Episode ウンノ カンナ ‐ 3
冬が好きになったのも、まあ、クリバラの影響だった。
ユキアグモンをパートナーに持つクリバラが、パートナーの一番好む時期には特に嬉しそうにしていたから。なんて、我ながら本当に単純な理由で、アタシは、この季節を好きになってしまったのだ。
「……これで、インストール完了、と。リューカちゃん、こっち向いて」
「は、はい」
暦上は夏で間違いないのだが、この猛吹雪が色々と思い出させるのだろう。つい、待ち時間を利用して感傷に浸ってしまった気がする。
そんな場合ではないのだが――だけど、この1分は、間違いなく必要不可欠なタイムロスで。
アタシのスマホをかざした先にいるリューカちゃんは、瞬く間に温かそうな極地用のダウンを纏った姿へと変わる。
ダウン――場所によっては天候が理不尽に変わるデジタルワールドを探索するために開発され、デジタルワールド、あるいはデジモンの研究者であれば無料でダウンロードする事が出来る対極寒用フィーワーク装備の一種だ。
「リューカ、あったかそう!」
「ありがとうございますカンナ博士。これなら、ヴァンデモンも戦闘に集中できると思います」
自分の身よりもそれによって左右されるパートナーの戦いやすさを心配する辺り、リューカちゃんらしいというか、なんというか。
とはいえアタシもエテちゃんの足を引っ張る訳にはいかないので、リューカちゃんと同じように、フィールドワーク装備へと着替えた。
「とりあえずこれ着てる限りは雪に足を取られる心配も無いから、他に気を付けるべきは視界の悪さだろうね。分断されたら、相手の思うつぼだ」
先ほどよりは弱まったが、吹雪で視界が悪いのは相変わらずだ。ただでさえ、時間帯が夕方を超えて夜に差し掛かっている事もあって暗いのだが――まあ、これに関してはヴァンデモンは元より、少なからず闇属性を持つアタシのエテちゃんにも、周囲の環境のスキャンにも優れているらしいメルキューレモンにもさしたる問題ではないのだろう。
と、
「カンナ」
不意にメルキューレモンから声がかかる。
「何だい」
「そのデータ、こちらにも送っていただけますか。雪原での戦闘データが乏しいので、対策となるなら一応、取り込んでおきたいのですが」
「ん」
もこもこになったりはしない……よな? と若干不安を覚えないでも無かったが、リューカちゃんにしたのと同じように、メルキューレモンにもフィールドワーク装備のデータを送信する。
「ふむ。成程。ありがとうございますカンナ。無事、受け取りました」
幸いにも、見た目に変化は無かった。多分だが、雪道に困らないブーツの機能だけを使うつもりなのだろう。
ヴァンちゃんは飛ぶみたいだし、エテちゃんは慣れてるので、これで準備は万端って訳か。
「じゃあ、行こうか」
館の扉を開くと、冷たい風が一気に吹き付けた。
さきほどちらっと見えたデジモン――周囲の木々より遥かに巨大な、暗い青色のボディーを持つ、凶悪そうな顔の、ペンギン。
ペンギン。
ひどく滑稽な姿だったが、デジタルワールドの環境まで塗り替えられているあたり、やはりあれも、十闘士なのだろう。
「メルキューレモン。さっきのアイツが氷の闘士……って事で良いんだね?」
メルキューレモンが頷く。装備の機能は、問題なく使えているようだ。
「とはいえ、あれはヒューマンスピリットの姿でもビーストスピリットの姿でもありません。あれは、ダイペンモン。2つの氷のスピリットが、融合した姿だとでも思ってください」
「融合までするのね……」
エテちゃんも呆れ気味だ。
単体でも強力なくせに、何故各属性につき2種類ずつ存在しているのか疑問ではあったが、つまりその状態でも、まだ不完全だったと。
「ただまあ、そう長い間使っていられる進化でもありません。あれは恐らく、戦闘の場を少しでも有利にしておきたかったのでしょう。平時であれば、氷の闘士はそう脅威になる相手ではありませんから」
「地の利ってヤツかい」
「ええ。氷の闘士は、ヒューマンスピリットが雪そのものの性質を持つデジモン。ビーストスピリットはまさしく雪原の獣――白い体毛によって周囲に存在を紛れさせる、狩人のようなデジモンです。補足には最大限気を使いますが、貴女も油断なさらないように。むしろ、奴を焦らせて融合体にさせるのが、勝利条件への第一歩だと思っておいた方が良いかもしれません」
確かに目立ち度合いで言えば、あのペンギン姿の方が高いに違いないだろう。
強くは無かったとしても、人間相手なら成長期の攻撃力さえあれば十分に通用する。奇襲をかけられればたまったもんじゃない。
とはいえやっぱり、私の目じゃどうしようもない部分はあるなと辺りを見回していると、リューカちゃんが、何やらヴァンちゃんに指示していて。
