Episode カガ ソーヤ‐3
『デジモンアドベンチャー』。
高石先生――『希望』の紋章を抱く選ばれし子供だった彼が、1999年と2002年の冒険を後年、小説としたものだ。
存在自体があの頃の機材を狂わせていたデジモンの特徴上、写真にも映像にも残せなかった『彼ら』の戦いは、実のところ、高石先生の回顧録であるこの小説と当時実際に事件に巻き込まれた人達の証言以外にほとんど資料が無く、デジタルワールドでの冒険に至っては、本当に、『デジモンアドベンチャー』の中で語られている以上の事を俺達は、知りようがない。
だがそれだけに、『デジモンアドベンチャー』は読む者の心を躍らせる冒険譚として、ヒトとデジモンの歴史の資料として以上に、人々に愛されてきたのだろう。
とはいえ読み物である以上、ある程度各話への人気というものも別れていて、特に読者の目を引くのは、大抵が高石先生の実体験が強く反映されている場面でーーいわゆる『ピノッキモン編』も、その内の一つだ。
俺自身、何度も読み返している。……まあ、『デジモンアドベンチャー』自体、割と何度も読んではいるんだけれども。
究極体でありながら子供。
子供でありながら究極体。
酷く悪辣で恐ろしく残虐なデジモンだったけれど――同時に、かわいそうな、やつだと思った。
描写自体はやはり『敵』の域を出ないのだけれど、それでも、俺達読み手が強くそう感じる以上。書き手たる高石先生も当時を振り返って、思うところが、あるのかもしれない。
あのデジモンに「かわいそう」な事実を突きつけたのは、他ならぬ、幼い高石先生自身だったのだから。
*
で、それはさて置きこのデジモン、今なんて?
「久しいのう、ゼペット」
いや、「久しいのう、ゼペット」じゃなくて。
そりゃ『デジモンアドベンチャー』もそうだけど『ピノキオ』だって知ってるよ俺は。ゼペットといえば、登場人物としてのピノキオを作り上げたお爺さんだ。
……そう、ピノキオを作ったのは、ゼペット爺さんだ。
だったら、ピノッキモンを作ったのがゼペット爺さんでも、おかしくはない訳で。
で、目の前にいる、かの有名な『魔の山』の四天王『ダークマスターズ』の1体・ピノッキモンのおおよそ双子みたいな自己紹介をしていたいやに古めかしい喋り方のピノッキモンが見ているのは、昨日ハリちゃんが撃破して連れ帰って来て、絶対紛失しなさそうなところで管理しているスマホに録音されているメッセージでカンナ先生とメルキューレモンをどん底にまで叩き落した件のじーさんであって。
……え、じゃあこの人が作ったん? 『あの』ピノッキモンと、『この』ピノッキモンを?
「『ゼペット』……もしかしてあのゼペットかい? このスマホおじいちゃんが?」
というか、俺が知らないだけで研究者界隈では有名なのかもしれない。カンナ先生は、知っている風だ。
一体どのゼペットなんだ……!
「はっ、流石によう知っとるのう。いかにも、そやつがゼペットよ。……最も、『ゼペットジジイ』と呼ぶにはあまりにも若かったがのう、あの頃のゼペットは」
だから、一体、どの。
……とはいえ、よくよく考えたら俺にも思い当たる節があった。
高石先生と同じく選ばれし子供だった泉先生が、デジタルワールドそのもののアーカイブから引っ張り出してきたというデジモン図鑑でピノッキモンというデジモンを調べた時。確かに、首を傾げなければいけない一文がいつも最初に乗っかっていた。
《呪われしジュレイモンの身体から作り出された、究極のパペットデジモン。恐らく凶悪なハッカーの1人がジュレイモンのデータから、このピノッキモンを作り出したと思われる》
呪われしジュレイモンって何だ。
凶悪なハッカーって誰だ。
受けた授業の関係やら個人的な調べ物やらでピノッキモンの説明文を見る度、なんとなくもやもやした覚えがある。
ただでさえウイルス種の究極体は育成に成功した例がほとんど無い上、野生下だと協力的な個体も皆無。さらにダークマスターズの件まであったので万が一ピノッキモンを連れているテイマーなんて居ても名乗り出てくれる筈が無く。もしジュレイモンがピノッキモンに進化しても、その個体が呪われていたのかそうでないのかを全く判断できないのが現状だ。というのが、付け加えられた人間側の資料から読み取れる全てだった。
……そう考えるとカンナ先生ってすごいんだな、やっぱり。メタルエテモンだもん。
まあそれはさて置き。
兎にも角にも、その種族としての『ピノッキモン』の答えが、目の前のこのデジモンでありこのじーさん、って事になるのか。
人生、色々あるもんだなぁ。
ただ、肝心のじーさんの方に、反応は、無い。
というか寝てる。立ったまま寝てる。器用だ。
ピノッキモンはそんな老人――パートナーらしいゼペット爺さんを、寂しさと達観が入り混じったような眼で、ずっと見ていて。
察するに、パートナーが現状どういう状態なのかは、ある程度は予想していたのかもしれない。
「で、あんたがあの……ああ、思い出しても腹立つ。あの無茶苦茶なウイルスに隠した自分の居場所をアタシ達に送り付けてきた主。って事で、良いんだね?」
「そもそもおぬしらに送ったつもりは無いのだがな。あれは我とゼペットとの、半ば『お約束』のような物でな。……ふっ。そこまで心を乱している辺り、出来は良かったじゃろう?」
「とってもな!」
「だがおぬしらがそれを受け取ったのも、ある意味では木のスピリットのせいじゃ。それに施された妨害が無ければ、我はあと数年早く、ゼペットにその『メッセージ』を送る事が出来ていたであろうよ」
「数年……」
カンナ先生が、メルキューレモンの方を見た。
「ワタクシのスピリットがあの男に回収されたのがおおよそ4年前です。その時には、既にアルボルモンが居ました。そのころには、もうそれを送り続けていた、と?」
「その口ぶりからすると……いや、まあ、見れば解る話ではあるが。そうか、おぬしが古代鋼の闘士のせがれか。……若いころのゼペットに、よく似ておるわ」
「ワタクシの外観はキョウヤマ コウスケから派手さを抜いて年齢を減らした物ですからね。成程、理解しました。こちらが、オリジナルという訳ですか」
「派手さは抜いたのな」
思わずつっこんだ俺に、誰も反応してくれなかった。
強いて言うなら、俺のミューズが軽く片足で俺の左足を踏んだくらいだ。
ちょっと黙るゲコ、の意味である。
ごめん。でも俺こういう空気感はちょっと、ね?
