杉菜の前に、血まみれの中学生か小学校高学年かという見た目の少女が立っていた。
服は血でべったりと濡れており、手には血に濡れた組織製のデジメモリ。
「……あ、あの、ヒーローさん。ですか? えと、私……その、何も覚えてなくて……」
そして、その足元には、男が一人、死体となって転がっていた。
「落ち着いてください。あなたが私に電話をしてくれた子ですね?」
杉菜の問いかけに少女は頷いた。
それから、杉菜は一緒にそこにきた公竜の方を見た。
「僕が彼女を見ていましょう。ひとまず、この建物内にいる人を一箇所に集めて話を聞いて来てください」
杉菜は頷き、扉の外にいた比較的年長の子供に声をかけ、建物の中にいた全員を食堂に集めさせた。
そうして、子供が十二人集まった。
「……大人はいないんですか?」
「園長と、もう一人女性がいたんだけど……」
「名前は?」
「……なんだっけ」「誰かわかる?」「わかんない……」
子供達は口々にわからないと答え、その後質問の仕方を変えてもやはり、誰一人名前も顔も覚えていなかった。
となればと考えていると、一人のやや年長に見える少年が杉菜に向けて歩みでた。
「あの、警察……呼ばなくていいんですか?」
「さっき、強面の男性がいたでしょう? 彼が刑事です。彼から連絡してもらっている筈です。大丈夫ですよ」
杉菜は嘘を吐いた。現状、警察は呼びにくい。吸血鬼王の洗脳は警察を確実に侵食している。組織とも敵対関係の様だが、この施設に組織が絡んでいたのかそれとも関係ないメモリ保持者なのかはわからないのだ。
大丈夫と笑みを作りながら、杉菜は思い出す。
志穂からの電話を受けた杉菜は、まず猗鈴に電話をかけた。すると便五が出たことでその安否を確認した。
子供にする能力、猗鈴の残したメッセージ、公竜が先に関わっていること。
それを受けて杉菜は斎藤に連絡を取りメモリ一本用のベルトとディコットでは採用しなかったメモリを調達。
その後、何かを調べていた公竜と合流して特別児童養護施設に向かうと、中から悲鳴が聞こえたので駆けつけた。
そうして考えながら一時間ほどかけて子供達を落ち着けたいると、警察の制服とパトカーの集団が集まってきた。
「……少し待っていてください。私が応対してくるので」
杉菜は、子供達に食堂から出ないように言うと、園長室の前に少女といた公竜の袖を引いた。
「……警察、呼んでよかったんですか? 吸血鬼王の影響は?」
「彼等は大丈夫です。陽都の警察ではなく……吸血鬼王の件があったので陽都内に潜んでもらっていた公安の人間です」
公竜はそう答え、少女を入ってきたスーツの女性に任せた。
「それはそれで大丈夫なんですか? 信用できるんですか?」
盛実や恵理座の例を考えると、公安は信用できない組織だという印象があった。
「……彼等は信用できます。彼等は熾天使派、過去に斎藤博士や鳥羽を撃った座天使派とは違います。四面四角の立法隊って感じです」
「冗談とか言えるんですね」
「……鳥羽の受け売りです。まぁ、信用はできます。比較的話のわかる人達に来てもらいましたから、あなたのことも協力者と扱ってくれるでしょう」
「まぁ、実際私は犯罪者ですからね。やる事をやったら捕まえて頂いて結構です。もちろん、それにはこの事件も含まれますが」
「そうですね。園長のフリをしていた男は、元公安の蝶野雄二である可能性が高い。そういう点からも彼等は協力的です」
座天使派からのものとはいえ、身内の不始末ですからねと公竜は言った。
「蝶野雄二……彼を殺したのはやはり彼女なんですか?」
「……それはなんとも、確実なのは、二つ。あの男はメモリで殺された。彼女はその死体を確かめようと抱き抱える様にした為、血が付着した。これだけです」
「何故メモリだと?」
