Episode ウンノ カンナ ‐ 1
警察署の帰り道。……とはいえ、自宅兼研究所とは真逆の方向にある、山の麓の霊園。
『栗原家ノ墓』と書かれた墓石の前に白い花束を供え、近くのコンビニで買ってきた線香を立ててから手を合わせた。隣では、スカちゃんも同じようにしている。
話しかけるような真似はしない。そんな事をしたって虚しくなるだけだし――第一クリバラは、アタシが今やってる事を知ったら「僕の仇なんていいよ」等笑顔で言いやがりそうなので――情けない話、『話し』てしまったら、それだけで自分の決意が緩んでしまいそうな気がして。
……でもアタシは、彼のそういうところが、好きだった気がする。
これは、ただの墓参り。
毎月決まった日の習慣が、たまたまアタシにとって大きな出来事と重なっただけだ。
一昨日の晩の事で昨日一日、今日半日が潰れてしまったが――状況証拠が、何より被害者自体が、こちらの味方だ。これ以上何かを追及される事は、無いだろう。
……まあエテちゃんの『バナナスリップ』は道路で使うと非常に危険な技なので、他に手段が無かったとはいえその辺は、その、ちょっとばかり怒られたが。
「行こうか、スカちゃん」
「ええ」
1分程の黙とうを終えて、アタシはスカちゃんをスマホに戻して墓の前を後にする。
平日の昼下がりの参拝者は少ないものの、あまりスカモンを見ていい顔をする奴ってのはいない。
こういうデジモンはあくまで『データの』カスから生まれた存在なので、育成環境にもよるが人間の世界ではこれっぽっちも汚くない(まあ必殺技に関しては汚さはともあれ触り心地が非常にリアルなので何とも言えない)のだが……ただ形が形なのも事実なので、そう思う奴らの気持ちも解らんではない訳で。
研究者的にはスカモンやヌメモンはデジモン達の『不快感』を刺激する事によって大きな力を持たないでも生き延びる事に成功してきたので、かなり興味深いデジモンなのだが、その視点を一般人にまで求めるのも酷な話だろう。
そういう訳で、外にいる時は大概こんな感じだ。
「……にしてもカンナ。カジカちゃん。なかなかいい男ヨねぇ」
「ありゃ一種のアホだと思うが……でもまあ、ああいう良くも悪くも自分に正直な男ってのも、確かに、今時ちょいと珍しいね」
カジカP。本名、鹿賀颯也。
あれは、きっと人の心を読んで動かす天賦の才の持ち主なのだろう。
だからこそあの青年は『あの場』で、誰よりもリューカちゃんの心を動かす事を選んだ。
『ヴァンデモン』というデジモンを恐れる不特定多数ではなく、『自分のパートナーを助けたヴァンデモン』のパートナーの折れそうな心を。
「……アタシには、あの子があの場で何を聞いたのかは解らない」
あそこまでリューカちゃんを駆り立てた恐怖心の発端になったであろう言葉を、アタシの耳では察知できなかった。
だけど、彼女の尋常ではない怯え方を被害妄想の一言で片づけられるような奴は――きっと、幸せな生き方をしてきたのだろう。
「アタシもスカちゃんの事でそれなりに苦労してきたつもりだったんだけどねぇ」
「何ヨ、聞き捨てならないわね」
「でも、あの子を見てると……流石に、気の毒になってくるよ」
「……カンナ」
ぽつり、と、スカちゃんがアタシの名前を呼んだ。
「何さ」
「後悔してる? あの子達を巻き込んだこと」
「あの子達が自分で飛び込んできたんだ。……とは、言えない程度にはね」
そして今から帰路につくアタシは、新しい犠牲者を増やそうとしている。
……カガ ソーヤは、アタシ達への協力を申し出た。
「だけど、それでも――」
警察からの取り調べも済んだ今。ここからが、ようやくスタート地点だ。
「――アタシは後悔なんて踏み潰していく」
アタシは指輪ごと、右手の中指を押さえつけた。
*
そのままタクシーを呼び、約20分後。
「ただいま」
スカちゃんをリアライズしてから、辿り着いた自宅の扉を開ける。と
「あら? お客さんかしら?」
見慣れない靴が2揃い、きちんと整えて置かれていた。
「刑事さんかね? 新情報があったとか?」
「あ、博士!」
首を傾げていると、廊下の向こうからリューカちゃんが顔を覗かせた。
「ただいまリューカちゃん。お客さんかい?」
「えっと、その、そうなんですけど……とにかく、こっちへ」
「?」
リューカちゃんに促されるまま玄関を上がり、応接間へと向かう。
そこには緊張でガチガチに固まったピコちゃんと、その隣の席でそわそわと落ち着かない様子のカジカPとオタマモン――そして向かいの来客用ソファに、見たことのある顔が2つ。
……片方が腕を三角巾で吊るした一昨日の少女だと理解した瞬間――頭が真っ白になって、思わずアタシはもう片方の男の胸倉に掴みかかった。
「お前……キョウヤマのせがれの!」
「京山幸樹、と名乗るべきでしょうね。ご無沙汰しています、ウンノ博士」
「よくもまあぬけぬけと……!」
何度か会った事がある。
まだ、キョウヤマを敵だと思ってすらいなかったあのころ――あの男が息子として紹介し、助手として同行させていた男だ。
それが、目の前に――!
「カンナ! 落ち着きなさい!」
スカちゃんが叫んだ。
「これが落ち着いてなんか」
「リューカちゃん達が、怖がってる」
「!」
見れば、まだ何の説明も無しにこの状況に置かれていると言っても過言ではないカジカPとオタマモンはもちろんの事、スカモンの隣でアタシの様子を見守っていたリューカちゃんも、彼女の方へと飛び移ったらしいピコちゃんも、凍り付いた空気に身を縮めていて。
この子達は――アタシが帰ってくるよりも前にこいつらと対峙して、ただでさえ張り詰めていたに違いなのに。
「……チッ」
それでもどうしても抑えがきかず、突き飛ばすようにしてキョウヤマの息子から手を放す。奴は何事も無かったかのように着ているシャツの襟を整え、元の席へと腰かけた。
「ハリ、言いつけ通り動かなかったことを評価します」
「恐縮ですマスター」
……今、こうやってキョウヤマの息子に対応しているこの少女だけが、この場で何の表情も浮かべず、微動だにしていなかった。
「……何しに来た」
深呼吸を挟んでから、改めて、アタシはキョウヤマの息子を睨みつける。
「顔の割れてるその娘を連れてきたって事は、一昨日の件はアンタ達のところの仕業だって認めてる――って事で、いいんだね?」
「ええ。一昨日の事はキョウヤマ博士の指示によるもの。……本日お邪魔したのも、表向きは、一昨日と同じように水のヒューマンスピリットとその使用者の回収という事になっています」
「表向きは……?」
その時、キョウヤマの息子がこちらに向かって何かを投げた。
「!」
反射的に受け止めてしまう。
……それが何なのかに気付いて、更に訳が分からなくなった。
「これは……!」
イカの化け物のようなオブジェが乗った黒い六角形の台座――水のヒューマンスピリットと対をなす、水のビーストスピリットだ。
「いくつかある手土産の内の一つです。どうぞ受け取って下さい」
「何のつもりだ」
「ワタクシと……妹、でいいでしょう、一応。ワタクシと妹のハリは、ウンノ博士。貴女の元に寝返る事に決めました」
「は?」
「なので、改めて自己紹介を」
呆然とするアタシの前でキョウヤマの息子は立ち上がり――姿を、変えた。
それは進化でも何でもない、ただ繕っていた外見を、元に戻すための作業だった。
「!?」
現れたのは人の姿の時よりも背の高い、巨大な円形の盾を両腕につけた、緑色を主体とした機械的な体に鏡が嵌め込まれたような奇妙な姿のデジモンで。
「ワタクシは鋼の闘士、メルキューレモン。京山幸助……正しくは古代鋼の闘士、エンシェントワイズモンの正統な後継機です」
そう言って、メルキューレモンと名乗ったデジモンは、顔を構成する鏡に映った赤い唇を歪めた。
*
「さて、詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか」
