Episode タジマ リューカ ‐ 0
大学の空気は嫌いでは無かった。少なくとも、高校までの事を考えると実に気が楽で、ずっとこわばらせていた肩からようやく力を抜く事が出来たあの瞬間の事は、きっと、生涯忘れられないだろう。
クラスという狭苦しい箱の中から解放されて、家という息苦しい檻から逃げ出して――無理に人と関わらないで良い、精々がゼミの集まり程度のこの空間は、私にとって、初めての『広い世界』だったのだ。
だが、それもあと数ヶ月だけの話だ。
「……はぁ」
公園の錆び付いたベンチに腰掛け、もう二度と関わる機会は無いであろう企業のパンフレットを丸めてゴミ箱へと放り込む。
「リューカ?」
不意に、心配そうな声が耳へと届いた。上着のポケットからだ。
「……大丈夫だよ、ピコデビモン」
ポケットの中身――デジヴァイスを兼ねたスマートフォンを取り出し、画面の向こう側にいるパートナーへと微笑みかける。いくら就職活動がうまくいっていないからといって、この子に――いや、この子にこそ、心配をかけるべきではないのだ。
だけ面接官の言葉が、隠しきれない蔑みの表情が、ドット絵姿の小さな蝙蝠みたいな彼を見る度に嫌でも蘇る。
――ああ、ヴァンデモンのテイマーなんだ。
「……」
就職活動が上手くいかないのを、間違ってもピコデビモンのせいにしたくない。
でも、世間の私達を見る目は、いつだって同じだった。
実の親でさえ、そうだったのだから。
「ごはんにするね」
小さく頭を振ってから、私はピコデビモンに呼びかける。「うん」とこれっぽっちも邪気を感じない返事には、いつもながら、軽く口角が上がった。
そう、こんなにいい子なのだ。ピコデビモンは、何も悪くない。
だから、これ以上この子に嫌な思いをさせないためにも、私がなんとかしなくちゃいけない。
卒業までに仕事を見つけて、2度とあの家には帰らない。
……だけど内定は取れていなくて、このまま仕事が見つからなければ、私はあの家に帰る他無いのだ。
そういう約束に、なっている。
「……」
周りに人気の無い事を確認。住宅街もビジネス街も比較的近いのに、メインストリートを外れただけでこんなにも閑散としているのは、恐らく昼過ぎという中途半端な時間帯とこの酷い寒空の下にさらされている事以上に、この公園の「需要の無さ」が関係しているのだろう。
きっと、昔からあるというだけで、かろうじてここに残されているのだ。
だが、あまり人目に触れたくない私のようなテイマーには好都合だ。
ここならゆっくり、パートナーと一緒に居られるだろう。
そのためにも、自分の食事くらいはさっさと済ませてしまおうと、鞄からコンビニのおにぎりが入った袋を取り出そうとした、その時――
雷が、落ちた。
「!?」
「ひぁっ!?」
あまりにも唐突な落雷だった。
天気は確かに曇ってはいるが、何の前触れもなく、稲光と轟音が寸分ずれずにやってきた、どう考えても異常な雷。
それは私達の背後――公園にやや大きな影を落としている、それでも背はそう高くない、寂れたコンクリートのビルからで。
振り返れば、建物の壁は抉れ、煙が立ち上っていて。
「……!」
ニュースでしか見たことの無い光景だった。
だが、いつかこういうことをするのではと、私達にそんな目が向けられるのは日常茶飯事だった。
これは、デジモンの仕業だ。
「――っ!」
その時頭に最初に過ったのは、ここから離れないと、という考えだった。
事件であるなら、事故であるなら、巻き込まれるかもしれない――といった、心配からくるものではない。
ここにいたら私達のせいにされるかもしれない――そんな、経験からくる保身の感情だった。
なのに――
「リューカ! あれ!」
「!」
建物の4階。
やや晴れ始めた煙の中に、2つの人影があった。
「……っ!?」
2メートルは優に超える、カブトムシに似た角の生えた人型の何者かが、派手なピンク色の髪を長く伸ばした白衣の女性の胸倉を掴んで持ち上げていたのだ。
「リューカッ!」
スマホの中の、ピコデビモンが叫ぶ。
「助けなきゃ!」
ああ――どうしてこの子は、私と違って、そんなにまっすぐなままでいられるのだろう。
きっとここに居たままじゃ私達が疑われて、助けたとしても感謝なんてされないのに。
なのに――ああ、結局私も、懲りない女なんだろうな。
「ピコデビモン、リアライズ!」
スマホを前に構えた瞬間、放たれた矢のように蝙蝠のような姿の成長期デジモン、ピコデビモンが飛び出した。
それとほぼ同時に、人型の何かは、白衣の女性を宙へと放り投げる。
まっ逆さまに、頭から落ちていく白衣の女性。
「お願いっ!」
「ピコデビモン、超進化!」
だが女性が地面に落ちるよりも遥かに早く、光に包まれたピコデビモンが彼女の元へと辿り着く。
そのまま、両手でしっかりと女性を受け止めた。
「ヴァンデモン!」
完全体と化したパートナーが、ゆっくりと地面へと降り立った。
……が
「うう……やっぱり昼間は無理だよリューカぁ……」
地に着いた瞬間、一瞬でヘタレた。
アンデットの王の異名を持つ、吸血鬼のような姿の完全体デジモン――ヴァンデモン。
強力なデジモンだが、昼間だと力が半減してしまう。
幸い雲のおかげで太陽こそ見えていないが、それでも真昼間に元気を出せるかと言われればそういうデジモンでは無い。
けど、そんな事は相手には関係の無い話で。
「……」
投げた女性を追うようにして、人型のそれは飛び降りてきた。
