第二節「一日目:出発進行、始点に暗がり」
護衛依頼、もとい都市へ向けての冒険の準備は徹底的に行われた。
空を長く飛び続けたり、地上をマッハの速度で駆け抜ける事が出来る種族でもない限り、いかにデジモンが優れた戦闘能力を有する存在であろうと、何の備えもないまま長距離を移動し続けることは出来ない。
必ずどこかでエネルギーを補充する手段、言い換えれば空腹を満たす食べ物が要るし、それ以外にも個々が適応出来ない地形に対応するための道具だって必要になる。
そういった、依頼の遂行に必要なものは『ギルド』の方から多く支給されており、今回も目的地であるノースセントラルCITYへ向かう上で、リュオンが到着に掛かる日数として見積もった五日間を目安とした量の食べ物とそれを詰め込めるだけの人数分のかばん、その他にも方角を見失わないためのコンパスや大陸の地形と要所を書き留めた地図など、様々な道具を必要最低限に集めたある種のサバイバルキットとでも呼ぶべきものを、チーム・チャレンジャーズは支給されている。
そのため、消費がよっぽど過剰にならない限り道中で確保出来るであろう分と合わせて、少なくとも成長期五名と成熟期一体のデジモンたち各々の腹を満たす分には事足りるだろう――と、少なくともこれまでの経験から腹持ちの程度を一行は知覚している。
基本的に考えるべきは、道中で遭遇することになるであろう狂暴化デジモンの存在。
護衛の依頼である以上、どうあれ護衛対象であるホークモンについては絶対死守、戦いからは遠ざける方針だというのが共通認識であった。
そんなこんなで、護衛対象であるホークモンの左右には依頼主のレナモンのハヅキと、一行の中で進化の段階が最も上のミケモンのレッサーが侍り、ギルモンのユウキとベアモンのアルスとエレキモンのトールの三名が前方の警護を任されることになった。
「しっかし、何にしてもいきなりだよな……」
「まぁな。まさかこんな唐突に都に向かうことになるとか、俺も考えなかった」
見れば、彼等の首元には深緑色のスカーフが巻かれていた。
これは発芽の町の『ギルド』に所属するデジモン全てに支給されているもので、同時に『ギルド』に所属していることを証明するためのシンボルでもあるので、つまるところ『ギルド』の構成員は依頼の際に体のどこかにこれを巻きつけておくことを義務付けられている。
現実世界にしろデジタルワールドにしろ、身だしなみが重要視されるのは変わらないということなのか――と当時のユウキは意外な事として思ってもいたのだが、慣れとは早いもので今となっては特に不思議に思わなくなりつつあるのだった。
「トールは都に行ったことあるのか?」
「いや無い。行きたいと思う理由も特別無かったし」
「うーん、理由がやけに生々しい」
「あのなぁ、お前は町住まいの俺にどんな返事を期待したんだよ」
「んー、出世してエラいデジモンになりたい、とか?」
「少なくともお前よりはエラいと思うよ俺」
「どゆこと?」
現在地は森林地帯。
通称『開花の森』とも呼ばれ、発芽の町から少し離れた位置にある森の中を『ギルド』の一行は歩き続けている。
デジモンの狂暴化、などという現象がいたる所で起きているわりには静かなもので、森の中で聞こえる音は基本的に風の音と、風に揺られる木々の音ぐらい。
それ自体は自然な事であり、誰かが困ったりするような話ではないのだが、では常に緊張感を保ったまま歩き続けられるかと聞かれると、一部の除いてそこまで堅物でもないわけで。
当然とでも言うべきか、白羽の矢は現時点で最も沈黙している者に立った。
「で、さっきからやけに黙り込んで、どうしたんだアルス?」
「……ん? 何、エレ……トール」
「いや、お前にしては珍しく黙ってるなと思ってよ。依頼の時だろうが何だろうが、こうして歩いてる時はいつも世間話の一つぐらいはしようとしてただろ。何だ、珍しく真面目になれたのか」
「まるで僕がいつも真面目じゃないみたいに聞こえるんだけど」
