両足を揃え、壁に身体を打ち付けるように横向きに6回跳び、棍棒を振り下ろしながら前に進む事3歩。
神殿の柱、その木目を目印に視点を固定し、棍棒を今一度振り上げて必殺技『シャーマハンマー』を虚空目掛けて繰り出し、着地と同時――デジタルワールドにおける時間経過の最小の単位1つ分以内――に棍棒を放した手で叩いたばかりの虚空を掴み、“無”を取得。
「……これが、我らゴブリモン一族に伝わる儀式の全容です」
深緑の表皮を持つ小さな鬼人型デジモン、シャーマモンは、目の前のデジモンへと恭しげに膝を付く。
「然るべき神殿でこちらの儀式を執り行い、然るべき祭壇へと“無”を捧げれば、邪神・ムーンミレニアモンへの道は拓かれる、と。先代シャーマモンからはそのように聞いております」
「うん、待って。そもそも「“無”を捧げる」って何?」
アキレウスモンの疑問は尤もであった。
アキレウスモン。古今東西あらゆる競技を極めたデジモンの至った、人の世界に伝わる英雄の名を冠する獣人型デジモンである。
太古の昔においては1種の神事であったスポーツに精通する彼は、専門とは言い切れないまでもかなりの種類の祭事に関する知識をも有している。が、そんな彼でも初耳であったのだ。「“無”を捧げる儀式」などと。そもそも儀式の場における「捧げる」とは、神仏に物を差し出すという意味である。物が無いなら何も捧げていないのと同じなのではないか。そう考え無い方が無理のある話で。
「解りませぬ」
案の定、シャーマモンもまた首を横に振る。専門家であるシャーマモンに解らないなら、もはや誰にも解らないだろう。
「ただ、デジタルワールドとは0と1で構築された世界。0が存在するからこそデジタルワールドが成り立っている以上、無という名の0を有する事もまた、不可能では無いのでしょう」
「本当ぉ?」
「少なくとも、我らは儀式をそういうモノとして伝え聞いて参りました」
それに、と、シャーマモンは掴んだ事にしていた“無”を下ろし、ゴブリモン村の最奥にある洞窟に拵えられた神殿、その岩肌が剥き出しとなった天井を見上げる。
否、彼の視線の先は、更にその向こう。
山を越え、谷を越え、海をも越えた先で、きっと今も猛威を振るっている1体の邪神型デジモンに投げかけられているに違いなく。
ズィードミレニアモン。
数日前、突如としてこのデジタルワールドの南方に位置する大陸に現れ、破壊の限りを尽くし始めた邪悪の王。
時間と空間を超えて顕現する災厄として数々の伝説に謳われていたこのデジモンを滅するための手段を求めて、各地の勇士達はそれぞれに地元の預言者を当たった。
アキレウスモンは勇士の内の1体であり、このシャーマモンこそ、彼の地元の預言者なのである。
実際、成長期でありながらシャーマモンのもたらした情報は信憑性の高いものであった。
ズィードミレニアモンはかつてどこかの世界で激しい戦いの末に敗れたミレニアモンの屍から生まれた存在であり、その精神はまた別の異空間に存在している事。
その精神体――ムーンミレニアモンを消滅させない事には、ズィードミレニアモンを完全に倒すのは不可能であると考えられる事。
加えて、いまいち要領を得ないとはいえ、ムーンミレニアモンが存在する異空間に突入するための方法まで提示したのは、勇士同士で共有している情報を鑑みるに、このシャーマモンだけであるようなのだ。
「いかなる手段を用いるにせよ、どうにかしてムーンミレニアモンの元に辿り着き、奴を倒さん事には――デジタルワールドは、滅びまする」
そして、預言に頼るまでも無く。
シャーマモンの弁が、今この瞬間デジタルワールドが直面している危機の全てであった。
「……わかった。兎も角一度拠点に戻り、まずはその、神殿とやらを探してみよう」
「それが良いでしょう。我々も一度古文書を洗い直し、新たに分かった事があれば、すぐにご連絡を差し上げます」
「ああ、頼んだ」
そうしてシャーマモンに見送られ、脚部の盾に備わったブーストを利用し、並のデジモンでは残像も捉えられない程の速度で大地を駆けて。アキレウスモンはこの大陸の勇士達が集う拠点へと帰還する。
と、
「ああ、ちょうど良かったアキレウスモン!」
おかえり、と挨拶もそこそこに、足を止めたアキレウスモンの下へと飛んでくるのは、完全体の神人型デジモン、セイレーンモンだ。
「ちょうど良かった?」
「ええ! さっきジジモン様が、ニンゲンの召喚に成功なさったの」
歌うように告げるセイレーンモンに、なんと! とアキレウスモンも声を弾ませた。
ニンゲン。ズィードミレニアモンと同様に異世界より現れる存在ではあるが、こちらはデジタルワールドの危機をデジモンと共に救ってくれる勇者。と、少なくともアキレウスモンを始めとした多くのデジモンは、そのように伝え聞いている。
未だズィードミレニアモン討伐の目が見えない中での数少ない吉報であり、光明であった。
「ジジモン殿には報告もある。ニンゲンもまだそちらに?」
「ええ」
「では、すぐに伺おう」
姿勢を正し胸を張り、この拠点のまとめ役であるジジモンのテントへと足を運ぶアキレウスモン。
だが、入室するなり視界に入った見知らぬ影に対して、アキレウスモンは少なからず落胆を覚えずにはいられなかった。
状況からして恐らくニンゲンであるその影は、シルエットこそ近しいものがあったが、アキレウスモンよりも二回りは小さく、また、線も細かったのである。
デジもやしと呼ばれる食材を人型のデジモンに進化させたら、間違いなくこのような容姿になるであろう。というような、一言で言えば、ひ弱な印象しか抱けない形をしていたのだ。
「おお、よくぞ戻った勇士アキレウスモンよ」
奥の座敷に腰を下ろすジジモンのしわがれ声に、ハッと我に返るアキレウスモン。
今の今まで彼の気配にすら気付かなかったらしいニンゲンもまた、ジジモンの呼びかけをきっかけに振り返るなり、隈に縁取られた細い目をぎょっと見開いた。
「何から何まで、驚かせてばかりですまんなニンゲン殿。そやつはアキレウスモン。先に話した、この拠点最強のデジモンでございます」
「えっと、あ、はい。……どうも」
軽く会釈するだけのニンゲンに対して上手く挨拶のタイミングが掴めず、どうも、と似たような調子でしか返せなくなるアキレウスモン。
競技者の性質を持つデジモンとして好ましくない態度だったなと、彼は兜の下で眉間に皺を寄せた。
「そして、こちらはニンゲン殿。半刻程前に、ようやく召喚が叶っての。この世界の現状を伝えておったところなのじゃ」
「正直、そんなこと言われても。って感じなんですけど。僕が力になれそうな要素なんて、これっぽっちも見当たらないというか」
「このように今は召喚の影響で混乱しておられるが、直に落ち着いてくださるじゃろうて。なので今の内に、シャーマモンの預言について報告してくれんかの」
本音を言えばアキレウスモンもニンゲンの自認を肯定してやりたいくらいだったが、ジジモンは昔から、頑固でそうと信じたら譲らない性格であった。
今は言っても仕方が無いと、彼はシャーマモンから授けられた情報を、ジジモンに向けて詳らかにする。
ふむう、と、ジジモンは髭で覆われた顎に指を添えた。
「然るべき神殿、その祭壇で壁に身体を押しつけるように……ええと、なんじゃったか」
「6回横飛びです」
「その後武器を振り下ろしながら……ううむ、いかん、ワシでは覚え切れん。何にしても奇妙な踊りじゃ。そのような舞を奉納すれば、ムーンミレニアモンへの道が拓かれる、と?」
「シャーマモンはそのように」
「そもそも“無”を持ち上げるって何?」
「さあ……」
この拠点どころかデジタルワールドでも有数の長老デジモンであるジジモンに解らないなら今度こそお手上げではないか、と、遠い所を眺めるしかないアキレウスモン。
だった、が。
「壁に6回ステップ、前斬り3回分前進。木目を目印にカメラを固定して前方にジャンプ攻撃、着地1フレームで武器を捨てるとコマンドを誤認してアイテム取得の操作に切り替わり、“無”を取得……」
不意に、傍らで2体の会話に耳を傾けているだけだったニンゲンが、ぶつぶつと早口で、いくつかシャーマモンの述べたものとは異なる語を交えながらも、儀式と同じ物としか思えない内容を繰り返す。
まるで、件の儀式について、最初から知っていたかのように。
「ニンゲン殿?」
「えっと、ええっと……そうだ、ジジモンさん! この世界の地図、ってありますか? 世界地図です、全体が確認出来るやつ!」
「へ?」
「あの、さっきはああ言いましたけど、ひょっとしたら僕、皆さんの力になれるかもしれません」
「!」
打って変わってしっかりと声を張るニンゲンに、相解ったとジジモンはその場から跳び上がるようにして立ち上がり、彼の所望する地図を取りにその場から駆け出した。
恐らく資料置き場も兼ねている会議用のテントに向かったと見えるジジモンの背中を見送ってから、アキレウスモンはゆっくりと視線をニンゲンの方へと戻す。
変わらず、ニンゲンはひ弱な生き物にしか見えない。
今この瞬間でさえ南の大陸で猛威を振るい、強力な究極体デジモンが束になってもその場に留めるのがやっとのズィードミレニアモン相手に、何かを成せるようには、とても見えないのに。
「待たせたのう、これで良いか?」
その内に、丸めた地図を抱えたジジモンが帰還し、ニンゲンの目の前でそれを広げる。
ニンゲンはそれをぐるりと見渡して、不意に、ひとつの島の、とある地点を指さした。
「僕らが居るこの集落は、ここで合ってますか?」
「! その通りじゃ」
こくこくと頷くジジモンに、アキレウスモンも思わず目を瞬く。
ニンゲンはこの世界に来たばかりで、デジタルワールドの形など、まず知らない筈なのに、と。
対して、ニンゲンは「やっぱり」と呟いた。
「これ、“とざつー”の地図と同じだ」
「とざ……何?」
「“とざつー”、“時の狭間へ2”というゲームです。なんでだろう。何故かは解らないんですけど、この地図、僕が走っているそのゲームの世界地図と全く同じで、この集落はそのゲームにおける、所謂“最初の村”なんです」
「ゲームぅ?」
一気に視線に訝しげなものが混じるアキレウスモンに、うっ、と身を竦めるニンゲン。
ジジモンが、隣から軽くアキレウスモンを制した。
「その、とざつー? とやらは知らんが、聞いた事がある。デジタルワールドとニンゲンの世界は、密接にリンクしておる、と。ニンゲンの世界ではゲームで用いられているだけのマップデータが、デジタルワールドでは実際の地形として採用されていたとしても、そう不思議な話ではあるまい」
「本当ぉ?」
「地図情報だけじゃありません」
ジジモンの後ろ盾を得た事で、少し勢いづいたらしい。ニンゲンが再び、僅かに背筋を伸ばす。
「シャーマモンさん、でしたっけ。シャーマモンさんがアキレウスモンさんに伝えたという儀式は、“とざつー”のランで最後に使われるバグ技と全く同じなんです」
「ラン? バグ技?」
「上手くは言えないんですけど……このデジタルワールドでは、“とざつー”と同じレギュレーションが使えるかもしれない、といいますか。いや、検証しないことには断言できないんですが」
説明を飲み込めず、顔を見合わせるアキレウスモンとジジモンを前に、一度深呼吸を挟んで。
「確認させてください。皆さんは、その、ムーンミレニアモンを一刻も早く倒したいんですよね」
「それは、もちろんじゃ。早ければ早いほど良い」
その点に間違いは無いと、ジジモンが大きく頷く。
「そのためなら、どんな方法を使っても構いませんか? ……あ、その、非人道的……人道? わかんないですけど、他のデジモン? に犠牲を強いるだとか、そういう意味では無く。世界のルールに抵触する覚悟、と言った方が良いのかもしれません。そういう覚悟が、お有りですか?」
「正直なところ、お前の言っている事はよく解らないが」
視線に訝しげなものを混じらせたままではあるが、アキレウスモンは、自分達を真っ直ぐに見据えるニンゲンを見て返す。
「このままズィードミレニアモンを討てなければ、デジタルワールドそのものが無くなってしまうのだ。そうなれば、ルールも何もあったものではない」
戦う力を感じられずとも、知恵を有しているのであれば、話を聞く価値自体はある。と。
一先ずは、ニンゲンが召喚された意味を、信じる事にして。
「わかりました」
今一度、意を決した瞳で、ニンゲンはアキレウスモンとジジモンを交互に見据えた。
「“時の狭間へ2”改め、デジタルワールドにおける邪神――ムーンミレニアモン討伐リアルタイムアタック。バグありAny%カテゴリを開始したいと思います」
「えにー……なんだって?」
「Any%。簡単に言うと、ムーンミレニアモンを倒す、という目標さえ達成出来れば良い。というカテゴリです」
「実際それが目標ではあるが……そもそもリアルタイムアタックとは?」
「リアルタイムアタックはリアルタイムアタックです。ようするに「出来る限り急ぐ」という意味だと思ってもらえれば」
「うむ、まあ。それなら、望むところか」
「ちなみに目標タイムは、かなり多めに見積もって45分としておきましょう」
「45分!?」
「最速で走れば30分を切れる可能性もあります」
「30分!?!?」
