少し、デジモンの『設定』というものについて考察を入れてみよう。
数多く存在するデジモンの種族の大半は、現実世界で認知されているものが元となっている。
獣型のデジモンならば犬や猫などの動物、ドラゴンや悪魔などの架空の生物ならば文献に絵など――その名残は種族の名前や姿に残されているため、知識さえあれば一目見ただけでも元となった情報は理解出来るのだ。
元となった情報が大袈裟なものであるほど、そのデジモンの能力は強いものになる。
投げても自動で持ち主の手に戻ってくる槍だとか唾液だけで川が築かれる狼だとか、そんな現実では有り得ないであろう情報ばかりが記述されている『神話』などの文献が元となったデジモンならば、その危険度は核兵器とは比べ物にならないだろう。
七大魔王という名を冠する七種のデジモン達は、まさしくその『文献が元となったデジモン』の類である。
彼等の力の象徴と言える情報は『七つの大罪』と呼ばれ、『七つの死に至る罪』という意味を含んだ宗教上の用語なのだが、正確には『罪』そのものではなく人間を罪に導く可能性が高いとされる感情や欲望の事を指しているらしい。
七種の感情と欲望はそれぞれ「憤怒」「強欲」「暴食」「嫉妬」「色欲」「傲慢」「怠惰」と分けられ、後々になってからそれぞれに対応する『悪魔』や、外見から関連付けるためか『動物』の情報もまた設定されている。
縁芽苦郎に宿る『ベルフェモン』というデジモンの元となった悪魔は『ベルフェゴール』という名を持ち、同時に熊や牛と関連付けされていることから、情報を反映させた結果として殆ど獣に近い姿になったのだろう。
そして、鳴風羽鷺の口から告げられた『リヴァイアモン』というデジモンは、ベルフェモンと同じく七大魔王の一角を担う存在。
ベルフェモンが『怠惰』に対応している一方で、リヴァイアモンが対応している罪源は『嫉妬』。
対応する悪魔の名は『レヴィアタン』と呼ばれ、海中に住む巨大な怪物として旧約聖書にて登場したのが発祥とされている。
伝統的には巨大な魚かクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれており、デジモンとして創作されたリヴァイアモンの外見もまたワニのそれと殆ど相違が無く、あまりにもその体が巨大である事から旧約聖書の情報が元になったのだと思われる。
だが、あくまでそれはレヴィアタンの一つの側面に過ぎず、悪魔としてのレヴィアタンは水を司り人に憑依する事が出来る大嘘吐きの怪物として描かれているらしい。
司弩蒼矢の脳に宿っているその魔王は嘘吐きの悪魔なのか、それとも冷酷無情で凶暴な怪物なのか。
そもそもリヴァイアモンが対応しているとされる『嫉妬』とは何なのか。
あまりにも巨大過ぎる体を持ち、泳ぐだけで波を逆巻かせるほどの力を持ちながら、どんな事情でもって暗い感情を抱くのだろうか。
さて。
ここまで『リヴァイアモン』というデジモンについて語ってきたが、正直なところ私にも詳しい事は分からない。
何しろ、ホビーミックスの一環で設定された情報自体が本当かどうか定かじゃないから。
現実世界において聖書の中で設定されたものと、デジタルワールドに実在している『本物』が本当に同じものなのか。
正しい事かもしれないし、正しくないのかもしれない。
誰かさんがデータ化させた『図鑑』の情報は、あくまで第三者の視点で見聞きしただけの感想に過ぎない。
魔物を率いる魔王も、人間から見れば悪者だが魔物から見れば優れた君主と見られるように、一つの視点だけで判断した情報で個の全てが語り尽くせるわけが無い。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
正しいと思っている事が間違っているのか。
間違っていると思っている事が正しいのか。
リヴァイアモンという名の怪物は、確かに居るのかもしれない。
そいつを宿している司弩蒼矢の脳も、その内侵されて文字通りの『怪物』になってしまうかもしれない。
さてと。
ここがターニングポイントなわけだが、運命は誰に味方するのか。
可能性の芽にしろ何にしろ、まだ劇の幕は開いたばかりだ。
◆ ◆ ◆ ◆
リヴァイアモン。
その名前を、牙絡雑賀は知っていた。
その能力についても、危険性についても、知っているつもりだった。
だからでこそ、その名前を告げられた瞬間、嫌でも目の前が真っ暗になってしまった。
(……何でだよ……)
心の何処かで、考えていた事ではあった。
縁芽苦郎のように『七大魔王』に類されるデジモンを宿す電脳力者の一例が存在する以上、可能性の話として他の七大魔王デジモンを宿している電脳力者だって存在するかもしれない、と。
敵として対面してしまう可能性だって、十分に考えられてはいた。
だけど、
(……何で、よりにもよってアイツなんだよ……!? 何で、アイツの中に宿っているデジモンがよりにもよって『七大魔王』の一体なんだよ!? 何で、こんなピンポイントで最悪な答えに辿り着いてしまうんだよ……ッ!!)
