
その部屋は黒を基調としたシンプルな部屋だった。装飾は全体的に落ち着いていて、部屋自体には生活感が感じられなかった。
「ハッピーバースデー、いーすずー、ハッピーバースデー、いーすずー! ハッピーバースデー、ディア、いーすずー、ハッピーバースデー、トゥーユー」
「少し前まで骨だった人とは思えないはしゃぎようですね」
無機質な部屋に響く、お世辞にも上手とは言えず無闇に明るい歌に、スーツを着た無骨な男性はそう嫌味を言った。
「妹の記念日だよ? 祝うのはもはや義務だと思うんだ。とはいえ、まだ死んでたから当日に祝えなかったのが心残りだけどね」
長身の女性はケーキを前にそう言って微笑んだ。モデルのような体型に黒いワンピースを着て、ウェーブのかかった茶髪は長く、目は爛々と輝いている。しかし何より特徴的なのは、その死んだような白い肌だった。
「まだ血色がよくない。いくら夏音様のメモリがアンデッドとはいえ、メモリを使ってもいない状態の遺灰とお骨からの再生は無理があったのではと……」
「お小言はいいよセバスチャン。そういえば、猗鈴がメモリを使ったのを報告して来たのはどんな子?」
自分は秦野です。と男は言った後、一つ咳払いをしてタブレットを取り出した。
「報告してきたのはバイヤーの姫芝 杉菜(ヒメシバスギナ)という者です」
こちらをと秦野は夏音にタブレットの画面を見せた。画面に表示された女性は地味だがある程度整った顔をしていて、それなりに好感が持てそうな顔立ちをしていた。
「……ふーん。営業成績は上の下、身長も低いし経歴もまぁまぁ凡庸、だけど彼女面白いかもね」
「というと?」
秦野が聞き返すと、夏音はにっこりと微笑んだ。
「顔は整形してるよね、これ。資格欄はよくわかんない資格だらけ、趣味は自己研鑽。かなり向上心が強そうだけど適切なやり方も方法もわからなくてがむしゃらに生きてきたって感じ……それに背が低い」
夏音はニコニコしながら好き放題に言った。
「……背が低いことがいいことなのですか?」
「猗鈴は、私の妹はね。例えるならクスノキなんだよ」
夏音は少しどこか遠いところを見ながらそう言った。
「風に倒れず雨に倒れず、虫にも強く高く太く凛と立つクスノキ。誰もが見上げるクスノキの木。背が低く誰からも見下され踏み躙られる雑草は、当て馬に丁度いいじゃない」
「……彼女を呼びますか?」
「おねがーい」
数十分後、現れた杉菜を見て、やっぱりこの子が丁度いいと確信した。夏音より年齢は幾つか上、夏音を見る目には嫉妬と若くても上り詰められる組織なんだという期待が見えた。
「姫芝 杉菜ちゃんだよね。私はカイン」
どうぞ座ってと言われると杉菜は失礼しますと言ってから席についた。
「ケーキは好き?」
「はい、甘いものは好物です」
「それはよかった。妹のお祝いだからケーキ用意したんだけど、持ってく訳にもいかないし、私は甘いもの苦手だからさ」
そう言いながら夏音は、皿にホールの四分の三以上あるケーキを乗せた。
「ありがとうございます。頂きます」
杉菜は夏音に促されるまま、ケーキを食べ始める。
「……じゃあ、食べながら話を聞いてね」
こくりと杉菜は頷いた。
「私達の組織が活動を三つの柱で考えているのは知っているね?」
そう言いながら、夏音は自分の手元に盛ったケーキに乗ったいちごをつまむと、杉菜の皿に置き、自分のケーキの上には代わりに唐辛子を飾った。
「研究・製造・拡散。デジメモリを研究して製造、営業して拡散させる。拡散することでデータとお金が集まるから研究も進む。そういうサイクルを作っている」
で、と夏音は続けながらケーキが赤くなるまで一味唐辛子を振りかけた。
