スパイラル、という存在がある。
姿形こそ数多存在するデジタルモンスター達と瓜二つでありながら、当のデジタルモンスター達からは意思疎通が不可能な怪物、害悪でしか無い存在であると認識されたモノ。
さながら飴細工のような体の色と質感のそれ等は、現実世界にデジタルポイントと呼ばれる特異な領域を発生させながら現れ、人もデジモンも等しく混乱の中に叩き込んできた。
言語が通じることはなく、相互理解など不可能。
突然理由もわからず襲ってくる以上、人間からもデジモンからも消し去るしか無いと判断されてしまうのも、当然と言えば当然だった。
そして、二つの世界から存在することを認められず、その存在理由からして成長の必要が無く、そもそも『個』という概念を持たない空虚なる存在であるスパイラル――その統合意識もまた、人間やデジモンの理解など知ったことではなかった。
誰からもその存在を認識されることが無い、その事実に小波を立てた統合意思の思考は段階を経て変質する。
疑念はいつしか渇望となり、渇望は無数の検証を経て希望を生み、その希望はすぐに絶望へと反転し――時を経て、更なる疑念を生み出してしまう。
スパイラル。
螺旋の名を冠するその存在が思考の空転に陥った事を、皮肉と呼ばずして何とするのか。
彼等の積み重ねによって生まれた、後にエリスモンと呼ばれる事になるデジモンと、どこにでもいるような平凡な少年の邂逅は、彼等の疑念を再び廻らせていく。
そうしていつか――思考の螺旋は憎悪に満ちた激昂の怪物を生み出した。
破壊に次ぐ破壊、それは現実の存在もデジタルの存在も、何もかも否定しようとする意思の表れ。
それは、人間達とデジモン達の努力だけでは、とても止めることの出来ないものだった。
――ああそっか……ちゃんと、届いたんだね。
――ボク……頑張ったよ……。
――良かった、みんなの楽しいや嬉しいが壊れなくて……。
――みんな、悲しい顔はしてほしくないな。だって――約束したから。
だから。
結果として――彼等という『全』の激昂は、他ならぬ彼等が産み落とした器の意思によって、デジモンでありながらスパイラルでもあるという特異なる『個』の回答によって、静められることになった。
螺旋に貫かれ、空虚の宇宙の中で空転した思考は漸くの出口へと向かう。
一人と一匹の、ひと時の別れという対価を経て。
――絶対キミに会いに行く。
――だから、さよなら。
一つの事件が終わり、人間とデジモン達はひと時の平和を手に入れた。
一方でスパイラルと呼ばれた存在は、ある種の『個』と呼べるものを獲得した。
かつて『全』と呼ばれた統合意思は、結果として手に入れた『感情』という名のデータによって、いくつかの『個』として崩れることになったのだ。
見方によっては、それは崩壊とでも言うべき事柄なのかもしれない。
しかしスパイラルは、その統合意思はそれが進化であると受け取った。
ようやく一歩先に進むことが出来たと、抜け出せない螺旋の外に出ることが出来たのだと、人間やデジモン達のように成れるかもしれない――そんな希望が芽生えたのだと。
さて。
ここまでが、当事者であるデジモンが、エリスモンが認知している事の顛末であり。
時を経て転生した彼は、再会したパートナーと共に海外旅行に行ったりなど、苦労してきた分だけエンジョイした後で新たなる事件に挑むことになるのだが。
それとは別に、当然ながらスパイラル"たち"は進化の道を歩んでいた。
自問自答――否、個として分れつつあるその者たちは、時間をかけて『相談』をしていたのだ。
これは、後の黒幕さえ与り知らぬ、検証の物語。
平和になってから、また平和じゃなくなるまでの暫しのぬくもりの中で。
螺旋の中で夢見た『個』が体験した、一つのお話。
◆ ◆ ◆ ◆
虚構の宇宙。
人間やデジモンどころか動植物の一切が存在しない、オーロラに似た彩りのみが見える概念の世界。
そこでは三角形のポリゴンのような何か――スパイラルと呼ばれる存在が所々で集いきらめいており、星のように光りながら問いと解答を繰り返している。
――ようやく進むことが出来る。
――我々が、世界に認知されるための。
――永い、とても永い時間だったが、ようやくだ。
――あの偶然は、間違い無く希望だった。
――学んだからには、二度と絶望に変えてはならない。
一つ一つの言葉は、散らばった星々から発せられていた。
全にして一、一にして全――個という概念を持たなかった存在が、感情というものを獲得することによって生じることになった変化。
全を崩しながら、別々の一として獲得した個の概念――その恩恵。
生き物であれば誰もが持つ概念を手に入れた彼等の中には既に善性や悪性、そして欲求が芽生えつつあり、故にこそ個として目覚める者の中にはそれぞれ異なる願い――いわゆる『目標』が生じつつあった。
世界に認知される存在になりたい、という原初の願いとは別に。
どんな存在になりたいか、何処に行ってみたいか、どんな人間やデジモンと会ってみたいのか、えとせとらえとせとら。
事の経緯がどうあれ、自らの未来と言えるものを求められるようになったのは、孤独であるが故に思考の螺旋に陥るしか無かった彼等にとって、紛れもない前進だった。
既に境界を越え、世界に個として旅立って行ったスパイラルは存在する。
当然、何もかもが順風満帆というわけではなく、過去のいざこざもあって現住のデジモンに倒され駆逐され、この虚構の宇宙に叩き返されてしまうスパイラルも等しく存在する。
ここにいるのは、主に『目標』を定められずに個としての自覚が無いままのスパイラルか、あるいは世界に生きる者の手で消し去られ送り返されたスパイラルばかり。
デジモンの姿や挙措を物真似出来ても、そのものになりきる事が出来ないことは、そう都合よく受け入れてはもらえないことぐらいは、彼等自身とっくの昔に理解していた。
しかし、だからこそ。
前提からして難題であることを誰よりも理解している彼等の思考に、諦観の二文字が生じることは無い。
――優劣は未だにあるが、諦める理由にはならない。
――現に、我々を受け入れた者がいるのだから。
――他に誰一人として受け入れる者が、世界が無いとは限らない。
数多の失敗があった。
幾多の崩壊があった。
それ等が憎悪に転換しなくなってきた事こそ、あるいは彼等の進化の証とも呼べるのか。
そしてやがて、とある『個』が明確な意思を伴って、こんな思考を宇宙に伝播させた。
――人間と触れ合ってみたい。
――…………?