疑問に答えは出ない。
そもそも、未明の事なのだ。
雑賀自身、自分自身の脳に宿るデジモンの種族は今でこそ解っているが、そもそも何故その種族が宿る事になったのか、その『原因』は全くと言っていいレベルで解っていない。
もしかしたら、自分の知らない内に第三者から『植え付けられた』のかもしれないし。
あるいは、ARDS拡散脳力場を放っている電脳力者と似たような理屈で姿が視えない状態のデジモンそのものが、幽霊か何かのように取り憑いてきたのかもしれない。
椅子取りゲームだと縁芽苦郎は例えていたが、ゲームに使われる椅子は普通の人間。
ただ一方的に居座られ、座られた椅子の価値も、座る側に依存させられる。
そしてそれは、他の電脳力者にも言える事。
司弩蒼矢もまた、自身に宿る『七大魔王』の存在を知らない。
知っていて、その圧倒的な『力』を実際に行使されれば、そもそも牙絡雑賀は今生きていないのだから。
憤りの感情が表に出ていたらしく、雑賀の反応を見た鳴風羽鷺は言葉を紡ぎだす。
「その反応を見るに、知っているみたいですね。『リヴァイアモン』というデジモンについて」
「……だったらどうした」
「知っているのなら話が早いって事ですよ。あなたの事については苦郎さんからも聞いてますが、まだ成熟期までの力しか使えないらしいじゃないですか。率直に言って、今回の件はあなたには荷が重い。後の事は苦郎さんに任せて、手を引いたほうが良いかと思いますよ~」
「…………」
言っている事は、間違っていないだろう。
事に究極体レベルの中でも最強クラスのデジモンの『力』が関わっている以上、それを求めて行動を起こす者の強さも、応じたものである可能性が高い。
強制的に従わせるという形であれば、最低でも完全体クラスのデジモンの『力』を有した電脳力者か、それすら越える究極体クラスのデジモンの『力』を持った電脳力者が。
確かに、実際の話として同じ『七大魔王』デジモンを宿す苦郎の力ならば、それ等を相手にしても無事に目的を達成出来るとは思える。
だが、その成功は決してハッピーエンドには繋がらない。
「……本当に、殺すしか方法が無いのか。本当に、それ以外の方法は無いって苦郎の奴は言ったのか」
「殺す以外の方法は、無いとも言い切れないですよ」
羽鷺は、特に考える素振りも見せずに即答した。
「でも、後の事を考えてるとそれが最善になるからそうする。無視出来ない可能性があるから、それを摘んでおきたい。要するに、そういうことなんじゃないですか? 苦郎さんぐらいの実力者なら、実際の問題として『グリード』とやらの一員に攫われた司弩蒼矢の身柄を確保する事は出来るかもしれません。ですが、確保したからと言ってそこで危険な可能性が潰えるわけじゃない。だから、とりあえず殺して確実な『安心』を得る。そういう事だと思いますよー」
助ける事が出来るかもしれないのに、とりあえずの判断で見捨てる。
縁芽苦郎本人が本当にそのような判断で行動しているのかはまだ解らないが、それでも雑賀は少なからず憤りを感じていた。
反論の材料を探そうとして、そしてそこで気付いた。
この場で見知らぬ相手に対して言葉を発していても、恐らく意味は無い。
そもそも、こうしている間にも縁芽苦郎は行動を開始しているかもしれないのだ。
この男に苦郎を説得してもらう――なんて事を試している時間も無いし、そもそもこの鳴風羽鷺が本当に縁芽苦郎の仲間なのかさえ解っていない以上、信用するには難しいものがある。
「……苦郎の奴は、もう居所を掴んでいるのか?」
「そこまでは知りません。知っていたとしても、基本的に非戦闘要員の僕に教えるとは思えませんしー」
「その二本の刀は飾りかよ」
「基本は護身用ですー」
大した情報は持っていないらしい。
だとすれば、これ以上の会話は必要無いだろう。
ここからどう動くかは、自分自身の直感を信じて決める以外に無い。
◆ ◆ ◆ ◆
司弩蒼矢は、力無く地面に伏していた。
より正確に言うならば、起き上がろうとする意思自体が潰されていた。
まるで、頭の上から錘でも乗せられているかのような、胃袋の中に鉛でも詰められているような、その感覚。
視界は地面の灰色に染まっているが、心という物が目に見えるのであれば自分の心はどんな色に染まっているのか、蒼矢には到底想像も出来ない事だった。
「…………」
状況に対して思う事は色々ある。
どうして、こんな事になってしまったのか。
どうして、裏切りという事実にここまで苦痛を感じるのか。
どうして、自分の中に得体の知れない化け物が根付いてしまったのか、とか。
つい少し前までなら、この状況も罰の一環なのだと納得出来ていたつもりだった。
罪の無い人間に怪物として牙を剥いた以上、もう人間と同じ扱いはされないであろう事も。
