Episode タジマ リューカ ‐ 7
どこかで、歌が聞こえた気がした。
世界の終わる音だと思った。
……だから
「『アヴァランチステップ』!」
次の瞬間の光景を、私は、理解できなかった。
「な――」
ただ、それは雷の闘士にしても同じらしく、ブリッツモンは衝撃のあまり、『それ』を避ける過程で、ヴァンデモンを、手放したのだ。
「っ、ヴァンデ、モン!」
明滅する視界に吐き気がしたけれど、今はそれを気にしている場合じゃ無かった。私は半ば身体を引きずって、地面に放り出されたヴァンデモンににじり寄る。
途端、ブリッツモンが距離を置いたのを見計らって、その存在は、私の前へと降り立った。
「やあやあ! 2週間ぶりかな? 久しぶりだねウンノ先生の助手さん!」
「あ、貴方、は……!」
メタルエテモンさんが倒した筈の氷の闘士――ブリザーモンが、そこに居た。
「詳しい事は後でカジカPにでも聞いてよ! 時間稼ぎに――」
「『トールハンマー』!」
「『グレッチャートルぺイド』! ――忙しくなりそうだからね!」
雷を纏った拳が振り下ろされるよりも先に、ブリザーモンの結われたたてがみが伸びて、ブリッツモンに絡みつく。
そのまま、ブリザーモンは私達から離れていった。
そして、ようやく、気が付いた。
歌は、本当に聞こえているのだと。
オタマモンさんの声が、この校舎のスピーカーを通して、鳴り響いているのだと。
「……!」
そして、その理由もすぐに、ハッキリした。
空気が、湿り始めている。
視界がぼやけているのではない、景色に霞がかかり始めているのだ。
これは、霧だ。
カンナ博士が水のスピリットの解析中、軽く教えてくれたのを覚えている。
ラーナモンには、微小ではあるが天候を操る力が備わっている、と。
つまり、カガさんのオタマモンさん――ラーナモンさんが歌を介して天候を操って、霧を発生させている、というのが、この現状だとしか思えない。
しかも、ただの霧じゃない。
どこから発生しているのかわからないけれど、学校を取り囲むようにして四方八方から無数の光の帯が伸びていて、それらが文字通り霧散する事によって、この空間を作り出しているのだ。
太陽まで隠しつつあるのに、透き通るように明るい、光の霧。
『デジモンアドベンチャー』をきちんと読めてはいない私ではあるけれど――こればかりは、知識として、知っている。
その『霧』にも関わらず、『その日』のお台場は、吸血鬼などとても現れそうに無いほどに明るかったと。
「『霧の結界』……?」
耳に届く、さらさらと流れる水のようにたおやかな声音が紡いでいるのがバレエ曲の『ボレロ』だと、ようやく理解した瞬間――同じように、辺りを包みつつあるこの『霧』の正体にも思い当たる。
「何のつもりだカドマ!」
遠のいていた戦いの音が、激昂に混じって再びこちらへと届き始めた。
「何って、そりゃあフィールドワークだから肉体労働も多少はね?」
「はっ! いつも、いつもそうだ……貴様らのような研究者は! 自分たちの手を出したものの危険性を1つとして吟味せず――デジモンにしても貴様らが蔓延らせたようなものだ、この病原菌どもめ!!」
「いっひっひ、言ってくれるね! 本音を言うと、僕もハタシマさんのそういうところがかなり大嫌いだから、『彼』に協力する事にしたんだよっ――とぉ!」
どうにも味方らしいブリザーモンは、相変わらず巨体からは想像も出来ない程に軽やかな動きでブリッツモンに対応しているが――雪の獣である以上、地形からのサポートが一切望めない現状と、単純な実力差によって、じりじりと追い詰められつつあるのが解った。
「ヴァンデモン……」
ようやく、私は倒れ伏したパートナーの所へとたどり着く。
「ヴァンデ、モン……」
返事は、無かった。
ボロボロに破れたマント。
傷だらけの身体。
そして仮面の下の皮膚は、黒く、無残に、焼き潰されていて。
「……」
もう、太陽の光は無い。
この子を傷つけるものはみんな、少しだけ、離れている。
だけど――
「ごめんね、ごめんね……」
静かで、単調なメロディーだけれど、どこからやってくるのか、幾重にも幾重にも重なっていく、ラーナモンさんの声による『ボレロ』は……きっと、カガさんの事だ。私達のための演奏に、違いなくて。
あの人は結局、私なんかに、手を差し伸べてくれたのだ。
でも、私が、足を引っ張ったせいで
私なんかいなければ、間に合ったかも、しれないのに。
本当にこの曲を聞くべき、この子が――
「リューカちゃん!!」
……歌は、あくまで掻き消さないように。
だけど、いつものように、はっきりと耳に届く大声に、私は、顔を上げて、そっちを見たのだ。
小学校の、1階の端。
カガさんが、窓から身を乗り出して、こっちを見ていた。
すごく、必死な顔をして。
「リューカちゃん! 聞いて! この曲は、『ボレロ』は! 今動画サイトを通じて生放送で配信してる!」
「……?」
「「大切な人を助けるために『霧の結界』を出すから聞いてくれ」っつって出したんだ!!」
「!」
……そして、その表情は、必死そのものだったけど――同時に、笑顔だった。
励ますような、それでいて、心の底からの、精一杯の、笑顔だった。
「すごいよ、すごいんだぜリューカちゃん! 予告はほとんど直前になっちゃったのに、1万人を超える人が聞いてくれてる! そりゃ、ほとんど興味本位で、まあ、ちょっと、その、炎上沙汰……うん、正直に言うけど、それも無いでも無い! でも、でもさ!」
君と君のヴァンデモンを助けようとして聞いてくれてる人も、ちゃんといる!
