足型2つ分屋根の凹んだ灰色のワゴンが、ひび割れた道路を駆け抜ける。
進行方向には、『物語の舞台』という補正もあってか、そして単純に周囲の建物よりやや背が高い事も在って、目立つ建築物が一つ。
この相違点における『敵の本拠地』だ。
小学校。
多島柳花とピコデビモンが、テロリストにして雷の闘士・ハタシマと戦闘を行った場所。
そして、エンシェントワイズモンが始めてその姿をさらした、因縁の地。
悪趣味な拠点だね! とは馬門の台詞で。
貴方の存在に比べれば多少マシでしょう。とは玻璃の言だ。
ワゴン車は進む。アクセルを全開にして。
紛うこと無き、突出した騎乗スキル持ちによる操縦。……もっともクラスの関係で、そのエインヘリヤルはデータ上『騎乗』は明記されていないのだが。
何にせよ重要なのは、そこに2種のエインヘリヤルがいるという事。
片や、丸呑みにされて死亡した逸話を持つ豊穣神。
片や、選ばれし子供。
「―――ともなれば、心に決めたぞ」
拠点への到着よりも先に、ラタトスク陣営を一網打尽にする。
それが出来ないとしても、強力である代わりに明確な逸話、あるいは特性を持つエインヘリヤル2騎を、その『弱点』を突く形で叩く。
敵の陣営には、宝具によってそれを可能とするエインヘリヤルが1騎存在し―――最後の局面だ。出し惜しみをする筈も無い。
「俺は悪党となって、この世の中の虚しい楽しみを憎んでやる……!」
詠唱。
真名解放。
水色の輝きを放つ『嫉妬の冠』と、大鉈と小剣、ふた振りの刃が、天から降る。
「『憐憫無き国喰む顎(ロストルム)』ッ!!」
刹那、冠と剣を起点にするようにして、周辺の建造物を全て破砕しながら、赤い大顎がワゴンへと迫る。
『本物』と比べれば大したサイズではないとはいえ、それでも遙かを見上げるような巨体―――リヴァイアモンが、相違点の大地に顕現したのだ。
「とある男の膨れ上がった嫉妬心」は、鰐に比べればあまりにも矮小なワゴン車をいとも容易く舌の上に捉え―――噛み潰す。
牙の隙間から、粉々になった破片が飛び散る。
と、同時に。
「あああああ何やってやがるこの間抜けェッ!! 取りこぼした。逃げ出した! 選ばれし子供、選ばれし子供……ッ!!」
男の唸り声を、本物の魔獣のエンジン音が塗り潰した。
既にベルゼブモンの姿を取った糞山の王が、神原ヒトミとギギモンに自分に掴まらせ跨がった『ベヒーモス』のマフラーから景気よく煙を噴かし、リヴァイアモンの必殺技『ロストルム』によって舞い上がった土埃から飛び出したのだ。
ラタトスク側の面子が割れているのと同様に、ラタトスクもまた、敵の「自分達にとって致命的な一手を打てるエインヘリヤル」を既に割り出していた。
三角や、彼と契約しているエインヘリヤルははなから別行動。その程度、「この」エインヘリヤルであれば見抜けるだろうが、彼は性質上、選ばれし子供を優先して追わずにはいられない。
加えて、ようやく糞山の王の下に戻ってきた力―――『ベヒーモス』であれば、『同格の悪魔』としてリヴァイアモンからは逃れられるだろう。というのが、名城や馬門の見立てであって。
囮としてワゴン車に控えていた糞山の王と神原ヒトミを襲ったエインヘリヤルは、バーサーカー・絵本屋。
ラタトスク陣営の、読み通りである。
「あばよ氷の旦那―――の愛車(仮)! テメェは乗り手より大分素直でいい奴だったぜぇ!」
自分達の相手は彼ではない。と。
絵本屋を煽る事すらせず、とりあえずこれまで自分達の足役を果たしていたワゴン車をねぎらって、糞山の王はその場を離脱する。
「逃がすな、逃がすな逃がすなグズ!! 青い鳥は最初から側になんかいない!! 俺の目が潰れたらお前のせいだ!! 捕まえろ。殺せ、早く―――」
主の望みに応じて、リヴァイアモンはその巨体からは想像も出来ない速度で首を捻り、今一度、ある種片割れとも言える獣の名を持つモンスターマシンを捉えようと―――
