デジモンという存在には、転生という概念が存在する。
死した後、デジタマという卵となって生まれ直すという、デジモンの暮らすデジタルワールドにおいてはごく有り触れた話。
どれだけ高齢な存在であろうが、逆に幼少な存在であろうが、全てのデジモンは死ねば1からやり直す。
姿も記憶も何もかも失った0から、新たな1を何度も何度も刻み続ける。
前世に死に、現世で死に、来世にまた生きて死ぬ。
それを繰り返すことに疑問を浮かべるデジモンはいない。
彼等にとっては、生まれたその時から刻み込まれている常識であり概念であるのだから。
しかし、何事にも例外はある。
それは、基本的にデジモン以外の生命体の存在することは無いデジタルワールドに来訪した、人間という存在だ。
器用な四肢と優れた知性を有し、デジタルワールドというこの世界が生じることになった原因とも呼べる生命。
時にデジタルワールドは、その危機に対して人間を救世主として招き入れる。
人間が持つ感情がデジモンにとっては絶大なエネルギー源となるものであり、彼等をパートナーとしたデジモン達の力によって世界に害成すものを取り除いてもらうために。
実際に起きた話として、デジタルワールドには何度も何度も危機が訪れ、その度に別の世界から引き込んだ人間に手を貸してもらう事で危機を脱している。
が、実のところ人間という名の生命は脆弱なものだった。
火炎に氷雪、落石に雷撃、他にも色々。
デジタルワールドのデジモン達が起こす事象、全体を見ればその内において比較的危険度の少ない『マシ』なものであっても、巻き込まれただけで命を落としかねない程度には。
そして当然、世界の危機ともなれば巻き込まれる事になる事象は屈強な肉体を持つデジモン達にとっても『マシ』と呼べるものではなくなる。
絶大な力を得たパートナーとして在るデジモン達の手で護ってもらえなければ、驚くほどあっけなくその命は潰えてしまう。
むしろ、人間達の常識から言わせれば生きて戻れている事の方が奇跡的だと言えるほどで。
当然――そんな奇跡に恵まれなかった人間も、等しく存在する。
「…………」
そのデジモン――機械技術によって迷彩化した皮膚を有する小柄な恐竜に軍装をさせたような姿のデジモン――コマンドラモンのパートナーは、その内の一人だった。
世界の危機は終わり、今回招かれた人間はそのパートナーであるデジモン達と別れ、各々にとって当たり前の世界に戻っていった。
そんな彼等の輪の中から外れる形で、コマンドラモンは何処かへ向かって歩き続けていた。
より正確に言えば、その背にパートナーであった少年の死体を背負い、その足を引き摺ることになりながら。
人間の世界であればどこにでもいるような、平凡な少年だった。
小柄で、ガサツで、適当で――だけど人並みに正義感をもった、パートナーだった。
必ず生かして、平和な世界に帰すと心の決めた相手だった。
だけど、その決意は成し遂げられなかった。
パートナーから注ぎ込まれる感情のエネルギー、それによって絶大な力を手にしておきながら。
結果として、彼は少年を護りぬくことが出来なかった。
だから少年は何一つ言葉を介することは出来ないし、自分の意思で立ち上がる事も出来ない。
何も聞こえないし何も感じない、ただの抜け殻に過ぎない。
先にも述べた通り、デジタルワールドにおける生命であるデジモン達は、死ぬとデジタマという卵の姿となって生まれ変わる。
別の世界からやってきた存在であれ、デジタルワールドにいる以上、その体はデジモン達と同じくデータの塊として存在している。
だが、死した少年の体はデジタマにはならなかった。
人間であるから、異分子であるから、デジモン達と同じ摂理の中にはいないから。
理由などいくらでも考えられたが、どれもコマンドラモンには到底受け入れがたい話だった。
死んでしまった事は当然、死した後にその『次』が無いことなんて。
ただそこにあるだけで何一つ価値を見い出されない不要物に成り果てて、分解されることもなくそのまま在り続けることが当たり前だなんて。
共にこの世界に連れて来られた人間達の内の誰かが、その死体を一度は人間の世界で埋葬してあげようなどと提案した。
元よりこの世界において人間のデータは異分子、平和な世の中となってからはむしろ存在しない方が好ましいし、せめて故郷の大地で眠らせてあげた方がいいと、その判断が正しいと考える者もいた。
だけど、パートナーであるコマンドラモンは、その案を断った。
ほんの少しの言い争いの末、結果として死体の扱いはコマンドラモンに一任されることになった。
誰一人として、少年の死体を背負って何処かへと向かうコマンドラモンの事を追おうとはしなかった。
薄情であったのか、あるいは何か想うところでもあったのか、コマンドラモンには知る由も無い。
「……はは、進化さえ出来れば、お前の体を持ち上げる事ぐらい簡単なのに」
デジモンは様々な要因によって進化をする存在で、コマンドラモンと呼ばれる種族の姿は彼にとってあくまでも在り方の一つでしか無い。
パートナーが顕在であれば、より強い力をもったデジモンに変わることだって出来ただろう。
だがパートナーを、そう呼べる存在の命を失った今のコマンドラモンに、絶大な力なんて無かった。
だから、これが今の彼の精一杯。
背負った少年の死体の足を地面に引き摺らせながら、重々しい足取りでただ歩くことしか出来ない。
「……弱いなぁ……こんなに弱かったっけ、俺……」
人間のパートナーとして役を与えられたデジモンは、人間から与えられるエネルギーを効率よく力に出来るように、世界を管理する者の手で調整して創られた存在だ。
