ユウキから『ひそひ草』のスカーフを介して安否の確認が行われて。
最終的に、色々あって損なった食料などをロイヤルナイツのドゥフトモンと一緒に回収してから、樹海の目立つ場所で合流する――という方針で妥協することになって。
僕の口からレッサーやハヅキ、そしてホークモンに向けて状況を伝えられると、僕達の中では一番リーダーの立ち位置にあるレッサーはユウキとトールの扱いについて、こう言っていた。
「孤立した状況で言ってる以上、少なくともあいつ等の言葉に嘘は無いだろう。こんなところであのロイヤルナイツのドゥフトモンがいるってのは驚きだが、手助けしてくれるってんならありがたい。数分置きに連絡を取り合いながら、こっちはこっちの心配をしながら進もうぜ。メモリアルステラがある場所辺りなら、合流地点としては目立つ方だろう」
ひとまず。
ロイヤルナイツのドゥフトモンが二人と一緒にいる、という事実については信じる事にしたらしい。
実際問題、レッサーの言う通り孤立した状況であの二人が嘘を言うとは思えないし、ドゥフトモンと一緒にいることは本当なんだと僕も思う。
思いは、するんだけど……。
(いくらなんでも状況がはちゃめちゃ過ぎるでしょ……)
トンネルの中から鉄砲水で押し出されたら、トンネルの出口への角度の関係か知らないけど空までぶっ飛んで、そこから河に落ちて滝からも落ちて。
そんな状況を奇跡的にドゥフトモンに助けられて、そのドゥフトモンは理由こそ知らないけどユウキ達が僕達と合流するために色々と手伝ってくれる。
確かにロイヤルナイツはデジタルワールドで最も有名な正義の味方のデジモン達だけど、それがこんな――野生化デジモンしかいないと思う樹海にやって来ていて、見ず知らずのデジモンである二人を助けてくれるなんて、偶然にしては出来すぎているようにも思える。
いっそ、ロイヤルナイツとは関係の無いデジモンが化けていて、ユウキ達を騙して何かをしようとしているって考えたほうがまだ納得出来るぐらいだ。
僕がユウキに人間の世界のことを聞くように訴えたのは、それも理由だった。
ネットワークの、この世界の最上位であるロイヤルナイツならきっと人間の世界のことは詳しいはずだし、知らないというのならそれだけで本物かどうか疑わしく思える。
少しでもその疑いを持つことが出来れば、最悪の予感が当たっていたとしても二人なら死なずに済むはず。
まぁ、本当の本当にユウキの言っていた通りに落ちて死にかけていたのなら、相当腕の立つデジモンじゃないと助けるなんてことは出来ないと思うし、僕の考え過ぎな気もするんだけど。
どちらにしても、あまりのんびりはしていられない。
レッサーの言う集合地点――この樹海にも存在する、地域ごとの情報をメモリアルステラを目指すため、僕達は僕達で歩きなおす。
その途中。
これまでの道程で怯える時ぐらいしか口を開かなかったホークモンが、ようやく何処か安心した様子で言葉を発していた。
「良かった……です。本当に、その、まだ見て確認出来たわけじゃないのだとしてもっ、お二人が無事みたいで……」
「そうでござるな。正直、死んでいてもおかしくないと思っていたのでござるが」
「言ったでしょ~? 二人共絶対に無事だって。いやまぁロイヤルナイツに助けられてるなんてのは予想外だったけど、きっとそういうのが無かったとしても大丈夫だったよ。二人とも強いからね!!」
咄嗟に笑顔を向けながら、僕はホークモンとハヅキの二人に言葉を返してみせる。
……内心落ち着いていられなかったなんて、今も不安を覚えているなんて、とても告げられないし告げてはいけない。
そう思っていつも通り表情を取り繕っていると、ふとしてホークモンはこんな『質問』を飛ばしてくる。
「……本当に、すごいです。あんな事があったのに、その……どうしてそんなに強いんですか?」
「? どうしてって」
「やっぱりアレなんですか? 鍛え方が違うとか、そういうの。岩を砕いたり引いたりとか、メイソウとかしてたり……」
