Episode タジマ リューカ ‐ 2
雲野デジモン研究所も、随分と賑やかになった。
カンナ博士の敵対者――キョウヤマ博士の娘らしい京山玻璃さんとの戦いから約1週間。 パートナーのオタマモンさんが相変わらず身の危険にさらされているかもしれないカジカさんこと鹿賀颯也さん。件のハリさんとそのお兄さん(?)の京山幸樹さんは、私と同じように、この雲野デジモン研究所で暮らし始めた。 研究施設とはいえ2人と2体で暮らすには広い家だなとは思っていたけれど、こうやって人とデジモンが集まってみると、なんだかそう思っていたのすら嘘みたいで、その狭さがちょっとだけ、嬉しい。
……私は、今のこの状況を、知りもしないのに家族みたいだと、そう、例えてもいいのだろうか。
帰る場所だと言っても……カンナ博士とスカモンさんは、困らないで、いてくれるだろうか。
「リューカ~、朝だよお~」
「ん……」
寝起きの頭が浮かべていた取り留めも無い考えが、若干力ないピコデビモンの声で霧散していく。
「……ピコデビモン」
起床時間である事を一応確認してから身を起こし、私は枕元で舟を漕いでいるピコデビモンへと自分のスマホを差し出した。
「おやすみ、お疲れさま」
「うん……おやすみリューカ……」
そう言って、ピコデビモンはスマホへと吸い込まれるように消えていった。
私の1日はピコデビモンからのおやすみで終わって、ピコデビモンへのおやすみで始まる。
睡眠時間は人間よりも短いのか昼間はある程度起きているけれど、最近は夜間の見張りに神経を使っているためか、寝ぼけ眼な事も多い。
体調を崩さないか、少しだけ、心配。
「んん……」
とはいえ私もカンナ博士の手伝いがあるので、伸びをしてからベッドを下りる。
確か今日はこれと言って予定も無いので、研究に没頭するカンナ博士がオーバーヒートを起こさないよう気を付けるくらいしか注意すべき点は無い、と、思う。
着替えを済ませ、洗面所に寄って身だしなみを整え、リビングで自分の朝食を取ってからカンナ博士とスカモンさんの分をお盆に載せてから博士の研究室に向かう。
起きる時間はそれぞれバラバラなのだけれど、リビングに誰もいないというのは珍しかった。もしかしたら、カガさんも作曲に打ち込み過ぎてダウンしているのかもしれない。
後で飲み物だけでも持って様子を見に行こう。なんて考えている内に研究室の前に到着。
ノックをしてから
「失礼します」
と扉を開ける。
……開けた先では、コウキさんが死んでいた。
「え、ええええ……」
新しいパターンだ。
「おはようリューカちゃん」
「あ、博士。今日はお早いですね」
「ん。資料が早く纏まってね、久々に早く寝たらそこそこ早くに目が醒めてさ」
「どっちも早くないわヨ、多分普通の時間帯ヨ」
「だぁーうっさい! アタシにしたら早いだろうよ!」
ただ、確かにカンナ博士にしてはきちんと眠ってちゃんと起きた状態なのだろう。いつもより、声に張りがある。
と、
「おはようございます、タジマ リューカさん」
「あ、ハリさん。おはようございます」
気配が無いせいで全く気付かなかったが、部屋の隅にハリさんが佇んでいた。
既に三角巾は取れて、ギプスも簡易的なものになっている。傷の治りが早いというのは、本当らしい。
……本来なら、病院に連れていくべきだったのかもしれないけれど、それに関しては、コウキさんが止めていた。
キョウヤマ博士――エンシェントワイズモンが手を加えたというハリさんの身体は、出来得る限り、一般の目にさらすべきではないと。
診せた相手の解釈によってはカンナ博士の社会的立場が危うくなるし、万が一悪用されれば、取り返しのつかない事になると。
「……あ、そうだ、コウキさん」
ここで、壁際に横たわる存在の事が、ようやく脳裏に舞い戻ってきた。
メルキューレモンさんが「こちらの姿の方が燃費がいい」とかで変身している姿――ハリさんのお兄さんである、キョウヤマ コウキさん。
見ればコウキさんは、あれ以降も微動だにしていなくて。
「あの、ハリさん」
「なんでしょう」
「ハリさんのお兄さん……どうしたんですか?」
「あー、そいつはアタシが説明するよ」
スカモンさんとの毎朝恒例の口論を済ませたらしいカンナ博士が、面倒くさそうに髪を掻きながらコウキさんを見下ろした。
「いやね? コイツとハリちゃんがリューカちゃんの来るちょっと前にね? 「ハリに着せる服は何か無いか」って聞いてきてさ」
そういえば、ハリさんが日中スーツ以外の服を着ているところはまだ見たことが無い。
毎日洗濯はしているようなので、同じものを数着持っていて、着回しているのだろう。
ただ、10代前半の少女であるハリさんに似合っているかと言うと……
「私は、現在の装束で一向に構わないのですが」
「ダメダメ! 可愛い恰好なんて若い内だけなのヨ!? ほら、うちのカンナを御覧なさい。白衣がある程度誤魔化してくれてるけれど、スーツだけに頼ってちゃ最終的にこんなところに行きついちゃうんだからね?」
「悪かったね、アラサーの上に白衣頼みの恰好で!」
眉を吊り上げるカンナ博士。……まあ、確かにカンナ博士のピンク色の長い髪はいつもぼさぼさで、白衣の下は洗濯に気を使っていない事が丸わかりのヨレが目立つ服装になっているけれども……。
反応に困る私に気付いてか、カンナ博士はこほん、と咳払いをしてから続けた。
「……まあ、アタシ自身自分の恰好には興味が無いから……最近写真を取り込むと色んな服装を試せるアプリが出たらしいから、とりあえずそれで試着でもしながら後で買うなりすれば? つったの」
「えっと、確か、有名な和服ブランドが色んな会社と協力して配信を始めたっていう、アレですか?」
「そうそれ。で、しばらくしたらコイツがハリちゃんのコーデ考えて見せてくれたんだけど……」
「「センスが父親と似たり寄ったりだね」って言ったのヨ、カンナ」
「そしたらこうなって」
「……」
これまでに何度かキョウヤマ博士の外見について聞いた際、必ずと言って『派手』という言葉が入っていたような気がする。
つまりコウキさんの提案したコーデも、そういう事だったのだろう。
そしてコウキさんは、父親(?)を嫌っている……。
「だい……じょうぶなんですか?」
「マスターはこの体勢のまま「気にしないでください。そしてもう忘れてください」と仰っていたので、私はその命令に従うまでです」
気にしてあげて、とは言い難いけれど、とりあえず大ダメージには違いなかった
と、その時。
「おは……うわ、何、どうしたの」
「あ、おはようございます、カガさん」
まだ寝間着姿のカガさんが、研究室の扉から顔を覗かせていた。
「リューカさん、おはようゲコ。コウキさん一体どうしたのゲコか?」
「私も今聞いたばかりなんですけど……」
軽く概要を説明。
……大丈夫だろうか。話す度に、コウキさんの傷口をえぐってはいないだろうか。
心配になる私の傍ら、不気味な静止と静寂を保つコウキさんを尻目に、カガさんは自分のスマホを取り出した。
「まあハリちゃんのお兄さんがどんなコーデしたのかは知らないけど、俺もチャレンジしてみていい? アプリは入れてあるし」
「構いません。元々マスターはウンノ カンナ氏の助言を参考にするつもりでしたので、対象がカガ ソーヤさんに変更となっても問題は無いかと」
「無いのかしらね……」
「有るんじゃないゲコか……?」
「ソーヤさんは、いつもオシャレだと思いますけど……」
「でも男の子と女の子じゃオシャレの基準がまた違うゲコ。それにハリさんは――」
「よし、簡単だけど、こんなもんかな?」
ソーヤさんはハリさんの写真を撮ると、あっという間に服を選んだようだ。
私やスカモンさんも、ハリさんの背後から写真を覗き込む。
画面の中のハリさんは、フリルがたくさんついているにも関わらず動きやすそうな印象を受ける、ところどころにチェックのポイントが入ったワンピースを着て、カチューシャを付けていた。
「あら、なかなかどうして、可愛いじゃない」
「愛らしさに関しては私の中に基準となるものが存在しないため判断しかねますが、機能性は良さそうです。戦闘に移行する際も、邪魔にはならないかと」
「へっへーん。そうだろそうだろ」
そう言うと、カガさんはいつものようにハリさんの左手を掴んだ。
「君にはこの衣装を着て、俺の歌を歌ってほしい」
「やっぱりそうなるゲコか。って、あ」
「ん? どうしたオタマモんぐぇっ」
いつ、起き上がったのだろう。
一瞬でカガさんの背後に迫ったコウキさんが、片腕を使ってカガさんを締め上げた。
……えっと、なんだっけ、これ。見たことはあるのだけれど。
「スリーパーホールドだね」
と、私の疑問を察したかのように、やり取りを傍観していたカンナ博士がぽつりと呟く。
「スリーパーホールド?」
「そ。ちなみにカジカPが一昨日辺りにくらってたのがチョークスリーパー。そっちが窒息技なのに対して、このスリーパーホールドは頸動脈を絞めて脳に「高血圧状態になってるから血を止めないと」と誤解させて、相手を急速な低血圧にさせる技だよ」
「博士、お詳しいんですね」
「まあ、色々あってね」
カンナ博士は、遠いところを見ていた。
「っていうか! 助けてもらってもいいっすかね!?」
「安心しなさいカガ ソーヤ。この技はくらい続ければその内落ちますが、すぐにはそうならないようある程度加減してあります。貴方が反省の色を見せる頃には、そうですね。開放する予定も無いでもないです。ええ」
「お兄さんそれ手加減やない、相手を長く苦しませる手段や」
「誰がお兄さんだ!」
「にえああああああセンスが父親似のくせにいいいいい」
「あ、フリーズしたゲコ」
「この体勢のままぁ!?」
結局、エテモンに進化したスカモンさんの手によって、カガさんは動かなくなったコウキさんから解放された。
「うええ……なんか綺麗な川が見えそう……」
「カガ ソーヤさん。低血圧の方は寝起きに一杯水を飲むと良いそうです」
「急性的な低血圧にも効くのかなぁ、それ……」
若干左右に揺れながら腰を下ろしたカガさん。その隣で、エテモンさんがぽん、と自分の胸を叩いた。
「まあカジカちゃんのお蔭でエテちゃんもインスピレーションが湧いたわ! ハリちゃん、一緒に来て頂戴。素敵なコーデを生で披露してあげるわヨ!」
「わかりました、同行します」
「というワケだからカンナ、何着か借りるわヨ」
「ん」
ひらひらと手を振ってエテモンさんを見送るカンナ博士。
数分後、2人が再び研究室に戻ってきた。
「おっまたせぇ! んどぉっ!? エテちゃん、なかなかセンスあるでしョ?」
エテモンさんの指示通り着替えたらしいハリさんは、大きめのシャツを襟がかなり背中側になるように着て、オーバーオールを履いている。頭にはボタニカル柄のバンダナを巻いていて、全体的に、まるで雑誌の特集に出てくる可愛いモデルさんのようだ。
