「……そういえば、デジメモリってどれぐらい出回ってるんですか」
「正確なところはわからない。けれど、警察に認知され、それ専用の部署が作られる程度にはメモリを使った犯罪は起きている」
「よくわからないです」
猗鈴が首を傾げると、天青は困ったような顔をした。
「私達もよくわからないんだ。メモリの性質もそうだし、メモリの中にデジモンの力だけが入ってるのか全体が入ってるかでも違うから。事件になってない事件が幾らあるかもわからない」
「……それでどうやって姉さんが関与してるかもしれない組織まで調べるんですか?」
「まずは夏音さんとウッドモンのメモリを調べる。ウッドモンのメモリのカバーは、製品として出回っているそれと違って等級に合わせた色が塗られていなかった。製造施設に出入りできる人間じゃないと手に入らないはずのもの。夏音さんの足跡をたどれば、製造施設に辿り着くかもしれない」
なるほどとうなずいた後、ふと猗鈴は気になったことを口にした。
「健さんの話は聞けないんですか? 知っているかも」
「知っているかもしれないけれど……今は眠っているか、起きても錯乱しているそうだよ。女性はみんな夏音さんに見えるらしくて男の看護師しか担当できないんだって、言動も無茶苦茶だとか」
「そうですか」
落ち着くまでは普通にやるしかないかと思いながら猗鈴はカウンターを布巾で拭いた。
ウェイターの服はサイズが無かったので男性用、それでも問題なく着れたことに猗鈴が特に思うことはなかった。夏音はモデルの様だったが、猗鈴は根暗ゴリラかでくのぼう。いつものことである。
「あのー……ここ、探偵やってる……んですよね?」
ふと、ドアベルがちりんちりんと音を立てて背の高い男が一人店に入ってきた。
「そうですよ、こちらへどうぞ」
「あっ……美園、だよな?」
その男は猗鈴の顔を見ると一瞬少し驚いた様な顔をした後、安堵の笑みを浮かべた。
「……誰でしたっけ?」
「高二の時のクラスメイトで、ほら、高一の時に一回廊下で走ってお前にぶつかった……」
猗鈴はその顔を思い出そうとしたが、特に思い出せなかったが、なんとなく人にぶつかられて、そのあと悪口が広まったのは覚えていた。
「えーと……私が男性ホルモン注射をしてるとか噂を流していた……?」
「それは別のバスケ部……その噂の発端になった、曲がり角で走ってぶつかって美園は普通に立ってたのに転んで鼻血出したやつが俺、中川だよ」
情けない話なんだけど、と彼は言った。
「あー……いた様ないなかった様な」
それで、猗鈴はぶつかられたこと自体は思い出した。それは夏音がちょっとした地方誌にモデルとして載ったこともあって、中学校から引き続きうどの大木と呼ばれそうになった頃の話だった。
それを受けて鋼の女(物理)だとか、うどの大木じゃなくて樫の大木だったとか好き放題言われて、果てはバスケ部の男子を殴り倒したというあらぬ疑いをかけられるまでに至ったのだ。先生とのやりとりの方が記憶に残っていて発端はもうほとんど覚えていなかった。
「あの時は、本当悪いことした。申し訳ない。見栄張りたさにお前のことを化け物みたいに言って……」
彼はそう言って深く頭を下げた謝った。
「……そろそろ、用件を伺っても?」
天青の言葉にその男は、はいと居直った。
「あ、はい。中川功(ナカガワ イサオ)って言います。その、信じ難いと思うんですけれど……ドラゴンを捕まえて欲しいんです」
「ドラゴン、ですか」
「俺は高校出て、実家で農業をしているんですけど……畑のメロンが潰されているんです。家族の為にも何とか捕まえたくて……」
「……泥棒じゃなくて、潰されているんだ?」
単価も高いだろうにと思って確認すると、功は頷いた。
「そうです。これが、その写真です」
そう言われて差し出された写真に映っているメロン畑の様子は異様だった。
「三つ指の恐竜の足跡みたいな形で潰されてる」
メロンを覆っているビニールのトンネルごと、踏みながら歩いたかの様に、メロン数個を一息に踏み潰す様なサイズの足跡が点々と続いていた。
「……これ、サイズはわかりますか?」
「大きさは、メロンのサイズが直径十五センチぐらいなので、爪先からかかとまでで六十センチかそれより大きいぐらいです。幅も五十はあると思います」
それに、と功はさらに続けた。
「見回りに行った時、俺見たんです。夜の畑をのしのし歩く。青くてでかい、多分三メートル以上はある、翼を広げたドラゴンを……」