思わずアキレウスモンの声がひっくり返る。ジジモンに至っては、ひゅう、と掠れた息を最後に言葉を失っている有様だ。
出現から数日を経ても討伐の目処が立たず、ムーンミレニアモンに至っては所在すらわからないかの邪神の討伐に、多めにかかってたったの45分。
信じる信じない以前に、ニンゲンの発言そのものを、2体は飲み込めないでいて。
「もちろん、この世界に“とざつー”のシステムが働いていれば、の話ですが」
念押ししつつ、ニンゲンは先のシャーマモンの儀式から、半ば確信めいたものを抱いているようだ。その眼差しに、迷いは感じられない。
「とりあえず、以降僕の事は“g”と呼んでください」
「え? は? なんで」
「これが最速で入力できるかつ、名前の文字数は少なければ少ない程テキストの表示量も減るからです。……まあ、この点に関しては、ただの験担ぎに過ぎないのですが」
ジジモンさん、と、ニンゲン改めgは、フリーズしたままでいたジジモンへと呼びかける。
「はっ! な、なんじゃ」
「通信装置的なものはありますか? 出来れば額等に取り付けられるカメラみたいなものもあれば良いんですが。僕自身のフィジカルで“とざつー”主人公の動きを行う、というのはまず無理なので、ここから先は、この集落の勇士であるアキレウスモンさんに、僕の指示通りに動いてもらう。という形になりますので」
「そうか、ニンゲンは直接戦う力は持たないのであったか。構わんか? アキレウスモン」
「オレが動く事自体には異論はありません」
むしろ、戦闘能力を微塵も感じられないgと行動を共にする必要が無いというのは、アキレウスモンにとっても都合の良い話であった。
彼の同意を以てジジモンは仲間のデジモン達に必要な機器を持ってこさせ、gとアキレウスモンが滞りなく通話し、視界を共有出来るようにセットアップする。
数分後、機材の動作確認を終えたgはモニターの前に腰を下ろし、兜の中央にカメラを、左右の側面にマイク付きスピーカーを装着したアキレウスモンに向けて、力強く頷いた。
「それでは準備も整いましたので、早速始めて行きましょう。アキレウスモンさん、ご自身のタイミングでファイブカウントの方をお願いします。そこからタイマーをスタートしますので」
「本当に測るのか……」
必要性は正直なところ感じられないでいるアキレウスモンだったが、45分でムーンミレニアモンを倒せると豪語された以上、目に見える形で計測結果を残したいという思いも無いではなく、彼はgの提案を受け入れる事にしたのだった。
息を吸って。
吐いて。
数秒の瞑想と共に心を静め、そうしてから、アキレウスモンは顔を上げる。
何があっても世界を救うと、固く誓って。
「5、4」
背後のg、そして固唾を呑んで自分の出立を見守る仲間達の耳にもよく届くよう、アキレウスモンは高らかに数字をカウントし始めた。
「3、2」
身体を前に傾け、いつでも駆け出せるように、踏み出した右足のつま先に力を込める。
「1」
「グッドラック」
gの激励が0に代わり。
同時に押されたタイマーが、新たな1を刻み始める。
勇士アキレウスモンが、世界を救う45分(予定)の1歩目を踏み出した。
「まずは村の東にある井戸に足から飛び込んでください」
「なにゆえに!?」
未だ拠点内に居るアキレウスモンの声は、gの耳にも直接届く程度には大きな困惑を宿していた。
「解説は成功時に行います。兎に角アキレウスモンさんは井戸に飛び込んで水場の判定に入り、身体の浮上が始まった直後から、良いと言うまでその場で高速で駆け足をし続けてください」
「何を言っているんだお前は」
通信用のイヤホンを押さえながら問い返しても、gは答えらしい答えを返さない。
「この技は4フレームの猶予があるので、シャーマモンの言うところの儀式に比べればかなり楽な方です。逆を言えば、この技が決められなければこのカテゴリを走ることは不可能と言っても良いでしょう」
「まず水の中でその場駆け足をする事自体不可能だろう。いくらオレが身体能力に特化した究極体だとしても、無理だ」
「無理かどうかを確認するためでもあるんです。四の五の言わずにお願いしますアキレウスモンさん」
言葉遣いこそ丁寧だが有無を言わさぬ調子で、頑として譲らないg。
アキレウスモンは真っ当に彼の正気を疑ったが、先に「どんな方法でも使う」と約束した手前。そして無根拠と信じるにはあまりにも自信に満ちたgの語調に、結局諦めて腹を括る。
「ええい、ままよ!」
視界に捉えた井戸の大分手前で踏み切って跳び上がり、両端を引っかけないよう紫水晶の穂先を持つ神槍を真っ直ぐに立てて、美しい放物線を描きながらアキレウスモンは石造りの井戸、その円形の穴へと落下していく。
次の瞬間にはどぼん、と音を立てて、揃えた両足が綺麗に着水し、飛沫を上げながら筋骨隆々の獣人の肉体が水底へと沈む。
やがてアキレウスモンのほとんど全身が井戸水に浸かった、その刹那。浮力によって身体が持ち上げられるのを感じて、彼はgの指示通り太ももをを持ち上げ、足踏みをする要領でただ、水を掻く――
――筈だったのだが。
「!?」
ぽこぽこ、ざぶざぶと泡が立ち上り水面が揺れる音が井戸の壁に反響する中、しかし土を踏むのに近い手応えと共に、どんどんとアキレウスモンの身体が上昇し始めたのだ。
それも、水面から完全に浮かび上がって尚も。果てには、井戸の縁、拠点を囲う塀の高さを優に超えて、尚も。
動きに纏わり付くように、水音だけが維持され続けているのが、アキレウスモンには殊更不気味に感じられた。
「何、何が起こっている!?」
「やりました!」
自分の動きにもかかわらず。否、どんどん宙へと浮かび上がる自分の動きが有り得ないものだからこそ困惑を露わにするアキレウスモンとは対照的に、gが声を弾ませる。
「スーパースイムステップスイム、ここまで来ればほぼ成功と言っても良いでしょう。これは素晴らしい! 人力の限界とも言われるこのステップを初見で成功させるとは」
「g! もうその場駆け足はいいのかg! なんだかひどく気味が悪いのだが!!」
「あ、いえ。まだです。油断せずそのままステップの速度を保って、約2分ほど高度を上げ続けてください」
「2分!?」
「その間に解説を行いたいと思います」
「今!?」
未だ井戸底に居るかのように妙にエコーのかかったアキレウスモンの当惑を軽く流して、さて、とgが改まった様子で口を開く。
「スーパースイムステップスイム、“とざつー”学会ではSSSSと表記されるこちらの技は、主人公の足が一定の深さのある水データに触れた際の「浮力によって身体が水面へと浮かび上がる演出」の発生時4フレーム中のみ出現する浮力の判定を踏む事で発生するバグを利用したものとなります」
「浮力の判定を踏むって何!?」
「浮力の判定、と呼んでいますが、実際には主人公の身体を水から浮かび上がらせるために出現する、キャラクターの身体を押し上げる性質を持つ透明な足場だと考えてもらえば解りやすいかもしれません。足場なので当然その上を歩いたり走ったりする事が可能で、また、本来であれば浮力の判定は、主人公が立ち泳ぎの姿勢に入ると消失するのですが、立ち泳ぎではなくダッシュの状態を維持して触れ続けると、足場としての機能を優先するよう設定されているため消失しません。するとどうなるか。こうなるんですね」
何一つ説明になっていない。と顔を顰めながら律儀にその場で足踏みを続けるアキレウスモン。その間にも、彼の身体はぐんぐんと空に昇っていく。
遂にはこの島に存在する2つの山の背丈をも追い抜いて、遠くには真っ青な水平線が覗き始めた。
「そろそろ十分な高さに到達するでしょうか。こちらのスーパースイムステップスイム、本来水の中にしか無い浮力の判定に触れ続けている都合上、主人公は未だ水の中にいるものとして扱われています」
「そうはならないだろう」
反射的にツッコんだアキレウスモンの声には未だ妙なエコーと泡の立ち上る音が纏わり付いていて、それはどうにも水中での会話演出であるようだった。
「すると、どういう事が起きるか。……アキレウスモンさん、もう大丈夫です。身体を南の方角――左に向けた後、浮力を蹴って前に向かって泳いでください」
「本気で言っているのか」
「はい」
gは一欠片の躊躇も無く応じた。
「ここ、空中だぞ。いくらオレでも落ちたら死ぬ高さの」
「ですが現在は水中でもあるので、泳げます。問題無いです」
「無茶苦茶だぁ」
「バグありなので」
単純な脚力なら究極体でも上位に位置するアキレウスモンの跳躍力を以てしても、まず到達し得ない高度。落ちたら死ぬ、という所感には、些かの誇張も混じっていない。
だが、そもそも。
「そんな事が起きる筈が無い」と言いたくなるような挙動で辿り着いたのが、この高さだ。
島全体を見下ろせる、翼を持つデジモンでさえ躊躇うような、雲の上、だ。
「っ」
槍を握ったまま腕を前に突き出し、アキレウスモンは水泳選手がスタート時に取る、水の抵抗を少しでも減らせるよう鋭角を描いた飛び込みの姿勢を取る。
そのまま意を決して、彼は思いきり、足下の『浮力の判定』とやらを蹴り飛ばした。
――刹那。
「!?」
アキレウスモンは、突如自分の足下が爆発したのだと考えた。
それ程までに凄まじい衝撃が、それまでの“浮力”の比では無い速度でアキレウスモンの身体を前方へと押し出したのである。
イメージとしては、さながらロケットの発射。この瞬間、アキレウスモンは空を泳いだというよりは、空を流れた。星のように。
「お、おわあああああああ……」
古代ギリシャの英雄・アキレウスは足の速さで知られており、当然その名を冠するアキレウスモンも抜群の駿足を誇る。そんな彼でさえ、まず体感した事の無い亜光速。
風の抵抗に頬のテクスチャをもみくちゃにされながら、アキレウスモンは次々と切り替わる景色にか細い悲鳴を残していく事しか出来ない。
「はい、ここまでがスーパースイムステップスイムです。以前から陸地と水の判定の境界線を交互に行き来するように高速ステップを行うと、本来移動していた距離分のスピードがどんどん蓄積され、そこから泳ぎに移行すると溜めた数値分一気に加速して泳ぐことができるという、スイムステップスイムというテクニックが存在したのですが、そちらを浮力判定を利用したホバー運動と融合させ、空中を高速で泳ぐ事を可能としたのがスーパースイムステップスイムとなります。スーパーと付いているのはこのためだったんですね」
「わあああああ」
「従来のスイムステップスイムでは、海辺に辿り着くまでは通常プレイ同様に大陸間移動に必要なイベントをこなす必要があったのですが、最初の村からのスイムが可能になった事で移動と戦闘イベントが全てカットされ、また、海中で小島に引っかかってスイムがキャンセルされるといった事故も無くなり、快適な空の旅を楽しめるようになりました」
「ああああああ」
「当時の世界記録から20分もタイムが短縮され、“とざつー”学会には激震が走ったと聞いております」
「ああああああ」
「まあ聞いたも何も、僕が見つけたんですが」
アキレウスモンは、風と水中のサウンドエフェクト、そして相変わらずエコーのかかった自分の悲鳴のせいでgの声がほとんど聞き取れていなかった。
仮に聞き取れていたとしても、きっと彼が何を言っているのか全く理解できなかっただろう。
確かなのは、この速度でも容易には通り過ぎられないような、広く豊かな大地が眼前に迫ってきた。という事実だけだ。
――南の大陸である。
「それではアキレウスモンさん」
アキレウスモンが自分の声を拾えていない事を見越して、gが通信用マイクの音量を上げる。
「はい、と合図をしたら、3秒後に泳ぎの姿勢を解除してください」
「!」
「はい!」
この未知の遊泳をようやく終えられると、聴力が必死で音を拾ったのだろう。指示を正確に耳にしたアキレウスモンは、急な合図にむしろ平静を保って3秒をカウントする。
直後、全身でブレーキをかけるように身体を起こせば、驚くほどすんなりと身体が停止し――次の瞬間、水中の環境音が、ふっと掻き消えた。
同時に、アキレウスモンを空の上に浮かべていた浮力の全ても。
「は?」
自由落下の始まりである。
「はあああああああああああ!?」
純正の悲鳴と共に、先程までのスイムと比べればいくらか可愛げのある速度で、アキレウスモンは地上に向かって落ちていく。
前述した通り、究極体デジモンだろうと容赦なく死ぬ高度である。
「落ち着いてくださいアキレウスモンさん」
「これが落ち着いていられるか!」
「落下中でも操作は受け付け――じゃなかった、落下地点を調整する事は出来ます」
「だから何だと」
「下には森が広がっているでしょう」
「! そうか、タイミング良く木の枝に掴まれば」
「違います。森の入り口となっている細道に着地してください」
見れば、申し訳程度に舗装された土の道が、ひょろ、と木々の合間に伸びているのがアキレウスモンの目に入って。
「地面!!」
時間も無さそうなので、アキレウスモンは「ここに激突すると自分は死にます」の意を込めて簡潔に訴えた。
「大丈夫です。僕を信じてください」
だが当然のようにgは譲らない。
