
焼けつく陽射しの中、微かに冷えた風が髪を撫でる。
最近までジイジイと滲んでいた蝉の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
かと言って鈴の様な羽音が演奏を始めるにはまだ早く、この時期の空気はやたらと静かだと思う。
──なんて、感傷に浸りながら下校する帰り道。
今日は始業式だ。一か月ぶりに制服を着て、中身の感じられない話を聞いて、帰るだけの短い日。
今年も、そうなるだろうと思っていたのだが。
『皆さんに大事なお話があります』
教壇に立って開口一番。担任教師によって語られたのは──クラスの生徒が一人、夏休み中に行方不明となったらしいという事。
『当学校では警備員を増員して、貴女達生徒の安全を──』
そういえば夏休みに入る前、都内各地で起きた誘拐事件に世間が騒いでいた。
自分には関係の無い事だったし、あまり興味も無かったので、気にはしていなかったけれど。
空っぽの机に目を向ける。彼女もそのうちの一人だったのだろうか。それとも別の理由なのか。
夏休みの終わりまで誰もそれを把握していなかった──その事実が、ただ怖いと思う。
その為か始業式は例年より早く終了し、寄り道せず帰るよう、口酸っぱく言われて終わった。
カフェに新作を飲みに行きたい子や、隣の県の遊園地へ行く予定だった子からはブーイングが上がっていたが。
しかし私は校則に従順な模範生徒なので、大人しく真っ直ぐ、こうして帰路についている。
いつもと変わらない道を。駅を目指して、いつも通りに。
「────」
ふと。
坂の多い住宅地。その見慣れた風景の中に、見慣れない道を見つけてしまった。
こんな場所、あったっけ?
思わず二度見をした。戸建て住宅の隙間、周囲の公道よりやや細いその道は、やはり確かに存在している。
理性と好奇心とがせめぎ合い、行ってみるか葛藤し──そもそも私道かもしれないと冷静に考え、ならば入ってはいけないと──大人しく踵を返す。
それから、また、坂の多い住宅地を進む。
平日の昼間だからか誰も見当たらない。閑静な住宅街。車の通りも無い。
秋空の下。ひとり歩いて。
「────あれ?」
歩いているのに。
歩いているのに。
駅に着かない。何故だろう。
見知った筈の住宅地が、何故か、見覚えのないそれに思えてきた。
「あ、──これ、やばい」
道を戻る。セーラー服のスカートを揺らしながら。
だけど、さっきまでの道がわからない。
わからない。
携帯電話は当然の様に沈黙している。
こういう話の時は大抵、知人やらに連絡をして話し合うのが筋だろうに。
しかし現実は甘くない(もはや現実かも分からない!)ので。
私は混乱して、動揺して、頭を掻き毟って、「まだ夜までは時間がある筈」と。
少しでも記憶に近い道を走る。鞄にぶら下げた交通安全のお守りを必死に握り締めながら。
本当に定番な話だが、何でよりによって自分に起こるのか。恐怖が段々と苛立ちに変わってきた頃。
公園に辿り着いた。
知っている場所だ。この公園があるという事は、駅には近づいているのだろう。
そもそもこの公園が、自分の知っているものと同じなのかはさておき。
別に安堵の欠片も無く、うんざりと中へ入る。
「────、は」
思わず声が漏れた。
おかしくなって、声と息が漏れた。
そこには一面の赤。
赤、赤、紅い、朱い、朱い、朱い、赤黒い。
彼岸花の群れ。
「……ははっ──、──」
いいや、元からこの公園には彼岸花が咲くものだったが。
地面を埋め尽くす異常な光景。これには残暑の心霊番組も真っ青だ。
頭がおかしくなりそうな程、面白くて、面白くて、私は笑っていた。
おかしくなったので、朱い群れに足を踏み入れた。
おかしくなったので、朱い花を何本か毟ってみた。
満面の笑みで顔を上げる。
視界の先。澄んでいる筈の空気が歪んでいた。
周りの彼岸花が歪んでいた。
わからないけど歪んでいた。
毟った彼岸花が溶けていた。
わからないけど溶けていた。
ああ、摘んで先祖の墓の前にでも供えてやろうと思ったのに!