逆に言えば、人間の存在が無ければ普通の、平凡な存在――下手をするとそれよりも下回るスペックの個体でしか無い。
他の、パートナーの人間が生存しているデジモン達は、まだ平気かもしれないが。
パートナーを失った彼にとっては、人間一人の死体を運ぶだけでも一苦労。
ガソリンの抜けた自動車のように、原動力と言えるものが枯渇していたから。
道中、野生のデジモンに襲われる事もあった。
世界の危機を救ったなどという事実、全てのデジモンが知覚しているわけではないのだから、仕方の無い出来事ではあった。
弱肉強食の世界で生きる者達にとっては、コマンドラモンが運んでいる少年の死体はただの糧にしか見えてないのだから。
無論、そんなデジモン達は全て殺した。
たとえスペックの上では劣っていようが、コマンドラモンには世界の危機と対した旅路の中でパートナーと共に培ってきた、技術と経験があった。
だから、殺す事はそう難しいことではなかった――それなりに疲労はしたが。
それでも、歩き続けた。
どんな形であれ、諦めたくなんてなかった。
旅路の記憶を頼りに、たった独りで彼は少年の死体を運び続けた。
そうして何日もかけて辿り着いたのは、機械だらけの『都市』だった。
旅路の中で通うことになり、結果として少年や他の仲間たちと共に『救った』場所。
種族故にか、どこか居心地の良さを覚えてもいたその世界。
そこに頼りに出来る相手がいることを、彼は覚えていた。
旅路の中で、他の仲間ともども支援してくれたデジモンが、この街にはいる。
「――――」
消え入るような声で、彼は誰かの名前を呼んだ。
次いで、背中の死体を揺さぶった。
当然、反応は無かった。
「……ああ」
ただの確認だった。
奇跡なんて無い。
無いのなら起こすしか無い。
その、単純な事実を改めて自らに叩き込むための。
「……絶対に……」
自分はパートナーデジモンだ。
パートナーデジモンがパートナーの人間の未来を諦めるなんて事は、絶対にあってはいけない。
その一心で、彼は街の方へと足を進めていった。
◆ ◆ ◆ ◆
機械都市のセキュリティは堅牢で、当然ながら潜り込んだ者の存在はすぐにバレる。
そして当然ながら、そもそもの話として都市の入り口には門番とでも言うべき見張りのデジモンが存在しており、真正面から通ろうとしても結果は変わらない。
その個体が過去に都市に来た事がある既知の存在か、あるいは初めて訪れる未知の存在か。
既知であればそれが危険かそうでないか、未知であっても同様に、まず最初に綿密な『確認』が行われる。
逆に言えば、顔の知れた相手である事を知られるのには、時間を要さない。
コマンドラモンと彼が引き摺る少年の死体を見るや否や、危険な相手ではないという事実はすぐに知覚され。
コマンドラモンが一言申し出ると、すぐさま門番のデジモン――ガードロモンと呼ばれるデジモンが連絡を取り、結果として目当ての相手とはすぐに対面することが出来た。
現在彼は、都市の中にある研究所の一つに足を踏み入れていた。
彼の目の前には、全身が機械で形作られ頭部がカプセルのような形状の完全体デジモン――ナノモンがいる。
研究所内に存在する培養層を眺めていた彼は、コマンドラモンの足音に気付くと振り向き、声をかける。
「久しぶり……だな」
「……ああ」
彼は過去に、コマンドラモンと少年が仲間と共にこの都市にやって来た際に知り合ったデジモンである。
科学技術に長け、メタルティラノモンやギガドラモンなどといった数多くのサイボーグ型デジモンの製造に絡んできた者。
その才覚から悪のデジモンに従う事を強制され、平和とも自由ともかけ離れた環境に身を置かれていたところを少年とコマンドラモンとその仲間達の手で助け出された、いわゆる生物科学者。
彼の管理する研究所には数多くの培養層が存在しており、その中には植物や何かの鱗、骨や鉱物などさまざまなものが浮かんでいる。
ナノモンはコマンドラモンの運んで来た少年の死体を見て表情を曇らせながら、言葉を紡いだ。
「君達のおかげで、見ての通り都市は平和になった……が、全てが何事もなく終わったわけでは無かったらしいな……」
「…………」
「人間の体の強度は君達の事と行動を共にした身として知っている。災厄に立ち向かおうとすれば、誰かがそうなってもおかしくはないと思っていたが……よりにもよってその子が、か……」
「……慰めはいらない。この子の事で、俺はお前に用があって来たんだ」
「私に出来る事であれば何でもしよう。君達には私とこの都市、そしてこの世界を救ってくれた恩がある」
「そうか」
コマンドラモンは一度少年の死体をナノモンの目の前にゆっくり下ろすと、真っ直ぐに彼の目を見ながらこんな問いを出す。
それは、第一にこの都市に足を運ぶことを決めた目的そのものだった。
「単刀直入に聞きたい。お前達の技術で、コイツを……コイツをデジモンに変えることは出来るか?」
「!? その子を、デジモンに変えると……?」
「ああ。色々考えたけど、それ以外にコイツの事を諦めずに済む方法は思いつかなかった」
「……ふむ……どうやら気が狂っているわけでは無いみたいだな」
「人間は……俺たちデジモンのようにデジタマにはなれない。そういう転生のプロセスは踏めない。このまま放置されて、その先で何かが好転するとも思えない。だったらせめて『次』があるように、この世界でまた生き直せるようにしてやりたいんだ」
「……『次』があるように、か……生き返らせてくれとは言わないのだな」