「歯型です。あの首は一口で噛みちぎられていた。首を横切る様に噛みちぎる。相応の大きさの口がなければ不可能、クマとかでも口のサイズが足りない。ワニなんかはいるわけもない」
「彼女の持っていたメモリは?」
「デルタモンです、どういうメモリかわかりますか?」
「両腕に頭がついたデジモンですね。片方はそれこそワニのように細長い口をしていた覚えがあります」
「なるほど……傷跡をつけることはできそうですね」
「でも、犯人としてはこっちで話を聞いて浮上した、消えた女職員の方がありそうですね。子供達は名前も顔も覚えてない……蝶野は、その能力で公安の記憶処理をしていた。そうでしたね?」
「ええ、彼の能力の詳細は私も知りませんが」
「媒介には鱗粉を使う。その鱗粉はあらかじめ保管しておいても効果がある。でしたよね? 殺害前に鱗粉を採取しおいたのか、蝶野が溜め込んでいる何かがあったのかはわかりませんが……先に鱗粉を確保しておき、蝶野を殺害。子供達の自分にまつわる記憶を消して、犯行に使ったメモリをその内の一人の手に持たせ、死体の前に立たせて自分は逃走。子供達は記憶がないので事態の把握に時間がかかるし、特に死体の前に立たされた子は動転して混乱し、自分が殺したかもとさえ思う……」
一応の筋は通るでしょうと杉菜は言った。
「……動機は、どう見てますか?」
「組織による口封じかと……猗鈴が何か情報を持ち出すことに成功していて、それを深掘りされない様に口封じした。それなら筋は通ります」
「確かに、あり得なくはないですね」
「……そっちもですが、子供達も心配です。一度ホテルかどこか、落ち着ける安全な場所に」
「……そうですね。まだあのメモリを持ってた子には聞きたいことがありますが、他の子達は公安のセーフハウスにひとまず連れて行きましょう」
公竜はスーツの男性を一人捕まえると、一言二言言葉を交わした。
「姫芝さんも付き添って安心させて下さい。戻ってくるまでに準備を済ませておきます」
なんのだろうと思いながら、杉菜は子供達のいる食堂に向かった。
子供達は十三人、それに対して園長と女が一人、フィクションではよくあるが現実に考えると明らかに子供が多すぎる。となれば、あの中には元々の職員が混じっているということになる。
「皆さん、これからこの家は捜査で入らなくなるので移動しますよ」
そう言って杉菜は子供達を玄関まで連れて行く。子供達は何かと不安なようで、大柄な男よりも杉菜の周りに集まりたがった。
車の準備を男が始めると、子供達の中にも中心になる子供が何人かいることに気づいた。他の子よりやや年齢は高く、世話にも慣れた様子の子供。
彼等彼女等がおそらくは元職員なのだろう。そういった子供になった職員達に世話をさせることで蝶野はやってきたのだ。
しかし、その子達でも小学校高学年程度、満足にどこまでできるかは怪しい年齢に見える。
それでもいいと放置されたにしては、ひまわり園の中は整えられているから、女の記憶を消す為にここ何年か分若返りさせられたのだろう。
そこまで考えて、杉菜は少し胸がもやっとした。何かおかしい様な、何か見落としがある様な感覚。
すると、ちょいちょいと一人の小学生くらい女の子が杉菜の手を引いた。
「あの、これって、わたしたち今日はもうここにもどってこないですよね?」
「そうですね。忘れ物ですか?」
「えと、あのしらがのおにいさん、あまいものにがてですか? 『あまいものにがてなヒーロー』さんに渡さなくちゃいけないものがあるって……ここに……」
彼女は、そう言って手のひらにマジックで書かれた字を見せた。
「わかりました。私がちゃんと渡しておきます。どこに?」
「だいどころの、じゃぐちのしたです」
杉菜はちょっと、とその場を離れて台所に向かい、キッチンの流し台の下の棚を開ける。そこに、サンフラウモンメモリが転がっていた。
「……まだ行っていなかったんですか?」
声に振り返ると、小林と血まみれの少女がいた。
