「ごめんなさい、ごめんなさい」
食事を終え店に戻ると、珍しく奥の扉、現リンドウの部屋が開いていた。
見れば中の灯りを背に、険しい顔のモルフォモンが俺を待ち構えていて、何だ何だと仕方なく足を向ければこの有様。
ベッドでうっすいタオルケットに包まり芋虫のように丸まったリンドウは、うわ言を繰り返しながらうなされていて。
タオルケットから覗いた彼女の右手は、白む程強い力で握り締められている。
何も掴んじゃいないというのに。
「お父さん」
そもそも、コイツは掴まなかったのだ。
否、掴んでいたのに、離して立ち去ったのだ。
最期くらい誰かに手を握って欲しいと願った男は欠片のような良心で少女を突き放し、少女は男への思慕故に事実を受け入れられずその場から逃げ出した。
まさしく『賢者の贈り物』。お互いを想うあう気持ちが起こした奇跡のように滑稽な傑作だ。どうせ女の髪はまた生えてくるが、懐中時計は質に流れれば、きっともう貧しい老人の手元には二度と戻らない。男の一時の見得は碌でも無い結果にしかならないという教訓を、アイツは命を懸けてオレサマに教えてくれた訳だ。
ま、アイツ。店で一番粗悪な『絵本』に『マッチ売りの少女』だの名付けるぐらいだからな。惨めに1人死んでいく者の幻覚を鼻で笑った因果の応報だと、言ってしまえば、それまででもある。
「おお、可愛そうなリンドウ。大丈夫、オトウサンはここにいるぜ」
とはいえアイツと違ってまだ生きているリンドウにはこれからも俺の役に立ってもらわねばならない。
俺は特別に柄にも無いリップサービスを添えて、うなされる度に枕の皺の形を変える彼女の頭を優しく撫でた。
と、
「やめて」
リンドウはこちらを見やることすらせずに、握り締めた拳をそのまま持ち上げて俺の手を振り払う。
「お父さんは、そんな事しなかった」
それだけ言って、目を覚ましたらしいリンドウはタオルケットで頭まですっぽりと覆ってしまい、俺の善意をことごとく無碍にする。
全く、なんて薄情な娘だ。親の顔が見て見たい。
「この顔だったな」
そう思わなければ、俺もコイツもやっていられない。
背後で主を見守っていたモルフォモンを、余計な世話を焼かせた罰兼気晴らしに蹴り飛ばしてから、俺は部屋を後にする。
出ていく間際にリンドウが鼻を啜る音を聞いたが、言及しない方が良い事ぐらいはこれまでの生活で学習している。
問題は、どうして今更になってリンドウが、またあの日の夢を見ているのか、という話なのだが。
まあ、十中八九。間近に迫っているからだろう。自分と同じモノとの殺し合いが。
「女のご機嫌取りも楽じゃねエな」
現状、本物の『絵本屋』の知識は、本物のゲイリー・ストゥーが一度引き出した事があるものしか参照できない。頭の中の目次をいくらなぞっても、家族サービスなんて単語が見つかる筈も無く。
「「今日はクリスマス。子供達は、プレゼントを抱えて帰って来たお父さんに飛びつきました」……ね」
辛うじて見つかったのは、よいこの絵本のたったの1行。……アイツの死んだ後、あの部屋から紛失した1冊だ。
心当たりは無いでも無いが、今更必要な物では無い。欲しい奴にはくれてやればいいのだ。どうせ誰であろうと、その光景は『迷路』に足を踏み入れるような輩が求めて手に入るものでも無い。
ただ、まあ。クリスマス。
『賢者の贈り物』『マッチ売りの少女』そして『しっかりもののすずの兵隊』。
童話の題材になる程人間達が心待ちにしてやまないその冬の1日はとある聖人の生まれた日であるらしく、そしてデジタルモンスターにもまた、その名を冠したデジモンが1種、存在する。
ルルから買い取った情報が正しければ、奇しくもそのデジモンこそが此度の敵対者。
そしてこの脳の『記憶』が正しければ、それはゲイリーが「こっちの切れる手札じゃどうにもならん」と宣っていた聖騎士の1体だ。
「折角の機会だ。今の手札なら聖騎士サマにも通用するか、試してみようぜゲイリー・ストゥー」
趣味の悪い独り言だと『自分』を嗤う。
準備は整った。
相手は『選ばれし子供』とそのパートナー。2回も連中にタマを取られているのだ。本音を言えば、いくら備えた所で不安は付き纏うのだが、ここまでしてダメなら何をしてもダメだと、落としどころを見つけるくらいの諦めの良さはコイツの頭から拝借済みである。
