「……」
街に降り立ったこの相違点の玻璃―――既に、ダスクモンの姿を取っている―――は、あまりに退屈な目の前の光景に、静かに唇をへの字に曲げた。
「どういう事? せっかくあの面倒な『野良エインヘリヤル』が居なくなったみたいだから「遊び」に来てあげたのに。……野良エインヘリヤルどころか、こんなちんちくりん2体しか居ないんだけど」
「ちんちくりんじゃありません!」
「あたし達は、ジゴクの福王さま公認の、名誉『かなん』民……ちょーすげーハンバーガー屋さんなんだから!」
「……。……はあ、そう。良かったわね」
瓦礫をカウンターに見立てるようにして、ダスクモンと対峙するエビバーガモンとバーガモンの姉妹。彼女達はあくまでにこにこと愛想良く微笑み、対するダスクモンは、ただただ苛立たしげに、赤い瞳を細めている。
「まあ、そんな事はどうでもいいの。十中八九、コミュニティの奴らを逃がしたんでしょ? エインヘリヤルとはいえユミル進化体でもない成長期に全部丸投げした上で見捨てて逃げるなんて、本当に情けない奴ら」
「お客さん達の事を悪く言わないでください。皆さんは、わたし達が一生懸命お願いしたのを、聞き入れてくれたんです」
自分の仲間達が、強くて怖いデジモンの気配を察知した。だから、後は自分達に任せて避難して欲しい、と。エビバーガモン達は、手分けして住民達にふれて回った。
彼らが彼女達の言葉を信じたのは、「こんな世界で人々にハンバーガーを振る舞う」という善行を通じて、始めに彼女達の善性を理解していたからに他ならない。
だからこそ、共に戦うと。そう声を上げる住民達も、もちろん居た。
だがその度に、エビバーガモン達は、お客さん同士で身を守り合ってほしいと。彼らの申し出を断った。
ここは、自分達が。
その先の事は、仲間達が。きっとなんとかしてくれるから、と。
……そうして、遂に。
人々は、デジモン達は、皆。この集落を、立ったのだ。
「はっ。笑っちゃうぐらい笑えない。結局逃げたんじゃ無い」
だが、ダスクモンには姉妹の決意も、民の心理も興味を引く話題では無い。
結果が全て。
この場に残され、彼女自身の赤い目に描写される『物語』が、彼女にとっての世界の全てなのだ。
「気に食わないものはよってたかって迫害するクセに、都合の良い救いの手には臆面も無く飛びつく卑怯な臆病者ども。時々いらない勇気を奮い立たせたかと思えば、迷惑を被るのは『悪役』じゃなくて『主人公』の方。……『デジモンプレセデント』のモブっていうのは、名前ももらえないような「都合の良い悪意」に過ぎないの」
嫌悪感を隠す事はせず、しかしダスクモンはあくまで淡々と「この世界の住民」に対する所感を吐き捨てる。
多島柳花を追い詰め続けた人々。
鹿賀颯也の奮闘に誹謗中傷の火を放つ人々。
雲野環菜の死んだ恋人を嘲笑する人々。
……よりにもよって、人々を救おうと行動していた京山幸樹こそを『悪』だと判断して、攻撃を向けた人もいた。
一般的には善良とされる人種でさえ、『主人公』にとっては「そう」なのだ。
「このコミュニティに住み着いていたっていう『吸血鬼のエインヘリヤル』も、きっと「いい人」だったんだろうね」
ダスクモンは一瞬。僅かに。ほんの僅かにではあるものの、その台詞に敬意と賞賛、そして憐憫を込めた。
「だからこそ、追い払われちゃったんだろうけど。……残念だったね? ラタトスク。あなた達の味方に、引き入れられなくて」
故に、「この」京山玻璃は、『デジモンプレセデント』の世界を憎む。
放っておいても滅ぶから、何だと言うのだ。
それでは気が済まない。友が、恩人が―――家族が、報われない。
彼ら彼女らが気にしなくて良いと笑うとしても、今の玻璃に、『我が儘』を許される玻璃に、それを聞き入れる道理は無い。
そしてそうすれば―――一緒になって、大事な人達も、自分と同じように『暴力』を掲げる事が出来る。
それが、スピリットそのものが持つ『正義』からすら反した、『悪』の闇の闘士の在り方だと、この玻璃は解釈した。
何人たりとも許さず、戦いに明け暮れる―――ある種の、『魔王』、と。
「いいえ、違います」
だが、エビバーガモン達はそんなダスクモンに一歩も臆すること無く、彼女と対峙する。
だって、2体はもっとすごい『王さま』を既に知っているのだ。
きっとラタトスクからすれば『我が儘』だったに違いない、自分達の『生きる意味』を肯定し、言祝いでくれた『福王』を。
「もちろん、おともだちになれたら嬉しいなとは思っていましたけれど。わたし達は、その『妹エインヘリヤル』さんにも、わたし達のハンバーガーを食べてもらいたくて、ここに来たんです」
「……はぁ?」
「直接会えなかったのは残念だけど……でも、そっちは玻璃さんにお願いしたもの! ちゃんとお届けしてくれるわ」
「……結局『玻璃』を名乗ってるのね、あいつ。ほとほと呆れ返ります。そちらの闇の闘士にも、あなた達にも」
「そんな事を言わないでください」
だって、あなたもあの子も、どっちもちゃんと『京山玻璃』さんじゃないですか。
……エビバーガモンの言葉に、ぴくり、と。ダスクモンの全ての目玉が、神経質に揺れ動いた。
「……なんですって?」
「こうやって直接お話ししてみて解りました。あなたはたくさんひどいことをしている人だけれど……でも、それは全部、大切な人達が、大好きだからでしょう? ……違いますか?」
ダスクモンには、エビバーガモンの問いかけを否定する事が出来なかった。
出来る筈があろうか。だってそれは、そればかりは。紛れもない真実だ。否定する理由など、1つも存在しない程に。
「わたし達が一緒にいた玻璃さんだって、そうだった。こっちの玻璃さんは「大切な人と戦いたくない」から悲しんでた。あなたは「大切な人に嫌な思いをさせたくない」って怒ってる。どっちだって、その人のことが本当に大好きじゃなきゃ―――そんな答えは、出てこないでしょう?」
ダスクモンの全ての目玉が同時に血走る。
同じだ。大切な人を想う気持ちは間違いなく同じだ。
『デジモンプレセデント』の作者は、ロゼモンとセフィロトモンの持つ『ティファレト』から考察して、デジタルワールドにおける『闇』とは『愛』を意味するものであると解釈した。
故に、少なくともこの世界では。愛を持たない存在が『闇の闘士』と成る事は出来ない。