「なるほど、とりあえず現場に行って見ましょう。今日は何で来られましたか?」
「車で……ちょっと交通の便が良いとは言い難いところなので」
「同乗させてもらえますか? 原付しかないもので」
功の言葉に一つ頷いて、天青は申し訳なさそうにそう言った。
「軽トラなんで一人は荷台になっちゃうんですけれど……」
「じゃあ私は一旦戻ってバイクで後から合流します。姉のバイクがあるんで」
「……バイク乗れるなら一応ここにもバイクはあるよ」
「天青さん乗れないんじゃないんですか?」
「乗れないけど、博士が作りたがって……」
博士とはこの店三人目の従業員の斎藤盛実のこと。
「車検通ってるなら」
「それは大丈夫。じゃあ、ちょっと地下室行こうか
功に少し待ってくださいと言ってから猗鈴と一緒にエレベーターで地下室に降りた。
「博士、猗鈴さんバイク乗れるらしいし、使いたいんだけど」
盛実はツナギで何か機械をいじっていたが、天青がそう声をかけると、作業着の上からぶかぶかの白衣を羽織りながら喜びの声を上げた。
「ほんと!? やっぱライダーをモデルに装備作っている以上は何かに乗ってもらわないといけないもんね! マスターは原付しか乗れないしさ、なんだかなぁって思っていたんだよ。じゃあ、とりあえず機能の説明を……」
そう言うと、部屋の隅に置かれていた思っていたよりもまともに見える黒いバイクを持ってきた。
「……なんかもっと変なのかと思ってました」
「変なのではあるかな。でも公道は走れないといけないからね! ベースは普通で、その上から改造パーツをつけている感じなんだよね」
そう言うと、博士はエンジンキーを猗鈴に手渡した。
「で、機能の説明なんだけど」
「博士、とりあえず今は被害を確認しにいかないといけないから、乗り方が普通のバイクと変わらないなら」
えーと文句を言う博士をよそに、猗鈴と天青はバイクと一緒にエレベーターに乗りこんだ。
功の畑のある地域までは猗鈴がバイクで三十分程走ると辿り着いた。この街は中心部はビル群もあるそれなりの都市だが、ほんの少し行くだけで中心部に住む人が驚くぐらい自然豊かになる。
功の住む辺りは一面が畑、他には民家がちらほら建っているのと、少し古そうな展望台があるぐらいだった。
景気の良い時にはこの畑達の側にある山の方を避暑地と言って売り込もうとしていたのかもしれない。あの展望台に登っても畑しか見えないんだろうなと猗鈴は思いながら軽トラの後をバイクで追いかけた。
いざその現場を目の当たりにすると、思っていたよりも凄惨な光景が広がっていた。写真一枚で収められていた範囲はほんの一部で、畑には足跡が深々と残り、割られたメロンには虫が集っていた。
「……ひどいですね」
踏み潰した時に割れたメロンが飛び散ったのか、猗鈴が少し畑に足を踏み入れると、それだけで靴に潰れたグロテスクな果肉がついた。
「そうなんです。この時期、この地域の他のメロン農家は泥棒に悩まされます。パトカーが夜な夜な巡回はしてくれるんですが……なにせ範囲が広いので意味なんてないも同然で」
「顧客の為に動くのが仕事の探偵なら自分達の畑をつきっきりで見てもらえるんじゃないか、ということですね」
そう言う天青は畑には入らず、その周りの道をぐるりと回りながら見ていて、猗鈴は足にメロンをつけたくないんだろうなと思った。
猗鈴の靴についた果肉は少しねっとりとしていて、地面に擦り付けながら歩いても、なかなか取れなかった。
「はい、来る場所はわかってます」
「……というと」
猗鈴の言葉に、功は畑の中でまだ被害にあっていない区画を指さした。
「毎日、几帳面にビニールで囲った列を決まった分踏み潰していくんだ。多分、このままだと収穫前に半分ぐらい潰されると思う」
「先に収穫しておくのは……」
「そうすると別の場所がやられるんだ。全部が同じ日に収穫できるほど一律に育っている訳じゃないし、一日の作業量で収穫できる個数にも限りがある」
猗鈴の言葉に功はそう言って本当嫌になるよと呟いた。
「他の畑ではスイカ泥棒は出てもこんなことはないそうで、両親も嫁も怖がってて、今年の利益はもう諦めているけど、」
「……結婚してるんだ」
「そう。彼女も美羽同い年で、覚えてなかったんだけど小学校の同級生だったらしいんだ」
小学校の同級生かと猗鈴は自分の同級生の顔を思い出そうとしたが、クラスメイトの顔はほとんど覚えていなかった。覚えているのはデーモンというあだ名をつけられていたことぐらいだ。
