
「とりあえず、わたあめとかりんご飴とかチョコバナナとか鯛焼きとかかき氷とか買ってきたけど」
猗鈴の持ったビニール袋に詰まった大量の甘味を見て、杉菜は微妙な顔した。甘いものがあまり得意じゃなかった。
「なぜ甘いものだけなんですか」
「余ったら自分で食べようと思って自分の好みで買ってきた」
「……しょっぱいの買ってきてもらえます?」
杉菜は猗鈴の代わりに便五の方を向き一万円札を渡しながらそう言った。
最初の花火が打ち上がるまであと十分、猗鈴と便五、千歳、それに姫芝と永花、そしてワイズモンだった代田という男も入れて、六人で花火がよく見える一角に陣取っていた。
ちらと杉菜が永花の方を見れば、先の騒動のことなど忘れて千歳と×モンカードをしばいていて、代田はその光景を泣きそうな顔で見ていた。
「……花火大会終わったらめっちゃ自首する。絶対やり直すよボク」
先のコドクグモン騒動は、杉菜が解決したのは確かだったが、杉菜自身が警察の前に出ていけない人間である為、なぁなぁに誤魔化されていた。
公竜は花火大会の会場から犯人は逃走したと推測し、鳥羽も梟の様な目で杉菜を見ていたが、猗鈴が永花の姉だと説明したら、首を傾げたまま会場内のパトロールに戻っていった。
「あなたとしてはいいんですか。私達がここで花火大会見てて」
「今日は私、探偵じゃなくて和菓子屋の手伝いで来てるから」
猗鈴の言葉に、杉菜はふーんと言いながら、かき氷をかきこんで、頭痛に眉をしかめた。
「かき氷食べて増えないでよ」
「増えませんよ馬鹿馬鹿しい」
増えようと思えば増えれますけどと言って、杉菜は舌からポンと小さなザッソーモンの分身を出した。
「わたあめでも食べさせてください。なるべく早くカロリーを補給したいので」
こっちからでもいいんだと、猗鈴がわたあめをちぎって渡すと、その分身はわたあめに半分埋まりながらそれをむしゃむしゃと食べた。
ちょっとかわいいと猗鈴は思ったが、言うのも癪なので口には出さなかった。
そんなことを話していると、ふと猗鈴のスマホが鳴った。着信の名前は斎藤盛実、それを見て杉菜は私にも聞かせろと小さなザッソーモンを猗鈴の耳元まで登らせた。
「もしもし」
『猗鈴さん大丈夫だった!? 頼まれたこと調べててアレだったとはいえ、ベルト使用してるから何事かと思って……』
「姫芝が解決したので大丈夫です」
『姫芝が!? え、状況が読めないんだけど!?』
猗鈴はまぁ落ち着いてくださいと盛実を制した。
「それより、頼んだことって永花さんのことですよね」
『あ、うん。そうそう……え、いや待って、姫芝の話題って本当に流していいやつ? 猗鈴さん催眠かけられてる疑惑が自分にかかってるの忘れてない?』
「姫芝が組織より一人の女の子を取って組織から離反しようとしてたり、花火大会に複製デジメモリ使う暴徒が出ただけです」
『……やっぱダメなやつじゃない?』
盛実は至極当然の言葉を呟いたが、猗鈴はそれを一蹴した。
「早く、お願いします」
『えー……まぁ、結論から言うとね。その子は即転院させた方がいい。今、警察病院に空きがないか見てもらってる』
「転院すれば治るんですか?」
どうにもならないという返事を覚悟していただけに、希望が見えるその返事は、猗鈴と杉菜を驚かせた。
『治るよ、というかその子はその病院にいるから命の危機に瀕していると言っていい』
「どういうことですか」
『毒だよ、毒。病院をハッキングしたんだけど……検査結果上ではデジモンの毒が検出されている。これは本来は排出されるタイプの毒。しかも、それは本人に伝えられてないんでしょ? となれば、少なくとも医師はアウトだよ。看護師も何かわからないものを食事や点滴に混ぜるとは思えないから、グルの可能性が高い』
猗鈴は思わず杉菜を見た。すると、杉菜は永花が治るとわかった喜びと、いかにも自分は永花の理解者だという風に振る舞っていた看護師への怒りとで、ひどく歪んだ顔をしていた。