彼を信じた結果、アキレウスモンは拠点の井戸から空を飛び、南の大陸に足を踏み入れ(正確には、現時点までに踏んでいたのは浮力の判定だけだが)、数秒後に地面との激突を控えている。
どう足掻いても、既に引き返せない場所にまで来てしまっているのだ。
「ああっ、もう! 死んだらバケモンになって出るからな!」
恨み言と言うより泣き言と表した方が良さげな語調で、意を決した勇士は木々に手を伸ばさず、足裏を剥き出しの大地へと向ける。
衝突すれば、どうなってしまうのか。湧き上がる嫌な想像を追い払うように、彼は固く目を瞑り――
何故か、自分の足が、自分の意志さえも無視してひとりでに。前へ数歩、土を踏みしめて歩み出るのを感じた。
「……は?」
戸惑いに瞼を持ち上げる。
視界には、鬱蒼と生え茂った木々の枝葉に陽の光すらも遮られた、薄暗い森が広がっていた。
「着地も無事成功です。アキレウスモンさんは、本当に筋が良い」
「生き」
ひゅっ、と。今更のように脂汗を噴き出しながら、アキレウスモンが鋭く息を呑む。
「生きて、オレ、生きてるっ」
「スイムステップスイム解除は立ち泳ぎの姿勢がトリガーとなっているため、泳ぐのをやめれば簡単に解除する事ができます。しかしスーパースイムステップスイムの場合は空中を泳いでいるので、そのまま着地すれば落下死してしまいます」
「やっぱり死ぬ高さだったんじゃないか!」
「そこで利用するのがダンジョン“不帰牢の森”です。ここは洞窟や城と異なり、入り口付近が別のテクスチャで覆われたり区切られたりしておらず、マップから地続きで、そのまま入れるダンジョンとなっています。この入り口――エリア移動判定に触れると、落下を含めたあらゆる移動がダンジョンへの侵入イベントに上書きされるため、これを利用して落下死を回避する事が出来るのです」
「何を言っているんだお前は」
一歩間違えれば、と身震いと共に上げた怒号も平然と受け流され、一周回って冷静さを取り戻し、結局混乱を露わにするアキレウスモン。
「ただ、森の入り口以外の場所に降りようとすると主人公フェードアウトによるロスト演出が入るため、注意が必要です」
「フキロウの森、というのは知らんのじゃが、南の大陸には“カエラズの森”という恐ろしい森が存在すると、噂を聞いた事がある。なんでも鳥型デジモンが空からこの森に降りようとすると、そのまま行方知れずになってしまうのだとか」
これまでの超展開にずっと言葉を失っていたジジモンが、gの解説にふと過った記憶を呟く。
ああ、と、gも何やら得心したように頷いた。
「そうか、ここが村じゃ無くて拠点だったり、ダンジョンの名前が違ったり。仕様は同じでも細かいところが違うんですね。ジジモンさんさえ良ければ、デジタルワールド側の用語説明の方、お願いしても構いませんか?」
「ワシがか? ワシも長く生きておる分知恵はあるつもりでおるが、g殿のように奇跡めいた業を啓示出来る訳でも無いし」
いつになく声に覇気の無いジジモン。
奇跡とまで称した、gの解説から繰り広げられる、一見すると荒唐無稽なグリッジ技の数々に、知恵者としてすっかり自信を無くしてしまっているようだ。
しかし、「いえ」と、gは真摯な様子でジジモンへと向き直る。
「僕はデジタルワールドについては何も知りません。些細な違いだとしても、より正確な情報があるに越した事は無いんです。この世界に詳しいジジモンさんに、サブ解説に回ってもらえると、僕としても心強いんですが」
「ふうむ。そこまで言ってもらえるのならば」
「では、ここからはジジモンさんにも解説に入ってもらいます。皆さんどうか、拍手でお出迎えください」
アキレウスモンの冒険を見守っている拠点の他のデジモン達の温かな拍手に、愛用の杖に付いた爪で照れ臭そうにぼさぼさの髪を軽く引っ掻くジジモン。
想像を絶する速さと高さ、そして死の恐怖に直前まで晒されていたアキレウスモンは1人、スピーカーから漏れてくる和気藹々とし始めた拠点の空気に、釈然としない表情を浮かべるのだった。
「では、有識者の方に加わっていただいたところで再開します。アキレウスモンさん、僕の指示通り森を進んでください」
そんなアキレウスモンの心情を知ってか知らずか、彼への指示についてはあっさりと仕切り直すg。
ややぶっきらぼうに「わかった」と応じて、アキレウスモンは一応gの指示を聞き飛ばしてしまう事の無いよう、ジョギング程度の速さで駆け出し始める。
「しばらくはまっすぐで大丈夫です。その間に、不帰牢の森改め、カエラズの森について解説していきましょう」
上空から森に入ったデジモンは帰ってこない。というジジモンの振ってきた話題について、gが振り返る。
「基本的に、ダンジョンや一部の建物は、通常のマップからは独立した空間となっています」
「それはワシらでもなんとなく解るのう。データで出来たこの世界では、たとえば家を建てる際、外観には拘らず、その分内部の容量を拡張するというのは珍しい話では無い故」
「それなら話は早いですね。先に述べた通り、南の大陸にある“カエラズの森”以外のダンジョンは、出入り口付近が別のテクスチャに覆われた洞窟や城となっています。この場合、露出しているテクスチャを見た目通りの素材データに設定しておけば、上に乗ってもただの足場としか機能しないんですよね」
「しかし、森はそうではない。いかに密集して生えていようとも、木々には隙間があり、普通の森であればそのまま中に入る事も出来る、と」
gは嬉しそうに頷いた。
「そうです、そうです。なので“カエラズの森”ではプレイヤーの不法侵入を避けるために、入り口以外の森の上空に通称“強制ロスト判定バリア”が張られています」
「強制ロスト判定バリア」
「恐らくコレが、飛行の出来るデジモンを消し去っていたモノの正体でしょう」
「なんと。恐ろしい事じゃ」
「ホントだよ」
gの指示を聞かずに森に飛び込んでいたら。過ぎ去った選択が、またしてもアキレウスモンを震わせる。
最初に高度を稼いだのは加速のためだけではなく、落下地点をバリアに触れない範囲から調整する余裕を作るためだったとgは補足するが、それが出来るのも、結果的に事が無事に運んだからであるワケで。
「本当に、軽々しく言ってくれる」
堪えきれなくなって、いよいよアキレウスモンの口から不満がこぼれた。
「そもそも「run」などと。お前の言い分からして、これまでオレがやってきた動作は、ゲームの主人公にお前がさせているものなのだろう? 自分自身が走るワケでもないのに、それは少しおこがましいんじゃ無いのか?」
「スポーツを極める事で究極の位に至ったデジモン」、それがアキレウスモンだ。彼自身の在り方が、余計に憤りに拍車をかけ、口調もやや嫌味じみたものとなってしまう。
そんな風に言われてしまっては、gだって黙ってはいられない。むっ、と、彼は口を尖らせた。
「ランはランです。学会員達が検証や解析を繰り返して情報を共有し、僕自身も何百時間も練習を重ねて。そうしてようやくここまでタイムが縮んだんです。足で地面を蹴る事ばっかりが「run」だと思わないでください」
gは、“時の狭間へ2”というゲームを誰よりも速く「走る」自分に誇りを持っている。同時に、自分をここまで押し上げてくれたライバル達に対しても。
「世界記録を20分も短縮した」と述べた通り。彼は、このカテゴリで世界一の頂に立つ走者なのだ。
「オレ達はデジモンだ。お前の話は解らなくても、バグが良いものじゃないっていうのは知ってる。そんなズルをしてまで“ただのゲーム”を素早くクリアして、いったい何の意味があるんだ」
「意味ならあったでしょう。あなた達デジモンみたいに戦う力も無い一般人の僕を呼び出さなかったら、今頃アキレウスモンさんは、まだ最初の島から海に出られてさえいませんよ」
「……」
「それに、逆に聞きますけど。「ただ速く走る」事にだって、何か意味はあるんですか?」
アキレウスモンは押し黙る。
戦う力の無い一般人。他ならぬアキレウスモン自身、gに対してそのような印象を抱いている。
gを喚び出したのはジジモンだ、その点については自分は関係無い。と心の中で結論付けて、開き直る事自体は可能だろう。
だが、その後については。アキレウスモンは、反論を用意出来なかったのだ。
ただ速く走る行為に、意味はあるのか。
もちろんデジタルワールドで生きる上で、スピードステータスの高さには十分過ぎる程の有用性があるとはいえ――スポーツとして見た時には、と。
自分はどうして、スポーツ競技を極めるという方法で、究極体を目指したのだったか。と。その答えを。
「け、ケンカは止すんじゃ」
それよりも、と。一気に悪くなってしまった1人と1体の空気を慌てて振り払うようにして、沈黙の間にジジモンが割って入る。
「アキレウスモン、違和感を感じぬか」
「?」
「カメラで見る景色とは子細が異なるのやもしれんが。先程から、周囲の風景にあまりにも変化が無いように見えるぞ」
「……言われてみれば」
少し歩調を緩め、道端の小石や草の配置を注意深く意識して進めば――どうにも、同じ景色を繰り返しているように見えて。
「最速だと3ループ目で主人公がその事に気付くイベントが発生するのですが、乱数が悪かったですね」
やや棘を含んで、g。
アキレウスモンは、眉間に皺を寄せた。
「お前、知っているのに、黙っていたのか?」
「アキレウスモンさんに気付いてもらうのが大事だと思ったので。でも、そうじゃなくても良かったみたいですね」
「お前……」
「やめろ、やめるんじゃ。g殿も、どうか気を鎮めてくだされ」
「僕は冷静です」
「オレもだ。だから、どういうつもりかを問いただしたい。いくらものの数分で南の大陸に辿り着けたとはいえ、で、あれば尚のこと。こんな場所で足止めされる謂れは無いと思うのだが」
「ちゃんと、目的はあります」
アキレウスモンの耳に届くのは、gの深呼吸。
実際、彼は気持ちを落ち着かせようとしているらしい。
「『カエラズの森』には着地の他に、「必要なアイテムの回収」という目的があります。最初の「ループを自覚するイベント」が発生すると、正しい分かれ道を選んで森の最奥を目指せるようになるんです」
「その、ループに気付かん内は、奥を目指せんのか?」
「途中までは行けるんですが、ループ自覚時に強制的に最初のエリアに戻されるので、結果的に分かれ道を真っ直ぐ進み続けた方が短縮に繋がるんですよね。記録を狙う場合は主人公がループに気付かないようお祈りしながら進む事もありますが、成功したパターンは数える程も無いです」
「そんなところまでゲーム通りとは限らんのだから、やってみても良かっただろう」
仏頂面で吐き捨てるアキレウスモンを、今一度ジジモンが窘める。が、
「いいです。そこに関しては、実際アキレウスモンさんの言う通りだったかもしれませんから。お伝えしなかったのも、僕の不手際です。……すみませんでした」
完全に落ち着きを取り戻したらしいgが素直に謝罪の言葉を口にして、むう、とアキレウスモンは、ばつの悪そうな吐息を漏らす。
数秒、細い唸り声を上げてから。
「いいや。オレの方こそ、協力者であるお前に対してひどく礼節を欠いた物言いばかりしてしまった。……悪かったな」
呻くような声音ではあったが、アキレウスモンもまた、自分の非を認める。
スポーツマンシップ――お互いへの理解は足りずとも、gもアキレウスモンも、己の生きる“競技”には、きちんと真摯であるが故に。
謝罪と同時に現場の緊張が和らいだ事で、ジジモンもホッと胸を撫で下ろした。
「して、必要なアイテムとは?」
完全に悪い空気を断ち切る意味も込めて話題を切り替えれば、はい、と完全に気持ちを切り替えたらしいgが小気味良く応じた。
「まず、この分かれ道を右に進んでください。次が左なので、道の左端に沿うようにするとタイムが短縮出来ます」
ジョギングのペースを戻し、指示通りに道を行くアキレウスモン。
言う通りにすると、代わり映えの無かった景色に時折道具が転がっていたり、有用な薬草が生えているのが目について、gの指示があればそれを拾った。
「ところで、今一瞬、向こうに光るボックスが見えたような気がするのだが」
「宝箱ですね。今回は使用しないアイテムなので、スルーしてください」
「ちなみに何が入っていたんだ?」
「金塊です」
「教えて欲しかった」
「大丈夫です。お金は無くても世界は救えます」
「救った後になり必要なんだよお金は」
数分前までに比べれば和やかに時間を送る事およそ3分弱。
基本的には保険だといういくらかの回復アイテムを回収し終えたアキレウスモンの視界に、うっすらと。これまでとは異なる拓けた空間が入り始めた。
「所謂ボス戦です」
gが静かに告げる。
「ボス。強力なデジモンが待ち構えている、というワケか」
「はい。ジジモンさん、質問なんですが、枝に木の実をたくさん付けた、大きい木みたいなデジモンって、いたりしますか?」
「それなら、ジュレイモンというデジモンがおるのう」
「ジュレイモン。オレより世代はひとつ低い、完全体のデジモンだな。単純な戦闘であれば遅れは取らないと思うが、狡猾な上に様々な能力を持つと聞いている。簡単に勝てる相手だとは断言できないな」
「アキレウスモンさんのスピードなら、あまり心配は要らないと思います」