「ふむ、まぁお気づきかと思いますが……盗みでもなく他のメロン農家には被害がない、となると怨恨の線が強いと思うんです。何か心当たりは?」
天青に言われて、功はちらりと猗鈴を見た。
「……まぁ、正直うちの高校の中だとバスケ部はガラが悪くて、典型的な自分達が良ければいいという理屈で他人に迷惑かけるグループでした。廊下を走って私にぶつかった時もそういえば謝られた記憶はないですし、その後悪評を流されてますから、同じ様な理不尽に他人に負担を強いる様なことを色んな人にやっていたら本人が覚えてないとこで恨み買っていてもおかしくないですね」
「だよなぁ……本当、あの時はごめんな」
「なるほど、恨んでいる人はいておかしくないけど、誰が恨んでいるかはわからないと」
「そういうことですね。来る場所がわかっているなら、その場で押さえた方がいいんじゃないかと」
「確かにそうだけど……それまでの間にもう少し調べておきたいですね今行っている対策はどんなものがありますか」
「えと、最初は監視カメラを付けたんですが、壊されたので今はセンサーライトだけです」
「センサーライト?」
「カメラよりは安いから壊されてもいいものですし、メロン泥棒がパッと見たらカメラに見えます。とはいえ……例のドラゴンには効果ないんですけれどね」
機械仕掛けなのか何なのか、本当に生きているみたいにリアルなのが恐ろしいんですよと功は言った。
それになるほどと頷きながら設置されているライトを見て、天青は少し口元に手を当てた。
「……ライトも壊されたことが?」
「いえ、ライトは壊されたことないです」
「つける様に提案したのは? カメラもついているわけではないと知っているからそのドラゴンは、壊していないのかもしれません」
「妻ですけど……まさか妻の友人の中にドラゴンを連れてきている人間が?」
功がそう言うと、天青はこくりと頷いた。
「可能性はありますね。同じ小学校だった訳ですから、奥さんとは友達であなたを恨んでいる。というのは充分あり得ます」
功から色々な情報を聞き出すと、功は農作業があるからと別れた。
別の畑へ向かっていく軽トラを見送って、天青はさてとと猗鈴に向けて話を切り出した。
「どう思う?」
「どうって、さっき言ってたように怨恨とかそういう事ですか」
「そういうこともある。でも、気になるのは別のこと。何故しているのかよりもどうやってしているか」
「どうやってって……メモリを使ってドラゴンになって踏みつぶす」
「その前と後の話。ちなみに、さっき見てた感じ、この畑の周りの畦道にあるタイヤ痕は二種類だけだった。多分、中川さんとこのトラックと見回りのパトカーだけ」
「……なるほど」
天青の言葉に猗鈴はぐるりと周囲を見渡した。来た時と同じように、見渡す限りの畑と背の低い民家、そしてきっと登っても畑しか見えない展望台だけだった。
時間は丑三つ時、真っ暗でしんと静まり返った展望台のてっぺんに作られた展望デッキから見る景色はお世辞にも綺麗とは言い難かった。
少し離れて見える中心部はキラキラと輝いているものの、手前にある畑は暗い海の様で、ところどころに民家の明かりはあるが、それも波に流されて漂っている難破船の様。
そう、そこに立っている彼女は考えていた。
「……メモリは、使わないでください」
パッと、懐中電灯で彼女を照らす者がいた。猗鈴である。
「……なぜここが」
「メモリを使えばあなたはドラゴンになる。服も靴も丸ごと。しかし、足の裏についたメロンの汁や果肉は靴の裏についてしまう。畑から走って逃走した後がないか探してもないとなれば……畑から去る時、あなたは飛んでいると考えた方が自然です」
すると、と猗鈴は自分達の立つ展望台の塔を指差した。
「夜の闇の中ではかなり地面は見にくいはず、低い畑から見て方向まですぐわかる目印はここしかない」
明るくて人が集まるところに行っては忍べませんしと付け足しながら猗鈴はそう言った。
その言葉を聞いて、女は展望台の端へと駆け寄ったが、そこで急に足を止めた。
「畑に設置されたライトに貼られたカラーフィルムは回収しておきました。センサーライトと言ってつけていた様ですが……タイマーで光る様になっていた。目印なしでここから目的の畑へは飛べないんじゃないですか」
だからやめましょうと猗鈴は言った。
