「さて、この相違点では『ユミル進化』と呼ばれる「デジモンに寿命を与える進化」に補正がかかる。って話はもうしたね?」
壇上に登る、白衣を羽織った長い黒髪の女性―――雲野環菜の問いかけに、ただ1人の受講者である逢坂鈴音が頷く。
「その内一番手っ取り早い方法は、人間がデジモンに進化する、あるいは人間がデジモンと融合(ジョグレス)する、という方法さ。そういう意味では、アタシやアンタはすこーしだけ立場が弱い。なんたって、真っ当にパートナーデジモンを連れたテイマーだからね」
「私達の場合、真っ当かどうかには疑問が残るけれど。何せアハトは、人を食べたモンスターだ。その場合はその、『ユミル』の補正とやらは引き継がれないのかな?」
「人間のデータが混じっているデジモン、というのは既に前例がある。弱いデジモンでは無かったそうだし、特殊な能力も備えていたという話だけれど、世代差や選ばれし子供達のパートナーの力を覆せる程じゃあ無かった。……まあ、あの時代には選ばれし子供達のパートナーデジモンにも寿命があったようなものだけれど、この点についてはちょっと専門から外れるからね。また後日、資料を持ってくるよ」
授業と言うよりは、討論に近い形で展開される2人のやりとり。
鈴音も環菜もお互いの意見に興味深そうに耳を傾けており、教室となっている部屋の空気は至って和やかだ。
鈴音が連れているキャノンビーモン・アハトが「人食いのモンスター」と触れられても、環菜はまるで気にする素振りを見せていない。
「ただ、ユミル進化の着想元というか、そういうのが「人間のデータを持つデジモン」にあったのは事実だ。そういう部分がとっかかりになって、アンタ達がうちに召喚された。って可能性は考えられる」
「なるほど。敵方のエインヘリヤルも含めて、聖解は随分と無作為な選出をするものだと思っていたけれど、突き詰めていけば何らかの縁がある可能性がある。と」
「あくまで可能性、だけどね」
だから一旦、解っている話から始めよう。と、環菜は今一度、話題をユミル進化へと戻す。
「スピリットについてはこの前話したから、今回は人とデジモンのジョグレスについてさね。……確か、アンタの世界にもいたんだっけ?」
「それこそ真っ当な方法とは思えないけれど、こちらの世界の基準で考えるのであれば、アレはそういうものだったんだと思う。エインヘリヤル化したなら、さぞかし強力な存在にはなるだろうね。……環菜さん的には、「そっち」の方が良かったかな?」
「いんや? アタシャこれでも鈴音ちゃんが気に入ってるからねえ。来てくれたのがアンタで、本当に良かったと思ってるよ?」
「おや、嬉しいね。そんな風に歓迎されたのは久しぶり―――ひょっとすると、初めてかもしれない」
「なんたってアンタ、アタシの元旦那にちょっと似てるから」
「……男の趣味悪いね、環菜さん」
「よく言われるよ。結婚指輪さえ人のデジモンから借りパクするような、頭の良さだけが取り柄の最悪のヒモ男だった」
一瞬。ほんの一瞬。ふっと瞳の奥にちらりと透明な炎を這わせて。
だがすぐに気を取り直して、「いや、アンタが似てるのは頭の良いところと一部の性格だけだよ」とどこか照れくさそうに取り繕いながら、左手で軽く黒い髪を指で梳く環菜。
その薬指では、簡素なデザインの指輪が、緑色の光沢を放っている。
「気を取り直して。人とデジモンのジョグレスは、特別に「マトリクスエヴォリューション・ユミル」って名前で呼ばれてる。そんでもって、その実例がうちの柳花ちゃん。……とはいっても、柳花ちゃんとそのパートナーであるピコちゃん―――ピコデビモンがジョグレス進化したのは、柳花ちゃんが単独でユミル進化して、下手に寿命を迎えるのを防ぐためだったらしいけれどね」
正確には、『デジモンプレセデント』本編の多島柳花も、同じようにパートナーデジモンとマトリクスエヴォリューション・ユミルを行っている。
彼女達は、違う理由で、同じ進化を選び―――「らしい」と伝聞の言葉を足した通り、本編と違って、エインヘリヤル、アヴェンジャー・雲野環菜は、その場には居合わせられなかった。
「だからまあ、いわゆる主人公補正? ってのも込みで、柳花ちゃんはエインヘリヤルでこそ無いけれど、この相違点ではそれに匹敵、あるいは凌駕する力を持っている」
「となると、吸血種の不死性自体は『ユミル』の補正に影響を及ぼさないんだね。大事なのは、「寿命がある」という事実、と」
「飲み込みが早くて助かるわぁ。アタシ、正直教えるのは『アイツ』ほど得意じゃ無いからねえ」
