
陽都ひまわり園、その表札も鉄の門もひどく年季の入ったものだった。
猗鈴は公竜と共に向かったが、公竜は先に恵理座の残した物を調べたいと、その際公安の機密情報も目に触れるかもしれないからと猗鈴だけ先にひまわり園に行くよう促したのだ。
「……記憶より小さい」
猗鈴は自分の胸の高さほどの鉄柵にそう呟いた。まだ五歳かそこらの時分には、この鉄柵は絶対に出られない檻の様に感じたものだったが、今なら簡単に乗り越えられそうに思えた。
「……どちら様ですか?」
「過去、この施設に世話になっていた者です。黒木猗鈴……今は美園猗鈴です」
「そうですか! それはそれは……私が来る前の方ですかね?」
「だと思います。十年以上前ですけれど、園長は二川(フカワ)という苗字だったと記憶してます」
目の前にいる少し戦の細い中年の男性ではなく、恰幅のいいおばちゃんだった。そもそも、あの時は女性職員が三人ばかしいただけで男性はいなかったはずだ。
「僕の前の園長ですね。ご病気で引退なされたんですよ」
「確か……糖尿病の持病があったんですよね?」
「そうです。甘いものの食べ過ぎは良くないですね」
この男は嘘を吐いている。猗鈴はそう確信した。
猗鈴が言った園長の名前はデタラメ、前の園長の三山(ミヤマ)も持病があったが心臓病で糖尿じゃない。なのに目の前の男は話を合わせてくる。
組織か公安かはわからないが、猗鈴、夏音、未来、公竜の四人がこの施設にいたことに何か関係あるのは間違いなく思えた。
「本日はどの様なご用件で?」
「最近、ソルフラワーで立てこもりがあったでしょう? 子供達が集まるヒーローショーのタイミングを狙ったという……それで、少し心配になりまして」
「それはそれは、ですが、中心部と違ってこっちは平和なものですよ」
だから大丈夫ですとその男は言った。門を開けこそしているものの中に猗鈴を入れる様な様子はない。
「それはよかった。せっかくなのでこれ……少しでも足しにしてください」
猗鈴はハムのギフトセットを取り出して渡した。
「ありがとうございます。子供達も喜ぶでしょう」
男はにっこりと笑ったが、猗鈴を入れようとする様子はない。
「少し、中を見させて頂いてもいいですか? 懐かしくて」
「……そうしたいのは山々なんですが、今日は和菓子作り体験で職人さんが来る予定でして」
入れる気はないのだろう、やはり怪しいと思ったが、現時点で男が言ったことが嘘である証拠も猗鈴にはない。不審者と思って適当な対応をしているだけということもあり得る。
そんなことを考えていると、ふとエンジン音がして、一台の白いバンが止まった。
「あ! やっぱり美園さんだ!」
運転席から降りてきたのは便五だった。おーいと手を振りながら降りてきて、男に気づくとぺこりと頭を下げた。
「施設の方ですよね? 和菓子作り体験で来ました。本日はお世話になります」
「あ、どうもどうも……お知り合いで?」
「幼馴染です」
「美園さんはなんでここに?」
「私、ここの出身。最近物騒だから気になって様子を見に」
「そうなんだ! 僕は家がやってるボランティアの一環で」
「おーい、便五、やっぱり猗鈴ちゃんだったかい?」
「なんか様子見に来てたんだって!」
「へぇ、やっぱ美園家は意識高いなぁ。便五には言ってなかったけど、今回のこういう活動も美園家が支援してくれてるし、この施設にも確か出資してるんだよ」
「……出資してるのは両親で私じゃありませんから。何か手伝いましょうか? 多分便五くんよりも荷物持ちには向いてますよ?」
「お、じゃあお願いしようかな。ねぇ、佐藤さん。美園さんはウチでバイトしてた経験もあるんですよ」
「ま、まぁ……米山さんがよろしいのならば、断る理由もありませんが……」