「それが出来るのなら、何を言わずともお前はそうしようと自分から提案していたと思う。それが無かったってことは、出来ないってことなんだろう」
「……すまないな」
コマンドラモンの申し出に、ナノモンは暫し考え込んだ。
生物科学者としての観点から、人間と呼ばれる存在を自分達と同じようなデジモンに変える事が出来るかどうか。
少しの間を空けてから、彼は回答する。
「結論から言えば、可能性はある。この世界に存在する以上、死体であれ何であれそれはデータそのものだ。その子の全てを構成要素としてデジコアを形作れば、最低でもその子の記憶を継承したデジモンを生み出せるかもしれん。たとえこの子の肉体が死んでいようが、デジコアを活動させる事が出来れば、彼はデジモンとして息を吹き返す。過去には人間が十闘士のスピリットを用いて進化したという実例もあったようだし、試す価値は十分にあるだろう」
「それじゃあ」
「だが、不安要素もある。死んでしまって、データが破損してしまっている状態のその子を核とした場合、生み出したデジモンにその子のメモリーとも呼べるものがどれだけ残存しているかどうかが解らないのだ。言ってしまえばその子の状態は、破損したデータファイルと同じようなものなのだから」
「…………」
「……それでも実践するか? 必要なものはこちらで提供する。するしないはお前が決めてくれ」
不安要素を残した行為。
それを容認出来るかと問われ、コマンドラモンの表情は曇る。
だが、迷っていてもどうにもならないのが現実である事は、彼自身よく理解していた。
「……頼む。諦めることは、出来ないんだ……」
「……解った。必ず成功させてみせよう」
了承の言葉と共に、ナノモンは少年の死体を伸ばした両手で抱え込み、運び出す。
コマンドラモンもその後に続き、二人は研究所の中にある一回り大きな培養層の目の前に立つ。
それは他の、自然物などを実験するために用いるものとは異なり、何か大きなものを生み出すために使われるものだった。
見れば、他の培養層とそれはパイプで繋げられており、必要に応じて各々の培養層の『中身』をこの大きな培養層に送りこめる構造になっているらしい。
ナノモンは両腕を伸ばし、少年の死体を上からその中に浸からせていく。
少年の死体は培養液の中を少し沈むと、仰向けに四肢を投げ出した姿勢で静止した。
培養層の中で浮かぶ少年の死体をコマンドラモンがどこか遠い目で眺めていると、ナノモンはその培養層と接続している機械の端末を操作していた。
操作に連動する形で周囲の機械のアームが動き、何処からか球体の形をしたものが培養層の上部に運び出される。
その存在に気付いたコマンドラモンが、率直に疑問を投げ掛けた。
「アレは?」
「コアブランク。中身が空っぽのデジコアで、それ単体では何のデジモンの存在証明にもならないもの。要はデジモンという存在を繋ぎ止めるものの『型』となるものだな」
ガラスにも似て透明な球体が、少年の死体の浮かぶ培養層の中へと放りこまれる。
少年の死体を同じく球体がゆっくりと沈みゆく中、ナノモンの説明が続く。
「基本的にはこの中に自然物や廃棄物などをデータとして入力する事で生まれるデジモンの方向性を決める。竜を生み出すならば鱗を、獣を生み出すなら毛皮を、といった調子でな」
「……以前はアレを使ってサイボーグのデジモンを生み出していたのか?」
「どちらかと言えばその基となるグレイモンやティラノモンなどといった種族を、だな。サイボーグ型のデジモンを生み出すのには、必ず機械の要素を含ませる素体が必要なのだから」
その技術を、過去には悪用された。
戦闘などを経て欠損した生身のデジモンのデータを再生させたりなど、平和的な運用法に用いることだって出来たのに。
戦力を生み出す、ただそれだけを目的として利用された。
「この中に、あの子のデータを全て吸収させる。その後、種族の方向性を決めるためのデータを入力する。形としてはあの子の存在を中心とし、種族の方向性の設定に用いる自然物で外堀を埋める形になる」
が、今はその悪用してきた存在はいない。
だからこそ、その技術は異なる用途をもって益をもたらすものであるべきだ。
「十闘士のスピリット――それもヒューマンスピリットでもあればそれが最適なのだが、何処にあるかも解らんものを求めても仕方が無いな」
「……どんなデジモンにするつもりなんだ?」
「普通に生み出す分にはデータの黄金比も理解しているが、今回は特例も特例――どのデータをどの程度吸収させてどういう種族になるのか、率直に言って私にも予測はつかない。死体を使っている以上、アンデッド型やゴースト型のデジモンが生まれる可能性も否定は出来ないな」
「……そうか……」
「とりあえず、覚悟だけはしておいてくれ。どのような種族になったとしても、受け入れる覚悟を」
「当たり前だ」
そうして、史上初となる試みが始まった。
培養層の中に放り込まれ、少年の死体――そのお腹の部分に埋まるような形となった球体に、培養液を介して少しずつ電力が注ぎ込まれる。
途端に球体が少しずつ、だが加速度的に回転を始めていく。
中身の無い空っぽのものとして作られたものだとはいえ、デジコアはデジコア。
電気信号を送れば他のデジモン達が持つそれと同じように高速で回転し、生命体としての活動を行おうとする。
そして、それに伴って球体に乗っかられた少年の死体もまた変化し出した。
球体の沈みこんだ腹部から見る見るうちに、その肉体が渦を巻いた0と1の数字となって球体の中へと吸い込まれていく。