「その通りじゃよ、古代鋼の闘士のせがれ。いくらあやつの鋼の性質に鏡の特性が含まれているとはいえ、だからこそ、映す像が無ければ何物にもなれんからな。キョウヤマ コウスケ……思えば、ゼペットの本名もそんなものであった気がせんでも無い。……フン。どこの鯨の腹の中に迷い込んでいるのかと思えば――全く」
当然ピノッキモンも俺の事など気にも留めず、実際のモデルであろう『ピノキオ』のゼペット爺さんの境遇にパートナーをなぞらえ、力なく頭を横に振った。
……少なくとも、4年、か。
それだけの期間オタマモンに会えなくなったら――そうだな、それは、とても辛い。
それにゼペット爺さんは、未だに自分のパートナーだったらしいピノッキモンの事をきちんと認識していない。それが加齢によるものか、キョウヤマ博士のせいなのかは判断できないけれど……どっちにしたって、ピノッキモンにも思うところがあるだろう。
だけどそれ以上、ピノッキモンはゼペット爺さんを見なかった。
代わりに、今度はしっかりと、俺たち全員を見下ろしていて。
話すべきことがあるとでも言いたい風に。
「おぬしらが既に古代鋼の闘士と敵対関係にある事は知っておる。我のささやかな悪意を無事突破し、ここまで足を運んだのは少しでも奴の手掛かりを求めての事だろう?」
真っ先に頷いたカンナ先生に半ばつられる様な形になってしまったけれど、俺とオタマモンも、それから俺同様若干置いてけぼり感のあったリューカちゃんとピコデビモンにしたって、しっかりと、その言葉に頷いた。
この先どこへ向かうのか、全然見当もつかないけれど、デジタルワールドに足を踏み入れるっていうのは、まあつまり、そういうモンだ。
高石先生もそう言ってた。
俺達の反応を伺って、ピノッキモンも何やら安心したらしい。ふっと微笑んだように見えた。
「で、あれば、我も久々に、本来の役目を果たさねばならんだろうな」
くるり、とピノッキモンが背を向ける。
どうやら、2階に戻るつもりらしい。
「まあここで立ち話も何じゃ。着いて参れ」
お伽話を、してやろう。
童話の住人のようなそのデジモンは、そう、俺達に語りかけた。
*
ピノッキモンの先導で通された大広間は、もしそこに食事の用意さえあれば今にも晩餐会が始まるんじゃないかと思う程広く長いテーブルが中央に置かれていて、一番奥の席に腰かけたピノッキモンを挟むように、各々が左右の座席に腰を下ろした。
俺とオタマモンが座ったのはリューカちゃんの正面――2人揃って、この中じゃピノッキモンから一番離れた席だ。
まあこればっかりは、正体は教えてもらったけどそれはそれとしてどういう相手なのかいまいちはっきりしていないピノッキモンの手前、一番戦力のあるメルキューレモンとハリちゃんの兄妹、カンナ先生とスカモンのコンビに前に居てもらわないと不安だからなのだが。
ちなみにゼペット爺さんは近くのソファで完全に寝てしまっている。
老人の夜は、早い。
「すまんが茶の類は出んぞ? 客人などゼペットの顔以上に久しく見ておらんからな、用意も無い」
「あ、いえ、お構いなく」
そしてこういう時でも対応が丁寧な辺り、リューカちゃんは本当に真面目というか、何というか……。
とはいえピコデビモンも、リアルワールドとはずいぶん雰囲気の異なる洋館の風景に好奇心は隠せないでいるが、それでも常にリューカちゃんが視界から外れないよう気にかけている。多少なり、館の主であるピノッキモンを警戒しているのかもしれない。
のんきで穏やかな印象が強いけれど、時間が時間なこともあっていざとなれば真っ先に反応してくれそうな安心感がある。俺のミューズだって勘自体は鋭い方だと思うが対応力となると……。
うん、そういうのは、やっぱり任せておこう。
俺に出来るのは何かをする事じゃなくて、何もしない事だ。
「……で、えっと……お伽話って言ったよな?」
「いかにも。古代鋼の闘士のせがれから、少しは聞いておらんか?」
まあ話を切り出すくらいはいいかと声をかけてみたところ、この返答。俺は早速、メルキューレモンの方を見るしかなかった。
「カンナの後で、貴方方にもお話したでしょう。古代十闘士と『聖なるデジモン』との戦いについて」
「あー、あれか」
なんか、すっげー強い天使型の成長期が色々やらかしたのをメルキューレモン達の『元』にあたる古代十闘士がどうにか倒したとかいう……。
つまり、今からピノッキモンが語ろうとしているのは、メルキューレモンとハリちゃんの、ある意味で父親ともいえるキョウヤマ博士――いや、この場合はエンシェントワイズモンか。
エンシェントワイズモンの、戦闘の『記録』、って事か。
だが、カンナ先生の表情は浮かない。
「興味があるか無いかで言われると、一デジモン研究者としてものすっごく知りたい話ではあるんだけどね」
「今知りたいのは古代鋼の闘士についてのみ、とでも言いたげな顔じゃな。……確か、『前例進化論』のウンノ カンナじゃったか」
「なんだい、アタシの知名度も捨てたもんじゃないね」
それがカンナ先生とメルキューレモンを散々苦しめたというウイルスから得た成果なのか、普通に有名な先生の事を普通に知識として持っていたのかについては、ピノッキモンは意味深に笑うだけで何も言わなかった。
まあ、カンナ先生の気持ちも解らんでは無い。
俺だって古代十闘士の話とか、聞いてみたいけれど、最優先事項化と言われると、確かに、そうじゃ無い訳で。
だがピノッキモンの方も、かいつまんで説明するつもりは無いらしい。
「おぬしの気持ちは最もじゃろうが、我にも役割というものがある」
「えっと……それは、ピノッキモンさんの元になったジュレイモンさんが請け負っていたっていう」
「語り部としての、役割じゃな」
古代十闘士の戦いの『記録』。その、なんか呪われてたらしいジュレイモンが担ってたとか、そういやさっき言ってたな。
『強さ』と『呪い』は、あのダークマスターズのピノッキモンへ。『歳月』と『記録』はこのピノッキモンへ。
んー。カンナ先生っぽく言うなら、ダークマスターズの方は、図鑑説明にもあった厳密な意味での、ハッカーの悪意から生まれた「今までに『前例』の無かった最初のピノッキモンという個体」、こっちの方はある意味「ピノッキモンはジュレイモンのデータを経て生まれるという『前例』を踏まえてジュレイモンから進化した個体」って事に、なるんだろうか。
小説で見たピノッキモンがまるきり子供だったのに対して、今目の前にいる方は見た目こそ少年を模した木のマリオネットだが、中身は同じくあの小説に出てきたピノッキモンの家臣――高石先生のお兄さんを言葉巧みに操ろうとした、老獪なジュレイモンのイメージそのものだ。元になったやつの役目まで律儀に引き継いでいるとなると、もうほとんど同一個体と思ってもいいだろう。
……で、問題は、ジュレイモンにせよピノッキモンにせよ、語り部っていうその役割は、一体、誰に対して古代十闘士の話を聞かせるために在ったのか、だけど……。
まあ、確実に
「おい、そこの。そこのオタマモンのテイマーよ。古代鋼の闘士のせがればかり見ておるが、おぬしにも関係のある話じゃぞ?」
「え? 俺?」
俺に?