「お、いいじゃん! こういう方向性もアリだな」
「少しサイズが大きいのが気にはなりますが、機動力に問題を与える程では無さそうです」
「でしょでしょ!? まさかこんな感じでお披露目する事になるとは思わなかったけど、やっぱりエテちゃんの目に狂いは――」
その時、何事も無かったかのように動き出したコウキさんが、スッとハリさんの前に立つと、服の襟を正常な位置に戻した。
「な――なにしてくれてんのヨ!」
「シャツの着こなしに問題があったので、訂正を」
「知らないのぉ!? 今これ流行ってるのヨ!?」
「流行り云々に関してはワタクシの知識不足を認めざるを得ませんが、それにしたってその服にはその服の正しい着方という物があるのですよ。そもそもハリの肌を必要以上に露出させるのはワタクシ、許容できません」
「キイーッ! この堅物! デジモンに戻ったらパリコレのその先みたいな見た目してるくせに!」
「お黙りなさい謎のサルスーツ。アナタにだけは見た目云々の話をされたくありません」
流石に戦闘には発展しないが、それでもそこそこの舌戦が繰り広げられている。
……途中で口を挟んだカガさんが、またひどい目に遭ったりはしているが。
「……というか、博士。ああいう服も持ってるんですね」
「スカちゃんが勝手に注文しちまうのさ」
と、そっけなくカンナ博士。とはいえ出費に関してはあまり気にしていない風に見える。
いいのかなぁ。
それと、ますますヒートアップするコウキさんとエテモンさんの口論をそろそろどうにかした方がいいのでは? と、カンナ博士に何とかしてもらおうと声をかけようとした、その時。
私のスマホが震えた。
「……あ」
急いで取り出すと、ドット姿のピコデビモンがいて。
「ごめんピコデビモン。起こしちゃったね」
「ううん、大丈夫。……それよりもリューカ」
「?」
「とりあえず、ハリさんには普通にTシャツとズボン着せてあげたら?」
コウキさんとエテモンさんが、ぴたりと動きを止めた。
*
それから1時間ほど経っただろうか。
ピコデビモンの助言を受け入れて私の持っている服の中から適当な長袖のTシャツとズボンを身に着けたハリさんと並んで、私は雲野デジモン研究所の外に立っていた。
理由は簡単で、もう何でもいいのでハリさんの服を見繕おうという話になって、なら、比較的年齢が近くて同性の私が行くのがいいんじゃないかという事になって、最終的に
「せっかくだから、2人で遊んできな」
とカンナ博士が私達2人にお小遣いをくれて、こうなったのだ。
なってしまった。
……どうしよう。
「どういたしましょう。タジマ リューカさん」
「……とりあえず、近所のブティックでも行ってみますか?」
ハリさんが頷いたのを確認してから、私達は歩き始める。
背はそんなに高い方ではないのだけれど、ハリさんはそんな私よりも小柄で、しかし身体つきには猫のようなしなやかさがある。
……いいのだろうか、私みたいなのがこんな風にスタイルの良いハリさんと並んで歩いてしまって……
しかもお互い自分から話しかける様なタイプではないので、その、開始早々だけれど、無言が辛い……
「えっと……」
言いかけて、何も出ない。
しかし私の声に反応してか、ハリさんが首をこちらに向ける。
「どうかしましたか、タジマ リューカさん」
「え、あ……あ、そうだ」
ここでようやく、会話になりそうな事を思いつく。
……とはいっても、ただの提案でしかないのだけれど。
「その……フルネームで呼ばれるの……なんだか、慣れなくて……」
「そうですか。では、どのようにお呼びしましょう」
「えーっと……じゃあ、リューカでお願いします。「さん」も、できれば、無しで……」
「? 呼び捨てで構わないのでしょうか? 貴女は私よりも目上に当たるので、そう言った方を敬称もつけずにお呼びするのは、相応しくないのでは?」
「ま、まあ、そうかもですけど……今日は一緒にお買い物なので、その……ちょっとでも、仲良くなれたらいいかな、って……」
「了解しました。理由に関しては若干不明瞭な点が残りますが、マスターに本日は貴女に指示を仰ぐよう命令されています。故に、貴女の意思を尊重します、リューカ。本日は何卒、よろしくお願い申し上げます」
「あ、はい。どうも……」
……思えば誰かと一緒にお買い物だなんてこれが初めてで、私も勝手が解らなくて……だめだ。ちゃんとお話しできている気がしない。
普通、こういう時って、何を話せばいいのだろう?
「時にリューカ」
「は、はい!」
ハリさんの方から声をかけて来て、思わず声が上ずってしまった気がする。
は、恥ずかしい……
「な、なんでしょうハリさん」
「それです。年下の私が貴女を呼び捨てで、年上の貴女が私をさん付けというのも、何だか不自然な気がします。もしご迷惑でなければ、私の事もハリ、と名前だけで呼んでください。敬語に関しても同様です」
「あ、ええっと、はい。わかりまし……じゃなかった、わかった。じゃあ、私もハリって、呼ばせてもら、う……ね?」
「はい」
私の答えに満足したのか、ハリさん……改めハリは、また前を向いてスタスタと歩き始める。
うん、やっぱり共通の話題は無いし、会話自体は続かないのだけれど……
もう少しだけ、何かお話できそうな気がして、私は何を言うでもないけれど、なるべく彼女と並んで歩いた。
「……少しだけ、妙な気分です」
と、しばらくの沈黙の後、またハリの方が口を開いた。
「?」
「思えば、私はマスター以外の誰かの隣を歩いたことはありませんので。慣れない、というのであれば、この現状も、そう例えてもいいのかもしれません」
「あ、ご、ごめんなさい。もう少し離れた方がいい……かな?」
「いえ、そういう訳では。不快な感情を抱いているわけではないのです。誤解させてしまったのであれば、謝罪します」
「ううん、私も……こういうの、慣れてないんです」
誰かが背中から追いかけてくるか。
誰かの背中を眺めながら、その後ろを必死に追いかけるか。
……そんなのばかりだった気がする。
「だから……私は、こうやって貴女と一緒に歩けるだけで、すごく嬉しいです。ここ最近は、カンナ博士やスカモンさん、それから、カガさんとオタマモンさんも、私の事、置いて行ったりしないから……こんなに優しくされていいのかなって、不安になる事も多いくらいで……」
「……その感覚は、少し、理解できるような気がします」
不意に、ハリが足を止めた。
「? ハリさ……じゃなかった。ハリ?」
「リューカ。貴女はマスターと私の事を、どう思いますか?」
「ハリと……コウキさんの事?」
ハリは頷く。
「カガ ソーヤさんは、マスターと私の関係を「おかしい」と言いました。その件をマスターにお伝えたところ、「ワタクシと貴女の関係は、カガ ソーヤの指摘する通り異常です」と……はっきり、そう仰ったのです。……私はそれ以上、マスターにこの件に関する事を聞けないでいます」
ハリの表情は変わらない。
でも、少しだけ俯いたせいか、顔に落ちた影がどことなく寂しそうに見えて。
「異常なのであれば、これ以上私がこの件について聞けば……マスターは、私との関係を正常なものにしようとするのではないかと、そう思うのです。あの方は、そういうデジモンですから」
「それは、嫌?」
「……それがマスターの意向であれば従います」
でも、進んでそうしたいわけじゃない。
そう言い出せないのは――彼女が、そういう風に出来ているからなのだろう。
「……ハリは、コウキさんの事、好きなんだね」
「肯定します。マスターは、私の質問にいつも答えてくれます。私の事を攻撃しませんし、遂行が困難な指示もしません。私よりもずっと優秀で、とてもお強い。私のマスターが……兄……である事を、いつも、誇らしく思っています」
そう言って――ハリははにかんだ。
正確には、はにかんだように見えた。
……いつも人目を気にしていたからだろうか。自分で言うのもなんだけれど、人の心の動きには、敏感なつもりでいる。
それでも、見間違いだったのかもしれないと思う程、些細なものだったけれど――コウキさんの事を「誇らしい」と告げる彼女の言葉に、嘘偽りはない。
「……だとしたら、さっきの質問の答えは、『羨ましい』になるのかな」
そんなハリが微笑ましくて――つい、その言葉が口をつく。
「羨ましい?」
「私は兄の事……ううん、家族の事、そんな風には、思えない」
「お兄さんが、いらっしゃるのですか」
「私と違って、優秀で、皆から好かれてる人だよ、あの人は」
兄だけじゃない。私の家族の元にやってきたデジモン達は、皆、何かしら神聖系デジモンに属する特徴を持っていて、元々地元の名士の家系だった事もあってあの人達は、周りの人達からいつも一目置かれていた。
そんな中で、私だけは「恥ずかしい子」だった。
私の大切なピコデビモンは、そこにいるだけで非難の的だった。
……兄のパートナーデジモンに攻撃されたのを庇って私のピコデビモンがヴァンデモンに進化したあの日――私とあの子は何度も殴られて、その日から3日間、物置に閉じ込められてごはんも貰えなかった。
最終的に出してもらえたのも、ご近所からの評判が落ちる可能性を思っての事だった。
「私はあの家から逃げたし、向こうも追い出した気でいたみたいだけど……あっちに居た時は、家の仕事はほとんど私がさせられてたから、不便になったんだろうね。4年の春に突然連絡があって、仕事が見つからなかったら「こっちで働かせてあげる」って、母から電話がかかってきたの」
「どうせ働くアテなんて無いんだから」。母は確かに、そう言った。
だから私は躍起になって、でも、あの人の言う通りで。
……だけど、あの日。私とピコデビモンは、カンナ博士とスカモンさんに、出会う事が出来た。
「私、もう二度とあの家には帰りたくない。……こんな事、言っちゃいけないのは解ってる。でも、感謝とか、そういうの、無いの。湧いてこないの」
「リューカは、ご家族の方々が嫌いなのですか」
「……きっと、嫌いですら、無いんだと思う」
ただ、『怖い』と。
あの人達の事を考えると、それだけが、頭の中で渦を巻く。
「……」
巻いて、巻いて――
――どこか冷静な部分の私が、この話は今彼女にするべきだったのかと問いかけてきた。
「あ……」
「? どうかしましたかリューカ」
「ご、ごめんなさい! 私、こんな……ハリさんの質問に、答えようとしただけだったのに……ごめんなさい。こんな話。せっかく遊びに行こうって事になったのに……こんな話しか、出来なくて、私……」
「いえ、むしろ貴女の話は、参考になりました」
「……え?」
「リューカ。貴女とマスターは、似ているのだと思います」
きゅ、急にどうしたのだろう?