「……今、その子と花火大会にいます。このまま警察病院に連れて行けば、永花さんは助かるんですね?」
『うん、そうだね。メモリにほぼ完璧に適合してるのは不幸中の幸いかな。そっちの毒に関してはひとまず処置しなくて良さげ、まずは体内から毒が排出されるまで療養、その後体力を戻して、それからメモリの毒の解毒。という順序になると思う。私も医者じゃないから、毒の影響で合併症とか起きてたらもっと変わるかもだけど』
「……ちなみに、なんで犯人がそんなことしたかの予想はつきますか?」
『うーん……いや、わかんないかな。シェイドモンってデジモンは寄生先によって姿を変える特性があるユニークなデジモンだけど、それだけじゃ……』
「いや、それですね。きっと」
「どういうこと、姫芝」
『え、姫芝そこにいるの?』
「私達がバイヤーとしてメモリの基礎知識を学ばされる時、『メモリは成長しない』と習います。肉体に当たるメモリ本体が機械という劣化こそすれ成長しないものだからと」
『まぁ、そうだけど』
「でも、メモリの中にあるデジモンそのものに『成長できる』性質があったら、そして、それを応用できれば……」
『なるほどね。他のメモリもパワーアップできるかもしれない。まして、シェイドモンは寄生するデジモン、他のメモリに影響を及ぼさせやすい種と捉えていいし……』
「じゃあ、姫芝に寄生させる様に仕組んだのも……シェイドモンメモリの成長を促す為?」
「だとすれば……仕組んだのは美園夏音。そうなると、まずいかもしれない。私が離反するのまで織り込み済みなら……!」
杉菜はそう言って、代田の肩を掴んだ。
「あなたにワイズモンとコドクグモンのメモリを渡したのは誰ですか!」
「……えっと、ワイズモンの方は普通の女、コドクグモンの方も普通のスーツの男だったよ」
「スーツの男……結構がっしりしてて、スポーツ刈りにしてませんでしたか?」
「多分……なんか、君と戦うまでの記憶が曖昧で……先に女の方に会ってるんだけど、その時から」
「催眠をかけられたなら……私が会った救急隊に扮した女と同じ人間かも」
「スーツの男は秦野という男でしょう。幹部達の側を動いている、おそらく幹部達の直属で動く、準幹部クラス、level5のメモリの持ち主……」
「でも、ワイズモンメモリを渡したのが救急隊に扮した女と同じなら、その女は柳さんを匿ってる筈……」
「組織が裏でその女と通じてて、柳も踊らされているか、なんらかの形でワイズモンメモリの所在を知った組織が代田さんを利用することを思いついたか……」
「ボクのメモリってそんな大層なものなの?」
『……えと、ワイズモンは結構大層なメモリ。で、私のメモリの力でベルト動かしてるけれど、それは私のメモリの元がエカキモンという種としては例外的な出力があったからできたこと。この手が使えなかったら私はワイズモンメモリを入手する予定だった』
「ベルトってなに? 変身ベルト?ニチアサは履修してないんだけど、カードゲームでもちょくちょくパロディとかあるからなんとなくは」
「趣味の話は今はよしましょう。問題は、永花さんがまだ狙われているかもしれないということ」
「……私が襲う側だったら、花火の音が鳴ってる時を狙うlevel4のメモリを持つ姫芝相手にlevel3のコドクグモンを増やしても勝てないのは計算通りの筈。ならば、狙いは消耗させることと勝ったと油断させること」
「でも、それを避けるには……」
「ここで花火大会が見られなくても、また来年見れる。もう、寿命を気にする必要はなくなる」
「だけど、私は永花さんからあの笑顔を奪うことは……」
「いや、まぁ落ち着いてよ……何か狙ってたとして、今書いた感じだと、いくらなんでもボクがまだ戦えた上で味方してるなんてのは流石に想定外なんじゃない? よくわからないけど」
それもそうかと少し安堵すると、猗鈴はリンゴ飴をバリバリ噛み砕いて食べ始めた。
「おまたせ」
そう言いながら、便五は両手に焼きそばにイカ焼き、焼き鳥にお好み焼きなどを持って戻ってきた。