それよりも、と。gは続ける。
「ジュレイモンが生っている実を落とすような攻撃を使ってきたら、落ちた実を3つ、いや、安定を取って4つ回収してください。それで、カエラズの森で集めるアイテムは最後になります」
「『チェリーボム』じゃな。間違っても口にしてはならんぞアキレウスモン」
食べるワケが無いだろうと肩を竦めるアキレウスモン。
そうこうしている内に、奥でアキレウスモンを待ち構えるジュレイモンの輪郭が見えてきた。
逞しい手が、神槍の柄を握り直す。
「では、アキレウスモンさん。ボスエリアに後ろ歩きで入ってください」
「何故そう毎回突飛な提案を……」
とはいえ何か理由があっての事だと指示に従い、背中向きに森の際奥へと足を踏み入れるアキレウスモン。
その、次の瞬間。太い木の根が絡み合いながら、来た道を塞ぐように地面から突き出した。
「!」
「後ろ歩きでボスエリアに侵入すると、驚いて振り返る演出をカット出来るので2秒短縮できます」
「だから、知っているなら心の準備の方をさせてほしかったのだが!?」
「ほぉう。ここまで遊びに来てくれるお客人は、随分とまあ久しぶりだなぁ」
アキレウスモンの抗議もそこそこに遮って、巨大な弦楽器を思わせる、間延びした声音が低く響き渡る。
元の進行方向へと振り返れば、暗い葉を茂らせた大木のデジモン・ジュレイモンが、口ひげじみた葉の下でにやりと笑みを浮かべていて。
「良い、良い。究極体とは。なかなか喰らい甲斐のありそうなデジモンであるなぁ。我と共に、この森で永久を愉しもうぞ」
「断る」
一目見て判る下卑た気配をばっさりと切り捨て、アキレウスモンは、静かに神槍を構えた。
勇猛なる戦士を見下ろして、ジュレイモンは一層、笑みを深くする――
「はい、始まりました。カエラズの森のボス、ジュレイモン戦です」
gが開幕を告げるのと同時に、アキレウスモンの目の前で、ジュレイモンの巨体が突如として噴き出した霧に覆われるようにして掻き消えた。
「!」
「幻覚じゃ、気をつけよアキレウスモン!」
「木の根を操って刺突攻撃を行ってきます。そこまでの速度は無いので、冷静に回避してください」
「了解した、っと!」
道を塞いだ時のように、太い木の根がアキレウスモンの胴を刺し貫こうと伸びた。
とはいえ、先刻体感させられた空を泳ぐ速度に比べれば可愛らしいものだと、アキレウスモンは筋肉をしなやかに逸らして攻撃を悠々と回避していく。
「開幕『チェリーボム』の場合もあるのですが、今回もちょっと乱数が悪かったですね」
「何の話?」
今度は霧の中から、束ねた蔓を鞭のように振るうジュレイモン。アキレウスモンはやはりそれも軽々と躱すが、その様子がジュレイモンを躍起にさせるのか、『チェリーボム』を使わずに、次々と根や蔓が差し向けられる。
「というか、これは良く無い乱数を引いていますね。本番の魔物――いえ、本番のデジタルモンスターと言ったところでしょうか。ジュレイモンが機嫌を直してくれるよう、皆さんお祈りをお願いします」
「何に対して??」
更に飛び出してきた根の先端を、神槍で斬り払うアキレウスモン。ツッコミを入れる余裕のある彼に、とうとうしびれを切らしたらしい。
「『チェリーボム』!」
必殺技の宣言が響き渡り、サクランボに似たつやつやとした赤い実が、雨のようにアキレウスモンの頭上へと降り注いだ。
「『アステロイディス』!」
まずは自分の身に降りかかりそうな分を、脚部の盾で弾くようにして蹴り飛ばし、振り払うアキレウスモン。
そうしてから、バラバラと音を立てて地面を跳ねるその実を、彼はすかさず、gの指示通り4つ拾い上げる。
「お見事! アキレウスモンさん、そのままジュレイモンが最初に出現したポイントに」
「こっちか」
アキレウスモンはその場から跳ね退き、霧の中でもジュレイモンの元いた場所として注意していた地点へとしっかり着地する。
「そのまま壁のようになっている茂みに、背中が付くまで下がってください」
「こうか?」
指示通り下がれば、枝葉がちくちくとアキレウスモンの背を刺す。この中に紛れて後ろから刺し貫かれれば、いくら究極体とはいえひとたまりも無い筈だが――ジュレイモンは真正面から、薙ぎ払うように太い蔓を差し向けてきて。
「よしっ、ジュレイモン、デレました! アキレウスモンさん、ノーガードで受けてください!」
「は?」
完全に攻撃を防ぐか回避するつもりでいたのに。
思わぬ指示に呆けた一瞬が、意図せずgの思惑通りの隙となる。
「ほげえ」
木肌の鞭はアキレウスモンの大胸筋を強かに撃ち、茂みの壁の中に押し込むようにして彼の身体を弾き飛ばす。
そう。茂みの壁の中に、押し込むようにして。
「げほ、げほっ。っ、g! 何故防げる攻撃を」
「お疲れ様です」
gからの労いの言葉に遮られるまでもなく、アキレウスモンは既に、言葉を失っていた。
上空には、木々に遮られていない青い空。
森の外の、景色であった。
「カエラズの森、クリアとなります」
「え。……は?」
ぱちくり、と目を瞬かせても、景色は変わらず。
執拗に攻撃を繰り返していたジュレイモンの殺気立った気配も、もはや微塵も感じられなくなっていて。
「加えてこれ以上ダンジョンを攻略する事は無いので、カエラズの森が実質のラストダンジョンとなります」
「釈然としないんだが。滅茶苦茶釈然としないんだが?」
「ここからまたしばらく移動が入るので、詳しい話は今から解説します。アキレウスモンさんは先程拾った薬草で回復しながら、道なりに進んで行ってください」
多分聞きたい内容は解説しないんだろうなと半ば確信しつつ、どうせ言っても仕方ないとも理解しているので、データを圧縮保存できるアイテムボックスから取りだした薬草を食みながらアキレウスモンは出立する。
回復プログラムを含んだ青い葉っぱは、甘い香りの割に苦酸っぱい味がした。
「ジュレイモンは攻撃力が低い代わりにHPが高めに設定されており、また、こちらの攻撃を受け付けない時間が非常に長いので、僕達の界隈では通称“遅延樹”と呼ばれています」
「ふむ、ジュレイモンの知恵者としての側面と、おぬしらにとっての遅延行為を連発する存在という意味でのダブルネーミングじゃな」
「流石、話が早いですねジジモンさん」
何故ジジモンはこんなにもgと打ち解け始めているのだろうと、独特の風味のせいで噛んでも噛んでも飲み込めない薬草を噛み締めながら、アキレウスモンは僅かに首を捻った。
「遅延樹にはこの後の攻略に必須となる木の実……『チェリーボム』でしたね。『チェリーボム』さえ回収出来ればもう用は無いので、回収後は森から脱出するのが定石となっています」
「しかし、カエラズの森と称されるぐらいじゃ。あの時も、出口らしい出口は見えなかったように思うのじゃが」
「そうなんです。本来カエラズの森は、遅延樹を倒さないと出口が現れないようになっています」
妙に合いの手も熟れてきたなと、アキレウスモンは更に首を傾ける。
「とはいえ、出口の出現箇所は最初から決まっています。もっと言えばエリア移動判定を、ジュレイモンの討伐が消滅フラグになっている茂みのテクスチャで覆い隠している。と言った方がいいかもしれませんね」
「つまり、見えない、触れないだけで、出口自体は最初からあるのじゃな」
「その通りです」
まあ呑み込みが早いのは、ジジモンもまた知恵者である故かとそこには納得し、アキレウスモンはようやく薬草を飲み込んだ。
「そこで、ジュレイモンの攻撃に束ねた蔓による薙ぎ払いがあるのですが、これを利用します。この技を防御せずに喰らうと、主人公を強制的にダウンさせられます。また、ボス部屋の全域に攻撃が届くよう、この薙ぎ払いは壁を貫通する仕様になっているんです」
言いながら、gは両手を持ち上げ、指を揃えて手の平をくっつけ合わせる。
「どれだけぴったりくっついているように見えても、仕様の違う壁同士、この手と手の間みたいに隙間が存在するんです。そこにジュレイモンの攻撃でアキレウスモンさんを押し込んでもらって、茂みの先にあるエリア移動判定を踏んでもらいました。このバグ技は、通称プルーニングオブディレイウッド、つまり“遅延樹剪定バグ”と呼ばれています」
「いや、剪定も何も、奴の枝葉のひとつも傷つけられた覚えがないのだが……」
薬草の後味が薄れてきたらしいアキレウスモンが、ようやく所感を口にする。
「というか、あのジュレイモンの言動から推察するに、奴はこの地域の住民達に仇成す存在ではないのか。倒しておかなくて良かったのか?」
大丈夫です。とgは軽い調子で応じた。
「遅延樹は邪神……じゃなかった、ムーンミレニアモンと関係の無い、南の大陸の一般通過怪異なので」
「一般的にはそれを一般と言わない気がするのだが」
「そうは言っても現地の樹です。自然の摂理が生んだ存在である以上、そっと見守るのも環境保護の一環でしょう」
「くっ、詭弁だと解るのに環境云々を盾にされると反論しづらい」
だが実際、gの言う通りであるのならば、ムーンミレニアモンの討伐と比べれば優先度が低いのも事実。
森の歩き方もこうしてカメラに記録されているワケであるし、ご当地脅威を取り除くのは世界を救ってからでも良いだろうと、アキレウスモンも気を取り直した。
「さて」
それ以上反論も無いと見て、gもまた仕切り直す。
「ラストダンジョンも乗り越えたので、そろそろ折り返し地点ですね。長く険しい道のりでした。後半も張り切っていきましょう」
「険しいのは否定しないが……」
怒濤の展開は体感としても一瞬で過ぎ去り、実際拠点を出てまだ20分も経過していないのだ。
アキレウスモンは僅かに振り返って、遠い所を見た。
あの空を泳いできたのだなあと、ぼんやり、そう思った。
「もう少し時間があるので、先程拾った『チェリーボム』について、先に解説しておきましょう」
「それは、その、頼む」
前方に向き直りながら、アキレウスモンは胸を撫で下ろした。今度は先に説明してもらえるのか、と。
心の準備の偉大さは、この十数分で噛み締めたばかりである。
「『チェリーボム』は、本来特定のNPCとのみ交換イベントが発生するアイテムなのですが」
「誰が欲しがるんだこんなもの」
「香り高く味は良いらしいので、なにかと需要はあるのでしょう。事実、我々“とざつー”走者にとっても、『チェリーボム』は大変価値のあるアイテムですし」
「実際金塊を無視して取りに行ったワケだしな」
思い返したアイテムボックスから滲み出る黄金の輝きが、幽かにアキレウスモンの後ろ髪を引くのだった。
「それで、『チェリーボム』の使い道なのですが。こちら、敵モンスターに対して使用すると、固定ダメージを与えられるアイテムとなっておりまして」
「なっておりましても何も、デジモンの必殺技である以上それがメインの性質だと思うが」
「そうなんですか?」
珍しく問い返してくるgに、説明しよう、とジジモンが名乗り出る。
「ジュレイモンの『チェリーボム』は、その実を食べた者を死に至らしめるという必殺技じゃ」
「え、食べる人本当にいるんですか」
「ほとんどおらんので、ナウいヤングなジュレイモンは、実そのものが名前通りに爆発するように品種改良を重ねておるというウワサじゃ。カエラズの森のジュレイモンは、かなりの古株であったのじゃろうな」
そもそもナウいヤングなジュレイモンとは? 聞き慣れない表現も含めて、アキレウスモンもgも疑問を抱かずにはいられなかったが、その点については結局尋ねる事はしなかった。
「まあつまるところ、体内に取り込むと内部からデータを破壊する。というのが、『チェリーボム』の性質なのじゃろうな」
「つまり、ラスボス攻略にこの実を利用できるのは、バグではなく、仕様……!?」
「おい待て」
だが、一人驚きを露わにしているg対しては、アキレウスモンは追求せずにはいられなくて。
「ラスボス。今、ラスボスと言ったか。ムーンミレニアモンの事でいいのか?」
「え? ああ、はい。そうです。『チェリーボム』は、ムーンミレニアモンの攻略に使用します」
「『チェリーボム』で倒す気なのか?」
「『チェリーボム』で倒しますね」
ムーンミレニアモンは実体の無い精神だけの存在である。その点については、gの言うところの“とざつー”ラスボスも同じであるらしい。
「なのでムーンミレニアモンにダメージを与えるには特殊な装備が必要なのですが、最速を攻める以上、取りに行っている時間はありません」
「「急がば回れ」って諺、知ってる?」
「その「回れ」の部分が、僕達に取っては『チェリーボム』なんです」
イベントボス。分類的には、ムーンミレニアモンはそういうものにあたるらしい。
主人公の今までの経験値を駆使して戦う相手としては、ズィードミレニアモンが実質のラスボスで、ムーンミレニアモンは、本来回収する筈の装備で攻撃を加えていけば、半ば自動的に倒せるようになっているのだ。
「この特殊な装備がこの場面でしか武器として使用出来ない、という仕様の関係なのか、ムーンミレニアモンのHPそのものはかなり低めに設定されているんです」
「精神体とはいえ、デジモンである以上ムーンミレニアモンもまたデータの塊じゃ。『チェリーボム』を体内に取り込ませれば、そのデータを破壊することが出来る、と」