「君がいるとこは拡散する部署、組織の資金集めの為にある部署で最も大きな部署でもあるけど……組織内では一番切り捨てていい部署でもある」
夏音は唐辛子をかけたケーキを一口頬張ると、少し首を傾げ、タバスコを追加でかけ始めた。
「私達の組織の目的は、おばば……ボスの目的を叶えること。おばばは力があるから人を集めたりお金を集めたりは何度でもやり直せる。だから研究成果が一番、二番目に製造施設、三番目に売人達って順番になる」
そう言うと、またケーキを一口頬張り、唐辛子を齧った。
「私は研究班の第二位。強力で重要視されているメモリとの適合率の高さから大した知識も実績もないけど幹部になっている立場ね。そこで、実績が欲しいの」
「……実績、ですか」
杉菜の目が獲物を前にした獣のように輝いた。
「そう、私は純粋に研究者じゃないからそっちでの貢献は難しい。けれど、あなたが見つけてくれた別のメモリの使い方。ベルトを手に入れる事ができたら……まぁ幾らか箔もつく。あなたを私の直属の部下として囲い、あなたにそのベルトや道具のデータ取りや奪取について担当して欲しいなって」
「わかりました。お任せください」
「ふふ、ありがとう。方法は基本的にはお任せなんだけど、一つだけ条件を上げとくね」
「なんでしょう?」
「ベルトの持ち主の拠点に侵入して盗むのは禁止。それをやると失敗した時にどこに潜られるかわからなくなっちゃう。でも、外で、既に変身後の状態と戦うならば、失敗したって何度でもチャレンジできる」
「……何度もチャンスを頂けるんですか?」
「それはその時々の失敗の仕方にもよる。がむしゃらに色々試してくれると私としては嬉しいな」
ほらもっと食べなよと促されて、杉菜はケーキを大口をあけて口にした。
「でも、つまらない結果を残すのはやめてね」
夏音がそう続けながら微笑むと、杉菜はゾッと背筋が冷たくなるのを感じた。
「そうだ、最初にやることぐらいは先に示してあげるね。まずはーー」
その部屋から出た後、杉菜は冷や汗をハンカチで拭きつつ、ニヤリと笑った。
「いぇーい、ウッドモンメモリに関して面白いことがわかったよ」
「聞いたから来た。まだ猗鈴さんにはいえない話だってわざわざメッセージ送ってきてたけど……」
盛実と天青は地下室にいた。壁には天青の持つ銃や変身用のベルトの試作機や他にも幾らかの道具が並び、部屋の隅には黒いバイクがどんと置かれていて秘密基地のような部屋だった。
「聞きたい?」
「できれば早く」
焦らす盛実に天青は呆れたようにそう言った。
「天青さーん、お客さまです」
地下室の厚い扉越しに天青はその声を聞きつけた。
「やっぱり、後で聞く」
「来客?」
「そうみたい」
天青が昇ってくると、カウンターに中川美羽が座っていた。
「実は、私のSNSのアカウントにバイヤーからメッセージが来たんです」
「替えのコアドラモンメモリを買いませんかという内容だったそうです」
美羽の言葉を猗鈴がそう補足した。
「……なるほど、メモリには中毒性がありますからね。刑務所に送られた訳でもない美羽さんにもう一度と言ってくるのはおかしなことじゃない」
「私はメモリとの関係を断ち切りたいので……」
「わかりました。任せて下さい」
そう言うと、天青は美羽を店の奥のスタッフ用の控室まで連れて行った。
「……先に謝っておきます。今回の呼び出しはおそらく美羽さん自体というよりも、私達に対しての誘いでしょう。美羽さんが断る為に私達が出て行く。それが狙いでしょう」
「邪魔者を排除したい?」
「あとは、ベルトとか向こうが使ってないアイテムに興味があるのかもしれない。何しても何度も美羽さんに手を出されても困るから……今回は援軍を呼んでしまおう」
