◇
2022.10.30(Sun) PM05:35
駅前の八百屋から貰ってきたカボチャを被って一言。
「トリックオアトリート!」
「……何よ」
郷に入っては郷に従えと言うから人間界のルールに合わせてやったのに、玄関を開けた彼女はこの上なく冷静である。
俺はといえば、中身をくり抜きつつも両耳が潰れるように圧迫されていて痛いのだが、何も言わずリビングに戻っていく彼女は俺のことを振り返ることもない。全く以て見た目以外に可愛げのない女だと思うが、互いに慣れた今となっては文句を言うわけでもなく俺はカボチャを脱いで部屋に戻った。
こんな生活を、俺達はもう十年以上続けている。
「ほら、早く夕飯にするわよ」
「いや待てよ! 今日はハロウィンだぜ!?」
「だから何」
続いてリビングに入った俺を見る彼女の黒々とした瞳は相変わらず冷めたもので、それを俺は彼女が女子高生だった頃から知っている。もうそれなりに歳を重ねた彼女だが、結婚はせずそれどころか恋人を作る気配もない。上に一人だけ兄がいる四人兄弟の長女ながら最近に至っては実家と連絡を取る様子も見ていなかった。
だからきっと俺だけだ。一緒にあの世界を生き抜いた俺だけが、彼女と共に在る。
「今年も行こうぜ~! 素敵な出会いがあるかもしれないだろ~!?」
「素敵な出会い……ね、この歳になってあるのかしら」
すっかり日が暮れるのも早くなった琥珀色の空。
窓から覗くそれを見つめる彼女の目は、その瞬間だけ少し優しくなったようだった。
Trick “S”treet
2022.10.30(Sun) PM06:15
「ハロウィンハロウィンハロハロウィン~」
「……何よその歌」
「んー、俺が今考えた」
薄暗くなり始めた商店街への道を彼女と二人で歩く。厚手のコートを羽織った彼女は、呆れ顔で「何よそれ」と同じような言葉を繰り返していた。
日曜日だから往来する人は少なく、すれ違う人も人間でない俺を気に留める様子も無い。普段は野良犬や野良猫のように人間から隠れて暮らさなきゃならないので、今日という日は俺の気分は頗るいい。人間界で暮らすようになって長いが、まるで故郷に帰ったような晴れやかな気分になるものだ。
「……手袋、してくればよかった」
白い息を吐く彼女の横顔をチラリと見上げる。出会った頃から変わらない長い黒髪の間から見え隠れする白磁の肌。肌寒さで上気した頬は、普段より少しだけ幼く見えた。
俺にはわからないけど、それはきっと一般的に言う美人という奴のはずで。
「何歳になった?」
「……女に年齢を聞くものじゃないわ」
だからこそ時々、不安になる。俺の所為なのか、俺がいなければ良かったのかって。
「誕生日だっただろ、先週」
「………………。……31」
十年以上前に彼女と出会って、あの世界を駆け抜けた。そこに後悔なんてない、今だって間違いなく楽しい。
だけど彼女の方はどうなんだろう。あの世界でもこの世界でも悲しいことは沢山あって、そして人間の知人がほぼいない土地で彼女は生きている。その人生に後悔はないのか、俺と今いることで彼女の時間を浪費させてはいないのか。
「バカね」
コツンと。
家から被ってきたカボチャの上からデコピンされた。
「な、何だよ……」
「あなたが気にすることじゃないわ、メイス」
そう言って彼女は柔らかく微笑んだ。カボチャ越しに見透かされたらしい。
それでも。
今日見た彼女の最初の笑顔は、やっぱり出会った時と変わらずに美しいもので。
「私も、後悔なんてしてないんだから」
程なくして商店街が見えてくる。でも俺の気分が昂るのはきっと、それだけじゃない。
言って欲しい言葉を的確に言ってくれる彼女が、俺はとても好きだった。
2022.10.30(Sun) PM07:00
「大盛況ね、今年も」
あまりの人集りに彼女が珍しく呆れた声を出す。