「固定ダメージを利用して倒している、というのが通説だったのですが……他のダメージ付与アイテムは効かないので、そういう事なのかもしれません。仕様だとすれば、“とざつー”学会に激震が走りますよ。バグ無しカテゴリでも使えるようになるんですから」
学会が存在する事にはやや懐疑的ではあったが、井戸に飛び込んで空を飛んだり、森の入り口で落下を帳消しにしたり、敵に叩かれた結果出られない筈の森から弾き出されたり。といった理不尽の数々に比べれば、まだ理解できる話だなとアキレウスモンはふっと鼻を鳴らす。尤も、次の瞬間には、この十数分で随分と毒されてしまったなと、笑みを引きつらせていたのだが。
まあ、「ムーンミレニアモンは倒せる」と。
それさえ確実であるならば、文句を言う程ではないかとアキレウスモンは軽く肩まで竦めてみせるのだった。
「っと、そうこうしている内に。アキレウスモンさん、前方に村が見えませんか?」
gに促されて顔を上げると、バリケードに覆われた集落が街道の先に見えてきていた。造りからして村と呼ぶにはやや急拵え感があるあたり、アキレウスモンの居たところと同じような、ズィードミレニアモン討伐隊の拠点のようである。
「その村は次のエリアに続く門みたいなものだと思って、そのまま突っ切ってください」
「ここは通り抜けるだけでいいのか?」
「はい、イベントはあるのですが、スルーできるので気にせず進んでしまってください」
イベントが起きる、と予知のような事を言われてしまうと流石に気にはなったが、足を止める程の事では無いのならまあ良いかと、駆け足のままアキレウスモンは拠点に足を踏み入れた。
案の定、中はアキレウスモンの居た拠点と似たような造りになっていた。
こちらの方がやや活気があるとはいえ、店舗や倉庫、作戦会議室を兼ねたテントがあちこちに立ち並んでいる様子は、アキレウスモンにも馴染みがあるもので。
と、
「ん? お兄さん、この辺じゃ見ないデジモンだね」
入り口近くのテントから出てきた赤い恐竜のようなデジモン、ティラノモンが、アキレウスモンに気付いてぱちりと目を瞬かせる。
「g、流石に挨拶ぐらいはしておいてもいいだろう」
「うーん……まあ、流石にそこは、現地のアキレウスモンさんの判断にお任せします」
「では。こんにちは、ティラノモン。北にある島から、ムーン……ではなかったな、まだ。ズィードミレニアモンを討伐するために馳せ参じた、アキレウスモンという者だ」
「おお、究極体のデジモンじゃないか! 心強いよ、助っ人なら、強いデジモンはいくら居てもいいからね」
ここに居るのは補給部隊なんだ。とティラノモンは続ける。
彼の視線を追って辺りを見渡せば、成熟期以下のデジモンばかりが目に付いた。
「ズィードミレニアモンみたいな化け物相手じゃとても戦力にはなれないけれど、その分サポートは頑張らせてもらうよ。流石に物資はタダでとは言えないけれど、休息所なんかは自由に使ってくれて構わないからね」
「ありがとう。今は急ぐので休んでは行かないが、お前達のような支援者がいると思うと、オレも一層張り切れるというものだ」
ティラノモンがニコ、と細めた目で弧を描き、つられるようにしてアキレウスモンも表情を綻ばせる。
彼らのようなデジモンのために世界を救いたいと思うと、心なしか、再び駆け出した足取りも軽く感じられて。
そうやって、アキレウスモンが気持ちを新たにした、まさにその時であった。
「きゃああああ!」
成長期だろうか。子供のものらしき悲鳴が、突如として響き渡る。
「何だ!」
声の出処と思わしき方を見やれば、そこに居たのは腰を抜かしたパルモンと、パルモンを庇うようにして倒れたハヌモン。そして彼らを見下ろしながら、青い狼のデジモン・ガルルモン――身体に黒い影のような者が纏わり付いている――が、牙を剥き出しにして低く唸り声を上げていた。
ハヌモンの傷口を見るに、伝説の金属ミスリル並みの硬度を誇るという、ガルルモンの背中に生えたブレード状の毛に切り裂かれたようだ。
「一体何が――うわあ!?」
「! ティラノモン!?」
続けざまに、何かが爆ぜる音がして、先のティラノモンが声を上げて倒れる。
どさあ、と巨体が地面に投げ出される振動と共にアキレウスモンが振り返った先には、ガルルモンと同じ黒い影を纏った、立派な角の付いた頭殻を持つオレンジ色の恐竜型デジモン・グレイモンが、口元から火花を迸らせていて。
「この邪悪なオーラは……まさか」
「! ジジモン殿、奴ら、普通のデジモンではないのか?」
デジモンが答えるよりも早く、成熟期らしからぬ速度で、それこそアキレウスモンの警戒をも掻い潜って拠点の中央に移動したガルルモンとグレイモンが、「普通のデジモンでは無い」と見せつけるように影を増幅させ、お互いの身体を包み込む。
影は、時間が急速に進んだかのように、彼らの姿を完全体、究極体のものへと次々と作り替え――やがて、2体の身体を、暗がりの中で混ぜ合わせる。
「――っ!?」
メタルガルルモン。
ウォーグレイモン。
ガルルモンとグレイモンの最終進化形として一般的に知られている2種の頭部をもした砲筒と剣を携え、純白のマントを翻し、聖騎士がその見た目に反してあまりにも禍々しいオーラと共に、顕現した。
オメガモン。
世界の守護者集団『ロイヤルナイツ』に所属する、最強格のデジモンである。
「ど、どうして……? オメガモン様は、ズィードミレニアモンと戦っている筈じゃ」
自体の飲み込めない住民の1体が声を震わせる。
「まずい」と焦燥を滲ませながら、ジジモンが口を開いた。
「ズィードミレニアモンの元になったミレニアモンというデジモンは、キメラモンとムゲンドラモンというデジモン2種を合体させて生み出されたデジモンだと言われておる」
キメラモンは様々なデジモンの要素を合成して作られたデジモンで、ガルルモンとグレイモンもまた、その「様々なデジモン」の中に含まれている。
「あの禍々しいオーラは、間違いなくズィードミレニアモンのもの。彼奴め、恐らく己のデータの断片から自分を構成するデジモンの姿をした分身を生み出し、時間を操る力でその進化段階を操作したのじゃ」
「そ、そんな真似が出来るのか……!?」
「“とざつー”の邪神の部下達と設定が同じですね。であれば、ジジモンさんの仰っている通りである可能性が高いかと」
話には聞いていても、これまで直接目にすることは無かったズィードミレニアモンの脅威を眼前に突きつけられ、さしものアキレウスモンも全身の毛を逆立てる。
同様のデータを持つ以上、デジタルワールドでも屈指の実力者と謳われるオメガモンと同等の実力を持つに違いない、黒いオーラのオメガモンに対する、恐れ。
だが、それ以上に――憤りが、アキレウスモンの全身を駆け巡っていた。
過剰戦力を以て弱者を蹂躙し、同時に前線の補給路を断つという、ズィードミレニアモンの、この世界のデジモン達を嘲笑うかのような狡猾さが、アキレウスモンには許せなかったのだ。
左腕の『グレイソード』を掲げる黒いオーラのオメガモンを睨めつけ、ぐっ、と、アキレウスモンは神槍を握り締める手の平に更なる力を込め――
「アキレウスモンさん。その騎士を無視してこの拠点を出てください」
――gの言葉に、一瞬。世界が止まったような錯覚を覚えた。
「……は?」
辛うじて絞り出した一音に、「ですから」とgは淡々と続ける。
「これが、先程お話ししていたイベントです」
「何を言って」
「一刻も早く、ムーンミレニアモンを倒すんでしょう?」
「だが、ここでオレが逃げれば、この拠点のデジモン達は」
「諦めてください。タイムは命より重いんです」
「そんなワケがあるかあっ!!」
その瞬間、ぶつん、と自分の中で何かが切れる音に従って、アキレウスモンが咆哮を上げる。
「うおおおおお」
槍を突き出して突進し、今まさに振り下ろされんとしていた『グレイソード』をかち上げ、盾のブースターで加速した回し蹴りが、オメガモンの細い腰に打ち据えた。
「む――無茶です! 単純に無謀なんですってば!!」
つい「いつもの調子」で呟いてしまった一言が完全に失言だったとようやく気付いたgが、通話用のマイクにしがみ付いて声を荒げる。
「その騎士、オメガモン? は、通常でも勝てる相手ではないんです!」
gの発言を裏打ちするかのように、アキレウスモンの必殺の蹴り『アステロイディス』にも、オメガモンはびくともしない。
紛い物の聖騎士は、ただ静かに、『ガルルキャノン』の照準をアキレウスモンへと合わせた。
「戦っても負けるんですってば! 本当なんです! ステータスが違い過ぎて――」
「ええい、煩い! 見損なったぞニンゲン、お前の言う事などもう知らん!」
アキレウスモンは、兜に装着していたスピーカーを、激昂に任せてかなぐり捨てた。
「アキレウスモンさん!」と鋭くgが彼を呼ぶ声が、『ガルルキャノン』の発射音に紛れて遠のいていく。
「っ」
素早く足を持ち上げ、黄金の円盾の曲面で、アキレウスモンはどうにか放たれた冷気弾を上空に向けて受け流す。
が、その衝撃のすさまじさたるや。ジュレイモンの蔓による薙ぎ払いなどとても比較にはならない。足の付け根にまで稲妻のように痺れが駆け上がる感覚に、アキレウスモンは思わず顔を顰めた。
そう何発もは防げない、と。
「『アネモダルメノス』!」
ならば、と繰り出すのは、彼のスピードを最大限に利用した必殺技。高速移動によって残像を発生させ、敵を攪乱する『アネモダルメノス』だ。
「逃げろ、皆の者!」
素早さだけであればオメガモンにも引けを取らないとは、初撃で確認済みだ。
思惑通りオメガモンが『ガルルキャノン』の狙いを付けられないでいる間に、アキレウスモンは住民達に向かって声を張り上げた。
逃がすか、と言わんばかりにまたしても左腕を持ち上げたオメガモンの眼前へと、やはり先程と同じように、アキレウスモンが突撃する。
「余所見を、するなァ!」
正真正銘の自分自身でオメガモンの視界へと覆い被さり、懐に潜り込んで槍を突き出す。
だが、今度は軽く体を捻るのみでオメガモンがアキレウスモンの攻撃を躱し、弾丸も刃も届かないと高を括っていた彼の背に、鈍器のようにして『ガルルキャノン』の側面を叩きつけた。
「かはっ」
呼吸が途切れ、張り倒され、地面を転がる。
決死の思いでなんとか足裏を付け、ブースターの噴出を利用して、アキレウスモンは己を無理やり立ち上がらせた。
「っ、う……!」
代償に、足首に嫌な痛みが奔った。
だが折れたり、あのまま追撃を加えられるよりはずっとマシだと素早く呼吸を整えるアキレウスモン――の、眼前に。
「――ッ!?」
差し迫る『ガルルキャノン』。
咄嗟の防御は、槍の柄によるものしか間に合わない。
当然完全には受け流せず、衝撃と極低温に包み込まれたアキレウスモンの身体が、拠点の端にあるバリケードへと叩きつけられた。
「ぐああ……っ」
硝子の砕けるような音と共に、氷の破片があたりに飛び散る。完全にとまではいかずとも凍り付いていた全身のテクスチャがみしみしと軋み、白んだ視界に星が弾ける。
「う、う」
ただ――文字通り頭が冷えて。
ふと、アキレウスモンの脳裏を、とあるアイテムの存在が過った。
「そうだ」
直線上に、次弾を撃ち出さんとするオメガモンを捉える。
「ひょっとしたら」
次で確実に決めるために、しっかりとその場で構えたオメガモンを。
アキレウスモンは、鍛え上げられた肉体を信じ、鼓舞して、己を立ち上がらせる。
そうして、歯を食いしばりながら重い穂先の堪える神槍を持ち上げ、こめかみにまで引き寄せた。
「『ロンヒ・アディスタクト』ッ!!」
『ガルルキャノン』とギリギリですれ違うように、槍を投擲するアキレウスモン。
コンマ数秒遅れて、アキレウスモン自身もまた、その場からスタートダッシュを切る。
槍と同じくらい際どいラインで『ガルルキャノン』の隣をすり抜け、半身に霜を纏わりつかせながら――それでもアキレウスモンは、にやりと口角を吊り上げる。
うまくいった、と。
……渾身の必殺技は、躱されていた。
だが、オメガモンの胸を、掠めはしていた。
究極体の全力、当たればいかなる装甲をも貫きデジコアを穿つ一撃は、微かなものとはいえ、聖騎士の鎧に傷を開いていて。
小ぶりな“果実”にとっては、それは十分な隙間であった。
加えて、こと単純な素早さに関しては。
それだけは、アキレウスモンの走りは、オメガモンを上回っている。
「はああああ!!」
アキレウスモンは纏めて握りしめていた『チェリーボム』を、オメガモンの傷口へと捩じ込んだ。
槍を手放して身軽になった彼の速度はオメガモンでさえ到底対応出来るものではなく、聖騎士は、勇士の特攻を許してしまった。
そして――その刹那。
「!」
オメガモンの身体が、傷口を中心に、内側からボロボロと崩れ落ちていく。
ここまでの激戦を思うと、あまりにもあっけなく感じる程に。
『チェリーボム』。
食べたデジモンを死に至らしめる――即ち、データを内側から強制的に破壊する、必殺の果実。
ジジモンの推測は、どうやら正しかったらしい。と。
ほっ。と吐き出した安堵の息に引っ張られるようにして、アキレウスモンは、その場に倒れ込んだ。
*
生まれた島にそびえる2つの山。その周囲を修行場と定めて、パルスモンは毎日決まったルートを駆け巡った。
