
日の光が優しく暖かい、穏やかなある日のこと。
デジモンの派遣会社、ハッピーワークに所属するデジモン達は、寮にある食堂に集められた。
「お集まりいただきありがとうございます。今年も健康診断の季節になりました」
ハッピーワークの社員である園田はそう言うと、紙を皆に配った。
それは問診票と健診について詳細に書かれている書類であった
デジモン達は、もうそんな季節かと頷いていた。
「また健康診断を受けるのか?」
デスメラモンは、研修中に受けた健康診断を思い出した。
「はい。我が社では年に一回、人間の我々は勿論、デジモンさんにも健診を受けていただいております。皆さんの健康状態を管理するのは会社の義務ですので。また、デジモン研究を進める為に、身体状態のデータは必要です」
「研究……か」
「研究といっても、デジモンさんを解剖したりはしませんのでご安心ください」
そう言って園田はくすりと笑った。
ハッピーワークで働き始めてから数週間経ったが、デスメラモンは園田という職員がよくわからないでいた。
物腰が柔らかく面倒見の良い、優しい「いい人」だというのはわかるのだが、時々ひやりとする言葉を言ったりもするので、いい人と言い切れない不思議な人だと感じる。
そう思っていると、園田はデスメラモンを見て微笑んだ。
心の内を見透かされた気がして、デスメラモンは目を逸らし、配られた書類に目を移した。
デジ文字で書かれた書類には、身長等を記入する欄と、デジモンの研究の為に診断結果を提出することに同意するかどうかを選ぶ欄があった。
「診断結果を提出する義務はありませんので、拒否していただいても構いません。同意された場合でも研究資料としてのみの扱いで、個人のプライバシーに触れることはありません」
「ぷらい……?」
「『あなたの私生活を暴くことはありません』ということです」
「そうか」
特に断る理由はないので、デスメラモンは同意の欄に丸をつけた。
「場所は今日配った書類に記載してありますので、問診票を忘れずに持ってきてください。時間厳守でお願いします」
園田がそう言うと、デジモン達ははーいと返事をした。
返事を聞いて園田は微笑んだ。
「健康診断があるの?」
「ああ」
香奈の問いに、デスメラモンは床を拭きながら言った。
家政夫として本庄家へ通うのも慣れてきて、その日も小学校から帰ってきた香奈を迎えたデスメラモンだった。
「来週の水曜日にな。だからここに来るのが少し遅くなる」
「うん、分かった。健康診断ってことは、デジモンさんも身長測ったりお医者さんに診てもらったりするんだよね?」
「ああそうだ」
香奈はおじさんが神妙な顔で聴診器を当てられる場面を想像してにへへと笑った。
「おじさん身長伸びてたらいいね」
「そうだな」
デジモンの成長は人間とは違うが、もしかしたら背が伸びているのかもしれないと、デスメラモンは少し期待したのだった。
そして健診当日。
場所はハッピーワークの寮から電車で三駅乗った所にある市立病院であった。
院内ではハッピーワークで働いているデジモン達が列を作っていた。
毎年行われているので、看護師も受付の職員も慣れた様子で案内をしている。
デスメラモンも列に並び、順番を待った。
列は少しずつ前に進んでいき、次はデスメラモン、という時だった。
「いやでぃすううう!」
何処かから変な語尾の叫び声が聞こえ、デスメラモンが声のした方を向くと、テリアモンが勢いよく走ってきた。
そしてその勢いのままデスメラモンの足にしがみついた。

「テリア先輩!」
少し遅れて、ハッピーワークの社員である玄田が小走りで近づいてきた。
「先輩、お医者様が待っていらっしゃるので……手を離してください」
「いやでぃす!いやでぃす!歯医者さんいやなのでぃす!」
テリアモンはデスメラモンの足にしがみついて離れようとしなかった。
「テリア先輩、デスメラモンさんが困ってらっしゃるので……」
「いやでぃすうう!!!」
玄田はテリアモンを引き離そうとするが、テリアモンは小さい手に似合わぬ強い力でがっちりと足を掴んでいた。
「歯医者さんは怖いのでぃす……ボクの歯をガリガリするのでぃす……」
「それはテリア先輩が歯磨きをしないから、虫歯が出来てしまったので……」
