タイトルのイメージ
次の話
https://www.digimonsalon.com/top/dezimonchuang-zuo-saron/16-ren-lian-si-qiu-lian-si

この館の事実上の主であるお嬢、レナータはとても優しい子だった。こゆきもルナの旦那も優しいが、その中でも一等優しいのは彼女だった。何もかもを無くした俺に寝床を与えてくれただけではない。毎日小さな声で口にする、
「ありがとう」「これ、美味しいね……」「お疲れ様……」は、俺の心を確かに溶かしていく。背後に控えている人物のせいで心酔とまではいかないが、この小さな少女は俺の恩人といえる。大きな掌の中のものを見る。包帯に包まれたソレは、一つの飴玉だった。包み紙からは、透き通っていて茶色の丸いものが見える。カサカサ、という音とともに包み紙を外し、俺は飴玉を口の中に放り込んだ。この飴は、優しい「いつもありがとう」の言葉とともに、お嬢がくれたものだ。舌先で転がすと、茶色のソレは優しい味がした。醤油と砂糖が混ざったような、その独特な味はどことなく癖になりそうだ。
「お嬢……」
ガリガリと飴を噛み砕きながら、俺はあの茶色い兎を抱いた盲目の少女のことを思い出していた。
無理矢理契約書にサインをさせられたあの日、俺はまた以前のような目に遭わされるのかと怯えていた。忘れもしない、土下座をしてまで旦那達が住む館に身一つで押しかけた朝のこと。最早彼に縋って生きるしかないと、頭の中がそれだけで染まってしまったあの時。目の前の相手は冷酷な魔王なのだ、玄関で土下座をして追い返されるだけならマシだろう。命だけは助かるのだから。ソレに、裏の世界で危ない橋を渡る手段ならいくらでもあるのだ、此処に拘る必要はない筈だ。本来ならば。そう、あの少女が俺に対して『家の家事全てをやって貰いたい』という、俺が驚くほど穏便な条件を提示してきたのだ。あの方に拾われる前、生きる為ならば溝浚いでも、強盗でも殺人でも何でもしてきた俺に対して、そんなことを言うのだから、最初は耳を疑った。だが、彼女達も楽になりたいという理由があって俺を雇うことにしたらしい。俺も、お嬢に拾って貰った恩を返す為、館で働くことになった。
彼女の計らいで、俺は契約書を書かされることになった。裏切り防止らしいが、ソレ以前に雇い主に逆らえないようにするという意図もあるらしい。通された部屋は応接間で、天井には電球のシャンデリア、一対の二人掛けの黒い革張りのソファー、それとローテーブルがある。天板が硝子張りのソレの上には、ティーカップと万年筆、一枚の紙切れが置かれていた。中華趣味(シノワズリ)というやつだろうか、見事な桃色の蓮の絵が描かれたティーカップからはもくもくと白い湯気が出ている。黒い軸の万年筆は然程使い込まれていないようで、傷もあまりついていない。塗装は剥げていないどころか、ほぼ新品同様で輝きを失ってはいなかった。金のクリップ付きのキャップを外すと、中から黄金のペン先が現れた。豪華な模様などはついていないが、まるで鏡のように輝いているソレを紙の上に走らせると、サラサラと、ゲルインクボールペンと見紛うような、滑らかな黒インクが出てくる。一気に吹き出してくる訳ではないが。にょろっとした細い線は、書き心地も相まって書類の上に自分の名前を構成していき、俺は書類をよく読まないうちにいつの間にか契約を終えたことにされていた。
「これで契約は完了(オシマイ)だ。今日からしっかり働いて貰うからな?」
三つの紅い眼がにんまりと笑うようにしてこちらを見つめている。この時、俺はこの館で働く選択をしたことを死ぬ程後悔した。筈だった。
