Episode カガ ソーヤ ‐ 5
見慣れた、しかし懐かしい、通学路だった。
6年間、家からこの道を通って、同級生とわいわい騒ぎながら進む、何年経っても代わり映えの無い住宅街沿いの道路の歩道は――あの頃は、あっという間に、終わっていた。
なのに、あの頃よりずっと大きくなった筈なのに――
「はあ、はあ」
学校が、遠い。
……見知った道に差し掛かった時点で、ハリちゃんに、もういいと言った。
後は、俺とオタマモンで行くからと。
俺を背負って自動車以上の速度で走り続けたハリちゃんは、それでも、心のどこかがお兄さんのところにあって。
俺も、心配なのは事実だった。
前回、闘士2人を軽くあしらったメルキューレモンだけど、最後の最後でゴーレモン達――十闘士よりもはるかに格下に違いない、本当はゴーレモンですら無い土塊の軍勢を、疲れていたとはいえ、俺達に任せるしか無かった訳で。
攻撃の必殺技は、持っていないと言っていた。
なら、物理技しか持たない敵の数が増えれば増える程、肉弾戦しかできないお兄さんは、苦戦を強いられるに違いなくて。
それに、メルキューレモンと少しでも早く合流できるなら、それに越したことは無いのだ。
俺の心配が杞憂なら、ハリちゃんは踵を返してお兄さんと共に戻って来て、結果的に当初の予定とそこまで変わらないくらいの速度で学校まで辿り着けるに、違いなかった。
だから、行って良いよと、むしろ行った方が良いと、ハリちゃんに、言ったのだ。
最終的にハリちゃんだって俺の提案を受け入れて、あっという間に、見えなくなって。
なのに、走っても走っても、ハリちゃんとお兄さんが戻ってくる気配すら、感じられなくて――
それから、まるで進んでいる気が、しなかった。
あんなにすぐに、着いたのに。
「はあ、はあ」
運動不足だけが、原因じゃないような気がした。
思い返す。
まだ、十数分前のやり取りだ。
スマホに届いたニュースで、母校を襲った事件を知って。
多分、この世界の誰よりも速く、襲撃者の正体を知ってしまって。
それから、襲撃者の求めるヴァンデモンがどの個体なのかも、理解してしまって。
どうにかしなきゃと思った。
きっと、逆恨みなのだと思った。
襲撃者――雷の闘士は、リューカちゃんとピコデビモン――ヴァンデモンに、一度、仕事を邪魔されている訳で。
ある種のリベンジマッチを望んだのは、他に何があるにせよ、間違いなくその事も理由の一つとして含まれているに違いないと思った。
だけどヴァンデモン相手に夜を戦いの時間に選ぶ程の度胸は無かったのだろう。
いや、度胸と言うよりも、単純な、憂さ晴らし――本当に嬲り殺す気しか、無かったに違いない。
まともに戦う気なんて、さらさら無いに、違いない。
……だから、俺が、行かなきゃって。きっとビースト形態なら、昼間のヴァンデモンより少しは、戦えるかもしれないって。
俺は、俺のミューズと相談した上で、そうしようと、決めたのだ。
でも、結果は結果だ。
リューカちゃんに気付かれて。
彼女はパートナーと2人きりで、飛び出した。
「はあ、はあ、はあ」
それ以上に――その光景以上に、俺の耳には彼女の台詞が、突き刺さっている。
誰が死んでも
何人死んでも
その結果何されたって一緒。だと。
愉快に生きてこれた訳が無いとは、解っていた。
だけど、俺と俺のミューズがピンチの時に、何時だって助けに来てくれた、かっこよくて可愛くて、マジェスティックな彼女の口から吐き出されたのは――呪詛だった。
土壇場であんな台詞を吐かなきゃいけないのが、あの2人の居た、世界だった。
「はあ、はっ、は、はあっ――」
「ごめんなさい」と、リューカちゃんは言った。
俺はただ、子守歌の感想を、聞きたかっただけだった。
風邪をひいたリューカちゃんに、彼女とピコデビモンの歌のプロトタイプとも言える子守歌を聞いてもらって。