巨体に電撃の火花が散る青い装甲。どう見ても、デジモンにしか見えない。
見えないのに――同時に、その姿はどうしようもなく人にも見えた。
「何……このデジモン……」
一応、大学では真面目にデジモンの研究をしてきたつもりだ。書籍もそれなりに読んだし、今現在世に確認されているデジモンはおおよそ頭に叩き込んである、と、私なりに思っている。
だというのに、目の前のそのデジモンは、私の知識の中には存在しなかった。
電気属性である事と見た目から昆虫系統のデジモンであることは解るが――人型の昆虫デジモンは、そもそもあまり種類が多くないと聞いている。
じゃあ、このデジモンは、一体――
「『トールハンマー』!」
「!」
握り合わせた両手が振りかぶられ、雷を纏った状態でヴァンデモンへと振り下ろされる。寸でのところで回避したものの、刹那、アスファルトの地面が抉れた。
「ヴァンデモン!」
「大丈夫! 『デッドスクリーム』!」
ヴァンデモンの手から、コウモリを象った光線が放たれ、謎のデジモンの足に当たる。途端、謎のデジモンの足が石化した。
「!」
「これで今の必殺技は使えないだろ!」
近接技である以上、足を封じた今、脅威にはなりえない。力が弱まっている中では、ベストとも言える選択だった。
だけど、これだけじゃない。
さっきの技は、落雷だった。
「『ミョルニルサンダー』!」
予想通り、今度は頭上が光り始める。
「防いで、ヴァンデモン!」
「っ、『ナイトレイド』!」
稲妻が落ちるよりも早く展開したコウモリの群れが傘になり、電撃が地面に落ちるのを阻止していく。
……が、雷は、止まる気配を見せない。
「ぐ、う……!」
「が、頑張ってヴァンデモン! 助けるって決めたんでしょ!」
「そう、だけど……!」
解っている。そもそもが無茶なのだ。
何か、何か突破口になるものは、と周囲を見渡すけれど、それも、無いものねだりでしかない。
助けを呼ぶ先などそもそも無い。
この異常事態に気付いた誰かが助けを呼んでくれるかもしれないが――それは多分、私達に向けた助けじゃない。
やって来た助けが、今度は私達を犯人扱いするかもしれない。
……それでも、私のパートナーは逃げない選択肢を選んだのだ。
「っ、えいっ!」
陥没した地面からアスファルトの欠片を拾って投げつける。
意味など無いだろう。事実として、攻撃の手は全く緩まない。
それでも――この子の選んだ事を無駄になんか、したくはなかった。
頭を狙って投げ続ける。目にでも当たれば、少しは鬱陶しがってくれるかもしれない。そんなそんな淡い期待に縋りつくようにして黒い塊に手を伸ばす。
――その時だった。
「スカちゃん! いつまで寝てる気だいっ!?」
女性の叫び声が、響き渡った。
「え?」
「んもうっ! 今はエテちゃんだって言ってるじゃないのヨうっ!」
「えっ?」
続いたのは、女性では無い女性口調の声で。
それが聞こえた瞬間には、目の前の謎のデジモンは、突然現れた影に蹴り飛ばされた。
「ええっ!?」
雷が止み、ヴァンデモンの放っていたコウモリたちも完全に霧散する。
その中に1体立っていたのは――メタリックに輝く、筋骨隆々のサルスーツで。
「アンタも――不意打ち一発かましてくれたくらいで、良い気になってんじゃないわヨ!」
メタルエテモン。
究極体の全身クロンデジゾイドのデジモンが、私達と謎のデジモンの間に見事なまでのマッスルポーズを決めて佇んでいた。
「……」
状況を不利だと判断したのだろう。
爆音のような凄まじい雷鳴と、その音に見合うだけの強烈な稲光が落ちたと思った瞬間――謎のデジモンは、姿を消していた。
「……ふえ……助かった……」
ほとんど同時に崩れ落ちるヴァンデモン。尻もちをつく直前で、その姿が見慣れたピコデビモンへと戻る。
「ピコデビモン!」
すぐに駆け寄って、怪我がないか調べる。
防戦一方だったが――それでも
「大丈夫。けがはないよ」
「……良かった」
余所行き用のコートが汚れるのなんてちっとも気にせずに、私はピコデビモンを抱きしめた。
と……
「いや、ほんとに助かったよ! アタシたちだけじゃ冗談抜きで死んじまうとこだった!」
「まーそれに関しては悪かったと思ってるわヨぅ。でも寝てたのはカンナカンナも一緒でしョぉ?」
「うっさい。まったく、あんたのそのクロンデジゾイド製のボディは飾りかい?」
「そーヨ! 美しい飾りも兼ねた一級品ヨッ!」
白衣の女性とメタルエテモンが、こちらを向いて微笑んでいた。
「あ……」
「見たところ就活中の学生さん? いやぁ、肝が据わってるね!」
「ホントホント! こんな非常事態に飛び出して来てくれるなんて、エテちゃんも感激ヨ!」
おそらくパートナー同士らしい2人が、同じタイミングでニッと笑う。
「アンタとヴァンデモン、かっこよかったよ、ありがとう!」
言われた瞬間――どっと、涙が噴き出した。
「え、え、え、ちょ、な、なんで!? 何で泣くの!?」
「あー。泣かせたー。カンナの顔が怖いから泣ーいちゃーったーんだー」
「んなワケあるかい! 万が一怖かったとしてもあんたの腑抜け面より大分とマシだよ! ……いやそれよりも泣かないでお嬢ちゃん! あ、ああ、そりゃ怖かったよねあんなんに襲われたら。思い出したらあたしも怖かったわ。パートナーすぐにやられちゃうし」
「あ、違うの。リューカは多分、嬉しくて泣いてるの」
「……へ?」
「ご、ごめんなさい……」
止めようとするのに、涙が止まらない。
