Episode キョウヤマ コウキ ‐ 3
「メルキューレモン。夏休み明け初日に何だけど、早速仕事だよ。……って言っても、連絡があったのはピノッキモンからでね。ハリちゃんの光と闇のスピリットについてなんだけど……古代木の闘士の能力の応用と、ピノッキモン自身が持つ「コンピューターに嘘を吐かせる」能力の加減で、もしかしたら、2つのスピリットを多少なり正常に戻せるかもしれないって。可能性はそんな高くないかもだけど、何もしないよりはマシだろう? キョウヤマが動きを見せる前に、ハリちゃん連れてさっと顔出してさっさと戻ってきておくれ。……アタシ? そりゃ、こっちにいるさ。2人してここを空けるわけにはいかないだろう? ……よろしく言っといてね」
*
「何だ。突然どうした鋼の闘士と光と闇の器の娘。……は? カンナに連絡などしておらんぞ? ……あやつが何か……いや、気にするでない。こちらの話だ。早う戻れ。戦力の分散など愚の骨頂であると、おぬしなら理解しておろう。……ああ。せいぜい上手くやれ。幸運を祈っておるぞ」
*
「ああっ、ハリ! コウキさん!」
*
「マスター、カジカPから――」
*
「なんでっ! なんでこんなバカみたいな方法で分断されちまうんだよ!!」
歪んだ顔でそう叫びながら、カンナを探しに出ていたワタクシに掴みかかるカガ ソーヤの言い分は最もで。
ワタクシは、彼を止めようとするハリを逆に制する。
……バカみたいな方法、か。
戦力の逐次投入、そして分散。……どちらも、褒められた策では無い。
故に、約束の日である今回まであの男がそれをしてくるとは、思いもしなくて。
ああ、クソッ。連中に――十闘士の器達には、戦力としての、護衛としての価値すら無かったと――
「カンナは」
「戻ってたら真っ先に言うゲコ!」
本当は、どこかで理解していたのかもしれない。変に冷静なままの自分がいる。
1週間前のあの日から、あの瞬間から。……どうにか燻らせるに留めていた、カンナの復讐の炎は、あっという間に燃え広がってしまったに違いないのだから。
それでもこうやってワタクシ達を騙せる程度には表に出さないようにしていた彼女の事を、ある意味では、称賛するべきなのかもしれない。
彼女は、どうしようもなく、復讐者だ。
「……」
あの日出会った、クリバラ博士の姪だという少女――カズサ、だったか。彼女が通う、カガ ソーヤの母校。
グラウンドの中央に、1体のデジモンが現れたのだという。
既に駆けつけた警察の特殊部隊のパートナーデジモン達と交戦しているにも関わらず、その全てを蹴散らした上で傷1つ負っていない、甲虫を思わせる装甲を纏ったデジモン――ブリッツモン。
キョウヤマの所にいたハタシマという男が纏っている、雷の闘士のヒューマン形態だ。
――ヴァンデモンを出せ。
小学校そのものを『人質』に取ったハタシマの要求は、それだけだった。
それだけで、彼と一度交戦したタジマ リューカとピコデビモンは、察してしまったのだろう。
……この現状を放置できる程、彼女たちは、非情にはできていない。
「俺は……俺が、行かなきゃいけないのに……!」
ワタクシのスーツを掴んだまま、声を震わせたカガ ソーヤが俯いた。
「俺の、俺の学校なんだよ……っ! そんだけじゃない。こんな、こんな……!」
ヴァンデモンに掴まるなりして、タジマ リューカはそこから飛び出たのだろう。窓が、開け放たれている。
……その向こうには、信じられないくらいに雲ひとつ無い青い空が、どこまでもどこまでも広がっていて。
「リューカちゃん達が、戦える時間じゃないのに……っ! 俺は、止めて、無理にでも、俺が、せめて、一緒に……」
カガ ソーヤの吐き出す台詞が、徐々に嗚咽に変わっていく。
話は、全て聞いた。
……タジマ リューカはワタクシに、カンナを手伝いに行けと言ったのだと。
カガ ソーヤは、それを伝えるためだけに、ワタクシ達を、待っていた。
自分に出来る最大限の事を、自分自身の戦力を正確に測った上で、行ったのだ。
自分を測る、という点に関しては、この男は確かに優秀なのだろう。
「……貴方の選択は正しい、カガ ソーヤ」
同時に、タジマ リューカの選択も、正しい。
「ワタクシが優先するべきは、最も戦力となるカンナの事であり――恐らく、今彼女が交戦しているであろう炎の闘士が、キョウヤマとの戦闘の上で最大の障害と成り得る」
