いらないものは捨ててしまいなさい、というのが、母の口癖だった。
性別や年齢に遭わない玩具も、流行を過ぎたお気に入りの服も、野良ネコのお墓にお供えした花も。
ゴミだから、と。それだけ言って、捨ててしまうような人だった。
必要な、大事なものにしたってそう。
母は私に不手際があると、私の大事なものを捨てると言って脅した。
どれだけ泣いて謝っても、捨てる、捨てると脅して、私に改善を促した。
そうして、ふと気づいたのだ。
本当に、一番いらないものが、何なのか。
いつもゴミ捨てを急かすあの人に倣って、気付いてからは、なるべく早く、行動した。
ああ、こんなもの。いーらない、と。
私はそのゴミを、投げ棄てた。
*
ぽん! と音を立てて、私は暗闇の中から飛び出した。
突然開けた視界に慌てて振り返ると、そこには空き缶で出来た砲筒と、呆けた顔をした、つぎはぎだらけのビーバーのぬいぐるみ。
先の欠けた黄色いヘルメットも、着ている服も、何もかもが薄汚れている。足の代わりに取り付けられたタイヤだけは無駄に立派ではあったけれど、きっとあの人は、こんなもの。視界に入れただけで顔をしかめて、指先でつまんでゴミ箱に放り込む事だろう。
……あれ?
でも、「あの人」って、何だっけ?
そもそも「私」って、誰だっけ?
手掛かりを探すみたいにして、辺りを見渡す。
屑鉄をさらに砕いた様な黒い砂地に、どん、と鎮座する巨大なコンクリートブロック。
少し離れた所には、これまた私の背丈よりも大きな螺子が何本も突き刺さっていて、その間には錆びた針金が何重かに巻きつけられていた。まるで柵か何かのようだ。
少し近寄ってみようと試みると、私の身体はふよふよ、ぷかぷか。浮かんでいるかのように、ゆっくりと前へ進んでいく。
ここは、水の中なのだろうか。
呼吸は、これっぽっちも苦しくないのに。
それに、私は泳げなかった気がするのだけれど。
へんなの。
と、言葉に出してみたつもりだったのに、自分の声は聞こえなかった。だから、もう一度頭の中で同じ言葉を繰り返して、私はそのまま、ふよふよ漂って、この小さなガラクタの山のような空間を見て回る。
……柵よりも向こうに行こうとすると、見えない壁に当たってしまって、だから、それ以上先に何があるのかは、わからなかったのだけれど。
と、
「これは……また。困った事になったものだ」
急に聞こえたしわがれた声に、私はまた振り返った。
視線の先には、声の通り、おじいさんがいた。
着ている服は黒色ばっかりで、少し不気味なのだけれど。でも、その人は、とても優しそうな顔をしていて。
おじいさんは、私の隣にいたあのビーバーのぬいぐるみに、その眼差しを向けていた。
「驚いただろう、ジャンクモン。私としても予期せぬ事態だったんだ。どうか、許してほしい」
ジャンクモン、と呼ばれた、名前の通りガラクタみたいなぬいぐるみは、おじいさんにこくん、と頷いて見せた。
相手に合わせて動くぬいぐるみだなんて。見た目はひどいものだけれど、ひょっとして、性能の良いロボットなのだろうか?
「恐らく、君がジャンクパーツの収集という性質を持つがために、予期せず「そういったもの」と処理されたデータが流れ着いてしまったのだと思う。……それなりの騒動になっていたようだから」
何の話をしているのだろう?
