ある日、その男は終電を逃して宿を探す羽目になった。 スマホのGPS機能を頼りに深夜の暗がりの中をとぼとぼ歩いていると、突然GPSにノイズが奔り使い物にならなくなり、気付いた時には目の前に一軒のホテルが見えていた。
男は仕方ないので目の前のホテルで一夜を越すことを決め、自動ドアを介してホテルのロビーに足を踏み入れる。 そうして宿泊予定の管理をしているアテンダントに一泊のチェックインを済ませようとすると、男はこんな事を聞かれていた。
「何階のどれにいたしますか?」
「?」
何処、あるいはどの部屋か。 男はホテルに宿泊した経験がそう多くなかったが、普通はそう聞くものじゃないのかと僅かに疑問を感じる。 次いで視線をカウンターの上にラミネートされて置かれていた「案内図」を見た。
そこには、ルームサービスの種類の説明と、このホテルの部屋構成などが簡素に記述されていたのだが、特に男の目を引いたのは階層の表記についてだった。 Ⅱ階 Ⅲ階 Ⅳ階 Ⅴ階 Ⅵ階……と。 何故かホテルの階層は全て全てローマ字で表記されている。 それが正確だと言わんばかりに。
これが一般的なホテルの当たり前の表記なのか、それとも単にこのホテル独自のものなのか、経験の浅い男にはよくわからなかった。 階層ごとの部屋番号についても数字ではなくアルファベットであるのを見ても、変わったホテルだなぁと思う程度だった。
男はとりあえず一泊して夜を越せれば良いか、と適当に考え、アテンダントにこう返した。
「おすすめってありますか?」
「おすすめですか。お客様の場合だと……ⅣのD号室がよろしいかと思われます」
「じゃあ、それでお願いします」
チェックインが済み、アテンダントから泊まる部屋の鍵となるカードを受け取ると、男はエレベーターに乗った。
どの階に向かうかを決めるボタンに書かれているものも「案内図」と同様にローマ字やアルファベットで、男も薄々察してはいたのだが少しだけ自分の行く階のボタンを探すのに時間がかかった。
うぃーん、と静かな音の後にエレベーターお馴染みの電子音が鳴り、男はホテルのⅣ階に上がり終える。
左右に視線を泳がせてみると、普通のホテルとほぼ同じ間隔にドアが見えた。
数字ではなくアルファベットで一つ一つの部屋が識別されている一方で順番はアルファベット通りではないらしく、Fの部屋のすぐ横にWの部屋があったりして、自分が入ることになる部屋番号……もとい部屋記号を探すのに少しばかり余分に歩くことになった。
他に宿泊客はいないのか、話し声一つも聞こえず、自分の足音だけがⅣ階に響く。
足音以外の音は、空調か何かのものと思わしき機械の駆動音ぐらいだ。 少しばかり聞こえる方向が多いような気もしたが、男は特に深くは考えようとはせず、時間をかけて自分の部屋を見つけ出した。
Dと一文字書かれたプレートが見えるドアと、それに備え付けられたカードの読み取り機。
男がアテンダントから渡されたカードを読み取り機に差し入れると、ドアのロックが外れる普通の音がして――まるで自動のそれのように、ドアが真横にスライドした。
直後に。
男の視界に入ったのは、ありふれたホテルの一室ではなく、黒く無骨な機械とその上に鎮座するパソコンの液晶画面だった。
部屋でも何でも無いモノがドアの向こうにある事実に疑問符を頭上に浮かべている間に、黒い機械から赤外線のような何かが男に向けて照射される。
赤い光に照らされ、疑問と僅かに眩しさを覚えた男は鞄を持っていない右手で顔の前面を覆ってみた。
特に何も起きないまま数秒が過ぎる。 ピピピ、と機械から何らかの電子音が鳴り、それを認識した時――男は自分の体が言うことをきかない状態にあることに気がついた。 足も手も、思うように動かせない。
意識が、まるで睡魔に襲われたように曖昧になる。 体が何かに引っ張られるような、そんな感覚を僅かに覚えた時には全てが決定していた。
機械によって”読み取られた”男の体が、手に持った鞄が、全て粒子となって分解され、上部にあるパソコンの画面に向かって吸い込まれていく。
やがて男の全てがその場から消え去ると、まるで瞼を閉じるかのように、横にスライドしていたドアが機械を隠すように元の位置に戻る。
Ⅳ階の廊下にはもう足音一つ無く、普段通り機械の稼動音のみが呼吸でもするように各所から漏れるのみだった。
男が意識を取り戻すと、その視界には信じられない光景が広がっていた。