「え、っと。に、似てないんじゃないかな……コウキさん凄く優秀なんでしょう? 私なんかと一緒にしたら、悪いんじゃ……」
「能力値の部分ではありません。境遇の部分で共通を見出せるというつもりで言いました」
「あ……なら、いい……のかなぁ……?」
解らないけれど、今はただただ自分の早とちりが恥ずかしい……。
「で、でも、境遇って?」
「詳細について開示するにはマスターの許可が必要ですので、今現在はその質問にはお答えしかねます」
「そ、そっか」
「ただ、私は貴女の事を、マスターを理解する上で重要なサンプルとなると判断しました。可能であれば、引き続き貴女にお話を伺いたい」
「!」
それは、理由はどうあれ、私はこのまま、彼女とおしゃべりをしても良いという意味で――
「は――はい!」
さっきの事で熱を帯びていた頬が、更に熱く、別の火照りで塗り潰されていくのが解った。
「わ、私の話なんて、つまらないと思いますけど……それが、ハリさんの役に立つなら、喜んで」
「ただその前に、2つほど訂正を」
「?」
「また、私の事をさん付けで呼んでいますよリューカ」
「! あ、ご、ごめんなさい」
「ああ、いえ。謝る程の事では無いのですが。……それから、もう一つ」
ハリのギプスの嵌まった右腕が、私の鞄――正確には、鞄の中にあるスマートフォンを指し示す。
「交戦したからこそ解ります。……いえ、貴女自身も認めていましたね。リューカ、貴女のヴァンデモンは、非常に強力な個体です。そもそも、純粋な闇属性のデータを持つデジモンが、個人の手で完全体まで育てられた例はほとんどありません。友好的な関係を築いたまま、ともなれば、ほぼ皆無と言っても良いでしょう。貴女は自分が優秀では無い風に言いましたが」
すっと、ハリと私の目が合った。
「リューカは十分に優秀なテイマーです。貴女はそれを、誇って然るべきかと」
相変わらず、嘘の一つも混じっていない瞳だった。
「……ありがとう」
ただ、ハリがあまりにもまっすぐに言うものだから、私はなんだか困ってしまって、眉をハの字にしてしまって。
「ピコデビモンが聞いたら、喜ぶと思う」
素直に自分が嬉しいとは、何故だか、言い出せはしなかった。
*
その後取り留めのない話をいくらか続けながらブティックに辿り着いた私達は、サイズだけは気を付けたけれど結局店内のマネキンを真似ただけの無難な服ばかり購入して、店を後にした。
「お昼……はちょっと、早いかな。別のお店も見に行ってみる?」
「そういえばリューカ。確かウンノ カンナ氏は「遊んできな」と仰いましたよね?」
「! あ、じゃあ……えっと……この辺何処か遊べるところ、あったかな……」
「この近所に公園があったと思うのですが、そこへ先に行って待っていてもらっても構いませんか? すぐに戻りますので」
思わぬ提案に一瞬首を傾げたものの、特に反対する理由も無かったので言われた通り公園に向かい、10分ほど入り口付近のベンチに座って待っていると、ハリが走ってきた。
手には服の入った紙袋の他に、丸く膨らんだ白いビニール袋が増えていて。
「お待たせしました」
「ううん。大丈夫。何か買ってきたの?」
「はい。ボールを購入してきました」
「ボール?」
ベンチに荷物を置き、ビニール袋から幼年期Ⅱくらいのデジモンより一回りほど小さい、オレンジ色のボールを取り出すハリ。
見下ろす彼女の視線は、どことなく懐かしそうにも見える。
「昔、ヒトとデジモンの幼少期個体群のこれを用いた行為について、マスターに質問した事があります。あれは何をしているのかと。マスターは彼らの行為が「遊び」であると、教えてくれました。それが幼少期における身体能力及びコミュニケーション能力の向上に繋がるトレーニングであるとも」
つまりハリにとって「遊び」というのは、子供のボール遊びを指す言葉だと。
聞いてみると彼女はやっぱり頷いて、「ただ」と話を続ける。
「あの時一瞬ではありましたが、マスターは確かに、返答に困っていました。それに、今日ウンノ カンナ氏が発した「遊び」という語は、ボールでの行為を指していないように思いました」
「遊び、か……改めて聞かれると、私にもよくわからないかも」
「なので、確認のためにも一度、私とこれで遊んでもらえませんか? リューカ」
私は頷く。
誰かとボール遊びだなんて、そういえば初めてかもしれない。似たようなことなら、ピコデビモンと部屋でお手玉を使ってしたことはあるけれど。
平日の昼の、私達以外誰もいない公園。
あの日、カンナ博士と出会った公園とは違って、時間帯によっては子供たちが遊んでいるのだろうけれど、昼前のこの時間帯では、誰かがここにやってくる事も無いだろう。
私とハリは、お互いにボールを投げ合った。
ハリはほとんど左手しか使えないにも関わらず器用にボールを投げたり受け取ったりしていて、むしろ両腕を使える筈の私がドジをしてばかりだった。
「ご、ごめんなさいハリ……全然続けられなくて……」
「いえ、私の投げ方が悪い可能性もあります。もう少し試行錯誤してみます」
「ごめんね……」
また、私からボールを投げ始める。
少し力み過ぎてハリの向こうに落ちていきそうになったボールを、彼女は高く跳んでつかみ取ると、着地と同時にこちらへと投げ返した。
ボールはしっかりとした放物線を描いて、私の方へと飛んできたのに
「あっ」
逆に私の方が変に動いてしまって、また、地面の方に
「えい!」
落ちそうになったところを、私のスマホから飛び出して来たピコデビモンが、頭突きで跳ね返した。
「ピコデビモン」
戻ってきたボールを左腕と胸を使って受け止めたハリは、そのままボールを投げ返さずにこちらに寄ってきた。
「まだ就寝中だったのでは?」
「楽しそうだったから、出てきちゃった。僕も混ざっていい?」
「えっと、いいかな? ハリ」
「構いません。では、この3名で、改めて遊びましょう」
「やった!」
それからしばらく、ピコデビモンも混ざった状態で私達はボール遊びを続けた。
相変わらず私は落としてばかりだけれど……ピコデビモンが楽しそうに笑っているのを見て、ただ、もう、それだけで良かった。
あの頃だって、狭い部屋の中でも、この子が嬉しそうにしてくれるから、私は――
「リューカ、はい!」
「あ……ほわっ!」
オレンジのボールが、受け止め損ねた私の額で跳ねる。
「りゅ、リューカ。ごめんなさい」
「いや、大丈夫だよ。軟らかいから、全然痛くないし。というか、ごめんね、私が下手だから……」
「そんな事無いよう」
「そうですよリューカ。先ほどより捕球の成功率が下がっているのは、疲労によるものだと思われます。休憩にしましょう」
うう、2人に気を使わせてしまった……。
でも時計を見ると、確かに私達は思った以上に遊んでいたようで、言われてみると肌に汗も浮かんでいて。
私達は、再び荷物を置いていた入り口付近のベンチに戻って、腰を下ろした。
「はい、ピコデビモン」
「ありがとうリューカ」
鞄からペットボトルのウーロン茶を取り出して、キャップを外してからピコデビモンに渡す。
足で器用にペットボトルを傾けるピコデビモンをちょっとの間だけ見守ってから、私はもう1本を出してハリに手渡した。
「ハリも、どうぞ」
「感謝します。リューカ。用意周到ですね」
「そろそろ暑くなってきたからね」
もう2週間ほどすれば梅雨に入って、それが空ければ、夏がやってくる。
「……嫌だなあ。夏」
「やだねー」
私とピコデビモンは、恐らく同じ、げんなりとした表情で青い空を見上げた。
「ヴァンデモンの活動可能時間が減少するからですか?」
「それもだし……8月3日が、来ちゃうから」
「8月3日――ああ、『お台場霧事件』ですか」
もう数十年前の出来事なのに――8月3日が来る度に、この世界は、あの事件を思い出す。
「テレビをつけるのも嫌になっちゃうよ」
当然、私のピコデビモンへの風当たりも、いつも以上に、厳しくなった。
……なんて、また昔の事を色々と思い出しそうになって、私は軽く首を横に振る。どうしても、誰かと一緒に外へ出かけているという感覚には、まだまだ慣れそうにない。
「えっと、それよりも、どう? ハリ。……楽しい? ボール遊び」
「解りません」
「そっか……」
「ただ、遊びがコミュニケーションの手段、というのは、なんとなく体感できました。相手が何を考えてボールを投げてくるか。相手がどうすればこちらのボールを受け取りやすいか。考える事が色々ある中で身体を動かさなければならないので、確かにこれは、良いトレーニングです」
「……そっか」
彼女の中で得るものがあったのであれば、きっと、無駄では無かったのだろう。
だったら、今は、それで十分なのかもしれない。
「リューカはどうですか? ボール遊びは、貴女にとって、その、「楽しい」に該当する体験でしたか?」
「私? ……うん。とっても。もう少し上手だったらなとは思うけど……でも、またやりたいなって、そう思ったよ」
「僕も楽しかった! それに、リューカが楽しかったなら、僕は2倍楽しいし、とっても嬉しい!」
「……ピコデビモンは、リューカの事が好きなのですね」
「好き! 世界で一番、だーい好き!」
その場で跳ねながら、ピコデビモンは笑顔でくるくると回っている。
屈託の無い言葉に顔が火照るのを感じていると――不意にハリはベンチから立ち上がり、地面にしゃがみ込んで、ピコデビモンと視線を合わせた。
「ピコデビモン」
「? なに?」
「あなたのその好意は、リューカがパートナーである事に由来するものですか?」
「んー……考えた事無いや。でも、でも。確かにきっかけは、パートナーだからなのかな。うん、そうだと思う」
「私とマスターは、主従でこそあれ、パートナー同士ではありません。……ピコデビモン。デジモンであるあなたから見て、マスターは……私の事を……」
ハリが何かを言いかけた、その時だった。
「っ!?」
びりり、と背筋に寒気が走る。
知っている視線を感じたのだ。
敵意とか悪意とか害意だとか、そういう
「リューカ!」
大きな音がして、ボールが宙に浮かび上がったのが見えた時には――私とピコデビモンは、ハリに引っ張られて地面に投げ出されていた。
「え、あ――」
私達の腰かけていたベンチは真っ二つに割れ――その中心となる部分に、1体のデジモンが立っていて。
「すみませんリューカ。対象を捕捉するのが遅れてしまいました」
この状況でもなお、意識しなければ等身大のカラクリ人形の様にしか見えない、全身が木で組み立てられているように見えるそのデジモンは、静かに、不気味に、ただただそこに、佇んでいる。
だけど、間違いない。このデジモンは――デジモンだけど、デジモンじゃない!