「――っ!」
もうこれ以上にないほどに歪んでいたカガ ソーヤの顔が、それでもなお、ひび割れそうな程にくしゃりと歪む。
「……ですが」
全く。この男も、タジマ リューカも、肝心なところで勘違いをしている。
……戦力の分散は、本来、愚策なのだ。
「それはあくまで、双方の居場所が解ればの話です。各個撃破が出来るのであれば、どちらが先でも、構いはしません」
「!」
「もう一度、不本意ながら称賛しましょうカガ ソーヤ。貴方の選択は、正しい。……よく、ワタクシ達を待ちました。タジマ リューカの援護に向かいましょう」
カンナの事が気にならない訳じゃない。
だが、こんな非常時に単独行動を選んだ以上、その責任は自分で取ってもらう他無い。
……今は、スカモンのあの日の言葉を――必ずホヅミを倒すという決意と、メタルエテモン自身の実力を、信じるしかない。
「ハリ」
「はい、マスター」
「ストラビモンになって、カガ ソーヤを抱えなさい。その姿にしかなれないとはいえ、光の闘士は速さを誇る者。……彼が走って行くよりはマシでしょう」
「了解しました」
スマホを構え、光のスピリットを纏うハリ。
ようやく似合いもしない悲痛な表情を消したカガ ソーヤが、こちらを見上げていた。
「メルキューレモン……!」
「戦力としては期待しかねますが、まあ、居ないよりは良い。……行きましょう」
ワタクシも姿を人から鋼の闘士へと戻し、玄関を出る。
戸締りの暇は無いが、それを責められる立場など今のカンナには、無い。
全てが終わったら、ワタクシをああも散々にポンコツと罵り続けた仕返しをしなければならないだろう。
飛び出してすぐ、ワタクシは向かいの建物のガラス窓に触れ、その中に、入り込んだ。
既にハリに担がれているカガ ソーヤがまた驚いているが、説明の暇は、やはり無い。
「ハリ、ワタクシは「こちら」を伝って行きます。貴女はそのまま――」
だが、ハリへの指示を出す暇すら、本当は無かったのだ。
「『スネークアイブレイク』!」
突如として現れた長いハンマーがワタクシの潜んでいた窓ガラスを、そしてそこから連なる硝子の列を、引き裂いた。
「っ!?」
その『技』の影響を避けるために地面に降り立ったワタクシの前に立ちふさがったのは、1か月前に鼻を潰した、土の闘士――ヒューマン形態の姿である、グロットモンで。
アスファルトに叩きつけられたガラスが、鈍い音を立てて崩れる。
……グロットモンのハンマーが触れた個所は全て、その材質を無視して、石化していた。
「久しぶりだな、メルキューレモン」
「マスター!」
「メルキューレモン!」
白昼堂々の襲撃に騒ぐ声が聞こえる中で、ハリとオタマモンの声はひと際大きく、ワタクシの元へ届いていた。
「先に行きなさい」
視界はグロットモンの方を確保したまま、指示を出す。
「タジマ リューカがいれば、貴女は闇の闘士の力を扱える。戦力としては、ひとまずそれで十分です」
「しかし」
「これは命令です。……カガ ソーヤを連れて、早く行きなさい」
振り返って、見送る事はしない。
ただ、足音と、何かを叫んでいるあの無駄に五月蝿く忌々しいカガ ソーヤの声だけは、あっという間に遠くなっていって。
……さて。
「よくもまあ、再び顔を出せましたねグロットモン。……いえ、モリツ。自慢の鼻と一緒に自尊心も治りましたか。それとも前回の打ちどころが悪く記憶が定かではないのでしょうか。……その姿なら、今度こそ、首の骨くらいは折りますよ」
「ウンノ カンナが何処にいるか、知りたくないか」
ワタクシの挑発を無視して、笑いもせずにグロットモンがそんな事を口にする。
「喋らせてみろ、鋼の闘士!」
ハンマーが振り下ろされ、派手な音を立ててアスファルトが割れる。
刹那、ハンマーを中心に、1ヶ月前には小瓶に仕込まれていた筈の怪しい色にきらめく粉が舞い上がり、蜘蛛の巣のように広がったヒビのあちこちから、沸き上がるようにしてゴーレモンもどき達が姿を現した。
道に入ってきた車が、突如として出現したデジモンに急ブレーキを踏み、予期せず見物客となった群衆が口々にそれぞれに、何かしら好きな事を言っている。
「……また、キョウヤマに余計な入れ知恵をされましたね」
打撃技でどうにかできないなら、ひたすらに数で攻めろと、そういった類か。
……鬱陶しい!