俺はポケットから取り出したデバイスを見下ろす。
画面に表示されたゲイリーと同い年くらいの中年男性と、赤いマントを首に巻いた白い小型竜に、俺は昼間の出来事を回想する。
*
「ハックモンか。なら相手はジエスモンと考えていいだろうな」
デバイスに送られた画像を眺めて呟いた俺に、カウンター席のリンドウとルルがほとんど同時にこちらを見やった。
「どうして判るの」
「あ、ひょっとして戦った事あるとか?」
「……ンだよルル、テメエまで知らねエのかよ」
お勉強の時間だなと肩を竦めると、両者揃ってひどく嫌そうな顔をする。
案外似た者同士なのか、俺あるいはゲイリーのよく回る舌が嫌われているだけなのか。
恐らく後者だ。悲しい事に。オレサマもアイツの長話を苦行に認定していたから、よーく解るぜ、気持ちだけはな。
「デジモンの進化ルートってのは基本的にどんな可能性も秘めちゃいるが、同時にこのデジモンからはこのデジモン、つった最適解も存在する。俗に言う『正規ルート』ってヤツだな」
グレイモンからメタルグレイモン、ガルルモンからワーガルルモン、と例を挙げると、流石にルルはピンときたようだ。ああ、と頷いたところで揺れる部位は髪しかないのだが。
「じゃあつまり、ハックモンの『正規ルート』の最終段階がジエスモン、ってこと?」
「胸と違って理解力が薄くないのは何よりだルル。そうともさ。「選ばれた」要素を持ち、なおかつ『迷路』の外にいるデジモンは、環境に左右されずに進化の最適解へと進みやすいんだよ」
進む、というよりは導かれる、とでも言った方が、よりそれらしく聞こえるか。
いや、『選ばれし子供達』のパートナーとはまた違ったベクトルで、ではあるが、世界に生み出された存在であるオレサマとて例外では無い。外に居た頃はクラモンからツメモン、ケラモン、クリサリモン、インフェルモンを経てのディアボロモンというのがオレサマの進化ルートだった。
それが幼年期Ⅱから完全体までまるきり進化先が変わってしまったのは、『迷路』という『デジタルワールドの用意した試験場』という不安定な環境があってこそだろう。
「……あんたのルートが元から変わったって言うなら、『迷路』に入って来たハックモンも予想できない進化をする、っていう可能性は無いの?」
「良い質問だなリンドウ。流石は俺の娘」
「あんたの娘じゃ無い」
「もちろん可能性は0とは言えねェが、オレサマの進化ルートがここまで極端に変化したのは、お前のオトウサンが靴を繕う働き者の小人のように、『絵本屋』の知識を頼りに丹精込めて手を加えたからだ。時間もそう経っちゃいねェ。『迷路』の文化によっぽどのカルチャーショックを受けたって言うなら話は別だが、そうで無けりゃアその心配はいらねえだろう」
加えてアイツでさえ、そしてオグドモンから取り込んだ『傲慢』と『暴食』でさえ、結局、俺の究極体を変えるまでには至らなかった。
その件も付け加えると、リンドウは「そう」とあっさりと引き下がる。そういう素直さは、ゲイリーには無い美徳だな。
「もちろん決めてかかるのにも相応のリスクがあるとは認めるが、進化先を割りやすいのは『選ばれし子供』どもの数少ない弱点だ。対策を立てておいて損は無いだろうよ」
「対策って言っても、じゃ無い?」
ルルの意見は至極真っ当である。
ジエスモン。畏れ多くも救世主の名を冠するかの聖騎士は、人間どもの下世話な伝説と照らし合わせれば、臣下に王妃を寝取られた偉大なる王と、王の妃を寝取った騎士の血を引く偉大な騎士、その両方と符合させる事が出来ると言われている。
「……女ぶつけりゃどうにでもなる気もしてきたな」
「それは元ネタの話でしょ?」
ネガを始末した事実がほんの僅かに口惜しい。女性絡みの醜聞に事欠かない伝説の聖騎士どもに、最強の妖婦をぶつけるとどうなるのか。興味が無いと言えば、嘘になる。
……いや、逆に『色欲』を取り込んだ今であれば、俺自身がこの手で愉快な光景を創り出す事も不可能ではあるまい。
ジエスモンは、その名に恥じない驚異的な能力の持ち主だ。
だがゲイリー――元はレンコの口癖だったか。奴らの言を借りるのであれば、
「『迷路』と一緒で、いくらでも抜け道はある」
俺はゲイリーの口元を弓なりに歪めた。
「丁度、試してみたい事があるんだ」