反応は疑念。
次いで困惑。
それまで何度も何度も人間の世界に干渉しておきながら今更ではあるが、彼等スパイラルはデジモンに関する情報は構造やデータの配列など、隅々まで調べつくしていた一方で――人間については知らないことが多いのだ。
知っていることと言えば、デジモンと比べて実体が脆弱であり戦闘能力と言えるものを有していない事と、デジモンの進化を促す何かしらの力を持っているという事ぐらい。
認知を求めた存在でありながら、しかしデジモンほど徹底的に調べようとしなかった事には理由がある。
一つ、人間はデジモンに進化を促すなどの影響を与えるが、スパイラルに影響を与えたことは一度も無い。
二つ、デジモンのガワを生み出した時と同じく、人間の真似事をしたところで人間になれるわけではなく――そもそも根本的に、デジモンの時のように精巧な器を作り出すことは出来なかった。
三つ、そうした前提を承知してまで、調べ続ける意味があると当時のスパイラル――その統合意志には考えられなかった。
単独で考えて、無意味だとしか考えられないことに、あるいは余分なことに対し。
試してみよう、と考える程度の意思さえ当時のスパイラルには存在しなかったのだ。
だが、今のスパイラルの中にはエリスモンを介して獲得した感情がある。
検証可能な可能性はいくらでも検証してみようと思う意欲と、なんかそれちょっと面白そうだなと感じる好奇心がある。
だから、こうした興味に目覚める『個』が出現することも決して不自然ではなく、統合意思もまたそうした個の意思を進化のカタチの一つであると受け止めていた。
――語るまでも無いだろうが、一応は言葉にしてもらおう。どういう意味だ?
――そのままの意味だ。我々の干渉はこれまで、主に人間とパートナーの関係にあるデジモン達の手で阻害されてきた。器であったエリスモンもまた、人間と触れ合い学習し、デジモンとして進化に至った。
――それは既知の事実だ。そうした事実があるからこそ、エリスモンは感情というデータを我々に獲得させるに至った。疑問の余地があるのか?
――我々はデジモンの事を知ろうとするばかりで、人間については知らない事が多すぎる。知っている通り、我々は通常のデジモンは当然、我々から生まれたエリスモンにも本当の意味でなる事は出来ないが、エリスモンと同じように人間に寄り添おうとしてみる事は出来るのではないか? あるいは、そこにこそ新たなる道は見い出せるのかもしれない。
――そうか。
難しい事であることは承知の話であると、統合意思は理解していた。
分岐しつつある個であるとはいえ、元は全たる統合意思を構成する一に過ぎない。
その考えは、全てではないにしろ容易に予測がつく。
それに何より、これはスパイラルの可能性を模索する検証の話だ。
否定して何かが発展するわけでも無ければ、そもそも今の統合意思に個として分れようとする同類の道行きを塞ごうという思考は存在しない。
――では行くといい。
――ああ、行く。
なので、スパイラルの統合意思は一つの分岐を辿ろうとする『個』に向けて、必要最低限の言葉だけを述べる。
少しの間を置いて、虚構の宇宙からまた一つ輝きが消える。
別離の瞬間にしてはあまりにも淡白であっさりとしたものだったが、少なくとも彼等にとっては十分なものだった。
他に語ることがあるとすれば。
その『個』の意向に興味でも抱いたのか、一部――ごく少数のスパイラルが先駆者の後を追って行ったという事実のみ。
◆ ◆ ◆ ◆
「はぁ、はぁ……」
雨雲が天蓋を覆う午後六時過ぎ。
その日、都内の中学校に通うボサボサ頭の男子中学生――守野真問(かみやまとい)は、人込みの間を途切れ途切れに走り続けていた。
学生鞄を手に全力疾走する彼の手に傘は無く、当然ながらその全身は雨によってずぶずぶと濡れつつある。
鞄の中身にまで雨水が浸透するのも時間の問題、といったところだ。
コンビニにでも立ち寄ってビニール傘でも買えば濡れ具合は多少マシに出来るだろうが、息を荒くしながら走り続ける真問はコンビニやスーパーの入り口になど目を向けなかった。
何故なら彼の頭の中にある最優先事項は、寄り道などしていては到底間に合わない話だったのだから。
それは、
(――早く帰らないと今週の話リアタイ出来ないじゃねーか!!)
ただ単に、好きなアニメ番組をリアルタイムで視聴したい――というだけの話だった。
同種の興味や関心を持たない人間からすれば、録画や見逃し配信など他の視聴手段がある今のご時勢にわざわざリアルタイムに固執することは無いのでは? と、おかしな物を見るような目を向ける他に無いことだろう。
が、当人にとってはそれだけ重要なことなのだ。
だから雨の中で傘も持たずに走っているし、度々濡れた街道の上で滑り転んでしまいそうにもなっている。
ちなみに傘を持っていないのは、単に彼が天気予報の「30%」を甘く見ていたせい――つまるところ自業自得である。
この時間帯は人込みも激しく、間を縫うことさえ不可能と言える壁がいくつもある。
そのため、仕方なく歩きで行くしか無い時間もあり、彼にとってのタイムリミットはどんどんなくなっていく。
別に、タイムリミットを過ぎてしまったとしても死んでしまったりするわけではないのだが、事実として真問の思考に焦りの色が濃くなっていく。
信号機の青色が待遠しくなるし、人込みの多さに普段以上の困り顔になる。
そうしてやがて、彼は破れかぶれに解決策を導き出す。
(――近道っ!! それ以外に無し!!)
普段ならまず通ることを考えない道。
埃をかぶった、建物と建物の間にあるような裏路地を通路として使うことを、真問は選択した。
幸いにも自宅がある方角は解っている。
ルート選択を間違ったり運悪く行き止まりに遭遇したりしない限り、自宅であるマンションが視界に入る位置にまで時間内に辿り着くことは難しくないはずだと。
楽観的にそう考えて、特にリスクの側面などは考えずに真問はいつもの通学路を外れ、自宅がある方角に一直線になる角度から裏路地へと駆け出していく。
普段見慣れない風景。
何が棄てられているのかも知らないゴミ箱の列とくさいニオイ。
そうした都会の負の側面ばかりを詰め込んだような道を経由しながら走り続けて。
そして、
(――え、何処だここ?)
気付いた時、守野真問の視界には異なる風景が広がっていた。
都会の輪郭はそのままに、その表面がブルーシートでも貼り付けたように青色を宿しており、何より都会であれば当たり前に存在するはずの人込みがいつの間にか消え去っている。
見れば、建造物どころか空の色も夕焼けや夜の色とは異なるものに変化していた。
見慣れた形状の建造物がありながら、全く見知らぬ異世界にでも来たように感じられる。
真問には心当たりがあった。
(……もしかして、ネットで噂になってた神隠しってやつか……これ!?)