騒動、と言うくらいだから、何かあったのだろうかと、私が首を傾げていると、顔を上げたおじいさんが、こちらへと歩み寄って来た。
「クラモン、だね」
おじいさんが、私の目を覗き込んで、名前を呼んだ。
そんな名前だっただろうか。
そんな名前だったのかもしれない。
「本来であれば、君のように予期せず発生したデジモンの事は、おばあさまに預けるのが筋なのだろうけれど……この前も仕事を押し付けたばかりだし、何より、君は少し特殊なデジモンでね」
はてさて、どうしたものかと、おじいさんが困ったように首をひねる。
私には、どうして私の事で、おじいさんが困っているのか、わからないのだけれど。
でも、困るようなモノなら、捨ててしまえばいいのに。
私には、何もわからないけれど。
自分がそうやって、捨てられても仕方がないモノだというのは、漠然と、理解していたから。
と、
きこきこと車輪が回る音と共に、あのジャンクモンと呼ばれたビーバーのぬいぐるみが、おじいさんの足元へと寄って来た。
「? どうしたんだい、ジャンクモン」
おじいさんはしゃがみ込んで、ジャンクモンの話に耳を傾ける。
途端、彼は目を丸く見開いた。
「君、それは」
何か、言いかけて。
でもすぐにおじいさんは、思案するように視線を上げて、それからしばらくして「ふむ」と呟くと、改めて、私の方へと、その優し気な瞳を向ける。
「ジャンクモンが、しばらくの間、君をここに住まわせても良いと言ってくれているんだ。……どうだろう?」
どう、と、言われても。
その言い分からすると、ここは、このぬいぐるみの家なのだろうか。
ガラクタ置き場にしか、見えないのに。
へんなの、と。私はまた頭の中で繰り返した。
でも、ここがジャンクモンの住処だと言うのなら、余所者らしい私に何かを決める権利は無い。
ジャンクモンがそう言うのなら、そうした方が、いいのだろう。
どうにしたって、どうでもよかった。
「……そうかい」
おじいさんは少し複雑そうな顔で私に微笑みかけると、またジャンクモンの方を見て、ひとことふたこと。何かを言い含めてから、私達に背中を向けた。
彼は見えない壁がある筈の方へと歩いていって、そのまますぐに、見えなくなった。
「……」
ぼう、っと、おじいさんの消えた方角を眺めていると、ジャンクモンが、私の方へと更に近寄って来ていて。
あいさつのひとつでもした方がいいのかもしれない――と、水底へと降りて行くと、いつの間にかジャンクモンは、クッキーを2つ、爪の間に挟んでいて、その片方を私へと差し出していた。
こんな、何を触っているのかもわからない手から、物を受け取っていいのだろうかと一瞬悩んだのだけれど。
仮に受け取ったところで、もう、怒られる事は無いのだと、ふとそんな気がして。私はほとんど突起みたいな小さな手でそれを受け取ると、それをデータに分解して、瞳の中へと吸い込んだ。
こんな食事のとり方だから、食感も何も、あったものでは無い筈なのに。
甘い、と。そんな情報を、読み取ったような気がした。
*
私の同居を許したくらいなのだから、それは、最初からわかっていた事かもしれないけれど。
ジャンクモンは、変わったデジモンだった。
ひとつずつ挙げていくとキリが無いのだけれど、何よりもフシギなのは、ジャンクモンがいわゆる『ゴミ』を集めているところだろうか。
私達の寝床は、この空間の中心にある巨大なコンクリートブロック、その穴の中で、私とジャンクモンは別々の穴で寝ているのだけれど、私が目を覚ます頃にはジャンクモンはいつも先に起きていて、知らない間に螺子の柵の前に流れ着いたガラクタの山を選別しているのだった。
ジャンクモンは気に入ったガラクタを背中のズタ袋に詰め込んで、それ以外は、元々あった場所に戻しておく。
そうすると、数時間後にはガラクタはどこかに消えてしまって、でも次の日の朝には、また同じようにガラクタが柵の傍に積まれているのだった。
