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フゥと息を吐くと、それが白く染まって宙に溶けた。
「メリークリスマス」
12月24日。
それはこの世界で覚えた概念だ。人間達は皆、今日という日を祝うべくその言葉を口にする。誰にでも等しく訪れる聖夜は東京から離れたこの田舎町でも等しく祝い事としての意味を持つ。きっと今頃、燦々と艶やかな輝きに彩られた駅前などカップルや親子連れで賑わっているのだろう。
2023年も間もなく終わる。年の瀬を惜しむなんて概念もまた、俺達には本来無かったはずだった。
「メリークリスマス」
もう一度言おうとした言葉は、果たしてベランダに出てきた相棒に先を越された。
コトリと置かれた皿の上は、先程まで彼女の家族が食していたフライドチキン。温め直したのかまだ湯気が立ち上がるそれが寒空の中でぼんやりと見えた。
「……もう寝たわ」
俺が聞く前に相棒が答え、サンダルを履いて俺の隣に立つ。
「そっか」
「………………」
彼女はそれ以上何も語らず、だから俺も語る言葉を持たない。
隣に立って夜空を見上げる相棒の怜悧な横顔は相変わらず大人びていたけれど、それは同時に昔とまるで変わらないという意味でもあった。俺達が出会い、共に戦ってどれだけの月日が経ったのかを改めて思うと、どうにも変な感じがする。彼女が変わらないということは在りし日の出来事も昨日のことのようであって然るべきなのに、時間は確実に流れていて彼女も大きく変わった。
「……ねえ」
俺のざらついた肌を相棒の指が撫でた。ツウと動く柔らかなその感触は紛れも無く親愛表現のはずなのに。
「ん」
どこかで受け入れたくない俺がいた。認めたくない俺がいた。それを相棒は知っている、気付いている。
今年、相棒には二人の新しい家族ができた。少し年上の男と生まれたばかりの赤ん坊、彼らは相棒の相棒である俺の存在をまだ知らない。相棒も少なくとも現時点では話すつもりはないらしい。けれどそれは同時に、俺の方からも相棒に踏み込めない領域が生まれたということを意味していた。必然、家族と暮らし始めた相棒と共に生活することは叶わず、俺はこうして時折相棒の家族が寝静まった後に飯を集りに来る無様な物乞いに落ちぶれた。
そして何よりも情けないことに、人間界で暮らし始めて長いはずなのに、俺はそこで初めて人間という生命が生まれ落ちる瞬間を知った。デジタマと呼ばれる転生装置から生まれる俺達とは明確に異なる、それはまさに神秘と呼ぶべきものだ。次代に生命を繋ぐ行為、それをやり遂げた相棒の顔は、母となった彼女の顔は、今まで俺が見てきたどんな顔とも違っていた。
ああ、だから今ここにある相棒の横顔が昔と変わらないなんてのは、全て俺の願望で執着だ。
この人間界で変わらないものなんてない。町も人も世界も変わっていく、変わろうとしている。それは戦うことを義務付けられ、高みを目指し続ける俺達とは異なる変質、強さを求める進化ではなく未来を見据えた変化。
俺は相棒の何を知っていたのか。大人に変わっていく彼女に何ができたのか。
「……俺は」
だから潮時かもしれない。そう思うんだ。
「俺ができることは、もう無いのかな」
戦う相手はいない。
彼女も一人じゃない。
だったら。
「……ええ、そうね」
「ッ……!」
変わらない、ただ淡々とした声が俺の胸を衝く。
「あなたは、変わらないもの」
俺の心を見透かしたように相棒は告げる。
彼女と出会ってから、俺は何ができただろう。
高校を卒業し、大学を出て夢を叶え。
地元から離れた土地で頑張る相棒に。
人間ですらない俺は、一体何ができただろう。
「俺はきっと、楽しかったんだな」
あの戦いの日々も。
その後の平和な暮らしも。
全てひっくるめて、そう呼べると思う。
「……それは、私もよ」
相棒の顔は変わらない。俺のことを大切に思う顔、けれど自分の人生で俺が一番にはなれない顔。
「それ嘘だろ。だって──」
「メイス」
優しい声。きっともう他の誰にも呼ばれることはないだろう俺の名前。
「……そうね、私もずっと考えてた。この世界で私はあなたに何をしてあげられるだろう、どうすればあなたは幸せなんだろうって」
「幸せ……」
俺の耳に相棒の細い指が触れる。優しい手付きはまるで何かを託すようで。
だけど幸せなんて俺にはわからない。俺はただ、相棒が相棒だから共に居続けただけ。戦う必要なんてない世界で、俺の世界ではない世界で俺が今日まで生き続けてきたのは、相棒である女が隣にいたからに他ならない。
それが叶わないのなら、俺はこれからどうやって生きて行けばいい──?