「木の闘士、アルボルモン。マスターから常にその姿で行動している事は伺っていましたが、こうやって直接対峙するのは初めてですね」
ハリは私達に背を向けて立ち上がり、襲撃者――アルボルモンと対峙する。
「マスターの命令により、私はキョウヤマ博士の元に帰るつもりはありません。このまま立ち去らないのであれば貴方を敵と見なし、排除を試みます」
「……」
「……そうですか」
ハリが、そっと私に何かを押し付ける。
見ればそれは、私達が先ほど買ったばかりの洋服で。
あの時、私達だけじゃなくて、咄嗟にこれらも回収したのだろう。
「リューカ、預かっていてください」
「待ってハリ! 僕も戦う!」
だが、ピコデビモンの言葉にハリは首を横に振った。
「アルボルモンは対象をマリオネットのように操る能力を持ちます。昼間のヴァンデモンでは、抵抗しきれるか不安が残ります。けして足手まといという意味ではありません。むしろ、あなたが強力なデジモンである事を認めるからこそ、お2人は、待機していて下さい」
幽かに、アルボルモンが構えたのが感じられた。
対するハリが、胸の前に彼女自身のスマホをかざす。
「アルボルモンは、私が仕留めます。スピリットエヴォリューション・ユミル!」
カガさんと出会ったあの時と同じ光が、ハリの身体を包む。
「ピコデビモン……下がってよう」
ピコデビモンは悔しそうだが、自分が十全に力を発揮できない時間帯なのは、この子自身が一番よく分かっているのだろう。
スマホに飛び込むピコデビモンを受け止めてから、私はハリの戦闘領域から距離を置く。
「光の闘士――ヴォルフモン!」
刹那、アルボルモンも動き出した。
「『機銃の踊り(マシンガン・ダンス)』!」
公園を囲む木々よりも高く跳び上がったアルボルモンの足が、突如として、伸びた。
「!」
両足首から飛び出した太いワイヤーが鞭のようにしなり、アルボルモンが重力に従って落下するのに合わせて舞うような弧を描き、地面に触れる度にその個所をえぐっている。
対するハリ――ヴォルフモンはその攻撃をかいくぐり、落ちてくるアルボルモンへと迫っていく。
光の闘士の名に相応しい、目にも止まらない速さでアルボルモンの猛攻を切り抜けたヴォルフモンは、両手に握った2本の剣を胸元で十字に構え、更に1歩、踏み出した。
「『リヒト・ズィーガー』!」
長く伸びた足では逆に届かない位置にまで迫り、剣を振り下ろすヴォルフモン。
が、
「『機銃の踊り(マシンガン・ダンス)』!」
「!」
あまりにも精密な一撃だった。
同時に振り被られた剣の隙間を縫うようにして、アルボルモンは今度は自身の腕を伸ばし、ヴォルフモンの胸に拳を叩き込んだのだ。
「がっ!」
そしてその瞬間――
――ヴォルフモンの纏っている紫水晶の鎧が、砕け散った。
「な――」
「ハリ!」
「『機銃の踊り(マシンガン・ダンス)』!」
「っ、『ツヴァイ・ズィーガー』!」
1本に繋げた剣を振り回し、ヴォルフモンはアルボルモンの攻撃をさばき切る。
だけど、攻撃が止んだ瞬間――確かに、彼女はふらついた。
「何故……聖紫水晶(セントアメジスト)の鎧が……」
「光の闘士……正義の味方……」
まるで機械の合成音のような声で、アルボルモンが囁く。
「お前の正義……キョウヤマ博士……」
「! ……なるほど。理解しました。ヴォルフモンの鎧は、正義の下に有って初めて硬度を有する鎧。……キョウヤマ博士から離れた以上、十分な力は発揮できない、と」
「お前の正義……キョウヤマ博士……!」
「ですが私の主は、マスターただ1人です」
鎧を失ったヴォルフモンの姿が、掻き消える。
ハリは再びスマホを取り出し、構えた。
「光のスピリットが力を発揮できないのであれば、こちらを使用するまでです」
彼女がそう述べた瞬間、スマホの画面に『闇』の一文字が浮かび上がる。
「スピリットエヴォリューション・ユミル!」
そして文字通りの闇が、彼女を包む。
暗い、暗い、黒色が、彼女の身体を、塗り潰す。
――その瞬間を、アルボルモンが嗤ったような気がした。
「……ハリ?」
胸騒ぎがした。
なんだかそれは、正常な事では無いような気がして――
「闇の闘士、レーベモ……え?」
――その予感が間違いではなかった事は、ハリの戸惑いが、一瞬にして伝えてくれた。
闇の闘士。
大きな目玉のついた鎧に、竜の口のような腕。
その姿は、確かに闇のデジモンそのもので。
とても、デジタルワールドの守護者には見えなくて。
「っ、う……ああっ!」
刹那、ハリが地面に膝をついた。
頭を抱えて、うめき声を上げている。
アルボルモンは相手を操る技を使うと言っていたけれど、これは、そんなのじゃない。事実として、アルボルモンは動けないハリを見下ろすばかりで、攻撃を仕掛けようとすらしない。
今の状況は、彼女の纏ったスピリット自体が、ハリを蝕んでいるような――
「リューカ!」
「!」
ピコデビモンに呼ばれた瞬間。私はまた、この子を戦わせなきゃいけないんだと思った。
晴れた昼間に、あの、強力なデジモンと。
でも、そうしないと、ハリが危ない。
でも、そうしたら、この子が――
……だけど、ピコデビモンの口から出てきたのは
「スマホの音量を最大にして、ハリに向けて!」
「!?」
予想だにしない提案で。
「リューカ」
スマホの画面が、光に包まれる。
……闇のデジモンだけれど、それは正しく、進化の光だ。
「僕に、任せて」
ドット絵のコウモリから、ドット絵の吸血鬼へ。
……そうだ。この子は、私の自慢のデジモンだ。
誰が何と言おうと――世界一大好きな、パートナーだ。
だったら、この子の言葉を疑う余地は無い。
「お願い、ヴァンデモン!」
押し込んだ音量ボタンはスマホの音声をすぐに最大値にまで引き上げ、次の瞬間
「ハリのいう事を聞け――――――っ!!」
ヴァンデモンの声が、公園いっぱいに響き渡った。
「!」
途端、ハリがうめくのを止めた。
「これは……」
呆然と、両腕を見下ろすハリ。
……だけどすぐさま顔を上げて、しっかりとアルボルモンに向き直った。
「新たな闇のスピリットの特性を把握。闇の闘士レーベモン改め、ダスクモン――戦闘を続行します」
ジャキン。と、鋭い音がして。
音と同時に両腕に伸びた、波打つような赤い刃が、不気味に光を放っていた。
ハリを襲った『変化』が何なのか、私には、解らないけれど――
「感謝します。ヴァンデモン。そしてリューカ」
――今は、もう、大丈夫だ。
「『エアオーベルング』!」
振り下ろされた赤い刃の軌跡がそのまま衝撃波に変わり、アルボルモンへと襲い掛かる。
すぐさま回避するアルボルモンだったが、軽く、本当に微かにではあるけれど、斬撃を掠めたらしい。
それだけで、十分だった。
「!」
小さな小さな傷口から、噴き出すようにして光のもや――おそらく、アルボルモンを構成しているらしいデータ――が、怪しく光るダスクモンの刃の方へと、流れていく。
「っ、『封じ込めの種(ブロッケイドシード)』!」
と、アルボルモンは口でもあるらしい胸の穴から、巨大な植物の種を発射する。
だがダスクモンは冷静に刃を縦横に振り、その種を切り刻む。
「リューカ! 目を閉じてください!」
「!」
ダスクモンが叫ぶのと同時に、鎧についた瞳が見開かれる。
慌てて、目を瞑った。
「『ガイストアーベント』!」
途端、瞼の向こうに光が放たれたのを感じ取る。
それが消えたのを見て、恐る恐る目を開くと――アルボルモンが不自然に震えながら、静止とは違う硬直を見せていて。
「今のは……」
「いわゆる催眠技です。……ただ――」
「ギ、ギィ……」
めきり、と、嫌な音がした。
見ればアルボルモンの全身に、ヒビが入り始めていて。
「アルボルモン、スライド……エヴォリューション!」
そのヒビを押し広げるようにして、植物の芽が伸び始める。
瞬く間にアルボルモンを覆い尽くした緑の芽は蔦となり、枝となり、縦に、横に、伸び続け――
「ペタルドラモン!!」
巨大なトカゲの姿に変わったところで、ようやく成長を止めた。
「これは……」
「ペタルドラモン。木の闘士のビースト形態です。強力なデジモンですが」
動き始めたペタルドラモンは、くるり、と私達に背を向けた。
「逃走に用いるつもりのようです」
「こ、こんなところであんな大きいのが走ったら――」
「大丈夫です、リューカ。ここで止めます」
ダスクモンが、しゃがんだ。
まるで、空に跳び上がろうとしているみたいに。
「ヴァンデモン」
彼女の鎧が、細やかな粒子に変わり始める。
「私の姿が変わったら、もう一度、私の名前を呼んでください」
「わかった!」
「ダスクモン、スライドエヴォリューション!」
ダスクモンが、地面を蹴る。
高く、高く昇っていく彼女の身体に、再び鎧だった闇の粒子が纏わりつき――組み変わった目玉を中心にして、翼へと変わっていく。
黒い騎士から、黒い鳥へ。
「ハリ!!」
ヴァンデモンに名前を呼ばれた死を運ぶ怪鳥のような姿のデジモンは、一瞬だけこちらに目配せした後――ペタルドラモンの前へと飛び移り、立ちふさがった。
「グ、グ……『リーフサイクロン』!」
ペタルドラモンの顔を一周する赤く刺々しい葉が、手裏剣の様に放たれる。
しかし怪鳥のデジモンと化したハリは羽ばたきでそれらを吹き飛ばし、改めて、大きく翼を広げた。
「『マスターオブダークネス』!」
そのまま素早く姿勢を変えると頭部にある3番目の瞳から光線が放ち、ペルタドラモンを包み込んだ。
一瞬で、ペタルドラモンの全身が真っ黒に染まる。
「命令します、ペタルドラモン」
怪鳥のデジモンが姿を消し、ハリが地面へと降り立った。
「今すぐヒューマンスピリットの形態に戻ってください」
そう、ハリが言い終わるのと同時に――ペタルドラモンは、アルボルモンの姿に戻った。
「ハリ!」
公園から出た私も、急いでハリの元へと駆け寄る。
「だ、大丈夫?」
「はい。今決着がついたところです」
見ればアルボルモンに戻ってなお、木の闘士だというデジモンは、黒く染まった状態のままになっている。
「えっと……」
「もう、こちらに攻撃はしてこない筈です。ベルグモンの『マスターオブダークネス』は、相手の性質を闇に変え、支配下に置く必殺技。私の体力が続く限りは、アルボルモンは、このままです」
「それって、ハリは大丈夫なの?」
「問題ありません。……今はそれよりも」
ハリがアルボルモンに手招きした。
「ここから去りましょう、リューカ。騒ぎになっては、面倒です」
「あ……」
ペタルドラモンに、ハリが進化していたらしい、ベルグモン。
どちらも巨大なデジモンだった。
今はまだ人は来ていないけれど、さっきの巨大デジモンの姿は離れたところからでも見えただろうし、集まってくるのは、時間の問題だ。
「アルボルモン。私とリューカを抱えて、雲野デジモン研究所へと向かってください。できれば、なるべく隠密に」
「……」
無言で腕を開くアルボルモンのところに急いで近づくと、彼は私達を抱えて、跳び上がった。
ヴァンデモンみたいに飛んでるわけじゃないから、ちょっと怖い……!