終わった時に、リューカちゃんが健やかな寝息を立てているのを見て、俺と、その時はラーナモンだった俺のミューズは、顔を見合わせて笑い合ったと記憶している。
大成功だと。
見てしまったのが申し訳なくなるくらい気持ちよさそうに眠っているリューカちゃんと、彼女の冷えピタに徹していたヴァンデモンの寝顔がちょっとだけ嬉しそうなものに変わっているのを見て、ああ、俺ってばやっぱり天才音楽クリエイターで、俺のオタマモンは水の闘士云々を抜きにしても最高のアイドルだと、
俺は、彼女達のための歌を、順調に作れているのだと。
風邪が治って感想を聞いたら、きっと「よく眠れました」と、そんな風に笑ってくれるに違いないと、ワクワクしながら待っていたのに。
待っていたのは、「ごめんなさい」だった。
最後まで聞かずに眠ってしまって、ごめんなさい、と。
子守歌を聞いて、眠ってしまって、ごめんなさいだなんて――そんな馬鹿な話、あってたまるかと思った。
だけど、彼女の生きてきた世界って――つまりは、そういう世界だったのだ。
リューカちゃん達に出会って、自分が井の中のカジカだと知って
リューカちゃん達を通じて出会った人達のお蔭で世界を知ろうと踏み出す事が出来て
だから、俺は、そんなきっかけをくれたあの子達に、笑ってもらえるような曲が――ただただ面白おかしいとかそんなんじゃなくて、昼間を生きる女の子でも、夜間を生きる闇の王でも、どっちの世界に居たって寝る前に、ちょっと聞いて、心を安らげてもらえるような、そんな曲が、作りたいと思ったのに――
――肝心の彼女達の世界は、本当の意味で安らげる余裕など、最初から無くって。
「っ!」
何かに足を引っかけて、転んだ。
「~~っ……」
両手の平が擦り剥けている。
何があったのかと足の方に目をやると、スニーカーの靴紐がほどけていて、どうやらそれを踏んだらしかった。
「……」
乱れていた息を整えながら、靴紐を固く結び直す。
手の平はひりひりと痛かったが、それだけだ。
膝を打ったりはしていない。足首をぐねったりはしていない。
十分に、まだ、走れる。
なのに
「……なあ、オタマモン」
立ち上がって。俺はずっと握り締めていたスマホの中のパートナーに向かって、話しかける。
ゲコモンだろうとラーナモンだろうとカルマーラモンだろうとまず人間の運搬には向かない彼女に、余計な心配と、それから負担をかけないようにという判断だった。
ドット絵姿のオタマジャクシは、不安そうに、俺を、見ている。
……たとえ簡略化された姿だろうと、全てお見通しだというのはありありと伝わってくる。
「俺さ。……今、最低な事、考えた」
口にしたら終わりだと、解っている。
だけど、ただの擦り傷がこんなに痛い俺なんかじゃ、弱音すらも、心に留めておけなくて。
「このまま。……このまま、学校に着かなきゃいいのにって、そう思った」
足が、止まった。
次を踏み出そうとする力自体が、震えて震えて仕方のない脚全体に阻まれて――そこから一歩も、動けなくなった。
……雷鳴が、聞こえてくる。
稲光だって、当然、見える。
あの下には俺の尊敬するマジェスティックなあの子達が居て、それから、俺の後輩達も居る。知っている先生も、何人かまだ、居るかもしれない。
学校は、好きだった。
デジモン同士の対戦は苦手だったけれど、それをしなくても馬鹿騒ぎをして遊べる友達は沢山いたし、勉強自体、別に嫌いって訳じゃ無かった。
「俺さ、俺さぁ……。覚えてるか? オタマモン。みんなで、『デジモンアドベンチャー』の読みあいっこして……俺達もいつか、こんな大冒険してみたいなって言って……もし悪いデジモンがこの学校を攻めて来たら、力を合わせて戦おうなんて……そんな話、してたの」
「覚えてるゲコ」
「なあ。……今って、その時だよな?」
「……」