「……私達は探偵です。依頼内容はあなたを捕まえること、でも……捕まえて警察に突き出せとは言われてない。凶器になり得るメモリだけ回収したら、マスターは今回のことは不問にした方がいいかもとさえ言ってます」
「そこまで言うってことは……わかってるんだ。私が誰か」
「はい。あなたは、中川功さんの奥さん、旧姓毒島美羽さん、そうですよね?」
「……そうよ。あいつは私のことを覚えてもいなかったけど、私はあいつのことを忘れたことなんてなかった」
そう言って彼女はそう語り出した。ドラマなんかでこういうシーンを見た時、なんでわざわざ自白するんだろうと思っていた猗鈴だったが、健に美羽に二度、目の当たりにしてわかった。
吐き出したいのだ。自分が醜いとわかっている者は、逃れようとするよりもその醜さを吐き出したい。その理由を述べて、肯定してもらいたい、受け入れてもらいたい。だから話す。
「私の小学校の頃のあだ名はブス。名前が毒島だからブス。呆れる程単純で、そして、その名前がついた瞬間私の容姿は、貶していいしバカにしていいし笑っていいものになったの。一番バカにしてたのがあいつ」
それはなんとなく猗鈴にもわかるものだった、女子にブスとか容姿を貶す言葉言ってはいけないと言われて、子供はそれをなんとなく守るものだ。でも、こいつは外見を気にしていないとか貶していいと思ったらその子は暴言の吐口になる。
暴言自体がいけないとわかるのは、物事をカテゴリーで考えることに慣れてからの話。でも、小学校六年間の扱いは転校生でもなければ、注意された言葉と相手の組み合わせを丸暗記するしかない低学年から定着していくものだ。
「かわいい服を着ても笑われて、そっけない服しか着られなくなった。鏡も見られなくなった。そうすると、女子の中でもそういう役になるの、わかるよね? 周りが色気付いていく中で、私はずっとそれが怖いまま。話も合わなくなって孤立していく」
わかっていたわよ、と彼女は叫ぶ。
「怖がっていたらこのままずるずるダメになっていく。人に接すること自体怖くなっていく。わかっていて……勇気が出せなかった。そもそもおかしいでしょ!? 相手は覚えてもしないぐらい気楽に一方的に傷つけたのに、立ち直る為にこっちは勇気を振り絞らなきゃいけないッ!」
「そして……やっと変われたのは県外の高校に通う様になった時。誰も私がブスと呼ばれていたのを知らない、そこでやっと私は自由になった。立ち直ったと思った……地元に戻って来るまでは」
「どこで再会したんです?」
猗鈴がすり足で近づこうとすると、美羽はメモリを今にも挿すような位置に構えた。
「……道の駅で働き始めたら、農家の人達と会う機会も増えてね。付き合いで飲み会とかに誘われて行ったらいたの」
かっこよかったなぁと美羽はうっとりした顔をした。
「でも、彼が彼だと気づいたら気持ち悪くなった。私のかっこよくて理解があって優しい彼が、私に呪いをかけた張本人で私の人生が心ない言葉に歪められたことに気づいてもいない」
そう言った彼女の顔の歪み方は、少し後退りしたくなる様なものだった。
「可愛さ余って憎さ百倍なんて言葉を聞いたことがあるけど、愛しさと憎さってやっぱり別なのよ。彼のことを悪く思いたくない私と憎らしく思う私が同居するの」
彼のことを支える可愛い新妻の私と、あの日からずっと今に至るまでやっぱり自分はブスで価値なんてないんじゃないかと考える私がと、美羽は語る。
「だからメモリを手に入れて楽になった。ドラゴンの私は私のなりたい私じゃない。優しい彼の可愛い健気な奥さんじゃなくて、憤りとか鬱屈とかそうした汚らしくて捨てたい部分の塊。何もないところで思う存分翼を広げて、虚空に炎を吐き出すの。誰も傷つけない様に、誰も苦しめない様に、愚痴なんて書いてる人も嫌な気持ちになるでしょう?」
でもね、と言う美羽の手がプルプルと震え出した。
「……彼ね? 結婚式から少し経ってね、小学校のアルバムから私のことを見つけ出したの。その時は嬉しかった、やっと思い出してくれる。きっと今の彼なら私に謝ってくれる。そうしたら、もういいよって赦して頬にキスでもして私の中のドラゴンもきっと消えるんだ。そう思った」
そう思ったのにと言うその手の震えは激しく、目は血走り涙が溢れそうだった。
「彼は覚えていなかった。そして、こう言ったの。『この頃から美羽は可愛いな』って」
絞り出す様な声と共に美羽は手に持った赤色のメモリのボタンを押した。