園長はそう作り笑いをなんとか維持しながらそう言った。
「……便五から探偵してることは聞いてるよ。なんか依頼なんだろう? 適当なタイミングで抜けて調べる事調べておいで」
「ありがとうございます」
猗鈴はぺこりと頭を下げて、荷物を持ち上げた。
荷物を運びながら観察するが、園の作りは、猗鈴の記憶と大差ない。
「ねぇ」
ふと、中学生ぐらいの少女がそう猗鈴に声をかけた。
「……なに?」
「あなたは、帰ったほうがいいと思う」
猗鈴はその少女に何か見覚えがあるような気がした。
「なんで?」
「……よくわからない。よくわからないけど、あなたみたいな人が来ると、何かが増えるの」
「……なるほど。いつからここに?」
「聞いたら逃げてね? 六年前……理由は覚えてない。いつの間にかここにいたの」
交通事故か何かが原因で家族を失ったとしたら、ショックで記憶喪失になった可能性はある。そう思うのに、猗鈴の目はそこに何かあると言いたげに彼女の言葉に色を感じさせた。
「……私みたいな人っていうのは?」
「ここの卒業生……だと思う。全員に聞いたわけじゃないから、確信はないけど」
なるほどと猗鈴はひとりごち、荷物をまた中に運ぶ。
「……帰らないの?」
「すぐに帰る。ところで、今ここに子供は何人いるの?」
「十二人」
「職員は?」
「園長ともう一人女の人がいる……」
猗鈴はそれを聞くと、紙に電話番号を書いて渡した。
「もし何かが増えた気がしたら、そこに電話をかけて助けを求めて。甘いものが苦手なヒーローに繋がるから」
「……お姉さん、甘いもの苦手なの?」
「私は大好き」
変な人だなと、その少女、三山志穂(ミヤマ シホ)は思った。
和菓子作り体験が始まると、猗鈴は米山親子が園長を押さえてるのを確認してまず下駄箱を確認しに行き、それから園長室に向かった。
パソコンを開き過去に園にいた子供達の記録を見つけると、猗鈴は黒木夏音、黒木猗鈴、小林公竜の名前を探す。
そうして探す中で、ふと一つのファイルに目を止めた。
「……真珠?」
海野 真珠(ウミノ パール)。
そうある名前ではないはずだと猗鈴はそのフォルダを開く。
『母親は不明、推定一歳の時、一ヶ月だけいて柳家に引き取られていった。』
過去の園長が独自に調べたらしい資料もあったのでそれも開く。
『父親は海野竜魚(ウミノ タツオ)、路上で通行人に手製の火炎放射器で火を噴きかける通り魔殺人を行い、警察の制止を受けても放火をやめず、改造エアガンを乱射した為、射殺される。』
『真珠は同日、事件後に行われた家宅捜索の際に発見され保護された。』
『引き渡される際、警察を名乗る黒スーツの人間から奇妙な忠告があった。鱗が出てきたり、角が生えてきたり、金属に齧り付くことがあった場合、連絡をして欲しいと。また、このことは他言無用であると』
『気になって事件のことを調べる内に、知り合いを通じて、事件の一部を目撃した引きこもり女性と連絡が取れた。彼女は警察には目撃していないと嘘を吐いたが、たまたまコンビニに行く為に外に出ていたらしい』
『曰く、男性は泣いていたと。手には何も持っておらず、口から火を吹いているようで、止められない、助けてと叫んでいるように聞こえたらしい。真珠ちゃんの体質に関わる内容かもしれないが、引き取った柳夫婦が気味悪がるといけないので、伏せる。』
それを読んで、猗鈴は今の園長の正体がわかった気がした。
「……趣味が悪いですよ、美園さん。いくら出資者とはいえ頂けない」
「そうでしょうね。あなたは、メモリ販売組織にデジモンへの適性が高い人間の情報を引き渡している……いや、組織の人間としてそういう情報を集めてリクルートさせている」