「援軍ですか?」
猗鈴の疑問に、天青はそうと頷いた。
美羽が呼び出された場所はある廃工場だった。天青は腰におもちゃの様な銃を携え、その中で待っていた。
元は鉄骨か何かを扱う工場で、過去の取引もここで行われたらしい。大きなドラゴンになったとしても十分隠れられると共に、体の性能も試せたということだろう。大きな爪で引き裂かれたか潰されたkしたり、何かに溶かされたような鉄骨が転がっている。
「代理の方がいらしたのですね」
明るいグレーのスーツを着た低身長の女性、杉菜はそう言いながらそこに現れた。隣におもちゃのお面の様なものをつけた男性を釣れたその姿は異様だった。
「ええ、彼女は縁を切りたいとのことで、必要ないとのことです」
「では、交渉は決裂。新しいコアドラモンのメモリはいらないと……そういう事ですね?」
「次からは彼女に用があるなら私達に」
そう言って天青は一枚の名刺を投げつけた。
「わかりました……よかったですね、お客様」
杉菜はカードを拾うと、男より数歩後退した。
「ふふ、宮本でいいだろ、姫芝さんよ。身元隠しなんて意味ねぇよ」
男はそう言いながら、手に持った赤みがかったメモリのボタンをかちりと押し、腕に挿した。
『フレアリザモン』
その姿は。人より一回り大きいぐらいの炎の塊のようだった。鋭い鋼の爪が両手それぞれに三本ずつで六本。脚にも鋭い鉤爪が二本ずつ、胴は鉄仮面を被った頭に比べて細いがその分長い尻尾でバランスを取っているようだった。
「さぁ、ねえちゃん抱きつかせろよ! そして俺に嫌がる顔を見せてくれ!」
顔を覆う鉄仮面の隙間からは、狂気じみて輝く赤い目が覗いていた。
「……お断りします」
天青はそう言うと、サッと片手を挙げた。
「デジメモリ不法所持の容疑でお前達を逮捕する。
それを合図に、工場の中に隠れていた警察官達が現れて鈴菜達を囲んで拳銃を構えた。
天青の用意した援軍とは警察官のことだったのだ。
「……公権力も味方かよ」
鈴菜がそうぼそりと呟くと、となりに立った宮本は突然に叫び声を上げた。
「警察は嫌いなんだよぉ! また俺に手錠をかけるか? かけてみろよかけられるものならよぉ!」
そう叫ぶと宮本の身体を覆っている炎がさらに大きくもえあがり、工場の高い天井まで届くまでの火柱になった。
警官の内の何人かが発砲する中、天青は背にした片手で猗鈴に向けてメールを送った。
「効かないねぇ、効かねぇよ! ちょっと痛いがそれだけだ! フレアリザモン様々だ!」
そう叫ぶ宮本の身体からポロポロと撃ち込まれた筈の銃弾が落ちた。
「こいつ……化け物か!」
「退くな、化け物なのはわかってたろ、遠巻きに囲め!」
一人だけ壮年の刑事がそう叫ぶ。その背中を飛び越えて、既に変身済みの猗鈴が飛び込んだ。
「そいつが例の子ですよ、宮本様」
「へぇ、いいじゃないの」
自分に向けて走り寄ってくる猗鈴に対して、宮本は両手を広げて待ち受けるような体勢を取った。
ある程度まで近づくと、猗鈴は思いっきり回し蹴りを宮本の首に叩き込んだ。
猗鈴の蹴りに宮本の身体がぐらりと傾いたが、猗鈴もまた足が焼かれた痛みで苦痛に小さく呻いた。
「……いいねぇ、気が強い女は嫌いじゃないんだ」
傾いた身体をぐんと元に戻すと、宮本はまた両手を広げて下卑た笑みを浮かべながらゆっくりと猗鈴に向けて歩き出した。
「もっと……もっと抵抗しろ。嫌がるやつを無理やり抱きしめるから楽しいんだ……! 生まれ持った差があるんだって、逆らいようがないんだってわからせてやるのがいいんだよ!」
その物言いに、杉菜は気持ち悪いなぁと誰にも聞こえない小さな声でつぶやいた。