完全に起動する前に何体かのゴーレモンもどきの腹部を蹴破り、空間に多少の余裕が出来たのを見計らってグロットモンへと殴りかかる。
しかしグロットモンはそれを回避すると宙へと飛び上がり、落下と同時にハンマーを振り下ろしてさらにゴーレモンもどきの数を増やしていく。
「くっ……!」
グロットモンのそれは、『必殺技』では無い。ただの『能力』だ。イロニーの盾でもどうする事も出来ない。
簡易的に組み上げられたゴーレモンもどきの身体は、下手をすれば人間の力でも崩せそうな程に脆いが、それだけに一瞬で生み出すことが可能らしい。
……最も、これだけの数の召喚を可能にしているのは、ユミル進化の恩恵があってこそだろうが。
だが、それ以上に問題なのは
「きゃああっ!?」
グロットモンは、ゴーレモンもどき達に『命令』を与えていないらしかった。
ワタクシだけを集中的に狙うのではなく、一番近くにいる生き物を見境無く、襲わせている。
奴らの一番近くにいる生き物――騒ぎに群がるオーディエンスや、突発的かつ物理的な通行止めに戸惑う車の運転者達を、だ。
「ちぃっ!」
歩道の女性に襲い掛かろうとしていたゴーレモンもどきの頭を掴み、地面に叩きつける。
全く、呑気な。ここにいる全員がテイマーだろうに!
「成長期の攻撃でも十分に壊せます! 自衛を」
「『スネークアイブレイク』!」
「っ」
グロットモンのハンマーが、ワタクシを、というよりも、襲われて腰を抜かした女性に向けるようにして振り降ろされる。
「『オフセットリフレクター』!」
ハンマーに込められた『石化』の能力を相殺してからその柄を掴み、そのまま一気に踏み込んでグロットモンの胴体を蹴り飛ばす。
「がはっ」
十分な手応えがあった。
衝撃でグロットモンはハンマーを手放し、代わりに握り締め続けていたワタクシがそれを取り上げて、データとしてイロニーの盾へと取り込んだ。
グロットモンであれば再度作り出す事も可能だろうが、当面は、多少なり戦闘力を削れたと見ていいだろう。
が、
「『ジャック・イン・ザ・ボックス』!」
地面に落ちる直前に宣言された必殺技名によって、グロットモンの身体が、まるで水に飛び込んだかのようにアスファルトが割れて剥き出しになった土の中へと飲み込まれる。
「『オフセット――くっ」
『ジャック・イン・ザ・ボックス』。土に潜り込んでの奇襲技だ。
イロニーの盾に対象を映せる技では無い。発動されてしまった以上、打ち消しようが無かった。
だが、対処自体は出来ないわけではない。
ワタクシはグロットモン同様、自分の『ただの能力』で、近くのガラス窓の表面へと文字通り『映り込む』。
ここは、土の闘士の領域では無い。
辺りを見渡す。
先ほどの発言が功を制したのか、あるいは単純に、人間の身の危機にデジモン達が動き始めたのか。ゴーレモンもどき達の事は通行人とそのパートナー達が対処してくれている。
であれば、ワタクシが集中すべきは、土の闘士のみだ。
周囲を探る。
……地中のグロットモンは、奇襲をかけるどころか、この場から離れ始めていた。
「逃がすか」
道路に歪な線を描きながら、それなりの速度で移動していくグロットモン。
ガラス窓からガラス窓へ。他にも光を反射できるものは全て利用して伝いながら、その幽かな痕跡を追いかける。
時間稼ぎなのは、目に見えている。
だからと言って、放置するわけにもいかない歯痒さに歯ぎしりの一つもしたくなるが、今の姿ではそれも叶わない。