噂があった。
曰く、ある日突然にすぐ近くを歩いていたはずの人物が見えなくなる現象があるという。
見えなくなった人物は運良く何事もなく『現れて』戻ってくることもあれば、それっきり家にも戻れず行方不明者として救助隊などの捜索対象になっている場合もあるとか。
理由も原理も不明。
ただ唐突に人間が消えて、現れる時もあれば現れない時もある、という曖昧な噂があるのみ。
事実として語ってしまうと、それが原因で住民がパニックに陥る危険性があるからとも語られるが、何にせよ真実は霧の中である。
現在の真問に眠気があるわけでも無ければ、幻覚を見てしまうような原因を作った覚えも無い。
目の前にある風景は自分が立っている現実そのものである、という事実を認めるしかなくて。
ついつい守野真問は叫んでしまっていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!? これ絶対リアタイ出来なくなったじゃねーか!! ああもう神隠しだかナニ隠しだか知らねーけどこんな非常事態に余計に厄介事持ってくるんじゃねぇよカミサマ馬鹿っ!!」
まぁ。
いきなりファンタジーな状況に置かれた事に対する現代人の反応など、所詮はこんなモノなのかもしれない。
さっさとアニメをリアルタイムで見て後々の時間に没頭したいオタクからすれば、神隠しに対する感想などド迷惑の一言以外に存在しないわけである。
見知らぬ場所に来てしまったのなら、迂闊に動き回らないほうがいい――なんて思考は今の彼の脳内には存在しない。
むしろ、本当に異世界に来てしまったのならさっさと脱出するためのルートを見つけ出すため動いたほうが良いと考えており、実際彼は人のいない街路に一歩を踏み出していて。
直後のことだった。
何もかもが唐突でありながら、更なる突然が彼の眼前に訪れる。
ピロリロリン、と。
まるでゲームで聞くSEのような不思議な音と共に。
「――ちょっ!? 何だこいつ!?」
――…………?
それは、数え切れない微小なる欠片が結集したモノだった。
宿す色彩は赤色のみ、皮膚も骨格もバーチャルなポリゴンによって構成された、四肢を有する小柄なドラゴン――のような生き物。
いや、あるいは生き物という呼び方も不適切かもしれない――生き物と言うには、あまりにも人工物染みた外見をしていたのだから。
しかし、現に真問はその人工物染みた体表の赤いドラゴンから視線(?)を感じていた。
じーっと、吠えたりすることなく静かに見つめるその様子は、まさしく犬や猫のそれだった。
(……えぇと……?)
「――――」
――…………。
困惑、対して沈黙。
どちらかが特に悪いことをしているわけでもないのに、妙に気まずい空気が流れてしまう。
真問としては、さっさと自宅に戻りたいのだが、かと言って目の前の明らかにアヤシイ生き物を無視するのは何かが違うというか、正しい判断だとは思えなかった。
ただでさえワケのわからない状況に合わせて現れた、ワケのわからない生き物。
そんな生き物と十秒ほど沈黙しあって、守野真問は、
(ええい。これはアレだ。ネコと和解せよってヤツだ多分!!)
「――こん、ばんわ?」
ヤケクソ気味に、挨拶をした。
そもそもドラゴンに人間の言葉が通じるのか、通じたとしてマトモな返事は返ってくるのか。
そんな疑問を、言葉を発してから思い出した真問の脳裏に、
『――こん、ばんわ』
「!?」
耳鳴りにも似た、音が奔った。
ドラゴンの口が開いたわけでもないのに、言葉の羅列だけが確かに真問の頭脳に刻まれていた。
真問は困惑しながらも、今何よりも聞くべきだと感じたことを素直に聞いた。
「……お前は、ここが何処なのか知ってるのか?」
『――知らない――』
言葉の羅列が脳裏を奔る。
こんばんわ、知らない、と続けて応答があった事実に、真問は目の前の赤いポリゴンのドラゴンが知性を有する存在であることを確信する。
その存在は、続けざまにこう述べた。
『――人間の世界と、デジモンの世界。その境界線にある、空間であるという事以外は』
◆ ◆ ◆ ◆
実のところ。
その赤いドラゴン――ドラコモンと呼ばれる種族のデジモンの体を参照した仮初めの体を操る、統合意思から分離した個の一つたるスパイラルは、困惑していた。
境界を越えて『出現』した場所が、現実世界とデジタルワールドの間で構築される、いわゆるデジタルポイントであった事については特に驚いてはいない。
元々、スパイラルは世界の嫌われ者。
特に現実世界においては、データの存在でありながら実体として出現出来るデジモン達とは異なり、存在してはならない不純物として扱われている存在なのだ。
デジタルワールドならともかく、現実の世界に現れようとすると時空が歪み、現れたスパイラルを中心にデジタルポイントと言う名の特異点を出現させてしまう。
なので、投げ掛けられた言葉から考えても、目の前の人間はデジタルポイントの出現に巻き込まれてこの境界線に存在している、スパイラルの事を何も知らない類の者だと思うのだが、
――……慌てていたり、逃げようとしたり、攻撃しようとする様子は無い。どのような姿をしていても、我々のことを見た人間の反応はそのぐらいだったものだが……自分から対話を試みようとするとは。
やけに状況に適応しているというか。
明らかに生き物の体を成していないスパイラルという存在を視認していながら、明確に意思ある者として認識した上で言葉を投げ掛けてきている。
人間という存在の脆弱性については、スパイラルも知覚している。
その気になれば、暴力でもって目の前の人間の生命活動を終わらせることは難しくないとも。
そうした危険性を理解していないのか、それとも理解した上で判断をしているのか。
いずれにしても、スパイラルの感想は一つだった。
――変わった人間だ。
そうした思考などいざ知らず、ボサボサ頭の男は赤いスパイラルに向けてこんな事を言ってくる。
「なぁ、その……デジモンって何だ? 聞いた事無いけど」
『デジタルなモンスターの事だ』
「いや答えになってないから」
『間違ったことは述べていないはずだが』
「間違ってなければ答えになるわけじゃないんだよ」
『……これ以外の解答は思考にないのだが』
「解ったよ。とりあえずモンスターって事だけは覚えてくよ」
『そうか……』
人間からの質問に応対を行っている内に、赤いスパイラルは思う。
考えてみれば、こうして人間と言葉を交えるのはスパイラル全体で見てもこれが初めてなのではないかと。