堰を切った、と言う言うのだろうか。これは、今まで私の中に溜まっていたものなのだろう。
ああ、だって――
「お礼なんて……言ってもらえると思わなかったから……!」
いつも、そうだった。
何もしなくても嫌われて、何かをしたら怖がられて。
このリアルワールドで実害を起こしたデジモンと同じだという理由で、みんなからのけ者にされていた私達は――この日初めて、感謝をされて。
そんな縁があって、数か月後、私はこの、メタルエテモンのパートナー……雲野環菜博士のところで、働く事となったのだ。
*
20××年。
全ての人間にパートナーデジモンがやってくるようになって、もう20年近くになる。
しかしかつてデジモンがこの世界に落とした影は未だ色濃く残り――人類の側も、デジモンに対して全てが寛容とは、とてもとても、言えなくて。
これは、そんな世界で爪弾きになるしかなかった筈の私とヴァンデモンに進化するピコデビモンが、『前例』になるための物語だ。
ユキサーン様
お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
改めまして、感想をありがとうございます。
本家『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』の世界観を見た時に、ウィルス種への偏見っていうのは絶対にあるだろうなー、ヴァンデモンとか、実際に悪役を務めたデジモンであればなおの事……というのがこの『デジモンプレセデント』の根底にあります。まあようは妄想を全力で形にしたという感じでしょうか。
ユミル論につきましては、お察しの通り『デジモンストーリーサンバースト・ムーンライト』から設定を持ってきました。あの設定、絶対に色々広げられるだろうと思ったので……。
3人+1の物語はこの先どんどん展開していきますので、読者様に楽しんで頂けるよう、こちらのサイトでも頑張っていこうと思っています。
最後になりましたが、どうぞ今年もよろしくお願いします!
初サロンコメント、アナタに決めたぁ!! ってわけで以前のサイトでは投下してなかったプレセデント感想、参ります!!
人間とデジモンがパートナーの関係を築く事が出来る世界観のお話。それ自体は比較的よくある部類の設定なのですが、ウィルス種のデジモン……というか闇の種族である悪魔型とかが明確に世間の嫌われ者になっているって話は案外見ないのですよね。少なくとも自分の場合。
(現状)三人の主人公達が、それぞれ異なる『前例』をキーワードとした物語を展開させていく……その中でもやはり、カンナさんの視点は他の二人の物語とは明確に毛色が異なり、読んでてゾクゾクする表現がちらほらあって『おぉ~……』となってます。『ユミル論』という、デジモンに「本物の寿命」を与える話にはDSソフト「デジモンストーリーサンバースト・ムーンライト」の内容もちょっと頭に浮かびましたね。クロノモンとか。
世間から爪弾きにされていた者の、新たなる『前例』を築く物語。
過去に存在した人物が築き上げた『前例』を好き勝手に弄ぶ者達へ復讐する物語。
そして、『前例』の存在しないアイドルが誕生するまでの物語。
どれもどう発展してどんな物語を紡いでいくのか楽しみな内容となっていて、また改めて読める事を嬉しく思います。お互い、こちらのサイトでも楽しめると良いですね。
Episode カガ ソーヤ ‐ 0
「この世界にアイドルなんかいねえ!!」
流れで見ていたバラエティー番組にどうやら今巷で人気らしい女子アイドルグループが乱入してきたあたりでテレビの電源を切り、シャウトする。
「……ソーヤは今日も元気ゲコね……」
呆れたような、諦めたような、いつも聞いているような、パートナーの美しい声。 バスタオルの上に置いた浅く水の張ったタライの中で寝そべりながら、足の生えたオタマジャクシに似たデジモン――オタマモンが、嘆息している。
「元気じゃねえ! むしろ世界の在り方を憂いとるわ!」 「ソーヤを見てるとリアルワールドの平和さがよく解るゲコ」 「アイドルのいない世界の平和なんて虚しいだけさ……」
人はこの俺、鹿賀颯也を『若き天才音楽クリエイター・カジカ』と呼ぶ。
高校生の頃から始めた無料の動画配信サイトで投稿した楽曲が次々と話題を呼び、今や現実の世界でも顔は知らないが名前は知ってる作曲家として、若者を中心にかなりの知名度を有している。 まあ動画サイト上がりの俺の事を馬鹿にする輩はいないでもないが、そいつらも俺のパートナーがゲコモンに進化するオタマモンだと知れば声を潜める。 ゲコモンがパートナーである事は、音楽関係者にとって一種のステータス。楽曲作成ソフト内に生まれた名曲を糧に進化するゲコモン達は、我々にとってまさに音楽の女神ミューズ! 基本的にウイルス種がパートナーのテイマーは世に冷遇されがちだが、ゲコモンと肩を並べる俺達は違う。むしろ世界に歓迎される存在なのだ。
……いやほんと、他のウイルス種連れてる人たち見てると時々気の毒になる。 まあ成長期のウイルス種のほとんどは結構よくいるデジモン達ばかりだからだからまた別として。クワガーモンとかウッドモンとかはまだ結構認知されてる感があるけど……知り合いにいるバケモンのテイマーとかは「世間の目がバケモンの布より白いぜ」とかうまいけど笑えない事言ってたし……会ったことは無いけど、悪魔系デジモンがパートナーの人とか、一体どんな生活してるんだろう?