時折、ジャンクモンは自分の集めたガラクタをズタ袋と繋がった空き缶の大砲からぽん、と撃ち出して、顔の上でかざして色々な角度から眺めたりしながら、本人なりに、楽しく過ごしているようで。
私は、そんなものを集めてどうするのか、何が楽しいのか訊ねたかったのだけれど、私には口と呼べるものが無いらしくて、だから、ジャンクモンに言葉をかけることは、できないままでいて。
その割に、ジャンクモンは私の事を、よく気にかけてくれていた。
食事はいつも、私の見ているところにマンガみたいな骨付き肉が突然現れる(これも、最初はびっくりした)のだけれど、ジャンクモンは、私がちゃんとごはんを食べているか、いつも観察している風だった。彼がお肉に手を付け始めるのは、いつも、私が食べ終わってからだった。
ある日急に、柵の傍に流れ着いたらしい籠を頭に乗せて私の寝床の穴に入って行ったかと思うと、彼が出て行った後にはその籠に綿を敷き詰めた簡易ベッドが設置されていて、濡れて水を吸ってもなお、流石にコンクリートよりはあたたかくて柔らかいそれのおかげで、私はさらにぐっすりと眠れるようになってしまい、結局その後も1度も、ジャンクモンと同じ時間に起きられた事は無かったのだった。
数日もすると、私の身体は一回り程大きくなって、突起に過ぎなかった手は前に突き出て、先には鋭い爪が生えてきた。
私自身が、手の形になってしまったようである。
だからと言って私の生活に変わりは無かったし、ジャンクモンも始めに目にした時は少しだけ驚いていたけれど、だからと言って態度を変える事も無くて。
ただ、ほんの少しだけ身体に力が湧いてくるので、私はそうなる前より、いくらかだけ、螺子の柵で囲まれた空間を漂って回る事が増えた。
それだけではつまらないのではないかと、ジャンクモンが気を使ってくれたのかもしれない。彼は時々、ボールに該当するような丸いガラクタを大砲から取り出すと、私とキャッチボールの真似事のような事をしてくれた。
手で投げたり、砲筒に戻して撃ち直してみたり。
素材に関係無く、水の中の弾はゆるゆるぷかぷかと前進するばかりで、小さな私にも簡単に受け止める事が出来て。
だから、私もそれを単純に投げ返したり、ジャンクモンの筒の中を狙って投げ入れてみたり、と。そんな風にして、時間を潰すのだった。
ジャンクモンとの日々は、本当に穏やかなものだった。
*
そんなある日、私がいつも通り見えない壁に沿いながら漂っていると、黒い砂地の上に、きらり、と。鈍い緑色に光るものを見つけて、その場に降り立った。
丸い目を近付けると、それは角の取れたガラス片で、たしか、いわゆるシーグラスと呼ばれるもののようで。
波に揉まれて歪な円形に成ったそれは、元はと言えばただの割れたガラスである筈なのに--なんだか、とてもきれいなものに思えて。
そんな風に、考えたものだから。
ふと、私は指を2つ使って、爪の先で、シーグラスをつまみ上げようとして
--汚い!!
誰かに怒鳴られたような気がした。女の人の、声だったと思う。
身体がぶるりと震えて、全く動けなくなってしまう。
シーグラスは、持ち上げられないまま。ずっとその場に、佇んでいる。
怖くて、怖くて。
そんな声が聞こえる筈が無いと、頭ではわかっているというのに。
私は、泣き出したように思う。視界がなんとなくぼやけて見えた。
水の中だ。自分でもそんなこと、わからない筈なのに。
なのに――どうやって異変に気付いたのだろうか。
ジャンクモンが、またきこきこと車輪を鳴らしながら、こちらに駆け寄ってきたのである。
ジャンクモンは瞳の輪郭を歪ませた私を見るからにおろおろとした表情で直視しないままに眺めてから、ふと、落とした視線の中に、私が泣き出した原因とみられる物体を、……ガラクタを、見止めたのだろう。
彼は、私が終ぞ手に取れなかったシーグラスを、爪の先で、持ち上げた。
そうして、角度を変えたり、透かしてみたり。仮にも硝子であるから、私が指の先を切ったのかもしれないと、そんな心配を思い浮かべたのかもしれない。
