「餓えている、と申したな」
鎧武者の、頭頂で束ねた銀の髪がたなびく。
「聞き捨てならぬ」
悪鬼の貌を模した鎧は幾千幾万の戦場から血を吸い上げたかのように赤く、厳めしい。
しかしその鎧を纏う竜の武者の、あまりにも静かに澄んだ金の瞳と比べればまだ見れた物だと。状況を鑑みれば鎧武者に助けられたも同然の立場にある、藍染の着物に鼠色の袴を穿いた小さな黄色い恐竜――ブシアグモンは、腰を抜かしたままごくりと唾を呑み込んだ。
奇しくもブシアグモンを追い回していた存在も、彼と同じ事を考えているのだろう。
腐敗した毒々しい肌に、黒い鬣。そして右腕を身の丈ほどのチェーンソーに置き換えた異形の獅子・マッドレオモン:アームドモードは、爛々と輝く赤い目に、この時ばかりは幽かな怯えの感情を宿しているようだった。
全身を引き裂かんばかりの激痛に苛まれ半ば理性と呼べるものを手放したけだものであるにも関わらず――否、獣であるからこそ、目の前の存在の強大さを、本能的に理解せざるを得ないのだろう。
成熟期に対しての超究極体。絶望的なまでの世代差である。
だが、それだけではない。
世代以上に、武の道を征く者としてあまりにも完成された佇まいが、命を削るような改造に手を出してまで力を求めたマッドレオモン:アームドモードには眩し過ぎたのだ。
ガイオウモン:厳刀ノ型。
それは、想像を絶する修練の果てに武人が辿り着いた、戦の鬼であった。
ガイオウモン:厳刀ノ型は、己の得物である『菊燐』を携えてはいなかった。
しかしその手には彼の掌にすっぽりと収まる『何か』が握られており、格下の狂獅子を殺す程度、この小さな『菊燐』の代替品で十分なのだと、ブシアグモンもマッドレオモン:アームドモードも理解せずにはいられなくて。
「グ……グオオオオオオ!!」
だが、ただ殺される訳には行かぬと、マッドレオモン:アームドモードは咆哮する。
逃げる獣を追い立てるような手合いでは無いとは感じていた。しかし獅子は死するとも一太刀の名誉を求めた。
チェーンソーが唸り声を上げる。それは鬨の声であった。
「『The Lion Sleeps Tonight』!!」
突然滅茶苦茶流暢な横文字で必殺技名を叫びながら、マッドレオモン:アームドモードは大地を蹴って、チェーンソーを無茶苦茶に振り回しながらガイオウモン:厳刀ノ型へと駆け出した。
そして次の刹那には、ガイオウモン:厳刀ノ型がマッドレオモン:アームドモードの眼前へと迫る。
「!?」
否、否。速過ぎる。
マッドレオモン:アームドモードはただの1歩を踏み出したのみ。
で、あれば。導き出される答えは1つにして単純明快。
ガイオウモン:厳刀ノ型の方から、マッドレオモン:アームドモードへと距離を詰めたのだ。
闇雲に振りかざしたチェーンソーでは毛先すらも捉えられない。目にも留まらぬ摺り足であった。
神速とは正しく、ガイオウモン:厳刀ノ型の足さばきを示す言葉に違いなく。
「笑止」
ガイオウモン:厳刀ノ型が『何か』を握っている方の手を腰元で構える。
「餓えた獣に、戦は出来ぬ」
角度から推察するに、顎を狙った一撃だと。マッドレオモン:アームドモードが気付いた時には、ガイオウモン:厳刀ノ型の手は彼に向かって真っ直ぐに突き出されていた。
「戦いたければ」
もはや回避は不可能。
マッドレオモン:アームドモードには、走馬灯を眺める暇すら残されてはいなかった。
だが、これで自分は、やっと本当の意味でThe Lion Sleeps Tonight出来るのだと、ふと思いったった狂乱の獅子は、僅かに口を開けて笑い――
「米を喰えッ!!」
――その隙間におにぎりをぶち込まれた。
「もがあっ!?」
仰向けに倒れ行くマッドレオモン:アームドモードのチェーンソーが空を切る。
たっぷりと水を吸ったのか1粒1粒がふっくらと膨らんだ米は、粘りがあるのにふわりと柔らかい。
絶妙な塩加減は白米の甘味を引き立てており、加えてその奥からは爽やかな酸味が舌の上を駆け巡る。
「お……おいしい……!」
マッドレオモン:アームドモードは、全身の痛みすら忘れて呟かずにはいられなかった。
それは久方ぶりにマッドレオモン:アームドモードが発する、意味の通った日本語であった。おにぎりに込められた日本のおもてなし精神が、マッドレオモン:アームドモードの大和魂を目覚めさせたのである。
「梅干し入りだ。おぬしは機械の性質を持つ故、梅の果肉は殊更美味かろう」
ガイオウモン:厳刀ノ型は、兜の隙間から指先に残っていた米粒をぺろりと舐め取る。お米には七体の神人型が宿ると言われている。たとい迷信だとしても、ただの1粒だとしても。ガイオウモン:厳刀ノ型に、米を粗末にする理由は無い。
「これが某の『刀華静謐』よ」
某は、これ一本でやって来た、と。己の『必殺技』を語るガイオウモン:厳刀ノ型の声音は相変わらず厳めしく、しかしそれだけに真摯であった。
「……」
おにぎりは本日の睡眠導入剤と定めていたブシアグモンよりもずっと小さいにも関わらず、瞬く間にマッドレオモン:アームドモードの腹を満たした。米は腹持ちが良いのである。
同時に満腹感は神経の昂ぶりを鎮め、マッドレオモン:アームドモードを苛む痛みを緩和し続けていた。
突如苦痛から解放されたマッドレオモン:アームドモードは、呆けたようにチェーンソーを見下ろしている。
「腹が満たされれば」
ガイオウモン:厳刀ノ型が再び口を開く。
「空腹時とは異なる思考も生まれよう」
今まさに、図らずも己の求めた強さの価値と向き合う羽目になっていたマッドレオモン:アームドモードは、ガイオウモン:厳刀ノ型の言葉に顔を上げた。
「南西の方角で、スカルサタモンが診療所を開いている。カロリー制限が過ぎる佇まいの輩であるが、腕は確かだ」
続く言葉は半ば独り言を装ったような、ぶっきらぼうなものではあったが、マッドレオモン:アームドモードは一拍後にその意味を理解して、すくりとその場から立ち上がった。
「……この恩は、いつか、必ず」
腹を満たした獣は、鎧武者に背を向けて地を駆ける。
次に彼らが会い見える日が訪れたとしても、獅子はもはや狂ってはいないだろう。