閑話休題。
ともかく俺は自他ともに認める才能の持ち主で――だが、行き詰まりに迷い込んでしまっている。
何故かって? 俺の歌を歌ってほしい提供先が、この世に存在しないからさ!
そもそも俺が歌を作り始めたのは、この世のどこにも、俺の求める音楽が存在しなかったからだ。
世間的に歌姫と呼ばれる歌手のバラードを聴いても、人気グループのポップソングを聴いても、巨匠の演歌を聴いても懐かしのフォークソングを聴いても、どれも心に響かない。 自分の心を震わせる曲を――そんな風に願う内に、俺は、それを自分で作る道を志していた。
そして世間に認められる曲を作り、オタマモンからゲコモンに進化するようになったパートナーがその歌を歌ってくれるようになって、それでも何かが足りないと感じていたある日――唐突に、自分が望む最高の楽曲に欠けているものは何か、気付かされる出来事があった。
自分の提供した曲を歌う事になったアイドルグループの練習風景を見るために招待された彼女たち専用のトレーニング施設で――そのうちの1人が連れていた女性型のデジモンを、その日初めて、俺は生で見たのだ。
その姿はあまりにも美しく完璧で、子どものようでありながら大人の女性の気品があって――俺の歌を歌う事になったアイドル達よりも、あまりにも偶像(アイドル)的だった。
後で知ったがそのデジモンはライラモンと言う名前で、完全体の妖精型デジモンだった。 ライラモンの出会いから、俺は女性の姿のデジモンを調べるようになり――そして、悟った。
俺は、デジモンの歌姫を求めていたのだと。
だがそれを知って葛藤もした。俺には俺のミューズ、すなわちゲコモンがいる。 デジモンに性別が存在しないのは俺も知っているが、それでもうちのオタマモンは性格上は女性的で、声も抜群に美しかった。なら、それで十分じゃないかと。 ……だけど、自分の気持ちに嘘は吐けなかった。
ゲコモンに、おっ○いは無い。
ので、俺は修行に修行を重ねた。ありとあらゆる女性型デジモンを網羅し、イメージトレーニングを経て、大概のデジモンに女体化のフィルターをかけて見る事ができるまでの境地に至ったのだ。
俺はそれを元に、無料動画サイト時代のツテを使って我が愛しのゲコモンをモデルにした、偶像としての――正しい意味での、俺のアイドルをキャラクター化させてもらおうと試みた。
だがダメだった。
人間不思議なもので、本当に強い思いだろうと、意外と相手にはちゃんと伝わらないものなのだ。 イラストレイター側のクセや、微妙なニュアンスや、生身のデジモン特有の質感や、その他もろもろの小さな点が見逃せず――結局今に至るまで、俺のアイドルはこの世に降臨していない。
そんな中望んでもいない歌い手達が俺の作った歌を今まさに歌いだそうとしていたので、テレビの画面は闇に包まれたままである。
「どこ……俺のアイドルどこ……?」 「はいはい、ここにいるゲコよ」 「わああん俺のミューズー! マーメイモンに進化してぇー!?」 「比較的現実味のある進化先提案してくれたところ悪いゲコ、ソーヤの実力だと進化できても、順当にトノサマゲコモンに進化しそうゲコ」 「あっあー! 俺のミューズが低めのハスキーボイスも似合う憂いと影のあるほどよくふくよかでシックな大人の女性系歌姫になっちゃううぅ! 自分の才能が恨めしい!」 「ソーヤはアホゲコねえ」
言いつつ、濡れた足をタオルで拭いてから、タライから出てきたオタマモンは優しく俺の背中をぽんぽんと叩いた。
ああ、俺のパートナーはこんなにも優しくて声も綺麗で俺の眼には美少女に映るのに――それでも、理想のアイドルたりえない。
「俺は酷い男だぁ……」 「知ってるゲコ知ってるゲコ。ソーヤ。ちょっと表の空気吸いにゲコう? お外を散歩したら、気分も変わるゲコかもよ?」 「……」
とてもそうは思えなかったが――だが、オタマモンの言う通りなのだろう。 彼女の言う通り、気分転換をするに越したことは無い。
俺の思いはともかくとして、世間はそれでも俺の曲を求めている。趣味ではなく仕事で曲を書く立場になりつつある以上、新たな楽曲を作り上げるのは天才音楽クリエイターである俺の義務なのだ。 外の空気に触れれば、世界の望む曲――具体的には、来々期のドラマの主題歌くらいは書き上げるだけの気力も戻るだろう。
時刻は夕方。暖かいが暑いに変わり始める初夏一歩手前のこの季節に、まだ肌寒さを残すちょうどいい時間帯だ。夏になってしまうとオタマモンは地べたに足をつけて歩く事すらできなくなってしまうので、彼女と散歩を楽しめるのも今の内だけだ。
「じゃあ、行こうかオタマモン」 「ゲコ」