猗鈴は、無言で宮本の胸を蹴りつけた。それでも止まらないので次は顎を殴りつけ、膝を踏みつけた。とうとう股間を蹴り上げもしたが、どれもそれなりに効いているようではあったもののすぐに宮本は立て直した。
しかも、殴る度に蹴る度に猗鈴は熱に焼かれていく。
「仕方ない……」
『ウッドモン』『ブランチドレイン』
メモリを差し替えレバーを押し込むと、猗鈴は宮本の頭に向けて踵落としをした。
宮本がそれを避けたことで頭には当たらなかったものの、肩に踵が打ち下ろされて宮本は地面に叩きつけられると共に、猗鈴の足から蔦が伸びて宮本の身体を覆っていく。
「ぐっ……」
しかし、苦悶の声を上げたのは猗鈴の方であり、宮本の身体から突如立ち上がった火柱は身体に巻きついた蔦を焼き切るのみならず、猗鈴をその場から弾き飛ばした。
ごろごろと転がった猗鈴が立ち上がろうとする時には宮本はもう立ち上がっており、猗鈴のことを見下ろしていた。
「猗鈴さん、下がって」
そう言葉を発したのは天青だった。
「でも、天青さん……」
「大丈夫」
そう言うと天青は構えた銃にメモリを一つ挿し、銃の先端部をガシャコンと押し込みながらずんずんと二人の方へと歩いていく。
「おいおい、そんなおもちゃみたいな銃で何しようってんだ? 俺が遊びたいのはもっと強い女なんだよ!」
『プワゾン』
銃から電子音が鳴ると同時に、天青は猗鈴とフレアリザモンの間に割って入った。
「だからどけって!」
苛立った様にフレアリザモンが爪を振り下ろすと、天青はそれを銃で受けた。
次の瞬間、バァンと何かが破裂する音と共にフレアリザモンの身体の炎が一瞬萎み、その身体は何かに弾き飛ばされたかの様に工場の中を飛んでいった。
「なん……聞いてねぇよ、ちくしょう!」
立ち上がったフレアリザモンの爪は折れ、狼狽した様子でその場から走り去って行った。
「天青さん、あいつは……」
「バイヤーもいつの間にか消えている。ここは一旦諦めよう。次は止められないしね」
天青がそう言いながら猗鈴に見せた銃は、銃身が内側から破裂したようになって煙を上げていた。
「そうだな、あのフレアリザモンはメモリの中の人も大体わかっている。奴の監視はこっちで受け持つから、あんたらはなんとか捕らえられないか準備してくれ」
そう言ったのは、現場の指揮を取っていた刑事だった。
「すみません、大西さん」
「警察にはデジモンを捕らえられる装備は無いからな、助け合いだよ。ザッソーモンなら聞いてた特徴を考えるとなんとかなりそうだったんだが……」
「中の人っていうのは?」
猗鈴の言葉にそうだったなと大西は胸ポケットから手帳を取り出した。
「宮本という名前とあの主張に聞き覚えがある。あいつは宮本一文、かなりの数の強制わいせつで執行猶予食らっているやつだ。手口はいつも同じ、終電前後の電車で帰宅するOLを狙って背後から抱きついて路上で性的暴行を行う。高卒で就職したが、同僚女性に対してのセクハラで退職させられてな。その後別の仕事に着いてからは夜な夜な自立した女性を主な対象として犯罪を繰り返してた」
「なるほど、高身長で荒事もこなす女性探偵、として猗鈴さんを見ると宮本の好みにぴったりなのか」
「嬉しくはないですね」
「全くだ。犯人とわかっても……メモリ犯罪者は風呂までメモリ持ち込むからな。フレアリザモンを倒せる手がなきゃどうしようもない。今回のは何一つうまくいってない感じだ」
「いえ、こっちの依頼主に近づけないようにするという目的はとりあえず果たせました。宮本はともかく……姫芝と呼ばれていたバイヤーは今後あの名刺を使って直接アポを取ってきます」
「来ますかね?」