カガさんが、そう叫んだ瞬間。カガさんの声と、『ボレロ』以外の全ての音が、ふっと、遠くに、行ってしまって。
……今――なんて?
「リューカちゃん達がなんにも悪く無いって、ちゃんと解ってくれてる人たちがいる! リューカちゃん達が今頑張ってるって、ちゃんと解ってくれてる人たちがいる! 直接、は無理でも、手を差し伸べてくれる人だって、いるんだ! みんながみんなじゃ、ないけどさぁ……君達の味方になってくれる人は、この世界にいっぱいいるんだっ!!」
空を、見上げた。
あの忌々しい太陽は、もう、ほとんど完全に見えなくなっているにも関わらず――霧を形作るために滝のように降り注いでいる『光』は、今になっても、止まる事を知らなくて。
これは全部、ラーナモンさんの『声』だ。
つまり、ラーナモンさんの『声』を響かせている――今、カガさんの配信する『ボレロ』を聞いている全ての人達のスマホ――デジヴァイスから放たれた『旋律』が、重なり合った、『結果』
「世界は広いんだよ、リューカちゃん!!」
「……」
ずっと、ピコデビモンと2人きりだった。
『世界』というのは私達を囲む『檻』を指す言葉で、その隅っこにしかいちゃいけないのに、それすらも、私達の居場所じゃ無かった。
大学に入って、その『檻』が少しだけ広くなって、その分だけ、呼吸が楽になった気がして。
でも、『檻』には外がある事を教えてくれた人がいた。
カンナ博士とスカモンさんが、明るい所に連れて行ってくれた。
そこで私は、初めて友達、と呼んでもいいかもしれない女の子と、その子の優しいお兄さんに出会って
でもその中で出会ったみんなは、それぞれに、私よりもずっと狭くて苦しい『檻』の中で辛い思いをしていて――
――だから、せっかく教えてもらった『世界』だけど、やっぱり、私なんか、居ちゃいけないんだって、勝手に背中を向けて。また、『ここ』に
あの、小さな小さな『物置き』の中に、戻ってきた気さえしてたのに。
「……」
物置き。
私とピコデビモンが、3日間閉じ込められた、あの、物置き。
途中で雨が降って、私はどうにか隙間から伝った水を飲めたから、なんとかなったのだけれど――ピコデビモンは、そうじゃなかった。
スマホが取り上げられていたせいで、何も、ごはんが、食べられなくて。
2日目の夜には衰弱し切ってしまったあの子に、何か、あげなきゃと思って。私が、用意できたのは――
「……」
服の右の袖を捲った。
もう、あまり目立たなくなってしまったけれど――それでも、夏場も半袖を着ないで、隠し続けていた傷を、剥き出しにする。
あの日、兄につけられた傷だ。
あの時も、私は、少しは塞がっていた傷のかさぶたを剥がして……
「ヴァンデモン、ちょっとだけ、待っててね」
私は、古い傷口に自分の犬歯を突き立てた。
「ふ、ぐぅ……っ!」
ブリッツモンの電撃のお蔭で痛み自体はマヒしているけれど、人間の皮膚だって、そう簡単には裂けるものじゃなくて
それでも、必死に、噛んで、噛んで、噛んで。
十数秒かけて、私は、その部分を噛み千切った。
加減が判らないようになっていたのは顔の筋肉も一緒みたいで、血が、想像以上に溢れ出す。
ぐずぐずしている暇は無かった。
私は傷口にもう一度唇を押し当てて、流れ出てきたものを一滴たりとも無駄にしないように、吸い上げる。
口の中はあっという間に鉄の匂いでいっぱいになって、むせ返りそうになったけれど、どうにか、堪えられた。
そのまま顔を上げた私は、横たわるヴァンデモンの口を、少しだけ開かせて――
――唇を重ねて、吸い上げた血を全て、この子の喉へと、ゆっくりと流し込んだ。
「……」
そして、あの日と同じように
ぱちり、と、蜂蜜色の瞳が、開いた。
雷によってつけられた顔の火傷の痕は、青い肌の下に引き込まれるようにして、消えていく。
「リューカ……」
だけど……身体を起こしたヴァンデモンは、泣いていた。
視線を、私の右腕一点に集中させながら。