身に纏っていた衣類は当然、臓器も手足も頭部も何もかも――その形を失ってただのデータに成り果て、一つの核として収まっていく。
人間の少年、その死体を欠片も残さず飲み込んだ核は、その証明たる青色を宿す。
「……っ……」
「…………」
その光景に、そうなる事を覚悟していたコマンドラモンの口から、苦悶の声が漏れた。
だが一度始まったことは今更取りやめる事なんて出来ないし、そもそもの原因は少年の命を護りぬけなかった自分自身にもある。
ナノモンは何も言わなかった。
ただ黙々と、自らの事を救ってくれた相手の内の一人の肉体を、別のものへと作り変えるために必要なことを続けていく。
端末の操作によって伝えられる電気信号に従う形で、青色の核のみが鎮座する培養層――ある種のフラスコにも似た装置の中へ、パイプを通じてさまざまなデータが送り込まれていく。
送り込まれているデータが具体的に何なのか、サイボーグ型のデジモンではありながらも機械技術に特別詳しいわけではないコマンドラモンには理解が及ばない。
だから、せめて願った。
どんな姿でもいいから、どうかその子に未来をくれてやってくれ、と。
回転する青色の核の周囲で、0と1のデータが渦巻く。
まるで蛹の繭のような形を成した渦の中、無と有が幾多に重なり、数多の線が一つの形を描く。
二本の角に似た頭部の突起、三本の爪を生やした手足、爬虫類のそれを想わす尻尾。
どこかコマンドラモンのそれにも似た身体的特徴、それ等を異なる衣類と防具が覆っていく。
そうして形が完成し、それが実在することを証明するように色付き、そのデジモンは培養層の中で生まれ出でる。
その姿は、コマンドラモンにとって見覚えのあるものだった。
「……コテモン?」
「みたいだな。特別変な姿になることは無かったようで何よりだ」
コテモン。
それはデジタルワールドにおいてはデジモン界の一流剣士を目指している努力家――として知られ、人間の世界における剣道に用いられる装備を身に纏った爬虫類型のデジモン。
特別珍しいデジモンというわけではなく、ある程度文明が発展した地域にある村や町であれば少なからず見る事になる種族の一体である。
少年の存在を核としたものが、何故その種族を形作ったのかは知らないが、今はその理由について考えを巡らせている場合ではない。
ナノモンは端末を介して機械のアームを動かし、培養層の中に浮かんだコテモンの体を掴み取る。
ナノモンはゆっくりと、割れ物を扱うように慎重にアームを動かし、時間をかけてコマンドラモンの目の前に下ろしていく。
生まれて間も無いコテモンには意識が無いようで、眠るようにその瞳は閉ざされている。
それに構わず、コマンドラモンはその左手をコテモンの首の後ろに回し、揺すりながら声を上げた。
「おい、生きてるか? 生きてるなら返事をしてくれ!!」
「……生きてはいるはずだが……」
「俺の声が聞こえるか!! ――星来(せいき)!!」
必死の声だった。
懇願だった。
十数秒ほど経って、結果が出た。
「――ぅ……?」
「!! 星来!!」
呻く声と共に、コテモンの面の奥に光が見えた。
目を覚ましたのだと理解したコマンドラモンが、その視線をコテモンと合わせる。
その顔に気付くように、しっかりと。
そうして、コテモンの口から言葉が漏れた。
明確な回答が。
「……だれ……?」
「――――」
「……しってる……しってる、のに……わから、ない……?」
解っていた。
解ってはいた事だった。
そうそう都合の良い奇跡など起きてくれるわけが無いと。
パートナーデジモンとしての感覚は、目の前のコテモンが自分にとって大切な相手である事を直感として伝えてくる。
だが一方で、コテモンの言葉からその残滓さえ読み取ることは出来ない。
自分にとっては大切なパートナーだと解っていても、パートナーであったはずの――その記憶を引き継いだはずの――その存在にとって、コマンドラモンはパートナーと呼べるものではなくなっていた。
傍でコテモンの言葉を聞いていたナノモンが、推理を口にする。
「……これは……」
「……ぅ……」
「……? おい、コマンドラモン? コマンドラモン、しっかりしろ!!」
もし仮に自分の事を覚えていなくても、未来さえあるのなら構わないと思っていた。
思っていた、つもりだった。
だけど、実際にその現実を突きつけられて、コマンドラモンは頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような錯覚を覚えていた。
途端に全身から力が抜ける。
どんな顔をすれば良いのかも解らぬまま、コマンドラモンの意識が暗闇に沈んでいく。
◆ ◆ ◆ ◆
気付いた時には、一日が経過していた。
眠りから覚めたコマンドラモンは、自分が大きなベッドに寝そべっていた事に気付くと、上体を起こして周りを見る。
すぐ傍で、人間の少年を核として生まれたコテモンが椅子の上に座りながら自分の事を見ている事に気付くと、ついぎこちない口ぶりで言葉が漏れた。
「……おはよう」
「……おは、よう……」
「…………」
「……だいじょうぶ?」
「あぁ、俺はな……」
パートナーの死体を運ぶために三日も動きっぱなしで、疲労が溜まってしまっていたらしい。
少年の記憶を継承させたはずのコテモンの様子につい脱力し、途端に意識が薄れて眠ってしまったのだろうとコマンドラモンは推測した。
が、それだけでは眠っていた自分の傍にコテモンがいる理由にはならないので、ひとまずコマンドラモンは質問をする事にした。
「お前は何でここに?」
「……あのデジモンに、ナノモンに、君の傍にいてやってくれって頼まれたから……」