「学校に悪いデジモンが攻めて来て、仲間が――リューカちゃんとピコデビモンが、戦ってて……まさにその時じゃんかよ」
オタマモンに言いながら、自分に言い聞かせる。
だけど現実として、ここにいるのは当時は年相応だった夢を見ていた、『デジモンアドベンチャー』の一読者で――今となってはそんな夢すら見なくなった、戦闘にはこれっぽっちも縁の無かったただの一般テイマーだ。
あの時の選ばれし子供達みたいに、格上の相手だろうと気持ちだけは絶対に負けないと向かっていける程無謀じゃない。
その無謀を、その逆境をひっくり返す奇跡を補強してくれるバックアップも無い。
今ではすっかり、ハリちゃんにも言った通り、俺は、あんな危険な戦いを繰り広げなくても生きてこられた事を幸せに思うし――にも関わらず、こうやって好きな生き方をさせてくれる俺のミューズの事も、誇りに思う。
……これは、ただ、俺の問題なのだ。
自分が助けたいと、笑ってほしいと、初めて声の美しさやアイドル観を抜きにして思ったリューカちゃんを、
助けに行こうとする勇気すら振り絞れない俺自身が嫌で
行ってもむしろ足手まといになるっていうのが現実であって言い訳になってる、中途半端な俺自身が嫌で
……結局、ハリちゃんの時と同じように、無理解を繰り返す俺自身が、嫌だった。
ああ。天才音楽クリエイターな自分の事、こんなに嫌だって思う日が来るなんて。想像すらも、してなかった。
そして俺の根幹を揺さぶりかねない衝撃でさえも、バラバラに分断されてしまって、きっとそれぞれに戦ってる、この1ヶ月を一緒に過ごした『仲間』達の『これまで』に比べたら芥子粒みたいに些細なものでしかないっていうのが、もう、救いようが無くて。
「……ソーヤ」
ふいに、オタマモンが口を開いた。
「……どうした?」
「それでもソーヤ、今、逃げようって、言わなかったゲコ」
「……」
「着かなきゃいいのに、って言って、止まっちゃったゲコけど……このまま行かずに逃げようって、言わなかったゲコ」
「一緒だよ」
「一緒じゃないゲコ」
スマホの画面を見下ろす。
……いつの間に、進化したのだろう。
そこに居たのは、オタマモンじゃなくて、ラーナモンだった。
それからその姿は、リューカちゃんとヴァンデモンに、初めて出会った時に、俺のミューズが取っていた姿で。
あの時はキョウヤマ博士の指示で動いていたハリちゃんに襲われて、全く歯が立たなくて。でも、死んでも俺のアイドルの事は守るって、そう思ったけど……自分1人で逃げないって、そんな事くらいしかできなくて。
その時、助けに来てくれたんだ。リューカちゃんと、ヴァンデモンが。
何が何だかわからなくて、抱えられて飛ばれたときはびっくりして、飛び上がった先で攻撃されても俺達の事死守してくれて、その後さらわれかけた俺のミューズを追いかけてくれて。
あの時も、かなり、走った。
2人が飛んで行った方向へと走り続けた俺は、ようやく光の闘士の牙から助け出されたパートナーと再会して、一言お礼を言わなくちゃって、あの子を探して――
――野次馬に取り囲まれて怯えてる彼女を、『見つけた』んだ。
「ソーヤ」
俺の至高のアイドルが、また、俺の名前を呼んでくれた。
「確かにゲコは弱いゲコ。あの雷のデジモンには勝てないゲコ。それをソーヤが気遣ってくれるのは本当に嬉しいゲコし、戦いになった時にゲコが傷ついたら、リューカさんに余計辛い思いをさせちゃうのも、多分本当ゲコ」
「……」
「ここでソーヤが動けなくなっても、誰もソーヤを責めないゲコ。コウキさんも、ハリさんも……今回に限って言えば、カンナさんにはそれができる権利自体が無いゲコ。ああ、あと、ピノッキモン。……リューカさんだって、きっと」
「……」
「でも、ソーヤ。誰かを助ける方法は、戦う事だけじゃないゲコよ?」