「? どうした?」
「えっと、ヴァンデモンに周囲のサーチをお願いしていました」
言っている間に、ヴァンちゃんの周りに5匹のコウモリ……額に赤色でAからEのアルファベットが刻まれたヴァンデモンの使い魔が展開された。
「これなら奇襲は大丈夫、だと思う」
だと思う、と付け加えはしたものの、声音に不安は感じない。今なら体調も万全だろうし、データとはいえコウモリの特徴を持つ以上、下手なレーダーよりも遥かに精度が良いに違いない。
……やっぱり色々と強すぎる気がする。リューカちゃんのヴァンデモン。
まあ、それでもこと戦闘においては、アタシのエテちゃんに軍配が上がるとは思うが。
「エテちゃん」
「なーに?」
「このパーティだと、アンタが前衛だ。ヴァンちゃんにはアタシとリューカちゃんの防御に専念してもらって、代わりにアンタが闘いに集中できるようにしてもらう。……頼んだよ」
「まっかせなさいな! ……というか、ヨうやく出番ね。滾ってきたわヨ……!」
思えば、風の闘士――シューツモンだったか。あいつに宣戦布告はしたものの、結局、仕留めてきたのはメルキューレモンだった。
ハリちゃんの件はあるものの、あれは彼女を逃走にまで追い込んだリューカちゃん達の手柄だ。十闘士との本格的な戦闘は、今回が初めてという事で良いだろう。
「メルキューレモン」
「はい」
「アンタの実力は見せてもらったけど、アタシ達の方はまだだったからね。アタシの首取られないようにだけ気を付けて、あとは後ろで見学してな。……アタシのメタルエテモンの、戦闘の流儀をね」
「では、ワタクシがイロニーの盾を使わずに済むよう精々励んでください」
メルキューレモンは唇を歪めた。相変わらず小馬鹿にしたような態度ではあるが、コイツの場合、ハリちゃん以外と接する時はこの他にやり方を知らないのだろう。
……嘘吐けないくせに素直じゃないって、何なのさ。
*
それからしばらくは、会話は最低限にしてとりあえず、あの邪悪そうなペンギン野郎――ダイペンモンが見えた場所へと足を進める。
他にも生息デジモンはいる様なのだが、急な気候の変化にどこかへと引きこもっているのだろう。時々ヴァンちゃんが察知したものの、相手が植物型や昆虫型で無い事だけは確かなので簡単な報告だけに留めていた。
……最後の報告から数分が経っただろうか。不意に、少しだけ体を浮かせて滑るように進んでいたヴァンちゃんが、地面に降り立った。
「リューカ。多分だけど、居た」
「!」
おおよそアタシ達の周りで円を描くようにそれぞれの方向へと飛ばしていた使い魔の1匹……Cの個体が、こちらへと引き返して来た。
ヴァンちゃんはそれを人差し指にとまらせる。
「こっちに……なんていうのかな。ユキダルモンを小さくしたみたいな、そんな感じのデジモンが居たって」
「それです」
ヴァンちゃんの探索結果を、メルキューレモンが裏付ける。
とはいえ、相手もこの雪の世界を得意場所とするデジモンだ。
こっちが確認できる領域まで踏み込んだ以上――
「やあ! 待ってたよ!」
――向こうも、気付かない筈か無い。
「……」
最初に見えたのは、派手な雪煙だった。
それが晴れて、例の『ユキダルモンを小さくしたみたいな』デジモンが姿を現す。
足の裏の部分をスキー板のように伸ばしているので、それを利用してここまで移動してきたのだろう。本当に、こういう雪の場面のみに特化したピーキーな性能の闘士である事が見て取れる。
奇襲をかけてこなかったのは意外だったが――次の台詞で、その理由は察しがついた。
「うわあ! 本物のウンノ先生だ! ホントのホントに! 『前例進化論』の!!」
わざわざ姿を現してまで何をしに来たのかと思えば。氷の粒のようにきらきらとつぶらな瞳を輝かせて、スキー板部分を収納した氷の闘士はぴょんぴょんと跳ね上がっている。
まるで子供のようだ。
あの館のピノッキモンよりも、ずっと。
「こんな形だけど、お会いできて光栄だよウンノ先生! ボクはカドマ――あ、これそういえば本名じゃないんだよね? 前はなんだったっけか……まあいいや! 同じデジモンの進化分野の研究者なんだけど、心当たり無い?」
「進化分野の、「カドマ」、ね……」
そしてその『子供らしさ』は、自分の行動に責任を持たないタイプの幼稚さだというのも、大方理解した。
想像通りの人物だとすれば、何のひねりも無い偽名だ。
「心当たりは無いでもないが、できれば、お近づきにはなりたくないタイプだね」
「ガーン、そんなぁ!」
あまりにもわざとらしい振舞いだが、実際にショックではあるのだろう。本気で、アタシと楽しくおしゃべり出来るとでも思っていたのだろうか。
「うう、せっかく同じ研究者同士、デジモンの話に花を咲かせられると思ったのにぃ!」