「……なんのことでしょう?」
「デジモンと適合しやすい人間は、感覚だったり身体の一部だったり、明確に他人と共有できない何かを持っている。他人と違えば問題が起きる。努力で変えようがなく、周囲の理解も得られない……そんな人が親になれば、全員ではないにせよ虐待や自殺に走る人は出てくる」
「僕にはあなたが何を言いたいのかさっぱり……」
「あなたは園長じゃない、園長にはさっき会った」
「なるほどなるほど、しかし……僕のメモリの能力、その詳細まではご存知でなかったようだ」
猗鈴はベルトを取り出して、腰につけようとする。
しかし、がしゃと音を立てベルトは猗鈴の手から落ちた。何故と自分の手を見て、猗鈴は自分の手が少しずつ縮んでいる事に気づいた。
そこでハッと顔をあげ目の前の男を見る。その男が何か、信じてはいけない人物だった様な気はするのに、何故かがわからない。
そして、それを伝えなくてはいけない。
「資料によれば……両親が亡くなったのは五歳か。五歳まで戻して差し上げましょう。なに、あなたには才能がある。もう一度、今度は組織に都合が良いように育ってもらうだけです」
元々猗鈴より小さかったはずの男が、自分より高いところにいる。その姿に恐怖した。
ここにいては危険だと感じ、猗鈴は近づいてくる男の足の上に、机の上に置かれた辞書を落とした。
「痛ッ! このッ! クソガキが!!」
だるだるになった服が揺れる。とにかく外へと、机を足蹴に窓から猗鈴は飛び出した。
そして、石を拾ってくるりと振り返ると、窓に向けて石を思いっきり投げた。
フィルムの貼られていた窓は、猗鈴が想像していたように派手に音を立てて割れることはなく、地味に蜘蛛の巣のようなヒビが入っただけだった。
「……ッ、失敗した」
走りながら、猗鈴はベルトを締め直す。男は、音も出なかったのにガラスに気を取られたのか、すぐには追ってこなかった。
「私はなんでここに……そしてどうして追われていたのか……」
まともな服を手に入れるか、それともこの場所から離れるか。少し迷って猗鈴は建物の外に出ようとして門を見て、鍵がかかっているのに気がついた。服がまともならよじ登れただろうが、裾を引き摺りながらでは登れそうにない。
どこか隠れる場所はと見回して、停まっていた車に気づいた。
「鍵がかかってる……」
ガチャガチャといじっていると、不意に後ろで足音がした。
「……美園さん?」
そう声をかけてきたのが便五であることが猗鈴にはわからなかった。
「……私を、知ってるの?」
「知ってる、うん? 知ってるけど……なんで小学生ぐらいになってるの? 服すごいことになってるよ?」
「私を隠して。追われてる」
「……わかった。とりあえず後部座席の足元に」
「あと、これ」
猗鈴はそう言ってズボンを脱ぎ始める。
「え? え?なんで脱ぎ始めるの!?」
「引きずった跡でバレるから、これを門の方まで引きずって、靴と一緒に門の前に捨てて」
「あ、うん。わかった」
便五はズボンを受け取ると、ふと違和感を覚えてそのズボンを探った。
「……携帯は流石に出しとくね」
「ん、ありがとう。誰かわからないけど……」
やっぱりわからないよねと呟いて、便五は携帯を猗鈴に渡すと、言われた通りにした。
そして、トランクからいくつかの道具を取り出した。
「事情はわからないけど、あと三十分もすれば僕達も帰る時間だから、その時に一緒に」
「……大人の私、探偵なんてしてたんだ」
「うん、美園さんはいつもかっこいいよ」
そう言う便五の顔を見て、猗鈴はすぐにその気持ちを察した。
「お兄さんは、私のこと好きなの?」
「え、まぁ……うん……」
「彼女に暴力振るうとか、おかしいぐらい借金してるとか、霊に取り憑かれてるとかしてたりする?」