それに、『ユミル』について気兼ねなく話せる日が来るとは思わなかった。
そう言って環菜は、復讐者のクラスからは想像も出来ないような、穏やかな笑みを鈴音へと向ける。
そも、本来この姿の雲野環菜は、様々な要因によって復讐からは解放されている筈なのである。
それがアヴェンジャーで現界している理由を知るのは、スーツの男と、彼女のパートナーデジモンのみ。
「……」
部屋の外。
廊下の壁にもたれ掛かりながら、環菜のパートナー―――ブラックウォーグレイモンは、彼女の弾む声に耳を傾けながら、ただ、静かに佇んでいた。
一方その頃。こちらは、まさか自分が授業の題材に使われているとは思いもしない多島柳花(正確には、彼女とそのパートナーのジョグレス体・ネオヴァンデモン)と、京山玻璃が『新しい玩具』を連れて繰り出したのを良いことに、再び柳花と2人、『恋バナ』を堪能しているアサシン・中舞宵だ。
「それでねぇ、「むこう」のその子はぁ、まよの事「ははうえ」って呼ぶの~! かぁわいいでしょぉ!」
「「ふふ、それはすごく素敵ですね。家族の仲が良いのは良い事ですし―――何よりネオヴァンデモンさんと本当に仲睦まじいのが伝わってきて、……少し、羨ましいくらいです」」
「んもぅ、もちろんまよとだぁりんはらぶらぶだけど、うらやましがってばっかりじゃダメだよぉ、りゅーちん。もっとまよみたいに積極的にアプローチしなきゃ」
それに、と続けて、舞宵の月色の瞳が、柳花の蜂蜜色の瞳を覗き込む。
「さっきからまよばっかり喋ってるよぉ。まよ、そろそろりゅーちんの好きなヒトのお話、聞きたいな!」
「え、えっと……」「話してあげなよリューカ。リューカだって、お話したいんでしょ?」
女性の声と少年の声がひとつの口から違う事を言って。
やがて、一向に逸らされる事に無い舞宵の眼と少年の声―――ピコデビモンの沈黙に観念したように。
あっという間に頬を紅色に染めながら、柳花が女性の声だけで、口を開く。
「鹿賀颯也さん。……カジカP、という名前で活動していた、有名な音楽プロデューサーさんなんです」
「有名人! すごぉい、どこで知り合ったの?」
「その……水のスピリットの所在を求めて、あの……尾行、していまして」
「……」
「……け、けしてやましい理由では……」
「やるじゃんりゅーちん」
「!?」
肯定してもらえると思っていなかったのか、逆にますます慌てて身振り手振りが多くなる柳花。
光の闘士に襲われた彼を助けようとしたのに、結局は力になれなかった事。
なのに、衆目に晒された自分とパートナーを庇ってくれて、はじめて自分のパートナーの完全体の姿―――ヴァンデモンを否定しないでくれた事。
気持ちが落ち込んでいるときには、いつも楽しい話題を振って励ましてくれた事。
……戦うのが怖い筈なのに、雷の闘士との戦いに駆けつけて、たくさんの人の協力を集って霧の結界を張り、助けてくれた事。
たどたどしい言葉選びにも、舞宵は興味深そうに、うんうんと相槌を打ながら、柳花の話に耳を傾け続けた。
そうして一区切りとなり、すっかり顔を赤くした柳花が深呼吸をしたタイミングを見計らって。
「それって、もう両想いじゃないのぉ?」
と舞宵は問いかける。
柳花は、吸ったばかりの息を思い切り噴き出して、そのままむせた。
「ちが、ちがうんです!!」
「そうなのぉ?」
「鹿賀さんは、きっと相手が僕(わたし)達じゃなくても、手を差し伸べていたと思います」
「えぇー? りゅーちんがトクベツじゃないのぉ? まよ、それってどうかと思うなぁ」
改めて息を整えた柳花は、小さく首を横に振る。
「私は、私を特別だと思わない鹿賀さんが、好きだったんだと思います」
静かに、そう零して。
きょとん、と目を見開いた舞宵は、すぐににい、と、可笑しそうに微笑む。
「なぁんだ、りゅーちん、ちゃんとカガさん? の好きなところ、言えるじゃない」
「え?」
変わって目を点にする柳花。「りゅーちんはたくさん「理由」をお話してくれたけどぉ」と、舞宵が彼女の方へと身を乗り出す。
「恋ってリクツじゃないの! まよもビビ! って。だぁりんに一目惚れだったけど、結婚が決まるまで愛を深められたのは、ちゃんとだぁりんにたっくさんの愛(らぶ)を毎日毎日伝えたからだよぉ?」
なお、この場に居れば確実に「決まっていないぞ」と返したに違いないネオヴァンデモンは、別室で就寝中である。
「でも、こんな世界じゃ。……それに、『私』はもう、鹿賀さんに顔向けできるような―――」