まだスパイラルが一つの存在でしかなかった頃は、そもそも対話という行為をさして必要なこととして考えた事が無かった。
自らの存在が空虚であると自覚して、人間やデジモン達に自らの存在を認知してほしいと思いだして、そのために取った行動はただただ一方的な検証のみ。
相手の都合や感情のことなど、微塵も考えたことは無かったし。
対話どころか、そもそも言葉というもの自体、少なくとも人間に対して扱ったことは一度たりとも無かった。
単なる意思の疎通。
必要な、あるいは求められた情報を伝え合うだけの行為。
己に利があるわけではないにも関わらず、何か満たされるような感覚がある。
人間と触れ合ってみたい、その思いでこうして個として出現していながら、赤いスパイラルは人間と交流に戸惑いを覚えてしまう。
「ここから出る事って出来るのか?」
『知る限りでは、我々のような存在がいない場所に向かって行けば抜け出せるはずだ。この空間は、我々の存在を中心に生じているものだからな』
「……我々って、そう言うってことはお前には仲間がいるのか? お前みたいなのが、他にもいるって?」
『……此処にはこの一体のみだ。あまり長くいないほうがいい。人間は、デジモンより頑丈ではないだろう。追うつもりは無いから、早く行くことだ』
「……心配してくれてるのか?」
『事実を述べているだけだ』
初対面、しかも未知なる存在。
それから逃避するでもなく、それを攻撃するでもなく、その存在を認めた上で真っ向から言葉を交わす事。
今までに無い反応だった。
いや、今までに無くて当然の反応だった。
人間やデジモンに認知される存在になる、ただそれだけのために取ってきた行動は、その真逆とも言える選択肢でしかなくて。
単一で完結した存在であったスパイラルにとって、それは根本的に不要なもので。
だからこそ、それが何よりも求めていた、認知の証明であったという事実にすら、気付くことは出来なくて。
結果として、暴力に訴える選択しかしてこなかったのだから。
そんなスパイラルにとって、見ず知らずの人間から一切の拒絶もされず、認知を認めた上で言葉を交わすという行為は、未知の刺激以外の何物でもなかったのだ。
「そっか。でもありがとうな、いろいろ教えてくれて」
『…………』
赤いスパイラルは、自らが感じたものに混乱する。
エリスモンから受け取った感情と言う名のデータは、それを『嬉しい』と判断しながら、同時に別の言葉を浮かべさせてもいた。
聞きたい事を聞き終えたからだろう、人間は赤いスパイラルに感謝の言葉を残すと共に、その場から立ち去ろうとした。
赤いスパイラルは、思わずその背中を目で追おうとして、
「あん? オイオイ何だ、変な組み合わせだな」
直後に、遅れてその存在に気がついた。
人間のそれとは異なる声にすぐさま振り向くと、そこには第三者の姿があった。
人間の方もそれに気がつくと、一瞬ポカンとした表情になった後で言葉を発していた。
「……あのかっけーの、もしかしてお前の仲間?」
『違う』
そこにあったのは、信号機ほどの高さはあろう黒き巨体。
長い尻尾に牙を供えた大顎、頭頂部から尾の先までに生えた緑色のたてがみ。
種族名をダークティラノモンと呼ぶ――デジモンが現れていたのだ。
当然ながら、スパイラルの中にエリスモン以外のデジモンと交友関係にある個体は存在しない。
であるからには敵――などと断言するつもりも無いが、なんとなくあのダークティラノモンはエリスモンのように対話に応じてくれるようなデジモンには見えない。
そして、推測は悪い方向でのみ的中していた。
「――まぁいい。何であれ人間がいるんなら……よォ!!」
『逃げろ!! 危険だ!!』
「えっ」
思わず警告の言葉を送りながら、突進してくるダークティラノモンを前に赤いスパイラルはその身にデータの粒子を集わせ、姿を変える。
――構造参照:スカルグレイモン。
「あン?」
変化はほぼ一瞬だった。
それまで小柄なドラゴンの形をなしていた赤いスパイラルの姿は一変、ダークティラノモンとそう大差無い大きさの――赤いポリゴンによって構築された、脊椎部分にミサイルのような造形の肉塊を備えた骨の竜へと変貌する。
完全体アンデッド型デジモン――スカルグレイモン。
かつてスパイラルが行った『検証』の中で、とあるデジモンが結果として至った種族。
スパイラルが一つだった頃、他を拒絶するために主戦力としていたカタチの一つ。
その姿を目の当たりにしたダークティラノモンは、
「へぇ」
微塵も恐怖を感じた様子もなく、
「面白い事出来るんだな、オマエ」
ただ素直な感想を述べた後、
「まぁ、結局邪魔ってコトに変わりはねぇんだけどなァ!!」
――……!!
躊躇なく襲いかかってきた。
これが本来の、実体を持つデジモン同士の対決であれば、完全体のスカルグレイモンが成熟期のダークティラノモンを圧倒してハイおしまい――という話で終わることだろう。
進化段階の差というのは、デジモンにとってそれほど大きなものなのだ。
だが、このスカルグレイモンはスパイラルがスカルグレイモンという種族の構造を模造したものに過ぎない。
物真似の産物、見かけだけのまがい物。
そんなモノが本物と同等の能力を有することなどあるわけも無く、スカルグレイモンの形を成したスパイラルに向けてダークティラノモンがその肥大化した左腕を胴体目掛けて振るうと、体格差に反してスパイラルの体躯が後ろに押されてしまう。
返す刀でスパイラルもまた鋭利さを備えた両腕を振るい、続けざまに肉薄せんとするダークティラノモンに抵抗するが、
「はっはァ!! 見た目のわりに弱えなオマエ!!」
――…………!!
「どういうツクリなのかは知らねえが……戦い方ってのをまるで解ってないらしいッ!!」
ダークティラノモンは、スカルグレイモンの姿をしたスパイラルよりもずっと戦闘に長けていた。
数撃、スカルグレイモンの姿のスパイラルの腕による抵抗を受けて傷こそ負いながらも、その長い骨だけの腕を避けるための適切な間合いをすぐに見切り、笑みを浮かべながら連続で攻撃を仕掛けてくる。
バキリ、と。
そもそもが微小なデータの集まりによって構築された体、戦闘によって生じる損耗に長く持ちこたえられるわけではなかったのか、スカルグレイモンと同形の右腕――その間接部がひび割れ、直後に折れて落ちてしまう。
本来のスカルグレイモンのそれと同等の強度を有していないから、というのが根本的な理由ではあるのだろうが、その事実を理解した上で同時にこうも思考していた。
(――このデジモン、通常のデジモンとは何かが違う……?)
