あらすじ
騎士の卵を自称するデジモン・オメカモンはDWに迷い込んできたニンゲンの子供・ツムギを家に帰すことを使命に奔走する。
歪みをもたらす者としてツムギは思惑のあるデジモンに狙われてしまう。
ツムギを救い出すため、進化出来ないオメカモンは敵の本拠地へ向かう。
その中でオメカモンは自身の秘密を知る。
雨が降っている。ぽたぽたと。はらはらと。しくしくと。
小さなデジモン達が泣いている。色とりどりの花を抱えて、私の元へやってくる。
あっという間に私の体は埋め尽くされ、まるで花のブランケットのようになる。これから私は深い眠りに入るのだから、丁度いい。
体は既に限界を迎えていた。右の砲身はひび割れ、左の剣も折れた。纏っている白い鎧もボロボロだ。トレードマークのマントはどこかへ飛んでいったらしい。視界はぼやけ、意識も保てそうにない。
最後にやってきた小さなデジモンが、涙ながらに頭を下げて言う。
「たすけてくれて、ありがとう!」
本来であれば、この瞳には何も映らないというのに。
最後にそのデジモンが浮かべた笑顔だけが、妙にハッキリと目に焼き付く。
名前を呼ばれて去っていく幼体のデジモン。帰っていくその姿から、ある子供の面影を見る。
(嗚呼、そうだ……あの子、は)
無事に帰れただろうか。
振り向かずに、まっすぐ、自分の家に帰れただろうか。
あの子は目を離すと、すぐに迷子になってしまうから──。
それだけが、いつも気がかりだった。
1
「ツムギ、どこにいるのだー!?」
吾輩はオメカモン。誇り高き騎士デジモンの卵だ。
騎士といっても立派な鎧も剣もない。
幼年期デジモンが作った工作みたいな見た目と、落書きしたような顔があるぐらい。だが、その心には常に気高い騎士の心を持っているのだ。
自分の役目は悪事を許さず、弱き者を助けること。
一人前の騎士になるべく、どのような苦難が訪れようとも、吾輩にとっては乗り越えるべき壁なのだ。
なのだが──。
「ツムギー!」
かっこ悪い話だが、誰か助けて欲しい。
現在進行形で、たった一人の子供を捜索中なのだ。様々なデジモン達が絶え間なく行き交う、こんな大所帯の中で!
「ツームーギーッ!!」
周りのデジモン達が、なんだなんだと吾輩を見る。
吾輩は目が合ったデジモンの片っ端から声をかけて、子供を見たかを聞く。デジタルワールドでは珍しい〝ニンゲンの子供〟だから、目立つはず。
しかし、見たと答える者は誰もおらん。
吾輩はがっくりと項垂れた、その時。
ピンポンパンポーン。園内にあるスピーカーから軽快な音楽と共にアナウンスが流れる。どうせ園内で開催されるアトラクションの案内だろう。
『迷子のお知らせです。ニンゲンの子供・ツムギちゃんが、保護者の方をお待ちです。お心当たりのあるデジモンは、迷子センターまでお越しください。繰り返します──』
◇
吾輩は文字通り、迷子センターまで吹っ飛んできた。
「ツムギー!! あれほど吾輩から離れるなと言ったではないかー!!」
「オメカモン、見てみて、もらったのー!」
目の前にいるニンゲンの子供は無邪気に笑って、持っていたジュースやらお菓子やらを見せてくる。どうやら丁重なおもてなしを受けたようだ。
吾輩は安心したと同時に、どっと疲れた。
「どうしたの、オメカモン。疲れちゃった? ジュースいる?」
「まあ、うむ……お言葉に甘えて、貰おう」
この子には迷子になったという自覚はないのか。まあ、見つかったから良しとしよう。
我々は保護してくれたデジモンにお礼を言い、共に迷子センターをあとにした。
「オメカモン、わたしのことを探してくれたの?」
「うむ、迷子のお知らせを聞くまで、探しておったぞ。当然ではないか!」
「心配した?」
「当たり前であろう?」
「そっか、心配かけてごめんね」
申し訳なさそうに顔を伏せてしまった子供。吾輩は優しく声をかけながら、その子の頭を撫でる。
「ツムギが無事であれば良いのだ」
この子はツムギ。デジモンというには小柄で華奢な体をしており、身長は同じくらい。と言いたいところだが、向こうの方が少し大きいので、吾輩はちょっと見上げる形になる。
「そなたを無事に家に送り届けるのが、吾輩の使命であるからな」
我々の出会いは突然だった。
端的に言えば空から降ってきたのだ。まさか子供が降ってくるなんて誰が予想出来ようか。
『すごい! 人形が喋ってる!』
吾輩の上に落下してきた子供は開口一番、そう言ってきた。
突然現れたニンゲンの子供、聞けば帰り道はわからないという。所謂、迷子だったのだ。
吾輩は悟った。この子を送り届けるのが我が使命であると。
「そう決めたからには、吾輩は責任をもってそなたを家まで届けなければならぬのだ。ここはそなたにとっては左も右もわからぬ土地。いつ、どこで悪いデジモンが襲ってくるか分からぬ故、吾輩から離れてはならぬぞ、ツムギ──って、おらん!?」
少し目を離すと、すぐにいなくなるのだ。会ってから今まで、何度こういったやり取りを繰り返したことか!
吾輩達が今いるのは、ニンゲン世界で言うところのテーマパークである。小規模なエリアを丸ごと娯楽施設としたここは、もはや一つの街であり、国であった。
こんな所で、もう一度迷子を捜すのは正直心が折れる。
だが吾輩とて、無意味にツムギと共に過ごしていた訳ではない。あの子の言動はなんとなーく分かるようになってきた。
「あ、オメカモン!」
予想していた通り、ツムギはとある建物の前にいた。
子供というのは好奇心で動くものだが、同時に好奇心で止まるものである。
「ここにいたのかツムギ! 言ったそばから吾輩から離れるとは、なんたることか!」
「ねえオメカモン、ここってなあに?」
ツムギは目の前に建つ建物を指して尋ねてきた。そこはお土産を扱っている店舗やアトラクションの受付とは違う雰囲気を持っているように見える。
年代物を思わせるような造りの石像が入り口に聳え立つ。ニンゲン世界の技術を真似て作ったのか、ガラス細工が施された扉がとても印象的である。大きく広げられた真っ赤な絨毯が来客を歓迎していた。
扉一枚だけで外との空気の違いに、思わず嘆息する。
「ここは劇場であるぞ」
「劇場って、お芝居をやるところ?」
「うむ、最近デジモン達の間で流行っているものがあるのだ」
「なにが流行っているの?」
吾輩はチラリと、建物の窓に貼られた一枚の広告を見遣る。開始時刻は、──間もなくだ。
「それは、入ってからのお楽しみなのだ」
◇
「アトラクションなの? 真っ暗だよ?」
「ふふん、ただのアトラクションではないぞ?」
格好をつけてツムギにそう言ったものの、実を言うと吾輩も初めて体験する。
ガコン、と吾輩たちが乗る乗り物が動き出した。
どこからともなく本の頁をめくる音と共に、我々の目の前に巨大な本が現れる。
『昔々、デジタルワールドに悪い竜がいました』
その言葉に呼応するように本から赤くて禍々しい竜型のデジモンが出現する。勿論、本物では無い。立体映像なる技術で、登場人物を見せているのだ。
『メギドラモンという悪い竜は、とてもとても食いしん坊で、デジタルワールドをバクバク食べていきます』
ナレーションの言葉に合わせて、邪竜が大地を食べていく。
映像と分かっていても、息を呑んでしまうくらい迫力がある。現に隣からツムギの小さな悲鳴が聞こえた。
やがてメギドラモンの前に、複数のデジモン達が立ちはだかるシルエットが浮かび上がった。しかし、相手が一度咆哮すると、怯えて逃げてしまう。
『メギドラモンは、とても強いデジモンなので普通のデジモンでは太刀打ちできません。「大変だ! このままじゃ、デジタルワールドがなくなっちゃう!」デジモン達は、とても困っていました』
小さなデジモン達は恐らく幼年期くらいだろうか。ぴょんぴょん跳ねる影とはいえ、それだけで慌てているのが分かる。
『「私がメギドラモンを倒そう」──そう言って、一体の騎士デジモンが立ち上がりました』
赤いマントが翻り、騎士デジモンが姿を現す。身に纏った鎧はシンプルなデザインなのに神々しさを感じる。右には狼の砲身、左には竜の刃を持つ、彼こそは。