場所を研究室に移し、アタシは改めてメルキューレモンと対峙した。
万が一にもリューカちゃん達に危害が及ばないように、スカちゃんはメタルエテモンに進化させて向こうに残してある。
自分の身を守る手段ははっきり言って無い。だが、彼らの誘いが罠だとしても、こんなところでアタシを殺すという不用意な真似をする程愚かな輩にも見えない。
メルキューレモンは研究室の壁にもたれかかりながら、相変わらず唇に弧を描いている。
「よろしいのですか、他の方々に聞いていただかなくて」
「アンタの話の正否はアタシ1人で判断する。あの子達を嘘で惑わせないって保証は、どこにも無いからね。ただ、パートナーを連れてこなかったのは先に自分の手札をさらしたアンタへのアタシなりの敬意だ。素直に受け取りな」
「フッ、それ程の胆力が無ければ、エンシェントワイズモンの相手は務まらないでしょうからね。いいでしょう。ワタクシも、真摯に対応させていただきましょう」
そう言うと、メルキューレモンは右側にある盾を腕から外し
「どこか置く場所を作ってもらってもよろしいですかね?」
と若干アタシの汚い研究室を小馬鹿にするような口調でのたまった。
不本意ながら、アタシとしても適当な場所に置かせて書類や資料に何かあると困るので、申し訳程度の空きを机の上に作り出す。
「どうも。……さて、まずはこちらをご覧ください」
パチン、とメルキューレモンが指を鳴らす。途端に鏡の上にそれぞれ違う意匠のオブジェが乗った黒い六角形が12個、浮かび上がった。
「スピリットだね?」
「その通りです。ここに表示しているのは既に実物を見てもらってある水のスピリット、ハリの所持する光と闇のスピリット、そしてこのワタクシ、メルキューレモンの鋼のスピリットを除いた炎・雷・風・氷・土・木のスピリットです」
「……アンタの父親の元で所持してるスピリット、って事かい」
父親、と言う単語に反応してか、一瞬、メルキューレモンの口から笑みのような歪みが消える。
こいつとしても、あの男が父親だというのは不本意なのかもしれない。
……まあ、そうじゃなかったら、わざわざうちに菓子折り持ってやって来たりはしないだろうが。
「その通りです、ウンノ博士。雷と風のスピリットの持ち主とは、直接対峙されたようなのでなんとなくは、彼らの実力は解っていただけますね?」
「相当な手練れだって事くらいはね。寿命に明確な限界のある人間がデジモンに進化すれば、そいつは自動的に『ユミル論』に基づいた、強力なデジモンになるんだろうさ。……だが、それだけじゃないね?」
「お察しの通り、彼らは全員、パートナーデジモンを取り上げられるような連中ですよ。名前と顔は全員変わっているとの事なので、元々彼らが、どういった理由でそうなったのかまではほとんど知りませんけどね」
パートナーデジモンを、取り上げられる。……つまりは、デジモンと共にいるための簡単な約束事すら守れない、頭のイカレた連中、という訳か。
「で? そんな奴らを、キョウヤマはどうやって連れてきた?」
「単純に、もう一度暴れるための力を与える代わりに時々は力を振るう対象を選ばせろ、という契約の元で動かしています」
「……その暴力の対象には――クリバラもいたね?」
メルキューレモンが頷いた。
「……そうかい」
「彼に直接手を下したのは――」
「いや、いい。どうせその内、かち合う事になるだろうからね。今顔と名前を知ったら――アタシはこの先ずっと、そいつに会うまで燻り続けなきゃいけないじゃないか」
燃え盛るのは、一瞬で良い。
出会った時が、最大火力だ。
「今はしっかり復讐心に鍵をかけて――開けた時には、バックドラフトをお見舞いしてやるつもりでいるのさ」
クリバラを焼いた炎が何に飛び火したか――どんな手段を使ってでも、必ず思い知らせてやる。
「……やはり貴女の執念はあの男の妄執に勝るとも劣らない。恐ろしい女性だ、貴女は」
「誰のせいでこうなったんだっていう話だけどね」
しかし妄執、か。
「単刀直入に聞くけど、キョウヤマ――いや、エンシェントワイズモンって言うべきかい? 奴は一体、何を思って人間をユミル進化させてんだ?」
「理由までは。……ただ、人間ベースではないワタクシと、自ら改造を施したハリ以外はいくらでも替えが効く、とは言っていたので……ある意味では、彼らに手駒としての重要性はさほど無いのでしょう。むしろ人間をデジモンに進化させる事自体に意味があるような――そんな気がします」
人間をデジモンに進化させる事自体に――か。
だが、ユミル進化には成功しているらしいとはいえ、人間からデジモンへの進化は道具に頼った『変身』だ。
人間は、デジモンでは無い。
デジモンの鎧を纏ったところで、肝心の中身は、人間のままだ。
こいつの連れてきたハリという少女が一昨日の晩、ダメージをきっかけにデジモンから人間に『退化』したように。
そこに意味を見出すなんて、アタシには出来そうにない。
「というか」
一通り考えを巡らせた後、アタシはようやく、もっと先に引っかかるべき個所があった事に気が付いた。
目の前のコイツの中身と――
「アンタ自身は何なんだい。人間じゃないのはさっきの変身でよく解った。それと」
――あの少女について。
「アンタ達。あの娘に一体、何をした?」
「まずはワタクシについてお答えしましょう。ワタクシの内部を構成しているのは、ロードしたデジモンのデータの集合体ですよ」
ロード……倒したデジモンを、いわゆる経験値として取り込む行為だ。
「ワタクシは他の闘士と違って、性質上能力値が高くある必要は無いのです」
「ユミル進化のブーストはいらない、ってか」
「ええ。……最も、言ってしまえば充電式の電池のようなものなので、何もしなければ徐々にデータを消費して、スピリットに戻ってしまいますがね」
続けて、メルキューレモンは光と闇のスピリットの少女について話し始めた。
……聞けば聞くほどに胸糞悪い話で、最後の方は、自分でも引くくらいのしかめ面になっていたと思うが――同時に、研究者の性なのか、冷静に納得できてしまう部分もあって。
少なくとも、メルキューレモンがハリを『妹』と呼んだ理由が同じ京山の姓を名乗っているからだけではない、というのは理解できた。
「……キョウヤマの所を逃げ出したのは、妹を守るためかい、『お兄ちゃん』」
「そうだと即答できれば良いのですがね。……残念ながら、ワタクシはエンシェントワイズモンの性質を継ぐ者。そんな人間好みの選択ができる程、出来た存在ではありませんよ」
それでもそう述べるメルキューレモンの唇はどこか自嘲気味で、それだけは、このデジモンに対する信用の根拠として、覚えておいてもいいかなとは思った。
『鋼』――少なからず機械の性質を持つこのデジモンは、恐らく、嘘が吐けないのだ。
だが、今はそれよりも――だ。
「さっきから何回か、エンシェントワイズモンを継ぐ者云々とか言ってるけど……そもそもエンシェントワイズモン……いや、古代十闘士とかその後継機の十闘士のスピリットだとか、一体何なんだい?」
「エンシェント、と名のつくデジモンは、デジタルワールドが始まって以来、最も初めに誕生した究極体だと聞いています。……ここからはどちらかと言えば、もうほとんどお伽噺の類になってしまいますが――よろしいですか?」
アタシは頷く。無駄話でないなら、何でも結構だ。
「解りました。……デジモンが戦闘を繰り返して強くなる種族だというのは、貴女方もご存じでしょう。しかし初期のデジタルワールドにはデジモン自体の多様性が無い分、どの個体も過剰なまでの争いを繰り返し自身の最適化を目指していました。貴女の研究をリスペクトした風に言わせてもらうのであれば、「誰もが『前例』になる事を願っていた」とでも言いましょうか」
「こっちの世界でデジモンが観測され始めた当初、知性を持たず、ただ動くものを襲う個体が多く見られたのはそのためかい?」