『……知らない人許容量が限界迎えたから一回切るね』
「便五くんは知ってませんか?」
『……いや、うんでもちょっとね。きついからね。できるだけ一人で次は喋ってね』
バリバリシャクシャク音を立てながら食べる猗鈴に、盛実は限界を迎えた声で早口で喋って通話を切った。
頼りになるのかならないのかと猗鈴は思いながらスマホをしまい、チョコバナナを手に取った。
「美園さんも食べる? じゃがバターとかもあるよ」
「……たこ焼き、一個だけちょうだい」
そう言ってからリンゴ飴とチョコバナナで両手が塞がっていることに気づき、猗鈴は口を開けた。
「あ、えっ!?」
「早く」
急かされて、便五は猗鈴の口にたこ焼きを運んで食べさせた。
「あひはほう」
そう言って、ほふほふと口から湯気を出しながら食べる猗鈴を、いつものクールな雰囲気も好きだけどこうなるとかわいいと思いながら便五は見ていた。一方、それを見ていた姫芝は便五のことを食い意地張ってる女が好きな趣味が悪いやつとして認識した。
猗鈴の両手が空っぽになり、ちびザッソーモンからちょこちょことわたあめを奪い始めたあたりで、永花があっと時計を見て声を上げた。
「杉菜お姉ちゃん。もうすぐ花火が上がるよ」
「そうですね。こっちの真ん中らへんとか見やすいですよ」
杉菜はそう言って、さりげなく永花と千歳を猗鈴と自分で挟んだ位置に移動させた。
そして、空を見上げて少しすると、始まりのアナウンスが流れ始めた。
ひゅーと細く高い音と共に光は空へと上がっていき、ある程度上がると、凄まじい音の圧を撒き散らしながら、眩い花を空に咲かせた。
それは警戒しているとは言っても猗鈴の視線を集め、空に咲く花は猗鈴の顔を照らした。
「……綺麗」
近所だから家からだって花火は見える。花火なんて儚くて悲しいだけ、見るだけならずっと残る写真でがいい。そう思っていたのに。
身体に響く不快な音の圧も、頬を撫でる蒸し暑い風も、ガヤガヤうるさい人混みも、花火を取り巻く全てのものを悪くないと猗鈴は思った。
「……好きだ」
そして、便五の口からは思わずそんな呟きが漏れた。
それに対して猗鈴は、一瞬ちらりと便五の方を見て、困った顔をした。そして、花火が消えて暗くなって表情もよく見えなくなって、一言。
「私は、君と恋人にはならない」
そうはっきりと断った。
花火が消えた夜そのもののように、便五は目の前が真っ暗になったような気がした。
しかし、また花火が上がって猗鈴の顔が映し出され、便五はぎゅっと自分の手を握った。
「……でも、諦められないよ」
その言葉に、また猗鈴は困ったような顔をして、何か言おうと口を開きかける。
でも、そこから言葉は出てこず、一度目を閉じると、チョコバナナに刺さっていた串を逆手に持ち替えて便五の肩を逆の手で引きながら思い切り振り下ろした。
猗鈴が振り下ろした串は、便五の肩の辺りまで来ていた何かピンク色の肉の塊に突き刺さり、それはゴムの様にひゅっと引き戻されていった。
「姫芝!」
『ウッドモン』『セイバーハックモン』
猗鈴が変身し、杉菜も急いで永花を抱え上げる。
「わかってる! けど、見えない!」
「米山くん、千歳とここで頭を低くして、なるべく動かないで」
「永花ちゃんは……」
「姫芝がなんとかする。私は、今のカメレオンを倒す」
「カメレオン? なら、カメレモンのメモリですね。周囲に色を同化させます」
「わかった」
『セイバーハックモン』
猗鈴は剣を出すと、さっき舌が伸ばされた方向へと走り出す。
フリをして、逆手に持った剣を虚空に突き刺した。
「ぐぇ……なん、で、場所が……」
すると次の瞬間、虚空で血がどぷと噴き出した。
「教えません」
猗鈴はそう言うと、剣から手を離して、カメレモンの身体を蹴り上げるとそのまま抱えて人がいない方向へと走り出した。
「……杉菜お姉ちゃん」
「今から、永花さんは警察病院に行きます。そこに行けば、永花さんは治るそうです」
「……知ってる。杉菜お姉ちゃん、私が感じるの忘れてたでしょ」
