「エイン、ヘリヤル……?」
首を傾げる三角だったが、同時に聞き覚えのある単語だという確信も在った。
「いや、それよりも」
だがその正体を突き止めるよりも先に、三角はこの赤毛の少女(に、化けたデジモン)・シフへと、もう一度、訊ねずにはいられない事があって。
「怪我は、本当に大丈夫なの?」
三角の問いかけに、シフはきょとん、と蜂蜜色の瞳を見開く。
そして、次の瞬間。彼女は、くす、と小さく、吹き出した。
「!」
「あ……す、すみません。先輩があまりにも『先輩』過ぎて、つい」
いや、やっぱりこの子の「先輩」っていう概念、人間やデジモン云々を抜きにしても難しそうだなと、改めて思う三角。
そんな三角の心情を知る由も無く、シフは一度軽く頭を下げてから、またまっすぐに三角の方を見据える。
先輩(テイマー)と、そう呼んだ相手を。
「私の状態、私達の置かれた状況、そもそも、この場所はどこなのか。……お伝えしなければいけない事が、沢山ありますので」
「あ……そっか」
ついシフの事にばかり気を取られていたが、辺りを見渡せば一面の瓦礫の山。形の残っている建物も側面に大穴が開くなり、半分以上が削り落とされているなり、無事と言い切れるものはただの一つも存在していない。
まるで、ニュースや教科書で見た紛争地帯の光景のようだったが、同時にその、辛うじて形状を留めている建造物達から、三角にもここが、どこか遠い国では無いとは理解出来てしまっていて。
それこそ、小中高、全ての就学段階において、教科書で何度も目にした光景だ。
「光が丘団地……だよね、ここ」
人類とデジモンの邂逅の地については未だ幾つもの議論が交わされているが、『デジモンアドベンチャー』はじまりの地を光が丘とする事に異を唱える者は、まあそうそう居ないだろう。
当初は集団幻覚と片付けられていたという、後の選ばれし子供達をデジタルワールドが選出するきっかけとなった事件は、この地で発生したのだから。
なので当然、三角だって知っている。
光が丘団地は、けして廃墟などでは無い、と。
戸惑いを隠せない三角に向かって、シフはこくりと頷いた。
「もしかして、さっきの『地震』で?」
しかし続けた問いかけについては、シフは静かに首を横に振る。
「いえ、先輩。ここは東京の光が丘ではありますが、先輩の知る光が丘ではありません」
「? ……あ、それって」
気が動転して失念していたが、確かに三角は直近に、この地の名前を耳にしている。
ラタトスクの機器『ヘイムダル』が観測した、世界滅亡の、原因。
相違点D。
「はい。……よかった。その様子だと、あの後どなたからかお話を伺う事が出来たのですね」
シフは今一度、ここが相違点D―――即ち、滅びのデータが書き込まれた、極小のデジタルワールドである事を肯定する。
「どうやら私達は、相違点Dにコネクトダイブしてしまったようです。幸運、と断言する事は出来ませんが、そのお蔭で、私はこうして自身をエインヘリヤルとして再定義する形で変身能力を使い、負傷を全快する事が出来ました」
また『エインヘリヤル』だと三角は目を瞬く。成り行きを見守っていたバウモンが「くぅん」と鳴くと、シフも自分の説明がうまく彼に伝わっていない事を察したらしい。
僅かに紅潮した頬を誤魔化すように緑色のフレームの眼鏡をかけ直してから、彼女はその細い指で、半分以上が崩れた団地の屋上を指さした。
「兎も角、一度高所から状況を確認しましょう、先輩。私達がこうしてラタトスクから相違点Dに飛ばされている以上、同じようにこちらに来ている方がいらっしゃるかもしれませんし」
「! そっか、そうだね」
「では、先輩、バウモンさん、どうか私に掴まって下さい」
そう言ってシフは一度少女の姿を解除し、あの緑色の不思議な姿をしたデジモンへと成り代わる。
三角はバウモンを肩に乗せ、シフの背後に伸びる翼に似た器官には触れないよう注意しながら、彼女の背に腕を回した。少女の姿を取っていた相手に対して抵抗が全く無かった訳では無かったが、それ以上に四の五の言ってはいられない状況だとは、彼も流石に理解はしている。
「では、失礼して」
シフもまた鉤爪で三角達を傷付けないよう気を付けながら彼らを抱え、その場から飛び立つ。
「!」
「わふ!」
びゅん、と髪や肌が風に上から押さえつけられる感覚を覚えたのも刹那の間。あっという間に上空へと達したシフは、そのままゆっくりと、辿り着いた団地の屋上に三角を下ろした。
これが、デジモンと飛ぶ感覚か、と。いつもよりも強くその音を訴える心臓の位置に手を添えながら、深呼吸がてら辺りを見渡す三角。
半壊しているとはいえ、残された箇所のバランスはそう悪くは無いらしい。傾いているだとか、このまま簡単に崩壊を再開しそうだとか、そんな心配は必要無さそうな印象で、三角は一先ず胸を撫で下ろした。
「……!」
と同時に、今いる場所ではなく、より遠くを見渡したその時。三角は息を呑まずにはいられなかった。
三角は地方出身者だ。厳密な意味での「東京の景色」など、実際に目にした事は片手で数える程しか無い。
だが、光が丘団地とその周辺を除く景色が、何か白い靄のようなものに区切られ、途絶えていては、違和感を覚えるなと言う方が無理な話であって。
「えっと……霧の結界?」
それは1999年の事件の際、首謀者であったヴァンデモンが、お台場周辺に張った結界だ。
8月3日が来る度に組まれた特集で、必ずと言って良い程古いアナログ写真や再現映像が公開されているので、直接は知らずとも、三角も知識は有している。
「この相違点そのものの『区切り』であると思われますが、同時に少なくとも、近い性質を持つ物には違いないと考えられます」
デジヴァイスはお持ちですか? とシフに問いかけられた三角がスマホ型のそれを取り出し画面を確認すると、通信不可領域との通知が表示されていて。
霧の結界は、電子機器の動作を阻害していたという話だ。
「……ラタトスクと、連絡は取れない……」
「ばう……」
「ですが、こういった事態への想定自体は当初から存在していた筈です。こちらから一定時間連絡が無ければ、専用の回路を使用する、と。そういった手筈になっていると聞いています」
「じゃあ、とりあえず俺達は他のコネクトダイブした人達を探しつつ、ラタトスクの指示を待つ。って形になるのかな」
頷くシフに、僅かにとはいえ気持ちが落ち着いてきたのを感じる三角。
文字通り右も左もわからない状況ではあるが、あの慇懃無礼な女性――技術班のチーフだというDr.名城は、自分と同様に火事をあの時点では免れている。
そしてそんな肩書を持つ以上、彼女であれば、きっと相違点への通信を繋ぐ事も、不可能では無い筈だ、と。
「わかった、それじゃあ一先ずここで待機だね」
「はい。もし何か見えましたら、私にもご一報ください」
「ばう!」
軽く屋上から身を乗り出し、他の生存者を探して目を凝らす三角。
高い所に若干の恐怖心を感じなくは無かったが、あんなに速く空を飛べるシフが傍に居ると思えば、それもすぐに和らいだ。
だが、それはそれとして、やはり異様な景色ではあると、三角は考える。
いくら自分達の住む世界―――リアルワールドの一部を模した極小のデジタルワールドだとは言っても、あちこち崩れ果て、人・デジモンの気配がこれっぽっちもしないこの世界は、まるで、本当に、『滅亡した世界』そのものだと―――
「先輩ッ、伏せて下さい!!」
シフの鋭い一声。
「!?」
反射的に身を縮めると、頭上を何か、熱を持つ物体が通り過ぎていくのが解った。
それはシフを狙った一撃であった。三角が軌道上に居たのは、もののついででしかなかったのだ。
だが、頭を下げなければ頭蓋を撃ち抜かれていたと想像に難くないその一撃に、再び三角の心臓が早鐘を打つ。
息が、荒いだ。
「すみません、先輩。迂闊でした……!」
襲撃者は、団地の屋上へと飛び上がったシフを見留て、彼女達に目を付けたのだ。
「ばう……!」
がたがたと震える身体をどうにか誤魔化そうとバウモンを抱きしめながら、顔を上げる三角。
攻撃―――必殺技のエネルギー弾を放ってきたそのデジモンは、葉っぱの形をした4枚の羽を高速で羽ばたかせてその場でホバリングしながら、唇で不気味な弧を描いていて。
「……リリモン?」
そのデジモンは、可憐な花を思わせる妖精型―――そして、『純真』の紋章を持つ選ばれし子供にして、現料理研究家・太刀川ミミのパートナーの完全体の姿としても知られているデジモン、リリモンだった。
だがその薄紅色の花を模した頭部や衣装は、端々まで毒々しい紫色に染まっている。パルモンと酷似した成長期デジモン・アルラウモンがリリモンに進化したとしたら、こんな姿になるかもしれないと思えるような色合いだ。
だが、異様なのは花を模した部分だけでは無い。
リリモンの黒曜石のような瞳までもが、目に痛い程の赤色に、変わり果てているのである。
通常の―――というよりも。
まともなデジモンには、見えなかった。
「っ、『トランシーレイヴ』!!」
リリモンが再び構えた両腕を一輪の花に変えたのを見て、三角の前に躍り出たシフが必殺技の光線を放つ。
光線は直後リリモンから放たれた『フラウカノン』と正面衝突して、凄まじい衝撃波を巻き起こす。
「っう!」
「ばうう!」
再び身を屈めた三角の脳内を、「なぜ」「どうして」と大量の疑問符が埋め尽くす。
リリモンは感情的な一面こそあれど、けして好戦的なデジモンでは無い筈だ。少なくとも、対話も無しに相手に襲い掛かるデジモンでは無いと、三角がこれまで触れてきた資料の中では、そのように伝えられている。
それが、何故? どうして自分達を襲う? そもそも、あの毒花じみた姿は一体?
