「「なるほど、エインヘリヤルには『スキル』がありましたか」」
厄介なものです、と首を横に振るネオヴァンデモン。
だが、彼女達と対峙するシフの息は荒く、『ギャディアックレイド』によって、左腕の装甲は完全に破壊されてしまっていて。少なくとも、この戦いの中で再度『リヒトアングリフ』を使用する事は、もはや不可能だろう。
シフのスキル『今は淡き脚光の標』。
それはシェイプシフターのクラス特性で、物語の「主要な登場人物」となっている彼女が、物語の途中に致命傷を負うことが無いよう作劇から施される一種の加護。
咄嗟にスキルを用いて『ギャディアックレイド』を躱したシフだったが、その上で、このダメージ。
最初に折られた右腕は、『トリニテート』の柄と腕を氷で接着してもらって、辛うじて振えている状態だ。……ネオヴァンデモンも右腕を失っているとはいえ、アンデッドの負傷に対する感覚は通常のデジモンのそれとは異なる。
(先輩のお陰で、ようやく追い詰めた筈だったのに)
「「追い詰められてからが強いんですよ。……主人公、ですから」」
「っ」
「「『ナイトメアレイド』」」
表情を歪めるシフに、ネオヴァンデモンが使い魔・イビルビル達を差し向ける。もはや今のシフに対しては、彼らに任せるだけで十分だと判断したのだろう。
彼女達は、青ざめた三角を背に回した馬門の方へと向き直った。
「「さて、それではそろそろ、馬門さんに集中しましょうか。……馬門さんの能力は、今の僕(わたし)達では対処が難しいですし」」
「ふぅん? やっぱりヴァンデモンの『データを喰らう』力は、実質失われてるようなものなんだね。『ブラッディストリームグレイド』の加虐趣味じみた性質といい、理性を保ったままの進化とは言っても、『ヴァンデモンの進化』ってヤツは、いくばくかリスキーなものだとみた」
「「ふふ、『僕』の教えた事、覚えてくれているんですね」」
だが馬門は引き続き気安く話題を振り、ネオヴァンデモンはにこやかにそれに応じる。
ここに来ても、あくまで自分の目的は時間稼ぎだと。困惑気味の三角へと、馬門はちらりと目配せする。
「……!」
三角は顔を上げる。
空中では未だ、メギドラモンとレグルスモンがやり合っている。遠距離攻撃では分が悪いと悟ってか、あるいはヒトミの守りを優先するメギドラモンの性質を突くためか。レグルスモンは多少の負傷を割り切って、無理矢理にでも赤い龍の懐に潜り込もうとしているかのような戦闘スタイルへと切り替えている。
ネオヴァンデモンの宣言した通り、先程までの戦術は通用しないのだ。
「「お察しの通り、イビルビル達はデータそのものでは無く、デジモンの精気を吸い取る存在。一般的に考えられる『吸血鬼』像に、より近い存在とも言えるでしょう」」
「それだけに、無機物相手にはいくらか分が悪い」
「「そうなんですよね。前のあの子達なら、この場の積雪ごと喰らい尽くせたのでしょうけれど。……でも、馬門さんは無機物じゃなくてエインヘリヤルだから、全く効いていない訳では無い―――筈なんですけれどね?」」
「いっひっひ。キミの、いや、キミ達の目に映る今のボクが、その質問の答えだよ」
だが、ヒトミから鼓舞された、今の三角になら解る。
彼女には、明確な狙いがある。と。『龍の瞳孔』は引き続きしっかりとレグルスモンを捉え、メギドラモンは今は回避に専念しつつ、次の一手に備えている。
(ごめん、シフ……! もう少しだけ、堪えて欲しい……!)
牙を立てるイビルビル達を振り払いながら、シフもまた、三角に目配せする。
「馬門さん」
「今言った通りだ。ネオヴァンデモンの能力はボクと相性が悪い。……正面切って戦わなくてもいいなら、上手くやるとも」
ネオヴァンデモンが、馬門に照準を合わせて左腕を構える。
それを見越して、馬門―――チャックモンは、近くの雪の塊へと半ば溶けるようにして身体を投げ込み―――
「『クラッシュシンフォニー』!!」
「うぐうっ!?」
金のホーンから噴き出した超高周波振動に、馬門の身体が溶け損ね、雪の上をバウンドする。
三角は。……そして、この時ばかりは。ひょっとすると、三角や馬門よりも。ネオヴァンデモンは、目を大きく見開いて、音の鳴った方角を見やる。
その必殺技を持つデジモンは、当然この場に鹿賀颯也しかいない。
「「鹿賀さん」」
唇を噛み締めるようにしながら。ひとつひとつ言葉を選びながら。颯也が、首を横に振る。
「ごめん、柳花ちゃん。ピコデビモン。……俺、2人が腕斬り落とされてるのに、何にも出来なかった」
「「それは―――」」
「そこの男の子は覚悟を決めてる。上にいるあの子も、反撃の機会を狙ってる。……本当に、柳花ちゃん達を殺す気なんだろう?」
「「……ええ。僕達が、彼らを殺そうとしているように」」
「……黙っては、見てられない」
「「……」」
「……っ」
データを内部から揺らされた馬門が、よろよろと身を起こし、再び雪に姿を変えようとする。
が、すかさずネオヴァンデモンは『ブラッディストリームグレイド』で腕を伸ばし、そのかぎ爪で装甲部分を掴む形で、胸ぐらを持ち上げる。
「馬門さん!」
「「一先ず、雪からは離しました。……言うべきですか? 「「この後僕達は、馬門さんをどうすると思いますか?」」って」」
「うわ、キミがそれやっちゃうのかい? いくらなんでも悪趣味が過ぎ」
「「『ナイトメアレイド』」」
「いやこの状況でソレはマズいって!! スライドエヴォリューション・ユミル!」
『ツララララ~』では『クラッシュシンフォニー』で二の舞だと判断したのか。スピリットを切り替えた馬門が、砕けた斧の代わりに『グレッチャートルペイド』でイビルビル達を斬り払う。
次いで、馬門は両腕で自分を掴むネオヴァンデモンの腕をぐっと掴み、束ねた髪までをも絡めて全体重をネオヴァンデモンの爪一点へと傾ける―――が、吸血鬼の怪力を前に、氷の獣の闘士の巨体も、ほぼほぼ意味を成していない。
ずぶり、と。黒々としたネオヴァンデモンの指先が、ブリザーモンの首筋に沈み込む。
「かっ、は……っ!」
「馬門さん!!」
「―――っ、『ツヴァイハンダー』!!」
シフも必死で『トリニテート』を振るうが、イビルビル達が彼女の全身を阻む。その間にも、ネオヴァンデモンが更に指に力を込めた。
「「ええっと……何を聞こうと思っていたんでしたっけ」」
「さあ……? 自分で思い出し」
「「……」」