『コアドラモン』
「……使ったら、ダメです」
「彼がどれだけいい人になったとしても、いい人になる前に忘れられたら後悔さえしてもらえない。だから、彼は苦しむべきなのよ」
美羽がメモリを挿す様は、まるで自分の喉を掻き切るかの様だった。
彼女の身体が緑色のドラゴンに変わっていく。赤い角は頭と鼻先に、一対の翼と長い尾を持つ二足歩行の緑のドラゴンに。
「誇りに思っている農家の仕事を続けようとする限り嫌がらせは続けるわ! そうやって、怨恨とわかるように、彼の大切なものを一度踏みにじって潰れたメロンみたいにぐちゃぐちゃにしてッ!」
大きな瞳からそれに見合った大きさの涙が零れ落ちる。
「……私はそんな彼に寄り添い続ける。好きだから、愛してるから、彼が後悔する横で私は自分が彼にしたことを後悔し続けるの。ずっと、ずうっとね」
そう言った美羽の顔は最早まともなそれではなかった。ドラゴンの裂けた様な口で微笑んでも、それは獲物を求める獰猛な笑みの様にしか普通は見えない。
「なるほど、お気持ち確かにわかりました。さぞ辛かったと思います」
「……わかってくれて嬉しいわ」
「だから、止めます」
猗鈴の言葉に、美羽は目を細めて睨みつけた。
『ウッドモン』
「半人前どころか半日前ですけど、探偵は顧客の為に動くもの、らしいので」
猗鈴はベルトにメモリを挿し込み、力強くレバーを押し込んだ。
猗鈴の身体の表面を光が駆け抜け、黒いタイツの様なもので首から下が覆われた後、光は茶色い顔に木の幹が付いたような化け物の姿を取ってから猗鈴の顔や手足へとまとわりついていく。
「じゃあ、あなたは彼の為に私を排除しようっていうのね。嫌な女……彼の高校の時の同級生って聞いた時から嫌な予感がしてたの」
「……その情報は間違ってないですけれど」
猗鈴の言葉を、美羽は爪を振り下ろして遮った。
「あなたが本当にしたいのはこういうことじゃないでしょう」
そう言いながら、猗鈴は振り下ろされた爪をハイキックで受け止めた。
「じゃあ私が本当にしたいことって何!!」
逆の爪で美羽が突くと、それを猗鈴は手で掴んで受け止めた。
「中川くんに心から謝って欲しい、そして、それを赦したい」
自分で言ってたでしょと告げられた猗鈴の言葉に、美羽は一瞬手を止めたが、すぐに手を引いて今度は脚を振り上げた。
「そうだったとして、私から彼に言ったら違うでしょ!? 謝らせていることになっちゃう!!」
「だから私達が間に入るんです。彼の過去のそうした関係を他にも色々調べます。私は高校の時に彼に心ない言葉をかけられた人間ですが、覚えていれば彼はちゃんと謝ってくれます」
猗鈴がそう言いながら踏みつける脚を受け止めると、美羽はその脚を退けた。
「……本当に?」
「はい。美羽さんなら、わかるでしょう?」
その言葉に美羽は動きを止めた。そして、メモリも抜けて元の姿へと戻った。
「……でも」
「でも?」
まだ何かあったかなと思ったら、ふと猗鈴はあることを思い出した。
『夜の畑をのしのし歩く、青くてでかい三メートル以上はあるドラゴン』と功が行っていたのを思い出したのだ。
「美桜がどう思うか……」
美桜、新しく出てきた名前に猗鈴が戸惑っていると、ふと電子音が聞こえてきた。
『コアドラモン』
美羽はメモリを持ったまま、手から離している訳でもない。
後ろかと猗鈴が振り返ると同時に、身体が何かで殴り飛ばされてゴロゴロと転がされた。
「お姉ちゃんはそれでよくてもさぁ……私は何もよくないんだよ!」
立ち上がった猗鈴が見たのは、美羽がなったドラゴンの姿と瓜二つの青いドラゴンの姿だった。
「……姉妹でやってたんですね」
こうなれば、天青がカメラの話をした時、功に全く美羽を疑う様子がなかったのも納得できる。畑がメチャメチャになっている筈の時刻、美羽はそばにいたこともあったのだろう。
「お姉ちゃんと別の高校に進んだ私はアイツと同じ軽薄な奴らにブスブス言われ続けて立ち直れなかったどころかひどくなって、就活も失敗。顔を出して値踏みされる場面になると動悸がして吐き気がする。でも面接なしで雇ってくれるとこなんてほとんどない。スキルがあればと製菓専門学校に通って資格も取ったけど、やっぱりどこに勤めるにも面接は必要でもうぐっちゃぐちゃよ。あなたにわかる?」
美桜と呼ばれた青いドラゴンがそう口にする。
「……わからないので、話してください。わかろうとすることならできると思うので」