「来る、確信したと言ってもいい。私が知る範囲では、フレアリザモンというのはウッドモンには相性で有利だけど特別強いデジモンじゃない。こっちにどんな手があるか、探りを入れている」
「……なるほど。そして、国見探偵にはなにか倒せる手に心当たりがあるわけだ」
大西の言葉に天青は首を傾げる様にした。
「……一応、ね。でも宮本の生命までは保証できない方法しか今は思いつかない」
「なんにしても、考える時間が必要ですね」
そういうことになるか、やだねーと大西は冗談っぽく肩をすくめた。
「一話で猗鈴さん探偵助手開始という導入! 二話で猗鈴さん向けチュートリアル! これは三話の変身やアイテムの幅を見せる回と見た! 惜しいのは左右で使っているメモリが違うとかないから幅があまり広くない点かな」
「博士、猗鈴さんが絡む三つ目の事件だからってそんなアニメの話数みたいな捉え方は」
ライダー物はアニメじゃなくて特撮ですー。あ、でもWは風都探偵あるからなぁと言い出した盛実に、天青は一度目を瞑って額を押さえた。
「……天青さんの銃が壊れたんですけど」
「あぁ、それね。マスターがプワゾン使ったからでしょ? 使わなきゃよかったのに、その技は使わない方がいいって言ってるのにさ」
さらに何か言いかけた盛実に対して、天青は手を出して言葉を制した。
「それより、フレアリザモンの能力について知りたい」
「はいはーい。フレアリザモンというのは全身が燃えた竜みたいなデジモンで、猗鈴さんが苦戦したという耐久力の秘密はおそらくその皮膚」
「皮膚ですか?」
猗鈴はそんな不思議な皮膚でもなかったと思うけどと手をぐっぱぐっぱ動かした。
「フレアリザモンの皮膚は自分の炎に負けない様にデタラメな再生力をしてるの。おそらく皮膚自体の厚さもなかなかのもの。単純な殴る蹴るだと分厚い皮膚の下まで大したダメージが入ってなくて……すぐ復活してくる」
「じゃあどうすればいいんですか?」
「このメモリを使うってのが多分一番早いね。猗鈴さん用の調整もつい昨日済ませてあるし」
そう言って盛実が取り出したのは黄色いメモリだった。
「ローダーレオモンメモリ、このメモリは私達が持っているメモリの中ではウッドモンメモリに次いで猗鈴さんと相性がよく、威力だけで言えばウッドモンメモリより遥かに強い」
「……そうなんですか?」
「そう。でも、ウッドモンメモリのドレイン攻撃を使わないと殺さずに無力化はできないので……」
「宝の持ち腐れ?」
猗鈴の言葉に、盛実はなんでそんなひどいこと言うのと言いながらバイクを指さした。
「このバイクの方に挿して使うんだよ。とはいえ、それでもまだ問題は残るけどね」
「ローダーレオモンメモリで体力を削ったとしてウッドモンメモリでも有効打を加えられないとメモリを破壊することができない」
天青の言葉に盛実は頷いたが、猗鈴は頷かなかった。
「……それは、何とかできると思います。抵抗させなければいいんだと思うので」
「じゃあ、会いに行こうか宮本に。大西さんからさっき送ってもらった犯罪のデータから考えれば……会うことは難しくない。」
夜の駅の側を宮本はぶらぶらと獲物を求めて歩いていた。
ふと、その後ろからカツンカツンと靴の音を立てながら寄ってくる人影が一つあった。
「……なんだ、姫芝さんかよ」
「別の人を期待させてしまったなら申し訳ありません。しかし、メールは先に送りましたよ」
「……確かに。で、何しに来たんだ? 俺に抱かれにきたって訳じゃあなさそうだが」
スマホを取り出して見ながら、宮本はそう返した。
「警察が宮本さんを尾けています。彼等、諦めた訳ではなさそうですよ」
不機嫌な顔を隠すこともなく、鈴菜は言葉だけ取り繕った声色で返した。
「それはいい報せだ。次こそあいつを抱き締めて腕の中で焼き殺し、あんたらが欲しがってるベルトを引っ剥がしてやるよ」
