1
夏休みの自由研究が昔から嫌いだった。なぜって、ちっとも自由ではないからだ。
何を研究してもいいと言ったって、子どもにできることなんて限られている。子どもたちは頭をひねった末に、結局親やネットの大人たちに頼ることになる。そうして割れにくいシャボン玉をつくるための比較研究だとか、卵の殻をとかす実験だとか、そういう似たり寄ったりの自由研究が量産されるのだ。
子どもの頃にそういう研究をすること自体には価値があるかもしれないけど、それで「自由」をうたうのは、ちょっとおこがましいとぼくは思う。キュータイイゼンとしたガッコーキョーイクのもたらしたギマンだと考えるわけだ。
「昔からって、ナルミはまだ小学5年生だろう。その昔って言うのは、一体いつのことだよ」
しかし、そんな持論を披露したぼくに返ってきたのは、父さんのけらけらとした笑い声だった。
「もちろん、小学1年生のときのことだよ」
ぼくが大まじめにそう答えると、父さんはさらに笑った。信じがたいことだけれど、大人にとっては、3年前や4年前のことは「昔」ではないらしい。そんなふうに時間の感じ方が早くなることが良いことなのかどうか、ぼくにはよく分からない。
「とにかく、アリキタリは嫌なんだよ。お父さん、なんかないわけ?」
「いいや、あいにく父さんはそういう勉強はサボってたからな」
「街のおまわりさんがそんなこと言って良いわけ?」
「大体、ナルミは真面目すぎるんだ。夏休みが始まってまだ3日だろう?そもそもただの宿題なんだし、そんなにこだわらなくて良いんじゃないか?」
こっちの気も知らずに気楽なことを言うお父さんに、ぼくは怒りを含んだ目を向けた。
「お母さんのお弁当、あげないよ」
「……ごめん」
急にしおらしくなった父さんに、ぼくはため息をついて、母さんの作った世界一おいしいお弁当を差し出した。ぼくが父さんの仕事場である交番にお使いに出されたのも、ひとえに父さんの忘れ物のせいだ。夏休みだというのに、全く迷惑な話である。
そう、世界はまさに夏休みだった。交番の外では蝉たちが大合唱している。アスファルトには陽炎が揺れて、ひとたび日向に出てしまえば、めまいで地球が一回転してしまいそうだった。
「なにか研究したいことがあるわけじゃないのか」
「別にない」
「でも、自由研究は頑張りたいと」
「うん」
「複雑だなあ」
「フクザツなんだ」
それ以上はぼくは黙っていることにした。相手が親だからって、いや、親だからこそ言わなくて良いことはあると思ったからだ。
「――ちょっと、すみませーん」
その時、外から声が掛かった。少し鼻に掛かった、きれいな女性の声だ。
見れば、銀色の自転車を引いた大学生くらいの若い女の人が、額の汗をハンカチでぬぐいながら困ったような笑みを浮かべていた。着ているのは飾り気のないブルーのワンピース。アメリカの野球チームのロゴ入りキャップの下では亜麻色の髪を無造作に結んでいる。絵本の中のお姫様みたいにきれいな顔をしていたけれど、鋭く弧を描いた眉が、お城に籠もりっきりなんてごめんよ、と語っていた。
自分がぼおっとその顔に見とれていたことに気付き、ぼくは慌てて首を振る。隣では、父さんが頼れる町のおまわりさんの顔になって、彼女に笑顔を向けていた。父さんには世界一素敵な母さんがいるから、きれいなおねえさんに見とれたりしないのだ。
「お、こんにちは。見ない顔だね。研究所の人?」
「そんなとこです。つい昨日引っ越してきたんですけど、ちょっと迷っちゃって。道を聞いても?」
「はいはい。どうぞ入ってきて。自転車は適当に止めといてくれて良いから」
父さんはそう言って、奥にある小さな冷蔵庫からペットボトルの麦茶を準備している。ぼくは座っていた交番の椅子から降りて、帰り支度を始めた。最近この町にやってきたというおねえさんのことが気にはなったけれど、ここで父さんの仕事に首を突っ込んだら、夕ご飯の時に怒られそうだった。
「お茶までありがとうございます。東京からずいぶん北に来たし、少し涼しいものだと思ってたんですけど、ひどい暑さですね」
「それが罠なんですよ。このあたりは、夏は暑すぎて、冬は寒すぎるんだ」