「だからね、もう少し見守って欲しいの……あなたには」
「見守る……?」
くすんだ空。それを見上げながら、どこか感慨深そうに彼女は言うのだ。
「今の私達の世界は、あなた達が生きやすい世界ではないでしょう? だけどいつか、人間とあなた達が共に歩める時代が来る……」
果たして来るだろうか。
俺達が大手を振って外を歩ける時代、人間と歩めるような時代など有り得るのだろうか。
けれど俺も自然と空を見上げていた。お世辞にも美しいと言えない夜空は、遠い日の幻想のようだった。
「その時はもう私はいないかもしれない。でもあの子の代で成されるかもしれない、それが無理だったとしても──」
ああ、それは本当に幻想だ。いつか来るだろう遠い未来(ひ)の、幻想だ。
でも。
「来るといいな……そんな未来(ひ)が」
そう思う。
無理を無理と断じて諦めるより。
いつか叶うと信じて進む方が、世界は彩られることを知っているから。
「大したクリスマスプレゼントを貰ったもんだ」
「……本当ね」
顔を見合わせて苦笑し合う。
彼女が生きている間には無理でも。
彼女の子が生きる時代には叶うかもしれない。
それすら無理だったとしても、その時は──
「メリークリスマス」
AKIHABARAの駅前、サラリーマンでごった返す街中で俺は久方ぶりに顔を合わせた相棒に言う。
「……メリクリって歳でもねェだろ?」
「そんなこと無いさ。幾つになってもクリスマスってのはめでたいもんだ」
「そんなもんかね……」
年季の入った帽子とデニムジャケット。
相変わらずそんな一張羅を纏って現れた鳳鏡花(おおとり きょうか)の姿に思わず微笑んでしまう。
「……何だよ」
「いや、もう少しオシャレしようとは思わないのかなと」
年頃の女の子なんだし、そう付け加えると鏡花はすぐに顔を顰める。
「オレは男だよ」
そう吐き捨てる姿は、やっぱり俺の二代前の相棒にそっくりで。
既に西暦は2060年を越えている。
まるで昨日のことのように思い出せるあの夜から、気付けば半世紀近い時が過ぎていた。人の世は相変わらず俺達には住みにくいものとは言えず、だけど同時に世界のどこかでは少なからず新しく出会う俺達の後輩が生まれ続けている。俺と彼女が語った、俺達が当たり前のように生きられる世界はまだまだ遠いかもしれないけど、その未来には少しずつ近付いているはずなんだ。
だから進める。だからきっと俺は今、新しい相棒と歩いて行ける。
「とりまネカフェ入ろうぜネカフェ」
「またお前の世界の伝説の話かよ……?」
「んー、それはもう終わりかな」
駅前の雑踏、そこに踏み出しながら俺は振り返った。
「次はお前のバアちゃんの話ってのはどうだ?」
鏡花には全てを知ってもらいたい。
俺のこと、俺達の世界のこと、俺と彼女が出会い歩んできた歴史のこと。
見上げた空はあの夜と同じくすんだ色。
だけど虹色だ。
ずっと続いてきた俺達の物語の道程は、きっといつだって虹色なんだと思いたい。
【解説】
・メイス
人間界で相棒と共に暮らすデジモン。
相棒が結婚・出産を経て自分はもう必要無いのかという悩みを抱えている。
・彼女(相棒)
メイスのパートナー。32歳。
かつてメイスと共に戦い、その後も彼と共に暮らしていたが今年に入って結婚・出産を経験した。
・鳳 鏡花(おおとり きょうか)
2060年代に生きる少年? 少女?
メイスと共にいる。
【後書き】
クリスマスに何か短編を書こうと決めたものの、いやじゃあ何書くのよと未定のまま12月23日を迎えてしまい、じゃあ人間からデジモンにクリスマスプレゼントを渡す話を書こうと決めるものの、いやじゃあ何渡すのよとry というドツボにハマりましたが、個人的に02最終回でMUSUKO達が連れていた、親達と全く同じデジモン(幼年期だけども)は果たしてどこから来たのかというものを考えてみようというのが本作の趣旨でございます。個人的に今後ザビギ以降の話を作るのなら、そこら辺にも焦点を当てて欲しいなと思ったりしています。
セイバーズでもアグモンが「戦いの後も人間界に留まったら単なる穀潰しじゃねえか!」と凄くエグいことを言っていたのもあり、やはり人間とデジモンは平時でも共に在ることは現代の人間社会においては困難なのかなという思いは確かにあって、だけどやっぱり一緒にいて欲しいよねと外からは思うわけで。ただ、一方でデジモンが当たり前にいるのであれば人間の社会的な営み(進学就職結婚など)はどのように成されるのかなとも考えてしまう。ヤマトと空が結婚した時のガブモンとピヨモンの反応や互いのコメントが知りたい。
クリスマスなのにめちゃくちゃ窮屈な話になってしまいましたが、やっぱり一度書いておきたい話ではありました。
(※タイトルは作者のフェイバリットアーティストである絢香の「にじいろ」から拝借致しました)
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