だからこそ、ダスクモンはやはり、許せない。
この相違点の敵対者でありながら、自分と同じように『京山玻璃』を名乗る闇の闘士の存在を。
『最愛の兄』の、『最愛』を騙る者を。
「わたしは、出来る事なら。そんなあなたにも、ハンバーガーを食べてもらって―――おともだちに、なりたいと、そう思っていますよ」
「出来るものなら―――やってみなさいよおッ!!」
レグルスモン! と、ダスクモンは己では無く、己の友が自分に与えてくれた邪竜を、エビバーガモンとバーガモンへとけしかける。
黒い竜はダスクモンの激昂を代弁するように、その咆吼で空を震わせながら、掲げた『盾』―――ダスクモンが、最も気に入っているパーツだ―――に付属した牙をガチガチと打ち鳴らす。
「あなた達なんて、この子が食べちゃうんだから! 私は絶対、あなた達の思い通りになんてなってあげない。……でも、ええ。そうね? あなた達がそのちんちくりんな見た目に反して、この子を殺せるぐらい強いって言うなら―――その時は、私手ずから切り刻みながら、話ぐらいは聞いてあげる」
「行こう、バーガモンちゃん」
「ええ、姉さん!」
瓦礫から飛び出し、エビバーガモンは旗付きピックの槍を。バーガモンはピクルスに似たフリスビーを。それぞれ掲げる。
体躯はお互い邪竜の爪程しか無い。だが、2体の信念は、その身体よりもずっとずっと大きい。
「「やあああああ!!」」
敵を殺すために盾を構えるレグルスモンに向けて、エビバーガモンとバーガモンは、自分達の想いを護るために、相手に武器を突きつけた。
*
「シフさん、馬門」
にい、と牙を見せつける多島柳花―――ネオヴァンデモンを前に、静かに、しかし真っ先に口を開き、仲間達に呼びかけたのは、この場で最も幼い神原ヒトミであった。
「三角さんをお願い。絶対、もちこたえてね。あの『龍』はわたしとギギモンで抑え込むから」
ネオヴァンデモンではなく、龍―――レグルスモン。
かの邪竜の、主と揃いの黄金の眼は、既にしかとギギモンを捉えている。……始まってもいない内に、徹底的にマークされているのだ。
自身の性質と、主の本質。
その2つを鑑みた上で、己が『もう1体の邪竜』を相手取るのが、この場における最適解だと。
「キミをしても「抑え込む」なのかい?」
「勝てないって言ったんじゃ無い。ただ、わたしは考えなしのバカじゃないってだけ」
言いつつ、ヒトミにいつものような余裕が感じられないのは本当だった。
神原ヒトミと、多島柳花。
主人公と、主人公。……それも、複数の『主役』と呼べる登場人物がいる群像劇において、奇しくも物語の中核を担っていた2人だ。
1つの物語の中ではまず出会い得ない。故に、始めて対峙する『同格』の存在。
戦闘経験だけで言えば、ヒトミは幼いながらに、この中の誰よりも場数を踏み、修羅場をくぐり抜けている。それでもなお。……いいや、だからこそ。このネオヴァンデモンは、ヒトミとギギモンにとっても『未知数』なのである。
「いっひっひ、そりゃ良い事だ」
だが、それを聞いて。そしてヒトミの態度を見て。馬門はむしろ安堵する。
「考えなしのバカじゃない」……それがどれほどの強みか、馬門は身を以て理解している。
「わかった、レグルスモンはキミにお願いするよ。多島の事は―――まあ、やれるだけの事はするさ」
「……」
馬門のどこか薄っぺらい返答の傍らで。シフもまた、呼吸を整える。
「……先輩」
「三角さんをお願い」……それは、言われるまでも無く、パートナーである自分が実行しなければいけない事だ。相違点Dで散々痛感したことだ。と。
「私は、大丈夫です」
「シフ」
「戦闘を開始します。……先輩、ご指示を!」
向こうにどれほどの事情が、願いが、信念があるとしても―――自分もまた、仮に、だとしても、『三角の未来』という物語を護るエインヘリヤルだ、と。
「っ」
シフの要請を受けて、だが未だ表情を歪ませ、歯を食いしばりながら。それでも三角は紋章に意識を集中し、改めてシフとパスを繋ぐ。
同時に、馬門も己のもう一つのスピリットを掲げた。
「『仮想宝具 疑似展開/電子人理の支柱(ロード・ラタトスク)』!!」
「ダブルスピリットエヴォリューション・ユミル!!」
そして、6月の龍も、宙へと舞い上がる。
「……ね、死なないでね。お願い」
「はい!」
「うーん、約束は出来ないね!」
そうして少女が戦士となる僅かな狭間に零れた願いに対照的な言葉を返し、方や少女の体躯のまま巨大な一刀を、方やただでさえ大きかったブリザーモンをも遙かに上回る身の丈に合わせた2振りのアイスキャンディーじみた剣を、シフと馬門はそれぞれ構える。
向こうの準備が整ったと見て―――もちろん、待ち構えていたのだ。小細工抜きに、正面から叩き潰す心積もりで―――ネオヴァンデモンとレグルスモンは濡れた床を蹴り、前へ、上へと。それぞれの獲物に向けて急発進する。
「テイマー! 何か防寒機能を持ってるなら使用をオススメするよ!」
最初に動いたのは、氷のスピリットの超越闘士―――巨大なペンギンの形をしたサイボーグ型デジモン・ダイペンモンとなった馬門だった。
え? と、青い顔でシフの背を見つめていた三角が、思わず顔を上げる。
馬門は嘴の端を、にっと持ち上げていて。
「非常事態だからって、凍傷にならないに越した事は無いからね」
そして次の瞬間。ガリガリと凄まじい音を立てながら、ダイペンモンの頭部のレバーが高速で回転し始める。
「宝具展開―――『人鳥飛ばぬ凍える季節(ダイペンブリザード)』!!」
その名称通り、空間に突如として『冬』が顕現する。
それは、『デジモンプレセデント』において氷の闘士としての馬門が使用した、環境の『支配』を再現した宝具。
馬門を中心に猛吹雪が巻き起こり、その場にいる者は敵・味方問わず極寒の風に晒される。
様々な環境やエインヘリヤルが引き起こす状況の変化に適応できるように、と、衣服に特殊なプログラムを施されている三角でさえ、襟を掴んで震え上がる。慌ててそんな三角の服の隙間に潜り込んだバウモンと、レグルスモンの三つ叉槍の尾を躱しつつ咄嗟にヒトミを庇ったギギモンが、同時に批難じみた吠え声を上げた。
だが、それでも吹雪はエインヘリヤルである彼らの脅威となるものではない。