「いだだだだだだわか、わかった! 答えるよ! ボクに聞きたかったんだろう? ボクがラタトスクに味方してる理由!」
「「そうでしたね。じゃあ―――」」
問いかける寸前。
どさり、と馬門の身体が床に落ちる。……ブリザーモンでも、チャックモンでもない。単純に、退化に近い形でスピリットが解除され、その体格差故に彼の身体はネオヴァンデモンから離れたのだ。
「「……お話を聞けなかったのは残念ですけれど」」
げほげほと喉を押さえて咳き込む馬門と、彼に駆け寄る三角を一瞥して。
ネオヴァンデモンが次の標的として視線を向けるのは、シフではなく―――真上。
「「それは、後でも良さそうですね」」
「っ、シフ!」
「先輩!!」
紋章を介したリソース提供を強く意識し、試み自体は無駄では無いらしいものの、彼女の前進は、やはりネオヴァンデモンの追加したイビルビル達に阻まれてしまう。
「……三角」
どうすれば、と歯噛みする三角の袖を、倒れ伏したまま、馬門がぐいと引いた。
上げられもしない顔の、鼻から、口から。だらだらと血が、零れ続けている。
ネオヴァンデモンから今し方くらった一撃だけが理由では無い。ダイペンモンの時にもらった強烈な蹴りも然り、ある程度は躱していたとはいえ、チャックモンとしての肉体も、イビルビルに何度も囓り取られている。
「っ、馬門さん、血が―――」
「間違ってもリソースはボクの回復に使ってくれるなよ? ……『仕切り直し』のスキルでもう一度ダブルスピリットを使う。結界を凍らせてなんとか穴を空けるから、キミもどうにかシフとアーチャーを回収して逃げろ」
「! それって」
「「ボクを見捨てて先に行け」、だ。いっひっひ、解ってるなら何より」
「そんな」
「覚悟、決められたんだろう? ……じゃあ、次は損切りぐらい出来るようにならないと」
「―――っ」
馬門は当たり前のように言う。ここで、この先で。この中で一番役に立たないのは自分だと、自分の命まで簡単に勘定して。
ようやく持ち上げたその顔は、やはり人でなしの眼を納めている。……ここで彼を捨て駒にした時の周囲の感情までは、まるで興味が無いとでも言わんばかりの。
「ま、そんな顔するなよ」
「……」
「ここ数日、そこそこ楽しかったから。……ボクにしては特別大サービスなんだぜ?」
地上からヒトミ達の隙を伺うネオヴァンデモンと、彼女達に代わって馬門を警戒している颯也やトノサマゲコモンの死角になる位置に2つのスピリットを取り出して。
すぅ、と、馬門が息を吸う。
そして
「ダブルスピリット―――」
「エヴォリューション・ユミル!!」
凛、と。
弱った馬門の声を半ば掻き消すようにして。少女の声が、歌のように響き渡った。
「「!」」
「『黒定理(シュバルツ・レールザッツ)』!!」
即座に振り返ったネオヴァンデモンの腕と交差するのは、銀の穂先を持つ黒い槍―――『断罪の槍』。
だが、その担い手はレーベモンでは無い。
オブシダンデジゾイドの鎧を纏い、『贖罪の盾』とも一体化した、十闘士の『守護帝(たて)』。
闇の融合闘士―――ライヒモンである。
『彼女』の姿を見留めたヒトミが、僅かに口角を持ち上げた。
「その声―――玻璃ちゃん!?」
一方で、颯也は困惑に目を白黒させる。
当然だ。颯也の知る玻璃は、もっと幼い少女であり、ダスクモンとしての闇のスピリットを用いている。颯也は、この『京山玻璃』を知らないのだ。
だからこそ、混乱する。―――自分の知る京山玻璃と、多島柳花とピコデビモンが戦う理由など、ひとつとして存在しないのだから。
「っ」
そして颯也ほどではないとはいえ、ネオヴァンデモンもまた、動揺に金の瞳を揺らす。
彼女は知っている。『この』京山玻璃は、自分達の敵だと。
だが同時に、彼女達は『この』京山玻璃が自分達の敵である『理由』を知らない。
なのに―――『断罪の槍』を自分達に向けて尚、兜の下の赤い瞳に僅かな躊躇と悲しみを覗かせる彼女の眼差しを、多島柳花とピコデビモンは、知ってしまっていて。
「「『黒定理』の力で結界を抜けてきたんだね、玻璃……!」」
それでも、ネオヴァンデモンは月光将軍として心を殺す。
槍を受け止めていた腕を伸ばし、鞭のように振り下ろす。
弾かれる力をも利用して、ライヒモンがネオヴァンデモンと距離を取った。
「……柳花、ピコデビモン」
「「良かった。玻璃には聞きたいことが沢山あるから。……『ブラッディストリームグレイド』も、用途通り。全力で振るえそう。……かな」」
「……。……5秒も待つ必要は、無さそうですね」
再び、2人の得物が交差する。
「……主人公だなぁ」
片や物語のメインを張った主人公。
片や物語の最後に主人公として名乗りを上げたキーパーソン。
『デジモンプレセデント』中である意味双璧を成す2人の攻防を眺めながら、何故か後に主人公をやらされる羽目になる脇役は、他人事のように肩を竦めて、乱雑に鼻血を白衣の袖で拭いながら身を起こす。
「大丈夫―――じゃ、ない、ですよね?」
「まあ死ぬよりはマシさ。闇の闘士のお陰で少し猶予が出来た。シフの加勢にでも行ってくるよ」
「そうしてください」
ノイズ混じりの、口調だけは慇懃なその声に、思わずばっとポケットを見下ろして、それから慌てて、三角はスマホ型のデジヴァイスを取り出す。
映像機能こそERRORと表示されているものの―――紛う事なき、ラタトスクからの通信だった。
「名城さん!」
「すみません、三角。ようやく通信を復旧できました」
「まさか1週間もしない内に2度も霧の結界対策をやらされるとはねぇ。この吸血鬼王を煩わせるとは、1999年の『彼』も―――」
「無駄話は後にしてくださいグランドラクモン」
三角、と。
「あとついでに馬門」と付け加えて、名城が最後のテイマーの名前を呼ぶ。
「野良エインヘリヤルを回収したアサシンが、急いでそちらに向かっています」
「!」
「もう少し。……もう少しだけ、耐えてください」
「いっひっひ、人使いが荒いなぁ」
けれど、そういう事なら。と。馬門が再び氷のヒューマンスピリットを纏う。
そうして、闇の守護帝と月光将軍の戦闘に圧倒され、身を竦ませている颯也を一瞥してから、『ロメオ』を構えて靴裏をスキー板状に伸ばし、馬門はその場を立つ。
「……無駄じゃない」
三角は、燃えるように熱い右手の甲を左手で押さえつける。
―――足を引っ張ってばかりだ。余計な事をしてばかりだ。
―――だけど―――ここまで、どうにか『繋がった』。