シフを1人、このまま戦わせていいのか?
自分達を背に庇った時、確かに肩を震わせていた、あのシフを?
「シフ……っ!」
「……先輩」
もう一度、どうにか自分を奮い立たせて身を起こした三角に、シフはリリモンへの警戒を怠らず振り返らないまま、しかしどこか微笑むように、応じて見せる。
「そうか。そうですね。誰かが―――テイマーが傍に居てくれるって、こんな感覚なのですね」
「シフ?」
「大丈夫です、先輩。……行けます」
私はもう、1人ではありませんから、と。
シフがその場から、リリモンに向けて直進する。
「『レーザートランスレーション』!」
続く必殺技の宣言。しかしシフが胸のスキャナーから放ったレーザーは、リリモンに、ではなく地面へと、この『相違点D』そのものへと伸びる。
そうして、この『世界』を『読んだ』シフは、またしても輪郭を蠢かせ、大きく姿を変え始めた。
「!!」
三角は思わず目を見開いた。
シフの取った新たな姿を、既に知っていたからだ。
否、『デジモンアドベンチャー』を知っている人間であれば、知らない筈が無いだろう。
鋼の兜を纏った、太陽を思わせる逞しい橙の恐竜。
穴だらけではあるものの、ピンと力強く伸びた紫色の翼。
ただ、1点だけ。『トライデントアーム』と呼ばれるクロンデジゾイド製の腕。その反対側にまで、ものものしい巨大な砲台を装備している部分だけは、三角の持つ知識と異なっているが。
それ以外は、紛う事無き―――
「メタル、グレイモン―――」
「―――アルタラウスモード」
三角が口にしたそのデジモンの名を、シフが引き継いだ。
「……!」
ふっとそれまでの笑みを消し去り、シフの脅威度を設定し直したらしい紫色のリリモンが、『フラウカノン』の構えを解かないままにシフへと迫る。
だがシフはそれに気圧される事無く、三角を始め多くの『デジモンアドベンチャー』読者には馴染の無い右腕の砲台を、リリモンに向けて構えた。
アルタラウス。
シフが口にしたこの形態の名の由来こそ、この長大なエネルギー砲である。
「『ポジトロンブラスター』!!」
刹那、必殺技の宣言とほとんど同時に、アルタラウスから放たれた1撃がリリモンに着弾し、爆ぜた。
正しく、亜光速の砲撃。
見た目通り防御面のステータスが低いリリモンでは、相性的にも痛烈なこの1撃を耐え切れず、瞬く間に装束と同じ紫色の塵に変わって消滅する。
初めて直接目の当たりにした「戦闘によるデジモンの死」に息を呑む三角だったが、しかしどう見ても最期までリリモンが正常なデジモンではなかった事実が、多少なりその衝撃を緩和させる。
三角に訪れた変化はその場にへなへなと腰を落とすだけに留まり、引き返してきたシフに怯えるような真似は、どうにか、せずに済んでいた。
「すみません、先輩。……怖がらせてしまいましたね」
「ううん。……うん。でも、大丈夫。……ありがとう、シフ。お蔭で、助かったよ」
「わっふ!」
そして状況はともあれ、シフそのものに対しての恐怖や嫌悪感がこれっぽっちも湧いては来ないのは本当だった。
むしろぱたぱたと尻尾を振りながらひと鳴きするバウモンの様子に、お互い顔を見合わせて、笑みをこぼす余裕まであって。
が、シフが眼差しを和らげたのも束の間。彼女はすぐに表情を引き締めて、またしても姿をあの緑色のデジモンへと戻す。
「今の戦闘を察知して、再び敵性反応が現れる可能性があります。移動しましょう、先輩」
「! わかった、頼むよシフ」
「ばう」
屋上に昇ってきた時同様に彼女に掴まり、抱えられ、三角達はその場を発つ。
……しかしこんな様子では、同じようにコネクトダイブしてきた者を探すのは、絶望的になったかもしれない、と。
三角が表情を曇らせかけた、その時だった。
「先輩、あれ……!」
「え?」
シフが鋭い仮面の先で指し示した方角に目をやると、この灰色一色の廃墟の中で、確かに異様に鮮やかな影が2つ。
毒々しい紫と―――極彩色、だった。
「降りよう、シフ!」
「了解です、先輩!」
2つの影は、戦っているように見えた。
そしてリリモンの例を踏まえると、ひょっとしたら、極彩色の方は自分達と同じ立場の誰かのデジモンかもしれないと、三角はそう判断して―――実際、それは間違いでは無かった。
「『トランシーレイヴ』!」
シフの放った光線が紫色の影―――極彩色の2倍の体躯を誇る、立派な角を持つ昆虫型デジモン・アトラーカブテリモンの顔面で弾ける。
今まさに必殺技『ホーンバスター』を放とうとしていたアトラーカブテリモンはバランスを崩し、身体がのけ反り、比較的柔らかそうな胸元が露わになって。
「……全く」
好機と見て、極彩色がその場から跳び上がる。
「横槍とはいただけないが―――今回ばかりは、恩に着よう」
「! その声」
驚くシフの前まで跳躍した極彩色の人型は、重力に任せて落下するに際して、巨大なブレードになった右足を前に突き出した。
「『蝶絶喇叭蹴』!!」
人に似た形の方のデジモンの蹴りが、アトラーカブテリモンに突き刺さる。
数秒後、ぱあんと硝子の割れるような音と共に、リリモン同様、アトラーカブテリモンの巨体が塵へと変じた。
「……その声、まさか、グランドラクモンさん?」
「今はマタドゥルモンというデジモンだよ、シフ」
それから、と、地面に降りてきたシフに対してマタドゥルモンと名乗ったそのデジモンは、無機質な紫色の目を、彼女に抱えられた三角へと移す。
途端、バウモンがウーと小さく唸った。
「やれやれ、相も変わらず私の事が嫌いな坊やと、……ああ! レナに頬を張られていた少年じゃないか。息災のようで何より」
バウモンにつられて一瞬警戒の念が浮かんだ三角だったが、説明会での一幕を言い当てられて、思わずかあ、と頬が熱を帯びる。
自分を知っているデジモンだと確信を持てたのは良かったが、この先別のテイマー候補に会ったとして、「ビンタされた人」と認識されている可能性が高いのだと思うと、それどころでは無いとは思いつつ、三角は気が重かった。
「わーう……」
「えっと、先輩。この方は所長のパートナーのグランドラクモンさんです」
随分と形容し辛さの種類が変わってしまったが、よく聞くと、その穏やかな声音にも覚えがあって。
どうも、と三角は頭を下げる。出しかけた右手は、マタドゥルモンの鋭い刃のような爪が覗く袖を前に、慌てて引っ込めたが。
「三角イツキです」
「さっきも言った通り、今の私はマタドゥルモン。完全体のアンデッド型デジモンだ。……管制室での爆発に巻き込まれた時のダメージが想定以上でね。少し退化させてもらっている、という訳だ」
「グラ……マタドゥルモンさん。あなたが無事という事は」
「もちろんレナも無事さ。少し待っていてくれ。……レナ、レナ! 怖い虫は、いなくなったよ」
かた、と小石か何かが転がる音に三角達が顔を上げれば、近くの瓦礫の向こうから、プラチナブロンドの長髪と、眼鏡越しのエメラルドグリーンの瞳がひょこ、と警戒中の小動物のように覗いたのが見えた。
「……シフ!」
「所長!」
所長―――ヘレーナは三角が未だ名も知らない緑色のデジモンを正しくシフと認識し、瓦礫をどうにかよじ登って、こちらへと駆けてきた。
あっという間に切れた息を、たっぷり数秒使って整えて。所長はどこか複雑そうな視線をシフへと向ける。
「無事で何よりです、シフ。今はメタモルモンと呼ぶべきですか。……そして」
続けて彼女が三角の方に流した眼差しは、どうしてあなたが、と口に出さなかったのが奇跡に思えるくらい、見事なジト目を描いていた。
「テイマー番号48番。……貴方も、ご無事で良かったです」
「……どうも」
気まずい。と、三角はヘレーナからそっと目を逸らす。