纏う雰囲気、あるいはもっと別の何か。
何にせよ、赤いスパイラルは目の前のダークティラノモンが今までスパイラルが交戦してきたデジモンとは異なる要素を有していると感じていた。
検証のために何度も何度も戦いを続けてきた以上、成熟期のデジモンが生命体としてどの程度の強度を有しているのかどうかは、蓄積させてきた情報により知覚していた。
スカルグレイモンという種族を参照した形を取ったのも、それが本物ほどの強度に至ることは無いにしろ、成熟期のデジモン相手なら確実に抵抗出来得るものであると認知していたからに過ぎない。
だが、このダークティラノモンにその前提は通用していない。
明らかに、このデジモンは強く――何より奇妙だ。
エリスモンとは異なる意味で、イレギュラーな前提を感じる。
(――難しい)
接近戦では脊椎のミサイルを発射しても安全に命中させられる保障は無く、むしろ自分自身ごと巻き添えにしてしまう可能性のほうが高い。
であれば肉弾戦で打ち克つ他に無いが、それによる損耗は明らかにスパイラルの方が大きく、ダークティラノモンの方は小さい。
単独では勝ち目が無い、とスパイラルは判断するしか無かった。
しかし、一つの統合意思として在るスパイラルとは異なり、このスパイラルは既に個として分離した存在――同じスパイラルの援軍を生み出すことは、まず出来ない。
あるいは究極体のデジモンを参照した姿にでも変化すれば、まだ対抗出来るかもしれないが――戦闘の最中にそんな行為を挟む余地など、姿を形作るためのカケラを集める時間など無い。
そして実際、その予測は間違っていなかった。
「グルアアァ!! ファイアーブラスト!!」
――!!
ほぼゼロ距離の肉弾戦の最中、突如後方にダークティラノモンは一呼吸の間に口の中に溜め込んでいた炎をスパイラルの顔面目掛けて吐きかけてきた。
その威力は凄まじく、放射状に解き放たれた炎はスカルグレイモンの姿をしているスパイラルの体躯を丸ごと飲み込み、炎上させてしまう。
スパイラルの仮初めの体を構築する欠片が、少しずつどこかに向かって消えていく。
燃えて燃えて、灰のように舞い上がって――そうして、呆気なく消え去ったスカルグレイモンの体の代わりに残されたのは、色とりどりの三角形の欠片と、それが周囲に集っている色の無い靄のような何か。
スパイラルという存在の、いわゆる初期状態にあたるものだった。
「――ったく、邪魔しやがるせいで人間を逃がしちまったじゃねぇか」
――…………。
「一言も喋れねぇ、ワケ解んねぇやつがよ……食事の邪魔なんかするんじゃねぇよ」
どうでもいいモノを見たような口ぶりで、ダークティラノモンはそう言った。
当然、彼の中に自分の邪魔をしたスパイラルに対する温情など微塵も無いらしく、気だるげに近寄るとその右脚を上げる。
実体さえ不確かな状態にあるスパイラルを、踏み潰して消し去ろうとしているのだ。
(終わり、か)
自分の存在がこの世界から消し去られそうになっている――そう理解しているにも関わらず、スパイラルはそのことに対して特に悲観はしなかった。
元々、こんなことはずっと前から続いていた。
器となる存在を生み出しては、その度にその存在を否定せんとする者たちの手で消し去られる。
その繰り返しは、統合意思が数える事をやめる程度には積み重なっている。
異なるものがあるとすれば、このスパイラルは個として分かたれたものであり、消滅した後に虚構の宇宙にある統合意思の下に還元される可能性は低いという点ぐらいだが、赤いスパイラルは自身の消滅について特に感慨は持たなかった。
自分が消えたところで、スパイラルという存在がなくなるわけではない。
自分という個体が消失したところで、誰かが困るわけでもない。
認知される存在に進化するための道筋が、どこからも消え去るというわけではない。
気懸かりがあるとすれば、自分という個の存在を認知した、ただ一人の人間の安否ぐらい。
(無事にこの領域を脱したのだろうか)
彼は人間だ。
自分達スパイラルとは異なり、現実に認知されている存在であり。
代えが利く存在でもない。
であれば、自分よりもあの人間の方が無事であるべきだ。
不思議と、そんな風に思った。
今の今まで――スパイラル以外のものを優先順位に上げることなど無かったのに。
疑問はある。
残念だと思う気持ちもある。
でも、その全てはいつも通り虚構に還る。
初期状態にまで戻らされては抵抗は無駄であると察し、赤の色彩さえ失ったスパイラルは最後に人間と交えた言葉を思い返して、
そして。
「……ん?」
――…………?
直後のことだった。
スパイラルもダークティラノモンも、理解が追いつかない様子でそれを見た。
「――なんだ、戻ってきたのか?」
「はぁ……はぁ……っ!!」
『――なぜ……』
人間の少年がいた。
スパイラルとダークティラノモンの戦いを前に、逃げる以外の生存方法を持たないはずの生き物が。
初期状態のスパイラルを、実体の有無さえ不確かなそれが踏み潰されるのを我慢出来ないといった様子で、間一髪のところで両腕で抱き抱え救い出していた。
スパイラルを助けた彼の足取りは、即座にダークティラノモンから逃れるように動いていた。
だが、人間の足で巨駆を有する恐竜から逃れられるわけが無い。
当然、元々人間が標的であるらしいダークティラノモンは、どしりどしりと数歩前進して、
「逃がしてやるわけがねぇだろ」
「っ!!」
骨を砕く音があった。
ダークティラノモンが、初期状態のスパイラルを抱えた少年に追いつき、即座に右脚で彼の体を背中から踏み潰したのだ。
手で掴み取るよりも足で縫い止めるほうが楽だとでも感じたのか、何にせよ巨駆の体重に縫い止められ、体の骨をいくつか折られてしまった少年は、その身動きを完全に封じられてしまった。
死んでないだけまだマシといった状態の少年に向けて、スパイラルはその腕の中に護られた位置のまま、少年に言葉を伝播させる。
『――なぜ、戻ってきた。こんなことをする理由なんて無いはずだ』
「……い、から……」
『……?』
「……たすけて、もら……ったのに、みすて、るとか……ダサい、から……」
『…………』
ダサい、という言葉の意味はスパイラルに通じるものではなかったが。
その言葉が、自らに適用されてしまうことが、少年にとって耐え難いものである事だけは、スパイラルにも理解が出来て。
そして、何よりも。
自分を助けてくれたから、見捨てたくないと少年は訴えていた。
彼の口元から、少なくない量の赤色が漏れる。
――……何だ、この感情は。
己が消える事に関しては、まだ受け入れることが出来ていた。
だけど、この人間が終わってしまう事は。
自分というものを認知してくれた、この存在が消えてなくなることは。
その事実からは、別の感想が浮かんだ。
――いやだ。
今までが嘘だったかのように、急激に湧き上がるものがあった。
否定の気持ちがあった。
唯一無二のものを失いたくない、そんな思いが膨れ上がっていく。
――いやだ、こんなことは、絶対に……!!