『そのデジモンの名前は、オメガモンといいました』
吾輩は思わず身を乗り出しそうになるのをぐっと堪えた。
彼こそが、我が憧れ。吾輩が目指すべき、騎士道の頂。──オメガモン。
『オメガモンは、とても強いデジモンでした。みんなを困らせるメギドラモンに、勇敢に立ち向かいました。何度も、何度も、何度も。戦って、戦って、戦って』
炎を吐くメギドラモン。対し、オメガモンは刃を振るい、砲身から氷の砲弾を放つ。
その戦っている様が、まるで実際に眼前で繰り広げられているように観える。
『そして、オメガモンはついにメギドラモンを倒したのです』
メキドラモンが雄叫びを上げながら、倒れていく。
『でも、深く傷ついたオメガモンも倒れてしまいます』
説明の通り、騎士もまたゆっくりと、その態勢を崩す。彼の白い鎧もマントもボロボロで、竜の刃は折れ、狼の砲身も割れてしまっている。
倒れた彼の傍に、小さなデジモン達が集まりだす。
『デジモン達は悲しみました。オメガモンはとてもとても強く、同時にとてもとても優しいデジモンだったからです。デジモン達は、オメガモンにたくさんのお花を贈りました』
デジモン達が贈ったと思われる花が、パラパラと雨のように降り注ぐ。
『赤と青、黄色に緑、紫や白』
花が彼の全身を覆う。それは墓標にも、花のブランケットにも見えた。
『色とりどりのお花を抱えて、オメガモンは深い深い眠りについたのです』
そっと閉じられる、碧眼。
今、世界を救った騎士が眠りについた。
次の瞬間、本の一頁として映像が切り替わる。
『デジモン達は忘れません。オメガモンの勇姿を』
最後の一言と共に、再び音を立てて巨大な本がそっと閉じる。
『デジタルワールドを救った、騎士の物語を。これからも、ずっと語り継いでいくことでしょう──』
◇
「カッコよかったね!」
劇場から出てもツムギは、まだ興奮が冷めない様子だった。
吾輩も同意見だ。口伝しか耳に入らぬ昔話をこうした形で観るのは色々と感慨深い。
「オメカモン、あのお話に出てたんだー! だから騎士なんだね!」
確かに吾輩が騎士を志した理由はオメガモンにあるが……はて、吾輩はツムギにその話をしただろうか。
「あれ、でもオメカモン、マントしてないね? どうして?」
ここで、ようやく合点が一致した。この子は作中に出てきた騎士のモデルが吾輩と思っているらしい。
「違うぞツムギよ。出てきたデジモンは『オメガモン』だ」
吾輩が訂正するとツムギは更に目を丸くさせた。
「オメカモンじゃないの? 見た目も似てるのに?」
「この姿は彼をマネてるから、似ていて当然なのだ」
「どうしてマネをしてるの?」
「……吾輩には、何もなかったからな」
誰かに自分のことを話すのは、少しばかり抵抗がある。身の上話を言いふらしている気がして吾輩のポリシーに反するのだ。
「吾輩には記憶どころか、顔さえも無かった。デジモンとは本来、タマゴから生まれる。そこから幼年期、成長期と進化を経て成長する。でも、吾輩は生まれたときから……いや、タマゴから生まれたのかさえ怪しくてな。なにせ、気づいたら、この姿だったのだ」
外見でよく成長期デジモンと間違えられるが、こう見ても一つ上の成熟期なのだ。
なのに幼年期の記憶も、成長期の経験も無かった。虚ろな吾輩の手にあったのは、様々な色を備えた身丈ほどのペン一つ。
「自分が何者か分からないまま、長らく旅をしていた。そんな時に、あの昔話を知ったのだ。吾輩は思った。みなと違う生まれだからこそ、みなの為に尽くすべきだと! それが吾輩の生まれた意味であると!」
だから、かの騎士の姿をマネをし始めたのだ。
不慣れな手付きで顔を書き、拾ってきた紙に竜と狼を模した頭を作った。これで最低限の身なりだけはオメガモンらしく整えることは出来たのだ。
「トレードマークであるマントだけは手に入らなかったのが、少し悔しいところだな」
吾輩がそう言うと、ツムギがおもむろに自分の上着を脱ぎ始めた。
これにはさすがの吾輩もぎょっとして、慌てて止める。
「つ、ツムギ、なにを……!」
吾輩の言葉など無視して、脱いだ薄い上着を吾輩に着せようとする。いくら似たような身長とはいえニンゲンとデジモンでは体の形が違うし、肩の装飾品があるから着れるはずもない。
「ツムギ、吾輩は着れぬぞ。それに、吾輩は別に寒い訳では──」
「はい、出来た」
ツムギの手が離れる。言葉から服を着せるのを諦めた訳ではないのが分かった。では何故服を持っておらぬのだ? 吾輩に着せようとしていた服はどうしたのだ?
そっと自分の首元に触れてみる。なにか結んだような感触があった。
「お、お?」
くるっとその場で身を翻してみると視界の端で白い布が見えた。ツムギが着せようとした上着だ。その裾が吾輩の動きに合わせて風になびく。まるでマントのように。
「鏡がないから、ちょっと分かりづらいね。でも、オメカモン、よく似合ってる!」
そう言って満足げに微笑むツムギ。
この子は自分の服をマントに見立てて、吾輩に着けてくれたのだ。色も丁度白だし、丈も吾輩の足元くらいある。気を付けて歩かねば汚れてしまうな。
「よ、良いのかツムギ。これでは、そなたが……」
「うん、いいの。えーと……あ! 助けてくれた、お礼?」
「礼などいらぬ。吾輩は当然のことをしたまでなのだ」
「だーめ。わたしはお礼がしたいの。オメカモンにマントあげたいの!」
たぶんお礼というのは建前で、本音は吾輩にマントをあげる事なのだろう。うむむむ……困った。こうなってくると、ツムギは何を言っても引き下がらん。
お、そうだ。
「ツムギよ、お礼としてマントをくれるなら、それは気が早いぞ。吾輩はまだそなたを家に帰してないからな」
ツムギの表情が徐々に曇っていく。そうしょんぼりされては、これから言う予定の言葉も投げ捨てて、これを受け取ってしまうではないか。
「しかし、家に帰るまで預かってほしいというならば、話は別なのだ」
本当はここで悪戯っぽく笑ってみせたかったが出来ないので、声色だけでそれっぽく言ってみる。
ツムギの表情が一拍の間を置いてのち、パァッと明るくなった。
「うん! わたしが帰るまで、オメカモンがそのカーディガン、預かっててね! それ、結構お気に入りなんだから!」
言葉の意図を分かってくれたようで良かったのだ。というかカーディガンというのか、この服。なんだか守護者っぽく聞こえていいな。
「さてツムギよ、次はどこに」
「あ、すごーい! オメガモンそっくりー!」
行こうかと聞く前に、第三者の声が吾輩達の会話に割り込む。無視するには、あまりの大きな声に吾輩もツムギも声がした方を向く。
少し離れた場所に店が一つ。アトラクションの受付にしては、こじんまりしている事から、土産屋であることが推測出来た。
店から出てきたのは一体の恐竜型デジモン。オレンジ色の肌が特徴的なあのデジモンはアグモンだ。三本の爪を備えた両手には、店で買ったらしい紙袋を複数抱えている。
後からもう一体出てきた。青い毛並みの狼──の毛皮を着たデジモン・ガブモンは慌ててアグモンに声をかける。
「こらアグモン! 急に大声を出したら、相手がビックリするだろ?」
「ガブモン見てみて! オメガモンにそっくりだよ! すごいね! ニンゲンの子供もいるよー!」
アグモンがこちらを指し、嬉々として報告する。
我々の視線に気づいて、ガブモンが慌てて頭を下げる。ついでに隣にいる相方の頭も下げることも忘れない。
頭を上げてもアグモンの視線が外れることはない。彼(デジモンに性別はないが便宜上として)から熱い視線がビシビシと突き刺さる。
「わたしって、そんなに珍しいの?」
「というより、ニンゲンが珍しいのだ。デジタルワールドにある大半の物は、ニンゲンの世界を観察してる際に見様見真似で作って、形だけを取り入れているからな。だから我々はニンゲンの存在は知っているものの、ニンゲンなんて本当にいるんだなという感覚なのだ」
「まるでオバケみたいだね……」
「オバケとな?」
聞きなれない単語に首を傾げる。バケモンとなにか関係があるのだろうか?