「行け。ここは任された」
どごお、と。
潰れる音。砕ける音―――叩き付ける音。
全てが一緒くたになった地鳴りじみた音と共に、リヴァイアモンの口が強制的に閉じられる。
一般的に、鰐の弱点の1つだと言われている、鼻先。
インターネット上でそう謳われている以上、鰐の姿を持つリヴァイアモンも例外では無い。人知を超えたエインヘリヤルの力で殴りつけられれば、尚のこと。
リヴァイアモンの鼻先を強かに打ったのは飾り気の無い刀の鞘。
担い手は、最優のクラス。
鼻筋に横一文字、左目に縦一文字、二つの交わった十字傷。戦を知る貌をした女武者―――クヅル。
「―――っ」
ヒトミ達が彼方へと去り、加えてクヅルがランサーの京山玻璃と同様に持つ「ある特徴」が、僅かに絵本屋の『狂化』を弱める。
だが、どうにせよ宝具の発動中は、彼自身の嫉妬が彼の正気を焼き尽くす。「目の前に仕留めるべき獲物が居る」と。ただ、クヅルを敵として認知し直した程度の変化でしか無い。
「いっすんぼうし。はりの刀ごときで」
「珍妙だな。声は鳴れども姿は見えない。……腹の中か」
「つごう良く、うちでのこづちが……そんなものはありえない……殺してやる。殺せ。殺せリヴァイアモン」
「繋がりの無いものが呑まれて同じ所へ行ける道理も無し。……真っ向勝負の大鰐退治とは。はっ、御伽噺と言えば御伽噺だな」
「死ね。……死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね絶望して死ねェ!!!!」
「……。……出来ん相談だ」
跳躍。
抜刀。
刀を引き抜いた鞘がリヴァイアモンの額の鱗を1つ、打ち砕き。
返す刀。飾り気の無い片刃が露出した皮膚を裂く。
だが、あまりにも規格外な体格差。
リヴァイアモンが軽く頭を振っただけで、彼女の頭上は足場としては機能しなくなる。半ば弾き飛ばされるように宙を舞い、だが軽やかに着地したクヅルは、もはやどこを斬ったのかさえ定かでは無くなってしまったリヴァイアモンの眉間を睨み付ける。
「とはいえ、とんだ安請け合いをしてしまったな」
長丁場になりそうだ。と。
刀と鞘を構えたクヅルは、ただ、笑った。
「大丈夫かな、クヅルさん」
「あ? あー、まあ問題ねぇだろあの女なら。あの鰐、ピンクでも無かったし」
「……色、関係ある?」
しばらくぶりの愛機・ベヒーモスを唸らせながら糞山の王とヒトミが目指すのは、別ルートで小学校へと向かっているテイマー達との合流地点。
一先ずリヴァイアモンさえ引き離せば、そのどうしようもない巨体に戦場を引っかき回され、単純な質量でテイマーを押し潰されるという「事故」は避けられる。
だが、その対処をクヅル1人に任せる点について、巨体というアドバンテージをラタトスクに味方するエインヘリヤルの中では誰よりも理解しているヒトミは、どうしても思うところがあるのだろう。
戦闘慣れしているとは言っても、仲間が欠ける事にまで慣れるような冷血の戦士でもない。彼女は背後で巻き上がる、というよりは噴き上がっている瓦礫の破片を、糞山の王の背にしがみ付きながら、しきりに気にしていた。
……だから、という訳では無い。
その上で、ヒトミもギギモンも。そしてもちろん糞山の王も警戒を怠ってなどは居なかった。
警戒した上で―――あまりにも、速過ぎた。
「『ブレイブトルネード』!!」
「っ!?」
突如として、黒い竜巻が車上の糞山の王の身体をさらう。
「な―――」
つられて引っ張られ、ベヒーモスから投げ出されるヒトミ。
咄嗟に彼女のリュックから飛び出したギギモンが瞬く間にメギドラモンへと進化して、彼女の身体を宙に持ち上げる。
だが、次の瞬間。舞い上がったメギドラモン目掛けて、今度は無数の黒い針が降り注いだのだ。
「っ、ギギモン!!」