「……相変わらず素敵な趣味ですね」
「へへ、俺は別にあんた相手でもいいんだぜ? 苦労してるだろ背も低いしな。あんたみたいに女の中でさえ強くもないのに頑張って強くいようとしている女を折るのは楽しいんだ」
「待ち望んだお客様も来たようですし、遠慮しておきます。きっとあなたの火力じゃ私は焼き尽くせませんし」
『ザッソーモン』
鈴菜はそう言うとザッソーモンに姿を変え、蔦を信号機に巻き付けてその上に登ると、そこからさらにビルの上へと飛び移ってしまった。
「お客様……ね」
ブォンブォンと聞こえてきたエンジン音に宮本が振り返ると、そこには既に変身済みで黒いバイクに跨った猗鈴がいた。
「バイクでぶつかればフレアリザモンにもダメージが入るとでも?」
『フレアリザモン』
「やってみろよ!受け止めてお前を抱き締めて殺してやる!」
「なら、遠慮なく」
『ローダーレオモン』
宮本の挑発に、猗鈴はローダーレオモンのメモリをバイクのスロットに挿してエンジンキーの側につけられたレバーを引くと、バイクの前を包み込むように黄色い光のドリルが現れる。
そして、猗鈴がバイクを発進させると、ドリルも一緒に回転を始める。
「……いや、ちょっと待てよ」
困惑する宮本の声を無視して、猗鈴はそのまま速度を上げて宮本に向けて直進した。
「ぐわッ!」
宮本は避けようとしたが、ドリルが少し当たっただけで回転に弾かれて地面に叩きつけられる。
立ち上がった宮本は、単に殴った時とは違い、それだけでダメージを負っているようだった。
猗鈴がバイクに設置されたメモリスロットに付いたレバーを一気に引くと、ドリルの回転の勢いが増し、風が渦を巻いて竜巻を作りだした。
『ボーリングストーム』
フレアリザモンの鋭い爪を地面にかけて止まろうとした宮本の身体も抵抗虚しく吹き飛ばされて宙に浮き、地面に背中から落ちて汚い悲鳴をあげた。
「ち、くしょう……素手なら負けねぇのに……」
「じゃあ、試しましょう」
猗鈴はバイクから降りると、宮本のところまでまっすぐ歩いていく。
それを見て、宮本は一瞬目を顰めたがすぐに下卑た笑みを浮かべ、両腕を広げて猗鈴に駆け寄っていった。
猗鈴は、まず宮本の腹を殴った。
「ふぅ、効かねッ」
逆の手でもう一度、さらに同じ場所に逆の拳を叩き込み、ふらふらと宮本がよろめくと前蹴りで追撃をし、宮本がぐらりと倒れそうになると、長く伸びた下顎の牙を掴んで無理やり身体を持ち上げさせ、腹に向けて回転を加えながら拳をさらにねじ込んだ。
「本当に効いてない?」
猗鈴はそう言うと、一度距離を取って、宮本が息も絶え絶えに立ち上がってくるのを待った。
「……猗鈴さん、えぐくない?」
少し離れたところに止まっていたパトカーの中からその現場を見て、盛実はそう呟いた。
「昼はあんなに間髪入れず殴れなかったのに、間髪入れずに殴っているし、なるべく同じところを攻撃してダメージを蓄積している」
パトカーの外に身体を半ば乗り出し、いつでも割って入れるようにしていた天青も驚いたように呟いた。
「お前、昼間は何もできなかったのに……何しやがった」
「熱さを我慢しました」
「熱さをただ我慢してるだけ!?嘘だろ!?」
「あなたは、好きに殴らせるポーズ取ってますけど……痛くないから受け止められるだけで、耐えるということは得意じゃない」
「くっ……偉そうに……!」
爪を大きく振り上げ襲いかかってくる宮本に対し、猗鈴はそれを何度か普通に避けた後、腕を取って固めると、そこに膝蹴りを叩き込んでへし折った。
「皮膚が厚いだけなら関節は弱いんですよね」
「お、お、おまえぇーッー」