「世界とかその他諸々は関係無いのぉ! 2人の愛を引き裂くやつらは、みーんな殺しちゃっていいんだからぁ」
『彼』はそういう性質では無い、と。柳花には、言い出せなかった。
何せ舞宵の眼差しはどこまでも歪で、しかし真っ直ぐ柳花を見据えていたものだから。
「やっぱり―――私は舞宵が、羨ましいです」
「そーゆーところなんだからぁ、もう。……まあいっか。このままりゅーちんの恋バナに進捗が無いのはつまんないからぁ、まよ、ちょっとだけ手を貸してあ・げ・る!」
「へ?」
「ほら、りゅーちん、もっとお顔をよく見せてぇ? ん~、さすがネオヴァンデモン、だぁりんと一緒で白くてつやつやお肌だけど……りゅーちん、ちゃんとお化粧してないでしょ。ダメだよぉ? 好きな人がいるなら、もっと綺麗にならなくちゃ」
「お、お化粧ですか。……その、よく、わかんなくて……」
「だからまよがりゅーちんに似合いそうなコスメセットを見繕ってあげるのぉ。服もそんな黒パーカーじゃダメ。しょーじきダサダサなんだからぁ」
「うっ、耳が痛い……」
基本的に、柳花はアパレルショップや美容室の類が苦手だ。もはや人目を気にする必要のなくなったこの世界でさえその苦手意識は抜けておらず、やろうと思えば好きな衣装に擬態できる力を得てもなお、ネオヴァンデモンになる前によく着用していた黒一色の服装になりがちなのは、地味に柳花自身気にしていた点で。
……以前は玻璃の服を一緒に買いに行った事もあったけれど、その時も無難なものばかり選んでいたな、と。柳花は自嘲するように、しかしどこか懐かしそうに、眉をひそめた。
だが、今まさに舞宵によるお洒落講座が始まろうとしていた、そんな時だった。
「リューカ」
自分の口から出たピコデビモンの声に、柳花は顔を上げる。
見れば、窓の外にデビドラモンが、柳花を待ち構えているかのように、控えていて。
「「どうしたの?」」
一度舞宵に断って席を立ち、窓を開けてデビドラモンに尋ねる柳花。
「「……そう、わかった」」
デビドラモンからの『報告』を受け、すぐさま彼女達は姿をネオヴァンデモンへと切り替える。
「「ごめんなさい舞宵。僕達、ちょっと出撃しなければいけなくなってしまいました」」
「え~? まだお昼なのにぃ?」
「「ええ。……大事な用が、出来てしまって」」
「う~、りゅーちん、いつになく真剣……。仕方ないなぁ、もう」
じゃあ、続きは帰ってからね? と。舞宵は目元に弧を描く。
楽しみにしています。と。柳花も、笑って返した。
「「……さ、案内して、デビドラモン」」
暗い紫の翼をばさりと広げ、柳花は先に建物の壁を蹴って折り返したデビドラモンの後を追う。
日中故に僅かなけだるさが付き纏う中、しかし柳花達は、先を急いだ。
*
「うーん、どうよ! 俺様ってば器・用」
流石大王さま! と、エビバーガモンとバーガモンの姉妹が、揃ってぱちぱちと手を叩く。
彼らの目の前には、後部座席の扉付近に、ペンキで大きくハンバーガーが描かれた、白い軽自動車が停まっていて。
ハンバーガーの絵は、糞山の王が作成したものだ。
「……あの」
動く車を見つけた後、少し準備があると言われて待機していた玻璃は、途中から薄々それが車を起動させたり速く走らせたりする準備ではないと気付きつつ動向を見守り、しかしやはり「車に絵を描いただけ」であるらしい現状に対して、ようやく困惑気味に口を開いた。
「この行程は、はたして必要だったのでしょうか」
「モチのロンよ」
ラタトスクからデジヴァイスに送られたマップを開くよう玻璃に促す糞山の王。
敵陣営のライダー・風峰冷香の供述した地点には、解析の結果、避難民のコミュニティがあるらしいとの情報が、ピンと一緒に表示されている。
「お嬢ちゃんは知らないだろうが、俺様達が合流するきっかけになったチビ達のハンバーガー屋、けっこう盛況だったんだぜ?」
「お客さん達、みんな喜んでくれていたんですよ?」
「あたりまえよ! なんていったって、あたしたちのハンバーガーショップなんだから」
「はぁ」
言いたい事が解らず、気の抜けたような返事しか出来ない玻璃に、糞山の王は肩を竦めた。
「だから、今回も「ソレ」で行こうと思ってよォ。こうすりゃあんまし警戒されずに情報収集できるだろ?」
「そう……でしょうか。そうなのかもしれませんが」
「そういうもんなんだよ。分かったらオラ、さっさと乗った乗った。……っと、その前に。仮にも大公爵のドラゴン(あし)代わりだ、かっちょいー名前を付けてやらないと」