「厳密にはおぬしのパートナーに、ではあるが。テイマーである以上関係が無いとは言えんじゃろうて」
「ゲコ……。ゲコが水のスピリットを使っちゃってるからゲコか?」
頷くピノッキモン。
……いや、でも。
「俺達そんな、十闘士とか……確かに俺のミューズはラーナモンにもカルマーラモンにもなれるけど」
「そうじゃな。スピリットとの結びつきは極めて弱い。……じゃが、正式な闘士が鋼しかおらん以上、賑やかしであろうと数に加えておきたいのが現状でな。それにおぬしらの方がまだ、そこの光と闇の器よりは、よほど状態がいい」
「状態?」
光と闇、って事は、ハリちゃんの事だよな?
「ピノッキモン知らないかもだけど、ハリちゃんむっちゃ強いよ?」
「カガ ソーヤさん。私はキョウヤマ博士の元を離れた事が理由で、十全に両スピリットの能力を発揮できない状態にあります。……重ねて、私はキョウヤマ博士に破棄を宣言された身です。光と闇のスピリットの『正義』がキョウヤマ博士に定義付けされている以上、2つのスピリットは、その不安定さを増幅させている可能性が想定されます」
またこの子はよく解らん事を……
「いや、破棄を宣言されたからって、そんな理由で」
「……この娘は、そういう風に造られていますから」
メルキューレモンまで――!
「造られた造られたって――過程は知らねーし、そりゃ、そこのお爺さんのスマホの事とかもあるけど、でも、そんな……確かに、調節されたとか、なんか聞いた気もするけど、でも、実際に頭とか身体とかいじくり回されたとかそんなんじゃ」
「ハリ。カガ ソーヤに貴女の腹部を見せなさい」
「は?」
「了解です、マスター」
「は?? え、ちょ」
不意にこちらを向いて立ち上がったハリちゃんは一気に服の裾を捲り上げて。
俺は、止めようと思ったし、見ないようにしようと思ったのに
なのに。ハリちゃんのお腹が視界に入った瞬間、頭が真っ白になって。
リューカちゃんが息を飲むのが聞こえた。カンナ先生は知っていたのかもしれない。顔をしかめるだけに留めている。スカモンは、実際に見たのだろう。ハリちゃんの着替えを手伝っていたんだから。目の奥はキョウヤマ博士への嫌悪感で溢れている。
ハリちゃんのお腹には、縦横無尽に切り開かれた痕が残っていた。
現代の外科手術なら、技術的にもまず間違いなくこんな傷は付かないし、残らない。
ハリちゃんの身体へのいたわりなどこれっぽっちも無い、ただ、その方がやり易く、そして彼らの言う『調節』を加えた回数が多かったという単純な理由だけで、これらの傷跡は、存在しているに違いなかった。
ああ、つまり、実際に。いじくりまわされていたって訳で。
「ハリ。もう戻して構いません」
「了解です、マスター」
「……露出の可能性が比較的高い個所や頭部には、流石に抑えていますが、それでも痕は、ありますよ」
「……」
「見ますか」
「あ、あたまおかしいんじゃないの?」
「ごもっとも」
吐き気がする。
ハリちゃんが施されたという、傷の治りが早いとかいう調整もあるからだろうか。残っていたのは、本当に、あくまでただの痕跡だったけれど。だけど、悪魔的な痕跡だった。
それに痕跡だけじゃない、単なる『怪我の痕』もかなりの数があって。
この子の声に、可能性を感じて。でも何故だか感情が希薄だから、色々教えてあげようだなんて、行く行くはアイドルにしよう、だなんて。
多分この子が持つデジモンの声は、キョウヤマ博士がやった事の副産物でしかない。
文字通り上辺だけ見て、それを才能だ何だともてはやして。ハリちゃんが何とも思ってないらしいのを良い事に、知ろうともしないで。
その上、偉そうに、ハリちゃんとメルキューレモンの関係はおかしいだとか、でも兄妹はやってみればいいだとか。
ハリちゃんだけじゃない。
一昨日倒れたカンナ先生の事も、
……リューカちゃんの、事にしたって、
俺は――
「……ソーヤ」
「う、うう……」
唇を噛み締める。声を押し殺しても、目尻からはぼたぼたと零れるものがあって、止まりそうも無い。
俺が泣いて、どうすんだって話なのに。
自分でも、どうしてこんなに泣いているのか、解らないのに。
俺から目をそらしたメルキューレモンから、伝わってくる。
本当にそういう風にしてほしいのは、俺じゃなくてハリちゃんの方だって。
……んな事、解ってるっつーの。
お兄さんと対照的に、不思議そうにこっちを見てるハリちゃんが、解って無さ過ぎなんだっつーの!
「……悪い、ピノッキモン。話、遮ったと思う。気にしないで、続けてくれていいから……」
「その前に、一つ言わせて、カジカちゃん」
目頭を押さえて俯くしかできない俺へ、不意に、スカモンがこちらへと身を乗り出した。
「……なんすか」
「カジカちゃんが今どう思ってるかまでは、解んないけどね」
だけどスカモンの意識は、どことなく、俺よりもカンナ先生に向いているように思えた。
「自分に正直なのは、アナタの美点ヨ。……それを、絶対に忘れないでね?」
そして、やっぱり。それは、カンナ先生にこそ、言いたかった言葉なのかもしれない。
「……おう。忘れるもんか」
でも、俺がそれに、頷いた。
「なんたって俺は、天才音楽クリエイター・カジカだからな」
「ゲコ!」
それから、オタマモンがその事を肯定してくれた。
だから、俺に出来るのは、このくらいなんだ。
「ふっ」
「……何アンタ1人だけ嬉しそうな顔してんだい」
「なに。我の記憶という訳では無いが、それでもこの記録がある故な。少しばかり、懐かしくなったんじゃよ。……カジカと言ったか。それから、オタマモン。やはりおぬしらは水の闘士の器として、強くはなくとも、正しい筈じゃ」
俺はオタマモンと顔を見合わせる。
なんかよく解らんが褒められた。そんな場面じゃないだろうに。
……いや、ホントに褒めたのかコレ。何となくだけど、ちょっとだけ呆れが混ざってるような気がしないでもないというか。
懐かしい、って言ったくらいだから、古代水の闘士が何か……
「だからこそ、我は鋼の闘士、おぬしと、水の闘士……候補生とでも言っておくか。水の闘士候補生のおぬしらに、古代十闘士の『記録』を継承しておきたいのじゃよ」
だけど流石にピノッキモンもこれ以上話を引き延ばす予定は無いらしい。
うん、涙が収まってきた分、ちょっとだけ申し訳ない気持ちも出てきたぞ。ここはいい加減、素直に話を聞いておこう。
「ウンノ カンナよ。おぬしの益になるであろう話はもちろんあるとは思うが、100%がそうでは無い。必要な部分はおぬしの方で判断するが良い。おぬしがどう思おうが、我は必要な話をせねばならんのでな」
「アンタら十闘士の関係者にはアタシをフルネーム呼びしなきゃならないみたいなルールでもあるのかい? カンナでいいよ、全く……。解った。さっきも言ったけど興味が無い訳じゃない。この際だ、じっくり聞かせてもらうよ」
カンナ先生も合意したようだ。俺同様、出しゃばるべきじゃないと判断しているのか発言はかなり控えめだけど、リューカちゃんとピコデビモンも元からちゃんと話を聞くつもりだったのだろう。改めて、姿勢をピンと伸ばしていた。いい子や。
っていうか、今といい今朝といい、カンナ先生に乗っかればよかった。なんだかんだ朝もタイミングを逃してそのままだし……
俺の名字じゃなくてソーヤで良いって、いつになったら、俺はリューカちゃんに言えるのだろうか。
まあそれどころじゃ、無いんだけれども。
けど、オタマモンに赤点出されたまんまなわけで……。
「では、始めさせてもらうかのう」
とはいえ、流石に俺も気持ちを切り替える。
全員が、既にピノッキモンへと視線を向けていた。
「かつて、デジタルワールドを救った、十闘士の伝説は――」
……ピノッキモンの話は、今から始まる筈だった。
筈だったのに――館が大きく揺れて、始まる直前に、中断された。
「!?」
咄嗟にオタマモンを抱えるが、地震という訳では無いらしい。
強くは揺れたが、とりあえずは一度きりの揺れだった。
「今のは……?」
と、ピコデビモンが席から飛び立ち、大広間の窓の方へと向かった。
もう夜だからか閉められていたカーテンを素早く横に引き――広がっている光景が、俺達の目に、飛び込んでくる。
「リューカ、これ」
「……!」
カーテンを開けるとそこは、一面の銀世界でした。
「ど、どういう事なの……?」
確かに、俺達がこっちに来て最初に見るつもりでいたデジタルワールドの風景は、森だと思っていた。
でも実際に訪れたのは洋館で。だけどピノッキモンというデジモンがいる以上、この洋館の周りは森でもおかしくないな、とは、思った。そして事実、これは確かに、森の風景ではあって。
だけどそれが吹雪に覆われているだなんて。そんなの、どうやって予想しとけと?