……セフィロトモンにスライドエヴォリューションすればその限りではないが、この男にそれを用いるだけの余裕は、無い。
しばらく、進んで。少し開けた、普段から車通りの少ない十字路に差し掛かったあたりで、アスファルトが、盛り上がった。
まず、太い腕が伸び、這い上がるようにしてグロットモンが姿を現す。
同時にワタクシも窓ガラスを離れ、右手で全身を出したグロットモンの首を掴んで、引きずり倒した。
「うぐっ!」
「捕まえましたよ、グロットモン」
背中を叩きつけるように倒したのが、少なからず効いたのだろう。
本格的に抵抗を始める前に片腕と胴を膝で踏みつけて抑え、さらに腕に力を込め、アスファルトのヒビをさらに広げるくらいのつもりで、手の平の部分を使ってグロットモンの首の根元を押し潰す。
「ぐえ」
「さあ、答えなさいモリツ。カンナがどこにいるか、喋ってくれるのでしょう?」
「……」
「まだ喋る気にならない、というのであれば、それでも結構」
空いている左腕で、右腕をどかそうとしてきたグロットモンの手――その、親指を素早く掴む。
そのまま、関節の曲がる向きとは逆方向に、圧し折った。
「ぎいっ!?」
「このまま一本ずつ指を折ります。反対側は、爪でも剥がしましょうか。それでも駄目なら……そうですね。次は、歯にしましょう」
「そん……な、暇があるのか……? 鋼のとう」
人差し指を折った。
「貴方はどうですか? まだ余裕はありますか?」
中指を折る。
「時間が無いのは事実なので、ここからは一々確認しません」
薬指も同じように。
「喋る気になったら言ってください」
小指から、ぼきりと、小気味良い音がした。
「それまで、止めませんから」
次の瞬間。グロットモンの姿が、人間――モリツの姿へと戻る。
喋る、とは言わなかったが、降参の意思を見せたのかと思った。
反射的に、あくまで対デジモンだと込めていた力が、多少なり、緩む。
同時に、モリツの口が息を吸い込もうと開かれた。
彼の身体を抑えていた右腕も、喋らせるためだと、軽く、離す。
だが、その口から出てきたのは――
「助けてくれ!」
――あまりにも拍子抜けするような、情けなさを演出した台詞で
それがワタクシへの命乞いの類では無いと気付くのに、一瞬、遅れてしまった。
「『ハンティングキャノン』!」
「っ!?」
超高密度のエネルギー弾が、まともに、直撃してしまった。
「がっ」
弾き飛ばされ、地面を転がる。
「おい! 大丈夫か!?」
人間の男が、パートナーらしきケンタルモンを伴ってモリツへと駆け寄っていくのが見えた。
……よりにもよって、ケンタルモンか。
あれの必殺技は、成熟期デジモンの中でもかなりの威力を誇る一撃だ。
鋼の闘士とはいえ、そもそも、本体の防御力は大したものでは無い。
「う……」
イロニーの盾の無い右腕の損傷が、想像以上に酷い。
一方でモリツは「デジモンに襲われる人間」を助けるために飛び出したらしい見上げた正義漢に、そのまま助け起こされている。
「……いやあ、助かった」
……まずい。
「その男から離れろ!」
どうにか身体を起こして叫んだが、間に合わなかった。
「スピリットエヴォリューション・ユミル!」
一瞬で光に包まれたモリツを呆けるように眺めるしか無かった男は、今度は、目の前で、グロットモンの拳による一撃で、パートナーを叩き潰された。
「え?」
渾身の必殺技を放った直後で疲弊していたらしいケンタルモンは、驚くほど呆気なく細やかな塵へと変わり、一瞬デジタマの形状を見せた直後、虚空へと消えた。