今度こそはっきりと訝しげに、玻璃が糞山の王の目をじっと見つめる。
「本当に必要なのですかその行程は」
「大事大事。名前、チョー大事」
「はい! 大王さま! 大王さまの運転するハンバーガーショップのキッチンカーだから、あたし、『バーガーキング』がいいと思うわ!」
「おう! それは多分神魔とは別ベクトルの上位存在が許してくれねえんだわ、却下!」
「ガーン!」
「……。……わかりました、名称が決まらなければ出発出来ないと言うのであれば、私からも提案します。彼女達姉妹の必殺技『デリシャスパティ』と車の戦闘時の想定用途から取って、『轢き肉号』というのはどうでしょう」
「コエーよ」
「まあ、わたしとバーガモンの必殺技から!」
「すごく素敵ね! それにしましょ!」
「お……応……」
かくして『轢き肉号』と名付けられたペイント済みの軽自動車に乗り込み、ようやく目的地に向けて出発する一行。
今のところ、マップにデビドラモンやエインヘリヤルの反応は見受けられないからか。玻璃を挟んで座席に腰掛けたエビバーガモンとバーガモンの姉妹は、揃って姿勢良く座る玻璃の顔を見上げる。
「ねえねえ玻璃さん」
「? 何でしょう」
「せっかくだから、目的地に着くまでお話しましょ!」
「お話……ですか?」
首をかしげる玻璃に、姉妹は同時に大きく頷いた。
「必要な報告は、既に一通り終えていると思うのですが……」
「それ! それよ玻璃さん! ほーれんそーは確かに大事だけど、せっかくおともだちになれたんだから、もっといろんなお話をしなきゃ!」
ともだち、と、当たり前のように言われて、ぱちくりと目を瞬かせる玻璃。
そうしてすぐに、彼女は唇の片側を持ち上げて微笑んだ。
「ご提案、ありがとうございます。……しかし、具体的にはどんなお話を?」
「そりゃガールズトークだろ。気の利く俺様は運転に集中するのでぇ、あとは若い3騎で楽しんでいってネ」
「ガールズ」
「トーク」
揃って首を傾ける3騎に、おいおいとハンドルを握りながらも糞山の王が首を竦める。
「もしかしてした事ねーのかよ」
「大王さまはあるの?」
「俺様はボーイなので。……まあ、ようするに好きな奴の話とかすればいいんじゃねーの?」
「なるほど、それじゃあまずはあたしから! あたしは姉さんと、姉さんの作るハンバーガーが大好きなの!」
「仲が良いのですね。ですが、長子に対する敬愛であれば、私も負けてはいません。マスター―――私の兄は、本当に素晴らしい方なのですよ」
「……。……うーん、まあ健全だからヨシッ!」
一瞬比較対象として思い返した『ボーイズトーク』に鼻を鳴らして。しかしふと糞山の王は、遠い目の更に向こう側で、ルームミラーに映ったエビバーガモンが顔を赤らめている事に気付く。
「お?」
「えっと、わたしももちろん、バーガモンちゃんや、ハンバーガーを美味しそうに食べてくれるお客さん達の笑顔が大好きで……その中でも、特に……きゃっ」
「? エビバーガモン?」
「ほぉ~ん?」
にやりと歯を見せて、しかし当初言っていた通り口を挟む事はせず、糞山の王は視線を前に固定する。
エビバーガモンはもじもじと両手で顔を挟んで、それ以上続けようとはしなかったが
「そうだ、お客さんと言えば、あたし達のバーガーショップがある大地には、すごい守護者がいるのよ!」
と、代わりに(特に他意は無く)バーガモンが挙げたそのデジモンこそ、エビバーガモンの意中の存在で。
「はわ!」
「大地の守護者……ですか」
「は、はい! その、その。ディルビットモンさんという、すごく真面目で、素敵で……わたしの、あこがれの方なんです」
「憧れの方……」
その言葉で玻璃が想起するのは、やはり最愛の兄、京山幸樹だ。
強く、聡明で、優しく。
誰よりも脆く、苦しみながら、怖がりながら―――それでも、世界を、玻璃を護るために、自分の身を犠牲にしてしまえる人(デジモン)。
「……エビバーガモンとバーガモンは」
「?」
「もしも、そのディルビットモンさんが貴女の敵に回っていたら。あるいは、貴女達姉妹が敵同士として聖解を巡る戦いに召喚されたとしたら……その時は、どうなさいますか?」
「……」
「……」
玻璃越しに、エビバーガモン達は顔を見合わせる。
そして
「……ううん、そうなったら、悲しいです」
先に口を開いたのは、エビバーガモンの方だった。
「なによりバーガモンちゃんが、ディルビットモンさんが、心配です」