しかし、日が経つにつれてそうは思わなくなった。館の一員として馴染んできた、というのもあるだろう。誰かの為に身を粉にして働く必要こそあれ、侵入者が来たからといって戦うことがないのだ。そもそも、小高い丘に建っているこの館に侵入者など滅多に来ない。俺が作った料理を、館の皆が笑顔で食べてくれるという理由もあった。料理は昔から得意だからコレ程嬉しいことはない。誰も残さないし、仮に残ったとしても翌日の朝までには消えている。失ったものも多いとはいえ、俺自身は確実に幸福への一歩を踏み出した。あんな天使のように優しくて可愛い子に仕えられるし、あの屈託のない笑顔は思い出すだけで癒される。本当に人間なのか、と思えるくらい人間離れした美しさだが、彼女は自分の容姿に自信がないようだった。こゆきもそうだが、この二人は何故だか大人しすぎる。女の子同士で遊んでいる時は楽しそうなのに。
俺が知っている女という生き物は、もう少し我儘で生意気な筈だった。だからこそ可愛げもあったのだが。でも、彼女とは心の何処かで通じ合っていたし、俺の料理を最初に「美味しい」と言ってくれたのは水色に近い銀の髪をした彼女、ポリーナだった。まだあの方がいて、こゆきとブランがいて、執事もいたあの頃のこと。城の料理人としては、二、三人の部下を指導する立場になったばかりでミスも多かったのに。あの三人の笑顔に励まされていたのは確かだった。そう、あの日が来るまでは。
思い出したくもない日がとうとうやってきてしまった。広大なホールには断頭台(ギロチン)が置かれ、傍には背中に斧を背負った処刑人の青年と、城の主であるあの方が控えていた。心無しか今にも泣きそうな顔をしている。大勢の見物人達が石造りの床に置かれた木製の断頭台に目を向けていた。かけられているのは長い銀の髪をした、下半身が不気味な蜘蛛そのものの女だ。つまり、俺は恋人を目の前で殺されるのを見せつけられているということになる。彼女の頭上には鈍色に輝く、まるで肉切り包丁のようにも鉈のようにも見える刃があり、処刑人が紐から手を離せば即座に彼女の首を刎ねてしまえるのだ。あの彼女が、こんな理不尽な死を簡単に受け入れる筈はないのに。彼女は、
「お慈悲を……」と呟きながら、力無くされるがままになっている。ソレを見ているだけの自分は涙が止まらなくて。堪えようとしても、自分を包んでいる柔らかな白が濡れていくばかりで。もし代わってやれるのなら代わってやりたかった。俺は大勢の見物人達の前で、人目も憚らずに泣き叫んだ。力一杯涙とともに叫んだ後に啜り泣く。眼前にいるあの方が、心底不愉快そうな目でこちらを見つめている。そうして処刑が執り行われようとしていたその時、
「兄さま!その人が一体何をしたって言うんですか!」
白い妖精を胸に抱いた小さな少女が、勢いよく扉を開けて駆けてきた。白いラインが入った黒い膝丈のスカートに、少し薄めの墨色をしたフリルの長袖ブラウス。薄手の黒いストッキングを飾りのついていないシンプルなガーターベルトで吊り、黒いストラップシューズを履いている。服だけではなく髪のリボンまで真っ黒だ。偶然とはいえ、こんな嫌な偶然があるだろうか。
「兄さま、お願いです!その人は私にとてもよくして下さった方なんです」
「そうでクル……。その人がいなきゃ、ブランもこゆきもお菓子作れなかったでクル……」
「それは出来ん。もうコイツは用済みだからな。課された使
命一つ遂げられぬ部下など必要ない」
「兄さま、兄さま……!」
こゆきは彼の足元に泣きながらしがみついている。
だが、
「彼女の処刑は決まったことだ。今更取りやめることは出来ん」
彼は妹の必死の訴えも聞き入れず、ポリーナの首を刎ねた。目の前にボトリと首が落ち、そのまま彼女は粒子となって消えていった。俺が直前に、
「見るな、隠れろ!」と言ったので、こゆきとブランの二人はこの瞬間を見てはいないだろう。ソレが不幸中の幸いだった。