俺から奪ったカボチャを被った彼女は、どこに保管していたのかもわからないマントも羽織ってノーブルパンプモンの仮装の様相を呈している。実はノリノリだったんじゃないかと言うとまたデコピンされそうなのでやめておく。カボチャを取られた俺は生身だが、まあ人間界を歩く分には俺は俺のままで十分仮装じゃないかって説がある。
駅前の商店街はランタンとしてカボチャと群衆に埋め尽くされて、ただ真っ直ぐ歩くことも侭ならない。彼女と俺は手を繋いでその中をすり抜けていく。きっと俺達は手を離していても逸れることはないだろうけど、その無意味さを知りながら繋がれた手が不思議な安心感をくれた。
「おっ! ギルモンじゃねーか!」
そんな中で声を掛けられた。俺と同じ成長期、青い小竜型。
「メイスだ、ブイモン」
「そうだったっけ? あー、それ言ったら俺もニトロな!」
知人であった。同じ街で暮らし、時折顔を合わせる人でない者。
「こんにちは。メイスの知り合い?」
「……ほー、ノーブルパンプモンがテイマーってか、羨ましいぜギルモン!」
「メイスだって言ったろ。あとわかってて言ってるだろ」
言いつつブイモンのニトロに、仮装した彼女を紹介する。
ニトロのパートナーも来ているが、どうも別行動を取っているらしい。この人集りの中でよくもまあ携帯電話もなく別行動が取れるものだと感心するものの、よく考えれば俺の方も彼女とは不思議と逸れてもすぐ合流できる気がする。
この商店街はそういう場所だった。
「拓斗とクロスはなんか知り合いの女の子が来るって言って、俺を置いて奥の方に行っちまったんだよなー」
「……前田君、彼女いたの。彼もなかなか隅に置けないわね」
前田拓斗、ニトロのパートナーにして彼女の元・教え子──彼女は中学教師をしている──らしい。
「それにしても……毎年来てるけれど、今年はまた随分と盛況しているわね」
「まあ例のウイルスの流行で去年一昨年は大分縮小傾向だったからなー」
「あなた達にそれ、関係あるの?」
ニトロの言葉に彼女が首を傾げる。その疑問も尤もだが。
「そりゃあるさ。俺達って結局、人間の思考とか願望とかそういったものに影響されやすいわけじゃん? そうなるとやっぱり、そもそも人が集まらない場所にはこんな感じで顕現できないっていうかなー」
周囲を見渡す。往来するのは大小それぞれ異なる異形の者。
「まあ普段ちょっと窮屈な生活してる俺達には天国なんだけどな。なあギルモン?」
「メイスだっての」
道行く者は成長期から究極体まで幅広い。人間と共に在る者も少なくないが、単独でこの日を楽しんでいるモンスターも数多いる。それは決して珍しい事象ではない。きっと世界の各地で似たような現象が起きている。
だからニトロの言う通り、それはきっと願いなんだろう。俺達の、そして人間達の。
「俺達の俺達による俺達の為の一夜限りのいたずらだ、楽しんでこうぜ!」
トリックオアトリート。そんな言葉が世界中で紡がれる今日という日。
本来は長年に渡る不況で人間が減り、シャッター街となった寂れた商店街は、毎年この日に限り俺達の世界に上書きされることで、デジタルモンスターの往来する空間へと変わっていた。
2022.10.30(Sun) PM07:40
コンビニになることを拒んで潰れた酒屋──今夜はオシャレなカフェになっている──の店先のベンチに座りながら俺と彼女は頂いた菓子に手を付けていた。
「さっきブイモン……ニトロが言っていたけれど」
彼女は少食だ。そもそもノーブルパンプモンの仮装をしている以上あまり食べる気にもならないらしく、パンプモンに貰った菓子の七割を俺にくれる。
俺が好きなのはカボチャのミートパイだ。彼女が何度か作ってくれたこともあったけど、流石に本場のミートパイは舌が零れ落ちそうになる。本場って何だという話だが。
「人の思いとか願いとか、彼らを喚ぶだけのものがこんな寂れた商店街にあるのかしら」