マップじゃ真緑だったじゃんよ?
「チッ」
ここで、ピノッキモンが舌打ちする。
見れば彼は機嫌の悪さを隠そうともせず、ちょっと怖くなるくらい渋い顔をしていて。
「古代鋼の闘士め。どうあっても我が気に入らんようじゃな……!」
「その口ぶりだと、やはりこの吹雪は普段からこの地域を覆っている物では無いのですね? ピノッキモン」
「当たり前じゃろ。嫌いじゃよ、吹雪は。何せ『あれ』は凍らされて死んだようなものじゃ」
……ダークマスターズの方のピノッキモンの事かなぁ。
「そもそも古代氷の闘士は我が前身、古代木の闘士と巨大さという属性が被っておる故な」
そして追加の理由がいやに個人的だなぁ……。
いや、でも、待て。古代氷の闘士ってか。
「まさかとは思うけど、これって」
「氷の闘士の仕業でしょうね。……少々、厄介な事になりました」
メルキューレモンまで、舌打ちしかねない表情を浮かべ始めた。さらに似たり寄ったりな顔をしたカンナ先生も、ずい、とメルキューレモンの方へと身を乗り出す。
「おいメルキューレモン。アンタ、夏休みもらったんじゃなかったのかい?」
「ワタクシはもらいましたが、今回の場合、ワタクシ達が直接の目的という訳では無いのでしょう。……氷の力を用いて現状を冬休みに変更された、という可能性も捨てきれませんが」
「それはどっちにしてもお休みでしョ?」
「それもそうですね。……まあ、氷の闘士にキョウヤマの指示が出ているとすれば、アルボルモン……いえ、ゼペットの回収。あるいは」
「我の消去、といったところかのう」
ため息交じりに肩を竦めるピノッキモン。メルキューレモンは、頷いた。
「単刀直入に聞きましょう。ピノッキモン。アナタはエンシェントワイズモンの、何を知っている?」
「ただの昔話だけじゃ。……最も、『聖なるデジモン』との戦いは、結局のところ『聖なるデジモン』と古代十闘士との相打ちで終わる。ブレーンであった古代鋼の闘士にしてみれば、負け戦も――黒歴史も、同然じゃろうて」
「はん。そいつは俄然興味がわいてきたね」
既に椅子から立ち上がっていたカンナ先生がスマホを構えた瞬間、スカモンが光に包まれ、メタルエテモンへと変わる。
「氷の闘士はアタシらが何とかするから、戻ったら、たっぷり聞かせてもらおうじゃないか。キョウヤマの黒歴史ってやつを、ね……!」
や、やる気満々だ……。
「博士、私達も行きます」
と、ここでまさかのリューカちゃんも、カンナ先生の元へ駆け寄って来て。
ピコデビモンも、いつの間にかヴァンデモンに進化を済ませている。
「僕、寒いのは大丈夫。アンデッドだからね」
「博士が待ってくれていたお蔭で、十分戦える時間です。……必ず、お役に立ちます」
「ああ、頼む」
相変わらず、戦うって決めてるときのリューカちゃんは、とてもキリッとしている。
すごく、カッコいい。
……でも、俺はというと
「ゲコ、ソーヤ……」
「カンナ先生。……俺達は」
「スピリット云々言う前に、タマちゃんは気温変化に弱い両生類型でしョ? むしろこの天候で一緒に来るなんて言ったら、エテちゃんが許さないわヨ?」
「メタルエテモン」
「安心なさぁい? このところ暴れてなかったもの」
メタルエテモンが胸部を見せつけるようにマッスルなポーズを決めると、ぎらり、と銀のボディが輝いた。
「このキング・オブ・デジモンのメタルエテちゃんの強さ、ここで見せつけてあげるわヨ!」
となりに佇むカンナ先生も、どこか自慢げに微笑んでいる。
何も言わないのが、逆に信頼の表れに違いない。
「ハリ」
と、他のデジモン達と同じく鋼の闘士への変身を済ませたメルキューレモンが、スマホを取り出そうとしていたハリちゃんの顔を覗き込んだ。
「はい、マスター」
「ワタクシはカンナ達に同行しますが、貴女はカガ ソーヤとそのパートナーとともに、この館で待機し、彼らとピノッキモンの護衛に当たりなさい。ただし、闇のスピリットの使用は禁止します。あれは現状、貴女が単体で手に負えるものでは無い」
「……了解いたしました、マスター」
俺の前でお腹を見せろ、だなんてちょっとドキリとする指示は一瞬で実行したのに。
ハリちゃんの台詞に一瞬の間があったのが、少しだけ、引っかかる。
メルキューレモンも気づいてはいるんだろうけれど、少なくとも表には、出さなかった。
「では我が役目の前に。おぬしらには、ひと働きしてもらわねばなるまいな」
その時。辺りを雪で覆う、という役割をある程度終えたかのように、不自然に吹雪が弱まった。
そのせいか、吹きすさぶ白銀の向こうが、ほんの一瞬、晴れ間を見せて。
その下で、青く、巨大なペンギンが邪悪な笑みを零したように見えたのは――きっと、気のせいでは無かったに違いない。
「せいぜい、我を守ってくれよ?」
唖然とする俺を割といろんな意味で置き去りにして、リューカちゃん達が、部屋を後にした。
「カガ ソーヤさん」
せめて見守ることくらいはできないだろうかと窓に張り付いていた俺とオタマモンの背中に、ハリちゃんの声がかかる。
振り返った先に居た彼女は、初めて雲野デジモン研究所にやって来た時と同じように、無表情に俺を見つめていて。
「質問をしても、よろしいでしょうか」
だけど口にしたその「質問」は、お兄さんを通さずに出されたもので。
「いいけど……」
「質問の許可を感謝します、カガ ソーヤさん。……先ほどの事です。何故、涙を流されたのですか」
「……わかんないよ」
「自身の感情の発露であるにも関わらず、ですか?」
「そういうものゲコ。だから、ソーヤは歌を作るゲコよ」
「……?」
ますます意味が解らないという風なハリちゃん。
だけど、オタマモンの言葉はいつだって、俺の足りてない部分を補ってくれるし、俺の行き過ぎた部分を訂正してくれる。
欲しいものがどこにも無いから、作ってきた。
誰かに伝えたいものを見つけたから、作り始めた。
それから、きっかけは、無知で、無理解で、見下した姿勢だったけれど――
「ハリちゃんはさ」
「はい」
「お兄さんに言いたいコト、見つかった?」
「……いいえ、まだ整理がついていません」
首を横に振りつつ応える彼女の声は、やっぱり――実に、マジェスティックで。
「もしこれだと思う歌があったら、俺のヤツなんでも使ってくれて良いぜ」
――ハリに歌に関する知識を与えてくださっている件に関してはワタクシそれなりに感謝していますが。
メルキューレモン自身が、言った言葉だ。
あのデジモンがハリちゃんに望むモノを学ばせるための選択肢として、俺のやっている事は、きっと、それなりに意味があると判断してくれているのだろう。
それなら。いや、そういう事にしてでも、俺はこの子に、教えるんだ!