「……そうでしたね。配慮が足りませんでした」
杉菜はそう言って、永花を抱えると、猗鈴とは一度逆方向、人混みに紛れる様に動き出した。
「ま、待ってくれ、もう戦えない!」
カメレモンはそう言って両手を投げ出して頭を他に伏せた。
「そうですか、なら……」
そう言いながら猗鈴が近づくと、カメレモンは即座に顔を上げて舌を伸ばした。
「これはどういうことなんでしょうね」
猗鈴はその舌を自分の顔の前で掴むと、地面に叩きつけ、踏みつけた。
文字に表せない様な不細工な声を上げてカメレモンが悶絶する姿を見て、猗鈴はベルトのウッドモンメモリに手をかけた。
しかし、不意に背後から聞こえてきた何かが回転する音に、猗鈴は回し蹴りをかました。
瞬間、ぐにと不思議な柔らかさに猗鈴の足は捕らえられた。
蹴りを放った先にいたのは黄色い巨大なカエルのデジモンだったのだが、その顔の前には半透明の巨大な木の葉を模したものがぶら下げられていて、それに猗鈴の蹴りは止められていた。
その背中では一対のこれまた葉を模したらしいホイールが高速回転しており、蹴りが止まった猗鈴に向けてそれは発射される。
脚を引きつつ、頭を下げてホイールを避ける。そして、猗鈴は腕に格納されていた剣を開き、ホイールの軌道をカメレモンの方へと曲げた。
「ぎぃぁッ! 葉村ぁ!! 俺に当ててどうすんだ!!」
「本名を言うな! それに俺が当てたんじゃない、こいつが軌道を変えたんだ!」
「そうですね。私が軌道を変えたので、葉村さんは悪くないですよ」
「普通に会話に入ってくるんじゃねぇ!」
『ウッドモン』
『ブランチドレイン』
猗鈴は叫ぶカメレモンの持ち主から剣を抜き、顔に蹴りを叩き込んだ。
「そう叫んでくれると場所がわかりやすくて助かります」
それに対して、葉村は戻ってきたホイールを回収し、もう一度猗鈴に対して放ったが、今度は上から地面に突き刺さる様に弾いた。
「さぁ、葉村さんも、おしまいです」
猗鈴は大層に剣を構えながら、メモリのボタンを押した。
『ウッドモン』
『ブランチドレイン』
剣に気を取られた葉村を地面を伝って伸ばされた枝が足元から絡め取ってデジモンの力を吸い取っていく。
「……姫芝を消耗させる為の戦力なんて送り込むぐらいなら、そもそもなんで姫芝を」
ふと、猗鈴は二人の白衣の男が地面に寝ているのを見ながらそんなことを考え、思いついてハッとなった。
「もしかして、永花ちゃんの前から姫芝を排除することそのものが目的……?」
やっぱり2号ライダーじゃねえか! どうも、夏P(ナッピー)です。
あっちが伊達さんだったけど福井もとい照井はどうなんだと思ったら代名詞「俺は不死身だ」頂きましたー! いやお前が言うんかい!? 馬鹿なぁ姫芝は最後までザッソーモンで頑張りつつ、どこからともなく現れたお父様が「雑草は古来より如何なる場所でも生き続けてきた、即ち生命力において最強(超理論)と言える……エックストリイイイイム」みたいなこと言い出してお姉さまが「お父様は最初から姫芝に最強のメモリを……!」と涙目敗走するのではなかったのか!?
前回真面目にカードバトル始めるのが死ぬ回で尻彦さんと翔ちゃんが床屋で馬鹿やってる回を思い出させたので、こりゃ姫芝死ぬのではと焦るもまさかのヒーロー覚醒。すげー回りくどい絶望のさせ方がウィザードのファントムを思い出させましたが、これアレじゃん! 幹部怪人が遂に正義に目覚めて怪人からライダーに変身する奴じゃん!
蝶・燃ゑる。
代田さんもめちゃくちゃ頑張ってるじゃん! てっきり敵が出てきた時点で後ろから刺されてあぼんかと思ったらゲストキャラとは思えぬ活躍。アヤタラモンは確かに元々仮面ライダーっぽかったが……そんなわけでお前こそ2号ライダーだ!
猗鈴サンがサクッとおフリになったことを後書きまで忘れていたのは内緒。
そして探偵事務所のお二人がむしろ振り回される側になってるのが嗤えます。そろそろ「私聞いてない!」来るかと思ったぜ!