ヒトミを胸部に抱き込み、針から庇うメギドラモン。クロンデジゾイドの表皮は同じくクロンデジゾイド製であるものの純度で劣る針のほとんどを弾いたが、皮膜に限ってはそうはいかない。
いくらかは羽ばたきによる風圧で弾いたものの、パートナーの翼に穴が空いていく様を、ヒトミは見せつけざるを得ない。
「とはいえ、墜ちてはくれないねぇ」
はっと地上を振り返れば、そこに居たのは白衣の女性。
長い、艶やかな黒髪が、風にたなびいて、炎のように、揺れている。
「飛行能力そのものは『熱』による上昇気流ってワケかい。……いいね、殺し甲斐がある」
「……おばさん、あのお姉さんの仲間? あなた達って、そればっかり。男子のケンカみたいなことしか言えないの?」
「やだねえ、今時の小学生ってばませてるんだから。でも、仕方ないだろう? おばちゃん、アンタに「死んで欲しい」以上に、別に思うところが無いんだよ」
「ほんっと付き合いきれない」
「だったらさっさと死んじまいな」
女が白衣のポケットからデジヴァイスを引き抜く。
だが、それよりも先に、パートナーに向けられた真っ直ぐな殺意に激高したメギドラモンの口内が光を放つ。
『メギドフレイム』
終末の丘の名を冠した炎球が、女へと降り―――
―――だが、彼女に届く寄りも前に、『盾』に当たって、弾け飛ぶ。
「……!」
また、盾だ。
それが強さの象徴であると識るヒトミの身体が、僅かに竦む。
そして、その盾を掲げたデジモンの、金に燃える『瞳』と目が合った瞬間、自分の認識に間違いは無いと、悪寒が少女の小さな身体を駆け巡った。
「ヨくも」
盾のデジモン―――またしても、黒い竜―――だが、人に近い姿をしている―――は、低く、低く、唸り声を上げる。
「ヨくもカンナに、『炎』を向けたわね」
「余所見してんなよ銃弾もあるんだぜ……!?」
ぱあん、ぱあん。と、二丁拳銃からそれぞれ1発ずつ。
当初組み合っていた自分からその黒いデジモンが離れた隙に、ベレンヘーナの引き金を引きながら糞山の王が女の方へと迫る。
が、
「心配は要らないよクロちゃん」
女と弾丸を隔てるように展開される、何重にも重なった黒い壁。
魔王の銃弾は壁を数枚貫いたものの、いよいよ勢いを殺され、女にまでは届かずに砕け散る。
これもまた、クロンデジゾイド製のプロテクターだ。
「アタシも多少なり学習してるからね。最低限、身を守る手段は用意してる」
「……クロちゃんが心配してるのは、そういうコトじゃないんだけど」
「アサシンさん……!」
ヒトミが息を呑む。
糞山の王の肩口が、ざっくりと裂けていたのだ。……先の必殺技を食らった際の傷である。
「大した傷じゃねえ……って言いたいところだが、マジでめっちゃくちゃに痛ってエなオイ!! ざっけんなよどいつもこいつも、次から次へと!!」
ぎり、と魔王が牙を食い縛る。
自分の事だけではない。その『武器』は、メギドラモンにとっても致命的になり得る鬼札だ。
―――龍殺し。
盾―――『勇気』の文様の無い黒い『ブレイブシールド』を背に戻したそのデジモンは、赤く濡れたかぎ爪―――『ドラモンキラー』を糞山の王とヒトミ、その両方に向けて構える。
ブラックウォーグレイモン。
黒き勇者。
『デジモンプレセデント』の主人公の1人。そのパートナーの、「ありえたかもしれない姿」にして「ありえるかもしれない未来」の体現。
「アヴェンジャー、雲野環菜」
「ブラックウォーグレイモン」
『作中最強』とされていた2人は、復讐者のクラスと共に、名乗りを上げる。
「柳花ちゃんとピコちゃんの弔い合戦だ」
苦しめ。
墜ちろ。
あの子と同じ、いや、それ以上の痛みを味わえ。
環菜は矢継ぎ早に吐き捨てて、ブラックウォーグレイモンと同様に、己のデジヴァイスを静かに前へとかざした。
「―――『鉄槌の怨王(キング・オブ・シルバーブレット)』」
呪詛を詠唱として。宝具が展開される。
デジヴァイスの画面が、昏い炎に瞬いた。
*