「ごめんなさい、ごめんなさい。リューカ、けがしてる……」
ぽろぽろと涙を流すは理由はそれだけで、それが何よりも悲しいのだと、うるんだ金の瞳で訴えかけてくる。
ああ。この子はもっと、痛い思いをした筈なのに。
「大丈夫。……大丈夫だよ」
私はヴァンデモンを抱きしめて、この子の肩越しに『世界』を見た。
……狭い狭い物置きの扉は、開いていた。
世間体や外聞を気にして、仕方なく開けられたんじゃない。
開いた先に――手を差し伸べてくれる人影があって。
「私はもう、大丈夫」
少しだけ身体を放して、パートナーに、笑いかける。
それだけで、私の想いは、伝わったらしい。
頬を伝った涙はそのままに、つられるようにして、ヴァンデモンはにっと笑った。
と――
「『トールハンマー』!!」
影が、私達を覆うように落ちた。
次の瞬間、頭上で稲光が広がって――直前で私達の前に飛び出して来たブリザーモンさんが、頭の上で2本の大斧を構えたままがくりと膝をつく。
「!」
「やあやあ……王子さまは目は覚めたのかい?」
口調こそ軽いが、ぜえぜえと大きく肩で息をするその姿は、あからさまに苦しそうで――きっと、もう、限界なのだろう。
ブリッツモンはブリザーモンさんがほとんど動けないのを確認してから、ざっと地面を蹴った。
飛び出した先は、1階の端。
「!」
『霧の結界』の発生源を潰そうと、カガさんの所へ――
「リューカ」
一瞬だけ、甘えるように、ヴァンデモンは額を私の額に押し当てて――それから、さっきの笑顔のままで、立ち上がる。
「僕も、大丈夫」
太陽は、もう無い。
代わりに有るのは、温かな『みんな』の手だ。
「わかった」
それなら、何も不安は無い。
どんなに少なくったって、この子の優しさを信じてくれる人達が、この世界のどこかに必ずいる。
少なくとも――カガさんとラーナモンさんは、今、私達の、すぐ傍に。
だったらこの子はこれ以上、縛られなくていい。
「いいよ」
私はヴァンデモンの『枷』を外した。
それだけで、十分だった。
神の鉄槌だとでも言いたげに私のヴァンデモンに向けたあの雷が、今度はカガさんとラーナモンさんに向けられて――
――それは、放たれる事すら無かった。
「っ……!」
軽く払っただけだった。
一瞬で距離を詰めたヴァンデモンは、それだけで、デジモンであるブリッツモンが私を弾き飛ばしたのと同じくらい――いや、それ以上に、雷の闘士の身体を吹き飛ばしたのだ。
ブリザーモンさんが息を飲んだのが聞こえた。
……嫌われるのも、怖がられるのも慣れっこで。
でも、少しでも嫌われないように、怖がられないように、この子はいっつも我慢していた。
だけど、それも今日までだ。
「『ナイトレイド』!!」
穴だらけのマントが、一瞬でコウモリの群れに埋め尽くされる。
つい先ほどまでとは比べ物にならない数と密度で彼らはブリッツモンへと襲い掛かった。
「く……っ!?」
雷では、打ち消しきれないと判断したのだろう。
……それは、雷の闘士が今日初めて見せた、回避の意味しかない後退だった。
ヴァンデモンはコウモリ達に深追いをさせず、その場で待機させる。
「『ミョルニルサンダー』!」
だけど、またしてもブリッツモンはヴァンデモンの方じゃなくて、あの子から離れた、校舎の方を狙った。
とは言っても、今のヴァンデモンなら
「!?」
それすらも、意味をなさないのだけれど。
コウモリたちは一瞬で移動して、学校の白い壁に伸びた稲妻をあっと言う間に食い潰した。
ああ、と、隣にいるブリザーモンさんが、何かを思い出したみたいに声を上げる。
「言い忘れてた! 心配しないでいいよ! 今、校舎は無人だ!」
「え?」
「校内のシステムをハッキングして生徒たちを閉じ込めてたみたいだけど――悪いね! こっちにはヴィンテージ級の超大物! あのハッカー・ゼペットがいるんだもの! 昔取った杵柄ってヤツ? 喜々としてやってくれたよ!」
中にいた人達は、みんなデジタルワールドに避難してもらったよ!