「サンフラウモンメモリ、そこにありましたか」
「……小林さん、ちょっと用があるので公安の人達に私抜きでホテルに行ってもらう様言ってもらっていいですか?」
公竜はわかりましたと言うと、無線で指示を出した。
そして、さてと少女に向き直った。
「では……少し早いですが、質問します。あなたはあの男を殺した犯人ですか?」
公竜の言葉に、杉菜はおっと目を丸くした。
「小林さん、いつから気づいて……」
「最初からです。あなたが自分に電話をかけてきたかと聞いた時、彼女は頷いた。しかし、蝶野の鱗粉は年齢を戻す様な代物です、直近数時間だけを巻き戻すことは難しい。その時点で彼女は、『全て覚えているがわからないフリをしている』もしくは、『電話をかけた子供のフリをしている別人』の二択になりました」
「……あ、あの、それは勢いで頷いてしまっただけで、嘘を吐くつもりじゃなかったんです……」
「もう一つ理由があります。状況的に蝶野が生きてないと説明がつかないんです。蝶野の鱗粉による記憶操作は、年齢を戻すことによるもの、つまり都合よく細部の記憶だけぼかすことはできない。それで昨日まで近くの小学校に通っていた子供が来なくなるなどしたら問題になるので……別の記憶操作や誤認の手段を持っていたはず……それを使ったとみられる状況が殺害の後に起きています」
「……いたことは覚えているけど、詳細のわからない女」
「そうです。鱗粉ならばいたこと自体がわからないはずなので、それは蝶野のメモリによるものと考えられます」
「あ、えと、でも……だったら、その人が私を操ってやらせてそのまま放置って可能性も……」
「もう一つ怪しむ理由があります。今日、和菓子作り体験を行なった和菓子屋さんに子供達の人数何人分の和菓子を用意したか確認しました。十二人分用意したそうです……が、今いるのはあなたを含めると十三人。一人子供が増えていることになります」
そう言って、公竜は懐からミミックモンのメモリを取り出した。
「しかし、当然ですが自分が子供になって記憶を失う訳にもいかない。となれば、姿を変えるメモリを使っているということになります」
『ミミックモン』
「は、犯人なら……保護されるあっちの子供の方に化けると思いませんか? 私、私は……」
「最初の不用意な頷きがなければ、あなたは真っ先に候補から外れる立場だ。色々聞かせてもらいます。この男性は誰か……なぜこんな回りくどいことをしたのか……蝶野はどこにいるのか……」
公竜は、ベルトに手をかけながらそう言った。
「……やはり、お兄さんは違いますね」
ぐち、ぐちりと少女の肉が服が波打ち変形していく。
「お察しの通り、蝶野雄二は生きています。この死体は肉体を変形させる応用で作り出し、切り離した私の肉ですので死人はいません。こんなことをした理由は……お兄さんはどこまでわかっていますか?」
少女から赤い毛皮に異様に鋭い歯列の狼へと姿を変えていく。
「僕の予想では……あなたは、蝶野の能力を使いたい何かがあるが、説得できていない。猗鈴さんの件で姫芝さんが来て、倒され収監されてしまうのも困る。そこで、蝶野にこの偽装殺人を……」
「そうです。私はあの男の能力を、ある人を救う為に使いたい。しかし、あなた達に倒されるからは間違いです。あなた達にはここにある程度いてもらい、あなた達が蝶野を殺そうとする相手とぶつかって、ついでにあなた達の口から蝶野は殺されたと嘘情報を伝えてくれるのを期待しました」
そして、パッと光を放ちながら、身体からメモリを排出し、残ったのは妙齢の女だった。
「……誰かが、蝶野を殺しにここに来ると?」
「えぇ、あの男は、よりによって美園猗鈴を子供にし、そのことを美園夏音に伝えてしまった。あの男は、最も身内に愛情が深い最高幹部、未来さんから聞いた話が確かならば、妹一人の為に組織さえ欺こうって女のその妹を害したことを、堂々と朗報として伝えたんです」