重い足取りで自分の部屋に戻る途中、庭で白い妖精と一緒に花を摘む少女を見つけた。冷たい夜風に当たりながら、死者への餞にするのか、ブランの小さな白い手の中には、四、五本の、桃色のスターチスの花が確かにあった。
「……ポリーナさんの為にって思ったんです」
その時に見せた悲しそうな顔が焼き付いて、俺は今でも忘れられない。澄んだオリーブ色の瞳からは一筋の涙が頬を伝ってつうっと零れていく。
「どうして、どうして兄さまは……」
「……仕方ないんだ」
「ひどいでクル……」
その数日後にあの方は謀殺され、何者かの手で放火されたせいで城は焼け落ちていった。俺はこれで良かったのだ、と思いつつその場を後にした。暫くの間、沢山の思い出と少しのトラウマが遺されたあの城が燃えていく様子を見つめながら、逃げるように。それからの日々は王様に拾われたまでは良かったが、彼に経歴を聞かれるやいなや、俺は地下牢の看守として働くことになった。三交代制で、前と同じく俺には少ないながらも部下がいた。それでも淡々とした日々は俺の心に何も残さず、虚という言葉が似合うものになっていく。旦那達が王様の城に来るまでは。だからだろうか、こゆきとブランが生きていると知った時は心底嬉しかったのだ。
今日も今日とて彼女はブランと一緒に、居間でテレビを見ている。外では楽しそうにお嬢とクロがはしゃぎ回っていて、彼女自身は黒く細いリボンで髪を二つに結え、水色のリボンで飾られた黒いベレー帽に、あちこちがフリルで飾られた膝丈の紺色のドレスを着ている。白いフリルのハイソックスに黒い編み上げのブーツ。秋の野花を摘みながら遊んでいる彼女は、自分の目の代わりを務めている兎にそれら全てを贈っていた。その中には鮮やかな黄色の蒲公英が時折混じっているのだが、この兎は特に気にしてはいないようだ。居間の壁に掛かっている柱時計を見ると、もう少しで三時に差し掛かろうとしていた。
振り子時計の鐘(チャイム)が三回鳴った後のこと。まだ、外は明るく、青空には雲ひとつない。俺はふと気になったことがあるので、こゆきの部屋に掃除をするフリをして忍び込むことにした。扉を開けると、やけにこざっぱりとしてはいるが、それなりに豪華な部屋が現れた。焦茶色の、艶(つや)やかな木の箪笥と、白く少し古めかしい鏡台。ソレの目の前には揃いのオットマンがある。小さな机にも高級そうな白木の肘掛け椅子がついている。座面には座り心地を良くする為か、黄緑色の座布団があった。だが、数日前に掃除をしに入った時と違い、枕元にはぬいぐるみが一つ増えている。羊の隣に寄り添うようにして、薄緑色の小鳥が置かれているからか、この二体は仲睦まじく見える。その光景を目にした俺は思わず笑みが溢れてしまいそうになった。だが、今はこんなことをしている場合ではない。俺にとっての目当ては、彼女が日頃から描き溜めていた机の上に置いてあるスケッチブックだ。表紙を見た限りは普通だが、端の方に少しだけ焦げ目が付いている。城が放火されたあの日の夜に持ち出したのだろうか。隣には三十六色のクレヨンが置かれているものの、中身はそこまで使われていないようで、精々一部の色の角が丸くなっていたり、別の色が付いているだけだ。整然と並べられているソレの中で、二つだけ半分以上すり減った色がある。黒と藍色だ。この時点で何を描いているのかは既に想像がつく。もしかしたら俺は想像以上に恐ろしい領域に足を踏み入れているのかもしれない。スケッチブックの表紙を開けると、中身は俺の予想を裏切っているとはいえ、子供らしさが滲み出ていて、思わずクスッときてしまった。まるでぬいぐるみのような羊や兎、熊といった動物達が野原でピクニックをしている絵。地面は緑色に塗られ、その上にはぽつぽつと黄色い花が描かれている。二ページ目は銀髪の少女と白い小さな動物が楽しそうに遊んでいる絵だが、空が暗い。その上何処かに違和感を覚える。その謎は次の絵で察しがついてしまい、俺は青ざめた。