ガルルモン系列の祖と言われるデジモンの力を受け継ぐスピリットを纏っているに等しいシフももちろんの事、テイマーである三角にも守りがあり、バウモンでさえ、毛皮という対抗手段を持っている。
加えてアンデッド型であるネオヴァンデモンは、そもそも寒さに身を震わせるような神経を持ち合わせてはいない。
「さ―――寒っ!?」
「ゲコォッ!?」
「「ッ、そういう事ですか……!」」
故に、この場において真の意味で馬門の宝具の影響を受けるのは、気温変化に弱い両生類型であるゲコモンとなった鹿賀颯也と、彼のパートナーであるトノサマゲコモン―――『霧の結界』の発動者達だけだ。
ネオヴァンデモンは今まさにシフに掴み掛からんとしていた爪の照準を、ダイペンモンの巨体へと切り替える。
「「『ブラッディストリームグレイド』!」」
「!」
刹那、凄まじい勢いでネオヴァンデモンの腕が伸びる。
『ブラッディストリームグレイド』。『ブラッディストリーム』と、進化前―――ヴァンデモンの得意技の名が入るものの、その攻撃は鞭型のエネルギー体ではなく、デビモンの『デスクロウ』に近い性質を持つ。
瞬く間に馬門へと伸びたネオヴァンデモンの爪は、ダイペンモンのおおよそ肩口に相当する曲面へと突き刺さり、ヒビを入れる。
そのままネオヴァンデモンは、自分目がけて振り下ろされたシフの『トリニテート』を躱しつつ今度は腕を縮め、所謂フックショットの要領で吹雪を突き破り、馬門と距離を詰める。
「げっ」
「「鹿賀さんに非道いこと、しないでください」」
氷の闘士ですら寒気を覚えるようなネオヴァンデモンの眼差しを視界に収めた時には、もはや手遅れ。
腕の縮む速度と吹雪に伴う風を全て勢いに転じ、アンデッド故の加減を知らない馬鹿力で、ネオヴァンデモンは突き刺さった指先を支店にぐるんと身体を捻り、ダイペンモンの顔面に回し蹴りを叩き込む。
それこそ一般人の思い描く「カエルの潰れたような声」を吐き出しながら、巨大なペンギンの頭部が陥没し、次の瞬間には床に叩き付けられる。
ずどぉん! とすさまじい揺れに、既に掻き出された分の雪が舞い上がり―――しかし吹雪は目に見えて弱まり、すぐに収まった。
「「『ナイトメアレイド』!!」」
だがそれだけでネオヴァンデモンが攻撃を止める筈も無い。
新たに召喚されたイビルビル達が、それぞれ二手に分かれてネオヴァンデモンを追ってきたシフに、そして仰向けに倒れたダイペンモン本人ではなく、彼の手放した棒アイス状の剣『カキカキクン』と『コチコチクン』へと襲いかかった。
「っ、『リヒトアングリフ』!」
シフは左腕のミサイルポッド『ロラント2(ツヴァイ)』を開き、放たれたミサイルでイビルビル達を迎撃する。
が、
「「『ブラッディストリームグレイド』」」
「なっ」
イビルビル達を爆砕して立ち上った煙を切り裂き、白く光る五指が捉えたのは、『トリニテート』を握りしめたシフの右腕。
ぐしゃり、と。吸血鬼の膂力は、ベオウルフモンの聖紫水晶(セントアメジスト)が組み込まれた鎧ごと、彼女の細腕を握り潰す。
「っああ!?」
「シフッ!!」
思わず手の平が開き、『トリニテート』―――原初の『光』を宿すが故に、攻撃を当てられさえすればネオヴァンデモン相手にも決定打になり得る武器―――を、手放すシフ。
一旦ミサイルも撃ち尽くし、これで反撃の心配は無くなったと、ネオヴァンデモンは薄く微笑みながら、その腕をそのまま天井に向けて更に伸ばし―――十分な高度に達したと見るや否や、彼女の頭部が逆さになるようにして、無邪気故に残酷な子供が人形に対してそうするように、思いっきり地面へと振り下ろす。
「―――っ」
あっという間に、凍り付いた床が―――死が。眼前へと迫り―――
「『ツララララ~』!!」
しかしその寸前、床の氷が盛り上がり、鎚と化していたネオヴァンデモンのおおよそ手首にあたる部分を受け止める。
完全に、とはいかなかったが、勢いは殺され、加えて追撃を警戒したネオヴァンデモンが、反射的にシフの腕から手を離す。
投げ出されたシフの身体は受け身を取り損なったにもかかわらず、降り積もった雪の上に落ちて、ほとんど無傷での着地を許された。
否、偶然雪の上に落ちたのでは無い。
「ホントに勘弁しておくれよ多島さん。……キミ、遊んでるだろう?」
よいしょ、と、シフを立たせながら、雪がひとりでに耳付きの雪だるまになり、そこから装甲が浮き出て、次いで手足が生える。
氷のヒューマンスピリットの闘士、チャックモン。即ち、馬門のもう1つの姿だ。
彼のスキルの名も、また『変化』。
もっとも糞山の王のものとは違い、馬門のそれはスピリットを通して「雪」や「氷」に転じたり、肉体を補強したり修復するためのもの。初手からの宝具は、もちろん颯也達の動きを封じる目的もあったとはいえ、このスキルを使用するための下準備という役割の方が大きい。
馬門は本人の言う通り、お世辞にも強いとは言えないエインヘリヤルだ。だがその分、状況さえ整えば―――具体的に言えば、上述の通り、雪か氷さえその場に大量にあれば―――かなりのしぶとさを発揮できるのである。
そしてそれは、かつて実際に馬門の戦闘を見た事があるネオヴァンデモンも、理解していた事だ。
故に「きっと以前と同様に武器に姿を変えているだろう」という予測を立て、それらにイビルビルを差し向けた訳なのだが。その点については裏を掻かれたと、頭を振りながらネオヴァンデモンは苦笑する。馬門は彼女達がシフに意識を向ける瞬間を見計らって、単に進化の段階を切り替えただけに過ぎなかったのだ。
「「遊んでなんていませんよ。馬門さんについては僕(わたし)達の読みが甘かったし、『ブラッディストリームグレイド』、「とどめ」までにラグが発生する技なんです」」
「あー、なんかさも拷問用みたいな記述がアーカイブにあったね、そう言えば」
「「でも、あなた達に聞きたい事なんて、特にありませんので。単純に伸縮する便利な腕ぐらいの気持ちで利用しているんです。ふふ、こんな時のために、幸樹さんに『護身術』を習っておいて、良かった」」
「……。……まあ分類上は一応、護身術だったね。先生のご子息の格闘術」
平静を装って立ち話に興じる馬門の隣で、一度冷静になる時間を得たからこそ、シフは自分のデジコアが痛い程脈打っているかのような錯覚を覚える。
もう少しで、死ぬところだった。と。