動くもう片腕を弱々しく振り上げて襲いかかってくる宮本に対し、猗鈴はベルトからメモリを取り出して、スロットを入れ替えた。
『ウッドモン』
電子音声が鳴り、猗鈴はタイミングを合わせて高く足を上げ、頭に向けて振り下ろす。
それを宮本は首だけ動かして避け、にやりと笑った。
しかし、猗鈴はベルトのレバーを押し込むと、逆の脚も持ち上げ宮本の頭を挟み込み、地面に手をついて腕から地面へと枝を根のように張ると、逆立ちの要領で宮本の頭を持ち上げた。
『ブランチドレイン』
電子音声が響き、猗鈴の脚が淡い光を纏う。
「前の時にあなたは頭への踵落としを避けた。ドリルもそう、どちらも効く攻撃だとわかっていたから避けたんですよね?」
「やめ……」
猗鈴は宮本の頭を脚で挟んだまま、力強く地面に叩きつけた。
足から伸びた枝が宮本の身体を覆い、エネルギーを吸い取って猗鈴の身体へと戻っていく。そして、猗鈴が立ち上がって数歩離れると、フレアリザモンの身体は光と共に爆発した。
「……銃にバイク、道具を介しての能力使用もバリエーションがある。しかもレディーデビモンやローダーレオモンのメモリは私達の商品にはない」
地面に這いつくばる宮本をビルの屋上から見ながら、杉菜はそう呟いた。思い返すのは夏音から出された最初にやるべきことの話である。
『まずは、その子達のベルト以外の手札を知りたい。戦えるのは何人か、使うアイテムはベルトと銃だけなのか。ベルトだけじゃ勝てなそうな相手をぶつけて様子を見るの』
夏音の意図はわからない、本来は戦力の逐次投入は本来愚策、そんなことは杉菜にだってわかる。
「……ウッドモンのメモリだけこっち側のメモリなのと何か関係があるのか」
杉菜はちらりと自分の手の中のザッソーモンのメモリを見た。
「私なんかに任せる時点で裏があるのはわかっていること、こっちが逆に利用してやる」
「宮本はフレアリザモンメモリを受け取ったのはつい昨日、条件を満たせば正式に自分のものにできるという話だったようだ」
「その条件っていうのは?」
大西の言葉に猗鈴がそう返すと、大西は猗鈴の腰を指さした。
「そのベルト。宮本はベルトの技術欲しさに送り込まれた刺客だった」
「……それなら予想通りでもありますし、結構なんとかなるのでは?」
猗鈴がそう思う理由は、ベルトの制作者である盛実にある。
盛実が、技術的に不可能な部分をエカキモンメモリのイマジネーションを現実にする効果で補っていることを猗鈴は知っていた。裏を返せば、エカキモンメモリがあって適合率が高い人がいなければベルトを作るのは技術的に不可能ということだと思ったのだ。
「いや、向こうの設備は流通量から見てもこっちより上……こっちの技術が盗まれることは十分あり得る」
とはいえ、と天青は続けた。
「ベルトは安全性を高めるのが第一だから、組織に渡ったとしても敵が強くなるとかは……」
「いや、それは違うね!」
そう言ったのは盛実だった。
「というと?」
「安全性が高くなるということは、従来は副作用が強すぎて使えなかった強力なメモリが使える様になるということだよ」
「今流通しているほとんどのメモリはデジモンの強さにしてlevel4、時折level5もいるけれど……スカルバルキモンの様に毒の影響で大幅に弱った状態でいる。でもベルト技術が向こうに渡ると、level5や6が当たり前の様に現れるかもしれない」
「level……って、なんですか? メモリのグレードとかは別のもの?」
「メモリのグレードは、メモリとしての価値。levelっていうのはメモリに搭載されたデジモンの強さ。ウッドモンやフレアリザモンはlevel4、ローダーレオモンやスカルバルキモンはlevel5」