――私、どこにもいなかったのに――見つけてもらえて、嬉しかった。
助けてもらったのはこっちの筈だったのに――リューカちゃんは、そんな事を、言ったんだっけか。
「ヴァンデモンがリューカさんに傍にいてほしいって思ったみたいに……そうゲコね、『友達』が応援に来てくれたら、リューカさんもヴァンデモンも、きっと少しは、喜んでくれるゲコ」
水の妖精みたいなラーナモンのドット絵の顔が、笑顔を形作る。
何もできないかもしれない。
だけど何もしないよりは、ずっとマシだ。
まだ、2人のための歌は、できていない。
あの子守歌試作品を聞いてもらってから迷走気味だ。全部書き直した方が早いかもしれないってくらいまとまっていない。進行度は0からプラスマイナスで――
――まだ、何にもできちゃいない!
俺はもう一度、地面を蹴った。
「そう……だよな。そう、だよな! アイドルに応援されたら誰だって士気上がるよな!?」
「とりあえず今はそれでいいゲコ! だから、ゲコはソーヤがどんな選択肢を選んだってそれを応援するゲコ。本当に逃げたいならゲコはそれを助けるゲコ。でも、行きたいのに怖くて動けないゲコなら。行かなくて、後悔して、歌を作れなくなるぐらいなら! ゲコは、ソーヤの背中を押して押して押しまくって、それでもダメなら引きずってでも連れていくゲコ!」
「やっぱり俺のミューズは最高か!」
俺のアイドル。
俺だけのアイドル。
しかし天才音楽クリエイターである俺のアイドルである事が、イコールこの世界のアイドルなのは明白なのだ。
だから、そんな世界一のアイドルにこうやって背中を押してもらった以上、理由は何にせよもう一度走り出すことは出来た。
一度止まったからか、呼吸は少し楽になった。今度は止まらず、行けるに違いない。
何ができるかは、着いてから考える。
何もできなかったとしても、それすらも、その後考える!
全部全部、自分のためだ。
自分が、後悔しないためだ。
だから、強がりで良い。偽善で良い。……無理解で良いとは流石に言えないけれど、今から理解するために――今はまだ、無知で良い。
そんな風に、自分に甘くていい。その分人にも甘くすればいい。
どこまでも、己惚れて行く。己惚れられる才能だけは、最初から有り余るくらい持ってるんだよ俺は天才音楽クリエイターだから!
だから、あえて、口にしよう。
今俺にできる、最低限で、最大限の、決心を。
「リューカちゃんを助けられる人間は、お」
けたたましくスマホが鳴り響いた。
「……」
なんかすっげー出鼻をくじかれたような……。
あ、いや、それどころじゃなかった。電話だ。
お兄さんと合流したハリちゃんかもしれないし、もしかしたら、カンナ先生が戻ってきたのかもしれない。そう気を取り直して、俺は急いで、相手も確認せずに先に通話を選んでスマホを耳元に当てる。
「やあやあカジカP! ニュース見てるけど大変そうだね!」
「切るぞ」
そして相手を確認しないまま切ろうとしたところ、「待って待って」と例の年齢の割に声変わりほやほやみたいな声――マカドの声が、慌てたように呼び止めてきた。
自分でもこんなひっくい声出るんだなって、今ちょっとびっくりしてるところ。
「何」
「ピノッキモンさんに勧められて聞いたよ、曲。全部! ボク基本的に音楽とか興味無いから良し悪しはよくわかんないけどなんか口ずさみたくなるような――あ、切ろうとしてるでしょ。待って待って。うーん、一応僕キョウヤマ先生のところの人間だから警戒心は先に解いておこうと思って世間話から」
「要件は」
「ようし解った、簡潔に言おう。君に協力しようと思ってね?」
「は?」
何かくだらない事を言いだしたら速攻で切ろうと画面に伸ばしていた親指が、止まる。
「え? 何?」
「だから、君の力になろうと思って」
何を言っているのか、よくわからないのだが。
協力? 俺の、力に?