と、
「そ、相当な武人とお見受けするでござる!」
尻もちをついた格好で戦いを見守っていたブシアグモンは、いつの間にやら座と髷を正し、その瑞々しい若葉のように碧い瞳でガイオウモン:厳刀ノ型を見上げていた。
ガイオウモン:厳刀ノ型は、ゆっくりとブシアグモンの方へと振り返る。ガイオウモンが更に頂へと登りつめた超究極体を真正面から見据えて、またしてもブシアグモンは全身の震えあがる思いであったが、決死の思いで、ブシアグモンは彼から目を逸らさなかった。
「武器を使うまでも無く敵を制するとは、なんと天晴なお方! 拙者はブシアグモンと申す者。故あってあなた様のようなつわものを探しておりました」
「武器は使うておらぬが、米は使った。良い米だ。そして良い米は、いかなる武器にも勝る」
「そ、そうでござりますか……」
返答の意図を掴みかねるブシアグモンだったが、気を取り直して、今一度。彼は真っ直ぐにガイオウモン:厳刀ノ型の目を見据えてから、深々と頭を地面に付けた。
「あなた様のお力を、どうかお貸しいただきたく……」
その時。
ざっ、と、土を踏む音。
ガイオウモン:厳刀ノ型はブシアグモンに背を向けて、その場から歩き始めたのだ。
――ああ、やはり、ダメなのでござるか。
気紛れに成長期一匹を狂気に陥ったデジモンから助ける事はあっても、わざわざ弱者の話に耳を傾ける程超究極体は御デジモン好しな存在では無いのだと、ブシアグモンは地面に鼻先を付けたまま表情を曇らせる。
……が、
「何をしている」
ふいにブシアグモンの耳に届いたのは、厳つい声音の、そんな問いかけ。
え? と顔を上げれば、ガイオウモン:厳刀ノ型は、少し進んだ先で足を止めていた。
「土など食っても……いや、ミネラル分的な栄養素はあるか。しかし少なくとも美味くは無かろう」
「へ? いや、拙者は土を食んでいる訳では」
「まずは腹ごしらえだ。もっとうまい物を食わせてやろう」
話はそれからだ、と。
望んだ言葉であった筈なのに、ブシアグモンは耳を疑った。
しかし現実として、ガイオウモン:厳刀ノ型はブシアグモンを、待っている。
で、あれば。これ以上自分がここに膝を付き続けている事の方が無礼に当たるだろうと、ブシアグモンは慌てて袴の土埃を払いながら、声を張り上げた。
「あの、あの! あなた様の名を、お聞かせ願えませんか」
礼の前に、まずは相手の名前を知っておくべきかとブシアグモンが問いかければ、ふむ、とガイオウモン:厳刀ノ型はブシアグモンの方へと向き直り、姿勢を正す。
正しく、名乗りを上げる、武人の姿であった。
「某の事は、おにぎりまんと呼ぶが良い」
「おにぎりまん」
おにぎりまんだ、と。
一瞬で硬直してしまったブシアグモンに、今一度自分の名を言って聞かせるガイオウモン:厳刀ノ型――改めおにぎりまん。
ただ、この類の反応は、彼にとってそう珍しい物では無いのだろう。おにぎりまんがあんぐりと口を開けたブシアグモンに憤るような事は無かった。
「心配はいらぬ」
むしろおにぎりまんは、ブシアグモンを慮った。
否、ブシアグモンを、というよりも、なんというか、もっと大事な、所謂法令遵守的な事を。
「恐らくおぬしが彷彿としているキャラクターの名は『お○すびまん』だ。某はおにぎりまん。似てはいるが、似て非なるものは同じに非ず。問題は無いのだ」
ブシアグモンは、今更のように大丈夫なのだろうかと思った。色んな事に対して大丈夫なのだろうかと考えた。
しかし、それこそ今更、後には引けぬと。彼はようやっとおにぎりまんの後を追う。
彼らが足を向ける先には、巨大なリヤカーと一体化している立派な屋根付きの屋台。
海苔のように黒い墨で『鬼握』と書かれた、精米のように白い暖簾が、風に吹かれて、揺れていた。
*
「スパムおにぎりだ。食すと良い」
そう言っておにぎりまんが差し出したのは、焼き目の付いた厚切りのスパムを俵型の米に乗りの帯で巻いた、おにぎりと言うよりは寿司に近い形の、リアルワールドで沖縄と呼ばれる地域のご当地おにぎりであった。
「スパム、おにぎり。でござるか」
「うむ。おぬしはブシアグモン。アグモン系列のデジモンであれば、肉を好むのであろう。某も好きだ。少々面妖な成りではあるが、まあ食うてみろ」
スパムおにぎりの隣に更にキャベツの味噌汁とキャベツの浅漬けを添えながら、おにぎりまん。
このデジタルワールドにおいて、キャベツは1日1個、タダ同然で手に入る野菜である。
実を言えばブシアグモンは、攻撃に炎を用いない、所謂無属性のデジモンだ。
故にパン派であったが、恩人の厚意を無碍にする程米を毛嫌いしている訳でも無い。
そもそも何故超究極体におにぎりを振る舞われているのかという疑問の方が彼の中では大きかったが、結局その問いを一緒に呑み込むようにして、ブシアグモンは大きな口にスパムおにぎりを放り込んだ。
「!」
途端、ブシアグモンに衝撃が走る。
スパムの塩味。米に振った塩の塩味。そして、おにぎりとスパムを結び合わせる黒帯がごとき海苔の塩味。
塩、塩、塩のトリプルコンボは通常であれば、喉を焼き、飲水を食べた者に促すところを、それが無いのだ。
スパムの焼き目の香ばしき事。米の柔らかき事。剛と柔の食物を塩味という共通の味覚が包み込み、何とも言えない見事な調和を織りなしている。
「お、おいしい……!」
ブシアグモンは、その他には何も言えなかった。
皿の上のもう片割れにも手を伸ばし、口に運べば、己が衝撃が夢幻では無かったと今一度味蕾に叩き付けられる。
続けて漬物に口を付ければ、これまた絶妙な塩加減。肉食恐竜の牙にさえ、その歯応えは心地よい。
最後に椀を傾けて流し込んだ味噌汁も絶品であった。丁寧に出汁を取るおにぎりまんことガイオウモン:巌刀ノ型の後ろ姿が、料理に関しては全くの素人であるブシアグモンの脳裏にさえ自然に思い浮かぶかのような――
「はっ!」
――そもそもガイオウモン:巌刀ノ型が味噌汁の出汁を取る姿とは? と、ブシアグモンは我に返る。
視線を落とせば、出された器はその全てが空になっていた。
「ご、ごちそうさまでござった」
「見事な食べっぷりであった。おにぎり冥利に尽きる」