救世主の血と肉は、迷える衆生に分けて与えられるものと相場が決まっている。ジエスモンの身体からもパンと赤ワインの味がするのか、しっかり確かめてやろうじゃないか。
「試す、なんて気持ちで勝てる相手?」
「ジエスモンごとき、その程度でどうにか出来ないと困るんだよ」
「あっそ。ま、どっちにしたってあたしには関係の無い話だけど」
感心まで薄くするなと釘をさす俺をまるきり無視して、ルルが勝手に俺のデバイスをいじる。
「それで」
表示されるのは、2枚目の画像。
オレサマの復活を疑って『迷路』に足を踏み入れる『選ばれし子供』が、たったの1人で済む筈も無く。
「こっちは? プロットモンにもあるの? 『正規ルート』ってヤツ」
ハックモンのパートナーがゲイリーと同じ位なら、こちらはリンドウと同じか少し上くらいの少女である。顔面のつくりに共通点をいくらか見出せるので、親子か年の離れた兄妹、なんにせよ血縁の類だろう。
パートナーも、白い竜と、白い獣。近しいと言えば、言えなくも無い。
「正直こっちは成長期だけだと、な」
プロットモンはその名の通り、プロトタイプ、即ち試験的な性質を以って生み出されたデジモンであるらしい。それだけに進化先にはある程度ばらつきがあるのだ。
「強いて言うなら神聖系のデジモンへの適性が高いってハナシだ」
「……オファニモン、とか?」
リンドウが静かに、しかし震える声で挙げたそのデジモンの名は、彼女にとっても思い入れが深い種族だろう。
「候補には入るな」
「じゃあ、そいつは私にやらせて」
苛立ち以外の感情が乏しいように振る舞っているリンドウの瞳に、どこか暗い影がくすぶる。
ゲイリーが戦闘を拒否したがったジエスモンに対して、こちらは、仮にオファニモンだとすれば、ゲイリー抜きでは勝てなかったデジモン、という事になる。
奇しくもどちらの勝負も、あの哀れな男に捧げるささやかな成長記録になりそうだ。お父さん、育ててくれてありがとう。私こんなに立派になりました、ってか?
いいね、俺の興も乗ってきたし、リンドウがやる気であるに越したことはない。
「進化先の候補をいくつかリストアップしてやる。死にたくなけりゃア噺家の手習いみたく、長名だろうが死ぬ気で頭に叩き込め。いいな」
こくりと頷くリンドウに、もう自分の仕事は終わりだからと言わんばかりに「じゅげむじゅげむ」と茶化すルル。
「かいせんぎょのふんまつ」
「「海砂利水魚の水行末・雲来末・風来末」だ。あと「五劫の擦り切れ」が抜けてる」
「なにさー、メアリーはいいじゃん、ゲイリーの頭使えるから、『絵本屋』さんで確認できるんでしょ? ズルだズル!」
「っていうか、なにそれ」
もう情報も無いなら帰ってくれねぇか。協力関係とはいえ『選ばれし子供』どもとの因縁は胸と同じくらい薄いだろ、と喉元まで出ていた俺を遮るように、リンドウ。
あれ? リンドウちゃん知らない!? と、ルルは喰い気味に身体をリンドウの方へと寄せた。……直後、リンドウ自身は鬱陶しそうに身を引いていたが。
「外の笑い話だよ。子供におめでた~い名前を付けてあげたい! 思いついたの全部付けちゃおう! ってやったら、子供の名前がめっちゃ長くなっちゃった! もう呼ぶのも大変! って笑い話。ゲイリーが絵本描いてなかったっけ? ……処分しちゃったのかな。流石にあんまり気分の良い話じゃなかっただろうしね」
ふっと一瞬だけ笑みの途絶えたルルに、リンドウもまた訝し気な視線を向けはしたものの、この行商人はそれ以上内心を悟らせるような真似はせず、変わらず無駄に高いテンションで『選ばれし子供』の2世へと語りかける。
「じゅげむじゅげむ、ごぼうのすりきれ、かいせんすいぎょのふりかけふんまつ……」
「俺ァつっこんだ方がいいのか」
「メアリーちょっと黙ってて。……食う寝るところに住むところ、だって! 良い名前だよね、愛されてるよね」
「おいまだ続きあンぞ」
「……そんな変な名前より、私の名前の方がいい名前よ」
不意に、リンドウが唇を尖らせる。
おい、どうしたお前まで。何を張り合ってるんだ。
「お父さんが、つけてくれた名前だもの」
リンドウの続けた台詞に、俺は一先ず沈黙を保つ。
はぁ、コイツ。自分の知らない絵本をルルが知っているらしい事実に妬いてやがるな?