和やかに気温の話なんかしている二人の間を通り抜けて、ぼくは交番の外に出た。鍵も掛けずに停められたおねえさんの自転車はひどくぼろぼろで、これを持ってわざわざ都会から引っ越してくるなんて変な人だなと思った。
でも、その自転車がなにより変わっていたのは、前に取り付けられたカゴだ。カゴ自体は多くの自転車についているものだけれど、全面ものものしい銀色のカバーで覆われているとなれば話は別だ。日光を反射してぎらぎらと輝くカバーのせいで、見慣れた自転車は、まるで上下をひっくり返した人工衛星みたいな、なにか異質なモノに思えた。
そして極めつけは、カゴの内側から聞こえるなにかの音だった。
カリカリだったり、トントンだったり。不規則で、有機的で、決して小さくはない音。
まるでなにかがカゴの中にいて、自分はここにいるのだと世界に叫んでいるような。
ぼくは思わず自転車に近づいた。蝉の声にかき消されそうなその声をもっとよく聞こうとするかのように足が動く。
そしてぼくはダメだと思いながらも。ぼくはカバーについたファスナーに手を伸ばし、そっとひらいた。
刹那、ガシャンという音が蝉時雨を切り裂いた。ぼくが触れたことでバランスを崩した自転車が横転したのだと遅れて気付いた。
まずい、と思った。けれどそれ以上に、ぼくの目は半開きになった銀のカバーの内側に釘付けだった。
青と白で彩られた小さな身体。対して不自然に太く長い耳と尾。顔は人間の赤ん坊がそうであるように、身体に対してアンバランスなほどに大きく、「それ」が幼いことがぼくには分かった。
――つまり。青い恐竜。小さな小さな、夏の色をした恐竜。
あっけにとられて動けなくなったぼくの頬から汗が一筋落ちる。
そいつはぼくを見上げて赤い瞳をぱちくりさせ、ピイと一つ声を発すると、カゴの中に隠れてしまった。
「あー! おいナルミ、何してるんだ! 申し訳ありません、うちの子が……」
交番から飛び出してきた父さんが、倒れた自転車を見て素っ頓狂な声を上げる。
「いえ、大丈夫ですよ。元々ぼろい自転車でしたし」
後から出てきたおねえさんは、父さんの謝罪を軽く受け流しながら、穏やかな、しかし油断のない目で、カゴに欠けられたカバーが半開きになっているのを見た。
ぼくはおそるおそるその顔を見上げる。彼女はぼくと目が合うと、ちょっと気まずそうにほっぺたをかいて――。
「(見ちゃった?)」
――そう、唇を動かした。
2
「まだついてくる気?」
「あの恐竜が何か聞かせてもらってない」
「だから、言ったでしょ。デジタルモンスター、デジモンだって」
「なんだよそれ。意味分かんない」
「えーと、そうだ、アイスもう一個ほしくない? 買ってあげるから私には構わずどっかに……」
「知らない大人からは買ってもらわない。自分で買う」
交番から少し歩いたところにある駄菓子屋の外。ぼくと謎のおねえさんは、物忘れの激しいオババがやっている駄菓子屋で買ったアイスキャンデーをなめていた。かちかちに凍っていたキャンデーは、一度日なたに出ればみるみるうちに溶けていく。今は溶ける前にそれを食べきることがどんな話より重要だと、ぼくと彼女は無言のうちに同意した。
「ハルラ」
一通りキャンデーをなめた後、おねえさんは気のない様子で呟いた。
「私の名前だよ。真藤ハルラ。よろしく」
「……木ノ本ナルミ」
わざとぶっきらぼうに聞こえるようにそう呟いて、ぼくはハルラと名乗ったおねえさんの顔を見上げた。
「あんた、研究者なの?」
「ご明察。この町にいるたくさんの研究者・技術者と同じように、私もこの『荒木スマートシティ推進特区』に仕事でやってきた若き研究者、ってとこ」
そう言うと、彼女は陽炎が揺れる通りを見渡し、笑顔を浮かべた。
「いやあ。構造改革特区制度を利用して、田舎町に最新のスマートシティを形成する計画。最初聞いた時は信じられなかったけど、ほんとに実現するとはね。ここはすごいよ。昔懐かしい田舎町のようでいて、そこら中に電子の糸が張り巡らされてる!」
芝居がかった調子で手を広げるハルラに、ぼくは唇をとがらせた。
「ここは『荒木町』だよ。アラキチョー。そんなわけわかんない名前じゃない」
スマートシティだかスルメシティだか知らないけれど、それは都会からやってきたスーツの人達が数年前から勝手に呼び出した名前だ。この荒木の町は、ぼくのおじいちゃんのおじいちゃんや、おばあちゃんのおばあちゃんが昔から守ってきた場所なのだ。変な横文字で呼ばれるのは心外だった。