「なんたって、俺は君を、アイドルにするんだからな!」
「アイドル等々は現段階では判断も理解も出来ませんし、マスターへの言葉として適切とされる歌も選別できませんが」
びしりとキメたつもりが全然締まらなかったよ!
オタマモンも、いつも通りのやれやれモードででもそれが非常にマジェスティックなんだよね! 心なしかいつもより優しげな顔してるって事にしたのでことさらマジェスティック!
……なんて、足りないものは自給自足してきた男たる俺が自分で自分を慰めようとしていたら、ハリちゃんの言葉には、続きがあって。
「でも、もしもそれが会話の代用品だとしても、そうでなかったとしても。私が、歌、というものを、マスターに披露した場合」
この時、俺は少しだけ後悔した。自給自足に精を出してる場合じゃなかったんだ。
「マスターは、私の歌を、聞いて下さるでしょうか?」
なんたって俺は、俺をじっと見つめるハリちゃんの瞳に何かが混じったその瞬間を、うっかり、見逃してしまったのだから。
「……その時は、メルキューレモンがきっとハリさんのファン1号ゲコよ」
でも俺のミューズは、俺の代わりにそれを見守っていたのだろう。
彼女の微笑みは、窓の向こうの銀世界を忘れてしまいそうなほどに、温かかった。
……だったら俺は、それで十分だ。
きっとハリちゃんには、そんなお兄さんの姿なんて想像もできないのだろう。自分の言った事さえ信じられないなんて風に、目をぱちくりと、瞬かせていて。
申し訳ないけれど、そんな彼女が可笑しくて、微笑ましくて。俺と俺のミューズは、思わず顔を見合わせて、笑うのだった。
と
「やはり、懐かしくなるのう。おぬしらを見ていると」
振り返ると、テーブルに肘をついて足をぶらぶらさせながら、それこそ子供を見守る年長者の眼で姿だけは一応子供っぽいピノッキモンがこちらを見つめていた。
「もちろん、先にも言った通り、我自身の記憶では無いが……それに、古代木の闘士はほとんど兵器の立場であって、積極的に当時の仲間達と絡んでいたわけでは、無かったが――」
ぽつり、ぽつりと。ピノッキモンが、話し始める。
それは多分、語り部として物語る、デジタルワールドの伝説では無かったのだと思う。
『聖なるデジモン』という脅威に立ち向かった古代十闘士は、確かに、初めての究極体という事もあってべらぼうに強いデジモンだったに違いないのだけれど。
だけど、古代木の闘士が見ていたというその『記憶』は、まるで、冒険に出た子供たちのような――時に騒々しいくらいに賑やかなひとつの『アドベンチャー』で。
気が付けば、俺はその物語に聞き入っていた。
割と些細な事で衝突する、リーダー格だったらしい炎と光の闘士。
喧嘩と言えば風と水の闘士も同じ女性的な人格を持つデジモン同士大概だったらしく。特に水の闘士は良くも悪くも自分に正直で、他のメンバーがフォローに回らされることも少なくなかったとか。……そりゃ、あんな微妙な顔もしたくなるか。
語られる古代十闘士の描写はてんでバラバラで、そしてその中には、キョウヤマ博士――エンシェントワイズモンの話も当然、在って。
古代十闘士達の頭脳を担っているにも関わらず、アクの強いメンバー達はほとんど彼の言う事など聞かず、唯一忠実に指示に従う古代木の闘士には度々愚痴を吐いていただとか、その割にメンバーを自分の意に沿う方向に動かすのも上手かっただとか、……それでも、同志たちの能力を的確に、そして高く評価していて――特に同じウイルス種だったらしい闇の闘士には、ある種の尊敬の念を向けていた、だとか。
……デジタルワールドを護るために戦った姿が、古代木の闘士の目を通して、描かれてしまっていて。
「今現在の奴の非道は、まあ、それなりにではあるが、こちらも把握しておる。……ゼペットは若いころにやらかした数々が多すぎるからのう。自業自得と言えばそこまでじゃが――おぬしに対する仕打ちを始めとした諸々は、その限りでは無い」
ピノッキモンの視線は、ハリちゃんの方へと向いている。
……ピノッキモンの、言う通りだ。
「だが同時に、奴は、……恐らく。自らの私利私欲のみで動いている、という訳では、ないのじゃろう」
そしてピノッキモンの語った古代十闘士の物語は、先にメルキューレモンに言った通り、『聖なるデジモン』との相打ちで終わった。
1体、また1体と欠けて。最後に残った炎と光の闘士が『聖なるデジモン』を打ち破った瞬間に崩れ落ちるように息絶えた事も、死んでもなお、木の闘士は『記録』のために見続けていたのだという。
どんな形であれ、最終的にただ1人生き残ってしまったエンシェントワイズモンもまた、その事実を突き付けられたに違いなくて。
「……この話を、あのカンナという学者やエンシェントワイズモンの後継機にするつもりは、無い。光と闇の器の娘よ、おぬしも伏せておけよ? アレにこの話まで押し付けるのは、何が何でも、酷過ぎる。……奴はただ、デジタルワールドの守護に励めば良い」
「了解しました。マスターの命令が無い限り、自発的に報告する事はいたしません」
「ん。まあ、とりあえずはそれで良い」
「ピノッキモン。じゃあ、なんでゲコ達にそのお話をしたゲコか?」
俺のミューズの疑問は最もだった。
今言ったように、ハリちゃんは間違いなく、お兄さんの指示があれば今の話をしてしまうだろうし、俺にしたって、カンナ先生、もしくはスカモンと話している内に、うっかり口を滑らしてしまうかもしれない。
ピノッキモンはただ力なく、首を横に振って軽く笑った。
「古代水の闘士、エンシェントマーメイモンの系譜であるおぬしとそのパートナーは、恐らく、使命や正義に縛られず、自らの判断で守るべきものを見つけさせた方が――そうじゃな、きっと、その方が『強い』と、思ったんじゃよ」
「『強い』」
ただ、一か所に留まっているだけよりも、何処かに向かって流れ続ける『水』の方が、『強い』。そういう、事だろうか?