「こんな銀世界に花なんか咲いてたまるか。……さっさとかかって来な」
「冷たい! 今の僕が言うのもなんだけど!! ……いや、本当、貴女とは仲良くなれると思ってるんだよボク。ほら、キョウヤマ先生にはボクからお願いしてあげるから! ウンノ先生程の研究者が」
氷の闘士が、肩を竦めた。
「ホヅミさんに殺されちゃうなんて、勿体ない」
「エテちゃん、やって」
気が付けば、自分でも驚くほど冷めた声が出ていた。
だけど、ほんのわずかな差だったけれど、エテちゃんはアタシが言うよりも早く、カドマを名乗る氷の闘士の元へと飛び出していて。
「ハァッ!」
別に技でも何でもない、ただし究極体の力を乗せたクロンデジゾイドの拳が、カドマの顔面にのめり込む。
「ぎゃん!」
そのまま、エテちゃんの拳は、ユキダルモンによく似た氷の闘士の丸い頭を貫いた。
「!」
あまりの手応えの無さに感じるものがあったのだろう、エテちゃんはすぐさま拳を引き抜き、2、3歩、素早く飛び退いた。
「うーん、うーん……よいしょっと!」
と、同時に、カドマの頭が、再生する。
「ビックリするほど脆いねえ、ボクの頭!」
「脆かろうと、再生するんじゃキリが無いわ、ヨ!」
再び、エテちゃんがカドマへと踏み込み、今度は連続でパンチを叩き込む。
されるがままのカドマだったが、やがてバラバラの氷塊になって、辺り一面へと飛び散った。
が。
「そうだねえ、キリが無いねえ」
またしても、周囲の雪が寄せ集まるようにして、小さな氷の闘士の身体が再び形作られる。
「ま、だからこそこういう天候にしたんだけど」
じゃ、今度はこっちの番ね! そう言ってニッと笑うと、カドマは一度バラバラになった際に吹き飛ばされたランチャーの元へと素早く飛び移り、それを構えた。
「『スノーボンバー』!」
「ムンッ!」
ランチャーからすさまじい勢いで連射される雪玉の前に、エテちゃんが躍り出る。
そのままこんな場所でも暑苦しい程のマッスルポーズを決めると、エテちゃんに激突した雪玉が、当たった瞬間から砕け散っていった。
「ひええ、硬いっ!」
「殴っても元に戻るアンタと、殴られても痛くも痒くもないエテちゃん! ここから先は根競べヨ! 先に音を上げてダウンするのはどっちかしらね!?」
なおも雪玉を発射し続けるカドマへと、エテちゃんが直進していく。
いくらこの空間でなら雪のデータを吸い上げて肉体に変換できるらしいカドマも、まともにやり合える相手ではないと解っているのだろう。エテちゃんがまたしても殴りかかる直前に身を引き、くるりとこちらに背を向けた。
「多分答えはボクだからね!? ウンノ先生とはお話しできないみたいだし、そうなる前に、キョウヤマ先生に頼まれた『お使い』に戻るよ!」
ぴょん、とその場で飛び跳ねたカドマ。途端に履いているブーツの底が長く伸び、スキー板が形成された。
「じゃあね!」
「『バナナスリップ』!」
爆発的な勢いで飛び出すカドマの進路に、すとん、と投げ捨てられたバナナの皮。
それだけで十分だった。
次の瞬間にはバナナの皮を踏んずけたカドマの身体が宙を舞い、なんかそういう冬のスポーツみたいにやたらと華麗な回転は決めつつも、綺麗な着地の直前に、カドマはそびえ立つ木の幹へと激突した。
「ふにゃあっ!?」
それこそぶつけた雪玉のように、べしゃり、と木の皮に張り付くカドマの身体。
地面から離れた、今が好機だ。
「リューカちゃん!」
「ヴァンデモン! お願い!」
「『ナイトレイド』!」
吹雪に入り混じるように寒風の中を滑りながら、ヴァンちゃんから放たれたコウモリの群れ――対象を食い潰す闇属性のウイルスの塊がカドマへと襲い掛かる。
「わああっ!? それは流石にダメな奴! 『ツララララ~』!」
と、今度はカドマの姿が先の尖った氷柱へと変貌し――
「『オフセットリフレクター』!」
――し切る前に、し損なった。
氷の闘士はコウモリの群れを突き抜けるための槍に変われないまま、黒い影に覆われていく。
……だが
「スライドエヴォリューション!」
人から、獣へ。
鋼の闘士でも打ち消しようがない『変化』の直後――
「『アヴァランチステップ』!」
――『ナイトレイド』が、切り裂かれた。
「氷の闘士・ブリザーモン」
すたり、と再び雪原に降り立ったカドマは、先ほどの幼いユキダルモンのような姿はどこへやら。3メートルはゆうにある、巨大な2本の斧を掲げた猿のような熊のような、白い体毛の獣へと変わっていて。
「んん~。コレ使うと明日筋肉痛なんだよなぁ~……」
ビーストスピリットを使う事にあまり乗り気では無い事を全面に出しつつ、ごきり、とカドマ……ブリザーモンが肩を鳴らす。
さて、第二ラウンドって訳か。
「エテちゃん!」
「あいヨ!」