「そうは言っても、この町が完璧なスマートシティなのは確かだよ」
そう言い返しながら、ハルラはぼくの手首を指さす。そこには、腕時計のような電子機器が、ピンク色のゴムバンドで巻かれていた。
「全町民に配布されたウェアラブル端末『VITAL-BRACELET』――バイタルブレスを君も使っている。さっきの駄菓子屋さんの支払いもそれを使ってたでしょ? あんな古い駄菓子屋でキャッシュレス決済なんて、この町以外じゃありえないよ」
「ふん」
ぼくは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。バイタルブレスが便利なのは確かだ。昔は町の開発には反対していた大人もいたそうだけれど、町の空気を残したまま色々なことが便利になっていくのを見て、文句は引っ込んでしまったらしい。
おまけに、研究目的で多くの企業や大学の人間が流れ込んできたことで、寂れていた町は活気を取り戻した。理想的な町おこしとしてニュースにも取り上げられるくらいだ。不満を抱いているのはぼくぐらいだろう。
……しかし今は、そんなことはどうでもよかった。
「それで? この町のことが、その恐竜と何の関係があるのさ」
「いい質問だね。賢い子は好き」
そう言ってにやりと笑い、彼女は自転車のカゴのカバーを少しだけ開いた。その中から、さっきと同じ赤い瞳がこちらを見つめる。間違いない、やっぱり夢じゃない。
「この子はね、電子世界からやってきた生き物なんだ。デジタルなモンスターだからデジモン、そのまんまの意味」
そう言って、ハルラはその生き物のことをぼくに語って聞かせてくれた。電子工学の発展と同時に発見された謎の生物。コンピューターウィルスのようでいて少し違う、もう一つの宇宙に生きる生物としか言いようのない生き物たちのこと。
「で、この子はチビモン」
「チビモン……」
「私が名付けたんだ。チビなモンスターだからチビモン」
あんまりな名付け方じゃないかと思ったが、チビモンはその名前を呼ばれると嬉しそうに声を上げる。本人(?)が満足ならぼくにも別に文句は無い。
そんなチビモンの様子をいとおしげに見つめ、ハルラはぽつりと呟いた。
「やっぱり、かなり元気になってる」
「どういうこと?」
「この子、元々研究所のサーバーにいたんだ。でも、何だかずっとぐったりしてて」
「それで、この町に連れてきた?」
「なんの意味があるのか、って顔してるね」
ハルラはくすりと笑って手を伸ばし、ぼくの手首のバイタルブレスを指でトントンとたたいた。
「バイタルブレスは財布や電話の代わりになるだけじゃない。持ち主の心拍や体温から『感情』までもデータとして記録する。――そして、それは町を飛ぶ電波とも同期する。この町にはね、たくさんの感情がデータとして満ち満ちているんだ」
そして彼女はその指を自分の唇に寄せ、タンポポの綿毛を飛ばすときのように、ふっと息を吹きかけた。
「チビモンは人の心に敏感なデジモンなの。なにかに立ち向かう勇気とか、なにかを知りたがる心とか、そういうのを力に変えることができるのね。それなのにずっとひとりぼっちだったから、今はきっと楽しいんだと思うよ」
ずっとひとりぼっち。その言葉はなんだかずっしりと重く、ぼくの胸の中に残った。
カゴの中のチビモンを見れば、その赤い瞳と目が合う。それだけのことがたまらなく嬉しいように、チビモンは笑顔を浮かべた。
ぼくは思わず立ち上がる。
「ナルミくん?」
疑問符を浮かべるハルラを残して、ぼくは駄菓子屋に駆け込んだ。
「オババ、アイスちょうだい!」
駄菓子屋のオババは物忘れがひどい。ついさっき会ったばかりだというのに半年ぶりみたいな反応をされたり、僕の父さんに「学校は行かなくて良いのかい」なんて聞いてきたりする。
だというのに、オババは走ってきたぼくにジロリと鋭い目を向けた。
「ナルミくん、今日アイスは2本目だねぇ。おうちじゃあ、1日1本の決まりじゃなかったっけ」
思わず足が止まる。なんでこういうことに限ってはっきり覚えてるんだとか、そもそもなんでウチのルールを知ってるのかとか、色々言いたいことはあったけれど、あらゆる疑問を許さず、本当のことを言うしかない緊張感が、オババの口調にはあった。