「その通りです。だがそれだけに、誕生して間もないデジタルワールドの疲弊も早かった。……そんな時です。成長期でありながらどのデジモンよりも強力な力を振るう『聖なるデジモン』が突如として現れ、デジモン達の争いを鎮静化させたのは」
「『聖なるデジモン』……」
聞いたことがある。
天使型のデジモンは、個体差も世代差も関係なく、聖属性の部分は必ず共通したデータで出来ていると。妖精型や一部の竜型のデジモンは、それぞれに違った聖属性のデータを持っているにもかかわらず、だ。
故に彼らは1つの存在から分岐したデジモン達なのだと。
……彼らが状況によっては非常に闇に染まりやすい性質を持つのもそのためだ、と。
「その『聖なるデジモン』が、これ以上デジモン同士の争いが激化すればデジタルワールドが持たないと判断した管理システムによって遣わされたものなのか、むしろ激化し過ぎた争いが生んだ最適化の済んだ個体だったのか……それは誰にも分りません。しかしそのデジモンが実質的な支配者になる事によって、デジタルワールドには誕生以来初めてと言って良い平和がもたらされました」
「だけど、長続きはしなかったんだろう?」
「ええ。まあ言ってしまえば独裁者であった訳ですから。徐々に『聖なるデジモン』は傲り高ぶり、実質的な支配者から本質的な支配者――つまり、管理システムをも超える存在になろうという考えに至りました」
管理システムがその『聖なるデジモン』を創ったのだとしたら、とんでもない大誤算だったろう。
「もちろん管理システムがそれを許す筈も無く、管理システムのバックアップを受け、完全体を超える存在である究極体に進化した10体のデジモンが――ああ、これが古代十闘士です。ともかく彼らは10体がかりで『聖なるデジモン』に挑み、ほとんど相打ちのような形で彼のデジモンを殺害したと聞いています」
「どんだけ強かったんだその『聖なるデジモン』……」
天使型デジモンは相性によっては世代差すらひっくり返すと言うが……それにしたって限度というものがある。
……まあ、だからこそ、「お伽噺の類」か。
「『聖なるデジモン』の死と同時に古代十闘士もまた役目を終え、その全員が死亡。彼らのデータは新たな進化の礎として全てのデジモン達に刻み込まれた他、『聖なるデジモン』のような脅威が再びデジタルワールドに現れた時のための対抗策として、属性の事を除けばほとんど無条件でデジモン――あるいは人間――が古代十闘士の力を継ぐ存在に進化できるプログラムとなって残されました」
「それが、スピリット」
「ワタクシ達、十闘士です」
こんこん、と、メルキューレモンは自分の盾……あるいはその上に映し出されたスピリットの像を指先で叩いた。
なるほど。そんな存在であれば、能力値が究極体に匹敵するのも頷ける。
頷ける、が……。
「それを悪用されてちゃ世話無いねえ……」
もう少し、何とかならなかったのだろうか。
「……それに関しては、元となった古代十闘士側が悪用しているわけですから。管理システムも、まさか滅んだはずの古代の究極体が今更になって悪事を働くとまでは看過できなかったのでしょう」
「あ、そうだ。なんでエンシェントワイズモンは生き残ってんだい? アンタさっき「全員死んだ」っつったばかりじゃないか」
「死んでいますよ。……アレは、キョウヤマは……実体を持った、亡霊です」
メルキューレモンの唇が、平行線を描いた。
「亡霊」
そう聞くと、嫌でも思い出すデジモンがいる。
1999年に死に――その3年後に、一瞬とはいえ世界を闇で覆ったデジモン。
彼はその執念だけで、この世界にしがみついていたと。
「そう、亡霊。『聖なるデジモン』との戦いで、確かにエンシェントワイズモンは死亡しました。ですがエンシェントワイズモンは膨大な知識と異世界の扉を開く能力を持つデジモン。……逃がしたのですよ。死の間際に、一部のデータと、自らの精神を」
「……それが人間に化けて出た、ってか」
デジタルワールドと人間の世界では、時間の流れが違う。
1999年の選ばれし子供たちの活躍によって、その時間の歪みはある程度改善されたらしいが――それでも、最初期の究極体が現代に出現するまでにかかった時間は、管理プログラムが「今更」と認識するには、十分過ぎるほど長かったに違いない。
「デジタルワールドに舞い戻ったエンシェントワイズモンは、古い仲間達の残滓を探り当て――そして、残された自分の肉体の成れの果てであるワタクシをも回収した」
幽かに、メルキューレモンの声が震える。
「自分の分身ですからね。人間側に貸し与える鎧としてではなく、全盛期よりは力を失った自身の手足として、ワタクシだけはなるべくそのままの状態でリアライズさせたかったのでしょう。しかし結果として」
「……」
「ワタクシだけが、純粋に十闘士として――世界の脅威への対抗プログラムとして、この世に出現してしまった」
スピリットは、あくまで鎧。
いくらデジタルワールドの『正義』の名のもとに生み出された鎧であろうと、纏った者がその性質を持たなければ意味が無い。
そんな中で、1人だけが鎧の本質のままで出てきちまったってのは
「まあ、同情はしてやるよ。メルキューレモン」
「……そうしていただけるとこちらとしても幸いですよ、ウンノ博士」
言いあって――一瞬の間をおいてから、アタシ達は、ほとんど同時に溜め息をついた。
なんだかなぁ……
「厄介事だ厄介事だとは思ってたけど……これ、もしかして予想以上にヤバい案件に足つっこんでないかい? アタシ」
「もしかしなくても色々と手遅れですよ」
「あー。何もかもクリバラのせいだー」
「手を引きますか?」
「まさか」
エンシェントワイズモン――キョウヤマが何を考えているかなど知りたくも無い。
その先にあるのが世界の危機だろうがアタシのやる事は変わらない。
その結果世界が救われようとも――あるいは滅ぼうとも、関係ない。
「いいよ。手を組もうじゃないかメルキューレモン。協力してやるから、協力しな」
右手を差し出す。
「炎のスピリットの持ち主が来たら、教えておくれ」
目がある相手じゃないから、はっきりとはわからない。
でも、メルキューレモンが私の中指を一瞥したような気がして――その直後、彼は私の手を握り返した。
「できれば炎のスピリットの持ち主以外もどうにかしていただけるとありがたいのですが」
「それは今後の展開次第さね」
アタシ達は、どちらからともなくお互いの手を放す。
メルキューレモンの手は、鋼の名に違わず、冷たかった。
「……さて」
また、メルキューレモンがぱちんと指を鳴らした。途端に盾の上からスピリットの映像が消え失せる。
「その盾……『イロニーの盾』の片割れは、友好の証として貴女に預けておきましょう」
「え、いらない。邪魔」
「っ……!」
あからさまに唇をへの字に曲げたかと思うと、またしても指を鳴らすメルキューレモン。途端、『イロニーの盾』とやらがディスクへと変わる。
「それならいいでしょう」
「いやまあ、いいけど……これ、アンタの武器みたいなもんだろ? 盾だけど。大丈夫なのかい?」
「むしろ万全の状態でいられてはそちらも不安でしょうから。お気になさらず。片方あれば十分――他の闘士にも、後れは取りませんよ」
「ふうん……」
大した自信だ。そういえば一昨日の時もシューツモンを怯えさせていたように見えたし……まあ、少なくとも虚勢ではないのだろう。
「一応聞いとくけど……協力する、とは言ったけど、そっちからの具体的な要望は? 戦闘時の協力と、情報交換だけでいいのかい?」
「では、ハリに一般的な素養を身に着けさせることは、可能ですか?」
「……」
どんな気持ちで言っているのかすら解らないが――多分、向こうも自覚は無いのだろう。
コイツがあの娘をどう思っているかなんて、コイツ自身が、一番何も解っちゃいないのだ。