「ねえ、ガブモン──」
「ダメ」
「えぇ~、まだ何も言ってないよー?」
「あの人たちと話してみたいんだろ? そんな時間なんてないよ。アグモンが乗りたいって言ってたアトラクションの時間もそろそろだし」
「そっかー……なら仕方ないね」
「あ、あの!」
ここで、まさかのツムギが一声を投じた。
「あ、あとでご飯! わたし達、ご飯まだだから! だから、それ終わってからでいいから、ご飯一緒に食べない、ですか?」
さすがに初対面だからか、ツムギが少し緊張している。吾輩相手では遠慮なくグイグイくるというのに。これが慣れというヤツか?
ツムギの誘いを受けて、アグモンがチラリとガブモンを見る。
「だってさ、ガブモン。それならいいでしょ、ね、ね?」
「まあ、確かにご飯食べるつもりでいたからね」
「やったー!」と片手を挙げてアグモンが歓喜する。
その隣でガブモンがまったく、と呟く。申し訳なさそうに、こちらに再度頭を下げる。
「オレ達の為にごめんね。そっちも予定があるんじゃない?」
「いや、吾輩達もこれからどうするかを決めかねていたから、それこそ丁度良かったのだ」
「そっか。あ、オレはガブモン」
「ボクはアグモン!」
「吾輩はオメカモンなのだ」
「わたし、ツムギ!」
それぞれが自己紹介をした頃合いで園内アナウンスが入った。どうやら、これから始まるアトラクションの案内のようだ。
「ほら、アグモン、始まるよ」
「オメカモーン、ツムギー! すぐ戻ってくるから、あとでねー!」
相方に促されながらもアグモンは人懐っこい笑みを浮かべ、手を振って去っていく。
吾輩もツムギも手を振り返し、見送る。ああ見ると、やはりコロコロと表情が変えられるのは良いものだな。今度から分かりやすいよう仮面でも用意するか。
「さて、彼らが戻ってくるまで、吾輩達は──」
「あ! 風船くださーい!」
「はーい、どうぞー」
いつの間にか、スタッフデジモンから風船を買っているツムギ。あの行動力の高さは一周まわって感心するレベルだな。
「これ、オメカモンの分!」
ツムギは持っている二つの風船の一つを吾輩に差し出そうとした。その時、パァンッ──!
突如として風船が破裂し、中から紙吹雪と一つの靴が飛び出す。
「わわっ、なになに!?」
「何事だ!?」
吾輩は咄嗟にツムギを庇う。むっ、ついに悪のデジモンがツムギを狙いに来たのか!?
そう思っていたら、風船を配っていたスタッフデジモン(ハグルモンだった)が拍手をしながら、こちらに近づいてきた。
「おおっ、おめでとうございまーす!」
「なにか、祝われるようなものでも当たった、のか……?」
尋ねるとハグルモンはにこやかに笑って「ハイー!」と頷く。そして地面に転がる靴を持ち上げて言う。
「こちらの靴は、なんとなんと! 当テーマパーク支配人である、サンドリモン様ご愛用の靴でして!」
「……当たった、というのは、失せ物が見つかったという意味か?」
見れば、靴は一つだ。その支配人デジモンの足が一本でない限り、靴を片方無くしたと考えた方が良いだろう。
何故、風船の中にあったのかは──まあ、不慣れな従業員デジモンが間違えて入れたと言われても仕方がない。
なにはともあれ、確かにめでたい事だ。
ハグルモンは吾輩の言葉に、慌てて首を左右に振った。
「いえいえ、そうではなく! このガラスの靴は、当テーマパークの遊び心でございまして。当てた方には、サンドリモン様の城へご招待されるのです!」
ほう、城に招待とな。……ん? 城に招待?
「ちなみに、その城、とは?」
「あちらでございまーす!」
ハグルモンが指し示す先は山。その天辺に、肉眼でもわかるほど豪奢な城が見える。周囲の光を吸収しているのか、今は陽光も相まって、直視するのがやや辛い。少し、いや、だいぶ眩しい……。
「すごい、お城ー! お姫様が住んでそう!」
ツムギがはしゃぐ。
「はい、それはお間違いないかと! なんといっても、サンドリモン様はここの支配人にして姫でございます! どちらかといえば、女王様ですが……」
最後にそう呟きながらハグルモンの目が遠くを見つめる。
「しかし、あんな遠くにあるのでは行くのも帰ってくるのも、時間がかかりそうだぞ」
「その点はご安心ください! そこはニンゲン世界を長年観察してきた、わたくし共! ニンゲン世界では、こういった時は、こういう乗り物に乗るそうで!」
ハグルモンが手を叩けば、吾輩達の目の前で、まだ形を成していないデータが表れた。データは見る見るうちに折り重なって大きくなり、やがて一つの乗り物を作り上げる。
乗り物を見た途端、ツムギが興奮気味に言う。
「すごい、カボチャの馬車だ!」
「さすが、よくご存じで!」
「確かに、これに乗っていけば時間が短縮されるのは分かったが……ツムギ、もう忘れてしまったのか? 我々はアグモンとガブモンとの約束があるのだぞ?」
「あ……」
「その点もご心配なく! ご友人様達には我々がきちんとお知らせしたあと、入れ違いにならないよう手配しておきますので!」
それを聞いて、嬉しそうに顔が緩むツムギ。
対し、吾輩は訝しんだ。
「随分、用意周到ではないか?」
「ここまで大規模なテーマパークを経営する以上、お客様に不便はかけませんとも! ささ、お乗り下さい!」
慣れた手付きで馬車の戸を開け、乗車を促す。
ツムギが嬉々として馬車に乗り込む。吾輩は何かを言おうとして、止めた。
(まあ、良いか)
こんな楽しい場所で何かが起こるはずもない。変に考えすぎなのだ。ツムギが喜んでいるのだし、吾輩もそれに便乗しないでどうする。
そう結論づけて、馬車に乗り込む。
それからハグルモンが馬車の先頭に座り、手綱を引く。
「では出発!」
形だけの馬が身を起こしていななき、駆け出す。
窓から外を眺めていたツムギが吾輩の方を振り返る。
「お城、楽しみだね!」
「支配人とやらに会うからには、失礼のないようにしないとならぬな」
「そうだね。大丈夫、わたし、いい子にするの、得意なの!」
ならば、すぐにいなくなるのもどうにかして欲しい。──という吾輩の欲求はさておき。
(そういえば、招待されてから、何をするかを聞きそびれてしまったな)
祝われるだけで済めば良い。当然のことだが、何故か吾輩はそう願わざるを得なかった。
そして、その願いはして良かったと、後に思う。
だからといって、叶うとは限らないのだが。
2
馬車から降りて、まず小さなネズミ型デジモン達から歓迎を受けた。いや、デジモンというにはデータが小さすぎる。
ともかく、彼ら(?)は各々楽器を奏でていた。城の扉を開けるまでの短い距離の間、吾輩達の到着を全力でもてなしている。
「ささ、こちらです!」
先導していたハグルモンが城の前で足を止める。
改めて見ると大きな扉である。背伸びをして見上げ、かろうじて扉の全容が分かるぐらいの大きさだ。こんなに大きいと、支配人のサンドリモンもさぞ大きなデジモンであろうな。
「サンドリモン様、あなた様ご愛用のガラスの靴を発見した、運良きお客様でございます!」
重々しい音を立てながら、扉がゆっくりと開かれる。
吾輩もツムギも、相手はきっと大きなデジモンだと推測して、見上げた態勢のまま中を見た。
「あら、ご苦労様」
口調からして女性型のデジモンか。涼やかな印象を持つ声で、静かに言い放つ。しかし、その声は上からではなく、正面から聞こえた。
自然と、視線がそちらを向く。
「いらっしゃいませ、ワタクシの次に運の良いお客様」
ようやく全容が見え、吾輩は言葉を失った。思った以上に小柄だったのだ。いや、吾輩より全然身丈は高く、四肢もすらりとして細く、長いのだが!
「ワタクシがこのテーマパークの女──コホン、支配人のサンドリモンですわ」
今絶対に「女王」と言いかけたな、このデジモン!