「友達……仲良くしたい子の分なんだ」
――だから、そのぼくの言葉は、紛れもなく本心だったんだと思う。
ぼくがそう言えば、オババはしばらくもにゃもにゃとうなった後、ぼくにアイスを1本差し出した。
「しばらく見ない間に、大きくなったねえ」
毎日会ってるでしょと口の中で言いながら、ぼくは駄菓子屋の外に出ると、チビモンに桃色のアイスキャンデーを差し出した。
「……これ、チビモンに。カゴの中で暑かっただろうから。デジモンは、アイスは食べちゃダメだったりする?」
「私だって鬼じゃない。カゴの中でも涼しいように、体温調整用のプログラムを渡してたよ。それに十分なデータを吸収しているから、食事も不要だ。けれど――」
そう言いながらハルラは笑みを浮かべ、チビモンの方を見る。その青い竜は目をぱちくりとさせながらキャンデーを見つめ、それから花が咲くように笑顔を浮かべた。
「――チビモンは食べたいってさ」
その言葉を聞いて、ぼくはもう一度チビモンの目を見つめた。
「……どうぞ」
そう言い終わる頃には、もう棒の先には何も残っていなくて、チビモンがシャリシャリという音とともに口を動かしながら、冷たさに驚いた顔と、甘みに喜ぶ顔を交互に浮かべていた。
「おいしかった? それなら……良かった」
ぼくの口からも自然と笑みがこぼれた。
その瞬間、カゴの中で、チビモンの体が光に包まれた。ぼくが驚きの声を上げるよりも先に光は晴れ、そこにはチビモンよりも少しだけ大きくなった青い恐竜がいた。その額に刻まれた、アルファベットの「V」に似たマークが、夏の日差しを浴びてきらりと輝いた。
「あら、進化した」
ハルラが呟く。
「進化?」
「そう、デジモンはこうやって進化もする、すごい生き物なのだ」
「はあ」
「この姿は……ブイモン、でいいかな。頭にブイって書いてるし」
「また、適当すぎじゃ」
「普通はこんなにあっさり進化することってないんだけど。これまで、よっぽどさみしかったんだね。友達ができて良かった良かった」
ハルラのセリフには色々と突っ込みどころがあったけれど、最後の「友達」の言葉が、なんだか何より嬉しかった。
すると、同じ気持ちだったのか、ブイモンがぼくに右手を差し出してくる。ぼくはその青い竜の小さな手を取り、固い握手を交わした。
その日、家に帰って、ぼくはまだ真っ白なままだった自由研究の計画書を開いた。ペンを握って、深呼吸をして、タイトルの欄に思いっきり書きなぐる。
「恐竜と人が友達になることについて」
それは世界のどんな自由研究よりも、自由に思えた。
3
夏休みが始まって半分ほどが過ぎた。
『進化』のような大事は起こらなかったけれど、ブイモンと一緒に色んな所に行って遊ぶ中で、ぼくは二つの興味深い事柄を知ることができた。
一つ目はその頭の硬さについてだ。つるつるとなめらかな青い肌をしているくせして、ブイモンの頭は石みたいに固い。
一緒にカブトムシを採りに行ったとき、虫を落とすためにクヌギの木を蹴っ飛ばしたぼくのまねをして、ブイモンは木の幹めがけて思いっきり頭突きした。立派だったクヌギの大木には大きなへこみができて、クラスのみんなのうわさの的になった。
話を聞いたハルラは驚きながら、デジモンは戦闘に特化した特徴を持つことが多く、ブイモンもその気になれば誰かをひどく傷つけることができてしまうのだと諭すように教えてくれた。ぼくたちは、もう無茶なことをしないようにと何度も釘を刺されることになってしまった。
そして二つ目は、好きな食べ物について。
進化のきっかけになったアイスキャンデーは相も変わらず好物のようだったけれど、特に甘い物ばかりが好きというわけでもないようだ。冷蔵庫から持ち出した物の中では、スイカには微妙な反応で、逆にハムには大喜びしていた。基本的にはその鋭い歯が示す通りに、肉のたぐいが好きなのかもしれない。
「法則性を見つけるためには、もっと他の食べ物も必要だな」
そう呟いてブイモンと頷き合うぼくに、ハルラは呆れたように声を掛けた。
「よくもまあ、飽きずにやるもんだね」
「自由研究だもの。飽きるとかじゃないよ」
「ブイモンのことは国家機密だって何度も言ってるでしょ。学校での発表とか、無理だから」