あまりに唐突な別れに言葉を失う男性を、グロットモンは、ケンタルモンを潰したばかりの左手で掴み上げる。
「あがっ!?」
「お蔭で丁度いい人質が手に入った」
「!?」
男はじたばたと手足をせわしく動かすが、そんなもので土の闘士の握力をどうにかできる筈も無い。
グロットモンはあくまで表情を変えずに、ただ、何とか立ち上がったワタクシを睨みつける。
「お前みたいに、器用に拷問したりはしない。動くならこの男を殺す。それだけだ」
「……」
「た、助けて……!」
……都合のいい話だ。
勝手に出しゃばった結果だろうに。
ワタクシに攻撃した事自体はまあ、状況が状況であっただけに責められはしないが、自業自得と言ってしまえば、それまでだ。
ワタクシは、ただ、このまま地面を蹴って、もう一度モリツを捕らえればいい。
グロットモンの太い腕が男の頭を潰すのには十分な時間を与えてしまうだろうが、知った事では無い。
今、一番大切な事は、ブリッツモンと交戦しているであろうタジマ リューカの援護に一刻も早く駆け付ける事。
そして、グロットモンからカンナの居場所を聞き出し、彼女が望む望まないに関わらず、援護する事だ。
……ワタクシにとって倒すべきなのは十闘士の器達では無い。未だに全貌は判らずとも、確実に世界の脅威になるに違いない手を打とうとしているキョウヤマ――エンシェントワイズモンだ。
だから、そのための戦力以外は、無視して然るべきな筈だ。
……筈、なのだ。
「……降参のポーズは、これでいいのでしたっけ?」
両手を挙げる。
これで、2度目か。我が事ながら、本当に間の抜けた格好だ。
……グロットモンに捕らわれた男の事など、心底どうでも良い。
だが、この男に、恋人がいるとしたら?
恋人はいなくとも、家族ぐらいは、いるだろう。
それらの、この男を取り巻く人間達が第2、第3のカンナにならないという保証は、どこにも無い。
単純に、それは、かなり嫌だった。
……ワタクシが見殺しにして、また、あんな劇物が世に放たれるなんて。同じ失敗を繰り返すのは、もう、ごめんだ。
と
「ひひ、うひひひひひ。ひ、ひ……イイ恰好だねぇへへへへ……メル、キューレモン……っ!」
ボロボロの大きな布をローブのように纏った人影が、ふらふらと、下手をするとそのまま倒れそうな足取りで、道路を渡って、こちらに歩いてきた。
……聞き覚えのある声だ。
「……セラ?」
「うふふふひひひひ。よく、よく覚えてたねえへへへ……!」
布の陰で、顔は見えない。
……だが、ギガスモンの腹に叩きつけられた顔面は、相当に傷を負ったのだろう。見える範囲も、口元以外その全てが包帯に覆われている。
「ねえねえねえねえええ。モリツぅ。……いっぱつ殴ってくるねへへ」
「……加減しろよ」
何を、言っているのか解らなかった。
セラはもう、スピリットを持たないただの人間だ。
された事の気晴らしに、セラがワタクシを殴りたいと思う。という点は、解らなくも無い。
だが、実際にそんな事をすれば、人の拳では――
「ひひ、ひひひ、いひひひひひひ」
ゆらゆらと覚束ない足元で、一歩、一歩。素足のままひたひたとこちらに距離を詰めたセラは
「えへっへへへーい!」
大きく、振り被って
大きく、ワタクシを殴り飛ばした。
「が、は……っ!?」
近くにあった建物の壁に、思い切り叩きつけられる。
それでも。激痛、と言って差し支えない衝撃を持ってなお、理解が、追いつかなかった。
闘士では、無い。
目の前にいるセラは、人間だ。