ブリザーモンの前だと小柄にさえ見えるエテちゃんが雪の地面を蹴り、今しがたカドマが叩きつけられていた木の枝へと飛び乗った。
クロンデジゾイドの重みで一気に枝がしなり、積もっていた雪がブリザーモンの頭上へと落ちていく。
「こんなの――ッ!?」
大して気にした様子も無く振り払おうとするブリザーモンだったが、ほぼ同時にエテちゃんが蹴りの構えで落下している事に気付き、慌てて姿勢を防御へと移行する。
ブリザーモンの太い腕に、エテちゃんの飛び蹴りがさく裂した。
「ぐう――えいっ!」
今度こそ、振り払う対象をエテちゃんへと明確に変えて腕を振るブリザーモンだったが、その力が乗るよりも一瞬先にエテちゃんは退いていて、両者に若干の距離が空いただけの結果に終わる。
くい、と、金色の歯を見せて笑いながら、エテちゃんはブリザーモンへと手招きした。
「ぐぬぬ……『グレッチャートルぺイド』!」
しかし先ほどのように斧を振り回して突っ込めば『バナナスリップ』の餌食になると判断したのだろう。今度は結った髪の毛――先端に銛の付いたブリザーモンの毛の束が、蛇の群れのようにエテちゃんへと襲い掛かる。
だが、それこそこっちの思うつぼだ。
エテちゃんは残りの銛が自分の皮膚を引っ掻いていくのを気にも留めず、束の内の数本を、掴んだ。
「な!」
「そおいっ!」
そのまま、ブリザーモンは跳び上がるエテちゃんの勢いに引っ張られて――重力に逆らい虚空で半円を描いたかと思うと、凍てついて地面へと背中から叩きつけられた。
「がはっ!」
一瞬、呼吸が止まったに違いない。
受け身も取れない、酷い打ち方をしていた。
「スピリットの力があるかなんだか知らないけど、これが、戦闘経験の差ヨ」
出直してらっしゃい。
自慢の筋肉を見せつける姿勢でにやりと笑ったエテちゃんの金の歯が、差し込む光も無い筈なのに、無駄にきらりと、眩しく光った。
「い――ひ、ひっひ、ひ……!」
対するブリザーモンも、歪つな呼吸を数回繰り返しつつも、笑っていた。
「すごい、すごいぞ……! これが、あの『前例進化論』の、ウンノ先生の、メタルエテモン……!」
こんな目に遭いながら、それでもなお、興味が尽きないという声色だ。
……在り方を間違えなければ、アタシなんて目じゃない研究者になっていたかもしれないのに。
いや。こんな奴だから、在り方を間違えたんだろうけれど。
……クリバラが『ユミル論』を、書かずには、発表せずにはいられなかったような。そんな。
「少しは、同情するよ」
「カンナ」
隣でアタシの名前を呼んだメルキューレモンには、若干の抗議の意思が混じっていた。
あるいは、油断するなと言いたいのかもしれない。
「はん、別に予定が変わる訳じゃないさ」
多少共感できる部分があったとしても、キョウヤマの仲間である以上、アタシのやる事は変わらない。
「欲しい、欲しい……。もっと戦闘データが欲しい……!」
倒れてもなお握っていた筈のブリザーモンの二振りの斧が、溶けるようにして消えていく。
代わりにその大きな手には、あまりにも小さなスマートフォン――デジヴァイスが、握られていて。
「ごめんねキョウヤマ先生! ボク、もうちょっと寄り道するよ!」
離れているにもかかわらず、スマホに浮かんだ『氷』の文字がくっきりと見えた。
「ダブルスピリットエヴォリューション・ユミル!!」
巨大な光が、曇り空を突く。
あくまで人間からの変化でしかなかったスピリットエヴォリューションと違い、それはまさしく、本当の意味での進化の光だ。
だけど進化するのはあくまでスピリット――鎧に、過ぎない。
力は確かに強大になるだろう。
それでも、エテちゃんの言ったように、戦闘経験の差は、据え置きだ。
「氷の闘士――ダイペンモン!」
周囲の木々を遥かに超える背丈の青いペンギンが、どう見てもアイスキャンディーにしか見えない赤と青2つの武器を構えて、黄色い嘴を唇が弧を描くように、歪めた。
全く。近くで見ると、より一層異様な姿じゃないか。
「エテちゃん!」
だけど、予定通り引きずり出した以上、
「最終ラウンドだ、気ぃ引き締めな!」
「言われるまでも無いわヨ!」
ここで、仕留めさせてもらう。
「いっひっひ……行っくぞぉ!」
2つのスピリットを使っているためか、2重にも聞こえる声で叫んだかと思うと、ダイペンモンの頭部――レバーのような部品が高速で回転を始めた。
途端、彼の周囲を覆うようにして、最初に見たあの吹雪が猛威を振るい始める。
デカいペンギン、とだけ思っていたが、その実ペンギンでは無く、ペンギン型のかき氷機型ロボット、といったところなのだろうか。
そういやピノッキモンが「古代氷の闘士は大きかった」的な事を言っていた気がするが……まさか、おおよそコレだったのか?