テレビ以外の部屋の灯りも全部消して、俺と俺のミューズは狭い玄関から外に出た。
*
俺とオタマモンは夕闇に包まれつつまる街を、決まったコースでぶらぶらと歩く。 時々はそのまま飲食店に立ち寄って夕飯を済ませたりもするのだが、今日は昨日の残りがまだあるのでその予定は無い。
繁華街を抜けて、人通りの減った川辺の道を、橋を渡ってぐるりと一周するのがいつもの散歩道だ。 「ちょっと土手の方で休むか」 「そうゲコね」 階段で川の近くまで降りて、オタマモンと共に腰を下ろす。水の流れる音を聞いていると、少しばかり心が安らいだ。
「……オタマモン」 「何ゲコか?」 「今度の曲……仕事のやつじゃなくて、久々にサイトの方に投稿しようと思ってるんだけど」 「良いんじゃないゲコ? どんな曲ゲコか?」 「うん。……子守歌みたいな曲にしようと思うんだ」 「子守歌ゲコか……ゲコの得意分野ゲコね」 そしてその曲が完成するまでに見つからなければ、俺は俺のアイドル探しをやめようと思う。
……そうは、言い出せなかった。
いつか『本物のアイドル』に俺の曲を歌ってもらう――それこそが、俺の力の源なのだ。 それを捨てるという事は、すなわち、俺の中に宿った『音楽』そのものを捨てるという事になる。 夢や希望の話ではなく、現実的に、これから生きていくために――俺から音楽が消える事は、とても、恐ろしい事のように思えた。
……ああ、どこかにいないものだろうか。 俺のゲコモンと同じレベルの歌声を持つ――麗しのミューズたりえるデジモンが、何処かに。
と、
「ゲコ?」
ふいにオタマモンが疑問符のついた鳴き声を上げた。 「? どうしたオタマモン」 「ソーヤ、あれ」 やや暗くなり始めた中、オタマモンの指さす方を見てみると、川の端にできた芦の群れの端っこに、何かが流れ着いている。
「なんだありゃ」
ゴミのようには見えなかった。夕日の赤い光に照らされているにも関わらず、それはうっすらと水色の輝きを放っていて。
「ちょっと見てくるゲコ」 「待て待て、一応俺も行く」 ここから先は階段が無いので、注意しながら斜面を下りる。 件の場所に辿り着いてみると、芦の茎に引っかかっていたのは――
「ホントになんだこれ?」
黒い六角形の小さな台座に、青っぽい小さな足と、帽子……だろうか? 赤い宝石のような飾りが真ん中と左右につけられた、妖精の頭を思わせるオブジェが乗せられている。
「最近の子供の玩具かな?」 「落とし物かもしれないゲコね。ちょっと取ってくるゲコ」 「ん」 警察に届けるほどのものではないだろうが、子供が失くして悲しむようなものかもしれないし、土手の入り口らへんにでも置いとけばいいだろう。 ティッシュで拭いとくくらいはしといてやるかと、俺がポケットに手をつっこんだ――その時だった。
「ゲコォ!?」
突如として、オタマモンが謎のオブジェが放っていたのと同じ、水色の光に包まれた。
「オタマモン!?」
一瞬頭が真っ白になったが、慌てて俺は土手を駆け下りる。着水に失敗して盛大に水を被ったが、それどころではなかった。 「オタマモン!!」 駆け寄ろうとした瞬間、光が晴れた。 「な、何が起こったゲコか……?」 そこには特に変わった様子の無いオタマモンが――いなかった。
代わりに、妖精がいた。
「……」 先ほどのオブジェをそのまま被ったような――あるいは、纏ったような、赤い眼の水の妖精が、そこにはいた。
「ゲ、ゲコ……ソーヤ、どうしたゲコ――ほわっ!? な、何ゲコか!? ゲコはいったいどうなっちゃったのゲコか!?」
そしてそこにいる妖精は、どうやら、俺のオタマモンらしくて。
「お……オタマモン、なんだよな?」 「そ、そうゲコよ。え、でもなんで急に姿が――」
抑えきれずに、俺は尻もちをついたままの妖精――姿を変えたオタマモンに駆け寄り、がしりとその両手を掴んだ。 「!?」
「マジェスティック!!」
何が起こったのかはわからない。何でこうなったのかもわからない。 だけど、そこにいた彼女は――
――俺の待ち続けた、アイドルに違いなかった。
*
20××年。 この俺、若き天才音楽クリエイター・カジカこと鹿賀颯也は、その日新たな転機を迎えた。 我がパートナー・オタマモンはその美声に見合うだけの容姿を手に入れ、俺の、俺達のアイドルに――この世界に新たなミューズとして君臨するための階段を、俺の手を取って走り始めるのだ。
これは、これまでに『前例』の無いデジモンアイドルが誕生する、俺と彼女のシンデレラストーリーだ。
Episode ウンノ カンナ ‐ 0
「アホなのかい、アンタは」