シフが宝具使用中である事に加え、玻璃もダブルスピリットという強力なカードを切っている。リソースの中継を行っている三角の負担は、単純に考えても倍となっているのだ。
それでも青年は、今度こそ、顔を上げる。
肩口まで昇る灼熱感に、めまいに揺れる視界に耐え。2本の足でしっかりと身体を支えて立ち続ける事が、今、彼に出来る唯一にして最大の事だから。
見上げた先で、龍の少女が、頷いた。
*
そのころ。とある集落。
「っ、う……!」
「なんだ。威勢が良いのは、やっぱり口だけだったね」
全身傷だらけになりながら地面に転がったエビバーガモンを見下ろして、近くの適当な瓦礫に腰掛けたダスクモンが鼻で笑う。
同じ元はイビルビルのレグルスモンとはいえ、他のパートナーを持つデジモンの多くと同じように、主から離れれば彼らの出力は幾分か下がる。
それでも、戦闘特化で無いエインヘリヤルに後れを取る程ではない。
旗付きピックの槍も、ピクルス風のフリスビーも。レグルスモンのテクスチャを傷つける事は出来ても、ワイヤーフレームを断ち切るまでには至らない。……致命傷たり得ない。
姉妹が未だ形を保っているのは、彼女達が厳密には成長期のデジモンでは無く、また、世代差を覆した逸話を持つエインヘリヤルだからで、加えて身の守りに特化したスキルを所持しているからだ。
だが、その上で―――ここまでだった。
「姉、さん……!」
レグルスモンの尾の二叉槍の間に捕らわれ、地面に押さえつけられたバーガモンが、辛うじて顔を上げる。
妹の呼び声に応じて。エビバーガモンは、どうにか身を起こした。
「大、丈夫だよ。バーガモンちゃん」
そうして、無理やりにでも笑って返す。……ダスクモンは、つまらなさそうに目を細めた。
「まあ、頑丈さだけは見た目以上ね。でも、それだけ。妹一人……一体? 守れないなんて、「姉さん」って、お兄ちゃんと違って随分情けないんだ」
「っ、姉さんの悪口―――っうぅ!!」
レグルスモンがさらに深く地面へと尾を射し込んでバーガモンの身体を圧迫し、バーガモンを黙らせる。
「バーガモンちゃん―――きゃあ!」
悲痛な声を上げ、ほとんど反射的に妹の下へと駆け寄ろうとしたエビバーガモンを、盾すら嵌めていないレグルスモンの右腕が軽く薙ぎ払う。
エビバーガモンは何度もバウンドしながら、地面の上を転がった。
砂まみれ。泥まみれ。
特徴的の帽子も、もはや見る影も無い。本当にバンズだとしたら、誰も見向きもしないような有様だ。
「私のお兄ちゃんはあなた達みたいに情けなくない。私ももう、あなた達みたいに無力じゃ無い」
嗤うことすらせずに。むしろ確かめるように。しかし同時に吐き捨てるように、ダスクモンが低く呟く。
呟いて―――それから。
ダスクモンは『ブルートエヴォルツィオン』の切っ先で、倒れ伏すエビバーガモンの方を指し示す。
「遊びは終わり。姉の方から片付けなさい、レグルスモン」
「もう1人の主」とでも呼ぶべきダスクモンの命を受けて、レグルスモンが盾を構える。
三門からなる貫通レーザー砲『ゲニアス』が、今まさにエビバーガモンの身体を貫かんと、光を孕んだ―――
―――その時だった。
「!」
小型ミサイルに、砲丸、電撃。
数種類の遠距離攻撃が、立て続けにレグルスモンを襲撃する。
レグルスモンはほとんど無傷でそれを耐え、襲撃者の攻撃がダスクモンに届かないよう彼女を背に回しながら、周辺を見渡した。
……完全体を含むマシーン系のデジモン達―――あるいは、『元人間達』が、ダスクモン達を取り囲み、各々の砲身を、彼女達に向けていて。
「……大方、やっぱり成長期だけに任せていられないと奮い立った『正義漢』のみなさん、ってところかな」
ダスクモンが嗤う。
「……ほら、やっぱりこいつらって、余計な事ばっかりする」
どこまでも、ひたすらに、苛立たしげに。
レグルスモンが一度バーガモンを解放して標的を切り替えたタイミングを見計らってか。
彼女達を回収して共に逃げようとでも考えたのか、こちらに駆けてくるデジモンが居た事で、バーガモンもまた、彼らの存在に気がついて。
故に、彼女は声を張り上げる。
「に―――逃げて!!」
エインヘリヤルでもない彼らに、敵う存在では無いと。
「……遅い」
既に溜めに入っていたレーザー砲が、ダスクモンが腕を振り下ろすのと同時に周囲を薙ぎ払う。
それだけで、なけなしの勇気は踏み躙られ、鋼の装甲には穴が空き、焼け爛れる。
ある程度は戦闘慣れしているか、腕自慢なのか。加えて一点を貫く事に主眼を置いた攻撃がある程度分散していたからか。皆、死亡するには至っていないが―――たったの一撃で、彼らはもはや、動けない。
「―――っ!」
「ほぉら、言ったでしょう? 余計な事しかしないって! これであなた達の決意も何もかも、全部無駄! 残念でした~!!」
エビバーガモンとバーガモンを嘲笑うダスクモンは、しかしこの瞬間ばかりは、その殺意と憤怒を『モブ』達に傾けていた。
そうすればより一層、彼らにさえ慈愛の精神を向けるエビバーガモン達を苦しめられると考えて。
「さあ、競争だよレグルスモン。1匹残らず、丁寧に。刺して潰して燃やし尽くすの。それが『ゴミ』の末路だって、このちんちくりん達にもよく解るようにね……!」
凶悪な笑みを湛えて、ダスクモンとレグルスモンが、同時に構える。
「……させ、ません。お客さん達に、ひどいことは」
だが―――エビバーガモンは、そんな横行を許さないためにここに留まったのだ。
立ち上がる。
ぼろぼろの身体で、武器のピックをほとんど杖代わりにして、立ち上がる。
「……だから」
ダスクモンは、踏み出しかけた足を一種律儀に止めて、笑みさえ潜めて、エビバーガモンを見やる。
暴虐ながら、ある種諭すような感情を込めて。
「無駄なの。もう、あなた達に出来る事は、何一つとして無い。誰も助けられない。……助ける必要も無い」
「そんなことはありません」
エビバーガモンは断言する。
そうしなければ。
彼女は―――否、彼女達は。『自分』でいられなくなってしまうから。
……彼女達の『在り方』を認めてくれた王さまを、裏切ることになってしまうから。
それは、きっと。
死よりもよほど、恐ろしいことだから。
「わたし『達』―――まだ、やれます!!」
次の瞬間。呆れを通り越して憐憫の表情を浮かべかけたダスクモンの目の前を、『何か』が横切った。
「!」
