眠って見る夢というものは、誰が見るものにしても、基本的に見る当人と関係のあるものが多い。
過去のトラウマの再現、叶ってほしい願望の具現、まだ見ぬ未来の予測、潜在的な無意識などなど。
所詮は夢だ、と言い捨てるのは簡単だが、時にそれは現実のそれに等しい痛みや衝撃を与えるとも言われる。
そして、トラウマや願望というものは抱えていない者を探すほうが難しいと言える程度にはありふれた概念だ。
捨て去ったと思い込んでいても――いや、考えないようにしようとすればするほど、それは魂の端に膿のように蓄積し続ける。
そうした前提なくしては、広がらない世界がある。
そうした世界でなければ、紡がれない物語もある。
さぁ、薄汚れたインクに塗れた頁《ページ》に親指を乗せよう。
◆ ◆ ◆ ◆
気取りにしろ何にしろ、神様なんてものが仮に実在するのだとしたら、そいつはトンでもなく悪趣味な野郎だろう――と彼は考えている。
何せ、不幸と呼べる事柄にはほぼ毎日のように遭遇するし、苦労と数えられる事柄は望まずとも放り込まれる。
ただ生きるという行為に対して課せられる試練が、はい今日もバーゲンセールですけど何か? とでも言わんばかりに増加するのが毎日の事で、非日常と認識すべきことが日常と化している現状。
要するに毎日戦っては生き延びての繰り返しなわけで、それが何者かの意図あっての事柄だとしたら、慣れてはきたがそれはそれとして愚痴の一言ぐらい言わせろ何なら殴らせろ焼かせろクソったれ――というのが、現在進行形でデジタルワールドに生きる彼の感想である。
が、事実として生き延びられているという時点で察せられる通り、結果的にトラブルに対する対応力は向上している。
突然の脅威、突然の災害、突然の苦境にも思考を途絶えさせることはなくなっているし、何なら自分一人の力でもある程度は対抗出来るようになっている。
それもこれも、海に漂流していたら釣竿で釣り上げられたり、鉄砲水に空高くまで吹っ飛ばされたり滝からフリーフォールしたり、燃え盛る橋の上をダッシュにダッシュしたりによるレベルアップによる恩恵であり、そんな彼ならどんな状況に陥ってもきっと仲間と共に打開してしまうのだろう。
さて。
ここまでが大前提。
それではお待ちかね、そんな彼の今現在の状況を、直球で述べよう。
ある日突然デジモンに成ってしまった元人間のギルモンこと紅炎勇輝は、ある日突然目を覚ますと草木がロクに見えない荒れ地に野放しになっていた。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
唖然、次いで愕然。
記憶が正しければ自分はこんな地獄のような場所では寝ていなかったはずだが? 死ぬほど疲れていたのは事実だけどマジで死んだのか? 死んだとしたらここは要するに死んだデジモンのデータが行き着く場所すなわちダークエリア??? などなど、疑問が頭の中を過ぎりまくるのだが、とりあえずこの場に留まっていても良い事は何も無いであろうことは察せられた。
何せ、それまでの記憶に一秒たりとも存在しない景色しか無いのだ。
安心の前提となる知識もアテにはならないし、何より食料になりそうなものが一つたりとも見当たらない。
無論、捜索するという行為にも相応のリスクが考えられるが、留まり続けて飢え死ぬよりはずっとマシだろうと勇輝は考えることにした。
とりあえず、ここを『開始地点』として爪で目印でもつけておいて、何かが見つかるまで歩いてみるしか無いか、と当面の方針を決めて、一歩。
踏み出した途端の話だった。
「――ふぎゃっ!!」
「?」
周囲には誰一人、目の前には荒地以外何も無かったはずなのに、何かを踏んづけてしまった感覚。
というか、悲鳴と反動。
その正体である灰色の毛むくじゃらの姿を、勇輝はこう呼んだ。
「アルス?」
「痛てて……何だよぅユウキ。寝てる所を踏んづけるなんてひどいじゃない……か……?」
ベアモンのアルス。