けれど、触れてもいない物に私の痕跡など残る筈が無く、つまるところ原因なんて見つけられなくて、小さく首を傾げつつ、ジャンクモンは、せめて私の目に触れないように、という気づかいのつもりなのか、尻尾の袋にシーグラスを仕舞いこんだ。
私は、どうしたらいいのかわからなくて、それに、これ以上彼に迷惑をかけるのも嫌で、半ば逃げるようにして、ベッドの有る自分用のブロックの隙間へと飛び込んだ。
ジャンクモンが引き留めるかのように、今度はこちらに手を伸ばしたのが見えたような気もしたのだけれど、たった1つの目ではそんな仕草を追いかける事すらできなくて、私はただただ、ジャンクモンが作ってくれた寝床に潜り込む事しか出来なかった。
言葉を発せない以前の問題だ。
私は何が怖くて、悲しくて。そもそもあの怒鳴り声の主は誰だったのか。何一つとして言語に置き換える事が出来なくて、なんだかそれが惨めだなという感想だけは、確かに胸の内に抱く事が出来て。
それが嫌だから、私、捨てたのに。
「……」
ふと思い浮かんだ「捨てたもの」が何だったのか。やっぱり、それさえわからなかったのだけれど。
私は長い爪の生えた指を内側に丸め込むようにしながら、なるべく寝床の中で小さくなって、硬く目を瞑るのだった。
幼く、小さい私は、そうしていると、だんだんと。
せめてもの慰めのように、微睡む事が、出来るのだった。
*
ただし無理やりの睡眠はそう長続きもしなくって。
夢の一つも見ないまま、私の大きな瞳は唐突に、ぱちりと瞼を持ち上げる。
気分は相変わらず沈んでいて、頭もぼうっとして、とても、身体を起こす気にはなれないのだけれど。
でもふと、ぽこぽこと空気の泡が天上に吸い込まれて行く音と一緒に、モーターの駆動音が聞こえたものだから、流石に気になって、私は顔を上げざるを得なかった。
見れば、ジャンクモンが、ブロックの縁から黄色いヘルメットとグリーンの瞳を覗かせていて。
……心配して、見に来てくれたのだろうか。
これ以上煩わせる訳にはいかないな、と。私はその場からふわりと浮かび上がる。
クラゲにも似た身体は便利で、心の浮き沈みに関係無く、水の流れに乗る事が出来た。
もう大丈夫。
心配は無い。
驚かせてごめんなさい。
彼がどう受け取るかは解らなかったけれど、私は指を、全身を使って、それらしいジェスチャーでジャンクモンに応じて見せる。
ジャンクモンの表情は変わらなかったけれど、なんとなしに、瞳の奥に安堵の表情が浮かんでいるようにも見えた。
彼はしばらく水に漂う私を眺めた後、ちょいちょい、と、鉄の手で手招きをした。
「?」
言われた通りに近寄ると、ジャンクモンが手招きに使ったのとは反対側の手に、何かが乗っているのがようやく目に留まって。
とても、きれいなものだった。
あの時、黒い砂地で見つけた時よりも、ずっと。
「……!」
それは先程のシーグラスではあったけれど、厳密に同じものとは言い切れない状態になっていた。
針金を加工したと思われるリングがグラスに接着されていて、それは、指輪になっていたのだ。
ジャンクモンは私にもっと近寄るように促して、私が言われた通りにすると、その指輪を、私の指、その一番端--小指、と、そんな単語が思い浮かんだ--へと、嵌めるのだった。
もう、あの怒鳴り声は聞こえなかった。
きっとあの声の主は、これもゴミだと断じて嫌悪するだろうけれど、もし声が聞こえたとしても、これが汚いものである筈が無い。
だってこれは、ジャンクモンが、私のために作ってくれたものなのだ。
彼が、どんな意図を持ってこれを作って、私にくれたのかは、やっぱりわからない。
励まそうとしたのか、加工してみたはいいけれど、自分には使えないと思ったのか、もっと、別の意味があるのか。
でも、何にしたって。
私はただ、ジャンクモンがこれをくれた事が、嬉しかったのだ。
私は、きっと。
ずっと、こういうものが、欲しかったのだ。
要る、要らないとかの、話じゃなくて。
「ありがとう、ジャンクモン」
ジャンクモンが、丸く目を見開いた。