速く、速く。と足を突き動かし
早く、早く。と己の進化を急かした。
トレーニングの成果か。パルスモンはやがて、走る事に特化したランナモンとなり、より速く走るための機構を組み込んで、ピストモンへと進化した。
それからさらに修行を重ねて、あらゆる競技を学び、磨き、究極の位――アキレウスモンにまで至っても、彼は毎日毎日、変わらぬルートを走り続けた。
今日もまた、同じ景色を、昨日より少しだけ速く行く。
だが、ふと。
自慢である筈のスピードに、ささやかな物足りなさを覚えた気がして――
*
「はっ」
アキレウスモンがその場から飛び起きる。
刹那、節々が鈍い痛みを訴えたが――先の激闘を思えば、そう大した感覚でもなく。
「?」
「ああ、よかった!」
と、アキレウスモンの目覚めに気付いたのか。ぬっ、とティラノモンが、その大きな顎を覗かせた。
「アイテムが足りたんだ……! お兄さん、具合はどう?」
「! 治療してくれたのか」
かたじけない、とその場から立ち上がるアキレウスモン。
ティラノモンは制したが、動ける姿を見せた方が安心させられるだろうと判断しての事だった。
実際、あちこちに傷は残り、自慢の盾や装具にもヒビが入っているような有様だが、気力は十分。足の動きを阻害する程の負傷は無く、隣に置かれていた槍の切っ先に毀れは無い。
戦いの妨げになるものは、何も無いのだ。
「オレはどのくらい気を失っていた?」
「1時間も経っていないと思う。流石究極体、信じられない頑強さだ!」
「……そうか」
1時間も経っていない。
だが、1時間近い時間。
脳裏に過った『目標タイム』が引っかかって、アキレウスモンは、ティラノモンの称賛を、どうしてだか素直には受け止められなかった。
だが――同時に
「ありがとう。本当にありがとう」
「あなたがいなければ、一体どうなっていた事か」
「この御恩、絶対に忘れません」
アキレウスモンの起床を知ったデジモン達が、口々に感謝の言葉を紡ぐ。
安堵に綻んだ彼らの顔を見渡して。己の選択はけして間違いではなかった、と。アキレウスモンは確信を持って大きく頷いて返した。
この拠点を、守り通せて良かった、と。
「皆が無事で良かった。こちらこそ、貴重な回復アイテムを使わせてしまったな。ありがとう。お前達に、心からの感謝を」
深々と頭を下げ、それから、アキレウスモンは歩み出す。
「! 待ってアキレウスモン、もう行っちゃうの?」
「ああ。まだ、行かねばならないところがあるからな」
アキレウスモンの浮かべた笑みは爽やかかつ柔和なものだったが、住民達は、そこになんとなしに究極体としての威厳を感じ取り、彼を引き留められなくなってしまう。
そうしてさらにアキレウスモンが歩みを進める中――
「あ、あのう」
1体の成長期デジモン――頭に鮮やかなピンクの花を咲かせたデジモン・パルモンが、意を決して彼の下へと駆け寄ってきた。
「?」
「これ、アキレウスモン様のですか?」
おずおずと葉っぱに似た形の手が差し出したのは、兜の側面に付けられるようになっている特製のスピーカーホンで。
……アキレウスモンが、オメガモンと戦い始める際に、投げ捨てた物だ。
「大事なものかもしれないと思って」
おそらく、ハヌモンに覆いかぶさられていたために、アキレウスモン自身がこれを投げ捨てた場面を見てはいなかったのだろう。
「ああ」
アキレウスモンは、パルモンの手の平からそれを摘み上げる。
「拾ってくれて、ありがとう」
ぱあ、とパルモンが目を輝かせる。
ぺこりと頭を下げ、駆けていった先で、身体に包帯を巻いてはいるもののどうにか大事無さそうな、金の毛皮を持つ猿のデジモン・ハヌモンが、はしゃぐパルモンを出迎えていた。
最後にもう一度だけ彼らに手を振り、出口にあたるアーケードをくぐりながら、アキレウスモンは元あった位置にスピーカーを装着した。
しばらくの沈黙があり。やがて。
「すみませんでした」
先に口を開いたのは、通話は出来ずともカメラで状況を把握していたgだった。
「心無い事を言ってしまって。状況はゲームと同じでも、アキレウスモンさん達にとってはそうじゃないって。解っていなきゃいけなかったのに」
先刻までの饒舌さは無い。どこかたどたどしく、口の中で転がすようにして、ひとつひとつ選んだ言葉をgが呟く。
「本当にごめんなさい。……僕は」
「凍ったのと、眠ったのとで、少し、冷静になってな」
だが、唐突に。アキレウスモンは、gの言葉を遮った。
「?」
「もちろん、お前の言った事には今でも腹が立つ。だが」
よくよく考えれば、と、至極穏やかな調子で、アキレウスモンは続ける。
「あの拠点への助太刀が間に合ったのは、お前のアドバイスで迅速にここまで辿り着けたからだ」
「……。……いや、それは、フラグが」
「決まったイベントとやらなのかもしれんが、ひょっとすると、そうでは無かったかもしれん。少なくとも、オレはそう考える事にした」
「……」
「それに、『チェリーボム』が無ければあの偽オメガモンは倒せなかった。あったとしても、使おうという発想が、お前抜きでは浮かばなかっただろう」
「アキレウスモン、さん」
「だからその点には、感謝するべきだと思ったのだ。……ありがとう、g」
ズズ、と鼻を啜る音の後、弱々しく、僅かに掠れた声で、「はい」とただ一言、gが応じる。
対してアキレウスモンは、あえて声のトーンを軽くする。
「オレも頭に血を上って、こちらの都合で喚び出した協力者であるお前に、ひどい暴言を吐いた。すまなかったな」
「い、いえ……」
「これで、おあいこという事にしよう。だからどうか、引き続き。ムーンミレニアモンまで辿り着くための段取りを教えてくれ」
「……はい」
「ああ、ただ、本当に。本当にさっきみたいな事は、もう口にしないでくれ。それだけは約束して欲しい」
「反省しています」
「なら、いいんだ」
仲直りじゃな。と、静かに経過を見守っていたジジモンの呟きが1体と1人の耳に届いて。
ふわりと軽くなった雰囲気に、アキレウスモンとgは、どちらともなくふっと笑った。
「では。ランを再開しましょうか」
「望むところだ」
今ひとたび、アキレウスモンが走りのギアを上げた。
「……と、言いつつ。ちょっとチャートの見直しが必要かもしれません」
「?」
首を傾げたアキレウスモンに、一瞬思考に時間を割いてから、「あのですね」とgが言葉を紡ぐ。
「アキレウスモンさん、オメガモンを倒すのに『チェリーボム』を使ったんですよね」
「ああ」
「1つ、じゃないですよね」
「2つ使った」
オメガモンは、2体のデジモンがジョグレスして生まれるデジモンだ。当然構成データも2体分あるため、1つでは心許ないと、そう判断せざるを得なかったのだ。
「ムーンミレニアモンを倒すには、本来『チェリーボム』が3つ必要なんです」
「……」
「希に、本当に希に、乱数の関係で4つ必要なので、予備としてひとつ多めに拾ってもらったのですが……」
「手元に残っている分では足りない、と」
力無く肯定するg。
「そう遠い位置では無い。一度カエラズの森に引き返して、ジュレイモンから回収するのはどうじゃ?」
ジジモンの提案にも、gは首を横に振る。
「確かにマップとしては比較的近所ですが、近いのはあくまでカエラズの森の出口です。こちらはボスを倒していないので解放されておらず、入り口に戻るには大きく迂回してダンジョンを1つ攻略するか、もう一度どこか水辺からスーパースイムステップスイムを使う必要があります」
それだけなら良いのですが、と、それでも良いと言いかけたアキレウスモンに対して、gは浮かない表情で続ける。
「他に例えようが無いのでゲームの内容で話しますが、どうか許してください。オメガモン戦は、“とざつー”では本来負けイベントなんです。普通に戦っても勝てず、代わりにいつでも逃げられるのですが、負けても逃げても村は滅びてしまい、主人公は敵との実力差に、そして自分の弱さに打ちひしがれる……というストーリーに繋がります」
最初に説明されていたとしても敵前逃亡は選べなかっただろうが、アキレウスモンの中で、gが戦闘を止めた理由はようやく腑に落ちた。
結果が同じになるのであれば、タイムを、そして力やアイテムの温存を優先する。確かに、理には適っている。と。
「しかしその弁だと、ひょっとして」
「はい。このイベントには、勝利時のパターンもちゃんと存在しているんです」
やりこみ要素。
ゲーム的には、オメガモンの攻略は「2週目からのお楽しみ要素」に分類される。
「オメガモンを倒すと、それだけの実力者である主人公を警戒し、邪神が各地の部下達をパワーアップさせ、敵の配置も変わります。遅延樹は一般通過怪異なのでカエラズの森の難易度自体は変わりませんが、その周辺や迂回ルート上にオメガモンに匹敵するエネミーが出現するようになってしまうんです」
「つまり」
一旦足を止め、アキレウスモンは困ったように顎に手を添える。
「『チェリーボム』の再回収にも、高いリスクが付き纏う、と」
「そして、今から通常攻略に切り替えるとしても、既に難易度が跳ね上がっている。というワケなんです」
アキレウスモンに後悔は無い。
後悔は無いが、再びオメガモンやそれに匹敵する猛者と死闘を、それも何度も演じろと言われれば、平時であればいざ知らず、ムーンミレニアモンという最終目標がある以上、厳しいと思わずにはいられなくて。
「このまま儀式会場――シャーマモンさんの預言にあった場所に直行する場合は、強敵とのエンカウントはもうありません」
「もうそんな段階まで来ていたのか」
重ね重ね、gが自分を急かした理由を噛み締める羽目になり、アキレウスモンは天を仰ぐ。
そうまでしてもやはり、自分が間違っていたとは思わないが、その分厳しい状況に置かれたのは完全に自己責任だと、そんな実感も湧きはしていて。
アキレウスモンの必殺技は、3種類。
超加速によって分身し、敵を翻弄する『アネモダルメノス』。
盾のブースターを利用して敵を蹴りつける『アステロイディス』。
そして、全力で神槍を投擲し、敵のデジコアを穿つ『ロンヒ・アディスタクト』。
どれも、精神体を攻撃できる特性は有してはいない。
対策を求めて死闘に身を投じるか。
対策も無しに死闘に身を投じるか。
どれだけ世界の理に触れる術を持とうとも、今在る選択肢は、1つに2つである。
……やがて。
「g。このままムーンミレニアモンの下へと案内してくれ」
アキレウスモンは、選んだ道を口にする。
「いいんですか、アキレウスモンさん」
「ああ。幸い、『チェリーボム』は2つ残っている。1度でも喰らわせれば、奴のデータが異常を起こして通常の攻撃が通るようになる可能性も、0ではない」
それに、と、gが反論する前に、アキレウスモンはどこか晴れやかな笑みを湛えて続ける。
「オレがムーンミレニアモンの居場所を突き止め、そこに辿り着く方法を提示できれば、他の勇士がその後に続ける筈だ」
自分が為す術無く敗れたとしても、方法さえ判れば、誰かがムーンミレニアモンを倒せると。
最悪の場合を想定しつつ、その上での最善手が、アキレウスモンの提案であった。
「アキレウスモンさん……!」
抗議じみたgの声音にも、今この場を実際に走っているアキレウスモンを止めるだけの力は無い。
ぽん、と、ジジモンがgの肩を叩く。……そうして彼も、観念したのだろう。
「わかりました」
深呼吸を挟んで、gは今一度マイクの根元を押さえる。
「ここから街道を逸れて、右側に進んでください」
それでいい、と、アキレウスモンは駆ける。
「では、ワシはここからの映像を何があっても絶対に保存できるよう、手続きをしておくわい。g殿、少々席を替わってもらうぞい」
「了解です。指示する分には問題無いので、後ろで続けさせてもらいますね」
マイクがいくらかモニターの操作音を拾う中、gの指示に従って走り続けるアキレウスモン。脇道は傾斜になっていて、どうやらゆるやかな山道へと足を踏み入れたらしい。
しばらく進むと、簡素な丸太小屋が見えてきた。
「そこの山小屋に入ってください」
「勝手に入って大丈夫か?」
「確かそこは、休憩所として解放されている小屋なので問題ないです」
「で、あれば良いのだが」
一応ノックをするも案の定反応は無く、鍵もかかっていないとみて、恐る恐る扉を開くアキレウスモン。
最後に使用されたのはいつになるのだろう。山小屋は少しばかり埃っぽく、しかし余計なものが置かれていない分、汚いといった印象を覚える程では無かった。
見れば見るほど、普通の小屋である。
「それで、この小屋がどうかしたのか?」
「ここが儀式会場です」
「本気で言ってるぅ?」
アキレウスモンは食い気味で問い返した。この手の反応は約1時間ぶりである。
だが意識して見てみると、少なくとも「四隅に柱がある」という条件は満たしている。ついでに、槍を振り回したり、横飛びを複数回行っても問題は無さそうな程度のスペースも確保できてはいて。
ここまで来てgが嘘を吐く筈は無い、と。これまでの経験から、アキレウスモンは比較的早い段階で気を取り直し、彼からのアナウンスを呑み込んだ。
「このあたりでいいのか」
アキレウスモンは実際に目にしたシャーマモンの預言を頼りに、部屋の隅にぴたりと肩を押し当てる。
