後に回してやる」
完膚なきまでの敗北を鼻先にまで突き付けられて、中途半端に正気に戻ったのか。リンドウの瞳は明らかに動揺に揺れており、声もひどく震えていた。
……加勢は期待できそうに無いな。少々甘いが、こんなメンタルでラブリーエンジェモンの右手を潰しただけでも及第点としてやろう。俺の到着が遅れたのも事実だ。
「ディアボロモン……!」
よろよろと立ち上がりながら、ラブリーエンジェモンが歯を食いしばる。仮面の向こうからは鋭い視線も感じなくは無い。
脇腹には、折れた俺の爪が突き刺さっている。完全な「無駄足」にならなかったのは幸いだ。
ナツコの方に刺されば最高だったのだが、流石にそれを許すほどの間抜けでは無い。地面に降りたナツコはパートナーの高速スピンのせいで未だに目を回していたが、それだけである。
「お前らの芝居があまりにも冗長なモンだから、ゼンマイ仕掛けの神様が終わらせに来てやったぜ」
役者も交代だ、と、俺はベルゼブモンを下がらせる。リンドウ抜きの援護射撃などあてにならない。主の護衛に徹させた方が、仕事にはなるだろうと判断したまでだ。
と、
「お兄ちゃん達から逃げてきたんだね」
ようやく酔いの収まったらしいナツコが、ラブリーエンジェモンと並んで俺をねめつける。
とはいえ兄のような気迫は無い。真の意味でのオレサマの脅威なんぞ知らん目だ。
そしてまた――見当違いな、事を言う。
「お兄ちゃんとなっちゃんが揃えば、あなたなんて、これっぽっちも怖くないんだから!」
「そりゃいいな」
俺はにんまりと微笑みかける。実際、微笑ましいものだった。裏を返せば、兄が居なければオレサマが怖いと宣言しているに他ならない台詞と、兄が居なくても俺が怖いと考えているとはとても思えない無邪気な瞳は。
俺は手の爪で大事に大事に挟んでいたデバイスから、ナツコのお望みの存在を取り出して、高く掲げた。
「……え?」
「これで兄妹揃ったんだ。オレサマなんてちっとも怖くは無いだろう」
子供を玩具であやすときのように左右に揺らして見せると、折れたミヤトの首はがくんがくんと、動きに沿って面白いくらいに揺れた。
「う……うそだ」
さっきのリンドウとはまた別の、無理くりに笑ったような顔をしながらナツコが口を開く。
もはや小うるさくもなんともない。耳に心地いいくらいだ。……後ろでリンドウまで息を呑みやがったのは大分心外だが。
「お兄ちゃんは、そんなじゃなかった。その子に吐いたみたいに、なっちゃんにも嘘、吐いてるんだ。あなたは、嘘つきだ」
肉ごと抉り取るキノコの雑な収穫方法が仇になったらしい。言われてみれば、個人を識別するには見てくれに少々難がある。
「おいおい俺ァ生まれてこの方嘘なんざ吐いた事ぁねえぜ? ちゃんと「核を撃つ」っつったら核を撃ったし、「オメガモンを殺す」っつった時にゃあオメガモンを殺した。イザサキ タスクは妻を殺した上でへらへら笑えるカス野郎だし、これは正真正銘お前のオニイチャンさ」
「そうアお、アウオ、おイイあんアお」
せめてもの証拠にと中に仕込んだクラモンにしゃべらせてはみたが、座らない首が碌な発音をさせてくれないようだ。
お茶を濁すように、ミヤトの死体を笑わせる。
お兄ちゃんは笑顔だと言うのに、妹の顔は見る見るうちに青ざめていった。
「お前……お前ェッ!!」
まあ『選ばれし子供』の気分を害したとなれば、当然デジモンは動き出す。
「『マーブルインパク――」
俺は、振り被った左の拳を虹色に光らせながら突撃してくるラブリーエンジェモンに向けて、ミヤトの死体を投げ捨てた。
「ッ」
甘い奴だ。
屍だろうが、最愛のパートナーの大事な家族に拳は向けられないときた。
「『カタストロフィーカノン』」
ここまで的が近ければ、外す方が、難しい。
俺の胸元から発射された光線は、ミヤトごとラブリーエンジェモンの上半身を消し飛ばした。
呆気ないもんである。
絆の固さが精神の柔軟性を損なわせたのだろう。愛も正義も、過ぎれば考えものだな。
「さて、と」
ミヤトとは順番が逆になった。残るは脆弱な『選ばれし子供』のみ。
幼いナツコを見下ろすと、彼女は俯いて小刻みに震えていた。足元には、ぽたぽたと。いくつもの水滴が零れている。
「今の望みは、『選ばれし子供』の絶滅だ」