「……してないよ? なんで?」
「お兄さん、いい人そうだから。ちゃんとフッてないなら大人の私は、お母さんの言葉を忘れちゃったのかなって」
「……お母さんの言葉って?」
「早く戻らないと見つかっちゃうから、話は後にしよ」
自分と死ぬのが幸せだと、お母さんはそう言った。探偵なんて危険なことをしてるのもきっとその一環だろうと猗鈴は思った。
でも、便五を見て猗鈴の印象は変わった。未来の自分が幸せになろうとしてるなら、それは裏切りだと思った。
母への裏切り、そしてその言葉を嘘にしたくない過去の自分への裏切り。
「お姉ちゃんは、大人の私をどう思っているんだろ……」
猗鈴は後部座席の足元で丸くなっていると、なんだか眠くなってきて、そのままそこで寝てしまった。
ふと、携帯電話が鳴った。赤い血のようなカバーのそれは、恵理座の携帯だった。
「……もしもし」
『鳥羽さん? 美園さんの友達の……カードゲームしてた、米山です。あの、喫茶ユーノーの連絡先って知ってますか?』
「……失礼。生憎、今はこの携帯を鳥羽は使ってなくて。僕は鳥羽の上司の小林です。メモリがらみで何かありましたか?」
『あ、ごめんなさい……小林さん。その、多分メモリがらみだと思うんですけど、美園さんが子供になりました』
「……陽都ひまわり園の近くにまだ彼女はいますか?」
「はい、今少し離れたところのコンビニの駐車場に……」
「わかりました。車があるなら少しそこから移動してもらっていいですか。私も車で向かいます」
公竜は電話を切って、目の前の黒い箱を閉じ、涙を拭った。
そして、その箱をうっすらと埃が積もった棚に戻し、ふぅと息を一つ吐いた。
「陽都ひまわり園……公安に利用された児童養護施設。出入りしていた公安職員、軽井命(カルイ ミコト)、彼女は、公安は、今もまだひまわり園に関与しているのか……?」
一人でポソポソと呟きながら少し考え、それから公竜はそのログハウスを後にする。目を閉じ、常人には感じ取れない公安御用達の魔術結界を掻い潜る。
車に乗り込み待ち合わせ場所のファミレスへ。
すると、便五は百四十センチ程、おおよそ中学生ごろに見える落ち着いた子供と一緒に座っていた。
「……美園さん、なのかな?」
「はい、美園猗鈴……覚えている年では十歳」
「……中学生ぐらいかと思ったが」
今の身長が百八十以上ありそうなことを思えば身長はまだ納得がいくが、それにしても落ち着いていると公竜は思った。
「今の私は十九歳の筈だと聞きました。大人の私は何をしていたんですか?」
十九歳を指して大人という感覚は子供か、と少し公竜は落ち着く。
「それを聞くということは、君には今の記憶がない。肉体だけ子供になったのではなく中身も子供になったわけだ。教えることは危険に繋がる」
「……大人の私も探偵とはいえ、民間人では?」
猗鈴は、子供にしては落ち着いているが、それでも明らかに不快そうな顔をして見えた。
「確かにそうだ。だが、この街は君の記憶にない数年で異常事態に陥り、大人の君が所属する探偵事務所とは協力関係にある。満足に働けるならば、僕もそう扱うことに異論はないが、そうは思えない」
君は子供だ、と公竜は言う。便五は、隣に座る猗鈴が着ているシャツをぎゅうと強く握るのを見た。
「……私は、大人の私に比べて弱いですか?」
「……あぁ、大人の君ならば、自分から身を引いただろう。彼女の判断力を僕は信頼している」
「美園さん……小林さんの言うことは尤もだよ。大人の猗鈴さんも何か失敗したんだから……」
「……わかりました。じゃあ、せめて伝えておきたい情報があります」
「……情報?」
「『メモリじゃない』」