結局、救われたいと思う気持ちが残っていたのだろうか。
そんな資格、自分にはもう無いであろうに。
「さて、と」
視界の外から男の声が聞こえる。
まるで待ちくたびれていたかのような、この状況をいっそ楽しんでいるかのような調子の声だった。
「そんなわけだ。お前が善意をもって接してくれていたと思ってた女の子は、俺達の協力者だった。これ以上の説明は必要無いよな?」
「…………」
何か言い返そうと思えば、言い返せるはずだった。
だが、蒼矢は何も言わなかった。
善意を必死に信じようとしたところで、ただ苦しみが増すだけだと判断した。
だが、
「まぁ、好意を持たれて良い気分になる気持ちは解らんでも無い。何せ、こんなに可愛い女の子なんだしな。望んで俺達の組織に入るってんなら、また『同じ』関係を築くことも出来ない事も無いぜ?」
その言葉を聞いて、蒼矢の瞳に明確な意思が宿った。
それが怒りと呼ばれる感情なのだと、彼は理解していただろうか。
彼は顔を上げて、男に言葉を返す。
「……さっきから馬鹿にしてるのか。何でお前の言う『組織』に望んで入らないといけないんだ」
「ん? 別に望まないなら望まないなりに強制的に入らせるわけだが。良いのか? 洗脳よろしく頭の中を弄くられても」
「…………」
到底馴染みの無い単語が飛んで来た。
これが『力』を得る前の頃であれば冗談か何かだと聞き流す事も出来たかもしれないが、実際問題として出来ない事では無いと認識してしまっている以上、全く笑えない。
男が言っている事は、要するにこういうことなのだろう。
望んで力を貸して楽になるか、望まず力を貸して苦しむか。
どちらにしてもロクな末路が想像出来ない。
何とか抵抗出来ないものかと思案するが、
「……抵抗はしないほうがいいですよ。抗った所で、いつか心の方が折れる。あなたは優しいですから、家族を人質に取られるだけで何も出来なくなるのは解りきってます」
女の子の囁くような声が聞こえた。
裏切り者のクセに、やけに優しげな声だと思った。
だが、この状況においてその妙な気遣いは、神経を焙る以外の効果を持たない。
蒼矢もまた、この状況になって我慢する事はやめた。
だから、
「……ああああああああああああああああああああっ!!」
叫びと共に、蒼矢の体を中心に青白い光の繭が現れる。
背中を押さえ付けていた別の誰かを吹き飛ばし、守ろうと思っていたはずの少女の目の前で彼の『力』が起動する。
繭の中で彼の身体が人としての輪郭を残しながらも変じていく。
身体の色は総じて小麦色から青緑色に、その質感は人肌から鱗のそれに。
下半身は丸ごと魚と蛇の面影を同時に想起させるような、先端に赤色の葉っぱに似た鰭を伴った細長い尾に。
左手の指と指の間には水を効率よく掻くための膜が張られ、首の下から尾の先端にかけては蛇腹が生じ。
顔の部分は人間の骨格のまま、さながら兜か仮面のように黄色の外殻に覆われ。
極め付けに、義手として確かに存在していたはずの右手は、一日前の時のそれと同じ異質の象徴――鋭利な牙を有し、人の頭ぐらいなら丸呑み出来そうなほどに大きく裂けた口を伴った瞳の無い『蛇』と化す。
(……結局……こうなってしまうのか……)
そうして、司弩蒼矢は怪物と化す。
この姿になる事を望んでいたわけではないのに、自然とこうなった。
自分自身が『力』を制御出来ていないからなのか、あるいはこの姿が怪物に相応しい姿だからなのか。
蒼矢の姿を見た縞模様の服の男は笑みを浮かべ、口笛を吹いた。
「へぇ、まさしく化け物って所か。人間らしい部位なんて殆ど無い。こりゃあ『組織』が欲するわけだ……」
「……何とでも言え……自分が怪物だという事ぐらい、もう解ってる……!!」
本来は水の中を泳ぐために使われる尾びれで直立し、右腕から変じた『蛇』を男に向ける。
その気になれば牙や氷の矢でもって赤い色を広げさせる事が出来るであろう凶器を向けられても、縞模様服の男は動じない。
ただ一方的に、言葉を投げかける。
「大人しく従ってくれるんならそれで済むんだが、抵抗するんなら仕方無い……痛い目見てもらうぜ?」
直後の出来事だった。
男の身体が、瞬く間に灰色と黒色を混ぜ込んだような色の光の繭に包まれる。
(……これ、は……)
これまで蒼矢は、自分以外の誰かが『力』を使って変化していく様を見た事が無かった。
プールで戦った牙絡雑賀と名乗っていた男は、自我を取り戻した時点で既に『変化』した後で、覚えている限りではそれ以外の『力』を使った人間の姿を見た事が無い。
それが『デジモン』と呼ばれる存在の力である事を知らない蒼矢には、目の前で生じている繭が『進化』を遂げるためのエネルギーの塊である事はわからない。
だが、それでも直感した。
(……僕より、強い『力』なのか……!?)