「ぐ……」
とはいえ絵面に反してなかなかシャレにならない威力だ。寒さ自体は装備が防いでくれるが、風に関してはどうしようもない。
踏ん張りがきかず、飛ばされるかと思った瞬間。
ばさ、と、黒いマントがアタシを覆った。
「!」
「メタルエテモン! カンナ博士は僕に任せて!」
見ればヴァンちゃんがアタシをマントでくるんで、風に飛ばされないようしっかり押さえてくれている。
反対側で同じような格好になっているリューカちゃんが、ヴァンちゃんの言葉を肯定するように力強く頷いていた。
それから、風除け役を買って出ているのか、アタシ達の前にはメルキューレモンが盾を構えた状態で立っていて。
「ありがとね! ヴァンちゃん、コウキちゃん!」
エテちゃんは、この『最終ラウンド』に十分、集中できそうだった。
「『ブルーハワイデス』!」
次の瞬間、青い方の巨大アイスキャンディーがエテちゃんに向かって振り下ろされる。
見た目に反して目にも留まらない鋭い振りだったが、エテちゃんを捉えるまでには至らなかった。
地面を陥没させる程の威力で振り下ろされたダイペンモンの武器を、エテちゃんの脚力が、足場へと変える。
全ての攻撃を弾くというクロンデジゾイドの身体は吹き荒れる氷のつぶてなどをものともせず、青いアイスキャンディーを、ペンギンの退化した羽を、ダイペンモンの丸い頭を駆け上がっていく。
赤い『最強』の文字は、あの時見えた『氷』の字以上に、こんな環境でも、エテちゃんの胸の上でよく映えていた。
「トドメヨ!」
エテちゃんが、宙を舞う。
銀に輝くその身体は、高速回転して雪を撒き散らすハンドルの、ちょうど中心へと。
「行けっ!」
力いっぱい叫んだアタシの声に応えるように、エテちゃんの右の手の平に現れる、小さな、暗黒の球体。
完全体時――エテモンの必殺技である、全てを消し去る闇の球、『ダークスピリッツ』の強化技。
「『ダークスピリッツ――』」
巨体故にかわす事も出来ないまま、ダイペンモンは、その球を頭頂に、押し付けられる。
「『――デラックス』!!」
巨大な稲光のように『闇』が周囲に広がり、吹雪さえも、飲み込んだ。
悲鳴さえ上がらないままに、ダイペンモンの巨体が、崩れ始める。
だが、やられる前に辛うじて、次の動きを決めていたのだろう。
傾いていく身体をどうにか捻って、ダイペンモンが、左手に握られた赤い巨大アイスキャンディーを、投げた。
「!」
だがそれは未だ頭部に留まっているエテちゃんにはもちろんの事、アタシ達の頭上でさえも、素通りしていく角度で――
「しまった!」
――その意図に気付いたのは、メルキューレモンだけだった。
「な、なんだい」
ヴァンちゃんのマントにくるまれたまま巨大アイスキャンディーを目で追う。
……それが向かっている先は、ピノッキモンの館だった。
「!」
一瞬、メルキューレモンの考えを解った気になって焦ったが――いや、でも、よく考えたら、いくらあのダークマスターズの個体には匹敵しないだろうとはいえピノッキモンは究極体だし、一応は水のスピリットに適正しているカジカPのオタマモンもいるし、ハリちゃんだって
「カンナ!」
……戻ってきたエテちゃんの鋭い声に振り向いて、この子の手の中を見て。自分の見立てが甘過ぎた事を、痛感する。
「ビーストスピリットしか――」
倒したはずのカドマは2つのスピリットを使って進化していたにも関わらず、片方しか、残していかなかった。
氷のヒューマンスピリットは
存在そのものが雪や氷になれる、氷のヒューマンスピリットは、どこにいった?