……。
「ま、確かに。俺とオタマモンに正義だの使命だの、似合わないのは、確かだな」
「こればっかりはソーヤの言う通りゲコ。ソーヤにそういう真面目なのは向いてないのはもう、ばっちり知ってるゲコけど……ソーヤのパートナーのゲコだって、そういうのは、きっと、全然ダメに違いないゲコから」
んー。今微妙にディスられた気もするんだが、気にするのは野暮ってもんか?
俺だって真面目な時くらいあるよ? ホントホント。
……そうだ。真面目かはともかく、少なくとも真剣に、決めた事だって、もう、あるんだ。
「守りたいものは、もう、決めてあるさ」
それにしたって、今朝決めたばかりだけど――
「そうか。なら、それで良い」
――何も無いよりは、ずっといい。
「ゲコ。でもまあ、まずは名前で呼んでもらってからゲコ」
ただし道のりは遠そうだなぁ……。
「よう解らんが、おぬしらは一応、心配いらんじゃろうて。……光と闇の器の娘よ」
「はい」
続けて、ピノッキモンがハリちゃんへと視線を向けた。
「おぬしはあくまで器。光と闇、コインの裏表として永遠に交わる事の無いそれを、無理やり2つ並べて、おぬしの中に置いているに過ぎない。……いつか、どちらかを選ばねばならぬ時が来る」
「光と闇の、どちらかを。……しかしそれでは、マスターが戦力として望む私には、もう戻れない、という事では?」
「両方にそっぽを向かれとる現状で何を偉そうに」
言い方がひでえ。
「我ら古代十闘士の力を継ぐスピリットを、あまり軽んじるでない。2つ揃えれば強いというものではないぞ? 光と闇の闘士は、水の闘士とはまるで正反対じゃ。そのどちらも、使命と正義に、縛られる」
でも、それも含めて、ピノッキモンは実質の『後輩』を案じているのかもしれない。
「故にこそ、何を使命とするか。何を持って、正義とするか。時間などいくらでもかければ良い。だが必ず、自らで決めよ。光と闇のスピリットは、加えて、あの鋼の闘士は、それを――」
真剣なまなざしでハリちゃんに向き合うピノッキモンが、彼なりのアドバイスを言い切る、その直前――
ガラスの割れる、音がした。
「ゲコォ!?」
次の瞬間部屋いっぱいに広がった氷点下の空気と雪の白煙にまず反応したのは、気温変化に弱い俺のパートナー・オタマモンで。
「さっぶ!」
一拍遅れてから、俺も俺のミューズ同様、肘を抱えて震えあがる。
いかんせん、初夏に備えたやや薄着である。館そのものに断熱効果でもあるのかずっと気にもしていなかったが、外は想像以上にえらい事になっていたようだ。
だけど、確かに寒さは強烈だったけど、それ以上に、俺達の目を引いたのはガラスを割った存在で――
――床に、俺の身の丈をゆうに超えるサイズの赤いアイスキャンディーが突き刺さっていた。
「な、なにコレ」
「『イチゴデス』!!」
「!?」
喋った。
赤いアイスが、青年みたいな声で喋った。
……喋った!?
「いっひっひ……なんちゃって!」
呆気にとられる俺達の前で、突如、丸みを帯びた瞳がアイスの中央に浮かび上がる。
そのままアイスは一気に縮小し、ピノッキモンよりもさらに小柄で幼さを感じさせる、ユキダルモンに子供がいてランチャーを抱えてたららきっとこんな姿、みたいな感じのデジモンになってしまった。
「やあやあ! 我こそはポーラー軍極地区防衛部隊軍曹・チャックモンだぞ! ……ん~。んんん~。な~んでこれ、いっつも言いたくなっちゃうんだろう? ポーラー軍ってなに? 極地区ってどこ?? あれあれ、全ては機密事項??? 気になる、気になる、気になるなぁ~」
……だけど、大声でひとりごちるその仕草は、子供のそれじゃない。
それからデジモンに見えるけれど、あの気味の悪い感覚が、纏わりついている。
デジモンだけど、デジモンじゃない。嫌でも漂う、人間らしさ!
胸元に、巨大な勲章のように飾り付けられた『氷』の一文字が、全てを物語っている。
「氷の闘士……!?」
俺の呟きに、氷の闘士・チャックモンが、にやりと笑った。
まーー待って? リューカちゃん達は!?
「おやおや? 随分と心配そうな顔の子が1人! 大丈夫大丈夫、安心安心。むしろ勝てそうにないから逃げてきちゃったのがボクなんだよね! ウンノ博士もヴァンデモンもキョウヤマ先生のご子息も、勝手に手出ししたら怒られちゃうし? それは怖い! つってもちょっかいはかけたけどね! お蔭でビーストスピリットの方は取られちゃった、あっはっはっは!」
何が可笑しいのかさっぱりわからないけれど、チャックモンは腹を抱えて大笑いしている。
その笑いは間違いなく、この現状を楽しんでいるに違いないもので。
「お……オタマモン、こっちへ」
「ゲ、ゲコ!」
寒さか、恐怖か。震えるオタマモンをスマホへと戻す。と、チャックモンが大きく目を見開いた。
「わぁ!? 戻しちゃったの!? 困る困る! ボクはその子も欲しいのに!」
今度は俺の目が見開かれる番だった。
一週間前が、蘇る。
俺の隣で身構えているハリちゃんが、俺のミューズを前に言った言葉が、蘇る。
「貴重なサンプル」――あの時ハリちゃんは、俺のオタマモンをそう呼んだ。
「水のスピリットを纏うようになった、普通のデジモン!」
びしり、とチャックモンが俺のスマホを指さした。
やがてその指は、今度はハリちゃんへと向けられる。
「キョウヤマ先生渾身の作品! 光と闇の器ちゃん!」
続けて指が向けられたのは、俺達の背後に佇む、ピノッキモンで。
「古代木の闘士の後継機!」
俺たち全員をぐるりと眺めて、チャックモンは思い切り口角を吊り上げながら、きらきらと目を輝かせている。
「すごいすごいすごいぞおぉっ!? こんっなに! 面白い研究材料が、たっくさん! 夢みたい!」
ランチャーは持ったままだったが、手の平を天井へと向け、全身で喜びを表現するチャックモン。
記憶の端っこから、数年前のニュースが掘り起こされる。
特徴的な声だと思った。年齢の割に、声変わりを迎えた直後の青年みたいな声だ、と。
そしてそれ以上に、その人物の起こした騒動の胸糞悪さが、それに対して何の非も感じていないと見て解るテンションの高さが、食い込むように心に残った。
それでも今になってようやく思い出した辺り、風化自体は、していたに違いない。
「馬門志年……あんた、マッドサイエンティストのマカド ユキトシだろ!?」
数年前、違法なデジモンの改造実験を自分のパートナーに何度も施して最終的に殺してしまった学者がワイドショーを通じて世間を騒然とさせた。