繭の中から、蒼矢とは異なる『力』を伴った怪物が現れる。
それは、上半身が裸になっている事を除けば大半が人間の面影を残した姿だった。
下半身が丸ごと海蛇の尾と化している蒼矢とは違い、男の下半身には元々穿いていた灰色のズボンから靴にかけて多少デザインが変わってこそいれど存在しているし、頭部にはしっかりと青い頭髪が生えている。
異質の象徴と言える物は、上半身に集中していた。
アクセサリーの一環としては明らかに付け過ぎだと言わんばかりに巻き付けられた鎖に、顔面を覆う形に取り付けられた鉄の仮面――極め付けに、全身から噴き出る青色の炎。
繭から解き放たれたその瞬間に、自分が居る空間の気温が上がってきた気がする。
それも、夏の蒸し暑さなど比類にもならないレベルで。
「……さァて、成熟期クラスの『力』で完全体クラスの力にどれだけ耐えれるやら」
本能的な危険信号が頭の中で反芻する。
可能性を思考する段階から、既に負ける未来図しか見えてこない。
逃げた方が利口だと理解しても、足から変化したこの尾びれで逃げ切れる気がしない。
そして、その考えは間違っていなかった。
ズグギィッッッ!! と。
右腕の『蛇』から氷の矢を咄嗟に放とうとする間も無く、怪物と化した蒼矢の体が、冗談抜きに香港映画のように吹き飛ばされ壁に激突する。
ただ、拳を使った振り上げる形の一撃。
それが蒼矢を襲った攻撃の内容だった。
「が……はっ!?」
重力に引かれて地面に落ちようとした所で、次の動きがあった。
蒼矢を殴り飛ばした炎の魔人が、自身の身体に巻き付けられた鎖を投げ放つ。
その鎖がまるで意思を持っているかのような挙動で蒼矢の体に巻き付くと、魔人は投げ放った鎖を改めて握り直す。
直後に、それは振るわれた。
最早抵抗するだけの余裕も無いまま、蒼矢の体は鎖に縛られたまま地面に向かって叩き付けられる。
頭部を丸ごと覆う兜のような甲殻が無ければ、即死してもおかしくない勢いだった。
「……ぐ……が……」
「おいおい、勢い余って殺しちまったりしないよな? 思いっきり頭蓋に入ったぞ」
「この程度で死ぬようなら、そもそも『組織』が必要としねェだろ。それに、流れで覚醒してくれるンなら都合が良いし」
揺らぐ意識の中で黄色い声が微かに聞こえる。
実の所、蒼矢はもうこの時点で戦おうとする意思を失っていた。
「そもそもの問題として水中戦、あるいは水上戦で真価を発揮するデジモンの『力』で、陸地が本場の相手に立ち向かえるわけが無いだろ。足も無いその姿が本当に正しい形なのかは知らねェが、コイツは正しくまな板の上の鯉って奴だ」
勝ち目が無いだけでは無く、そもそもこの魔人が『組織』に属しているのであれば、場合によっては増援がやってくる可能性さえある。
ただでさえ目の前の一人にすら太刀打ち出来ないのに、これ以上新たな『敵』が増えてはどうしようも無い。
いずれ、どこかで、折れる。
そうとしか考えられなくなってしまいそうになる。
「…………っ」
それでも戦おうとしているのは、はたして自分の意思によるものなのか、それとも怪物の意思によるものなのか。
蒼矢には解らない。
自分の中に宿っている怪物が何を考えているのかも、どう戦えばいいのかも。
いっそ、自分を忘れて本能に任せて暴れてしまった方がいいのか。
(……嫌だ。それだけは、それだけは絶対に……!!)
もしここで『折れて』しまえば、自分の力が何か別の目的に使われる。
それも、恐らくは悪意を伴う内容だろう。
(……この力が、危険なものである事はわかってるんだ。こんな奴等の好きにさせたら、駄目なんだ……!!)
「ギブアップはしねェのか。出来ればさっさと諦めてほしいんだが、なァ!!」
倒れ伏したままの蒼矢が、サッカーボールでも扱うように腹を蹴られる。
鈍い痛みが体を奔り、胃の中から何かを吐き出してしまうような声が漏れる。
可哀想になぁ、と魔人の仲間である男は黄色い声を出しながらそれを傍観していて。
この現状を生み出した少女は、無の表情のままそれを眺めていた。
だから、その状況に変化をもたらしたのは、彼等にとってのイレギュラーだった。
「……アンタ達、何をしてんの」
視線が、痛めつけられている司弩蒼矢から別の方へと移される。
痛めつけられていた蒼矢もまた、倒れ伏したまま声のした方へと目を向ける。
建物の入り口らしき場所に立っていたその人物の姿は、いっそ場違いとも言えたかもしれない。
そこに居たのは、どこにでもいそうな制服姿の女の子。
怪物が二体存在するこの空間に、恐れ知らずにも踏み込んできた、学生。
その介入に、面倒事が増えたと言わんばかりに魔人もその仲間も目を細めた。
一方で裏切りの少女は、本当に驚いたように目を丸くしていた。
「……なんでまたこんな場面で一般枠が来ちまうかねェ。これはアレか? 目撃者は野放しで帰すなっていう流れ……」
「その人から離れなさいよ」
その女の子は、魔人の言葉を遮る形で言葉を発していた。
状況も経緯も解らないはずなのに、それでもある怪物を庇おうとする言葉を。
思わず、魔人は呆気に取られたように笑い出した。
「……人? 人って言ったのか、この気持ち悪い化け物を。オイオイ良かったなァ、そんな姿でもまだ人だって認識してくれる奴が居てくれて!! 流石にこの反応はオレも予想してなかったわ!!」
「別におかしい事じゃないでしょ。つい少し前に鳥みたいな人にも出会ったし」
一歩、また一歩踏み込んでいく。