だからフレアリザモンに通用するとわかっていたのかと猗鈴は一人納得した。
「強いデジモンのメモリの方が大体の場合強いけど……適合する範囲が狭い。多分生身の人間では使用できない欠陥品がほとんどってことになる。猗鈴さんは機械と獣二種類の特性を持つローダーレオモンの獣部分にはなかなかの適性があるけど、機械要素に適性があまりない。バイクを通すことで適合率の底上げをして始めてlevel5らしい出力を出せた」
「……じゃあ、ローダーレオモンのメモリも本来ならもっと?」
「そう、アレで多分本来の力の半分ぐらい。level6なんてなったら……概念的なものを操作し始める。例えば死んでも実体に干渉できる幽霊になって生き続けたり、文字通り万能の神様みたいな力を手に入れたり、逆に特殊な能力は持たないけれど概念的なものまで肉体性能で打ち破る様な存在が現れ出す」
天青の言葉は抽象的なのに、どこか体験した様な実感があふれていた。
「相変わらず探偵さん達は詳しいねぇ」
「デジモンには縁があるもので」
大西はその理由を知りたい様だったが、天青はそれをさらりと流した。
「じゃあ、また何かあれば」
そう言って大西は去っていった。
まだ話を聞き出そうな猗鈴に天青は話をしながらクリームソーダを作り始めた。
「今回の組織の黒幕はわからないけれど……昔、別の場所でもデジモンをこの世界にという実験が行われていた。その時は人間の肉体ありきだったから強いデジモンがいても人間の立場や利益が枷になって、あまり大きな事件は起きなかった」
「なら、今回のも……」
「いや、メモリの場合は心身を蝕まれてしまう。それも踏まえると……」
「でも、ベルトは毒を排除するんじゃないんですか?」
猗鈴の質問に答えたのは盛実の方だった。
「完コピしてくれればそうだけどねー、最悪なのは、level5や6のメモリを、副作用はあるけれど使えるって程度の完成度のものが造られて流通すること、かなー」
そう言って、私にもクリームソーダと天青にねだった。
「……大量殺戮とか?」
「そのぐらいは既に起こり得るところかなー。例えるなら土砂崩れ、津波の様な簡単に復旧できなかったり社会活動を妨げるレベルの人災、しかも、それが個人の意思で起こされ得る状態」
「正直大き過ぎて実感湧かないですけど……姉さんがどう関わっているかわかるまでは見届けます」
猗鈴はそう言いながらバニラアイスをメロンソーダへと沈めた。
一話毎に酷いあだ名や形容詞が増えていく猗鈴クンの未来はどっちだ、夏P(ナッピー)です。
というわけで新たなる力! ウッドモン(Wood)に続きデジモンアクセル初出のローダーレオモン来た! しかもそのまんまバイク系の能力とは燃えるぜ!
というわけでお手本のような相性悪い敵に苦戦⇒新アイテム登場及び実は初戦も単に苦戦したわけじゃなかったことが判明したことによる逆転、燃える。今回は敵がぐう畜過ぎたのでアクセルどころかファングジョーカーが出てきそうな展開でした。お姉ちゃんはいつか包帯にグラサンで出てくんのかな……。
前フリがなかなか高度なフラグ建設建ててるので、これは早めに究極体関連来るのかエクストリイイイイイム。
それでは次回以降もお待ちしています。
今回は情報量多めの回だったのでおまけはなしです。とまぁ、今まで三話お付き合いただいたわけですが、これからはあらかじめ書いていない部分になりますので、更新幾らか滞ることになると思います。そこらへんもよろしくお願いします。
美園姉妹に関しては、アベルとカインなのでお姉ちゃんが嘘吐くのは当たり前のことなんですよね。その内にお姉ちゃんに殺されるかもしれませんね。
では、また次回よろしくお願いします。