しかし、一般的な素養、ねえ。
「さあね。でもそういうのは、アタシよりもアタシの助手の方が得意だろうさ。あいにく身の回りの世話は……クリバラ任せだったからね」
「……」
「アイツが死んでから焼いた肉とか食えなくなったし、前以上に、身なりに気を遣うだけの気力も無くなっちまった。そんな奴が……そういうのは、無理でしょ? ……ああ、あの子達には友人って事にして伝えてあるから、アタシとクリバラがどういう関係だったのかは、黙っておく事。この同盟における最低限の約束事項だ。覚えときな」
「把握しました。こちらからは、これ以上は何もありません。……そちらは? 他に質問はありますか?」
「こっちも――いや」
一つ聞き忘れていた。
「そういえば、どうして水のヒューマンスピリットは、川なんかに流れ着いてたんだい?」
そんな大それた質問をしたつもりは無かったのだが、メルキューレモンは、しばらくの間どう答えるかを悩んでいたようだった。
が、やがて軽く肩を竦めてから
「クリバラ博士が、持ち出したのですよ」
そう言った。
「え?」
「最後にキョウヤマの研究所を訪れた時に、盗み出したようです。その後どこかに適当な場所に破棄したのかもしれませんね。どうして今になって発見されたのかは、ワタクシにも分りかねますが」
「……そうかい」
ああ、クリバラ。
アンタ――なんだかんだ、一矢報いるくらいは、やってたって事かい。
「そりゃ、いい事聞いた」
きっと、そんな事に意味など無かったろうけど。
……それでも少しだけ、何となしに、頬が緩んだ。
*
「待たせたね。話は終わったよ」
思いの外長くなっちまったなと思いつつ、応接間の扉を開ける。
「君を、アイドルにしようと思う」
……アタシとメルキューレモンを迎えたのは、疑問符とビックリマークが頭上に浮かぶリューカちゃんとピコちゃん。やたらニコニコしているエテちゃん。呆れたように目を細めるオタマモン……が進化したらしいゲコモン。
そして、きょとんとした表情の少女――光と闇のスピリットの持ち主、ハリ。
彼女の左手を包み込むように握り締め、キラキラと目を輝かせているカジカPだった。
「君は俺のミューズ足り得る可能性の卵だ! ぜひ俺のために歌ってほしい! ひいてはそれが世界のためになるとも! そう、君はアイドルになれる!!」
何がどうしてそうなった。
と、
「……………………」
長い沈黙の後、半ばアタシを押しのけるようにして部屋に踏み入るメルキューレモン。
彼に気付かずハリのアイドルへの可能性を説き続けるカジカPだったが――そんな彼に向かってメルキューレモンは手を伸ばし、そっと頭を掴んだかと思った次の瞬間には、締め上げていた。
「あだだだだだだだ!?」
「ハリが貴方に歌について聞く予定があるのは知っていましたが、どうしてその結果、ハリはアイドルに勧誘されているのです……?」
「マスター。私も今現在その理由は把握していません」
「いた、痛いちょっと!? ちょっと落ち着いてお兄さんこれには訳が」
「誰がお兄さんだ!!」
「恐らくマスターの事かと」
「にゃああああああああ!?」
知ってる、あれアイアンクローだ。鋼の闘士のだから、本物のアイアンクローだ。
痛そう。
……というか、本当にメルキューレモンは解っていないのだろうか。
いや、まあ。無いからな。デジモンと人間の兄妹なんて……『前例』が。
「……おーい、その辺にしといてやんな」
声をかける。が、またカジカPが余計な事を言ってしまったらしい。もう少し、この状況は続きそうだ。
リューカちゃん達は戸惑っているが、パートナーの方が「やれやれ」とでも言いたげに首を振っている程度なので、多分、さしたる問題は無いのだろう。
思わず、ふっと笑ってしまう。
ああ、いつか話せる日が来たら、アイツにも教えて、笑わせてやろう。
アンタの持ち出した水のヒューマンスピリットが、ネットアイドル始めたよって。まずは、そんな話から。
*
その後、何だかんだで俺とリューカちゃんは2人を研究所に入れる判断をし、対応しようとしている最中にウンノ先生が帰宅。
ウンノ先生がすごい剣幕でキョウヤマ兄妹の兄の方に掴みかかったり、その兄の方が実はデジモンだったりと怒涛の展開を挟んだ後、ウンノ先生はパートナーを究極体のメタルエテモンに進化させてから、デジモンだったキョウヤマさん(兄)と2人で部屋を出て行った。
メタルエテモンが見守る中、俺とリューカちゃんは、パートナーたちと共にキョウヤマさん(妹)と向かい合う形になっていて。
……しかしこの子、本当に動かない。
流石に瞬きはしているが、それだって最低限だ。乾かないのだろうか、目。
いや、そんな事はさて置き、だ。
「貴女は……一昨日の、ヴォルフモン、さん……ですよね?」
質問と言うよりは沈黙に耐えられなくなった感のあるリューカちゃんが、恐る恐る少女へと問いかける。
こくり、と彼女は頷いた。
「肯定します。正確には、ヴォルフモン、ガルムモン、レーベモン、カイザーレオモンの進化元であるのが私です。先日は、大変失礼いたしました」
そう言って少女は頭を下げる。……だけど口調からは申し訳なさは全然伝わってこなくて、なんというか、「そう言うべきだから言った」以上の事は何も思ってい無さそうというか……。
「ま、こっちも結果として大けがさせちゃったわけだから、エテちゃんもそこに関しては謝るわヨ。ごめんね」
対するメタルエテモンはあれ以来気にしていたようだ。謝罪に少なからず念が籠っている。リューカちゃんとピコデビモンもこの子の年齢については気付いていなかったらしいが、ウンノ先生達にいたっては後から来たのだ。
「怪我に関しては問題ありません。痛みは薬で緩和していますし、私は人より傷の治りが早くなるよう調節されています」
「調節、って……」
「キョウヤマ博士は、そのように仰っていました」
この少女の人間味の無さとリューカちゃんから聞いた話からすると……うう、あんまり
考えない方がいいような気がする。
俺自身、自分が人やデジモンに『非日常』を提供する立場にあるのは確かだが、だからといってそういう事態に耐性があるとかそういう訳では無くて。
「その、キョウヤマっていう人は……一体、何が目的なの?」
パートナーに倣って、ピコデビモンもそろそろと片方の翼を手のように挙げた。増え続ける疑問のせいか、目が回っている。
……普段寝てそうな時間帯だもんな……本当に健気なキャラしてるぜ。
だが、少女から戻ってきた答えは
「私にその質問に答える権限はありません。現在マスターがウンノ カンナ氏に事情を説明中ですので、マスターが戻り次第同様の質問をするか、ウンノ カンナ氏にお尋ねください」
とそっけないもので。
「……なあ」
思わず、口を開いてしまう。
「さっきからマスター、マスターって……君、おかしいよ。人とデジモンの関係って、なんていうか、そんなんじゃないだろ? ましてやあのデジモン、パートナーってわけじゃないんだろ?」
「……?」
質問の意味が解らない、とでも言いたげな顔をしている。
なんだろう、落ち着かない。
「そもそもあのデジモンにしたって、君の事妹だとか何だとか……」
「マスターはキョウヤマ博士のデータを継ぐ存在。私はキョウヤマ博士に造られた存在。『親』と呼べる存在が同じである以上、兄妹と名乗る事に問題は無いのでは?」
「っ……いや、でも……それならなおの事、お兄さんの事マスターって呼ぶのおかしくない?」
「……?」
噛み合わない。噛み合わないぞ、これ。
……まあ、自分とあのメルキューレモンとかいうすごい見た目のデジモンが兄妹だって点に関しては俺の言葉を遮ってまで食いついてきた辺り――人間味が皆無ってわけじゃあ、ないんだろう。
「とりあえずいいや。……それより、ホントにもう、俺のミューズの事、連れ去ったりしようなんて思ってないんだよな? 返せっていうなら水のスピリットってやつは今からでも返すけど」
