デジタルモンスター、デジタルワールドと呼ばれる異世界に住む不可思議な生き物。ネットを介して垣間見えるその世界にその生き物に、数多の研究者達が目を奪われた。
俺の目の前にいる女、尾崎道歌(オサキ ミチカ)もその一人だ。
「なかなか渡航許可は降りないんだよ? 狐野朝海(キツネノ アザミ)くん」
道歌はそう言って俺を思いっきり人差し指で指差した。
「嬉しいのはわかりますけど、もう少し落ち着いたらどうですか?」
「しかたないじゃないか。君も知っている伏見教授の助手として来たのも四年前。いつもは人間界からなんとかかんとか観察しているわけだけど限界あるし、やっぱり私自身の研究の為に行けるというのがね」
「尾崎教授、そろそろゲートの準備できますが……」
バインダーを携えた白衣の男にそう言われて、俺達はサバイバル用具の入ったバックパックを背負い採集用具の入ったバッグを担ぎ上げた。
「では、再確認しますね。期間は一週間。ゲートの開閉は毎日正午から十分間と一週間後の正午から一時間。この間に帰られなかった場合、発信機の位置を確認して生死を判断します。動きが見えなかったら死んだと判断しますが、動いている内は毎日正午にゲートを開きますのでなんとかベースキャンプまで」
デジタルワールドで人間がいることはそれだけで命懸けだ。
ネットで繋がった異世界、デジタルワールドに人間界の常識は通用しない。
「……一応確認ですが、お二人だけでよろしいのですね?」
「はい、問題ないです」
道歌の言葉に、そうですかとその白衣の男は気の毒そうな顔でうなずいた。
「ゲートの接続先は、フォルダ大陸ネイチャースピリッツ地域のベースキャンプB。目的地はナイトメアソルジャーズ地域。目的は主に魔獣型デジモンの生態研究ですね」
「はい。お願いします」
「ゲート起動お願いします」
機械で作られた物々しい視覚の枠組みに通電した証のランプが点る。すると、さっきまでただの枠組みだったはずのその内側が、光を反射しない真っ黒に包まれた。
「ゲート起動……ゲート起動確認しました」
「了解。座標接続します」
オペレーターが声を出し確認し、真っ黒に見えた中にノイズが走り出す。ノイズが全面に走り、収まると枠の内側は白い光で満たされた。
「座標接続確認。ベースキャンプBと接続されました」
「ベースキャンプB内カメラ確認します……危険性確認されません」
オペレーターの報告を受け、白衣の男は俺達の方を見た。
「では、どうぞ」
その言葉に、道歌はしっかりと頭を下げた。
「ありがとうございます。行くよ狐野君、麗しのデジタルワールドへ!」
「そうですね」
白い光の中へ足を踏み入れる。表現し難い感覚、体内まで含む全身の細胞を何かが通り過ぎたような感覚に耐えて数歩足を動かすと、私達はコードと機械しかないそれだけの為の部屋に出た。
振り返ると、入ってきたのと同じ形のゲートが設置されていて、白い光で満たされている。
「正直、本当にこれでデジタルワールドに来たのかわかんないですね」
「まぁこの部屋はそういう部屋だ。ゲートも繊細な機械らしいからね、この部屋に外のデジモンの影響が入りにくいよう、壁には鉛の板が入っているとか」
こんこんと無機質なコンクリートの壁を道歌は拳で叩いた。
「鉛でデジモンの影響って防げるんですか?」
「人間界では効果があるらしい。こっちでもゲートが壊れてないんだからあるんじゃないかな」
「適当ですね」
「デジモンの行動を見るのが私の分野で門外漢だもの。まぁ、わからないなりに先人に感謝しながら使わせてもらおう」
そう言いながら、道歌は発信機にもなっているという鍵を錠前に挿してひねる。これも電子錠じゃないのはデジモン対策だろうか。
「さて、じゃあ扉を開ける前に注意なのだけれど。あまりはしゃぎすぎないようにね」
鏡を見てから言って欲しいと思った。おもちゃを見つけた子供みたいな顔しながら言われても説得力が全くない。
俺が適当にうなずくと、道歌は扉を開けた。すると、ゲートのある部屋とはあまりに趣が違う部屋がそこにあった。
地面こそコンクリートで固められていたが、壁や天井は自然の岩盤で、電灯や配線はボルトや架台で固定されているが剥き出しだった。
そしてなにより、その部屋の中には所狭しと棚が並べられていて、何かの骨から羽、色とりどりの岩石の類までジャンルを問わないさまざまな標本が並べられていた。
「どうだい? なかなか壮観だろ?」
「そうですね」
棚に置かれた形も色も様々なサンゴなんか、大して興味がない俺でも目を引かれる美しさがある。
「全部このフォルダ大陸で採取されたものだよ。検疫の関係とかで人間界に持ち込めない、あるいは持ち込む手続き中のもの」
検疫と聞いて、俺は思わず伸ばしかけていた手を引いた。
「その方がいいよ。基本的に何かわからないものは素手で触れない方がいい、人間界の常識で見たらありえない反応するものとかも普通にあるだろうし」
「……そんなものこんな無造作に置いていいんですか?」
「ここに置かれている時点で安定した状態ではあるから、物品の前の写真付きタグの確認をすれば問題ない仕組みだよ。緑は大丈夫、黄色は取扱注意、赤は特殊な取り扱いをしないと危険」
なるほど、とさっき手を伸ばしていたサンゴを見ると緑色のタグが付いていた。
「まぁ、私達がここを使うことは基本ないかな」
「そうなんですか?」
「うん、うちの大学の予算だと棚のスペース借りれなくて」
そう言って、隅の棚のペットボトルも横に置けない様なスペースを指差した。
「そんな予算ないんですか?」
「うーん、ここ国連の施設みたいなものだし、相応の実績とわかりやすい実用性があればまぁまぁ手が届く額まで下げてもらえるんだけど、伏見教授の様なネイチャースピリッツ研究の第一人者でも、即座に実用的なものにつながらないって事でかなりの額で、私はその伏見教授のとこから独り立ちして数年の実績皆無の研究者だからさ……」
「なんでそんな役に立たない研究してるんですか?」
俺は思わずそう口にしてしまった。命の危険があって実用的でもない、第一人者でさえ軽んじられているとなれば何がいいのかわからない。
「……君は、なんで伏見教授が推薦してきたか不思議なぐらいアレだね。まぁでも実際、私は個人的な目的もあるよ」
「どんな?」
「会いたいデジモンがいるんだ。研究目的じゃなくね」
さて、と道歌は露骨に話を逸らして先に進む。
「こっちは生活執務等に使うスペースだよ。このベースキャンプには食堂とキッチン、トイレ、寝室もある」
扉を開けると、やはり壁は岩肌であったものの共用スペースらしい広い部屋に出た。
「さっきから思ってたんですけれど、ベースキャンプっていう割にはしっかりしてるんですね」
コンクリで固められた床を靴の踵で確かめる。ベースキャンプというと、時々メディアで見るような高山登山のテントみたいな、ちゃんとした建物でないただのテントを集めているものというイメージがある。
「ここだけだよ。ここは他よりはるかに安全だから、フォルダ大陸の入り口としてちゃんとした建物を建てたんだよ。他は本当にテントみたいなとこの方が多くて、標本を保管しておける余裕もない」
さっきの棚が高価になってしまう理由にやっと納得がいった。
「さて、じゃあスフィンクスに挨拶に行こうか」
「スフィンクス?」
俺が聞き返すと、道歌はにやにやと笑った。
「このベースキャンプBが安全な理由であり、おそらく今回君が見るデジモンの中でも最大のデジモンになると思うよ」
道歌は玄関らしい扉の脇に置かれた大型の紫外線ライトを手に取ると、急に真剣な顔を俺に向けた。
「その前にまじめな話。スフィンクスは人間が関われる範囲では最も強力なデジモンの一体と言っていい。恐ろしいだろうけれど、大きな声をあげない事、慌てて激しく動かないことを約束して欲しい」