……でも、流石にデジモンなだけあって、アルボルモンはあっという間に、雲野デジモン研究所の前に辿り着いた。しかもハリの指示通り、上手い具合に街の死角を通り抜けてきたようで、誰かに見つかった形跡はない。
「降ろしてください」
アルボルモンは、私達を丁寧に地面へと降ろした。
「リューカ、すごいジャンプだったね」
「うん……」
スマホを見ると、いつの間にかヴァンデモンはピコデビモンに戻っていて、画面越しではあるものの、興味深そうにアルボルモンを見つめている。
と
「ピコデビモン」
ハリが、アルボルモンの前に出た。
「?」
「何故ダスクモンを構成しているフォービドゥンデータを制御できたのですか?」
「ふぉーびどぅんでーた? ……あ、ハリの使ったスピリットのデータの事?」
ハリが頷く。
「ほら、僕……ヴァンデモンは、コンピューターウイルスやウイルスに破壊されたデータを操る能力があるから」
「なるほど、ヴァンデモンの『アンデッドの王』としての性質が、闇の性質を持つフォービドゥンデータをも支配できたという事ですね」
「でもあれ、すっごく危ないデータだったよ? 最初、全然ハリの言う事聞こうとしてなかったし……」
「そうですね。あなたがいなければ、私は身体の使用権をスピリットに奪われていたでしょう」
「!」
2人の話はいまいちピンとこなかったのだけれど、流石に、最後の部分は聞き捨てならなくて。
「は、ハリ……今まで、そんなもの使わされてたの!?」
「いいえ。本来私は、レーベモンという闇の闘士に進化するつもりでした。レーベモンの鎧は、フォービドゥンデータ製ではありません」
「じゃあ、どうして……」
私の問いに対して、ハリはアルボルモンの方へと目を向ける。
「きっと、彼の発言が鍵になっているのでしょう」
アルボルモンの発言――ハリの正義は、キョウヤマ博士だっていう――
「その件に関しても、一度マスターに確認を取ります。まずはマスターとウンノ カンナ氏にアルボルモンを見せましょう」
「そ、そうだね」
「それから」
そっと、ハリは私の方へと手を伸ばした。
その手の先は、私がずっと抱え込んでいた――今日、彼女と「遊びに行った」証で。
「本日は、ありがとうございました、リューカ」
「こ、こっちこそ、ありがとう。あ……ごめん、ボール……」
「きっとあの辺りに住む幼少期のヒトやデジモンが、有効活用してくれるでしょう」
ようやく自分の荷物を受け取ったハリは、幽かに、本当に幽かにではあるけれど、どことなく、微笑んでいるように見えた。
「……ハリ」
「はい」
「今度は、ごはんも一緒に食べに行こう」
「はい」
……こんな風に思うのは、きっと、おこがましいし、迷惑なのだろうけれど――
こんな事があったのに、なんだか、私達は友達のようなことをしているような気がして、思わず笑ってしまう。
「その時は、ピコデビモン。あなたにも、質問の続きをしてもいいですか?」
「いいよ! ……ううん、その時じゃなくても、いつだって!」
「……ありがとう、ございます」
そして、いつかハリにも「楽しい」という言葉が使える日が来ればいいなと、心から、そう思った。
「じゃあ、入ろうか」
ドアノブに手をかける。
開ける直前に、一緒に言ってほしいと、ハリにそう、声をかけた。
……ああ。どうかカンナ博士が、私が今から言う事に、困らないでいてくれますように。
「ただいま!」
私達は誰からでもなくそう言って、帰る場所の扉を開いた。
Episode カガ ソーヤ ‐ 2
「またしても俺のターンか……」 「ソーヤ、急にどうしたゲコか」 「いや、世界が」 「あ、やっぱりいいゲコ」 今日も今日とて辛辣だけど俺の事を適度に構ってはくれる、スマホの中の麗しのミューズに目頭がじんわりと熱くなっている内に、ハリちゃんのお兄さんは当たり前のように俺の事を置いて進んでいく。 「ちょ」 すぐに追いついたものの、お兄さんの歩くペースは思いの外早い。競歩してるのかな? ってくらい早い。 この人(?)……自分から誘っておいて、俺に合わせる気は無いのだろうか。 無いんだろうけども。 「も、もうちょっとゆっくり歩いてもらえませんかね?」 「目的地には少しでも早く着いた方がいいでしょう」 「いや、一理あるけど……え、っていうか、ハリちゃんと一緒の時もその速度なワケ?」 「では、正直にお答えしましょう。ハリを同行させている時は、彼女の歩幅に合わせています」 「その優しさを俺に向けるっていう選択肢は」 「ありません」 「ですよね!」 そんなわけで、俺はほとんど走るような格好でハリちゃんのお兄さん――今は、ほぼハリちゃんの姿になっているメルキューレモンに同行して、図書館に向かっている。 どうしてこんな事になったのか、俺は10分ほど前のやりとりを思い返した。
*
「さて……どうですか? ウンノ博士。ワタクシはハリになっていますか?」 次の瞬間ウンノ先生は固まったし、俺も開いた口が塞がらなくなった。 リューカちゃんとハリちゃんを見送って揃って研究室に戻った直後。気が付けば、メルキューレモンはハリちゃんの姿に変身していて。 「いかんせん声がそのままだから違和感はすっごいわね」 ただスカモンと、それから俺のミューズは特に気にしている様子は無い。 姿が変わっても、データとしてはメルキューレモンのままだからだろうか。 「本来デジモンに性別はありませんが、あの男がワタクシを息子と定義付けたせいでしょうか。ワタクシ、女性の姿や声にはなれないのですよ」 「確かに、ヨーく見ると体格は男の子ね。ハリちゃんはボーイッシュだから、パッと見わかんないけど」 いや、解らん。よーく見ても。 服装のせいなのか、かなりうまく誤魔化されている。いやまあ、服装って言ったってハリちゃんが普段着ているパンツスーツそのものなんだけれども――まああの子も元が華奢なのに少し大きめの大人用スーツを着てるわけだから、そのせいもあるのかもしれない。 ……それは良いとして。 「でも、急にどうしてハリちゃんの恰好に?」 俺は最大の疑問をメルキューレモンにぶつけた。 メルキューレモンは、どうやら忘れていたらしいギプスを右腕に追加しながら 「このままハリに扮して外に出ます。……持ってもいない筈の私服を着た彼女より、普段のスーツを着たこの姿の方が、そろそろ偵察に来ているであろうセラ ナツミの目を引けそうですから」 と、俺の方を見ずに答えてくれて。 セラ、ナツミ。 うん、誰。 「誰ゲコか」 おお、俺の思いとミューズの質問が奇跡のシンクロ。 だけど、喜ぶ暇もなく 「風のスピリットの所有者です」 場を凍りつかせるような返答と同時に、固まっていたはずのウンノ先生が、がたりと音を立てて椅子から立ち上がった。 「キョウヤマの手下が来てるのか」 「断言はできませんが、恐らくは」 「……いや、確かに、アンタらがこっちに来てもう1週間だ。そろそろ様子を見に来たって、おかしくは無いだろうね」 場所は割れてるし、とやや溜め息交じりに言うウンノ博士。聞けば、ここに来る前に既に一度、雷の属性を持つ闘士に既に襲われているらしい。市街地に引っ越してきてるあたり、よっぽどその経験が堪えたのだろう。居場所が筒抜けだとしても、こういう場所なら、キョウヤマっていう博士もそううかつには手を出せないに違いない。 まあ、そうは言っても居場所バレバレってのは、そんなに気分のいい話じゃないだろうが。 ……しかし、シューツモンと言うと……あの日、オタマモンと合流した俺も、遠くからちらりとしか見えなかったが―― 「見た目は、なかなかにマジェスティックなデジモンだったな」 エロいお姉さんだった。 細めた視線をオタマモンが突き刺してくる中、聞こえていたのか「見た目だけですよ」とメルキューレモンが首を横に振る。 「スピリットを纏った状態では無い容姿も、ヒトの中では比較的優れている方でしょう。ですが、ワタクシはあの女を美しいと思ったことはありませんね」 「ちなみにお兄さんの女性の美しさの基準って何さ」 「お兄さん」と言った瞬間静かに睨まれたものの、ハリちゃんが直接絡んでいなければ対応は割と寛容らしい。 別に俺が「お兄さん」って呼ばなきゃ良いんだけど、キョウヤマさんだとハリちゃんも反応する時あるし、リューカちゃんみたいにコウキさんって呼ぶのも何だかだし、だからって人間形態時にメルキューレモンって呼ぶのも研究所内でならともかく外で呼ぶと面倒くさそうだし…… ……あれ? 今気づいたけど、リューカちゃんに苗字で呼ばれてるのって、俺だけ? 「女性の美しさの基準、ね……」 メルキューレモンはしばらく考え込んだ後、ふと、ウンノ先生の方を見た。 「ウンノ博士の事は美しいと思っていますよ」 「アンタ、ファッションといい女性観といいセンス最悪なんじゃないの」 「ワタクシの名誉のために言っておきますが、容姿に関しては微塵も評価していません。貴女の明晰な頭脳と確固たる信念を美しいと評価しているのですよワタクシは!」 おおう……目の前にいる女性に臆面もなく美しいって言えるメルキューレモンもメルキューレモンだけど、即座にこの返しをするウンノ先生もウンノ先生だな。 っていうか、確かにウンノ先生だって、ちゃんと身なりを整えたらかなり美人だと思うんだが――今はとにかく、伸ばしている割に跳ね放題のピンク髪が凄まじくマイナス評価な印象を与えている。 本人にも自覚はあるみたいだし、スカモンもやれやれ顔なあたり、どうにかしたいとは思ってるんだろうが。 「……というか、ワタクシこんな事をしている場合ではありませんね。セラが本物のハリの方に出向く前に、そろそろ行かなければ」 「一緒に行こうか? あいつにはぶちのめすって伝えた気がするし、ボコるなら加勢するけど?」 「そーヨ。スカちゃん、頑張っちゃうわヨ!」 「結構。……ウンノ博士。1週間前、貴女に対して「いくつか手土産がある」とワタクシ、言いましたよね?」 「言ったっけ?」 「言いました。言いましたし、渡しました」 メルキューレモンは露骨に唇をへの字に曲げた後 「……風のスピリットは、ワタクシの実力と誠意を示す上で、先に渡した水のビーストスピリット以上の最良の手土産となるとワタクシ、機を伺っていたのですが。……いかがでしょうか、ウンノ博士」 とそう言って、何事も無かったかのように、ハリちゃんは絶対に浮かべないであろう、唇の片側を吊り上げた、若干性格の悪そうな笑みを浮かべた。 対するウンノ先生は溜め息交じりにピンク色の髪をがりがりと引っ掻いて。 「ったく、なんでハリちゃんの服なんて突然言い出したのかと思ったら――そんな事かい。アンタってヤツは」 もう一度息を吐いてからどこか暗い瞳でメルキューレモンを見つめ返し、ひらひらと手を振った。 「いいよ。アンタがそう言うなら、見せてもらおうじゃないか。盾が片方無くても、ユミル進化体じゃなくても連中に後れは取らないっつー、アンタの実力ってヤツを、さ」 「ええ、喜んで。……ああ、そうだ」 と、メルキューレモンは今度は俺の方を向いたかと思うと 「カガ ソーヤとオタマモンの事は、借りていきますね」 そんな事を言った。 笑顔で言われた。 ……え? 「ゲコ……?」
*