アタシはようやく見る事が出来たクリバラの論文を、彼の前にある机の上に叩きつけた。
後ろで珍しくスカちゃんがおろおろしているのはなんとなく伝わっては来るが、今はそれを気にしている場合じゃあない。
「アタシにコソコソ隠れて何の研究やってんのかと思ったら――」
「だって、君にバレたら絶対に怒られるじゃないか」
「当たり前だろう!」
あくまで飄々とした態度を崩さないクリバラに、自分の中で何かが爆発したような気がした。
自分にそういう振舞いをする彼に腹が立ったからではない。
学会中で大バッシングを受けたばかりだというのに、気にするそぶりも見せない彼に、腹が立つのだ。
……クリバラがどんな思いでこの論文を書いたのか、恐らく唯一、アタシとスカちゃんだけがそれを知っているのに、だ。
「何が『ユミル論』だ! デジモンに本物の寿命を与える? 許されるわけ無いだろそんな事!」
栗原千吉のユミル論。
北欧神話における最初の死者・巨人ユミルから名づけられたこの論文は、死亡してもデジタマとして復活するデジモンに、再生の無い本物の『死』を設定する事で、未来の可能性と引き換えに強大な個体が誕生する。その可能性が説かれている。
理論としては、完璧だった。
完璧だからこそ、非難の的となった。
それは、いくらデジモンが人間という要因によって進化を左右される存在だとはいえ――絶対に、人間が踏み込んで良い領域では無くて。
「対する君のは、随分と評判、良かったみたいだね。『サイクロモンから見る前例進化論』だっけ? 泉先生も大絶賛だったそうじゃないか」
「話を逸らすな!」
だがいくらアタシが怒鳴っても、クリバラはいつもの、柔和な笑みを崩さない。
……こいつのせいで、アタシの研究がようやく認められた喜びも、いっぺんに吹き飛んでしまったというのに。
「こんな事になるって、アンタ、わからなかったのかい!?」
「判っててやったさ。だから、良かった。世間のデジモン学者達もまだまだ捨てたもんじゃないなって解って。ちゃんとみんな、良心がある」
「アンタね」
「それに」
クリバラが、アタシの言葉を遮る。
「カンナはその中でも、特別優しいよ。そんなに怒ってくれるのに、「どうして書いた」とは一言も言わないんだもの」
「――っ」
「姪っ子とニャロモンは、うまくやれてるみたいだ」
嬉しそうに、寂しそうに笑うクリバラに遮られて途切れた言葉は、そのまま霧散した。
半年以上が経つ。
クリバラは、パートナーを失った。
究極体デジモンの暴走事故に巻き込まれた彼を庇って――完全体だったクリバラのパートナーは、究極体からの攻撃に、耐えられなかった。
だがクリバラのパートナーは、その後デジタマとなって復活。
当然、孵化後はクリバラの元に戻った。
戻った、が――
――生まれてきたデジモンは、幼年期Ⅱの段階になって喋れるようになった時、クリバラに「はじめまして」と声をかけたのだ。
「……個体差はあっても、生まれ変わったパートナーデジモンは、ずっと僕のパートナーだと思ってたんだ。でも、そうじゃなかった。……あの子は、もう、僕の知ってるあの子じゃなかった」
生まれ変わったクリバラのパートナーは、彼ではなく、彼の姪っ子と驚くほど気が合った。
……そのまま、彼は自分のパートナーだったニャロモンを、姪のパートナーとして引き渡した。
「思っちゃったんだよ。「ああ、あの子の生があそこで本当に終わっていたならば、僕は2回も、あの子とお別れしなくてもよかったのにな」って」
事故でのお別れと、思い描いた再会に対するお別れ。
そう思ったら、書いちゃった。そう言って、クリバラはバツが悪そうに笑うのだった。
「……だから、聞かなかったじゃないか。理由」
「僕が話したくなった。だって、理論とかその辺は後付けで考えたからね。僕の考察のメインはあくまでデジモンの寿命操作。少しでも非難されない可能性に賭けてデジモンの強化論と絡めてみたけど――やっぱりみんな良い人達で、良かった。研究とか差し置いて感情を骨組みにして書いた論文だから――せめて君にだけでもその根本を伝えておかないと、それは、ちょっとずるいなって、思ったんだ」
そんな事を言っても誰も信じないだろう。
感情が先走った机上の空論には見えなかったから――冷徹な研究者としての言葉としか見られなかったから――こんなにも、否定に否定を重ねられているというのに。
完成度だけでこの世の論文が評価されるなら、クリバラのそれは、私の論文よりもずっと完璧に近い。
「……アンタこれからどうすんだい。このままじゃ、二度と学会には呼ばれないよ」
耐えられなくなって、今度はアタシが話をそらした。