「ナノモンの事は覚えていたのか」
「教えてもらったから」
解らないことだらけだった。
コマンドラモンにとっても、そしてこのコテモンにとっても。
だから、今はただ言葉が必要だった。
ただただ、質問を続けた。
「俺の事は覚えているか?」
「……コマンドラモンって名前は、教えてもらったよ……」
「自分が人間であった事は覚えているか?」
「……それは、なんとなく……」
「自分の名前は……覚えているか?」
「コテモン。……人間だった時のは、覚えてない」
「……この世界を救うために冒険していた事を、覚えているか?」
「……わからない……」
「……そう、か……」
何もかもが忘れ去られたわけではない。
だが、思い出せない事はあまりにも多すぎるようだった。
声色も性格も、デジモンになった影響か変わってしまっているように思える。
生き返った、あるいは生まれ変わったというのは、事実だろう。
パートナーデジモンとしての感覚は、今もコテモンの事を大切なパートナーであると認識させてくる。
ナノモンの実験は、少なくとも選ばれた少年に『次』を与える事には成功した。
それどころか、自分が人間であった記憶を保っている時点で、ある意味においては生まれ変わったどころか生き返ったとさえ言える。
だから、この結果について恨みは無い。
無い、のだが……。
(……もう、あの頃に戻ることは出来ないんだな……)
当たり前の事実が心を抉る。
どんな姿になろうとも受け入れてみせると、そう覚悟していたはずなのに。
ナノモンからも、忠告されていたのに。
目の前にいると解っているのに、何処か手の届かない場所にいってしまったような錯覚がして。
この成功を素直に喜ぶことが、出来ない。
思わず俯いたコマンドラモンに対し、コテモンもまた沈んだ様子でこんな事を言った。
「……ナノモンが、君が起きたら僕と一緒に話したい事があるって言ってたよ」
「――ナノモンが?」
「うん。何を話したいのかは教えてくれなかったけど……研究室にいるって」
「……解った。すぐ行こう」
返答し、即座にベッドの上から降りるコマンドラモンに対し、コテモンは続けてこうも言った。
「……それと……あまり悲しい顔はしないで……」
「…………」
「よくわからない、わからないんだけど……君が悲しむと、僕も胸の奥が痛くなる。ずきずきする。だから……お願い」
「……ごめん……」
どうにか笑みを取り繕って、コマンドラモンはコテモンと共に歩き出す。
寝室――というよりは医療室と思わしき部屋を出て、通路を道なりに進んで研究室へと向かう。
途中、知った顔のデジモンと遭遇したりもしたが、コテモンは誰の顔も覚えてはおらず、研究室に辿り着くまで特に言葉が交わされることも無かった。
そして、辿りついた研究室ではコテモンの言った通り、機械の端末を見て唸った様子のナノモンが待っていた。
彼はコマンドラモンとコテモンの存在に気付くと、表情を一変させ言葉で応じた。
「来たか」
「話す事があるって呼ばれたからな。それで?」
「その子の記憶についてだ」
「…………」
初っ端から核心が来た。
苦虫を噛み潰したような表情になるコマンドラモンと、不安げな表情を浮かべるコテモンに向けて、ナノモンはあくまでも技術者としての観点から事実を告げる。
「結論から言おう。その子は今、記憶喪失に遭っている」
「……記憶、喪失……」
「お前が気絶した後、勝手だがその子の事を少し『診察』させてもらってな。少なくとも、デジコアについては無事に稼動している事が解った。先の実験の際のデータの流れの記録を見直してみても、あの子のデータが別の何処かに流出したことも無い。コテモンの中には、確かにあの子のデータが全て詰まっている。にも関わらず思い出せないとなると、記憶のデータに破損箇所があるか、あるいは記憶を引き出す機能そのものが欠如しているか、という話になる」
「……記憶のデータというのは、直せないのか?」
「難しいな。機械やAIの話ならまだしも、生き物の精神を修復するための技術は私の手には無い。機械を用いて記憶に対して出来る事など、せいぜい洗脳まがいの行為ぐらいだ」
「……つまり、もうどうにもならないって事か?」
「そういうわけでも無い」
ナノモンは告げる。
これから、コマンドラモンに出来る事を。
「仮に記憶のデータが破損しているとしても、データそのものがある事に変わりは無い。壊れて欠けたものと同じようなものをを与えてやれば、それを切っ掛けにその子自身が思い出す。どんな些細なものでもいい。その子の思い出に関連づくものを、見せるなり体験させるなりするんだ」
「……思い出に、関連づくもの……」
「その子が人間だった頃に経験したこと、お前と一緒に冒険した中で経験したこと。少なくとも、後者についてはこちらよりもお前の方が理解しているだろう?」
「……ああ。よく覚えているよ」
「完全に同じ出来事を再現することは難しいだろうから、まずは出来る範囲からでいい。その子との思い出に纏わる出来事をもう一度一緒に経験してみるんだ。それがきっと、お前とその子の繋がりを復活させる糸口になる」
理屈は解った。
要するに、反復学習をしろという話だろう。
見た事のある景色、聞いた事のある音、会ったことのある誰か。
思い出に直接関係を持つそれ等の情報でもって、記憶を縫合して修復せよ、と。
だが、そのために冒険をするという事は。
(……また、星来を危険な目に遭わせる事になる……)
それは、その選択は一度パートナーを死なせてしまったコマンドラモンにとって、限りなく重いものだった。