「アーチャー、アサシン。敵性エインヘリヤル反応と接触。霊基パターン、エクストラ―――アヴェンジャー、です」
「っ」
名城からの通信に、ガルムモンとなったシフの背に跨がった三角は息を呑む。
アヴェンジャー。
『デジモンプレセデント』において、そのクラスの適正を持つ登場人物は、恐らくただ1人。
そして彼女を差し置いてまで、希少なエクストラクラスが相違点に召喚されているとは考えづらい。
「環菜さん……!」
カイザーレオモンとなり、こちらはミラーカを乗せた玻璃が、呻くように呟く。
京山幸樹の離脱後は嫌っているかのように振る舞う事も多かった相手だが、心の底から、という訳でも無い。……何より、環菜―――雲野環菜は、兄にとっても大切な人だ。
今となっては、間違いなく家族の1人。玻璃にとって『彼女』もまた、大切な存在で、やはり完全には割り切る事は出来なかった。敵で在る事も。……『復讐者』のクラスとして召喚されている事も。
何か思うところがあるのか、ミラーカが霧に濡れた手で玻璃の背をぽんぽんと叩いた。
そして、懸念事項はそれだけではない。
「ヒトミちゃん……」
三角の脳裏を過るのは、先日の最後の作戦会議。
出来る事ならば、神原ヒトミと雲野環菜をかち合わせてはいけない。何が起こるか分かったものでは無いから、と。
シフと2人になったタイミングで名城から聞かされたその指示に首をかしげた三角へとシフが補足したのは、ヒトミの生い立ちと、環菜の経歴。
大事な人を、炎に奪われた2人。
「名城さん、俺」
「ダメです三角。もちろん、シフも。……戦闘相手を選べる状況であれば避けるよう指示しましたが、それが敵わない状況であれば、受け入れる他ありません」
「っ」
「神原ヒトミが強力なエインヘリヤルだと認めるからこそ、あえて彼女と契約しない選択をしたのでしょう、三角。……「何が起こるか分からない」とは言いましたが、アーチャーが不利だとは言っていません。加えて、あちらにはベヒーモスが使えるようになったアサシンもいます」
だが、最高速度を出せる状態で、アヴェンジャーとの戦闘を避けられなかった事を思えば、三角はやはり冷静ではいられない。
「だから、信じて待つのです。……わたくし達があなた達に対して、そうする事しか出来ないように」
だからこそ、名城が『読者の視点』から三角達を諭す。
「ドクター」
そうする事しか出来ない代わりに、物語の行く末を信じて託した証でもある、その位置から。
「……名城さん」
三角が、呼吸を整える。
「状況を、纏めてもらえますか」
「出来る事をやる」……何度も何度も、自分に言い聞かせてきた事だ。
そして、無力であるが故に、エインヘリヤルを信じる事も。
もちろんです。と、僅かに声音に穏やかなものを交えて、名城が改めて口を開く。
「向こうのバーサーカーとはセイバー・クヅルが、アヴェンジャーとはアーチャー・神原ヒトミとアサシン・糞山の王が交戦中。アサシンの霊基を解析するに、ライダーはリタイアと考えられています。……そして、いまいち信用には欠けますが、向こうのアーチャー―――逢坂鈴音は、馬門がどうにかするとか、しないとか」
「信じて待つんじゃ無いんですか」
「あの男に関してはわたくしの信頼の管轄外です」
「ばーう……」
三角の制服の下に潜り込んだバウモンが、呆れたように、ひと鳴き。
シフだけは何かフォローの言葉をと考えはしたが、玻璃、そしてミラーカまで「その点に関してはなんとも言えない」的な空気感を漂わせており、結局口は挟めなかった。
「えっと、ようするに。こっちが知ってる向こうのエインヘリヤルは、向こうの玻璃と、……玻璃のお兄さん以外は出揃ってる。って事で、いいんですよね?」
空気と気持ちを切り替えるためにも、名城に纏めてもらった情報を更に総括する三角。
ええ、と名城が頷いた。