で、今現在。 俺はそこそこ走らされて後、ようやく図書館へと辿り着いた。 「ぜ、ぜえ……ぜえ……」 「体力が無いのですねカガ ソーヤ」 「地力で違うアンタと一緒にしないでほしいね!?」 「でも、ソーヤはもうちょっと運動した方がいいゲコ。座っての作業多いゲコから、ゲコはちょっとだけ心配してるゲコよ?」 「あー、まー、それは確かにだけどな……」 こういう、ちょっとしたところで俺の事気にかけてくれるのがマジェスティックなんだよな、オタマモンは。 お蔭で少し癒されたぜ。 「でも、運動で言うならウンノ先生も大概じゃね? 俺あの研究所に引っ越してからウンノ先生が実験してるか研究データまとめてるか死んでるかしか見た事無い気がするんだけど」 だから今回だって、借りた本返すくらい自分で行けば良かったのにと思わなくはない。 ……どうやら直前まで街をぶらぶらする予定しか無かったらしいメルキューレモンは、そんなウンノ先生からの依頼を受けてここにやって来たのだ。 「こちらは住居を提供してもらっている身ですからね。共同戦線を組んだ以上、この程度の事はやりますよ」 「んー、共同戦線ってこういうことするイメージ無いんだけど」 ハリちゃんと一緒とまでは言わないけど、この人(?)も大概ズレてんだよなぁ……。 それがデジモンだからなのか、スピリットだからなのか、親のせいなのかはわからないけれども。 「まあ代わりに彼女のカードで本を借りる許可が出ているので、少しくらいは見て回るのもいいでしょう。屋内にいる間はセラの手出しも無いでしょうし」 「じゃあもうずっと図書館に籠りたい気分だよ俺は……」 げんなりする。 聞けばセラと言う女性は、ハリちゃんよりも戦闘力が高いとかなんとかで――つまるところ、俺のオタマモンより遥かに強いという事だ。 俺自身メルキューレモンに――紛いなりにもハリちゃんのお兄さんである彼に興味が無いワケじゃないから何となく誘いに乗ってしまったけど、メルキューレモンが俺達を連れ出したのは、自分の囮としての重要性を高める理由もあるというのは既に聞いている。 いくら「手出しはさせない」とか言われても不安は残るし、そういう台詞はなんかすごい見た目のメルキューレモンよりも、もっと可愛い女性型デジモンに言われたい。このデジモンは完全に男性として振る舞ってるからなのか、俺のフィルターも全く働かないし。 ……いやでも、可愛いデジモンだけじゃなくて、リューカちゃんに言われるのはありかもしれん。 「ソーヤ、またどうでもいい事考えてるゲコ」 「そこそこの重要事項なんですけどぉっ!?」 「……そろそろ入りませんか」 ハリちゃんの顔でじと目、というのは中々新鮮ではあるけれど、声はイケボなせいか逆にノーマジェスティック。 でも安全面で言ったら絶対中の方が良い事は確かなので、素直に同行する。 しばらく別れてそれぞれ本を探し、俺とオタマモンは作る曲の参考になりそうなものを選んで借りる事にした。 ……それとは別に、ウイルス種のデジモンに関する資料も1冊、手元に持ってきた。 オタマモン、そしてゲコモンの事は知り尽くしているつもりでいるけれど――彼女の所属する種族に対してまで理解があるかと言えば、そうじゃない。 そうじゃないって事を、最近、よく考えるようになった気がする。 俺だけじゃなくて、この世界そのものが。 事実として、種族別のデジモンに関する資料はワクチン種・データ種に比べてウイルス種が一番少ない。 協力的な個体が多くないってのもあるんだろうけど――もしかしたら、俺たちはもっと、そういうデジモンの事だって知るべきなのかもしれない。 ……俺が『彼女達』の歌を書くにあたって必要なのは、まずは、そういう知識からだろうし。 「っと、悪い。待った?」 受付から振り返ると、ゲートのところに既にメルキューレモンが立っていた。 「いえ、ワタクシも先ほど借り終わったところです。横に喫茶店が併設されているので、そちらに行きましょう」 彼が何を借りたのか気になって、ちらりとウンノ先生のものである手提げかばんを覗くと、ほとんどがなんか小難しいタイトルだって事しか解らなかったけれど――1冊、確かに、ファッションに関する本が入っているように見えた。 うん、見なかったことにしよう。 平日な事もあって喫茶店には店員さん以外誰も居なかった。図書館の方だってこの時期この時間帯だと大学生すらほとんど来ていなかったので、当然と言えば当然だろう。 メルキューレモンは外のテラス席を選び、注文と会計を済ませた俺は彼の向かいに座って、隣の席にオタマモンをリアライズさせた。 「まさか、ここで迎え撃つ気なのか? 外って言っても、ほとんど図書館の中だぞ?」 「ご安心を。被害は出しませんよ。……正確には、出させない、の方が正しいのでしょうか」 そもそもが自信家なのだろうが、それにしたって大層な自信だ。 「お兄さん、そんなに強いの?」 「聞きたいですか?」 「いや、聞くも何も、強いって言ってくれないと俺、超怖いんだけど」 「では、率直に言いましょう。単純な攻撃力防御力は、十闘士の中でも最低値と言っても過言ではないでしょう」 「ほーん……って、はぁ!?」 なんじゃそりゃ!? 「メルキューレモン、弱いのゲコか?」 「流石に成熟期には勝てると思いますが……しかし単純な殴り合いであれば、昼間のヴァンデモンに勝てるかすら怪しいですね。保険として人間の戦闘技術をある程度学んではいますが、いかんせん人間用の技術なので、やはり人間にしか通用しないでしょう」 「一応素人じゃないのゲコね。ならソーヤが締め上げられてても逆に安心して見ておけるゲコ」 そこは安心しないでほしいし、今の話に今後俺を安心させる要素がこれっぽっちも含まれてないんですけどね! 「これ……きょう、だいじょうぶなん? おれ、いきてかえれる?」 「「単純な」攻撃力防御力は、と言ったでしょう。まあ、黙って見ていなさい。……このワタクシ、鋼の闘士の力は、対峙した者にしか理解できないでしょうから」 にやり、と唇の片側を吊り上げた、どこか皮肉げな笑みを浮かべるハリちゃん顔のメルキューレモン。 こんな風に変身能力があったり、あんなデカい鏡の盾が付いてるあたり、そりゃ、普通のデジモンじゃあないんだろうけど……。 ……必殺技がすごいのかなぁ。 と、ここで注文したコーヒーとミネラルウオーターがやって来たので小休止。 あ、思ったより苦いやつだこれ。 「そういえば、メルキューレモンはごはんとかお水とかいらないのゲコか?」 「ワタクシは中身の無い鎧が動いているような状態なので。通常のデジモンとも勝手が違うのですよ。……最も、空の中身の部分はロードしたデジモンのデータですから、デジモンを捕食していると言えなくも無いですがね」 「ゲコォ……お腹が空いても、ゲコの事食べないでゲコね?」 「今更成長期デジモンなど、文字通り食指も動きません」 「それはそれで傷つくゲコね」 「であれば、非常食としては視野に入れておきましょう」 「ゲコ!?」 冗談ですよ、とメルキューレモン。……ここ数日、ハリちゃんと関わる機会も何度かあったから解るけれど――デジモンで、しかもその中でも特殊な『スピリット』そのものであるメルキューレモンの方が、何というか、ハリちゃんよりも、人間味がある。 「なあ、お兄さん」 「……何ですか」 「次はさ、ハリちゃんについて、聞いてもいい?」 唐突な質問にメルキューレモンはハリちゃんの顔で片眉を吊り上げたが、すぐにそっけなく「どうぞ」と返した。 「お兄さんは――ハリちゃんの事、どう思ってんの?」 「……なんとも」 メルキューレモンは、そう言って少しだけ目を伏せた。 「ウンノ博士にも似たような事を聞かれましたがね。彼女は確かにワタクシの妹のようなもので、十闘士の器としても優秀に出来ていますが……ワタクシの中には、ただその感想があるのみです。もちろん嫌いではありませんが、同時に、好きという訳でも無い」 「い、一緒にカンナさんのところに来たのにゲコか?」 「それも、ひとえに彼女の所持するスピリットがキョウヤマに対する有効打になりえる可能性があるからというのと……責任は、感じているのですよ。あの娘に対する仕打ちは、全てキョウヤマ――ワタクシの父親が原因なのですから。一般常識からして、彼女の置かれている環境が良いものでは無いというのは知っていた故に、今回の件はそういった点でも、行動に移すのに都合が良いと判断したからです。特別な情でもあれば、もっと早くに、そうしていた。……そうは思いませんか?」 「じゃあ逆に、ハリちゃんはお兄さんの事、どう思ってると思う?」 「同じです。なんとも思っていません」 即答だった。 「あの娘がワタクシに従順なのは、キョウヤマがそのように設定したからに過ぎません。……強いて言うのであれば、彼女がキョウヤマの呪縛から解き放たれた時――ハリは、ワタクシの事を恐れ、嫌うでしょう」 そうでなくては、困ります。 最後にそう付け加えて、メルキューレモンはどこか自嘲気味に唇を歪めた。 ……。 「俺の感想言っていい?」 「? どうぞ」 「もしかしてだけど……お兄さんもぜんっぜん自分の事解ってないんじゃないの?」 「は?」 「いや、誰がどう見てもお兄さん妹の事可愛がってるよ?」 「は??」 「普通、何とも思ってない娘をアイドルに勧誘してる男に対してプロレス技かけないから」 「!?」 ハリちゃんと同じ顔が、ハリちゃんではありえない程に歪んだ。 「あ、あれはようやく真っ当な人間に戻れる可能性のあるハリを貴方が通常では無い道に引きずり込もうと画策しているからでしょう! っていうかあれ本当にやめろ! ハリに歌に関する知識を与えてくださっている件に関してはワタクシそれなりに感謝していますが、大衆の前で歌って踊る姿を曝すなど百年は早いのですよ!」 「オウ百年早いからこの天才音楽クリエイター・カジカがその百年縮めてやろうっつってんだよ!? っていうか感謝はされてたのね!? びっくり! いや、それよりもそういうところですよお兄さん。お兄さんはハリちゃんの事を第一に考えてる、考えちゃってんだよ!」 「誰がお兄さんだ!」 「ぎゃばす!」 何のひねりも無くギプスで殴られた。 普通に痛い。 ……いや、でも、それだけ動揺してるって事か。 メルキューレモンは、唸り声を上げながら左手で頭を抱えている。 「……最初にワタクシとハリの関係の異常性を指摘したのは、貴方でしょう」 異常性の指摘――俺が、ハリちゃんがメルキューレモンの事をマスターと呼ぶ光景を、「おかしい」と彼女に告げた事だろうか。 それに関しては、訂正するつもりは無い。 「おかしいよ。今でもおかしいと思うよ」 「その通りですよ。貴方の感覚は正常です」 「でも、俺があんた達の兄妹関係まで否定しようとした時――あの子、怒ったよ」 「……怒る? ハリが?」 「そりゃ、俺みたいな一般人からしたら、あんなの怒りでも何でもないだろうけど……あの子なりに、俺の意見に対して理不尽さを感じた風だったし、少なくとも、不快感はあったんだと思う」 この数日間でようやく理解できてきたけれど――ハリちゃんは、感情の層が一般人よりも薄いだけで、それが無いわけじゃない。 まあ、それは、人間として当たり前なんだろうけれども。 だから、俺の言葉を遮ったハリちゃんの行動は――きっと、怒りに基づくものだったのだろう。 「デジモンに従う人間って図は、納得できないけど……でも、ハリちゃんが、それにお兄さん自身が言う『兄妹』の部分は、否定するべきじゃないと思った。思ったし――2人とも、その部分もうちょっと大事にするべきじゃないかとも思ってる」 「わかりませんよ、カガ ソーヤ。貴方の言っている事は、理解不能です」 「ソーヤは難しい事言ってないゲコよ。ソーヤに難しい事言う程の考えは無いゲコ」 「んんん。一言余計!」 「だから、メルキューレモンも難しい事考えないで、とりあえずお兄ちゃんやってみればいいゲコよ。ハリさんを普通の人間にしたいっていうなら、なおさらゲコ。感情は、一番身近なヒトから勉強するものゲコよ? いきなり「自分たちの関係は異常ゲコ!」って言って突き放すゲコより、お兄ちゃんとして寄り添った方がハリさんも安心ゲコ」 一言余計だけど――オタマモンはいつだって、俺の考えの核心の部分を突いてくる。 俺のミューズ。至高の歌姫。 ただ単に声が美しいだけじゃない。俺の想いを、俺の分身である歌を、100%の純度で届けられるのは、やっぱり、彼女だけなのだ。 「……アナタの言う事も、一理あるのかもしれませんね、オタマモン」 溜め息を吐くように、メルキューレモンが呟いた。 ……いや、溜め息じゃねえな。 「いくらあの娘を害意に曝されない環境に移したとはいえ、今現在の状態では手本に出来る存在など、まだ、ワタクシしかいないでしょうから」 ……もしかして、ほっとしてる……? 「ワタクシも普段は、人間のフリをしている身です。……ヒトの振舞いを覚えるのであれば、そういうやり方も、まあ、間違いでは無いでしょうから」 「兄妹同士、お勉強ゲコね。そういう事なら、ゲコ達も応援しやすいゲコ!」 「そうそう、そしてハリちゃんが喜怒哀楽をマスターした暁にはそれが歌声に深みを与えて真の歌姫への覚醒に繋があだだだだだだだ」 前からのアイアンクローが来た。 いつの間に。 「貴方の話を少なからず真面目に聞いてしまったワタクシが愚かでしたよカガ ソーヤ。この苛立ちを抑えるべく、手始めに頭蓋骨を潰します」 「最初からクライマックス!」 「潰すのはやめたげて欲しいゲコ。でもソーヤは一度、本格的に頭を冷やした方がいいと思うのは思うゲコ。ゲコォ……ゲコはどうするべきゲコか?」 「助けようよそこは! 頭はともかく肝なら今キンッキンに冷えてやがるから!」 「成長期のゲコにはどうしようも無いゲコ。諦めるゲコ」 「お、俺は諦めねえ! っていうかお兄さん! 普通妹さんの歌声にアイドルの才能があるって言われたらそこは喜ぶもんですよお兄さん!!」 「誰がお兄さんだ!!」 「にゃああああああ!?」 あかん。これはあかん。俺は思った以上にメルキューレモンを怒らせてしまったらしい。 そろそろ本格的にやべえ事を軋む音で伝えてきた頭蓋骨をどうする事も出来ずに、また前回のような走馬燈が走り始めようとした、その時。 不意に、メルキューレモンが俺の頭を放した。 っていうか、横に投げた。 「!?」 突然の事にもちろん受け身も取れず、椅子の向こうに投げ出される俺。 流石に酷いんじゃねーのと、床にぶつかった痛みを訴えかけた俺の口は――だが、言葉を発する前に遮られた。