そういう感情は、むしろゲイリーの担当だっただろうに。なかなかどうして、子供っぽいところもあるもんだ。
対するルルはぱちり、と目を瞬いて、僅かに瞼を伏せた後、にいっと自慢げに唇の端を吊り上げる。
「じゃ、あたしだって負けてないんだから。だってあたしの名前も、ゲイリーくんが付けてくれたんだもんね!」
「え?」
流石に面食らうリンドウと、ルルの大人げの無さに頭を抱える俺。
わざとか、そうでないのかは解らないが、ルルは俺達のどちらも構わず気にせず、ぺらぺらと気前よく舌を回す。
「細く長く途切れない、とかいう意味だったかな? 「生き汚いから」だとかなんだとか。呼び名も無いのは困るだろ、って。ぶっちゃけ名前とかどうでもいいし、今思えばかなりムカつく理由だけど、ホントにどうでも良かったのと、実際あると何かと便利だったから。今でも使ってあげてるんだ」
いいでしょ、と、ルル。……わざとだな、コレは。
案の定リンドウは完全にへそを曲げてしまったようだ。「あっそう」と、それっきり。解り易過ぎるしかめ面をルルからわざとらしく逸らすのだった。
「おい、ルル」
「一丁前に咎めるフリしないでよね。……ま、確かにちょっと長居し過ぎちゃったかも。そろそろ帰るよ」
でも大丈夫? と、別段心配の色を浮かべる事も無く、ルルは席から立ち上がる。
「結局見つけられたのはこの人達だけだけど、『選ばれし子供』が2人しか来てないっていうは、ちょっと考えづらいでしょ」
「情報収集はある程度逃げも得意な奴に任せて潜んでるんだろ。どうせ連中、相手はアーマゲモンだと思い込んでやがる。デカいからな、あの身体。戦闘になったらオレサマを目印に集結する算段に違いねえ」
なのでまずは、そこを突く。
斥候から処理して、1つずつ潰す。……アーマゲモンの形態は使わないままに。
向こうを掻き乱しつつ、こちらもある程度は時間をかけなければならないのは多少もどかしいところだ。しかし『絵本屋』はまだしも、残る大罪――『憤怒』と『怠惰』の捜索には、まだそれらしい目途が立っていないときている。加えて両者とも、少々面倒な性質持っており。
「そういう訳だ。引き続き、新しいネタが入ったらすぐに連絡しろ。それと」
「いちいち命令しないでくれる? 言われなくても、上手いコトやったげるよ。適当に情報、流しとくから」
それじゃあね、と、今度こそルルが俺に背を向ける。
適当、と。奴の言い方だと「いい加減」の方の意味になりそうでいささか不安ではあったが、こちらの報酬は先払いな分、仕事はきっちりやってくれる……筈、だ。
ルルはそういう女だと、まあ、見る眼の無い男の所感ではあるが、今更疑うべくもない。
「ほら、リンドウ。いつまでふて腐れてやがる。帰ったぞ、ルルの奴」
「……ふて腐れて無い」
「そうかよ」
俺はカウンターを出て、俺からも顔を背けたまま、自分もこの場から立ち去ろうとするリンドウの正面に回る。
何、と。彼女は相も変わらず苛立たし気に、俺の顔をねめつけた。ずっとカウンターの下に潜んでいたモルフォモンも主に従ってようやく顔を出し、パートナーの真似事のような視線を向けてくる。
「まあそんな顔するなよリンドウ、それにモルフォモン。なアに、悪い話じゃねエ。むしろお前らのためになる話さ」
「プロットモンの究極体候補の話?」
「それはまあちょっと待て。……少し下がってろ」
リンドウとモルフォモンを下がらせてから、俺は眼帯を捲り上げる。
途端、眼窩からディアボロモン1体分に相当する量のクラモンが零れ落ち、しかし異なる『悪魔』の姿を形作る。
リンドウは困惑気味に俺とクラモンで作った『それ』を交互に眺め、『それ』が何かを察したモルフォモンは、とてとてと短い足で出来上がったモノへと駆け寄った。
「これって」