俺がその注意にゆっくりとうなずくと、道歌は扉を開けた。
扉の外は薄暗い洞窟だった。白く光る苔が岩肌に生えているおかげで何も見えないほどではないものの、詳細に周りが見えるわけではない。
「普通のライトをつけてはいけない。この洞窟にはゴキモンの棲家でもある。ゴキブリの様に動く人間大のデジモンだ、驚かせて飛びつかれるかぶつかられただけでも私達人間が倒れて頭打ったりするには十分だからね」
そう言って、道歌は玄関の外に設置されたハシゴを降りていく。
俺も続いてハシゴを降り、少しベースキャンプから離れたところで振り返る。そこでやっとベースキャンプの全貌が見えた。ここはどうやら天井まで一軒家がすっぽりと入っても届かない様な巨大な洞窟で、主だった横穴から枝分かれした穴にはめ込むようにベースキャンプの建物がある。
「スフィンクスは洞窟の出口とベースキャンプの間にいるんだ」
黙ってついていくと、正面に白い水晶が生えた家ほどもある岩の塊が見えた。さらに近づくとそれが生き物の形をしていることがわかった。
「この子がスフィンクス。ゴグマモンという種のデジモンでね。基本的には大人しくてエネルギー源も日光で自分からは他の生き物を襲わない。ただ、外敵には過敏に反応し大概のデジモンはものともしない。勝手にベースキャンプを守ってもらって、ピラミッドを守るスフィンクスのようだとスフィンクスと呼んでいるんだよ」
ごくりと生唾を飲み込んで見ていると一体のゴキモンがゴグマモンの上を這って登って通り過ぎていった。
「アレはいいんですか……?」
「うん、あれぐらいじゃスフィンクスは気にも留めないよ。伏見教授の研究によると、スフィンクスが反応しているのは『敵意』だと思われる」
「『敵意』ってなんですか?」
研究の中に出てくるにしては、なんとも抽象的な概念な気がする。
「荒い呼吸、襲わんとする速いテンポの動き、あとはものの触れ方などの十二項目から判断されるものと伏見教授は説明している。でも、それらを機械的に見ているわけでもなく、他種の個体識別もしている節がある」
「それはどうやってわかったんですか?」
まさかスフィンクスと会話をしたわけでもないだろうに。
「教授が別のデジモンに襲われて一か八かでこの洞窟に逃げ込んだんだ。当然教授も呼吸は荒く、走ってもいる。同じ様に逃げ込んだと思われるデジモンでも襲われた例はある。しかし、スフィンクスは教授を追うデジモンだけを攻撃した。敵対的な相手だけを選んで攻撃したわけだね。その研究の結果ここのベースキャンプを拡大する方針になり、フォルダ大陸の出入り口も移すことになったんだ」
道歌は自分のことでもないのにどこか誇らしげだった。
「で、彼が個体を識別するからこそ重要なのがこれからする挨拶だ」
そう言って、道歌は紫外線ライトをスフィンクスの方に向けてスイッチを入れた。
紫外線ライトの光を受けてスフィンクスが顔を俺達に向け、ゆっくり目を薄く開く。
「覚えているかなスフィンクス。前は伏見教授と来たんだけど、今回は彼とお世話になるよ」
スフィンクスの視線が道歌に一度向いて、そのあと俺に向く。
「……」
急にスフィンクスのまぶたがカッと開かれてその瞳孔がぎゅっと細められる。
そして、そのまま一度道歌に戻り、また俺に向けられて包丁よりもでかい歯列が縦に開いてじっとりと生暖かい呼気が顔にかかる。
思わず俺の全身の毛穴という毛穴から一斉に汗が噴き出し、心臓が早鐘を打つ。
「君、緊張しすぎなんじゃないかな? ほら、代わりにライト持って水晶の辺りにむけるといいよ。スフィンクスにとってこれはご飯だから、敵じゃないとわかってくれるはず」
道歌に言われて俺はスフィンクスの顔を覆う水晶にゆっくりと向ける。すると、スフィンクスは数秒俺のことを見た後でゆっくり目と口を閉じた。
「よしよし、じゃあ一度ベースキャンプ戻ろうか」
道歌にそう言われてもなお汗は引かず心臓もばくばくで、俺は生きた心地がしなかった。
とりあえずとひとまず俺達は一緒にベースキャンプまで戻った。
「落ち着くまでに日程の確認をしよう。今日明日はこのベースキャンプBでデジタルワールドの環境に体を慣らす。で、不調がなければ三日目から移動。そうしたらここみたいなちゃんとしたベースキャンプにはもう泊まれない」
「ちゃんとしたベースキャンプ……フォルダ大陸にベースキャンプ何個あるんですか?」
確かによく考えると何も事前に調べたりしてきていない。ちょっと自分を過信しすぎていたかもしれない。
「他には二個か三個かな。ところでなんだけどさ。もしかして狐野君はネイチャースピリッツとかってよくわかってなかったりする? 伏見教授のゼミ生とかでもないんだよね?」
「ゼミ生ではないです。地名かなんかだと思ってますけど」
なるほどと道歌はうなずいた。
「間違いではないけど正確でもないね。ネイチャースピリッツっていうのはフォルダ大陸に棲むデジモン達を六つに分類したものの一つ。ある程度生息地もはっきり分かれているので、大雑把に地域名としても通用しているって感じ。例えば、このベースキャンプの名前にもなっているネイチャースピリッツはフォルダ大陸南西部から中央部にかけて、草原や砂漠、森林を含む地域に住むデジモン達。だからそのあたりをネイチャースピリッツ、あるいはネイチャースピリッツ地域というんだよ」
なるほどと考えて、ふとゲートを開ける前に確認されていたことを思い出す。
「確か、目的地はナイトメアソルジャーズ地域でしたよね? それってどこら辺にあるんですか?」
「フォルダ大陸中央北、不自然に暗い森と断崖だらけの地域だよ。君が知ってるかわからないけど、最もフォルダ大陸で研究が進んでいない地域でもある」
「なんでですか? 人間界からもデジタルワールドの様子はネットを通じて調べられるって聞きましたよ?」
だとすれば、研究が進んでいる地域との差がどこで出るのかがからなかった。
「デジタルワールドから見た私達の世界のインターネットは巨大な月のように空に見えているんだよ。だから、私達がネットから観測する際も航空写真みたいに上からだけでね。どうしても見にくいところは出てくるわけさ」
森と高低差のある断崖だらけの地形は確かにそうなると観察しにくそうに思える。
「たまにいく研究者が特殊な定点カメラとか設置すると、人間界からも受信できるけれど……ナイトメアソルジャーズのデジモン達は攻撃性が高くてそういうのは大体うまくいかないんだよ」
確かにそうなると直接行かないとまともに研究なんてできそうもない。
「ついでに言うと、さっき言った六つの分類の内、ネイチャースピリッツ、ディープセイバーズ、ウィンドガーディアンズという三種類はは比較的人間界の動物との類似点が多く、既存の研究方法がそのまま使える点もあって研究が進んでいるけれど、ナイトメアソルジャーズ研究は人気もない」
「それはなんでですか?」
「他が人気な理由の逆だよ。オカルト的な要素を持ったデジモン達が多いんだ。悪魔や吸血鬼、幽霊とかね。人間界で悪魔や吸血鬼、幽霊の生態を研究している生物学者はいないだろう? 文化人類学などにもアンテナを広げておく必要があるんだよ。私の研究テーマの魔獣型はその中では比較的やりやすいほうだね」
「今聞いている範囲だと、本当にやる理由がなさそうなんですけれど」
そんなに危なくて利益にもならないならしないで欲しいと思った。
「……まぁ一番はさっきも言ったが個人的な理由だよ。子供の頃、私は自然発生したゲートによってナイトメアソルジャーズ地域に放り込まれてね」
ゲートは再現できるようになるまでは自然現象だったという話は俺も聞いたことがあった。現在はほぼ発生しないが自然発生のゲートに飲み込まれたら、もう捜索されることはなく死亡扱いになる。