それでは今回はこの辺で。
あとがき
少女に絆されて本来なりたかった自分に気付かされ、涙を拭い、同じように間違えた人間に前を向かせ、自分もそれに支えられてより強く成長していく姫芝。
便五に連れられて、それまで自分にとっての意味を見出せてなかった、人や街によって作り出されるその瞬間瞬間の空気に良さを見出していく猗鈴。
という、二つを重ねあわせて。でも、そのまま前に進む姫芝と、便五君をきっぱりフって後ろ向きにいく猗鈴さんというアレを……カードゲーム要素でしっちゃかめっちゃかにしたかった。でもらわりと大真面目に熱いカードゲームしてたので、一気読みとかしてない限りギャグにならないかもしれない。
結果、単なる姫芝押し三連になった気がする。まぁ、
姫芝ァ……死ぬなぁ……
姫芝ッ!?なんで素直にカードで戦ってるんだ姫芝!!
姫芝ぁッ!!うおおおお姫芝ぁッ!
という感じの感想をもたれてたらいいなぁと思ってます。
姫芝さんのことは今後、大体防御低くて全部HPで受けるク〇コダインだと思って頂ければいいのかなって……
それにしても、本編に影響ないギャグ回とは何だったのか……がっつり影響しますね、これ。
次回は、なんで組織は代田さんにコドクグモンメモリを渡せたのって話から。
「……やっぱり、あなたも一枚噛んでいましたか」
永花を抱えた杉菜達が人気のない公園を突っ切ろうとしていると、永花の担当看護師がぬうっと木の陰から現れた。
「一枚噛んでたというか……首謀者ね」
みしみしと音を立てて看護師の姿が変わる。黒い髪は色が抜けて白くなり、目と口は人のままでは決して開かれないサイズに開かれる。腰は異様に細く、その下にできた虫の腹は膨れ上がり、そこから生えた六本脚と合わせて、半人の大蜘蛛の姿を取った。
「私はアルケニモン、組織を抜けて私につくなら、あなたには相応のポストをあげてもいい」
「……なんのことです。あなたは組織の側ではないのですか?」
「あなたこそ、組織から派遣されてきたんでしょう?」
「それはそうですが……」
「あなたにその身体が懐いたのは予定外だったのよ。シェイドモンは負の感情を食らい蓄え進化する性質を持つデジモン。一般客として組織のドブを煮詰めた様な人間を派遣してもらい、その身体に負の感情を集め孤立させ諦めさせ、シェイドモンメモリを進化させる」
「それがあなたの計画ですか」
「そう、でもそれだけじゃないわ。私はメモリの研究もしてるの。その在り方、人間の肉体を利用するという形もシェイドモンの寄生に近い。その身体自体の絶望や悲しみ、苦しみがメモリの中のシェイドモンを強くし進化させる一助となる。そして、その力を使って私は組織幹部を超える力を手に入れる」
「組織の幹部を超える……?」
「リヴァイアモンが出てきたら、この世界で好き勝手することはできなくなる。だからその前に幹部達を打倒する。そうして、私はこちらの世界で好き放題楽しませてもらうわ」
だから、あなたも組織を抜けているなら私達は手を取り合えるわねとアルケニモンは笑った。
「なるほど、わかりあえませんね」
杉菜は、鞭の様にしなる腕を伸ばすと、公園の蛇口を捻って水を噴き出させた。
「数が増えればlevelの壁を越えられると? なかなか夢見がちなのね」
「険しい道は百も承知ですが、大切なものを地べたに捨てて手に入れた力の虚しさもわかっているつもりです」
ぼこぼこぼこと杉菜の腕からザッソーモンが生えてくる。アルケニモンはそれを一瞥すると、腹部からコドクグモンよりも一回り以上大きな蜘蛛をわらわらと産み出した。
それを見て、杉菜がチッと舌打ちをすると、杉菜のスーツの背から巨大な本が地面に落ちて勝手に開く。
「代田さん。こいつを倒さなきゃどこへ逃げても追ってきます」
「OK、幾らでも任せてくれ!」
既にワイズモンと化していた代田は、手に持った石を光らせながら大蜘蛛達の方へと向ける。
「さぁボクの世界へ!」
手に持った石が光り、大蜘蛛達はどこともしれない空間へと吸い込まれていき、あっという間にいなくなった。