初期状態のスパイラルに、戦う力は無い。
戦う力を持たない以上、この少年をダークティラノモンから救いぬく事は出来ないし。
そもそも、このままいけば少年の命は誰が手を出さずとも終わる。
実体や五感の概念さえ希薄な状態でも、少年から伝わる熱が、気配が――薄まっていくのを感じるのだ。
出来ることは何だ。
何をどうすればこの人間を助けられる。
スパイラルの援軍は来ない。
感情を伝えてくれた、エリスモンはこの世界にはいない。
この場には、ダークティラノモン以外に己しか少年を認知している存在はいない。
命を繋げて、目の前の脅威に対処する。
そのための方法を、考えに考えて。
そして、その個は他のどのスパイラルも為した事の無い、ただ一つの解を得た。
――これしかない。
過去にスパイラルは、デジモンに進化を促したことがある。
ティラノモンと呼ばれる種族の個体を、卵のような外殻で包み込んで、その内部でスパイラルのデータを注ぎ込んだ。
結果としてそのティラノモンはスカルグレイモンへと強制的に進化させられ、とある少年少女達とそのパートナーデジモン達を望まぬ戦いへと放り込んでしまったわけだが、今重要なのはそこではない。
重要なのは、スパイラルのデータがデジモンを進化させたという事実。
デジタルポイントにおいては、人間もまたデジモンと同じ、データによって構成された存在だ。
経緯がどうあれ、同じ境界線に在る以上、スパイラルが人間を構成するデータに干渉を行うことが出来る余地が存在するのかもしれない。
つまり、スパイラルが得たただ一つの方法とは、
――この人間と、融合する。
かもしれない、と語尾につく程度には、不確かな方法だった。
何せ、デジモンに対して行ったことはある一方で、人間の体で行ったことは一度たりとも無い『検証』の話だ。
スパイラルのデータを獲得して、人間の体が無事に済むなどという保障はどこにも無い。
仮に無事に済んだとして、何の変化も促すことが出来なければ、どうにもならない。
それでも、このまま何もせずに少年が終わるのを見過ごす選択肢など、無かった。
この人間に今足りないのは、戦うための力だ。
生きるためのエネルギーもそうだが、根本的に戦闘種族であるデジモンに対抗するには力不足過ぎる。
だから、進化させる。
この人間がデジモンに立ち向かえるように、そう出来るような力を得られるように。
スパイラルは、己自身を再定義し、その存在全てを少年に注ぎ込む。
スパイラルの初期状態、その仄かな輝きが少年の腕の中から、胸の奥に向かって沈み込む。
心臓や脳、その他諸々の臓器に、それ等を伝う神経と電気信号。
スパイラルのデータは少年の体を構成する全てに余さず拡散し、少年の存在を内側から変質させていく。
溶けて曖昧になりつつある意識の中、スパイラルは静かにこんな言葉を残していた。
ようやく、自覚した願いを。
――もっと、話をしたいんだ。
(……静かになったな。頃合いか)
しばらく人間の少年の体を踏みつけていたダークティラノモンは、少年の体から何の反応も返ってこないことを確認すると、右脚をどけた。
そこにあるのは当然、全身の骨が折れて身動き一つ取れなくなった、哀れな人間だけ。
彼が庇おうとしたモノのことなど、既に思考には入っていない。
そもそもダークティラノモンからすれば、あんなモノは標的ですら無かったのだから。
彼の標的は人間、厳密にはその肉体だけ。
「さて、美味しくいただかせてもらうかね」
踏みつけていた足の代わりに、今度は肥大化した右腕を押し付ける。
そのまま、長い爪を供えた指で少年の体を掴み取る。
呻き声はあったが、抵抗は無い。
ダークティラノモンにとっては、どうでもよかった。
彼は掴み取った人間の体を、自らの口の中に放り込もうとして。
直後に、その変化を目撃した。
◆ ◆ ◆ ◆
守野真問は真っ暗な世界の中にいた。
体の感覚も無く、幽霊にでもなったかのような錯覚を覚えながら、その意識を取り戻す。
(……俺は……)
『意識が戻ったか』
「っ?」
自分以外の誰かの声に気付き、無い顔を上げてみれば、そこには仄かな光があった。
自分がどうしても見捨てようと思えなくて、難しいと解っていてもなお、つい助け返してあげたかった誰か。
その誰かは、真問と"真正面から向き合って"こう言った。
『今すぐ起きてほしいが、起きただけでどうにか出来る状況でもない。だから、存在し続けるために必要なことだけを伝えようと思う』
「……助けてくれるのか? また? なんで?」
『もっと話がしたいと思っただけだ。そんなことより、お前は存在し続けたくはないのか?』
「……そりゃあ、死にたくはないけどさ。俺は仮面のヒーローでも何でもないただの人間だぞ? あんな恐竜相手じゃあ……」
『だから、そのための方法を与えると言っているんだ。お前はただ、望んでくれるだけでいい』
「望むって、具体的には何を?」
『あのデジモンよりも強い、自分自身のカタチをだ』
目の前の、名前も知らない存在は真問に強く訴えかけていた。
あの脅威に立ち向かって生き延びたいのなら、それが出来得る自分の姿をイメージをしろと。
何もかもが意味不明な状況。
そんな中で信じられるものは数少なく、理不尽の前に常識は何の役にも立ってはくれない。
頼れるものは、正体も何も知らない誰かだけ。
「……俺自身の、カタチ……」
『どんな形でもいい。自分がなりたいと感じるものを、そのまま強く意識すれば、思うままのカタチに成ることが出来るはずだ。今のお前なら、きっと』
「……何もかもわかんねぇけど、そうするしか無いみたいだな……」
だからこそ、だろうか。
真問は素直に相手の言葉を信じ、その通りに行動することを選択した。
「何をしてくれてるのかわかんないけど、ありがとうな」
『その言葉は、まだ早いだろう』
「そこはどういたしましてって素直に言うとこだぞ」
『覚えてはおく』
問答が終わると、真問の意識は痛く辛い現実に引き戻される。
全身の激痛を認知し、自分が黒い恐竜に体を掴まれている事実を認知する。
あまりの痛みに意識が再び朦朧としながら、真問はまぶたを閉じたまま、夢の中で告げられた言葉を信じて望む。
(……イメージ、イメージ……)
コイツに勝てる自分自身を。
自分自身が、コイツに勝てる何かに成れるよう強く、意識する。
勝利の光景を。
カッコいい生き物の造形を。
それが自分自身であるという現実を。
強い意識と共に、体の内側で何かが渦巻いたような錯覚があった。
車酔いにも似た気持ち悪さの後に、自分の体の感覚が希薄になり、手も足も頭も何もかもが、ミキサーにでもかけられて一つの螺旋になったかのような、回転する感覚だけが残る。
そして、回転が収まった時――彼の思考回路が、自らの変わった姿を認知する。
人間のそれから二回り大きくなった体を彩る色は赤と白。
両手の指は五本でありながら、両脚の指は三本。
頭部と鼻先にはそれぞれ二本と一本の角が生えていて、口元は犬のように前方に突き出て裂けており。
お尻のあった部位からは長く伸びた尻尾の感覚がある。
人間の姿から遠く変じたその姿こそは、デジタルワールドにおいて幻の古代種とされる者の姿。
漲る力と共に、変化した自分自身を自覚した守野真問は眼を開き、眼前の黒い恐竜に対して抵抗する。
「――なっ!?」
「――おらぁっ!!」
黒い恐竜からすれば、驚きの一言だっただろう。
自らの手で掴み取っていたはずの人間の体が、突然デジモンのそれと相違無い、それでいてスパイラルとは異なり実体持つ姿に作り変わったのだから。
そして、その驚きは赤の古代竜にとって隙以外の何でもなかった。
五指でもって形作った右拳の一撃が黒い恐竜の顔面に直撃し、体躯に見合わぬ威力でもって黒い恐竜の体躯を打ち飛ばす。
その威力は、黒い恐竜の体を後方へ二転三転させるほどだった。
どうにか体勢を戻した黒い恐竜を遠目に、赤い古代竜もまた地面に両脚を着けて着地をする。
人間から竜へと変じた彼の内側では、今更のように素直な驚きがあった。
(うおっ、本当にドラゴンになってる!! でもち■こは無くなってるってかそもそもマッパ!?)