確かにハグルモンがポツリと「女王様」と呼んでいたことはある。さすがの吾輩も彼女からは威厳なるものを感じた。
目元は仮面で覆われ、表情が唯一分かるのは口元のみ。見るからにふかふかな毛皮は羽織っているだけだというのに、それさえもドレスの一部だと錯覚してしまう。
華奢な体格からレベルが一見把握できない。しかし、気迫の強さと感じられる威厳から、究極体だと察しがついた。
「あら、今回もまた随分可愛らしいお客様ね」
薄く紅を引いた唇が笑みを作った。
ほう、と見惚れていた吾輩はそこでハッと我に返る。慌ててツムギに声をかける。
「つ、ツムギ、靴を……!」
「あ、うん! あ、あのっ、み、見つけまひた!」
あぁ、緊張し過ぎて噛んでしまった。
ツムギが恥ずかしそうに俯く一方で、サンドリモンはその顔を上げるよう、顎に指を滑らせた。
「ふふ、わざわざありがとう。ニンゲンの子供なんて、珍しいお客様。いつもなら、感謝の言葉とお祝いの品をあげるのだけれど、それでは見合わないですわ。もっとニンゲン世界にふさわしいものを……ああ、そうだ」
何かを思いついたようで、サンドリモンはパチンッと指を鳴らす。すると外で我々を出迎えていた、あの小さなネズミ達がズラリと整列する。その内の数匹が、主人の意思を汲んで、なにかの準備をし始めた。
スツールを運び出したかと思えば、そこにツムギを座らせる。その傍らで、なんとサンドリモンが膝をついた。それには吾輩もツムギもぎょっとした。
なにかを言う前に、サンドリモンの手がツムギの足に伸びる。
あれよあれよという間にツムギの靴は、光を反射する美しいガラスの靴に履き替えられた。
「わあ……!」
ツムギの目が、履いている靴と同じく輝く。何度かサンドリモンと自分の足を交互に見つめる。
サンドリモンは艶やかに微笑んで言った。
「ワタクシのデータは『シンデレラ』というニンゲン世界の童話から作られたモノ。なら、それに倣うのが道理ではありませんこと?」
「これ、わたしが貰っていい──んですか?」
「勿論ですわ。是非とも、受け取ってくださいまし」
「良かったではないか、ツムギ! うむ、よく似合っているぞ!」
「ありがとう、オメカモン!」
ああ、良かった。吾輩が心配しているようなことは起きなさそうだな。
うむ、このまま帰って、難なくアグモンとガブモンと食事が出来そうだ。
「良ければ、記念写真などいかがでしょうか? サンドリモン様の元へ来られたお客様はみな、写真を撮っていますし。しかも今回は特別なお品という訳で、撮っておかないと損ですよ!」
そんなハグルモンの誘いにも、もうなんの疑う余地は無い。
「うむ、ツムギよ。撮っておけば、元の世界に帰った時に自慢出来るぞ」
「うん!」
ツムギは大きく頷き、立ち上がろうとガラスの靴のまま床に足をつけた。
──すると。
ツムギを中心に空気が震え、波紋のようなものが広がった。
「……え──?」
吾輩は数回、瞬きをする。
波紋と認識していたものは当然ながら無い。僅かに見えた異変に、気付いた者もいない。
(気のせい、か……?)
「オメカモン」
ツムギに手を引かれ、疑問を一度、心の隅に置いておく。
「どうしたのだ、ツムギ」
「えっとね、ガラスの靴ってヒールだから、わたし、うまく立ち上がれなくて……」
「エスコートして差し上げて? 騎士の卵なのでしょう?」
ツムギの言葉に続いて、サンドリモンが要約してくれた。
エスコートとは、まさに騎士らしい行動の一つ! 俄然、吾輩もやる気が出てきた。
「では、お手をどうぞ、ツムギ姫?」
吾輩が手を差し出すと、ツムギも恥ずかしながら手を取ってくれた。ツムギを立たせて、ハグルモンが指定した場所まで一緒に進む。
そこで吾輩はツムギの足をまじまじと見た。美しく輝くガラスの靴。子供の小さな足には少し不釣り合いではと思い始める。
それに元はサンドリモンが愛用していた靴と聞くと、形が違う気がする。サンドリモンはガラスの靴と見立てた足を持つが、その先は鋭い。今ツムギが履いている靴のように、ヒールがある訳では無い。まるで最初からツムギの為に拵えたような感じがする。
「どうぞ、そこへおかけ下さい! サンドリモン様と、お連れの方はそれぞれ左右に!」
スツールより立派な椅子が、広間の中央にあった。
吾輩は注意深くツムギを椅子に座らせる。先ほどの異変は起こらず、ひとまず安堵する。
ツムギを真ん中にして、吾輩が向かって左側。サンドリモンが、その逆の位置に立つ。
「はーい、イイ笑顔を浮かべてくださいねー!」
ハグルモンがカメラを向け、シャッターを切った。
その時。──世界が、歪んだ。全てがぐにゃりと歪曲し、雰囲気が一変する。
「!?」
平衡感覚がおかしくなった訳ではない。今、まさに目の前で世界が歪み始めた。
見ているものの輪郭が僅かにぼやける。0と1、見慣れた二つの数字が交互に並んでは消えていく。
外はまだ明るいはずだ。城の中も煌々と明かりがついていたはずなのに、どことなく深い影を落としている。
「ああ、ありがとうございます。おかげで、イイ写真が撮れました」
ハグルモンが──否、ハグルモンだったデジモンが、カメラから出来上がった写真を取り出す。ハグルモンの時にはなかった、二本の指で挟みながら。
視界の端で、サンドリモンが慌てる様子もなく肩を竦めたのが見えた。
吾輩は考えるより、まず動いた。ツムギを抱え、一番距離が近いサンドリモンから離れる。
「オメカモン……」
体格差もあるからツムギをずっと抱えることが出来ず、ずり落ちてしまう。抱き直しながらも、視線は二体のデジモンから離さない。
「貴様、何者だ……っ!?」
「これは申し遅れました」
ハグルモンだったデジモンが一歩足を踏み出して、その全貌を露わにする。その容姿は、元の姿からは想像がつかない。デジモンの進化には多少なりとも、進化前の要素があるはずなのだ。
僅かな差はあれど、サンドリモンと同じくらいの身長。背中には四本の剣。出で立ちから、武人系デジモンのような使い方はしないだろうと思った。青一色で身を固めるサンドリモンとは対照的に、色とりどりの装飾品を身に纏った人型のデジモン。
「わたくし、ピエモンと申します。以後お見知りおきを」
胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
「こちら、先ほど撮影致しました写真です。記念にどうぞ」
持っていた写真を、こちらに向けて飛ばす。
吾輩の視線が、一瞬だけそちらに移る。その隙を、容赦なく突かれた。
ピエモンが背中から剣を二本抜く。素早く突進し、吾輩の両肩を刺す。こちらに出来たことと言えば、咄嗟にツムギを手放して凶刃から逃がしたのが精一杯だ。
吾輩の体は瞬く間に床に縫い付けられた。
「ぐっ!」
「オメカモン!」
ツムギが吾輩の元へ駆け寄ろうとする。それをサンドリモンが後ろから抱き上げて阻む。
「いやはや、あなた方には感謝しても仕切れませんね。この娯楽施設を作って、待っていた甲斐があった」
「なんの話だ……っ?」
「おや、ご存じないと? ニンゲンとは、デジタルワールドに歪みをもたらす存在なのですよ」
「は……っ!?」
吾輩どころか、ツムギも驚いて言葉を失う。
ピエモンはその様子を愉快気に眺めながら、言葉を続ける。
「その昔、デジタルワールドに存在していたメギドラモン。かの邪竜もニンゲンが呼び出したのです。勿論、かの邪竜を倒した英雄・オメガモンも、ニンゲンが呼び出した存在ではありますがね」
初めて、聞く話だった。
何故か納得出来たのは先ほど見えた波紋だ。あれが歪みだというなら、今のこの異様な状況も説明が出来る。
「と言っても実害ばかりではない。こうしてわたくしが進化出来たのも、ひとえにあのお嬢さんのおかげなのです」
「わたし、が……?」
「ニンゲンという存在は、デジタルワールドでは異物当然。ですが同時に、あらゆる理に干渉出来る存在ですので」
「早い話が、貴様のように成長期から、一気に究極体へ進化させることも、可能という訳か……っ。なら、もう用は済んだであろう。ツムギを放せ!」
精一杯低い声で言い放つも、ピエモンは悠然とかぶりを振る。
「いえいえ、そんな。まだその子供には山ほどの案件がございます。例えば、その子供がその気になれば、次元の扉も開く、なんてことも出来ましょう」
「なっ……!」
それは、つまり。
「お家に、帰れるの……?」
ツムギが確認するように聞く。
「あなたが、本当に帰りたいと思っていれば、あるいは」
妙に含みのある言い方だ。まるでツムギが帰りたくないというように聞こえる。
「ツムギ、そのデジモンの言葉など聞かなくても良い! 今吾輩が助け──」