「そこで会った一体のデジモンと私は言葉を交わし合い、そしてネイチャースピリッツ地域で調査をしていた伏見教授の元に送り届けられ、人間界に帰ってきた。改めて会ってありがとうって言いたいんだよね」
あと、と道歌はさらに続ける。
「言語を使うデジモンに関して、今の時点ではいないかいても極小数というのが大多数の研究者の認識なんだよ。私が子供の頃、ゲート被害からの唯一の生還者と取材もいっぱい受けたけど、誰も彼も私がデジモンと話したという話をすると、極度のストレスによる幻聴体験として解釈していたよ」
俺はそれになんて言えばいいのかわからなかった。確かに常識的に考えたらデジモンと話したなんて信じてもらえないだろう。
「大分横道にそれたけど、スケジュールに話を戻そうか」
道歌は眉間に寄せたしわを伸ばしながらそう言った。
「残念ながら今日明日はデジタルワールドに身体を慣らす日。明後日になったら出発。三日目と四日目を両方移動に使って一つベースキャンプを挟んでナイトメアソルジャーズ地域南端を目指す。五日目は南端を拠点に丸一日魔獣型デジモンの研究に費やして、六日目と七日目を使って同じルートでこのベースキャンプBに帰る。そんな感じ」
「一週間の内、一日しか研究に当てられてなくないですか?」
そうなんだよねと道歌はため息を吐いた。
「まぁゲート管理する側も自殺志願者に許可出すわけにも行かないから、ある程度現実的なスケジュール立てて提出しないと使用許可も降りないし」
「その割に、二人なのは大丈夫なんですか?」
この洞窟にうじゃうじゃいるゴキモンだって敵対すれば人は簡単に殺されかねない。
「……普通は駄目で。で、でも金銭的に二人が限界でさ、伏見教授の元で実際にデジタルワールドに来てた経歴とか、過去にネイチャースピリット地域なら二人での事例もあることを理由に交渉したりとかでむりやり審査までもっていったんだよね。多分ナイトメアソルジャーズ地域調査としては最小人数記録を大幅に更新してしまうやつ……」
「それっていいんですか?」
あまりにも歯切れの悪い回答に俺は思わずそう口に出してしまった。
そう言われて、道歌は目を伏せた。二人でということ自体話を聞く限り危険であることは間違いない。
「……客観的に見て、無謀な悪しき前例を作ろうとしています」
「帰りませんか?」
道歌は目を伏せたまま改めて口を開いた。
「まぁ、えと、とりあえず今日はね。装備の確認をします。一週間後にちゃんと帰れなかったときに人間界のネットから観測して位置を確認できる発信機入りのヘルメットもレンタルしたから、ちゃんと電源はいるか確認しないとだし、ゲート通る時に稀に物品破損が起きるらしいからそれも調べる。狐野くん、わかったね?」
「……はい」
それから、その日は本当に物の整理と点検だけをした。同時に、俺が知らない特殊な器具の使い方なんかも教えてもらった。その度に道歌は、伏見教授はなんで君を推薦したんだろう、死ぬ前に帰れって警告かなとか言っていたが、多分逆だろうなと俺は思った。
☆
二日目。道歌は頭を軽く押さえて寝転がっていた。
「大丈夫ですか、尾崎教授」
「デジタルワールド酔いだから大丈夫。正式名称はもっと長くてデジタルワールド環境適応障害とかそういうアレで、ひどいと吐いたりもするけど、頭が重いぐらいなら今日一日で治るはず……」
道歌はそう言って天を仰いだ。
「俺に何かできることありますか?」
「あー……話し相手になってもらおうか。気がまぎれるし、昼間に寝るとリズムが崩れるから」
「じゃあ、えと……デジモンのこととかどう思っています?」
苦し紛れにそう口にすると、難しいねと道歌は呟いた。
「でもそうだね。君は『生物』の定義を知っているかい?」
俺は首を横に振った。
「これと決まったものは未だにないが、『外界と区別されていること』、『エネルギーを変換できること』、そして『自己複製が可能であること』の三つを挙げるのが一般的なんだよ」
「正直どれもピンと来てないんですが」
「『外界と区別されている』っていうのは、皮膚とかで外と区切られているってこと。『エネルギーを変換できること』っていうのは、動物なら食べものを動力にとか、植物なら光合成とかもそう。これもデジモンでも基本的に問題にしない」
三つ目の『自己複製が可能であること』、他を基本的に問題にしないということは、逆にこれは問題にされるということだ。
「三つ目の『自己複製が可能であること』っていうのは、単細胞生物なら増殖、人間とかで言うなら子供を作るって話でね。それがデジモンは難しい。細胞単位でなら確認されているけれど、デジモンは性別もなくて、子供を作っていたり産んだりしているところが観測されていない」
「えと、つまりどういうこと……ですかね?」
「デジモンは『生物』のくくりにいないんじゃないかということ」
「生き物じゃ、ない?」
「私はそう考えている。でもデジモン生態学会では現状あんまり重視されてない考えでもあるね。そうだとしても、現状人間界の動物に準えて行動を解釈できているからいいんだってさ」
そこから先の道歌の話は、あまり耳に入ってこなかった。
「……だからね。デジモンは人間界の『生物』と区別するべきなんだよ」
デジモンをどう思うかという質問を、道歌はそう締め括った。
「それで、そういう話を真面目に聞いてもらうには証拠と実績が必要でね。ナイトメアソルジャーズの魔獣型デジモン達の記録は少ないし、そこでまず実績を作りたいんだ」
頭を抑えながら言う道歌の声はどこか追い詰められているようにも聞こえた。
☆
三日目。俺達は早朝にベースキャンプを出発した。
「じゃあ、またねスフィンクス」
その巨体の横を通り過ぎながら道歌はスフィンクスにそう声をかけた。当然反応はなく、それに道歌も何も言わずに進んでいく。
「……さっきのアレ、危なくないんですか?」
「危なくはないと思う。伏見教授と私以外は紫外線ライトない状態で関わるのは怖いってやらないけれど、私達より彼は遥かに耳もいい筈なんだ。通ってること自体は気づかれていて放置されている。ならば、誰がっていうのを示す意味ではむしろ有用な行為なんだよ」
「そうですかね?」
「それに、挨拶しないで行くなんて寂しいだろう?」
途端に理屈じゃなくなった。もう少し気をつけたって俺はいいと思う。
洞窟を出ると、広々とした草原と緑が茂る山々や森が見えた。
「ネイチャースピリッツは動物に近いデジモンや岩石のデジモンが多いね。スペースがあるので大型化しやすいのではという説もある。動物らしいデジモンが多いのも、餌場が広い範囲に点在する為、長距離移動できる種が生き残ったのではないかと言われている」
なるほどと遠くを見ると、緑色の草原を赤い小さな恐竜がてててと走っていくのや、耳の大きなデジモンが風に乗って滑空しているのが見えた。確かに移動力がありそうだが、片方は人間界で似た動物を見た記憶がない。
「狐野君。あそこら辺から木々の色が変わっているのがわかるかい?」
指差された方を見ると、ひどく遠くに確かにその先から同じ緑だが少し黄緑に近い色になって、よく見ると木の形も変わっている場所があった。
「あの辺りから気候も変わってジャングルになる。ネイチャースピリッツは草原と浅い森、砂漠で、気候としてはやや乾燥よりだが、ジャングルはウィンドガーディアンズのデジモン達が住む地域で多湿になっていく。植物の種類が増えるのも特徴的で、空を飛ぶデジモンや植物に近いデジモンが多い」
「植物はなんとなくわかりますけれど、空を飛ぶデジモンが多いのはなんでですか?」
「おっ、いいところに気がついたね。未だに議論は尽きないのだけれど、食べ物のカロリーの高さ説が学会では有力だよ」
道歌はそうとても楽しそうな顔で返した。
「カロリー?」