―――死。
―――あんなに、身近にあった筈なのに。
思い起こされるのは、ラタトスクの実験室での記憶。
―――あの頃は、なんとも感じなかったのに。
次いで思い出すのは、あの時の『手のぬくもり』
―――でも今は。私が死ねば―――世界が。……先輩が。
「シフ」
馬門の潜めた呼び声に、シフの意識は寒々とした現実へと引き戻される。
「功を焦る必要は無いよ。ボクらの役目はネオヴァンデモンの足止めだと思った方が良い。キミとボクだけで多島達を倒すのは無理! 絶対に無理だ」
「!」
「アーチャーがレグルスモンを仕留めるまで持ち堪えるんだ」
……そう。ヒトミの台詞は、あくまで「もちこたえて」だ。
倒す、と。断言こそしなかったが。ヒトミはやはり、ネオヴァンデモンとも対峙する気でいる。
そして、馬門は慰めや希望を口にするような男では無い。そんな話をしたところで虚しいだけだと理解しているからだ。
故に、彼は空気を読まずに、客観的に。他人事として自らの置かれた現状を評価する。……そんな彼がヒトミの指示を律儀に守るという事は、そうすれば勝ち目があると、冷静に判断したからに他ならない。
「……はい」
「いっひっひ、良い返事だ。光の速さで逃げ回るといいよ」
「「作戦は纏まりましたか?」」
馬門なりのアドバイスを受けて、いつでも駆け出せるようシフが姿勢を傾けたのを見て、特に構えもせずにネオヴァンデモンは口を開く。
もう一度、馬門は特徴的な笑い声を上げた。
「すっかり『傲慢』ムーブが板に付いてるね多島さん」
「「む。これでも作戦とか、こっちも色々考えているんですよ?」」
それに、と。ネオヴァンデモンは金の瞳で馬門を見据える。
「「僕達、馬門さんの事は嫌いじゃありませんから。助けてもらった恩だって、ちゃんと覚えています。降参してくれるなら―――いえ、もうこの世界の馬門さんは死んじゃってるんですけれども。でも、そうしてくれるなら。僕達は、馬門さんの事は、殺さないであげてもいいと。本気でそう思ってるんですよ?」」
「ホント? それはいいね」
思わず馬門を二度見してしまうシフ。
何せ彼は、『裏切り者』の性質を持ち合わせているエインヘリヤルでもあるのだから。
だが―――「いいね」と言った割に。
チャックモンの丸い目は、そのぬいぐるみのような造形とは裏腹に、どこまでも、ひどく冷ややかで。
「でも、やっぱり。それは出来ない相談だな」
馬門は、軽く言ってのける。
「「どうしてです?」」
「気になる? じゃ、そのための『ブラッディストリームグレイド』だ」
「「成程。ひとつ勉強になりました。流石は元、とはいえ、研究者さん」」
「いっひっひ、キミぐらいだよ。そうやって褒めてくれるの」
さも素直な優等生であるかのようにわざとらしく頷いて、ネオヴァンデモンは、改めて両腕の照準を、シフと馬門、それぞれに合わせた。
一方、こちらはレグルスモンと対峙するヒトミとギギモンである。
「く……っ!」
メギドラモンは究極体。対するレグルスモンは、この個体は厳密に言えばデジクロス体とはいえ、デジタルワールドの記録上はあくまでも完全体相応だ。2体には、世代差が存在する。
だが、戦況は芳しくなかった。
レグルスモンは、メギドラモンのクロンデジゾイドの身体に決定打こそ与えられていないものの、それはメギドラモンも同じ。
レグルスモンの黒い攻防一体の盾は、連射に重きを置いた『メギドフレイム』であれば、易々と防ぎきってしまう。にもかかわらず、距離を置いて「溜め」に入れば盾に備わった3門の貫通レーザー『ゲニアス』が、格闘を試みればこれまた盾にずらりと並んだ牙が大口を開ける『カリプバイト』か尻尾の二叉槍『デッドエンドスパイク』が。……豊富な必殺技を以て、主譲りの器用な立ち回りで、レグルスモンはヒトミとギギモンのありとあらゆる行動を阻害してみせるのだ。
彼女の言うところの「お喋りなUSB」こと聖解からの知識が無ければ、初見では回避出来なかったかもしれないという予感が、余計にヒトミを苛立たせる。
「ドーカクとかホーフツとか!」
通常であれば、聖解が与えるのは、あくまで召喚された相違点の大まかな知識と、己の出身である作品の知識程度に留まる。
だがレグルスモンは、デジタルワールドのアーカイブに「メギドラモンを彷彿とさせるパワーを誇る」と、ヒトミのパートナーデジモンの種族が名指しで書き込まれているデジモンである。
「メギドラモンと共に在るヒトミであれば知っていてもおかしくはない」と、どうにも召喚時に記録データが混じっていたらしかった。
「あとから言ったもの勝ちのズルじゃん! サイッテー……!!」
結果的に助けになったとは言え、当然気分の良い話では無い。
それこそ、いらない世話。お節介。知りたく無かった情報だと、ヒトミは声を荒げ、不快の感情を隠そうとはしなかった。
そして、こちらはヒトミの与り知らぬ話だが。
メギドラモンの『炎の必殺技』を見た瞬間から、ネオヴァンデモン―――多島柳花とピコデビモンは、ヒトミを生きて此処からは出さないと決めている。
けして自分達の恩人―――もはや、この世界の『本人』ではないエインヘリヤルといえども―――と、彼女とを対峙させるような展開にだけは至らせない、と。
当然レグルスモンは、そんな主の望みに応える。
「時間稼ぎ」と言うのなら、彼の方こそだ。自分が持ち堪えれば、きっとネオヴァンデモンは2体の闘士と人間1人を始末して、必ずや単騎になったこの少女とパートナーを殺せる筈だ、と。そんな決意が、多少の無理を承知の上で、レグルスモンの身体を突き動かす。
「わたしとギギモンの方が、絶対強いし!!」
だが、事情は解らずとも、ヒトミは『龍』という生き物の態度や仕草には敏感だ。
だからこそ、声に出して答える。
故にこそ、ギギモンもまた、彼女の宣言に応えるのだ。
―――『ヘル・ハウリング』
地獄の咆哮と称される衝撃波に、『ゲニアス』を放とうと構えていたレグルスモンの盾が押し返される。スキルによって透明化しているとはいえ、メギドラモンの位置情報自体は、その存在感故にレグルスモンにも筒抜けだ。
だが、予備動作に火花が舞う『メギドフレイム』と違って、衝撃波には元から視認できるものではない。ブラフとして通常の咆哮を織り交ぜていた甲斐あって、ついにメギドラモンは、レグルスモンに明確な隙を作り出す事に成功する。