「今、ウンノ先生の助手さんとパートナーのヴァンデモンがハタシマさん……あ、雷の闘士の器ね、この人。ハタシマさんと戦ってるんでしょ? ウンノ先生は絶対ホヅミさんのとこだろうし……キョウヤマ先生のご子息の事だ。戦力的に考えてウンノ先生の救援を優先してるんでしょ?」
「いや……」
「え? 違うの? ご子息もそこに? ……いない? あ、そう。詳細はとりあえずいいや。今大事なのは、助手さんは孤軍奮闘中で、助けに行けるのは君だけだろうな~、って、その辺」
それに関しては、マカドの言う通りだ。
今ここに居るのは、俺と、スマホの中のパートナー、ラーナモンだけで。
「はっきり言うけど怒らないでよ? 100パーセント、この晴天の下この時間帯この気候で、ヴァンデモンに勝ち目は無い」
そして言われるまでも無く、そんな事は、解っている。
解らないのは、マカドの態度だ。
俺に怒るなという割に……どことなく、怒っているように思える。
素直にそう感じた事を伝えると、マカドはそれをあっさりと肯定した。
「そりゃ怒ろうってもんさ! ヴァンデモンは夜が一番強いデジモンなんだぞ? ただでさえ協力的な個体がいなくて戦闘データもほとんど無いんだからわざわざ弱ってる状態のデータなんて要らないんだよ! 全く要らないかと聞かれたらそうでも無いけど強いデジモンのデータは一番強い時のが一番欲しいに決まってるだろ!?」
……そういえば、マカドが氷の闘士としてピノッキモンの館に攻め込んできたのは、夜だった。
あれって、夜の方が有利とか、そんなんじゃなくて、まさか……一番強い時のヴァンデモンのデータが欲しかったとか、そんなんじゃ、無いだろうな?
……いや、今は聞くまい。絶対長くなる。
大事なのは
「あんた、何が言いたいんだ?」
「いっちばん強い状態のヴァンデモンのデータが欲しいんだよ! だけど今、日中!」
「聞けや最強厨!」
「でも、陽が昇っててもヴァンデモンが最大限……いや、それ以上の力を発揮する方法がある」
俺を無視したままマカドがのたまった言葉に、一瞬、全ての音が消え去ったような気さえした。
「……今、なんて?」
「いや、君だって知ってるだろう?」
「え?」
「『お台場霧事件』」
知っている。
知らない筈が無い。
そうだ、あの事件は――あの事件のヴァンデモンは!
エンジェウーモンの出現まで選ばれし子供達のパートナーデジモン達を圧倒していた、その時間帯は――午前中だ!