そんな様子を眺めてくすくすと笑ってから、マタドゥルモンは軽く肩を竦めた。
「こう見えて、知っている人間に会えて、レナは今安堵しているんだ。あまり怖がらないでやってくれ」
「ちょ、マタドゥルモン!」
「調子が戻ってきたのがその証拠だよ。……だが積もる話の前に、場所を変えよう。騒ぎを聞きつけて、さっきみたいなシャドウエインヘリヤルが出て来ないとも限らないからね」
「っ」
ヘレーナの顔がさっと青ざめる。……リリモンと違って、アトラーカブテリモンと人間では、体格差も凄まじい。余程怖い思いをしたのだろうなと気付いた三角が眉を寄せた。
……直後、その視線に気付いたヘレーナは、打って変わって、目尻を吊り上げたのだが。
「貴方に心配されるいわれは有りません! マタドゥルモン、急ぐわよ」
「はいはい、君の望むままに、レナ。……ああ、ただ」
移動しながらでいいから、話を聞かせてほしいとマタドゥルモンが見やったのは、いかり肩で歩き始めたヘレーナと三角を交互に眺めるシフの方で。
「?」
「ああいや、大したことじゃない。……いや、大したことではあるのだけれど」
「何? はっきり言いなさいよマタドゥルモン」
振り返ってきつい口調でマタドゥルモンの台詞を促すヘレーナに、それもそうだねと相変わらず気を悪くした様子も無く、やはりあっけらかんと、彼は口を開く。
「シフ。君、どうしてエインヘリヤルになっているんだい?」
*
エインヘリヤル。
それは北欧神話における、戦死した勇者たちを指す言葉である。
生前の武功を湛えられ、ヴァルハラに迎え入れられた彼らは、来るべき終末の時に備えて日夜戦いに明け暮れているという。
「そんな「世界に記録された戦士たち」から着想を得て定義された、『物語』から抽出された電子情報体……それが、エインヘリヤルよ」
マタドゥルモンの提案通り場所を移し、今度は敵性存在に察知されにくそうな、半屋内で身を寄せ合った彼らは、ヘレーナの説明に耳を傾けた。
専門用語は多いものの、名城に相違点について説明された時よりは、内容が頭に入ってきていると感じる三角。
ヘレーナの言葉選びが上手いというのもあったが、やはり自分は、この説明を一度耳にしているのだと。そんな確信が彼の内から浮かび上がってくる。
「剣士(セイバー)、槍兵(ランサー)、弓兵(アーチャー)、騎兵(ライダー)、暗殺者(アサシン)、魔術師(キャスター)、狂戦士(バーサーカー)。いくつか例外(エクストラ)もあるけれど、基本はこの7クラス。少し乱暴な言い方になるけど、いわば「キャラ付け」ね。物語の登場人物を前述のクラスに当てはめる事によって、ラタトスクは彼らを一種の人工デジモンとして、戦力に加える事に成功したわ」
キャラ付け、の部分に三角が首を傾げていると、デジモンで言うところのワクチン・データ・ウイルスの属性分けのようなものです。と、あの赤毛の少女の形態を取り直したシフが補足する。
ヘレーナも頷く事でそれに同意して、続けるわね、と再び口を開いた。
「そして肝心の、何故相違点攻略においてエインヘリヤルが必要だったか、という話になるのだけれど……ここからは、実際に相違点に足を踏み入れるまでは確証が持てなかったから、一部の関係者を除いては情報が伏せられていた内容になるわ。……よりにもよって、貴方に聞かせる事になるとはね。心して聞きなさい、三角。次に居眠りしたら、ビンタでは済ませません」
「は、はい……」
畏縮する三角を前にコホンと咳払いして、険しい表情でヘレーナは続けた。
「我々ラタトスクが「物語の登場人物」を戦力に変えたのは、相違点を書き換えた情報もまた、物語という形態を取っている可能性が高いと、そう判断したからよ」
「物語……?」
「いくらイグドラシルの破片を用いて介入したとしても、「世界が滅ぶ」とデータを書き込んだだけでデジタルワールドが相違点になる訳じゃないわ。物事には全て理由があり、その理由にも前提がある。この積み重ねが、歴史。微小デジタルワールドを相違点にするためには、世界が滅ぶまでの過程となる歴史を書き込む必要があるの」
「……ひょっとして、その『歴史』っていうのが」
「察しが良いのは少し見直しました。……そう。『物語』。特に、『デジモンアドベンチャー』から連なる、人とデジモンの物語よ」
デジタルワールドにおいて、記録と歴史は等価なものである。
説明会で、グランドラクモンが告げた理(ことわり)だ。
「事実、『デジモンアドベンチャー』は今となっては一種の歴史書とも言えるでしょう? かつての選ばれし子供達の冒険から、あるいは人類と交流を始めたデジタルワールドそのものから着想を得て生み出された物語の数々は、デジタルワールドにも次々と記録されていった。デジモンが人間と共に在り、人間がデジモンを友とする、その証として」
そして今回の事件の犯人は、その『記録』を改変したのよ。
隣でヘレーナの言葉に耳を傾けるシフの拳に、幽かに力が入ったように、三角は感じた。
「こうやって相違点に……実際に、この世界に訪れて。その推測は確証に変わりました。私達が交戦していたアトラーカブテリモンと、貴方達が交戦したリリモン」
「どちらも、1999年の選ばれし子供の、パートナーです」
「ええ。『相違点D』、正式名称『相違点・デジモンアドベンチャー』。犯人は『デジモンアドベンチャー』の『お台場霧事件』―――ヴァンデモンによるリアルワールド襲撃の章を改変して、世界を滅びに誘導している。そう考えて、間違いは無いでしょう」
にわかには信じがたい話ではあるが、そう考えれば少なくとも、襲撃者がアトラーカブテリモンとリリモンであった理由には説明がつく。
そして、ここが『デジモンアドベンチャー』の選ばれし子供発祥の地・光が丘であり、その光が丘が、一面の廃墟と化している理由も。
「でも、一体どうやって……」
「手段について訊ねているのであれば怒りますよ? イグドラシルの欠片、聖解の力で、です。……物語の改変された部分について聞いているのであれば、謝るわ。……私にも、解らないから」
「予想出来なくはないよ。所感で良いなら、説明するけれど」
と、奥で何やら作業をしていたマタドゥルモンが、ひょこ、と3人と1匹を上から覗き込むような形で顔を出す。
「……マタドゥルモン、仕事は終わったの?」
マタドゥルモンが任されていたのは、ラタトスクと通信を繋ぐための作業だ。
この世界の『区切り』が霧の結界である以上、吸血種としては一応上位種の自分ならどうにか出来るかもしれないと、ウイルス種の本領を発揮して、世界そのものに一種のハッキングを仕掛けていたのだという。
ああ、と。成していた仕事に比べればあまりにも軽い調子で、マタドゥルモンは尖った顔を縦に傾けた。
「これで繋がらなければ、向こうの通信機器に異常が発生している可能性が高い。無事連絡が来るよう、精々祈ろうじゃないか」
「祈りに使うような時間は無いの。……貴方の所感とやらを話してちょうだい」
「了解した。……まあ大した話じゃない。ヴァンデモンは、ドラクモン系統の吸血種と比べて『コンピューターウイルス』としての性質が強く残っていてね。……アトラーカブテリモン達を見ただろう。まるで、悪質なウイルスに感染しているようだと。そうは思わなかったかな?」
言われてみれば、そうとしか思えない姿だと三角は思った。
ヘレーナも納得しているのだろう。彼女はそっと顎に指を添えた。
「つまり、ヴァンデモンが選ばれし子供達を倒すのではなく、ウイルスを用いて支配下に置いた世界。……それが、この相違点。という可能性がある訳ね?」
「あくまで、可能性の話になるけれどね」
「……そんなの、あんまりです」
と、ここまで押し黙っていたシフが、不意に声を震わせた。