だが、今の攻撃は――
「あはは、ははははあはあはあ……ちょっとだけえへへ、気が済んだやぁはは」
「……お前がもっと早くに出てくれば、俺は指の骨を折らなくて済んだし、こんな姑息な真似をせずとも良かった」
「痛いでしょぉ? 骨、折れると痛いでしょぉお? モリツもわかったぁ? あたしねえ、あたしねへへへへへへ、痛かったんだよおぉおっ!?」
「俺も鼻の骨を折ったが」
「痛かったぁっ! あたしの方がああ痛かったのおっ!」
幼児以上に喚き散らすセラと、最低限の反応しかしないグロットモン。今なお彼に拘束されたままの男は、涙目になってガタガタと震えている。
……セラの一撃は、下手をすれば、完全体デジモンにも匹敵する威力だった。
「セラ……貴女は、一体――」
「ねえねえねえねえねえぇへへ、モリツぅ。あたしってさあははあ、どっちの足、折られたんだっけぇへへへ」
「右だな」
「みぎって」
一瞬で、距離を詰められた。
詰められて、壁からずり落ちて投げ出されていたワタクシの左足に、自分の右足を乗せる。
「こっちだっけぇ?」
そしてそのまま、踏んだだけだった。
「な――っ」
「それともお、こっちい?」
「――っ!?」
両方、踏み砕かれた。
にいい、と、唯一包帯にも布にも隠れていない唇が三日月のように歪められる。
「痛かったんだよぉ? 痛かったんだよおぉっ? あたしはもおぉっと痛かったんだよおぉおおっ!?」
「……その割に……今は随分と、元気そうじゃあ……ありませんか」
「いひひひひひひひひひ」
今度はセラの細い足が、ワタクシを壁に、強く押し付ける。
「今は痒くて痒くて痒くて痒くて疼いて疼いて疼いて疼いてしっかたないのおっ! ぜえええええんぶてめえのせいだメルキューレモンっ!」
「っ」
潰されて塞がる気道は無いが、それは別として無茶苦茶な力だ。
……そろそろ胸部に、ヒビが入りそうな気がする。
が――
「そのくらいにしておけ、セラ」
グロットモンが、人質をいつの間にか召喚したゴーレモンもどきに預けてセラを止めに入る。
「えー」
「キョウヤマ博士が「折れ」と言ったのは、メルキューレモンの身体では無く――精神だろう?」
「末端から引き千切っていったらああ、そのう、ふふ、ふふふ、ち折れるよぉお」
「それよりも手っ取り早い方法があるだろう」
「? 「あのグズ」、ここにいないよぉ?」
ぐい、と。
セラが本来暴力を向ける存在に置き換えて――グロットモンは、折れていない方の親指で背後を指し示す。
「ひっ!?」
件の、人質だ。
この男に、セラが、今の怪力で
あの娘に――ハリに度々向けていたような、『暴力』を振るったら?
「モリツッ!!」
「「動くならこの男を殺す」と言ったが、動かなければ殺さないとは言っていないし、仮にそういうニュアンスに聞こえたとしてもそれは俺が言っただけだから、セラは無関係だ」
「ぐっ……!」
「ああ、だが動くなよ。……動かなければ、多少は延命してやれるぞ。それは事実だ。……セラは、すぐには殺さない」
「やったあああははははは! おもちゃだぁー!」
「ひいいっ!」
ゴーレモンにしっかりと押さえつけられ、男は微力な抵抗すらもできないでいる。
ああ、そうだ。無抵抗だろうと、彼らには関係無い。
キョウヤマが選んだ、『選りすぐり』の連中だ。
「よく見ておけよ、鋼の闘士。後で光と闇の闘士の器も同じ目に――いや、もっと酷い目に遭う」
「な――」
頭が、真っ白になる。
それが、あの男を裏切った報いだと?