……そう、ブリザーモンさんが声を張り上げて
ブリッツモンは、動きを止めて
ヴァンデモンは、困ったように微笑んだ。
「ありがとう! でも建物に何かあったら、やっぱり怒られちゃうから僕、頑張るよ!」
「へえ! そうかい! なら頑張りたまえよ!」
「ば――馬鹿にするなよ化け物!」
ぐにゃり、とブリッツモンの瞳が怒りに歪む。
「『トールハンマー』!!」
そのまま、また一瞬でヴァンデモンへと距離を詰めて、両腕に纏った雷を叩き込もうと跳躍するブリッツモン。
でも今のヴァンデモンに、それが見えていない筈も無く。
「『ブラッディストリーム』!」
次の瞬間には大きくしなった赤い鞭が、思いっきりブリッツモンをはじき返した。
「がっ!?」
さっきまでは、ヴァンデモンがそうされたように
ブリッツモンが、校庭を転がっていく。
完全に、立場が逆転していた。
……最も、全力を出しているとはいえ、やっぱり私やカガさんの手前――殺気なんて、微塵も感じられないのだけれど。
だけどそれも、あの子を「見ていない」ブリッツモンには、関係の無い話で。
「ばけ、もの……化け物め……! やはり力を隠していたか……!」
「そうかもね」
いつでも攻撃に対応できるようコウモリ達を展開したまま、ヴァンデモンは、静かに応える。
「どんな理由であれ、『奴』と同じように人の生き血を啜った僕は『奴』と一緒の化け物だ。……怒りに突き動かされて『コレ』になったんだ。そのくらい言われたって、甘んじて受け入れるさ」
私を護るための進化だったのに、ずっと、気にしていたのだろう。
私が、勝手に飲ませたようなものなのに……あの子は。
「スライドエヴォリューション!」
と、ブリッツモンがボルグモンへと姿を変え、機関銃の両腕を地面に突き刺し、真っ直ぐに、砲身をヴァンデモンに向ける。
「……だけど、ね」
「『フィールドデストロイヤー』!!」
なお口を開きかけるヴァンデモンを黙らせようとするかのように、あの巨大な雷のレーザーが、真っ直ぐに霧を突き破るようにして発射される。
ヴァンデモンは、必殺技名すら、再びは叫びはしなかった。
「な――」
出していた分のコウモリ達――しかもその半数分だけで、『フィールドデストロイヤー』を防ぎ切ったのだ。
多分、一瞬見せた手の動きを見るに、防ぐだけなら片手だけで良かったのだと思うけれど、それをすると、校舎に余波が行ってしまうと判断したのだろう。
雷のレーザー、という体を取ったデータを全て喰らい尽くしたコウモリたちは、主に命じられるまでも無く、再び元の位置に戻った。
「……僕を化け物と罵るお前が、自分を怪物退治をする正義の味方だと思っているなら……僕は、それを否定する」
金の瞳が、すっと細められる。
「自分が正しいって言いたいなら、今の僕を倒してみなよ。正真正銘の救世主だった1999年の選ばれし子供達は、僕と同じ『ヴァンデモン』を、倒せたんだから!」
雷の闘士は、気付いているだろうか。
私のヴァンデモンの人格が、ピコデビモンと全く変わらなかった状態から、完全体相応にまで、引き上げられている事に。
あれこそが、あの子の我慢の証。
再び、最初と同じ進化を――怒りによる進化を繰り返さないようにと
プライドが高く凶悪、という、一般的にヴァンデモンの特徴とされている性質が、万が一にも絶対に発露しないよう抑え込むために、あの子は、自分の精神の成長すら、『破壊』し続けてきたのだ。
ウイルス種としての攻撃性を、自分の内部に向け続けて。
なら私は、あの雷の闘士に少しだけ、感謝しなければならないのかもしれない。
だって――
「言われるまでも無く殺してやるさ……!」
バチ、バチ、と。
ボルグモンの身体を、無数の電撃が駆け巡る。
「太陽の下では生きられず、人の血を吸わなければ生きられない卑しい化け物の分際で! お前を殺す。この忌々しい霧を呼んだ存在も全て殺す! 目的など知った事では無いが、この俺にスピリットを渡したのが運の尽きだ。いずれは、エンシェントワイズモンも殺してやるとも! 人が正しく生きる世界のために、お前達汚物は全て断絶する!!」
その稲光が、進化の光に変わるのも、一瞬の事だった。
「ダブルスピリットエヴォリューション・ユミル!!」
ボルグモンの居た位置に、轟音と共に、雷が落ちた。
ああ。やっぱり、まだやる気なのか。
良かった。
――あの子は生まれて初めて、本気で暴れられる。
「ライノカブテリモン!!」
そして雷光が弾け飛んだ先には、ボルグモン以上の巨体を誇るデジモンが居た。
6つの足は、確かに昆虫型の特徴ではあるものの、額の巨大な角や、全体的にどっしりとした体格は、どちらかといえば獣を思わせる姿をしている。
「……獣の身体に、昆虫の甲殻、か……」
溜め息のように、ヴァンデモンが呟くのが聞こえた。
「嫌だな。まるで僕みたいだ」
それは、既にこの子が成る事が出来る、『次』の姿の事だったのだと思う。
――空間の歪む音がした。
「あ」
不意にブリザーモンさんが発したそれに、ちらりと視線が動く。
……ブリザーモンさんの持っている2振りの斧が、宙に浮かび上がっていた。
それだけじゃない。
校庭にあった金属製の遊具は全て根元から折れて、校舎の窓枠という窓枠が剥がされ、校庭にはガラスの雨が降り注ぐ。