おにぎり冥利とは。ブシアグモンには、訊ねられなかった。
「さて」
手際よく食器類を片付けながら、おにぎりまんは口を開く。
「話を聞こう、ブシアグモン。某に頼みたい事とは?」
そうだ。そもそもおにぎりを食べている場合では無かったと、ブシアグモンは姿勢を改める。そうしてなおおにぎりまんの顔は遥かに高く、見上げねばならない程であったが、米で膨らんだ腹はしっかりと据わり、心なしか、数刻前より余裕を以って彼はおにぎりまんと顔を見合わせる事が出来たのであった。
「先に申し上げた通り、拙者の名はブシアグモン。ここよりひとつ上層にして東の区画、その内のとある小さな集落より参った者」
おにぎりまんどのには、拙者達の村を救ってほしいのでござる。と。
ブシアグモンは、深々と頭を下げるのだった。
*
ティラノの里。
ブシアグモンの故郷は、そんな「言う程見るものは無いけれど地元のガイドブックを開くとそこそこ規模のある施設のように記載されている観光名所」のような名で呼ばれており、その名称通りティラノモン――が、更に修練を積んで進化したデジモン・マスターティラノモンによって統治されている。
完全体になってなお基本的には大人しいティラノモン種の特色が反映されたティラノの里は平和な区域として知られていたが、それもつい数日前までの話。
マスターティラノモンの更に上を行く、しかし代わりに理性を破棄した最強最悪のティラノモン――ラストティラノモンによって、ティラノの里は蹂躙されてしまったのだ。
「拙者達のような成長期デジモンは地下シェルターに匿われ、どうにか難を逃れたのでござるが、長を含めた里の戦士たちはことごとく打ち倒され……」
「……」
「ラストティラノモンが撤退した折を見計らって、拙者は彼奴を打ち破れるつわものを探しに村を飛び出したのでござる。聞けばラストティラノモンとは、殲滅に特化したデジモンである、と。生き残りが居ると知れば、必ずやまたティラノの里に牙を剥きましょう」
ブシアグモンは腰かけていた屋台備え付けの椅子から飛び降りて、最初にそうしたように、土の上に鼻先を押し付ける。
「お願いでござる、おにぎりまん殿! どうか、どうかラストティラノモンから拙者の村を救って下され!」
「……数日、と、申したな」
ブシアグモンの話を黙して聞いていたおにぎりまんは、重々しく口を開く。
「正確には幾日ぞ」
「へ? ええと……ひい、ふう……5日。5日でござる」
指折り数えたブシアグモンを見下ろして、おにぎりまんがやや表情を険しくする。
「あまり芳しくは無いな」
ブシアグモンの背にひやりと冷たい物が走る。
まさか、ラストティラノモンは既に再び村を襲っているのではないかと、嫌な想像がちょんまげの下を駆け巡った。
「よかろう」
青ざめるブシアグモンの髷の下を知ってか知らずか、おにぎりまんは洗い終わった食器類を備え付けの乾燥機に仕舞った手で、屋台の屋根に引っ掛けていた『営業中』のプレートを下ろす。
「この地の客達には悪いが、物事には優先順位というものがある。今すぐここを発ちティラノの里へと向かおう」
「ま、誠でござるか!?」
「うむ。小脇に抱える故、案内せい、ブシアグモン」
慌ててブシアグモンが飛び降りた椅子を屋台の側面に掘られた溝に嵌め込むような形で収納してから、おにぎりまんは左手でひょいとこの小さな成長期デジモンをつまみ上げ、宣言通り脇に抱えながらリヤカーの、やたら厳ついデザインのハンドルの中へと潜り込む。
普段よりはるかに高くなった視界に若干の戸惑いを覚えつつも、先ず、ブシアグモンは上階への昇降機がある方向を指示した。
「いざ」
刹那。
ぎゅん、と。今あった景色を、どころか音をも置き去りにして、おにぎりまんは荒野を駆けた。
「!」
目に映るもの全てが高速で遠ざかっていくにも関わらず、おにぎりまんが一歩を踏み出すごとに巻き起こる風が起こす以外の揺れを、ブシアグモンが感じる事は一切無く。
足場とてけして良くは無かろうに、リヤカーの車輪が小石を巻き上げながら跳ねる様子も無いのがその何よりもの証拠だ。
何ら不思議な事は無い。おにぎりまんの恐るべき摺り足が道を均しているのだ。超究極体ともなれば、それこそ歩んだ所が道となるのである。
「これが……頂に至った者の世界……!」
「下手に喋ると舌を噛むぞ。梅干しの染みる思いはしたくはなかろう」
若き恐竜型デジモンが鬼武者の力に圧倒されている内にもぐんぐんと目的地への距離は縮まり続け、ブシアグモンが数日がかりで歩いた距離は、僅か半刻の内に縮められた。
「……ふむ」
だがこの「世代の力」にブシアグモンが圧倒されていたのも束の間。
故郷に辿り着いてさえみれば、そこにあるのは、もはや里とは名ばかりの平地である。おにぎりまんの摺り足が地を均したように、ラストティラノモンの爆撃は、全てを吹き飛ばしてしまったのだ。
その無残な有様と言ったら、まるで「言う程見るものは無いけれど地元のガイドブックを開くとそこそこ規模のある施設のように記載されている観光名所」の大半を占める無駄に面積を取っている広場のようであった。
これほどの惨状であったのか、と、振り返らずに里を飛び出したブシアグモンは、今になってようやく向き合った地元の痛々しさに、愕然と顎を開く事しか出来ないでいて。
「呆けている場合では無いぞ、ブシアグモン」
びりびりと皮膚を揺らす様なおにぎりまんの低い声に、ブシアグモンはハッと我に返る。
そうだ。「言う程見るものは無いけれど地元のガイドブックを開くとそこそこ規模のある施設のように記載されている観光名所」じみた心許ない建造物は全て木っ端となり果てたが、ここにはまだ歳の近い兄弟分達が生き残っているのだと、彼は心を奮い立たせる。
「某はここで準備をしておる。皆の者を呼んで参れ」
「おお! 早速彼奴に備えて下さるのでござるか。かたじけない……では、御免!」
ティラノの里は死んではいない、と、ぐっと牙を噛み合わせ、地面に下ろされたブシアグモンは、里の者だけが知るにおいを辿ってシェルターの方へと駆け出した。
「皆! 皆の衆! ブシアグモン、只今帰ったでござる!」