「それに懲りたら、二度とキョウヤマ博士に逆らわない事だな。……セラ」
「はあああい! うふふふふ、あはははははは――」
セラはずるりと舌なめずりしながらワタクシから離れ、彼女の隙間なく包帯で巻かれた腕が、指先をそろえて、男の皮膚をどこかしら抉ろうと構えられた――
――その時だった。
ゴーレモンもどきの頭が、吹き飛んだ。
「え?」
セラが迫りくるゴーレモンの頭にあっけにとられたのもつかの間。今度はその頭ごと、突如ゴーレモンもどきに襲い掛かった存在は、セラの頭部を、蹴り飛ばす。
「ぎゃんっ!」
『彼女』はその蹴りの勢いで再び背後へと下がり
「『リヒト・ナーゲル』!」
今、一番聞きたくなかった必殺技を叫んで、光り輝く小さな爪で、ゴーレモンもどきの身体を真っ二つに裂いた。
「な、貴様――」
そのまま人質を抱えて飛び退く『彼女』に反応して、グロットモンが、ワタクシに背を向けた。
……ワタクシはそのグロットモンの後頭部をしっかりと掴んで――今度こそ、何の手加減も無く地面に叩きつけた。
悲鳴も、上がらなかった。
今回も、鼻は、折れただろう。
鼻以外の顔の骨も全体的に無事である保証は無いが、知った事では無い。
ワタクシは続けざまに、『彼女』の一撃で尻もちをついていたセラの胸部を、全力で蹴り上げた。
「があっ!?」
攻撃力はかなりのものだったが、皮膚はあくまで、人間と変わらない。
防御力は、そのままだ。
羽根も無く、無様に跳ね上がった分の勢いで地面に落ちたセラが、身をよじる。
「痛い、痛あああい、痛ああああああああいよぉおぉおおおっ! なんでぇ!? 足、折ったじゃないのおぉっ!」
「前にも……言ったでしょう。ワタクシ、『中身』は無いのですよ」
当然、骨も無い。
『鎧』としての外観はかなり悲惨な事になってしまったが、その真下にあるデータのフレームさえ改めて元通りの形に構築しておけば、足の機能としては何ら問題無いのだ。
……まあ、だからと言って立っているのが辛くないかと聞かれればそうでは無いし、気を抜けば、間違いなく倒れてしまうだろう。
ワタクシは口から血混じりの泡を吹きながら「痛い」を連呼するセラから視線をそらさないようにしつつ、男をどこかへ逃がしたらしい『彼女』が戻ってくるのを、待った。
……こちらに戻ってきた『彼女』は――ストラビモンの姿をしたハリは、ワタクシの顔を直視できないまま、セラへの警戒だけは怠らずに、目の前で膝を折った。
「申し訳ありません、マスター」
「……タジマ リューカの援護に向かうよう、命令した筈ですが」
「目的地付近まで送り届けたカジカPに指示されました。……マスターは、物理技を持つ対多数には向かないだろうと。……自分が時間を稼ぐから、先に、マスターに助力するように、と」
あの馬鹿は……!