……『学校』と『その外』を隔てるフェンスが無事なところを見ると、雷の融合闘士であるライノカブテリモンが指定した範囲内の金属が、対象になったのだと思う。
それらが全て、巨大な球状の塊を形作るように、ライノカブテリモンの角の上に集結する。
「潰れてしまえ!」
歪な合成音みたいになった声で叫びながら、ライノカブテリモンが集めた金属の塊を凄まじい勢いで発射する。
ヴァンデモンは、避けようともせずにただ、手の平を前に向けた。
「『デッドスクリーム』」
こちらもやはり、先程とは比べ物にならない大きさの光線が金属の塊へと伸び、ほぼ全体を、石化させる。
そのままヴァンデモンはその両腕をクロスさせるように構えて
「『ブラッディストリーム』!」
両方の腕に展開させた赤い鞭で、塊を叩き割った。
衝撃は全体まで行き渡ったのだろう。塊は、ほとんど砂と化して辺りに飛び散った。
「っ!」
「壊しちゃった……」
声にならない驚愕を示すライノカブテリモンと、宣言通りに校舎を守り切る事には失敗してしまった事を気にするヴァンデモン。
幽かに確認できるライノカブテリモンの口元が、昆虫型特有の上下左右に備わった牙を剥き出しにしたような気がした。
「ぐ、う……『サンダーレーザー』!」
次にヴァンデモンに向かってきたのは、『フィールドデストロイヤー』と同じ、雷の光線だった。
種類は、同じ。
だけど、威力は目に見えて違っていて
「『ナイトレイド』!」
今度は、必殺技を使わなければ防げなかった。
「なあっ!?」
「流石に防ぎきれないと思った?」
コウモリの壁をすり抜けるようにして、ヴァンデモンはライノカブテリモンの方へと歩み出る。
「確かに、今のお前は下手な究極体よりずっと強いよ。対する僕は、完全体だ。いくら『霧の結界』と……リューカの血が力を貸してくれてる、とは言ってもね?」
1歩、また1歩。本性はウイルスの塊であるコウモリの群れを引き連れて歩み寄るヴァンデモンに対して
「だから、これは単純な相性の問題」
ライノカブテリモンは、一歩、後ろに下がった。
回避ですらない、後退だった。
「僕の本質は、データを破壊して吸収する――つまり、データを『食べ』て、それを元にほとんど同じ性質の分身……端末、って言うべきかな? 端末を生み出す『ウイルス』だ」
すっと、ヴァンデモンが右腕を横に差し出す。
私を助けようとして消滅した筈のABCDEの使い魔たちが、キイキイと鳴きながら、その手に止まった。
「ようは雑食なんだよ。食べられるものなら、何でも食べる。……ま、だからこそ最終的に、貪り喰らうしか能が無い獣の悪魔になるしか無いんだけど……」
「く、来るな」
「『霧の結界』の恩恵を受けるのは、僕自身のパラメーターと言うよりは『変換』と『放出』を行うための『容量』だ」
「来るな……!」
「食べきれる量で、なおかつ僕らの『牙』が通るなら、究極体の攻撃だろうと究極体そのものだろうと、関係無い」
「来るなっ!」
高圧電流が渦を巻いて、ヴァンデモンを吹き飛ばすべく放出される。
だけど、届かない。
ラーナモンさんの声がデータであるように
ライノカブテリモンの攻撃も、結局は、データだ。
あの子が使い魔たちを介して『食べられるもの』でしかない。
「カドマさん! 助けてくれたお礼は、こんなものでいい?」
そしてヴァンデモンの言葉が挑発ですら無かったと、雷の闘士は、ようやく、思い知らされた事だろう。
ただの、お礼。
どういう訳か解らないけれど、何故かカガさんと一緒に私達を助けてくれた氷の闘士の人が、一番喜びそうな、ヴァンデモンというデジモンについての情報の、提供。
……ブリザーモンさんは、斧を失って空いた両手を合わせて、祈るように、跪いていた。
「ありがとうございます、十分です」
そして私もようやく、何故この人がここに来たのかをなんとなく理解した。
……どうしてカンナ博士が回収した筈の氷のビーストスピリットを纏っているのかは、結局、解らないのだけれど……
と、
「『コンデンサストーム』ッ!!」
雷の、嵐。
渦巻く雲も、暴風も、その全てが雷によって再現された超高密度の電撃の嵐が、ライノカブテリモンの角を中心に吹き荒れる。
そして、それは
「!」
私の方に、向いていた。
この期に及んで、ライノカブテリモンはもう一度、ヴァンデモン以外を狙う作戦に出たのだ。
思えばその鋭い角も、太い脚も、『突進』という行為のためにあつらえられたようにしか見えない。
それによる『暴力』は、ヴァンデモンが、最も失って困るものへと――
「……最低の悪手だよ、ハタシマさん」
ブリザーモンさんが呆れながら、私の気持ちを代弁してくれた。
……ライノカブテリモンには、聞こえなかっただろうけれど。
「先にパートナーだ!」
そう叫んで、1歩を
私を殺すための1歩が踏み出された、その瞬間――
――ライノカブテリモンの巨体が、浮いた。
「が――っ」
ただの、パンチ。
コウモリ達の装甲を伴ったまま、雷の嵐の影響が比較的薄く、なおかつ昆虫型である以上少なからず装甲の薄くなる腹部への、殴打。
単純極まりない打撃技に、しかし確かにライノカブテリモンの身体は浮いて、落ちた。