「よく言うよ。ぼくが人のこない秘密の場所を教えなきゃ、ブイモンのことあっという間にバレて、今ごろ大騒ぎになってたくせに」
自由研究に当たって、ぼくは町中で人から隠れられる場所をハルラとブイモンのために教えた。今いるのも、小学校の裏山にある、開けた秘密の場所だった。裏山で遊ぶ子どもは多いが、ここは昔から住んでいる地元の子ども数人しか知らない。誰にも邪魔されずに考え事をしないときにぼくが使う、秘密のスペースだった。
ハルラとブイモンもその場所の木漏れ日が気に入ったようで、大きく伸びをしながら、ぼくが持ってきた魚肉ソーセージを半分に割って食べていた。
「とにかく、自由研究はやめないから」
ブイモンについてびっしりとメモしたノートを見せて胸を張るぼくに、ハルラはため息をついた。
「そろそろ聞いていい? なんで自由研究にこだわってるのか」
「フクザツなんだ」
「複雑な話でも何でも聞くよって言ってるの」
ハルラがぼくの顔をのぞき込む。するとブイモンもぼくの隣に座り、話を聞いてやると言わんばかりに腕を組んだものだから、ぼくは観念して話すしかなかった。
「負けたくないやつがいるんだ」
ぼくはそうやって口火を切った。
この町が変な名前に変わったのは、ぼくが小学校2年生になった年のことだった。
それと同時に都会から研究者たちが一斉にやってきた。彼らは多くが子どもを連れていて、仲の良い友達ばかりだった小学校は、昔からいるぼくたち「荒木の子どもたち」と、ぴかぴかの研究者向け集合住宅に暮らす「都会の子どもたち」が混ざり合った、何とも居心地の悪い場所になった。
自然と、子どもたちは二つの派閥に分かれ、いがみ合うようになる。
「仲良くすれば良いのに」
「そんなの無理だよ。あいつら、ちょっと都会のこと知ってるからって、すこし親の頭が良いからって、ぼくqたちのこと見下してくるんだ。中でもヒロトってやつがひどくて」
日暮ヒロト、母親が国営の研究所の主任研究員だという彼は、ぼくの学年の「都会の子どもたち」のリーダー格だった。
「なんでかぼくを目の敵にしてるんだ。イナカモノだの、親のガクレキがどーだのって」
「ナルミくんの頭が良いから、むきになってるんだよ」
「それでも、許せないんだ。毎日汗だくで町中をパトロールしてる父さんや、駄菓子屋のオババの物忘れをバカにして……」
「生まれた町を否定された気分になる、と」
ぼくは頷いた。
「アイツ、ぼくに自慢してきたんだ。自由研究はお母さんに手伝ってもらうってすごいのを提出するって。父さんや母さんが勉強できないぼくには、絶対できないことだって」
「それはひどいね」
ハルラはぽつりと呟いた。大人として、どこまでぼくの言葉に賛同すれば良いか迷っているんだろうと思った。一方のブイモンはぼくの腕の中で、それは許せないと言わんばかりにわなわなと震えていた。
「それが、自由研究にこだわってた理由ってわけ」
ぼくは頷く。
「あいつには絶対負けたくないんだ」
「だとしたら、残念だったな!」
不意にそんな声が当たりに響いた。その声変わり真っ最中の少しかすれた声には聞き覚えがあった。
とっさにブイモンを抱き上げて隠そうとするが、それよりも茂みから一人の少年が飛び出してくる方が早かった。
「やあナルミ、奇遇だな」
「ヒロト」
ぼくは唇をかむ。うわさをすれば影。そこにいたのは日暮ヒロトその人だった。
「どうして、ここが分かったんだよ」
「秘密の場所なのに、か? お前たち荒木の奴らはいっつもそうだよな。自分たちだけの遊び場をいっぱい知ってて、独占してる。でも、気弱そうなヤツを一人捕まえて、みんなと一緒におどかしたらあっさり白状したよ!」
「お前……」
「いやー。しかし驚いたよ」
怒りにこぶしを握りしめるぼくを無視して、ヒロトは話し続ける。
「君が自由研究で俺に対抗しようなんて考えてたなんて。ナルミ。誰か知らないけど、きれいなおねえさんまで味方に付けて、侮れないヤツだ」
だが、と彼は自信満々に胸を張る。
「今年の俺には勝てっこない。ママととっておきの研究テーマを考えたんだ。知りたいか!」
「別に」
「そうか知りたいか! 特別に教えてやるけど、腰抜かすなよ」
ぼくの言葉など聞こえてもいない様子で、彼はにやにやと笑いながら告げた。