「はい。マスターには貴方とそのパートナーを始めとしたこの研究所に所属する方々にこれ以上危害を加えないよう厳命されています。水のヒューマンスピリットに関しても同様です。キョウヤマ博士の元に戻らない以上、それはもう、必要ではありませんので」
「……じゃあ、もしあのメルキューレモンってデジモンの考えが変わったら……ゲコの事、また連れて行こうとするゲコか?」
「はい」
少女は間髪入れずに肯定した。
オタマモンは彼女から身を隠すように、俺の足と机の隙間に潜り込む。
「……危害を加えない、っていうなら、あんまり俺のミューズの事、怖がらせないでくれないかな?」
「恐怖心を抱かせる意図は無かったのですが。精神的苦痛を与えてしまったのであれば、謝罪します。申し訳ありません」
「……」
だめだ。やっぱり、会話をしてる気がしない。
だけどここまで来ると、腹立ちすら湧いてこなくて。
俺は天才なので、目の前にいる人間がどういう『音』を求めているのか、なんとなーく解ってしまう。の、だが――今、俺の前にいる彼女には、そういったものを一切感じない。
あんまりこんな事を言うのは良くないんだろうけど、それはとても、不幸に見える。
……自分たちを怖がったり嫌ったりする人達の目しかしらない女の子のような、そんな――
「カガ ソーヤさん」
「ふぁいっ!?」
急に呼ばれて俺、ビックリ。
我に返ると、瞬き少なめの彼女は、若干、本当に気を付けてないと気付かないレベルでほんの少しだけこちらに身を乗り出していて。
「お、おう、何」
「マスターから質問の許可を頂いているので、是非お尋ねしたい事があるのですが」
「うん、なんでお兄さんの許可が無いと質問できないのか俺わかんないけど、何かな?」
感情が乏しい分、行動が突拍子もなく感じる。というか、多分普通に突拍子もないのだと思われ。
一体何を聞かれるのかと内心ドギマギしていると、少女はスマホを出して来て、俺の前に置いて、無料動画サイトを開いて――俺の最新作を、流し始めて。
「あら。カジカちゃんの新曲じゃない」
「えっと、ハリさんもソーヤさんの曲好きなの?」
メタルエテモンとピコデビモンも寄って来て、スマホを覗き込んでいる。むふふ。知ってはいるが、デジモン達にも好評だってのは俺自身鼻が高い。
最も、この子は好きとか嫌いとか、そういう感想は無いんだろうなと軽く肩をすくめようとしていたら――
「少なくとも嫌悪感はありません。私の感情は、好意的なものだと思います」
――ちょっと意外な答えが返って来て、面食らった。
「ん?」
「ただ、そもそも私にはこれが何なのか解りません。歌という名称と、これが一種のコミュニケーションの手段であるというのはマスターに伺いましたが……これを作った本人に同じ質問をしてみるといいと、言われましたので」
「いいじゃない! カジカちゃんにとって歌とは何か! エテちゃんも歌うの大好きだから、プロの話っていうのは是非聞いてみたいわ!」
にわかに色めきだすメタルエテモン。口には出していないが、ピコデビモンも好奇心で金色にきらきらと光る瞳をこちらに向けているし、リューカちゃんまで俺の曲が流れるスマホと俺の顔を交互に見ていて、興味があるのが伝わって来る。
いや、でも、そんな、急に聞かれても。
「えええー……歌って何かってぇ……?」
自己表現の手段だとか、人生だとか、俺のミューズ――俺のアイドルを彩る何よりもきらびやかな衣装だとか、答えは割とたくさん浮かんだけれど――
「他の人の事は知らないゲコ。でもソーヤの歌っていうのは、ソーヤの分身みたいなものゲコね」
ひょこ、と、オタマモンが机の方へと頭を出した。
「オタマモン、大丈夫なのか?」
「んー。まだちょっとこの人の事は怖いゲコ。……でも、ソーヤの音楽が知りたいっていうなら、ゲコはお話してみてもいいと思ったゲコ」
「オタマモン……」
「ソーヤに話させるのは心配しかないゲコから」
「オタマモン……!? あっ、でもなんかラップ降りてきた! それは信頼? 俺は心外。何が心配?」
「そういうとこがゲコ」
「あれま失敗」
「分身、と仰いましたね。どういう事でしょう」
パートナーには呆れられた上俺に質問していたはずの彼女にはスルーされたよ! これはあんまりじゃね!?
リューカちゃんが可笑しそうに微笑んでくれてるのだけが癒しだぜ……。
「ゲコにも説明は難しいゲコ。でも確かなのは、ソーヤの作る曲は、いつだってソーヤ自身ゲコ。ソーヤ自身の率直な思いがそのまま発信されてるから、きっと、聞いてる人にも伝わるのゲコ」
そして俺の事はスルーしていく方針のままで行くのね。
……でも、まったく。嬉しい事言ってくれんじゃねーの。
ちょっと俺の扱いが雑なところも含めて、俺のミューズは、最高のパートナーだぜ。
「この曲は、カガ ソーヤさんの分身……」
「曲について語る時はカジカPって呼ぶべきかもゲコね。カジカPって名前を聞くと、みんなソーヤの顔じゃなくて、ソーヤの曲を思い浮かべるゲコ」
「カガ ソーヤ……カジカPさんと彼の作曲した曲は、人々にとってイコールで結びつけることが出来る。故に、分身という訳ですか。なるほど、曲そのものがカガ ソーヤさんである以上、その内容はカガ ソーヤさん自身の発言となる。確かにこれは、コミュニケーションの手段です。マスターから聞いた情報をある程度補完できたと思います」
「まあさっきも言ったゲコけど、これはあくまで、ソーヤの場合ゲコ。他の音楽クリエイターが自分の歌の事をどう思ってるのかまではゲコも知らないゲコよ?」
「人によって答えが違う……しかしコミュニケーションの手段である以上、それも仕方ないのでしょう。貴重なご意見、感謝します」
「……っていうか、君も歌ってみればいいんじゃないの?」
ふと、思いつく。
小難しい理論付けで片付けられるのは、俺的にちょっと違う気がしたのだ。
「私が……ですか?」
案の定、少女は戸惑っている。ただそれは俺達に初めて見せた人間らしい振舞いで、俺はちょっとだけ、なんというか、安心した。
「百聞は一見に如かずならぬ、百聞は一歌に如かず、だな。オタマモン、いいか?」
「いいゲコよ。オタマモン、進化――」
俺の合図と同時に床へと飛び降りたオタマモンが光を放ち始める。
「ゲコモン!」
数秒後には、管楽器を身体に巻き付けたやや細長いカエルのようなデジモンがその場に立っていて。
「最初は俺のミューズ……ゲコモンの出す音を真似て「あー」って言うだけでいいから」
「まあ、カジカちゃん直々の音楽レッスン!? エテちゃんも混ざっていいかしら?」
「ぼ、ぼくもやりたい!」
「もちろんいいぜ。リューカちゃんも、どう?」
「い、いえ……私は……その、全然上手くないので……」
「上手くないならなおの事、自分の歌える『音程』を知らないと」
「?」
やや顔が赤いところ申し訳ないが、多分この子の「上手くない」は周りから自分の歌声を評価されてこなかったのが原因だ。ここは強引でも、聞くだけじゃなくて歌う楽しみも知ってもらおう。
「人によって、出せる音の高さっていうのはおおよそ決まっててさ。自分の事音痴だっていう奴は、その「出せる高さ」の限界超えてるとこばっかり出そうとするから頭が混乱して調子はずれの音しか出なくなるのさ。別にプロ目指すとかそんなんでも無い限り好きな歌歌う時は原曲キーとか無視していいし、そのためにも、まずは自分の声に無理させない範囲を知るのが大事ってこと」
「すごい、ソーヤさんプロみたい!」
「ピコデビモン、ソーヤは一応プロゲコよ?」
一応じゃないプロなんですけどね!
……だけどリューカちゃんは、多分、心は動いてると思うのだが、それでもYesとは言いづらいようだ。眉尻は下がっているし、出かかった言葉が喉につかえているように見える。
んー。やっぱり、無理言うのは良くない、か……?