「正確には、デビドラモンの残党やもう1体のレグルスモン。鹿賀颯也の事もありますが、多島柳花が消滅した以上、それらを活かす手立てもまた―――」
「待って。いる」
闇の闘士よりも先んじて。
ミラーカの鋭敏な感覚が、「それ」の存在をいち早く捉える。
「え? ―――っ!?」
彼女の声につられて顔を上げた三角達もまた、「それ」を視界に収め―――困惑する。
一度は見た影だ。
再び目にする時は、ミラーカ由来のものだと考えていた。
「それ」の群れは黒い雲を成して、猛スピードで小学校の校舎に向かっているシフ達目がけて、体躯よりも小さい翼を羽ばたかせ、手足の無い身体を蠢かせている。
イビルビルの群れが、三角達に迫っていた。
「なっ、レーダーにはそんな情報は」
「ふふ。すごいでしょ、だぁりんの『気配遮断』」
使い魔たちの鳴き声に交じって凜と響くのは、少女の声。
「それに―――まよの『愛し子』たちも」
「未来さん、先輩を!」
シフの意図、あるいは自らもよく知るイビルビルの脅威度を察してか、ネオヴァンデモンに姿を変えたミラーカが彼女の背中から三角をさらい、その場から飛び退く。
ガルムモンのウィングブレードが。
そしてカイザーレオモンの肩口の銃身が、展開する。
「『スピードスター』!」
「『シュヴァルツ・ドンナー』!」
羽のように広がった光の刃がイビルビルの群れを真っ向から切り裂き
シフが取りこぼした分を、黒い気弾が撃ち滅ぼす。
そして闇色の粒子が零れ落ちる中、イビルビル達を「愛し子」と呼んだ薄い小豆色のツインテールの少女は、艶やかな笑みを湛えて、しかし冷たい瞳で、空から2体の獣の闘士を見下ろしていた。
「あの、子は」
ネオヴァンデモンの翼。
ネオヴァンデモンと同じ色の―――ただし、ほとんど下着同然のきわどい衣装だ―――装甲。
刺々しい腕に抱えた、イビルビルと同じ、牙のびっしりと生えた丸い口だけが顔に空いた、赤いリボンを付けたうさぎのぬいぐるみ。
まるで、人間の女の子が『ネオヴァンデモンを模した衣装』を纏っているようだと。三角は彼女にそんな印象を覚えるのだった。
……否、ネオヴァンデモンを模した衣装、ではない。
彼女が纏っているのは、ネオヴァンデモン―――パートナーの力そのものだ。
「<D:code>……!」
シフが銀狼の牙の隙間から、思わず声を漏らす。
へぇ、ものしりぃ。と、少女は更に深く、艶やかに、しかし同時にどこかつまらなさそうに微笑む。
「霊基パターン、アサシン……! シフの推測が正しければ、このエインヘリヤルは」
「自己紹介のタイミングまでまよから奪う気ぃ? やっぱりまよ、君達の事なんて―――だぁいっきらい」
ころころと笑うように吐き捨てて。
「まよ」と名乗ったエインヘリヤルは、再び異形のうさぎのぬいぐるみを掲げる。
次の瞬間。再び無尽蔵に零れ落ちるイビルビル達。
シフと玻璃が、再び各々の武器を構え―――
「あの。そんなに心配は、しなくていいと思います」
気弱そうな声音の割に楽観的な台詞を口にしながら、翼を広げたミラーカがイビルビルの群れの中に飛び込む―――というよりは、溶け込む。
途端、ぐずぐずと肉の潰れるような湿った音と共に、柳花の使い魔達に対してそうしたように、ミラーカは自分に食らいついてきたイビルビルをむしろ取り込んで返した。
アサシンの少女が、顔をしかめる。
「あなたは『前のネオヴァンデモン』と同格くらい。……私の敵じゃ、ありません」
ユミル進化の補正。
アサシンの出典『InversioN WorlD』の登場人物の固有スキル<D:code>は、パートナーの力を人間が身体に纏う能力。『デジモンプレセデント』の基準では、スピリットエヴォリューションに近い扱いとなる。
故に、彼女にも当然、ユミル進化の補正がかかる。かかるものの―――『選ばれし子供』の力と『本物の月光将軍』の力が合わさって尚、こと『デジモンプレセデント』相違点においては『ネオヴァンデモンそのものに変身できる』『グランドラクモンの血を引く吸血鬼の姫』という、『デジプレ』作者の想定を超える設定(ちから)には、届かない。