お礼の言葉一つに、そんなに驚く事も無いだろうと思ったのだけれど--一拍遅れて、私も「あ」と、思わず自分の口を押える。
口。
口だ。
口がある。
口があるし--手も、足も。
その姿を、私は何となしに懐かしく思ったのだけれど、やっぱり、理由は思い出せなかった。
思い出せなくても構わなかった。……本当に、要らなくなってしまったのだろう。
そう思うと何だか可笑しくて、私は右の小指にはまったままの、シーグラスのリングを押さえながら、おなかの底から、けらけらと笑った。
ジャンクモンはしばらく面食らったような、不思議そうな顔をしていたけれど、そのうち私につられるみたいにして、一緒になって、水の中。
転がるように、笑い合った。
*
「兄上。我らは「ニンゲンの悪意から生まれたデジモン」であるクラモン、およびその進化先であるツメモン出現の報告を受けて、わざわざこちらに赴いた訳なのだが」
少年は芝居がかった口調であの黒い服のおじいさんに語りかけながら、顔をずい、と私の方へと、寄せてきた。
「我らの目には、なかなかどうして、可愛らしいお嬢さんにしか見えないのだが?」
「……」
言いつつ、少年は私に向けてウインクを飛ばして見せてくる。
金髪碧眼、白磁の肌。間近で見れば見る程絵に描いた様な美少年ではあるけれど、雰囲気に妙な軽薄さがあって、なんとなーく、印象が悪い。
私は自分の直感に従って、頭から生えた2本の立派な触手、その片方で、軽く少年の顔を叩いた。
「おうふ」
「……好色は感心しないよ、我が弟」
「仕方がないじゃないか兄上。我らは元となった神話の性質に、つい引っ張られてしまうものなのだから」
「だからこそ言っているんだよ。……すまないね、ジェリーモン。どうか気を悪くしないで欲しい。根は真面目なんだ、こっちの弟は」
……これよりひどい弟がいるのだとしたら、なんというか、事情は知らないけれど、おじいさんの苦労が偲ばれるというか。
私が今の姿になった、その次の日。
弟、と呼ぶにも随分と年の離れた少年を連れたおじいさんが、再び私とジャンクモンの下に訪れた。
曰く、昨日までの私は思わぬ災厄を引き起こしかねない存在だったらしく、そんな私の事を色々確認するために少年はやって来たらしいのだが--私の姿がコレになった事で、彼らの心配は、杞憂に終わったのだそうで。
「きっと、君がきちんと彼女を看てくれていたからだね。ありがとう、ジャンクモン」
ジャンクモンに頭を下げるおじいさんを尻目に、少年はふんと鼻を鳴らす。
「どうだかな。案外、これは良い意味で、だが。お嬢さんにはその手の素質が無かったのかもしれないぞ」
「もしそうだとしても、お礼は素直に言うべきだ。実際、彼はよくやってくれていたのだから」
おじいさんの言葉に、ジャンクモンはどことなく照れ臭そうに、ぽりぽりと頬を掻いている。
半ばからかうように、私もおじいさんの真似をしてみせると、その仕草はより一層オーバーになって、あの収納袋を兼ねた尻尾まで、ぱたぱたと軽く砂地を叩き始めるのだった。
表情は変わらないのに。言葉も滅多に発さないのに。
でも、感情はストレートに伝わってくる、彼のそんなところが、私は好きだ。
「さて」
ふいに、少年がううんと伸びをする。
「もはや懸念は無さそうだからな。我らも多忙である故、そろそろお暇するとしようか」
「すまないね。君が来る前に、私達の方で確認しておけばよかったのだけれど」
「むしろ無駄足で済んだ事を喜ぶべきだろう。……いや、まあ久々に兄上の顔が見られたからな。足労も時には、悪くはあるまい」
ただ、と、改めて少年が私の方を見やる。
帰れ帰れとあっかんべーしていた私は慌てて舌を引っ込めた。
少年が、くすりと微笑む。この表情は存外に顔の良さを引き立てていて、むしろなんだか、腹が立った。
「お嬢さんは兄上に頼んでこちらに来たデジモン、という訳では無いからな。もしも興味があるのなら、デジモンが本来暮らす世界に来てみてはどうだ?」
思わず、目をぱちくりと瞬かせる。
デジモンが、本来暮らす世界?