それが、姉妹の片割れ。妹であるバーガモンだと気付いた時には、もはや『下拵え』は完了済み。
あれだけの傷を負ったバーガモンが、もはや動ける筈は無かった。
だが、データとして、姉と合流する形であれば、その限りでは無い。
「「宝具展開―――真名、解放!!」」
―――ジョグレス。
姉妹の力が、1つになる。
それは、彼女達の原典に存在する『力』ではない。
彼女達がいつかきっと辿り着く、2体の『夢』―――『生き様の向こう側』の具現化だ。
ふんわりと。出来たてのパンのように優しい香りと共に2体の合流地点に出現するのは、成熟期のバーガモン。
厳選された素材データと、純粋な心を持つバーガモン種が辿り着ける、彼ら彼女らの『頂点』の姿だ。
「「『厳選! デリシャス☆ドリーム!!!!』!!」」
重なり、1つになった声が、その『宝具』の真名を力の限り声に出す。
旗付きピックの槍から変形したと思われる巨大なフライ返しを起点に、大量の、それこそ山を成すような量のハンバーガーが、その場に溢れ出した。
「……この期に及んで」
宝具。
エインヘリヤルの必殺技―――切り札。
流石に身構えたダスクモンは、しかしその能力を目の当たりにして、拍子抜けだと言わんばかりに肩を竦める。
「まさか、ハンバーガーの壁で攻撃を防ぐつもり? そんなもの―――」
ダスクモンが、ブルートエヴォルツィオンを振りかぶる。
「なんの『盾』にもならないでしょう!!??」
刹那、溢れ出した禍々しい『赤』の奔流が、エネルギー波となってハンバーガーの山へと伸びる。
バンズを引き千切り、パティを切り裂き、トマトもレタスも焼き尽くす。
見るも無惨に台無しにされた、美味しい美味しいハンバーガーは、死を迎えたデジモンのように周囲へと霧散して―――
「……!?」
「本当は、こんな使い方をする宝具じゃないんです」
「本当は、みんなにおいしく食べてもらいたかった」
でも、と。
姉妹は、新たに生成されたハンバーガーに埋もれながら、声を重ねる。
破壊されたハンバーガーの粒子は、傷つき、倒れ伏したデジモン達の下へと辿り着き―――その身体に触れた瞬間、たちまちに彼らの傷を塞ぐ。
……そう。エビバーガモンとバーガモン姉妹のハンバーガーは、ハンバーガーという『食べ物』であると同時に、『回復データの塊』だ。
元より咀嚼し、バラバラになった状態で取り込まれる事を想定したプログラム。粒子状になったところでその効能が失われる事は無く―――
―――やはり、彼女達の施しに、分け隔ては無い。
「!」
ダスクモンの刃を受けて跳ね返ったハンバーガーの残滓は、かすり傷に過ぎないとはいえ、姉妹が決死の思いで付けたレグルスモンの傷をも、例外なく癒やしてしまう。
「っ、なん、で」
マスクの下で、ダスクモンは歯噛みする。
「なんで。なんでよ!! なんでそこまでして―――」
ヒステリックに叫びながら、改めてブルートエヴォルツィオンを振るうダスクモン。
傷を治されたとはいえ、恩義を感じ手を緩める手合いでも無い。すぐさま、レグルスモンも彼女の後に続いた。
だが、届かない。
恐るべきハンバーガーの生成スピード。絶対にお客さんを待たせないと心に決めている『職人』の心意気。
ダスクモンも、認識を改めざるを得なかった。
今のこのハンバーガーの山は、十分に攻撃を防ぐ壁になり得ると。
……だからこそ、腑に落ちない。理解できない。
必要性を感じない。合理的では無い。
「あんた達、わかってるの? ジョグレスしたって言っても、あれだけ痛めつけてやった霊基で、そんな出力で宝具を維持し続けたら―――」
ダスクモンには
「―――私達が手を下すまでも無く、あんた達、死んじゃうのよ!?」
『バーガモン』の考えが、解らない。
「……さ、見ての通りです」
「あたし達は、大丈夫! だって、ちょーすげーハンバーガー屋さんだもの!」
『バーガモン』は、ダスクモンの問いには答えない。
姉妹それぞれの言葉で、呆然とする『お客さん』達に、優しく声をかけるのみだ。
「「今の内に、逃げてください。わたし(あたし)達が、時間を稼ぎますから」」
自分達の力の及ぶ話では無いと、目の当たりにした故か。
1人、また1人。『バーガモン』を残して、その場を後にする。
臆病だとしても。
卑怯だとしても。
……『バーガモン』にはやはり、彼らが「都合の良い悪意の具現化」だとは、到底思えなかった。
謝る人もいた。
感謝の言葉を残す人もいた。
震えて逃げ出すだけの人もいたけれど、浮かべた涙は、恐怖だけを由来にするものではなかった。
みんなみんな。1人1人、それぞれに。
大事な大事な、お客さん達だった。
だから、とびきりの笑顔で送り出す。
そうするまでが、彼女達の『仕事(生き様)』だ。
だから―――彼女達に、悔いは無い。
思い残す事は、0とはいかないけれど。
「……レグルスモン、少し下がって」
そんな、彼女達の「思い残す事」―――ハンバーガーを食べさせてあげられなかった相手の1人が、レグルスモンを制して1歩、前に出る。
「わかった。そこまで私を虚仮にするなら、こっちも応えてあげる」
掲げたブルートエヴォルツィオンの湛えた『赤』は、もはや、先程までの比では無い。
「あなた達ですら食い潰すカスモブどもごと、あなた達の決意も全部全部、消し飛ばしてあげる―――今度こそ、踏み躙ってあげる!!」
―――冷たい光が、天を突く。
「宝具、展開――――――」
*
『断罪の槍』と吸血鬼の隻腕が繰り返し交差し、何度も何度も火花を散らす。
多島柳花とピコデビモンのコンビは、『デジモンプレセデント』どころか同作者の後の作品を含めても異例の存在だ。
真っ当に訓練を重ねて強くなった者、策を弄する者、実質の管理システムとして上位の力を振るう者。他のキャラクターがその「強さ」に対して様々な理由付けが成される中で、このコンビだけは、それが存在していない。
否、厳密には「闇の子と、闇の子を看る者」「心の闇によって人知れず繰り返された進化と退化」と。作中では2人の性質はそのように説明されてはいる。だが、それだけだ。
才能。
選ばれし子供としての素質と、強力なデジモン。
1999年の選ばれし子供達にも引けを取らない「理屈を超えた力」こそが、多島柳花とピコデビモンという『主人公』の「強さ」の正体であり―――
―――故に、『快晴』を除くあらゆる場面(ピンチ)に、彼女達は対応できるのだ。
事実として、ライヒモン―――玻璃は既に、徐々にではあるが、ネオヴァンデモンに押され始めている。