「――あははは……ホークモンは想像豊かなんだね。そんな事しなくても、出来る事を重ねていけば自然と強くなれるよ。まぁ僕やユウキならそのぐらいは出来そうだけども……」
「えぇ~、俺お前の修行風景とか一度たりとも見た事ねぇんだけど。出来ることを重ねるも何も、エレキモンと一緒に釣り行ったり山で食い物採ったり、そういうのばっかじゃねぇか」
なんか突然レッサーが口を開いてきた。
流石に誤解を招きかねない言葉だったし、ちょっぴりムカついたから僕は僕で意地になって言い返してしまう。
「それはレッサーがギルドで殆ど昼寝してて僕の事あんまり見てないからそう思うだけでしょー!? 僕だって反復木登りとか丸太割りとか、そういう最低限の鍛錬ぐらいはしてるし!!」
「はぁん? オイラだってずっと昼寝してるわけじゃねぇわ!! リーダーが留守というか遠出しない間は普通に依頼こなしてるし、つい少し前まで無職だったオメーらガキとは一日ごとの貢献の度合いも苦労の度合いも桁違いなんだが!! おら、その手の肉球触らせてみろそれで鍛錬の度合いは測れるからよぉ!!」
「ばっ!! ちょ、こんな時だけマジ速度の間合い詰めとか……っ!! やめてよして馬鹿こらキモチワル」
「……お二人の背景に興味が無いわけではないのでござるが、今は無意味に戯れている場合ではないのでは……?」
どちらかと言えば被害者の僕、レッサーともどもハヅキに叱られるの巻。
正論だし異論はないんだけど、なんか釈然としないなぁ――なんて風に考えた後になって、僕はそんなことを思っている場合ではない事実を知った。
ドシンドシン、と。
耳を澄ましてみれば、樹海の奥のほうから激しい音が聞こえる。
樹木が倒れる音、刻まれる音、嵐のような音、そして野生の証明とも言える吠え声。
何か、強い力を持つデジモンがこっちに近付いてきている――そう知覚した僕は、既に事を察知していたらしいレッサーが近くにあった大木の影に隠れ、ハヅキもまた即座にホークモンを右腕で抱えて素早く隠れ身をした。
ここまで歩いてきた限り、この樹海に生きるデジモンも、進んで害を加えようとする類ではないように感じた。
温厚だからというより、他者に関心が無いというか、マイペースというか、自然体というか。
じゃあ、遠方からこっちに向かって駆けてきていると思わしきデジモンもそうなのか。
答えは、地鳴りの主であると思わしき暴れん坊の眼を見れば明白だった。
「――ぐおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
(……マジで?)
金色の獣毛、肘から伸びた翼のような突起、狂気を帯びた赤い瞳。
獣型デジモンであれば誰もが秘めている獰猛さを、野生の本能を旋風という形で表に出した完全体デジモン。
種族名をラモールモンと呼ぶそのデジモンが、視界に入った全ての樹木をその爪で抉り、更には腰元に携えた二振りの刃で切り裂いていた。
(……よりにもよって、こんなところにラモールモン……!?)
発芽の町の住民の間でも、危険な野生デジモンの一体として噂されているデジモン。
噂では、視界に入ったデジモンに即座に飛び掛かり、息の根が止まるまで叩き潰し続ける、直情的で自制のきかない衝動を持つ危ないヤツだって話だった。
最近になって森で見るようになったとは聞いてたけど、よりにもよってユウキ達と分断された今の状況で、少なくともマトモじゃない様子で目にすることになるなんて。
僕の首にある『ひそひ草』のスカーフは、ミケモンが同じく巻いているそれとは繋がっていないから、言葉で判断を伺うことは出来ない。
(……怖い、けど……我慢しないと……)
ひとまず息を殺し、嵐が過ぎ去るのを待つべきか。
そんな風に考えながら木陰に潜んでいる内に、ラモールモンがそれぞれ隠れ身している大木を過ぎ、僕達のことになんて気付きもせず、見向きもしないまま真っ直ぐに駆け去ろうとする。
その時だった。
その荒々しい姿を、目で追った直後――駆け去ろうとしていたラモールモンの足が、急に止まった。
嫌な予感がして、それは実際正解だった。