少女は唇を噛み締める。
何もかもが忌々しかった。悔しかった。
『前のネオヴァンデモン』と、相手が自分の友達の名前すら覚えていないらしい事も。
その敵が、自分と最愛のパートナーを軽く見ている事も。
そして―――その認識に甘んじるしかない、自分の立場も。
「ネオヴァンデモンだけど、まよ、あなたなんて大・大・だぁいっっっっきらい!!」
「その……すみません」
「でも、まよ、ガマンする。……あなたが大っ嫌いなのは、まよだけじゃないんだもん」
―――風が唸る声が聞こえた。
「!?」
そして、『黒』がシフと玻璃の間を疾り抜けて、ミラーカの顔の半分を抉り取る。
「み―――未来さ―――」
「あ、ひぇっほ(えっと)、ひゃいひょうぶです、三角さん」
言葉を失う三角の前で、瞬く間に顔を元通りに治し、呂律を取り戻してしまうミラーカ。
―――だが。
「?」
不意に、ミラーカの視界がぐらりと揺れた。
元通りになった脳に―――否、霧の結界によって狂化が弱まり、いつもより明瞭だった筈の思考に、幽かにノイズが走る。
一瞬だけ、三角が、シフが、玻璃が。わからなくなったような、そんな感覚―――
「あなたの相手はぁ、まよじゃなくて、りゅーちんの『愛し子』」
アサシンの隣に、黒い竜が並ぶ。
だがそれはレグルスモンではない。そのシルエットは、竜よりもむしろ、人に近い、しかし異形である。
『彼ら』の主と、同じように。
「アルクトゥルスモン……!?」
通信機の向こうの名城の声が裏返る。彼女だけでは無い。ラタトスクの「研究者」に該当する職員が、皆一様にざわついているのが三角にも聞こえた。
アルクトゥルスモン。
それはGRB(Gulus Realm Brust)と呼ばれる、デジモンを狂暴化させる因子をこの因子を分泌するデジモンに限界まで注入する「シミュレーション」にて、「理論上」進化する可能性があると判明した、実際の観測結果の存在しない幻のデジモン。
確かにレグルスモンはGRB因子を持つデジモンではあるが、そもそも『デジモンプレセデント』執筆時にはデジタルワールド側のアーカイブにすら存在が確認されておらず、柳花達が消滅した今、発生に必要な条件が満たされる可能性があるとは、ラタトスク側は夢にも思わなかったのだ。
……名城達は、今なお雲野環菜の側に居るのが、メタルエテモンではなくブラックウォーグレイモンであると気付いていない。ラタトスクの観測システムは、三角から離れれば離れる程精度が下がるのだ。
環菜がブラックウォーグレイモンから採取した、唯一GRB因子の感染を受けない黒化物質『ブラックデジトロン』を介して因子を操作・培養し、シミュレーション通りに残された方のレグルスモンに注入したと、思いつける筈も無い。
何にせよ。
幻のデジモンは、今この瞬間、ミラーカを『敵』と定めて、三角達の前に、立ち塞がっている。
―――星のように煌めくドリルが、またしても。ミラーカを目掛けて、渦を巻く。
「っ」
穴を空けられる事自体は大した問題では無い。
だが、肉を巻き込み、抉り取り、その上で勢いが死ぬ事の無いドリルで突貫されれば、直線上にいる契約者が危ない。
ミラーカは背後へと飛び退き、そのまま三角を抱えて、突進してきたアルクトゥルスモンの軌道から逸れる。
それでも巻き込まれて消し飛び、また再生したミラーカの右足に、三角は思わず鋭い息を漏らした。
「先輩!!」
「三角!!」
「余所見してる場合ぃ?」
テイマーの危機に気を取られたシフと玻璃の動きを阻むように、黒い鞭が2人を打ち据える。
「っあ!?」
「うぐっ」
否、鞭では無い。
それは、アサシンの腰部から伸びた、細く、先に鋭いかぎ爪のある尾。―――ネオヴァンデモンの、伸縮自在の腕を模したものだ。