「で、でも、ディルビットモンさんはあたし達にとってはヒーローだもん。あたし、ディルビットモンさんと戦うなんて、想像できないし―――姉さんの敵になんて、絶対になりません」
たとえデリートされるとしても、それだけは。と、バーガモンが続けるのを見て、エビバーガモンが顔を上げる。
そうして―――エビバーガモンは、僅かに微笑んだ。
「もし、そうなった時は。……『職人』として、妹と向き合うことにします」
「えっ」
「職人……?」
目を見開くバーガモンと、首をかしげる玻璃。
こくん、と小さく頷いて、エビバーガモンは、更に続ける。
「わたし達、これでもプロですから! ……もちろん、戦って消えなきゃいけなくなるのは、とても怖いです。でも……なんて、言うんでしょう。……ハンバーガーを作れなくなる事の方が、嫌なんです」
「消滅してしまっては、ハンバーガーも作れなくなるのでは?」
「そうなんですけど……なんて言ったらいいんだろう、ええっと……」
「そりゃ『レゾンデートル』ってヤツよ」
結局ガールズトークではないなと苦笑しながら、助け船を寄越す糞山の王。
れぞんでーとる? と、エビバーガモンとバーガモンが同じ方向に首を傾けた。
「フランス語の哲学用語で、所謂「存在意義」でしたっけ」
「そっ。……チビ達用にもうちょーっと噛み砕いてやるとだな、「自分の生きる意味」とかまア、そんな感じだ」
「あ! それです! そういう感じのことが言いたかったんです! 流石大王さま!」
「う~、姉さん……。……でも、うん。『職人として』なんて言われたら、あたしも引けなくなっちゃいます。……お互い全力で」
「やるときは、やる。……という事です」
「つまり―――戦うとすれば、自分の生きる意味のために?」
かつて玻璃は、自分の『生まれてきた意味』を「京山幸樹(マスター)を困らせるため」だと解釈した。
実際、玻璃の父親であるエンシェントワイズモンは、幸樹の足枷として玻璃をあてがった。
彼女さえいなければ、幸樹は様々な場面で手を煩わされずに済んだだろう。
彼女さえいなければ、幸樹はそもそも、世界を救うために、自分の身を使わなくて済んだ。……それは、紛れもない事実で。
だから玻璃は、自分なんて生まれてこなければ良かったと、呪いのように、心中を吐露して。
……玻璃は、雲野環菜に思いっきり頬を張られて、怒られたのだ。
(痛かったですね、あれは。本当に)
今でも鮮烈に思い出せる痛みだ。無意識に、玻璃は左の頬に手を添える。
それが、幸樹がけして、妹に味合わせなかった痛みだと。その事実を噛み締めながら。
そして、自分の『生きる意味』を考えた時。玻璃にとってそれは、「京山幸樹(兄)の帰りを待つ事」になる。
その兄と、と。どれだけそれらしい理由を探しても、どうしても、玻璃には「そうなった時にどうすればいいのか」の答えが、導き出せなくて。
「そして、ディルビットモンさんは、わたし達の暮らす大地を、わたし達を護ることが、その……れぞんでーとる、なんだと思います。……だから、もしもわたしがあの方の障害になるのなら。……いいえ、それが、あの方のために出来る事に、なるのなら―――」
「でも、そんなことある訳ないよ! だってディルビットモンさんだもん!」
姉に対して心配そうな表情を浮かべているものの、心の底から、ディルビットモンが自分達に刃を向けるような事は起こらないと、信じているのだろう。バーガモンは、ぶんぶんと両手を振って、そんな事はあり得ないと訴える。
そも、エビバーガモン自身が口にした事だ。「ディルビットモンは、エビバーガモン達を護るために生きている」、と。
「……すみません。非道い質問をしてしまいましたね。どうか、気を悪くしないで下さい」
「玻璃さん」
そうだよね、と、妹に笑顔で応えていたエビバーガモンは、謝罪の言葉と共に俯き加減になっていた玻璃の顔を見上げる。
「玻璃さんのお兄さんは、「そうなった」時、どうする方?」
「……」
奇しくも―――考えていた事だ。
―――私がどれだけ役に立たなくても
―――足を引っ張っても
―――何があっても一度だって
「マスターは……私の事を、叩いたりしません」
今度こそエビバーガモンとバーガモンは、鏡写しのようにニッコリと笑う。
「だったら、少なくとも玻璃さんのお兄さんは、会ってお話すれば、ちゃんと玻璃さんのお話を聞いてくれる筈です」
「もしそうしてくれないなら、その時は遠慮無くあたしと姉さんがバンズで挟んで、きっちり反省してもらうわ!」
だから、心配しなくて大丈夫!