「僕、言わなかったかな」
押し潰される前にライノカブテリモンの脚下から脱出したヴァンデモンが、吐き捨てる。
「「リューカに酷い事するな」って……!」
びくり、と、ライノカブテリモンが大きく、震えた。
……『霧の結界』が強化するのは、ヴァンデモンの『容量』だと言った。
でもヴァンデモンは、自分自身が強化されてないだなんて、一言も言ってない。
ヴァンデモンは、私の血を飲んでいる。
「……」
それでも。
最後の最後で、もう一度怒りに身を任せる事だけは、避けたかったのだろう。
ヴァンデモンの蜂蜜色の瞳が、私の方へと向けられた。
……きっと、いけない事だとは思った。
でも――
「大丈夫。私も同じ気持ちだよ」
ヴァンデモンが本気を出せたのも――遡れば、私達がカンナ博士とスカモンさんに出会えたのも、言ってしまえば、この人のお蔭だ。
その事を、確かに、感謝する気持ちはある。
でも、それはそれ。これはこれ、だ。
私は、私が攻撃された事なんてどうでもいい。
私が今回負った傷は、私自身がヴァンデモンの足を引っ張った、その報いなのだから。
でもこの人は、ヴァンデモンを太陽の下に引き摺り出した。
最初に遭遇した時は、カンナ博士とスカモンさんを傷つけていた。
カガさんとラーナモンさんまで攻撃しようとした。
自分のパートナーの卵を叩き割ったと嗤っていた。
それから――この子の黄金の瞳を、見てさえくれなかった。
「怒ってる」
「解った」
ヴァンデモンの両腕が、大きく広げられる。
それに合わせて、ボロボロになったマントが、それでも巨大なコウモリの羽のように、広がった。
「『ナイトレイド』!!」
新たに呼び出されたコウモリ達。
それから、既に召喚されていたコウモリ達。
2つの群れが合流して、ライノカブテリモンに群がり、牙を立てる。
「や、やめ――ギャ」
悲鳴すらも、放たれる寸前で食い潰された。
全身を這っていた電流も、昆虫の甲殻も、何もかも。
ギチギチと、引き千切りながら貪る音が、数秒間鳴り響き続け――
――『食事』を終えて彼らがヴァンデモンのマントの中へと帰って行ったころには、ブリッツモンよりは多少小さい筋肉質な中年男性が倒れているのみで。
ガタガタと震えてはいるけれど、この子はもちろん、命までは、取るつもりは無い。
代わりに、と言っては何だけど……
「リューカ」
私の所まで戻ってきたヴァンデモンが、残していたらしいAとEの使い魔に合図してから手を差し出す。
ぽとり、と、2つのスピリット――雷のヒューマンとビーストのスピリットが、使い魔の口から落ちてきた。
「お疲れさま」
してほしい事を指し示すように身を屈めたヴァンデモンを、すぐさま、私は抱きしめる。
「偉いね。よく頑張ったね」
「……リューカに、怪我させちゃった」
「こんなの平気。私こそ……ごめんね。私のせいで、痛かったでしょう?」
「それこそ平気だよ! 僕のは、ほとんど治っちゃったから」
「本当に?」
「うん!」
とびきりの笑顔と元気のいい返事に、ようやく、私は胸を撫でおろす。
ああ、良かった。私は、完全な役立たずには――
「リューカちゃん!」
ぱあん、と、乾いた音がした。
「え?」
直後、キイ、と威嚇するような鳴き声が聞こえて――ヴァンデモンが笑みを消して、振り返る。
その向こうに、煙を上げる銃を構えた、真っ青な顔の雷の闘士だった男の人の姿と……赤い眼を吊り上げて、銃弾を咥えたままその人を睨みつけるDの使い魔の子がいた。
「……」
「ひっ」
無言で佇むヴァンデモンに、息を飲みつつ再び引き金を引こうとする男の人へ――
「『ララバイバブル』!」
――泡が、飛んで行って。
「な――あ……」
その泡が手前で弾けた瞬間、男の人は、白目をむいて、倒れ込んだ。
「……ちょっと寝てるゲコ」
そして私は、初めてオタマモンさんが「本当に怒った時の声」を聞いた。
「か……カガさん! オタマモンさん!」
ヴァンデモンと一緒に振り返ると、オタマモンさんを背負ったカガさんが、私達を見るなりほっとしたように表情を緩めた。
「いや……良かった……」
緩めて――そのまま、へたり込んでしまった。
「カガさん!?」
急いで駆け寄る。
まだ全身の気持ち悪さが残っていたけれど、もうずいぶんとマシになっていて、多少ふらつきはしたもののどうにか転ばずに、カガさんの元に辿り着く。
「だ、大丈夫ですか? もしかして、怪我……」
「いや、いや! 俺は全然!」
「そうゲコ。ソーヤ、撮影と機材の操作以外はほとんど何もしてないゲコ。なのに何ヘタレてるゲコか」
「厳しさが3割増しくらい! ……あ、いや、それどころじゃない! 怪我! リューカちゃんの方こそ、怪我!」
雷で焼けた右手と、自分で噛み千切った右腕の皮膚に、カガさんがわたわたと両手を忙しなく振り回す。
「えっと、えっと、ハンカチかなんか……無いっ! シャツか? 俺のシャツでいい? あ、いや、でも、脱ぐなんてそんな」
「落ち着くゲコ。リューカさんだってソーヤの裸なんて見たくないゲコ」
「ド正論ッ!」
「ハンカチいるのかい?」
と、背後からデジ文字柄のハンカチが差し出された。
いつの間にかスピリットエヴォリューションを解いたらしい、ブリザーモンさん……カドマさんだった。