「少し遅くなったが、アレだ。一人前になったお前に、心ばかりの贈り物さ」
リンドウに、というより、実質モルフォモンに、となるのだが。
全く、夜な夜なマシーン型共を求めて駆けずり回るのはそれなりの重労働だった。しかも折角取り込んだ『嫉妬』をも一部還元する羽目になったワケで、正直、気分はあまりよろしくない。
よろしくは無いが――『お父さんからのプレゼント』としては、これ以上無いくらい相応しい物だろう。
「曰く、デジタルワールドの本来の『暴食』の魔王には、陸の巨獣の化身が付き従っているものらしい。とはいえモルフォモンが成るソイツは所詮紛い物。だからそれらしく、こっちも贋作を用意してみたという訳さ」
機械系デジモンの構造を模倣し、悪魔獣のパワーを内包した、文字通りのモンスターマシーン。
赤い装甲は、『嫉妬』の魔王の鱗と同じ色と光沢を放っている。
「『レヴィアタン』。お前らのバイクだ」
上手く使え、と手を差し向けると、モルフォモンが翅の手でぺちぺちと車体に触れた。新車を早速鱗粉塗れにしてくれるのはいただけないが、どうせもうコイツのバイクだ。きっちり点検しているというのなら、それに越した事は無い。
「……」
無言で、どこか悼むように眉間にしわを寄せるリンドウが、モルフォモン同様、しかしゆっくりとハンドルに触れている様子を見届けてから、俺もリンドウ向けの資料作成にとりかかる。
と、
「……ありがとう、ゲイリー」
半ば、吐き捨てるように、ではあるが。
こちらを見もせずに、リンドウはそう呟くのだった。
先ほどは美徳だと考えた訳ではあるが。
その、あんまりにもコイツの『オトウサン』とかけ離れている部分には、さしもの俺も調子が狂って、ただ、ふんと鼻を鳴らして返す事しか、出来なかった。
*
そうして、待ちかねた時間はその数日後。『スー&ストゥーのお店』の扉が開く音と、信じられな程あっけらかんとした「こんにちはー!」という元気な女児の挨拶と共に訪れた。
店内で『絵本』に文字通り没頭していた酔っ払い共も、流石に何事かと顔を上げる。
俺を含めた視線の先には、それぞれ白い竜と白い獣を連れた、年の離れた男女が立っていて。
……とはいえまあ、俺のこのガワは絵本屋の店主、ゲイリー・ストゥー。一先ずはあいつの矜持を倣って、いよいよかとカウンター席の端で身構えたリンドウを制して客を出迎える。
「やあやアいらっしゃい。これはまた、クルミ割りの人形のように精悍で、夢見る少女のように愛らしいお客様が来たもンだ。ネズミの巣を見るのは初めてかい? 景気の良いクリスマスツリーの根元みたく、ちょいとばかしとっちらかっちゃいるが、なアに、うちの『絵本』にかかれば味気ない『迷路』の壁も、氷砂糖に見えてくる事だろうさ。……もちろん、相応の対価を払ってもらえれば、の話になるが」
「……すまない、客じゃないんだ、僕達は」
店の照明を浴びて時折煌めく粉の帯を警戒してか、口元を外套の袖で覆いながら、男が一言。
一応は男の真似をしながら、ただし何にも解っていない風な大口を開けて、少女の方が言葉を繋ぐ。
「あのねあのね! おにーちゃんとなっちゃん、デジモンを探してるの!」
「デジモン?」
「ここに来るまでに聞いたんだ、昔、僕達の世界で暴れたアーマゲモンというデジモンが――」
やはりルルは役に立つ女だ。
仕掛けた餌に、獲物が食いついたのだ。
ここまで漕ぎ着けたなら、勝負は半ば決まったも同然――
「しらを切るのは止してもらおうか、アーマゲモン」
肉を裂く音。自分の胸の、中央から。
ごぼりとせり上がったものを吐き出すがてら視線を上げると、目の前に迫ったやたらと刺々しい顔つきが鬱陶しい人型の竜が、尻尾の先に備わった赤い剣で、俺を刺し貫いていて。
……案の定、進化先はジエスモンだったか。正解だったのは何よりだが、全く以って、面白みのない話だ。