「俺の研究テーマは『恐竜』だ! ママが言ってたんだ。この町のどこかに生きた恐竜がいるって! ぼくはそいつを捕まえて、ママと一緒に研究するのさ! どうだ、すごいだろう!」
恐竜。
そう言われて、ぼくは思わず腕の中のブイモンに目を落としてしまった。隣を見れば、ハルラもブイモンを見つめている。
「あ、あれ? ナルミ、そのヌイグルミ……あれ、ヌイグルミ……?」
ヒロトもブイモンを見つめ、ぽかんと口を半開きにしている。
一度に視線を注がれたブイモンは、首をかしげて「またなにかやっちゃいました?」とでも言わんばかりに、何度か瞬きをした。
4
「あー!」
雑木林に驚きの声が響き渡る。
最初に我に返ったのはヒロトだった。ぼくの腕の中にいるブイモンが、自分のお目当ての恐竜であるという事実に思い当たったらしい。
「逃げよう!」
「ちょっと、ナルミくん……」
ぼくはブイモンを抱えたまま茂みに飛び込んだ。幸いこの裏山は庭みたいなものだ。都会っ子のヒロトに追い付かれるはずがない。背後で困惑の声を上げたハルラがついてこられるかは分からなかったが、大人なんだから自分のことは自分でできるだろうと思った。
ヒロトが恐竜を探していたことが頭の中をぐるぐる回る。どうして? ブイモンのことは誰にも気付かれていないはずなのに、ヒロトの母さんがそんなことを知っているのか。
腕の中でブイモンがうなる。その瞳には、隠しきれない不安の色が浮かんでいた。もしかしたら、ぼくの不安を感じ取ってそんな顔をしているのかもしれない。
「大丈夫、大丈夫だから」
ぼくは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
たどり着いたのは、森の奥、古い大木が目印の場所だった。うっそうとした木々が頭上を覆っていて、昼間だというのに薄暗い。
夏とは無縁な涼しさが支配するその場所で、ぼくは立ち止まり、ブイモンを降ろすと一息ついた。心臓は早鐘を打ち、額からは滝のような汗が流れ落ちる。休憩が必要だった。
「ちょっと休むね。ここまで来たら、大丈夫だと思う」
けれど、ブイモンはぼくの言葉に応えなかった。その代わりにだろうか、背後にある古い大木をじっと見上げていた。
「ブイモン……?」
ぼくが呟くと同時に、後ろからがさがさと音がした。ハルラの姿を期待して振り返るが、そこにいたのはヒロトだった。ぼくの二倍はつかれているようで、ぜえぜえと肩で息をしている。
「くそ……足速すぎだって……イナカモノはこれだから嫌いだ……」
「ヒロト、どうやってここまで」
「へへへ」
ぼくの問いに、ヒロトは荒く息をしながらも唇を歪め、右手を持ち上げた。そこには黒いベルトのバイタルブレスが巻かれている。
「さっき会ったときに、お前のバイタルブレスに信号を撃ち込んだんだよ。ママから迷子のペット探し用に教えてもらった裏技なんだ。イナカモノとは頭のデキがちがうんだよ!」
「お母さんから教えてもらっただけだろ。いばれるコトかよ」
「なんだと! とにかく、その恐竜を渡せよ! ママの研究に必要なんだ」
「お母さん、研究者だろ。恐竜の研究なんかするのかよ」
「ママがするって言ったらするんだよ! 分かんないけど、そいつを解剖したり標本にしたりするんだろ! 俺も手伝わせてもらうんだ」
ブイモンがぼくの服の裾をきゅっとつかんだ。ぼくだって気持ちは同じだ。ヒロトを真っ直ぐ見据え、ぼくは叫ぶ。
「ブイモンはぼくの友達だ。お前なんかに渡すか!」
その時だった。突然ぼくの足元に影ができた。ぼくの身長にぼくの格好の、紛れもないぼくの影だ。不思議なことがあるとすれば、その影は、後ろにあるなにかの光によって作られていたということだ。ヒロトが呆然としてぼくの背後を見ていたのが、ぼくの背後に何かがある証拠だった。
ぼくは振り返る。そこには先ほどと同じ、古い大木があった。けれど、おかしい。その木は、黄色みがかった強い光を発しているのだ。
次の瞬間、キン、と耳元で音がした。スピーカーの音量を調節しているような、思わず顔をしかめたくなるような音だ。
続いて、声が聞こえた。男とも女とも言えない、しかし威圧的な声だ。それはぼくの頭の裏側で響いているような、そんな気がした。