「真面目なやつは寝坊で約束すっぽかしたりしないし、世間話で突然『昨日、どのぐらい大きなウンチ出た~?』とか聞いたりしねぇよ」
「えー。約束のことはごめんだけど世間話についてはそこまで言われることなくない?」
(聞いた事は否定しないんかい)
アルスの返答に内心でツッコミを入れながら、ユウキはユウキでアルスの素振りに感じるものがあった。
確かに、トールの言う通り今回のアルスは普段の様子と異なっている。
普段のアルスであれば、依頼の中でも大抵の状況に対して余裕と自信をもって振舞っていた。
気になる事や世間話は頻繁に口に出していたし、狂暴化したデジモンと遭遇してしまった際も「僕もいるから大丈夫」と問題が起きる度に口にして、ユウキやトールを――特にユウキを――安心させようとしていた。
だが、今回の依頼――何やらワケ有りらしいホークモンを指定の都にまで送り届ける――を受けてからの事、何があったのか自分からは一言も口を開こうとしない。
当然、依頼に際しての持ち物の相談など、必要な会話については頻繁に口を開いてくれるのだが――どこか、真面目すぎるように見えた。
それが悪いというわけではないし、それだけ事態に集中してくれているという事実は確かに頼もしく思えるのだが、それはそれとして気になった。
気になったので、今更のようにユウキは一つの質問を投げ込んだ。
「そういえばなんだけど、アルスとトールっていつから一緒なんだ?」
「? いつからって……」
「いや、よくよく考えてみると俺は俺の事は出来る限り教えたけど、俺はお前たちの事を何も聞いてないと思ってさ。同じ町に住んでて、俺と会った時も二人一緒だったけど、別々の家に住んでるわけだし。仲良しなのはわかるんだが、それ以外のことはよくわからないままなんだよな。幼馴染とかだったりするのか?」
「仲良しは否定させてもらうとして、確かに俺達だけ何も喋らないのは不公平か……」
「いやそこは否定しないでよ。ユウキから見ても仲良しみたいだし」
アルスの訴えを無視して、トールは歩きながら語りだした。
「俺とアルスは、別に幼馴染ってわけじゃない。そもそもあの町で最初っから生まれ育ったわけじゃないしな」
「え、そうなのか?」
「ああ。俺やアルスは、元々流れのデジモンだったんだよ。行くアテもなくこの辺りの森を通りがかったところで、町の長……ジュレイモンに招かれて、町の住民として家持ちになった。アルスとはその後で会ったんだ」
「そうそう、僕も放浪してる内にあの町に辿り着いたんだよね。長老のジュレイモン、町の周りの森のことはだいたい知ってるというか、解っちゃうみたいで。迷い込んできたデジモンに声を飛ばしたり、無事に町に到着出来るように誘導したり出来るんだって」
「へぇ……」
ジュレイモンという種族の事は、ユウキも知っていた。
完全体のデジモンであり、現実世界で『図鑑』に記述された情報によれば、
『樹海の主と呼ばれ、深く暗い森に迷い込んでしまったデジモンを更に深みに誘い込み、永遠にその森から抜け出せなくしてしまう恐ろしいデジモン』
と語られる程度には危険性の高いデジモンであり、事実として『アニメ』でも主に敵役として登場することが多かった。
が、結局のところ力は使いようということだろう。
森に迷い込んだデジモンを更に深く迷い込ませるために用いる幻覚の霧を、ある種のガイドとして利用することによって、迷い込んだデジモンが逆に森の中を無事に抜けられるように誘導する。
もしくは、あの町こそを『森の深み』として定義付ける事によって、安全地帯に招き入れる。
アルスの口から語られたその情報は、ユウキが発芽の町にやって来たその翌日に会った際の印象とも合致するが、それはそれとして「そんなことが出来るんだなー」とユウキを関心させるものだった。
が、同時に一つの疑問が生まれる。
「……流れのデジモンってことは、お前ら何処から来たんだ?」
「あぁ、そういやオイラもそれは聞いた事なかったな。あの町には流れ者がよく住み着くから興味無かったし」
ユウキの言葉に、後ろの方から話を聞いていたレッサーもまた興味を示す。