「インコのエサとか想像してみてくれる? 栄養バランスの問題で葉物とかも与えるけれど。主に種や果実を与えるんだよ。空を飛ぶ為のカロリーを摂取するには葉っぱは必要量が多すぎる。重くなって結局飛べない。植物のデジモンは植物を育てようとする性質もあるから、草原とかよりカロリーの高い果実や種があって都合がいいと言われているんだよ」
「へー、そういうことなんですね」
なんだか一つ賢くなった様な気がした。
「……まぁ、でも火を吹いたり衝撃波だしたりとか飛ぶよりカロリー高いこといっぱいしてるデジモンはいっぱいいてね。結局のところこれもどうなのかなって私は思っているよ。この理屈ならみんな肉や果実を摂らなきゃいけない」
なんだか今話してきたことが全て無駄に思えてきたが、そんな俺を見るのが道歌は楽しいようで笑っていた。
「ふふっ、君も少しは研究の楽しさがわかってきたのかな? 口角が上がっているよ」
思わず俺は自分の顔を手で押さえた。全くもって無意識だった。
「さてさて、君も色々興味が尽きないだろうし私もそうなんだけど、今日は日没までほぼ歩き通しになるからしっかり着いてくるんだよ?」
道歌はそう自信満々に歩き出したが、一時間もすると軽快だったおしゃべりも止まってきた。
無理もない、デジタルワールドの地面は人間界の舗装路ではないしかなりの傾斜や崖を登ったりもした。
デジモンは小柄でも人間界の生き物と比較して強すぎる力を持っているから、小競り合いでも結構な岩や何かが散乱し、地面にも穴が空いたりする。それが人間ではそう無視できない段差が多くなっているのかもしれない。
「……君は涼しい顔してるねぇ」
「尾崎教授の荷物も持ちましょうか?」
「それはダメだよ。いざデジモンに襲われたら、体力がある方が逃げるんだ、その方がデータが残せる確率が上がるからね」
道歌はそう汗だくの顔で言ったが、もう頭が回ってないのは明らかだった。
「俺だけナイトメアソルジャーズ地域行っても何すればいいかもわかんないですよ。荷物持ちますから、馬鹿が治るまでどこかで休憩しましょう」
半ば無理やり荷物を奪って先導して行く。ネイチャースピリッツの地域はあまり高い木がない、日差しを遮るものがないのもデジモンならともかく人間には辛い。
適当に見つけた浅い洞穴に荷物を置いて座る。道歌はもう少し進みたそうではあったが、俺が動こうとしないのを見ると大人しく休みだした。
「伏見教授は、下手にもう一人研究者連れて行くより君みたいに体力もりもりなのを連れて行く方がいいって事で推薦してくれたんだね」
休み初めて十分ほど、道歌はそう呟いた。
「……まぁ、尾崎教授ぐらいなら荷物と一緒に背負っても走れますしね。俺」
「おいおい、それは女性に夢見すぎじゃないかな? 身長的には小柄だがそんな吹けば飛ぶような体重を私はしてないよ? それに、そんな目に遭う前に今度はちゃんと休憩もとるし危なければ隠れるよ」
「それはいいとして、何か食べたり飲んだりした方がいいですよ」
「いや、荷物的に食料と飲み物もギリギリだから節約しないとだし、ゴミは回収したいから食べて荷物減らすにしてもベースキャンプで食べて一旦置いて帰りに回収するべきなんだよ」
少し休んだくらいじゃ本末転倒な考えを覆せるほどは回復できなかったらしい。
「……ちょっと行ってきます」
「え? どこに」
俺は洞穴の外に出て、崖の中腹に少しだけ突き出ている岩を見た。量は少ないがここからでも赤い実が付いた草が生えているのが見える。
「おーい、危ないよ? 何する気だい?」
洞穴から道歌が顔を出してこちらを見る。俺は崖をよじ登って赤い実を何個か採ると、降りて道歌に手渡した。
「……伏見教授からいざという時食べられるものは幾らか聞いていて。甘酸っぱくて元気が出るそうですよ」
「……ありがとう。いや、崖上りがあまりに早くてスポーツクライミング見てるみたいで呆気に取られたよ。やってた?」
「ちょっとだけ」
本当はスポーツクライミングをやったことなんて全くないけど。
これ知ってる気がするなと言いながら道歌は赤い実を口に放り込んだ。
「なんか懐かしい味がする。デジタルワールドの食べ物なんて食べたことないはずなのに」
「……子供時代に迷い込んだ時じゃないですか?」
「そっか、あの時は当然この世界のもの食べてたね。魚とか木の実とか、レナモンは火を通さないで食べるけど私は食べられなくて、わざわざ火を入れてくれたりしたんだよ」
ほら、君が採ったんだから君も食べなと道歌は俺の手に赤い実を数個返した。
甘いのはあまり好きじゃないけれどとりあえずちょっと笑っておく。道歌は俺が取ってきたものを俺が食べただけなのになぜかやや満足げな顔をしていた。
「……レナモンってどんなデジモンだったんですか?」
「……気になるかい?」
また歩き出して、俺がそう話を振ると道歌は変な顔をした。
「見る限り、当分景色変わらなそうなんで話題でもと思って」
行く先はゆるやかな下り、当分草原が続いてその先には遠目にも町か何かの様な規則正しく並んだ白い石の様なものが見えている。
「だって目的地、アレですよね?」
「そうだね。ウィルスバスターズのデジモン達が出入りしている遺跡。その一角にベースキャンプが設置されているんだよ。小さく見えるけど実際は結構でかくて、日暮までに歩いて着ければいいねって感じかな」
確かに草原の真ん中でキャンプするよりは遥かに過ごしやすいのだろうと思えた。
「で、レナモンっていうのは?」
「ぐいぐいくるね。二足歩行する狐の様なデジモンだよ。葉っぱを投げたり、周囲の物の見た目をコピーして被ることで見た目を変えることができる種だ。私はデジモン達から逃げ惑っている中で、レナモンの巣に突っ込んでしまった」
「巣」
意外そうな顔をする俺を見て、道歌はそこに食い付かれるとはという顔をした。
「……まぁ決まった巣を持つわけでなさそうだったから、お気に入りの昼寝スポットぐらいだったかもしれないが、私をレナモンは攻撃しなかった」
「優しいデジモンなんですね」
俺の言葉に道歌はにやと笑った。
「どうだろうね。デジモンは死んでもデータを食べられると死体や血が残らない。中途半端に傷つけて、血の匂いで凶暴なデジモンが寄ってくるのを避けたかったのかもしれない」
「そんなことはないのでは?」
「まぁ、なんにせよレナモンは私をその場から抱え上げると適当に走った。そして捨てようとしたが、私がしがみついていたせいで捨てられなかった」
話を聞くとひどいデジモンの様に聞こえてくる。
「私も必死だったからね、初めて聞いたレナモンの言葉は、逃げないから離せだった気がするよ」
「それで? どうしたんですか?」
「あとはもう、人間探してあっちをうろうろこっちをうろうろして、伏見教授に出会ったと思ったら即座に引き渡されて一言も残さずにさっさとお別れだよ。子供の頃はあんなに一緒にいたのにあっさりすぎる! と憤慨していたけれど、今思うと、それでもレナモンはかなり特異な個体だったのかもね」
そうだろうかと首を傾げる。
「ちらりと言ったけど、デジモンは性別がなく繁殖が観測されていない。同種の群れならまだ見るものの、それは餌場の共有や外敵への備えというメリットがある。私とレナモンは外見から大きく異なったし、私はレナモンの食べられるものの半分も食べられなかった。私はレナモンに何も返せなかった、最初はともかく寝ている間に置き去りにできたタイミングもきっとあった。でも、それをしなかった」
「……放って置けなくなったとかそういう、人間的な解釈でいいんじゃないですか?」
「感覚的にはそうなるけれど、研究者としてそれで済ませるのは違うんだよ。群れで暮らす生き物でもなく、子供を育てる以前に作ることもない、そういう生き物の行動なんだ。子供を守る本能とか人間ならそういうのに由来するんだろうけど、レナモンには人間と同じに見えても違うロジックがあるはずなんだ」