本当に戻るのかも解らないもののために、このデジタルワールドをもう一度冒険する。
災厄に見舞われていた頃とは異なり、平和と呼べる場所が増えているとはいえ。
この世界が弱肉強食を基礎のルールとし、ふとした瞬間に誰かに襲われる世界である事は変わらない。
事実、少年の死体を運んでいく途中にも襲撃に遭った。
その時こそどうにか皆殺しにして事を済ませられたが、そう何度も倒せる程度の敵が現れてくれるとも限らない。
何せ、今の彼には世界を救う冒険の中で得た進化の力が無いのだから。
その上で、許容していいのか。
無理に記憶を取り戻そうとしなければ、安全な場所で暮らしていれば、危険に見舞われる確立は低くなる。
そもそも元の記憶を、自分と冒険していた頃の記憶を取り戻してほしいと思うこと自体、コマンドラモンのわがままであって記憶を失った当人の望むことだとは限らない。
記憶が無くとも、野生のルールが及ばない、文明ある環境に身を置けば、安息を掴むことは出来る。
少なくとも自分を含めたパートナーデジモン達が頑張ってきたのは、世界を救うために子供達と共に力を尽くしてきたのは、この世界を力が無ければマトモに生きる事すら出来ない世界ではなくするためではなかったか。
この場所までやって来たのも、パートナーである相手に未来を与えるためではなかったか。
それなのに、せっかく生き返った命を危険に晒してしまうなど、それが本当に正しい選択なのか。
「……俺は……」
「…………」
失ったものを取り戻すために、再び身を危険に晒す可能性を許容するか。
それとも、辛く苦しい戦いの日々から開放された少年の魂を宿すコテモンの安息を優先するか。
どちらを選んでも、何かかけがえの無いものを切り捨ててしまう気がして、コマンドラモンはしばらく何も言えなかった。
話題の中心であるコテモンもまた、コマンドラモンの表情を見てどんな言葉をかけてやれば良いのかがわからない様子で、沈黙してしまい。
重々しい空気が流れる中、二人に向けてナノモンが何かを言おうとした、その時だった。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ~っ、と。
コマンドラモンとコテモン、二人の腹の虫が大きく鳴った。
数秒の間を置いて、コマンドラモンは気恥ずかしそうに顔を赤らめ、その様子にナノモンは思わず笑ってしまう。
「ははは。こんな時でも、やはり腹は減るのだな」
「……し、仕方がないだろう。ここに来るまで、ロクに食事なんて……」
「……お腹、すいた……」
「そんな調子で何かを考えた所で、答えなんて見つからないだろう。まずは食うもの食ってからだ」
どこか嬉しそうな表情を浮かべたまま、ナノモンは椅子の上から下りる。
一度右手を振ってから、何処かに向かって歩き出す。
食べ物を食べられる場所に連れていこうとしているのだろう、と察したコマンドラモンとコテモンがその後ろをついていく、その途中。
腹が満せるのなら何でもいい、と適当に考えていたコマンドラモンに向けて、ナノモンはこんな事も言っていた。
「ちょうど、お前達に見せたかったものもあるしな」
◆ ◆ ◆ ◆
「さぁ、食え。どれも美味しいはずだぞ」
「いや、その」
所変わって、コテモンと共にナノモンの私室と思わしき部屋に入る事になったコマンドラモンは、そこで思わず唖然とした表情を浮かべていた。
科学者の私室には研究室のそれとは異なる機械が設置されており、それ等は全て付属されたボタンを一度押すだけで食べ物が自動で作られる、ある種の製造機だった。
それ自体は何の問題も無い。
いくら手先が器用なほうのナノモンとはいえ、研究に用いたい時間を食材の料理だの食料の調達だのに割くことはあまり好ましくない事だっただろうから、何の苦労も無く食べ物が手に入るためのものを用意――もとい作成しているのは別におかしな話でもない。
一個一個に付属されている名札が、ボタンを押せば勝手に作られる食べ物の名前であろう事も推察出来る。
おかしいのは、そのラインナップだ。
「……アイスクリーム、ペロペロキャンディ、ホットケーキ、チョコバナナにシュークリーム……って、何でどれもこれもお菓子ばかりなんだ……?」
「? いや、頭脳労働には甘いものを食べるのが最適だと聞いていたからな。自由になったら一度作ってみたかったんだ。すいーつ自動製造機」
「いや、それでも最低限他のものも用意はするだろう……肉とか果物とかそういうの……」
「そういうのは別の場所だ。まぁ、別に良いだろう? 甘いものが嫌いというわけでもあるまいに」
「いや別に嫌いではないけど俺は肉が食いたかったよ腹減ってるんだから」
「ではそちらの方に案内するとしようか? その子はここで食べていく気満々のようだが」
「……じゅるるる……あの、これ押せばいいの?」
「ああそうだ。そうそう、食べたい数だけ押せばいい」
「アイツあの野朗そういう所はデジモンになっても変わってないのかよ……っ!!」
甘味という名の魔物がそこにあった。
どれもこれも多少の差異こそあれど基本的に甘いもの。
食べれば幸福感を得られる一方で、食べ過ぎると体重は爆上げ健康は悪化、それでもついつい口に運んでしまう魔性の食べ物たち。
冒険の中でも、菓子のデータによって形作られた国に通うことがあったが、その時の体験をコマンドラモンはあまり良いものとして認識出来てはいなかった。
というか、全体の比率としてはひどい目に遭ったと言わざるも得ない。
何せ、未遂に終わったとはいえパートナーデジモン達の一部が、面影一つも無く進化も出来ない存在に成り果てるところだったのだから。