gの指示の下、十数秒かけて細かい位置を調整し、両足を揃えて――
「いざ」
壁に身体を打ち付けるように、横向きに6回跳び。
神槍を振り下ろしながら、前に進む事3歩。
その場で身体の向きを変え、柱の木目を注視する。
「約3万分の1まではズレても許されるので、落ち着いて調整してください」
「許されてる要素あるぅ?」
カメラ越しにgにも視点を確認してもらい、やがて、意を決してアキレウスモンは、神槍を振り上げた。
「フンッ!」
短いかけ声と共に、その場を蹴ってシャーマモンの必殺技『シャーマハンマー』を模倣したジャンプ攻撃を虚空に向けて繰り出し、着地と同時――gの世界では「1フレーム」と表現する時間以内――に、槍を手放した手で打ち据えたばかりの虚空を――
「g、手応えがまるで感じられないのだが」
取得するものが“無”である以上問題無いのか? と首を捻るアキレウスモンだったが、どうやらそうではないらしい。
「恐らく失敗です。ちょっと回収が間に合わなかったんだと思います」
でも、筋はかなりいいです。“無”の取得までは何度でもやり直せるので、それまでリトライしてみましょう。と、励ますような調子で、g。
わかった、と力強く頷いて、アキレウスモンは最初のポイントへと引き返す。
“無”の取得、ステップの距離、視点の位置。
何度儀式を繰り返しただろう。
未だ“無”は、アキレウスモンの手元には降りてこない。
その度にgやジジモンがアキレウスモンを鼓舞し、スピーカーの拾う音声には拠点の仲間達の応援も混じり始めた。
だからだろうか。不思議とアキレウスモンの頭に、焦りだとか、gが間違っているだとか、“無”は取得できないから“無”なのだとか、そういう考えが過ったりする事は無くて。
ただ、速く。
もっと速く、神槍を手放し、そこにある筈のものを引き寄せねば。と。
意志を固め、全神経を尖らせ。アキレウスモンはアスリートとしての魂を賭けて、儀式だけに集中していた。
やがて。
「壁に向かって6回」
足を揃えての横飛び。
「前に3歩」
槍を振り下ろしながら。
「木目を注視」
僅かなズレも許さずに。
ここまでは順調だと、モニター越しに齧り付くように見入るg達。
「スゥー……フッ!」
息を整え、アキレウスモンが跳んだ。
神槍で空を切り。
柄から手を放し。
手を伸ばし。
「……っ!」
その刹那。アキレウスモンは、確かに“何か”を掴んだ。
「や」
アキレウスモンが
「やだこれ、しっとりしてる……!!」
顔を顰めて、所感を述べた。
対してgが「やりました!」と声を弾ませる。
「やりました、やりましたねアキレウスモンさん! それが“無”です!」
「この“無”、妙に湿っている気がするのだが!?」
「“無”はしっとりしていたんですね」
「そんな感心した風に言われても」
gにも厳密な正体はわからないとみて、余計に気味が悪くなるアキレウスモン。
とはいえ折角入手した“無”をその場で手放す訳にもいかず、片手で槍を回収し、“無”と一緒に胸元で抱えながら、アキレウスモンは辺りを見渡した。
「それで。確かシャーマモンは、然るべき祭壇へとコレを捧げよと言っていた筈なのだが。然るべき祭壇とは?」
「その小屋の角にあるクローゼットですね」
「そんな事ってあるぅ?」
「正確には、“無”を所持したままクローゼットを開けるモーションに入ると、そのまま邪神ムーンミレニアモン戦のボスエリアに突入します。任意コードを実行して、ゲーム――じゃなかった、世界の側に座標を勘違いさせている形ですね。クローゼットを経由して異空間にワープする事から、“とざつー”学会ではこの技を“クロニクルオブ何ニア”と呼んでいます」
「大丈夫なのかそれは」
「元ネタの著作権は切れているのでセーフです」
「じゃあいいか」
アキレウスモンは、ついにツッコミを破棄した。
究極体の順応力とも言える。
「それよりもすまなかったな。想定以上に時間をかけてしまっただろう」
「いえ、それこそ大丈夫です。このバグを成功させれば約5時間の短縮なので、初見である事も考慮すれば少しくらいの失敗は誤差ですから」
「5時間短縮!?」
「はい。バグ無しで走ろうとすると、先程の村からズィードミレニアモン戦に直行しても、過去編の攻略が必須になってくるので、そのくらいは」
「過去編。……過去編?」
知らぬ間にすっ飛ばされた、あったかもしれない未来――否、過去を想像して目を回すアキレウスモン。
ジジモンが「ズィードミレニアモンの必殺技『タイムデストロイヤー』をくらう羽目になるのやもしれんな」と推測で補足を入れるが、その後どうなってしまうのかは“時の狭間へ2”を遊ばない事にはわからないのである。
だが、この世界の住民であるアキレウスモンにとっては、この冒険は、戦いは、“今”だけのもの。
「本当に行くんですね、アキレウスモンさん」
どこか引き留めるような、躊躇うようなニュアンスを含めて、g。
対するアキレウスモンは、迷い無く頷いた。
「どうなるにせよ、今撮っている映像は必ず保存しておいてくれよ、ジジモン殿」
「出来る事なら、思い出話になるように、な。必ず、必ず戻ってくるのじゃぞ、勇士アキレウスモン」
「……」
アキレウスモン、アキレウスモン、と、他のオーディエンス達も、打って変わって返事をしないアキレウスモンへと呼びかける。
そうして――
「アキレウスモンさん」
――最後に、gが彼の名を口にして。
スピーカーの向こう側が、はたと静まりかえる。
「何だ」
「グッドラック、です」
そんな中gが選んだのは、アキレウスモンをこの短い旅へと送り出した言葉。
幸運を祈る、短い言葉であった。
「ああ」
にやりと口角を持ち上げて、代わりに持ち上げていた『無』を放した手がクローゼットの取っ手へと伸びる。
次の瞬間、世界が渦を巻くようにして暗転した。
「!」
目を凝らしてなお、己の姿を認知するのがやっとの暗がり。
足場も定かでは無い、時折、水に垂らした絵の具じみた、歪な濃紺のマーブル模様が蠢くばかりの異空間。
気温そのものが低いわけでは無さそうだが、アキレウスモンは、手足の露出した部分に嫌な肌寒さを覚えずにはいられなかった。
「聞こえていますか、アキレウスモンさん」
幸い、引き続き通信には影響が無いらしい。
gの声を拾ったスピーカーに軽く胸を撫で下ろしながら、アキレウスモンは「ああ」と短く応じた。
「良かった。足場は見えないと思いますが、落下するようなポイントは無いので安心してください。そこから数歩進んだ先が、ボスエリアです」
今更gを疑ったりはしなかったが、念のため慎重に歩みを進めるアキレウスモン。
1歩を踏み出す毎に、ここに辿り着くまでの苦難が、出会ったデジモン達の表情が蘇る。
「いや、今結構な数の知らない出来事とデジモンが脳裏を過った気がするんだが」
「ムービー入りましたね」
「何の?」
「邪神は時間に干渉できるので、きっとアキレウスモンさんが辿らなかったルートもついでに再生してくれているのでしょう」
「何? そういう趣味か何かなのか?」
思わぬ軽口を挟むgとアキレウスモンだったが――不意に、彼の背に冷たいものが走る。
「っ」
気配の出処を睨み付ければ、つい先程までは確かに何も無かった筈の空間に、青白い光と共に浮かび上がる影がひとつ。
それは、水晶であった。
内側に異形の二頭が蠢く、巨大な六角柱――ムーンミレニアモン。
妖しく光る赤い4つ目に睨み付けられると、歴戦の勇士アキレウスモンまで、身の竦むような悍ましさを湛えている。
最初から解っていた事ではあるが――とても、言葉の通じる手合いでは無い、と。
「先手必勝!」
駿足の英雄の名を冠する獣人型デジモンは、ムーンミレニアモンが何らかの動作を見せる前に『チェリーボム』を取り出し、投げつける。
精神体故に実体を持たず、あらゆる物理攻撃を受け付けないムーンミレニアモンは、果実の投擲を避けようともせず――
「――!」
しかし、水晶の壁面をするりと抜けて、『チェリーボム』がそのままムーンミレニアモンの身体を通過していくかと思われたその時、突如として水晶の中の異形がぶるりと全身を震わせた。
何らかの衝撃を受けているとは、想像に難くない。
「もう1発!」
ムーンミレニアモンに動揺が走っている内に、と、アキレウスモンは『チェリーボム』、その最後の1つを続けざまに投げつける。
ただでさえ投擲の必殺技を持つ究極体の一撃だ。そもそも攻撃を避ける必要が無いため俊敏性を持たないムーンミレニアモンに、それを回避する術は無い。
咆哮と共に、身悶えするムーンミレニアモン。
内部からデータを破壊する『チェリーボム』は、邪神のデータであろうとも例外なくダメージを与えているらしかった。
「ダメージを、与えてはおる。が……」
叫び声は徐々に唸り声へと変わり、赤い目が改めてアキレウスモンを睨めつける。
「ダメだ」
カメラ越しにその眼光を浴びたgが、声を震わせた。
「やっぱり、足りなかったんだ」
『デス・クリスタル』。
自身と同じ水晶の形を取った弾丸が、散弾のようにアキレウスモンへと降り注ぐ。
「くっ、『アネモダルメノス』!」
盾のブースターを展開してその場を跳び退き、そのまま速度を維持した走りが残像を残してムーンミレニアモンを攪乱するが、邪神の攻撃は範囲までもが規格外だ。
避ける避けない以前の問題ではない単純な数の暴力がやがてアキレウスモンへと追いつき、彼の肉体を掠めていく。
「うぅう!」
『デス・クリスタル』はムーンミレニアモン同様に、物理的な破壊力を持たない必殺技だ。
代わりにこの攻撃は、当たった相手の精神を蝕む。
心を削り切り刻むような、例えようも無い不快感に、アキレウスモンは表情を歪める。
とても、何度も受けられる攻撃では無い、と。
「『アステロイディス』!」
ならば、と腹を括ってムーンミレニアモンの懐へと飛び込み、ブースターの噴出込みで地面を蹴って跳び蹴りを叩き込むも、『チェリーボム』とは異なりアキレウスモンの身体はムーンミレニアモンの向こう側へとすり抜けていく。データがある程度壊れたからといって、精神体という性質まで変化するワケでは無いのだ。
ただ、がら空きになった逞しい背中が、邪神の瞳に晒された。
「ぐあああっ」
「アキレウスモンさんッ!!」
『デス・クリスタル』を背中に浴びたアキレウスモンの苦悶の声に、gの悲鳴が重なる。
邪神が僅かに、そして悪辣に目を細めた。
「ああ、アキレウスモンさん……!」
「何か、何か手段は無いのか、g」
ジジモンが焦燥混じりに問いかけても、gが己の頭を抱えて髪を掻きむしっても、事態を好転させる手段はどこにも無い。
万策尽きたのだ。
「……を」
だから。
「お祈り、を」
絞り出すようにgが口に出来たのは、競技としてゲームを走る際。実力や技術ではどうしようもない場面で、競技の視聴者に求める言葉だけ。
「せめて――お祈りを、お願いします」
他に、アキレウスモンに対して出来る事は無いと。gの弱々しい声から、皆が悟る。
それ故に、彼らは祈った。
それが唯一出来る事なら、唯一でも出来る事をしようと。
手を合わせて、目を閉じて、心で願う。
どうか、アキレウスモンを助けて欲しい。と。
たくさんのデジモン達が、そう願ったのだ。
「……え?」
不意にモニターから届く光が強まったような気がしたgは、恐る恐る瞼を持ち上げ――己の目を疑った。
そしてそれは窮地に立たされたアキレウスモンの方も似たり寄ったりで、ムーンミレニアモンまでもが、その光景に気圧されたのか、どこか身を竦ませているようにも見えて。
gが感じた通り、モニターには、光が。
黄金の輝きが、アキレウスモンの神槍、その切っ先に、溢れんばかりに集っていたのである。
「これ、は」
「なんと!」
事態に気付いたジジモンがモニターとgとの間に割って入り、何らかの操作を施す。
途端、画面の右下にカウンターが表示された。
カウンターには、2万近い数字が刻まれている。
「ジジモンさん、これは一体」
「先程ワシは、アキレウスモンの旅の記録を保存するために、このデータをデジタルワールドの共用データベースに現行でアップロードしたのじゃ」
「え、つまり、実質ライブ配信、って事ですか?」
「わからん、ゆくゆくは皆に見てもらうつもりでそうしたのじゃが、現段階ではそういう形で再生されていたのかもしれん。少なくとも、誰かが映像の閲覧を始めて、その誰かが話を広めて――この短い間に、瞬く間に。カウンターに表示されている数だけのデジモンへと、知れ渡っていったのじゃ」
世界を救うために戦っているデジモンがいる。と。
どんな突飛な手段だとしても、ムーンミレニアモンにまで辿り着いたデジモンがいる。と。
見て、知って、理解して。……だから、今この映像を見ているデジモン達は、gの頼みに応えて、祈ったのだ。
がんばれ。
負けるな。
――勝て。と。
デジモン。正式名称、デジタルモンスター。電子情報で構成された生命体。
ムーンミレニアモンが精神体という名のデータの塊であるように、彼らの精神もまた、データの塊なのである。
故に、彼らの祈りはデータとして、映像を逆行し、その配信元であるアキレウスモンにまで直接届けられる。
1体1体では微弱なデータ量であろうとも、2万もの『祈りのデータ』が集まれば――!