「……はいはい、なるほどね」
アルケニモンがスッと手を伸ばすと、急に代田の身体が引きつった。そして、代田は何かに引きずられる様に地面に突っ伏した。
「う、ぐ、ぉうぁ……」
「どうしたんですか!」
「杉菜お姉ちゃん、近寄っちゃダメ!」
永花に止められ、次の瞬間花火の光に照らされて、初めて杉菜は代田の腰の辺りを貫通する蜘蛛糸の様なものに気がついた。
「流石にlevel5、簡単に真っ二つとはいかないわね」
でもこっちは、と言いながらアルケニモンは手から蜘蛛糸を飛ばすと、杉菜の分身達を雑木林の木ごとまとめて切り裂いた。
「……ちょっ、と、手に負えない気がする……逃げるんだ君達……ボクは弱い人間だから、今は君達の為に頑張れても一分もしたら命乞いしてるかもしれない……」
だから逃げるんだと代田は地面に突っ伏しながら呟いた。
それを見て、永花は青褪めながら首を横に振っていた。
杉菜は永花をそっと地面に下ろした。
「行ってください。私の携帯を渡します。美園猗鈴は電話帳のま行に入ってます」
首を横に振る永花にそう言い聞かせる杉菜の肩を、アルケニモンの伸ばした糸が貫き、飛び出た血が永花の頬を濡らす。
「……それじゃあ困るわ。その子には絶望してもらうんだって言ったでしょう?」
アルケニモンはそう言うと、代田に向けていた手を引き、杉菜のもう片方の肩にも糸を飛ばして貫いた。
「そういう育て方なのよ、一度水を枯らしてトマトの苗が根を伸ばす様に促すみたいに。一度希望を与えてから奪うの、本来は今は希望を持ってもらう予定はなかったんだけど……その分目の前で惨たらしく殺して帳尻を合わせるわ」
それを聞いて、一瞬杉菜はあることを想像した。そして、それを直後に後悔した。
「お姉ちゃん、も……?」
杉菜と同じ髪型だった『お姉ちゃん』は、事故で死んだとアルケニモンは話していた。
もしかしたらと杉菜は思ってしまった。自分のせいだと受け入れていたつもりで、どこかで自分のせいじゃなければいいと。思っていた。だから、もしかしたらと杉菜は思ってしまった。
「そうよ。外出日に外出先の事故があったのは本当、それに便乗して、飛んできた瓦礫で頭を殴り砕いたの。あなたを救って、あなたの傷になる為だけに殺されたの。あなたの『お姉ちゃん』は」
「あ、いや……」
「そして、『杉菜お姉ちゃん』もそう。あなたの傷になる為だけにこの場で殺される。あなたの大切な人はみんな、私に操られ、殺される。お父さんもそうよ」
「やめて……」
泣きながら、永花の姿が崩れていく。黒い影に姿が呑まれ、赤い瞳はその暗い身体の上で星の様にぱちぱちと瞬く。
「あなたのお父さんが見舞いに来ないのも、私のせい。あなたのお父さんはねあなたを死んだと思っている。別人の遺体をあなたと信じてお葬式をあげて、同じ様に子供を亡くした女性と再婚した」
お互いに弱ってると展開が早いのよねとアルケニモンは嗤った。
そのアルケニモンの顎を、何かがガンと叩き、アルケニモンは自身の鋭い歯列で舌を傷つける。
「永花さんは強い子です。まずは体を治し、メモリを捨てる。それから幾らでも確かめてやり直せばいい」
杉菜の触手状の右手に握られた銃口から、白い煙がたなびいていた。
「それは永花さんの罪じゃない。辛くても、苦しくても、人は前を向ける。前に進める」
「だ、だめ……死んじゃう。死んじゃうよ」
ぶちぶちと杉菜が動くのに合わせて肩の肉が蜘蛛糸に引きちぎられていく。それを、杉菜は全身をザッソーモンに再構成して塞いでいく。
「永花さんは、賢い子です。私が本当は、こんなメモリを販売してた悪い人なのもわかっていたでしょう? だから、私が死んでも悲しむことはないんです」
自分が悪い人だと言っても、きっと割り切れないだろうなとは思いながら杉菜はそう言う他なかった。
「それで、何かこの状況が変わるのかしら?」
アルケニモンはさかさかとにじり寄ると、その杉菜の頭を握り潰せそうな手で、杉菜の手の銃を地面にはたき落とし、背中から押し潰そうと踏みつけた。