ラモールモンが、何かを感じ取ったように振り返り、木陰でやり過ごそうとしていた僕達の姿をしっかり目視したんだ。
「――グルルルルルルルル……」
「ひっ」
ラモールモンの視線が、僕でもレッサーでもハヅキでもなく、見るからに怯えた様子のホークモンへと向けられる。
野生のデジモンが標的を選ぶ優先順位にはいろいろあるけど、ラモールモンの場合は『自分を恐れている相手』が最優先となるらしい――そうじゃなければ、一番近い位置にいる僕のほうが真っ先に標的に選ばれるはずだ。
まずい、と僕を含めてみんな危機感を覚えるのは早かったと思う。
殆ど反射的に、意識を集中させて――変わっていた。
「ベアモン進化!!」
「レナモン進化!!」
意識と鼓動が加速する。
色が剥がれてカタチが変わり、大きく強く膨れ上がる。
外から見れば一瞬、自分自身からすればどこか膨大な時間が過ぎ、進化が完了する。
僕は小柄なベアモンの姿から、大柄なグリズモンの姿に。
ハヅキは、二足で立っていたレナモンの姿から、変わらない銀の獣毛を生やした九本の尾を生やして四つ足で立つデジモン――キュウビモンの姿に変わっていた。
町を出立する前に『出来ること』を事前にある程度聞いてたからそれに進化出来るのは知っていたけど、実際に見るのは初めてで、どこか不思議な雰囲気を感じられた。
僕も含めて、これで成熟期デジモンが3体。
完全体デジモンと戦うにはどう考えても分が悪すぎる状況だけど、ラモールモンの足から逃れられるとは思えないし、どうにか戦って切り抜けるしか無い。
そんな風に、意を決して構えを取ると、ラモールモンも視線をホークモンから僕のほうへと向け直していた。
「――グアアアアッ!!」
「ぐッ!!」
敵意はそのまま行動に直結する。
視線を向け直した直後、ラモールモンは僕に向けて両手の鋭い爪を振るってきた。
構えから見て横殴りの軌道、それを察知した僕は咄嗟に両前足の『熊爪』をラモールモンの爪の軌道に重ねて受けとめようとする。
直撃した瞬間、猛烈な風が僕の全身をなぞり、体のあちこちに切り傷を生じさせた。
たった一撃では終わらず、ラモールモンは連続して爪を振るってきていて、僕はどうにか致命傷を受けないよう捌き続けるしか無い。
単純に攻撃の速度が速くて、当身返しを放つ隙なんて探す余裕は無かった。
(っ、痛い……防御は出来ているけど、なんて馬鹿力……!!)
ただ爪を振るっただけで、刃物と同等の鋭さを有した風を吹かせる力。
それなりに頑丈なはずの『熊爪』すら傷付けるその暴力は、成長期のデジモンがマトモに受けたら全身を細切れにされたっておかしくない。
そう思うと恐ろしいって感じる気持ちが強くなって、気のせいかラモールモンからの攻撃の勢いがより増した気がした。
独りだったら絶望的な攻防、だけど先にも述べた通りこの戦いは三対一だ。
期待通り、必殺の言葉が後ろの方から聞こえてきた。
「鬼火球!!」
キュウビモンの九本の尾から放たれる、藍色の炎球が生き物のような挙動でもってラモールモンを襲う。
熱気か、あるいは敵意を感じ取ったのか、狂暴化しておかしくなっているにしては鋭い直感でもって等モールモンは腰元に携えていた刃物の一本を右の逆手で掴むと、力任せに振り回して火球の全てを切り払って。
「ネコクロー!!」
「グアア!?」
その間に、小柄な体格を活かしてラモールモンの死角に移動していたレッサーが、恐るべき速さでラモールモンの足元目掛けて飛び込んでいく。
ザシュザシュッ、と。
小さい、肉を掻き切る音と共にラモールモン自身の口から漏れ出た苦悶の声が傷の程度を示していて。
そして、痛みでバランスを崩したその瞬間は――肉薄させられている僕からすれば隙以外の何でも無くて。
僕はラモールモンの腕の力が弱まったのを感じた直後、即座に弾いて胸の中央を拳で突いた。
「――当身返し!!」
「ガ――――!!」
加減なんかしていられる相手じゃない。
文字通りの本気で、僕は『熊爪』の一撃をラモールモンの胴部に見舞っていた。
けど、
(――浅い……!!)