と、
「ウンノ カンナ氏の助手の方」
そんなリューカちゃんに声をかけたのは、意外にも無表情ガールで。
「はっ、はい。……私ですよね?」
「はい。できれば一緒に、歌というものを実践してみていただけませんか? 私1人ではそもそも歌という物の実態を完全には把握しきれていないので、参考となるサンプルケースは少しでも多い方が好ましいのですが」
うん、言い方は大分アレだったが……それでも、それは確かに、リューカちゃんの背中を押してくれたようで。
「わ……わかりました」
先ほど以上に顔を赤らめながら、消え入るような声だったけれど、リューカちゃんは、そう、返事をしてくれた。
ふっふっふ。こりゃ頑張らなきゃな。
「よし、じゃあ早速始めよう。まずは基本のドレミファからだな! じゃ、ゲコモン。音頼むぜ」
「ゲコ!」
ゲコモンは3つに分かれて穴の開いた舌先を伸ばし、音を奏で始める。ただの単音にも拘わらず耳に届く音色には深みがあって、我がパートナーながら、実にマジェスティックな『鳴き声』だ。
続いて合図をすると、他のメンバーがゲコモンの出した音に続く。
……ふむ。やっぱり完全体の時に『歌』がそのまま必殺技になっているメタルエテモンは慣れている感があるし、ピコデビモンもなかなか、成長期らしい可愛い声をしている。……ちなみにこれ、ヴァンデモンになったらどうなるんだろう。気になる。
リューカちゃんも、多分自分で卑下してるほど下手じゃない。むしろ、恥ずかしいからか声は小さめだが、それが無ければ普通に上手い部類だろう。
それから、この少女。
「えっと」
指示された事を行う、というのは得意分野なのだろう。恥じらいも無いためか、感情が籠っていない点を除けばきちんと発声できている。
ただ――
「ハリちゃん……だったよね、君」
「はい。キョウヤマ ハリです」
「ちょっと君だけ、もう一度声出してもらっていいかな」
「了解しました」
俺はスマホのボイスレコーダーを作動してから、ゲコモンに合図を送る。
先ほどと同じように、今度はハリちゃんだけが音階を声に出す。
「……」
終了後、録音した彼女の声を確認。
「……やっぱり」
「ゲコ? ソーヤ、どうかしたゲコか?」
「うん、ゲコモンも聞いてみてくれ」
パートナーに同じものを聞かせる。俺が何に引っかかったかに気付いて、俺のミューズも驚いたようだ。
「ゲコォ。人間なのに、珍しいゲコ」
「? カガさん、何かあったんですか?」
突然の中断に、リューカちゃんが俺の顔を覗き込んだ。
「あ、うん。えっと、人間の歌声って、機械を通すとどうしてもちょっと質が変わっちゃうんだよ。CDとコンサートでアーティストの印象が違うとか、そういう感じなんだけど。……まあ、コンサートにしたってマイクとか使ってるから、その辺は多少、変質はしてるんだけどね」
いくら機材が常に進化し続けているとはいえ、それでもやっぱり、限界ってもんはある。
思えば、俺が人間の歌姫を認められなかった理由は、そんなところにもあったのだろう。
「でも、デジモンにはそれが無いんだよ。まあ元々がデジタルなわけだから。俺のミューズがこの場で歌おうと、動画配信サービスを通して歌おうと、パフォーマンスに全く違いが無いワケ」
「えっと、という事は――」
「そ。ハリちゃんの声質は、デジモンと一緒って事」
「私の声は、デジモンの声……」
どうしてそういう風なのかはこれっぽっちも解らないが、事実として彼女の歌声は、ここにある。
よっぽど注意してないと感じ取れない程の違いではあるが――しかしこれは、確かに、奇跡の歌声なのだ。
ただ悲しいかな、この子には歌に乗せるべき感情が無いに等しい。心の伴わない歌で人の心は動かせないのだ――ん? 待てよ?
「あ、ソーヤがまたいらない事考えてるゲコ」
「?」
逆に言えば、この子は真っ新な、何物にも染まっていない白いキャンバス。これからいくらでも、どんな歌でも歌っていく権利がある。
だとすれば、この子は卵だ。人間でありながら、俺のミューズと並び立つ、至高のアイドルになれる可能性を秘めた卵だ!
思わずハリちゃんの左手を取る。
この子は逸材だ。
俺のミューズを傷つけた事は許せない。だけど、いや、だからこそ、俺は先導者として彼女を本来あるべき場所へと導かねばならない。
「決めた!」
「待たせたね、話は終わったよ」
「君を、アイドルにしようと思う」
なんかウンノ先生の声が聞こえた気がしたけど、今はそれどころじゃない。
肝心のハリちゃんはきょとんとした目をしているが、拒否されている訳ではないようだしそれなら俺のほとばしる情熱を訴えかけていこうじゃないか!
「君は俺のミューズ足り得る可能性の卵だ! ぜひ俺のために歌ってほしい! ひいてはそれが世界のためになるとも! そう、君はアイドルになれる!!」
――だが、回想はここで途切れている。
*
いやまあ、途切れたというよりは、回想が現在に追いついたの方が正しいのだろうか。
もはやそれすらわからない。
あっるぇ~? なんかさっきハリちゃんが「俺達には危害を加えない」的な事言ってたような、言ってなかったような……あ、いや。あれはあくまでハリちゃんが危害を加えないって話で、お兄さんの方はいいのか別に。
いや良くない。
……でも、なんだろう。頭の片隅で、何処か安堵している自分がいる。
きっとハリちゃんは――それがどんな形であれ、『家族』に想われて生きてきたのだろう。
うん、だって知り合って間もない相手に、っていうかたとえ親しくても、普通アイアンクローなんてしないもんな。
そりゃ妹がアイドルに勧誘されてたら事情知らなかったらとりあえず怒るよね! わかる! 多分俺だって怒るもん!
だが、だからこそ俺は諦めない!
ハリちゃんがお兄さんのこの行動の意味を心の底から理解できるようになった時――その時こそ、真のディーヴァ、真のアイドルは覚醒する、のだ!
「お、おれはあきらめないぞぉ~」
そろそろグシャリとかいう効果音と一緒に俺の頭が弾けてしまいそうなのだが。
だけど宣言通り、諦める気は毛頭ない。
我がミューズと奇跡の歌声を持つ少女。2人の『前例』無きアイドルが、日の目を見るその時まで――俺の『音楽』は終わらない。
だから、今はただ待っていてほしい。『心の底から書きたい曲』と『歌ってほしい相手』。その2つを引っ提げて、俺が生まれ変わるその日まで。
カジカPの新曲に、ご期待ください。
Episode カガ ソーヤ ‐ 1
やあみんな。俺の名前は鹿賀颯也。ご存知若き天才音楽クリエイター・カジカ、その正体だ。
偶然見つけた謎のアイテム・水のヒューマンスピリットによってパートナーのオタマモンを真の歌姫へと覚醒させてしまった俺は、紆余曲折を経て『俺の歌を歌ってほしいアイドル』にも勝る至宝――『俺の歌になって欲しいヒトとデジモン』に出会い、そしてさらに『俺の歌を歌ってほしいアイドルになりえる卵』まで見つけてしまった。
実にマジェスティック!
……だが、その『俺の歌を歌ってほしいアイドルになりえる卵』へ俺の熱意を伝えている最中、突如として、俺の脳天に衝撃が走った。
具体的に言うと、『俺の歌を歌ってほしいアイドルになりえる卵』のお兄さん(を名乗るヤバそうなデジモン)に、背後からアイアンクローをもらっている。
とても痛い。すっげー痛い。
あ、やばい。ちょっと意識がトびそう。
あれ? なんでこんな事になってんの? てか俺のミューズ、助けてくれる気配無くね?
景色が徐々に遠ざかる中、俺の記憶が本日の昼過ぎぐらい――具体的に言うと、一昨日の一件で警察に呼び出され、一緒に来ていたリューカちゃんと事情聴取を終えて出てきたあたりくらいまで遡った。
ん? これ走馬燈じゃね?
大丈夫なのコレ?