猗鈴はそう言って、シャツの袖を引っ張ってシワの中に隠れた文字を見せた。
「大人の私からのメッセージです」
「……わかった。他にわかっていることを教えてくれ」
猗鈴は、淡々と男から逃げてきた時のことを話した。
そして、公竜があらかた聞き終えてその場を後にする。
その際、公竜はまた別の電話に応えていたが、猗鈴はそれに対して何も言わずに背中をじっと見ていた。
便五はそんな猗鈴が気になった。
「……美園さん、大丈夫?」
「大丈夫です。そういえば聞きそびれてました、お兄さんは誰ですか?」
「小学校の時の同級生の、米山便五です」
「……よねやま? いたっけ、そんなクラスメイト……」
私、小学生のはずなんだけどな、と猗鈴は呟く。
「大人の美園さんにも同じこと言われた……」
「……それは残念でしたね。ところで、私のこと苗字で呼ばないでもらえますか?」
「嫌だった?」
「大人の私はどうか知りませんけれど、私は、抵抗があります。私の、血のつながった両親は黒木姓です」
「じゃあ、黒木さんって呼んだ方がいいのかな?」
「……名前で呼んでください。美園のおかあさんやおとうさん達には、よくしてもらってます。だから、あまり裏切る様なこともしたくないんです」
ずっとそんな気持ちを抱えてきていたのかなと便五は現在の猗鈴を想像する。
「じゃあ、猗鈴ちゃんで」
「はい。それで……便五くんに聞きたいことがあります」
「え、なに?」
「大人の私は幸せそうですか?」
そう問われて、便五は夏祭りの日を思い出した。いつもより楽しそうだった気はする。でも、不意に消えたのもそうだし、自分が告白した時の表情もあれからずっと気になっていた。
「……わからないけど、僕は猗鈴ちゃんに幸せになって欲しいと思ってる」
「やめてください。私を幸せにしないでください」
それは、と聞こうとして、便五は口をつぐんだ。
「……わかった。理由は言わないでね。大人の猗鈴ちゃんから聞く。そして、幸せになってもらう」
「それはわかってないと言います」
「あ、まぁ……うん」
「でも、大人の私が言ってないことを言うのは確かによくないので……ちょっとふんわり話します」
「ふんわり」
「お兄さんは、人は死んだらそれで終わりだと思いますか? 私は、違うと思います。覚えている人がいる限りは……大袈裟ですけど、生きていると言えると思っています」
「うん、わかるよ。僕のおじいちゃんもおんなじ様なこと言ってた」
「ある大切な人がいたんです。その人が私にかけてくれた最後の言葉、『猗鈴は死ぬ方が幸せだ』って、その言葉を、私かお姉ちゃんが、ちゃんと覚えていれば、それをほんとにし続けてれば……お母、その人は……生きている」
便五は、なんとなく猗鈴の歪さの正体がわかった気がした。
大切な人の存在が痕跡がこの世のどこにもなくなることを、猗鈴は怖がっている。
いや、もっと単純に言える。
猗鈴は、家族の死を受け入れられていないのだ。
どういう死に方だったのか便五は知らないけれど、猗鈴はそれを受け止めきれなくて、こうしている間は生きているんだと自分を納得させてきたのだ。
「死んだ人のことを大切にするのは大切だね」
便五の言葉に、少し、猗鈴は反応した。肯定してもらえると思ってなかった。
猗鈴の知るいい人達は、自由になっていいとか、幸せになっていいと、まず猗鈴にとって大切な母の言葉を否定した。それは猗鈴のことを思う発言だとわかった上で、猗鈴は受け入れられなかった。
「僕は、多分今の猗鈴ちゃんから見て、一年か二年前に助けてもらったことがある」
なんの話だろうと、猗鈴は首を傾げる。
「大したことじゃないんだけど、それから自分も誰かが困ってたら助けようって思えた。この話は、あんまりしてない」
