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穏やかに楽しむ白い少女を後目に、我は脱獄する方法を考えていた。一刻も早くこの狭苦しい牢獄から出て、ルナを救出せねば我々が今後どうなるかは分からない。少なくとも、弱いレナータが野垂れ死ぬしかないであろうことは明白だった。この世界では弱い者が即座に死ぬ。そんな理が支配している。人間など虐げられるか奴婢になるしかない弱者なのだから、弱視の少女は護られなければ生きることは出来ないのだ。即ち、生殺与奪の権はデジモン達の手の内ということである。我がしかめ面でそんなことを暫く考えていると、
「どうしたんだ、ウサちゃん」
「我はウサちゃんなどではない。この牢からどうすれば出られるのか分からなくてな。半分とばっちりを受けたも同然であるし、何より只の人間であるレナータが心配になるのだ。我はともかく」
あの黒尽くめの蜥蜴男が些か心配にもなるが、元はといえばアイツが我々を連れて来るのが悪い。我はそのうち拳を血が滲み出るまで握りしめ、切れかかっている蛍光灯に照らされたコンクリートの壁に殴り掛かった。しかし、壁は何度殴ったとしても罅(ヒビ)一つ入らない。諦めずに十回繰り返した頃にはもう爪が割れそうになっていて、それを見る度涙が溢れてくる。敵に対する不信感や猜疑心がそうさせているのだろうか。口では頼ろうとしていても、結局のところは出来ない、教えて貰えないと思っているから。不気味ながらも妖しく美しい紅が我の顔を覗き込む。
「クロ……?無理、しないで……?」
「レナータ……」
「せっかくできたお友達が傷つくの、見たくない……」
我は目の前に伸ばされた両手に飛び込むと、そのまますすり泣いた。ネイビーの、飾り気はないが上等な生地の中から覗く白い手は温かい。後ろにいる看守の男が口を開く。
「嬢ちゃん達、良いこと教えてやるよ。この壁はそのままの姿で壊そうと思っても壊せない。今の姿じゃ出来ないことだってあるからな。先ずは進化したらどうだ?」
「……しん、か?」
「何だ、知らねえのか?俺らデジモンは進化を繰り返して強くなっていくんだ」
白い少女は相変わらず見えていない眼で男を呆っと見つめている。病的な程白く細い手で、我のことを撫で続けたまま。
「嫌……!クロ……、クロはクロのままでいて……」
「それは無理だ、我はいずれ姿が変わる。それは避け難き過程(プロセス)也。心配するな、我の心は我のままだから」
少女の澄んだ瞳からは石英(クォーツ)のように透き通った涙がぽろぽろと零れ落ちていく。静かな沢のように流れてゆくそれは、純粋な祈りのようにも、無垢な呪いのようにも感じられた。
ムカつく程態度の悪い王が俺を大きな扉の前まで案内し、複雑で悪趣味な装飾が施されている、燻んだ金の鍵を懐から取り出した。鍵を差し込み開くと、学校の教室程もある其処には、沢山の蜘蛛に似た気色悪い生き物達が放たれていた。俺が部屋の中へ一歩足を踏み入れた途端に扉が閉まり、扉に鍵が掛かった。天井の照明は、あの豪華な食堂程ではないものの、相応に金が掛かっている。今どき珍しい白熱電球に、アンティークのランプ。窓はなく、通常こういった部屋にはある筈の絵画や鏡、箪笥といった調度品の類もない。目玉に足が生えた生き物だけが何もないこの空間の中にいた。彼らは飢えた胡狼のような、ギラギラとした目つきで俺を見つめている。
「な、何をするつもりだ……‼︎」
そのうち、目玉の一体がこちらに襲い掛かってきた。
「ノエル、お前何企んでんだ……⁈」
「なぁに、君が飢えてるって言うからさぁ。特別にご馳走を用意しただけだよ。懐かしいだろう?かつての戦友(とも)と戦った記憶を思い出せて。それとねぇ……」
「何だ⁈」
「君、いつだったか『虚』があるって言ってなかったっけ?」
「……『虚』?」