足元には岩肌、前方には真夏の猛暑さえ越える熱を放つ火山。 宿泊施設どころか一般的な住まいのそれとは到底かけ離れたその光景は、まさしく自然の原風景。 申し訳程度にベッドや机など家具が置かれているが、思いっきりアウトドアなこの環境を『部屋』として認められはしなかった。
しかし、どういうことだと声を上げていられるほどの余裕など男には既に無い。 灼熱の大気は喉を焼き、仕事に疲れた体から更に力を奪っていく。
不思議な事に、苦しさは無かった。 喉の痛みもどんどん和らぎ、むしろこの熱さに心地良ささえ感じ始めている。 当然疑問が浮かび、思考が回るが、答えは出ない。 それどころか、不自然に感じ出す"居心地の良さ”に思考そのものがほぐされていく。
変化は思考だけに留まらなかった。 その体が、赤と白を宿しながら少しずつ大きくなっていく。
皮膚は少しずつゴツゴツとした鱗に変じていき、腰元からは太い尻尾が伸び、口が前に突き出ながら端を裂いていく。
歯は牙に、手足の指は爪を鋭くしながら三本に、瞳は青く。
服は、いつの間にか消えていた。
体が大きくなっていく間に破けたというわけでは無いらしく、男――普通の人間であったはずの”そいつ”の足元には破けたスーツの切れ端一つさえ見えない。
まるで、最初から存在しなかったように。
存在することが間違いであるというように。
そして”そいつ”は、自分の体が”変わった”と認識していなかった。
大きな大きな、緑の鰭を背から複数生やした赤い恐竜は、自分自身に対して疑問を持たなかった。
ただ、今いる場所が居心地の良い場所であり、自分の居場所であるという認識のみが、思考を占めていた。
ぐぉぅ、と恐竜は軽く鳴くと、自然な挙動で近くに設置されているベッドへと向かった。
疲れたから寝る。 頭の中にはそれだけの単純な思考があって、それ以外の思考は特に無い。 燃え盛る火山の熱に曝されながら、むしろそれが心地良いような表情で恐竜は眠る。 それを何かしらの機能が発揮された証明としたのか、全ての工程を遂行したのであろうシステムが電子音を鳴らす。
『ルームサービス・タイプDを終了します』
客人に望ましい環境を与えるのではない。
客人を、環境に望ましい”何か”に作り変える。
思考も体も何もかも、動物と言っても良い形に染め上げ、”居心地の良さ”を与える。
それが、このホテルの『ルームサービス』だった。
そして、これはあくまでも一つの形式に過ぎない。
他の『部屋』には異なる景色、異なる環境、そして異なる変化が存在している。
現実から隔絶した、電子の箱庭。 それを内包するホテルは、即ち宿泊施設にあらず。
此処は、一つの情報集積機。 人を人ならざる電子の獣へと変える、システムサーバー。
そんな事実などいざ知らず、人から成り果てた恐竜は寝息を立てる。
明日はどうしようだとか、元々の職業だとか、上司とのあれこれだとか――そうした『現実』と繋がる思考は既に無い。
目を覚ました後も、何故か近場に用意されている食物を食べて満足して、ぼんやりした思考で『部屋』の奥へ向かうのみ。
その後、恐竜がどうなったのかなど、管理者以外に知る由は無い。
ただ確実に言えることは、此処にやって来た客はどんな形であれ”満足”すること。
ただ、それだけだった。
性癖イイイイイイイイ。作者の時点で結末が予測できるのは最早これは才能。夏P(ナッピー)です。
なるほどTwitter、もといXもこういった使い方があるのか……とまずそれ自体に感服仕った次第でございます。確かに取り留めのないツイート、もといポストも折角だから創作に活かした方が建設的だ……それはそうと怪しげなホテル、宿泊経験が然程無い男、何も起きないはずが無かったアッー。
いやまあ知ってたというかわかってたのですが。ユキサーンさんだもんなぁ! そりゃXの方で繋げられてたのを最後まで拝見してませんでしたがこうなるよなぁ! でも言いたい、それでもここは敢えて言っておきたい。
またこのパターンかッッ!(様式美)
このホテルがどういうカラクリでどういう目的でどういう者達の手で存在しているのかとか勝手に二次創作で書きたくなりましたぜ。そしてカラクリを解き明かし自意識を保ったままデジモン化する術を体得した後、全員でⅥ階に趣き無敵の究極体軍団を作り上げ世界征服の戦いを始めるッッ!
それはそうと、今回変化させられたのは緑の背鰭+紅い体ということで描写的にティラノモンだと思いましたが、D……? バストサイズか……? でもWはデカ過ぎる……。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。