「シフ?」
「「もしかしたらこんな結末もあったかもしれない」と、そう考えるのは、けして悪い事ではありません。でも、選ばれし子供達が必死で繋げて、掴み取った勝利を、そんな、世界を滅ぼすためなんかに……。それに、ヴァンデモンは確かに、本当に最悪で最低の敵でしたけれど、でも、彼が最良だと信じて選んだ手段まで捻じ曲げられるのは……そんなのって、違うじゃないですか……!」
「わふぅ……」
傍目にも、シフが必死に言葉を選んでいるのが、三角とバウモンには見て取れた。
選ばれし子供達の戦い。それだけに留まらず、あの悪辣なヴァンデモンの非道にまで。
シフは、物語を歪める全てに対して、憤っているのだと。
ヘレーナは、困ったように頭を抱えた後、息を吐いてから、その手で軽く髪をかき上げた。
「貴女のエインヘリヤルとしての性質上、怒るのも無理は無いとは思うけれど。今はそれどころじゃないの、シフ。手段は兎も角、犯人の「幼稚な二次創作」の内容なんて、これっぽっちも重要じゃない」
「っ、すみません、ヘレーナ所長」
「この相違点をどうにかしさえすれば、帰ってちゃんとした『デジモンアドベンチャー』が読めるんだから」
ヘレーナの指摘に項垂れていたシフは、しかし彼女が続けた言葉にすぐさま顔を上げる。
そこには職員を鼓舞するラタトスク所長としての凛とした表情が、確かに、そしてしっかりと、シフを見据えていて。
「そのためにも、余計な事は考えないで、しっかり働いて頂戴、シフ。……いいわね?」
「……はい!」
シフが微笑み、ヘレーナも僅かに表情を緩めた。
「ばう」
そんな2人を眺めながら、三角もまた、目を細める。
ビンタの件もあってキツい印象を抱いていたけれど、悪い人では無いのだと。むしろ、しっかりした人なんだと。そんな風に、ヘレーナの印象を改めて―――
「……何を見ているの、三角」
「えっ、あ、いやー……」
途端振り返り、やっぱりキツい性格なのはキツい性格なのかもしれないと、そう思わざるを得ない視線を三角に投げかけてくるヘレーナ。
たじたじになった三角は、どうにか切り抜けようと脳内で話題を探し回って―――
「その、そういえば、結局シフがエインヘリヤルって」
シフがエインヘリヤルとなった経緯自体は聞いた。
この世界で最初に目が覚めた時に、他ならぬ彼女から聞いたのと同じような内容を。
だが、こうしてエインヘリヤルについての知識を得て、三角は余計に解らなくなってしまったのだ。
シフは、物語の登場人物ではなく、実在のデジモンだ。
少なくとも、相違点Dに入るまでは、エインヘリヤルでは無かった筈なのだ。
ああ、と。事情を知るだけに失念していたと素直に認めたヘレーナが、改めて口を開こうとした―――その時だった。
ピピ、ピピピ、と。
三角のスマホ型デジヴァイスが、電子音を、鳴り響かせる。
「! 三角、話は後よ」
ラタトスクからの通信よ、とヘレーナが言葉を紡いだのを受けて、慌てて通話モードをオンにする三角。
途端、空中にモニターが展開され、その薄青色の光の中に、見覚えのある顔が表示される。
「名城さん!」
「ドクター!」
三角とシフの声が揃い、同じ人物の別々の呼称を口にする。
はーっ、と、名城は肺にため込んでいた息を深々と吐き出して、疲弊と安堵の入り混じった眼差しを彼らへと投げかけた。
「ああ……良かった、2人とも無事で。通信がようやく安定したんです」
「何と言ってもこの私が協力したからね」
「……早速すみません、三角。このやけに鋭角なデジモンは?」
表情に大きな変化がある訳ではないが、感情の変化は割と激しいなこの人と、ずっかりジト目に移行した名城を眺める三角。
と、次の瞬間、でかでかとした溜め息が彼の背後から響き渡った。
「彼はマタドゥルモン。グランドラクモンが退化したデジモンです」
「……パートナーが不死だと人間も頑丈になるものなんです?」
「言う事欠いてそれですか! まずはラタトスク所長の無事を喜ぶべきでしょう!!」
上の立場の人間に対しても変わらず無礼が混じる名城に、電子映像故不可能であるとは知りつつ、掴みかからんばかりに顔を寄せるヘレーナ。
……映像は三角のデバイスから表示されている。なので当然、ヘレーナの上半身が、三角の眼前に迫る形になる。
三角だって健全なお年頃で
ヘレーナは、そこそこ"恵まれし者"である。
「……!」
「先輩?」
「アッいやなんでもないデス」
シフから『圧』を感じ取った三角は、さっと視線を脇に逸らす。
その先で目が合ったバウモンまでもが冷ややかな眼差しを自分に向けていて、三角の胃は、キリリと痛んだ。
「もう! 貴女では話になりません! 通信が繋がったのであれば、貴女の仕事はそこまでです! さっさとノルエルを呼んできてください!!」
ヘレーナが声を張り上げる。
……その瞬間、画面越しのラタトスクの空気が、それでもスッと冷え込んだのを、その場の誰もが感じずにはいられなくて。
「……何してるの? 名城。もう一度言います。早く、ノルエルを」
「ヘレーナ所長。どうか気を強く持ちながら聞いて下さい」
名城はあえて、淡々とした声音で口を開いた。
「わたくしが通信の指揮を取っているのは、わたくしが単に技術班のチーフだからではなく、わたくし以上の階級の者がいないからです」
「……は? 何、言ってるの」
「現時点で確認できるこちらの生存者は人間・デジモン含め20名に満たず、その中に、ノルエルは含まれていません」
*
「……見苦しいところを見せましたね、シフ、三角」
ようやく落ち着きを取り戻したヘレーナと彼女のパートナー・マタドゥルモンを先頭に、廃墟の影を縫うようにして、一向は相違点Dを移動していた。
いえ、と、三角はどうにか彼女を慰める言葉を探すが、どうしてもそれを見つけ出すことは出来ず、ヘレーナ自身、気を使わないでと三角に釘を刺す。
「ノルエルが死ぬわけがない」「もっとよく探しなさい」と、ヘレーナは三角達に状況を説明していた時とは打って変わって、長い間、当たり散らすように名城に対して喚き続けた。
パートナーであるマタドゥルモンが根気強く宥め続けなければ、もっと長い間そうしていたかもしれないと、そう思ってしまうくらい、彼女の感情の昂ぶりは激しくて。
ヘレーナだけでは無い。シフの表情も、あれ以来ずっと曇り続けている。
交流があったのは僅かな時間だけとはいえ、三角だって、見ず知らずの自分に親切にしてくれたあの好青年の笑顔が二度と失われたのかもしれないと思うと、胸に重苦しいものを覚えずにはいられなくて。
「言い訳にしかなりませんが、ノルエルは父の代からの協力者で……前所長が亡くなった後も献身的にラタトスクを支えてくれた、まさにこの組織の礎と言うべき人物でした」
ラタトスクを、と言ってはいるが、彼がヘレーナの精神的な支柱であった事は想像に難く無かった。
「若いのに苦労をしているんだ、大目に見てあげてほしい」とはヘレーナのパニックが収まりかけたころに、マタドゥルモンがそっと囁いた彼女へのフォローで―――もちろん最初からそんな気は無かったとはいえ、三角にはとても、彼女を責める気にはなれなかった。
「……きっと、ノルエル教授なら大丈夫ですよ」
まるで半ば自分に言い聞かせているかのように、シフがヘレーナへと語りかける。
「所長達と同じように、ノルエル教授だってきっと無事ですよ。教授のパートナーだって、立派な完全体デジモンなんですから」
「……それも、デジタルワールドでノルエルと一緒に数々の冒険をこなしてきた、強力な、ね」
力無く、ではあるが、ここでようやくヘレーナが微笑んだ。
「そうよね。……ここは、微小とは言えデジタルワールド。……デジタルワールドなんだから。きっと、信じられない事ぐらい、良い意味でだって、起きるわよ」