出入り口の手前から、必死に声を張り上げるブシアグモン。
静寂が、痛い程であった。
5日の間に、皆死んでしまったのではないか。あの憎きラストティラノモンに鏖殺されてしまったのではないか。嫌な予感が僅かな間に頭の中を何巡もし、冷や汗がたらりと額を伝う。
……やがて、ざざ、と砂を零しながらシェルターの蓋が持ち上げられたその時。ブシアグモンの顔は、ようやく綻んだ。
「ティラノモン殿!」
「ブシアグモン!!」
もはやこの弟分と再会は叶わぬと諦めていた、この里唯一のティラノモンの生き残りである、マスターティラノモンの末弟子は、シェルターの蓋を吹き飛ばさん勢いでその狭い通路から自分の身体を弾き出し、鋭い爪先でこの無謀な弟分を傷付けないよう気を付けながら、ブシアグモンを力いっぱい抱きしめた。
「ああ、よくぞ、よくぞ無事で。もう二度と会えないかと……」
「あだだだ、てぃら、ティラノモン殿! 痛いでござる! 再会叶ったこの瞬間に今生の別れとなってしまうでござる!」
「ハッ! すみませんブシアグモン」
慌ててブシアグモンを下ろすティラノモン。
ただの5日ではあるものの、力加減が下手なところは変わらないなと懐かしさを覚えながら、しかしすぐに今一度、ブシアグモンは表情を引き締める。
「皆は?」
「ブシお兄ちゃん!」
ティラノモンが応えるより先に、騒ぎを聞きつけた他の兄弟分達も、わらわらとシェルターから顔を出す。
成長期のデジモン達に抱えられた幼い面子を見るに、皆無事のようだと、ブシアグモンはほっと胸を撫で下ろした。
「うえええええん、ブシお兄ちゃぁん!」
「本当? 本当にブシお兄ちゃん?」
「そうでござる! 拙者、無事に帰ってきたでござるよ」
「よかった、よかったよぉ」
ブシアグモンを取り囲むちびっこ軍団を、ティラノモンも温かな眼差しで眺めていたが、しかしすぐに気を取り直してシェルターの中に尻尾から潜り込み、ブシアグモン達に手招きする。
「再会を祝うのはまた今度です。シェルターに戻りましょう。ラストティラノモンがいつまた攻めてくるかわからないのです」
ラストティラノモン、とその名が出るなり、里の幼いデジモン達が一斉に震え上がった。
「……彼奴は」
「あの後も、何度か。殲滅に特化しているという話は、本当のようです。直接見た訳ではありませんが、この付近を何度も歩き回っていたあの金属塊が降るような足音が、奴以外の存在だとはとても思えません」
だから、さあ、こちらへ。と手招く兄貴分の意図とは裏腹に、ここから飛び出した時同様、ブシアグモンのはらわたが煮えくり返る。
そういう性質であるとしても、もはや食べても足しにもならないような我々相手に、なんという非道。武士の風上にも置けない奴だと、ラストティラノモン自体は武士では無いと思うのだが、ブシアグモンは自身の中にある『道』を基準に憤るのだった。
やがて、暗い表情でシェルターに引き返そうとする弟分達を掻き分けて、数歩元来た方角へと進んだブシアグモンが、呼び止めるティラノモンの声に振り返った。
「どこへ、どこへ行くのですか!?」
「もう怯える必要はどこにもござらん。助太刀を呼んで来たのでござる! ラストティラノモンにも負けない御仁でござる!!」
ティラノモン達が一斉にどよめいた。
「ブシお兄ちゃん、ラストティラノモンにも勝てるようなデジモンって?」
「ガイオウモン:厳刀ノ型でござるよ」
ブシアグモンは彼の個体名をとりあえず伏せた。
「が、ガイオウモン……!? それも、厳刀ノ型ですって!?」
「うむ! 罠という心配はござらん。他のデジモンに襲われていた拙者を、その御仁は助けてくれたのでござる。それも、そのデジモンを殺す事無く!」
これについても、ブシアグモンは助け方の方は周囲に伏せたが。
「まさに、弱気を助ける正義のもののふ! どうかシェルターから出てきてくだされ、ティラノモン殿。そしてついて参れ、皆の衆! ガイオウモン:厳刀ノ型殿は、これよりあのにっくきラストティラノモンを討伐せしめる所存と」
その独特な口調を若干妙だなと思われたりはしていたものの、ブシアグモンが良い奴で、嘘を吐くようなデジモンではないとは、里の者は皆知っている。
特に幼少のデジモン達は、5日間ものシェルター生活がいよいよ限界であったのだろう。彼らは「ついて参れ!」と声を張り上げるブシアグモンに、へろへろと重い足取りで続き、こうなっては仕方あるまいと、ティラノモンが、その列の殿を務めた。
そして里の入り口付近に戻ったブシアグモンは、おにぎりまんの姿を見止めるなり、丸い目をさらに見開いた。
「な、な――何をしておられるのでござるか、おにぎりまん殿!!」
空き地となったその場所には、屋台にあるだけの椅子と、何枚ものブルーシートが広げられ、あの『鬼握』の暖簾が燦然と屋台の上部で揺れていた。
「無論」
おにぎりまんの姿は、屋台備え付けのコンロの向こうで、湯気に揺られている。
「飯の支度だ」
「め……めし」
あんぐりと口を開くブシアグモン。が、仲間達と再会して多少気が大きくなっていたのだろう。彼はずい、と、屋台に向かって踏み出した。
「そんな悠長な事を言っている場合ではござらぬ! 早く、今すぐにでも! あのラストティラノモンめを」
「慌てるな。あとは卵を溶き入れるだけだ」
「いや拙者は献立の完成度合を聞いている訳では……」
思わず、ブシアグモンは弟分達の方を振り返る。
里の生き残りたちは、ぽかん、と鍋の中でお玉を回すこの超究極体、その巨躯を見上げていた。
と、おにぎりまんもその視線に気付いたらしい。彼はブシアグモンの背後へと視線を動かし、空いている方の手でちょいちょい、と手招きして見せた。
「それ。そんなところで呆けていないで、こちらに来い。心配せずとも、皿は人数分以上用意してある」
飯だ、と。
そうぶっきらぼうに言い放つおにぎりまんを前に、ブシアグモンは、先に切った啖呵を恥じた。
たしかに彼は自分を助けてはくれた。強き者であるとは間違いないだろう。
だが、いつ凶暴な究極体に襲われるともしれない場所で悠長に飯を炊くデジモンが、真の、正義のもののふである筈があろうか?