「そぅ、大切なモノを失くしたって聞いたよぉ?かつて殺めた『お友達』。君の胎の中にいたんだってねぇ?」
だからこの気色悪い生き物で胎を満たせ、と言うのか。昔日の記憶が呼び起こされ、頭の中にズキリと痛みが走る。忘れる筈もない、あの時のことを。思い起こす度に涙が止まらなくなる。
「あ、あ……」
俺が壊れていく様を彼は階上で見ていた。くすくすと子どものように嗤いながら。
目の前に迫り来る気色悪い目玉共を、ショットガンで撃ち殺していく。傍から見れば、俺がトリガーハッピーにでもなったようにしか感じられないだろう。内装だけはやけに豪華な部屋には沢山の弾痕が付き、シャンデリアを支える鎖は振り子のように揺れた。数えきれない程撃鉄(トリガー)を引き、その度に生々しい音を立てながら、臓物と一緒に紅い液体を目の前にぶち撒けながら果てる。床に紅い絨毯が出来上がり、血腥い臭いが部屋中を包み込む頃には、漸く一体に減っていた。
「はあ、はあ……」
王(ノエル)がこの場にいたら眉間に弾を撃ち込んでやろうか。そんなことをしてもアイツが死ぬことはないし、少しの間だけ足止めするのがやっとだろう。最後の一体を撃ち殺した後、俺は、
「これで満足か、クソ吸血鬼(ヤロウ)‼︎」
叫んだ。もうこれで終わりなのだと思っていた。その時、不意に頭上から触手が伸びてきたのだ。まさか、まさか‼︎
「‼︎」
そのまま触手は俺の躰を蝕み、遂には……。
「クロ、クロ……‼︎」
目の前の少女は泣き出していた。仔兎ことクロは光に包まれ、姿が変わっていたからだ。狗のように垂れていた耳は少し立ち、兎らしくなっている。三本のツノはそのままだが、頭身は人間のソレに近くなり、武具を装備している。茶色い毛は無くなり、首にはスカーフが巻かれていて、さながら獣人族の戦士といった趣だ。可愛げは残っている筈だが、彼女にはそうは思えないのだろう。レナータはクロに背中をさすられつつ、未だに声をあげて泣いていた。
「いい加減泣き止んでくれよ……」
「クロが、クロがぁ……‼︎」
「我はここにいるぞ。我が眼(まなこ)を使え、レナータ。ルナがおらぬ今、我がそなたを護らねばならぬ」
白い少女は涙を拭いつつ、クロの腕にしがみつきながらも立ち上がった。
「………」
頬からは涙が未だに零れ落ちている。それでも尚、彼女は靴を履き、ベッドから立ちあがろうとしている。ソレを見た俺は、
「よしよし、いい子だな。偉いぞ」
思わず頭を撫でた。
苦しい、頭にズキリと割れるような痛みが走る。助けてくれ、誰でもいいから早く。こんな時に限ってあの白く、清らかな少女のことを思い出してしまう。涙が止まらない。無理矢理力を増幅されているからだろうか。
「は……、ぁ、はぁ………ぁ」
自分の意思が呑み込まれていき、苦しみに喘ぐ。以前にもこんな感覚を味わったことがあるのだが、ここまで酷いものだっただろうか。力に飢えていた時のあの感覚。炎龍と青い少年に一度敗れた時の。
「ぐ、うぅぅぅ……」
まるで獣のように呻く俺を後目に、王は狂ったような、けれどもどこか楽しそうな嗤い声をあげた。
「これだよ!僕が求めていたのは‼︎漸く『らしく』なってきたねぇ、ルナくん!」
「……るせえ、……うるせぇ‼︎」
このまま狂ってしまえたらどんなに楽だろう。様々な記憶が、柵(しがらみ)が邪魔をして、ソレが出来ないというのは誰よりも知っている筈なのに。俺は、あの日の悔いを無に還そうとしているのか。
『強者になる』という蜘蛛の糸はまやかしでしかなかった。強さとは『紲』のことを云うのだと彼らから教わったというのに。彼女の想いを、只の、形無きものを。
形無きもの?そう考えてしまう時点で恐らくはもう歯止めが効かなくなっている。何より『アレ』が使えない。たった三文字。何故出てこない?苦しい、頭が玄能でカチ割られたかのように痛い。声にならない叫びをあげながら、壊れかけたガラクタのような体流(フロー)が訴えかける。