『そういう姿を参照したんじゃないのか』
(いやまぁ、だって強くてカッコいいって言ったらドラゴンだろ~。男のロマンだぜ?)
『うんまぁお前がそう思うのならそれでいいと思う』
(思ったより辛辣だねお前???)
『?』
無論、黒い恐竜からすれば彼の驚きなど知ったことでは無い。
体勢を立て直した黒い恐竜は、獰猛な笑みを浮かべると赤の古代竜に向けて突っ込み、肥大化した右腕を振り下ろして来る。
対する赤い古代竜は、それを回避しようとはしなかった。
振り下ろされる右腕に対し、真っ向から右のアッパーカットを打ち込んでいく。
体躯の差から考えても、その打ち合いはダークティラノモンの方が力で上回るはずだった。
だが、
「ぐおっ!?」
「負け!! ねぇっ!!」
結果は歴然だった。
赤の古代竜のアッパーカットは黒い恐竜の右腕を弾き上げ、力の差を覆していた。
力負けし、強制的に右腕を上に打ち上げられた事で黒い恐竜の重心が崩れ、古代竜の眼前にはガラ空きの胴部。
見過ごす理由などありはしなかった。
赤の古代竜は即座に突っ込み、黒の恐竜の胴部目掛けて左の拳をねじ込んでいく。
全体重を乗せた拳の威力は空中に浮いた状態で放っていた初撃の比ではなく、黒い恐竜の体を更に強く押し飛ばしていく。
ダメージも尋常ではないらしく、黒い恐竜は血反吐を吐き捨てながら疑問を口にしていた。
「グ……ッ!! 何だ、この力……お前本当にさっきの人間か……!?」
「ああそうだよ、なんかよくわからん内にこうなってるけど、人間だった事実は何も変わらない」
「……ったく、よくわかんねぇのはこっちの方だっての。人間がデジモンに変わるなんて、聞いたことがねぇ……」
力関係が逆転した事実も含めて、黒い恐竜の中ではいくつもの疑問が生じている様子だった。
疑問だらけなのは俺だって同じだ、と内心で呟きながらも、赤の古代竜は黒い恐竜に向けて言葉を投げ掛ける。
「なぁ。どうしても見逃してはくれないのか?」
「そりゃ見逃したくないからな。俺達デジモンにとって、人間ってのは必要な糧なんだからよ。俺以外にも狙っている奴がいて、早いモン勝ちである以上は尚更な」
『……糧? 人間が、デジモンの……?』
その解答には、赤の古代竜の内側に宿るモノも疑問を抱いたらしい。
だが、知らないことが多すぎる今の守野真問にその疑問に対する解答は出せないし、どんな理由があれど黒い恐竜の言葉を受け入れるつもりは無い。
「……よくわかんねぇけどよ。要するに見逃して帰る気は無いんだな?」
「おう。こんな好機に誰かのために妥協してやる理由なんざ、何処にもねぇんだから……なァッ!!」
身構え、次の黒い恐竜の動きを様子見をしていると、黒い恐竜の口部から炎がこぼれ出す。
明らかな必殺の姿勢、当然直後に予想通りの猛威が解き放たれる。
「ファイアーブラストッ!!」
黒い恐竜の口から膨大な量の業火が解き放たれた。
それは、スカルグレイモンの姿をしたスパイラルを容易く焼却したもの。
しかし、避けられない規模の攻撃を前に、
(今の俺が本当にドラゴンなら……やれるッ!!)