*
「カガさん。お待たせしました」
婦警さんに連れられて戻ってきたリューカちゃんは、俺を見るなりほっとしたような笑みを浮かべた。
警察がまだ状況が把握し切れていなかった昨日の時点では、リューカちゃんは結構、色々キツい事言われたり聞かれたりしたみたいだ。
ヴァンデモンが騒ぎを起こしたってのが大きく捉えられたんだろう。俺自身、今回の件の犯人がリューカちゃんのパートナーじゃないか再三聞かれて――あまり、気分のいいものではなかった。
俺のミューズを助けてくれたのは、結果として警察じゃなくてリューカちゃんとヴァンデモン、それから彼女の上司とそのパートナーなんだよなぁ……。
「リューカちゃん、今日は大丈夫だった?」
「はい。カガさんがお話してくれたお蔭で」
「ったく、こっちだって最初からリューカちゃん達が助けてくれたんだって言ってんのに。ツブヤイタッタワーで拡散してやろうか」
「そ、そういうのは良くないですよ。……私の事は気にしないでください。慣れっこですから」
そんなんに慣れちゃう環境の方が、良くない気がするんだけど。
でも、リューカちゃんは眉をハの字に傾けて
「それよりも――あの場で、カガさんがああいう風に言ってくれただけで……私、すごく嬉しかったんですよ?」
なんて。心からの本心だと解る程に、だけど自分の感情を受け止めきれない事に困ったような顔で、微笑んでいて。
……そんなに特別な事、したつもりは無いんだけどなぁ……。
「助けられたら礼くらい言うのが筋だろう?」
「そう……かもしれませんけど……。でも、カガさんは――ヴァンデモンの事、怖くはなかったんですか?」
「んー……」
まあ正直な話、いきなり彼女達が俺達とあのヴォルフモンとかいうデジモンに変身した無表情ガールとの間に割って入ってきた時は面食らった。
ヴァンデモンは、教科書と高石先生の『デジモンアドベンチャー』でしか見たことの無いデジモンで――近代史には爪痕として紹介され、小説の中では悪逆非道の闇の王として語られていたデジモンで。
まさか、本物を自分の目で見る機会があるとは思わなかった。
「びっくりはした」
「……ですよね」
「でも」
貴族の服と軍服の中間地点を取ったようなデザインの衣装。撫でつけられた金髪に、赤いコウモリの仮面。極め付けには、青い肌。
配下のコウモリを引き連れ、真っ赤な鞭を縦横無尽に振るうその姿は――
「俺の目には、一見女王様風だけど実は優しい僕っ娘吸血鬼系美少女に見えたね」
あまり見かけないタイプなので、実にマジェスティックであった。
……Оh、ついうっかりフィルター発動状態での感想を言ってしまった。
リューカちゃんには何の説明もしていなかったので、ぽかん、と目を見開いている。ええっと、どうしよう。とりあえず褒めてる事だけは伝えないと――
「ふふっ」
――等考えている間に、リューカちゃんは普通に、笑った。
「ん?」
「あ、ごめんなさい……気を使わせてしまって。冗談で返してもらったのは初めてなので、なんだか、嬉しくて、つい」
んー?
「いや、俺は至って本k「はいはいソーヤ、そのくらいにしとくゲコ。アホ丸出しゲコよ?」
話しながら警察署を出た瞬間、自主的にマナーモードになっていたオタマモンが、スマホの中から俺に話しかけてきた。
「な、なんだよアホ丸出しって」
「そのままの意味ゲコ。ドン引きされる前に、性癖は自主規制しておくゲコ」
ぐぬぬ。しかし俺のミューズの言う事も一理ある。
ぐう、しかし、俺の中に眠る溢れんばかりのアイドルへの願望が、新たに出会ったデジモンをそのまま新たな可能性として発露しつつ――
「ねえねえリューカ、僕、可愛いの?」
「ふふ。ピコデビモンはいつだって、私の可愛いデジモンだよ」
「えへへ。やったあ!」
……まあ、いいか。
俺のオタマモンと同じように自主的マナーモードを解除したらしいピコデビモンは、リューカちゃんと一緒に、楽しそうに笑っていて。
俺にとっての真のアイドルは今この手の中にいる彼女であるように――あの一見女王様風だけど実は優しい僕っ娘吸血鬼系美少女改め小悪魔かと思わせてホンワカ系僕っ娘美少女となっているピコデビモンは、リューカちゃんの隣にいるのが一番マジェスティックだ。
あれこれ俺がそのきらめきを思い描くべきじゃあない。
……それに、彼女達には――
「なあ、リューカちゃん。ピコデビモン」
「?」
「なんか、助けてくれたお礼、って言うのも何だけど……いや、本当は俺が作りたいだけなんだけど……」
「??」
「君たちをモデルにした歌を、作ってもいいかな?」
――俺にとっての、アイドルという意味以外での、全く新しい『音楽』になってほしかった。
「え……ええ!?」
「僕とリューカが歌になっちゃうって事?」
「おう。あ、もちろん個人が特定されるような書き方はしないし、ほんと、モチーフってだけになっちゃうんだろうけど……」
俺はドット絵姿のオタマモンが映ったスマホをリューカちゃん達へと向ける。
「俺のミューズを助けてくれた君たちの勇姿が、もう俺の中でアイデアになっちゃってるのさ」
なんたって俺は若き天才音楽クリエイター・カジカなのだ。
歌ってほしい、ではなく、歌にしたい、という情熱。
この熱が冷めない内に――出来上がった曲をいの一番に、彼女達に聞かせたい。
そうしたら、俺の『音楽』は、次のステージに行けるような気がしたのだ。
ただ、案の定リューカちゃんは戸惑い気味で。
「そ、そんな……私が歌にだなんて……光栄では、ありますけど……あのカジカさんに……。でも、身に余ると言いますか……」
「リューカ。僕、その歌聞いてみたい!」
「! ピコデビモン……」
「だって僕、お礼を言われた時すっごく嬉しかったんだもん! 歌になったら、ソーヤさんのありがとうが毎日聞けちゃうんだよ? それってなんだか、とってもドキドキしない?」
「う、嬉しいけど……それはちょっと、厚かましくないかな? 大丈夫かな?」
「まあ最終的にリューカさんが何て言っても、ソーヤは書くゲコ。そういう奴ゲコ。だから、今の内に観念しておいた方が、気が楽ゲコよ?」
「なんつー言い方するんだ俺のミューズは……」
いや、まあ、確かに、ダメって言われたら絶対に作らなかったかと聞かれると……うーん。
……いや、ここは素直に感心しておこう。ふっ、流石は俺の歌姫よ。全てお見通しという訳か。
そして彼女の説得により――オタマモン風に言うと、リューカちゃんは、観念したのかもしれない。
不意に頬が、リンゴのような赤色に変わっていた。
「楽しみにしても……いいですか?」
気まずそうに俺から眼をそらして、呟くようにそんな事を言ったリューカちゃんは――
「! ああ、期待しててくれよ!」
――俺の中に、マジェスティックとは違う新たな感動の言葉を生み出しそうな、そんな趣があった。
心なしか、俺の頬まで熱くなる。
きっと、いい歌が書けるだろう。
*
とはいえまずは現状の解明が優先だった。
いくらすぐにでも譜面を書き起こしたい衝動に駆られていたとしても、我が身に迫った危険を解消してしまわない事にはおちおち作曲活動にも専念できない訳で。
俺はともかく、俺のミューズが狙われているのだ。
最高のインスピレーションを得たというのに、最愛の歌姫を失ってはもう、それは、この世の終わりに違いない。
万が一にもそれだけは避けたかったので、俺はあの事件の直後リューカちゃんの上司――ぼさぼさの髪をピンクに染めた、なかなかエキセントリックな見た目の女博士――ウンノ先生からの協力要請を受け入れた。
ウンノ先生のパートナーのスカモン(まだ彼女の魅力は開拓し切れていないが、進化後のメタルエテモンは銀のボディースーツに身を包むロック系美女という事になるのでなかなかマジェスティック)も結構強力なデジモンみたいで、こっちが協力するというよりは、保護してもらうみたいな形になっている気もするけれども。まあ、それはそれだ。
リューカちゃん主導の元タクシーで彼女達の暮らす研究所に足を運ぶ。
外観は研究施設と言うよりは古臭いビルで、内装にしても俺が見る事の出来た部屋だけでは一見そうだとは解らなかった。
「飲み物はコーヒーとウーロン茶と……あと栄養ドリンクならあるんですけど、何がいいですか?」
「あ、じゃあ栄養ドリンクちょうだい」
「ゲコは普通のお水がいいゲコ」
「解りました。オタマモンさんのは水道水になっちゃうんですけど、いいですか?」
「それでお願いゲコ」