が、そんなこと覚えちゃいねぇコテモンは面の奥からヨダレを漏らしながら興奮してしまっている。
思わず目眩を覚えながら、コマンドラモンはこんな事を言う。
「……いや逆か。前に食べ過ぎて痛い目を見た出来事まで忘れたから懲りる事も出来ない、と……くそっ。そもそもお菓子ばっかり食べてたら体に悪いってのは常識だろうが……っ!!」
「……いやいや、そういうお前もデジノワとか食っとっただろうに。一袋渡したらガツガツ食いまくってたろうに」
「う、うるさいな。エネルギー補給のために手っ取り早かったから食べてただけで別に好みってわけじゃない」
(単に味の好みが違うだけで似た者同士、どちらも食いしん坊というだけだろう)
必死の言い訳にナノモンに呆れられているのを尻目に、コマンドラモンはスイーツを堪能中のコテモンの方へと歩いていく。
いったいその小さな体の何処に詰め込むスペースが余っているのか、そもそも顔が面で覆われているのにどうやって軽快に食べ進めることが出来ているのか、疑問は数あれど。
とにかく、注意はしておくべきだと思って、声を掛けた。
「おい、美味しいとは思うがあまり……」
「――ぅん?」
直後、コマンドラモンの声にコテモンが振り返る。
剣道着の長い袖の上には食べ掛けのシュークリームが乗っていて、見れば面の辺りにはクリームがベタベタと付着しており。
面の奥から覗かせる表情は、見るからに幸福そうで。
一瞬、ほんの一瞬――その顔が自分のパートナーのそれと重なって見えて。
注意をしようとした口が、驚きに止まった。
「……コマンドラモンも食べる?」
「……あ、あぁ……」
思わず同意してしまったので、コマンドラモンもコマンドラモンで機械に甘味を用意してもらう事にした。
数ある中から『マリトッツォ』とネームプレートに書かれた機械のボタンを押すと、数秒経ってホイップクリームが濃密に詰まった丸型のパンが出てくる。
軽く食べてみると、とても美味しかった。
「…………」
「……美味しくなかったの?」
「い、いや、美味しかったぞ。本当に」
「そうなの? じゃあオレも試してみるー」
コテモンはコマンドラモンの言葉を聞くと、同じ機械のボタンを押して『マリトッツォ』を用意してもらい、そして頬張った。
見るからに幸せそうな様子だった。
――コマンドラモンも食べようよ!! ほら、リンゴ飴!!
――い、いや、俺はいいよ。腹も減ってないし……むぐっ!?
――甘いものは別腹だって!! せっかくの勝利を祝うお祭りなんだからもっと楽しまないと!!
――わ、解ったから……いやちょっと待てそんなデカいのをいっぺんには無理……ッ!?
――あはははは!! コマンドラモン変な顔ー。
――……ゆ、許さん……ちょっとそこに正座しろこの馬鹿野朗!!
(…………)
少なくとも、冒険の中ではそう多く見られた表情ではなかった。
コマンドラモンは暫し黙り込むと、やがて一つの疑問を口にする。
「……なぁ、一つ聞いてもいいか」
「? 何?」
「お前は、自分の記憶を取り戻したいって思ってるか?」
「…………」
少なくとも、甘味を堪能している時に聞くべき事では無かったかもしれない。
だが、コマンドラモンとしては早めに答えを出しておきたい事だった。
あるいは、記憶を失った当人であるコテモンにとっても。
僅かな沈黙の後、人間の記憶を引き継いだそのデジモンはこう答えた。
「取り戻したいとは、思う。解っているはずのことが解らないままだっていうのは、嫌だから」
「……だったら……」
「だけど、そのために誰かが嫌な気持ちになってしまうのなら……別に取り戻せなくてもいい」
「……そうか……お前はそういう奴だったな……」
そう言われてしまっては、記憶を取り戻すための選択なんて出来ようが無い。
記憶を取り戻すためにはこの世界を冒険しなおして、記憶の空白を埋めていく以外に無いのだから。
その中で伴うであろう危険を、今のコマンドラモンには許容することが難しい。
また、自分の力不足で大切な存在の命を奪われてしまうかもしれないと考えてしまうと、それ以上のことを考えていられない。
時間が解決してくれる問題だとは思えない。
安定択であることを理解しながら、されど残念に思ってしまう自分自身に不甲斐なさを感じていると、今度はコテモンの方から問いが来た。
「コマンドラモンは、どう思ってるの?」
「……俺が?」
「オレの記憶のこと。オレが解らないって言うたびに、キミが……悲しんでるように見えるから、気になって」
思い返せば、眠りから覚めた時もそうだった。
コテモンは、自分のパートナーの人間の『次』である存在は、自分の事を気にかけていた。
コマンドラモンが悲しむと、苦しいのだと。
あるいは、既にナノモンから知らされていたのか。
自分が、コマンドラモンにとって大切な存在である事を。
その理由を。
「……俺の事なんて、気にしなくていい。お前が取り戻せなくてもいいと言うのなら、別にそれでも……」
「オレが嫌なんだ。キミが、悲しんでるのが」
「…………」
コマンドラモンとしては、これ以上このコテモンに傷付いてほしくなかった。
肉体的にも、精神的にも。
だって、目の前の存在は思い出すことが出来ないけれど。
共にいたパートナーデジモンである自分は、よく知っている。
自分のパートナーが、どれだけの苦難を強いられてきたのかを。
世界、なんてよくわからないもののために頑張らないといけなくなって、その使命から逃げる術など無かったことを。
だけど、
(……俺は……また一緒に……)