立て続けに、『メギドフレイム』がそれこそ『龍』のように、レグルスモンへと食らいついた。
「――――――!!」
しかし、大人しく炎に呑まれるような手合いでも無い。
レグルスモンのもう1つの必殺技―――『グラントレース』。
吐き出された極炎球が、地獄の炎とぶつかり合い、お互いを喰らい合う。
結果として、『メギドフレイム』がレグルスモンに直接届く事は、無かった。
―――でも、使わせた。
ヒトミの『龍の瞳孔』が、その事実をしかと捉える。
『ヘル・ハウリング』なら動きを止められる。
ある程度チャージを挟んだ『メギドフレイム』を防ぐには、レグルスモンも『最大の必殺技(グラントレース)』を使わなくてはならない。
自分のスキルも併せて、完璧なカウンターとなるタイミングで『ヘル・ハウリング』を叩き混み、最大火力の『宝具(メギド・フレイム)』をぶつけられれば―――
「いける? ……なあんて、ギギモンには、聞かなくてもいいよね」
あえて叩いた軽口に、ぐるる、と。メギドラモンの尾に巻かれているヒトミの頭上で、低い唸り声が響き渡る。
彼女はこくんと頷く形でもう一度パートナーに応え―――しかしふと、「ただの視界」に、ひとつの影を捉える。
「……」
それは、紋章の刻まれた右の拳を左手で包み込み、真っ青な顔で戦況を見守る三角の姿だった。
「馬門が冷凍庫のマネなんてするから」
とはいえ言ってみただけで、三角の震えが寒さに由来するものではない事は、誰の目から見ても明白であった。
……紋章を介さずとも解る。
どうすればいい? と。三角は誰にも問えないまま、半ば自分を責めるように、己に訴え続けていた。
適切な指示? 出来るわけが無い。「逃げ」に徹し始めたシフの残像を追うのが精一杯、馬門に至っては、今どの氷に潜んでいるかも解らないのに。
紋章を切る? ダメだ。「あと1人が限界」と名城達が言っていた。シフ、あるいはヒトミを強化できたとて、万が一前のように気を失いでもしたら、今以上の足手纏いになる。
そもそも―――自分が、あんな事を言わなければ。
最初から、戦いを始めていれば。
もう少し、事態はマシだったのでは―――
「ギギモン」
『ゲニアス』を躱したメギドラモンが、身を屈める。
「……うん。やっぱり、「できる?」なんて、聞かなくていいんだね」
そのまま急降下したギギモンは、一陣の風と共に、始めに玻璃にそうしたように、三角の身体をさらって、すくい上げた。
「わっ」
高い、と。
その瞬間だけは、三角の脳内は、そんな感想だけで、いっぱいになる。
「少しは落ち着いた?」
メギドラモンに素早く腕へと移らせてもらい、ヒトミは三角と並んで飛ぶ格好になった。
怪訝そうに唸ったレグルスモンを、メギドラモンは『メギドフレイム』で牽制する。
「三角さん、しゃんとして」
うっ、と、三角は顔をしかめる。そう言いたくなるのも当然だ、と。
……そんな彼に向けて、ヒトミは大きく首を横に振る。
「ちがう。ちがうよ。わたしが言いたいのは、三角さんの考えてるようなことじゃない。……もっと、ずっと。とっても『大事』な、話なの」
「……ヒトミちゃん?」
「わたし、ちょっと分かるんだ。カジカPさんの言ってること」
「え?」
目を見開く三角から一度目を逸らし、ヒトミは『霧の結界』を維持するために『ボレロ』を奏で続ける颯也を見下ろした。
ゲコモンの卵形の瞳は、今にも溢れ出しそうな揺らぎを湛えたまま、それでもネオヴァンデモンから逸らされる事は無い。
「バカな誰かがバカなことをして、でもその人は大事な友だちで」
ヒトミはその瞳を通して、違うデジモンを。……人を見る。
「たたいたってその人は戻らない。あの人や、あの人のいる時間は二度と返ってこない」
彼女はぎゅ、と。小さな手の平で、自分の瞳と同じ色の、琥珀のペンダントを握りしめた。
「あの人達が、バカなことにとことん付き合って守ろうとしてるのは、多分、『それ』」
―――いや、わかってる。……みんな、やっぱり『自分達の日常』が大切だったんだよ。
颯也のような特別な耳を持たない三角にも、それだけは解る。
あの言葉は、紛れもない本心だった、と。
自分自身に対しても。……ヒトミの言葉を借りるならば、『大事な友だち』に対しても。
「だから強いよ、あの人達は、すごく強い」
そしてヒトミは、そんな『物語』を「知っている」と感じたのだ。
そんな『物語』を生きてきた誰かが、弱い筈が無いと。
「でもだからって」
だからこそ、とある主人公の少女は、これから主人公になっていくしかない青年に、龍の眼差しを投げかける。
「あなたがそれに付き合う筋合いなんかない。あなたには守る世界がある。救わなきゃいけない人達がいる。わたしたちにあの人たちの世界の重さが分からないように。あの人たちにもわたしたちの物語の重さは分からない。分かる筋合いなんてない」
ただ勝つ。それだけ。と。
「やるべき事」を、訴える。
「だから、気にしなくったっていいんだ」
それは彼女の、心からの本音ではない。
分からないからこそ、判ったように否定はできないと。そんな事は、ヒトミ自身がだれよりも解っている。
だが、言わなければならないと、発破をかけなければならないと。そう思ったのだ。
先達として。
「だから、やっちゃおうよ。向こうが先に「殺し合い」って言ったんだし」
この瞬間にも、ネオヴァンデモンは鞭のように腕をしならせ、使い魔を差し向け。レグルスモンは盾の大口を、自らの尾を、メギドラモンを引き裂くために差し向けている。
「わたし、殺し合えるよ。焼き尽くして、踏み潰しちゃおう?」
シフはその腕を躱し、馬門は使い魔達をわざと砕いた氷で貫き、メギドラモンは、長い尾でレグルスモンの身体を薙ぎ払う。
三角が触れたくても触れられる事の無かった、戦闘種族(デジタルモンスター)の、戦いの光景。
殺し合いの風景。
……もう、ここに来るまでに、何度も目にしてきた筈なのに。
多島柳花の、言う通り。
「俺、は」
やっぱり身勝手だと、三角は思った。
「嫌だ」と感じた、自分自身に。
「……まあ、あなたは気にする、よね」
ヒトミは息を吐く。
呆れたように。……何より、どこか安堵したように。
後先も考えず、玻璃の下に駆け込んだ姿に。