「! ハックモンちゃん!?」
「ミヤト、ナツコ、下がってて! コイツは」
「おいおい酷いな。ゲイリーだったら」
腕の付近に集中させたクラモン達を変質させ、肌を突き破らせる。
「死んでたぜ!?」
俺を貫いたのと同じ色の刃が、ジエスモンの胸を同じように貫いた。
「ッ!?」
……いや、少し逸らされたな。このまま決まっていれば、それに越したことは無かったのだが、流石は高速移動を武器とする聖騎士。反応速度も段違いだ。これでロイヤルナイツ最速じゃないって言うんだから――うん? そういやこの頭、以前同じことを考えた事があるような?
「お父さんの身体、あんまり雑に扱わないでよね」
俺では無くゲイリーの死体の心配をリンドウが吐き捨てた瞬間、彼女の旧式デバイスから、先日プレゼントした赤い車体が顕現する。
既に取り扱いには慣れたのだろう。即座にモルフォモンから進化したベルゼブモンがリンドウを背に乗せてバイクに跨り、リヴァイアモンさながらの唸り声を上げてエンジンを吹かす。
バイクの正面は、当然のように、のこのこやってきた『選ばれし子供達』へ。
「っ、プロットモン、進化――!!」
そしてやはり当たり前のように、少女の方のパートナーが、リンドウ達の前へと立ち塞がる。
……ま、こっちはリンドウが「やる」っつったんだからな。俺もこちらに集中しよう。
リンドウの動向に一瞬気取られたジエスモンに掴みかかり、ダメ押しのようにお互いの剣の切り口をクラモンで癒着してから、今しがた苦行認定したばかりのジエスモンの必殺技『轍剣成敗』の性質を用いて俺自身の部屋――地下室の『製薬所』へと転がり込む。
『胡蝶夢経』の出力ではこの短距離が精一杯だが、そも、奴の得意分野で戦う気などさらさら無い。
案の定、俺に連れ去られたジエスモンを追って、コイツのパートナー……確か、ミヤト、と言っていたか。ミヤトとやらが、地下室へと走って降りて来た。
俺はクラモンによる結合と『胡蝶夢経』を解除してから、ジエスモンの胸を蹴り飛ばして、俺に刺さっている方の剣を遠ざける。
「改めて!」
ミヤトが部屋に足を踏み入れたのを確認してから、俺は地下室の扉を触れもしないままに閉じた。
1人と1体は揃いも揃って目を見開いたが、何てことは無い。
アトラーバリスタモンと、マッシュモン。この似ても似つかない2体のデジモンは、完全に異なる性質を持つが故に掛け合わせれば予想外の結果をもたらす事が可能であり、今やこの地下室は、独立したひとつの空間でありながら、同時に俺の腹の中でもあるのだ。
「ようこそようこそ、いらっしゃい、お伽噺の英雄様! 初めましてと言うべきか? 久しぶりだと懐かしむべきか? 何にせよ、お前達はもはや舞台の上の影法師。演目が気に入らなくてもただの夢との言い逃れたァ許されないぜ?」
ジエスモンの背後に3つの光球が出現する。店での作法もわきまえず、夢うつつの時間を邪魔されて憤慨した客とそのパートナー達を適当にあしらっていたそれらを、万全を期すために回収したのだろう。通路を遮断したとはいえ、コイツらはジエスモンの一部だった筈だ。
先ほどのようにいきなりけしかけてこないのは、アーマゲモンという単純な暴力を使わなかった俺を今更のように警戒しての事か。
いいだろう。楽しいお話を始めるために、こちらも一つ種明かしだ。
何より可愛い娘にあんまり雑に扱うなと言われてしまったのだ。俺は穴の空いた胸から噴き出したクラモンで全身を覆い、今現在の進化段階の姿を露わにする。
意図した訳では無かったが、これでは異教徒対決だ。始まる前から、血生臭い。
「それでは皆様、お手を拝借。仲良く踊ろうぜジーザス野郎。そうすれば」
腕に巻きつけた数珠をじゃらりと鳴らして、俺は中指をジエスモン達に向けて突き上げた。