「はい、どうぞ」
「あ、す、すみません……」
「いやいやいや! いいもの見せてもらったしなんか本人の口から解説までついて来たし!? このくらいお安いものげほっ!」
「!?」
「げっほ、ごっほ、がほ、がほ、あ、あー……大丈夫。興奮のあまりむせただけ」
「ま、紛らわしい……! ……でも、雷の闘士からけっこうもらってたんじゃ? 病院行った方が」
「嫌だ。帰ってレポート書く。書かないと死んじゃう」
「こんな時だけ真顔やめろ」
割と、本当に、大丈夫そうで――それから、カガさんの顔を見ていると、ほっとしてきて――
でも、その前に、私はヴァンデモンが、いつまで経ってもこちらにやってこない事に、気が付いて。
「……ヴァンデモン?」
汚してしまうのが申し訳ないとは思いつつ、でもいつまでも曝したままにしておくのも憚られて――結局、渡されたハンカチを傷口に当てながら、ヴァンデモの元へと、引き返す。
「どうしたの? どこか痛いの?」
「ううん。……ねえ、リューカ」
「?」
「ソーヤさん……僕の事、怖がってない?」
ヴァンデモンは、不安げに目を伏せた。
「リューカは解ってくれてるし、カドマさんはむしろ見たそうだったし、……全力じゃなきゃ、倒せそうになかったから……使っちゃったけど……」
「……」
「でも、ソーヤさんとオタマモンは……」
「なーに言ってんだよヴァンデモン!」
聞こえていたらしかった。
その場に座り込んだままだけど、ニッと笑って、大きな声で
「ヴァンデモンの本気より、メルキューレモンのアイアンクローの方がよっぽどこえーっつーの!」
軽口を、言ってくれた。
……本当に軽口なのかな。そう思ってしまうくらいには、明るい調子で。
「ソーヤさん……」
「というか、ゲコは今のヴァンデモンの猫かぶりの方が怖いゲコ。さっきの饒舌はどうしたのゲコか」
「ね、猫かぶりじゃないよ! な、なんか……リューカやソーヤさん達の前だと、こうなっちゃうっていうか……」
「リューカさんと一緒で、不器用なのゲコね……」
動けないソーヤさんの背中から離れて、いつもよりもゆっくりとだけど、こっちにやって来たオタマモンさんは、ちょいちょいと私の足をつついた。
「怪我してるところ悪いゲコけど、ちょっと持ち上げてほしいゲコ。ヴァンデモンは、しゃがむゲコ」
「え、あ、はい」
「こ、こう……?」
抱え上げたオタマモンさんは、手を伸ばして
ヴァンデモンの頭を、ぺたぺたと撫でた。
「……」
「ヴァンデモン頑張ったから、ご褒美ゲコ」
「オタマモン……」
「な、何そのマジェスティックなご褒美! お、俺も……俺もそれしてよ我がアイドル……ッ!」
「まえむきに、けんとうするゲコ」
「あ、ダメそう」
……私達は、
ようやく、顔を見合わせて、笑った。
それから、どちらとも無く、カガさんの方に向かって
「カガさん。オタマモンさん。……本当に、本当にありがとうございました」
「ありがとう、ソーヤさん、オタマモン」
2人で、頭を下げる。
「いや、リューカちゃん。そんなに畏まらなくても」
「私。……私……」
「……」
「やっと……」
「一緒に帰ろう、リューカちゃん」
カガさんがどんな顔をしているのか、ぼんやりとしか、見えなかった。
溢れだす『水』が、目を、覆っているらしくて。
「帰ったらまずさ、カンナ先生にお説教しなきゃ。ほら、普段リューカちゃん先生の事甘やかしてばっかりだし、今回ばっかりは怒りなよ? ……いや、でも、先にメルキューレモンに怒られてるかも。だったらやっぱり、フォローに回った方が……?」
でも、ぼんやりとしか見えなくても
「それからハリちゃんにはお礼言わないと。俺を近くまで送ってくれたの、ハリちゃんだから。その前に色々あってはぐれちゃったお兄さんの所に行ってもらったけど……あ! お礼と言えばピノッキモンとゼペット爺さんも! 学校の事もそうだし、マカド派遣するために……あ、これは内緒な? カンナ先生のパソコンをハッキングして……」
今、私に話しかけてくれているカガさんが――優しく微笑んでいる事だけは、はっきりと、伝わってくる。
何度も、何度も、頷いて
カガさんの話を聞いて
最後に、カガさんはもう一度
「さあ、帰ろう。リューカちゃん」
そう、言ってくれた。
「はい」
きっと、ぎこちないけれど――それに、応えたくて。
私は、出来得る限り、思いっきり、笑って返した。
「はい!」
だけど、その時
「動かないで!」
男の人の、声がして
一斉に振り返ると――すぐにデジモンをリアライズできるよう右上にスマホがセットされた大きな盾を構えた警察の人達が、ずらりと横一列に並んで私達を囲んでいた。
「重要参考人として、ご同行願います」
「……」
「……」
小学校を襲撃したデジモンが居て
そのデジモンが要求したヴァンデモンがパートナーと一緒に姿を現して
そのデジモンと戦闘して
「……ごめんリューカちゃん。すぐ帰れないっぽい」
「仕方ないと思います……」
何も聞かれない方が、不可能だ。
……でも、前みたいに、怖くは無かった。
カガさんが、いてくれる。
カガさんが、ヴァンデモンにも、味方がいるって、教えてくれた。
だったら、もう
疑われても、酷い事を言われても。本当の意味で、もう、大丈夫だ。