「何、こちらに戻りたければすぐに渡してやる。お前は特殊な生まれ故な、多少目はかけてやるさ」
考えておくといい、と、困惑する私に大した説明を残さず、少年は来た時と同じように、私が行けば見えない壁に阻まれる、その向こうへと消えていく。
おじいさんが、やれやれと苦笑しながら肩を竦めた。
「少し言葉の足りないところがあるけれど、あれでいて君を同胞として祝福しているんだ。……根は、真面目なんだよ。もう1人の弟と違って」
それ、さっきも聞いたよと私は笑う。
それよりも、デジモンが本来暮らす世界、というのが妙に気になっておじいさんに問いかけると、彼は優しげな笑みを湛えて、ジャンクモンの方へと視線を移す。
「彼に聞いてみると良い。私の視点では、どうしても俯瞰した物言いになってしまうだろうから」
おじいさんの視線を追ってジャンクモンの方を見ると、彼は困惑したように、私の事を見つめていた。
それから、おじいさんも壁の向こうに消えて、またジャンクモンと2人きりになって。
私は彼から、彼が元々居たという世界の話を聞いた。
恐ろしい世界だと。気を抜けば自分達のような弱小の存在はあっという間に殺されてしまうと。
だけど--区切られた一部でしかないこの場所と違って、広く、美しい世界でもあると。
普段言葉数の少ない彼が、たどたどしくも選びに選んだ言葉の群れはとても真摯で、だからこそ私の胸を打った。
デジタルワールド。
私にとってはガラクタでしか無かったものにさえ、価値を与える彼が、「美しい」と形容する世界。
いつの間にか顔を上げて、見えない壁の向こう側を眺めていたらしい私の手を、ジャンクモンが、そっと取った。
「行っておいで」
ぬいぐるみの顔が、僅かに歪む。
「何が大切かは、君が決めればいいんだから」
笑っているような、泣いているようなその顔に。
きっと、私も同じ表情を、浮かべているのだった。
*
「とまあ、そういう経緯で、デジタルワールドに来たんですよ」
「いいねえ、とっても感動的だ。ブン屋より小説家の方が向いてるんじゃない?」
亀のデジモンらしくのんびりとした声音に嫌味は無いものの、職業(?)柄、若干心外な言葉ではあった。
デジタルワールドに渡った私は、しばらくして。ジェリーモンからさらに異なる姿のデジモンへと進化した。
美しい物が美しい理由。醜い物が醜い理由。あるいは、美しい物が本当に美しいのか。醜い物が本当に醜いのか。
知りたい知りたいと集めたこの世界に溢れる『情報』を、『向こう』で心配しているであろうジャンクモンに近況報告も兼ねて頻繁に送るようにしていた結果、それに特化したデジモンになってしまったようだ。
パブリモン。
それが、今の私の名前だ。
前にも増して好奇心に歯止めが効かなくなり、自制しなければとは思っているのだけれどどうにも難しくて、色々なデジモンから嫌われたり、逆にやたらと好かれたりしてしまっている。……心配させないように書いている手紙の返事が心配の2文字から始まる事も、しばしばだ。
でも--今の生き方は、割合気に入っている。
形こそ無いけれど、見たものに好きなように価値を見出す在り方は、なんだかとっても、楽しくて。
「さ、この辺の海域だった筈だ」
私は今日の足として雇ったアーケロモンの声で我に返る。
目的地に、着いたらしかった。
「ここが、消えた『海賊』の縄張り」
とは言っても、一面見渡す限りの水平線。さっきいた場所と今いる場所の違いさえ、私にはピンと来ないのだけれど。
海賊。
レガレクスモンという、恐ろしいデジモンの縄張りがここら辺だったらしいのだが、そのデジモンはあるデジモンとの戦闘を境に、ぱたりと姿を見せなくなってしまったのだそうで。