「あのネオヴァンデモンは『あの子』に任せるけどぉ、君達はまよ『達』のエモノなんだからぁ♡」
獣の姿のまま、2人が体勢を立て直し、アサシンを睨み付ける。
……腹が立った。
直接の相手はミラーカだったとしても、こいつらが、あの愛らしくいじらしい『女友達』を、よってたかっていじめて、殺したのだと。
弔い合戦―――の、つもりはない。
ただただ彼らに、アサシン自身が、心の底から、腹が立つから。
「倍以上に返すんだから」
彼女は、彼女自身の意志で―――ラタトスクを滅ぼすと決めたのだ。
「だから、手伝ってよ!! 悔しいんでしょ!?」
アサシンが、再びうさぎのぬいぐるみを掲げる。
その口内が、淡く、青く、光を帯びて
優しい管楽器の音色が、『ボレロ』を響き渡らせる。
「カジカP!?」
周辺の廃墟に潜んでいる事は確実だ。だが、正確な位置はわからない。いや、位置がわかろうとも、先程以上の勢いで2人へと降り注ぐイビルビルの前では、音源に辿り着く事すらままならないだろう。
「アサシン、中舞宵。月光の恋人」
真名を名乗り上げた少女―――舞宵の周囲に、うさぎのぬいぐるみを起点として霧が展開される。
ぬいぐるみは、彼女にとっては一種のデジヴァイス。その中に、取り込んであるのだ。2つの水のスピリットを。
露出した舞宵の白い肌を仄かに霧が霞ませる様は、まるで朧月のようだ。
美しい少女は、愛する人(デジモン)の翼を広げて、しかし今度は、ひとかけらの笑みすら浮かべない。
「人の恋路を邪魔する奴らは、ぜぇんぶ消し飛ばしちゃうの」
月が、矮小な世界を見下ろして、その輝きで時に人々を狂わせ、怯えさせるように。
ただ、非情に。
*
「キミの役目は「味方エインヘリヤルの敗北が発生した場合、勝利に浮かれる敵エインヘリヤルの頭にロケットミサイルの雨を降らせる事」と見た」
違う? と首を横に傾ける、スキー板で視界に滑り込んでくるなり愛らしい雪だるま風のデジモンから白衣の男性に姿を戻してそんな事を言い出した謎のエインヘリヤルに、さしものアーチャー・逢坂鈴音もぱちりと目を瞬かせた。
ヤナヨカンガスル。と、ほとんど声になっていない呟きが、彼女の背後に控えていたキャノンビーモン・アハトから零れる。
「……礼儀云々の講釈を垂れて良い立場に自分がいるとは、とても思えないけれど」
「ソレハソウ」
「それでも一応、年頃の淑女として。唐突に突拍子もない話題を振ってくる殿方に良い感情は抱けない、と。その程度は伝えておこうかな」
「いっひっひ、そりゃそうだ。雲野先生の時もそうだったけれど、ボクってばとことん女性とお喋りするのに向いてないんだよね」
改めて男に向き直った鈴音は呆れたように首を竦め、男も男で所謂猫口になっている唇の端を更に持ち上げて笑う。
ヤナヨカンシカシナイ。と。アハトは先程よりもハッキリと呟いた。
「というワケで、遅ればせながらご挨拶だ。ごきげんようアーチャー、逢坂鈴音」
「初対面のエインヘリヤルを真名で呼ぶのもマイナス評価に値するかな。逆にこちらを煽るつもりでわざとやっているなら、手段としてはいささか幼稚だ。一度宝具まで晒した以上、私の情報はラタトスクに筒抜けだと想像に難くない。……何か意見はあるかい? 馬門志年さん」
「うん? 京山先生のご子息か雲野先生、ボクの事、何か言ってた?」
「我らがテイマーのお兄さんが、少しだけ。「貴女を見ていると父のところに居た知り合いを思い出す」とね」
「いっひっひ、やっぱり思った通りだ! キミってば「そういう奴」なんだね? ラタトスクから情報をもらってから、ずっとお喋りしてみたいと思ってたのさ! 狙撃に向いてそうなポイントをあちこち当たった甲斐があったよ」
「ううん、この感覚を同族嫌悪に分類するのは、流石の私も気が引けるな」
「ヒドい! そんなカタいコト言わないでよ」
だってキミ、ボクと一緒で自分の事なんて大嫌いなんだろう?