通された応接間で待つ事数分。頼んだ飲み物を持って戻ってきたリューカちゃんとピコデビモンが、俺達の向かいの席についた。
「えっと、博士はあと20分くらいで帰ってくるそうなので……とりあえずは、私の解る範囲で、お話させてもらっても構いませんか?」
俺は頷く。
デジモンに進化する人間。
警察にも話したが、変身能力を持つデジモンが人間に化けていただけだろうとまともにとりあってはくれなかった。
まあ確かに、デジモンの能力としてはそこまで珍しいものではない。魔獣型デジモンのアルケニモンなんかは最初の個体が『人のデータ』を持ってたとかなんとかで、特に上手く人に化ける事で有名だ。
でも――あれは、ヴォルフモンは、デジモンじゃない。
目の前で見たからこそ感じた、あの強烈な違和感。
人間なのに、人間じゃない。デジモンだけど、デジモンじゃない。
そんな奴に狙われて、俺のミューズは、どうしてあんな怖い目に遭わなきゃいけなかったのか――いい加減、理由だけでも把握しておきたかった。
……あと出来る事なら、どうにもヴォルフモンに狙われるきっかけとなったらしい水のヒューマンスピリットによって生まれた我がディーヴァが何て名前なのかも知りたかったが――それに関しては、ウンノ先生もリューカちゃんも知らないらしい。
まあいいか。オタマモンはオタマモンだし。
何故か進化時に使える必殺技の名前は分かるみたいなので、きっと問題無いだろう。
「えっと、まずは……カンナ博士のご友人だった、クリバラ博士の書いた論文の話になるんですが……」
『ユミル論』。
京山幸助。
スピリット。
所々たどたどしい部分はあったが、リューカちゃんは順を追って説明してくれた。
「俺のミューズがこの、水のヒューマンスピリットってやつを纏って進化してるらしいのは知ってたけど……そっか、これ、そんなヤバいやつだったのか……」
俺は拾って以降肌身離さず持ち歩いている水のヒューマンスピリットを取り出し、じっと見つめた。
デジタルワールドの聖遺物、ねえ……。
「ってか、あのデジモンになった女の子も言ってた気がするけど……俺のミューズは、その、いわゆるユミル進化ってやつはしてないんだよな?」
「多分、そんな特殊な進化をしたらゲコ自身が解るゲコ」
「オタマモンさんの言う通りだと思います。えっと、寿命のある人間がデジモン化するからこそのユミル進化で、スピリットを普通にデジモンが使えば、いわゆるアーマー進化に近い形になると、博士は言っていました」
それなら、一つ心配事は無くなったようなもんだ。
特殊な進化をしても、オタマモンは、オタマモンのまま。常に変わらず、俺のミューズだ。
もちろん進化はある程度デジモンに負担がかかってしまうらしいが、それはどんな進化も同じ事なので幼年期にまで退化したりしていない所を見ると、そこまで不安にならなくてもいいのだろう。
「ただ、一応博士がオタマモンさんの事を検査しておきたいと言っていました。今日じゃなくてももちろん大丈夫なので、ご協力お願いできますか?」
「ゲコはいいゲコ。ついでにソーヤの頭も診てほしいくらいゲコね」
「んんー? それはどういう意味なのぉー?」
でも俺の頭の中が学術的に解明されたら世の中がすごい音楽で溢れちまうかもしれない。
それは、それでありだな。
「俺の才能はこの世の宝、か……」
「やっぱり一度精密検査が必要ゲコ」
「? 僕はソーヤさんの歌大好きだから、みんなの大切な宝物だと思うよ?」
っていうかこの小悪魔型は天使なの?
……しかし冷静に考えると、リューカちゃんの見せたあの反応を見る限り――きっとこのピコデビモンも、あまり愉快な生活は送ってこられなかった筈だ。なのにこの性格、っていうのは、きっと、リューカちゃんのこの子に対する愛情の賜物なのだろう。
……せめて、いい曲作んないとな。
「ピコデビモン、ソーヤは褒めると調子に乗るゲコ。あんまり相手にしない方がいいゲコ」
「なんで? 調子はいい方がいいよ?」
「ゲコォ……ピコデビモンはデジモンが良すぎるゲコ。でも、まあ、ゲコの事助けてくれた時かっこよかったゲコから、そこも含めていいところだって思っといてあげるゲコ」
「りゅ、リューカ……! 最近僕、リューカ以外からいっぱい褒めてもらってる気がする……!」
「そうだね。だってピコデビモンはいい子だもん。……ありがとうございますオタマモンさん。オタマモンさんも、可愛らしいですよ」
「うん! オタマモンかわいい!」
「そ、そんなにストレートに言われると照れるゲコ……!」
「待ってぇ。俺のアイドル、待ってぇ」
何そのマジェスティックな照れ顔ぉ。俺そんなの全然見た事無いよぉ?
素直にその疑問をぶつけると、「ソーヤの言うミューズとかディーヴァとかアイドルとかマジェスティックとかはなんか……なんか、照れる対象とは違うのゲコ」との事で、俺はこれから普通に可愛いと伝える練習を始めようと思いました。はい。
そんな俺達を見てくすりと笑ったリューカちゃんを見て、早速言ってみようかな、いやでもこの子絶対困るだろうなどうしよう、なんて思っている内に
「? 誰だろう」
インターホンが、鳴った。
「ウンノ先生じゃないの?」
「カンナ博士はピンポン鳴らさないよ?」
「あ、でも私、さっき鍵閉めちゃったかもしれません。カンナ博士、持ってなかったのかも……すみませんカガさん、オタマモンさん。ちょっと見てきます」
「あ、お構いなく」
リューカちゃんはピコデビモンを連れて、応接間を出ていく。
せっかくなので今の内にと、俺は何だかんだあまり飲んでいない栄養ドリンクを一気に傾けようとしたが――
「カガさん! オタマモンさん! 逃げてください!」
「!?」
リューカちゃんの、鋭い一声。
尋常ではない気配だった。
耳に届いた言葉の意味よりも、彼女の発した声音の震えが先に来て――リューカちゃんの事が、心配になって。
俺は逃げて、の言葉を頭で飲み込む前に、思わずオタマモンを抱えて部屋から飛び出した。
「リューカちゃん!?」
廊下の先には、顔を青くして顔をこちらに向けているリューカちゃんと身構えるピコデビモン。
それよりもさらに向こう側に、2つの人影。
片方は知らない。でも、片方は知っている。
「落ち着いて下さい、ウンノ カンナ氏の助手の方。マスターの意向により、本日の私は貴女方と交戦するつもりはありません」
一切の感情を含まない声と口調。黒いスーツを身に纏い、ギブスに嵌まった右腕を三角巾で吊るしたその少女は、紛れもなく、一昨日の晩に俺のミューズを連れ去ろうとしたあの少女で。
「ゲ、ゲコ……!」
オタマモンの湿った肌から、彼女の怯えが伝わってくる。
思わず後ずさる。俺達じゃあの少女――ヴォルフモンに太刀打ち出来ないのはもう十分に判っている。
だけど、今は、良く晴れた昼下がりだ。
ヴァンデモンの戦える時間帯じゃ、無い!
「な、何度来たって――俺のミューズは、渡さないぞ!?」
その場で、精一杯叫ぶ。できる事があるとすれば、時間稼ぎしか無い。
そしてその間に、ウンノ先生が帰ってくるのを祈る事だけだ。
が――
「水のヒューマンスピリットの回収も、そのオタマモンの回収も、既に我々は望んでいません」
「……は?」
相変わらずほとんど抑揚の無い声で、少女はそんな事を言いだした。
機械かと思う程無機質なその声は、しかしそれだけに、嘘すら混じっていない事が伝わってくる。
じゃあ、何しに来たんだ?
俺も含めて誰かがそれを言い出すよりも前に、少女の隣に佇んでいたもう1人――少女と同じ色のスーツを薄い緑色のシャツの上から纏った、ウンノ先生と同じか少し上くらいの歳だと思われる細身の男性が少女よりも前に出てきた。
「突然の訪問、申し訳ありません。ワタクシはこういう者です」
「! あ、どうも……」
数か月前まで就活生だったからなのか、それとも人の好さ故なのか。男が差し出した名刺を、リューカちゃんがほとんど反射的に受け取ってしまった。
真面目か。
……だが、名刺の内容を確認した瞬間、またしてもリューカちゃんの雰囲気が変わる。
「キョウ……ヤマ……?」
恐怖もあるけど、困惑が強い。
だけど彼女の口から出たその名前が、俺とオタマモンにも同じ感情を呼び起こさせた。
キョウヤマ――京山。
ウンノ先生の、敵対者――
「ワタクシは京山幸樹。こちらは京山玻璃。貴女方と敵対関係にある京山幸助の……息子と娘、と、いう事になりますね」
――その、家族。
「ウンノ博士に、話があって来ました」