「そりゃ今はないかもしれないけどさ。あるんじゃないか? 誰も通して見たことはないだろうけど、歴史とか伝承とか……そういった代々語り継がれてきたものだって一種の思いって言うだろ?」
「……なかなかロマンチックな考えね」
俺の言葉に彼女がカボチャの下で薄く微笑んだようだった。
それは思い付いたことをそのまま口に出しただけだったけど、多分きっとそういうことなんだと思う。どこにでも誰かと話したい、騒ぎたい、一緒にいたい、そんな思いは確かにあって、それがいつしか俺達の世界を召喚する遠因となる。そして俺達は人と関わらない寂れた街に、むしろ寂れた街にこそ顕現する。まだ人間と俺達は密接に関わるべきではない、そう線引きをしているからこそ。
きっといつか人間と俺達が本当の意味で手を取り合って暮らせる日が来る。だから俺と彼女のように既に出会ってしまった者達の方が異質なんだ。
「メイスは?」
「え?」
思考を放棄して顔を上げると、そこには頬杖を付いて俺を見つめる彼女の顔。カボチャの奥に黒々とした瞳がハッキリと見えた。
「メイスは……帰りたい? あの世界に」
不意打ちだった。時折浮かぶ俺の逡巡を見透かしたような彼女の目。
意図の読めない彼女の質問に、俺は。
2022.10.30(Sun) PM08:25
「そろそろ帰りましょうか」
そう言った彼女に俺は頷いた。道を往来するデジタルモンスターを見ているだけで十分に満足できたので思い残すことはない。
ノーブルパンプモンの披露する手品を楽しみ、ノーブルパンプモンのカボチャ料理でもてなされ、ノーブルパンプモンの作るペプチーノに舌鼓を打つ。隣の彼女も含めてノーブルパンプモンだらけだがハロウィンという事象を元にこの地に顕現している以上、そうした連中が優先して現れるのも常だった。ふと見れば往来する者達もナイトメアソルジャーズのメンバーが多いように思えた。ボルトモンやピエモンはともかく、ヴァンデモンには俺としては少々苦手意識があるのだが。
「メイスは楽しめた?」
「ああ、ざっと一年分は充電できたな!」
この商店街が現れるのは今夜だけだ。翌朝にはまた寂れた商店街に戻ってしまう。
さっきの彼女の質問に、俺は明確な回答を出せなかった。俺に帰りたいという考えがあるはずがない。俺は十年以上前のあの日に今の道を選択した時点で、帰る世界などなくしたはずなんだ。そして彼女の隣にいない自分なんてもう想像もできなかった。
だけど心のどこかで思いがある。今のまま隣に居続けて俺は彼女の為になるのか。彼女の生きていく世界に俺の居場所があるのか。そんな俺がデジタルモンスターである以上どうしようもない思いが。
だから言葉は空虚に響いた。それが俺だけの感覚なのか彼女にも伝わっているのかはわからなかった。
「おやぁ? 人間の娘っ子じゃないかい?」
商店街を出ようとした時、声をかけられた。
「わかるの?」
「見た目は誤魔化せても匂いは消せないもんさね」
どこか蕩けそうな女の声は、果たして花魁の如きド派手な衣装を纏った存在からだった。隣を歩く彼女が不思議そうに──少なくとも娘っ子と呼ばれる年齢ではない──首を傾げて周囲を見回しているが、俺としてはその存在を見間違えるはずがない。
「リリスモン……し、色欲の魔王……!?」
「……魔王? てことは、ベルゼブモンとかルーチェモンとかと同じ……?」
彼女が因縁浅からぬ二人の魔王の名を出すと、色欲の魔王は破顔した。
「アイツら知ってんのかい、なら話が早いねえ! こっち来な、こっち!」
手招きされて俺と彼女が足を向けると、リリスモンは他に数体のデジモンとちょうど公園前の広場にレジャーシートを広げてそこで酒盛りをしていたらしい。聞いたこともない銘柄の日本酒の瓶が何本も置かれている。
これ、ハロウィン関係なくね?