勇輝がデジタルワールドに来て一番最初に"出会った"デジモンの一人であり、頼れる仲間でもある寝ぼすけな彼は、自分のお腹を踏んづけた張本人に文句を吐きながら、視界に広がる景色に呆然としていた。
疑問のままに、彼もまた言葉を発する。
「……待って、ここって……ダークエリア……?」
「やっぱりそうなのか? というか、解るのか」
「いやまぁ、何となくだけど……何で僕達ダークエリアにいるの?」
「……普通に考えると、死んだから? いやまぁ俺の……知る通りの場所なのかは知らないけど」
「大体間違ってないにしろ、冗談でも笑えないからやめてね。それより、見た感じユウキ以外に見知った顔が見えないんだけど」
「何なら俺が目覚めた時にはお前もいなかったぞ。突然現れたというか、送り込まれたというか」
「……いつぞやの時みたいに誰かの企みかなぁ。はぁ、とにかく何か見つけるしか無いか……」
どこか暗い雰囲気を漂わせながら、何やかんやでユウキと同じ判断でもって歩きだすアルス。
しかし、彼は彼で失念していた。
ユウキが自分のことを「突然現れた」と説明したその時点で、自分達以外の誰かもまたそうなる可能性を。
ぐえ、という呻き声があった。
ため息と共に一歩を踏み出したベアモンの右足が、まさに「突然現れた」赤毛の電撃ビーストことエレキモンのトールの頭を踏ん付けた、その反応であった。
暗い雰囲気から一変、地雷を踏んでさぁどうしようの表情となったアルスに向けて、トールは額に青筋を浮かべた笑顔のままにこう述べた。
「……おーおーおー、テメェこのクソ寝ぼすけやってくれんじゃねぇか……」
「――え? ちょ、エレキモン? 君まで……って、何でそんなバチバチしてるの!?」
「そりゃテメェがいつも寝坊してる分際で気持ちよく寝てた俺のことは踏ん付け起こしやがったからに決まってんだろぉがこのクソボケスパークリングサンダー!!」
「ぎゃーっ!! いつになく恨みの入った電撃ぃぃぃー!?」
「ちょま、何で俺までえええええええええええええええ!?」
馬鹿二名がこんがりローストしたのはさておき。
どうあれ馴染みの仲間が揃ったのは、ユウキにとってもアルスにとっても幸運と言える話だった。
デジモンが死んだ後に行き着く場所として語られる領域、ダークエリア。
何故そんな場所に、死んだ覚えの無い三名が放り込まれてしまったのか、それを調べるための移動が、今度こそ始まった。
途端の話であった。
ザザギョィィィイィィィィィィィィィィィィ!!!!! と。
まるで、機械が発するノイズ音を何十倍にも増大させたような、あるいは生き物の喉笛でギターでも弾いているかのような異様な大音響に、大地が震えを発する。
ユウキもアルスもトールも、皆同じくして大音響の鳴った方角を向いていた。
見れば、何も見当たらなかったはずの荒野の上に、いつの間にかほのかに桃色を帯びた花々が咲き誇っていて、その美しい景色に見合わぬ巨大なナニカが現れていた。
真っ黒い体に長く伸びた腕、そして何処か気品を感じさせる風貌に見合わず四つん這いで獲物を喰らわんとする凶悪な有り様。
悪魔。
「何だ、あれ……」
明らかに完全体かそれ以上に類する、闇の種族。
少し以前にも闇の種族に類するデジモンと交戦した経験のあるユウキ達でも、思わず疑問を口にしてしまう程度には、異様な雰囲気を漂わせるナニカ。
見れば、そいつは四肢を移動のために動かしながらも何も無い空間から『腕』を生じさせていている。
到底見覚えの無い怪物の姿に、ベアモンは不意に一つの名を口にした。
「――ダンデビモン?」
「知ってるのか? アルス」
「……何となく。でも、あんな巨大な気配、今まで感じ取れなかったのに……」
「……アレも、俺達みたいに突然放り込まれたやつってことか?」
そのデジモン――ダンデビモンと呼ばれたデジモンは、こうしている今も『腕』を振るい続けていた。
叩き潰すために、握り潰すために、抉るために、攻撃のために。
攻撃、ということは少なからず敵と定める誰かがそこにいる、ということ。
ダンデビモンは、戦っている。
戦っているのは、誰だ?