水に住まうデジモンは縄張り意識が強いので、本来であればこうやって誰かが足を踏み入れた時点で、出現してもおかしくない筈なのだが。
なのに、死んだ訳では無いという噂だけは、何故だかどこからか、出回っていて。
「もう少し行けば島があるんですよね? そこで取材をするので、向かってもらえますか?」
「あいよー」
甲羅の上で波に揺られながら、私は一先ず、この海の景色に対する感想を書き留め始めるためにウインドウを展開する。
長方形の画面の右上には、私がパブリモンになって間もない頃に拾ったファイルがある。
デジモンでは無く、ニンゲンについて書かれた記事だ。どうにも偶然、デジタルワールドに流れ着いたものらしかった。やけに引っかかるものがあって、ずっとこうして、手元に置いてある。
ニンゲンの女の子が、自分を投げて、捨ててしまった事件に関する、短い記事。
私は腕を持ち上げて、手の甲の側を画面に向ける。
4本指になってしまったので、正確に小指と呼べる指化は解らないけれど。兎にも角にも一番端にある指には、今日もシーグラスの指輪が鈍い光を宿していて、私はいつも、ウインドウを開く度。この記事の『彼女』に、これを見せてあげるのだ。
あなたの捨てたものにも、きっと価値があったのだと。そう、教えてあげたくて。
*
「お世話に関しては、今説明したアプリで全て行える筈だから。他に守ってもらうべき事は、2つだけだよ」
黒い砂地に、螺子の柵。積み上がった鉄骨風のオブジェ。ガラクタ置き場を模した円筒状の瓶のアクアリウムと、その中に住まうビーバーの玩具のようなデジモンを求めた客に、店主の男はいつもとは違って、指を2本立てて見せる。
「まず、絶対に瓶を割らない事。繝?ず繧ソ繝ォ繝ッ繝シ繝ォ繝が溢れてしまうからね」
客は男の言葉を一部聞き取れなかったようだが、しかし確かに頷いて見せた。
そも、中に生き物の居るアクアリウムを割ってはいけないだなんて、当然の話であるのだから。
男は客の反応を見て同じように頷くと、人差し指を折りたたむ。
そうしてから、まるで慈しむかのように、これから人に譲るアクアリウムを見下ろした。
「それから、このアクアリウムに、時折紙飛行機が見つかると思うのだけれど……どうか、ゴミだと捨てないであげてほしい」
瓶の蓋を撫でながら、男は静かに、微笑んだ。
「この子はその紙飛行機に書かれた手紙を読むのを、とても楽しみにしているんだ」
客の反応を見て、男はより一層、目尻の皺を深くするのだった。
世にも奇妙な物語イイイイイイイイを思い出しました夏P(ナッピー)です。
これ絶対、ラストでジェリーモンが自分自身=少女に捨てられた“何か”だと気付かされて絶叫して終わると思ってたんだが……実は少女に捨てられた母親だったりするのかなとか思ってましたが後書きでサクッと明確にされていたッッ。誹謗中傷の具現化だったか……そりゃパブリモンになるのも必定。しかしパブリモンって設定出た時からデジモンっていうよりアプモンっぽさを感じなくもない。レガレクスモンの取材と言われてアカンこれ死んだわと戦慄しましたがそうはならなかった。
クラモンを経てツメモンになった後、ジャンクモンとどこかほのぼのする移ろいの中で「けらけらと笑った」と来た時点でケラモンになるんだと確信したのは内緒。
後書き通り、今回は今までと方向性を変えてアクアリウムの“外”の人間ではなく、アクアリウムの“中”のデジモンに焦点を当てたお話しでございました。ちょいちょい触れられていたとはいえ、しっかりデジタルワールドはデジタルワールドとして存在してたんだ……ん? もう一人の弟?