そう、声を揃える小さな姉妹に、玻璃は左手を頬から目元に伸ばす。
そうして零れ落ちそうになったものを拭った後、玻璃は改めて、兄譲りの微笑みを浮かべ、彼女達へと、静かに頷いた。
*
「それは……少々困ったことになったね?」
定時連絡を兼ねた休憩の時間。
かつては大学だった建物の見える、既に人気の無い川沿いの町。
うまい具合に凹んだ車上を隠せる、適当な民家の空のガレージを見つけて車を停め、他のメンバー同様に三角のデジヴァイスを覗き込んでいた馬門が、片眉を持ち上げる。
目的地の周辺集落に辿り着いた玻璃達は、予定通り『轢き肉号』と名付けられた軽乗用車(流石の馬門も二度見ならぬ二度聞きした)を用いて簡易バーガーショップを展開し、情報収集を開始したらしい。
以前糞山の王達が合流した集落から噂が伝わっているのか、単純に珍しく、懐かしい故か。轢き肉号のハンバーガーショップは思いの外すんなりと住民達に受け入れられ、こうやって玻璃が少し離れたところで通信を行っている最中でも、エビバーガモン達は慌ただしく給仕を行っているようだ。
ただ、お代の代わりに、と聞いて回った「妹エインヘリヤル」に関する情報を纏めた結果は、あまり芳しいものではなくて。
「集落を追い出された吸血鬼のデジモン、か……」
暦上は6月となっている『デジモンプレセデント』相違点で、真冬であるかのように厚手の、ただしボロボロの衣服で全身を覆った、長い金髪の女性。
日中、時折コミュニティに姿を現し、しかし他者との接触を極力避け、夕刻になるといつの間にか居なくなる彼女を、とある住民が不信感半分、興味半分で追跡し―――彼女が「デビドラモン達の首魁」と同じデジモンになるのを見たのだとか。
「結局尾行も気付かれて、あわや殺されるところだった。……と、その『吸血鬼デジモン』の発見者張本人を名乗る方がお話してくださいました」
「どうやって助かったんだい?」
「袴姿の女性が「仕方の無い奴め」等言いながら割り込んできたとかで、その隙にどうにか逃げおおせたと」
「それで、翌日集落の近くに「1人で」潜んでいた金髪の女性を、住民総出で追い払った、と。……うーん……」
「えっと、ひとついい?」
頭を抱える馬門の傍らで、三角がおずおずと手を挙げる。
「はい、何でしょう三角」
「さっき「デビドラモン達の首魁」ってあったけど……それってダスクモンの事じゃ無いの?」
「……デビドラモンの指揮者は、ダスクモンだけではないのですよ」
「吸血種のデジモン、という事は……やはり」
浮かない表情で、シフの言葉に頷く玻璃。
多島柳花。
『デジモンプレセデント』の、メインの主人公。
「柳花は、完全に「向こう」の陣営についている事が確認できています。……ピコデビモン共々、本来の『デジモンプレセデント』とは異なるデジモンに進化しているらしい、という話も」
「それだけに、そっちの住民達の話が本当なら、その「吸血種のデジモン」が多島のカウンターとして呼ばれたエインヘリヤルである可能性は、正直かなり高まったと思う」
知ってたらなぁ~。と、珍しくやや感情的に頭を掻く馬門。それだけ、件のエインヘリヤルが行方知れずになったのは痛手だったのだ。
集落の住民達が自分達に危害を加える吸血鬼デジモンを恐れるのはもっともな感情とはいえ、殺戮を是とする敵陣営のエインヘリヤルが、人やデジモンの集まる居住区域をそのままにしておく可能性の方は低い。逆を言えば、やはりその「女吸血鬼」は、少なくともダスクモンの陣営に与するエインヘリヤルではない、と考えられる。
加えて、袴の女性。仮にも近未来設定のこの相違点で、わざわざそんな格好をしている『人間』がただの一般人だとは、やはり考え辛い。
住民を助けたという話が本当なら、そちらも敵陣営とは関係の無いエインヘリヤルだと考えるのが妥当だろう。……それが、『妹エインヘリヤル』と交戦して翌日姿を現さなかったとなると―――
「残念だけど、言ってても仕方ないよ」
エビバーガモンから特別に2枚パティを挟んでもらったハンバーガーから、内1枚をギギモンに分け与えながら。きっぱりとした口調で、ヒトミ。
年長者達の会話に耳を傾けるのには慣れているのだろう。それだけに、彼女が口を開くときは、いつも的確なタイミングであった。
「こっちはわたしとギギモンがいるから、大丈夫。玻璃さん達は『妹エインヘリヤル』探しをつづけて」
見つからなくても、その時は。わたし達がそのエインヘリヤルの分まで戦ってあげる。
……と、琥珀の瞳には迷いも、自分たちの実力に対する疑いも無い。