「俺とお前は、お友達だ」
見目麗しきサンゾモンらしからぬ野郎の声と下卑た微笑みを前に、偉大なる聖騎士は、静かに3本の剣を構えた。
日常回って何だよ(哲学)。夏P(ナッピー)です。
というか、アーマゲイリーのおかげで日常会話の胡散臭さが鰻登り過ぎて困る。ルルさんの名前、熱喉風邪に効くアレじゃなかったのか……雑巾だったか……雑巾は薄いしな……っていうか、息をするように胸いじりするな。まともなのはリンドウちゃんしかいないんですなとか言ってたら、アーマゲイリーがプレゼント持ってきた罠。これブロロームだ! スター団にでも入るつもりか!? 補給班はどこだ!
なるほど、正規進化に関しての言及はなかなか面白かったです。これ語るだけで破天荒な進化ルート通ることに物語上の意味ができるのもまた強い。しかもその正規進化=選ばれし子供と繋げてくるとは……そしてハックモン=ジエスモンはともかく、プロットモンはこの段階でオファニモンその他神聖系と明記されてるからにはそれらじゃないんだろうなと思えてしまいまたニヤリ。ちゅーか、絵本といっても落語に関しても一家言あるのかよアーマゲイリーもとい元になったゲイリー。
和やかに話し始めたから今回戦わないんだと思ったらいきなり背後からグサリとは気が早い。しかしジーザス野郎はあんまりだ。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
マッシュモンハウスだ!!
いやまあ、正確には『バリスタモンMC(マッシュコテージ)』ですね。快晴が何を言っているのか解らない人は漫画版『デジモンクロスウォーズ』の第1巻を読みましょう。
はい、という訳でこんにちは。『Everyone wept for Mary』第10話をご覧いただきありがとうございます。クリスマスの朝に目を覚ましても枕の傍には飲み干した空き缶、中古で買った漫画に携帯充電器。快晴です。
今回は「そういやクリスマス近いな……」と思って取って付けたようにクリスマス要素を取って付けた日常回だったのですが、いかがでしたでしょうか。一応、半ば1部のおさらいも兼ねた回でもあります。前話でやった方がよかったかもしれない。
『Everyone wept for Mary』ではかなり進化ルートを自由に設定しているのですが、実はこれは正規ルートが適用されがちな『選ばれし子供達』との対比だったのです。……と、いう設定を、この話を書きながら考えました。案外それっぽく嵌まったんじゃないでしょうか。
今回、というか次回の対戦相手であるミヤトお兄ちゃんとナツコちゃんの兄妹、その妹の方のパートナーであるプロットモンも公式から既に登場している進化ルートの究極体なので、よかったら予想してみてね!
あと、今回はルルの名前の由来も明かされましたね。作中で言及した通り「細く長く続く」という意味で、漢字で書くと縷縷になります。
1部後半で描写した通り、ゲイリーとルルもそこそこ旧い仲で、ルルはその辺の義理もあって今のゲイリーとリンドウちゃんに協力しているのでした。彼女との因縁の詳細も、またその内に。
と、とりとめなく内容に触れてきましたが、こんなもんですかね。
という訳で次回予告です。
次回はこのお話の〆通り、サンゾモンゲイリー(中身は実質アーマゲモン)vsジエスモンの異教徒格闘技となります。そろそろガチめに怒られそう。
是非とも執筆を急いでクリスマスにお出ししたいなと思っているのですが、間に合わなかったら大晦日のタイトルマッチになるかもしれません。まあ、気長に待ってもらえたら嬉しいです。
改めて、この度も『Everyone wept for Mary』を読んで下さりありがとうございました!
また次回もお会い出来れば幸いです。