玄田が言うと、テリアモンはむうと膨れっ面になった。
玄田は少し考えると、テリアモンに優しく話しかけた。
「わかりました。先輩がちゃんと歯の健診を受けたらご褒美をあげます」
「そんなのにボクは釣られないのでぃす!」
「ご褒美は、三丁目の駄菓子屋さんでお菓子買い放題です」
「買い放題!」
テリアモンは少しだけ手を緩めたが、再び渋い顔になった。
「買い放題なんていらないのでぃす!」
「本当にですか?うまうま棒にレタスさぶろう、冷たいアイスにチロリチョコが買い放題ですよ?」
「うっ……」
テリアモンはそわそわとし始めた。
「本当に買い放題でぃすか?」
「はい」
「ノッポも買っていいのでぃすか?ぎゅうにゅうキャラメルもでぃすか?」
「勿論です」
それを聞いたテリアモンは嬉しそうに飛び跳ねた。
「おかし、おかし、買い放題!」
「じゃあ行きましょうか」
「いくのでぃす!」
この後、テリアモンの叫び声が辺りに響き渡った。
「うむ……特に異常はないようだ」
聴診器を胸から離すと、医者はさらさらとカルテに何かを書き込んだ。
「デジコアにもニンゲンの心臓のように鼓動があるのか?」
「いや、音はしないから、鼓動はないだろう。だが……」
「だが?」
医者の言葉が気になり、ついそう問うと、医者はペンをくるりと回した。
「鼓動とは違う微弱な何かを感じる」
「それが何かはわからないのか?」
「わからん。だから『何か』なんだ」
「そうか……」
デジコア……電脳核がどんな形でどのような働きをしているのか、デスメラモンはよくわかっていなかった。
デジモンの進化の仕組みさえ、何故か出来たという感覚で、身体に何が起こったのか彼自身もわからなかった。
「デジモンの体内については未だ研究が進んでおらん。デジモンは死体が残らない。死ねば消えてしまう。だからデジモンの臓器がどうなっているのか調べるには、生きている状態で解剖せねばならん」
「生きている状態で…」
デスメラモンは背筋がぞわりとした。
「だが、それは禁じられている」
「それはホウリツとかいうやつでか?」
医者は腕を組んだ。
「まあ法律もそうだな」
「あんたは気にならないのか?」
「私は気になる。そりゃあもう許されるなら今すぐ君を解剖したいくらいにはな」
そう言って医者はにやりと笑った。
「これは人間の倫理観の問題だ」
「りんり…?」
「ヒトとして、してもいいことと悪いことの線引きのようなモンだ。殺人はしてはならない、というのは法律以前にしてはいけないと認識されている。良心、と言ってもいいかもしれん」
「良心、か……」
自分の中にも良心は存在するのだろうか。
デスメラモンは、デジコアがある筈の胸に手をあてた。
その時だった。
「大変です!誰か来て!」
部屋の外から助けを求める声がして、デスメラモンと医者は立ち上がって扉を開けた。
外では病院に来ていた患者やデジモンが、何があったのかと騒めいていた。
デスメラモンは声の主である看護師に声をかけた。
「一体何があったんだ?」
「デジモンさんが診察中に進化して、診察室で暴れているんです!」
「本当か⁉︎」
「あちらの部屋です!」
看護師が指差した方向から音が聞こえ、デスメラモンは混乱する人々やデジモン達を横目に、音のする診察室に向かった。
中は机や診察台、本棚が倒れており、その影に隠れるように何者かの気配があった。
デスメラモンが部屋に入ろうとした時、彼の前に園田が割り込んだ。
「ここは私に任せてください」
「だが……」
「大丈夫です」
心配気なデスメラモンに、園田は微笑んで言った。
「あの子には力技ではなく話す方がいいですから」
園田は部屋に入ると、しゃがんで優しい声色で言った。
「大丈夫ですか?何かありましたか?」
隠れているデジモンは、ちらりと顔を出してすぐに引っ込んだ。
「安心してください。私しかいませんよ」
デジモンは恐る恐る顔を出した。
隠れていたのは、青いヘルメットを被ったデジモン、カメモンだった。
「何があったんですか?」
園田の優しい声に、カメモンは小さな声で話し始めた。
「ぼく、さっきまで小さかったのに、お医者の先生がチョウシンキをぼくの体にあてたら、進化しちゃったの……」