(とはいえ、これはちょっと厳しいかな)
戦闘をピコデビモンに任せ、多島柳花の精神は、あくまでテイマーとして状況を観察する。
玻璃だけなら兎も角、シフに馬門。イビルビル達に任せておくのもそろそろ限界だ。……まもなく合流される。
イビルビル達を進化させるにしても、リソースがいる。今現在聖解から分け与えられている分では、レグルスモンを維持するので精一杯だ。その上で、レグルスモンに今ここで戦線を離脱してもらう訳にはいかない。同格の主人公として相手の強さを確信しているのは、神原ヒトミだけではないのだ。
そして―――鹿賀颯也。
作中を通して戦闘を不得手としていた彼が、もう一度誰かに『クラッシュシンフォニー』を当てられる確率は、万に一つも無いだろう。
今でさえ、イビルビル達や自分を気遣って、狙いすら碌に付けられないでいる。……加えて、純粋に人間でしか無い三角の方を、一度は自分が狙われたにもかかわらず、彼は不自然なほどに見られないままでいて。
(……鹿賀さんがそういう人で、本当に良かった)
やはり彼女は、無力でも底抜けに善良で、しかし博愛では無く目の前の誰かに手を差し伸べてしまう加賀颯也が好きなのだ。
この期に及んで。……こんな時だからこそ。強く想う。
故に、多島柳花には、許せなかった。
負傷のせいで、彼に「誰かを攻撃する」という選択をさせてしまった、不甲斐ない自分が。
(決めないと。「せめて誰を殺しておくか」)
こうなった以上は、多少優位に立っていたとしても、戦闘を長引かせるのは得策では無いだろうとネオヴァンデモンは考える。
霧の結界の事を除けば無害な存在―――では無いと割れてしまった颯也を、敵は狙いかねない。少なくとも、馬門の冷たい目は常に颯也を意識している。……そして、颯也を狙われれば自分は冷静ではいられないとは、既に身を以て経験済みだ。
三角イツキ? もちろんそれが理想だ。だが実質のパートナーデジモンが動ける内に彼を狙うのは、やはり先程のことを踏まえれば難しいと判断せざるを得ない。
シフ、あるいは玻璃。だが彼女達も、ライダーの報告が正しければ、三角が何らかのバフを施せる可能性がある。うかつには仕掛けられない。
そして馬門は氷のスピリットの性質上、労力に対するリターンが見合わなさすぎる。
(まあ―――最初から決まってるんだけどね)
生きて帰さないと決めている。
差し違えてでも―――『炎』の必殺技の持ち主は、ここで潰しておかなければならない。と。
断罪の槍を返しのようになった腕の棘で引っかけ、持ち上げ、ネオヴァンデモンは玻璃の胸部を蹴り飛ばす。
わずかに距離が空いたのを見計らって、そのまま彼女達の手の平は天を向く。
「「『ブラッディストリームグレイド』!!」」
伸縮自在の腕が伸び、捕まえたのは、主の意図を汲んで差し出されたレグルスモンの二本角、その片方。
そのまま高速で身体を引き上げ、勢いをも利用してレグルスモンの頭部に着地し、次いでかぎ爪が狙うのは―――龍と共にある少女。
「「『ブラッディ―――」」
「っ、ギギモン!」
ヒトミの指示の下、迎え撃つように放たれるのは、地獄の咆哮『ヘル・ハウリング』。
宝具使用後にもかかわらず、必殺技を温存してかき集めたリソースによる強烈な一撃だ。
ヒトミは、苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
「ここに来て乱入とか……!」
「「無粋でしたね? でも、私、将軍ですから」」
勝つためなら何だってしますよ、と。口元には笑みを、兜の下の耳からは血を零し、仰け反り、そのまま頭から落下しながら、ネオヴァンデモン。
『ヘル・ハウリング』は、接近戦を仕掛け始めたレグルスモンに、零距離で当てるためにヒトミが調整していた技だ。
だが、ここで使わざるを得なかった。そうしなければ、間違いなく吸血鬼の黒い手は、ヒトミの幼い身体を捕らえていた。
もしろん、直撃した以上ネオヴァンデモンもレグルスモンも無傷とはいかない。
いかないが―――そのどちらも致命傷は負っていないし、致命的な隙も生み出せてはいない。
もはや当分決定打となる技は使えまいと、いよいよ闇雲に『グラントレース』を連発し始めたレグルスモンに、回避に専念せざるを得なくなるメギドラモン。
そしてその余波は
「!!」
「ほんっとにやりたい放題だな多島さん……!!」
ようやく差し向けられたイビルビルの対処が終わりかけていた、シフと馬門にも。
獄炎球や、炎に焼き砕かれた瓦礫が、2人の下にまで襲いかかったのだ。
「っ、あなたの相手は私です柳花!」
「「ふふ、玻璃が追って来られなかっただけでしょう?」」
空中で一回転し、投げつけられた『断罪の槍』を受け流して、ネオヴァンデモンはふらつきもせずに地上に着地する。
颯也達のことはしっかりと背に回してある。彼女達を無視して彼らを狙うことは、まず不可能な位置につけた。
「「『ブラッディストリームグレイド』」」
折り返してきた断罪の槍が半ば自動的にネオヴァンデモンの腕をいなす。
玻璃はすぐさまその柄を手に取り、改めてネオヴァンデモンへと向けた。
「何故。何故そこまでするのです、柳花、ピコデビモン」
「「……玻璃がそれを聞くの?」」
突き出された槍を押さえつけ、両者は間近で睨み合う。
「「さっきも言ったでしょう。色々聞きたいのは、こっちの方。だってこの相違点は、玻璃の、幸樹さんの『願い』なんだよ?」」
「そうかもしれません。でも、例えそうだとしても―――私は、兄にそんなことを願わせるわけにはいかないのです!」
「「……「そんな事」。そんな事、ね」」
刹那、空気が変わる。
「っ!」
膂力だけで断罪の槍が弾かれる。……ここまで追い詰めて尚、未だネオヴァンデモンは闇の融合闘士にすら優位に立っているのだ。
「「そんな風に言うなら―――もう、いいかな。なんとかして説得できればと思ってたけど、無理でしょう。……今の玻璃に、幸樹さんと会う資格なんて無い」」
「……!」
『友達』に冷たく吐き捨てられ、いくら己のすべきことを定めたとは言ってもまだ未熟そのものである玻璃の心に動揺が走る。
月光将軍はその隙を見逃さない。……残された左の黒い翼が、かつでヴァンデモンの時にマントでそうしていたように大きく広がる。
「「これ以上『先』には行かせない―――! 『ナイトメア―――」」