怪物の姿を認識出来ている時点で、魔人もその仲間もこの少女が『同類』である事は理解している。
だが、仮にデジモンの『力』を使って戦えるのであれば、さっさと『肉体の変換』を実行しているはずだ。
それ故に、彼等はすぐに気が付いた。
この少女は、また自分の『力』を使える段階には至っていない、と。
その事実は少女自身も理解しているはずだ。
「あんた達が何者かは知らない。その人が何でそんな目に遭わされてるのかも知らない」
「なら、どうして関わろうとする? 身の程ってのを理解してないタイプか」
少女の言葉に、魔人の仲間が問いで返す。
対する少女の答えは単純なものだった。
「身の程知らずだろうが何だろうが、ここで見捨てたら後悔しそうだったから」
「なら、今から後悔する事になるな」
「やってみろ」
言葉と同時に、少女――縁芽好夢が駆け出し始める。
◆ ◆ ◆ ◆
そして、一方で。
そんな少女の義理の兄である縁芽苦郎は、現在進行形で足取りを追っていた。
当然、拉致された司弩蒼矢と拉致した連中の居所を、である。
彼の姿は既に『ベルフェモン』と呼ばれる魔王型デジモンを原型とした姿へと変じており、彼はその六枚の翼でもって飛翔する事で移動を続けていた。
無論、あまり高すぎる位置から探りを入れようとしても、手がかりも何も無いため見つかるわけが無い。
が、鳴風羽鷺が視覚、牙絡雑賀が嗅覚を頼りにするように、縁芽苦郎の宿す『ベルフェモン』の力にも、捜索の際に頼りになる感覚が存在する。
それは、視覚でも嗅覚でも触角でも味覚でも聴覚でもない――第六の感覚。
第六感と呼ばれる、基本的には五感を超えて物事の本質を掴む心の働きである。
それを最大源に発揮するためか、彼は飛びながらも瞳を閉じていた。
(……あっちか)
悪魔型や魔王型に分類されるデジモンは、基本的に悪感情と関わりが深い。
憤怒に憎悪、妬みに欲望――そういった悪意の吹き溜まりとも呼べる世界に住んでいるからだ。
そして、そんな環境に適合する形で進化を果たしたデジモンは、悪感情を自らの力に変換する力を経ている。
個体によっては自分自身の悪意だけでなく、他者の悪意までも。
だからでこそ、悪魔型や魔王型のデジモンは他者の悪意に敏感で、それ自体が常識を凌駕した生体レーダーの役割を為す。
(……考えが正しければ、連中は『リヴァイアモン』の力を我が物にしようとしているはずだ。そして、連中の長と言える者は、それを可能とするだけの力と技術を有している。御せぬ力を手元に置いたところで、それは不発弾と大差無いであろうからな……)
行動に出た組織こと『グリード』の構成員は、まず悪意でもって標的の『リヴァイアモン』の力を有する人間を追い詰めるはずだ。
その方法にまでは想像が及ばないが、何にせよ結果として心が悪意ある方へ歪んでしまえば魔王の力が目覚める切っ掛けになる可能性が高い。
今回の件で『グリード』が何のために『リヴァイアモン』の力を求めているのかは解らない。
だが、悪意を伴った人間が持てば、いずれ大きな脅威となる可能性が高い。
最悪、その『力』が暴走でもした場合、核弾頭以上の暴力が街を襲うハメになってしまう。
それを阻止するためにも、あくまでも可能性の段階であろうと、不安要素は取り除くのが最優先の事項だ。
即ち、現時点で『リヴァイアモン』を宿している可能性が高い人物――司弩蒼矢を殺す事。
「…………」
人間が人間が意図して殺すのには、それを知らない者には想像も出来ないほどの覚悟が必要となる。
殆どの人間は悪を貫こうとするだけで心が疲れ、擦り切れ、やがて動きを止める。
もしかしたら何の罪も無いかもしれない誰かを殺すなど、罪悪感から出来ずともおかしくはないし、それを恥じる必要も無い。
人を殺すという行為は、どう言葉を飾ろうとも悪行でしかない。
だが、その行動が誰かを『守る』という善の結果に繋がると解ってしまえば、悪行だと理解した上でも出来てしまう。
善は悪よりも強い。
善に流れる事が簡単だとも言い換えることが出来る。
だから、縁芽苦郎はあくまでも非情に徹する事を決めていた。
殺す対象が、本当は恐るべき力を宿していなかったとしても、何の罪も犯していなかったとしても、最悪の可能性を叩き潰し、大切なものを『守る』ことが出来るのであれば。
どんな罪であろうと被って進む。
そんな意思も持てないのであれば、そもそもこんな生き方はとっくに止めている。
(……間違い無く、雑賀の奴は我を恨むだろう。この一件が切っ掛けで、仲間になる事を拒否するようになる可能性もあるが……仕方あるまい)
思考――というより、覚悟の再確認が終わる。
瞳を開き、第六感から五感に頼るべき感覚を切り替える。
翼による飛翔を一度止め、視界に入っていた雑居ビルの一つに着地する。
そこから真正面に視線を向けると、そこにはどこか廃れた雰囲気のビルが一件存在していた。
(……技術成長の弊害だな。一定以上の大きさを有した建物は、取り壊し自体が大きな危険と予算を伴う。故に放置され、必要とされなくなった建物は『隠れ家』として使われる。定番とさえ言っても良い、か)
既に、目的の場所は目前にある。
後は、ビルを倒壊させるなり直接殴り込みに向かうなりするだけ――のはずだった。
「…………」
縁芽苦郎は、思わず目を細めていた。
獣の耳が、その聴覚が、背後から自らを追う何者かの接近を感知する。
第六感による生体レーダーでは感知出来なかった、悪意が比較的薄い|電脳力者《デューマン》の存在を。