吾輩は体を無理に動かそうとする。同時にピエモンが片手を振るった。次いで吾輩の腹部に痛みが走る。視線を落とせば、腹部に三本目の剣が突き刺さっていた。
立て続けにダメージを負い、体を構築しているデータが乱れ始める。
それはツムギの目にも見えていたようだ。サンドリモンの腕の中で暴れた。
「オメカモン! オメカモンッ!! やめて、やめて!! なにをすればいいの!? 言うこと、なんでも聞くから!」
悲鳴じみたツムギの声に、ピエモンの視線が吾輩から外れる。
「お話が早くて助かります。では早速、あなたには次元の」
上機嫌にピエモンが要件を口にしようとした、その時。
「コキュートスブレス!」
掛け声と共に氷河が奔る。
寸でのところでピエモンが上空へ飛んで逃げる。そこに狙いを定めたかのように、力強い一撃が飛び込んできた! 今ピエモンが所持しているのは剣一本のみ。それだけで受け止めようとしても、経験不足な立ち回りでは受け流すことも出来ない。
「うおおぉぉっ!!」
突然現れた何者かにそのまま勢いで押し通され、床に叩きつけられるピエモン。
氷河の合間から見えたその姿に、吾輩は目を見張った。
竜人型のデジモンだ。背中にある盾のマークは、かの騎士が肩に備えている盾と同じ物。三本の巨大な爪がサンドリモンを捉えた。
サンドリモンは、対峙するデジモンの爪の合間につま先を挟み、自分の体を捻った。そのままの勢いで相手を吹き飛ばすつもりなのだろう。
竜人型デジモンは身についた回転力を用いて、吹き飛ばされる前にサンドリモンの腕を傷つけた。
サンドリモンの手から、ツムギが零れ落ちる。
「ツムギ!」
吾輩と、正体不明の竜人型デジモンが同時にツムギの名を口にする。
ツムギを受け止めたのはそのどちらでもなく、また別のデジモンだった。全身が機械で出来た、四足歩行のデジモン。色から判断して、先程の氷河はこのデジモンの技だったのだろう。狼を思わせる体躯、その背中で、ツムギが小さく咳き込む。
とりあえず無事であることを確認出来て、吾輩は息を吐いた。
「大丈夫、オメカモン!?」
竜人型デジモンが、そう声をかけながら吾輩に近づいてくる。
誰何を問おうとその瞳を見た瞬間、吾輩はそのデジモンが誰なのかを悟る。人懐っこくて好奇心旺盛な目には、成長期の頃の面影があった。
「アグモン、なのか……? 何故ここに?」
「説明はあと! 今はここを抜け出そう!」
言うが早いか、アグモンであろうデジモンは爪を振るい、吾輩の体を縫い付けている剣を全て叩き折ってくれた。立ち上がろうとして思わずよろめく。見かねたアグモン(仮)が吾輩の体を軽々と抱き上げる。
「あら、どこへ行こうと言うの?」
静かに落ちた声は、明らかな怒気を含んでいた。
後ろを振り返れば、サンドリモンがあのネズミ達を多く従わせて立っていた。
「マナーもモラルもなっていないお客様だこと。悪い子には、少しお仕置きが必要ですわね……?」
サンドリモンが指を鳴らすと、ネズミ達が小さなカボチャの馬車に次々と乗り込んでいく。そして。
「──ノーブルファミリアーツ」
主人の冷たい一言と共に馬車は我々に向かって走り出した。
アグモン(仮)が吾輩を抱えて飛ぶ。対象に避けられても馬車は一直線に走り抜け、壁にぶつかる。次の瞬間、爆ぜる。規模は小さいものの、その威力は本物だ。あの馬車は立派な爆弾なのだ。
「ウォーグレイモン!」
ツムギを乗せたもう一体のデジモンが合流し、アグモンだったデジモンに呼びかける。
「メタルガルルモン、二人を頼む」
そう言ってアグモン(仮)もとい、ウォーグレイモンはメタルガルルモンの背に吾輩を乗せた。後ろでツムギが恐る恐る吾輩に触れる。
「オメカモン、大丈夫?」
「これぐらい、かすり傷だとも……!」
乱れたデータは時間が経てば、自然に回復する。
「二人とも、振り落とされないようにしっかり掴まってて!」
「ち、ちょっと待つのだ! どうせなら吾輩も加勢して……!」
「ダメ! オメカモン、ケガしてる! 絶対ダメ!」
駆け出そうとするメタルガルルモン。吾輩は身を乗り出して待ったをかけたが、瞬時にツムギに強く抱きしめられる。
そうこうしている内に、メタルガルルモンが走り出す。閉め切っていた城の、あの大きな扉を蹴破るように開け、外へ躍り出る。扉を潜った瞬間、また視界が歪んだ感覚を覚えたが、気にしている余裕も無い。
残されたウォーグレイモンが気になって、なんとか首を後方へ動かす。ツムギの肩越しから、城の中が見えた。
炎が燃え盛り、明らかに城内が燃えているのが分かった。そこからウォーグレイモンが飛び出してくる。見たところケガはなさそうで安心した。
どのレベルまで進化したのかはわからないが、サンドリモン相手で無傷であるなら同じ究極体なのだろう。
吾輩は決して埋まらぬレベルの差を感じた。自分も究極体であったなら、ツムギにあのような思いをさせなかったというのに……!
吾輩の体を抱きしめていたツムギが、より一層腕の力を強めた。うぐっ、ちょっと息苦しいのだ。
「オメカモン、お空、変……」
不安そうに、ツムギは呟く。
その言葉に吾輩は空を見上げ、──絶句した。
晴天だった空。実際は空に見立てたテクスチャだが、それが〝剥がれている〟。そこから空虚が、顔を覗かせていた。
異様と思っていたことが、思った以上に深刻な事態であることを、吾輩はハッキリと理解した──。
3
「さて、何から説明しよう?」
メタルガルルモンから退化したガブモンが吾輩達を振り返る。隣で、ウォーグレイモンもアグモンへ退化する。
吾輩達はサンドリモンの城がある山を一気に駆け下りてきて、テーマパークに戻ってきた。ひとまず近場にあった森林公園に身を潜める。
「そうだな。まずはそなた達が、どこまでこの状態を知っているのかを聞いておくべきだな」
吾輩の言葉にガブモンが神妙な面持ちで頷く。実は、と彼の口が開きかけた、その時。
ぐうぅぅ~~……。
「ごめん、ボク、お腹空いちゃって……」
アグモンが恥ずかしそうに頬を掻く。
ぐぅ、とまた腹の音が鳴る。ツムギからだ。
「ごめん、わたしもお腹空いちゃった……」
「そういえば、食事を共にする約束だったから、まだ何も口にしていなかったな」
たぶん、このままだと吾輩の腹も鳴る。
その前に、ガブモンの腹が鳴った。ガブモンは恥ずかしそうに自分の腹を撫でて一言。
「まずは、ご飯にしよっか」
◇
「この飲むゼリー、おいしいね!」
「キャップの部分を、こう、切り替えたら味が変わるよ」
「ホントだ! 今度はグラタンの味がする! すごいね!」
「オメカモンのそれ、食べづらくないの?」
「書いた口ではあるが、ちゃんと食事は出来るぞ」
ツムギはアグモンから渡された飲むゼリーを食している傍ら、吾輩はガブモンからクッキーを渡される。一口食べてみると馴染み深い味がした。
「ほう、これはおにぎりの味がするクッキーか!」
「色によって具が違うみたいだよ」
これがどの味で、と説明をしてくれるガブモン。
森林公園の近くに飲食が可能な屋根付きの休憩所を見つけ、そこで一旦腹ごしらえをする事となった。
肝心の食べ物はと言うと、アグモンがくれたのだ。あの時、土産屋から買っていたのは全て食べ物だったようで、快く分けてくれた。
驚いたガブモンが「明日は地震が起きるかも」と小さくぼやいていたが。
「オレ達、ここには仕事で来てたんだ」
一通り食べ終わり、それぞれが一息ついた頃合いで、ガブモンが話し始めた。
「仕事とな?」
「このテーマパーク、よく出来てるだろ? ニンゲン世界の物を真似て造ったにしては、クオリティが高すぎる。そういう所って大抵あるんだ、〝バグ〟が」
「バグってゲームとかやってると、動かなくなったり、止まっちゃうアレ?」
ツムギが聞けば「そう、それ」とガブモンは頷いた。
「ツムギ、物知りだね~」
「えへへ……、お父さんとお母さんが、ぷろぐらみんぐ? のお仕事してるの!」
吾輩はその時、初めてツムギ自身に関することを聞いた。そういえば出会ってから、吾輩はツムギを帰す事ばかりで互いのことなど碌に知らない。
吾輩の視線に気づかないまま、ツムギはアグモンとの話に夢中になっている。
「ボクとガブモンはね、それを見つけて直す仕事をしてるんだよ」
「すごーい! バグって、なかなか直らないって、お父さんが言ってた」
「ニンゲンは、なんか難しい数字とか文字とか睨めっこして直すんでしょ? ボク達は直接直しに行けるけど」
「アグモン達がいてくれたら、お父さん、きっと……」
ツムギの言葉が不自然に止まる。見ると何か悩んでいる様子だ。視線を泳がせて、体ごと左右に揺らす。そうして悩んだ末に、ようやく言葉を続けた。
「きっと、喜ぶと思うな~」
長らく悩んだ割に、短い。喜ぶという言葉が見つからなかったのか?