「……あなたは、美園夏音が何をしようとしているか知っているんですか?」
「少しだけ聞いています。が……それは、私と手を組んでくれなければ言えません。私が救いたい人を救ってくれると約束するまでは、教えません」
「……救いたい人、それは誰ですか?」
「未来さん。組織の幹部ミラーカであり、あなたの双子の妹……私から見た場合には、命の恩人です」
そう言った直後、外で発砲音がした。
その後も発砲音は続き、静止する様な声も続く。
「……外に待機させていた職員達ですね。行きましょう」
建物の外に急いで出ると、そこにいたのは、倒れ伏す公安の人間達と、その中心に立つ変身済みの夏音だった。
「……猗鈴は今、変身できないでしょうに出歩くのは不用心じゃない? 姫芝」
「蝶野を、殺しに来たんですか? だったら残念でしたね、既に蝶野は死にましたよ。私達が着いた時には既に、仲間割れで死んでいました」
「あらそう、じゃあ……これで猗鈴を元に戻せる人間はいないわけね」
まぁでもね、と夏音は伸びをした。
それを見て、一人の公安職員が寝転がった体勢からなんとか銃を構え、発砲する。
発砲に反応して夏音の手が動く。弾を骨の表面で受け止め、滑らせて相手に返す。
「人の話に横入りしちゃ駄目って誰も教えてくれなかった?」
悲鳴を聞きながら、夏音はそう言って穏やかに微笑んだ。
「……どうします? こっちは二対一で戦う準備はできてますよ」
杉菜はそう言いながら、ちらりと背後を見た。あの女は既にそこにいなかった。
「二対一……? ブレスドと、ザッソーモンメモリだけで、私と戦うつもりなの?」
「ブレスド……?」
「僕の変身ベルトの正式名です」
なんでそれを知っているのかと杉菜が疑問に思うと、見透かしたように夏音は笑みを深めた。
「そのベルトの開発には、私も一枚噛んでるもの。『祝福された』ベルト、吸血鬼が扱うには……なんとも皮肉な名前だと思わない?」
その言葉に公竜はグッと奥歯を噛み締めた。
「そして、当然そのスペックも弱点も把握している。多量のクロンデジゾイドを用いている為重く、速度に難がある。遠距離武器やバイクへの変形はその欠点を埋める為の装備、それじゃ私は倒せない」
「そのベルトが組織製って……」
「安心してください。鳥羽の協力者が組織側の裏切り者というだけのことです。行きますよ」
「……わかった」
『ミミックモン』
『ザッソーモン』
公竜が声をかけ、杉菜も合わせて変身する。
『アトラーバリスタモン』『マッハモン』
ブレスドの腕が一回り大きな拳に換装され、脚には刃のついたタイヤが付く。
「遠距離武器はありますか?」
「……一応、用意してもらってある」
「じゃあ、援護は頼みます」
エンジン音と共に公竜の足のタイヤが回転し、爆発的に加速し、夏音に向けて巨大な手で掴み掛かる。
それを夏音はぐるりと腕を回して振り解こうとするが、拳の付け根からワイヤーが伸びていなす。
「あら」
夏音の手が止まったのに合わせ、ワイヤーを公竜は巻き取りながら引っ張る。
夏音の上半身を引き寄せ、その顔面に向けて拳を振るう。
しかし、その拳は割り込んできた骨の翼に受け止められる。
「……ね? 遅いから隙を作ってもそれにつけこめない」
翼の隙間から手を伸ばして公竜の手首を掴む。さらに、掴まれた腕を回して、夏音は公竜の腕を掴む。
それに対して公竜が蹴りを入れようとするのも、夏音は上から踏みつけて押さえつける。
「私にはまだ翼と尻尾がある」
夏音はそう言うと、骨の翼で公竜の横っ面を思いっきり叩いた。
一度、二度殴り、さらに顎の下から尻尾で殴りつける。
さらにと翼で殴りつけようとして、夏音は横からの飛来物に身を守る為に翼を動かした。すると、カンと軽い音を立てて飛んできた矢を弾いた。
「二人の世界に入らないでください」