はい、と、シフも力強く頷く。
フッと、マタドゥルモンが穏やかに喉を鳴らした。
「ヘレーナも元気を取り戻したところで、改めて目的を明確にしておこう」
そう言ってマタドゥルモンは、ピンと人差し指に該当する刃の指を立てる。
「とはいえやる事は1つだ。聖解の探索、これに尽きる。これさえ回収すれば、相違点は「滅び」を現実に伝播させるだけの力を失い、消滅する」
「……そうね。協力者という意味で、私達と同じ生存者がいるのならば合流したいけれど、それはあくまでも、所謂サブクエスト。……ええ。所長として、優先順位は理解しています。……そも、聖解を回収すれば、我々や他の生存者も、その力でラタトスクに帰還できる筈」
「やるべきこと」を胸に刻み込んで、三角は拳に力を籠める。
「ばう」
「……うん。頑張ろう」
そうだ。きっと出来る。と、自分に言い聞かせる。
否、自分に出来る事はそう多くないだろうが、協力できることは、何でもしよう、と。
大丈夫。
結局詳細は聞けなかったけれど、不思議な変身能力を持ち、エインヘリヤル――物語の登場人物の力を得たというシフと、退化しているとはいえ、不死と名高いコキュートスの王だっている。
事実、彼女達は2体ものシャドウエインヘリヤル―――歪められた、選ばれし子供達のパートナーを、退けたのだ。
そう思うと、『希望』が胸の内に湧いてきたような気さえして―――
「総員、警戒態勢を。シャドウエインヘリヤルが接近しています!」
『それ』が目に入った瞬間、三角は自分の中の淡い希望が、揺らいで、ひび割れるような錯覚を覚えるのだった。
「エンジェ、モン……!?」
純白の翼。逞しい肉体。美しい金の髪。
何もかもが、教科書で見た通り。
悪を挫き、成熟期ながら何度も選ばれし子供達をピンチから守り抜いた、正しく『希望』の象徴にして―――この相違点のオリジン『デジモンアドベンチャー』の作者・高石タケルの、パートナーデジモン。
それが、疑いようのない毒々しい邪悪なオーラを全身に張り付けて、下卑た笑みを浮かべながら、三角達を見下ろしていたのだ。
「……なん、で。エンジェモン、まで……!?」
成熟期。一般的に、強力と呼べる世代では無い。
だが『この』エンジェモンに関しては話は別だ。彼は、選ばれし子供達の実質の切札。一度は命を落としたとはいえ、その神聖な力を以って、数々の強敵に、一歩も引けを取らずに渡り合ってきたデジモンである。
そして、それだけではない。
たとえ「そういう風」に物語が捻じ曲げられていたとしても
この天使型デジモンだけは、邪悪の手に堕ちる訳が無いと。『デジモンアドベンチャー』を知る人間である以上、そう信じずにはいられなかったのだ。
だが、現実として―――6枚翼の天使は、ロッドを構えて、三角達に特攻を始める。
「ッ、『レーザートランスレーション』!」
慌てて姿を切り替えたシフが、メタルグレイモン:アルタラウスモードの左腕、即ち、トライデントアームでロッドの一撃を受ける。
だが構造上確かにアルタラウスより強度は高いとはいえ、その選択肢は結論から言えば悪手であった。
アルタラウスは、中・遠距離戦に対応できる強力な武器ではあるが、その砲身故に小回りが利かない。
加えて、防御の角度。これでは胸のハッチから放つ有機体系ミサイル『ギガデストロイヤー』や隣接する発射口から噴出するエネルギー波『ジガストーム』でカウンターを決める事も出来ない。
メタルグレイモン:アルタラウスモードは文句なしに強力なデジモンではあるが。
その多彩な武器を有効活用できる程、シフは戦闘慣れしたデジモンでは無いのだ。
「っああ!?」
「シフ!!」
対するエンジェモンは、距離を詰めた事を最大限に活かし、ほぼゼロ距離で聖属性エネルギーを纏った拳『ヘブンズナックル』を、メタルグレイモン:アルタラウスモードの装甲が薄い部分に叩き付ける。
エンジェモンの倍はある巨体は簡単にのけ反り、先程にも増して無防備を曝す。
だが同時に、隙だらけのシフを前に、エンジェモンからは確かな慢心が覗いていて。
「『サウザンドアロー』!!」
その傲りに差し込むようにして、マタドゥルモンが袖に仕込んだレイピアをエンジェモンへと投げつける。
直前でエンジェモンは身を翻し、躱したものの、その動作は優美なダンスとは程遠い。
「『蝶絶喇叭―――」
武舞独繰の体術であれば、確実に次の一撃を叩き込めると。奥義を放つためにマタドゥルモンがその場から飛び上がろうとした―――
―――その時だった。
「ぐうっ!?」
「いやあッ!? マタドゥルモン!!」
ヘレーナが悲鳴を上げる。
マタドゥルモンの細い腰に、炎の巨鳥が喰らいついていたのだ。
ただでさえ青ざめていた三角達から更に血の気を引かせるのに、それは十分すぎる光景で。
「ガルダモン……!!」
羽毛の1枚1枚を暗がりの色に染めた、愛情の紋章の持ち主・武之内空のパートナーは、慈愛の欠片も感じられない、生き物を獲物としてしか見ていないような瞳で、三角達を遥か上空から睨めつけていた。
「……ッ、飛行能力持ちが2体に、片や聖属性……これは流石に、分が悪い……」
「嘘、でしょマタドゥルモン! だって、だってさっきは―――」
地面を数メートル転がされたパートナーを前に、ヘレーナが再び狼狽え始める。
だが「さっきのように上手く行かない」だなんて、冷静に考えられれば簡単に当たり前の話だ。
相性云々だけの問題では無い。
『純真』を失い、狡猾さを得ていたとはいえ、そもそもの性能が戦闘向きとは言い難いリリモン。
戦闘に不向きな訳ではないが、選ばれし子供達のブレーンを務めたパートナーを失い、暴走するのみだったアトラーカブテリモン。
一方で今対峙しているのは選ばれし子供達の『希望』―――裏を返せば、闇のデジモン達にとっては『絶望』とも言えるエンジェモン。
そして『愛情』が欠け、ただ無慈悲に敵を屠る殺戮者に堕ちたガルダモン。
どちらが戦闘に向いたデジモンであるかなど、考えるまでも無い話で。
「―――ッ、『ポジトロンブラスター』!!」
シフがアルタラウスから砲撃を連射する。だが亜光速の弾丸も、相手の正確な位置を捉えられなければ意味が無い。
空中戦に特化した2体はいとも簡単にシフを翻弄し、自分達の必殺技を、この新参のエインヘリヤルへと差し向ける。
「うああああっ!?」
「シフッ!!」
「ばう、ばうう!!」
今はまだ、クロンデジゾイドの装甲が不完全ながらシフを守ってくれてはいるが、それも時間の問題だ。
起き上がったマタドゥルモンも『サウザンドアロー』で補助に回ってはいるが、本人の言う通り分が悪い。飛び回る相手に決定打とならない以上、些細な嫌がらせにしかなっていないようだった。
「……マタドゥルモン、さん」
どうにか『シャドーウィング』を受け流しながら、シフがまた震え始めた声でマタドゥルモンに訴えかける。
「先輩達を連れて、逃げて下さい」
「! シフ、それは」
「私達の目的は、聖解を、探し出す事―――っう!!」
『ヘブンズナックル』を頭部にくらい、衝撃に押し倒されるシフ。
……だが、マタドゥルモンはそれ以上シフを援護する事無く、ヘレーナ達の方へと飛び退いた。
「! マタドゥルモンさん!?」
「ばうぅ!!」
「三角、私達の目的は変わらない。……ヘレーナ」
「……ッ。……所長命令、です。この場をシフに任せ、撤退します」
「所長!!」
「行ってください、先輩」
人とは程遠い、恐竜系の顔だ。
だが、三角には、シフが微笑んでいるのだと解った。
一度見た笑みだったからだ。
怖くてたまらなくても、心の底から、誰かに向けられる笑顔。
シフが―――命尽きかけていたあの時に、自分に見せた笑顔と、同じだと。