「そうかなぁ? えへへ、照れちゃうな~」と照れるアグモン。
似たような性格だからか、ツムギとアグモンが一気に仲良くなっている。む、むむむむ……。
「しかし、わざわざそなた達が目を光らせるものなのか?」
話題を戻したのは決して羨ましいとか悔しいとか、そういう訳では無い。うむ、違うとも。
こちらの事情など知らず、ガブモンは難しい顔つきのまま答えた。
「確かに、バグなんて身近過ぎて一々気にも留めない。でも、そのまま放置してると、遅かれ早かれ大事件に発展するんだ」
お茶を飲んで小休憩を挟み、また続きを話す。
「バグって広がるんだよ。そうなってくると、今度は歪みが発生しやすくなる。いや、逆なのか? 歪みが発生してるから、バグが起きやすいのか……」
「歪みも関係してるのか?」
「まあ、似たようなものだからね」
「どう違うの?」
「え」
ツムギが聞くとガブモンは一瞬固まった。それから腕を組んで、更に難しい顔を浮かべる。
ついでに吾輩も一緒になって考えたが、良い説明が見つからない。
「オレ達の中じゃ当たり前のものだから、それの違いをいざ聞かれると難しいなぁ……歪みも小さすぎたら、バグみたいなもんだし……」
ガブモンの言う通り、バグと歪みは似ている。
それを簡単に説明……。
「バグは石で、歪みは地面だよ~」
ごく自然とした流れで、そう説明したのは、なんとアグモン。
「ほら、石って積み重ねたら地面になるでしょー? バグも広がったら歪みになるもん。地面から石が転がって他のところに行っちゃうこともあるから、それが歪みからバグが出ちゃうってことー」
「へえ、そうなんだー」
「ニンゲン世界は定期的に道を綺麗にするんでしょう? ボク達がやってるのは、つまりそれなんだー」
「お掃除してるんだね!」
実際はもっと複雑なのだが、アグモンの説明は概ね合っていた。
ガブモンの方をチラリと見る。相方が上手く説明した事に驚きを隠し切れないらしく、唖然と顎を落としていた。アグモンには申し訳ないが吾輩も同じ気持ちである。
コホン、と落ち着きを取り戻したガブモンが一つ咳払いをする。
「どっちにしろ、大変になるのはそれを利用する奴がいるってことなんだ。なんせ、本来であれば出来ないことが簡単に出来ちゃうからね」
そこで吾輩はハッとなった。脳裏にハグルモンがピエモンに進化した光景が蘇る。
「では、ハグルモンが進化出来たのも……」
「バグを使った不正進化だろうね。オレ達は、それをチートって呼んでる」
「チートって、ズルいことして勝つことでしょう? よくゲームの大会とかで、チートが出たからダメになったーとか聞くよー」
ツムギが補足を付け加えてくれるおかげで、事の重大さがより鮮明になってくる。
「問題のバグ、ないしは歪みは、どう見つけるのだ? はっきりとした形であれば、我々も手伝うが」
吾輩の言葉にツムギも、うんうんと頷く。
助けてくれた礼もせずでは騎士道に反する。そう思って提案したのだが、ガブモンはまたも渋い顔をした。
「オレ達もまだバグを見つけられてないんだ。バグに決まった形はないしね。一応、目星はつけてはいるんだけど……」
「その目星とは──」
「ねえねえ、オメカモン」
突然ツムギが吾輩を軽くつついてきた。
吾輩は一旦言葉を止めると。ガブモンからツムギへ視線を移す。
「どうしたのだ、ツムギ?」
「ここ、わたしたち以外誰もいないね?」
吾輩はふと、周りを見渡した。
色んなアトラクションが密集している場所に比べれば、今我々がいる森林公園は静かだ。そこが売りなんだろうが、如何せん静か過ぎる。デジモンの一体、見当たらないのはどういうことだ?
「もしかして、今テーマパークにいるのは、我々だけか?」
勘違いであれば良いと思っていた吾輩の希望を、しかしガブモンが容赦なく砕く。
「空間が歪んで、位相がズレてるからね。今この空間にいるのはオレ達だけだよ。実際はちゃんとテーマパークには他のデジモン達もいるし、何も起きてない。平和な時間が流れているはずだ」
「あー、すまんガブモン、もう少し砕いて説明してくれ。ツムギが全く理解していない」
ツムギを見ると、目を丸くして固まっていた。頭からプスプスと煙のようなものが上がっているのが見える。しばらくして、ゆっくりと首が傾く。瞬き一つしていないのも相まって、ものすごく怖い。
「大丈夫だよ、ツムギ。ボクも全っ然わかんないから!」
そう言って、アグモンは笑顔で手を振る。いやいや、アグモンそなたは解っていてくれ!?
急きょガブモン先生による分かりやすい説明会が始まった。
「分かりやすく言うと、オレ達はテーマパークにそっくりな別世界に来てるの」
うんうん、とアグモンとツムギが相槌を打って聞く。
「はい、ガブモン先生!」とツムギが元気よく手を挙げる。
「はい、ツムギ」
「どうやったら帰れるの?」
「たぶん、何処かに元の位相──ゴホン! 元の世界に戻れるゲートがあるはずだから、それを探すんだ。ゲートと言っても、扉の形をしている訳じゃないから、ちょっと分かりづらいかもしれないけど」
うんうん、とアグモンとツムギがもう一度相槌を打って問いかける。
「はい、ガブモンせんせー!」とアグモンが元気よく手を挙げる。
「はい、アグモン」
「探すっていっても、ここは広いよ? 何かヒントはないの?」
「そういうのは、最初に空間が歪んだ場所を中心的に探せば、見つかるって相場が決まって……」
そこでガブモンの言葉が急に歯切れが悪くなった。毛皮の下に隠されている顔が、見る見るうちに青ざめていく。
「オメカモン」
何故か吾輩が呼ばれた。
「どうしたのだ?」
「きみが最初に空間の歪みを見たのって、サンドリモンの城、だよね?」
「ああ、そうだが?」
「ああああぁぁーだよねぇえ!!」
急に大声を上げたと思ったら、テーブルに突っ伏したガブモン。
予想だにしていなかった奇妙な言動に、さすがの吾輩も驚く。な、何事だ?
「ガブモン、どうしたの?」
「お腹、痛いの?」
アグモンとツムギもそれぞれガブモンを心配する。
ゆっくりと顔を上げたガブモンは、次に手を挙げた。震えながら、ある方向を指し示す。
「ここからでも、サンドリモンの城が見えるはずなんだ。ちょっと見づらいけど。でも、あれ、どう見えてる……?」
(見えるにどうも何もないと思うが……)
そう思った吾輩は促されるまま、ガブモンが指す方を見る。先ほどまでいた山が見え、その天辺には豪華な城が……。
「は……?」
自然と、そんな声が零れる。
吾輩のマネをして、ツムギも同じく城を見上げる。なかなか見えないからか、目を細めたり、丸く囲った手を両目に宛がったりして見方を変えている。
「なんかもやもやして、見えづらいね~。見えづらいの、ここだからかな、オメカモン」
「いや、それはたぶん……違うぞ、ツムギ」
吾輩はかろうじて、そう答えるのが精いっぱいだった。
〝見えづらい〟の意味が違う。
確かに城は見えている。──が。
「揺れている」
城は揺れていた。ゆらゆらと。その存在自体が、まるで幻影であることを示すように。
砂漠地帯では蜃気楼なる現象があるという。あれは、その現象に近い。
(ん? ということは……)
ある結論に達して、吾輩はぞっとした。ガブモンが突っ伏したのも分かる。出来るなら吾輩も頭を抱えて、突きつけられた現実を放棄したい。
(あの時感じたのはこれか──!)