《その子を返せ》
「なんだって?」
ヒロトがそう言ったので、彼も同じ声を聞いているのが分かった。
《その子を返せ。その子は奇跡を纏う子。聖騎士となる運命を背負った子》
ヒロトはバイタルブレスを操作する。目の前の木を解析しようとしているのだ。けれど、次に聞こえたのは驚きの声だった。
「……なんだこれ、なんで機械でもないただの木から、こんなに大容量のデータが?」
「どういうこと? 『その子』って、ブイモンのこと?」
ぼくは声に向けて語り掛ける。しかし、返事は返ってこない。
《世界の裏側の子らよ。お前達は我々を待たせすぎた》
「おい、どういうことなんだよ!」
《10日間、それが最後の猶予だ。それまでにその子を返せ。さもなくば――》
そこで音はふつっと途切れた。
そして次の瞬間。地面がぼこりと割れた。そしてそこから2本の太い根が伸びてくる。目を疑うが、事実なのだから仕方ない。それはまるでタコかイカの触手のようにウネウネと有機的に動き、1本はヒロトへ。もう1本はこちらに向っていた。
すかさず、ぼくの前にブイモンが躍り出た。その青い恐竜は思い切り助走を付けて飛び上がると、ぼくを狙って伸びてきていた根に思い切り頭突きをくらわせた。すさまじい音がして、根がばきりと砕ける
「……あ、ありがとう、ブイモン」
驚きに突っ立ったままのぼくに、ブイモンは頷く。
「うわああああ!」
しかし、ヒロトに向って伸びた1本の根を阻む者はなかった。それはあっという間に悲鳴を上げる彼に巻き付くと、ぎゅうと締め上げて、そのまま、自分が木であることを思い出したように固まって動かなくなってしまった。大木も光るのをやめて、ただ木の化け物にとりつかれたようなヒロトだけがそこに残されていた。
「なんだよこれ、助けて!」
自分の置かれた状況を理解したのか、彼は悲鳴を上げた。顔は拘束
おらず息はできているようだが、太い根のせいで身動きが取れないようだ。
ぼくは思わずブイモンと顔を見合わせる。その時、また茂みががさごそと音がして、ハルラが現れた。
「あ、見つけた、こんなとこにいたんだ。……って、どういう状況?」
「ハルラ、えーと、いろいろあって」
「ふうん。いろいろねえ」
そう言いながら彼女はぼくとブイモン、そして泣きじゃくっているヒロトを順番に見つめ――。
「ま、詳しくは後で聞くよ。早く帰ろ」
――そう言い放った。
「え?」
「だから、帰ろうって」
「でも、ヒロトが……」
「なんでああなったかは知らないけどさ。ナルミくん、あの子のこと嫌いなんでしょ?」
ぼくは唖然としていた。それはもう、木の根っこが動いたのを見たときと同じくらい唖然としていた。
「ハルラ。何言ってるんだよ」
「私もちょっとしか話聞いてないけど、親の学歴くらべてマウントとか、つくづくサイテーだと思うね。こういうのは子どもだからって許しちゃダメ。見た感じ、死ぬわけでもなさそうだし」
「ハルラ!」
「それに、実際助けようにもね。木がぎっちり絡みついてるから、ブイモンの頭突きなんかしたら彼もタダじゃ済まないよ。専門の業者呼んでどうにかしてもらうしかないけど、すぐに助けてブイモンのこと言いふらされたんじゃたまったもんじゃないでしょ」
え、と言いながらぼくはブイモンの方を向く。ブイモンは注意深くヒロトを囲む木を見つめ、やがてハルラの見立てを肯定するように頷いた。
「だからほっといて帰ろ? 大丈夫大丈夫。一晩くらい放置された方が良い薬になるでしょ」
たしかにそうだ。と心の中の誰かが呟いた。ハルラに言われなくたって、ヒロトがろくでなしなのは分かっている。ぼくの大好きな町をバカにされた悔しさは消えずに今でも胸の内側でくすぶっている。
「助けて! ねえ、助けて!」
今更何をわめいているんだ。お前がそうなったのは自業自得だ。お前はブイモンを捕まえて解剖するって、ブイモンの目の前で言いやがったんだ。
そうだ。ぼくはこいつが嫌いだ。
でもだからって――。
「困ってるところを、見捨てるわけにはいかないよ」
「へえ」
振り絞るように口にしたぼくを、ハルラはつまらないものを見るような目で見返した。
「なんで? ナルミくんがやさしいから?」
「そんな理由じゃないよ。ぼくはこいつが嫌いだし、今だって無視してやりたい」