―――突如。爆発とも紛う凄まじい破砕音が、空間いっぱいに鳴り響いた。
鹿賀颯也が反射的に「元々耳のあった場所」を塞ぐ。
次いで音の発生源を追ったネオヴァンデモンの目に留まったのは―――一台の軽自動車。
ボンネットはひしゃげ、フロントガラスは蜘蛛の巣状にひび割れ、その他のパーツも滅茶苦茶にすり切れ傷だらけになり―――辛うじて側面に、手書きしたと思わしきハンバーガーのイラストが見て取れる、白い乗用車。
「「……どうやって、霧の結界を?」」
呆けたようにネオヴァンデモンが呟く。
霧の結界は、霧と名の付くものの、その密度から分厚いコンクリートの壁にも匹敵する強度を誇る事が、1999年の記録にも残されている。当然、軽自動車が衝突した程度で突破できる代物では無い。
その白い乗用車が、命名と共にそれを可能とする力を―――仮にとはいえ『地獄の大公爵の竜』の性質を背負わされていたなどと、一見しただけで誰が理解できようか。
「……っ」
当然のように膨らんだエアバッグの隙間から身をよじり、開けっぱなしにしていた窓から、赤毛にピアスの青年―――糞山の王が顔を覗かせる。
彼は、轢き肉号が突き破ってきた方角へと振り返った。
「オラァ! 入ってきやがれ、『ミラーカ』!!」
そうして彼は、吸血鬼を屋内へと招き入れる。
その、刹那だった。
「あの、えっと」
辿々しい口調とは裏腹に、彼女が口を開くまで、ネオヴァンデモンはその影すら視界に捉える事が出来なかった。
まさに一瞬の出来事。
瞬きの魔に、ネオヴァンデモンの眼前に迫っていたのは―――もう1体の、ネオヴァンデモン。
「兄妹の問題に、他人が首を突っ込むのは。……その、どうかと思います」
次の瞬間、ネオヴァンデモンは空気の裂ける音を聞いた。
「「か、は―――!?」」
それが向こうのネオヴァンデモンの『ブラッディストリームグレイド』だと気付いた時には、ネオヴァンデモンはこの空間を支える柱の一つに叩き付けられていた。
一拍遅れて、颯也が悲鳴じみた声で柳花の名を叫ぶ。
同じように。いや、ひょっとすると。ここまで苦戦を強いられた相手を簡単に一蹴する謎のネオヴァンデモンに釘付けになりながら、呆然とする三角。
ここに来るまでの道中で「ヒーローを待っている子供」の特徴を聞いていたネオヴァンデモンは、ごぽごぽと肉を溶かすような音を立てながら、顔の周りだけを元の姿―――金髪に赤い目の女性へと変化させる。
「明るい未来」
「へ?」
唐突に口を開いたネオヴァンデモンの唐突すぎる一言に、今度こそ三角の目が点になる。
「ミラーカ。本名軽井未来。一文字足して、明るい未来」
「……」
「あなたの明るい未来を、取り戻すためにここに来ました」
「…………」
それは、ネオヴァンデモン―――ミラーカこと軽井未来が一生懸命に考えた「ヒーローっぽい口上」であったが。
三角にそれを受け入れるだけの心の準備というか余裕は無く。見事なまでに、彼女の自己紹介は不発であった。
残酷な沈黙であった。
「……何言ってるんだコイツって感じですよね」
「え?」
「変な事言ってごめんなさい」
「あ、いや」
「死にます」
「は? ちょ」
「「是非そうしてください……ッ!!」」
起き上がったネオヴァンデモンが、ミラーカへと飛びかかる。
だがミラーカは、何でも無さそうに、ただ、なんとなしに申し訳なさそうに、ネオヴァンデモンの姿を取り直して振り返った。
「あ、えっと。すみません。死ねないです」
そしてミラーカは、ネオヴァンデモンの腕を簡単に振り払う。
―――偶然じゃ無かった。
「「『ナイトメアレイド』!!」」
追撃をイビルビル達に任せながら、彼女達はミラーカから距離を取る。
デジコアに置き換わった心臓が跳ねるような錯覚を覚える。
いつぶりかも判らない冷や汗がネオヴァンデモンの額から噴き出す。
アンデッドの冷たい身体に、寒気が走った。
多島柳花とピコデビモンは、『デジモンプレセデント』において最も強い『才能』を持つ『主人公』だ。
彼女達は環境によって苦境に立たされる事は在っても、本来の力を発揮できる場面で相手に後れを取る事は無かった。
故に彼女達は、この瞬間、始めて目の当たりにする。
ユミル進化の恩恵を受けられる性質を持ち。
自分達と同じネオヴァンデモンであり。
そして、あくまで管理システムに偶然選出されたに過ぎない自分達よりも、遙かに優れた確固たる『血統』の持ち主。
吸血鬼の姫。吸血鬼王の血を引く者。
―――完全な、格上の存在を。
同種であるが故に、スペック差は残酷なまでに顕著に表れる。
ミラーカは己もイビルビルを出すまでもなく、自身に食らいついたネオヴァンデモンのイビルビル達を、蠢く肉の内に取り込むような形で、逆に食らい尽くした。
「「―――っ」」
ダメだ。勝てない。
そんな弱音が口を突いたのは、他ならぬ闇の子・ピコデビモンの方。
戦闘面を司る彼がそう言う以上、その言葉を覆すだけの手段を―――奇跡を。肉体全てを彼に与えたに等しい多島柳花には、もはや用意することは出来ない。
それでも。
『本来』の多島柳花とピコデビモンであれば、ひょっとすれば、まだ勝ちの目はあったかもしれない。
だが、ここにいるネオヴァンデモンは、もはや痛いほどに理解してしまっている。
自分達は、「悪いこと」をしていると。
『この』ミラーカというネオヴァンデモンは―――己を「悪を倒す者」と定義付けている。
(「ここまで」かぁ)
ミラーカの胸元の月が既に満ちている事に気付いても、多島柳花は冷静だった。
『この』柳花は、騎士ではなく将軍だ。
敗北に際しても、最低限の落とし所を作らなければならない。
上空を見やる。
攻勢に出ていたレグルスモンの動きには、先程には無かった焦りが混じっている。柳花の意志を。……敗北と共に訪れる彼女の「死」に怯えるピコデビモンの心を感じ取っているのだ。
こうなってしまった以上は、ヒトミを仕留めるのはどう足掻いても不可能だ。
ミラーカが前傾姿勢すら取らずにほとんどノーモーションで自分へと迫ってくるのが見えた。
腕を構え、迎え撃つ―――フリをする。
「リューカ、ごめん、ごめんなさい―――」
「いいんだよ、ピコデビモン」
最後に2つに別れてしまった声の中心に、月の光が―――ミラーカの放った『ギャディアックレイド』が、穴を穿つ。
リアルワールドであればありえない、月による月蝕。
「あなたと一緒なら、どこに逝くとしても」
月光将軍の身体がその場に崩れ落ちる。