「……そう、ですかね」
デジモンは人間とは違う。それを強調する言葉を聞くと少し嫌な気分になった。
「多分ね。違うなら、それはそれで理由がある。それを人間界の『生物』と同じとするのは、私は違うと思うんだ」
なんだろうこの気持ちと考えながら俺が前を見ていると、遺跡の方向で砂煙が上がっているのが見えた。
「急に何!」
「静かに!」
道歌を抱え上げ、一番近い岩場までできる限り早く走っていって隠れる。
すると、すぐに辺りに重く低いエンジン音が響き渡った。
「……メタルエンパイアの『遠征』だね。自分達の行動範囲から大きく離れたエリアまで来て、デジモン達を殺して回るんだ。研究者の間では威嚇説と資源獲得説の二つが言われている」
「……殺して回るだけなのに資源獲得になるんですか?」
黙ってと言っても黙らなそうなので、俺は小さな声で話すことにした。すると、道歌も気づいたのか少し声を小さくする。
「今の速さを見るにリベリモンかマッハモンか。なんにせよ君も聞こえたよね? 今の子達の様なエンジンで動いているデジモンがメタルエンパイアには多くいる。石油や石炭といった資源を欲して生息域を広げるのが目的という説だよ」
そう話していると絶え間ない銃撃音が響いた。そして、その後突然その音がエンジン音と共に収まった。
「……見ちゃだめ?」
「俺が先に見ます」
岩陰から慎重に顔を出して見てみると、バイクの様な姿をしたデジモン達がほぼ同数の尻尾に棘付き鉄球がついた亀みたいなデジモンにやられていた。
「……大丈夫そうですよ」
「アレは、アンキロモンだね。やられているのはマッハモンか。確か主な武器は口径があまり大きくないマシンガンと刃物。数はマッハモンの方が上だから、どっちもアンキロモンの硬質化した皮膚には通らなかったのかな。なかなか出会える場面じゃないよこれ。帰ったら伏見教授にも意見聞きたいな」
できるならアンキロモンの皮膚のマシンガンが着弾した跡も見たいけど、と言いながら道歌はカメラをしまった。
「見に行きたいなら見に行くのもいいと思いますけど。大人しそうですし」
「確かにアンキロモンも比較的穏やかなデジモンだとはいうけれど、今のマッハモン達、遺跡の方から来たんだよね? ベースキャンプがどうなってるか先に確かめないといけない。壊されてる様なら共有するために記録して、今日泊まる別の場所を探す時間もいる」
「……ちゃんと考えているんですね」
俺の言葉に、道歌ははぁとため息を吐いた。
「狐野くんはさ、デジモンを見て突然早口になって研究たーのしー! って言ってるだけの変態だとでも思ってるのかな?」
「……ちょっとだけ」
即答より生々しくて傷つくと道歌は呟くと、遺跡の方へ向けまた歩き始めた。
数時間かけて遺跡に辿り着くと、案の定ベースキャンプはボロボロになっていた。銃弾の跡というよりは何かで切った様な跡がテントを置いていた石畳にもあった。
「マッハモンとは違うデジモンっぽいね。刃物をただ抜いて刺した感じじゃなくて、削りかすが散乱している。石畳にこう深々と跡が残っているのを見ても、もっと強いデジモン……なんにせよここはもう使えないね」
「じゃあ、どうするんですか?」
「石畳の上や合間の土にタイヤの跡があるだろう? なさそうなところを探そう。残っている建物の上階なんかもいいかもしれないね」
周囲にタイヤの跡がない建物を探し出した頃には、もう日が暮れようとしていた。
「ところで、ここはウィルスバスターズの地域って……」
「ウィルスバスターズのデジモン達は特定のデジモンに敵意を持つ集団で、あまり動物らしい動きをしていないし、正確な生息地もわからない。各地の遺跡跡を仮の拠点としているらしい程度でね。ここに来てもいない時はいないし人間に関心は薄いみたいだ。天使みたいなデジモンが多いから、ガリバー旅行記の浮遊島のようにこの大陸の上空の雲の中に拠点があるのではという人もいるね」
できるなら見たかったと寝袋を取り出しながら道歌は言った。
「ナイトメアソルジャーズの魔獣のデジモンが今回の研究対象だけど、ウィルスバスターズにも獣らしい姿のデジモンはいる。ネイチャースピリッツのデジモンほど研究が進んでないから、幾らかデータが持ち帰れればと思っていたんだけど。そううまくはいかないね」
テントを壊したやつにやられたんじゃないか、そう思うと建物の外の音が気になった。タイヤで走るメタルエンパイアのデジモン達はそうそう二階まで上がってこないだろうが、同時に俺達も逃げにくさはある。
「明日の夜までにナイトメアソルジャーズの南端まで行かないといけない。狐野くんは早く寝てね」
「……尾崎教授はまだ寝ないんですか?」
「今日の記録を残さないとだからね。見かけたデジモンの種類、数、位置、植生の変化と自分達が何を食べたかなどなど、終わったら私も寝るよ」
灯に照らされた道歌の顔は昼間に見た顔とは違って、大人びて見えた。もう三十は超えているのだから、昼間の無邪気さの方がおかしいと言われそうでもあるが。
ひとまず、大人しく俺は寝袋に入り少し眠ることにした。
☆
特に何事もなく三日目の朝が来た。
「メタルエンパイアの『遠征』はネイチャースピリッツ方面に行った後、戻ってきた痕跡がない。ナイトメアソルジャーズの方向はメタルエンパイアの方向と違うし、早めに出て遺跡から離れればぶつからないはず」
道歌の言葉通り、昼を過ぎてもメタルエンパイアのデジモンと会うことはなかった。前日の『遠征』の影響かあまりデジモン自体見かけない。
「この辺りから少しずつ植生が変わってくるよ。昼間でもナイトメアソルジャーズの地域はほとんど晴れないから、日照時間が短くてもという草木に置き換わってくる。ウィンドガーディアンズの森に比べて木はあっても実は少なく、低木や下草もあまりない」
感覚的には、それだけではなくなんとなく陰気になっているように感じた。
とはいえ、今はまだ遺跡周りから続く草原の延長線、林とも森とも言えない中でまばらに木がある程度だ。
でも、少し遠くを見れば、木々は密集していき、暗く鬱蒼とした森になっていく。
「なんかナイトメアソルジャーズもの森って心なし色が少ないですね」
「いい着眼点だね。植物の色鮮やかな部位といえば花や実、種類が少なくつけている数も少ないとなれば色数も減ってくる。遺跡中心に動くウィルスバスターズのデジモン達の行動圏とかぶっているから、この辺りはまだ大丈夫だけど……」
俺は視界の端に動く影を見つけて、話中の道歌を抱え上げて走る。
「派手な色が見えたら、デジモンって、こと、なんだけどぉッ?」
「派手な黄色の仮面とドクロマークの蜘蛛は逃げていいやつですよね」
名前は知らないが、ナイトメアソルジャーズ地域で出会いたくないデジモンの一体だ八本の脚で執念深く追ってくるし、毒もある。
「……多分それはドクグモンだね。人間界にも走る蜘蛛というのは意外と多いんだけど、ドクグモンは糸も積極的に使ってくるし執念深い。レナモンと一緒に追われた時は夜中まで追われた。気づかれる前に離れて正解だよ」
離れた岩陰に腰を落ち着けると、道歌はよくないなと呟いた。
「どうかしました?」
「ドクグモンなんだけどね、まだ生息地じゃないはずなんだよね。執念深くはあるけど、人間界の蜘蛛と同じで基本は待ち伏せ型。最初の接触で毒を与えて追いかけて捕まえる感じだろうと考えられている。森とも言えない身も隠せないところにいるデジモンじゃない」
確かにそうかもしれない。遠くからドクグモンが気づくより先に俺が気づけたのがいい証拠だ。
「……獲物を追いかけてきたとかは?」
「君が獲物だった場合、隠れる場所がある森の中と開けて逃げても見つかってしまう草原とどっちに逃げたい?」
「なるほど……」
「とはいえいい発想だよ。ドクグモン以外の情報がないなら十分あり得る見立てだと思う。けれど、あれを見てごらんよ」