杉菜の蔦と違って鋭く伸びる糸、杉菜のそれと違って自在に増えられる蜘蛛、素の筋力や格闘能力もlevel4とlevel5、勝てるわけがない。だけど、引くわけにはいかなかった。
杉菜はグッと歯を食いしばり、自分を踏みつけるアルケニモンの力に耐える。
本当の自分は何がしたかったのか。
それをもう、杉菜は理解してしまった。だから、自分を犠牲に埋め合わせしようと思った。
「杉菜、お姉ちゃん……」
でも、目の前の永花の表情を見て、杉菜はまた揺らいだ。これで助かったとして、彼女は前に進めるのかと、そう思ったら今までの自分ではまだ足りない。
「泣かないで、ください」
姫芝はそう言った。
『シェイドモン』
ふと、永花の体内のメモリから電子音が鳴った。
「メモリが共鳴してるわね。心に溜まった歪みを糧に、シェイドモンが羽化しようとしている。私の為の力が、羽化しようとしている!」
「やだ、お姉ちゃん……怖い、怖いよ……」
「……私は永花さんが治るまで死なないと約束しましたもんね。永花さんに何が起きても、アルケニモンが何をしてきても、私は負けない」
杉菜はそう言いながら、また人の姿に戻り、半ば原型を保てずにいる永花の涙をそっと拭った。
勝てないとか、そんなことはもう姫芝は考えていなかった。勝つしかないのだ。間違えない方法はそれしかない。可能か不可能なんて度外視して、ただやるとだけ決断した。
アルケニモンは糸を飛ばしてその背中から胸までを貫いた。
「大丈夫、私は不死身です」
杉菜はそう言って口の端から血を流しながらも、永花に向けて微笑みかけた。
『シェイド『シェイドモ『シェ『シェ『シェイ『シェイ……ド……』
異常な音声が断続的に続いたあと、不意にシェイドモンと全く違う名前が読み上げられた。
『ルミナモン』
「は?」
アルケニモンが困惑し、杉菜も目を見開く中で、永花の身体は光を放ちながら形を変える。
小さな丸くて愛らしいピンク色の妖精か天使かというその姿は、とてもアルケニモンが言うような醜悪な力には見えなかった。
「消えた……?」
そう呟いたのはアルケニモンだった。でも、杉菜には見えていた。
確かめるため、杉菜がもう一度触れようと伸ばした手を、ルミナモンとなった永花が掴んだ。
瞬間、杉菜は自分の中でメモリが脈動し始める。
『アヤタラモン』
雑草の定義は二つある。人にとって邪魔な草という定義と別にもう一つ。生物学的な定義がある。
荒れた環境にも適応できる植物。
そして、その適応力こそがザッソーモンの知られざる強み。この強みが知られないのはある意味では必然のこと。完全に適応したザッソーモンは次のレベルへ進化する。なぜなら適応して姿を変えること、それが進化なのだからら。仮に進化しない場合でも、それは例えば分身を産み出す能力といった別の能力として現れ、適応することそのものにまで目がいくことはまずない。
永花はアルケニモンのいうシェイドモンのそれに目覚めだが、ルミナモンの力を介して、杉菜もまた能力を完全に開花させた。
「これを……つかっ、て……」
メモリを構える杉菜に、倒れていた代田が何かを投げた。
「ボク達の、ヒーロー……」
それは、杉菜の落とした銃をワイズモンの能力で解析再構成したベルトだった。
「……なんだ、なんの話をしてるんだッ!」
アルケニモンが困惑混じりの苛立ちに声を荒らげる。
「ヒーローは、ね……子供が泣く様な変身方法じゃ、だめなんだ……」
ははと笑った後、代田は血を吐き、また突っ伏した。
杉菜の胸から、メモリがポンと排出される。
『アヤタラモン』
杉菜はバックルを腰に当てボタンを押すと、ベルトは即座に腰に巻き付いた。
スロット一つのベルトにメモリを挿して、杉菜はレバーを押し下げながら力強くその言葉を口にした。
「変身」
杉菜の身体が光に包まれ、ベルトから伸びた棘のついたツルが全身を覆っていく。それに思わず、アルケニモンも数歩たじろいだ。
変身後の杉菜は渦を巻いたような仮面をつけ、イバラのようなマフラーを首に巻き、手足も緑色で蔦が巻き付いた様になり、左手には細長い盾を持っていた。
「……私は罪を重ねてきた」