俺は嘘なんざ吐かねエぞ、と。ミヤトの首を折る時に使った方の手を持ち上げる。
無力な人の子1人ごとき、今度こそシャンブルモンのキノコの苗床にしてじっくり嬲り殺してやっても良かったのだが、流石に今のリンドウの手前、それをやらないだけの分別はある。
「……い」
よく聞くとぶつぶつと何かを呟いているようだったが、関係の無い話だ。辞世の句を聞いてやる義理も無い。
「……ない」
オレサマは、赤い爪をナツコの胸元へと振り下ろす。
「許さない」
そうして、俺の爪はナツコに届く前に、阻まれた。
「……は?」
剣。
いや、形状は剣というより、包丁に近い。
ナツコの身の丈を遥かに超える大きさの包丁が、彼女と俺を隔てるようにして地面に突き刺さっていたのだ。
そしてこの剣を、俺が見紛う筈が無い。
思わず後退る。
……視界の端に、あるものが留まった。
それは、ラブリーエンジェモンの下半身だった。俺に撃たれた時の姿勢をそのままに、2本の脚で未だその場に立ち続けている。
何故?
何故、消滅していない? 倒れてすらいない? デジコアのある位置は消し飛ばした筈だ。
オレサマですら本体のデジコアを壊されれば死ぬのだ。例外がある訳が――
「本当に?」
己に問いかける。
確かに、オレサマは一度ディアボロモンとして死を迎えた。
だが人の悪意とオレサマ自身の執念は、残りカスと成っても世界にしがみ付き続けて、今一度クラモンという形で再生し、アーマゲモンにまで至ったのである。
何にでも、抜け道はあるもんだ。
『迷路』と、一緒で。
存在そのものがデジモンにとって特大の抜け穴のような『選ばれし子供』に、奇跡(グリッチ)が使えない道理も無い。
――だから言ったのッスよ。暴力は、いけないッスって。
剣に纏わりついた残滓が、少女の唇を形作って、囁いた気がした。
――もう、戻れないッスよ。
「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
殺してやる」
憤怒の冠が悪魔の数字と共に、剣と、その冠を頂くに相応しい形相に顔を歪めたナツコの頭上に輝いた。
「お兄ちゃんを、お兄ちゃんを返せッ!! マトリクスエヴォリューション!!」
「代われベルゼブモンッ!!」
緊急事態だと察したのだろう。俺の指示にもかかわらずベルゼブモンは素直に退化して、『レヴィアタン』のシートを俺へと明け渡す。
姿をディアボロモンからゲイリーに切り替えて『レヴィアタン』に跨れば、マシン内部のクラモン達がオレサマという主に応えた。ベルゼブモンより運転精度は下がるが、今は速度が出ればそれでいい。リンドウの意思を介入させるよりはいくらか安全運転だ。
「掴まれリンドウ!」
驚いたリンドウが半ば反射的に俺の腰を掴んだのだけは確認してから、アクセルを力いっぱい踏み込んだ。
飛び出した『レヴィアタン』を追い縋るように、ナツコの『進化』の余波が、痛い程の熱風が全身に絡みつく。
「ちょ――ちょっと待ってよ!」
「黙ってろ舌噛むぞ」
俺が打った手が逃げだと気付いたリンドウは、声を張り上げた口を塞がなかった。
「殺すんでしょあいつの事! 殺さなきゃ。私、もう戦えるから」
「無茶言うな。あんなもん、オレサマが万全でどうにかなるかならないかだ。さっき喰らわせたダメージなんぞもう当てにならん。撤退だ」
「私だって! 私だって『選ばれし子供』なんだから! あいつが究極体を更に進化させたって言うなら、私にだって、同じ事が」
「出来たところで、それだけじゃ勝てねぇよ」
ここまで聞きわけが無いとなってば、俺も言い聞かせなければならないだろう。
苦々しい、現実を。
「リンドウ。お前は『選ばれし子供』だが、モルフォモンはお前の真のパートナーじゃない」
魔王としては同格だとしても
モルフォモンは、所詮『迷路』で用意した代替品に過ぎない。
ラブリーエンジェモンの時でさえ小細工を弄さなければ大したダメージ一つ与えられなかった相手に、これ以上どう渡り合えるというのだろう。
そしてそれは、この期に及んでまだ『選ばれし子供』の限界を見誤っていた自分自身にも突き刺さるものだ。
七大罪の魔王を取り込み、最終的にモルフォモンに成り代わってリンドウのパートナーとなる方法で――オレサマは、本当にあの聖騎士に手が届くのか?