「戻るよ!」
「エテちゃんにつかまって!」
「ヴァンデモン、スマホに!」
「う、うん!」
パートナーをスマホに戻すリューカちゃんと、エテちゃんにつかまりやすいように姿を人間時に戻すメルキューレモン。
その間に
「『バナナスリップ』!」
エテちゃんが、ひと際巨大なバナナの皮を地面へと投げた。
「さあ、いくわヨ!」
リューカちゃんとメルキューレモンをそれぞれの腕に乗せ、肩にはアタシをのっけてから、エテちゃんは自分の投げたバナナの皮へと飛び乗った。
特性通りに勢いよく地面を滑り始めるバナナの皮をまるでスノーボードのようにして、斜面でも無いのに、風のように森を疾走していく。
「こ、こんな使い方が……」
そんな場合では無いとは思いつつ、といった表情で、リューカちゃんが呟いた。メルキューレモンにしても呆れ半分感心半分みたいな、複雑そうな顔をしている。
……アタシとエテちゃんで思いついた事なら、ちょっとくらい、自慢の種にしてやるのだが……これは、クリバラの発想だ。
「こんな形で役に立つとは、思っちゃいなかったよ」
口にした言葉がリューカちゃんへの返事だったのか、あるいは懐古だったのか。考える暇も無い程の速度で、森の景色が流れていく。
いつか、もっと気楽な状況で見た景色とそれらが被ったように見えたのは、酷すぎる程の、場違いに違いなかった。
*
屋敷が近づいたと思った瞬間、あの巨大アイスで盛大に割れたらしい二階の窓ガラスから煙が噴き出した。
「!」
あの中にいるメンバーで、あんな派手な噴煙を起こすやつはただ1体。ピノッキモン、その必殺技である、『ブリットハンマー』だ。
少なくとも、彼は一応、無事なのだろう。
「到着ッ!」
ザッ、と雪を巻き上げながら見事なターンで滑るバナナを止めたメタルエテモンが、急いでリューカちゃん達を腕から降ろす。
と
「これは」
歌が、聞こえた。
正確には歌のようにも聞こえるゲコモンの超高周波攻撃、『クラッシュシンフォニー』の余波に、違いなくて。
「すみません博士! 先に行きます!」
ほとんど非戦闘員のカジカPまで前に出たとなって、居てもたってもいられなくなったのだろう。リューカちゃんは今度はリアライズさせたヴァンちゃんへと飛び乗って、割れた窓へと飛び込んでいく。
「エテちゃん! メルキューレモン! アタシらも行くよ!」
半ば弾けるような勢いで館の扉を開けた瞬間、「『ナイトレイド』!」とヴァンちゃんの必殺技名が響き渡る。
大広間の下にあたる部屋に、ピノッキモンの背中が見えた。
「ピノッキモン!」
先頭にはエテちゃんを進ませながら、部屋へと駆け寄る。
「ええい、遅い!」
振り返りもせず悪態を吐くピノッキモンだったが、その声音は、どこか嬉しそうで。
「これでも全速力で戻ってきたのヨ!?」
「そもそもチャックモンの逃走を許したおぬしらの失態じゃろうて」
「……面目無い」
合流の直後、コウモリの群れに進路を阻まれたらしいカドマが、転がるようにして落ちてきた。
部屋の扉を閉める。
さらに塞ぐようにして、エテちゃんの銀のボディがそびえ立った。
「……もう、逃げ場は無いよ」
カドマの周囲を、ぐるりと囲む。この頭数じゃ流石に隙間だらけとはいえ、隙自体は、どこにも無い筈だ。
さらに2階にはリューカちゃんとヴァンちゃん。攻撃を兼ねて氷柱に化けて飛んだとしても、こちらにはメルキューレモンがいる。
……そういや、さっきも結局使わせちゃったな、イロニーの盾……。後で色々言われそうだ。
と、
「……こりゃダメそうだなぁ」
はあ、と、大きな大きな溜め息をついて、小さく首を横に振った後、カドマは持っていたランチャーを床へと放り投げた。
「!」
「降参降参! 僕ってば非戦闘員だからね。余計な事してこれ以上ボコボコにされるよりは、こっちから――」
両手を挙げて、今まさに、敗北を認めようとしていたカドマは――ふっと、瞳から光を消した。
あまりにも突然に。
あまりにも、不自然に。
「カジカ!」
その時、ピノッキモンが叫んだ。
何故叫んだのかは解らなかった。
だけど名前の主が上に居る事を知っていたから、見上げて、彼が『ブリッドハンマー』で空いた大穴の近くで、尻もちをついてへたり込んでいる事に気が付いて。
だけどそんな事、全然戦いに向いていないカジカPの性格からして、別におかしなことでも無かったし、戦闘が実際に有った以上、彼の現状は、責められるべきでもない筈なのに。
そう、考えていた、次の瞬間。
ピノッキモンはカジカPを庇うように空中へと飛び出して。
本当に一瞬で。
必殺技でも何でもなく、ただただ単純に、自分の姿を氷の槍に変えたカドマが、
ピノッキモンの胸を、貫いていた。
「――」
言葉も何も、出なかった。
誰も何も、出来なかった。
辛うじてエテちゃんが、重力に従って落ちてくるピノッキモンを受け止めに走り出したけれど、それが限界だった。
あまりにも短く、あまりにも理不尽なその一撃は、カドマにとっても、同じ物だったようで。
そのままの姿で床に落ち、がしゃん、と、硝子を落としたような音と共に砕け散った氷の槍の中から、白衣姿のひょろりとした背の低い男性が飛び出して
「いっ、ひっ、ひ……」
朦朧としながら、笑って
「キョウヤマ先生も……ひっどいなぁ……」
そう言って、全身から力が抜けたように、動かなくなった。
「ピノッキモン!」
メルキューレモンの声で我に返る。
彼の後に続いてエテちゃんに抱えられたピノッキモンの元に駆け寄ると
「全く……やってくれる……」
胸に穴を空けたまま、ピノッキモンは、苦しそうに、笑っていた。
声には少なからず、ノイズが混じっている。
まずい……!