「行けるもんか!!」
三角! とヘレーナの鋭い制止も聞かず、彼はその場から駆け出した。
「こっち、こっちだ! お前らの相手はその子1人じゃないぞ!!」
「先輩……!?」
三角は近くにある石ころを拾って、エンジェモンに向けて投げつける。
空中でヘロヘロと弧を描いた小石は、当然天駆ける天使には届かない。
何度繰り返しても、相手をガルダモンに変えても、同じ事だ。
「届け、届けよ……!」
僅かにでも隙を作れば、シフも一緒に逃げられる筈だ、と。
気を引くだけなら、自分にも出来るかもしれない、と。
無力な青年は、それ故に無謀な望みを抱く。
「俺にも……あの子を助けさせてくれよ……!」
シフを助けなければと管制室に走ったのに、あれ以来ずっと、自分は彼女に助けられてばかりだったと、三角は歯を食いしばる。
パートナーが居ない事を、自分が何もできない言い訳にしたくなかったのだ。
だって、同じようにパートナーを持たない彼女が、こんなにも、目の前で必死に、戦っているというのに。
「今度は、俺が―――」
「ダメです、逃げなさい三角! 3体目の反応が―――」
これほど頭が真っ白になる事があるだろうか、と。何も見えなくなったような世界で、三角はひゅっと息を呑む。
耳に届いたのは、名城の声だった。三角を、真の絶望に叩き落す言葉だった。
何かが、シフ目掛けて跳び下りてくる。
今度は、手を伸ばす事すら出来ない。間に合わないのだ。
「シフ―――」
全てが、スローモーションで流れる中
ようやく視界に捉えたその『3体目』は、青い毛皮を、纏っていた。
「え?」
あの毒々しい紫では無い、と気付いた瞬間、『青色』の足が捉えていたのは身を崩したシフではなく、今まさに彼女を手にかけようとしていたエンジェモンの方だと、そんな『事実』が三角の目に飛び込んでくる。
「……本当は、もうこんな戦いに加わるつもりは、無かったんだけど」
エンジェモンを蹴り飛ばして着地したそのデジモンは、静かに言葉を零しながら、三角の方へと振り返る。
「でも―――そんな風に友達を想うキミの事、やっぱりヤマトは、見捨てられないだろうから」
人狼。一言で言い表すならば、その言葉が相応しいだろう。
そしてメタルグレイモン同様に、かのデジモンを知らない人間もまた、そうは居ない。
「それに、キミが。タケルのパートナーが誰かを傷付けるなんて、そんなの絶対に、許すわけにはいかないんだ!!」
エンジェモンに向き直ったそのデジモン―――ワーガルルモンは、唸り声を上げながら再びこの、ウイルスに侵された天使に向かって、力強く大地を蹴った。
「先輩!」
入れ替わるように飛び出してきたメタルグレイモン:アルタラウスモードが、トライデントアームの隙間に器用に引っ掛けるような形で三角の身体を攫い、そのまま宙へと舞い上がる。
刹那、三角の居た場所に影の炎の鳥が降り注ぎ、瓦礫を巻き上げる。
「!」
「ダメですよ、先輩。先輩は、人間なんですから。そんな、無茶しちゃ……」
トライデントアームの隙間よりはいくらか安全そうな肩の付け根に三角を移しながら、振り絞るように、シフ。
今更のように、三角の膝も、また震え始めた。……まともに考えれば、やはり敵うような相手では無いのだ。
「……ごめん、シフ」
「でも。もしも。……先輩が、私と一緒に戦うと、言ってくれるなら」
どうか、このまま傍に居て下さい。
……シフはそう言って、また、僅かに微笑むのだった。
「……うん」
そして三角に、それを拒絶するいわれは無い。
三角はメタルグレイモン特有の赤い鬣に掴まりながら、シフの対峙するガルダモンを、彼女と同じように、じっと見据えた。
「エンジェモンはオレに任せて! キミ達は、……ガルダモンを、頼む……!」
どこか苦々しいものの混じるワーガルルモンからの頼みに揃って「はい!」と応え、ガルダモンにだけ集中できるようになったシフは、そのままぐんと高度を上げる。
ふと、その時。
こうやってシフというエインヘリヤルの傍に付いて、敵と向かい合ったこの瞬間。
「あ……」
シフと同じように赤い髪の青年の言葉が、三角の中に、この時、ようやく蘇って。
「先輩?」
―――安全が約束されている場所だろうと、こういうところでちゃんと練習しておくと、本番でも案外違うもんなんだよ。
何故か急に、ガルダモンや、自分達の状況がしっかりと見える……ようになった気がしたのだ。
ひとつが明瞭になると、連なるようにしてどんどん視界が開けている。
恐ろしい状況に変わりはないが―――それでも、「ぶっつけ本番」ではないのだと。
「……!」
シミュレーターの中で教わった通りにデジヴァイスを操作すると、シフのエインヘリヤルとしてのステータスが表示される。
そしてその中には、デジモンでは無くエインヘリヤルであるが故に所持する『スキル』の存在も。
「シフ、俺の事は心配しなくていいから、全力でガルダモンに突っ込むんだ」
「え?」
「大丈夫。……ここに書かれてる通りなら、だけど」
どうしても抑えきれなかった不安を、冗談めかして、あえて口にして。
それだけに、三角の意図が真摯なものだと、シフも理解したのだろう。
「はい!」
三角がしっかりとシフにしがみ付き直したのと同時に、メタルグレイモン:アルタラウスモードの翼で宙を叩き、シフはガルダモンとの距離をさらに縮めていく。
当然、黙って見ているガルダモンではない。『シャドーウイング』が彼女に差し向けられ―――しかしその嘴が、シフへと喰らいつく事は無かった。
「!」
エクストラクラス・シェイプシフター。
姿を変えられるキャラクターが適性を得やすいクラスではあるが、このクラスの真価は、変身・変装能力にある訳では無い。
物語への、没入。
シェイプシフターは、始めからその物語の登場人物であるかのように世界に干渉する事を許されたクラスである。特定の役を演じるエクストラクラス・プリテンダーとの違いはそこに在ると言えるだろう。
例えば、概念としてのシェイプシフターの代表例、宝箱に擬態したミミックが、もはや古典的なモンスターといえるにもかかわらず未だ多くのRPGプレイヤーたちを苦しめられるのは、「RPGに宝箱が存在するのは当たり前」だからに他ならない。
理屈としては似たようなものだ。彼らは世界の『理(ことわり)』に合わせて、自らの存在をその世界にとっての「当たり前」に定義し直すのだ。
故に、シェイプシフターのクラスは、変化者や擬態者ではなく、このような別名で呼ばれている。
『適応者』、と。
「……!!」
テイマーと「なっている」三角が正確にその性質を理解した事によって、シフの動きは目に見えて変わっていた。
彼女はいとも簡単に、ガルダモンの超速の必殺技を躱し続けているのである。
それは、エインヘリヤルが持つ特殊な『スキル』によるもの。
シェイプシフター・シフが今この瞬間行使しているスキルの効果は「回避能力の上昇」。
主要な登場人物が、まだ物語が終わってもいないのに致命傷を負う事が無いよう施される作劇からの加護―――名を、『今は淡き脚光の標』という。
いよいよシフが、ガルダモンの眼前に迫った。
選ばれし子供のパートナーという特殊な個体である故か、武之内空のガルダモンの『シャドーウィング』は、炎の属性を付与されている。
しかしかの必殺技の正体は、実のところ対象を切り裂く真空波である。当然、使用には風を発生させるためのモーションが必要となるのだ。
もはや、攻撃をするにしても防御をするにしても、必殺技を介入させる余裕の無い間合い。
そして今回は距離を詰めた側であるシフは、既にこの間合いにおける最適解を導きだしている。
「『アルタブレード』!!」