想像以上に、ラモールモンは頑丈だった。
突き出した拳の威力は分厚い獣毛に吸われ、腕に返って来る反動もそこまで重くない。
ダメージらしいダメージに繋がっていない――そう直感した僕は、殆ど反射的にラモールモンの懐に飛び込んだ。
二人が作ったチャンスを無駄には出来ない、ホークモンに危険が及ぶ理由を早く無くさないと。
そんな考えも、あったかもしれない。
「ガトリン
「――ガアアアアアッ!! 禍災爪ッ!!」
後になってみれば、不正解な判断と言わざるも得なかった。
僕が、成熟期のグリズモンが、完全体のデジモンであるラモールモンより素早く動けるわけがなくて、そんな前提の上で直前に深追いしても、敵の反撃が間に合ってしまうのは当然の話。
仰け反っていたラモールモンの、刃物を持っていない方の腕が動いていた。
受け止めるためではなく、パンチのために拳を構えていた僕にそれを防ぐ準備は出来ていなかった、
グシュッ、と。
音にしてみれば覚えが強い、肉を抉り裂く音が耳の奥を突く。
音源は僕の顔面。
厳密に言えば、僕の右の頬と眼の辺り。
右側の景色が真っ暗になった――どうやら、右目を切り裂かれてしまったらしい。
すごく、痛い。
「――っぐ!!」
「アルス殿!?」
「アルスさんッ!!」
情けなくも声が漏れた。
少し離れた所からハヅキとホークモンの悲鳴が聞こえる。
聳え立つ木々が真横に生えているように見える事実に、引っ掻きとそれに伴った風の威力で横倒しに転倒させられたという事実に遅れて気がついて、立ち上がろうとする直前――左目の視界に今まさに両手に刃を携え飛びかかろうとするラモールモンの姿が映し出された。
(――やば)
右目が潰された今攻撃されたら、今度は防御さえ難しくなる。
だけど、僕がラモールモンの注意を引けなければ、その脅威がホークモンに向けられる可能性が強まっちゃう。
頑張らないと、立ち上がらないと、護らないと。
でも、体は心で願うほど早くは動いてくれない。
今更怖くなったって仕方がないのに、そんな臆病は僕にあってはいけないのに。
痛い、苦しい――と、そんな言葉だけを奔らせてしまった。
「――どっ、りゃあああああ!!」
「グ!?」
だから、僕が助かるとすれば僕以外の誰かのおかげであるのは決まりきってて。
事実、ラモールモンを阻止したのは、今まで見たことも無い勢いで駆けて来たレッサーの飛び蹴りで。
僕が倒れた状態から立ち上がれたのは、それを見届けてからのことだった。
飛び蹴りの威力に飛びかかりの軌道を曲げられて、勢いそのままに離れた位置にあった大木の幹に激突するラモールモンのことを睨みつけながら、レッサーは僕に対してこんな言葉を投げ掛ける。
「――そう先走るな。アイツを倒す事が最優先事項ってわけじゃねぇんだからよ」
「……っ……」
「――フー……!!」
それだけを言うと、レッサーは突然呼吸を荒くした。
というか、よく見るとその両手につけたグローブから赤い血が滴っていた。
ラモールモンの足を引っ掻いた時についたものか、あるいは僕がラモールモンに右目をやられた時に出たものか。
何にせよ、いつになく興奮した様子でレッサーはこう告げた。
「――ミケモン、進化!!」
直後のことだった。
とてもとても見覚えのある光がレッサーの体から迸り始め、それは瞬く間に渦を巻いて繭のような形を成していく。
進化の光だと知覚した頃には、既に繭には亀裂が生じ、中からレッサーの見た事が無い――ミケモンとはまったく違う――姿が現れて、自分自身の在り方を改めるように名乗っていた。
「――バステモン!!」
レナモンのハヅキと大差無い、ラモールモンや長老のジュレイモンと『同じ』進化の段階にあると言われても、信じるやつは少ないように思える体格。
ミケモンによく似た耳と赤く長い髪の毛、気ままにくねくねする二股の尾。
いくつも点々と色付いている黒が特徴的な獣の手足と、その先端に備えたピンクのような色の長い爪。
そして、それ等全てを彩る宝石と金の飾り。
それが今の今まで見たことの無い、レッサーの完全体としての形――バステモンの姿だった。
多分、僕を含めてハヅキやホークモンも、姿の変貌っぷりに少なからず驚いたと思う。
だから僕は、確認の意味も込めてこう聞いていた。
「――進化、出来たんだ……?」
「生憎、気楽になれるモンではないのですわ。さて――」
喋り方も声の質も、ミケモンのそれから明らかに変わっていた。