ネオヴァンデモンに詰られたのに、自分よりも先に、シフの事を気にかけた姿に。
……あまりにも『普通』で真っ当な三角の感性に。何度も、そうしてきたように。
「うん、それなら」
そうしてから、ヒトミは笑った。
『普通』の青年に対して、『普通』のいち小学生として。
「いっぱい悩もう? 悩む筋合いのないことで悩んで。決める筋合いのないことまで決めて、苦しむ必要のないことで、ずっとあとまで苦しもう?」
いや、それにしたって少々大人びてはいるが。
今度は、あくまで等身大で。ヒトミは三角に寄り添い、言葉の力で彼の背を叩く。
だって―――それは、彼女自身。今はまだ、答えの出せない『物語(悩み)』なのだ。
「心配しないで、大丈夫。そのための時間はわたしたちが稼ぐ」
「……」
先程までのヒトミに倣って、三角は俯瞰の視点で戦場を見渡す。
高いところでは、見えなかったところまで。いろんなものが、よく見えた。
龍は、そうやって世界を見るのだ。
「空を飛ぶのは、気持ちいいでしょ? 三角さん」
「うん」
「もう、しゃんと立てそう?」
「……うん」
「だってさ、ギギモン」
レグルスモンの攻撃をくぐり抜けて、再びメギドラモンが地面とすれ違う。
「っ」
ヒトミは自分を指定したとおりの場所に下ろしてくれたと、着地した三角は目的の物をじっと見据えた。
「さあ、いくよ、ギギモン! ―――わたしたち、なにかを守るときが一番強くなれるんだから!!」
その言葉を合図に、メギドラモンの透明化が解除される。
その行為に、味方からの視認性以上のメリットがある訳ではない。
だが己の存在を誇示する事は出来る。
自分は。自分達はここにいる、と。
それを、敵にも、味方にも。
見上げた『龍』は、とてつもなく恐ろしく―――だが、どこまでも力強く、心強い。
そんな『龍』と共にある少女は、悩んで良いと言ってくれた。
苦しんで良いと言ってくれた。
だけど、決めるべき事は。……決めなくても良い事も。決めよう、と。ヒトミは、自分にそう言ってくれた。
三角はネオヴァンデモンの方を見やる。
ネオヴァンデモンは、透明化の解除という変化を経てもなお、注意を一切、ヒトミとギギモンに向けてはいないらしかった。レグルスモンに、対処を全て任せているらしい。
レグルスモン―――使い魔に対する、絶大な信頼。それはある種、テイマーとパートナーの関係に似ている。
自分は、シフに対してそう在れてはいなかった。
それこそ、筋違いの心配をし続けていた。と、内省しながら―――しかし三角が確認したのは、その点だけでは無かった。
ヒトミ達とは別に、もう1人、ネオヴァンデモンが全く警戒を向けていない人物がこの場にはいて。
……対照的に、彼女が常に注意を払い続けている『人間』もまた、この戦場には、存在している。
「……え?」
パイプからの演奏はそのままに、気付いた颯也が、呆けたような疑問符を口に出す。
彼の前には、『エジ』か『オジ』どちらかの破片―――ブリザーモンはそこそこの巨体を誇るデジモンだ。故に、高校生男子の平均身長からすれば、欠片だけでちょっとした鉈ほどのサイズがある―――を携えた三角が、ゲコモンとなっている彼と、向き合っていて。
「……おい」
当然、黒光りするのその破片は、颯也の目にも留まる。
「何、する気だよ」
「……」
答える代わりに、精一杯。三角は颯也を睨み付ける。
「やめろよ」
「……」
「俺、今、デジモンなんだぞ」
三角は、破片を振りかぶった。
「あんたぐらい―――簡単に殺せちまうんだぞ!?」
半ば悲鳴のように叫んだ颯也に向かって、三角は大きく一歩を踏み出す。
「ソーヤ!!」
殺せる、と言ったにもかかわらず、颯也は『クラッシュシンフォニー』を放つどころか、その場から一歩も動く事は出来なかった。
彼の精神状態が「そう」である以上。当然未だパートナー関係ではあるトノサマゲコモンの対応も遅れる。
やはり彼は、ネオヴァンデモンの言う『殺し合い』に手を貸す事は出来ても。
心まで、戦闘種族になりきれてはいないのだ。
相手の心につけ込んだ、心の底から卑怯な真似だと、三角は歯を食い縛る。
殺し合いだ。先に言ったのは向こうだと。いくら良いわけを並べ立てたとて、三角は必死に考えて、考えて。こんな方法しか思いつけなかった己が許せない。
だが、それでも。
やらなければいけないと思った。それが自分に出来る事だと考えた。
―――他の誰でも無い、自分の物語のために。
「「鹿賀さんに―――近寄らないでくださいッ!!」」
こうすれば、確実に。
ネオヴァンデモンの気を引ける、と。
シフにも馬門にも背を向けて、全神経を「大切な人に危害を加えるかもしれない相手」だけに向けて。ネオヴァンデモンは必殺技よりも確実に三角を殺すために、ただただ単純に爪を振り上げ、三角の背へと飛びかかかる。
「死」が、迫る。
もう何度目だろう? わからない。
わかりたくもないし―――何度繰り返したって、怖くて、怖くて。たまらない。
だけど。
……そう、三角は。今度こそちゃんと確信を持って、振り返る。
「先輩(テイマー)に―――手出しはさせません!!」
「「―――っ」」
シフは、絶対に来てくれる。と。
へし折られた腕に、咄嗟に回収した『トリニテート』を『氷』で接着したシフが、亜高速の斬撃『ツヴァイハンダー』で、ネオヴァンデモンの振り上げていた右腕と右翼を、肩口から斬り落としている、その光景へと。
「リューカ、ちゃ」
颯也の演奏が止まる。
そして、動揺が走らせたのは、彼だけでは無かった。
刹那。天井で凄まじい爆発が起きる。
「!!」
そして次の瞬間には、黒い身体をさらに焦がしたレグルスモンが墜落し、落下の衝撃で砕けた氷の粒を、辺り一面へとまき散らす。
主の負傷に気を取られた隙を突いて、ヒトミ達の『宝具(メギド・フレイム)』が決まったのだ。
「「レグルス、モン……!」」
「全く、無茶するよキミは!!」
騎乗スキルの恩恵を受けているスキー板で華麗にターンを決めながら、氷から飛び出した馬門が三角の身体をさらい、追撃の届かないところまで連れ去った。
「……ごめん、ありがとう、馬門さん」
「いいや、礼を言うならこっちの方さ。……正直ちょっと、いや、もう大分ジリ貧って感じだったし」
レグルスモンを墜として
切り離された右腕と翼を粗雑に掴み上げ、彼女が飛び退いたのは、レグルスモンの隣。