亜光速弾を温存し、そのエネルギーを全て陽電子剣に変換した斬撃が、ガルダモンを袈裟切りにする。
切り開かれた部分から血液データの代わりに紫色の塵を噴き出しながら、やがてガルダモン自身も、その塵の中へと呑み込まれて行った。
「……対象の沈黙を確認。ガルダモン、撃破です。先輩」
「うん……!」
行きとは逆にゆっくりと高度を落とし、元居た場所へと降り立つメタルグレイモン:アルタラウスモードのシフ。
見れば、ワーガルルモンは既に戦闘を終えており、手元で塵に変わっていく汚れた白い羽根を、悲しそうな目で見下ろしていて。
「……ワーガルルモンさん」
「! ……ああ、ごめん。……立派な戦いぶりだったよ、キミ達。ありがとう、ガルダモンを、止めてくれて」
「……」
2人に向けられた眼差しは、何処までも澄んだ、優しいものだった。
これまでの襲撃者たちと同じ、選ばれし子供のパートナーデジモン。
シャドウエインヘリヤルでは無いとはいえ、十分に警戒すべき対象である筈だが、三角も、そしてシフも。助けてくれた事実を差し引いても、このデジモンは十分に信用に値する、と。そう思わずにはいられなくて。
「あなたは―――」
だが、シフがそれを問いかける前に
「三角!!」
マタドゥルモンに抱えられて三角の前に降り立ったヘレーナが、つかつかと靴底を鳴らしながら、凄まじい剣幕で彼の方へと歩み寄ってきて。
「へ、ヘレーナ所長……」
「居眠りの比では無い重大な命令違反です! どうしてあんな勝手な、無謀な真似をしたのですか!!」
「え、えーっと」
「あー、すまない。結果的に助かったんだからとはもう言ったんだが」
「その事には感謝しますが、それとこれとは話が別です! 結果的に良かったとしても、独断行動がより我々を危険に曝すとは―――」
しばらく終わりそうにないヘレーナの説教と、たじたじになる三角。
おろおろと、どちらの側に付くべきかと戸惑うシフに、肩を竦めるマタドゥルモン。
それから、ようやく彼らに追いつくなり、呆れたように「くぅん」とひと鳴きするバウモン。
「……ははっ」
そんな三者三様の振舞いに懐古を重ねたワーガルルモンは、久方ぶりに、しかし密かに、笑みをこぼすのだった。
*
「つまり……あなたは石田ヤマト氏のパートナーであるガブモン……の、エインヘリヤル。『ライダー』という認識でよろしいのですね?」
所長の気がおおよそ済んだタイミングでまたしても場所を変え、ワーガルルモンから話を聞いていた一同。
折を見て三角のデジヴァイスから、名城がそう、ワーガルルモンへと問いかけると、彼はこくんと首を縦に振った。
「最も、姿はコレで固定されてるみたいだけど。オレは、ヤマトのパートナー。それは間違い無いよ。……正確に言えば、『デジモンアドベンチャー』の『ヴァンデモン編』のオレだっていうのも、なんとなくだけど、解ってる」
オレ達は、ヴァンデモンを倒したんだ。
ワーガルルモンからもたらされた情報は、三角達を大いに困惑させた。
彼らは皆、てっきり最後にはヴァンデモンと対峙するものだとばかり思っていたのである。マタドゥルモンの推測通りなら、この事件の―――『相違点D』の作成者、という意味では無く、この捻じ曲げられた『デジモンアドベンチャー』でのお台場霧事件における―――黒幕は、手段を歪められたヴァンデモンだと。
だが、ワーガルルモンによれば、ヴァンデモンは原作通り、『セイントエア』で全員の力を借りてエンジェウーモンが放った裁きの一撃『ホーリーアロー』に貫かれ、消滅したと言うのである。
しかもワーガルルモンによれば、ヴァンデモンを倒してから既に数日が経過している―――即ち、8月3日の獣の数字の時間に、闇の王は復活しなかったのだ、と。
では、この光が丘の惨状は一体、とシフが問えば―――物語が狂ったのは、ヴァンデモンの撃破。その直後であると、ワーガルルモンは答えた。
「最初におかしくなったのは、エンジェウーモンだった」
ヴァンデモンを打ち倒し、子供達が歓声を上げたのも束の間。
……エンジェウーモンが、例の紫色のオーラに呑まれている、と。気付いた時には、手遅れだった。
不意に番えられた『ホーリーアロー』はエンジェモンの胸を穿ち、次いで、妹のデジモンが突如起こした凶行に、怒りよりも困惑が勝ってしまった選ばれし子供達のリーダー―――八神太一とメタルグレイモンを貫いたのである。
「エンジェウーモンに撃たれたデジモンは、消滅しないで、エンジェウーモンと『同じ』になったんだ」
「太一さん……太一さんはどうなったんですか!?」
「……太一だけじゃない。ヤマトも、子供達は、みんな……!」
ワーガルルモンの声が悲しみとも怒りとも取れない震えを宿し、彼はもはやそれ以上を続けられ無かったが、それがむしろ、何よりも雄弁に結末を物語っていて。
「……オレは、タケルを連れて逃げた。「せめて、タケルを」って、ヤマトが……さいごに、言ったから。……でも、オレ、タケルを……守れなかった……! 水路を使ったズドモンに先回りされて、それから―――」
兄と、パートナー。それも、エンジェモンとは2度目となる別れ。
高石タケルは、そも、自分で動けるような精神状態では無かったのだという。
そんな彼を抱えたまま交戦するわけにはいかないと、近くの建物に身を潜めさせたのが最悪の形で裏目に出たのだ。
必ずタケルを守ると約束した城戸丈の『誠実』を嘲笑うかのように、影に侵されたズドモンは、目の前に躍り出たワーガルルモンではなくタケルの居る建物を狙ったのである。
「どうやったのかは、もう、覚えてない。でもオレは、ズドモンを倒して―――気がついたら、廃墟になったこの『光が丘』に居たんだ」
「……恐らく」
あまりに悲惨な『選ばれし子供達』の末路に、三角も、シフも、そしてヘレーナでさえ何も言えずに沈痛な面持ちを浮かべる中、あくまで冷静に、モニターの向こうで名城が所感を口にする。
「『デジモンアドベンチャー』の創作者である高石タケルが死亡した事により、相違点の製作者はより強くこの物語に干渉できるようになった。ワーガルルモンの「記憶に無い」移動は、いわば『場面転換』。そうやって他の選ばれし子供達のパートナーも、光が丘に集結させたのでしょう」
「……名城」
「薄情にも始末書が必要なら後でいくらでも書きます。……自分の果たすべき責務を果たせとは、貴女がいつも言っている事でしょう。今は、わたくしが適任です」
「……気を使わなくていいよ。キミ達に協力するって決めた時点で、一番しなきゃいけないのはこの相違点をどうにかする事だって、オレも、解ってるから」
言いつつ、やはりワーガルルモンの声音は沈み切っていて、三角では、何か一つかけられそうな言葉さえ、思い浮かばなくて。
だから、やはり、この場で状況を整理するのは、ある種『読者』とも呼べる俯瞰の位置にいる、名城の役割だった。
「本来この時代において、選ばれし子供のパートナーデジモンは、選ばれし子供の死と同時に消滅するように出来ています。それが起こっていないという事は、物語の改変が始まった『ヴァンデモン撃破』直後から、ワーガルルモンは相違点Dの異変に対するカウンターとして、エインヘリヤル化していたのでしょう」
世界を滅ぼすために相違点に介入した犯人にとって、選ばれし子供やそのパートナーを、そのまま生かしておくメリットはまず存在しない。
あの場で子供達が全員殺され、デジモン達がシャドウエインヘリヤル化される筋書きを、犯人は用意した事だろう。
そしてそんな中で、もしもこの残忍な改変から逃れれるための実力・子供達との関係性・動機。全ての条件を揃えられるデジモンがいるとすれば、それはワーガルルモンに他ならなかったのだ。