「ピノッキモン!」
そこへ、ヴァンちゃんに抱えられたリューカちゃんとカジカP、続けてゲコモンが降りて来て――未だ腰が抜けているらしいカジカPは、這うようにして、ピノッキモンへとにじり寄った。
「ピノッキモン、お、俺、俺のせいで……!」
カジカPは、泣きそうな顔をしていた。
……アタシの思ったことは、変わらない。
彼が一所懸命、彼に出来る事をやったという事は、館に入る前から、解っている。
一般人そのもののカジカPが勇気を振り絞って、その結果糸が切れたようにへばったって、一体、誰が責められるもんか。
「カジカちゃんのせいじゃないわ。……仕留めきれなかったからヨ、このエテちゃんが……!」
「いえ、アナタは十分な闘いを見せましたよメタルエテモン。……あの場でそれが可能だったにも関わらず、氷の闘士の動向をサーチしきれなかったワタクシのミスです。責任は、ワタクシに――」
「ええい、鬱陶しい!」
ピノッキモンは一番近くに――というか、今まさに彼自身を抱えているエテちゃんをぺちんと叩いた。
直後、若干呻きつつも――
「この阿呆どもめ!」
――割合しっかりと、怒気を込めて怒鳴った。
「責任、責任と……これは我が勝手にやった事じゃ! 何を通夜のような空気になってくれておる! この氷の闘士が、恐らく古代鋼の闘士の思惑によって行われた攻撃の対象がたまたまカジカで、我はこやつを、守るべきだと判断したまでよ!」
キッと睨むような視線だったが、厳しくも優しいとは、こういう瞳の事を言うのだろう。
「むしろ我に守られた事、光栄に思え! 水の闘士に選ばれし人の子よ!」
「ピノッキ、モン……」
ある意味で、言っている事は老人の――あるいは、子供の癇癪のようだったけれど。
決意も覚悟も踏み躙られそうになっていたカジカPの心に、確かに彼の言葉は、届いたに違いない。
泣きそうだったカジカPは、本日2度目の、涙を流した。
「悪い……ありがとう、ありがとう……!」
「ふん……」
肩を震わせるカジカPをしばらく見守ってから、ピノッキモンは、目を閉じた。
「しかしまあ……流石に、これはちと、まずい」
彼の言葉を肯定するように、混じるノイズはさらにひどくなってきている。
アタシは、まだ、何も聞いちゃ、いないのに。
「全く。……やはり、氷とは相性が悪いのかのう。……古代鋼の闘士のせがれ。この身体が砕けたら、我を、ロードするがいい」
「……」
「最も、『記録』のデータまで取り込めるかは、勝率の低い賭けじゃがのう。まあ、何もせんよりは……」
「退いとくれ~。退いとくれ~」
不意に、びっくりするほど緊張感の無い声とともに、何者かがぬっと、アタシたちの間を掻き分けた。
やって来た人物に、アタシ達以上に、ピノッキモンが、目を丸くする。
「ゼペット……!」
「銀のお猿さんや、その子をちょいと、おろしとくれ」
「え? あ、はい……」
穏やかながら何故か有無を言わせない空気に、エテちゃんも思わず、ピノッキモンを床へと降ろす。
ずっと寝ていた筈なのに、スマホおじいちゃんはどこから持ってきたのか、工具箱を下げていて――アタシ達が見守る中、2、3分もしない内に、てきぱきとピノッキモンに空いた穴を埋めてしまった。
「……!」
「応急処置じゃからなぁ。……長くは持たせられんかもしれん。すまんのう」
「ゼペット、おぬし……」
まだ若干残っているとはいえ、随分とノイズもマシになったピノッキモンの戸惑いに応えるように。そっと、スマホおじいちゃんは彼の頭に、皺だらけの手を置いた。
「お前さん、わしの息子に似とったから……放っておけんかった」
彼は、もう、覚えていなかった。
覚えていなかったけれど――忘れても、いなかった。
スマホおじいちゃんは子供にそうするように、ピノッキモンの頭を、わしわしと撫でていた。
「馬鹿者……!」
おおよそが木で構成されたピノッキモンの顔が、それでも歪んで見える。
泣き出しそうな、子供のように。
「おぬしがもっと早くに『そう』していたら、『あやつ』だって……!」