杉菜は片腕に着けた弓付きのグローブに、蔦でできた矢をつがえ、さらに放つ。
「……でも大した威力はないわね」
矢はやはり止められ、落ちる。
杉菜はグローブから深緑のメモリを抜き、ベルトから抜き取ったザッソーモンメモリを差し込んでボタンを押した。
『ザッソーモン』『スクイーズバインド』
地面に落ちた矢が解け、伸び、夏音の脚に絡みつく。
「うざい」
夏音は公竜を抑えていた手足をどけて絡みついた蔦を払いのける。
『モスモン』
電子音をさせ、公竜はガトリング砲に変わった腕を突きつける。すると夏音は片手を伸ばし、銃口に自身の五指を突き刺した。
爆発する鱗粉弾が銃の中で爆発する。
思わず公竜は痛みを堪える為に自身の腕を掴み、うずくまる。すると、その顎が蹴り上げられ、地面に転がされた。
「あーあ、指が折れちゃった」
あらぬ方向を向いた指を、夏音は見せつけるようにしながら公竜のことを踏みつける。
杉菜が矢を放つと今度は翼で受け止めず、すっかり治った指で挟んで受け止め、遠く投げ捨てた。
「慣れてないんでしょその武器。私の動きが止まった時しか撃てないのがいい証拠」
夏音がそう言っている間に公竜は立ち上がり、新しくメモリを一つ挿し、ボタンを押した。
『タンクモン』『ハイパーキャノン』
公竜の胸に光が集まっていく。
「これも、さっきと同じように受けますか?」
「私、別に痛いのが好きってわけじゃないの」
夏音はそう言って、メモリのボタンを押した。
『スカルバルキモン』
遠目で見ていた杉菜には見た目に大きな変化はなく、ただ腕を振りかぶっただけに見えた。
しかし、目の前で見ている公竜は、そこに異様で重苦しい圧を感じていた。
それでも撃つしかない。それしか有効打が思い当たらない。
公竜の胸の砲から、光の砲弾が放たれる。それを夏音は思いっきり殴りつけた。一瞬、その動きが止まり、その瞬間に杉菜は指を伸ばして公竜の腕を引いた。
拮抗が終わり、砲弾が跳ねる。さっき出てきた砲口の位置へと寸分違わず飛んでいき、公竜の腕を掠め近くの雑木林に飛んで行って爆発する。
「一時的なメモリの活性化……そっちのみたいに派手な技にもできないし、持続時間も短いし、要改善かしら」
夏音はそう言って、手をひらひらさせる。さっきの様に骨折さえしていない。
その様に、杉菜はどうしても猗鈴がいればと思わざるを得なかった。
「level4のメモリで勝てないなら……」
一方の公竜は、ヴァンデモンXメモリを取り出した。公竜はそのメモリを今まで一度も試していなかった。使えるかもわからなかったし、彼女を死んだ後まで戦いに駆り出したくなかった。
だけどやらなければいけない。ここで諦めて死んで、彼女の元へ行けるとは公竜には思えなかった。
『ヴァンデモンX』
祈る様にメモリのボタンを押し、挿し込む。
『error』
しかし、ベルトから流れてきた音声は無情だった。
「……切り札は不発に終わった様ね?」
半ば放心状態の公竜に近寄ろうとする夏音に、杉菜は立ち向かいながグローブにザッソーモンのものではない深緑のメモリを挿しボタンを押した。
『ザミエールモン』『ザ・ワールドショット』
「次は姫芝?」
杉菜の左手のグローブに緑色の光が集まって、先ほど放っていた矢より二回りは太い矢に変わる。弓も光を纏って身の丈ほどまで大きくなる。
「えぇ、止めてみてくださいよ」
目一杯に引かれた弓から矢が放たれる。
確かにそれは先程までのそれに比べて早かったが夏音の反射できない速度ではない。
何も考えずとも夏音の手はその矢を掴み取ろうと動く。
あと少しでその矢が手に収まる。というところで矢は不意に巨大化してその手を弾き、夏音の胸に突き刺さり、その重さで数歩後退させる。
「は?」
そう口に出すと、突き刺さった鏃を尻尾で砕き、破片を手で抜く。
ぼたぼたと胸から黒い液体を垂れ流しながら、夏音は矢の飛んできた方向を睨みつけた。