そして振り返ると、そこで視界に入ったものを見て、溜め息を吐いていた。
「…ブライモンの電脳力者から伝言は聞かなかったのか?」
「聞いたさ。その上でここに来た」
そこに居たのは、白と青の二種類の色を宿した狼男。
獣型デジモン『ガルルモン』の力を宿す電脳力者……牙絡雑賀だった。
(……病室でこの姿を見せた際、その『ニオイ』でも記憶されていたか)
「何をしに来た」
「お前を止めに来た」
「止められると思うのか?」
「出来る出来ないの問題じゃねぇんだよ」
それだけで十分だった。
縁芽苦郎は牙絡雑賀の選択を理解した。
どこか狂気の色を秘めた赤い瞳を細め、そして宣告する。
「ならば仕方が無い。今一度、お前には眠ってもらうとしよう」
◆ ◆ ◆ ◆
正直に言って。
縁芽好夢は、状況というものを詳しく把握出来てはいなかった。
元々、現在の少女の目的は以前見かけたイカ人間や侍の鳥人が持っている『異能』の力に自分自身も覚醒する事であり、そのために危険だと察してながらも普段は通わない道や場所を歩き続けて、その中で『異能』の持ち主との対面を望んでいた。
この場にやって来た理由も、何か絶叫染みた『声』が聞こえて、どうしても気になったからその方向を基準に走っていたら、偶然見つけた廃ビルの内部から似たようなものに覚えのある違和感を感じたのが、切っ掛けだったからに過ぎない。
そして今、好夢の目前にはお目当ての『異能』の持ち主が二人――いや、まだ『異能』を行使していないだけで、恐らくは『異能』の持ち主であろうと思われる人物が合計四人居る。
目的だけで語るのなら、まさしく好ましい展開だと言えたかもしれない。
しかし、右腕が丸ごと蛇と化している鱗肌の半魚人の惨状を見た時、喜び以上に不快感の方があった。
明らかにもう一人の『異能』を行使している何者か――鉄仮面に鎖に青く燃えている体が特徴な怪人――の手によって痛め付けられ、弱らせられている。
そして、そんな惨状を傍観していながら、それを止めさせようともせず完全に他人事の視線を向けている男と、感情と言えるものがひたすらに枯渇しているような表情の女の姿を視界に捉えた時、もう好夢には我慢が出来なかった。
不意討ちのメリットさえ無視してその場に躍り出たのも、結局のところ感情に従った結果に過ぎない。
(……苦郎にぃが見れば、感情的になってチャンスを逃すなんて馬鹿らしいとか言うだろうけど)
自分が馬鹿な事をしているという事については、好夢自身自覚している事だ。
行動の後になって、後悔の念が決して無いと言えば嘘にもなる。
「あんた達が何者かは知らない。その人が何でそんな目に遭わされてるのかも知らない」
「なら、どうして関わろうとする? 身の程ってのを理解してないタイプか」
だけど、行動に対する答えはあった。
だから、思ったことを口にすることに躊躇は無かった。
「身の程知らずだろうが何だろうが、ここで見捨てたら後悔しそうだったから」
「なら、今から後悔する事になるな」
「やってみろ」
とはいえ。
いくら度胸があろうと、現実的に考えて人間一人の力でこの状況を打破するのは難しい。
鈍器や拳銃といった武器らしきものを持っていない事についても、人数の差と例の人外の力を考慮すると大して安心出来る要素でもない。
当然ただ真正面から挑むだけではまず勝てない。
いやそもそも、勝ち目なんて元から存在しないのだろう。
彼女が、本当の本当に『普通』の人間であれば。
(……助けるんだ)
その時、縁芽好夢の胸の内には一つの決心があった。
状況は圧倒的に不利。助けなどが来る可能性には期待出来ない。
そもそも何も解っていない。自分の行動が間違っている可能性すらある。
(あの半魚人が善い人なのかはわからない。だけど、それでも助けてみせる……絶対に……!!)
だけど、それでも彼女は決めた。
人間としての顔も名前も知らない――そんな相手だとしても、助けてみせると。
決意が、少女に宿っていた『力』を目覚めさせる。
その脳裏に、拳法着を纏った兎の獣人の姿を焼き付ける形で、少女の体が駆け出す動作のまま光と共に変化していく。
――纏う制服の色が黄の色へと変じ、胸元の布地には『武闘』の二文字が刻まれる。
――耳の先端と口元には薄く白の、それ以外の全身各部には紫色の獣毛が生じ、額からは三本の短く尖った角が生える。
――極め付けに両耳が頭髪を巻き込みながら伸び、まるで鉢巻の帯のように靡く兎の耳へと変じた。
黄色い制服を着た、紫色の兎の獣人。
それが、縁芽好夢の変化した姿だった。
そして変化が終わったと同時、駆け出す速度は一気に増す。
「おおおおおおおおおおおおおっ!!」
「!! チッ!!」
これには暴漢の一人も思わず驚きの表情を浮かべ舌打ちし、咄嗟に眉間へ力を込めたかと思えば、その身を暗い黒色の光と共に異形へと変化させようとした。
だがその直前、好夢は躊躇もせずに右の拳を男の顔面目掛けて突き出す。
鈍い音が炸裂し、男の体が弧を描いて仰向けに転がる。
その際に頭を強く打ってしまったのか、あるいは拳が脳を強く揺さ振ったからか、男はそのまま起き上がる様子も無いまま沈黙した。
そこまでやってから、好夢は自分の体に起きた変化を実感する。
紛れもない化け物の力を、突発的な出来事とはいえ発現出来た事を自覚する。
「……チッ、馬鹿が油断しやがって」
呆気なく気絶させられてしまった男に対し、炎の魔人は容赦の無い悪態を吐く。