溶けて歪んだ赤い色。歪んだ虚空の奥で何かが蠢いている。
真っ白な面を被った、背の高い影がうっすらと見えた。
──角を生やしたのっぺらぽうの誰かが、彼岸の花の群れの奥。
ぎしぎしと関節を曲げて、ぐねぐねと身体を捻って、ボサボサの赤い髪を振って、こちらを見ていた。

『此処こそは』
がちがちと、のっぺらぼうの首が折曲がる。
『門の、跡であり』
ばりばりと、木刀らしきものを掻き毟る。
『帰れじの我らが、崩れていく』
私は笑っていた。
『お前も、お前も、お前も、お前も』
空が、朱くなっていた。
『そう、お前も!』
気付けば能面が目の前に来ていたが。
割れた木刀の先が皮膚を刺していたが。
咄嗟に溶けた花弁を能面の顔に投げつけ、白い面を赤く潰すと能面が叫ぶ。
スクールバッグでこめかみを殴った。鞄の角にやらわかな何かが付着した。
不快だった。
『嗚呼、還れじの我らよ』
訳のわからない言葉を吐き、白い面は溶けていく。
『せめて、人の子に触れられたなら』
そんな、気色の悪い言葉と共に。
どろりと溶けて、朱い群れの肥やしとなった。
「……」
静寂が訪れる。
──今のは何だったのだろう。
意味が分からない。理不尽さに苛立ちながら、公園に入った事を後悔する。
しかしこのまま出て街を彷徨っても、また別の不審者と出会うだけな気もするが──とにかく帰りたかった。
帰りたい。早く、夜になる前に。空はもう、彼岸の花の群れと同じく赤黒い。
どうか帰して欲しい。何も悪い事をしていないのに、どうしてこんな目に。
同じく理不尽な目に遭ってきたであろう誰もが抱く感情を、等しく私も抱きつつ。来た道を無駄に戻ろうとした。
瞬間。涼やかな秋の風が一度、大きく吹いた。
「え?」
公園のベンチに人がいた。自分と同じセーラー服の──
「──■■さん」
教室の空席。行方知れずらしい、彼女の名を呼ぶ。
返事は無い。同級生は陽炎の様に揺らめいて──ただそこにいるだけの、「そこにいた」というだけの、そんな映像を見せられている気分だった。
彼女は教室で見る時よりも無表情で、赤黒い群れの先を眺めていた。
「あっちに行けばいいの?」
返事は無かった。だからそのまま行く事にした。
明日また、学校で。そう言おうとしたけれど。
「ありがとう」
その言葉しか出てこなかった。
示された花の道。踏み潰す赤い色。
振り返る。何故だか遠くに見える同級生。恐らくは本人でない幻。
再び風が吹いて瞬くと、もう、それさえ見えなくなった。
「────はっ?」
意識が急に戻ったような感覚に、思わず声が漏れる。
見上げれば空は青く、夏と秋の狭間。嵩の減った雲が薄く伸びていた。
周囲には見慣れた住宅地。閑静な街並。
前方から、手を繋いだ親子が歩いてくる。
良かった。帰ってこられたんだ。そう思って安堵する。
先程の幻覚じみたものは何だったのか、それは深く考えないように。
きっと季節の変わり目で、眩暈でも起こしただけだろうから。
私は軽く体を伸ばして、澄んだ空気を深く吸って、今度こそ正しく帰路につくのだ。
そして駅までの道。途中にある広い公園。
中を通り抜ける。淡い赤色の彼岸花が、数輪だけ咲いていた。
今度は、手で毟る事はせずに。白い能面が溶けたであろう場所は見ずに。
何事も無く、それらを通り過ぎていく。
「……」
いなかった筈の同級生が、あの場所にいた事も。深くは考えなかったけれど、
ただ、「ああ、そうなんだな」という事だけ。何となく察して、胸の中にしまい込んだ。
焼けつく陽射しの中。微かに冷えた風が髪を撫でる、彼岸には少し早いとある秋の日。
しばらくしたら忘れるであろう──そんな、不思議な出来事を体験した。
終
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あとがき
皆様お読みいただきありがとうございます。組実です。
書きたくなったら行動あるのみ! 衝動で参加させていただきました彼岸企画。失礼仕ります。
彼岸の時期の不思議な体験。こういうのは大体、突然降りかかっては突然に解放されるのが定番です。
怪奇と出会うセーラー服の学生が大好き。
という訳で。
リアルワールドに来たけど進む事も戻る事もできずに取り残されて絶えたヤシャモンがかわいそうなお話でした。
二枚目の彼岸花の写真の右側あたりをよくご覧ください。
★追記
採用デジモンとお彼岸との関係を書き忘れてました!失礼いたしました!