『選ばれし子供』たったの1人に手こずって、『選ばれし子供』たったの1人に遁走しなければならない今の俺が?
「モルフォモンは、お父さんが」
消え入るような声で、しかしそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかったリンドウと、黙した俺の不安をさらに揺るがすように、『迷路』に新たに顕現した魔王の咆哮が響き渡る。
デーモン。憤怒の魔王。
怒り狂った『選ばれし子供』を心臓(デジコア)とした、最悪の怪物がここに生まれ落ちた。
魔王が出てくるテンポが早すぎっぞミチぃ。夏P(ナッピー)です。
ほうアイツ究極体ラブリーエンジェモンだったんかまあ性格も三枚目系だしこれなら前回みたいなエグいことにはならんな(フラグ)とか言ってたらこれだよ! てっきりリンドウに殺人させるかさせないかの葛藤(そこをアーマゲイリーがサクッとトドメ刺すんだろう)的な展開が来るのだろうと予測しておりましたが、もっと酷いというか余計なことしてくれた気がするアーマゲイリー。ベルゼブモンこの調子で色んなデジモンの能力や特性を乗せた弾丸撃つ野郎になるのか。そこ含めて結構やり合えてるイメージ持ちましたが、アーマゲイリー的には「姦計込みでやっとダメージちょびっと取れた程度」扱いだったか。この感想書きながら思ったけど娘を見守る親父の精神過ぎるわアーマゲイリー。ろくでもない方向に導いてる気もするけど。
……は? オイ待てフルメタTSRのゲイツ様!?
突然の死体(にんぎょう)遊びに我々戦慄。この時のアーマゲイリー絶対CV大塚芳忠。阿~部マリイイイイイイイイア~……何だこれは、全員死んでる?
更に死体ポイからの極太ビームでラブリーエンジェモン出て一話内で上半身マミる鬼畜展開でさらば。バイオハザードRE2でロケランブチ込まれて上半身消し飛んで背骨突き出た下半身だけフラフラ歩いてきたタイラントを思い出したぜ。リンドウはまだ(結果的に)未遂ですが、コイツらどう考えてもお母さん刺し殺すよりえげつねえことやってるだろ……!
とか言ってたら妹☆暴☆走。オアー急展開! ガラル地方の化石キメラみたくラブリーエンジェモンの下半身に幼女の上半身生えた怪物にでも化すのかと戦慄しましたがもっとヤバい奴だった。もう迷路の治安と景色はボロボロだぁ!
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
Q.そもそもアーマゲイリーが調子に乗ってミヤト君の亡骸を見せびらかさなければこんな事にはならなかったのでは?
A.そうです。
はい、というわけでみなさまこんにちは。昔初めてぷいきゅあを見た時に滅茶苦茶肉弾戦をしていてびっくりした事が思い入れ深い快晴です。本年度もどうかよろしくおねがいします。……結局エブメア最新話がサロン初投稿になってしまったぜ。
改めまして、この度も『Everyone wept for Mary』12話をご覧いただき、誠にありがとうございます。今回はリンドウちゃん&ベルゼブモンVSナツコちゃん&ラブリーエンジェモン戦だったのですが、いかがでしたでしょうか。快晴はベルゼブモンの戦闘シーンを書くのが難しかったです(小並感)。
さて、今回の相手役はラブリーエンジェモンでした。
ラブリーエンジェモン、いいですよね。純粋(?)な格闘タイプの究極体デジモンって割と少ない印象なので、なんというか、そういう点も含めて動かしやすいデジモンだったように思います。このラブリーエンジェモンもTwitterで元ネタとなる呟きがあるデジモンでして、そういうデジモンの例に漏れずエブメア初期から登板が決まっていた1体だったので、いやー、ようやくここまで来たなと感無量だったりします。本編は全然そんな雰囲気じゃないんですけれども。
ただ、身内を殺されてキレた選ばれし子供が光を放つ身体がしてデーモン爆誕の展開自体はこれも初期から決まっていたのですが、ラブリーエンジェモンから繋げる事にしたのは1部が終わる少し前くらいだったと記憶しています。最初はセラフィ→ブラックセラフィ→デーモン(マント)→デーモン→デーモン超究極体とデスピサロみたいな連戦を想定していたのですが、あんまりにも冗長になりそうだったので、やめました。やめてよかったと思います。
『選ばれし子供』を核とした規格外の超究極体相手に、一時撤退したゲイリー達はどこに向かい、どう立ち回るのか。……という訳で、次回は日常パートとなります。正確には作戦会議パートかな?