彼等の間に仲間意識と呼べるものがあるのかは知らないが、どうやら助けようと動くつもりは無いらしい。
事実上の戦闘不能となった男から視線を外し、好夢は炎の魔人へその視線を移す。
が、炎の魔人はその視線を意に介さず、その視線をこの場に存在するもう一人の女の子へと向けた。
まるで突き刺すかのように、言葉を発する。
「お前、こいつを見張ってロ。そこの似非バニーガールは俺が始末してやル」
「…………」
少女は特に返事を返さなかったが、魔人の指示には従う事にしたらしい。
魔人は蒼鱗の爬虫類染みた容姿の怪人を押さえ付けていた足を退かし、少しずつ好夢の方へと歩み寄る。
少女はそれと入れ替わる形で、怪人の隣に棒立ちする。
(……こいつは、強い)
好夢は、素直に目の前の魔人の危険度をそう判断した。
自分自身、明確に『力』を手に入れたからだろうか――あるいは、俗に言う防衛本能からか。
自らに宿る『力』がどのような物なのかはまだ解らないが、少なくとも炎の魔人に対して優位に立ち回れるような部類の『力』ではない事は何となく理解出来ていた。
(……でも、やるしかない)
自分に宿っている『力』がどのような方向で自分を強くしているのか、正確には解らない。
だが、少なくとも脚力に腕力といった運動能力が飛躍的に上昇している、という事が解ったのは幸いだった。
もしも自身に宿っている怪物が防犯オリエンテーションの時に遭遇したイカ人間や鳥人間のように『四肢以外にも動かせる部位がある』部類の怪物であれば、自分の体の動かし方すら理解出来ないまま嬲られてもおかしくはなかったが――人間と体の動かし方が大差無いのであれば、人間の技術がそのまま応用出来るはずだ。
手札は揃っている。
後は、それが何処まで通用するかどうか。
好夢は、力で劣る事を察した上で、炎の魔人目掛けて真正面から突撃した。
◆ ◆ ◆ ◆
率直に言って。
勝負にならないであろう事は、雑賀自身理解していた。
そもそもの話として、牙絡雑賀が自身の脳に宿っている『力』として扱っている『ガルルモン』というデジモンは、進化の段階にして最上には程遠い成熟期に該当されるもの。
対する縁芽苦郎の脳に宿っているのであろう『ベルフェモン』というデジモンは、デジモンの進化の到達点とも言える究極体――そして、その中で尚上位に該当される『七大魔王』と呼ばれる存在。
魔王にとって、有象無象の獣などは『敵』という区分にさえ入らない。
それほどまでに、成熟期と究極体の違いから生じる差は大きいのだ。
獣が襲い掛かろうが尻尾を巻いて逃げようが、魔王はその生死を容易く選択出来る。
そして、他ならぬ雑賀自身が明確に対峙する意志を示し、苦郎もまた出来る出来ないの問題を無視して雑賀のことを事態の解決を妨げる要因として認識した以上、排除しに掛かって来るのは解り切っていた事だ。
だが、それにしたって苦郎の初動はあまりにもシンプルなものだった。
ドン!! と。
凄まじい足音と共に苦郎は一瞬で雑賀との間合いを詰め、躊躇無く雑賀の胸の中央に右手の爪を突き立てて来たのだ。
初手から、小手調べも様子見も何も無い一撃必殺の勢いだった。
警戒していたはずなのに、動きに対応しようと身構えていたはずなのに――そんな考え自体を力技で踏み砕くかのような。
刺された――そう遅れて認識した時には、雑賀の体を猛烈な倦怠感と痺れが蝕み始めていた。
「があ……っ!?」
(……これ、は……あの、病院で目を、覚まし、た時と同じ痺れ、か……っ!?)
爪で刺されたのであれば、体を駆け巡るのは鋭い痛みであるのが当然なはずなのに、違和感しか感じられないその感覚に『毒』という単語が脳裏に過ぎる。
すぐさま苦郎の腹を蹴って距離を取ろうとする雑賀だったが、それより先に苦郎は雑賀の上げようとした足を自らの足でもって踏み潰す。
釘を打ち付けるような一撃が、雑賀の足を強引に縫い止める。
毒素に麻酔のような効果でも含まれていたのか、僅かながら痛みは緩和されていたが、むしろそれが自分の受けたダメージに対する理解を妨げてしまっていた。
そして、人間とは危機的な状況において情報が不足していると、思わず情報を求めてしまう生き物である。
よって、雑賀が思わず自分の足の方へ視線を移そうとしたのは、ある種自然な行いと言えたかもしれない。
だが、それは至近距離の相手に対し、致命的な死角と隙を生む行為。
雑賀が自身の足元――即ち真下に視線を落とした瞬間、死角となる真上から苦郎が頭突きを振り下ろす。
ガゴッッッ!! と。
頭蓋を通して伝わる衝撃と激突音に、雑賀の意識が一気に途切れそうになる。
「……っ……ぁ……」
足から力が抜け、立っている事すら難しくなり、崩れ落ちる。
苦悶の声を漏らす雑賀に対し、苦郎は威圧的な声で語りかけた。
「お前は我を止めると言ったな。我が、司弩蒼矢を……『リヴァイアモン』の力を宿している可能性を内包した電脳力者を殺そうとしている事を知った上で」
「……ったり前だ……そんな仮説のために、とりあえずの感覚で……人が殺されるのを見過ごせるか……っ!!」
「可否の問題は別として、それがどのような意味を持つのか考えた事はあるのか」
声色は冷たく、言葉に含まれた感情は重い。
住んでいる場所が違うというのは、正しくこのような人物を指す言葉なのだろうか。
胃袋の底に掛かる重圧に耐えながらも、雑賀は苦郎に怒りを剥き出しにして吠える。