白雪の上に倒れ伏した、盾の黒竜の側だ。
シフはそのままネオヴァンデモンを目で追い、『トリニテート』というよりは、凍り付いた右手に左手を添える形で剣を支えた。
……そのまま颯也を人質に取るような真似をされなかった事にだけは、幽かな微笑みを浮かべた柳花の口から
「よくもリューカを……!」
少年の、極限まで低めた声が漏れる。……パートナーを傷つけられて激高する、ピコデビモンの声だ。
ネオヴァンデモンは、柳花として首を横に振る。
「痛いのは、ピコデビモンも一緒でしょ? 大丈夫。今度は本当に「半分こ」だもん。……大したこと無いよ」
「リューカ」
「リューカちゃん……!」
「いいの。……鹿賀さんも、心配しないでください」
そう、颯也に微笑みかけて。ネオヴァンデモンは改めて、三角達の方へと向き直る。
「「卑怯、とまでは言いませんよ。仮にも将軍を名乗っている身です。僕達もそこまでは落ちぶれてません。……個人的に、許さない理由は増えましたけどね」」
「……多島さん。その言い方だとひょっとして、まだやる気?」
馬門の問いかけに、ネオヴァンデモンは軽く唇を尖らせる。
「「当たり前です。吸血種は、タフさが売りなんですよ?」」
ね? レグルスモン。と。
……ネオヴァンデモンは、右腕と翼を、倒れ伏したレグルスモンの口元へと、差し出した。
チャックモンの無いに等しい表情筋が、それでも引きつる。
「「ごめんね。こんなになるまで、戦わせて」」
「っ、『スノーボンバー』!!」
咄嗟に取り出したランチャー『ロメオ』から氷結雪玉をネオヴァンデモン達に向けて発射する馬門。
だが、それらは全て、ネオヴァンデモンの残った翼から生み落とされたイビルビルの壁に、阻まれる。
「ギギモン!」
「『リヒトアングリフ』!!」
続けざまに、メギドラモンが『メギドフレイム』を、シフが『ロラント2』からミサイルを放つが―――もはや、手遅れだった。
「「お願い。もう少しだけ―――付き合って」」
盾と。盾から放たれたレーザーが、炎を霧散させ、ミサイルを薙ぎ払う。
……再び身体を持ち上げたレグルスモンは、咀嚼した主人の血肉を以て、焼けたテクスチャを再構築していく。
後には、焦げ跡ひとつ、残らなかった。
「「引き続き、あの子をお願い、レグルスモン。……もっとも、この子。同じ手は喰らいませんよ? さっきまでも十分に苦戦していたようですし―――今度は、持ち堪えられますかね?」」
「―――っ、冗談」
ヒトミは、再びメギドラモンに掴まる。
「こっちは最初から、あなたたちの『殺し合い』に付き合う気なんてないってだけ!」
言いつつ、戦闘そのものには慣れていても、やはり表情を覆い隠せる程大人では無い。
2体の龍が飛び立つ。
ネオヴァンデモンは血液代わりの粒子が零れ落ちる右肩を押さえながら、冷たい目でシフと馬門。そして三角をぐるりと見渡した。
「……本当に、まだやるんですか」
「「ふふ、腕の1本、翼の1枚程度で、もう勝った気でいるんですね」」
「う~ん、そこまでは言わないけど、負けた気にはなってほしいね?」
「「出来ない相談です」」
何せ、と。
ネオヴァンデモンは腕を下ろし、向かい合う相手をシフに定める。
向かい合う相手―――
「「時間を稼いでいたのは、あなた達ばかりでは無かったんですもの」」
―――殺す相手を。
「……え?」
静かな、しかし先程までとは比べ物にならない殺気に、シフのテクスチャが粟立つ。
ネオヴァンデモンは、口元に三日月を描く。
胸元には、すっかり満ちた月を湛えながら。
「「『ギャディアックレイド』」」
静かな必殺技の宣言と同時に。
一筋の光が、絶望を射す―――
*
「次から次へと……!」
轢き肉号のアクセルを踏みっぱなしにしてハンドルを握りながら、糞山の王が悪態を吐く。
進行方向に、集落の方へと向かっていると思わしきエインヘリヤル2騎の反応。というのが、玻璃のデジヴァイスに届いたラタトスクからの報告だった。
「おいサマナー。そいつらも詳細はわかんねーのか」
「一度も接触した事が無いエインヘリヤル、って事だけしかね。クラスも、もう少し接近しないと判別は難しそうだ」
「……逢坂鈴音(アーチャー)やゲイリー・ストゥー(バーサーカー)では無い、と」
「つまり、『妹エインヘリヤル』とあと誰か、っつー可能性も無きにしも非ず。ってか」
玻璃達を悩ませたのは、その点だった。
無視して進むことは出来る。お互いの速度からして、このまま進み続ければかち合う事なくすれ違える筈だと。
だが、今まさにテイマー達が対峙している相手は、多島柳花とピコデビモンのユミル進化体。……自分と今の糞山の王が合流したとしても厳しい戦いを強いられる相手だと。彼女を友としてよく知る玻璃は、そう判断せざるを得なかった。
もしも件のエインヘリヤルが『妹エインヘリヤル』だとすれば。
味方として回収する事が出来れば、心強い即戦力となってくれるだろう。あのライダー・風峰冷香が「私達のBOSSですら静観を決め込む」と謳ったのだ。それだけの期待は、しても良い筈だ。
だが、これはあくまで、2騎のエインヘリヤルが敵陣営の所属では無く、その上でラタトスクに友好的である場合に限る。
馬門も「味方になり得る可能性は高まった」とは言っていたが、それは「全てが冷香の罠だった」という可能性が、けして0になったという話でも無い。
加えて交渉に割く時間も余裕も無い。苦戦は必須だとしても、一刻も早く駆けつけなければ、そもそもテイマーの命が危ういのだから。
「……」
玻璃はやるべき事を、自分の頭で考える。
エビバーガモンとバーガモンの姉妹の『意志』を、最も無駄にせずに済む方法を、考えて―――
―――やはりリスクを取れない。と。その結論に至る。
「糞山の王さん、どうか、このまま轢き肉号を」
「おう闇の獅子。お前、車降りろ」
「は?」
思いもしなかった台詞にフリーズする玻璃。
だが、なんという事は無い。糞山の王もまた、考えていたに過ぎないのだ。やるべき事を。
「ンだよ、チビどもが手本見せたばっかりだろ。こーゆー時は、手分けすんだよ。なら、サマナーもといテイマーと直に契約してるてめぇがあっちに急ぐのは当然だろ?」
「糞山の王さん」
「疾(はし)れよライオン。俺様の暫定ドラゴン・轢き肉号が、秒で追いついてやっからよ」