永花を守る為に、スーツの下で満身創痍の身体を心に追いつかせる為に、杉菜はそれを声に出した。
「一つ、親友に道を踏み外させた。二つ、自分が道を誤った。三つ、その罪を安易に命を投げ出して永花さんを泣かせてしまった」
杉菜は右手を下から掬い上げる様にあげると、人差し指でアルケニモンを指差した。
「私は私の罪を数えた。アルケニモン、さぁお前の罪を……数えろ」
「私の育て上げたシェイドモンはどこだッ!」
アルケニモンはそう叫び、腹の下から数多の大蜘蛛を放った。
杉菜が半ば開いていた右手を握ると、その中に鉤状の鉈が現れた。
杉菜がぐるりとその場で回転すると、ふわりと舞い上がったマフラーから針が数本が木に向けて飛ぶ。そして、針が刺さった木は杉菜の姿に近似したデジモンへと変わって大蜘蛛を一刀の元に切り伏せた。
「私のシェイドモンをどこにやった!」
アルケニモンが伸ばした蜘蛛糸を、杉菜は盾で防ぐと、たわんだ糸に鉈を引っ掛けてアルケニモンを強く引き寄せ、少し身を乗り出したら引き切った。
接近してきた杉菜にアルケニモンが腕を振り上げ、振り下ろす。すると、杉菜はそれに合わせて盾で殴り返して今度は逆に身をのけぞらせた。
「永花さんはお前のものじゃあ、ないッ!」
そう言いながら杉菜は自分のベルトに刺さったメモリを押し込んだ。
『アヤタラモン』『アサルトハチェット』
アルケニモンが慌ててガードを固める上から、杉菜は淡く光を放つ鉈を縦に一閃した。
身体が半分に割れて全身にノイズが走り出したアルケニモンに、杉菜は自分の手を伸ばす。
すると、ノイズが杉菜の手の中に吸い込まれていき、一拍置いて爆発。後には看護師の女性と壊れたアルケニモンのメモリだけが転がっていた。
「……勝ちましたよ、永花……さ、ん」
杉菜は永花に向けて歩くも、途中で変身は解け、膝から崩れ落ちる。
「ありがとう、杉菜お姉ちゃん」
ルミナモンの姿から人の姿に戻った永花はそう言って微笑むと、今にも倒れそうな杉菜に抱きついた。
「……負けちゃいけない時には負けない。も約束でしたからね」
杉菜はそう呟いて、永花から電話を受け取って猗鈴に電話をかけると、そのままくたりと意識を失った。
「永花ちゃん大丈夫だったんですか?」
「うん、ばっちり! ザッソーモンに寄生してた影響かな? 私が見た時にはほとんど毒に対する抗体みたいなのができてて、あとは自然に抜けていくのを待てば良し! 今はご飯も美味しく食べれてるよ!」
でも、姫芝は時々花だけ置いてくけどなかなか会いに来ないってと盛実は口にした。
「あと、回収したルミナモンメモリを解析したから、これまで作ろうとしてうまくいってなかった、猗鈴さんエクストリームの鍵になるエクストリームメモリ(仮)の作成にも入れる筈! 催眠とかの方が先だけど!」
かみんぐすーんとわざとらしく締めた。
「永花さんの話なんだけど、千歳くんも、あれから週五で病院に通ってるんだって。代田さんも、洗脳とメモリの毒の被害者の可能性があるってことから、警察病院で検査入院。今はベッドの上で患者相手に似顔絵描いたりしてるって」
「……君は、なんで喫茶店にいるの?」
猗鈴にそう言われて、便五はうめいた。
「いや、別に……美園さんに会いたいからとかは、あるけど」
顔を赤くしながらそう言う便五に、一度告白したから度胸ついたのかなと猗鈴は思ったが、口にはしなかった。
「でも、私は君とはつきあわないよ」
「なんか、ストーカーみたいでごめんなさい……」
「便五くん、しょんもりしながら帰っちゃったけど、猗鈴さん、彼のこと嫌いなの?」
「いえ? どっちかといえば好きです。花火も綺麗でしたし、子供にも優しいし、いい人ですよね」
「けれど?」
「私は、つきあったり結婚するのは、自分が絶対愛せない人って決めてるんです」
だから彼は駄目、と猗鈴はさらりとそう言った。
「え? え?」
「……忘れてください。少し、口が滑りました」
猗鈴はそう言って、誤魔化す様にクリームソーダをグッと飲んだ。炭酸はやはり猗鈴の口には合わなかった。