「小林さん、早く!」
バイクに変形した公竜とそれに跨がろうとする杉菜に、夏音はすたすたと早足で向かう。
エンジン音を鳴らし、公竜と杉菜が走り出す。
すると、すぐに黒い壁のようなものに当たりそうになって、止まることを余儀なくされた。
「なんでこんなところに壁が……」
杉菜がその壁に触れると、それは冷たい冷気を纏っていた。
「私の能力。来た時にすぐに使い出したの、もう日も落ちたから、気づかなかったでしょ?」
夏音の言葉に、杉菜はチッと舌打ちをした。
二人が戦っている間に公安職員達はなんとか離脱していた。それを確認して杉菜は逃げの手を打った。だけど、これではおそらく逃げられてはいないだろう。
壁がアメーバのようにうねりながら空は伸びていく。月さえ覆って暗闇になる。
暗闇の中、夏音の足音だけが響く。
暗闇で見えないのは向こうも同じ筈だと二人は考えた。
ならば、なんとか距離を取って穴を開けて逃げる。自分達が逃げればおそらく追ってくる、そうすれば公安職員達も助かる見込みがある。
そう考え、まずは穴を開けられるかと公竜が壁に蹴りを入れる。しかし、吸い込むような不思議な手応えで、全く手応えがなかった。
壁に穴が開けられなければ、逃げようがない。
「壁に触れば私には場所がわかる」
声と同時に、杉菜の腹に衝撃が走る。よろけて壁に手をつくと、今度は何かに足を取られて転び、さらに脇腹に衝撃がくる。
「ぐっ……」
「大人しくしててもいいわよ。凍死するまで閉じ込めるだけだから。
「……夏音」
ふと、女の声がして夏音はその声の方に振り向いた。
「……夏音、約束が違う。兄さんに手を出すのもやめて」
公竜は、その声のことを何故か懐かしいような知っているような気がした。
「私とやり合いたいの? 夏音」
夏音はその声が、軽井未来の声だと知っていた。
夏音はその声の方を向くと、少しだけ空を覆う黒い膜に穴を開け月光を取り入れた。
照らされたのは、金髪の女。日光から守るように肌を隠した女。
「……未来さんじゃないでしょ? 彼女は日光のないこの闇の中じゃ心を保てない」
そう言い、夏音はその女に向けて歩き出す。
「あなたが私の代わりに蝶野を殺してくれたの? お礼にすぐ楽にしてあげるわ」
その女が後退りするにつれ、未来の姿が崩れて狼の姿が出てくる。
「……逃げ遅れていたのか」
『姫芝! ディコットドライバーを着けて! こうなったらディコットで戦うしかない!』
「サンフラウモンメモリもドライバーもこっちにあるのにどうするっていうんですか?」
さっきまでは助言の一つもくれなかったのにとイラつきを隠しもせずそう言った。
『猗鈴さんがベルト持ってなかった時から予備のドライバーの準備は始めてた! メモリもある!』
「猗鈴は、まだ……子供でしょう?」
『それも大丈夫!』
「……ッもう、知りませんからね!?」
腰のベルトを外しながらザッソーモンのメモリを抜き、ディコットドライバーに着け変える。
『ザッソーモン』
『トロピアモン』
杉菜がメモリを挿すと、即座にもう一つのメモリが出現し、心が猗鈴と接続される。
前に変身した時と装備はほぼ同じ、だけどその肉体はいつもの様に再構成されて高くならない。元とほとんど変わらないままだった。
「猗鈴、本当にやれるんですか?」
「できる」
ディコットの身体で猗鈴はすぐに走り出す。
それを察知して、夏音はぐるりと振り向いた。
「……猗鈴?」
狼姿の女から興味が逸れたのを確認して、杉菜は足を止めさせた。
「やつの言葉に耳を貸しちゃダメですよ」
「猗鈴、姉さんよ。今の猗鈴にはわからないかもしれないけれど……大人になった姉さんなの」
自分で夏音は顔を覆う骨を剥がしてその顔を露わにしたが、猗鈴が動揺することはなかった。
「わかってる、見えてる。中身の奴等の色が違う」