ずっとずっと恐れていたあの方の笑顔と共に、楽しそうなこゆきとブランが描かれていたのだから。絵の中にはレモン色の三日月が浮かんでいて、深緑色の地面の上で三人仲良く楽しそうに遊んでいる。俺が知っているあの方は、そんな顔を部下達(俺ら)に見せたことは一度もなかったのに。何故こんなに楽しそうなんだ。あの小さな少女には、彼が優しい兄にでも見えていたとでもいうのだろうか。その次のページには、ヒトの顔に大きな異形の躰をした怪物の絵がある。下の方とはいえ、その上にはブランとこゆきが確かにいて、しかも二人は仲良くドーナツを食べている。どうしてそんなに優しそうな顔をするんだ。その姿を嫌っている筈なのに、何故楽しそうなんだ。怯えながら次のページをめくると、そこに描かれていたのは。忘れもしない、今はもういない恋人(ポリーナ)と、俺、こゆきとブランの姿だった。
「こんなこともあったっけな……」
四人とも楽しそうな笑みを浮かべながら、まるで写真撮影でもするかのように並んでいるところがシュールではあったが。それでも、拙い手つきとはいえあの少女が思い出を描いてくれたのは嬉しいことだった。
その後もページをめくっていったが、どうも兄とブランとこゆきが一緒にいて、楽しそうにしている絵が多い。一、二枚は普通の、それこそ昔城にあったステンドグラスの絵や、ホールにあった飾り時計の絵といったものだが。何故ただの色ガラスの組み合わせが気に入ったのかはわからない。
その時、不意にガチャリと扉が開き、
「ユゥリ、何をしている……?」
「何してるでーすか?」
部屋の主である年頃の少女と、白い妖精が入ってきた。やけに落ち着きのある低い声。別にそれだけなら良かったのだが、この口調は聞き覚えがある。恐る恐る振り返ってみると、目の前には白いブラウスに黒い膝丈のコルセットスカートを穿いた小さな少女が確かにいた。胸には白い妖精がぬいぐるみのように抱かれている。しかし、銀髪の少女の前髪から覗く眼の色は、どことなく冷たい海かサファイアを思わせる。まるで、彼女の兄のような。
「こゆき……?その眼、どうしたんだ?」
「クリュ……」
「ブラン、何か知ってるのか⁈」
「知ってるも何も、彼女は私がどうなったのかを妹と共に見届けたのだからな」
「………」
ブランは悲しそうな顔をしている。
「おい、どういうことだ!こゆき!」
俺は思わず彼女の胸ぐらを掴んで問い詰めるが、彼女から返ってきた言葉は、
「どうしたもこうしたもない。私はこれでも相当不自由してるんだ。自由になるのは右眼だけ。妹(こゆき)が余計なことをしてくれたせいで、出ることも叶わん」
もう彼女は以前のこゆきではなくなっていた。あれ程慕っていた兄が死んだからだろう。だが、俺が憎んでやまない彼は、この小さな少女の躰の中にいるのだ。蘇ったなら今すぐにでも殺してやりたかった。
「卑怯だぜ、アンタ!こんな小さい子を苦しめて!」
「……ユゥリ、お前一つ勘違いしてるな?これは彼女が望んだことだ。私とて、そのまま逝けたらどんなに良かったことか」
「……アンタは地獄行きだ。天国になんか行けると思わない方がいい」
彼女はにっこりと笑って、
「そのつもりさ。こゆきもその時は道連れだ」
余裕を崩さずにそう答えた。彼女の心を覗き見ることは出来ないが、この小さな少女は死後も血の繋がりなどない兄を慕っている。俺は拳を握りしめ、彼女の部屋を出た。
「どうしたんだよ、こゆき……」
俺の嘆きは誰にも届かない。ただ隙間風だけが耳を撫でていった。
どもっス!
オイラっス!
今回は二次創作史上初の、undead_corporation曲をイメージしてみたっス!
ついでに、ある程度原作に寄せてあるっスよ
ちなみに、ユゥリもポリーナもロシア語で統一してるっス
来週はブラカメおやすみして、こゆきちゃんの話書くっス
ではまた!