内定ヤシャモン
→夜叉は仏法を守る善神であると同時に、人肉を喰らう鬼でもある。
彼岸、又は波羅蜜は仏教における悟りの境地である。
→彼岸と此岸が交わる時に現れ、人を喰らう鬼として夜叉のモンを採用しました!
体くねくね!
おわり
あまりにも自然に『異常』が文中に忍び込んでくる感じにゾクゾクしました。
一面の彼岸花見て満面の笑み浮かべたり、木刀突き立ててきたヤベー奴にスクールバッグぶつけたりと、なかなか肝が据わってますね主人公ちゃん……。
いやまぁ、きっとそうじゃない娘が辿る末路があのベンチに座ってた同級生ちゃんなんでしょうけど。
読み終えてみれば意外とあっさりしておりましたが、永遠に続く異常よりもこういう日常の中で瞬間的に挟み込まれる異常の方がかえって恐ろしいですね……。
「で、結局あれなんだったの?」って誰かがふと訊ねてその場にいる全員の背筋が一斉に凍るアニメのホラー回のような、そんな読後の寒気を味わえる素敵な短編でした。
……ちょっと待ってください明るさ調節したら見えちゃったんですけどイラストの例のアイツめちゃめちゃ怖くて声出ちゃったじゃないですか夜眠れなくなっちゃいますよこんなのどうしてくれるんですか
お久しぶりです。感想書かせていただくのも久しぶりか初めてな気がしますが、失礼します。
まさしく世にも奇妙な怖い話という感じで、短くまとまりながらも絵の演出も相まって背筋にぞくっとくる作品でした。同じようなフォーマットの文を微妙に変える手法はやはりいいですね。そこで主人公が狂っていく感じがまた絶妙に描かれていて、本気でバッドエンド直行だと思っていました。
異形らしく恐怖を与えながらも本懐を遂げられなかったヤシャモンに、同じクラスの誰かさんの幻。彼岸花に彩られた空間に潜む存在はいずれも曖昧であるはずなのに強烈な存在感がありました。
短いですが、これにて感想とさせていただきます。
方々でお世話になっております。『陽炎』、組実さんの短編だー!!? と叫びながら読ませていただきましたので、簡単ながら感想を書かせていただきます。
いやー未成年を追い詰める描写に定評のある(?)組実さんの腕が光る作品でしたね。
彼岸花の群れるぞっとするような光景の中で、おかしくなっていく主人公。その描写がシンプルながら、さながらジェットコースターばりに読者ごと狂気の渦に吸い込んでいくようでした。こええです。
そこにぐねぐねヤシャモン。
これ無事に帰れないやつじゃね? と思いましたよね。あっこれ持ってかれるやつだって。進研ゼミで習ったので。
まあ解答は×だったわけなのですが、意味不明な台詞を一方的に吐きながら詰め寄ってくるヤシャモンは紛うことなきホラーでしたよね。あとがきまで読むとヤシャモンはヤシャモンで可哀そうな奴だなってようやく思えたのですが、読んでる時は全然そんな感じしないの。だってこええんですもん。
ヤシャモンの台詞は意味深だったのですが、特に『せめて、人の子に触れられたなら』の気色悪さたるや。主人公目線だと猶更こええです。
読者目線だと、これはエンプレとリンクしてるのかなと匂ってみたり。(とすれば、■■さんは……?)
……下手な深読みは自らの首を絞めるので、このくらいにしておきます。
普段PCディスプレイの輝度をめっちゃ落としてるせいで彼岸花の写真に写る奴の姿を全然捉えられていなかったことをここに告白して、感想とさせていただきます。
大変楽しく読ませていただきました。
素敵な作品をありがとうございました!