だからこそ、どうしても――思い出してほしいという感情が胸の内から消し去れない。
記憶の空白の中には、決して良いものとは言えない記憶も混じっているはずなのに。
それでも、諦めることが出来ない。
パートナーであった存在と一緒に、もう一度――かつてと変わらぬ関係と気持ちで、繋がれる未来を。
幸せだけではなく苦難も何もかも共有した、失われてしまったその『先』を。
悩みに沈黙していると、今度はナノモンの方から言葉があった。
「やれやれ。本当にお前は頭が堅いやつだな」
「ナノモン、何が言いたいんだ」
「何も、お前達だけで全てをこなさないといけない理由なんて無いだろうに。二人っきりじゃないと駄目だという明確な理由も無いのなら、素直に助けを求めれば良いだけだ」
「……それは……」
「お前達は、選ばれし子供達は、冒険の中で様々なデジモン達を助けてきたはずだ。私と同じようにな。であればこそ、助けてくれたからこそ、逆に助けてやりたいと思うデジモンは決して少なくはない。この都市にだって、私以外にお前達の助けになりたいデジモンは少なからずいるんだ。お前達が知らないだけで」
「…………」
「世界が、その管理者がお前達を助けてくれないのだとしても、少なくとも『私達』はお前達の事は助けたい。だから、もっと頼ってくれ。遠慮なんてするな。冒険に伴う危険を恐れているというのなら、それを拭い切れるだけの味方を連れていけばいいだけの話だ」
実のところ。
コマンドラモンには助けられた側の心境なんて、よく解らない。
世界を救えと一方的に使命だけを押し付けられて、そのために冒険して、その中の行動の結果として今の関係があるというだけで。
知り合いとなったナノモンはともかく、顔も声も知らない相手が自分達のことをどう思っているかなんて、わからない。
「コマンドラモン」
「…………」
「まだ、なんとなくでしか解らないけれど。頭の中に浮かぶものはどれもぼんやりとしてて、よくわからないけれど。キミがオレにとって大切な誰かだってことは、わかるんだ。だから、もしコマンドラモンが良ければだけど……オレが記憶を取り戻してコマンドラモンが喜んでくれるのなら、頑張って思い出したいな」
「……星来……っ」
「あ、出来れば今はコテモンって呼んでほしいかな。元が……キミの呼ぶその名前の人間だったとしても、今はキミと同じデジモンなんだから」
だけど、力を貸してくれるのなら。
自分だけでは足りないものを、補ってくれるのなら、心強いと思える。
万事解決とまでは言わないが、大丈夫かもしれないと思える。
何より、パートナーであった存在が諦めていない。
自分自身の事だけでなく、コマンドラモンの事までも。
「……もう少し、考えさせてくれるか……?」
「わかったよ。じゃあこれ、一緒に食べよ? 美味しいよ?」
「解った解った。お前の言う通りにするよ……コテモン」
回答を先送りにしながら、実のところ心はもう決まっていた。
仲良く菓子を食べ合いながら、内心でコマンドラモンは呟く。
(お前が諦めないのなら、俺だって諦めない)
◆ ◆ ◆ ◆
そして。
準備のための数日が経って、コマンドラモンはコテモンと共にとあるデジモンの傍にまで来ていた。
鋼鉄の巨体、青く横長の体、車輪と汽笛の音、そして先端には顔。
デジタルワールドという広大な世界において、種族というよりは移動手段の一つとして数えられることが多い存在。
その名を、トレイルモンとデジモン達は呼ぶ。
「乗るのは久しぶりだな」
「そうなんだ。……でも見覚えは無いような……」
「コイツは個体ごとに姿が違う事が多いらしいからな。初見でも無理は無い」
「お初にお目にかかります。選ばれし子供のお二方」
「今となっては『元』とつくぞ、トレイルモン。どうせまた世界の危機が訪れたら、新しいのが選ばれる事になるのだし」
「だとしても、私達にとってはあなた方を含めた『今回の』方々がそうですので」
適度に駄弁っていると、二人の後ろからナノモンが姿を現した。
別れの挨拶のために。
「すまないな。この程度の事しかしてやれなくて」
「十分に助けてもらったさ。同行者は?」
「既にトレイルモンの中で待機している。後はお前達が乗れば準備完了だ」
彼を含め、技術者のデジモン達はこの都市に残らなければならなかった。
デジタルワールドにはまだ、平和というものが完全に取り戻されたわけではない。
それに、また災厄が訪れた時のために世界そのものを更に強固なものにする必要だってある。
二度と、この世界のために犠牲になる人間の子供がいなくなるように。
彼らには彼らで、それぞれ世界のためにやるべきと感じた事があるというだけの話。
「トレイルモンの中には連絡用の機材も積んでいる。情報が必要な時にはいつでも繋げてくれ」
「ああ。本当に世話になる」
「何度も言わせるな。お前達がしてくれた事を考えれば、当然のことだ」
「それでも言わせてくれ。本当に、ありがとう」
冒険の縁に感謝をしながら、コマンドラモンはトレイルモンの体にある扉の方を見る。
この中に入った瞬間に、再び冒険は始まる。
世界を救うためではなく、たった一人かけがえのない相手の記憶を取り戻したいという、願望のために。
その事実を噛み締めた上で、彼はパートナーに声をかけた。
「行こう」
「うん。実はちょっと楽しみだったんだ」
「相変わらず暢気だな」
「そうなの?」
彼等は自らの意思で列車の扉をくぐる。
冒険が始まった。
もう、完全な意味で元通りにはなれないだろうけれど。
それでも、もう一度かけがえの無いパートナーとして――。