本当に頼もしい限りだと、玻璃は心から頷いて返した。
「ヒトミの言う通り、もう少し聞き込みをしてから、捜索ポイントを切り替えようと思います」
「こちらでも反応は探っていますが、三角のデジヴァイスの周辺から外れると、どうしても精度が下がりますからね。何か解り次第連絡はしますが、あまり期待はしないでください」
「了解しました。……で、あれば、やはりラタトスクの皆さんは、三角の身の回りに集中してください。こちらは私達でどうにかしますから。……三角、シフ、ヒトミ。カジカPを、どうかよろしくお願いします」
「ボクは?」
ブツン、と音を立てて、玻璃との通信が切れる。
連れないよねぇ。と肩を竦めて、馬門は三角達を見渡した。
「まあ確かにアーチャーの言う通り、あっちにいないボクらが悩んでも仕方なかったね。少なくとも『妹エインヘリヤル』が、コミュニティを離れた時点では消滅はしていないっていうなら、会える可能性はまだあるだろう。ボクらもさっさとカジカPを回収して、合流を急ごう」
「ドクター、周辺の反応はどうでしょう?」
「こちらに関してはちゃんと解析が済んでいますよ。ビンゴです。スピリットの反応が確認できています」
それから、それぞれ成熟期と完全体、2体のデジモン反応が、と、シフに答える名城。
「2体のデジモン……」
「言ってた通り、カジカPはエインヘリヤルじゃなくて、こっちの一般人だから。ユミル進化による変異からは逃れられなかったって事だね。……本当にカジカPなら、だけど」
「縁起でも無い事を言うんじゃないですよ」
名城に諫められても、どこ吹く風でいっひっひ、と馬門は軽薄に笑う。
だがすぐに、ただまあ、と。彼にしては真剣そうなものに表情を改めて
「それこそスピリットの守護に、「ただのデジモン」を置くとは考えづらいしね。これでも本当に、カジカPだとは思ってるよ、ボクは」
と続ける。
じゃあ最初からそれでいいじゃないですかと、やはり名城は呆れ気味だったが。
「まあいいです。マップにピンは刺しましたから、周辺に注意しながら、向かってください」
「わかりました。シフ、案内をお願い」
「了解です、先輩」
目立つワゴンを降りて、周囲を警戒しつつ、川沿いの道を一行は進む。
「この辺も、『デジモンプレセデント』に登場する場所だったりするの?」
「はい、こちらは恐らく『Episode タジマ リューカ - 1』……『デジモンプレセデント』実質の第1話の舞台かと」
「多島とカジカP、そして闇の闘士―――本編では光の闘士だっけ? が、初めて対峙した場所だね。それからコイツも忘れちゃいけない。カジカPが、初めてラーナモンに歌ってもらった曲のミュージックビデオを撮影した地さ」
「カジカPさんは、本編中でも本来はこの近くにお住まいという設定だった筈です。この辺りは、彼とパートナーのオタマモンの、散歩コースだったようで」
「そんな家の近所でMVなんて撮ったの?住所、特定されない?」
「実際に特定された結果が、柳花さんとカジカPさんの出会いに繋がるので……」
「……」
なんか微妙に生々しいな、と、宙を仰ぐ三角。
三角の心中を察したのか、リュックの中のギギモンに倣うように彼の肩に乗っているバウモンが、呆れたようにくぅんと鳴いた。
そうこうしながら、どれほど歩いただろうか。
「――――――」
不意に、何そうにも重なり合った管楽器を思わせる美しい音色が、三角の鼓膜を優しく揺らし始めて。
「これって」
シフと頷き合い、錆の目立つ橋の手前で、ひび割れたコンクリートの階段を降りる。
舗装された土手を一段下がった川岸が、簡易の広場のようになっているエリア。……その隅にあるベンチに腰かけて、1体のデジモン―――ウイルス種の両生類型デジモン・ゲコモンが、3つに割れたパイプ状の舌先から、物憂げな旋律を響かせていて。
「あなたは、カジカPさんの」
「やあ! カジカP」
シフの呼びかけを遮って、1歩前に出た馬門が軽く片手を持ち上げる。
ここまでして、ようやくゲコモンは三角達に気付いたらしい。大きな目の真ん中にある小さな橙の瞳を見開いて、文字通りベンチの上から跳ねるようにして、ゲコモンはその場から後退る。
「馬門!? おま、おま―――生きてたのかよ!?」
「……。……うん、まあ、見ての通りさ!」
音楽に代わって鳴り響いた青年の声に、今度はシフが目を見開く番だった。シフはこのゲコモンに、「カジカPさんのオタマモンさんですか?」と声をかけるつもりでいたのだ。