「「だけど―――他の人達までは、道連れにできないな」」
その左手に、そっとダークネスローダーを忍ばせたまま。
「「レグルスモン、クロスオープン!!」」
途端、レグルスモンの身体が爆発したかのように散り散りになり、再びデビドラモンとして分かたれた彼らは主達の最後の命に従って、地面へと降り注ぐ。
「ま―――待ってよ! 待ちなさいったら!!」
突然戦いを破棄されたヒトミが声を荒げるが、必殺技を放つ力のほとんど残っていないメギドラモンでは、いくら世代差があると言っても手近な数体をその膂力を以て屠るのが精一杯。
そして、メギドラモンの手を逃れたデビドラモン達の動きも完璧だった。
ほとんどの者達はそれぞれのエインヘリヤル達に襲いかかり、彼らの目をくらます。
「……!」
ミラーカの圧倒的な力を以てしても、単純な数の処理には幾ばくかの時間がかかる。
その隙に。
「え?」
デビドラモンの内の1体が、胸を打ち抜かれたネオヴァンデモンに呆然と立ち尽くしていた無力なゲコモンの身体をさらう。
成熟期にしては小さな体躯は簡単に宙へと浮き上がり―――そのまま飛び去るデビドラモンに、水の両スピリットを回収した他のデビドラモン達も続いた。
「っ、多島さん、キミってヤツは最期まで―――!!」
「ま―――待って、待って柳花ちゃん!! と―――トノサマゲコモン!!」
颯也は「自分を降ろして欲しい」という意図で、パートナーの名を呼んだ。
……だが、赤い巨大ガエルは、むしろデビドラモンをそのまま素通りさせ、その後を追おうとした馬門の前へと立ち塞がる。
「トノサマゲコモン!?」
「ソーヤ。……玻璃さん達に、よろしくゲコ」
「いやだっ、待ってくれ! トノサマゲコモン!! 柳花ちゃん!! ピコデビモンッ!! 待って―――」
水のスピリットが台座を離れたためか、解除された霧の結界を抜けて、蛙の声は瞬く間に遠くなっていく。
「「……ごめんなさい、トノサマゲコモンさん」」
消滅を待ちながら、消え入るように呟くネオヴァンデモンに、トノサマゲコモンは笑って返す。
「いいのゲコよ。……ソーヤが無事なら、ゲコはそれで」
「それは―――とても困る。アサシン!」
「っ、来たばっかりだってぇのに人使い荒ェんだよ!!」
運転席から完全に抜け出し、ベルゼブモンの姿になってデビドラモンを撃ち抜いていた糞山の王が、馬門の呼びかけに応じて『気配遮断』を発動し、姿を掻き消す。
肩でしていた息を深呼吸であったかのように誤魔化して、馬門はトノサマゲコモンと睨み合った。
「どうしてもどかないつもりかい?」
「ゲコ! ……マカドにもわかってるのゲコでしょ? パートナーデジモンって、そういうものゲコ」
「……」
チャックモンの腕が、鋭い氷柱へと転じる。
「残念だよ。キミを殺したくはなかった」
「……」
デビドラモンの群れを抜け、ライヒモン―――玻璃が、身体の半分以上が既に粒子化して消え去ったネオヴァンデモンの下へと辿り着く。
「……柳花。ピコデビモン」
やっとの思いで、ネオヴァンデモンは蜂蜜色の目で彼女を見上げた。
((……ああ、玻璃))
「私は」
((僕達の知らない世界で―――そんな顔まで、出来るようになってたんだね))
彼女達は、どうしようもない表情を浮かべる『友達』に向けて、薄く微笑んだ。
「「ねえ、玻璃」」
そうして、彼女に呼びかけ、問いかける。
「「どうして、幸樹さんの味方をしてあげないの……?」」
玻璃が更に表情を引きつらせたのを確認して、ネオヴァンデモンは満足げに目を閉じる。
敗北は悔しい。多島柳花はピコデビモンを、ピコデビモンは多島柳花を守れなかった。それは本当に、悲しくて、苦しい事だ。
だけど、言いたいことは言った。
やりたいことをやってきた。
好き放題に持って生まれた力を振るった。
大好きな人達との時間を、もう一度取り戻すことが出来た。
きっと、繊細な『あの人』の心を傷つけてしまっただろうけれど。……それでも最期に、好きな人を逃がすために力を使うことを選べた。
((だから、悔いも、心残りも))
―――じゃあ、続きは帰ってからね?
((ああ……そういえば。結局、お洒落しないまま、終わっちゃったな))
最後の最後に、思い出す。
「「舞宵と……もっとおしゃべりしておけばよかったな……」」
人生最後の友達の事を。
常に曇り空とは言っても、誘導灯ばかりが頼りの閉鎖空間とでは明るさに大きな違いがある。
外の光に一瞬目を細め、しかしすぐに、魔王の三眼は前を征くデビドラモンの列を捉えた。
「『ダブルインパクト』!!」
『ベレンヘーナ』が、颯也を抱えたデビドラモンを正確に射貫く。
悲鳴と共に、邪竜が墜ちた。
「っう!?」
半ばデビドラモンの下敷きになりながら、颯也もまた、川の土手に叩き付けられる。
糞山の王は、改めてベレンヘーナの銃口を颯也へと向けた。
「こっちもシゴトだ。恨みたきゃ恨めよ」
「―――ッ」
そうして、糞山の王が引き金を引こうとした―――その瞬間。
ぶろろろろ、と。
おどろおどろしいエンジン音が天上から鳴り響き、沈黙を続ける『ベヒモス』の部分が、どくりと蠢いた。
「!!」
その隙を突くようにして、突如乱入してきたバイク―――『ベヒーモス』ではない。一般的な、しかし本来のスペックをまるで無視した出力を発揮している大型バイクだ―――が、無理のある角度まで車体を傾けて、その乗り手が颯也の身体を持ち上げる。
すぐさま持ち上がった車体につられて、長い紫色の髪が、ふわりと揺れた。
「……ざっけんな」
糞山の王が、肩を震わせながら再びベレンヘーナを構える。
「ざっけんなよゴラァ!! てめぇ、死んだんじゃ―――死んどけよ風峰冷香アアァァァアアアアッ!?」
銃口が火を噴く。
ベレンヘーナの乱れ打ちを、しかし冷香は背中に目でも付いているかのように鮮やかに回避しながら糞山の王を置き去りにして、駆けていく。
「君、は」
混乱の中、シートの後ろ半分にどうにか腰を下ろした颯也が、絞り出すように尋ねかける。
「ボブよ」
「は?」
「この子の名前は、ボブ。『ベヒちゃん』の型落ち後継機だから、一文字ずつ落として、ボフ。でもそれじゃなんだか締まらない印象だから、ボブにしたの」
「……」
「バイクの名前よ。強そうでしょう。昔そういう名前のプロレスラーがいて、その人気と言ったら、某転がるような名前のコミック紙でも漫画が連載されていた程なのよ。……やだ、私、現代っ子なのにどうしてそんな話を知っているのかしら。いわゆる聖解知識というヤツね。便利ぃ」