「わかりました」
警官さん達に応える。ヴァンデモンも、隣で頷いた。
カドマさんが、肩を竦める。
「ま、スピリットの事は僕が証言するから心配しないで。君達みたいな興味深いパートナー同士が余計な疑惑を向けられるなんて、僕としても不本意だ」
「あ、ありがとうございます……」
「こちらへ」
この人達も、ヴァンデモンが学校に被害を与えなかった事を、実際に見ていた筈なのだ。
だからだろうか。
ヴァンデモンにある程度の『視線』が向けられているけれど、いつものような『棘』は、感じなかった。
「君、パートナーをデジヴァイスに入れてくれるかな?」
「あ……す、すみません。スマホは……」
「さっきこの子のは壊されてたろう。とりあえずそのままでいい。パートナーと一緒にこっちへ――」
その時だった。
「な、何者だ!」
全員が、その声がした方に顔を向けて――確認した。
倒れた、雷の闘士だった人の前。
さっきまで、いなかった、人影。
文字通り、何も無い所から現れたに違いなくて。
「……しがない太古の究極体じゃよーん」
口調。
ここからでも解る、派手な装い。
ゼペットさんと、全く同じ顔。
私とカガさんは、ほとんど同時に、凍り付いた。
そして、次の瞬間には『その姿』すら、掻き消される。
代わりに、ライノカブテリモンの攻撃で辺り一面に飛び散ったガラス片が一斉に光を放ち始め、虚空に巨大な影を映し出す。
本人の言った通り――太古の究極体の姿を。
【やあ御機嫌よう人間諸君! 我が名はエンシェントワイズモン! 古代十闘士の、鋼の属性を司る者!】
古代鋼の闘士――軍師の恰好をした鏡とでも例えられそうな姿をしたエンシェントワイズモンが、浮かび上がった。
警官隊が、一斉に進化済みのパートナー達をリアライズさせる。
【やめとけやめとけ。これはただの立体映像じゃ。攻撃するだけ無駄! ワシもやるべきことが終わったらすぐ帰るから! ね?】
すっ、と手に持つ紫色の羽団扇が振られる。
それにつられてデジモン達の一部が必殺技をエンシェントワイズモンに向けて放つものの、彼の言う通り映像に過ぎないそれをすり抜けていくばかりで。
……対して、エンシェントワイズモンは
【『ラプラスの魔』!!】
必殺技の、名前を叫んで
グラウンドの丁度中心が――『裂けた』。
「!?」
裂け目。
あまりにも解り易いくらいに、そして理不尽に――空間の、裂け目だった。
そうとしか例えようも無い『深淵』が、こちらを、覗いていて。
と……
「う……」
オタマモンさんの必殺技で眠らされていた筈の雷の闘士だった人が、うめいた。
【おおう、起きたかハタシマ君! ちょうど良かった!】
「キョウ、ヤマ……博士……?」
【消えろ】
「!?」
ずるり、と
『深淵』が、そのまま、伸びてきた。
「!」
「ま――待て! 何のつもりだ!?」
黒色とすら言いきれない程に暗い、無数の縄のようになったそれは、まっすぐに、ハタシマと呼ばれた男の元へと向かう。
「貴様を殺すと言ったからか!? だが」
【あ、それは別に。知ってたし。ワシ、結構お前の事評価してたんじゃよ? 目的のためなら憎きデジモンの力さえ利用する図太さ、手段を選ばない良い意味での卑怯さ、卑屈さ。……それでもそうやって、自分の信念だけは守り通そうとする姿は、醜いながらも、古代雷の闘士に通ずると】
「だったら」
【だが実際のところ、お前は大層に語った信念以上に自分自身の恨みつらみを優先したろう】
「ヴァンデモンは、この世界の、脅威――」
【しかも、その上で、負けおった。……お前にはガッカリじゃよ】
ハタシマに辿り着いた『深淵』は、そのまま、何の鎧も纏っていない身体へと巻き付いた。
「ま、待て! 待ってくれ!」
【今はただ、雷のスピリットを与える上で少なからずお前に古代雷の闘士を重ねた自分自身が情けない。お前は、我が汚点となった。故に、消えろ】
「ま――や、やめ、やめてくれ――助け――」
引きずられながら、砂利の上に爪を立てていたのだろう。
地面を引っ掻いた線は少しずつ赤色に変わり――だけど最後には、全て、暗闇に呑まれた。
【それで、忘れてやる】
それを、はるか上空から見下ろして――エンシェントワイズモンには、何の感慨も無かった。
心の無い、機械の冷徹さ。
あの時と、同じだ。
「うっ……」
隣で、カガさんが込み上げる吐き気を抑えるように口元に手を当てた。
私も、目の前の光景が信じられなくて、頬から熱が引いていて、身体が、ひたすらに、震えて――
【え?】
呆けるような、声だった。
全てを知る存在だと、コウキさんが言っていた程の智慧者であるはずのエンシェントワイズモンが――理解できないと、率直に、そんな声を。
「え?」
次に聞こえたその声は、自分のモノだった。
正確には、少し先んじて、警官隊のみなさんの悲鳴が聞こえて
気付いた瞬間には、目の前に『深淵』が迫っていた。
絡めとられる。
あまりにあっという間の出来事で、カガさんも、オタマモンさんも、手を伸ばしてくれた時にはもう、遅くて
「リューカッ!?」
唯一、悲鳴のように叫んだあの子の手だけが、届きそうで――
――届きそうな、だけだった。
何にも、触れずに
触れられずに
私は、『深淵』に引き込まれた。