いいや、そんな訳がない。正義のもののふとは、血沸き肉躍る戦いを繰り広げ、悪いデジモンを見つけては成敗する、そんな強い、強いデジモン――例えばいつか、マスターティラノモンのお墨付きをもらって里を出た、憧れの兄貴分のような――
「ほ……ほんとうに?」
その、震える小さな声を聞いて、ブシアグモンの意識が現実に引き戻される。
「ほんとうに、ごはん、くれるの?」
見れば自分の事を運んでいた成長期デジモンの腕から降りたコロモンが、ぺたん、ぺたんと力無く跳ねながら、恐る恐るおにぎりまんと距離を詰めていて。
おにぎりまんは無言で鍋の中身を器によそうと、ビニールシートの上にことりと置いた。
「卵入りの粥だ。少し冷ましたがまだ熱い故、ゆっくりと食え」
「いいにおい……!」
まだ世界を知らない幼年期故、逆に超究極という存在への恐れも薄いのだろう。差し出された粥にふーふーと息を吹きかけてから、コロモンは口で器用に器を傾け、その中身を啜った。
ふわ、と。熱と、甘い米と出汁の香りが周囲に立ち上る。
ぐう、と。誰からとでもなく、あたりに腹の音が鳴り響いた。
「ボクももらっていい?」
「私も……」
「手で物を運べる者は配膳を手伝えい。食うのは歳の若い順でだ。良いな?」
「わかった。わかったから、早く!」
空腹に耐えかねてか、始めはおにぎりまんを恐れていた他のデジモン達の声も、粥を渡された順に歓声へと代わっていく。
配膳を待つ列から少しだけ逸れたところで、ティラノモンが深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。何とお礼申し上げて良いか……。どうにか分け合っておりましたが、それでも蓄えていた食料もあと2、3日というところでしたので、この子らにはひもじい思いをさせてしまって……」
「餓えているのはおぬしも同じであろう。礼は飯を食うてからで良い。……ようこれだけの頭数で5日も持ち長らえたな。食料の管理がきちんとなされていたのであろう。良い事だ」
「……ありがとうございます」
今一度ティラノモンが頭を下げると、圧迫された腹からぐぅう、とひときわ大きな喇叭の音。ただでさえ赤い顔を赤らめた彼を囲み、ティラノお兄ちゃんも早く食べようよと幼いデジモン達が跳ねた。
「ええ、ええ。……いえ、その前に、ブシアグモンの事も褒めてあげなければ」
「そうだ! おじさんの事、ブシお兄ちゃんが連れて来てくれたんだよね」
ブシアグモン、とティラノモンが、あのピンと立った髷を探して辺りを見渡す。
そこに、ブシアグモンの姿は見つからなかった。
*
「……」
ブシアグモンは村の奥、マスターティラノモンの道場があった場所、その辛うじて残った瓦礫に腰かけ、うなだれていた。
「言う程見るものは無いけれど地元のガイドブックを開くとそこそこ規模のある施設のように記載されている観光名所において数少ない客を集められる施設である地元野菜とかの直売所」ぐらいの賑わいを見せていたマスターティラノモンの道場も、今となっては見る影もない。
だが、ブシアグモンの頭の中でぐるぐると渦を巻いている感情は、その事だけに由来するものでは無かった。
里の生き残り達の、嬉しそうな顔。
彼らの喜びを、おにぎりまんを連れてきたブシアグモンもまた、噛み締めても良い筈であったが――彼らがわあと歓声を上げる、その理由に、ブシアグモンはどうしても納得がいかなかったのだ。
未だラストティラノモンがいつ襲ってくるともしれない中での、食事。
もちろん、腹は減っているより満たされていた方が良いとはブシアグモンも理解している。だが、それはラストティラノモンを倒してからでも良い筈だ。むしろ、ラストティラノモンさえ倒せばその膨大なリソースも回収出来る。仇討ちと同時に、腹も満たせるという訳だ。その方がずっと冴えたやり方だと、ブシアグモンは考えずにはいられなかった。
否、それによって、彼は考えないようにしていたのかもしれない。
ラストティラノモンを倒し、里を救ってくれる勇士を探すと、皆が寝静まったあと里を飛び出したブシアグモンは、そのために地下シェルターにあった食料を数日分拝借して行った。
ブシアグモンにとって食料とは、目上のティラノモン達から当たり前のように施されるものであり、なんなら多少の小遣いを握り締めていけば里内の肉畑からいつでも買って食べる事が出来た、ありふれた存在に過ぎなかった。故に、その時はまだ山積みにされていた食料を、彼はきっちり自分が満腹になれる分だけ持って行ったのである。
自分がもっと考えていれば、ティラノモンや弟分達が分け合う量は、もっとたくさんあったのではないか、と。……どうしても、そんな考えが脳裏を過ってしまうのを。
と、
「何のために生まれて。何をして生きるのか」
おぬしは答えられるか、と。低く厳めしい声に振り返れば、その声から抱く印象通り、いや、それ以上に仰々しい武者が、ブシアグモンの背後に音も無く佇んでいた。
「……おにぎりまん殿」
「炊き出しの配膳は済ませた。おかわりが欲しい者にはティラノモンがうまくやってくれるだろう」
そう言ってブシアグモンの隣に並んだおにぎりまんは腰を下ろし、どこからともなくおにぎりを取り出した。
角の丸い三角形と、底面に張られた焼き海苔が、絵に描いたように模範的なおにぎりである。
「某も小休止だ。……おぬしも食うか」
「せ……」
あの誠に美味なスパムおにぎりを思い出し、じゅるりと口内に唾の湧いたブシアグモンは、しかしすぐに頭を横に振る。
「拙者は結構でござる! 武士は食わねど高楊枝、でござる!」
適当な枝を拾って咥え、ぷい、と顔を背けるブシアグモン。
そうか、とおにぎりまんは手に持っていたおにぎりを咀嚼し、それから、ふっと鼻を鳴らした。
「懐かしや。某もおぬしと同じように、そう思っていた頃があった」
今までになく穏やかな声音に、思わずブシアグモンはちらりと視線をおにぎりまんへと流した。
彼は遠く――ではなく、上部の欠けたおにぎりをじっと見下ろしていた。
「あれは、某がまだ、ただのガイオウモンであった頃だ」
そうして、おにぎりまんがゆっくりと口を開く。
ブシアグモンは特に訊ねた訳では無かったが、超究極体の昔話に興味が無いと言えば嘘になるため、何も言わずに耳を傾けた。
「某はある時、自分と同じガイオウモンと会い見えた。そやつは2体のデジモンと共にデジタルワールドを旅しており、あろうことか、成熟期のダルクモンを師のように仰いでいたのだ」
群れた上に成熟期如きを敬うとはガイオウモンの風上にも置けぬ奴だと、当時のおにぎりまんはそのガイオウモンに決闘を挑み、しかしあっさりと敗北した。
相手のガイオウモンの太刀筋は非常に洗練されていた。命すら取られないままに、己の敗北を認めざるをえない程には。
「某は訊ねた。恥も外聞も捨てて、問うたのだ。何故、おぬしはそれほどまでに強い、と」
対して、ガイオウモンはこう答えたのだ。
「1日3食、きっちり食べてるから、かな」
と。
「……」
そんな馬鹿な、とブシアグモンは思った。
いやまあ、一応、あながちおかしな話では無いのだ。
デジタルワールドは弱肉強食の世界。ブシアグモンのように、何らかの集落で庇護を受けるデジモン達は兎も角、旅の者ともなれば、食料は相手のデジモンを喰らうにせよ、良い猟場を確保するにせよ、デジタルワールド内の通貨を得るにせよ、戦って勝利する事が出来なければ話にならない。
逆説的に、3食しっかり食べられる奴が弱い訳が無いのである。