「そして、場所こそ変われど、未だ霧の結界が張られている―――ヴァンデモンの影響が残されてる点について。マタドゥルモン、ここまでの情報を踏まえて、あなたはどう考えますか?」
「そうだねえ」
元々表情の伺えないデジモンではあるが、どちらにせよ、マタドゥルモンは感傷的になる質でも無いらしい。普段と変わらぬ調子で、彼はアップデートした所感を詳らかにし始める。
「ウイルスの出元がヴァンデモンであるという点については、私の考えに変わりはないよ。ただ、ヴァンデモンより上位の存在がこの相違点に書き込まれている可能性は否めない」
グランドラクモンだったらどうしよう、と笑った彼を、流石にヘレーナが「縁起でも無い事を言わないで」とたしなめる。
コホン、と、わざとらしく、マタドゥルモンは咳払いをしてから、さらに続けた。
「敵は、ヴァンデモンの始まりが蘇ったコンピューターウイルスであるという点に着目したのだろう。倒され、一度は霧散したヴァンデモンを、そのままウイルスの散布爆弾として利用した、というのが私の想像だ」
「エンジェウーモンは、そのウイルスに感染させられた、ってことですか?」
多分ね、と、マタドゥルモンが三角の合いの手に頷く。
「……」
思わず視線を落とすと、知らぬ間に、三角は制服のズボンを、皺が寄るまで握り締めていた。
先ほどのシフでは無いが―――こんな、こんな悪意しか感じられない改変を、パートナーデジモンを得る事が無かったとはいえ、それでも幼い頃からずっと慣れ親しんできた『デジモンアドベンチャー』に対して施されたと思うと、そして他ならぬ、この物語の主要デジモンであるワーガルルモンの悲しみを思えば、やはり穏やかな心情ではいられなくて。
「わーう……」
シフも、先程よりも強く、それを感じているのだろう。
バウモンは心配そうに、そんな2人の顔を、交互に見上げているのだった。
「で、あれば」
故に、ここで結論を口に出すのは、最高責任者であるヘレーナの仕事だった。
自分を奮い立たせ、彼女はパートナーの出した推測から、仮の結論を導き出す。
「改変の起点がエンジェウーモンだとするのならば。かのデジモンの傍に、聖解が配置されている可能性が高いでしょう。他に悪意あるデジモンかエインヘリヤルが居るにしても、ヴェノムヴァンデモンとの決着以前の『ヴァンデモン編』における最優のデジモンは、間違いなくエンジェウーモンです。……そんなデジモンを、ただ暴走するに任せて放置しておくとは思えません」
腰を下ろしていた瓦礫から立ち上がり、ヘレーナはワーガルルモンへと向き直った。
「ワーガルルモン。エンジェウーモンの居場所は判りますか?」
首を横に振るワーガルルモンだったが、彼はすぐに「だが」と続ける。
「メタルグレイモンの居場所ならわかる。……ずっと同じところに居るんだ。まるで、何かを守ってるみたいに」
「メタルグレイモン……」
シフが胸元に手を添える。
メタルグレイモン:アルタラウスモードは、言うまでも無くメタルグレイモンの変異種だ。……シェイプシフターの性質がかのデジモンをこの相違点における最適解として選択した事実が、今まさに、彼女にのしかかっているのだろう。
メタルグレイモン。
選ばれし子供達のリーダー。『デジモンアドベンチャー』の実質の主人公、八神太一の、パートナーデジモン。
「……シフ」
「! ……いえ、大丈夫です、先輩。……私には、先輩がいるんですから」
シフは胸に当てていた手を慌てて離し、ぐっ、と力強くガッツポーズをして見せる。
……ただ、それがとても無理を隠せてはいないと、三角の表情から気付いたのだろう。
「……すみません。やっぱり、先輩にはお見通しですね。……やはり、不安なんです。エインヘリヤルとしては完全体とは言えない私の力が、八神兄妹のパートナーデジモンにまで、通用しうるのか」
彼女はその手をそっと下げ、覆っていた胸の内を静かに吐露する。
「……完全体とは言えない?」
しかしここで、三角は首を傾げる。
彼が他ならぬ彼女の肩から見た光景は、完全体デジモン・メタルグレイモンの横顔であり、エンジェモンを除けば全て完全体デジモンとの戦闘をこなす彼女の姿だったのだから。
「三角。シフが言っているのは、世代としての『完全体』ではありませんよ」
モニターの名城が、すかさずフォローを入れる。
「?」
「シフ。ここまでの様子を見るに、貴女はまだ『宝具』を使用できていない。……そうですね」
「はい」とシフはしゅんと肩を落とし、なるほど、とワーガルルモンも頷いた。
「確かに、宝具を使えないエインヘリヤルは、完全体とは言い難いね」
「! ワーガルルモンまで」
「まあ聞き給え三角。……『宝具』というのは、エインヘリヤル専用の必殺技だ」
例えば、今の私の場合、と、割って入ったマタドゥルモンが自分の足を持ち上げる。
「『蝶絶喇叭蹴』が必殺技なワケだが―――例えばとある物語に、『蝶絶喇叭蹴』の一撃だけで街のひとつを吹き飛ばせるマタドゥルモンが居たとしよう。現実には、そんな真似はこの吸血鬼の王たる私にですら不可能だが、仮にその物語のマタドゥルモンがエインヘリヤルと化したら、彼の『蝶絶喇叭蹴』は、実際に街一つを消し飛ばす威力を持つ事だろう」
そんな、デタラメな。と思わず呟く三角に、デタラメなのさとマタドゥルモンが笑う。
改めて、その続きは名城が引き継いだ。
「それが、宝具。エインヘリヤルをエインヘリヤルたらしめる逸話。相違点Dの内容を読み取る事によってシフは「最初からそこに居てもおかしくはない登場人物」と成ってはいますが、肝心の「彼女が活躍した物語」は存在していない」
三角の記憶にある宝具は、ほぼほぼエンジェウーモンの『ホーリーアロー』と呼べる一撃だった。
『彼』にも、あの一矢に至るまでの物語があったのだろうかと、そんな考えが三角の脳裏を過る。
「「登場人物にはなれても、物語が存在しない」……言い得て妙ですね」
しかし三角の思考は、隣で震えた肩を前に、すぐに現実へと引き戻される。
「そんな私が、あのメタルグレイモンとエンジェウーモンに……と、やはり、思わずにはいられなくて」
「シフ……」
「……オレが、キミ達に手を貸したのは」
と、黙って彼女を見守っていたワーガルルモンが、ぽんとシフの赤い髪に、自らの手の平を載せた。
「キミ達が自分の弱さに負けないで、大切な人のために立ち上がれる子達だって、そう思ったからだよ」
「ワーガルルモン、さん」
狼の瞳は、相変わらず、優しく細められている。
「その気持ちがある限り、この『デジモンアドベンチャー』の登場人物になったキミは、物語に負けたりなんかしないさ。作者のお兄ちゃん(ヤマト)のパートナーが保証するよ」
「……!!」
「あ、ありがとう、ございます……!!」
2人の胸に、希望が灯り始める。それだけワーガルルモンの姿が、頼もしかったのだ。
これが、八神太一と並んで選ばれし子供の双翼と知られる石田ヤマトのパートナーなのだと。真の『物語の登場人物』が周りに与える光が、三角達を奮い立たせるのだった。
「さて、目標も定まり、決心も固まったところで。気が変わらない内に、そろそろ向かおうじゃないか」
カチカチとレイピアを合わせて注目を集めるマタドゥルモン。……バウモンが「どうしてお前が音頭を取っているんだ」と言いたげに唸ったのを見て、彼はやれやれと、決断をパートナーに促す。
ヘレーナは深呼吸を挟んでから、意を決してその場から立ち上がった。
「マタドゥルモンの言う通りです。ワーガルルモン、メタルグレイモンの元に案内してください」
「……ああ」
ワーガルルモンが、先頭を行き始める。
「行こう、シフ。『デジモンアドベンチャー』を、取り戻しに!」
「わふ!」
「……はい!」
少女は、青年の手を取って立ち上がった。
序章中編・了