『もっと喰らえ』と。渇きは止まらず、されど癒えることもなく。只々、本能に支配された『哀れな』人形として、俺は見えるもの全てを喰らい始めた。
「怖いよ、怖いよ……」
可哀想に、白い少女は目の前の兎が進化しただけで泣いている。おまけに、パンチ一発で俺が持っている牢屋の鍵が要らなくなる程の穴を壁に開けた。レナータは俺の壁にしがみついたまま呟く。
「おにいちゃん、怖くない……?」
「あんな兎一匹怖かねぇや!そもそも進化したって俺に敵う訳が無えんだからよ」
「そう、なの……?」
首を傾げながら彼女はぽかんとしている。そのうち、紅い眼は少しだけ穏やかな顔をしている。前に大きな兎がいることも気にしなくなったようで、軽やかな足取りで兎に近づいていった。そのまま手を繋ぎ、仲良く歩いているのを見ると、少し寂しさを感じる。だが、俺はあの二人の中に入るべきではない。
階段に足をかけ、一段また一段と上っていく度に派手な音が大きくなっていく。何か硬くて脆いモノが割れる音、柔らかくて生温かいモノが千切れる音、それと無数の金属音が嫌でも耳に入ってくる。階上で何が起こっているのかは分からないが、少女は怯えている。
「助けて、助けて……!」
「また俺ンとこ来ていいぜ?腕握ってると安心すんだろ?」
「うん」
彼女は頷き、俺の太い腕を再び掴む。三人で階上に出た時、俺たちが見たものは。
あちこちの壁には穴が開き、カーテンは破れ、絵の入った額縁は壊れて今にも落ちそうだ。床には乾きかけの紅。あれ程仲の良かった同僚、可愛がっていた部下たちの千切れ飛んだ肢体。骨や内臓さえ残らなかった奴もいる。物言わぬ骸と成り果てたソレにさえ、あの黒蜥蜴は汚らしく齧り付いた。薬物中毒者のような目をして。その光景を目にした白い少女は頽れ、泣き叫んだ。
「怖いよ、お願い……。戻って……‼︎」
「ああなってしまってはもう無理だ。元には戻れぬ」
兎が冷静に告げる。俺はこの時、ほんの一瞬だけ見えたもののことを二人に迷いながら告げた。
「実はさ、アイツ……。見間違いかもしんねえけど、何かに憑かれてるみてえなんだ」
「憑かれてる、とは?」
「もしかしたら、パラサイモンにやられてるのかもしんねえ。上手く行けば剥がせる。俺に、一任させてくれねえか」
自分の意思は何処へ行ったのだろうか。もう何も考えられない。足下に散らばった硝子片を踏んでも『痛い』と思うことさえ出来ない。壊すモノなどもう無い筈なのに、俺の眼は只ひたすらに動くモノを求めていた。そのうち、俺の眼は白い何かを捉えた。
「オ、マエハ………」
「あんたの相手はこの俺だ‼︎」
目の前の男は銃口を向けながらそう叫んだ。
「オマエガ俺ノ相手ダァ?笑ワセルナ‼︎俺ハ、世界最強ノ……むぐ、むぐぐぐぐ‼︎」
言い終わる前に、俺は前から伸びてくる白くて長い布に口を塞がれた。息が出来ない。何重にも巻かれた布に唾が染み込み、ついにはベトベトになってしまった。
「今だっ‼︎やれっ‼︎」
叫び声が聞こえるとともに、背中に鈍い痛みを感じる。そしてそのまま俺は倒れてしまった。
気づけば俺は、地下牢と思しき場所に備え付けられたベッドに寝かされていた。壁には人が二、三人通れそうな穴が開いている。だがそれよりも、俺が気になったのは、
「レナータ‼︎」
小さな兎をぬいぐるみのように抱きしめている、白い少女だった。
「ル……ナ……?良かった……」
そう言って彼女は俺に抱きついてきた。嬉しさのあまり、俺の硬い尻尾も自然と揺れている。同時に涙が溢れてきた。
「もう、怖く……ない……?」
「ああ、誰も……傷つけない。お前もな……」
白い包帯野郎によると、俺はどうも憑かれてる間に城中のデジモンを殺め、悪趣味だが華やかな調度品を壊しまくっていたらしい。
「アンタは俺を憎いとは思わないのか?」