「娘っ子はアタシの隣に座んな! アンタは……ギルモン? なんか違うような……ま、いいや!」
「メイスだ。……アンタらは何やってんだ?」
「見てわかんないかねえ? 酒盛りだよ酒盛り!」
「いやだからハロウィンと何の関係が……」
言いつつ隣を見ると、胡座を掻いて日本酒を飲み干している金色の鎧のデジモンと目が合った。
「マグナモン……? ロイヤルナイツのマグナモンか……?」
「おう。何だよ、お前も来るなら言えよなギルモン」
間違いなく英雄として讃えられる黄金の聖騎士。それから発せられた声には聞き覚えがあった。というか、つい一時間ほど前にも聞いた声だった。
「え、お前ニトロか……!?」
「いや見ればわかるだろ」
「見てわかんないだろ!? なんで聖騎士と七大魔王が一緒に飲んでんだよ!?」
「んー、このおばさ……お姉さんとは昔色々あってなー」
後ろでリリスモンの封じられた片腕の爪が振り上げられかけたのを察したらしいニトロ。流石はロイヤルナイツ、大した危機察知能力だった。
「んで、元々俺は今夜リリスモンと飲む約束してたんだよな。それで拓斗から奇跡のデジメンタル借りてきといてた」
ブイモンの姿で酒飲むと流石に通報されるからなー。
そんな風に笑うニトロだったが、俺には意味がわからない。少なくともこの街で何年も暮らす中で俺は俺達の世界との縁は完全に断絶されたものと思っていた。だけど同じ立場だと思っていたブイモンのニトロは今もまだあちらの世界、しかもその頂点に近い七大魔王とも繋がりを保っていて。
人の世で暮らす俺達は、俺達の世界とはもう切り離された存在ではなかったのか。
「そらギルモンモドキ、アンタの娘っ子は根性あるみたいだしアンタも飲みな!」
「モドキって何だよ……酒はダメなんでオレンジジュースください」
リリスモンの隣で日本酒を味わっている彼女の姿を横目に俺は甘いものを所望した。
「しかし七大魔王がなんでハロウィンにかこつけて酒盛りを……」
「別に魔王だ何だってことはないさね。アタシは単に酒の飲みたさにこっちの世界に来たってだけさ。ニトロの奴とも久々に会いたかったしねえ……」
懐かしむような目で聖騎士を見つめるリリスモン。ロイヤルナイツと七大魔王、伝承通りなら戦う運命にあるはずなのに、そこには憎しみとか敵意とかそういったものはなかった。
「アンタ達とは来年も飲みたいねえ」
「……いいの?」
魔王の言葉に彼女が聞き返す。昔からザル過ぎる彼女は、色欲の魔王が酩酊し始める中で全くの平静を保っていた。
「得難い関係ってのはあるもんさ。ニトロやニトロのテイマーの坊やもそうだけどね。住む世界が違うからって完全に隔てられるわけじゃないし、敢えて離れたり忘れたりする必要もない。アタシらはアタシらの世界の今までとこれからを、アンタ達はこの世界の今と未来を互いに教え合って見届けて、互いに見識を深めていけばいいんだよ」
リリスモンのその言葉は、何故だか俺の心に深く突き刺さった気がした。
2022.10.30(Sun) PM09:45
いや恥ずかしい話、俺もだいぶ酔っ払っていて覚えていないのだが。
「メイス、売られた喧嘩は買いなさい」
そう言ってノーブルパンプモン、というか俺が八百屋から貰ってきたカボチャのマスクを脱ぎ捨てる彼女と。
「フフン、やっぱお前とは決着をつけなきゃならねえみたいだな!」
ニヤニヤ笑いながら俺を挑発するように手招きするマグナモンのニトロと。
「好きにやんな。ただし人様に迷惑をかけるんじゃないよー」
囃し立てるのか制止するのかよくわからない態度のリリスモンに囲まれて、どういうわけかロイヤルナイツのマグナモンと立ち会う羽目になっていたらしい。そうなる流れは全く記憶に残っていないし、何より俺以上に戦う気になっている彼女を見るに、やっぱり彼女に酒を飲ませるべきではないと数日ぶりに理解した。
「何年ぶりか忘れたけど……何とでもなるはずだ!」
「やってみせろよ! マフティー!」
「ガンダムネタだとっ!? いやタンマ! ちょっと待て! こんな二人して酒入った状態で……アアアアアアーッ!!」
光を放つ彼女の体が俺のそれと溶け合って。
彼女の仮装用のマントが俺のそれとなって。