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。
あとがき
アクアリウムの方のタイトルにまでシェイクスピアが浸食してきやがった……。
はい、という訳で皆さまこんにちは。今回も『デジモンアクアリウム』を読んでいただき、本当にありがとうございます。いうて実は『マクベス』をちゃんと見た事の無い快晴です。いや、でも他にタイトル思いつかなくて……。
あ、でも『リチャード3世』は本持ってる。『リチャード3世』はいいぞ!(同時連載中作品ぶり2回目の布教)
今回はアクアリウムの内側に焦点を向けたお話だったのですが、いかがでしたでしょうか。
このお話の語り手であるクラモン→ツメモン→ジェリーモン→パブリモンちゃんは、冒頭の『自分を捨ててしまった子』本人ではなく、彼女の事件に対して寄せられた誹謗中傷が具現化したデジタマから孵った子です。……快晴コイツ、クラモンの事ちょっと便利枠扱いし過ぎじゃないですかね。
全体で見ても出番はちょっとだけでしたが、綺麗好き設定の有るジェリーモンとガラクタ収集癖のあるジャンクモンという図が出来たのは割とお気に入り。……何が綺麗か汚いかなんて、結局本人にしかわからない事で、まあそこに一かけらでも救いのようなモノがあればいいなというのが今回のお話でした。
これは完全に余談ですが、パブリモンが最後取材に向かった『海賊』について言及するのは今回が初めてじゃない、というのはここでちょっとだけ触れておきます。
さて、次回予告です。
次回は奇数話なので「そこで終わる話」になる訳ですが、次はポジティブに終わる話にできたらなぁと考え中。
まあもっといい話を思い付いたらそちらに変更になる可能性も高いので一概には言い切れないのですが、何にせよ更新は来年になるかなぁと。
一応9話が最終回、10話がエピローグ的な話になる予定なので、実質1話完結(?)型の話の奇数話としては次が最後だったり。……ガンバリマス。
では、改めて『デジモンアクアリウム』6話をご覧いただき、誠にありがとうございました!
次回もお目通し頂ければ、幸いです。
以下、感想返信です。
パラレル様
前話、前々話と感想をありがとうございます! 一緒くたの返信になってしまい、申し訳ありません。
まず4話の方をば
アナコンダからのデスフェニはもうなんか、使えるデッキすべてで使えるコンボですからね。一種の様式美でしょう(目玉ぐるぐる)。
シュミッタちゃん、ふとももが大変よろしいですね。
実際オタ活って意外と楽しい事ばかりじゃなくて、人間関係で疲れてしまったり、自分自身のミスで後悔の残る結果になってしまったりと……だけど好きだった事を忘れるのは寂しいですよね、というお話でありました。大きくても小さくても世界は世界、という事で。
おっちゃん、一体何者なんでしょうね(すっとぼけ)。
店主も含めた彼ら一家の正体についてもそろそろ種明かしの時期が近いので、作者も地味に緊張していたりします。
ひとつ確かなのは、彼らの見た目は大概快晴の趣味が入っているという事だけですかね。
読者がいれば、筆者はがんばれるものです。たった1つのふぁぼでも、語り手ちゃんの、そしてエグザモンのモチベーションになっていればいいなと、作者ながら思う次第なのでした。
つづいて5話の方を……
語り手の両親のペットの扱いとしては、まあ田舎の外犬と言いますか、仰る通り普通のお家でした。家族ではあるけれどペットはペット、と。なまじ子供である語り手の方がラテちゃんに親しみを抱いていた分、自分達よりも早く老いていく愛犬が辛かったんじゃないかなと思います。
言葉のわからない生き物の幸せは、結局は想像に頼る他無い分、何もかもが押し付けなんじゃないかと思い始めたら最後、きりが無いんですよね。
でも言葉を介せても両親は主人公の気持ちもモカ(あんこ)の気持ちも理解しなかったし、主人公にも両親の考えが解らなかった。
もう閉じてしまったアクアリウムの中の『世界』には、きっと理解から来る変化すら訪れないまま、平穏ではあり続けるでしょう。「知らない方が幸せ」なのかは、作者にも答えは出ず終いです。
とりとめのないお返事になってしまいましたが、こちらを感想返信とさせていただきます。
改めて、感想をありがとうございました!