「旦那が憎いとは思うさ。それよりもアンタをそんな風にした王様の方が憎い。アンタは被害者なんだよ」
そう言って、彼は優しく俺を抱きしめた。
明け方、逃げるようにしてバイクで半壊した城を去り、俺たちは館に戻ってきた。レナータはすやすやと眠っている。クロは半開きの眼でこちらを見つめ、
「今度からは危ない場所にレナータを連れていくなよ?君子危うきに近寄らず、と言うからな」
と静かに言った。天蓋のように蚊帳が吊り下げられたベッドの上にはモササウルスや、ステゴサウルスにフタバスズキリュウといった恐竜や企鵝にくじら、甚兵衛鮫といった海洋生物のぬいぐるみが乗っている。エビフライやおにぎり、団子のぬいぐるみはソファに乗っていた。ぬいぐるみたちにも朝が来たのか、カーテンの隙間からは朝の日差しが漏れている。それにも気づかず、白い少女は楽しい夢を見ているようだった。レナータが起きたのはその日の昼頃。眩しそうにしながらも起きたが、水色がかった白い髪はボサボサで、俺がそれに気づくなり急いで木の櫛で梳かした。
その翌日、なんと件の白い奴は俺の館に押し掛けてきた。玄関で土下座をし、
「頼む、もう行くアテがないんだ‼︎旦那、此処に置いてくれ‼︎」
「……はあ?」
「あの後、王様から暇を出されたんだ……。かといって表の世界じゃ悪さばっかりしてたから……」
「あのなあ……」
俺が考え込んでいると、レナータが部屋着のまま躍り出てきた。髪は下ろしたまま、クロをぬいぐるみのように抱きしめながら。
「いいじゃない、ボク欲しかったの。メイドさんがいないと、ルナはお金持ちだって思われないよ?メイドさんの一人もいないと、お金がないんだって思われるの……」
「るせえ!家事なんて自分でしてやらあ‼︎」
「ルナは、お金持ち、でしょ?」
「確かに金持ちから金巻き上げたり、闘技場で荒稼ぎしてるからお前の服を買えるくらいの金はあるけどな」
「だったら、尚更、だよ……」
よく見ると、レナータの脚が震えている。靴も何も履いておらず、真っ白な太腿が丸出しになっている。彼女からすれば男二人の前で恥部を晒しているのだ、顔が林檎のように赤くなっていた。
女の脚など生まれてこの方殆ど気にしたことが無かったものの、彼女にとっては恥ずかしいことだったということもあり、少女の眼からは涙が溢れていた。包帯野郎はきょとんとした顔で俺に尋ねた。
「なあ、旦那。なんで嬢ちゃん泣いてんの?」
「……脚見られンの、気にしてんだよ」
「ふーん……。女が脚出すなんて珍しいことでも何でも無えのにな」
こんちはッス!
オイラッス!
今回は、クロちゃんとユゥリくんについてッス
クロの口調はテイマ由来ッス
だから、性格も冷めてるし、ジト目の回数が多いッス
ユゥリは殆ど戦わないタイプのサポーターみたいなモンッス
結構強いッスけどね……
ちなみに家事全般が得意ッス
今回はこれまで
ではまた!
壊れるほど愛しても三分の一も伝わらない。夏P(ナッピー)です。
手紙が来た時点からでしたが不気味にして不気味。ベルゼブモンすら恐れる存在とは!? となりましたが確かに吸血王なら……食事シーンの描写に力が入っていましたが、そのこともあってどこかおどろおどろしい感じで終始進んでいたような。そしてレナータとクロはそこまではほんわかしていたはずなのに。というか彼女にとっての最大のピンチはクロが進化して姿が変わることだった……。
一方のベルもといルナはバンバン過去が示唆されていきますが、元々ベルって呼ばれてたってことは今の名前にむしろ何か意味が……? それはそれとして今回名前を呼ばれたデジモンはまさかのパラサイモンのみ!? 包帯男マミーモンは名前呼ばれませんでしたが、なんか雰囲気や立ち位置的にアカンお前絶対死ぬやろと思っていたので、最後まさかの仲間入りは嬉しい誤算。最後の台詞的に人間の少女慣れしてる感じもデキる!
それでは続きも近々感想を書かせて頂きます。