マグナモンにも劣らない存在が姿を形作り。
俺と彼女は一体のデジモンとして顕現する。
2022.10.31(Mon) AM11:45
兵どもが夢の跡。まさにそう形容するのが相応しい光景だった。
「……いや、実際本当に夢だったのかもな」
毎年のようにそう思っている。目の前に広がるのは人っ子一人いない寂れた商店街。前世紀末まではそれなりに盛況していた通りも、数十年に渡る不況と過疎化の進行によって今や殆どが開かずのシャッターが降りている。本来なら取り壊されるべき家屋も多いが、それがそのまま残されているのが今のこの街の現状である。
これが本来の姿。これが今俺の住む世界の現実だった。
何時頃にお開きになったのかも忘れたが、俺達とニトロはひとしきり暴れた後で帰宅した。酔っ払った魔王は俺達とは来年もまた飲みたいと言ってくれたが、果たしてその約束を覚えているだろうか。そもそもあの酩酊状態で無事に元の世界に帰れたのだろうか。
「なぁに黄昏れてんだよ~?」
「いてっ」
後頭部を軽く小突かれて振り返ると、そこにはご立派な聖騎士様の姿。
「ニトロ……」
「よう昨晩ぶり! 今日は一人か?」
首肯する。平日なので彼女は仕事だ。
昔ながらの棒付きキャンディを舐めているニトロは、ハロウィンなど関係なく年中お菓子好きらしい。
「……今日はブイモンの姿なんだな」
「今日もだろ。帰ったら酒臭いってデジメンタル取り上げられちゃってな~」
「お前実はアホだろ」
「バカ言え、俺はロイヤルナイツのマグナモンで稀代の天才ニトロ様だぜ」
カラカラと笑うブイモンに、俺も気付けば笑っていた。
その姿には昨晩見せていた聖騎士としての威厳など欠片もない。いやむしろ昨晩の時点で威厳があったのは見た目だけで言動は変わらなかったような気もするが、とにかくそこにいるのは普段通りの互いに人の目を気にして隠れて生きている知人の姿だった。
ただ、彼がマグナモンだと知ったのなら俺の考えは決まっていた。
「……いつか昨日の決着は付けてやりたいな」
「お? つまりお前の本気も見れるってことだなギルモン」
「メイスだ。……いつかな」
そう言って踵を返す。単なるシャッター街をいつまでも見ていたところで仕方ない。
「しかし昨夜のお前ら凄かったなー、人間がデジモンになるなんて初めて見たぜ」
「……忘れろ、アレは」
「見たことないデジモンだったけど、なんてデジモンなんだ?」
「だから忘れろっての」
軽口を叩きながらついてくるニトロ。だから俺は一つだけ、聞いてみることにした。
「お前は」
「ん?」
「お前は帰りたいとは思わないのか? 向こうの世界に」
そう尋ねる。彼女から受けて俺が即答できなかったのと同じ質問だった。
「んー、そりゃ向こうにいたら今と違った俺、例えばもっとロイヤルナイツとして働きまくっていた俺がいたかもしれないって思うことはあるぜ?」
「だったら、どうして」
続けて聞くのだが、振り返った俺にニトロは笑って言った。
「好きだからだよ」
「……は?」
「拓斗もこの人間の世界も、この世界で出会った奴ら皆も」
一分の迷いもなくニトロは言う。
それが真実だ。俺が後悔していないと言ったようにニトロの答えもまた同じだった。それは俺の心にあったらしくない思考を消し飛ばすには十分だった。たとえ自分の生まれた世界と離れたとしても、自分の選択に悔やむ以上の“好き”が現在目の前には確かにある。人間の世界で生きる俺達だからこそ得られる喜びを、今ここで俺達は確かに味わっている。
ああ、そうか。
俺は今の俺と俺を取り巻く全てが好きだから、今の俺をやっているんだ。
きっとこれから何度もセンチな気分になる時が来る。それは俺だけじゃなくて彼女もそうなんだ。何度も迷い悩んで泣きそうになる時もある、本当に後悔はしていないのかと自問する時もある。
それでも大丈夫だ。今ならきっとそう言える。
「またな、いたずら商店街」
トリックストリート。
一年に一度だけこの場所で出会える俺の生まれた世界が。
かつて激動の中を駆け抜けた俺と彼女の出会った世界が。
大好きな英雄達が今も守り続けている俺の憧れた世界が。
今も変わらず、息災でいてくれるなら。