「……なんの話?」
「猗鈴ちゃんは、僕のこと、覚えてなかったでしょ?」
「……うん」
「僕も将来的には忘れちゃうかもしれない」
「……うん」
「でも、猗鈴ちゃんが僕を助けてくれたことは変わらない」
「うん、それで?」
「猗鈴ちゃんの大切な人は、何があってもいなかったことにはならない……猗鈴ちゃんの言い方を借りれば、生き続けるよって話」
便五はそう微笑んだ。
「猗鈴ちゃんが忘れても、その人がいたから猗鈴ちゃんがいて、猗鈴ちゃんがいたから今の僕がいる。そんな風に、誰も覚えてなくても、猗鈴ちゃんの大切な人がしたことはちゃんと残るし、どこかに繋がっている」
「……そうだと、いいな」
猗鈴はちょっと口元を緩めた。
「大丈夫、きっとそうだよ。そうだな……その大切な人の話を教えてよ。大人の猗鈴ちゃんが嫌がらないだろう範囲で、楽しい思い出とか、教えてくれたこと、なんでもいいよ」
「……大人の私もこうやって口説いたんですか?」
「いやいや、大人の猗鈴ちゃんには告白したけどフラレちゃったから……」
「……お兄さんじゃなくてストーカーさんって呼んだ方がいいですか?」
すっとソファの上で猗鈴は少し便五から距離を取る。
「うっ……大人の猗鈴ちゃんにもそう言われた」
「……ところで、刑事さんが解決するまでずっとファミレスにいるつもりですか? 私の服も服ですし……」
猗鈴はダボダボのシャツと、便五の着替え用のダボダボのズボンを指差しながら、そう言った。
「あー……もう一回小林さんに電話して、迎えの人に来てもらいます」
「仕方ないですね。じゃあ迎えが来るまで、聞いてくれますか? 私の……大切な人の話」
あと、パフェが食べたいですと猗鈴は言った。
「えぇ、そういう訳で……はい、よろしくお願いします。 ……クソッ! 小娘が!」
園長を名乗る男は、通話を終えるとスマホをそこにいた子供に向けて投げつけた。
それは、庇って間に入った志穂の腕に当たる。
「三山ぁ……今の俺はイライラしているんだ。わかるか? その上そんな反抗的な態度取られるとさらにムカついてくるわけだ」
そう言って、その男は志穂の髪を掴んでグイグイと引っ張った。
「あのクソガキも、その姉もだ! 俺が才能を見つけてやったってのに思い通りにならないッ!」
痛いッ、やめてくださいと震える声で志穂は呟く。
「俺が見出したから幹部になれた癖に……俺に感謝もない。言うことも聞かない! なんでずっとガキのお守りしながらめぼしいガキを探し続けなきゃならんのだ!」
そう言って、男は志穂の頭を床に叩きつけた。
「本庄め……公安にいた時は俺より役職が下だった男が! 俺にもlevel6のメモリさえあれば! 金はあっても派手に使えもせず! ガキの子守りなんて! しなくていいのに!」
そう言いながら、男は志穂を何度も蹴った。
そして、ふぅーと深呼吸をすると、男は自分の首の裏に手をやると、ぶちりと蝶の羽の様なものをむしって、それを志穂ともう一人の子供の頭の上で振る。
翅から落ちた金の粉が、志穂にかかると顔についた傷が消える。
「……志穂くん、少し子供達のことを見ていてくれるかな。僕は少し買い出しに行ってくるよ」
男は、そう優しく声をかけた。
「え、あ、はい。園長先生……ところで、私はなんでこんなとこに寝転んで……」
「遊んでいて疲れて寝ちゃったんじゃないかな?」
気をつけないと風邪を引くよと、男は優しげな声でそう言った。
ふと、志穂は床を見て、前に見た時と何か違う様な気がした。
汚れている服をぱんぱんと払うと、ポケットから猗鈴からもらった。電話番号の書かれた紙が落ちた。
「……これ、は……和菓子作り体験は、寝てる間に終わっちゃった、のかな……?」