当初はブシアグモン同様「そんな馬鹿な」と思ったおにぎりまんも、究極体まで上り詰めたその経験値故にその結論を導き出した。
武士は食わねど高楊枝、と。それこそ先程ブシアグモンが言っていたように、餓えた獣のように強者を求めて彷徨っていた彼は、その日以来毎日、食事を3食、きっちり同じ時間に取るようにしたのである。
「これが、なかなかどうして難しい。他のデジモンを喰らうとなればもちろんの事、自炊をしようと思えば手間がかかる。外食で済ませようと思えば銭がいる。某はいつしか、より良い方法を模索するようになり、時には書まで漁るようになった」
そんな折、ダークエリア近郊の図書館にまで通い始めていた彼に、1体の堕天使型デジモンが声をかけてきた。
「キサマに必要なのはこの本だと思うフェレ」とひとこと添えて堕天使が差し出した本には、林檎の中で林檎を手に持って振り返るニンゲンの絵と、真珠が12粒的な意味合いのタイトルが書き記されていて。
「闇の者がやる事だ。不可解には思ったが、「林檎は知恵の実フェレよ……」と呟く堕天使の横顔たるや、あまりにも哀愁に満ちていた故な。某はその本を借りて寝床へと帰った」
ブシアグモンは、語尾的にフェレスモンだと思うが、そんな語尾のフェレスモンが果たして存在するのだろうか。しかし仮にフェレスモンじゃ無かったとしたらそれはそれで怖いなと思うなどしていた。
「そして、かの本に目を通して……某は泣いた。幼年期ぶりに泣いた。その書には、誠に強い者のあるべき姿が描かれていたからだ。あと本当の事を言えば最初の薔薇と犬の話の時点でバカクソ泣いたし、羊と狼の話でも何故故こんなひどい事をするのだと泣いた」
このデジモン案外繊細なんだなとブシアグモンは思った。
「誠に強き者。それは、どんな嘲笑に曝され、蔑まれようとも、餓えた者の腹を満たすために戦う者であると。思えば某は、常に己のために、己が強くなるために戦っておった。デジタルモンスターたるもの、それはけして間違いでは無かろう」
だが、と、おにぎりまんはぱくり、とおにぎりの残りを口に放り込み、それをしっかりよく噛んでから呑み込んだ。
「それでは先に進めぬと、そう思ったのだ。やさしい者にならねばと。そうしてや○せたかし御大の考えはしたたかに我が胸を打ち、気付けば某はガイオウモンの頂たる姿……ガイオウモン:厳刀ノ型――否、真なるもののふ、おにぎりまんへと至ったのだ」
正直な話、ブシアグモンにはおにぎりまんが何を言っているのかさっぱりであった。
最初はあんぱんを作って配ろうと思っていたが、流石にそのままはマズいと思い色々調べたところ、自作の影響でパン食が流行し米の消費量が減ったと耳にした御大が米へのテコ入れのためにお○すびまんを製作した話から着想を得ておにぎり屋さんになったという話まで聞いたが、それでもさっぱりであった。正直彼らの活躍を今しがた纏めている筆者も何を言っているのかよくわからなくなってきている。
そんな理屈で強くなれたら、誰も苦労はしない、と。
ブシアグモンは、呆れてものも言えなくなる。
だが、読んだ書物に感銘を受けたからといって、それを実践に移し、続けられる者が、実際どれほどの数存在するというのだろう。
そしてその数少ない実例は、今この場に居るおにぎりまんなのである。
おお、おにぎりまん。正義のもののふ、おにぎりまん。
……と、その時であった。
不意に、里の跡地が揺れたのである。
凄まじい地響きであった。……そして、ブシアグモンは、そして里の生き残り達は、この揺れを既に知っている。
「むっ」
思わず身を竦めるブシアグモンに、おにぎりまんも異変の理由を察したのだろう。
緊急事態と、今回はブシアグモンに同意も得ずに彼を抱え、あの尋常ならざる摺り足で屋台の近くへと戻った。
屋台前は既に、パニック状態に陥っていた。
被害こそまだ出てはいないようだが、里を実質滅ぼされた後だ。かの機械竜が遠方より顔を出しただけでも、住民たちを震え上がらせるには充分で。
「お……おにぎりまん殿!」
ブシアグモンが、おにぎりまんの腕から降りて声を震わせる。
「皆の、そして拙者の腹を満たしてくださった事には感謝いたす! しかし……それだけでは。米だけでは里は救われぬのでござる! どうか、どうか彼奴めを……」
「……」
おにぎりまんはブシアグモンに背を向け、次の瞬間には彼の眼前から消えた。
無論、逃げたのではない。武人たる彼に、敵前逃亡など有り得ない。
だが、おにぎりの徒として生きる彼は、やはり武人として、曲げられぬ信念があった。
「某の名は、おにぎりまん!」
ラストティラノモンの前に立ち塞がったおにぎりまんは、名乗りを上げて、この機竜を見据える。
「やめるのだ! おぬし、何ゆえティラノの里を襲う!!」
おにぎりまんの心の原典(主にアニメ版)において、かの勇者は自身の名を冠した殴打の必殺技を持ち、そのパンチを以って毎度方へと弾き飛ばされる悪党もまた存在してはいる。
だが、あんぱんの勇者はいかなる状況においても、まずは対話を試みるのだ。
たとい、それによって自らがピンチに陥ったとしても。
「ああっ、おにぎりまん殿!!」
ブシアグモンを始めとした里の者達が悲鳴を上げる。
『ラストブレス』。触れた相手を錆び付かせる、ラストティラノモンの必殺技を、おにぎりまんは名乗りと問いかけの間に正面から喰らってしまったのだ。
いかに超究極体と言えど、おにぎりまんは鎧武者。即ち、金属のテクスチャを持つ者には変わりない。
一瞬にして、おにぎりまんの赤鬼の鎧は、赤錆の塊へと成り果てた。
「ぬ。錆に覆われ、力が出ぬ」
いくら憧れているからと言って、そんなお約束まで忠実にやらないでほしいとブシアグモンは思ったが、今更である。
ラストティラノモンは、そんな錆塗れのおにぎりまんに向けて拳を振り下ろす。
ふと、ブシアグモンはその拳に妙な既視感を覚えたが――その理由に辿り着く前に、おにぎりまんが動いた。
錆に呑まれようとも、超究極体。おにぎりまんはいともたやすくその拳を回避する。……が、やはりどこか、動きにキレが無い。足運びに合わせて鎧同士が擦り合った部分は耳障りな音を立て、ぼろぼろと赤い砂を零し続けている。
と、
「リヤカーだ」
ふいにおにぎりまんが、そんな言葉を成り行きを見守る里の者達に投げかけた。
「え?」
「リヤカーのハンドルを引き抜いて、こちらに投げい」
「リヤカーのハンドルを!?」
何故、と困惑するブシアグモン達。そもそも何か必要なものがあるのならば自分で取りに来た方が早いのではないかと思わなくは無かったが、その点に関しては、おにぎりまんがこちらに戻れば、ラストティラノモンがもう一つの必殺技『テラーズクラスター』で皆を一網打尽にしようとするやもしれないというのは想像できなくも無く。
四の五の言っても仕方ないと、やたら厳ついデザインのハンドルに飛びつくブシアグモン。
だが、いくら今は車輪にストッパーをかけてあるとはいえ、走行時は超究極体の膂力に耐えうる屋台の持ち手を、いち成長期が1体で引き抜ける筈も無い。
そう、1体であれば。
「うおおおおお!!」
「みんな、がんばれー!」
ティラノモン、そして他の成長期達も、ある者はブシアグモンとハンドルを引っ張り、あるものは屋台の方を押さえつける。それも出来ないものは、せめて応援にと声を張り上げていた。
平時であれば、それでもハンドルを引き抜く事は、叶わなかったかもしれない。