「双子の姉はいる? 全く同じ顔の姉。親戚は気楽に口にするの、同じ顔なんだからお姉ちゃんが大丈夫ならあなたも大丈夫な筈だって。外に出られないのは顔のせいじゃなくてお前自身のせいだって。お世話になった専門学校の先生に紹介状書いてもらって何もなければ大丈夫って言われてたのに、面接で私は倒れて就活失敗」
悲鳴にも似た怒号を上げながら、美桜は空に向けて青い炎を吐いた。
「探偵さんにわかる? 同じ顔の姉が私は絶対赦したくない相手を赦したいと思っている顔を見る気持ち」
パラパラと火の粉が落ちてくる。
「流石に私にはわかりません」
「でしょうねッ!!」
青いドラゴンは翼をはためかせて空を飛び、その巨体で猗鈴を潰そうと落ちてきた。
流石に受け止めきれないと猗鈴が転がって避けると、美桜は首だけ猗鈴に向けて青い炎を吐きかけた。
「メモリが私に翼をくれた…… 私のことをブスと言ってきた奴らの顔が少し炙っただけでグズグスになっていったのは笑ったわ!」
猗鈴が炎を浴びた部分の樹皮がぼろぼろと崩れていく。
「あなたもグズグスになればいい! お姉ちゃんも早く協力して、こいつ逃したら全部おしまいよ!!」
『コアドラモン』
最初、美羽は少しためらっているように見えたが、それでも最後にはメモリを挿し、美羽の姿はまた緑のドラゴンへと変わった。
狭い展望デッキの上で二体のドラゴンと戦うのは、猗鈴には無理がある様に思えた。
「……ちょっと上司に相談します」
少し後ずさりした後、展望デッキの端まで走ると猗鈴はそのまま柵に足をかけて飛び降りた。
「あ、待ちなさいよッ!」
美桜が翼をはばたかせて空を飛び、猗鈴の後を追う。地面は暗くて美桜には見えなかったが、猗鈴がいる筈の地面へ向けて下降して行った。
地面のギリギリまで行って、美桜はそこに猗鈴がいないことに気づいた。周りを見渡しても、どこにもいないし、そもそも落下音さえ聞いていない。
まさかと美桜が顔を上げると、展望デッキの柵に脚から伸ばした枝で捕まっている猗鈴がいた。
『ウッドモン』『ブランチドレイン』
改めて飛び降りた猗鈴の踵が美桜の頭に突き刺さり、足から伸びた枝が力を吸い上げていく。
「やめ、私のつば……」
爆発が起きる直前に、そんな声を猗鈴は聞いた。
コロコロと爆発の中から足元まで転がってきたメモリが割れて砕けたのを見届けると、猗鈴は展望台をもう一度駆け上がった。
展望台の上には、どうしていいかわからず戸惑った様にコアドラモンの姿のままたたずむ美羽の姿があった。
「妹さんのメモリは破壊しました。あとは美羽さんのメモリを回収すれば……ドラゴンはもう現れなくなる。もう不本意に戦う必要もありません」
猗鈴の言葉に美羽は少し微笑み、その顎をひゅっと何かが素早く掠めた。
一体何がと猗鈴がそれの来た方向を見ると、濃い緑色の丸茄子にヤツデの葉をくっつけた様な形の膝ほどの高さのデジモンがいた。
「……誰ですか」
「誰か、なんてのは答える義理もないので割愛しましょう」
そのデジモンはノコギリの歯の様な歯列で笑みを浮かべてそう答えた。
「割愛されても困るんですが」
「コアドラモンという種は逆鱗を持つドラゴンなのです。そこを押されると、本人の意思など関係なく怒りが湧き上がり我を忘れて暴れてしまう」
その言葉が終わると、美羽の角が球に激しく発光し出した。
「……美羽さん」
美羽の口から白いレーザーが幾筋も放たれ、コンクリートの展望台を熱で溶かして穿っていく。
その中の一本が猗鈴に向かってくるのを見て、猗鈴は咄嗟に避けようとするも、その足を何かが掴んで転ばせる。
「ぐぁっ」
肩から腰まで一直線に激痛が走り、思わず猗鈴の口から悲鳴が漏れる。一体何がと足元を見ると、例のデジモンから伸びた緑色の触手が足を掴んでいた。ただ、それも無傷ではなく、焼き切れて今にも千切れそうになっていた。
「自分も傷つきながら……!?」
「このザッソーモンという種は何よりタフネスが売りでしてね」
「腕がちぎれるぐらいなんともない……と」
猗鈴が脚についた蔦を強引に引きちぎると、ザッソーモンはぎゃあとカエルを潰した様な悲鳴を上げた。
「なんともなくはないんだ……」
「……ふふふ、僕個人は痩せ我慢が何より得意なんです」
こいつにかまってたらやられると猗鈴は直感した。
ザッソーモンの触手はいくらでも伸びる様に見えたし、触手を一回焼かれれば猗鈴は背中や頭、胸など致命的な部位にダメージを負っていくのだ。