「『オフセットリフレクター』!」
メルキューレモンが必殺技名らしきものを叫んだ瞬間、無数の羽根が、ゆっくりと舞い降りてきた。 何が起こったのかは解らない。けれど、これだけは何となく判る。
地面に落ちた瞬間、データとして霧散したこの羽根は――本来、デジモンの必殺技として放たれたものなのだと。
「っ……!」 「やれやれ……出てきたらどうですかシューツモン」 掲げていた左腕を下ろし、席から立ち上がるメルキューレモン。 その姿は一瞬で、ハリちゃんの似姿から本来の鋼の闘士の姿へと変わる。 「その様子だと、偵察には飽きたのでしょう? ……相手になりますよ」 後ろ姿なので想像でしかないけれど――きっとメルキューレモンは、皮肉げに唇のマークを歪めているに、違いなかった。 そういう、声音だったから。 「……アタシはあのグズで遊ぶつもりで来たんだけどねぇ?」 対して、メルキューレモンの前に降り立ったそのデジモンもまた、目元しか見えないけれど、歪んだ笑みを湛えていた。 半分鳥で、半分女性のような、きわどい姿の美しいデジモン。 だけど今朝メルキューレモンが言った通り、確かに、今見てみれば、そのデジモンは容姿こそ綺麗だけれど、マジェスティックには見えなかった。 「でも、まあいいや。常々目障りだったアンタをいたぶれるなら――それはそれで、いいじゃない、楽しそうじゃない!」 見た目の良さを塗り潰して有り余るほどの性格の悪さが、全身から滲み出ているのが見えたのだ。 「お、オタマモン、スマホに戻れ!」 「げ、ゲコ!」 肌が粟立って、とにかくオタマモンに被害が及ばないようにスマホに戻した瞬間、半人半鳥のデジモン――シューツモンが、動いた。 「『ギルガメッシュスライサー』!」 手足の爪に風が渦巻くようにして纏わりつき、そのまま全身を宙で回転させるようにして、シューツモンはメルキューレモンへと切り込んだ。 が―― 「『オフセットリフレクター』!」 同時にシューツモンへと踏み込んだメルキューレモンが叫んだ瞬間、左手の盾が眩く光り輝く。途端に、シューツモンの纏っていた風が消えた。だが気にせず、速度はそのままに爪を振り下ろそうとするシューツモン。 メルキューレモンは腕の攻撃を回避しながら続いて振り下ろされるであろうシューツモンの足を素早く掴み、回転の勢いを殺さないままに彼女を地面へと投げつけた。 「がっ!」 与える筈だったダメージが勢いになってそのまま返ってきたシューツモンの身体が跳ねる。メルキューレモンは彼女の身体が再び地面に落ちるより前に、今度は立ち並ぶ並木の方へと、フルスイングでシューツモンを投げた。 「うげっ!」 背中と頭を強打し、そのままずり落ちるシューツモン。メルキューレモンは、手を払っている。 「思うに、キョウヤマからワタクシの対策自体は入れ知恵されているのでしょう、シューツモン。ワタクシと戦う時は、物理攻撃を用いるように、と。「お前さんの『ギルガメッシュスライサー』なら、風が消されても当たればそれなりに痛がると思うよーん」等、言われたのではありませんか?」 「キョウヤマ博士その喋り方なのかよ」 挑発のために真似しているのだろうが、その辺はメルキューレモン自身が割と不本意そうだ。 「お……え……」 「必殺技としての形態を保った状態であればもちろんの事、やはり当たれば痛かったでしょうね。当たれば、ですよ。当たれば。……フッ。よくもまあ、ワタクシをいたぶる等派手な啖呵を切っておいて、開戦早々無様ですね、シューツモン。楽しい夢からは覚めましたか?」 一歩、一歩。メルキューレモンは、悠々とシューツモンとの距離を詰めていく。 苦痛に顔を歪めながらも、どうにか身体を起こそうとするシューツモンだったが 「がっ」 メルキューレモンはそれを許さずに、先の尖った靴のような形の足で、シューツモンの肩を再び木の幹へと押さえつけた。 「確か」 そして、 「こちらが、利き腕でしたよね?」 次の瞬間。 「いぎゃああっ!?」 そのまま彼女の右腕を手に取ったかと思うと、本来関節が曲がらない方へと思い切りへし曲げた。 ものすごく、嫌な音が響き渡った。 「い……っ」 冷たい汗が噴き出る。 ここ最近何度か俺はメルキューレモンに攻撃を受けてきたワケだが……今この瞬間、それがどれだけ手加減されたものだったのかを思い知らされている。 手加減抜き、冗談抜きだと――こう、なるわけだ。 「痛い痛い痛い痛い!」 「ああ、そういえばヒューマンスピリットの時は蹴り技主体でしたよね?」 シューツモンの肩から、メルキューレモンの足が除けられる。 「痛――ちょ、あ、やめ――」 そのまま今度は、踏んだだけだった。 踏んだだけで、足の骨が潰れる音がした。 「ぎいいいいいい!?」 「「あのグズで遊ぶつもりだった」……確かにそう言ったじゃありませんか、シューツモン。こうやって遊ぶつもりだったのでしょう? どうです? 楽しんでいますか? 自分がする予定だった事を自分にされるのは、一体どんな気分ですか?」 「やめ、やめて、痛い、楽しくない、こんなのっ! 楽しくないっ!!」 「そうですか、まだもの足りませんか」 「ひ――ッ」 こ、これじゃあどっちが悪いのかわかったもんじゃないぞ!? だけどふと見ると、喫茶店の店員さんは全くこちらに気付いていないようだ。まるで、外の景色なんか、これっぽっちも見えていないかのように。 ガラス張りの壁に、俺達の姿など映っていないかのように。 ……え、じゃあ、もしかして、俺しか止める人いないワケ? 「お、お兄さーん、そ、その辺に、その辺にしといた方が――」 あのシューツモンとかいうデジモンになってる人……確か、セラ ナツミだっけか。その人の性格の悪さはさっきの時点で嫌という程伝わっては来たものの、それにしたって限度ってものがある。 声をかけ始めた、その時。 「た、助け――」 地面が、動いた様な気がした。 いや、気がした、じゃない。 メルキューレモンの背後の土が、盛り上がってきている。 「早く助けろっつーんだよこの木偶の坊が――――っ!!」 半ば悲鳴のようにシューツモンが叫んだ瞬間、盛り上がった土が人に近い形を取った。 「メルキューレモン!」 オタマモンがスマホの中から叫んだが、届いた瞬間ではもう間に合わない。 そこそこデカいメルキューレモンよりも遥かに背の高い土の巨人になったそれは、腕を合わせると大きく振りかぶり―― 「ぐはっ!?」 ――振り下ろすより前に、鳩尾にメルキューレモンの肘打ちをぶち込まれた。 「え、ええええ……」 「ふむ」 衝撃で尻もちをついた土の巨人をメルキューレモンが見下ろす。 「流石に硬い」 「な――何やってんだこの役立たず!」 叫ぶシューツモンの顔は、完全に青ざめてしまっている。もはや満足に動けない彼女にとってこの土の巨人の奇襲は、完全に頼みの綱だったのだろう。 しかし今度はシューツモンをまるで無視して、メルキューレモンは、土の巨人の方へと向き直った。 「貴方まで来ましたかギガスモン。全く、自己評価が高いついででワタクシの事も過大評価なのですよあの男は。物理攻撃が得意な輩を2名も並べるとは何の嫌がらせなのでしょうね。辟易しますよ、流石に」 「そうは見えないけどな」 こればっかりは土の巨人――ギガスモンとかいう奴の言う通りだと思いました。 「メルキューレモン。鋼の闘士。……攻撃技を一切持たない、策謀の役割を与えられたデジモンだとキョウヤマ博士から聞いたぞ」 「あの男も性質上、嘘自体は吐けませんからね。故にその情報に偽りはありませんよギガスモン。ワタクシのこれまでの動作は、シューツモンの必殺技の特性を打ち消した以外は全て、何の特異性も無い肉弾技です」 ギガスモンをけん制してんだか挑発してんだかわからない、ただ、淡々と事実を述べているだけでしかないメルキューレモンの台詞が、裏でシューツモンのプライドをずたずたに引き裂いているのが目に見えて解る。 ……根っからのドSかな? 「お、男のそれはノーマジェスティック……」 「非常事態で落ち着かないのは解るゲコ。でも自重するゲコよソーヤ」 どうにせよ、俺達は見守る事しかできない。 ツッコミを入れる俺のミューズの声だって、普段からは想像できない程に、震えている。 「さて? どうしますかギガスモン。このまま戦闘を続行するか、シューツモンを……セラを連れて、キョウヤマの元に帰るか。ああ、風のスピリットは両方置いて行ってくださいね。新しい同盟者にお渡しする約束をしているので」 「お前の肘打ち、痛かったが、致命傷にはならない」 「……そうですか」 呆れたように肩を竦めるメルキューレモンの前から、ギガスモンは地面を蹴って距離を置き、太い両腕を大きく広げる。 「『ハリケーンボンバー』!」 そのまま、その場で回転し始めるギガスモン。 だが、回り始めの段階で――メルキューレモンは、既に距離を詰めていた。 「!?」 『ハリケーンボンバー』が必殺技としての速度に達するよりも前に、メルキューレモンはギガスモンに足払いを仕掛ける。 当然、必殺技のために両腕にエネルギーを集中し、回転を速めるために蹴っていた地面の上で、一瞬とはいえ一本足での直立を余儀なくされていたギガスモンにバランスを取るだけの余裕も無く――大きく、後ろに倒れていく。 受け身を取るだけの猶予も、与えてはもらえなかった。 「フンッ!」 肘打ちだった。 さっきと同じ、鳩尾への肘打ちだった。 だけどさっきと違うのは、今度は全体重を乗せての、地面とギガスモンに杭を打ち込むような――そんな、肘打ちだったって事で。 「がはぁっ!?」 空気が全部飛び出したような声を上げて、ギガスモンが白目を剥く。対するメルキューレモンは追撃が来ないようにすぐさま身を起こし、後ろへ下がった。 「はあ、やはり致命傷にはなりませんね。精々が肋骨にヒビが入る程度でしょうか。貴方は単純に硬いので、セラと違って、折りにくい」 「う、ぐう……」 腹部を抑えながら、ふらふらとギガスモンが立ち上がる。 「関節技も、貴方ほどの巨体だとそもそも組めませんしね。鎧通しが出来ればいいんですけれど、いかんせんワタクシには貴方たちのような中身はありませんから、イメージし辛くて」 「随分と……なめてくれてるな、メルキューレモン」 「覚束ない足元でその返しが出来る貴方の図太い神経は評価していますよ、ギガスモン。……モリツ、と呼ぶべきですか? 土の闘士には認めた相手以外を見下す性質があるので、それが貴方に影響を与えているのか、元々貴方がそうなのか、ワタクシには判断しかねますが」 刹那、ギガスモンが大きく跳び上がった。 奇襲の時と構えは同じだが、高さと勢い。そのどちらもまさしく、必殺技そのもので―― 「『アースクエイク』!!」 落ちてくる。 この辺一帯を「揺らす」事を目的とした一撃が、メルキューレモン目掛けて凄まじい勢いで落下してくる。 ……だが、メルキューレモンはただ、事も無さげに左腕の盾を構えただけだった。 「『オフセットリフレクター』!」 鏡の放つ光が、ギガスモンを包む。 ギガスモンが、目に見えて減速した。 それにしたってそれなりの速さだが――所詮、それなりでしかない。