道歌が指差した先には木の陰で固まって休むゴキモン達がいた。無理やり陰に収まろうと他のゴキモンの上に乗っているようなのもいて、ちょっと見ていて気分が悪くなるような有様だった。
「ゴキモンはナイトメアソルジャーズにもいる。でもネイチャースピリッツの個体と好む場所はあまり変わらない。湿気がある森の中とか洞窟の中、多少薄暗いところだ。ここは明るすぎる、夕方とかならまだわかるがまだ日も高い。逃げ足が速い彼らや凶暴なドクグモンを追い出す何かがナイトメアソルジャーズの奥から出てきたんだ」
「何かっていうのは?」
「わからない。人間界からの観測は上空から見るようなものだって話したと思うんだけど、ほぼ常に曇っているナイトメアソルジャーズの奥地はたまに雲が晴れる時にそこにある城とか深い森ぐらいしか観測できてない。ナイトメアソルジャーズ地域の研究が進まない理由の一つでね、何がいるかもよくわかっていない。正直、何がいるのか興味は尽きないけれど……」
道歌は俺の方を見て、何とも言えない顔をした。
「……止めるか止めないかで言えば止めますけど」
「まぁそういうことじゃないけど、いや、わかっているよ。今回は人数もいないし物もないし危険すぎるしね。ナイトメアソルジャーズ南端への今日の到達は諦めるよ。ゴキモン達が森に戻っていくようならそれに合わせて様子を見に行く。戻らなくてもこのゴキモン達の行動はそれなりの成果になる。だから、大丈夫」
自分に言い聞かせるように道歌は言った。
俺達はそのまま森や逃げてきているゴキモンを見渡せる範囲でキャンプできるところを探し、その分早く身を休めることにした。
☆
四日目、ほぼ一日ゴキモン達は動かなかった。動き出したのは夜になってキャンプに戻ってから、ゴキモン達の動きを見るまでもなく、森の奥から地鳴りと共に何かが走ってくるのがわかった。
「に、逃げよう!」
それで間に合う状況ではない。俺はこの地鳴りを知っている。走り出そうとする道歌を捕まえて、岩にぴったり寄せたテントに押し込む。
「狐変虚」
岩の表面に手をかけてテクスチャをコピーし、テントの上からかぶせることでテントの表面と見た目は完全に岩そのものになる。
「動くものは目立つ、ここで静かにやり過ごしましょう」
息をひそめ、二人でテントの隙間から外を見る。鉄の仮面をつけた毛の長い象のようなデジモンが群れで森の中から走ってくる。
「……あれは、マンモンだね。ネットからの観測データによるとナイトメアソルジャーズでも標高が高かったり北の気温が低い地域に群れでいるはずのデジモン。ドクグモンやゴキモンを追いやれる強さはあるけれど、今の状況はそうは見えないね」
「……深き森の悪魔」
俺がつぶやくと、不意に金属同士が擦れ合うような音がした。マンモンの足が止まり、体が上下に二つに分かれて崩れ落ちる。
ふと森の方を見ると、森の端で木が数本切断されて倒れ、巻き上がった土煙の中に黒い影と金色に光る一対の眼だけが見えた。
見えたのは一瞬だけですぐに森の奥へ消えた。それもこちらに意識を向けられたわけでもない。だけど見ているだけで死んでしまうかと思った。
「……今のそれをしたデジモンの縄張りにマンモン達は群れで入ったのかもしれないね。マンモン達もかなりつよいデジモンのはずだから、何日もかけて逃げまどった。その結果ゴキモンやドクグモン達は追いやられた。この規模だと明日までに収まることはないだろうね」
それはそれとして、と道歌は俺の手をつかむと手の平をつまんで引っ張り、俺が自分にかぶせた人間のテクスチャを少しちぎりとってはぎ取った。
出てきた黒い肉球をぶにぶにと押しながら道歌は俺の目をじっとにらみつけた。
「……狐野朝海、レナモン、どっちで呼ばれたい?」
「レナモンは種族の名前だから、朝海の方で」
俺は道歌から目をそらしながらそう言った。テントの外に出るのはまだ早いだろうし、
「そっか、レナモン。いつから人間界にいたの?」
「……五年ぐらい前から、伏見教授のところに」
人間界たどり着いたにいたのはもう少し前だけれど、俺はあえてそれは言わなかった。
「そろそろその皮脱いだら? どうせバレてるんだし、というかその顔ってどこの誰? なんかうさん臭い顔だけど」
五年前、伏見教授のゼミ生にどう顔を合わせればいいかわからないと相談したところ、道歌の好みの顔を調べてきたと見せてもらったアイドルの姿だ。でも、どうやら失敗していたらしい。
「なんとなく雑誌から……」
仕方なしに被っているテクスチャを脱ぐ。テクスチャに閉じ込められていた尻尾や耳が伸び、テントに黄色い毛が散った。
道歌は俺の尻尾を無造作につかんで指ですくと、取れた毛を適当に丸めて投げ捨てた。
「……とりあえず、もう今日は寝ようか。朝になれば夜行性のデジモン達は眠りだすし、レナモンとしてなら多少はナイトメアソルジャーズの地域に入って写真撮るぐらいどうとでもなるでしょ」
「できなくはないけど、危ないと思う」
また少しムスッとして、道歌は俺の尻尾を何度もすいて毛を集めて丸めると、顔に向けて投げつけ、寝袋に戻って寝始めた。
「……おやすみ!」
怒った調子の声でそれでもそう言ってくる道歌に、俺は少し口元を緩めた。
「……おやすみ」
俺もそう返して道歌のそばで横になった。
☆
五日目の朝が来た。
「赤い実を渡された辺りでもしかしてって思った。デジタルワールドから持ち帰れるものは少ないし、検疫とかもある。デジタルワールドに行くだけで体調がという話さえあるのに、人間に食べさせるなんてコンプラ的に無理。食べられるかもわからないのものを適当に持ってくるほど適当な奴でもなさそうだったけど、食べたことがあるほとんどの人間はかなり追い詰められて生還しているか怪しいし、それこそ私しかいなくてもおかしくない。でも、私がその実を食べたところを見たことがある人間もいない、伏見教授でも知らない、レナモンしかその実を人間が食べられることを知らない。あと、動きが人間離れさせ過ぎ」
道歌はカロリーバーを大口開けてかじり水をぐびぐび飲みながらそう口にした。
そこまで考えていなかった。俺はもそもそして美味しくないカロリーバーを食べながらそっかと相槌を打った。
「……レナモンは、これからどうするの? デジタルワールドに帰るの? そのために今まで避けてた私と一緒に来たの?」
「いや、伏見教授から二人でデジタルワールドの深いところにに行こうとしていて危なすぎるって聞いて……」
もう道歌もあの時の様に子供でもないし、俺も別に道歌の何だって言われたら何なのかもよくわからないのに。
「守りに行きたいって思った」
不機嫌そうだった道歌の顔が困ったようなそれに変わる。
「……なんで会いに来なかったの。会いに来なかったまではいいとして、もうここまで来たなら言えばいいのに。そんなに言い出しにくかった?」
最初に言えたらよかったのかもとは今になって思う。
「道歌は、デジモンが人間界の生き物とは違うんだって、生き物でもないかもしれないって言ってたから、人間として接した方がいいと思った」
俺の言葉を聞いて、道歌は下唇を軽く噛み髪をわしわしとかいた。
「……私は、君のことがわかりたくて研究者になったんだよ。別れたあの日の君の気持ちがわからなくて、人間と同じように見るからわからないのかもって、レナモンっていうデジモン独自の生態があるのかもって思った。それを知ったらあの日の君が何考えていたかわかる気がして……」
でも、と道歌は呟いた。俺はあの日の自分のことなんて忘れて欲しいと思ってした選択が真逆に働いていた事が苦しかった。
「デジモンは生き物でさえなくてわかりあうなんてできなくて、みたいなことが言いたいわけじゃない。人間界の『生物』のくくりならこうだって偏見でデジモンという生命を見てデジモンのことがわかるわけないって思ったんだ。まぁ、それをちゃんとしても生態からわかるのは種としての傾向でしかないから、レナモンのあの時の気持ちなんてわかる訳ないんだけどさ」