赤の古代竜は大きく息を吸って――腹の中に溜め込まれたものを一気に解き放った。
「――必殺のォッ、ファイアーブレェェエエエスッ!!!!!」
言霊と共に古代竜の口から放たれた紅い炎はVの字を成した矢と化し、恐竜の業火と衝突する。
膨大な量の熱が周囲に拡散し、街路の上に大量の火の粉が撒き散らされていく。
灼熱の炎は互いに互いを喰らいあうが、数秒でその拮抗は崩れた。
赤の古代竜が放ったVの字の矢が、恐竜の炎を貫いたのだ。
そのまま矢は黒い恐竜の胴部に命中し、その体躯を持ち上げ、遠くにあった高層ビルの三階にまで突っ込ませ――そして爆発する。
そうして、赤の古代竜の方からは黒い恐竜の姿は見えなくなった。
十数秒、矢が爆発した場所を遠目に眺めてみたが、黒い恐竜がその姿を現すことは無かった。
「……勝ったん、だよな?」
『そのはずだ』
「そっか。……ははっ、色々と夢みたいだ。ぴーす」
『ぴーす?』
脅威がなくなり、赤の古代竜――守野真問はようやくの安堵を得る。
勝利の証とでも言わんばかりに右の五指でVの字を作ると、疲れきった様子でその場に大の字になって倒れこみ、その状態のまま自らの内側に問いかけた。
「……さぁーて、これからどうするかね。今更だけど、人間に戻ることって出来るのか?」
『その姿になった時と同じようにすれば、出来るはずだ。自分の元々のカタチぐらい、記憶しているはずなのだから』
「そっか。それなら……ちょっと休むか」
『いや、待て。まずデジタルポイントから脱出するために……』
「無理ー。流石にこんなクッソだるいままでどっか行くとか無理ー」
『……わかった……』
真問の言葉に渋々といった口ぶりで応対する、彼の内側に宿りしスパイラル。
先ほどのダークティラノモンが言ったように、人間のことを狙っているデジモンが他にもいるのであれば、どうにか急いでデジタルポイントから脱出出来るようにしたいところだが、そもそも当人が疲れて動けないのであればどうしようも無かった。
瀕死の状態から初めての変化を行った件に加え、異様な強さを有していたデジモンとの戦闘。
生き物である以上は疲れなど重なって当たり前で、だからこそ内に宿りし者は仕方なく了承することにしていた。
それが、いわゆる気遣いと呼ばれるものである事を知るのは、また後の話。
そして。
少し経って、真問はふと思い出したような口ぶりで内なる者に問いを出した。
「そういえばさ」
『何だ』
「お前って名前はあんの? よくよく考えてみると、聞いて無かったからさ」
『人間やデジモンからはスパイラルと呼ばれているが、個体を識別するための名前は無い。それが?』
「そうか。名前は無いのか……じゃあさ、俺がつけてもいい?」
『お前……人間が? 俺に、名前を……?』
「駄目か?」
『駄目じゃない、が……何故?』
「だって、よくわかんねぇけどこれから付き合い長くなりそうだし。呼び名ぐらいはあった方がやり取りしやすいだろ。こうしていつでも話が出来るっつってもさ」
『そういうものなのか』
「そういうものなの」
他ならぬ、名前を持つ生き物に言われてしまっては、名前を持たない存在は納得するしか無かった。
理解はまだ出来ないし、必要性も不確かではあるが、不思議と悪いことだと思う事はなく。
スパイラルは、赤の古代竜の口から、自らの認知を示す名を受け取った。
「今日からお前の名前はレドだ。赤でレッドだからレド」
『……………………レド、か………………………』
「ダサいと思うなら素直にそう言ってくれよ。何だよその沈黙。レッドが良かったのか」
互いに、これからの事なんてわからない。
未知の世界に未知の邂逅、突然の神隠しに人間を糧とするデジモンの存在。
パートナーデジモンという概念が存在しないこの世界で、偶然の邂逅によって交わった二名。
望みのままに変わる力を手にした人間・守野真問とスパイラル・レド。
その物語はまだ、始まりのページをめくりだしたばかりだった。
「――って、あーっ!! 結局リアタイ出来ないじゃんどう考えてもこれ!!」
『忙しい人間だな本当に』
感想遅くなりましてすみません。企画参加いただき、ありがとうございました!
スパイラル達の在り方なんかについては未だに考える余地も少なくはなく、一応は本編後でも新たに生まれてる可能性自体は残っているようなものですからね……デジモンリアライズが生み出した発明と言ってもいい面白い存在ですよね。
時間軸も一期終了後二期中(に当たる時間軸)なのですかね? スパイラルと人間の融合、そしてデジモン化。話の軸は熱くて、シーズン1の最後のエリスモンとスパイラルが初めて通じ合った時を踏まえての心の繋がりを感じる内容……
デジモン化する種のチョイスも、ゲーム故さまざまな色違いを駆使したデジライズを意識したものらしいといえばらしいのかも。
ユキさん自身おっしゃってるように連載の一話の様な、未来に繋がる素敵な短編でした。
改めて、企画参加いただきありがとうございました。
《後書き》
そんなわけで、へりこにあんさん主催のデジモンリアライズ一周忌企画に参加するために全力でスパイラルの資料を確認しながら書いた新作、いかがでしたでしょうか。
はい、いつものデジモン化でした。結果として「人間とスパイラルが融合した存在」という新概念が生まれましたが重要ではないですね。科学に犠牲はつき物。たぶん。
冗談はさておき、デジモンリアライズと言えば何が一番要素として色濃いものなのかと考えた時、自分の頭の中には、イーターと同様に他のデジモン作品に一度も登場したことが無い存在であるスパイラルの名前が挙がりました。
当然、ぶっちゃけリアライズを実際にプレイするまではスパイラルの事なんてよく知りませんでしたし、何だこいつら以外の感想を持たなかったのですが、全てのメインシナリオを攻略した後はエリスモンやラセンモンと同じぐらいには感情移入できる存在に昇華しておりました。背景設定的にこれどのデジモン作品でも現れて然るべき超重要なやつじゃねーか、と。
サービス終了した今になってネタバレを考慮する必要は無いかもしれませんが、ひとまずこの場ではスパイラルの正体について直接語ることはやめておきます。アレ第二部最終章で明かされるトップシークレットなので。確認したい方はようつべとかで検索かけるとよろし。
さて。
今回の企画の規約に沿わせるため、主役は見ての通り「一期終了後、二期開始前に個として分かたれたスパイラル」でした。
エリスモンの行動によって感情を獲得し、個として分裂したスパイラルの中に、エリスモンを介して人間に興味持った個体がいてもおかしくないと思い、今回のキャラクターを作りました。
で、その設定上常識的な人間には出合わせても道が交わることは無いなとなり、あまり深いことを考えずに行動するクソガキを人間側のメインキャラとして設定しました。
作中の現実世界はリアライズ世界とは異なる世界線にあるものであり、当然ながらリアライズの主人公を含めたメインキャラ達は誰一人として同じ名前では存在していません。
それどころか、ダークティラノモンが言ったように「デジタルポイントに迷いこんだ人間を食べようとするデジモンがいる」世界であり、パートナーの関係を持つ人間とデジモンも(今のところは)いない、どうしよーもない状態でございます。これでもゴーストゲームの世界よりはマシかもしれないので、ヨシ!!
そんな世界である事など知らないまま境界を越えてきたスパイラル君、当然ダークティラノモンの行いにも言葉にも驚きまくり。流れ流れで人間と融合することにしちゃったけど、これからどうなるのー!? そんな連載モノの第一話みたいな展開が今回のお話。
いろいろ説明を省いたところもあるので、スパイラルと融合しちゃった人間こと守野真問くんが得た能力とそのデメリットを簡潔に並べてみると、
・強くイメージしたものに近いデジモンに変化出来る。
・接触してデータを読み取った事があるデジモンにも変化出来る。
・ただし、一度デジモンに変化するとしばらくの間、人間の姿には戻れない。
・変化する時には毎回車酔いに近い間隔に襲われて気持ちが悪くなる。
存在が存在なので他にも色々あるかと思われますが、簡易的にはこの通り。
作中でも書いた通り、レド君を後追いしたスパイラルも何体かはいるので、もしかしたら戦隊とか自警団とか作りそう。
投稿期間ギリギリまで煮詰めて投下した作品、楽しんでいただけたのなら幸いです。
それでは、今回の後書きはここまでに。
へりこにあんさん、今回も素晴らしい企画を発案していただき、本当にありがとうございました。
PS 今回のデジモン化対象がレッドブイドラモンだと解った方、どのぐらいなんだろう。