その言葉は、端的にユウキという余所者が町にあっさりと受け入れられた理由を語ってもいた。
問われて、トールはこんな風に返してくる。
「何処から、か……んー。遠いところにある山脈……としか言えないな」
「すげぇ大雑把だなオイ」
「元は野生だったんだよ俺。今でこそあの町で家持ちだが、そうなるまではどこにでもいる一匹に過ぎなかった。生まれ故郷に愛着とかあったわけでもねぇし、行く宛とか目的とかがあったわけでもない。ただただ、適当にぶらりふらりしてる内にあの町に着いて、住民になっただけだ」
「……野生のデジモンだったって割には、理知的に見えるんだが」
「あのなぁ。野生のデジモンの全部が全部、グルグルガアガア吠えるしか能が無いってわけじゃねぇんだよ。普通に言葉を交わせるやつだっているし、町での暮らしに飽きて自分から野良に生きようとするやつもいる。まぁ、最近は狂暴化したやつとばかり遭遇してるから、野生デジモンに偏見持っても仕方ねぇけど」
何かにうんざりするように、トールの口からため息が一つ。
野生のデジモンというものに対する偏見に呆れたのか、あるいは狂暴化デジモンが頻繁に現れる近頃のバイオレンス具合に嫌気を覚えているのか。
恐らくは両方だろうな、と内心でユウキは予想した。
そうしてトールの返答が終わると、彼とユウキの視線はもう一人――アルスの方へと移っていく。
何かを考えるように沈黙してから、アルスはこう言った。
「僕は遠くの村で生まれて、そこで暮らしてたよ。色々あって旅に出ることにして、トールと同じような感じで町に着いて、長老から住むことを許されて今に至るって感じ。特に変わったこととかは無い、かな」
その回答に、ユウキとトールはそれぞれ「うーん」と唸ってから、
「なんか普通」
「お前にしては普通だな」
「君達さ、聞いておいて流石に薄情すぎない? そりゃあ僕にだって、あったらいいなーって夢見た出来事とか色々あるから、サプライズが欲しくなる気持ちもわかるけどさぁ」
「夢見たって、例えばどんなの?」
「ある日突然デジメンタルとかスピリットとか、そういうナニカの継承者になって悪者と戦うとか」
「異世界で生まれ変わったらそうなるといいね」
「慰めるにしても他の言い方無かったのかな???」
デジモンにも、ヒーローに憧れる時期はあるようだ。
あるいは、フィクションとして眺める側でしかなかった人間よりも、それが有り得るデジタルワールドという現実に生きているアルスのようなデジモンの方が、そういう欲求は強いのかもしれない。
「デジメンタルにスピリット、ねぇ……前者はともかく後者はおとぎ話でしかマトモに聞かないが、夢のある話だよな。かつて死んだ……十闘士と呼ばれてるデジモン達の魂が、分割されて存在してるって話だろ? 普通のデジモンならまず考えられない話だよなぁ」
「そりゃあな。死んだデジモンの魂がそんなホイホイ残ってたら、世界はスピリットだらけになっちまうよ。あくまでもアイテムの類らしいデジメンタルのほうがまだ信じられるってもんだ」
デジメンタル、そしてスピリット。
どちらも、デジモンを特殊な進化段階へ移行させる効能を有した代物であり、その存在はどうやらこのデジタルワールドにおいても『伝説』の類として認知されているものらしい。
以前、ユウキも『発芽の町』に存在する文献のいくつかに目を通してみたが、デジメンタルやスピリットについては、ユウキ自身がホビーミックスの範囲の話として知覚しているものよりも情報が欠けている印象を受けた。
特に、デジメンタルについては特に重要な『奇跡のデジメンタル』と『運命のデジメンタル』の二種類の記述が確認出来ず、その点についてユウキは疑念を抱かずにはいられなかった。
何故なら、
(……ロイヤルナイツはちゃんと存在するみたいなんだよな。アルスもトールも、会ったことは無いみたいだけど……普通のデジモンに認知されてるぐらい有名なら、メンバーの一体であるマグナモンの事も知られているもんなんじゃ……?)