「……」
口調は軽いが。やはり糞山の王の言葉には、確固たる意志と責任、言ったことを現実にすると確信させる力強さに溢れている。
本物の、王の言葉。
「……糞山の王さん。どうか、ご武運を。スピリットエヴォリューション・ユミル!」
轢き肉号を飛び出した玻璃が、カイザーレオモンへと姿を変え、轢き肉号の征く道とは逸れてアスファルトを蹴る。
ハッ、と。糞山の王は鼻を鳴らした。
「全く、真面目ちゃん過ぎて嫌になるぜ。俺様の死亡フラグみてーな台詞残して行くなっつーの」
一度ハンドルから手を離して、糞山の王はずっとポケットに忍ばせているだけだった煙草に火を付ける。
もう、臭い移りを気にしてやる相手も、未成年も、ここにはいない。気楽なもんだと男は笑った。
そのまま、彼は空いた手で車に備え付けられていたカーナビを軽く拳で叩く。
「オラ、サマナー。繋げられたか?」
通信こそ無かったが、途端、真っ暗だったカーナビの画面にマップが表示される。轢き肉号に施したリソースの一部をモニターに回したのだ。
進行方向にはピンが2本。恐らく、件のエインヘリヤルだ。
アクセルを更に強く踏み込む。法の規定どころかマシンの限界までとうの昔に突破していたが、それでもモンスターマシンには到底叶わない。
もどかしい時間と共に景色が過ぎ去り―――ようやく、2つの影が、糞山の王の視界に映り込む。
「セイバーと。……バーサーカー、ねぇ」
ラタトスクから新たに送られてきたクラス情報を見て、糞山の王は肩を竦めた。
「日本語―――どーしてもダメなら、せめてセム語が通じて欲しいもんだ」
急ブレーキに、タイヤが悲鳴にも似た音を立てる。
轢き肉号は、ほとんど2騎のエインヘリヤルに立ち塞がるような形で、彼女達の目の前でようやく停止した。
「……あの」
困惑したように『側面にハンバーガーの絵が描かれた軽自動車』を落ち着き無くまじまじと眺める、全身をボロボロの衣服で包んだ長い金髪の女性。
対する濡羽色の髪を後頭部で結った、野袴姿の傷だらけの女性は、一点。運転席の方だけをじっと見つめ、飾り気の無い鞘に収まった刀に軽く手をかけている。
前者がバーサーカーで、後者がセイバー。疑うまでも無いだろうと溜め息のように煙を吐き出してから、糞山の王は運転席の窓を開けて、半身を乗り出した。
「ヘイ、イケメン様が通りすがったぜ! お姉さん達、今ヒマだったりするぅ?」
「えっと……」
「ほう、こんな世界で軟派に興じるとは、可笑しな男もいたものだ。平時であれば構ってやるのも一興だが……生憎急ぎでな」
セイバーが刀の柄を握ったのを見て、ステイステイと糞山の王は手の平を見せびらかす。
「OK単刀直入に言う。俺様はアサシン。『相違点の修復者』に手ぇかしてるエインヘリヤルだ。サマナーもといテイマーの望みでてめぇらを探しに来たんだが、その間にサマナーもといテイマーが大ピンチになっちまってよ」
「手を貸せと。証拠は?」
「カーナビにでも聞いてくれ。っつーワケだから、乗ってけよ」
「断固として拒否する」
「断固として拒否されてしまった」
「えっと、その。セイバーさんは、同行を拒否した訳ではなくて。でも、あなたが車に乗っている以上は、一緒にというのは、難しくて。……ひとっ走り、付き合えない……」
「は?」
「ごめんなさい。わからないですよね。何言ってるんだって感じですよね。考えるのはやめてください。すみません……」
日本語は通じたが、会話は通じそうに無いバーサーカーと、正直同行を拒否したとしか思えないセイバーの様子に、どうしたものかと思案する糞山の王。
再三言っていたように、事態は一刻を争う。意思疎通も回収も難しいと言うのなら、いっそ下手に敵対しない内に、このまま別れてテイマーの下に向かうのも手かと、彼が改めてハンドルに手を伸ばそうかと思った―――その時だった。
「ごめんなさい。疑ってる訳じゃないんです」
相変わらずおどおどとした調子で、気まずそうにバーサーカーが口を開く。
「いや、どうなんだろう。騙されていたとしても、別にいいと言うか。多分、あなたでは私の事、どうにしたって殺せないですし」
「あ?」
「すみません、余計な事しか言えなくてすみません。……それに、ごめんなさい。本当なら、その、『相違点の修復者』さんに手を貸すのが、本当は一番良いのは、私でも解るんです。です、けれど」
そっと、厚手の手袋をバーサーカーの人差し指が、轢き肉号が走ってきた方角を指し示す。
「私、行かないと。あの人達じゃ、ただ殺されてしまうだけだから」
自分が、追われた集落のある方角を。
「……聞いたぜ。追い払われたんだろ? 手前が護ってやってたってーのに」
「私もそう言ってやったのだがな。『ヒーロー』なら見捨てる真似はせんと、言って聞かんのだ」
「『ヒーロー』?」
こくん、と。そこだけは、バーサーカーは力強く、大きく頷いた。
「人生の大事な事は、全部ヒーローから教わりました」
「……」
「私。そう、在りたいんです。……せめて、この一時だけだったとしても」
バーサーカー。狂戦士のクラス。
故に、臆面も無く夢物語を口にするこのエインヘリヤルの赤い瞳に、正気と呼べる光は射してはいない。
だが―――ひょっとすると、だからこそ。
その眼差しは、『本気』であった。
「ふっ」
故に。糞山の王は笑う。
「なんだ。狂人の戯れ言は嗤う手合いか」
「う……」
「嗤うもんかよ。笑ってンだ。面を下げるな狂戦士。今から俺様の言う事を、耳かっぽじってよおぉぉぉおく聞きやがれ」
笑う。笑う。にぃと笑う。
王であるが故に。今やその座から追われようとも、神であるが故に。
そして何より。彼にとって『彼女達』は、同じ釜の飯ならぬハンバーガーを食い交わした、戦士同士であるが故に。
「てめぇの出る幕じゃねェんだよ。あの集落は、もう俺様の民(ツレ)が護ってる」
王も
神も
戦士も
自分の行動に『意味』を生んだ、英雄(ヒーロー)の誕生を、言祝ぐものだ。
「え?」
「あいつらはぜってー集落を護りきる。なんたって、あのボンクラどもですら「見捨てない」って言ってのけたんだぜ? この地獄の副王様に」
だから乗れ、と。呆気にとられるバーサーカーに向けて、糞山の王は親指で、空の後部座席を指し示す。
「あっちは任せろ。……こっちにも、お前(ヒーロー)を待ってるガキがいンだよ」