「……いつから、ワタクシの命令ではなくカガ ソーヤの指示を優先するようになったのですか」
「申し訳……ありません」
「立ちなさい」
言われたとおりに、立ち上がるハリ。
普段と身長が変わらない彼女は、何故か普段以上に小さく感じられた。
……ケンタルモンの一撃で損傷した右腕を、彼女へと伸ばす。
そしてそのまま――身を小さくするハリの頭の上へと置いた。
「……?」
「命令を無視した件はともかく、貴女がいなければ危ない所であったのは事実です。……ハリ。感謝しますよ」
「マスター……?」
やや伏せ気味だった三角の耳と耳の間を軽く撫でると、ようやく、ハリが不安そうにではあるが、顔を上げた。
……全く。
「評価しているのですよ? ……そんな顔は、しなくていい」
「あ……申し訳――」
「なくは無いです。……不甲斐なさを謝罪したいのは、こちらの方ですよ」
このところ、ハリの前で恰好のつかない事ばかりだ。
今回の件もそうだが、キョウヤマのボイスレターに打ちのめされた時も、カドマを仕留め損ねてピノッキモンを直接襲撃されるという失態を犯した時も――この娘に甘い物を食べさせた、あの時も――結局、これといった事は、出来なくて。
愛想を尽かされずにいたのは、むしろワタクシの方だったのではないかという気さえしてくる。
……最も、今まさに、「ワタクシからの謝罪」を想像すら出来ずに困ったようにこちらを見上げているハリの瞳を見る限り、まだ、ワタクシは兄として、この娘と付き合わなければならないようだが。
「……改めて、目的地に向かいましょう、ハリ」
「は――はい。了解です、マスター」
「……ああ、その前に」
目の前にもう1人、カタを付けておくべき人間がいる。
……セラは地面に横たわり、動かなくなっていたが――延々と呻き続けているところを見ると、意識自体は、あるのだろう。
「セラ。……あまり期待はしていませんが、一応聞いておきましょう。カンナの居場所について」
「うううううう」
答える気が無いどころか、こちらの話を、まるで聞いていないように見える。
仕方がない。
「何をどうキョウヤマに弄られたのかは知りませんが、また来られたら厄介この上ないのでね」
人間離れした腕力と、脳が溶け出しているのかと思う程不明瞭な台詞の数々。
……人間の肉体のまま完全体クラスの能力を要求される身となった彼女を同情する気も、起こらないでも無いのだが――いや、それこそ自業自得と言うものだ。
この娘の手前、命までは取らない事に感謝してほしいくらいだ。
「悪く思わないでくださいよ」
された事を、されたように。もう一度、彼女の足を砕くために歩み寄る。
だが、それよりも早く
まるで何事も無かったかのように、あれだけふらついていたのも嘘のように。
セラが、すくりと立ち上がった。
「……」
足を止め、改めて構えようとしたハリを背に回す。
忌々しい事に、若干の見覚えがある光景だ。
氷のスピリットに施された『仕掛け』によって、カドマが氷の槍に姿を変えた時のような、不自然さと、歪さ。
「う、うううううう……」
虚ろな目で獣のように唸りながら、セラは纏っていたボロボロの布を身体から引き剥がす。
露わになった全身は、衣服を纏わず、代わりに所々に隙間がある以外はおおよそ全てが包帯で覆われていた。
そこまで怪我を負わせた覚えはない。
それは、ハリと同じようにキョウヤマに手を加えられた跡を、隠すためにしているものだ。
ただ1つ、誤算だったのは
「ううううううう、う……うひひひひひひひヒイヒッヒイイイイヒヒヒヒヒ!」
包帯を突き破るようにして、セラの肉体が、盛り上がる。
痒いのだと、彼女は言っていた。
疼くのだと、彼女は言っていた。
その原因を、正体を、解き放ちながら。もはや人の形ではなくなった足で、セラは、地面を蹴った。
「!」
衝撃にアスファルトが陥没し、その揺れがこちらにまで伝わってきた。
その上で、ワタクシとハリは、見上げる事しか、出来なかった。
遥か上空で、セラが変貌を――否、
『進化』を、終えるのを。
何も、言葉が出なかった。
地表が、セラだったものの陰で覆われる。
……そう、1つ、誤算だったのは――ワタクシは、セラの力の出所について、大きく勘違いしてしまっていたのだ。
いくら凄まじい『暴力』を振るえようとも、あくまで、人体の改造だと。
人間の身体を弄繰り回して、単純な強化を施しただけの存在だと。
だが、違う。
あの男は――キョウヤマは――エンシェントワイズモンは――!
「ギイイイイイイイイヤハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
咆哮という名の嘲笑が、空気そのものを揺らしている。
セラ ナツミ
風の闘士の器として選ばれていた女が最終的に成ったのは、太古からの災厄。滅びた筈の、超巨大古代鳥――
「オニス、モン……」
今まで名称と姿以外の知識がほとんど知られていなかったそのデジモンの――セラ ナツミが進化した究極体デジモンの名を、口にして
ワタクシはようやく、エンシェントワイズモンの『目的』を理解した。