「えっと……俺が聞きたいのは……」
「……何かを知りたいっていう気力があるなら、とりあえずは大丈夫」
ぴくり、と、水かきの張った指が跳ねる。
フラッシュバックするのは―――とある短い『夏休み』を、一緒に過ごした女性とそのパートナーの最期。
「今は、無事に帰る事だけを考えて。カエルだけに」
「……」
「そしたら教えてあげるわ。私の真名をね」
颯也は既に、糞山の王の怒号からカザミネレイカの名を聞き取っていたが。それを指摘する事は出来なかった。
嗚咽が歌うために在ったような彼の喉を塞ぐ。
塩辛い水が、止めどなく丸い目からこぼれ落ちた。
*
「バーガモンちゃんが居たからがんばれた」
エビバーガモンは、隣よりも近いところにいる妹へと笑いかける。
「一緒に戦ってくれて、ありがとう」
きょとん、と目を見開いた後、同じように笑って、バーガモンは頷いた。
「あたしががんばれたのだって、姉さんが居てくれたから。……姉さんとなら、どんな夢だって叶えられるってこと!」
姉妹が揃って振り返った先にあるのは、お客さん達の笑顔。
「あたしにとっては、『此処』が理想郷なんだよ……!」
理想―――『厳選! デリシャス☆ドリーム!!!!』によるジョグレスの中で、姉妹は最後の夢を見る。
これは、この相違点での思い出。
……だから当然、この場に居る筈も無い三角や玻璃、他の寝食を共にしたエインヘリヤル達までも、おいしそうな顔でハンバーガーを頬張っている。
『バーガモン』は、2人で1つの手を振った。
「頑張り屋さんのイツキさんなら、この先も大丈夫!」
「玻璃さんは、お兄さんとお話しできるといいね!」
ひとまず、特別心配な2人に声をかけて。
だけど、お客さんの悩みに口を挟みすぎるのも無粋なものだと、2人は最後に、ただ、彼らをぐるりと、見渡した。
ハンバーガーショップの店主として。言うべき事は、あと1つだ。
「「またのご来店を、お待ちしています―――」」
「クソッ!!」
ダスクモンは足下のハンバーガーを執拗に踏み潰す。
ぐちゃりと潰れたバンズの間から、赤いトマトが飛び出した。
彼女の宝具は確かに街の形跡をあらかた飲み込んだ。
あたりには瓦礫が散乱し、そこに人の影も、デジモンの影も。……もちろん、エビバーガモンとバーガモンの姉妹の残滓すらも、ハンバーガーを除いては残されていない。
ここにある命は、ダスクモンとレグルスモン、2体だけに過ぎない。
だが、どれだけトマトが赤くても、それは血の赤では無い。
どれだけ瓦礫を掻き分けたとしても、血も、涙も、どこにも流れていない。
命は、失われていないのだ。
「だから何?」
ダスクモンは辛うじて残っていたパンくずを蹴り飛ばす。
「行くよ、レグルスモン。……纏めて潰し損なっただけ。1匹1匹見つけ出して、磨り潰しに行くの。丁寧に丁寧に皆殺しにして、あんな雑魚エインヘリヤルの抵抗なんて、全部無駄だったって、連中に見せつけて―――」
だがその時、黙ってダスクモンの新たな命令(オーダー)に耳を傾けていたレグルスモンが、突如として大きく狼狽え始める。
「な、何? どうしだの―――」
苦しむような、嘆くような咆哮。その意味を感じ取って。ダスクモンの表情も、さぁと青ざめた。
「嘘でしょ? ありえない、ありえないそんな事! 柳花達の強さは、あなたが一番よくわかってるでしょ!? そんな事絶対に起こるわけが無い!! 柳花が、ピコデビモンが負けるなんて――――――ッ」
だがレグルスモンは訴えを止めない。
彼女達から生み出された者として、彼女達の強さを誰よりもよく知っているのと同時に―――彼女達の『存在』も、誰よりも強く、感じられるが故に。
「……っ、そこまで言うなら、ええ、今は戻りましょう。私達の拠点に」
何度も首を横に振り、認めないと言いながら、ダスクモンはレグルスモンの背に跨がる。
「お兄ちゃんが、きっとお兄ちゃんが言ってくれるわ。「嘘だ」って。お兄ちゃんは嘘をつかないもの。柳花達は無事だって、本当の事を、私に―――」
自分に言い聞かせるように呟くダスクモンを乗せて、レグルスモンは拠点に向けて真っ直ぐに飛び立つ。
彼女はせめてもの抵抗のように「見逃してやることになった」集落の跡地を睨めつけたが、それで彼女の気が休まることは、終ぞ無かった。
……それから、数分後の事だった。
1人の女性が、この集落の跡地に辿り着いたのは。
「……」
ミラーカと行動を共にしていた、野良エインヘリヤル・セイバーだ。
彼女は頭頂で結った艶やかな黒髪を揺らしながら、集落を見て回る。
……結局あの後も、彼女は轢き肉号への乗車を断固として拒否した。
代わりに、と言っては何だったが、セイバーは当初の(ミラーカの)目的通り、集落へと向かったのだ。
助力にはミラーカが居れば事足りる、と。
もしも敵将がこの地を訪れているのであれば、その首を獲る事が出来れば儲けものだと。
「とはいえ、一足遅かったようだな」
もはやこの場には何も残されては居ない。
……エビバーガモンとバーガモンの姉妹と同様に、鼻腔をくすぐる、心地よいハンバーガーの香り以外には。
死のにおいなど―――ただのひとつも。
「いささか気になったのだがな。ハンバーガーとやら、酒に合うものか試したかったのだが」
セイバーは腰に下げていた瓢箪を手に取る。酒をなみなみと湛えた瓢箪を。
「ただ、残念ではあるが、無念とは言わぬ事にしよう」
美事だ、と。
剣士は弔うように掲げた酒を、傾けた。
*
同じ頃。
「ん~。騒がしいなぁ、もぉ」
柳花がデビドラモンと共に拠点を立った後、机にもたれ掛かって仮眠を取っていた中舞宵は、あまりの騒ぎに気だるそうに身を起こした。
珍しく、スーツの男が声を荒げているのが耳に届いたのだ。
「ねー、何の騒ぎ?」
声のする廊下に出る。
舞宵が問いかけながら顔を覗かせても、青い顔でデビドラモンの話を聞いているスーツの男も、彼の翻訳を耳にして口元を押さえている雲野環菜も、彼女の隣でわなわなと肩を震わせているブラックウォーグレイモンも、舞宵に気がつかない。
「……」
だが、聞こえてくる。
話の内容は分かる。
「へえ」
多島柳花とピコデビモンが
「そっか」
もはや帰ってくる事は無いのだと。
「そうなんだ」
彼女達は、死んだのだと。
「……そう、なんだ」
月色の瞳が、すぅ、と悪魔の瞳孔を細めた。