城を出た時に感じた違和感。その正体を知る。
その現実が嘘かどうか確認するため、吾輩は聞いた。
「ガブモンよ……あの城、もしかしなくとも、空間がズレてたりするのか? ひょっとしなくとも、あの場に無かったりするのか?」
両手で顔を覆っていたガブモンは、ゆっくりと。
「うん」
──頷いた。
「なななななななんだとおおぉぉぉぉぉっ!?」
今度は、吾輩が叫ぶ番だった。
4
キラッ。吾輩の目は、輝くそれを目ざとく捉えた。
「見つけたのだー!!」
迷わずそれに手を伸ばす。パシッ。ふむ、硬い感触。
今度こそ、今度こそ探し求めていた物が見──。
「空き缶ではないか!!」
見つかったのは、ただの空き缶。これで何回、いや、何本目だ。あと緑豊かな公園を汚すでない、罰当たりめ。
吾輩はそれを、近くにあるゴミ箱にきちんと入れた。
さて。いきなりゴミ拾いを始めたのは理由がある。目的はゴミではなく別の物だが。
『城に行けるカギは、たぶん、テーマパークに散らばってるガラスの靴だ』
なんとか冷静さを取り戻したガブモンが、現状打破の為に言った言葉。
それから続けざまに始まった、第二回ガブモン先生の簡単な説明会。ざっくり言うと、こうである。
元々ガラスの靴には空間を無視して移動する力があるらしい。誰の能力かと言えば、当然考え着くのは靴の持ち主であるサンドリモンだ。だからこそ城に行けるという説明は納得がいくのだ。
問題は、ガラスの靴の所在だ。宝物探しの要領で置かれているので、そう簡単には見つからないとの事。
吾輩達はすぐに見つけてしまったので、どれだけ貴重なのか分からない。聞けばガブモンは深刻そうに、アグモンは興奮気味にそれぞれ答えた。
『千体のデジモンの内、一体が見つけられるぐらい』
つまり千分の一でようやく見つけられる物を、我々はあっさり見つけたのだ。仕組まれていたかどうかは別として。
「全っ然、見つからん……!!」
忍耐力に自信があった吾輩であるが、少しみくびっていた……!
手始めに森林公園から探すことになり、──結果は御覧の通り、空き缶ばかりが見つかる始末。
吾輩はその場に座り込み、見える範囲に視線を巡らせた。
さすがに、みなで同じ場所を探すのも効率が悪い。視界に誰かしらが入る距離感で、バラバラに捜索している。
吾輩の視界にはツムギがいた。こちらの視線に気づくと、呼ばれたのかと思ったのか、近づいてくる。
「オメカモン 、どうしたの? 疲れた? ケガ、痛むの?」
しゃがみ込んだ吾輩を見て、ケガが痛んだのだと思ったらしい。容態を聞いてきた声は、少し不安そうだった。
表情豊かなツムギを見るのは好きだが、悲しそうな顔は苦手だ。胸辺りがキュッと締め付けられる。
「そのような顔をするな、ツムギよ。ケガは大丈夫なのだ。さきほどの食事で治ったから」
「ほんと? 痛かったら、ムリしないで言ってね?」
「ツムギこそ、どこもケガをしておらんか?」
「わたしは大丈夫。ずっとオメカモンが守ってくれてるから」
ツムギは捜索を再開することなく、吾輩の隣に腰を下ろした。
そのまま、互いに何も喋らず、沈黙が落ちる。
吾輩はなんとなく気まずさを感じて、空を仰いだ。
相変わらず空のテクスチャは剥がれたまま。その後ろで、0と1が規則的に並んで星のように瞬いている。背景が黒く濁っていなければ、綺麗な星空だなと言えたというのに。
「……ねえ、オメカモン」
遂にツムギの方から声をかけてきた。
別にやましいことをしている訳でもないのに、思わず身構えてしまう。
「オメカモンも、アグモンやガブモンみたいに姿が変わるの?」
姿が変わる……ああ、進化のことか。
「今のところ、姿を変える手段は持ち合わせておらぬのだ。吾輩は今まで進化をしたことがないからな。今も出来ぬ」
「どうしたら、できるの?」
「うーむ……」
腕を組んで考え込む吾輩。
そう改めて言われてみると……はて、進化できる条件とは?
「やはり、危機に陥った時とか。まあ、先ほどそこそこ危険な状況だったのに、進化しないということは、足らんのだろうなぁ。あれ以上となると、本当に命の危機に瀕した時ぐらいしかチャンスはなさそうだな。進化出来るか確証は無いし、一歩間違えれば死ぬ。危険な綱渡りだな。ハハ、ツムギはマネをしてはならんぞ?」
個人的には笑い話のつもりだった。
しかしツムギを見れば、笑うどころか、怒っている。いや、眉は下がっている。どちらかと言えば泣きそうなのか? でも目はキツく吊り上がっているし……んん?
「ツムギ──」
「オ、オメカモン!」
「ツムギー!」
吾輩の声に被さって、ガブモンとアグモンの声が届く。声色から、なにやら焦っている様子が感じ取れた。まさか、念願の探し物が見つかったのか!?
吾輩は二体の声が聞こえた方を向いた。慌ててこちらへ走ってくる二人が見えた。おおっ、思いのほか早く見つかった!
「そんなに慌てなくとも、吾輩達は逃げぬぞー?」
土煙を上げるほど全力疾走をしている二体に、声だけで笑いかける。すると二体から返ってきたのは、予想だにしていなかった言葉だった。
「違う違う!!」
「早く逃げてー!!」
え、と吾輩もツムギも目を丸くさせる。
距離が縮まってきたことで、次第に土煙の正体がハッキリと見え始める。目が、沢山あった。一見ホラー的な見た目だが、そのデジモンには見覚えがある。──ハグルモンだ。しかも大量の。
そのまま横に逸れれば避けられたものを、吾輩は二体に倣って一緒に走り出す。
「何事なのだ!? この大量のハグルモンはなんなのだ!? 姿も微妙に違うが!?」
「Xデジモンだ!」
走りながらガブモンが答える。
「バグから生まれたバグデジモンだよ! 元のデジモンのデータを弄ってるから、いつもより能力を底上げされてる!」
「つまり!?」
「成長期だけど、成熟期並みに強い!!」
「なぬー!?」
吾輩はハッとなった。アグモンもガブモンも、今は成長期。この場で成熟期は吾輩だけだ。
「ようやく吾輩の出番なのだな!」
立ち止まり、迫ってくる大量のハグルモン達と向き合う。そして背中に背負っていた身丈ほどのペンを取り出し、ハグルモンに向けて投げる!
「ラクガキロケット!」
ペンはハグルモン達に直撃し、様々な色で周囲を満たす──はずだった。
なんと吾輩が投げたペンはハグルモン達をすり抜けて、地面に突き刺さってしまった。
呆然と立ち尽くしている吾輩を、アグモンとガブモンが両腕を抱えて走る。
吾輩はガブモンを仰ぎ見た。
「どどどどういうことなのだ、あれは!?」
「Xデジモンは存在自体がバグだから、ある程度の攻撃は受け付けないんだ! ついでにどんな物でもすり抜けちゃうから、障害物にぶつかることもない!」
ハグルモン達の方に視線を戻す。横に広がるように展開している大量のハグルモン達は、周囲の木々を無視して突き進んでいる。
「そなた達は今までどうやって倒してたのだ!?」
八つ当たりみたいな吾輩の質問にアグモンが答える。
「もちろん、進化して! 究極体の攻撃は、さすがに受け付けるみたいだからー!」
ここでも進化かー!
こうなってくると進化出来ない辛さがとことん身に染みるな!
「うわっ」
アグモンが小さく声を上げて足を止める。ガブモンもすぐに立ち止まった。
吾輩は二体から腕を抜き、態勢を整える。それから二体の間から顔を覗かせ、急に止まった理由を知る。
行き止まりだった。眼前には隙間なく見える建物の数々。落下を防ぐ為に設けられた柵に手を置き、身を乗り出して下を見る。
屋根が見えた。サイズから察するに、建物自体もそこそこ大きいはずだ。
後ろを振り向き、ハグルモン達との距離を測る。遠目から見たら、巨大な黒い塊に見える。暗闇から覗く複数の目は、やはりホラー過ぎてて怖い。
また下を覗く。
高さとしては、飛んだら確実に屋根を突き破るだろう。さすがにデータが乱れるほどのケガは負わんはず。
「ガブモンよ、あのハグルモンの群れ、飲み込まれたらどうなる?」
「たぶん、データに浸食していくから、破損どころか完全に破壊されると思う。もしくはバグデジモンになるか」
「そうか。ならば、迷ってる暇などあるまい!」
言いながら吾輩は勇気を出して柵を飛び越えた。
「オメカモン!」
アグモンとガブモンの声が、背後から聞こえる。
視界の端で二体の体が光り、見る見るうちに姿が変わっていくのが見えた。アグモンはウォーグレイモンに。ガブモンはメタルガルルモンに。ああ見ると、やはり羨ましいと思う。
こんな状態でも進化出来ない。
何故だ、何故進化出来ぬのだ?