◆ ◆ ◆ ◆
次の日に備えて仮眠を取っていたはずの、学ランを身に纏った獅子の獣人と、大きな牙を生やし骨の棍棒を携えた緑色の鬼人と共に、その悪魔と戦っていた。
異なる世界であればバンチョーレオモン、そしてオーガモンと呼ばれていたであろう人外の漢たちは、予想だにしなかった状況にそれぞれ言葉を発している。
「だー!! 何処だよここ!? 俺達、少なくともこんな殺風景なトコにいなかったはずだよな!?」
「口より手足を動かせ!! こいつ、あの時の骨の竜とは比較にならないぐらい手ごわいぞ!!」
「お前がそう言うレベルかよ!! ったくよぉ、見知った顔とははぐれちまうし、明らかに食い物とか無さげな場所だし、ここがホントの地獄ってやつかぁ?」
「……お前、さては意外と余裕だな?」
振り下ろされる巨腕に、掴もうと迫り来る巨腕に、彼等は己の拳でもって応戦する。
応戦して、それが実際に対抗手段となりえているその光景は、ある種コミカルにも見えたかもしれない。
無論、当人達は必死そのものであり、どの一撃にもそれぞれ必殺の意思が込められているのだが、いずれも悪魔を打倒する決定打にはなりえていない。
何も無い空間から出現する『腕』の対応に追われ、まだ急所を特定するに至っていないためだ。
「つーか何でもいいけどよぉ、このまま俺達が留守だとレジスタンスやばくね? 新入りの兄妹がいるとはいえ、なぁ」
「その問題をどうにかするためにもこんな場所で野垂れるわけにはいかないだろ。解っているなら真面目に戦え」
「クソ真面目なんだがなぁ俺はいつも!!」
死闘を演じながらも言葉を交えることが出来るのは、彼等もまた戦闘種族と化している故の恩恵と呼べるのか。
どうあれ、戦況は拮抗しており、戦いが長引くであろうことは明らかだった。
遠方からその戦いを発見したユウキ、アルス、トールの三名と。
彼等とは異なる方角に突如として現れた、色白の少女とその傍に侍る騎士の二名の目にも。
「……ここは……?」
「……見たことの無い場所ですね。ゼロ様、具合が悪くなってはいませんか?」
「わたしはだいじょうぶです。それよりも、あそこのたたかい……」
「……特に助ける理由も無い気はしますが、助けたい……といったところでしょうか」
「おねがいできますか?」
「当然です」
最低限の確認、そして応答の後に少女は騎士の左肩に乗り、騎士は悪魔の方に目掛けて駆け出していく。
同じタイミングで、ユウキとアルスとトールの三名もまた走り出そうとしていた。
誰の注目も、等しく巨大な悪魔へと向けられていた。
だから、いきなり『それ』が現れる予兆を、必殺の言霊を。
知覚することなど、出来るわけが無かった。
――アメミット。
闇より現れる来訪者の姿があった。
それは巨大な悪魔の体躯の中心、存在の核があるとされる部位を精密に喰い、一口でその存在を消滅させていた。
鰐の頭に獅子の上半身、そして河馬の下半身を兼ね揃えた異形の獣。
それが発する、ギュアアアアアアアア!! という鳴き声が、実質的に悪魔の断末魔だった。
その圧倒的な力に、絶対的な裁定に、誰もが言葉を失っている。
ユウキとアルスとトールは口元を震わせ、獅子の獣人と鬼人は新たな敵の出現かと身構え、少女と騎士は平静を装いつつ事態を分析しようとしていた。
が、異形の獣は彼等の存在など意にも介さぬ様子で口元に黒炎を溜め、花畑目掛けて解き放っていた。
瞬く間に桃色の花々が焼き払われていき、気付いた時には異形の獣ともども全ては消え去っていた。
戦っていた獅子の獣人と鬼人の二人を、用は無いとでも言わんばかりに残して。
敵と思わしき悪魔以外、誰も彼もが無事に済んだという現実を前にしても、彼等の中に安心という言葉が過ぎることは無かった。
その圧倒的とも呼べる決着を横目に、獣の主たる存在――神官のような衣装と犬の頭部が特徴的な獣人のデジモンは、遥か遠方より一行のことを"視て"いた。
「……異邦のデジモン。そして人間達、ですか……」
「――社長、どうしましたか?」
犬顔の神官に向けて、投げ掛けられる疑問の声があった。
社長と呼ばれた犬顔の神官の視線の先には、三つの頭を備えた真っ黒な『番犬』が座している。
事の次第を知らない『番犬』に対し、犬顔の神官は以下のように述べるのだった。
「少し、忙しくなりそうだなと思いまして。貴方にも働いてもらう事になりそうです」
そうして、世界のゴミ箱に主役共が集う。
これより始まるは、忘れえぬ感情に王道を打ち砕かれる危険を孕んだ、光当たらぬ物語。
◆ ◆ ◆ ◆
《後書き》
投稿日は四月一日。
後は解りますね? 解れ。