既に姿が変わっている、とは聞いていたものの、やはり、目の前にすると、なおの事。人間だった登場人物が本編で触れられていない姿に変化しているというのは、なかなかに衝撃的な光景で。
「にしても、耳の良いキミがここまで接近するまでボクらに気付かないなんて。よほど作曲に集中してたのかい?」
とはいえ馬門はその手の事実にいちいち衝撃を受けるような手合いでもない。よく言えば気さく、悪く言えば馴れ馴れしく更に距離を詰めてくる馬門に、半ば嘆息しながら、ゲコモン―――鹿賀颯也は肩を竦める。
「……人間だった頃とは勝手が違うんだよ、流石に」
「そっか! ところでキミのミューズことオタマモンは?」
「いやそこは形だけでも同情するなり―――いや、あんたにそんなの期待しだしたら、それこそお終いだな」
オタマモン―――いや、もうオタマモンじゃないんだけど。と続けながら、ぴょん、と蛙の足でカジカPが跳ねた方角にあるのは、市街から合流していると思わしき用水路の入り口。
「俺のミューズはこっち。……あんまり外で悠長に喋るのも物騒だし、案内するよ」
水門は持ち上げられ、フェンスは取り払われたアーチ状の穴は、仕方のない事とはいえぽっかりと暗がりが広がっているようにも見えて。
「で、道すがらでいいから教えてくれよ? 馬門。あんたと一緒に来た、その子達……特にその、はちゃめちゃに可能性の塊みたいなマジェスティック美少女デジモンについて、詳しく」
「!」
確かに珍しい髪色と瞳の色をしているとはいえ、人間にしか見えないシフを「デジモン」と断言する颯也に、今度は三角が目を丸くする。
そんな三角の様子に、悪戯っぽい笑みを浮かべて。そして改めてその視線をシフへと移し、颯也は力なく首を横に振る。
世が世なら、アイドルに勧誘したかったんだけどな。と。そんな所感を付け加えながら。
「ま、言ってもしゃーねーから、とりあえず俺の自己紹介だけ済ませとくな。鹿賀颯也。有り余る才能に推されて、ついに自分がゲコモンになっちまった―――『元』、天才音楽クリエイター、さ」
*
ガラス戸に背中を預け、女はこの家の台所から拝借した日本酒の瓶を、そのまま口元で傾ける。
ごっ、ごっ。と。たちまち小さな渦を描きながら、ペットボトルの水を空けるよりも速やかに、酒は女の喉を滑り落ちていく。
「不憫なものだな。なけなしの力のために、酒の愉しみまで手放さねばならないとは」
すっかり空になった酒瓶を隣に置き、女は濡れた唇から艶やかに息を吐く。もっとも、傷がいくつも走る彼女の頬には、赤みの一つも挿してはいないが。
「お陰で私は久方ぶりに酒にありつけた訳だが。……いささか面白みに欠けるな。この相違点とやらは」
そして、どの傷跡よりも鋭い目つきで女が見上げた空には、その刹那。1頭の黒い竜が飛び去って行く。
デビドラモン―――ではない。加えて、デビドラモンの数倍の体躯を誇る竜の傍には、女と同じエインヘリヤルの気配も感じられて。
「この方角だと―――」
と、不意にガラス戸の外。軒先に潜んでいた金の影が、ふらふらとこの家の門に向かって歩いていくのが女の視界に留まる。
「どうした。玄関は反対側だぞ」
「えと、その。すみません。入れなくて。私、結局「招いて」もらっていないから」
「……すまん。すっかり失念していた」
難儀だな、吸血鬼とやらは。と苦笑する女に、金の影―――『吸血鬼のエインヘリヤル』は、「それに、もう入らない……と、思うので」とたどたどしく付け加えて、改めて『彼女』は開け放たれた門の前に立つ。
「行くのか」
「えっと、はい」
「お前を追い出した奴らだぞ」
「いいんです。……いや、良くは、ないのかな。私がいなくなったせいで、あの『竜』は―――だから、それであのコミュニティの人? デジモン? ……どうにしたって、殺されてしまったら。それは、そんなのは……そんな事は、『ヒーロー』なら、させないと思うから」
「……」
「……何言っているのかわからないですよね。ごめんなさい。すみません、死―――どうせ死なないので、死ぬような思いなら、私がすればいい話なので」
そのまま半ば逃げるように出て行った吸血鬼のエインヘリヤルに、「仕方のない奴だ」と他人事のように呟いて、女はすくりと、豪快な酒の飲み方に対してあまりにも洗練された所作で、履いている袴に皴の一つも残さずにその場から立ち上がる。
「待て。1人旅は性に合わんと言っているだろう。私も付き合う。……もう居らんな」
戸を開け、トッ、と軽い音だけを残して、女の姿が立ち消えた。
これは、『コミュニティ』でハンバーガーショップを開いている玻璃達が、新たな『竜』の接近を知るより、少しだけ前の一幕。