「アキレウスモンさん!」
gが呼びかける。
「今の槍なら、皆の“お祈り”データが集った槍なら! ムーンミレニアモンに届く筈です!!」
届け、とgもまた、強く祈る。
届かないワケがないと、確信する。
そうでなければ、ムーンミレニアモンがこうも恐れおののいている筈が無い。目映い光に照らし出されて、赤い目に怯えを宿している筈が無い。
「応!!」
折られかけた心を奮い立たせ、勇者は光り輝く槍の柄を握り締め、振りかぶる。
何せ、世界を救う動機が、また1つ増えたのだから。
魅せ付けねばなるまいと、アキレウスモンは、神槍の目映さにも負けない程白い歯を覗かせて笑った。
「神槍がムーンミレニアモンを貫いたら、タイマーストップです!」
「『ロンヒ・アディスタクト』!!」
流星にも似た閃光が暗がりを裂く。
投擲槍は、迎え撃つように放たれた『デス・クリスタル』を悉く打ち砕き、真っ直ぐに邪神の中核へと伸びる。
永遠にも似た瞬き程の刹那。
きぃん! と水晶の砕け散る音から一拍遅れて、ムーンミレニアモンの断末魔が、空間そのものを揺らさんばかりに響き渡る。
「GG!!」
1時間52分19秒。
興奮と熱気に突き動かされるようにして吼えながら、gがタイマーのストップボタンに指を押し込んだ。
*
「それではアキレウスモンさん、完走した感想の方をお願いします」
「ちょっと今怒濤の展開に頭が追いついていないから後にして欲しいんだが……」
ぼう、と魂が抜けたかのように遠くを見やりながら、深く椅子にもたれ掛かるアキレウスモン。
すみません、と苦笑いと共に、gがマイクを胸元へと下げた。
ムーンミレニアモンを槍で貫いた、その後。
アキレウスモンは、道連れと言わんばかりに始まった空間の崩壊に巻き込まれ、しかしウェンディモンという、成熟期でありながらミレニアモン種と同様に時間と空間を操る力を持つ獣人型デジモンに救い出された。
当然彼とは初対面である筈なのだが、ウェンディモンは恐るべきイケメンボイスで「ここでお前との因縁を終わらせるのは云々」等唖然とするアキレウスモンへと一方的に語りかけ、そのまま姿を消してしまったのである。
そうして、次にアキレウスモンが目を開けた時には、彼は最初の拠点、己が宛がわれたテントに横たわっていて、まさか全て夢だったのではと訝しがりながら外へ出てみれば、宴の支度が整えられており、あれよあれよという間にアキレウスモンは本日の主役として、会場へと引っ張り出されたのであった。
見渡せば、拠点の仲間達に混じって、否、拠点の仲間達を上回る数の見知らぬ顔が、飲めや歌えやの大騒ぎを繰り広げている。辛うじて覚えのあるティラノモンが居るのを見るに、南の大陸からこの島まで、ムーンミレニアモン討伐の立役者を寿ぐために駆けつけた面子であるらしいとは判るのだが。
「だが、知らぬ顔だとは言わん方が良さそうだな」
「そうかもしれませんね」
アキレウスモン自身と面識は無くとも、きっとこの場に居る誰もが、アキレウスモンの勝利のために祈ってくれたデジモン達だ。
そして、彼らがここに居る以上、こちらの世界で対処すべき脅威――ズィードミレニアモンも、しっかり消え去ったに違い無く。
そう思うと、やはり彼らもまた、アキレウスモンの戦いを支えた同志であり、世界を救えた証であり――gもまた、このいつもとは違う顔ぶれで繰り広げられる、見慣れた見知らぬ者達の集いに、普段とは異なる心境を覚えるのであった。
と、
「そういえばg。完走した感想とやらで思い出したのだが」
ふと、アキレウスモンは居住まいを正し、gへと問いかける。
「何でしょう?」
「ムーンミレニアモンを倒したあの時、お前、「GG」と叫んでいただろう? アレは一体何だったのだ?」
あっ、と目と口を開き、続けてばつが悪そうに眉尻を下げるg。
彼は引きつった笑みを浮かべて頬を掻いた後、「あのですね」と若干申し訳なさそうに答えを切り出す。
「興奮してしまって、つい、癖で。……あれは、「Good Game」の略です」
「ぐっどげーむ」
「「いいゲームだった」と、クリアした人を称賛する決まり文句なのですが。……すみません。ゲーム扱いするなと言われていたのに」
アキレウスモンは、思わず肩を竦めた。
「労いの言葉にまでケチを付けるような真似はしないさ」
それに、と、アキレウスモンは頬を緩める。
「お前から見れば、オレの走りは拙いものであっただろうに。予定時間も、1時間以上オーバーしてしまったワケだしな」
「十分ですよ、初見で2時間を切るなんて。それにスーパースイムステップスイムなんかは、1発で決めていたじゃないですか。……僕もうかうかはしていられないなと、そう思いましたよ」
そうして、彼らはお互いに顔を見合わせて、笑い合う。
方やゲームとして繰り返し。方や一度きりの現実として。同じ理を持つ世界を、全く違う視点で駆け抜けた1人と1体は、困惑と衝突を乗り越えて、ようやくお互いを称え合ったのだ。
「しかしg。お前はどうしてまた、このデジタルワールドの元になったというゲームを、ここまで極めようと思ったのだ?」
称えて、認めて。そんな今だからこそ、素直に疑問が口をつく。
尋ねられて、嬉しかったのか。gは一層に微笑んだ。
「僕は、“とざつー”というゲームが大好きなんです。……少し、心の疲れていた時期に、そのゲームの楽しさに、かなり助けられたので」
でも、と、gはその微笑みに、やるせないものを入り交じらせる。
「つー……“2”とあるように、このゲームはシリーズもので、前作と次作があるんですよね。“とざつー”は、実はその中ではあまり評判が良く無いんです」
一週目ではほとんどどうしようもない、オメガモンに該当する敵との負けイベントや、カエラズの森こと不帰牢の森の道順のわかりにくさ。そして何より、バグの多さ。アキレウスモンが体験しただけでも正直理不尽を覚えたようなポイントが、“とざつー”には点在しているのだとgは語る。
「でもリアルタイムアタックではバグが利用できる分かなり見所が多くて、この分野だと他のシリーズより“とざつー”は人気が高いんです。そういう入り口もあるなら、僕の走りをきっかけに、よりたくさんの人が“とざつー”に触れてくれたら嬉しいなって。そう思いまして」
失礼ですよね、皆さんの世界に対して、と苦笑いするgは、しかしこの話が出来る事自体が嬉しいようで、彼の横顔を眺めていると、不思議とアキレウスモンも不快には思わなかった。
「解説が妙に熟れていたのも」
「走者と解説、両方イベントで経験しているので」
そうやって、自分達の世界と重なり合った物語が、どこか遠い所で繰り広げられているのだと思うと。むしろアキレウスモンには、それが愉快で、可笑しい事のように思えて。
「ありがとう、g」
アキレウスモンは、照れ臭そうに頭を掻くgへと手を差し出した。
「オレ達のデジタルワールドを、こんなにも速く救う方法を教えてくれて。おかげで、その“とざつー”とやらではどうだったのかはわからんが――こちらの被害は、最小限に留められた」
大きく目を見開いて。それから、ゆっくりとアキレウスモンの言葉を噛み締め、呑み込んでから。gもまた、そっとアキレウスモンの節くれ立った黒い手を握り返した。
「こちらこそ、ありがとうございました、アキレウスモンさん。僕もまた、新しい視点での“とざつー”と出会えて。帰ったらたくさん検証したい事があって……今回はご紹介できませんでしたが、この世界にもきっと、数え切れないくらい素敵で、楽しい事が、たくさんあると思います」
そんな世界を、救えて良かった。と。
gはデジモンのそれと比べるとひどく小さく非力に見える手に、しっかりと力を込めて。
「……む」
ふと、その感覚が掻き消えたと気付いた時には、アキレウスモンの目の前に、かのニンゲンの姿は無かった。
この宴の場は、gに言わせれば“エンディング”にあたる。
異なる世界から、“時の狭間へ2”というゲームの知識を頼るために喚び出されたgは、この先には存在できないのだ。
だが、それよりも。
唐突な別れ以上にアキレウスモンの気を引いたのは、他ならぬ、手の平に残った、確かな感覚。
gの体躯からは想像出来ない程、力強い指先の感触。
「そうか」
鍛えられた手だったな、と。そんな、感想。
「本当に、競技者であったのだな、gは」
実感として、納得する。
世界のどこかには、「ゲームを走る」という競技が実在するのだと。
*
「本当に行くのじゃな、アキレウスモン」
役目を終えた拠点を片付け、それぞれの本来の住処に帰る前に、その全員が集ってアキレウスモンを囲む。
代表して問いかけてきたジジモンに、「ああ」とアキレウスモンは強い意志を宿した目を輝かせた。
「gの召喚時の記録からジジモン殿が割り出してくださった座標に、シャーマモンの新しい預言もある。きっと、辿り着ける筈だ」
「じゃが、g殿の仰っていた通り、コレは世界の理に触れる行為。失敗するような事があれば、オヌシは、ひょっとすると、今度こそ」
「それでも行くさ。オレは古今東西、あらゆる競技を極めるデジモンだからな」
爽やかな笑みを浮かべ、軽く手を振り、アキレウスモンは彼らに背を向ける。
「それに、今の“走り”では、少しばかり。オレは満足できなくなってしまった」
「……」
やれやれと肩を竦めて、しかしジジモンは、そして他の仲間達も、アキレウスモンを引き留めたりはしなかった。
何せ彼は、世界を救ったデジモンだ。
これ以上無い偉業を成した勇者を、いったい誰が引き留められようか?
「グッドラックじゃ、勇士アキレウスモン」
だから、皆で気持ちよく送り出す。
新たな旅路に、幸多かれと。
門出の言葉を合図に、アキレウスモンが駆け出す。
助走を付けて井戸へと飛び込み、数秒後、その場で足踏みをするような格好で、逞しい獣人の身体が徐々に徐々に、天へと昇っていく。
地上からは豆粒大でしか見えなくなってなお、勇士は水音の中で宙を踏み、雲を突き抜け、ようやく納得のいく高さと速度を手にしたと確信してから――天を仰いで、神槍を突き出し、手先を重ね合わせる。
真昼の青空に、星が流れた。
*
それから約1年後。ニンゲンの世界の、とある競技の走者2名が大きなイベントでタイムを競い、デッドヒートを繰り広げる事になるのだが――折角、今度はそちらの世界で開催されるのだ。“ゲーム”の結末が気になる方は、ぜひ、自分の目で確かめてみてほしい。
『Digimon Good Game/Any% Glitched』 おわり
ノベコンお疲れさまでした!
感想を配信で喋らせていただきましたので、リンクを下に貼っておきます!
https://youtube.com/live/OXNtTQEYP4M
(3:15~感想になります)
ノベコンお疲れ様でした。夏P(ナッピー)です。
そもそも作品の発想が最早天才。デジタルモンスターはデジタルであるが故に、逆に「ゲームじゃないんだ!」と主人公達に反論される風潮がある(02のカイザーとか)と思いますが、そこを逆手に取って逆にゲームのRTA走者として選ばれし子供(本当に選ばれし者じゃねえか我ェ!)を召喚して司令塔もしくはプレイヤー扱いにするとは。
最初なんでアキレウスモンが主人公なんだ……と思いましたが、ゲームを走るgと対になる「ただ純粋に走る者」がアキレウスモンだったんですね。本人は使命感に駆られた至って真面目な奴なのに時折間の抜けた反応をしたり、思わずツッコミを入れたりとなかなかに感情豊かでしたが、そりゃリアルで生きてる(デジタルワールドだけど)者としては妄言としか思えないバグ技を全てそつなく一発で成功させていく辺りはやはり天才。空中浮遊からの「うああああああ」「あああああああ」「あああああああ」で森まで全てイベントカットなんて成功させたら最早麻薬。地面にビターンしたら究極体でも即死だったんだろうか。
バグか仕様かわからないまま攻略に謎に有用なアイテムってありますが、チェリーボムをそこに持ってくるとは。確かにアレ、解説にこの木の実を食べたものには確実な死(断言)とかいう凶悪な文言記されてますもんね。
gは実況者というか如何にもな配信者な口調だったので、てっきり既に世界中にアキレウスモンの冒険の様子をRT配信しており、最後にチェリーボム使い切った時に「ムービーが何本も入ってしまうので好きではない手段ですが」みたいな前置きして(イベントすっ飛ばされて知り合うことが無かった)旅の仲間達の助太刀イベント起こすとかするのかと思っていましたが、実際に配信していたのはジジモンだった。いやこれ無いとジジモンはマジでgの合いの手おじさんでしかなかったけれども。
世界中から祈り(……祈り手?)によって力を集めて不可能を可能にするというオメガモンのお株を奪う奇跡NTRでオメガモン憤怒。何故だ!!
異世界転生ものとしての空気を出しつつ、主体を人間(転生者)のgではなくアキレウスモンに置くことで新鮮な雰囲気、そしてデジモン作品ならではの意見や思想の対立というニュアンスも盛り込んだので軽快ながらも王道な作品に仕上がっていると感じました。
アキレウスモン、己も更に鍛えた走者を目指して旅立っていきましたが、次はチェリーボム無しでオメガモン倒せるように修行するのかな……?
改めましてノベコンお疲れ様でした。
この辺りで感想とさせて頂きます。
作品、たいへん楽しく拝読させていただきました。
デジモンはやはりデジタルコンテンツとの相性が非常に良い作品ですが、そこでRTAを持ってきて一作に纏め上げる手腕に唸らされるばかりです。
元ネタとなるRTAをどれも視聴したことがあっただけに、その辺りもニヤリとすること多数。
徹底的に合理的にRTAを走るgと、「本当ぉ?」など軽めの(RTAっぽい)アキレウスモンの軽妙なやりとりに笑わされつつ。
「何が起こってるのか全くわからないが、すごいことだけは理解できる」「だんだん走者の空気に呑み込まれてゆく」というRTA生放送特有の空気も物語上で表現されていて、快晴さまの深いRTA愛を感じられました。
個人的に印象だったのは、やはり中盤の山場となるオメガモン(分身)との戦い。
ズィードミレニアモンの設定をこう使うか!
という登場のさせ方もさることながら、gとアキレウスモンの衝突という一大イベントもあって盛り上がり多数。
ここまでルートに従うばかりだったアキレウスモンがオリチャーを発揮し、「タイムは命より重い」を熱く否定する様は、デジモンたちが生きるデジタルワールドを舞台にする意義が十二分に感じられました。
アキレウスモンとチェリーボムの設定を活かした攻略法や、その後の二人の和解も含め、蓋し名場面でした。
終盤、RTA用語でもある「お祈り」を絡めての、エモーショナルかつロジカルさを絡めた勝利にも、胸を熱くされました。
たぶんこういうのは、使い古されてるとか、被ってるとかではなく、「定番」あるいは「王道」と呼ぶべきなのでしょう。
何度見たって良いものは、何度書かれたっていいのです。
アキレウスモンというデジモンの来歴とRTAが持つ「競技」としての側面を繋げた結びも、また爽やかかつ納得感の強いもの。
人間がデジタルワールドへ赴く物語が、最後にはデジタルワールド側へ返される構成も含め、お見事。
拙い感想ゆえ、感じた全てをお伝えしきれてはおりませんが、最後にはやはりこの一言で締めくくるべきでしょう。
GGでした。
編集ぼく「堂々とグリッチ使ってゲームをクリアする、現実で開催されるイベントにも関連性のある作品を公式に投げるの、あんまり良く無くない? しかもほら、クライマックスのシーンとかぶっちゃけウォーゲームっぽいし」
執筆ぼく「既作投げるよりは良く無い?」
編集ぼく「それもそうか……(認識バグ)」
というわけでこんにちは、みなさん今年のRTA in Japanの『ポケットモンスター赤・緑』RTA見ました? ヤバないですか? 快晴です。
『Digimon Good Game/Any% Glitched』、いかがでしたでしょうか。
デジモンとRTAは絶対相性が良いだろうなとは思っていたのですが、ノベコン作品として出すには結構際どいラインだったなと今更思ったり思わなかったり……
実際、今だから言えますが、登場するバグはそれぞれ、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『ゼルダの伝説 風のタクト』と『隻狼』のRTAで登場したバグがベースにあったりします。みんなもアーカイブで軽率に取得される無を見てくれよな。
まあそれはさておき。
正直ノベコンでは、自身の力不足を痛感する形になってしまいました。下手な鉄砲数打ちゃ当たるだろうという甘い考えで5作品投げたわけですが、クソエイムで公式に届く筈も無く……。
この悔しい気持ちも自戒として忘れたくは無いので、お祭りに水を差すような形にはなってしまいますが、ここに書き記しておきたいと思います。
で、そう。5作品。
5作品もあるんスよ奥さん。
というわけで、これから5日間、ノベコンの残り香を投稿させてもらおうと思います。この話が1日目ですね。
ノベコン供養はまだまだ続きますので、どうかお付き合いいただけると幸いです。
最後に改めて、本作をお読みいただき、本当にありがとうございました!