いや、それはおかしいと志穂は眠気を払う様に頭を振った。
「運び込んでいるところ見てたのに、急にここで遊び出して疲れて寝るなんておかしい……また、何かがあったんだ、何かが……」
園長がいない今ならばと、志穂は園長室の固定電話を取って、その番号に電話をかける。
『もしもし』
聞こえてきた女の声が、さっきの長身の女性じゃないのはすぐに志穂にもわかった。
「あの、甘いもの苦手ですか……?」
『……誰からこの電話番号を?』
「長身で茶色い肩ぐらいまでの髪の……」
『その女性は?』
「わかりません……何があったかもわからないんです。でも、確か、何かがあったらこの電話番号にって。ヒーローに繋がるって言われたんです」
『……わかりました。その依頼、姫芝が承りました』
「あの、本当にヒーロー、なんですか?」
『職業は探偵です。でも、私の相棒がそう言ったなら、ヒーローでもなんでもやります』
そのやり取りを、電話をしている志穂のことを、一人の女がじっと見ていた。そして女は、野暮ったい金色の腕輪を着けた手で、スマホを取り出すと、どこかに連絡し始めた。
ミュージアムかと思ったら流星塾だった。というか、オールドドーパントだ! 夏P(なっぴー)です。
これで何の過去も絡まない短編にするのはハナから無理があったような気がしますが、いきなりアポトキシンの能力発揮して猗鈴サン幼女化。クロックモンか何かか……? でも金色の虫の翅って描写あるしなー。
というか10歳ぐらいのはずのロリ鈴サン年齢の割に大分聡いな!? 小さくなっても頭脳は同じ、迷宮無しの名探偵……しかし便五クンのこと覚えてないと言ったからには「ゲェーッ! これさては便五クン側の記憶も捏造されて作られたに過ぎない奴ゥーッ!」と戦慄しましたが、その覚えられてないこと踏まえて便五クンが凄くいいこと言ったので、一応実際の過去に在った話ではあるらしい。いやこれで「過去の記憶? そんなもの最初から捏造に決まってんだろ」とSPEC的な真実が明かされたら畜生過ぎる。今回のゲストヒロインっぽい志穂ちゃんは苗字がそれってことからして、要するにそーいうことなんでしょう。
園長凶悪な能力を持ってる割に台詞と性格があまりにも三下なので、次回ソッコーで草食の肉は最高だぜェからの鷹山サンダーされる未来が見えるぜ。
最後の最後に登場した姫芝とかいう神。この女、今になって最初から読み返したら衝撃を受けるレベルで恥ずかしくも熱い台詞を連発してくるな!?
それでは次回もお待ちしております。
あとがき
今回もお付き合いありがとうございました。なんの過去編も絡まない短編がしたいぜー!!するつもりだったのにどうしてこうなったんでしょう。鳥羽さん情報で前回終わった辺りでもう仕方なかったですね。
うみパーの存在が指す内容は猗鈴さんが言った通り、みんな陽都ひまわり園出身なんて世間が狭いね。というのは因果が逆……陽都ひまわり園出身者から選んで組織がスカウトをかけたので、出身者やその近親者がメモリの関係者になる。という形なのです。
なんでこうなってるかっていうと、光の方が、十闘士の示した人間とデジモンの可能性にいいねを押して、じゃあ自分は人間とデジモンの交雑実験するね。した結果です。おのれ十闘士……
その子孫が世界中に伝播し、先祖帰りを起こすとうみパー父の様なドラコモンの喉と逆鱗を持っているけどコントロールできない人とかが産まれます。
変な能力あってもまともに生きれる人もいるんでしょうが、直接的な殺傷能力があるとね。可哀想。娘を巻き込まない為に外に出て助け求めて射殺されてるのがひどく救いがないですね。可哀想。
次回、公安は謝罪しろ。せめてちゃんと手綱握れ。