「そうでしたか……」
カメモンは怯えるようにヘルメットを押さえた。
「どうして進化したかわからないけど、先生も看護師さんもびっくりしてて……ぼくもびっくりして……そうしたら怖くなったの」
「それはどうしてですか?」
「ぼくがぼくじゃなくなったみたいで、よくわからないけどとっても怖くなったの……だからぼくが隠れられる場所を作って、誰も近づけないようにして……」
「それでこの部屋を……」
カメモンはぐすぐすと泣き始めた。
「怖いよ……ぼくって何?ぼくはどうなっちゃったの……?」
泣くカメモンに、園田は一歩近づいた。
「君は君ですよ。大丈夫」
「ぼくはぼく?」
「ええ」
園田は手を胸にあてた。
「私は私、園田という存在。たとえ姿が変わっても、私の一番大切な部分は変わりません。それは君も同じです」
「ぼく、この姿になってもぼくなの?」
「そうです。君は進化しても君なんです」
「そっか……よかった……」
カメモンは涙を拭いた。
「それに、怖い気持ちはわかります。私も怖がりですから」
「怖がり?園田さんも怖いのがあるの?」
「ええ。私はひとりぼっちが怖いんです」
園田はそう言うと、少し悲しそうに微笑んだ。
カメモンは目を見開くと、園田を見つめた。
そして、棚や机で作ったバリケードから恐る恐る出てくると、園田さんの手をとった。
「……ぼくもひとりぼっちは怖いよ。だけど、一緒にいれば怖いのも大丈夫だよね?」
「はい、一緒なら平気です」
園田はそう言ってカメモンの手を握り返した。
「園田さん、健診が終わるまで手を握っててくれる?」
「ええ、構いませんよ」
園田がそう言うと、カメモンは嬉しそうに笑った。
「ずるい!わたしも手を繋ぎたい!」
「ぼくも!」
「私も!」
様子を見ていた幼年期のデジモン達が、園田の所に集まってきた。
「では順番にしましょう。皆さん整列してください」
幼年期のデジモン達はわーいとはしゃぎながら列を作った。
それを見ていたデスメラモンは、感心したように息を吐いた。
「園田はすごいな。戦わずに大人しくさせた」
「そうだな」
デスメラモンと並んで様子を見ていた医者は、腕を組んで口を開いた。
「園田さんは昔デジモンの研究員をしていたそうだ。学生時代からデジモンについて熱心に勉強していたらしい。発表された論文は著名なデジモン学の教授から絶賛され、海外の研究所からスカウトされたと聞いた」
「それは凄いことなのか?」
「ああ、とても凄い。といっても、人間の学問上の話だが」
医者は、園田と楽しそうに手を繋ぐカメモンを見つめた。
「ところが、急に研究を辞めて学会から姿を消した。誰にも何も言わずに。行方を捜されたが見つからず、皆が諦めた頃に、ハッピーワークの社員をしていることが判明した」
「そうだったのか」
園田の過去を聞いて、デスメラモンは驚いた。
そして、園田の過去を知っていた医者を訝し気に見た。
「あんた、随分と詳しいな」
「ああ、私は巳百合くんと交友があってな」
「みゆり……?」
「君もそのうち会うだろう」
医者の意味深な言葉に、デスメラモンは首を傾げた。
めちゃくちゃになった診察室は力自慢のデジモンと整理上手なデジモンが協力して片付け、無事に診察は再開された。
「それで、健康診断どうだったの?背が伸びてた?」
「いや、身長は前と変わらなかった」
「そっか……」
健診後、本庄家に来たデスメラモンは、キッチンで料理をしていた。
香奈は宿題を終わらせて本を読んでいたが、ジュージューといい音がしてきたので、食卓の椅子に座ってそわそわと待っていた。
「ほら出来たぞ」
香奈の食卓の前に置かれたのは、大人の握りこぶし大のミートボールだった。
デスメラモンに何が食べたいか聞かれて、香奈はミートボールが食べたいと言った。
言ったのだが、ミートボールというよりはハンバーグという方がしっくりくる大きさの物が出てきて、香奈は困り顔になった。
「い、いただきます……」
香奈はミートボールに齧り付いた。
「どうだ、美味いか?」
デスメラモンの問いに香奈は頷く。
もりもりとミートボールを食べる香奈を見て、デスメラモンは嬉しくなった。
この嬉しさは良心の一部かもしれないと、デスメラモンは思ったのだった。