ロイヤルナイツ。
ユウキが大好きなデュークモンを含めた聖騎士型に該当される、合計13体のデジモン達によって構成されたネットワーク最高位の守護者たち。
その一員として数えられ、とある『古代種』に該当されるデジモンが『奇跡のデジメンタル』を用いることによって進化するとされる聖騎士型デジモン――それこそがマグナモンだった。
そして、そうした聖騎士たちの名前はアルスもトールも少なからず認知しているようで、その事実はこのデジタルワールドにおいてもロイヤルナイツという組織が有名で強大な存在として君臨している事実を物語っている。
にも関わらず、デジメンタルについての情報は欠けている。
単に『発芽の町』に存在する文献には記載されていないというだけで、他の町やこれから向かおうとしている都に存在する文献には記載されている可能性も、単に悪用の危険性を考えて情報を秘匿されているだけという可能性も考えられはするのだが。
それはそれで、少し気懸かりではあった。
そこまで考えたところで、ふとしてユウキは視線を後方へと移した。
視線の先には、俯きながらも歩き続けている今回の依頼の護衛対象のホークモンがいる。
(……そういや、デジメンタルと言えば……)
「ハヅキさん、一応聞くんですけど……ホークモンはデジメンタルって持ってるんです?」
ユウキの問いは単純な疑問でありながら、同時にいざと言う時に戦えるかどうかの可否を問うものだった。
そして回答は、ホークモン自身ではなく彼の傍に侍るレナモンのハヅキの口から紡がれる。
「残念ながらこの子は持っていないのでござる。持っていればいざと言う時の自衛に使えるかもしれないが、基本的に戦力にはならないものと考えてもらいたい」
「……ぅ……役立たずでごめんなさい……」
「……え、いや、そんな風に言ったつもりは……」
「そもそも僕なんかがデジメンタルに選ばれるとは思えないし……選ばれたとしてもどうせずっこけのデジメンタルとか根暗のデジメンタルとか……」
「未知へのアーマー進化やめろ」
わざわざ護衛してもらう相手にまで戦闘能力を秘匿する意味は無い。
護衛対象のホークモンに、いざと言う時の自衛手段は無いというハヅキの言葉は真実だろう。
というか、あまり言いたくはないが当人の言う通り、このホークモンがデジメンタルに選ばれるような光景を現時点では想像しづらい。
可能性はゼロではない――と信じたいが、何よりデジメンタルそのものを所持しておらず、それが何処にあるのかもわからない現状、自衛手段が無いという事実が揺らぐ可能性は薄い。
自衛手段が無い、誰かを頼ることしか出来ない。
案外、そんな現状に最も苦しみを覚えているのは、ホークモン自身なのかもしれない。
少なくともユウキはそう思った。
が、
「大丈夫だよ」
ホークモンの反応を聞いて、アルスはそんな言葉を口にしていた。
いったい何を想っての言葉なのか、普段よりも強い口調で。
「ユウキもトールも、僕もいる。どんな事があっても、君の事は必ず護る。だから心配しないで」
「……う、うん……ごめんなさい……」
「何も悪いことしてないのに謝らなくていいから!! ほら、どうせならもっと楽しい話をしようよ。嫌な事ばかり考えてても仕方無いんだから」
「……お前はお前でさっきまで黙ってただろ(ボソッ)」
「ユウキうっさい」
「急に辛辣!!」
気懸かりな事こそあれ、普段やる気がよくわからないヤツがやる気に満ちているのは悪い話ではない。
ユウキとトールはひとまずそう受け止め、より真面目に依頼を完遂しようと意識する事にした。
というか本音として、脈路も何もなく突然ウンチのデカさを聞いてくるヤツよりもダメなやつだと後方の上司や依頼主に評価されたくはないのだ。
こう、プライドの話として。
「お前等、雑談はいいが気は引き締めとけ。そろそろ安心安全とは言えなくなるぞ」
そうこう喋っている内に、一行の視界に一つの通過点が映る。
広大な森を抜けた先に見えるもの、普段の依頼では向かう事の無い進路。
木々が視界を覆う森よりも、更に視界が狭められる通り道。
通称『彩掘の風穴』と呼ばれる、大きなトンネルだった。