やはりクリバラは気分を害した風もなく、むしろなんとなく表情を明るくしたかと思うと、
「そうだなあ」
と言って、顔をこちらに向けてにやりと笑った。
*
「……さぁ、素敵な目覚めにエテちゃん美声をプレゼントしてあげる! リサイタルの始まりよ! 『ラブ・セレn」
「うっさい」
我ながら、寝起きとは思えない見事な正拳突きが入ったと思う。
マイクを構えて今にも歌いだそうとしていたアタシのパートナーは、「ごふっ」と吸い込みかけた空気を一瞬で吐きながら床へと崩れ落ちていく。
「なぁにが『エテちゃんの美声』だ。寝言は寝て言いな!」
「寝てるアンタを起こしたげるためにやったんでしョぉ!?」
「アンタにソレで起こされるくらいなら、永眠の方がまだマシさ」
「ひっどーい」
リアクションがいちいちオーバーなアタシのパートナー……今しがたエテモンから退化したスカモンを軽くあしらいながら顔を上げると、どうしたものかと戸惑う感情がよーく伝わってくる瞳が4つ。
今日から正式にアタシの助手になる、女の子と、そのパートナー……多島柳花とピコデビモンだ。
彼女達には危ないところを助けられた縁があって、話している内に基礎知識もテイマーとしての実力もアタシの求めているステータスも申し分ないというのにまだ働き口がないと聞いて、そのままうち――我が雲野デジモン研究所で雇う事にしたのだ。
……彼女たちの就職が上手くいかない理由は一点だけで――それは、あまりにも理不尽だけれど、どうしようもなく納得もできてしまう内容で。
「ああ、悪いね」
ピンクなんて派手な色に染めているせいで年中バサバサガシガシしている自分の髪を引っ掻くようにして整えてから、アタシは改めてリューカちゃんとピコちゃんに向き直った。
「長い事スカちゃんと2人っきりだったからねぇ。リューカちゃんとピコちゃんが来てるのはもっちろん解ってたんだけど……アタシもまだまだ慣れてなくてね。気を悪くしないでおくれよ」
「いえ、そんな……こちらこそ、お休み中だったのにすみません」
「ごめんなさい」
……この2人は、すぐに頭を下げる。
多分、そういう生き方ばかりさせられてきたのだ。
だが、きっと、そこは不用意に触れるべきではない。
アタシがするべきは、2人の振舞いを軽く流してやる事くらいだ。
「いいよいいよ。むしろ腰痛める前に起こしてくれてありがとね」
それから、ちょいと遅くなっちまったけど、と付け加えて
「正式入所、おめでとう。改めて、我が雲野研究所にようこそ、リューカちゃん、ピコちゃん」
あらかじめ用意しておいた、パスケースに入れた職員証を差し出した。
「わあ……」
途端、きらきらと2人の目が輝いた。……正直なところ、2人はもうほとんど春休みの期間以前からうちの手伝いをしてもらっているので、むしろ渡したアタシが「あ、そういえばまだ正式にはうちの子じゃなかった」みたいな、変な気分なのだが……。
「ありがとうございます、カンナ博士」
「リューカ、嬉しい?」
「うん!」
でも、喜んでくれたようで何よりだ。
元よりアタシとスカちゃんだけで成り立っていた研究所だ。職員証などあっても無くても同じなのだが、2人の顔を見ていると、一応作っておいてよかったと、今更のように思わされる。
ただ――彼女達がアタシと行動を共にする以上、そして正式にアタシの助手になってしまった以上――
「さて、入所祝いはまたその内やるとして」
――話さなければ、いけない事がある。
この数か月間、正式なうちの職員でない事を理由に伏せてきた話だ。それが通用するのも、今日までなのだ。
「『あのデジモン』と、うちの抱えた厄介事の話を、しようじゃないか」
2人の表情が不意に真剣みを帯びる。
きっと、2人とも昨日の事のように覚えているに違いない。
寒空の下の雷鳴――アタシとスカちゃんを襲った、あのデジモンの事を。
「……ずっと黙ったままでアタシも心苦しかったんだけどね。でも、正式な関係者になるまではどうしても――話すわけには、いかなくてね」
「解ってあげてね2人とも。あの日の事は、そのくらいヤバい事案だったのヨ」
すかさずフォローに入ってくれるスカちゃん。……口では色々言ってしまうが、スカちゃんは本当に頼りになる。
世間様が何と言おうと、アタシにとっては、コイツが最高のパートナーなのだ。
「だから、これから話す事は絶対! 口外は禁止! 約束してくれるね?」
顔を見合わせてから、リューカちゃんとピコちゃんは大きく頷く。
思わず口から、笑みがこぼれた。
「最も、アンタ達がそんな事するような子達じゃないのは、もうアタシもスカちゃんも解ってるよ。……ただ、だからこそ巻き込みたくない気持ちもまだあるんだ」