・○○モン“メイス”
本作の主人公。十数年前にあの世界を旅した“彼女”と共に片田舎で暮らす成長期のデジモン。人間界で彼女と十数年生き続けてきたことに後悔はないが、どこかに確かな郷愁の念はあり、よく迷いよく悩みよく躊躇う。毎回“彼女”に掘られる。
周囲からはギルモンと呼ばれるが必ず「メイスだ」と訂正する。好きなお菓子はカボチャのミートパイ。
・“彼女”
高校生の頃、メイスと共にあの世界を生き抜いた少女にして現在は中学教師。クールで物静かな性格。家族も男もデジタルモンスターも魔王もドン引きする程度にはざる。デジモン化というか光を放つ体がアッートリクスエボリューションがもっと主題に置かれるはずでしたが、作者が配分ミスった。まあ人間の世界そのものがデジモン化してるから然もありなん。
31歳独身彼氏なし。好きなお菓子は酒(お菓子じゃない)。
・ブイモン“ニトロ”
前田拓斗という少年のパートナー。人間界の同じ街で暮らしているメイスの知人。奇跡のデジメンタルでロイヤルナイツのマグナモンに進化するが性格は変わらない。
作者の別作の主人公デジモン。好きなお菓子はキャンディ。
・リリスモン
七大魔王の一人で稀代の飲んべえ。素面では理知的で穏やかなのだが、本作では酩酊しているためべらんめえ口調になっている。本来の彼女はこっちなのかもしれない。
好きなお菓子は酒(お菓子じゃry)。
取り急ぎ此度の企画を立案頂いたユキサーンさんに感謝を。
完全に最終日の夜中に唐突に思い付いて二時間半で書き上げましたが、そのおかげで例によって当初とは方向性が大分ズレてしまったような気がしないでもない。
そんなわけで、短編を書こうと思うと毎回頼りにさせてもらっている、舞台をその時点の現代に据えた「メイス&彼女」シリーズです。漫画20世紀少年が事実上の浦沢直樹の自伝であるのと同様、この「メイス&彼女」シリーズが作者の人生そのものみたいなところがあるかもしれない。上述したように本来はデジモン化≒マトリクスエボリューションをもう少し話の中心に置く予定でしたが、フレーバー程度になってしまったのは即席作品故の取り留めのなさでした。まあ人間(界)がデジモン(界)になったということでここは一つ。
それではまたこれから他の方の投稿作品も読ませて頂きます。
◇
どうも、今回は企画にご参加いただいてありがとうございます夏Pさん。ユキサーンです。
はい、前置きはさておいて早速感想に移ろうと思いますが――今回はこれアレですね。【あの物語】と同じ世界線のお話みたいですね。ニトロ君の名前が出た時点で確定。しかしまさか街そのものをデジモン化させるとはこのリハクの目をもってしても見抜けなんだ。……いやこれデジモン化というかデジタルワールド化でh
今回の物語の主役へギルモンことメイス君。そしてメイス君のパートナーこと31歳でノーブルパンプモンのコスプレをしている”彼女”。イチャイチャしながらある種の特異点というかデジタルポイントというかになった商店街を歩いていたらニトロ君と会ったり、そこでの問答から現実世界に居続けていることに対する疑問を投げ掛けられ、明確な答えを返せぬまま商店街を出ようとしたらまさかまさかの魔王エンカウンツ。色欲おb リリスモンがあらわれた!! あとなんかマグナモンがあらわれた!! 何してんのニトロ君。
何やかんやで酒盛りの流れに逆らえず、あえなく”彼女”に掘られた(暗喩)メイス君。地味に酒を遠慮してオレンジジュースを頼むメイスくんかわいい。リリスモンもいい事言う……とりあえずデジモン化のシーンの時間を消し飛ばしたボスは後でアトランティックダム。
全体的にメイス君が可愛かった今回の話、メイス君やニトロ君という現実世界でパートナーと共に暮らす事を選んだパートナーデジモン達のやり取りをアクセントに、雰囲気はハロウィンらしく楽しげで、全体的に面白いと言える話に収まっていたように思えました。それはそれとしてデジモン化のシーンの時間を消し飛ばしたボスは後でDGディメンジョン。
それでは、今回の感想はここまでにしようと思います。
重ね重ね、今回は企画への参加をありがとうございました。