俺もよくわからない。自分でもわからない事が道歌にわかるわけがない、忘れて欲しいと切り替えて欲しいと思ってなんで何も言わず逃げ出すなんてしたのか。未だにわからないんだから。
「道歌、馬鹿でごめん。勘違いして勝手に言い出しにくくなって。あの日も嫌いになったとかどうでもよくなったとかではなくて……」
自分でも本当によくわからないんだ。道歌のことをどう思っているのか、大切なんだとは思う、でも人間界に行って色々話を聞いてもしっくりくる言葉が見つからなかった。
恋とか友情じゃない、愛着は近い気もしたけれど持ち物のそれとはやっぱり違う。愛だと言われもしたけど、これは調べれば調べるほどそもそもなんなのかよくわからなくなった。
俺が賢かったらきっともっとちゃんとわかって、会うのももっと早くできたんだろう。
「……いや、わからなくて当然だよ。無謀な行程を強行した私を助けにきてくれてありがとう」
「早く成果を上げたかったのも俺が発端なら、俺のせいだから、俺が悪い」
道歌はふふと笑った。
「キリなさそうだし、お互い悪いってことで手を打とうか」
そう言って差し出された小指に俺は爪の先をちょんと引っかけた。子供の頃の道歌は、一人にする時に絶対に戻ってくるようにと指切りをよくした。
今日は特に何も約束はしなかった。でも、十分お互いの考えは伝わった。
「昨日の夜はナイトメアソルジャーズの地域まで行きたいって言ってたけれど、どうする?」
俺の言葉に道歌は大丈夫と答えた。
「帰ろう。深き森の悪魔と真っ二つにされたマンモンの記録映像だけでも記録としては世界初になるだろうし、また大学からお金を引っ張ってきてくればいいもの」
「目的としては失敗してる気がするけど、本当に大丈夫?」
「自慢じゃないけど、大学の客寄せとして私が教授になって女性の受験者が二倍に増えてる。子供の頃のエピソードとデジタルワールドのデジモン研究という夢のある新しい分野に携わる三十代女性という目新しいステータス故とはいえ、貢献はしてるんだ。研究はパッとしないけど」
本当に自慢じゃないかもという言葉を飲み込んで適当にうなずいた。
「じゃあレナモン、荷物全部持ってもらっていい?」
「ロープってあったよね」
「くくりつけたほうが動きやすい?」
俺は軽く伸びをすると、その場で進化した。二足歩行のレナモンの姿から、四足歩行の青紫色の九尾のキツネの姿ヨウコモンへと。
「……デジモンの進化、幼虫、さなぎ、蝶と完全変態するような身体構造を変えるもの。デジモンの場合大抵はより強くなるもの」
「うん」
「観測された話は多々あるけれど万全な映像記録とかは皆無、あまりにも突然に短期間で変容する事から映像記録を撮る事ができたらデジモンの生態研究に一つ革新が起きるだろうとされているんだけど、伏見教授は……」
「知らないと思う。レナモンの方が人間に化けられたり便利だし」
「……なるほど。なるほど、そっか、そうなんだ。レナモンには自由に戻れるの?」
俺はならとレナモンに姿を戻した。
「レナモンより小さくは自分の意思では戻れない?」
「無理かな。ヨウコモンより強くも俺はできない」
「とりあえず、とりあえず言いたいこととしては、次一緒にデジタルワールド来た時は最初から進化して。そしたらめちゃくちゃフィールドワークに使える時間伸びるから」
昨日までみたいな顔で道歌はそう言った。とりあえずヨウコモンの方が良さそうではある、俺がヨウコモンに姿を変えると、手足や尻尾の先の炎の温度を確かめたり、首に巻かれたしめ縄と鈴をベタベタ触ったりしだした。
「道歌、移動するんじゃ……」
「そうだね。この観察はいつでもできる……」
そう呟いて、道歌は背中に荷物を載せてロープで固定すると俺の背中に乗ってたてがみに顔を埋めるようにしがみついた。
そうして走って行くと、かなり早い時間に遺跡まで戻ってくる事ができた。
「……初日からこれで移動できていれば」
せっかく時間があるからと遺跡の中を調査しながら道歌はそう何度か呟いた。
そうして調査していると、バクの首を長くしたようなデジモンの死体があった。
金属の襟巻きのようなものを重ねて長い首を守っているデジモンらしかったが、その襟巻きの上から首を切り裂かれていた。
「……これはバルキモンの死体だね。一緒についている弾痕はマッハモンのかな。急所が金属で守られているからマッハモンでは倒しきれなかったんだろうけれど、別のデジモンがとどめを刺した。来る時にあったテントを荒らしついでに遺跡の壁も切りつけていたのと同じデジモンだろうね。一つだけ石畳に残っているタイヤの跡の太さが違う。人間界に戻ったらメタルエンパイアの研究家に聞こう」
そうしている内に日も暮れて、俺達はまた来た時に泊まるのに使ったポイントで夜を過ごした。
☆
七日目、道歌は遺跡から出るあたりで一度俺の足を止めさせた。
地面に残ったタイヤの跡を慎重に確認したかと思うと、一つ難しい顔をした。
「メタルエンパイアの『遠征』はこの遺跡を出て戻ってきていない。マッハモン達は多分アンキロモンとかに倒されたんだと思うし、別ルートからメタルエンパイアに戻った可能性もあるけれど……」
「隠れながら目立たないように行くならレナモンだと思う。でもヨウコモンは空を走れるし、ベースキャンプまでの移動時間はかなり短くなる。あと、レナモンより強い」
どっちもアリだとは思う。別に危ないデジモンはメタルエンパイアの『遠征』に出ているデジモンだけじゃない。
でも、三日目の暑さでバテた道歌のことを考えると、レナモンで行くのは負担もあるかもしれない。
「……俺はヨウコモンでパッと行った方がいいと思う」
道歌は俺の言葉にわかったとうなずいた。
戻る途中、アンキロモンの死体を見た。遠目でも割られた背中が見えた。
記録を残さなくていいのだろうかとちらりと道歌を見ると、俺を止めもせず背中からカメラで何枚か写真を撮ると行ってと身振りでうながした。
目立ちにくいよう少し低く、足音を立てないよう地面から少しだけ浮いたところを走っていく。
やっと前に休憩をとったあたりまで戻ってきて、俺は道歌の方を見た。
「一度休憩しよう、俺にしがみついているのだって疲れるだろう?」
「そうだね。でも昨日よりは平気だよ。荷物に服のベルトかけたからちょっとなら手を離せるし、昨日よりそもそも揺れてないし」
じゃあと足を止めると、不意に金属の匂いが鼻を付いた。咄嗟に走り出すと、恐ろしく響くエンジン音と共にさっきまで立っていたところに上から何かが落ちてきた。
一つだけの車輪の上に、緑色の鬼のような上半身が付いていて、両腕も機械化されたデジモンがいた。その右腕の二つ並んだ丸い回転ノコギリを見て、アンキロモンやバルキモンを倒したデジモンだとすぐにわかった。
空に向かって駆ける。するとそのデジモンは崖を無理やり車輪で駆け上がり、跳び上がって俺に向かってきた。
少し掠っただけの尻尾に激痛が走る。それでも構わず俺は全力でより高く走り続ける。回転ノコギリの届く範囲にいたら殺される。
「飛び道具ってある!?」
道歌がそう叫ぶ、なんでと聞き返すまでもなくその意味がわかった。
鬼のデジモンの方からぼひゅんと何かが射出された音がして、首だけ振り返るとミサイルが迫ってきていた。
「舌噛まないように! 邪炎龍!」
尻尾の炎を勢いよく燃え上がらせ、ぐるりとその場で回りながら一つにまとめ上げて龍の形を作り放つ。
飛んでくるミサイルを龍が飲み込み、起きた爆発に俺の身体は弾き飛ばされ、崖に身体を叩きつけられる。
このまま落ちたら殺される。無理やり身体を起こしながら起き上がって空へと逃げる。