的の大きさが均等でないから無差別攻撃が猗鈴に一方的に不利に働いている。
とはいえ、無視して美羽の元まで辿り着くこともできない。
「……天青さん、助けてくれないかな。畑にいるから無理か」
なんとか光線と蔦とを避けながら猗鈴がそう呟くと、ふとばさばさとコウモリの羽音が聞こえてきた。
「こっちは抑えとく、早く美羽さんを!」
一体いつから展望台にいたのか、天青がおもちゃの様な銃を構えてトリガーを引くと、銃口からコウモリが飛び出してザッソーモンの触手に向けて飛び、ぶつかると触手を焼き切った。
「ッぐぅ……ここが引き際ですかね」
ザッソーモンがそう言って逃げていくのを天青は追わず、今度は銃をまうに向けた。すると、光線の隙間を縫って飛んでいったコウモリが角に直撃し、角の光が弱まり、口から出る光線の本数が減った。
「猗鈴さん、今!」
『ウッドモン』
光線を避けながら走って近づき、美羽の懐に入るとメモリをセットしてトリガーを押し込み、地面を思いっきり蹴って跳んだ。
『ブランチドレイン』
猗鈴の脚が美羽の顎を思いっきり蹴り上げ、脚から伸びた枝がその身体を覆っていく。
「大丈夫、きっと彼はわかってくれます」
力を吸い上げられて爆発する刹那、美羽が笑った様に猗鈴には見えた。
「それで、ザッソーモンは逃げたんだ?」
地下室から上がってきた盛実が事件の顛末を天青に尋ねた。
「そう、美羽さん曰くザッソーモンの声は自分にメモリを売ったバイヤーのものだったって。スカルバルキモンは今でまわっている中では強い方のメモリだった。だから、これまでの購入者の様子を探っていたんだと思う」
「こうして解決していけば、向こうもさらに動いて、また捕まえる機会はあるってことですね」
猗鈴の言葉に天青はそうと頷いた。
「じゃあとりあえず事件は一旦解決?」
「美羽さんはメモリの後遺症はほとんどなかった。美桜さんも買ってからの期間が短かったからか退院の目処が付いている。でも、バイヤーの側から接触してきたらしいし、美羽さんは美桜さんの紹介で会ったと言っている」
二人からはこれ以上探れなさそうと天青は言った。
「人の顔をぐちゃぐちゃにしていたみたいなのは?」
「ハッタリだったみたいです。コアドラモンの姿でも、自分を強く見せようとしていた」
メモリがあってなお自分そのもので勝負できなかったのかもと猗鈴は呟いた。
「エピソードの方も嘘?」
「裏は取ってないのでわかりませんが、製菓専門学校を出たのは本当みたいです。結局事情を全部知った中川くん、どうしても出る規格外のメロン使って美桜さんと何かできないかって考えてるみたいです」
「本人が昔言ったことを覚えてないのが幸いしてるのかも。今の価値観だけで判断しているんじゃないかな」
そう言いながら、天青はメロンをクリームソーダの端に飾り付けた。
メロンのオレンジ色が、クリームソーダの緑によく映えていた。
感想ありがとうございます。
コアドラ姉妹は被害者だったとしてやっていることは割と真面目に最低ですからね、良い感じの雰囲気で誤魔化していますが、旦那のことを罪悪感で縛り付ける感じにもなりましたし、被害は減ったものの勝ち逃げかもしれません。
霧彦さんに比べると正直最初の強敵というよりも死なない雑魚っぽい感じですし、結構違ってくる気もしますね。探偵事務所内の役割はまんまにならない様意図的にシャッフルしてるとこもありますが、博士は戦えませんがフィリップ部分多めかもです。
ウッドモンの特別扱いな感じに関しては本編よりも風都探偵のジョーカーメモリとかに近い扱いかもしれませんね。
三話もどうぞお楽しみください。
というわけで第二話! オメーが尻彦さんなのかザッソーモン! というわけで夏P(ナッピー)です。
コアドラモン(一匹目)が出てきた時点で「うん?」と思いましたが、二体のコアドラモンが同時に出ていたとは驚き。根暗ゴリラも毒島=ブスも酷いが、やってること的に風都の女や! 風都の女がおるぞ!(旦那さんがそちらへの自覚無いまま終わるのもそれっぽい) しかしメモリにランクがあるのはどっちかっていうとWより鎧武っぽいな……ザッソーモンは尻彦さんではなく実は錠前ディーラーシドなのかな。博士がフィリップか~、リボルギャリーじゃん!
ウッドモンということで、普通にブロンズかと思えばよくわからんことに。Wのオマージュだから頭文字Wのウッドモンということではないのか……?