「『霧の結界』!」
「ご名答!」
あの事件を引き起こしたヴァンデモンが、デジタルワールドに伝わる『魔術』を使って出現させた結界。
お台場を他の地域と断絶して陸の孤島に変え、太陽を遮り、自分の力まで引き上げたとかいう――
「まさか」
「そう! 君と君のパートナーに教えてあげようと思ってね! ……『霧の結界』を生み出す方法を!」
あの結界を
「俺達が……?」
「うん! というか、君達にしか無理! 聞いてないかい? ラーナモンを構成するデータは、気象予報システムが元になってるって」
そういえば、そんな事をメルキューレモンが言ってたような……
そうだ、戦うならカルマーラモンの方が強いけど、ラーナモンにも気象予報システム由来の力があるから、そこは一長一短だって――
「ラーナモンには、まあはっきり言って微々たるものだけど、ある程度天候を操る力がある。必殺技も、いわば雨雲の召喚だろう?」
「でも、範囲は……」
「そうさ。狭いよハッキリ言って。今回は小学校分の面積を覆えればいいんだけど、それすら難しいだろうね。『霧の結界』だって、頭おかしいくらい強力な個体だったあのヴァンデモンの力を持ってしても、完成には力を蓄える期間も含めて丸1日かかったようなモノなんだから」
「そんな時間――」
「だからこれは、人気動画投稿者である君にしかできないのさ」
「え?」
「ようは、『霧の結界』を発生させるラーナモンが、いっぱいいれば全部解決なのさ!」
ラーナモン。
俺のアイドル。
故に、みんなのアイドル。
俺がデジモンの歌姫を望んだのは、彼女たちの見た目のマジェスティックさもさることながら――その、声。
デジタルであるが故に、電子機器を通じても全く同じパフォーマンスが出来る、人間には無い特異性。
全く、同じ、パフォーマンス。
「まさか――」
『霧の結界』を作り出すのに必要なエネルギーを放出するのに、喉――つまり、声を媒介にする事は、何ら問題は無いだろう。
デジモンの出す必殺技は基本的にデータの塊で、デジモンの出す声も何度も言うようにデータなので、ある意味で、そこに違いは無い。
つまり、『歌』を用いて『霧の結界』を作る事は、出来る。
そしてやっぱり、デジモンの声はデータなので、スマホを――デジヴァイスを通じて鳴り響いたとしても――
――それは、『霧の結界』発動のためのトリガーに、使える。
つまり、俺と、俺のミューズがすべきことは――
「生、放、送……!?」
「はい、よくできました!」
結論に気付いて、でもそのせいで呆気に取られる俺を置き去りにして、マカドが「ちょっと待っててね」と一度電話口から離れていくような音がした。
入れ替わる様に
「ソーヤ!」
我がアイドルの、声が聞こえた。
「ら、ラーナモン……」
「生放送の予告してきたゲコ! それから、ツブヤイタッタワーに告知も! 変に嘘吐いても逆にダメな事になりそうゲコから、全部、正直に」
「!」
つまり、今時間に余裕のあるカジカクラスタの皆様には、俺の現状、俺の目的。その両方が伝わったという事になって――
と
「お待たせ! 『霧の結界』の詳細データをそっちに送ったよ! ラーナモンならすぐ理解できるだろう?」
「ゲコ。届いてるゲコ。ゲコゲコ……ゲコ! 大丈夫ゲコ! ソーヤ、水の闘士の力で出せるゲコ!」
「ようしカジカP! ボクからはこれが最後の指示だ! スマホを前にかざしてくれたまえ!」
言われるがまま、スマホを前に突き出す。
これじゃまるで、リアライズの構えじゃないかと思った次の瞬間――
「ブリザーモン、リアライズ!」
――白銀の獣の姿をしたデジモンが、本当に、リアライズしてみせた。
「!?」
誰、と問う前に
「さあ、『会場』まで送るよカジカP」
正体は、解った。
理解して、訳が分からなくなる。
これは、あの時俺は直接見なかった、氷の闘士のビースト形態だ。
そんでもってマカドだ。
でも、訳が分からなくても――確かな事が、1つ。
細かい事――いや、細かい事じゃないんだけど、気にしてる余裕は、無い。
「乗り心地は、保証するよ?」
そう言ってしゃがんだマカド……ブリザーモンの背中に飛び乗る。
電話に気を取られつつも、足は止めなかった。
だけど学校まではもう少し距離があって、それから近づいてみればその直前に黒山の人だかりができていて、きっと、俺とラーナモンだけじゃ突破は厳しかっただろう。
だったらこれは、渡りに船という事で。
「頼む!」
俺が叫ぶのとほとんど同時に、雪の獣が、駆け出した。