「リベリモンだ! 待ち伏せなんて普段するようなデジモンじゃないから多分『遠征』の時間が長すぎて機械部分の燃料が切れかけてる! ミサイルだってずっとは撃てないはず!」
そう言ったあと、道歌は回転の反動かぶつかった反動か一つえずいた。どこか擦り剥いたのか火薬の香りに混じって血の匂いも香ってきた。
多分それは無理だろうなと思った。ずっとは無理でも何度かは来るし、手前で爆発させても衝撃はあるし、崖や地面に叩きつけられた時に道歌が叩きつけられたら死んでしまう。
「ベースキャンプに戻ろう道歌。スフィンクスならリベリモンを倒せるかもしれない!」
深き森の悪魔を除けば、スフィンクスより強いデジモンを俺は知らない。リベリモンに襲われている今もスフィンクスに睨まれた時の方が自分の死を感じた。
「それは駄目。ヨウコモンのままだとスフィンクスに襲われる」
俺もそう思うけれどそれしかない。洞窟に入って、スフィンクスに襲われそうになったら道歌を振り落とせば、落ち方がよほど悪くない限り道歌は助かるはずだ。
道は大体覚えている。崖から離れ、ミサイルに撃ち落とされないようにだけ気をつけながらなるべく空を走る。
洞窟が見えるまでの時間は来た時よりよっぽど短い時間の筈なのにあまりに長く感じて、ミサイルが爆発する度に道歌のうめき声やえづく声が聞こえて怖くなった。
やっと洞窟が見えたというタイミングでまたリベリモンがミサイルを撃つ。何度目かの邪炎龍で迎撃し、爆発で身体が洞窟の奥へ吹き飛ばされる。
地面にぶつかって、俺はまたすぐに身体を起こそうとして、後ろ足に激痛が走り思わずその場に崩れ落ちた。
ぶつかった時に刺さったのか、尖った岩があって、うまく力が入らない。
スフィンクスはどこだろうと顔を上げると、洞窟の奥から唸り声が聞こえてきた。
薄暗い洞窟の中にぽつりぽつりと白い光が灯り、目と口をこれでもかと広げ、背中の水晶を光らせているスフィンクスが立ち上がるのが目に入った。
「道歌、早く俺から離れろ!」
思いっきり身体を振って道歌を振り落とそうとする。でも、荷物にベルトを引っかけている道歌の身体は俺から離れない。
エンジン音が近づいてくる。スフィンクスは猛然と走り出す。
そのまま踏み潰されると思って俺と道歌は目をつぶった。
しかし、スフィンクスは岩の左手で俺を雑に横に押し退け、背中のクリスタルから幾重にも光線を放った。近づくこともできずリベリモンの身体に光線が当たる。ミサイルを放てばリベリモンから大して離れもしない内に光線に撃たれて爆散する。
全身から部品を飛ばしながらもリベリモンはエンジンを轟々鳴らしながら確実にスフィンクスへと迫り、電動ノコギリを掲げる。
エンジン音をかき消し肌が粟立つ程の咆哮を上げ、スフィンクスは電動ノコギリごと巨大な水晶でできた右腕を叩きつける。
一度、二度、三度と殴るとエンジン音が止まり、スフィンクスの動きもまた止まった。
悠然とスフィンクスが振り返り、俺達をちらりと見るだけで歩いてまた元の位置へと帰っていき、また最初と同じように座り込み目を閉じた。
俺と道歌は顔を見合わせ、やっと呼吸することを思い出したかのように深く安堵のため息を吐く。
「その脚で歩ける?」
「一応、走らなければ大丈夫そう」
道歌を下ろし、荷物もまた半分ずつにしてベースキャンプの方へと歩く。
スフィンクスの横を通りすぎようとすると、不意にスフィンクスが目を開き小さく吠える。
初日のそれとも違って敵意もないようだったが、通り過ぎようとすると引き止めるようにまた吠えられる。
「……その手足や尻尾の炎の光に反応してるのかな。あれだけ光線を撃ったりしたから、光を浴びたい気分だったりするのかもしれないね。ちょっとここでスフィンクスを照らしてなよ。私も荷物をベースキャンプ運んだら救急キットと紫外線ライト持ってくるからさ」
道歌がその場を去ってもスフィンクスは何も言わなかったが、俺が少し足を動かすとその度に目を半開きにして俺を見た。
どうやらスフィンクスが満足するまで俺はここで手足を光らせてなければいけないらしい。
少しして、道歌が紫外線ライトを持ってきて、脚の応急処置をしながら一緒に一時間程照らしていると不意にまたスフィンクスが小さく吠えた。
「もういいって事かな。助けてくれてありがとうね、スフィンクス」
道歌に次いで俺もちょっと頭を下げてその場を離れる。もう吠えられはしなかった。
「……やっと終わる」
俺はレナモンに戻り、また人間の姿になりながら思わずそう呟いた。
すると、道歌はそんな俺を鼻で笑った。
「これからこの一週間の記録をまとめてレポートを出すんだよ? 間違いなく一週間じゃ終わらないから覚悟してね」
俺がわかったとうなずくと道歌は笑いながら俺の背中をバシバシ叩いた。でも、なんだかそれが昔に戻ったみたいで俺は嬉しかった。
ノベコンお疲れさまでした!
感想を配信で喋らせていただきましたので、リンクを下に貼っておきます!
https://youtube.com/live/07wVSPzblj0
(1:00:12~感想になります)
ノベコンお疲れ様でした。夏P(ナッピー)です。
いやまあ多分また黒木が……いない? 何故だ!!
自分が書いてる話もあるのですが、なんだか最近デジタルモンスター(またはデジタルワールド)の研究的なテーマを有する作品が大好きになりつつあります。明確な回答は勿論公式からしか出ないのですが、設定や解説から読み取れる描写で世界や各種族の生態を解き明かしていく話はとても楽しく、そしてまた興味深い。しかも本作はデジタルモンスター自体のみならず各勢力のエリアの植生まで踏み込んで書いている。ネイチャースピリッツとウインドガーディアンズ、そしてナイトメアソルジャーズのそれぞれの差異が明快でわかりやすくなっていました。しかもゴキモンはそれぞれのエリアにいると断言され、流石はゴキブリだぜと感嘆。
勢力は六つと言われたので、ウィルスバスターズは勢力や地方というよりは天界にいる連中だから欠番にされてジャングルトルーパーズかドラゴンズロアかなと思いましたが、ペンデュラム通りのウィルスバスターズでした。そういえばウインドガーディアンズに植物型含まれておった、けれど餌の植物の違いから植生を見抜くのも面白い。
狐野クンは口調こそ敬語で教授を尊敬しているのかと見せかけて地の文で熱い呼び捨てという畜生ぶりで「本音ではコケにしてるだと貴様ァーッ」と喚いていたのですが、なんか逆に若さ故の野心とか承認欲求的なものは見えなかったので、今時珍しい冷めた男なのかと思っていたのですが
唐突な狐変虚。
……は?
いやマジで「……は?」となりましたが、マジでそーいうことかよ!! 右のスクロールバー見ながらいや待てまだ三日目なのに半分近く来てるぞ(※三日目が二回あったような?)レナモンと会わなきゃ終われないだろうに間に合うのかと焦燥感に駆られていたら、本当の本当に不意打ちで正体バレ。
呼び捨てなのもよく考えるとオサキ教授を危険から遠ざけようとばかりしていたのも、答えは明快なものだったのでした。これに関してはお恥ずかしい話ですが、マジで声が出ました。ハァーーーーーー!!
成熟期がヨウコモンなのも意外や意外、凄い頼もしいぜと思いましたが強敵リベリモンが登場して逃走の一途。スフィンクス賑やかしかと思ったらしっかり活躍しておる!!
オサキ教授、20代前半か行っても28歳ぐらいの野暮ったい女なのかと思ったら、まさかの30オーバー。
研究や大学での立ち回りに関して強かだったのもその為だったわけですが、それはそれでその姿と対照的なレナモン(もしくはデジモン自体)に対する童女のような憧憬が際立っていたと言うべきでしょうか。
ていうか、めっちゃ続きそうな終わりだった気がしますが!?
それでは改めましてノベコンお疲れ様でした。
この辺りで感想とさせて頂きます。