進化して変貌したレッサーは、その鋭い爪を供えた右手を口元に寄せて笑みを浮かべると、可愛げに見える表情とは相反して明らかに敵意を含んだ声色で、理性も無さげな敵に向けてこう告げていた。
「私の可愛い後輩にここまで血を流させたのです。きっちりケジメはつけさせなければ……ね」
「………………」
正直に言おう。
きっと、僕だけではなくホークモン辺りも同じ感想だと思うけれど。
味方であることに変わりは無くて、助けてもらっているという事も解ってはいるんだけども。
今のレッサー、すっごい、こわい。
そして。
その所感は、ある意味において間違いではなかった。
「――グガアアアアアアアッ!! 風牙烈巻迅ッ!!」
ラモールモンがバステモンに進化したレッサーに対し、敵意を剥き出しにして両手に刃物を振るい、巨大な風の刃を飛ばしてくる。
見るからに必殺の一撃、避けないと危ないのだと解りきっている脅威。
それを前に、レッサーは口元に寄せていた右手を頭上に振り上げ、
「――殺《シャ》ッ――!!」
縦に、一閃。
それだけだった。
たったそれだけの、必殺技でも何でも無さそうな行為一つで、ラモールモンの武器から生まれた風の刃は四散し、無害なただの風に成り果てた。
赤い髪を風に靡かせながら、レッサーは恐るべき速さでラモールモンの眼前へと迫り――その左足を横薙ぎに振りぬいていた。
まるで、小石か何かでも蹴り飛ばしたかのような調子でラモールモンの体が転がり、別の大木の幹にぶち当たる。
体格差を考えればどう考えても異様な光景。
ラモールモンは立ち上がり、自らに攻撃をしたレッサーに対して向き直ると、即座に跳躍――二本の刃を恐るべき速度で振り回しながら突っ込んでくる。
刃の鋭さを宿した風が吹き乱れ、レッサーはそれを両手の爪で切り裂かざるも得なくなるが、その動作にはどこか余裕があった。
「――へルタースケルター」
「ガア……ッ!?」
無駄が無い、と言い換えてもいい。
ラモールモンとの間合いが刃そのものが届くぐらいにまで詰まり、風の刃に続いて鋼鉄の刃に襲われることになっても、その動きに乱れは無い。
合間合間に円を描くその様は、まるで踊っているかのよう。
いっそ、ラモールモンの方こそがわざと刃を外しているように、レッサーの意のままに動いているかのように見えてしまいそうなほど、レッサーの動きは避けられている結果自体が不思議にしか思えないものだった。
左目の視界だけで動きの全てを知ることは出来ないけれど、知れる範囲だけでも僕からすれば驚くしかない。
目を凝らしてみれば、いつの間にかレッサーとラモールモンの周囲には何か薄い紫の霧のようなものが巻き起こっていて、ある種の領域を形成していた。
多分、バステモンとしてのレッサーが持つ技の一つ。
その影響か、最初に相対した時は元気いっぱいに暴れ回っていたラモールモンの動きがどんどん鈍くなり、疲れの色が見えるほどに衰えていた。
状況は決したと判断したのか、レッサーはおもむろに距離を取り、言葉が届くかも怪しい相手に向けてこう告げていた。
「理性があるならまだしも、怒るがままに攻撃する事しか出来ないのでは話になりませんわ。その荒れ様が種族元来のものか、それとも件の『ウイルス』によるものかは知らねぇのですが――」
「グゥ、ガアアアア!!」
「――まぁ何にせよ、変なモノが混じってるかもしれない血を啜る趣味はありませんの。幻とでも舞い踊って、自分から枯れていただきましょう」
レッサーが距離を離したにも関わらず、ラモールモンはその場に留まったまま闇雲に刃を振るっていた。
まるで、そこに敵がいると見えているかのように。
前後左右、所構わずに刃を振るうその様は、あるいは一種の踊りのようにも見えるけど、それはきっとラモールモン自身からすれば望まない動き。
刃を振るう――その、攻撃のために必要な動作一つも、過剰に重なれば疲労に直結する。
まして呼吸する間もなくやっているのなら尚更だ。
疲れて、息がどんどん絶え絶えになってきて、足取りがおぼつかなくなってきて、そうして体を動かすエネルギーが無くなっていって。
十分に衰えさせた、とでも判断したかもしれないレッサーがハヅキに目配せをすると、ハヅキはその意図を察すると共に上へ高く跳んだ。
そのまま縦に回転し、九本の尾から青い炎を生じさせると、それはやがてハヅキの全身を覆い一体の竜のカタチを作り出し、ラモールモン目掛けて突っ込んでいく――。