それはきっと、何も知らずに世界を傷つけて、何も知れないまま死んでいった、彼の片割れの事だったのだろう。
結局、何も知れずに死んでいったそのデジモンは、それでも誰かに、想われていたのだ。
きっとゼペット――人間とデジタルワールドとの接触が始まったばかりのころ、猛威を振るったという伝説のハッカーにも、どうしようも、無かったのだろう。
彼が呪われたジュレイモンから切り出し、片方に押し付けたという『呪い』は、アタシ達学者の見解が正しければ、『ファイヤーウォールの向こう側』からの干渉だったのだから。
だけど当人にとっては、それがたとえ、どうしようもない呪いの産物だったにしても――
「カンナ」
自分を呼ぶ声に、思考が引き戻された。
見ればピノッキモンは目を閉じたまま、だけど意識は、こちらに向けていて。
「少しばかり、余裕ができたからな。今夜は、休ませてくれ」
「……ああ」
こんな時に――いや、こんな時だからこそ、アタシは、話を聞かなきゃいけないのかもしれないのだけれど……それでもやっぱり、聞かせろだなんて、言える筈も無い。
「明日以降、必要な話はしてやるからのう。……ああ、そこの男……マカドだったか? そやつはこちらでどうにかしておく故、おぬしらも、一度、帰るがいい」
「解った。……頼むよ」
「それから、鋼の闘士」
「はい」
「……おぬしは早う、光と闇の器の娘を迎えに行ってやれ。可哀想に、ここに降りてもこられずに……外に、出ておる」
「!」
「こればっかりは、使命ではなくともおぬしの役目じゃ。……早う」
急かされているにもかかわらずメルキューレモンがこっちを見やがったので、アタシはくい、と顎を動かして言われた通りにするよう促す。
合図した途端、走って行った。
全く、こいつはこいつで……。
命令権とかいうのがあるっていうのも面倒くさい話だと、呆れるような、同情するような考えがぼんやりと浮かぶ中――アタシはカドマの傍にいつの間にか転がっていた、氷のヒューマンスピリットへと、手を伸ばす。
本日の成果は、これと氷のビーストスピリットのみ。
明日になれば、このピノッキモンから情報が提供されるはずだが、どこまで話せるほどに回復しているかは、明日にならないと、解らない。
だけど、それでも。今回は多分、負けなかった。
いや、アタシとメルキューレモンは打ち負かされちまったけれど、ハリちゃんが、リューカちゃんと一緒にアルボルモンを撃破したから、アタシ達は、目の前の手掛かりを失わずに済んだのだ。
……なあんだ。前回だって、完全敗北って訳じゃ無かったって事か。
「みんな。……ありがとね」
リューカちゃんとヴァンちゃん。カジカPとゲコモン。今この場には居ないけれど、メルキューレモンとハリちゃん。
それから、ピノッキモンとゼペット。
誰が欠けても、負けていただろう。
……何よりも
「エテちゃん」
両腕を伸ばす。
その中に、退化してスカちゃんになったパートナーが、飛び込んできた。
迷わず、アタシは抱きしめる。
「お疲れさま」
「カンナもね」
ああ、やっぱり。アタシにはもったいないくらい、この子は、強くて、優しいのだ。
「……ありがとう」
スカちゃんも、見渡したみんなも、笑っている。
全員を巻き込んだアタシを、もっと責めるべきなのに。
一番責められるべきは、あたしだったのに――なのに。
アタシはここからも、この子達を利用して、進んでいくしかない。
だったらせめて、言うべきことだけは、言っておかないと。
「ありがとう、ね」
アタシはもう一度、繰り返した。
人間の姿に戻ったメルキューレモンと、その後ろに続いてハリちゃん――らしきデジモンが戻ってくるのが見える。
だったらそろそろ、お暇しよう。
「さあ、帰るよ」
スマホを取り出す。
設定したゲートの先は、もちろん、アタシの研究所だ。
「帰って、あったかいものでも食べようか」
ほとんど、出来もしないのに。アタシはそう言って、みんなへと、いつしか笑いかけていた。