だがこの瞬間、彼らの腹は、たっぷりの卵粥で満たされていたのだ。
米は、三食食品群において黄色に属する食材。即ち、エネルギーの源なのである。
「!!」
そして次の瞬間、嘘のようにしゃりんと、鍔鳴りのような音と共に引き抜かれたハンドルは、勢い余ってティラノの里の仲間達の手をすっぽ抜け、おにぎりまん目掛けて飛んで行く。
「不思議には思わなんだか」
ラストティラノモンの追撃を躱しつつおにぎりまんがそれを受け止めるなり、コの字状に曲がっていたハンドルは形を変形させてゆく。
「我が屋台が、備え付けの冷蔵庫、コンロ、照明……その他諸々の機能を全てを電気でまかなえている事を」
その答えがこれぞ、と。デジタルワールドなのだからそういうものなのだろうと思っていたブシアグモンにも良く見えるように、おにぎりまんは、その「ハンドルだったもの」を高々と掲げた。
それは、もはや真っ直ぐに伸びた一本の刀。
いや、刀と呼ぶにはいささか歪だが、そこに関してはガイオウモンの頃からそんな感じである。何にせよ、これこそが彼らにとって、最も戦に向いた刀の形であるのだから、一々ツッコむのは野暮以外の何物でも無い。
菊燐。
それがこの刀の銘であり、あのオール電化屋台の無尽蔵の電力の正体である。
「『菊燐一閃・號雷斬』!!」
そう、ガイオウモン:厳刀ノ型が振るう菊燐は、通常のガイオウモンの菊燐が炎属性っぽい(※なお図鑑説明を見る限りでは「光」と記されるばかりで炎の必殺技とは明言されていない)のに対し、電撃の属性を持つのである。
そして「錆を落とす」方法には、錆の「電気分解」という手段が存在する。
おにぎりまんは自分自身に稲妻を走らせ、その身に纏わりついた錆を一瞬にしてすべて落とした。
実際に電気分解だけでこんなに綺麗に取れるかは甚だ疑問であるが、ここはデジタルワールド。「電気分解で錆が落ちる」という記述がインターネットに存在する限り、錆は電気で落とせるのだ。デジモンとはそういう生き物である。
「元気百乗、おにぎりまん」
身に迸った電撃を一太刀で払ったおにぎりまんが、静かに構えた。
だが、ラストティラノモンはおにぎりまんの変化なんぞ気にも留めない。
錆を落としたからと言って大した問題では無い。『ラストブレス』で、今度は菊燐ごと錆させれば良い話なのだから。……と、そこまで考慮するだけの理性ももはや有してはいない。
ただ、そこにいるこのデジモンを殺し、喰らう。
自らの餓えを満たす。……ラストティラノモンに、それ以上の思考など存在しない。
「某は、それを知っているぞ」
故にこそ、おにぎりまんは菊燐を携え、地を蹴った。
「おぬし、餓えておるのだろう」
腹を空かせた者がいる限り、おにぎりまんは、どこまでも跳ぶのだ。
ラストティラノモンは、理性の話はさて置き、バトルセンスには優れたデジモンである。
その上で、「菊燐を持ったガイオウモン:厳刀ノ型」の強さを見誤っていた。
加わった電気の力は、おにぎりまんのステータスを、それこそ何倍にも引き上げる。
改めて鬼の鎧を駆け巡った電気は磁力的な力を生み出して、リニアモーターカー的な原理でおにぎりまんと周囲との摩擦を取り除く。おにぎりを握るようにふんわりとした概念を可能とするのは、おにぎりまんが超究極体であるが故に。最悪理屈が間違っていたとしても、思い込みだけでそれを可能にするフィジカルを持つのが、頂点に立つ世代たる者だ。
これこそが、ガイオウモン:厳刀ノ型が極めし静の剣術の正体。
地を均す速度の摺り足は、触れもしないまま、羽根のような軽さで風のようにラストティラノモンのテクスチャを駆け上がり、ふわりと束ねた白い髪が持ち上がった瞬間には、既におにぎりまんは、ラストティラノモンの眼前へと達していた。
「だがやはり、餓えた獣に、戦は出来ぬ」
しかし宙に浮いてさえしまえばもはや回避は叶わぬと、ラストティラノモンはおにぎりまんに標準を定め、口をがばと開く。
「戦いたければ――」
そう、口を開いたのである。
「米を食え!!」
「もがア!?」
おにぎりまんは懐から取り出した予備のおにぎりを、ラストティラノモンの口へと叩き込んだ。
ガイオウモン:厳刀ノ型は、一刀流。即ち、片方の手が空いているので、おにぎりがいつでも取り出せる、という訳である。
口の中一杯に米のうまみが広がったラストティラノモンでは錆の吐息を噴出する事も叶わず、おにぎりを押し込まれた衝撃に身を任せて、彼は仰向けに倒れていく。
どおおおん! と地響きを鳴らしながら倒れたラストティラノモンは――久方ぶりに、ただ、青い空を眺めた。
青い空。
白い雲。
牧歌的なティラノの里。
更なる強さを求めて飛び出したとはいえ――忘れられる筈の無い故郷で、弟分たちと囲んだ、食事の席。
「お……おイしい……」
「……ティラノの兄い……?」
侍被れの可愛い弟分の戸惑う声と共に、そんな懐かしい味を思い出して。
同時に、強さ以上にかけがえのないもので成り立っていたその里を、他ならぬ自分自身が力だけで蹂躙してしまったのだと、噛み締めた事実の中で、おにぎりの塩味が涙のように染み渡り、ラストティラノモンの身体が霧散する。
「……おにぎりは、故郷の味。身を機械に置き換え全てを忘れたおぬしにも、きっと変わらず、美味かろう」
菊燐を地に刺し、ガイオウモンが手を合わせる。
ラストティラノモンの消えた後には、小さな小さなデジタマだけが、残された。
*
「……里を出た彼は、きっとメタルエンパイアにでも流れ着いたのでしょう。そこで強化手術を受け――」
「――しかし、肉体が耐えきれず暴走し、僅かに残った記憶から故郷へと赴いた」
ティラノモンとおにぎりまんの推測を聞きながら、ブシアグモンは預かったデジタマをギュッと抱きしめた。
ブシアグモンは、誰よりも強く優しかった兄貴分を、今でもよく覚えている。
2体の考えは結局は推測に過ぎないとはいえ、「力」が兄貴分を変えてしまったのだとしたら――それは間違い無く悲劇であり、とても、正義とは呼べないものであった。
「私達は、どうにか里を立て直します」
うなだれるブシアグモンの頭を撫でながら、ティラノモンは今一度おにぎりまんへと頭を下げ、表情を緩めて見せた。
「立ち上がる強さが、また新たな世代を育てると。……きっと、里長ならそう願うでしょうから」
「……良い心掛けよ。某も時折様子を見に来よう。肉畑の供給が安定するまでは、腹の面倒ならいくらか見てやろう」
優しさという強さ。2体を見て、ブシアグモンもようやく実感する。
なんと、頼もしいのだろう、と。そして、自分もどうにかして、里を立て直すための力にならなければ、と。力に溺れた兄貴分の悲劇を二度と繰り返さぬと誓いを立てながら、ブシアグモンもティラノモンと並んで、深々とおにぎりまんに頭を下げるのだった。
「本当に、かたじけない、おにぎりまん殿。この恩は、いずれ必ず」
ふっ、と。
僅かに微笑んだような音と共に、再び菊燐を屋台のハンドルに戻して納刀したおにぎりまんは、ティラノの里に背を向け、暮れなずみ始めた空に向かって歩き始める。
「ありがとうー! おにぎりまんーー!!」
里の幼子たちが、揃って声を張り上げる。
おにぎりまん。
正義の味方、おにぎりまん。
おなかを空かせた者達の味方。
今日もどこかで、おにぎりの屋台を引いている。
おわり
おせわ(食事)をして調子が上がるシステム。あれで絶好調になるのは何故なんでしょうね。まあデジモンにとって食事がかなり重要なのは初代からだからね!