その言葉に、動揺したのは夏音だった。
「……はぁ?」
地面に落ちた骨の破片が集まってきて夏音の顔を覆い、その表情を隠す。
「なにそれ、意味ないじゃない……」
夏音はそう言うと、だらりと手を下ろし、そして頭を血を撒き散らすほどに強く掻きむしった。
「猗鈴の姉じゃない私は夏音じゃない、でも私は夏音、夏音なのに……ねぇ? 猗鈴、八つ当たりしていい?」
「姉さんなら、妹(私)に八つ当たりしない。私(妹)の前で八つ当たりもしない」
猗鈴の言葉は、夏音の中の何かに触れたようで、夏音は尻尾で一度地面を叩きつけた後、ドームの天井に空いた穴から飛び出していった。
『メモリの反応が急速に遠ざかって……消えた。もう行ったみたい』
「……それは、いいんですが、ドームは残ったままですね。気温も下がり始めている。これはまずいですよ」
「それは大丈夫でしょ、姫芝さん」
「さん付けで呼ばれるとむずむずしますね」
「……年上でしょ?」
「大人の猗鈴も十歳差なのに呼び捨てでしたから」
「えっ……まぁ、とりあえずドームはこれで、なんとかなる……ってロボ姉さんが言ってる気がする」
ウッドモンメモリのことかと杉菜が納得していると、猗鈴は毒の手でドームの壁を撫でて溶かして穴を作っていく。
「……斎藤博士、猗鈴の子供になってる状態って治せるものなんですか?」
『それは大丈夫。小林さんからデータもらって、猗鈴さんの肉体も簡単に検査して、それがティンカーモンの鱗粉の効果ってわかったからね。解毒方がデジタルワールドで確立されてる、準備しとくね』
よかった、と杉菜は一つ呟いた。
「……私が子供になる前に調べていたこととかは大丈夫なんですか?」
『それは、治して確認するか……』
「あの女か、あの女がどこかに隠した蝶野に聞くしかないでしょうね」
杉菜が視線を向けた先で、女を公竜が追い詰め、メモリを捨てさせたのが見えた。
「……お兄さんは、未来さんの過去をどこまで知っていますか? あなたが里親に引き取られ人として生きてきた間どう生きてきたか、知ってますか?」
「知っています。いや……今日知りました」
公竜はそう言って、女の手に手錠をかけヴァンデモンXのメモリを手に取り見つめた。
躊躇い無く銃口に指突っ込む姉さん怖ッ! 夏P(ナッピー)です。同じ夏の文字を持つ者としてなんて違いだと戦慄するぜ。
考えてみれば翔ちゃんがジジイ化させられてそれでも変身させられる(えくすとりいいいむ)回のオマージュだったのだろうか……猗鈴サンはBBA化ではなくロリ化だったのはある意味で大勝利であった。というか次回では既に元通りになってそうで無念。しばらく体は子供、頭脳は大人で行くかと思ったのにいいいいいい。サラッと語られましたがティンカーモンの鱗粉……?
そして都合により単独で戦う羽目になるファングジョーカーもといザッソーモンの勇姿。
ブレスド……? そういえば公竜さんのアクセルもといバースもといの正式名称が出てきたの初めてでしたか。実は何にでも関わっている説がある姉さん。立ち位置がブレストキャノンシュート! ハァーッ! だったのに、そもそも名前がブレスドだった公竜さんの勇姿。どう見ても強化フォーム登場の前フリに感じますが、やっぱり鳥羽さん退場するの早すぎたんだぁと思うぐらい、いなくなってからの方が存在感がある鳥羽さん。グラサンかけた女が現れてモトクロスの特訓させてくるのか、単にマニュアル読んで更なるフル装備モード(分裂するとサソリ)になるのか果たして。
姉さんとかいう出る度にホラー漫画の住人的な描写を一回はしないと気が済まない女……! 自分で骨を剥がして顔を出す時点で大分怖い!
それでは次回もお待ちしております。
あとがき
次回、鳥羽さんが残した住所にあったものはなんだったのか。
未来さんは何があってミラーカになったのか。そして、なぜティンカーモンの鱗粉がいるのか。