「話してください、カンナ博士。偶然のご縁でしたけれど……カンナ博士とスカモンさんは、私達に何の偏見も持たずに接してくれて……あまつさえ、こうやって雇ってまでくれました。私達に出来る事なら、何でも言って欲しいんです」
「僕もそう思う! リューカに優しくしてくれるから、カンナ博士もスカモンも大好き!」
ううむ。しかしここまで来ると逆に危なっかしくてかなり心配なのだが。
「……アンタ達……気持ちは嬉しいけど、将来変な詐欺とかに引っかかるんじゃないよ・……?」
「ま、カンナに見初められた時点で人生色々アウトだけどね」
「うっさいよアンタは!」
しかしスカちゃんの台詞もあながち間違いではないのかもしれない。
これから彼女達は、嫌でも危険に巻き込まれる。
それでもいいと、言うのだろうが。
「……でも、アンタ達がそう言ってくれるなら、アタシも包み隠さず、きちんとお話させてもらうよ。あ、メモは取らないでね。質問は答えられる限りは答えるし、必要なら繰り返し話すから」
「わかりました」
「わかった!」
「よろしい。……まずは」
あの男の、人懐っこい笑みが脳裏に蘇る。
「……栗原千吉ってデジモン学者、知ってるかい?」
リューカちゃんは首を横に振った。
まあ、そりゃそうだろう。卒業論文は読ませてもらったので彼女が優秀な学生だった事は知っているが、それでも、知識量は学生の域を出ていない。
結局最後の論文になった『ユミル論』と共にデジモン研究の世界から葬り去られたクリバラの事は、一般人の知るところでは無いだろう。
彼と、問題の『ユミル論』の事を、かいつまんで説明する。……みるみる内に、2人の表情が不安の色を帯びていく。
そりゃそうだ。だから学会でも、非難の的になったのだから。
「ねえねえカンナ博士。クリバラって人は……実際に、そういうデジモンを、つくったの?」
特にピコちゃんの方は気の毒になるほど青い顔(元々どちらかと言えば寒色系だが)をして、うるんだ金色の瞳と震える声をアタシへと向けた。
……ウイルス種のデジモンは個体として凶暴な傾向が強いなんて言ってた奴もいるが、この子やスカちゃんを見ていると、どうもその辺、ピンと来ない。
「いんや。そもそも他の学者連中から総スカンくらって……本人も、書いただけで満足しちまったからね。『ユミル論』は、クリバラの頭の中でしか完成されてないのさ」
「カンナも大反対したのヨ? あの時のカンナの怒りっぷりと言ったら」
「はいはいそれは置いときな」
「うう、カンナ博士、ありがとう」
「いや、アタシが怒らなくてもアイツは『ユミル論』の内容を実践なんかしなかったと思うけど……」
いや、本当にそうだろうか。少しだけ、わからなくなる時もある。
でも結局、アイツはそれだけはやらなかった。
と、おそるおそる、と言った様子で、リューカちゃんが手を挙げた。
「なんだい?」
「えっと、その『ユミル論』というのはデジモン研究者間でもタブー視されて、誰も実用はしなかったんですよね?」
「ああ」
「じゃあ」
「デジモンにはね」
アタシはリューカちゃんの台詞を遮った。
じゃあ、の後には、きっと、『ユミル論』がアタシのこれからの話にどう関係するのか、が続いたのだろう。彼女は自分の言葉を途切れさせた「デジモンには」の意味が判らないでいるようだ。
判らない――そういう発想を持たない子で、本当に良かったと思う。
「……やっぱりあの研究は、世に出されるべきじゃなかったのさ」
ふと、俯いた視界に、スカちゃんの視線が届く。
全く、ふざけた形してるくせに、いっちょまえに心配してくれちゃって。
「悪い事考える奴は、どこにでもいるって話だよ」
*
学会から約1か月後。
すっかり研究に関する事はやめてしまったクリバラの元に、京山幸助と名乗る派手な装いの老学者が訪ねてきた。
キョウヤマは『ユミル論』の事は一般の研究者と同じように咎めつつも、クリバラの頭脳の優秀さは認め、是非自分の研究に意見が欲しいと申し出てきた。
特にやる事のなかったクリバラはキョウヤマに応え、何度か彼のラボに足を運び――
――最後にキョウヤマと会った後、焼死体になって発見された。
「フィクションとかでさ、黒焦げ死体は実は影武者とか偽物とかで、本当は生きてました。みたいな展開あるでしょ? ……クリバラの死体は、全然そんなんじゃなくてさ。本物だった」
今でも時々夢にうなされる。
ところどころ白骨化するほど強い炎で焼かれたクリバラの焦げた身体は、それでもまだ、生身の部分がいくらか残っていて――左腕は、特にそれが顕著だった。
まるで、酷い意地悪の様に。
その生身の部分と、歯の治療痕で