先ほどのツムギの表情が浮かび上がる。
進化出来て強くなれば、ツムギも安心させられたのに。あのような顔をさせずに済むというのに。
数秒後に襲ってくるであろう痛みを覚悟して待つ。吾輩の体が屋根に触れ、──そのまま、すり抜けた。
直後、またも世界が歪む。
空虚な空間で、0と1が星のように散らばる。あったはずの浮遊感が消えた。
瞬き一つすると、目の前にはツムギがいた。何かを喋っているようだが、何も聞こえない。
自分の口(実際はないが感覚的なもの)が勝手に動く。操られている感覚に似ているが、誰かに操作されているような不快感は不思議となかった。
『ツムギ、我儘を言うなっ!』
やっと聞こえたと思ったら、吾輩の怒号だった。
ツムギが大きく見開いた目で、吾輩を見つめる。傍から見ても分かるほど、その目は潤んでいる。瞬き一つした途端に大粒の涙が零れるだろう。ついでに、暫く泣き止まないことも予想がついた。
吾輩が気まずそうに視線を伏せる。
『ツムギ、吾輩はその……』
『……らい……』
ポツリと返ってきた言葉。
こちらが聞き返す前に、ツムギが吾輩を睨む。そして大きな声で告げた。
『オメカモンなんて、だいっっきらいっ!!』
そうして暗闇へ駆け出すツムギ。
吾輩はその背中を追えなかった。遠ざかる小さな背に向かって手を伸ばすことしか出来ない。それ以上は、望んではいけない気がしたのだ。
(あの子は、無事に帰れるだろうか。あの子は目を離すと、すぐに迷子になってしまうから……)
ならば見届ければ良いのにという気持ちに、そっと蓋をする。
これからやらねばならぬ事が、あったから。
──そうだ。奴が来る。世界を滅ぼす、あの災厄が。
吾輩が振り返った先に、奴はいた。
巨大な影、その姿は飽きるほど見た。お伽噺で聞き、ツムギと共にあのアトラクションで見た、それは。
「──オメカモンッ!」
ウォーグレイモンの声に、吾輩は意識を引き戻される。
屋根を突き破って建物の中が眼前に広がる。しかし、不思議と足は床についておらず、宙を掻いている。腕が片方、上へ引っ張られていたからだ。
頭上を仰ぐと、ウォーグレイモンが吾輩の手を引っ張って、引き上げようとしてくれている。
吾輩を屋根へ引き上げてから、ウォーグレイモンはアグモンに退化した。
「オメカモン、大丈夫?」
「吾輩は大丈夫だ。ケガもないぞ?」
「良かった。何回か呼びかけても、全然返事がなかったから心配したよ~」
「……吾輩は、ずっとあそこにいたのか?」
聞くとアグモンは不思議そうな顔を浮かべた。そして、うん、と頷く。
(あの光景はバグが見せた幻覚なのか……?)
それにしては。
(初めて見た感じが、しなかった……)
吾輩が思考を巡らせている間に、メタルガルルモンが屋根に着地する。それからすぐにガブモンに退化した。
「とりあえず、ハグルモン達は一掃出来たよ」
「お疲れさまー、ガブモン」
「ところでオメカモン、ツムギは?」
「え……?」
我ながら間の抜けた声が出た。
そこで吾輩は改めて辺りを見回し、ツムギの姿を探した。てっきり一緒に逃げているとばかり思っていたが。
──いない。
デジモンに血などないが、気分はまさに血の気が引いた感じだ。
まさか、あのハグルモンの群れに飲まれたのか!? ニンゲンがあの中に入ったらどうなる? データが破壊されるのは、さすがにデジモンだけだ。いや、ニンゲンの体もデータで構成されているはず。バグが起きて壊れるのは当然だろう。
気が動転した吾輩はふらふらと崖に近づくと、そのまま登り始めた。
「お、落ち着いてオメカモン!」
「ツムギなら大丈夫だよー!」
ガブモンとアグモンが慌てて止める。
「迂回して上に戻ろう」
「きっとボク達がご飯食べたところで待ってるよ」
返す言葉も見つからず、ただ小さく頭を動かすことしか出来なかった。
◇
休憩所に戻って来てもツムギの姿はなかった。近くでガラスの靴を捜索している気配もない。
探し物そっちのけで、我々はツムギを探し始める。
「ツムギー! どこにおるのだー、ツムギー!」
自然が生い茂っているとはいえ、木々の間は開けているし、茂みの背も低い。ツムギぐらいの大きさならば、すぐに目に付くというのに見つからない。
吾輩は一縷の望みをかけて、ハグルモンに追われる前まで共にいた場所に向かった。
「ツムギ……っ」
ツムギから預かっているカーディガンに触れ、祈る。
頼む、いてくれ。
迷子になっていた時と同じように、何食わぬ顔で、笑顔で吾輩の名を呼んでくれ。
果たして、ツムギの姿は──無かった。
「………………」
吾輩は悄然と膝を突いた。
その時、茂みの中にキラリと光るものを見つけた。あれはガラスの靴か……?
そういえばツムギは貰ったガラスの靴を履いたままだった。もしかしたら避けた拍子に、茂みの中に沈んでしまったのかもしれない。
そんなことはない、と頭の中で否定していても、確認せずにはいられなかった。
「ツムギ……!」
ガラスの靴を手に取り、感触を確かめる。
手を通して感じたのは硬い感触だけだ。ヒトの重みも感じられない。腕を動かせば、靴は意図も簡単に茂みから取り出せた。
「こっちにはいなかった! オメカモン、そっちはどう!?」
後ろからガブモンの声がする。
振り返った途端、二体は吾輩が手にしている物を見て愕然とした。アグモンが声を上げる。
「それ、ガラスの靴? え、今見つかるの!?」
「いや、これはツムギが履いていたものだ」
「まさか、その靴を使って、サンドリモン達は!」
その事実を口にするのは憚れたが、残されたガラスの靴がそれを決定づけている。
吾輩は強く噤んでいた口を動かし、言う。
「……ツムギを連れて行ったのだろう……」
長い沈黙が落ちた。
アグモンもガブモンもかける言葉が見つからず、互いに顔を見合わせて当惑している。
その内、ガブモンが申し訳なさそうに言い出す。
「ゴメン、オメカモン。オレの確認不足だ。サンドリモンが、能力を使うタイミングを決められるなんて、思わなかった……!」
ガラスの靴を探す前に、ツムギは貰ったガラスの靴はどうかと申し出ていた。ガブモンは少し考えていたが「贈られたものなら、効力はないかも」という結論を出し、その靴を使うことはなかったのだ。
あの時、使う選択肢を取っていたら、少しは違っていただろうか。
いや、主導権は元々相手が握っている。どちらにしろ、我々では使えなかったのだ。
「ねえ、そのガラスの靴、使えないの?」
「無駄だよ、アグモン。能力自体が、向こうの好きなように発動できるようになっているんだ。他にガラスの靴を見つけたとしても、使えない……」
「それじゃあ、ツムギを助けに行けないよ!」
「わかってるよ! オレだって、助けに行きたいよ! でも、空間を無視して移動する方法なんて、他にないし……それこそバグでも使わない限り、無理だよ!」
険悪なムードになってしまった二体を止めなくては──。そう思いながらも、吾輩は持っていたガラスの靴に視線を移した。バグを使えば、あるいは……?
気づけば吾輩はガラスの靴に触れていた。靴のデータを展開し、データを組み替えていく。
吾輩が取った唐突な行動に、険悪なムードだった二体が目を丸くさせる。
「オ、オメカモン?」
「それってまさか、チート──」
ガブモンの言葉を遮るように、またあのハグルモンの大群が我々の周囲を取り囲む。数は先ほどの倍以上だ。迫りくるその様は、もはや壁と相違ない。逃げられそうな場所も隙も無さそうだ。
瞬時にアグモンとガブモンは進化した。互いに背中を合わせて臨戦態勢に入る。
ハグルモン達が一斉に我々に飛び掛かる。その時、吾輩の手元でカチッ、と音がした。次の瞬間、景色は一変する。
緑豊かな公園だったのが、一瞬にして硬質な広い室内へと変わった。壁や床を彩るのはガラスだ。よく磨かれているガラスが吾輩達を映し出す。そこが城の中だと理解するのに、時間はかからなかった。
そして、その城の主こそは──。
「あら、あの時の運のいいお客様と、マナーがなっていないお客様じゃありませんこと?」
涼やかな声音と共に、暗がりから無数の赤い目が光る。
吾輩は、目の前で優雅に足を組んでこちらを見下ろしている、まさしく女王様然なデジモンを睨むようにして見る。
「サンドリモン……っ!」
To Be Continued
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あとがき等は次の投稿にて。