馬門がそれまでと変わらぬ調子でそう口にした瞬間、周囲の気温がひり、と下がったような錯覚を肌に覚える鈴音。
静まりかえった空気の中で、アハトの背負った武器コンテナの中から何らかの準備が始まったような駆動音が低く響き渡る。
「地の文ってヤツにでも書いてあったのかな」
「そんなところじゃない?」
「やれやれ。乙女の秘密の無力さなんて、今更省みる程の話でも無いと思っていたのだけれど」
「バクサツ?」
「後でね。一応、話ぐらいは聞いておこう」
「キョヒシタイ」
「話のわかるエインヘリヤルで助かったよ!」
何てことは無いよ、と、空気を読まずに馬門は続ける。
「ボクらみたいなのは、往々にして自分の興味関心でしか動かないからね。交渉だよ。……デジモンの血を引く人間。『デジモンプレセデント』とは理の異なる選ばれし子供。デジモンを神魔の習合と解釈した作品の魔王。そして、状況に応じて様々なデジモンに変身することが出来る、唯一無二のシェイプシフタークラス」
どう? 気にならない? と。臆面も無く、仲間達の特徴を
ふむ、と。鈴音が唇に上向きの弧を描く。
「気にならない、と言えば嘘にはなる。……私がテイマーを裏切れば、彼らの情報を提供してくれると?」
「裏切りとは言うけれど、別に多くは求めないよ。引き金を引くべき時に引かないだけでも、お人好しのボクらのテイマーに恩を売るには十分さ」
「私がセイバー達に監視されているとは?」
「あるとしても、今のキミは単独任務のために、一旦リソースの供給を切られているんじゃないのかい? ……逃げ出して、契約の上書きを試みるなら、聖解を以てしてもリソースかつかつ、自害せよとかやってる場合じゃ無い全面衝突中の今がチャンスだぜ」
「なるほど。ファーストコンタクトからは考えられない程度には魅力的なお誘いだ」
どうしようかな。と意味深に微笑む鈴音。
どこまで本気かは判らないが、そう手応えは悪くないと、馬門は他に交渉の材料に出来る事柄は無いかと記憶を辿る。
いっそ氷のスピリットを差し出すのも1つの手か等と、考えを巡らせて―――
「果たして、そちらの情報は『世界の終わる過程』に勝るのか」
そんな鈴音の独り言に、すぅ、と。馬門の意識が現実に引き戻される。
「……キミ」
「うん?」
「そんなものに興味があるのかい?」
お互いが、お互いを。それはそれは、不思議そうに見やる。
「そんなもの、って。そう言う馬門さんは、興味深いとは思わないのかい?」
「全然。むしろ死ぬほどつまんないから、ラタトスクに協力してるんだけど。……あ、コレナイショにしてたのに。多島の拷問に耐えた甲斐が無いじゃないか」
はあ。と。
お互いが、お互いへ。どちらとも無く、溜め息を吐き出した。
「主観と客観の違いかな。でも何にせよ、人の興味にわざわざケチをつける相手の言う『価値ある情報』だなんてたかが知れる。魅力は、あまり感じられなくなってしまったね」
「いっひっひ、これは盛大にミスったね。自分が興味のあるものは相手も興味がある。逆もまた然り。そう考えるのは人間の悪い性(さが)だ。ピノッキモンさんに勧められるまで音楽とは無縁の生活を送ってきたけれど、それはそれとして今ボクは、音楽性の違いによる解散という概念は噛み締めている」
「……モウイイ?」
「ああ、交渉決裂だ」
「ああ、交渉は決裂だとも」
2人の声が綺麗に重なって。
舌打ちのように、コンテナの照準が馬門に向けられる。
同時に、馬門も自身のデジヴァイスを構えた。
「スズ、オーダー」
「前後が逆になってしまったけれど、君の提案した通りで行こう、アハト」
爆殺だ。と、一斉にコンテナのハッチが開く音に、スピリットエヴォリューション・ユミルの宣言が混ざり込んだ。