目の前の、チャックモンを名乗る氷の闘士は、その男と同じ声をしていて。
ぽかん、と、チャックモンは目を点にして「マカド……マカド……」と何度か繰り返す。
そして
「マカド! そういえばボクの名前はそんなんだった! 今はカドマだから忘れてたよ! 君、よく覚えてたね!」
何の恥じらいも無く、こちらの指摘を肯定した。
「――っ!」
メルキューレモンから、キョウヤマ博士の所にいるスピリットの使い手がヤバい人間だとは聞いている。
だけど俺はセラという女性の事は知らないし、モリツという男に至っては(鼻が折れた状態とはいえ)顔を見たけれど、これっぽっちもピンと来なくて。
だけど、マカド――今はカドマとかいう何のひねりも無い偽名の男は違う。
何をしでかした人間か、俺だけじゃなく、ほとんどの人が知っている。
だからこそ、敵の十闘士の『中身』がどれだけヤバい人選なのかをここでようやく痛感して、歯が鳴りそうなほどの寒さなのに、ぶわ、と額に汗が噴き出した。
「マカド ユキトシ……成程、我にも聞き覚えがある」
低い声に、振り返る。
ピノッキモンは、楽しくて仕方が無さそうなマカドとは対照的に、不愉快さを隠そうともせずに彼を眺めていた。
「貴様を見て、少しは見当がついた。何故、貴様らに古代十闘士の力――スピリットが、適合するのかを」
「! 何々!? 知りたい知りたい、聞かせて!?」
食いつくマカド。ピノッキモンは、フンと鼻を鳴らす。
「氷の闘士は、幼さの性質を持っておった。それこそ、雪に跳ね回る子供のような、な」
「うんうん!」
「貴様のその好奇心は、幼子が何にでも興味を抱く様によく似ている」
「ふむふむ!」
「加えて。それでいて、貴様は持ちえる能力で、冷静に、冷徹に、冷淡に知的好奇心を満たす研究者。……いわば氷の心の持ち主、という事になる」
「ほうほう! なるほど! だからこそ氷はボクに相応しかったのか!」
「図に乗るな痴れ者め!」
不意にピノッキモンが、怒鳴った。
あまりの剣幕に、俺はもちろんの事、あれだけ騒いでいたマカドまで動きを止める。
「氷の闘士の――古代氷の闘士の幼さは! 冬の後に春が来る当たり前を! 冬の化身でありながら無邪気に喜ぶことができる幼さじゃ! 純粋な『氷』としての別側面が貴様を認めたとはいえな……それを貴様の汚らわしい幼稚さと一緒にするな、恥を知れ!!」
古代氷の闘士の事は、嫌いみたいな事を言っていた。
言っていたけれど、そういえば
ピノッキモンは、嘘が得意な、デジモンだ。
「なになに? そんなに怒る事?」
だが、マカドはピノッキモンの怒りの意図を読み取らない。善悪の区別がつかない子供のように。
ピノッキモンは、そういうデジモンの事も、きっと、よく知っているに違いなかった。
「ん~。んんん~。……まあいっか! むしろ丁度いいや! お喋りがてら、ボクもキミに言わなきゃいけないし!」
キョウヤマ先生から伝言!
マカドが、叫んだ。
「「古代木の闘士を継ぐ者よ。懐かしき我が同胞の子。ワシと一緒に、古代十闘士の悲願を果たそうぜ」ってさ」
「帰って伝えよ」
ピノッキモンが、吐き捨てる。
「貴様に言ったものと同じじゃ。「恥を知れ」とな。……古代十闘士の悲願は、遥か昔に果たされている。と」
「自分で言ってよ。連れていくから」
空気が、変わった。
ただでさえ底冷えしていたこの寒さが、肌を粟立たせる程の怖気へと変わった。
「……それは」
だけどハリちゃんは、それに動じる事すら、知らない。
ずい、と、チャックモンの前へと踏み出した。
「ピノッキモンに危害を加える事への宣言と判断してもよろしいでしょうか」
「いいよ!」
にい、と、マカドが笑う。
「ピノッキモンはキョウヤマ先生にお届けする! その後色々調べるんだ! で、順番を待ってる間はキミと今はスマホの中にいる水の闘士のオタマモンの事! キョウヤマ先生、良いって言ってくれたんだ。キミの事、好きに調べていいって!!」
「……っ、ハリちゃん!」
「好きに調べて」の意味を想像して、思わず吐きそうになりながら彼女の名前を呼ぶ。
だけどハリちゃんは俺を制して、静かにスマホを胸元で構えた。
「氷の闘士の敵対意思を確認。ピノッキモンの護衛任務遂行のため、交戦を開始します」
スマホの画面に、『光』の字が浮かぶ。あの時と、同じ文字だ。
オタマモンをさらおうとした、あの時と。
「スピリットエヴォリューション・ユミル!」
だけど、違う。
あの時と、違う。
「ダメゲコ! ハリさん!」
オタマモンが叫ぶが、俺達が気付いた時には、もう遅かった。
進化の光が、あまりにも弱々しい事に気付いた時には。
「光のとう、し……」
進化した姿の宣言が、形を成さずに、霧散する。
そこにいたのは、あの逞しい光の闘士の姿じゃなかった。
狼男の子供のような、普段のハリちゃんと全く身長の変わらない小柄なデジモンが、何故、この姿になったのか理解できない様子で呆然と立ち尽くしていて。
だけど、マカドはそんな事お構いなしだった。
「えいっ!」
「!」
ハリちゃんの姿が変わった瞬間に飛び出して来たマカド――チャックモンに、その氷の闘士よりは背の高い筈のハリちゃんは、驚くほどにあっけなく、押し倒されてしまって。
「『ツララララ~』!」
起き上がろうともがくハリちゃんを苦にもせず彼女の上に跨ったチャックモンの、武器らしいランチャーを持っていない方の手が、技名と同時に、鋭い氷柱に変化する。
「ようし、ラボでやる前に、先に確認しておこう!」
にい、と。彼は無邪気に微笑んだ。
「痛いのは、どのくらいまで我慢できるかな?」
氷柱が、ハリちゃんへと振り下ろされた。
「ハリちゃん!」
叫んだって、もう遅い。
俺は、さっき戦うって、守るって、決めたばっかりだったのに。どうして、オタマモンをスマホに戻してしまったんだろう。
ハリちゃんなら大丈夫だと思った。
俺達よりもずっと強いんだって、そんな風に――
「『フライングクロスカッター』!」
振り下ろされた氷柱の腕とハリちゃんを隔てるようにして、十字に組み合わされた板が――ピノッキモンが背中に背負っていたマリオネットを操るためのパーツが床へと、突き刺さった。
「……阿呆が。我とて究極体よ。何を悠長な事をぬかしよるか」
「もう! いいところだったのに! ……でもまあいいや。今回はほとんど1対1だもんね!」
ハリちゃんから飛び退いたチャックモンが、今度はランチャーをピノッキモンへと向ける。