「……考えても、納得なんて出来るわけが無いだろ……!! アイツ自身に罪なんて無いはずなんだ。アイツの家族だって帰りを待っているはずなんだ!! それなのに、魔王を宿しているなんて話もあくまで『かもしれない』の話でしか無いのに、何で殺されなくちゃいけないんだ!!」
「ああ、この行動は決して『正しい』行動では無いのだろう。どんなに理由を掲げようが、やる事はただの人殺し。人としては明確に正道を外れる行為だ」
意外にも、苦郎は自身の行動の非を認めた。
自身の行動は最も確実に危険な可能性を取り除けるが、一方で人間としては間違った解決手段であると。
だが、それを肯定した上で苦郎は言葉を紡いでくる。
「だが、それでも我は殺す。司弩蒼矢を、その脳に宿る魔王を」
「なんで……」
「解らんとは言わせぬぞ。お前は既にフレースヴェルグと対面し、究極体クラスのデジモンの力を扱う電脳力者を目撃している。電脳力者の戦闘能力が、宿している種族の能力を強く反映させたものになる事ぐらいは理解しているだろう」
「…………」
「リヴァイアモンは『七大魔王』という枠組みの中で最も解りやすい危険を秘めた存在だ。始末する以外に『確実に』危険な可能性を排除出来る方法は無い。まして、今回の案件に悪意を持つ者が絡んでいるのであれば尚更だ」
言葉の一つ一つが、病室で会話をした時以上に雑賀の心に動揺を与えていた。
日常の中に居たはずの怠け癖が目立つ知り合いの姿が、口を開く度に崩れていくのがわかる。
あるいは、これが本来の顔なのか。
友達が事件に巻き込まれ、結果としてデジモンの力を手に入れるまで――ずっと偽りの顔で回りの人間と接してきたのか。
知り合いならまだしも、自身の家族にすらも。
「……どれだけ非情に見えようとも、そうする事で問題を解決に導けるのであれば。確実に、絶対に、安定して、安全というものを確保出来るのであれば。とりあえずの判断で殺しておくべきだ。友人でも無ければ知り合いでも無い赤の他人のために危険を許容出来るほど我は博愛主義では無い。まして、その危険の矛先が我以外にも向けられる可能性があるのであれば尚更だろうが」
その言葉を受けて。
雑賀は、苦郎の真意を少しだけ理解した。
結局のところ、苦郎はただ失いたく無いだけなのだ。
つい一日前まで、非日常とは縁の無い普通の人間として当たり前の日々を過ごして来た雑賀には曖昧な形でしか想像すら出来ないが、少なくともこの男はこうして表と裏の世界を行き来しながら、雑賀の知らない所で今日まで戦ってきたのだろう。
自分にとって大切なものを、当たり前でなくては困るものを、守り抜くために。
……病院の中でも、苦郎は雑賀に対してこう言っていたではないか。
義理の妹である縁芽好夢に、自分の裏側の顔である魔王としての情報を伝えないでくれ、と。
(……あぁ)
その選択に対する憤りは覚えるが、それでも狼男は目の前の魔王を恨めない。
単に家族を含めた親しい誰かの安全を理由にされているからでも、自分よりも物事に対する危険性を認識しているから……といった理由だけではない。
苦郎の語る危険性の問題は、雑賀からしても他人事で扱う事は出来ないものだ。
仮に、万が一にでも、司弩蒼矢に宿る魔王の力が悪い方向に流された場合、その矛先が|雑賀《ガルルモン》の家族に向けられる可能性だってゼロとは言い切れない。
ゲームやアニメ等の架空の情報でしか『魔王』を知らない雑賀と比べると、自らの力として現実に『魔王』が秘める危険性を認識している苦朗の方が理解は深いのだろう。
何より、この行動をただの人殺しだと自ら認めている辺り、ただ納得が出来ないという理由だけで首を突っ込んだ雑賀に比べ、ずっと責任感があると言えるかもしれない。
「それでも助けるつもりか? 司弩蒼矢を。たかだか一日前に対面した程度の縁だろう。それも敵としてだ。危険を承知の上で助けに向かう理由になるとはとても思えん。ここまで聞いてまだ瞳に意思を宿し抵抗を続けるつもりなら、我が抱えているものを台無しにするだけの理由があるのだろうな?」
「……確かに……」
まず、最初に雑賀は認めた。
目の前の魔王の行動が、正道ではなくとも間違いと言えない事を。
「……確かに、理由としては弱く見えるんだろうさ。一度だけ会って、殺されかけて、少し言葉をぶつけ合った程度のヤツを助けようなんて。思わず小便ちびってしまいそうなぐらい恐ろしい『魔王』が宿っているかもしれなくて、助けたとしても何かの切っ掛けで暴走して、結果として色んな人間を殺してしまうかもしれないって可能性だって『無い』とは決め付けられない。助けず殺してしまった方が合理的で、とりあえずは安全ってやつを守れるかもしれない。でも、だけど!!」
認めた上で。
毒に体と意識の両方を蝕まれながら、|雑賀《ガルルモン》は自らの『理由』を真正面から言い放つ。
「もし本当に魔王を宿しているのだとしても、殺して安直に終わらせるより、友達になって輪の中に入れてしまった方が絶対に面白くなる!! とりあえずの感覚で輪から弾き飛ばしてしまうよりは毎日が楽しくなるに決まってる!! 合理的でなくても、危険な選択かもしれなくても、その方がみんな嫌な気分にはならないに決まってる!! それが俺の『理由』だ!!」
その言葉に、魔王は思わずといった様子で目を丸くしていた。
そして直後に、困惑の色を滲ませてこう言った。
「……『それ』で止めろと言うのは、流石に良心というものを信じすぎていないか?」