必殺技足り得ない。
「アナタ方の敗因は2つ」 今度はメルキューレモンが、地面を蹴った。 「攻撃技を持たないという点に関して、ワタクシを侮った事」 落ちていくギガスモンの真上へと跳び上がったメルキューレモンの身体が、一回転する。 「そして――」 メルキューレモンの足が、ちょうど、ギガスモンの首の位置に。 「デジモンは必殺技で相手を倒す生き物だと思い込んでいたところです」 ――ぐしゃり、と。 自分自身の勢いを首から地面に叩きつけられたギガスモンからは、確実に、俺が今まで聞きそうで聞く筈も無かったそんな音が響いた。 相手の力と自分の重み、それから重力を利用した「ただの踏みつけ」に、ギガスモンの大きな鼻は、完全に曲がってしまっていて。 「う……うぇ、お、おおえええ……」 「まあその辺が、戦闘種族であるデジモンと、結局は人間でしかない――」 血液と胃の内容物交じりの泡を吹き出すギガスモンを見下ろすメルキューレモン――その背後に、飛び掛かる影がひとつ。 鳥人から、蝶の羽の生えた妖精のような姿のデジモンに移り変わったセラ ナツミが、決死の形相で折れていない方の足を構えていて。 「『ロゼオ・テン」 「――アナタ達との、違いなのでしょうね」 「ぎゃっ!」 ――振り向きもされないままに再びその足を掴まれたセラは、さっきから散々メルキューレモンが「硬い」と愚痴っていたギガスモンの身体へと脳天から叩きつけられた。 ……。 …………。 ………………。 「そういう意味かよ……!」 「保険として人間の戦闘技術をある程度学んではいますが、いかんせん人間用の技術なので、やはり人間にしか通用しないでしょう」――メルキューレモンは戦闘が始まる前に、そんな事を言っていた。 嘘は何も、吐いていなかったというわけだ。 と、セラの身体が光に包まれ、完全な人間の姿へと戻る。 ……怪我が怪我なので、顔とか、多分、見れたものでは無いと思うが……遠目に見る限りは、普通の女性のように見える。 「さて、改めて」 途端、セラに残っていた光が2筋、メルキューレモンの手の上に飛び移った。 次の瞬間彼の手の平に形成されたのが、多分、風のスピリットというやつなのだろう。 「モリツ。こちらの目的は遂行されました。貴方はどうしますか? 大人しくセラを連れてキョウヤマの元に逃げ帰るか……ヒューマンスピリットまで失うか」 セラからは一拍遅れて、モリツと呼ばれたギガスモンもまた、光に包まれて人間――ガタイのいい男の姿へと戻る。 スピリットは、既に、メルキューレモンの手の中だ。 「う、うう、ぐううう……スピリットエヴォリューション・ユミル!」 再び、モリツの身体を進化の光が包む。 まさかまだやる気なのかと思ったが――ギガスモンの時とは違って小柄になったゴブリンみたいな姿のデジモンは、戦う意思は見せずに、ふらふらとよろめきながら、気を失っているらしいセラの身体を担ぎ上げた。 「……俺達はここで撤退する」 「賢明な判断かと」 「俺達はな!」 と、土のヒューマンスピリットのデジモンは胸元から小さな瓶を取り出したかと思うと、地面へとそれを叩きつけた。 ぱあん、とガラスの割れる音が鳴り響いた、次の瞬間。ギガスモンが現れた時の様に地面が盛り上がり、数体のデジモン――ゴーレモンが形成される。 土の闘士はそれらの完成を見届けない内に、いつの間にか姿を消していた。 「悪知恵の働く……」 ゴーレモンは、メルキューレモンへと一斉に襲い掛かってきた。 寸でのところでそれを回避し、テラス席まで戻ってきたメルキューレモンは――そのまま、椅子に腰かける。 「んん?」 「カガ ソーヤ、後は頼めますか?」 「んんん??」 腰かけた、筈なのに――メルキューレモンはそのまま、ずり落ちるように床へと倒れ込んだ。 「はぁっ!? なんで!? 全然ダメージ受けて無かったじゃん!?」 「少し……使い過ぎました……」 「何を!?」 「説明は……後程」 ゆっくりと、ゆっくりと。方向転換を済ませたゴーレモン達が、こちらに向かって歩いてくる。 移動するだけで身体から砂が零れ落ちているあたり、本当に即興の、デジモンに似せただけの存在なのだろう。 だけど――オタマモン、いや、ゲコモンで対処できる数じゃない。 「……何のためのスピリットだと思っているのですか」 「で、でも……ゲコの力じゃ、水のスピリットのデジモンになっても倒しきれないゲコ」 1体2体ならともかく、話を聞く限り水のスピリットのデジモン――確か、ラーナモンだっけか。ラーナモンは、攻撃力重視のデジモンじゃない。 万が一にも囲まれたりしたら、最悪の場合、シャレにならないダメージを受けてしまうかもしれない。 「助けを――」 「状況を説明し切る自信はお有りで?」 「う……」 確かに宣言通り被害は出ていないかもしれないが、それでもギガスモンの必殺技を受けるのは免れたとはいえ地面は軽く陥没し、ところどころに人間の血痕が残っている訳で。 それでもオタマモンにゴーサインなんて出せずにいる俺に――メルキューレモンは小さく溜め息をついて、俺のデジヴァイスを指さした。 「ウンノ博士から……渡されているのでしょう、水のビーストスピリットを」 「!」 確かに、多分使用できるのが俺のミューズしかいないって事で、一応預かってはいるけれど―― 「そもそもの属性が獣である貴方のパートナーには……そちらの方が、相性が良い筈です」 「……ソーヤ」 スマホが、光を放つ。 気が付けば、オタマモンが俺の前にリアライズしていて。 「お、オタマモン……」 「それしかないなら、ゲコはやるゲコ! ゲコだって――ソーヤのパートナーゲコ!」 迫りくるゴーレモンもどきたちの前に、オタマモンが立ちふさがる。 「守られてばっかりじゃ、いられないゲコ!」 守られてばっかり。 リューカちゃんとピコデビモンに。ウンノ先生とスカモンに。……メルキューレモンに。 そりゃ、今回の事はメルキューレモンを俺を連れ出さなきゃ巻き込まれなかった訳なんだけど―― 囮だっていうのは、嘘じゃなかったんだと思う。 でも、多分、今の状況を見るに、それだけでも無かったのかもしれない。 後始末を――誰かに頼まなきゃいけない状態だったのかもしれない。 「……だあっ! 解ったよ! やりゃあいいんだろ!?」 スマホの機能をデジヴァイスに切り替える。 俺の決心に応えるようにして、青い画面に『水』の文字が浮かび上がった。 「1個借しだかんな! 返したかったら、ハリちゃんと仲良くしろよ!?」 返事は無かった。でも気にしてる場合じゃない。 俺は、オタマモンにスマホをかざした。 「スピリットエヴォリューション!」 「オタマモン、進化――!」 空気中の水分がオタマモンの周りに渦になって舞い上がり――それが消え去った瞬間、オタマモンより、ゲコモンより、はるかに大きいデジモンが、俺達の前に立っていた。 「水の闘士――えーっと……」 自分の名前が解らず戸惑っているのは――逆さまにひっくり返した巨大なイカの本来口にあたる部分から、女性の上半身が生えたデジモンで。 ……水のヒューマンスピリットのデジモンであるラーナモンよりも、年齢的にはかなり上に見えるが――でも恰好は結構セクシーで、元が俺のミューズだからか、表情にどこか愛嬌がある。 「これはこれでマジェスティック!」 「馬鹿な事言っていないでさっさと片付けてください。……そのデジモンの名前は、カルマーラモンです」 「カルマーラモン!」 宣言し直すオタマモン――改め、カルマーラモン。 カルマーラモンはイカの先端部分だけで身体を地面に対して垂直に立てると、触手の部分を広げた。 「くらうゲコ! 『タイタニックチャージ』!」 そのまま、まるでギガスモンがやり損ねた攻撃を再現するようにして――グルグルと、カルマーラモンは高速で回転し始める。 さっきと違うのは、足払いを仕掛けてくるゴーレモンもどきなんていないという点で。 「ゲコーッ!」 遠心力で長い触手がすさまじい勢いで叩きつけられ、ゴーレモンはあっという間に土塊へと分解されていく。 数秒後には、もう、砂煙しか残っていなかった。 「ゲコゲコ……ラーナモンの時とは、随分違うゲコ……」 敵が片付いたのを確認してから、カルマーラモンはすぐさまオタマモンへと戻った。 もちろん、さっきまでメルキューレモンが戦ってた風と土のスピリットのデジモンの足元にも及ばないだろうけど、普通に、完全体レベルの強さはあったと思われ。 「オタマモン、お疲れ」 俺はオタマモンを抱き上げた。 「スピリットにも――なんか、相性とかあるんだな」 「そうみたいゲコね」 「まあ……ラーナモンには気象予報システムに由来した能力等があるので、一概に甲乙はつけられないんですがね……」 いつの間にか姿を鋼の闘士から、普段の――もはやハリちゃんのものですらない、キョウヤマ コウキの姿に戻したメルキューレモンが這い上がるようにして椅子へとよじ上ってきた。 「だ、大丈夫なのか……?」 「少しは……落ち着きました。……ワタクシの必殺技の一つ、『オフセットリフレクター』は相手の攻撃の性質を反転させ、相殺する技。……相殺分のデータは、中身の方から引っ張ってくるしかないので」 「えーっと……じゃあ、今のは貧血みたいなもん?」 「似たようなものかもしれませんが、そうだと断言はしかねますね。そもそもが違うので」 言いつつ、人間形態のメルキューレモンは、体調を崩した人間みたいに顔色が悪い。 ……このデジモンはこのデジモンで、無理してたのかもしれない。 「……風の闘士も、土の闘士も――いえ、十闘士は全員、相殺するには強力過ぎる必殺技を持つ者ばかりです。……炎の闘士が来なかっただけまだマシですがね。まあ、アレはアレで、対処のしようはありますけれども」 解ってたけど――だけど、今更になって、後悔が押し寄せてくる部分もある。 あの時、この『水のヒューマンスピリット』を見つけなければ、俺のミューズはこんな危険には巻き込まれなかったのだ。 でも同時に、その発見を否定したくない気持ちも、後悔を押し返すくらいにはちゃんとある。 ……きっと、ここまでが順風満帆過ぎた俺は、どこかで、出会わなきゃいけなかったんだ。と。 「肩貸そうか?」 「結構です」 案の定俺の提案を退け、メルキューレモンは椅子から立ち上がる。 「……戻りましょう、雲野デジモン研究所に。戦利品を届けなければいけませんからね」 「それもだけど……ハリちゃん、きっとオシャレして帰ってくるぜ」 「ゲコ!」 「……」 何も言わずに、メルキューレモンは歩き始める。 疲れているせいだろうが、その速度は、行き程の速さでは無い。 俺はすぐに、その隣に並んだ。 ……先ほどの戦闘を見る限りでも、ハリちゃんとメルキューレモンは、碌な生活を送ってこなかったんだろうけど。 でも、雲野デジモン研究所にいる間だけは、そんな言い訳、通用しなくなる。 そうなれば、いいなと思う。 「妹さんの土産話、ちゃんと聞いてやれよ?」 「……解っていますよ」 メルキューレモンは、やっぱりこっちを見ないままに続けた。 「貴方に言われるまでも無く、ね」
*
だけどこの時、俺はこれっぽっちも考えちゃいなかった。 俺達より少し遅れて研究所に戻ってきたリューカちゃん達が持って帰ってきた「土産話」は、俺の予想をはるかに超えて――身に余るもので。
その時になって、俺は――いや、俺だけじゃない。リューカちゃんも、ウンノ先生も。もしかしたら、ハリちゃんとメルキューレモンだって、その時初めて痛感したのかもしれない。
俺達の相手は、この世界への脅威なんだって。