……俺の事なんて、こっちの戦力とは考えてもいない。
「『スノーボンバー』!」
連射された雪玉によって巻き上がる白い氷の煙がピノッキモンを覆い隠し――しかし次の瞬間。
「『ブリットハンマー』!」
一瞬にして、晴れた。
晴れて、代わりに、爆炎が開いた窓から、吹き出した。
「!」
同時にミシ、と、ピノッキモンがどこからともなく取り出して来た火薬のハンマーが叩きつけられた床が、嫌な音とともに、崩れ始める。
「わああっ!?」
真っ先に落ちていくチャックモンと、それを追うピノッキモン。
どうにか部屋の端にまで下がって事なきを得た俺の隣に、シュタっと降り立つ、小さな影。
「……カガ ソーヤさん」
すっかり姿が変わってしまっているけれど、間違いなく、ハリちゃんだ。
「は、ハリちゃん。け、怪我は……」
「ピノッキモンのお蔭で、損傷は免れました。ただ……」
ハリちゃんは自分の手の平を見下ろした。
いかにも戦士らしい、光のヒューマンスピリットの闘士とは全く違う。小さな獣にしか見えない、爪ばかりが鋭い彼女の姿は――弱々しいを通り越して、痛々しい。
「私はまた、マスターのお役に、立てなくなってしまったのですね」
ただ、事実を確認するように、ハリちゃんは呟いた。
下では、けたたましい戦闘の音が鳴り響いている筈なのに。ここは、酷く静かで。
「ハリさん……」
流石の俺のミューズも、言葉が出てこないらしい。
……嗚呼。
だったら。
「兄妹ってのは、役に立つ立たないで成り立つもんじゃないぜ」
俺が言うしか、無いじゃないか。
「カガ ソーヤさん……」
「カンナ先生も俺達に呼び方変えさせたワケだし……俺も君には、カジカPって呼んでもらおうかな!」
「カジカ……P?」
「おう! ……ハリちゃん。俺は、戦いになったらこの中で一番の役立たずだよ。実際に俺の代わりに前に出てくれるのは俺のミューズだし、俺は彼女を強くは、育てられなかったし……もちろん、オタマモンにあれこれ指示を出せる程の戦闘知識も経験も、無い」
でもな、と無理くりに付け加える。
今は歯がゆくて歯がゆくて仕方がないけれど。でも、俺は、確かに――
「俺はその事を辛いとか悲しいとか、そういう風には、やっぱり思えないや」
さっきので、理解した。
水のスピリットには水のスピリットなりの使命があるし、それ以前にデジモンは戦闘種族かもしれないけれど。だけど俺は、俺のミューズを戦わせたいとはやっぱり思わない。
それを悪い事だとは、思えない。
「カジカ……P、私は……」
「大丈夫! ハリちゃんの魅力が光と闇のスピリットだけじゃないって事は、多分、君のお兄さんももう知ってるから」
「!」
「それを確認するためにも――」
そして俺は、こんな状況でも絶対に戦いには出したくないと願う、俺自身のパートナーへと、目を向けた。
「――ゲコモン、行けるか?」
向けて。水の闘士でも何でもない、だけどオタマモンじゃなくて、彼女の進化先である俺のアイドルへと声をかける。
「……ゲコ!」
返事と共に、スマホが光り輝いた。
「オタマモン、進化――ゲコモン!」
スマホの中で進化が繰り広げられる傍ら、俺はピノッキモンのハンマーが空けた穴へと駆け寄って、ピノッキモンとチャックモンの戦闘の様子を見下ろした。
ピノッキモンが弱い訳では無いけれど、加えて、チャックモンが強いという訳でもないみたいだけれど――素早くて、しかも攻撃を受けても受けても雪の塊らしく修復するチャックモンに、ピノッキモンは有効打を用意できずにいるらしい。
だったらなおの事、『水』っていう、間違えるとチャックモンの力を増幅してしまいかねないスピリットの力よりも。
俺は、俺自身の才能が形になった、俺のアイドルを信じよう。
「頼む、ゲコモン!」
俺の隣に並び立つように、ゲコモンがリアライズする。
「聞かせてやろうぜ、俺達の『音楽』を!」
「ゲコ!」
ゲコモンの3つの管で構成された舌が伸びる。
1階と2階で距離はあるが、気にする程のモノじゃあない。
というか、十分だ!
「『クラッシュシンフォニー』!」
空気が、揺れた。
「っ!?」
途端、チャックモンの動きが鈍くなる。
それもその筈。ゲコモンの必殺技『クラッシュシンフォニー』は、超高周波振動による内部破壊攻撃だ。
確かに雪の身体は強固ではなくとも補填は簡単で、それだけにこっちを苦しめている訳だけど。
それでも中身は、人間だ。
「う、ぐうう……!」
チャックモンという『鎧』に、ノイズが混ざり始める。纏っている側であるマカドが自分自身というデータを維持しきれなくなっている証拠だ。
「や、やるね……水のスピリットの所有者さん……っ!」
だけど、ただ黙ってやられてくれる訳も無い。
チャックモンが、跳んだ。
ランチャーは、こちらに向けられている。
「『スノーボンバー』!」
俺は、ゲコモンとハリちゃんの、前に出た。
両手を広げて、俺のアイドルとアイドルの卵を庇う。
怖かった。デジモンと真正面から、対峙するのは。
でも同じくらい、心の中で、安堵している自分も居て。
結局のところ、自己満足で、偽善的な証拠だけど――俺は、自分がこういう事が出来る人間だって。そんな風に、思えたから。
それに、
俺の耳には、もう、届いていた。
「『ナイトレイド』!」
雪玉が俺にぶち当たるよりも速く、破れた床にコウモリが敷き詰められる。
「なっ」
「カガさん!」
あの日と、同じだった。
俺達の前に飛び出したヴァンデモンの背中と、緊迫した表情で振り返るリューカちゃん。
彼女達の到着を、自分の目で確認した瞬間。……我ながら情けないくらい見事に、腰が抜けた。
「か、カガさん!」
「だ、大丈夫……」
今更になって、足が震えてきた。
お、俺――よく頑張ったね!?
「あー、もう……肝心なとこでかっこ悪いゲコねえソーヤは」
『クラッシュシンフォニー』を止め、肩を竦めて首を横に振るゲコモン。肝心なところ、というのは、まあ、その、リューカちゃんの前で、って事なんだろうけど……いいじゃんかよ、そこは。
俺がかっこ悪いのを打ち消しちゃうくらい、彼女たちは、マジェスティックなんだから。
下じゃ、チャックモン包囲網が完成しているらしい。
だったら、俺の出番は、もう終わりで
「カジカ!」
最後の最後で油断した俺の耳に飛び込んできたのは、叱責するような老人の声で。
同時に、目の方に飛び込んできたのは――
――俺を、俺達を背に、氷柱に胸部を貫かれたピノッキモンの姿だった。