またなるべく早めに上げられるよう頑張りますので、次回もどうか、お付き合い頂ければ幸いです。
以下、感想返信となります。
夏P(ナッピー)様
『Everyone wept for Mary』10&11話に感想ありがとうございます! 2話合わせてのお返事となってしまい申し訳ありません。
まず、10話から。
エブメアにおいては戦闘が無い回は全部日常回となります。戦闘があっても比率が少ない時は日常回なのです。『迷路』ではよくあること(暗黒微笑)。
アーマゲイリーは一応ゲイリーを模倣して喋っているのですが、本当に模倣しているだけなので書いていても胡散臭いです。ルルちゃんの胸をいじるのも7割ぐらいゲイリーの影響だったりします。しますが、いかんせん基準が自分(サンゾモン)なのでうっっっっっっすと思っているのは事実だったり。
リンドウちゃん、「おつかれさまでスター」、ギリギリ言ってくれそうで可愛いですね。
まあベヒモスとリヴァイアサンは陸と海とで対になった獣の筈ですし、『ベヒーモス』をどうにか調達するよりはそれっぽいものを作った方がバイクに乗せる展開をやりやすいかなと思いまして。アーマゲイリーが夜なべして作ってくれました。
正当進化の話は後付けの割に嵌まってくれて、作者的にもなかなか助かりました。ナツコちゃんのパートナーは今回がお披露目だったのですが、いかがでしたでしょうか。
『寿限無』は自宅に落語を絵本にしたものが何冊か置いてあったので、ゲイリーにも採用してもらった形です。多分『饅頭こわい』もレパートリーにあったんじゃないかと。効果時間の長い『絵本』だったのですが、ルルちゃんの言っていた理由ではなく「表紙にインパクトが出ない」という理由で別の作品に変えたようです。今この効果を担ってる『絵本』は恐らく『ラプンツェル』になっているかと。
アーマゲモン相手に悠長に構えていたら大惨事になると、ジーザス野郎くんも経験済みだったので……早速刺してもらいました♡
続いて11話
はい! ゲスです! 下種の極み!! やはり希望は圧し折ってこそ。
御存知の通りあれは公式が悪いので私は悪くないです。さしもの私もちょっと引いたくらいです。ミヤトお兄ちゃんをお姉ちゃんにするかは割と寸前まで真面目に悩んでいました。
アーマゲイリーとミヤトくん達のやり取りは、意図的にミヤトくん達の方が正しいっぽくなるよう、加えてアーマゲイリー視点なので薄っぺらく感じられるよう自分なりに調整して書いてみました。どちらが正義の味方かと言われれば間違いなく『選ばれし子供』側ですからね。
アーマゲイリーは地のスペック×『絵本屋』の知識でもう本当にやりたい放題です。ただ根が傲慢なので相手を舐めてかかる傾向にあり、冷静なテイマーの視点での作戦立てについてはゲイリーの方に軍配が上がるので、何もかもが優れているという訳では無かったり。それはそれとして相手を煽れるなら成熟期の技の真似だろうがやる。クソ野郎です。
ジエスモンGX、仰る通りなんですが、あそこでカードを切らなければ殺されていたのもまた事実。デジモンとしての能力を過信して相手の領域に踏み込んだ時点で、勝負はもう半分くらい決まっていたのでした。
ジエスモンの命乞い、あくまでミヤトくんを慮って、という部分がお気に入りです。
取り止めも無い話ばかりになってしまいましたが、以上をお返事とさせていただきます。
改めて、感想をありがとうございました!