では早めに3話まで追い付かせて頂きます。
おまけ
「そういえば、メモリの等級ってなんですか?」
猗鈴がそう問うと、天青は猗鈴のウッドモンのメモリを含み色が違うUSB型のデジメモリやそのカバーを店のカウンターの上に並べた。
「私達はこの街でメモリを売買している組織を探しているんだけど……その組織はデジメモリに三種類の格付けをして専用のカバーをしている」
まずこれと天青が猗鈴に渡した数種類はカラフルなカバーから銅色の端子が出ているものだった。
「これがブロンズメモリ。メモリを入れるとカバーは自然に色が出る。それをそのままにしたのがこれ。コアドラモンはこれだった」
そして次に、これと指さされたのはカバー全体に銀色が塗られて端子も銀色のメモリだった。
「これはシルバーメモリ、ブロンズより強力。スカルバルキモンはこれ、奴等が商品として扱っているメモリの中では最高グレード」
そしてと、残り二つの内、カバーも端子も金のメモリを差し出した。
「ゴールドはシルバーよりさらに強い、組織の幹部専用と目されるメモリ。これは目撃証言を元に塗っただけのカバーのレプリカ」
「じゃあ、このウッドモンのメモリは?」
ウッドモンのメモリは、茶色のカバーに入っていたが、端子の色は銅色ではなく黒色だった。
「これは、わからない。無彩色のそれは銅色だし……ウッドモンのメモリは販売される前、試験前か試験中で、これから銀色か金色の塗装をする為の下地か、商品としては扱えないということで黒に塗られたのか」
「どうにせよ、そんなメモリを持ち出せるってことは、姉さんは組織の、しかも製造に関わる人間だった……ってことですね」
「可能性としてはね。実験される側だった可能性もある、姉妹間で適性が似通うことは十分あり得る」
「……そして、あのザッソーモンはそんな風にグレード訳されて製造されたメモリを使う人間へと売って回っていた。でも、健さんが強いメモリの筈だったのに弱かったり、メモリが強くても相性がよくないとなんですよね。どうやって相性って調べるんですか?」
「……それは博士に聞くやつかな」
「そうだね、私に聞くやつさ!」
博士は多分意味のないだろう白衣をはためかせながらそう言った。そして、猗鈴のリアクションの薄さにそのまま大人しく席についた。
「うちの場合はイマジネーションパワーで小型化できないパーツも小型化して、ここの地下室の一角で十分判別できるけど、普通はまあそれ用の部屋でもないとできないね」
「必要なものは?」
「検査の際には血を注射器でちゅーっと取るのが多分一番手っ取り早い。ガチガチの設備があれば身体の一部、髪の毛とかでもできる。うちはイマジネーションドーピングで髪の毛で判別してるしね。バイヤーがその場で検査するのは難しいから……事前に身体の一部を回収しているか、メモリに導かれるままにしているんじゃないかな」
「メモリに導かれる?」
「メモリにはデジモンのエネルギーや精神が入ってる。デジモンはこの世界では肉体を持たないから、メモリを擬似的な体にしているけれど、よりよい身体を求め呼び寄せようとする性質があるの。なんとなく自分に合うメモリを手に取ってしまうと言えばいいかな。品揃えが良ければそれでも十分な適合率を確保できる」
「……メモリに導かれる。ウッドモンのメモリにもその精神が?」
「そのメモリにはないよー。今出回っている多くのメモリには、デジモンの精神はない。メモリも意思を込めるってことは、そのデジモンの全てを込めるってこと。肉体を乗っ取る恐ろしいメモリだけど、同時にメモリの状態で破損すれば、簡単に中にいるデジモンは死ぬ事にもなる。製造側もおいそれと作らないし作れないんだよ」
「……そういえば、なんで二人は組織の全容もあんまり掴めていないのにそんなに詳しいんですか?」
「それはまたおいおい」
そう言いながら天青はクリームソーダを出した。
「今はまだ語るべき時ではないのさワトスン君。とはいってもエンタメ的な意味でなく、お姉さんの関与の程度によっては猗鈴さんの周囲にも組織側の情報網が伸びてるかもだから、ね?」
二人にそう言われて、猗鈴は少し不満げにクリームソーダのさくらんぼを食べた。メロンと比べてしまうと、なんとも冴えない味だった。
あとがき
また表紙絵ができたら三話もすぐに投稿できるかなと思います。へりこです。三話まで一気に出す予定ですのであんまり話すことはないです。
強いて言うなら、天青さんは前作主人公的存在なのでそれなりに強いんですがわりと欠陥も抱えている中途半端な人でもあります。あの喫茶店はフードメニューがないんです。サンドイッチさえない。天青さんは料理を作らせると味も薄いし、盛実さんは人見知りのめんどい生き物なので、自分のテリトリーの地下室ならともかく人前に出るかもしれないところではミスしまくります。いすずさんは作れるっちゃ作れるけど中の下の家庭料理って感じなんですね。
その内に料理対決回とかしたいですね。サブキャラが充実してきたころに……そんな頃が来るかはわかりませんが。
では、またよろしくお願いします。