キャベツ1日1個の大地得の世界。炎熱だってキャベツで調子は、上がるけど不平不満で怒って良い筈。その辺り配慮してくれるおにぎりまん、ボクらのおにぎりまん!私には出来なかった事をやってくれるッそこにシビれる憧れるゥ!
え?ブシアグモン無属性…そんなこともあるよね。しのごの言わずキャベ…お米食べろ!!!!
本当にフェレが語尾だとフェレスモンなのだろうか?ベルフェモン:レイジモードの可能性…怖すぎるし嫌フェレ。
果たして相手は、おにぎりの美味しさにやられているのか単に物理的にダメージを喰らっているのか。つまりこれは精神分析(物理)的なグルメ小説…?自分でも何言っているか分からなくなってだいぶ毒され…いや満たされているなとおもう所存。
いやー某、感服いたした!実に天晴れ!殿様ならば舞の一指しでも舞うところ。しかし殿様でも無くば舞も舞えないのでお米食べるぞ!!!! 以上、おそらく感想でした。
拝見しましたので足跡をば。
タイトルからして、牛鬼とは別のベクトルでインパクト大!!
これは間違いなく、平和でコミカルな世界観なんだろうなぁと。
読み始めて・・・いやはや、これはやられました!
ガイオウモン:厳刀ノ型という何もかも硬そうなデジモンと「おにぎり」というふっくらした食べ物を組み合わせるとは・・・
ミスマッチであるはずなのに、深い話を語りだし、思わず感動してしまいました。
そしてわけのわからない格好良さ!!!
普通、口におにぎりを突っ込んだら死ぬだろ!?とツッコミを入れたかったんですが、
きっと程よい柔らかさと塩加減であるがゆえに、相手にそれを味わう余裕と衝撃を与えられるのだろう・・・と冷静に分析することにしましたw
話の端々で語られる、カロリー制限が過ぎるスカルサタモン(という表現)と、語尾に「フェレ」と付けるフェレスモンらしきデジモンが!いや!これは!天才か!?と。
このあたりのお話もいずれ欲しいですね~(チラッチラッ)
リアライズについては、イベントでの掛け合いでほっこりするシーンが多くて、思い出深いゲームだったんでした。
そうですかぁ~もう1年経ったんですね・・・
全く関係のない話ですが、5/3のプレセデントの本も楽しみにしていますね。
自分、当日は一般参加致しますので、よろしくお願いします!
それでは~
それいけ!あんハ〇ンマンのパロディがいざ征かん!であることに読み終えて気が付きました。ヘリこです。
初日から企画に投稿していただきありがとうございます。
ガイオウモン厳刀ノ型はおにぎりを作るのに向いた手をしている……そうかな、そうかも、読み終えるとそんな気が……
何のために生まれて、何をして生きるのか……哲学的な問いですけど、パロディであることを踏まえると途端にギャグ描写になる不思議……
でも話の大筋自体は大真面目にいい話……戦いにのみ意識を集中していては限りがあり、おなかと心を満たしてこそ強くなれる。敵として出てきたラストティラノモンも、単なる狂獣ではなくて悲しい存在で、ただ武力だけでは救えなかった存在で……
とても素敵な話でした。改めて、企画参加ありがとうございました。
あとがき
【RRA】参加作品のデジモン選考に悩んで、とりあえず順番にリアライズ産デジモンの図鑑説明を眺めていた時に気付いたのですが、ガイオウモン:厳刀ノ型の手、めっちゃおにぎり握りるのに向いてそうじゃないですか?
はい、という訳でこんにちは。『いざ征かん! おにぎりまん』、いかがでしたでしょうか。資料集めの段階で「おむ○びまんとバ○コさんは公式カプ」「やな○たかし御大、まあまあ性癖エグいタイプ」という知見を得た快晴です。今回はシュール系を目指しました。
快晴ワールドにおいて与太話系は全て同じ世界観で展開しているという設定があるため、ちらっと出てきたどっかで見たような設定の奴らは、実際どっかに出てきた事があるヤツです。よかったら元ネタを探してみてネ(ダイマ)。
さて、デジモンリアライズ一周忌という事で、少しだけ。
快晴は実のところそこまでリアライズを真面目にやっていた勢ではなくて、というかゲスト出演したダークマスターズが成長期にボコされているのを見てちょっと離脱してしまい、その後何度か戻りはしたものの、ゲームの仕様に追いつけなくて、たまにガチャ回したりしている程度……と、書いていて本当にこの企画に参加して良かったのか不安になってきたくらいです。
そんな私ですが、好きな要素ももちろんあって、親密度上昇アイテムの存在が、自分の中では結構ツボでした。特に、暗黒系デジモンの親密度がおにぎりで上昇するのが好き過ぎて、そこから着想を得たのがこの『いざ征かん! おにぎりまん』という事になります。……まあ、暗黒系デジモン、一般通過フェレスモンとデジモン医スカルサタモンがちらっと出た程度なんですけど、本作。マッドレオモン:アームドモードもカウントして良いかは微妙なところ。
余裕があれば「血より梅干しの赤が好きになってしまったヴァンデモン」とか出したかったんですが、見ての通り文字数が2万字近くになってしまった本作にそんな余裕は無かったので、今回は見送る形になりました。まあ、それはまた、機会があれば。
最後になりましたが、ここまで読んで下さった皆様、そして何より、素敵な企画を開催して下さったへりこにあん様に、多大なる感謝を。
本当に、ありがとうございました!