「――狐炎龍ッ!!」
「ギッ――ガアアアアアアアアアアアアアアア!!」
当然、直撃だった。
素の状態ならまだしも、疲弊に疲弊を重ねた身に、獣毛では防ぎようのない炎の力。
それはラモールモン自身が纏っていた旋風を喰らってより強大になり、その全身を青く染めあげる。
獣の絶叫が、樹海に木霊する。
だいたい十秒ぐらい、時間をかけて何もかもを焼かれて、ようやくラモールモンは力尽きて倒れ伏す。
同時に青い炎が消え、辺りに光が飛び散ったかと思えば、ラモールモンがいたはずの場所には代わりに白い獣毛を全身からボーボー生やした毛むくじゃらの成熟期デジモン――モジャモンがのびていた。
事情を察したらしいレッサーが、進化前の態度を知ってると頭がバグりそうになる口調で語る。
「なるほど。件の『ウイルス』によって感情に強い負荷をかけられて、いわゆる暗黒進化を促されていたというわけですわね。ただイライラしただけでここまでになるとは、改めて見ても『ウイルス』の件は軽視出来る話ではなさそうですわ」
「……ねぇ、その喋り方……」
「? 喋り方は別に何もおかしくないはずですわよ?」
「マジかよ素なのこれ?」
姿に相応しい喋り方だとは思う一方、面影が無さすぎて別モンすぎて頭が痛くなる。
僕たちデジモンが、進化に伴って性格がいわゆる「オトナ」に近付いていくって話は聞いたことがあるけど、僕やエレキモン、そしてユウキがいつかこんな風になるかもしれないって考えちゃうと進化を素直に喜びにくくなる。
僕が想像してた「オトナ」は、少なくともコレジャナイ。
僕のフクザツな気持ちを余所に、改めて見るとすごい格好をしてるバステモンことレッサーは、僕の顔を覗き込みながらこう聞いてくる。
「……それより、あなたやけに平然としていますけれど、その目の痛みは大丈夫なのかしら? 急いで治したほうが良いかと思いますけれど」
「そうでござるな。今後のことを考えても、急ぎ薬を塗って対処すべきダメージでござる。まずは安全に身を潜められる場所を探すべきかと」
「いや、そんなことより……」
今重要なことはそれじゃない。
自然とそう思って、実際に口を出そうとした、その時だった。
「そんなこと、なんて言っていいことじゃないですっ!!!!!」
「!!」
突然の叫び声。
声の主は、さっきまでラモールモンのせいで怯えに怯えていたはずのホークモンだった。
彼は本当に、今まで見たことの無い表情で近寄ってきて、怒りながらこう続けた。
「怪我をしたのならすぐに治さないと駄目じゃないですか!! しかも目なんて、換えが効くものじゃないでしょう!? すごく痛いはずだし、そんな風に遠慮なんてしたら駄目です!!」
「あ、えと、ちょっと落ちt
「ハヅキさん!! 僕のことはいいので、先に行って何処か安全に休める場所を探してきてください!! ニンジャならそういうアレの目星つけられますよね!?」
「あ、あぁ……了解した……」
「レッサーさん!! アルスさんの体を抱えて走れますか!!」
「余裕とは思いますが、ともあれ退化してくれたほうが好ましいですわね。護衛対象であるあなたを置き去りにするわけにもいきませんし」
「なるほどそうですねではアルスさんクマモンさんベアモンさん退化してください早く元に戻ってくださいさぁほら可愛いのにリバースしてくださいリラックマしてくださいさぁさぁさぁさささささ!!!!!」
「いつになく圧が怖いっ!?」
物凄い形相で迫られたからか、単純に戦いの疲れを自覚してきたのか、今更のように僕は体が萎むような感覚を覚えた。
それもそのはずで、気付けばグリズモンとしての僕の体はどんどん粒のようになって解けだして、進化する以前のベアモンとしての体の感覚が戻ってきつつあったんだ。
眠気にも似たダルさを覚えながら、僕はいきなり白熱しだしたホークモンの勢いに負けて、思わず言いそびれていたことを内心で呟いていた。
(……というか、退化の拍子に進化中のキズって無くなってたような……)
仮に今回はそうじゃなかったとしても、大丈夫だと僕は本気で考えてた。
ユウキと始めて出会った翌日、フライモンの毒針に刺された後の時と、同じように。
この手の痛みには慣れてたし、放っておいても治ってたから。
治ってほしくないと思っていても、治っちゃってたから。
第三節「一日目:予期せぬ邂逅、戸惑いの樹海」終