ぼくは首を振る。
「ただ、ぼくがそうしても、ぼくの頭の中の父さんも、母さんも、オババも、それにブイモンも、誰も笑ってくれないんだ。」
ただ、自分の中にいる、自分の好きな人たちに、胸を張りたいだけだと言う。
「そんなの、自己満足じゃない?」
「最初からそうだよ。でもぼくは、やるって決めたんだ。ブイモン、手伝ってくれる? 助ける方法を考えよう!」
ぼくはブイモンの方を見る。青い恐竜はそれよりも前から、じっとぼくの目を見つめていたようだった。品定めするような強い視線を、ぼくも真っ直ぐ見返す。やがて、ブイモンは頷いてくれた。
その時だった。手首に強い振動が走る。見ればぼくのバイタルブレスが強く強く震えていた。
やがて、それは熱を持ち、強い緑色の光を放つ。それは真っ直ぐにブイモンの方へと伸び――。
光が晴れたとき、そこにいたのは、ぼくの背丈の2倍ほどもある鬼人だった。
「……ブイモン?」
ぼくの問いかけに、彼は仮面の奥の優しいまなざしを返すと、両手に握った木刀を構える。
刹那、一陣の風が吹き、ヒロトを拘束していた木の根が細切れになって地面に散らばった。振ったのは木刀だったにもかかわらず、切断面は鋭利な刃物で切ったようになめらかで、ヒロト自身にはケガも、服のほころび一つも無いようだった。
「……ヤシャモン。バイタルブレスは、ナルミくんの情動を『優しさ』でも『誠実』でもなく『純真』だと判断した、ってことね。私も同感。ナルミくん、真っ直ぐすぎるもの」
ハルラが呟いた言葉の意味は分からなかったけれど、今はそれ以上に優先すべき事があった。ヒロトに駆け寄れば、呆然とブイモンを見つめていた彼ははっと我に返り、ぼくから距離を取った。その瞳には恐怖が浮かんでいる。
「あ、えっと、ナルミ、その、助かったよ。ええと、ありがとう……ございます」
「そんなのは後で良いんだ」
「ひ!? その、今見たことは誰にも言わないよ。恐竜のことももちろん! これまでのことも謝るから。だから……」
「どこか痛いところはない?」
「……へ?」
「だから、痛いところだよ」
「ない……です」
「じゃあ良かった。言っとくけど、お前を助けたくて助けたんじゃないんだからな」
ぼくが言いたいことを全部言ってしまうと、ヒロトはなんだか不思議な顔でぼくの顔をまじまじと見つめた。
「……驚いた。これ、『イグドラシル』の枝?」
と、うしろで声がする。ブイモンはまだヤシャモンと呼ばれた鬼人の姿のままで、その隣でハルラがどこかから取り出したノートパソコンを叩いていた。さっきヒロトがしたように解析をしているのだろうが、苑がめんんいひょうじされた数字と英単語の羅列は、ヒロトのそれよりずっと専門的に見えた。
「現実世界まで届いている枝があるとは聞いてたけど、本物を見たのは初めてね。そりゃ、根っこもウネウネ動くわけだ」
「その木が光って、ぼくたちに話し掛けてきたんだ」
そうだよね? とヒロトを見れば、彼もこくこくと頷いた。彼女はこちらを振り返り、いつもよりも少し真剣な早口で質問を飛ばしてくる。
「イグドラシルが会話を? どんな内容だった?」
「『その子』――ブイモンのことだと思うんだけど、それを返せって」
「聖騎士になる運命だとか、なんとか言っていました」
ヒロトの補足にぼくは頷く。
「10日間待つからそれまでに返せって、さもないと……ってところでとぎれちゃった。ハルラ。どういうことなの?」
今まで見たことがないほどの驚きが、ハルラの顔に表れていた。
「そうか……」
それから彼女は悲しい顔をして、それから、大人が言いにくいことを言うときの顔をした。
「君たちが話したのは、ブイモンが元々いた世界の神様、みたいなもの」
「ブイモンのいた世界? ブイモンって、電脳世界から来たんじゃないの?」
「その向こうに、私たちが住むこの地球と同じくらい広い世界があるのよ。そんな場所の神様だから、当然力も強い。その神様が、ブイモンを自分の所に返せって言ってる」
「じゃあ、返さなかったら?」
「きっとひどいことになるだろうね。どれだけてかげんしてくれたとしても、この町は無事じゃ住まない」
ぼくとブイモン――ヤシャモンは顔を見合わせた。ヤシャモンはどこまで事情を理解しているのか、仮面の隙間から、悲しげな瞳が覗いた。