彼岸花の蕾が開きに参加して頂きありがとうございます。
お彼岸との仏教という繋がり、作中での扱いも仏教における夜叉に則したものとなっているとなればこれはもうヤシャモンは誠に仏教らしいデジモンと言えるでしょう。
日常の延長から異界へと移行して行って発狂していく流れがあまりにもスムーズで恐ろしかったです。おかしくなったのでと二度続けられるところが本当にもう後戻りできないんだ感がすごくて、完全にバッドエンドだなと思わず覚悟しました。
スクールバッグでこめかみ殴った際に付着した柔らかなものなんて表現なんかもぞくぞくとさせられました。
ツイートを見て彼岸花の写真を拡大してそこにいるものに気づくとまた恐ろしく……怖い怖いと思いながらもとても面白く読ませていただきました。
最後にあらためて、彼岸花の蕾は開きに参加して頂きありがとうございました。
ええい! 彼岸花=ホラーの対象みたいじゃないか! ちゅーか、怖っ! そんな夏P(ナッピー)です。
ほら見ろホラーだ! ピアノの旋律が段々狂っていくかの如く徐々に狂っていく文体が素敵。『そう、お前も!』のとことか絶対BGMダーンと激しくピアノ叩かれてる。■■さん指差してくれてるとかでもないのが余計怖い。ヤシャモンだったかコイツ……最早彼岸花=デジモンサヴァイブ浮かべてしまう頭になったので、のっぺらぼうと言われた時点で「まさか眷属なのか!?」と思いましたがそんなことは無かった。え、これヤシャモンお溶けあそばされなかったらどうなってたの……?
デジモン名を作中では明記されず、飽く迄も人間側から見たら正体不明のわけわかめな生物、むしろ生物ですらなく意味不明な現象でしかないのが実にホラーでした。ブイモンのアーマー進化とは思えないホラーぶり。これもう絶対“私”死んだろと思ったのにまさか死なんとは。
ではこの辺で感想とさせて頂きます。
いつも大変お世話になっております、快晴です。
『陽炎』、本当にぞくぞくしながら読ませていただいたので、拙いながら、感想を書きに伺いました、よろしくお願いします。
残暑、という言葉通りの、まだ熱の残る、爽やかとは言い難い秋のはじめの空気感。始業式という気怠いイベントの中に、僅かに潜り込む「クラスメイトの行方不明」という非日常の影。冒頭からして水面に落としたインクの染みのような気持ち悪さが感じられて、そのまま一気に物語に引き込まれて行きました。
私が物語の中に迷い込んでいったタイミングと重なるように、知らない所に迷い込んでしまう主人公さん。出てくる言葉が「やばい」だったり、握り締めるのが交通安全のお守りだったり、恐怖よりもだんだん苛立ちが強くなってくる等、リアリティのある描写の数々に、こちらまで心臓が早まるような思いでした。組実(くみ)様のこういう、登場人物の行動にいちいち説得力のある描写力、本当に大好きです。
直前までの姿が等身大だからこそ、彼岸花の群れを前に狂う主人公にはヒッと息を呑むばかりでした。
ホラー特有の「何もわからない」理不尽さを主人公の内心に直接描写させる事によって、読んでいるこちらはもっと何もわからなくて、正直涙目です。突然祖先の墓なんて単語が出てきて泣いちゃいました。こわい。
そこに現れる、もっとわけのわからないもの--本編中には明記はされませんでしたが、ヤシャモンと、彼岸花の写真。絶妙なタイミングで差し込まれてしまって快晴は泣きました(2回目)。
ぐねぐね、ぎしぎし、がしがし、ばりばり。擬音の使い方が上手すぎます……不気味な風貌ながらスマートな印象のあるヤシャモンがどうしてこんなことに。
わけのわからない言葉。わけのわからない行動。わけのわからないままの、退場。ワッ、アッ……溶けちゃった…………。
と、同時に、当たり前のような不快感と共に、正気を取り戻していく主人公さんの書き方が見事で、ちょっとだけ安心してまた涙が出ました(3回目)。
いなくなってしまった「誰か」との邂逅を経て、戻って来た本物の夏と秋の狭間。
結局は眩暈と、不思議な体験と片付けられた迷い道は、しかし確かに同級生に対する「ああ、そうなんだな」という察しによって嫌な現実味を読者に残して、ささやかに終わっていく……最初から最後まで、徹頭徹尾気味が悪く、しかし美しい物語でした。快晴もセーラー服の女の子と怪異の組み合わせだいすきです!
まだまだ暑い中、『陽炎』というタイトルに反して背筋に寒気を提供してくださる、素敵なお話をありがとうございました!